昨日、芭蕉の句を引いたが、その際、花と一体になる(to be at one)という表現がされているのを見た。新約聖書の次のような表現を思い出した。「生きているのはもはや私(=パウロ)ではない。キリストが私の中に生きている」(『ガラテヤの信徒への手紙』2-20)。私はキリストを「持つ」わけではなく、キリストが私の中に「ある」のである。あなたと私が一体になった時、森有正が使う表現を使うならば、レゾナンス(私の内部の共鳴)が起こるのである。私は自分をなくしてあなたに合わせるのではない。あなたが私の中で共鳴する(vice versa)。