共同体感覚
これは難しいですね。
以前に野田さんのお話を何度となく聴きましたが、かなり慎重な話し方で話されているけど、漠然としか分からない感じでした。

この単語を目にすると、そのもの自体を思うのではなくて、「ああ、これは難しい」と思ってしまいます。(^^;
そんな感じで、自分で刷り込んだのでしょうか。(^^; (2004年10月09日 01時20分03秒)

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2004年10月08日
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カテゴリ: カテゴリ未分類
 明日は長岡京市の公民館で三回シリーズの講演の二回目が予定されていたのだが、台風のために中止になった。この分をどうするかを相談した。三回の予定を二回にすることもできるわけである。僕が、というよりは受講されている人の希望を聞かないといけないのではないでしょうか、というと、僕が電話した時点で、中止の連絡がすんでいてその際、全員が別の日の開講を希望されたとのこと。この時期の土曜日は忙しいのだが、空いている日があってよかった。

 午前中、松原市の公民館で講演。もう二回目、三回目の方もおられた。講演後すぐにアンケートに答えてもらい見せてもらう。好評だったようで安堵した。

 講演をしながら考えていた。例えば、「勇気」(あるいは、掲示板で質問を受けた「共同体感覚」についてでもいいのだが)について講演で伝えたいと思う。しかし、どうしたらそれができるのか、と。定義をすればいいという考えもあるだろうが、実際の講演では簡単ではない。講演やカウンセリングの場合は、言葉によるしか勇気について定義できないのだが、言葉は勇気そのものではないのである。話を聞く側も僕が定義をしたとして、その定義を覚えたとしても何の役にも立たない。どうしたら僕は勇気についてそれが何かを伝えることができるか…

 ずっと考えているのは、結局、このためにはエピソードを語るしかないのではないか、ということ。そうすれば、そのエピソードを聞いたり読んだ人の心の中に共鳴が起こり、あのことが(だから言葉の意味を理解するというのとは違う)勇気というのだというような理解ができるのではないか。しかし、エピソードを伝えるだけではただ体験を伝えるだけになってしまうかもしれない。それでは僕の思いは伝わらない。書くことや話すことについて考えている。プラトンがなぜ論文ではなく、対話篇を著述の形式として選んだかというようなことまで考えた。

 二月頃に日記に書いたことがあるのだが、aikoの「今度までには」の歌詞が今日は頻りに思い出された。「凍える夜は震えてないかって心配だけど眠れないけどそんなことはあなたは知らなくってあたしの思いもあたしの涙も幻なのか」。「そんなことはあなたは知らなくって」と歌われているが、僕は心配していることを伝えてしまう…





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最終更新日  2004年10月08日 22時08分51秒
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Re:そんなことはあなたは知らなくて(10/08)  
pooh-tonton  さん

Re[1]:そんなことはあなたは知らなくて(10/08)  
Ichiro_Kishimi  さん
pooh-tontonさん
 僕も本の中ではかなり苦労していて、もとのドイツ語から説明したり、宮沢和史の歌を引いたりしています。そもそもこの感覚を実感したことのない人には、どれほど言葉の説明をしてもわからないのではないか、と思うのです。 (2004年10月09日 01時22分59秒)

Re:そんなことはあなたは知らなくて(10/08)  
杉山ユウ子 さん
心配していることを伝えられたら、今の私はとても勇気づけられますね。何より、言ってもらえるのがうれしい。でも、自分のこころが閉じているときは、心配されることを疎ましく思ってしまっていたように思い出すのです。本当は、心配してもらいたい気持ちもあるのにです。
(2004年10月09日 02時07分32秒)

Re[1]:そんなことはあなたは知らなくて(10/08)  
Ichiro_Kishimi  さん
杉山ユウ子さん
 心配で心配でたまらないことがあります。辻邦生がこんなことを日記に書いていました。もうすぐパリにやってくるはずのAのことが心配でたまらないのです。
「Aはいま飛行機に乗っているはずだ。どの辺をとんでいるだろうか。午前九時に乗ったとしたら、いまどこだろう。夜中の飛行場でコカコラでも飲んでいるだろうか……。(中略)午後は本を読むが、いっこうに頭に入らない。Aのことが気になる。酔ったりしなければいいがと思う。気持のいい旅行ができているんだろうか。食事にうんざりするとみんなが云っているが、果たして大丈夫だろうか?」
 こんなふうにいつも意識の片隅にあって(中心かもしれないのですが)思い続けているという感じってわかります? (2004年10月09日 02時29分55秒)

Re:そんなことはあなたは知らなくて(10/08)  
keiko さん
辻さんのAさんを心配する日記と森有正氏が娘さんがはじめてパリに来る時に心配して書かれている文によく似ていますね。しかし心配の度合いが違うようですが。辻さんのコカコラという表現が時代的表現でおもしろいと思って私も頭の中に残っていましたが、先生は本が手許にあって読んでいるように文がでてくるのに驚いています(笑)。
 私は心配していることを息子に伝えると息子から反対にそんなに心配しなくていいと言われてしまいます。息子は母が心配していてくれるということを知っているようです。幼いながらも。 (2004年10月09日 10時52分50秒)

Re[1]:そんなことはあなたは知らなくて(10/08)  
Ichiro_Kishimi  さん
keikoさん
 アパルトマンを引っ越す時に森有正は何もしないでパリに向かっている娘のことをずっと語っていたという話ですね。「娘はいまべールートを飛んでますね。どんな顔をして窓から外を見ているかな。東京と松本しか知りませんからね、きっとびっくりしていますよ。黒い人や西洋人や、いろんな人が乗って来たりしてね」。
 でも、次の森の言葉を読むと、少し上の引用からだけ受けるイメージとは違ってくるように思います。
「娘が余り僕を愛しすぎぬよう気をつけなければならない。かの女は自分で自分の道を見出さなければならない。僕の内面は一切かの女に影響をあたえてはならない。友人も恋人も、相談相手も父の外に求めるようにしなければならない。僕と娘とのきずなはすでに余りに強すぎるのだ。いつも静かに存在している父。僕はそれだけで、その框をこえないように全力をあげて努力しなければならない」(『流れのほとりにて』p.388)
 僕はこれを読むといつもひどく悲しくなります。
 ふだんは心配しなくても病気の時はたまらなく心配になります。どうすることもできなくて。カウンセリングでは病気は治せないと自分の非力を思い知ります。 (2004年10月09日 14時43分53秒)

Re:そんなことはあなたは知らなくて(10/08)  
杉山ユウ子 さん
Ichiro Kishimiさん
「思い続けているという強い感じ」は、以前には確かに知っていたことなのですが、今の私は、わからないのです。そのことをわかり続けていたくて(忘れたくなくて)いましたが...。
私は、思い続けるよりも、思い続けられていることの方が多いと感じるようになったからかもしれません。心配ばかりさせているということですね。 (2004年10月09日 15時47分35秒)

Re[1]:そんなことはあなたは知らなくて(10/08)  
Ichiro_Kishimi  さん
杉山ユウ子さん
 その心配を疎ましいと思われたら辛いものがありますね。でも心配は僕がかってにしているわけですからそのことが負担になってもたしかに困るのです。
 昔、妹が苦境にあった時、僕がそのことを少しも心配しないでいたところ、母にひどく叱られたことを思い出しました。お前は心配ではないのか、なんて冷たいのだ、と。僕は愛の薄い人間なのかもしれない、とその頃から思うようになりました。 (2004年10月09日 16時33分41秒)

Re[2]:そんなことはあなたは知らなくて(10/08)  
かすみ草 さん
僕は愛の薄い人間なのかもしれない、とその頃から思うようになりました。
-----
そうですか?とんでもない。
日記から伝わる一郎さんはとても情が深い人ですよ?
私は、以前友だちが病気で入院したと聞いた時、心配で心配でたまりませんでした。ただ直接本人から聞いていませんでいたので、お見舞いにいっていいものかどうか
とても悩みました。憶測が憶測をよび頭のなかでは死んでしまうのではないか、行かなかったら後悔すると思い、勇気を出して行きました。元気な姿を見てホッとしましたが、やはり直接聞いていないときは、迷うところです。私はほっとしましたが、そっとしておくべきではなかったのかと今でも思います。 (2004年10月09日 18時52分18秒)

Re[3]:そんなことはあなたは知らなくて(10/08)  
Ichiro_Kishimi  さん
かすみ草さん
 そうであればいいのですが。でも僕は人をパーソナルにしか愛せない人で、その分、自己中心的であるように思っては自分を責めるようなところがあります。 (2004年10月09日 19時05分11秒)

Re:そんなことはあなたは知らなくて(10/08)  
杉山ユウ子 さん
先生の妹さんが苦境にあったときの話しに、ずっと、ひっかかっていました。お母様はさぞかし、ご心配だったことでしょう。冷静にあった先生に、心配してほしかったのは、お母様ご自身だったのかもしれませんね。(私も息子に、そのような思いをさせていることがあると思いあたって...。)
心配はかってに僕がしていると言われる先生のこころには、愛を感じます。 (2004年10月15日 11時06分23秒)

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