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2003年01月17日
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 専門学校での講義が終り(目下、試験を作成中)それと入れ替わるかのように明日から弁天町の市民セミナーで五回連続の講義をする。定員があって倍ほどの応募があったので抽選が行われたと聞いている。「貴方のための心理学講座 ~私が”わたし”であるために~」というのがテーマである。
日記 の中で昨日、知らないことが多すぎるということを書いた。村上春樹の短編(「加納クレタ」)の中に「姉が修行した場所にはアレン・ギンズバーグも来たし、キース・リチャーズも来た」と書いてあったが、言及されている二人の名前のうちキース・リチャーズは最近ローリング・ストーンズのことを知ったのでわかったが、ポール・マッカートニーやジョン・レノンらと親交があった詩人であるギンズバーグのことは知らないという話である。
 僕のこれまでの人生での経験はきわめて限られているので知らないことが多い。子どもの頃のある時期、家にあったテレビは民放が映らなかったので(今となってはどうしてそんなことになったのかはわからないのだが)同じ世代の人が共通して知っている漫画のことを知らない。大学生になってからはずっと紀元前五世紀のギリシア語ばかり読んでいたのであまり本をあまり読めてない。もちろん、そんなことは理由にならないので同じ研究室の仲間は博識だったのだが。
 精神科に勤務してからはこんなことではカウンセリングができないので読む本の幅を広げたのだが、カウンセリングにこられる人たちに教えられることの方が多かったように思う。
 こんなことを書いた一方で知っていなければならないことと必ずしもそうではないことを区別しておかない。限りある人生ですべてのことを知ることはできないからである。ギリシアの哲学者、ヘラクレイトスは博識は知者を作らないといっている。
 しかしこのように考えるとまた極端に考えてしまって本など読まなくてもいいというようなことになってしまう。デカルトが『方法序説』の中で、「先生たちの監督を離れてもいい年齢に達するやいなや、私は書物による学問を全くやめてしまった」といっているが、読書をすべて止めてしまったというのではなく、読書だけが真理発見の唯一の、またもっとも有効な方法だと考えることを止めた、と解すべきであろう。読書をデカルトが止めたとは考えられない。その意味でデカルトのこの言葉を文字通り取ることはないので、そんなに簡単に本を読むのを止めることはできない。
 また他方、知ることではなくて「体験」が重要であるという人がいる。僕が講演やカウンセリングで話すのを聞くと納得するが、「決心」とか「実行」とかはなかなかできない、理解と実行には大きな段差があるように感じるという人は多い。頭だけで理解しているだけでは十分ではないということである。
 しかし、もしも体験が人を賢くするのであれば、老人は皆賢いということになるだろうが、必ずしもそうは思えない。頭だけでわかっていても十分ではないというのは本当だが、頭でわかることは出発点としては重要なことである。





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最終更新日  2003年01月17日 22時50分57秒
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