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2002年11月14日
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 大学の講義。教科書を終了。僕自身もかつて使い、よくできた教科書なのだが課が多く大学の週一コマの講義では終われないことがあるので別の教科書を使っていたこともあるが、今年は昨年に引き続き受講する学生がいることもあって、『ギリシア語入門』(田中美知太郎、松平千秋、岩波書店)を使った。思いがけず今日終わったので来週からプラトンの『ソクラテスの弁明』を読む。去年の続きから読む。今年初めての学生には申し訳ないのだが、こんな形で奈良女子大学からギリシア語の講座がなくならない限り、毎年読み続けていければと考えている。

 では僕が悪しき教師だったらどうだったか。人間はアドラーがいうように外からの刺激に機械的に反応するわけではない。反面教師ということもあるだろう。
 テレビドラマの「天才柳沢教授の生活」でこんな話があった。柳沢の妻はもう三十年もピアノを弾いていなかった。本の中に埋もれてしまっていたのである。そのピアノを再び弾くことを柳沢は勧め、その上、調律に要する費用を計算して新しいピアノを買う方がいいと考えピアノを買いに行く。ところがどのピアノで妻がショパンの「ノクターン」を弾いても柳沢は納得しない。後に判明するのだが、結婚して家にピアノが運びこられた時から既に音は狂っていた。柳沢は妻の弾くピアノの音程が正しいと信じていたので正しい音程のピアノの音を聞いても納得できなかったのである。柳沢のように本を読むことを習わしにしている人がレコードやCDで音楽を聴かなかったとは思えないのだが、原作でもドラマでも妻のピアノの狂った音程こそが正しいと思い込んでいると描かれている。
 もしも教育がこのような影響を与えるとしたら恐ろしい。このようにならないためにできる限り多くの教師につくことが有用だろう。同じ専門分野でも複数の教師につけば学生はどの教師がすぐれているかそうでないかを判断するのが容易になるだろう。
 この点、家庭教育には問題がないわけではない。親は多くの場合一人ずつであるから間違ったことを親が教えていても子どもが気づかないということはありうるからである。親は子どもの行動を規制しようとするがその際の基準になるのが何がよくて何がそうでないかという家族価値と呼ばれるものである。両親ともに同じ家族価値を持っていることもある。その場合、この家族価値は強力なものになる。子どもたちにとって必要なのはできれば多様な価値観に触れることだと思うが、そうできないことも多いように思う。親の影響がもし好ましくなければ教師が正すしかないがその教師の考えが歪んでいたらどうなるのか。こんな悲観的なことを考えない方がいいだろう。





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最終更新日  2002年11月14日 18時02分17秒
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