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2003年03月14日
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 吉川英治の『宮本武蔵』の中で又八(武蔵の幼友達)の母親であるお杉ばばが「父母恩重経」(ぶもおんじゅうきょう)を写経するという話が出てくる。お杉ばばが留守の間逗留先の男の一人がこれを読み、他のものがこれを聞く。お経なので最初は意味がうまく理解できないが少しずつこの父母の恩の広大さを説くお経の言葉が心に染み渡り、皆が泣き出す。小説の話の流れとは独立して長々と引用されているので作者の特別な意図が感じられるのだが読んでいてふと亡くなった母の言葉を思い出した。
 僕の卒業した高校ではよくお経を皆で唱える機会があった。毎月一回ある弘法大師の忌日法会である御影供(みえいく、みえく)では四弘誓願(しぐぜいがん)を唱えたりした。この日は校長の法話を聴くだけで授業はなかった。こんな日があるのなら七時間授業(今どきはめずらしくないのかもしれないが当時は毎日七時間授業があるというと驚かれた)する意味はないのでは、と罰当たりな僕は考えたものだが、母がある日「父母恩重経」の話をしたのをふと思い出したのである。今はどうなのか知らないが僕の頃は成績表は生徒には渡されず親がもらいにいくことになっていた。生徒を信頼していないんだな、と僕は思っていたが、それはともかく、受け取りに行く日には御影供の時のように親が講堂に集まり「父母恩重経」を唱えるとふと母が話したのを思い出した。どんなお経なのかも聞いたような気がする。でも今となっては記憶間違いかもしれない。『宮本武蔵』によれば、子どもがどんなふうに親の恩を受けて生まれ育つかを描写するこのお経は子どもにこそふさわしく親向けではないようにも思う。「父に慈恩あり 母に悲恩あり そのゆえは 人のこの世に生るるは 宿業を因とし 父母を縁とせり…」
 後の方にはこんなことも書いてあるので親が唱えたわけもわからないわけではない。「父は子に衣を索(もと)め 母は子の髪を梳(くしけず)ずり 己(おの)が美好はみな子に捧げ尽くし 自らは故(ふる)を着、弊(やぶ)れたるを纏(まと)う」先に紹介した親の自己犠牲的な愛(とんでもない…)が説かれているわけである。
 母の話はこれっきりだったが母は一体何を思っていたかはわからない。その頃の僕が後に育児や教育について講演することになろうとは夢にも思っていなかったが、母が聞いていたのとはずいぶん違う親子関係のあり方を僕は話しているので母がもし僕の講演を聞けばどんな反応をしただろうかと思う。
 母はちょうど僕と二回り年上で、同じ干支、僕と母は同じ日に生まれている。そうすると僕が高校生の時は母は四十歳から四十二歳だったわけで、今の僕よりも若かったわけだ。
 今日夕方娘の友達が大挙して押し寄せた。先生に卒業式に渡す(娘は小学校を卒業する)色紙を書くために集まったようなのだが、僕を見て「おっちゃんですか?」という。他に言い方があるだろうと思ったりもするのだが、僕が彼らくらいの時同級生の親を見ていたように僕のことも映っているだろうか、とふと思った。僕の父も母も僕の年齢の頃はもっと「大人」だったような気がする。この年になってもまだ幼いように思ってしまう。母は四十九歳で亡くなったが、もうすぐその年を追い越しそうになっているというのに距離はいっこうに縮まりそうにない。





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最終更新日  2003年03月14日 22時29分00秒
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