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2003年10月21日
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カテゴリ: カテゴリ未分類
 明治東洋医学院の出講日。午前中の講義を終えた後、次の講義まで二時間あいているのが、今日は疲れていてソファにすわると(横になったのではない)あっという間に深い眠りについてしまった。食事に行く時間はなくなったが、おかげで昼からの2コマ続きの講義は充電できた状態でのぞむことができた。

 ちょうど目が覚めた頃に(と思ったのだが何度も部屋にこられてたのかもしれない)再試験の答案が持ってこられ時間がある時に採点をしてほしい、といわれた。選択問題で二問答えるようにしてあり、四人分の答案だったので、すぐに読むことにした。僕の教えている科目はともかくこれから(一年生)たくさんのことを学んでいかないといけないはずなのにひょっとしたら勉強の方法を知らないのではないか、と思える答案があり、評価をどうしたものかずいぶん迷った。昼からの講義で話した「課題」という言葉を使うならば、誰も代わりに勉強してくれるはずもないのに(本人の課題だから)他の人が代わりに勉強してくれるのではないか、もっといえば自分の人生の代わりを生きてくれるのではないか(他人事)と思っているとしたら大きな間違いなので、成績のことはともかく一度話をしてみたいと思った。もちろんそんなことは非常勤講師ができることではないのだが。

 2コマ続きの講義には間に10分の休憩があるのだが5階から1階の控え室まで降りてまた上がるだけの時間はない。自動販売機で何を買おうかと迷っていたら「どれがいいか分析をしているのですか?」と学生に声をかけられた。別の学生はアドラー心理学に興味を持った、ともう5冊アドラー関係の本を読んだという。まだ今日が3回目の講義だったので大いに驚いた。アドラー心理学会に入会したいが僕に推薦者(入会時に必要)になってもらえないないか、とのことでもちろん受諾した。

 学会で講演をされた中川晶先生の『診療内科医のメルヘン・セラピー』(講談社)を少し読んでみた。第9話「変なネコ」を読み、高校の時の宗教の時間のことを思い出した。この話の中に源信の『往生要集』に書いてある衆合地獄が引いてあって(pp.147-8)、そういえば宗教の時間に『往生要集』を読んだことを思い出したのである。僕はおもしろかったのだが今でもこの高校ではこんなことを教える先生がいるのだろうか。先生の影響で仏教関係の本を図書館で借りて読んだりしたが、仏教の方には進まなかった。『メルヘン・セラピー』にこんな話が続く。地蔵菩薩がつぶやく。「あたしだって仏陀(悟りし者)になる資格があるのに、あえて仏陀になる手前でとどまって、こうやって困っている人の助けをしているだけど……。こういうのを菩薩というのよ。そう、ちょっと変わり者よね」(p.151)。先生はいつも菩薩になれ、といってたのを思い出す。「変わり者」ねえ。たしかにそうかもしれない。仏陀になる資格があるとは思えないけれど、その時先生にいわれたような生き方を少しでも生きられているとしたらいいのだが。僕としては思いかげず高校の時学んだことが影響を与えていることに気づき驚いてしまう。





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最終更新日  2003年10月21日 23時34分43秒
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