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2002年10月25日
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 れんこんをたくさん送ってもらった。さてどうしたものか、と思っていたところ、料理の仕方を教えてもらったので早速試してみることにした。土がたくさんついていた。こんな形をしているとはしらなかった。土を洗い落とし、皮をむく。次に、れんこんをすって、卵(一個)と片栗粉(大匙2杯)、塩(少し)をまぜる。それをフライパンで炒めてできあがり。今日はカウンセリングだけなのでゆっくり過ごす。

 これまでの人生を振り返ってみると人との出会いが自分の運命を変えたように思うことが多々ある。ありがたいと思っている。自分を越えた力が働いているようにも思う。

 ところで、アドラーは、神秘的なこと、証明できないことを認めない人だった。神についてもそれは実在するものであるとは考えず、優越性、あるいは完全性の目標を具体化した観念(idea)というふうに考えた。もっともアドラーとある時対談したキリスト教の牧師はアドラーは私がこれまで会った人の中でもっともキリスト教的(Christian)だった、と絶賛している。

 アドラーにも影響を与えたウィリアム・ジェームズは、超常現象の証明には、それを信じたい人には信じるに十分な証拠が出る一方、信じない人には否定するに十分な曖昧さが残る、といっている。

 ある時、アドラーは、いわゆるテレパシーを経験した。夜中に目を覚ましたのですが、その時見ていた夢は非常に鮮やかだったので、船が海の中に沈んでいくのを見ているように思った。次の日、タイタニック号が沈んだことをアドラーは知った。目を覚ましたのはちょうど船が沈んだ時間だった。しかし、見かけほど偶然ではなかった、とアドラーはいう。その時アドラーは一部しかない『神経症的性格』の原稿のことを心配していた。アメリカに原稿を送ったのだが、いつものように、コピーを取っていなかった。船が沈めば、何年もかかった仕事をふいにするところだった。この本の原稿は、タイタニック号には乗せてなかったので、まもなく無事届いたという知らせを受け取った。このようなことにもアドラーは神秘的な意味づけは一切しない。

 アドラーが超常的なことに対して否定的であるのにはわけがある。信じる人も信じない人も 耳を傾けてみるといい。

 アドラーは、何か恐ろしいことに遭遇しながら傷つくことなく助かった人は、運命があらかじめ定まっていると思うようになることがある、といっている。ある人は次のような経験を語った。ある時ウィーンの劇場に行こうとしていたのだが、その前に別のところに行かなければならないことになった。ようやく劇場に着くと、劇場は焼け落ちていた。何もかもなくなったのに彼は助かった。このような人が自分は何か高い目的へと運命づけられていると思うようになるのは容易なことである、とアドラーはいう。

 問題は、このような人がその後の人生においてそのような期待とは違った結果に終わる経験をした時である。勇気をくじかれ、重要な支えを失ってうつ状態になることもあるからである(『個人心理学講義』)。

 運命を信じることそれ自体が問題であるわけではない。運命を信じることで、私たちの人生での出会いをかけがえないものとして大切なものと見なすことができるようになるからである。また、思い煩ってもどうにもならない先のことに心を悩ますことを止め、<今ここに>生きることができるようになるかもしれない。





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最終更新日  2002年10月25日 15時04分32秒
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