徴兵制のことを教えてくれた。 「アメリカは今徴兵制はない。実際に戦争にいっているのは生計を立てるためだったり大学で奨学金をもらうためだったりする。戦争を支持している人たちは自分たちは戦争に行く必要がないのでか勝手なことをいっているわけで、これは少数意見で僕は徴兵制に賛成しているというわけではないんだけど、徴兵制によってどの人も平等に戦場に駆り出されるのであればもう少し戦争というものへの考え方が変わってくるはずだという考えの人もある」 New York Timesにようやく戦争で負傷した兵士の話が出た。ある上等兵は右腕と右足を負傷した。身体の痛みが和らぐ時も心は遠く離れているガールフレンドのことや炸裂する爆弾のこと、戦闘時に死んだ仲間やイラク人兵士の血まみれの身体のイメージから離れることはない。これから生涯にわたって杖なしでは生きていけないことの不安もある。しかし、とこの上等兵はいう。「たくさんの人が自分よりももっと傷つき、あるいは死んだわけだから自分のことがかわいそうとはちょっと考えにくい」身体の傷が癒えてもこの頭にあるイメージと戦うことになるだろう、と考えている。 記事によると負傷した兵士がテレビに映されたり記者会見がされる時は演出が入っているので兵士たちは恐怖や将来のことについて質問を受けると自信があるように見えるが、長く入院している兵士と話すと従軍牧師(chaplain)や他のカウンセラーのところに行くことや怖れ、後悔、良心の呵責、あるいは説明しがい感情(hard-to-explain feelings)について話し始めるという。ブッシュ大統領が見舞いに訪れ、負傷兵の英雄的行為(heroism)を賞賛したけれども、多くの人は自分が英雄だとは思っていない。 従軍牧師はこの上等兵の話を聞いていった。「(長くこれからも頭の中のイメージと戦うことになるという心配に対して)ノーマルなことだ。最後にはすべてよくなるから」(everything will be all right, eventually)。こんな言葉を聞いて癒されるのかどうか。むしろただ英雄的行為という言葉ですまされない何かあるものを見つめていくことでしか快方に向かわないのではないと思う。前線で戦った彼〔女〕らこそが本当の気持ち、考えを語ってほしいのだが。 朝日新聞の記者の聞き取り調査ではバグダッドの主要病院でのイラクの民間人の死者は1000人にのぼる。イラク全体では当然もっと多い。なのに公式累計が出されていない。アメリカはそんな記録を取ろうともしていないのか。