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浅草合羽橋で目立ちますね。この看板というか、コックさんの模型。料理が上手くなるには、やっぱり道具も食器も揃えましょうか?
2010年01月31日
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高砂親方。朝青龍は破門して、相撲界から永久追放でしょ!!人気blogランキングに参加しています。よろしかったらクリックしてね
2010年01月31日
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外浪逆浦は常陸利根川の一部なので、国土交通省の河川事務所が管理しています。で管理事務所の出張所毎に縄張りがあるんですね。河川堤防の改修に併せて、船着き場も補償されたみたいですね。ところどころに舟溜まりが作られてすました。常陸利根川も終点まであと9.5kmですね。
2010年01月30日
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浪逆浦閘門というのがありました。与田浦川(よだうらがわ)河口と外浪逆浦(そとなさかうら)の間にある閘門です。閘門というのは、水位を調節して船が航行できるようにした施設で、例えば、外浪逆浦側の水位が高くて、与田浦川側から船がやってきたとき。与田浦側のゲートをくぐってくたきた船は、与田浦川側のゲートを閉め、外浪逆浦側のゲートを少し開けて、2つのゲートに挟まれた水路の水位を上げていき、水位が外浦逆浦の水位と同じになったら、外浪逆浦側のゲートを開けて、船が出て行くという仕組みです。船は、この2つの水門の間で水位が調節されるのを待ちます。閘門の隣に揚排水機場があります。浪逆浦閘門の水路はちょうど、千葉県と茨城県の境界になります。右岸側(写真では左側)の河岸が千葉県香取市(旧佐原市)(附洲新田)、左岸側の河岸が茨城県潮来市(潮来十四番)になります。このような施設が必要になるのは、洪水対策や、貯水容量を増やすために、湖岸堤防を直した霞ヶ浦開発に伴って必要となったものです。霞ヶ浦開発で整備された堤防
2010年01月29日
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外浪逆浦周辺の地名を眺めてみると、○○新田といった名前が目につきました。○○新田というのは、荒地を開墾したり、水面を干拓したりして、新しく拓かれた水田ということですね。そして、ありました。相変わらずの「土地改良の記念碑」それだけ農地をもった喜びを記念し残したかったのでしょうね。農家の方の土地に対する終着みたいなものがこの石碑に投影されているのでしょうか。
2010年01月28日
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このあたりに住みたい。特に一戸建てがいいなと考えているなら、地元で定着して住宅・不動産・建設の事業を展開している会社のサイトで調べたり、実際に現地に行って見て確かめるといったことが大切ではないでしょうか。例えば、山形県で捜しているなら、山形県で事業を展開している不動産屋さんに。でも、埼玉県・千葉県あたりだと色々な会社があって、どこを信頼していいのか迷いますよね。そんな時のチェックポイントは、○アフターフォローを中心に、地域に密着したサービスをやっているか?○住宅供給数が多いとそれだけ信頼度が高いといえるので、それもチェックですね。そんなわけで埼玉県・千葉県で住宅を探すなら、ポラスグループのpolus-kodate.comをチェックしてみましょう。新築一戸建・分譲住宅をはじめ、土地・条件付売地などの不動産情報が満載です。物件情報は随時更新、住宅のトレンドやおすすめ物件情報がひとめでわかります。それから、アフターフォローの厚さも大丈夫みたいです。POLUSは、営業圏を事業拠点から車で1時間以内でいける範囲とし、アフターフォローを中心に、地域に密着したサービスを心掛けているみたいです。さらに、新築分譲住宅の供給は埼玉県・千葉県を中心に年間約2000棟の住宅供給を行なっており、高い実績を誇りっているのもいいですね。
2010年01月27日
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外浪逆浦(そとなさかうら)は広々とした視界が開けて気持ちのよいところでした。東側の対岸は鹿島臨海工業地帯が広がり、工場の大きな煙突が林立していました。子供の頃、図書館の子供向けの年鑑で、鹿島臨海工業地帯のことが紹介されていました。1960年代から70年代にかけての日本の高度経済成長時代を感じさせる。なにか華々しい紹介のされ方だったような印象があります。また西に目をやればうっすらと筑波山の山影が見えました。ところで、この霞ヶ浦周辺を歩くと、むかし見た「米」という映画のことを思い出します。詳しくはここを参考にしてください。↓↓↓http://www.japan-movie.net/about/history12.htmlDVDでも出ているようなので、一度見て下さい。なかなか考えさせられる映画です。この映画のロケ地はかすみがうら市の出島の周辺のようで、このあたりではありませんね。
2010年01月27日
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常陸利根川に沿って川を下っていくと、東関東自動車道の常陸利根川橋があります。東関東自動車道常陸利根川橋この橋を過ぎると、外浪逆浦(そとなさかうら)が見えてきました。国土交通省では、「霞ヶ浦」を西浦・北浦・外浪逆浦(そとなさかうら)・北利根川・鰐川・常陸川の各水域の総称として定義しており、外浪逆浦の水面積は6km²です(ちなみに西浦は172km²、霞ヶ浦全体では、222km²だそうです)。また北利根川と外浪逆浦は河川名称では常陸利根川に属しています。外浪逆浦浪逆(なさか)という地名は、奥に北浦・霞ケ浦の広大な水域を有する故、上げ潮の時、波が特にさかのぼる様から起こったものだということです。また、昔、内浪逆浦(うちなさかうら)という湖が外浪逆浦の入り江でありましたが、1941~50年(昭和16~25年)に干拓されて陸地となっています。まあ、この霞ヶ浦周辺で干拓が盛んに行われていたのは、戦中、戦後の食糧不足や満州などの外地からの引き揚げ者の対策、そして、農家の次三男対策が背景であったのでしょうが。 その時の政権が民主党でなかったのも幸いだったのでしょうか?仮に前原国土交通大臣がいたらだったら、満州からの引揚者や農家の次三男対策に、干拓をする代わりに生活再建資金を配って、今日のような食料基地としての茨城県はなかったかもしれませんね(^_^)v。それから、お米もアメリカからの輸入に頼るような国になっていたかもしれませんね。いや、小沢幹事長が、ゼネコンから献金をもらって、干拓を進めていたかな???
2010年01月26日
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駒形橋から建設中の東京スカイツリーを眺めてみれば、もう、アサヒビールの金色のビルと同じ高さに見えました。完成したらどんな眺めになるのでしょうか。
2010年01月25日
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諸般の事情で湯島天満宮に参拝してきました。と言っても、姉さんのところの娘を連れて合格のお参りに行ってきたですが。やはり時節柄、絵馬も多いですね。この人たちは夫婦で、子供の合格祈願でしょうか? 本人が来なくても、これだけ親の愛情があれば天神さんも認めて、合格間違いないでしょう。参拝の皆さんも多いし、お守り売り場も混雑していました。ここ数日の陽気のせいか、湯島天神の梅もほころんでいました。梅の写真を撮影する人も多いですね。湯島の白梅「別れろ切れろは芸者の時に言う言葉」でしたっけ。いや、姪の心境は、「梅は咲いたか、桜はまだかいな」でしょうかね。ちなみに、合格神頼み必勝法は、鳥越神社の狛犬の足先に、深夜誰にも見つからず触ることができれば、志望校合格間違いなし、ということです。
2010年01月24日
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常陸利根川を挟んで加藤洲の対岸は、これも水郷で有名な潮来(イタコ)です。写真は対岸に見える潮来です。しかし、潮が来ると書いて「イタコ」と読むのはじうしてなのでしょう。このあたりは、大化の改新のころ国府(現在の石岡市)から鹿島神宮へ通じる街道に「板来の駅」を設けたのが町の始まりとされ、元禄年間に徳川光圀が「鹿島の潮宮」にあやかって「潮来」と書き改めたのが現在の地名の由来だそうです。青森の恐山からイタコが来たからではないようですね。まあ、映画や歌謡曲でお馴染みの地名なので、みんな読めるのでしょうね。江戸時代は、奥州諸藩の物資を集めて江戸に向かう千石船が銚子河口から利根川にて潮来に至り、ここで高瀬舟に積み荷の積み替えが行われ、前川の河岸は中継港として大いに繁栄した。しかし、江戸時代中期の大洪水で利根川の本流が佐原地方に移ると、中継地としての機能を失ってしまう。さらに、明治期に常磐線が開通し、陸運が盛んになると水運は一気に衰退し、潮来は寂れていった。その後は、水郷観光が主産業となり現在にいたっているそうです。
2010年01月23日
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加藤洲十二橋は、利根川と常陸利根川にはさまれた広大な水田地帯の一角にあります。この辺りは、かつて家と家、あるいは田んぼの間を、縦横に張り巡らされた水路(江間・えんま)をつたって舟で行き来していました。中でも加藤洲の水路には、家と家を結ぶ一枚板の簡単な橋が12架っていたので十二橋と呼ばれました。その江間(えんま)をこのようなザッパ舟で揺られながらめぐるものです。その江間と呼ばれる水路もこのように整備されたところがあります。また、一枚板の橋もこのような形で車も通れるようなものになっています。しかし、アヤメの咲く初夏の頃なら、やっぱり往時を偲ぶ風情のある十二橋めぐりだと思います。
2010年01月22日
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本来なら舟で水路を巡るのが十二橋巡りの正統な楽しみ方なのでしょうが、観光船は休みなので、今回は陸から回ります。常陸利根川沿いにある立派な看板です。これは加藤洲十二橋を巡る水路と常陸利根川をつなぐ水門のところにある舟通です。クルマ社会の現在、舟で行き来する人も少ないのでしょうが、水門を作った当時は舟の行き来があったのかもしれませんし、今も漁業者などが利用しているのでしょうね。 【つづく】人気blogランキングに参加しています。よろしかったらクリックしてね
2010年01月21日
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「オートバックスの車検」を利用されたことはありますか?結構丁寧で専門のスタッフが事前に見積もりをしてくれるので、予算の目処ができて便利ですよ。それに予算に合わせてカー用品も選べるのも安心です。そのカー用品のオートバックスが、今、1月20日から3月1日までの間、オートバックス・ドットコムではオープン9周年を記念した、キャンペーンを実施していますよ。年に一度の大特価セールを実施いたします。カーナビ、レーダー、ルーフボックス等各種カー用品が数量限定、在庫処分の超特価でお買い得なんです。しかも、期間中は代引き、コンビニ手数料が無料。さらに、3千円以上(大型商品は5千円以上)のお買上で送料が無料という大サービスです。これも絶対活用するべきですね。
2010年01月21日
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JR鹿島線の十二橋駅に立ち寄ってみました。やはり地方線の駅らしく無人駅で、乗車証明書を発行する機械が置いてありました。そして、水田地帯を真っ直ぐと突き抜ける路線のため、ひたすら直線のレールが延びています。このあたりは高架となっているので見晴らしはいいですね。与田浦に広がる広々とした水田地帯が広がっていました。そして、駅前広場でまた発見しました。土地改良の記念碑。このあたりは、江戸時代から開拓された水田地帯で、かつては「エンマ」と呼ばれる水路が網目のように水田内を走り、舟が重要な交通手段となっていたという独特の景観を持つ地域だっのが、昭和四十年代に行われた土地改良事業によりこのような乾いた水田地帯になって、大型の農作業機械が導入できるようになり、生産力のある穀倉地帯になったのです。
2010年01月20日
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今日は「川の流れに」を休んで、日航の再建ことをブログに書きます。日航が会社更生法申請、機構は支援決定http://www.yomiuri.co.jp/atmoney/news/20100119-OYT1T00907.htm支援機構の瀬戸英雄・支援委員長は「日航のように多額の債務超過で公的資金の注入が必要な場合、(会社更生法などの)法的手続きをとるのは当然だ」と述べた。日航に公的資金投入ですか?10年くらい前、銀行に公的資金投入についてはあれだけ国会で議論があって、公的資金を投入して、さらに日本長期信用銀行なんかは外国の銀行に売り渡したというのに。もっと前は、住宅金融専門会社(住専)の問題で国費を投入した時も農林中金の理事長まで国会に引きずり出したというのに。大した、国会での議論もなく公的資金投入ですか???随分、安易なやりかたじゃないですか。JALのマイレージが貯まっていないわけじゃないけど、そんなオマケに比べたて、国民の血税をつぎ込むことのバランス感覚がわからない。もっと言えば、日航の債務超過2兆3000億円の問題に比べたら小沢幹事長の4億円なんてどうでもいい問題のような気さえします。ズルズルと国民の税金をつぎ込んでいくなんて、日航は戦前の満州みたいに日本の生命線とでも思っているのか。すごく納得いきませんね。
2010年01月19日
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このあたりで、小職がどのあたりまで来たのか霞ヶ浦全体の地図をみて下さい>丁度、潮来市と香取市の間くらいです。ここは常陸利根川と利根川に挟まれた低湿地帯で水郷の中心地ともいえるところです。真ん中にある湖がここ与田浦です。ここは、千葉県香取市になり、加藤洲十二橋巡りの観光船の船着場があるところですが、冬のシーズン・オフのせいか、舟の姿はありません。観光シーズンには絣の着物を着たおばちゃん船頭さんが操る観光舟で賑やかになるのでしょうね。下の写真は、一昨年の春に乗った、潮来の十二橋めぐりの様子です。
2010年01月19日
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霞ヶ浦(西浦)の出口にあたる常陸利根川に到着しました。霞ヶ浦が常陸利根川になる地点の写真です。常陸利根川にかかる北利根橋です。これは常陸利根川の河岸に建つ横利根川の排水機場です。利根川は元々この横利根川を通じて常陸利根川に流れて込むようになっていたのですが、1900年(明治33年)から始まった利根川改修工事により現在の利根川筋へ流れが移されました。しかし、利根川増水時に横利根川を通じて霞ヶ浦沿岸に氾濫をもたらすことから、このような排水機場と樋門が必要なんですね。しかし、新利根川、常陸利根川、横利根川と色々利根川とつく川が多いですね。
2010年01月18日
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新利根川のつながる霞ヶ浦の入り江には、淡水真珠養殖場があります。淡水真珠ってどんな真珠なんでしょうか。海で養殖している真珠と変わりがないのかな? 人気blogランキングに参加しています。よろしかったらクリックしてね
2010年01月17日
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水資源機構の新利根川排水樋門の傍に農林水産省の十余島排水機場というのもありました。写真で右側に見える建物が水資源機構の新利根川排水樋門の管理施設。左が十余島排水機場。それから昨日紹介した霞ヶ浦導水の樋管も近くにありますし。なんだか、公共事業が一杯あるんですね。まあ、それだけの施設を整備して、ようやくこの周辺の人々の生活や産業が守られているということでしょうか。
2010年01月16日
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新利根川の排水樋門の隣にあるのが、この霞ヶ浦導水の樋管の水門。霞ヶ浦導水事業は那珂川下流部、霞ヶ浦および利根川下流部をつなぐ地下トンネルを建設し、相互に水をやりとりする事業です。それぞれの河川に必要な水量を残した上で、余裕のある水を有効に活用し河川の流況を改善するものです。その地下トンネルの出口がここです。つまり、ここから利根川まで地下トンネルが完成しているのですが、霞ヶ浦と那珂川の間は工事中です。例の事業仕分けではどうなったんでしょうね。まあ、無駄かどうかはわかりませんが、多分、これからの地球温暖化のことを考えると水を確保するという行為は実は重要なことで、将来への保険とみています。
2010年01月15日
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引き続き、近くの小野川から霞ヶ浦を巡る川の流れシリーズを再開します。霞ヶ浦に流れ込む新利根川の最下流には大きな水門がありました。新利根川と霞ヶ浦をつなぐ水門近くでみると大きな構造物です。やや古びた感じがします。コンクリートの継ぎ目からセメントが流れでていますね。水門のある方はゲートも塗装され、コンクリートの堰柱も表面が化粧直しされていますね。やはり、新利根川周辺の住宅地や農地を洪水から守るために大切な水門だから、手入れしながら使われているのでしょう。ちなみにこの水門の管理は独立行政法人水資源機構でした。この施設は、舟通と呼ばれる施設で、霞ヶ浦と新利根川を行き来する船の通行のために設けられているそうです。
2010年01月14日
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私の住んでいる筑波研究学園都市にありました。理化学系の人材派遣の看板です。国や企業の研究所の集まるつくば市ならではの人材派遣ですね。人気blogランキングに参加しています。よろしかったらクリックしてね
2010年01月13日
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大相撲一月場所始まりましたね。数あるスポーツの中でも、初日から天皇陛下がご覧になられるのですから、天皇杯という大層な名前をいただくサッカーをに陛下がご覧になったという話は聞いたこともないし、国民的人気スポーツのプロ野球でさえ、天覧試合は一度しかないのですから、大相撲は、まさに、日本の国技ですね。そんな中で、日本人のラスト横綱である貴乃花親方が、今までの慣習に抗って、協会理事に立候補するそうですね。なんだかんだと問題のある今の大相撲の改革に貢献したいということでしょうが、どうなんでしょうか。官僚世界に飛び込んだ民主党の長妻大臣みたいにならないことを望みますが、貴乃花親方には、協会理事になることよりも、それ以前に貴乃花に匹敵するような横綱、いやせめて幕内力士を養成して欲しいものです。人気blogランキングに参加しています。よろしかったらクリックしてね
2010年01月12日
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今日は成人式。葬式と並んで大変重要な人生の節目の行事です(結婚式も大切な行事ですが、結婚しない人もいるので、全ての人が経験するのは、葬式とこの成人式ですね)。今日から、大人として認められるわけで、国民年金にも入らないといけないし、犯罪を犯せば、少年Aから、実名で報道される。という大変な節目の時を迎えられた皆様、おめでとうございます。これから、いわゆる皆さん大人になるんですが、大人と子供の違いはなんなのか?それは、これから皆さんは二重人格者となって生きかなくてはならないということです。子供は嫌なことならやらないで済ませられるかもしれませんが、大人になると、仕事がしたくない時でも、仕事に行かないといけませんし。家庭を持てば、ご飯を作りたくなくても、子供のためにご飯を作らないといけませんし。可笑しいことがあっても笑ってはいけないこともあるでしょう。子供がよく「お父さんの言うことは矛盾している」と言いますが、これこそ大人が二重人格者であることの証左であることです。新成人のみなさん、これから立派な二重人格者となって下さい。人気blogランキングに参加しています。よろしかったらクリックしてね
2010年01月11日
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神戸市長田にある鉄人28号を見てきました。商店街にも、鉄人28号のペナントを吊るしてあったりして、鉄人にあやかって商店街活性化を目指しているんでしょうね。鉄人28号って、子供の頃、読んだ漫画だと第二次世界大戦末期に旧日本軍が開発した秘密兵器で、絶海の孤島にある秘密基地で作られたと思っていたんですが、神戸の造船所で作られていたんでしょうか?昔、テレビで放映されていたアニメって、フィルムの現物が残っていても、放映はされないそうですね。現在は使われてはいけない言葉、「クル・クル・パー(言い換えはパッパラー・パ-でしょうか)」、「土人(言い換えは、現地住民でしょうか)」が使われているからだとか。ということで、今となっては確かめようがないですが。まあ、作者の故横山光輝氏が神戸出身だからということなのかも知れませんが、それなら、「魔法使いサリーちゃん」、「伊賀の影丸」とか「三国志」なんかも神戸市全体で使えばいいのにね。個人的には、仮面の忍者「赤影」ですかね。青影になろうと、子供の頃憧れていて、忍者ごっこばっかりやっていましたから。
2010年01月10日
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昨年話題になった村上春樹の小説「1Q84」。MoMo太郎はこれをIQ84と思い込んでいましたが、この小説の時代1984年には大きな事件がありましたね「グリコ森永事件」。この「グリコ森永事件」の発端となった江崎グリコの社長の家があったのが、この甲子園口、そして、毒入りチョコが置かれたコンビニがあったのもこの街です。そんなことでも有名ですが、もう一つ、この街で有名になってもいいものが、この熊野神社。神社そのものは、普通の氏神様の神社ですが、この神社の境内にあるのが、算学神社。江戸時代の和算(日本の数学)の始祖ともいえる毛利重能(もうり しげよし)が祀られています。この神社にお参りすれば、IQ84でも、数学の成績アップ、大学合格は間違いなし(経験者の小職が補償します)。
2010年01月09日
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甲子園口駅の北口です。叔父さんの家に行く時によく利用しました。40年くらい前の子供の頃から全く変わっていない。JRと書かれた看板以外は。子供の頃から変わってないもののもう一つは、JRの線路の下を抜ける「マンボウ」と呼ばれるトンネルです。これではありませんが、マンボウは、谷崎潤一郎の小説「細雪」でも紹介されています。参考はここ↓↓http://www.tokyo-kurenaidan.com/tanizaki-sasameyuki-2.htmマンボウの入口子供の頃は立ったまま歩くことができましたが、大人は腰をかがめてようやく通り抜けるくらいです。マンボウの中レンガも昔のままですね。人気blogランキングに参加しています。よろしかったらクリックしてね
2010年01月08日
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兵庫県西宮市甲子園。ここは高校野球のメッカ、あの甲子園球場のある街として有名です。JRの甲子園口駅は、ここの玄関口ですね。駅前には、やっぱり、駅前には、ボールとバットのモニュメントがあります。ここには、私の叔父が住んでいます。久しぶりです。人気blogランキングに参加しています。よろしかったらクリックしてね
2010年01月07日
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昨年12月に靖国神社にお参りして、NHKで「坂の上の雲」の放送があったりして、そんなわけで、第二次世界大戦までの我が国の軍隊とかに興味があったので、保坂正康氏の「あの戦争は何だったのか」を年末年始の休暇中に読みました。本書の冒頭ではこう述べられています。「本当に真面目に平和ということを考えるならば、戦争を知らなければ決して語れないだろう。だが、戦争の内実を知ろうとしなかった。・・・日本人は戦争を知ることから逃げてきたのだ」本書は、日常の次元からあの戦争の当時の日本人がどう考え行動したのかを明らかにしていこうとしているように思えました。今、「戦争を語り継ぐ」ということを耳にしますが、それは例えば、「ビルマで終戦(個人的にはなぜ敗戦と言わないのか不思議に思う)を迎え捕虜収容所に入った」、「命からがら満州から帰ってきた、途中で子供を中国人に預けてきた(預けたくらいならいいが、自ら子供を殺した親もいるらしい)」などを語る人はいるが、「私はこう考えて、インパール作戦を企図した」、「大東亜共栄圏のスローガンを考えたのは私だ」といったような、戦争に国民を巻き込んで行った側の話は聞いたこともない(まあ、そんな人はもう鬼籍にいて語れないのかもしれないが)。ただわかったのは、軍人が官僚として開戦へと誘導していったことと、それを総理大臣の近衛文麿や陸軍大臣の東條英機や海軍大臣の及川古志郎が抑え切れなかったということのようです。特に海軍の罪は重いようです。なぜなら太平洋の海の上で戦えるのは陸軍ではなく、海軍しかなかったですから、海軍の軍官僚が、「この戦争は勝ち目はない」と言えば、戦争は起こらなかったのだと思いますが、おそらく海軍の軍人達もそんなことは言えないところに追い込まれていたのかもしれませんね。それはある意味、国民の世論みたいなものが開戦へという流れだったことだったのかもしれません。ひるがえって、今の我が国を考えてみれば、政権が変わっても、官僚が予算と法律を作くるというシステムは変わっていないし、政権そのものも、票をお金で買うような、農家への戸別d所得補償とか、子ども手当てだとか、そんなことばかりが続いていて、唯一、政策を決めているのは小沢一郎だけで、小沢一郎もなぜそうしたのかをはっきりと話さないという次第ですね。そんなわけで、戦争とは別の未体験な新たな不幸が国民を待っているかもしれないなと考える次第です。
2010年01月06日
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新年早々、たまには教養というものを身につけてみたいと思い読んでみました。「チャールズ・ダーウィンの生涯」。著者の松永俊男さんは、実験生物学の分野から生物学史の分野に転じて、ダーウィンに関する研究を続けてきた桃山学院大学名誉教授の方だそうです。ダーウィンといえば、進化論ですね。そして、それに関連してダーウィンの名言としてしばしば取り上げられる。「It is not the strongest of the species that survives, nor the most intelligent that survives. It is the one that is the most adaptable to change.」生き残る種というのは、最も強いものでもなければ、最も知的なものでもない。最も変化に適応できる種が生き残るのだ。という名言は、この本の著者によれば、実はダーウィンの著書や稿本のどこにもないそうです。むしろ、これは生物学の仮説である進化論を利用して、変革を進化として正当化したい社会思想を補強するために誰かが言い立てたもののようですね。また、この本でわかったのは、チャールズ・ダーウィンという人は動物学、植物学や地質学等の自然を研究した博物学者(本書では、これをナチュラリストとしています)であり、研究者ではあったが、現在のように大学や研究機関に勤める学者ではなく、資産家のジェントルマンとして生計を立てつつ、研究をしていたというのも19世紀の大英帝国のならではことだなという感じがしました。ところで、この進化論が初めて世に紹介された書籍「種の起源」そのものを読んだ生物学関係の専門家はどれくらいおられるのだろうか。まあ、読んでいなくても、ダーウィン的な進化論が、生存競争の結果、同じ種の中で他の個体よりもわずかでも優れた形質を持つ個体が生き残って、代々それが蓄積していくことによって種が変化していく(これを自然選択というそうです)ことは学ぶことができました。しかし、DNAだとかゲノムとか、そういうことが分かり始めた現在、150年前に唱えられた進化論という仮説はどういうことになるでしょうかね。人気blogランキングに参加しています。よろしかったらクリックしてね
2010年01月05日
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今日から仕事です。年末年始の休みの間、いくつかの本を読んだので、ちょっと紹介します。今日紹介したいのは、野村克也 楽天ゴールデンイーグルス元監督の「野村ノート」。もともとは平成17年(2005)に単行本として出版されていたものであるが、楽天のクライマックスシリーズ出場にあたって、楽天での経験も加筆されて再度文庫本として出版されたものです。この本では、野村元監督ならではの野球の技術論も述べられているが、小職が納得しのたは、最近の野球人気の低下についての分析です。これは、最近の野球解説者に向けられていて、「・・・私は野球というスポーツの特性が誤って広まっていることも人気低下の一因となっている気がしてならない。野球は"間"のスポーツであり、一球一球、アウトカウントやボールカウント、走者の状況など、その場面、場面に生じる投手(捕手)、打者の心理の絡み合いが野球の妙であり、それを背景に数々のドラマを生んできたと考える。ところがテレビ中継、新聞報道にはこうした"野球の妙"が欠落している。解説者はただ選手を褒めちぎり、結果論だけで選手を評価する。・・・最近の評論を聞いていると・・・いわば結果について自分の感想をいうだけ。視聴者も野球を見ていて学ぶものは何もない。・・・」確かに、そのとおりではないでしょうか。さらに言わせてもらえば、野球の解説者かバラエティタレントかわからないような、その上、現役時代に選手として何かを極めたようにも思えない輩が多いのではないでしょうか。野球好きなら是非、この本を読んで、今年のシーズンは野村の眼で野球眺めてみるとより一層、野球が楽しめると思いますよ。人気blogランキングに参加しています。よろしかったらクリックしてね
2010年01月04日
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