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2008年07月31日
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カテゴリ: カテゴリ未分類
 シラバスを作り、大学に送る。受け取ったという連絡はないが、きっとそういうものなのだろう。まだずいぶん先のことだと思っていたが、あと二ヶ月で講義が始まる。
 その後、心理学の採点の続き。今日は10人の答案を読む。8日が成績提出の締切なので昨日は(7月だから?)まだ余裕があると思っていたが、8月になった今日は、突然、もうあまり日がないことに思い当たる。再試験が必要にならないことを願うばかりである。
 すぐ近くに蓮が咲いていたので接写してみた。いつもと違うカメラを使ったからなのか、この時の光の差し方によるのか(おそらく後者)白い蓮なのにピンクといっていいくらいである。以前、撮ったのとは雰囲気が違う。実際には当然前の花とは違うのだが、同じ花でも違う時に見たらもはや同じではない。人についても同じことがいえるだろう…

you can't see the same flower twice ...





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最終更新日  2008年08月01日 02時30分55秒
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繊細  
Mio Tsugawa さん
あ。ほんとです。全然雰囲気が違うように見えます。
以前の『さらに近づく』の花よりもひっそりと繊細な感じがします。
花びらの横の白い筋(裏側?)もきれい。

「みんなちがってみんないい」という詩を思い出しました。 (2008年08月01日 07時39分41秒)

Re:繊細(07/31)  
Ichiro_Kishimi  さん
Mio Tsugawaさん
 薔薇の花ばかりとり続けている人があります。もちろん、いろいろな品種があるわけですが、たとえ庭に咲く一つの花を蕾の頃から咲き終わる時までずっととり続けても、決して、同じにはならないはずです。同じ時に撮っても、撮影者が違ったら写真も違ったものになります。
 多様であることがおもしろいといつも思います。便利だから、と統一しようという考えは好きではありません。僕のコンピュータは(今は)MacBook Airですが、Mac OSで動くコンピュータは少ないから、全部、Windowsにしたらいいというような考えです。言葉も数えられないほどたくさんあるからいいのです。英語に統一されたらつまらないことになります。 (2008年08月01日 10時31分19秒)

Re:同じ花はない(07/31)  
mari さん
先生が「同じ」とか「違う」に使われる「ものさし」みたいなものと私のではメモリが全然ちがうんだろうな~と思いながら読ませていただきました。私はなにかにつけまとめたり統一したりする方向のほうへ動くことが多いような気がしますが、先生の写真の説明などを読んでいると反対方向もあるんだなあということを思い出します。

この写真の左側の一枚の花びらだけボケになっていますが、私だったらこういう部分はcropしてしまうと思うのですがこういうのもきれいだな~と色だけではなく全体の雰囲気からも思って眺めています。
(2008年08月01日 14時09分45秒)

Re[1]:同じ花はない(07/31)  
Ichiro_Kishimi  さん
mariさん
 僕はmariさんのように英語を話せないからかもしれませんが、英語さえ知っていたらいいとは思わないので、あれこれと外国語の勉強をしています。現代哲学ではなく古代哲学を学び、windowsではなくmacユーザーで、その上アドラー心理学を学んでいるという筋金入りのマイノリティーです。
 この花びらがぼけているとは今の今まで思ってもいませんでした。たしかに。でも、どこもかもピントが合っている写真はかえって現実的ではないように思います。ここを切り取ったら写真にならないと思いますけどね。 (2008年08月01日 14時53分45秒)

Re[2]:同じ花はない(07/31)  
mari さん
いくつもの言語をある程度の意思疎通ができるくらいマスターできるのがいいな~と思います。そう憧れながらも、相手が英語が5できるとして、私がその人の母語が1だとすると、たどたどしいその人の母語をつかうくらいならその人が5でき、私もその人の母語よりできる英語で済ましたほうがお互いのためじゃない?と思ったりもしますが、どうなんでしょうね。たどたどしくても母語をつかおうと努力してくれる方が相手は嬉しいのでしょうかね~。人によるのでしょうけれど。英語さえしっていればいいとも思わないのですが、私は手っ取り早さを重視しているのかもしれません。

なるほど~。どこもピントがあっている写真は現実的ではないように思われるんですねえ。私は全部ピントの合っているシャープな写真が好きだし、前ボケの写真は見ているだけで落ち着かないのですが、現実的ではないといわれれば、そうかもしれないです。切り取ったら「写真」にならないで、何になるんでしょう? (2008年08月01日 23時04分07秒)

Re[3]:同じ花はない(07/31)  
Ichiro_Kishimi  さん
mariさん
 中学生の時に東京へ修学旅行に行きました。東京タワーに登った時、マレーシアの人と話しました。どちらも英語を使ったのですが、その時、どちらの母語でもない言葉で話すのはおかしいだろう、と思いました。
 僕が古代ギリシア語でプラトンを読んだり、ドイツ語でアドラーを読むなんて、翻訳を読めばいいではないか、と思ってられるかもしれません。実際、時間がかかるのです。でも、読書もコミュニケーションといっていいならば、手っ取り早くプラトンやアドラーの文献を読むのは読んだとはいえないと思っています。
 僕が先日載せた前ボケもある蓮の写真は落ち着かせなくしているのですね。

>切り取ったら「写真」にならないで、何になるんでしょう?
 記録? でしょうか。写真は芸術ではないでしょうか?
 切り取っても写真ですが、(しかるべく切らないと)芸術にはならないと思います。
(2008年08月02日 00時16分10秒)

Re[4]:同じ花はない(07/31)  
mari さん
> どちらも英語を使ったのですが、その時、どちらの母語でもない言葉で話すのはおかしいだろう、と思いました。

そうだったんですね。私は逆にどちらの母語でもない共通の言葉で意思の疎通ができるんだということにすごい!と思ったことが何度もあります。とはいえ、英語が母語の人と話すときは、あちらが日本語ができないことは棚に上げて(という日本語はおかしいですが)こちらの英語力のなさを申し訳なく思ったりするので、私の思いにはいろいろ矛盾もありそうです。

私は英語の映画を見るときは、字幕で読みながら聞いていますが、字幕なしでわかったほうが絶対いいだろうな~と思っています。なので、翻訳をよめばいいのに~なんて私は思わないです。翻訳の本が必要ないという意味ではもちろんないですけれど。ないとそもそも私には読めないですし^^。

> 僕が先日載せた前ボケもある蓮の写真は落ち着かせなくしているのですね。

先生のどれかの写真で思ったのではないのですが、前ボケがはっきりある写真だと画面を見ながら前にあるものをのけたいようなそんな気持ちになることがあります。いい表現がおもいつかないのですが、目をこすってもう一度よくみてみよう・・・としたくなるというかそんな風に思ってみていることがあります。

芸術が何かとかわからないのですが、絵と写真はどうちがうんだろうなあ~とか昔はカメラがなくて絵しかなかったので共通点はおおいのかなあ~とか漠然と思うことがあります。写真は記録でもないようにも思いますし。
すみません、支離滅裂で。 (2008年08月02日 00時54分11秒)

Re[5]:同じ花はない(07/31)  
Ichiro_Kishimi  さん
mariさん
 僕の友人はイギリス出身で日本にも長く住んでいて、日本人と結婚していますが、日本語をまったく話しません。そのことにひどく驚いたことを思い出しました。
 記録としての写真は当然あります。よく携帯電話で電車やバスの時刻表を撮っていました。
  (2008年08月02日 11時47分36秒)

かわいい!  
可愛い写真ですね。好きな色合いです。 (2008年08月02日 23時33分15秒)

Re:かわいい!(07/31)  
Ichiro_Kishimi  さん
シーナさん
 ありがとう。光の加減もあって、きれいな色になりました。
(2008年08月02日 23時48分32秒)

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