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2004年10月10日
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カテゴリ: カテゴリ未分類
 翻訳原稿のチェックをした後、朝方まで原稿を書き続ける。いくらでも話し続けることはできても、書き続けるのは至難の業である。夏とは違ってなかなか夜が明けない。今日は無事を伝えるメールが届き、緊張が一気に解けた。心配してもどうしようもないというのは理屈でしかない。

 ある種の虫は獲物を襲う時、殺さず麻痺させる。ある日数の間に動かず生かせ続けることで新鮮な食物を得ることができる。例えば、セトニアの幼虫を襲うツチバチは一点しか刺さない。その一点には運動神経節が、しかもその神経節だけが集中している。他の神経節をあれこれ刺せば、死んで腐敗してしまうことになる。獲物を死に至らしめることなく、麻痺させるためにどこを刺すかということをはたして手探りで経験的に学んだとは思えない(ベルクソン『創造的進化』岩波文庫、上、p.213-4)。解剖学的構造が、寄生する昆虫の中に正確にコード化されているのであろうが、偶然にこんなふうになったとはとても思えない。

 人間は自分を超えようとする。僕は今書いている原稿の中では、人は、(1)(前著にも詳細に論じたが)私を超えるということ、(2)現実を超えるということを明らかにしたい。決定的な飛躍を試みるのである。そのことによってどんなふうに生き方が変わるか。

「人間はいつまでも若いままなのだろうか?」
「そうです、自分の前に永遠があると考える限り」
(ジャン・ギトン『哲学的遺言』p.218)

 ジャクリーヌ・デュプレについては本の中で取り上げた(『不幸の心理 幸福の哲学』pp.136-7)。28歳で多発性硬化症に倒れ、腕と指の感覚を失った彼女はチェリストとしての活動を断念した。本の中ではその後42歳でなくなるまでの若すぎる晩年をどんなふうに生きたかを紹介したが、その後、精神科医のレイン(R.D.Laing)の自伝を読んでいたら、デュプレについて触れてあるのを知った。日記でも二年ほど前に一度取り上げたことがある。デュプレは発症一年後には両腕の共同作業能力を永久に失ったかのように見えた。ところがある朝目覚めたら奇跡的にも両腕とも使えることに気がついた。この回復は四日続いた。その間、何曲か記念すべき録音演奏(ショパンとフォーレのチェロソナタ)をやり遂げた。長くチェロの練習をしていなかったにもかかわらずである(『レイン わが半生』岩波現代文庫、p.266)。

 レインは気質性の損壊は逆転不能(もとの状態まで回復することができない)と考えられていることの反証としてデュプレのケースを提示しているのだが、僕はレインとは違う面に注目する。おそらくデュプレは、自分が回復することを予期してはいなかったであろう。ある朝、両腕の昨日が回復していることに気づいたとしても、その回復が何日続くかすらわからなかったに違いない。結果的には四日続いたということでしかない。それなのに、この機会を逃すことなく、レコーディングをしたという話に僕は驚かないわけにいかない。これはデュプレの生きる姿勢そのものである。





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最終更新日  2004年10月10日 22時10分31秒
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