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2004年07月07日
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 昨日は暑い中、移動したせいか、今朝はなかなか起き上がることができず、携帯のアラームを二時間も五分毎にかけたが、ことごとく消してしまっていた。午前、午後の二人のカウンセリングの後、翻訳の続き。

 前に マリアとマリアの話 を紹介したことがあった。この二人の兄はラザロという。このラザロが亡くなって四日経った時、イエスが姉妹のところに行く。この時もイエスを迎えたのはマルタであり、マリアは家の中にすわっていた。イエスは、あなたの兄弟は復活するといった。「わたしを信じる者は、死んでも生きる。生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。このことを信じるか」(『ヨハネによる福音書』11.25-6)。このイエスの言葉に対して、「はい、主よ、あなたが世に来られるはずの神の子、メシアであるとわたしは信じております」(11.27)と答えたのは、マルタだった。遠藤周作が、月日が流れ兄のラザロが死んだ時、「キリストの前で最も崇高な言葉」(『聖書のなかの女性たち』p.64)を口にだしたのは他ならぬマルタだったという時、上に引いたマルコの言葉のことを指しているのだろう。

 ラザロの病気のことをイエスが最初に聞いた時、イエスはいった。この病は死には至らず、と(11.4)。それにもかかわらず、ラザロは死んだ。しかし、われらの友、ラザロは眠っているのだ、とイエスはいった。「聖なる眠りを眠れり」という カリマコスのエピグラム を思い出す。イエスが、ラザロ、出で来たれ、と叫ぶと、ラザロは復活した。病気も、死そのものも死に至るものではなかった。しかし、とキルケゴールはいった。絶望だけは死に至る、と。絶望は人間が真の自己になることを拒み、神の前に出ることを拒む。絶望は死に至る病(Krankenheit zum Tode)である。

 学生の頃の知人が亡くなったという知らせを受け取った。前後のことを何も記憶していないが、バイオリンを胸にかかえたまま寝入ってしまったその人の姿をふと思い出した。聖なる眠りというのはこんなのをいうのか。「死んでゆく時には彼女は殆ど人間的完成に達成していたと信じる。人々の心に若い美しい像を最後として刻み付けてこの世を去ったのは彼女が神に特別に愛されているからであろう」(三木清「幼き者の為に」p.450)。





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最終更新日  2004年07月07日 23時47分39秒
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