緑の濃い葉から、ちょこんと薄桃色の蓮の花がのぞいてかわいいですね。葉の葉脈もきれいに見えて新鮮でした。
写真が趣味の母は、この時期、やはり蓮の花の写真を
撮り続けています。

蓮の花というと、仏さまが座っている花を連想します。仏像の台座など。
(2008年08月03日 11時33分09秒)

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2008年08月02日
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カテゴリ: カテゴリ未分類
 最近、たまたま書店で見かけて『最後の授業』(ランダムハウス講談社)という本を読んだが、著者のランディ・パウシュ氏が先週亡くなったというニュースを聞き、驚く。インターネット上で見られるはずだが、講義のDVDがついていて、時間ができたら見るつもりだったのに忙しくて封も切ってなかった。本を読んだのでもはや知らない人ではなかった。当然、人を知る程度は様々だが、何らかの形で別れることがあれば、人は小さく死ぬのだ。
 毎朝、憑かれたように蓮の写真を撮りに出かけている。

hide-and-seek ...





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最終更新日  2008年08月02日 23時46分18秒
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生き物  
フィン・カ・ビヒア さん
 じりじりとした太陽の光と、とろ~りとした重湯のような空気が写っていますね。暑い日になりそうな予感が伝わります。
 いつも何となくおすまししているように見える蓮の葉が、今にも蠢きそうです。
 他の蓮の写真より、生き物としての蓮の生々しさが映し出されているように感じられます。 (2008年08月03日 08時03分13秒)

Re:生き物(08/02)  
Ichiro_Kishimi  さん
フィン・カ・ビヒアさん
 この写真は8時9分に撮りました。この時間でも、もうかなり暑いです。予感というより、実感といった方が適当かもしれません。英語のタイトルをつけるのに悩みました。 (2008年08月03日 11時17分08秒)

Re:小さく死ぬ(08/02)  
かすみ草 さん

Re[1]:小さく死ぬ(08/02)  
Ichiro_Kishimi  さん
かすみ草さん
 僕も蓮に仏の姿を見ます。
 この蓮は葉に守られているようにも見えましたし、かくれんぼうをしているように見えました。
(2008年08月03日 19時18分49秒)

Re:小さく死ぬ(08/02)  
Chiyomi Kubota  さん
 私も別れは、小さな死だと思っています。人との出会いがあって、卒業とか引っ越し、また恋人との別れとかといった時の寂しい気持ち、何かしらの喪失感のような気持ちが、やがて訪れる大きな死を迎える準備のようにも思います。 (2008年08月03日 22時30分05秒)

Re:小さく死ぬ(08/02)  
ちばちゃん さん
 本を読んだので、もはや知らない人ではない。ブログを見たので、もはや知らない人ではない。でも、「へぇ、そうなんだ。解る気がする」くらい以上に感じるものがないと「知っている人」感覚は持たないので「私の中で小さく死ぬ」ということは「私の中で小さくても確かに生きていた」んでしょうね。
 母の実妹が先日、交通事故でその日のうちに帰らぬ人になってしまいました。現在、糖尿病の経過が思わしくない状況で軽いうつ状態の母は妹の死に立ち会っていて、葬儀が終わっても「実感がわかないから、涙も出ない。何だか全然知らない人の話のような気がする」と言いました。
母の中で「妹が確かに生きていた」感覚を実感できないから妹が死んだ感覚も味わえない状態を見るにつけ、それは母自身が肉体は生きていても精神的に生きている感覚を今持っていないんだと、私は驚愕の思いです。 (2008年08月04日 02時01分43秒)

Re[1]:小さく死ぬ(08/02)  
Ichiro_Kishimi  さん
Chiyomi Kubotaさん
 その時の痛みをあまり感じないか、感じなくなると大きな痛み(人を殺めるというような)まで鈍くしか感じられないことになるかもしれません。自分の死なのに。 (2008年08月04日 13時45分13秒)

Re[1]:小さく死ぬ(08/02)  
Ichiro_Kishimi  さん
ちばちゃんさん
 母が死んだ時、涙が出ませんでした。実感がありません。母の死は自分の小さな死以上のことであることを認めたくなかったのだと今は考えています。 (2008年08月04日 13時48分28秒)

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