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2003年04月22日
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 今日は明治東洋医学院で講義。講義の間に二時間のブランクがあるのだが今日は寝ることもなく同じ火曜日に出講している僕の教え子でもある中根さんと話をしたり(近く開業の予定なのでそのことについていろいろと)、食堂で去年の教え子さんたちと話をして過ごした。看護師としての臨床経験が長いのだがその後鍼灸師の資格を取り、今は柔道整復師の資格を取るべく一年生として再入学をしたという話を聞いて驚いた。人と関わる仕事が楽しいのです、という学生さんの学ぶ意欲に敬服する。
 僕の講演では通常女性が圧倒的に多いのだが今年教えているクラスは(高校の高等看護科は女性ばかり)男性が圧倒的に多い。その上若い人が多いのでどういう話だと関心を持って聞いてもらえるかなお試行錯誤なのだが昼からのクラスでは笑ってもらえてよかった。男女関係をめぐる話がとめどなくエスカレートするかもしれない。実は昨年度と同じシラバスを配ったのだが、ずいぶんクラスによって違うようにも思うが僕の方も去年と今では勉強し続けているわけだから同じ話にならなくて当然ともいえる。十年一日同じ講義をするなど信じられない。

 戦争について何を書いても専門の知識がないのでそんなことも知らないかといわれそうでなかなか書けないのだが、前から一つ疑問に思っていることがある。それは戦争で殺された民間人は何の補償もされないのかということである。前に書いたが一体何人が犠牲になったかという公式の記録さえないように見える。そんなことを思いながら本を読んでいたら坂本義和の論文(「テロと「文明」の政治学」、『テロ後 世界はどう変わったか』藤原帰一編、岩波新書所収)にアフガンの時のことに言及して次のように書いてあるのを見つけた。もしもアメリカが武力行使が正当であるというならちょうど警察が武力行使にともなって無実の市民を殺傷した場合と同じように、補償と加害者追及の法的責任を負わなければならない。
「故意でない誤爆などについて加害者個人の法的責任を問うことは実際上はむずかしいだろうが、まさにそれだからこそ、せめて被害に対する結果責任をとって、誠実に補償を行なうことが重要なのだ。かりにそれが個別にではなく一括して払われるとしても、それはあくまでも法的責任に基づく「補償」であって「援助」などではないことを、曖昧にしてはならない」(p.14)
「故意でない誤爆」という表現はひっかかるのだが、補償の必要を説いているところは納得する。パレスチナホテルでジャーナリストが戦車の砲撃で殺されたケースなど当然加害者を特定できるはずである(このケースではアメリカ側が危険だから退去することを勧告したのに従わなかった、と謝罪していない)。爆撃で殺された人への補償をするという話は今のところ聴いていない。





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最終更新日  2003年04月22日 22時58分35秒
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