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2002年11月12日
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カテゴリ: カテゴリ未分類
 一時前に息子が部屋にきて六時に起こしてほしいという。五時に目覚ましを合わせておくけれどというのでそれなら別の僕が起こさなくてもいいではないかといったが声をかけてほしいという。講演があってちょうどその時間に起きるつもりだったので引き受ける。しばらく最近読んでいる本のことを話す。『カラマーゾフの兄弟』を読み始めたとのこと。もうずいぶん前に息子に渡した記憶があるが、その時は興味は見せなかったのだが。ロシア人は本当にあんなに延々と話すのか、と問う。たしかにドストエフスキーの作品に出てくる人は長々と話す。あきれるほど長い。『カラマーゾフの兄弟』は文庫本で三冊の長編なのにわずか数日の出来事でしかない。よく言葉を尽くすという表現を僕は講演などでするのだが、これくらい話さないといけないとしたら大変。
 二時半頃にやっと寝ることができた。それなのに三時に目が覚めてしまい眠れず。しばらく本を読んでようやく再び眠りに。夢の中で息子を起こしている。六時にセットした目覚ましでは起きられず起きたのは六時十五分。息子の部屋に行くともう既に起きて勉強していた。十五分遅刻ね、といわれたが機嫌はよかった。どうもずっと三時間、四時間くらいしか寝ていないようだ。
 講演先の近くの駅に着いたのでここから地図を片手に歩き出さねば(9:27)。
 ここから実は迷いそうになってしまった。公民館の場所を聞いても知らないという答え。後で聞けば数年前に移転したからかもしれないとのこと。僕としてはしかし道をたずねることができてよかった。それがどうしたといわれたらそれまでなのだが、人にたずねるのは苦手なので僕にはかなりの勇気を要することなのである。
 今日の講演は松原市の家庭教育学級。質疑応答の中で、私は人生を複雑に生きてきたような気がするという発言があって驚いてしまった。話は育児や教育のことが中心で必ずしも生き方に言及するような内容ではなかったからである。子どもとどう関わっていくかという話をする中でその延長線上でこの私がどう生きるかということはたしかに視野に収めて話していたので正しく理解されたと思う。人生が複雑なのではなくて、私が人生を複雑にしているということを僕はアドラー心理学を学ぶ前は知らなかった。
 講演の中でも少し話したのだが、小学校の時、勉強ができないのがいやだった。僕の家は校区の外れにあって、子どもの足だと三十分くらいかかった。学校の門の前に住んでいた同級生がいた。彼はいつも先生にいわれていた。あなたは学校の一番近くに住んでいるのに勉強ができない、なのに岸見君は一番遠くに住んでいるのに勉強ができる、と。ずいぶん今思うとひどい言い方だと思うのだが、実際のところは僕はそんなに勉強ができたわけではない。勉強ができるべきだったのである。なのにできないことが嫌だった。その上に、背が低くてスポーツができない。学級委員に選ばれることもなかった。
 二つの光景を思い出した。一つは図画の時間に自画像を描いた時のこと。僕は自分の顔をわりと気にいっていたので描き上がった作品は実はいいできだと思っていたのである。それなのに、貼り出された僕の描いた絵を見た同級生たちが、「これ、誰の絵?」といっているので聞いて、あわてて絵に書き加えた。「全然似てない」ただ、「これ、誰の絵?」という言葉を聞いただけなのに。
 もう一つは児童会の役員の選挙に立候補した日のこと。後に名前が廊下に貼り出された時に、他のクラスの人が「岸見って誰?」といっているのを聞いてがっかりするのだが、それよりも先にクラスの中で立候補すると手をあげた時のこと。僕が手をあげると皆が(と思った)驚いた。えっ、なんであいつがという反応だったように僕は思った。手を上げるのが恥ずかしくてならなかった。しかし、この時の決断がきっかけとなって選挙に当選し、児童会の議長になった。議長になったということは皆の前で話をしたということである。あれほど目立つのが嫌だったというのに。私立の中学校の受験のことを母は担任に相談したことを後で聞いた。先生は僕には無理だ、といった。学力的にも精神的にも。母はどうやらその説明を納得したらしい。僕はこの話をきいて自分の人生の最初の軌道修正を試みた。小学校六年生の時だった。





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最終更新日  2002年11月12日 21時49分11秒
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Re:自分の意志で生き始めた日(11/12)  
風鈴2525  さん
先生からの、レスを読んでずっと考えています。母への援助は強制ではなく、私の内からの希望です。そうしたいが、しかし今の私ではきっとできないだろう、と幼い頃からずっと考えているように思います。母も私に力を貸してほしいということをほのめかすのですが、今の母と私にはそれは難しすぎるだろうということもお互いに感じているのだと思います。母はまだ自分の意志で生きていないのではないかとさえ思うときがあるのです。望んではいなかった人生を選ぶということが自分にとってどれほどの代償を強いることになるか、両親から学びました。私は母を援助できるような人間ではありません。今から勉強をして自分を鍛え、少しでも母の苦しみを和らげるお手伝いができればと考えています。コミュニケーションのトレーニング、自己責任の認識のほかにまず何をすれば良いでしょうか?教えてください。 (2002年11月13日 01時41分01秒)

Re:Re:自分の意志で生き始めた日(11/12)  
Ichiro_Kishimi  さん
風鈴2525さん
 ここでもいろいろなところで書いていますが、課題の区別と協力について学んでほしいのです。誰が最終的に解決しなければならないかということを考えた時に、お母さまの人生はお母さまの課題であって子どもである自分の課題には本来的にはなりえないことがわかります。その区別をしっかりと見据えた上で、援助を申し出てそれをお母さまが受け入れられたら共同の課題になるでしょうが、この区別をしなければ援助というよりはただのサービスになってしまいます。基本的には人は自分で自分の責任をはたして生きていかなければなりませんが、そのことを知った上でなお助け合って生きられるとしたらすてきなことだと思いますが、必ず手を貸さなければならないわけではなく、また必ず援助をしてもらわないというわけではないのです。 (2002年11月13日 12時58分29秒)

Re:自分の意志で生き始めた日(11/12)  
風鈴2525  さん
Ichiro_Kishimiさん
>必ず手を貸さなければならないわけではなく、また必ず援助をしてもらわないというわけではないのです。
-----
そうですね。直接的には母に対して何もできないのだ・・ということが私には苦しかったのです。もっと母を信頼することからはじめようと思います。ありがとうございました。 (2002年11月16日 00時04分35秒)

Re:Re:自分の意志で生き始めた日(11/12)  
Ichiro_Kishimi  さん
風鈴2525さん
 あらゆる対人関係にいえることですが、私が何かをしなければこの人は~になる(通常、マイナスのこと、勉強しなくなる、だめになるetc.)と思う時、その人のことを信頼できていないということがあるかもしれません。私がその相手の立場ならどう感じるだろうかということをいつも考えなければなりません。 (2002年11月16日 01時51分25秒)

Re:自分の意志で生き始めた日(11/12)  
風鈴2525  さん
Ichiro_Kishimiさん
 相手の立場になって・・・「私が彼女の避雷針にならなければ、だれが避雷針になるのだろう?」と考えていました。彼女が行き場をなくしてしまうのではと心配していたのですが、それはそれでうまくやっていったり、うまく行かなくても自分で対処するべきだと気がつきました。そのとばっちりをこれ以上受けたくないと考えていた、いやらしい私です。そのいやらしさが余計に彼女には不要なのですね。また、とばっちりも勉強のうちと考えるのもやめます。つまり、私の知るところではない、と愛と信頼を持って切り捨てようと思います。
(2002年11月17日 23時17分23秒)

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