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2004年04月10日
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カテゴリ: カテゴリ未分類
 人質事件のことが気がかり。知らない人に起こった他人事だとはとても思えない。家族との面会を小泉首相が拒否したというニュースをFM放送で聞いたが、インターネット上でのニュースではまだ確認できていない。今、読んだasahi.comによると、アハメド・ヤシン軍団を名乗るイラクの武装組織が、日本人を含む外国人30人を人質として拘束しているという。暗澹たる思い。こういうやり方は卑怯ではないか、といわれればたしかにそそうだが、池澤夏樹が書いていたが、では劣化ウラン弾を使うのは卑怯ではないのか、遠くから巡航ミサイルでバグダッドを破壊するのは卑怯ではないのか、という話になってくる。戦争の愚かさを思う。

 哲学者の西田幾多郎は、晩年ギリシア哲学に興味を持ったがギリシア語を学ぼうと思っても、「あの煩瑣な文法を有ったギリシャ語は、見ただけでも肩を聳さざるを得なかった」と書いている(『続思索と体験』岩波文庫、p.213)。その西田をしてギリシア語を学ぼうという気にさせたのは、ギッシングの『ヘンリ・ライクロフトの私記』の中にある次のような言葉であった。夏のある日、子どもの時に学校で読んだクセノポンの『アナバシス』を取り出してきて、読み始めた。これを読んだ少年の頃の思い出が亡霊のように心の中にうごめいた。数日後には読み上げた。「たとえこれ(『アナバシス』)がギリシア語で書かれた唯一の現存する作品だとしても、それをよむためにだけでもギリシア語の勉強をする値打ちは大いにあろう」(岩波文庫、平井正穂訳、p.103)。

 僕は実のところこの作品をそれほどおもしろいとは思ったことはなかったのだが、ギッシングが引いている個所はたしかに心を動かされる。例えば、第四巻にはこんな話がある。二人の男が捕虜になった。これから進むべき道筋についての情報が必要なのでこの二人は殺されることなく生け捕りにされた。「そこで直ぐにその二人を連れてこさせて、今見えている道のほかに、別の道を知らぬかどうか、別々に尋問した。その一人は、さまざまな威嚇を加えられながらも、知らぬと言った。その男は何一つ役立つことを言わぬので、もう一人の男の面前で惨殺された。もう一人の捕虜の言うところでは、先の男には行く先の土地に嫁いで、夫と暮らしている娘があるために、知らぬと言ったのだという」(松平千秋訳、『アナバシス』筑摩書房、p.112)。ギッシングは、このわずかな言葉の中に含まれている以上の哀感を表現することはなかなかたやすいことではない、と書いている。ギッシングは「あらゆる時代の人々の感動をさそう、人間の愛情と犠牲のすがたが輝く」といっているが、戦争というものがもたらす悲劇を思って言葉が出なくなる。

 前の家に行き、本やCDなどを大量に持ってきた。澤柳大五郎の『ギリシアの美術』(岩波新書)を見つけた。『イリッソス河畔の墓碑』の写真を見たかったのだ。死者の遠在、目の前にありながら既にこの世を去った人であることがわかる。視線はこの世で愛したであろう人の前にいるにもかかわらず、あらぬ方に向けられている。夢に見た亡き母もいつもそうだった。悲しい。





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最終更新日  2004年04月10日 22時56分25秒
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