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手帳を変えるタイミングはいつですか。もう店には来年の手帳が並んでいますよ。
2010年09月30日
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横浜ベイブリッジスカイウォークは2010年9月26日(日)に完全閉館したそうです。1989年9月にオープンしたそうですが、一度もいったことがありません。一度ぐらいは行っておきたかったな。そういえば、鶴見つばさ橋の方が斜張橋としてはベイブリッジより長いのに余り人気がないですね。
2010年09月29日
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隅田川大橋ごしに見える佃の高層マンション群。ある意味このマンションができて東京がなんとなく変わってきたような気がします。
2010年09月29日
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深川神明宮の例大祭は、毎年8月17日に近い日曜日を中心に行います。氏子総代が参列してご本殿で神事を行い、氏子の平安を祈念します。とくに3年に一度、ご本社神輿(宮神輿)の巡幸を行う年を「本祭り」といい、氏子各町の12の町神輿が連合渡御(勢揃い)します。次の本祭りまでの2年間は「蔭祭り」といい、氏子総代の参列によるご本殿での神事のみを行います。町神輿を担ぐ町もありますが、町内のみの巡幸です。平成21年は「本祭り」でしたが、祭りが終わった後には、境内に並ぶ十二の町神輿を納めた神輿庫にしまわれています。扉には各町自慢の神輿を描いた神輿絵が描かれています。でも、この倉庫のお神輿だけは、まだ騒ぎ足りないかのように扉を開けて外の様子をうかがっていましたね。そして、この深川神明宮の近くで生まれたのが、日本画家の伊東深水画伯。ちなみに女優の朝丘雪路さんは伊東深水画伯のご令嬢ですね。
2010年09月28日
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深川発祥の地、深川神明宮です。今からおよそ四百年の昔、現在の深川一帯は葦の生い茂る三角州だったそうで、住む人もまだいませんでした。その頃、深川八郎右衛門(摂津の人と伝えられる)が一族を引き連れてこの地に移り住み、土地の開拓に着手したそうです。深川八郎右衛門は神さまを敬う心が篤く、屋敷のうちに小さな祠を建て、日頃から崇敬する伊勢神宮の大神さまのご分霊をお祀りし、開拓民の幸せと、深川の地の発展を祈念しました。これが、深川神明宮の起源です。慶長元年(1596)、関東に入国した徳川家康が当地を巡視した時に、深川八郎右衛門を呼びよせ、地名を尋ねたところ、「まだ住む人も少なく地名もない」と答え、家康は深川八郎右衛門の姓「深川」を地名とするよう命じました。というわけで、深川の地名の発祥は、深川神明宮の鎮座するこの地です。拝殿は、結構新しい建物ですね。おそらく、東京大空襲で焼失したので、立て替えたのでしょうね。
2010年09月27日
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深川稲荷です。布袋尊のまつられている深川稲荷神社は、寛永七年(1630年)の創立、深川地区では、創立の古い神社です。祭神は、宇賀魂命。この付近の旧町名は、深川西大工町でしたが、昭和七年八月一日深川清澄町と改称し、その旧名から西大稲荷と称しました。この神社の裏の小名木川は、江戸時代初期から、船の往来がはげしく、この付近一帯に船大工が住み、船の修繕、造船をしていましたので、この町名が生まれたといわれています。この神社は、無住社にして、町会によって管理運営されています。横綱の大鵬が寄進した石柱がありました。大鵬と白鵬、どっちが強い横綱なんでしょうかね?
2010年09月26日
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今年は横浜でAPECが開催されるそうです。管総理ではなくて、那覇地検次席検事が代表で出られるのかな。
2010年09月25日
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清澄庭園には全国各地から集められた石が庭石として置かれています。この石は伊豆の網代から運ばれた庭石です。このほかにも伊豆磯石、伊予青石、紀州青石、生駒石、伊豆式根島石、佐渡赤玉石、備中御影石、讃岐御影石などが庭園に置かれています。これらの石は、庭園の持ち主であった岩崎弥太郎が自社の汽船を用いて全国の石の産地から集めたものだそうです。そのほかにも、こんな石も置かれていました。「古池や かはづ飛び込む 水の音」。松尾芭蕉の最も有名なこの句を刻んだ石碑です。
2010年09月24日
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池に突き出るようにして建てられた数寄屋造りの建物。これが、涼亭です。庭園を日本情緒豊かなものにしている涼亭は明治42年国賓として来日した英国のキッチナー元帥を迎えるために岩崎家が建てたものだそうです。震災と戦火の被害からまぬがれ今日に至りましたが、昭和60年度に全面改築工事を行ったとか。平成17年には「東京都選定歴史的建造物」に選定されています。現在は、集会場として利用できるそうですよ。収容人数は40名で、利用料金は1回(3時間30分)5,500円です。集会場といえば、庭園の入り口近くのこの大正記念館も集会場(収容人員:150名、利用料金:1回(3時間30分) 25,900円)として利用されています。この建物、もともとは大正天皇の葬儀に用いられた葬場殿を移設したものですが、最初の建物は戦災で焼失したため、昭和28年に貞明皇后の葬場殿の材料を使って再建されたそうです。これらの施設の利用についてのお問い合わせは、TEL 03-3641-5892(清澄庭園サービスセンター)まで、ちなみに飲食サービスも頼めるそうです。人気blogランキングに参加しています。よろしかったらクリックしてね
2010年09月23日
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清澄庭園、都会の真ん中にあるとは思えない閑静な雰囲気です。清澄庭園の特徴はなんといっても三つの中島を配した泉水と呼ばれる広い池。この池は庭園の要ですね。大型の水鳥もやってきて休んでいました。昔は隅田川から水を引いていたそうで、そのため潮の干満によって池の景観が微妙に変化したとそうです。現在は雨水でまかなっているそうですが。
2010年09月22日
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最近は血統書付きの結構高価なペットを飼っておられる方も多いそうですが、うちの駄犬なんか病気に罹ってもほっとくよねなんて思っていたら、いやいや実際病気なんかに罹ってしまうとなんとか治したいと思うわけで、それも結構高額な治療費は高いですね。うちのギンコ(ペットのワンちゃんの名前)なんかも涙の流れる目で高額な治療費を払う私を見つめるばかりですね。そんなわけで、目の病気から無事全快したギンコには、健康に気をつけてもらいたいと思い、毎日散歩に連れてでかけています。なんでも犬にも糖尿病とかあるとか、飼い主も肥満気味なので丁度よいかなと思って、散歩30分は欠かせませんね。それから、皮膚の病気にも気をつけたいということで、シャンプーを使って犬を洗うようにしてしています。でも、さすがに風呂には一緒に入れないので、大きな洗い桶で洗ってやります気持ちよさそうにしているのが、なんとなくうれしいですね。ギンコと一緒に楽しい日々を送っていますよ。ペット&ファミリーペット保険
2010年09月22日
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G空間とは、地理空間情報活用推進基本計画に基づいて地理空間情報高度利活用社会のことだそうです。なんのことかわかりませんが、みんなが持っている携帯電話はその位置を電話会社に発信しながら、携帯電話がつながるようになっています。ということは、携帯電話の持ち主の位置は常に把握されているわけです。したがって、例えば、奥さんに「今残業で会社にいる」と伝えても、新橋の焼鳥屋にいることはお見通しということです。そんな情報を共有することがいいのかどうかわかりませんが、そういうことができるという社会のあり方もひとつの「G空間社会」ということのようです。カーナビで位置がわかるのも、この人工衛星を使ったシステムがあるからですね。まあ、人間はお天道様に見張られているということですね。そんなわけで宇宙服も展示されていました。中秋の名月を見ながらG空間社会について少し思いを馳せてみました。
2010年09月21日
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横浜観光親善大使の方です。なかなか横浜を代表することだけのことはありますね。ポイントは立ち姿、片足を少し後ろに引いて立つのが、姿勢をよくみせるポイントですかね。こちらは、司会のアナウンサーさんですね。前日の準備の時から会場に来ていたそうです。そして、舞台でG空間を説明してくれた人です。この人私昔から知っています。いえ、右の人じゃなくて左側の人。直接話を聞くのは初めてでしたけど。この人はよくテレビで見かける中野裕太さんだそうです。
2010年09月20日
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今日は横浜みなとみらいで開かれた「G空間EXPO」を見に行ってきました。しかし、横浜みなとみらい地区初めて行ってみましたが、すごいですね。でも、こういう空間をG空間というのではないようです。
2010年09月19日
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人形町通りにあるからくり時計です。時間がきたら人形がでてきて人形町の案内をします。
2010年09月18日
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夜行っても人通りの絶えない雷門ですが、この日はテレビの撮影のため通行人を規制していました。
2010年09月17日
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清澄庭園は、泉水、築山、枯山水を主体にした「回遊式林泉庭園」です。この造園手法は、江戸時代の大名庭園に用いられたものですが、明治時代の造園にも受けつがれ、清澄庭園によって近代的な完成をみたといわれています。このあたりは磯わたりとよばれ、池の端に石を飛び飛びに置いて、そこを歩けるようにしたもの。広々とした池の眺めが楽しめるだけでなく、歩を進める度に景観が変化するように配慮されています。池の中には亀が多く棲んでいました。よく見ると変わった生き物だなと思ってしまいました。 この地の一部は江戸の豪商・紀伊國屋文左衛門の屋敷跡と言い伝えられています。享保年間(1716~1736年)には、下総国関宿の城主・久世大和守の下屋敷となり、その頃にある程度庭園が形づくられたようです。
2010年09月16日
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都立公園というのが東京都内には沢山あります。その中には、例えば日比谷公園のようなに無料で楽しめるもの、そしてここ清澄庭園のように有料(入園料150円)もあります。この庭園は昭和54年3月31日に東京都の名勝に指定されています。ということで、この庭園の中に入ってみました。 (つづく)人気blogランキングに参加しています。よろしかったらクリックしてね
2010年09月15日
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これが、ベビーカー?いやバギーというタイプのベビーカーですよ。なかなかオシャレですね。赤ちゃん・ベビー用品のアップリカ のサイト、「スティック・プレス」で紹介されていました。いや、いや見事なものですね。サッとたためてスリムに自立できるから写真のようにカッコよく持てますものね。しかもこれだけじゃなくて、地面近くの熱やホコリから赤ちゃんを守るハイシート構造のA型ベビーカーなので、赤ちゃんもお出かけが楽しいでしょうね。加えて、路面からシートまで50cmもあるハイシートは、乗せおろしのママの姿勢もとっても楽だから、ママにも嬉しいヘビーカーです。その上細部にまで細かく行きとどいてます。後輪が左右両方2輪になって安定感がアップしてさらに押しやすくなっています。それに、後輪にもサスペンションが使われていて、振動もさらに吸収してくれます。これなら、大人の私でも乗ってみたい構造ですね。
2010年09月14日
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考えてみれば、東京には運河が多い。大江戸八百八町とも八百八橋ともいわれています。芭蕉もこの小名木川沿いで舟遊びをしながら一句ひねったかも。この橋は小名木川にかかる万年橋で、芭蕉庵の近くに架かっています。アーチとトラスの組み合わせが、これも見事な造形だと思いますね。そして、この運河の水位を調整しているのが小名木川水門。この小名木川は千葉県行徳で作られた塩や、近郊の農村で採れた野菜、東北地方の米などを江戸に運ぶために掘られた人工の河川です。桜の季節には、このあたりも見事な桜並木が楽しめます。
2010年09月14日
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芭蕉がこのあたりに庵を結んで住んでいたことは確かですが、正確な場所はわかりません。ここだと思われているのが、芭蕉記念館分館近くにあるこの芭蕉稲荷のあたりです。ちょっと歩き疲れたらこんなお店も芭蕉記念館分館の下にありますよ。そら庵という喫茶店です。喫茶店らしくない構えですがcafeです。でもイベントに貸し出す時はお店は休むそうですよ。
2010年09月13日
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江東区芭蕉記念館から南へ下って小名木川が隅田川に流れ込むあたりにあるのが芭蕉記念館分館(芭蕉庵史跡展望庭園)です。このいかにも草庵を思わせる木戸をくぐって階段を登ります。するとこんな小さな広場があります。広場の奥には芭蕉の銅像があり、これは肖像画などからかなり正確に復元されたものでしょうか。頭にかぶった頭巾が、いかにも俳句の宗匠という感じでしょうかね。この公園からは「ケルンの眺め」と呼ばれる清洲橋が見えました。
2010年09月12日
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江東区芭蕉記念館 入場料大人100円。今年の夏は白河の関に行ってきたので芭蕉に興味が湧き、江東区内の芭蕉ゆかりの地を歩いてみました。中には小さな滝のある小さな庭園があり、俳句でもという感じですね。記念館の中の展示物は撮影できませんが、芭蕉ゆかりの品が展示されています。そして、記念館の中の会議室では、句会が開かれていました。結構、そういう集まりの場に利用されているようです。また、ミニ芭蕉が草庵にたたずんでいました。
2010年09月11日
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永代橋西詰の道端に目立たないようにある石碑です。「船員教育発祥之地」とありますが、近づいてみると、船員教育発祥の地、岩崎弥太郎が三菱商船学校(のちの東京商船大学)をこの地で作りました。最初の頃は船を隅田川に浮かべてそこが校舎代わりで学生が寝泊まりしていたそうです。岩崎弥太郎といえば、NHKの大河ドラマ「龍馬伝」で重要な脇役で、明治の豪商にて、産業界の大立て者にして、大三菱の創始者ですね。新川というところには、そういう豪商が拓いた土地のようです。新川の小さな公園にあった新川の碑。その脇にある新川の跡という説明板がありました。新川は1660年、豪商の河村瑞賢が開削したといわれる運河だったそうです。現在の新川1丁目地内を東西に流れていたそうで、両岸には蔵が並び、近年に至まで水路として利用されていましたが、戦後の残土処理のため1948年(昭和23年)から埋立が開始され、1949年(昭和24年)には完全に消滅したとのこと。なるほど、そして、さらにこんな石碑もありました。中央商業学校とは、明治35年5月に仏教学者高楠順次郎博士がこの地に創設した学校だそうですが、これは今の千葉県我孫子市にある中央学院大学の始まりだそうです。しかし、こうやって、その土地の歴史を残すというのはいいですね。でも、そのうち日本中、石碑だらけになっちゃうかもね。
2010年09月10日
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丁度この日は中央区新川周辺の防災訓練が行われていたようで、東京消防庁の地震体験車や、自衛隊なんかも出張っていました。そして、消防団による放水訓練が行われたり、周辺は、完全なオフィス街ですけど、やっぱり住民は住んでいるんですね。それから、水難救助の実演、溺れているのは近所の企業の会社員だそうです。なんでも、災害の時に帰宅困難者を船で送る計画で、その時船から落ちた会社員を救助する設定だそうです。そして、訓練終了後はオフィスビルの中の広場でみなさんイベントを楽しんでいました。防災訓練に出てくれた人たちには無料でカレーがふるまわれていました。警視庁のマスコット、ピーポー君もいますね。
2010年09月09日
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みんな「頑張っていること」がありますか、えっダイエットだって、それもいいけど、もう限界だって、いやいやまだ頑張れますよ。私の娘の友達は、「頑張っている人」ですね。母親には早く死に別れて、父親と弟一人の3人で生活しているんですが、弟の面倒見ながら、家事をこなして、今年の春、現役で大阪市立大学の法学部に進学したんです。うちのぐうたら娘に爪の垢でも煎じて飲ませたい。CLIFF EDGEの「NO LIMIT~勇気をキミに~」という曲をそんな彼女に送りたいですね。「NO LIMIT~勇気をキミに~」は、ソロアルピニスト、栗城史多の応援ソング、栗城史多は、高校卒業しても夢も目標もなく、都会に憧れ東京へ向かうも、挫折。1年間のフリーター・ニート生活を行ったが、その後北海道へ戻り大学に進学。彼女にふられたことがきっかけで山岳部へ入門し、それからは「単独無酸素登頂」という過酷なチャレンジで日本人初記録へと挑戦する、今最も注目の登山家だそうです。そんな彼を応援するために、CLIFF EDGE。日本語で崖っぷちという、その名のとおり崖っぷち人生を歩むMCのJUNとSHIN、そしてDJ GEORGIAからなる2MC 1DJのヒップホップユニットが、「NO LIMIT」という曲を作りました、そのエモーショナルな旋律の名曲が収録された3rdアルバム「Re:BIRTH」も9/8リリースされます!!どんな曲が聞きたい人はここをチェック→http://www.youtube.com/watch?v=-_fYATUEqSQ
2010年09月08日
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永代橋のデザインというのもなかなか凝っているように思います。アーチがやたら太く存在感を感じる構造にしていますね。そのわりには、アーチからの吊り材は細く、アーチの存在感をより雄大に感じさせるデザインです。橋脚は笠石で装飾されていますが、支承や橋桁は覆いもなくその構造が観察できるようになっています。それから写真の手前の橋桁のところに切れ目が入っているようが見えますが、これは構造計算の際、めんどうな不静定次数を下げるためのゲルバーヒンジではないかと思われます。
2010年09月07日
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清洲橋の吊り橋のデザイン意味はその下流にある永代橋のアーチ形状の橋と並べた文脈で大きな意味を持ってくるのではないでしょうか。永代橋清洲橋永代橋は上に飛び出したアーチ、清洲橋は下に向かったアーチになっています。今は、首都高速と二階建てになった隅田川大橋に遮られてわかりにくいですが、隅田川に入ってくる船からみれば、見事な対比で眺めることができたことと思います。この写真は、永代橋の下流にある中央大橋から撮影したものですが、首都高がなければ、清洲橋が見通すことができて、アーチの競演が楽しめたと思います。この二つの橋は関東大震災の復興のために設計されて架けられたものですが、今とは違い、当時の技術者が、計算尺はあったかもしれませんが、ソロバンを使って手計算で設計計算をして、資材もままならかった当時の技術水準で、おそらく尺貫法で、しかもその他の隅田川に架かる橋の復興にもあたらないという忙しさの中で、単に橋を造るということではなく、都市景観にも配慮した見事な橋梁を設計した、技術者たちに、同じ土木構造物の設計を生業とするMoMo太郎としては、限りない尊敬といとおしさを感じます。土木学会もその意味を評価して、「帝都を飾るツイン・ゲート」として土木遺産の顕彰を通じて、歴史的土木構造物の保存に資することを目的とした選奨土木遺産として顕彰されています。http://www.jsce.or.jp/branch/kanto/04_isan/isan_1.html
2010年09月06日
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隅田川にかかる清州橋です。昭和3年(1928)に竣工。日本橋中洲と深川清澄がつながったところから清州橋の名がつけられました。関東大震災後の復興事業として、被災した永代橋の復元と同時に架設計画された清洲橋。世界一流麗で美しいと評判だったドイツケルンの橋をモデルに建設された大吊り橋です。橋の上から建設中の東京スカイツリーが眺められます。
2010年09月05日
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隅田川沿いを散歩するには、隅田川テラスを利用するのがいいですね。右岸と左岸にこのような遊歩道が整備されています。まだまだ暑いので、散歩する人も少ないですね。やっぱり屋形船で川面をスイスイ行くと気持ちいいでしょうね。
2010年09月04日
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日本橋浜町と江東区森下を結ぶ新大橋です。「新」大橋といわれるからには旧大橋というのはどこにあるのかというと、両国橋のことを大橋と呼んでいたので、その後に出来たので新大橋と呼ばれているわけです。新大橋の脇にある高層マンション。きっと景色もいいし、両国の花火大会も見られるし、いい物件かもしれませんね。
2010年09月03日
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日本橋人形町といえば、甘酒横丁が有名ですね。こんな銅像が公園に飾られていたりして、なかなか散歩するのも楽しいところですよ。漢方医学復興の地という石碑もあったりして、歴史も勉強できますね。甘酒横丁というから、甘酒屋さんも多いのかと思ったら、甘酒を売っていたのはこの店だけでした。でも、夏バテ気味の今日この頃には甘い甘酒が疲労回復にぴったりです。ということで、新参者の方でもいらっしゃいませ下町の散歩道甘酒横丁へ
2010年09月02日
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もう9月ですね。今日からバスが通学生で混み始めますね。ところで学生といえば、今年の夏は、MoMo太郎の職場では、大学生のインターンシップ(就業体験学習)の大学生を受け入れました。 インターンシップとは、、学生が一定期間企業等の中で研修生として働き、自分の将来に関連のある就業体験を行える制度のことです。 アメリカでは、企業が学生を大学入学時から職場体験させ、卒業するまでに技術を入社時に必要な水準まで引き上げる。大学院まで進学する学生に対しては、研究活動を様々な面でバックアップし、入社後に研究を継続させることもある。ということだそうです。ということで、試しに、必要な技術を習得してもらおう思って、簡単な応力解析のプログラムを作ってもらいましたが、全然ダメですね。ひょつとしたら、学生は実はこの分野の仕事は向いていないと感じたかもしれませんね。まあ、日本中、いや世界中探しても、自分に向いている仕事はみつからないかもしれませんから、とにかく自分の選んだ職業に自分を合わせるしかないんですけどね。そんなわけで、私も本当は自分に向いているのは、ジャニーズのアイドルが向いていたけど、今の仕事をやっています。我が社に必要な技術力のある学生を求めます。
2010年09月01日
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