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2004年01月13日
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カテゴリ: カテゴリ未分類
 明治東洋医学院専門学校の最終講義。試験前にこれまで話したことをまとめた。講義の前と後に学生がサインを求めに。本がほしいといってきた学生も。それと初めて言葉を交わした学生も何人も。試験の問い合わせの他、講義についての質問、感想などである。でも今日が最後だったので、いつもそうなのだが講義が終わってしまうと寂しい。

『医学生』読了。著者の南木佳士があとがきにこんなことを書いている。総合病院の呼吸器科病棟で年間5,60人の末期肺癌患者さんたちを看取る本業の傍ら、小説を書いていた。もとより小説を書くための時間が充分あるわけでなく、芥川賞受賞の翌年に短編小説を一冊出してから、小説を書けなくなり、医師を続けていく自信もなくした。「自分が存在していることそのものへの不安。死への恐怖。体のふらつき感。焦燥。動悸。いら立ち。不眠」(p.237)。パニック障害がうつ病に移行したという診断を受けた。しばらく自宅安静の後、病棟勤務を外されたが、日常の診察はなんとかこなせても、原稿に向かう気にならなかった。過日読んだ『阿弥陀堂だより』の夫婦(夫は作家で妻は医師)がこのようであった。『医学生』では上田先生という医師が、自律神経失調症になって半年の休職後、人間ドック棟で診察をしているという話が出てくる。自分で書いた死亡診断書が三百枚を超えたあたりで調子を崩したのである。これは『阿弥陀堂だより』の美智子先生と同じである。研修医の京子は、この上田医師が、患者のことを真剣に考えすぎた、彼ほど自然な死を患者や家族に迎えさせようと努力する医者を見たことがない、といっている。

「死ってのは他人のものでじゃなくて、いつか必ず自分の番が来るんだから、半分は自分のものだと思っていた。そう思わないと告知した患者と話なんかできないものな。でも毎日をそういう思いで過ごすってのは精神衛生上とてもよくないことだったんだな。気づかないうちに少しずつボディーブローをくらったようなもので、ある日限界がきちまったんだな」(p.222)

 精神科の勤務が続けられなくなった時のことを思い出した。

『言葉は京でつづられた』(青幻舎)。中原中也、梶井基次郎、西田幾多郎らが京都で綴った小説、詩、日記などのアンソロジー。写真も美しい。「人の心に磁力があるように/ふいに誰かに会するときがある/会して、別れ、会して、別れ/やがて会してなくとも/結ばれていることもある」京はそのような出会いの磁場である(pp.36-7)。
あの山は比叡といふと君が指すすべては我の夢にありしか





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最終更新日  2004年01月14日 09時32分47秒
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Re:あの山は比叡と/最終講義(1/13)  
もも さん
それまで笑顔しか見たことがなかったのに、泣きはらして目が落ち窪んでげっそりした看護婦さんに早朝の洗面所で出くわしたことがありました。聞いたわけではありませんが、担当の患者さんが亡くなったんだと直感しました。
医者や看護婦は、患者の死は日常で慣れっこになっているのだろうと思っていたので驚きました。悲しんで泣いてくれる看護婦さんに立ち会ってもらった患者さんは慰められたと思いました。 (2004年01月14日 03時22分30秒)

Re:Re:あの山は比叡と/最終講義(1/13)  
Ichiro_Kishimi  さん
ももさん
 精神科に勤めていた頃、患者さんの死は重くて何年も引きずりました。無力感、後悔の念にとらわれました。何科であっても死を三人称の死としてとらえなければきついものがあります。そんなふうに割り切ることはできませんでした。 (2004年01月14日 09時29分02秒)

Re:あの山は比叡と/最終講義(1/13)  
かすみ草 さん
1/12,13の日記の最後に短歌が詠まれていますね。先生が詠まれたのですね。私は和歌が好きなのでうれしいです。ほろ苦くて、そして相手への暖かさを感じます。短歌を入れて恋愛小説を書かれたらいいと思います。その場面、場面に歌を入れて。章ごととか。



(2004年01月14日 12時50分09秒)

Re:Re:あの山は比叡と/最終講義(1/13)  
Ichiro_Kishimi  さん
かすみ草さん
 恋愛小説はむずかしい(笑)。もっとしあわせな歌よまないとね。 (2004年01月14日 15時58分38秒)

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