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2002年10月10日
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カテゴリ: カテゴリ未分類
 学校にいると学生から声をかけられる。前期に教えた学生が僕を見て「先生、まだいてんか」と。そう、まだいるのである。一月の最初まで講義が続く。追再試を受けることになっている学生からもメールが届く。たまたまここで教えていた友人が大学への就職が決まり後任として教えることになったのである。彼がどんな講義をしていたかは聞いてない。彼の推薦ということですぐに採用が決まった。それから三年。最初の年は教育心理学を十二回教えただけだったが、翌年から臨床心理学も教えることになった。哲学の講座があれば教えたいといったが残念ながらここにはない。

 夜中にいつものように音楽を聴きながら仕事をしていた。ふと、左のスピーカーからしか音がしていないような気がした。きっと気のせいだろう、と思った。スピーカーの異常とは少しも考えなかった。もしも聞こえないとしたら僕の耳に異常があるのかもしれない、と疑った。念のため、スピーカーをつなぐジャックの点検をした。ぐいと押し込んでみた。すると右のスピーカーから音がし始めた。いったい、いつからこんなふうになっているのだろう。ずいぶん前からだと思う。なのに気がつかなかった。忙しい生活の中、ずっと別のことに気をとられていたことに思い当たった。聴いていてもあまり注意して聴いていなかったのだ。接触不良というほどのこともなく、接続が少し甘かっただけなのだが、ずいぶん長く本来もっときれいな音で聴けていたのに損をしたと後悔した。

 これは気づいていなかった例なのだが、おかしいことに気づき不満を持っているということがある。コンピュータのことはもう長く学んできたので初学者の人を見ていると時に知らないためにコンピュータのことやインターネットのことで不満を持つということがあることを知っている。人のことはいえない。恥ずかしくていえないことも多々ある。外ではAirH""(エアーエッジ)を使ってインターネットに繋いでいる。わりあい最近使い始めた。以前は公衆電話を探してアクセスしていたこともあったが(最近、そんなことをしている人を見たことがない)どこからでもインターネットに繋げるのは便利である。

 買った日、自宅で実験をした。ドライバーをインストールするなどめんどうなことがあったが思っていたよりは簡単に繋がった。これで外からのアクセスも問題なしと喜んだが、問題は翌日地方に講演に行った時のこと。待ち時間があったのでさっそくメールチェックを試みた。なのに一向に繋がらないのだ。それまではi-modeを使ってアクセスしていたがあまりに遅かったので今度は速くてありがたいと大いに期待していただけに失望は大きかった。遅くてもi-modeならこんなことはないはずだ、ピッチはだめなんだ等々いろいろなことを考えた。これでは実用にならない、と買ったことも少し後悔した。

 ところが僕は忘れていたのである。なんとなくカードを差し込んで起動すれば繋がると思い込んでいたのだが、ダイアルアップしなければならなかったのである。たしかに前の晩、そうしていたというのに忘れていた。だから完全に落ち度は僕にあった。なのに不満が膨らんだ。

 人との関係についてもこれに類したことをしているかもしれない、と思った。思い込みは激しいものである。最初に専門学校での講義のことを書いたのだが、最初の数回の講義はひどく緊張してしまう。僕の話を斜に構えて聴いているように見える学生が目に入るとどぎまぎしてしまう。ある時教えた学生は僕の話にも一向に反応しなかった。学生は知らないのだろうが教壇に立てばどの学生の顔も全部見える。講義を聴かないで次の時間の内職をしているのもわかってしまう。その学生はいつも怒っているように見えた。教壇に近い席だったので気になって仕方なかった。ところがある日気がついたのだ。実は、僕の講義を聴きながらノートをとっているのだが、ほとんど逐語録といっていいほどに僕の話をすべて書き留めていたのである。フランスの哲学者であるシモーヌ・ヴェイユの哲学の講義ノートが残されているがこれは学生が筆記したものである。僕は有名ではないし、これからも名を残せるような業績を打ち立てられるとも思わないからありえない話だが、その学生のノートは僕の講義を書き留めたものとして出版されることになっても(出版されないけど)おかしくはないくらいきちんと、ただ黒板に僕が書いたことを写すだけではなく、僕の講義のすべてを書き留めていた。そのことを知って恥ずかしかった。勝手に僕がこの学生は僕の講義に批判的なのに違いないと思い込んでいたことに気づいたからである。

 人は自分が意味づけした世界に生きているとアドラーは考えている。誰もが同じ客観的な世界に生きているわけではない。意味づけいかんによってはずいぶんとこの世界は生きにくいところになってしまう。実際にはそうではないかもしれないのに敵をたくさん創ってしまう。

 前期にどのクラスでも受けた質問はどうしたら自分を好きになれるかというのがあった。誰かに貢献できていると思う時にそんな自分のことを好きになれる、と話したのだが、もしもまわりの人が敵なら、敵に貢献しようとは思わないだろう。人に不信感を抱き、この世界は危険なところだと思ったら、積極的なタイプの人ならやられる前にやっつけねばならないと考えて人に危害を加えるというようなことをするかもしれないし、消極的なタイプの人なら人との関わりを避けてしまうかもしれないし、復讐的な行為にはしるということがあるかもしれない。こんなふうに考え、ふるまっていれば貢献しようなどとは思わないから、人に役立てているという感じを持てないだろうし、したがって自分のことを好きになれないだろう。

 不幸になりたいと思う人はないと考えているのだが、そのような願いからは遠く離れてしまうことになるが当の本人は何も見えていないということはよくあることである。





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最終更新日  2002年10月10日 05時47分46秒
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