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昨日、先輩同僚の「兄貴」ことK教授と昼飯をご一緒したんですが、たまたま入ったレストランがロシア料理の店だったので、何となく話題が「世界における日本」的なところに集中することになり、その流れの中でちょっと面白い話を聞きました。 K兄貴は昨年の夏、ご家族でフランス旅行をなさった際、ツアー・コンダクターの方からその話を聞いたのだそうですが、そのツアー・コンダクターの方(男性)は、仕事柄フランスに行くことが多く、現地で知り合われたフランス人女性と結婚されたのだそうです。 で、結婚当初、花嫁の友人・知人たちなどから割と冷淡な処遇を受けたそうで、「フランス人って、何だかんだ言ってやっぱりアジア人に対する偏見があるのかなあ」と思ってしまったのだそうです。 ところが、実はそれは、半分当たっていて、半分間違っていたんですって。 つまり、最初のうち、彼は「ベトナム人」だと思われていたんですな。フランスはベトナムを植民地にしていた時期がありますから、そういう歴史的経緯ゆえにフランスには多くのベトナム人がいる。ゆえに、そのフランス人女性は、ベトナム人の子孫と結婚したのだと思われていたわけ。で、それはあまり芳しからぬことと思われていた、と。その点に関しては、まあ、明らかに人種的偏見です。 ところがある時、彼が日本人であることが分かった瞬間から、花嫁の友人・知人の態度がガラっと変わったんだそうです。「なーんだ、君、日本人だったの? 最初からそう言ってよ~!」みたいな感じ。それからは、もう下へも置かぬおもてなしになっちゃった。 で、色々聞いてみると、フランスってのは、学校教育の時点からしてすごく「日本寄り」なんですって。 何しろ、あの「中華思想」のお国柄にして、フランスの学校の教科書に登場する「外国」は、アメリカと日本だけなんですって。イギリスもなし、ドイツ、イタリアもなし。ロシアも中国もなし。ただ、アメリカと日本だけ。で、アメリカに対してはどちらかというと勝手な奴ら、という扱いらしいですけど、日本は「すごい文化の国」という扱いらしい。で、そういう下地がある上に、若い連中は日本の「マンガ」に熱狂してますから、ますます親日なんだとか。 ひゃー。フランスって、そうだったの? 知りませんでしたなあ。 日本海海戦で東郷元帥がロシアのバルチック艦隊を破って以来、ロシアの脅威に悩まされてきたトルコが親日になり、歴史の教科書でも日本の扱いが大きいとか、もっと現代に近いところでも中近東・インド・東南アジアあたりでテレビドラマの「おしん」が放送されて日本に対する関心が高いとか、そういうような話はよく聞きます。前にこのブログでも紹介しましたが、シンガポール人の多くが「生まれ変わるなら日本人になりたい」と思っているそうですし、また最近では「相撲」を通じて、東欧・旧ソ連諸国からの関心が高いことも耳にします。さらに長年に亙る支援活動を通じ、アフリカ諸国においても日本の人気は高いらしい。 しかし、現代フランスにおいて、日本がそういう認識をされているなんてこと、あまり聞きませんよね。 でも、そういうふうに考えていくと、日本って世界でもものすごく人気のある国、ということになりませんかね? 東南アジア、中近東、東欧、西欧、アフリカで人気があるんだったら、あと日本の人気がないのはどこですか? 中国と韓国だけじゃん。 つまり、よりによって数少ない反日の国だけを、日本は外交の相手に選んでいるんだよなあ・・・。 ま、そのことだけでなく、たとえばアメリカ映画なんかで日本人が揶揄的に描かれているのを見るたびに、我々日本人は「どーせ、外人(=西欧人)は日本人のことをペコペコお辞儀をする黄色い猿だと思ってるんだよなあ」と自虐的に考え、国際社会における自信を失いがちです。 もちろん、そういうこともあるでしょう。人種的偏見っていうのは、善かれ悪しかれ普遍的・生来的に存在するものなんですから。が、にも係わらず、自分たちが思っているほど、日本人って世界における評判、悪くないんじゃないでしょうかね。フランスにおける日本人の評判という話を聞いて、そう思いましたよ。 でも、それならそうで、もっとそういうことを知りたいですよね。たとえば中近東諸国の人たちがいかに親日か、ということを十分知っていれば、湾岸戦争やらイラク戦争ですぐアメリカの言いなりになってミサイル代支払う、なんてこともなくなるのではないでしょうか。親日のフランスとタッグを組んで、アメリカの出方を牽制する、なんてことだってあり得ると思うのですが。是々非々で、時には「ノー」という国であって初めて、アメリカからも尊敬される国になれるのではないでしょうか。個人レベルでもそうですが、「イエスマン」ってのは軽蔑されるものです。 アメリカに対しては何の考えもなく追従する。中国と韓国に対してはひたすら下手に出る。それだけの外交じゃ、世界中の親日の国々を裏切ることになるんじゃないかと、私は思うのであります。 ロシア料理の店でランチを食べながらの話が、随分大きなところまで発展しちゃいましたが、とにかく、日本人の同胞諸君! もっと自信を持とう! フランスは、世界は、日本人を待ってるぜ!
September 30, 2006
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今日はうちの大学で卒業式がありました。 大学には春と秋に卒業式があります。春に卒業式があるのはもちろんですが、諸般の事情により、卒業が半年延期になってしまった学生・院生たちのために、秋にも卒業式があるんですね。で、今日、私はそいつに参加してきたんです。私のゼミの学生が一人、9月卒業になっていたもんで。 ま、そのゼミ生というのは、女の子なんですが、これがまた世話の焼ける子でね。卒論が未提出だったり、単位が足りなかったりして1年半ほど卒業が遅れていたのですが、ついに今回、卒業にたどり着いたというわけ。私もホッとしましたよ。 さて、その卒業式ですが、何せ全部でたった18人の卒業生ですから、講堂ではなく、普段は会議室に使っているような部屋を使って行うんです。一応、金屏風に松の盆栽か何かを飾ったりしてね。学長や理事などお偉いさんは全員出席ですし、私のような指導教員も自由参加ながら参加しますので、卒業生より教員の数の方が多いくらい。 で、卒業証書の授与も、最初の人だけ全文読み上げ、後は「以下同文」というのではなく、18人分、すべて全文を読み上げますので、3月卒業よりむしろ有難味があったりして。 そして学長の祝辞、卒業生の答辞があって、式は1時間ほどで終了。ちなみに、その間、シンと静まり返った会場の中、私のお腹が「キューーー、グルグルグル」などと鳴りっぱなしで、ほとほと困りましたよ。あれって、自分じゃ止められないんですもん。別にお腹が空いていたわけではないんですが・・・。でも、とにかく、めでたく式も終了です。 ま、3月の卒業式のような華やかさはなく、卒業生たちも大抵は地味なスーツ姿。今回は珍しく、女子学生の中に一人だけ振り袖姿がありましたが、その子一人だけでしたからね。その意味で、少し寂しいことは寂しいのですが、それでも卒業生たちは何だかホッとしたような、嬉しそうな顔をしていたので、良かった、良かった。 で、肝心の私のゼミ生ですが、居並ぶ教員の中に私の姿を認めて嬉しそうにしていました。後で聞いたら、「来てくれないと思ってました!」ですって。何言っているの。いかに苦労させられたとはいえ、自分のゼミ生の卒業式を見届けないわけないでないの。 その彼女ですが、今のところ進路未定で、半年後の4月から通信教育で教員免状をとるつもりなのだとか。何だかまだまだ当分親御さんのスネを齧るつもりらしいです。「あんまり親を泣かせるんじゃないよ。無事教員になれて、初めて給料もらったら、親にご馳走してあげにゃいかんよ」と諭しておきましたけど、分かってるのかどうか・・・。でも、とにかく、卒業できてよかった。今日この足で郷里の福井に帰るというその子の後ろ姿を見送りつつ、若干の感慨にふけっている今日のワタクシなのでした。
September 29, 2006
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いやあ、見てしまいましたよ、『ヒトラー 最期の12日間』。一応、様々な雑誌に寸評が出る程度には話題になっていましたし、レンタル・ビデオ店でも常時借り出されているようだったので、それなりによくできた映画なのかなと思いまして。 で、例によってワタクシの評点はといいますと・・・ スミマセン! ノーコメントです! やっぱり評点の彼岸にある作品ということで。 作品としてはですね、敗戦の色濃くなったベルリンの地下基地において、ヒトラーと部下たちがどのように過ごしていたかを、彼の秘書だった若い女性の目を通して見た、というものなんです。 で、映画の中では、女性秘書や、その他彼の周辺にいる非戦闘員たちに対して、ヒトラーはとても優しいオジサンなんですね。しかし、「総統」としての職務を果たしている時の彼は、まさに我々が普通認識しているような、「あの」ヒトラーの姿なわけですよ。で、実際、ベルリン陥落間近という段階になっても、まだ彼に忠誠を尽くそうという将軍・兵士たちも沢山いる。 しかし、そうは言っても実際に軍の状況が分かっている将軍たちの中には、「もうダメなんじゃない?」と思う人もそれなりにいる。特にヒムラーだとか、ゲーリングだとか、ヒトラーの側近中の側近ですら、ヒトラーを見捨て始めるわけ。で、そういう状況に激怒したヒトラーは、「俺の言うことを聞かん連中は、みーんな処刑じゃ!」ってなことをヒステリックに絶叫するわけですけど、もはや彼の意志が瞬時に伝わるような状況じゃない。 そういう中で、ヒトラーも自殺の意志を固めていくわけですな。 で、映画はヒトラーの自殺と、首都陥落に至る様々な出来事を描いていくんです。 ま、映画としてはそういうものなんですけど、これ、どう評価してよいものやら、難しいですよ。 映画の前宣伝では、「ヒトラーが自殺するまでの最期の12日間に、一体何があったのか! その意外な事実に迫る!」みたいなことが言われていたみたいですけど、うーん、そんなに意外な事実なんかないですよ。負け戦の大将の最期ってのは、こんな感じなのかなーっていう、そのものずばりですから。その点で、ええっ!と驚くようなことは何もない。 ま、確かに、もう少しで野望を成し遂げられるというところで挫折した男の苦悩と絶望が描かれているわけではありますが・・・、しかし、その「野望」ってのが何だったかというのが我々には分かっているわけですから、それに対して「残念でしたねぇ・・・」と同情したりすることはできないですよね・・・。 また、ヒムラーやゲーリングが御大将を裏切っていくのに、ゲッペルスだけは最後まで忠誠を尽くしたのだから偉いなぁ、なーんてこともちょっと言えないです。 またヒトラーをはじめ、その多くの信奉者たちが、敵に捕まるよりは、と自決していくわけですけど、それを「潔い!」などと感動するのも、ちょっとねえ・・・。 強いて言えば、ヒトラー役の俳優がなかなか上手にヒトラーを演じていて、それには感心するんですけど、あんまりヒトラー的なので、逆に笑えてくるんです。こんな感じで突然怒り出す人、しょっちゅう一緒にいると嫌だけど、たまに法事なんかで一緒になる程度の親戚のオジサンだったら面白いな、と思えてくるような感じ。つい真似したくなっちゃうような。しかし、「ヒトラーって面白いおっさんやなあ!」と言ってしまったら、その段階で不謹慎ですよね・・・。 となると、何に感心したらいいのやら・・・。ね、難しいでしょ? ヒトラーを描いた映画に対して、何かを肯定的に評価するというのは、本来的に難しいですよ。ま、強いて言えるのは、戦争ってのは嫌なもんだねえ、というきわめて一般的なことですけど、そんなことは凡百の戦争映画でも言っていることですし。 ということで、この映画に関しては評点なし、特に「おすすめ!」ということもなしで、ただ「ワタクシ見ましたけど、興味のある方はどうぞ」、ということだけ記しておきましょう。 しかし、「戦争」というテーマと「地下基地」というシチュエーションで思い出したんですけど、私が「これは強烈だ!」と思った割と最近の戦争映画は、何といっても『アンダーグラウンド』ですね。これはもう、『ヒトラー』なんか足元にも及ばないような痛烈な戦争映画です。この痛烈さは見てみないと分からない種類のものなので、こちらの方はぜひご覧下さい。凄絶な戦闘場面なんかほとんど出て来ないし、むしろギャグ映画とすら言えるのに、この圧倒的なまでのインパクト。もう、凄過ぎです。
September 28, 2006
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「ミラーマン」先生こと植草某氏、またやっちゃいましたね・・・。 早稲田大学教授として、あるいはテレビのコメンテイターとして売れっ子だったのに、ミラーマン・スキャンダルで失墜。その後、名古屋商科大学に拾われたというのに、今度は痴漢行為容疑で拘置され、こっちの大学でもクビ。 しかし、不思議だなあ。あの人、頭は人一倍いいんでしょうに、なんでそういうことしますかねー。ましてや一度失敗して懲りているだろうに、同じことを繰り返すってどういうことなんだろう。病気なのかな。 ところで、私、植草さんのことは直接知りませんけど、名古屋商科大学の学長である栗本先生という方は知っているんです。なぜなら、名古屋商科大学と経営母体が同じ栗本学園系の女子大で非常勤講師をしていたことがあるからです。 で、その栗本学長ですが、ちょっと日本人離れした精力的な方で、いかにもギラギラした「やり手」って感じ。向こうは学長、こちらは非常勤としてちょっと出講しているだけなんですから、普通だったら接点がなくてもいいわけですが、栗本さんは違うんですね。ちゃんとこちらの顔と名前を覚えていて、たまにキャンパスで出くわしたりすると、「いや~釈迦楽先生~! お久し振り!」などと言って握手を求めてくる。握手ですよ、握手。「欧米か!」って感じでしょ? ま、そんなふうですから、こちらとしては圧倒されちゃうわけですけど、名前を覚えられて悪い気はしない。色々な人を味方につけつつ、経営トップとして学園全体を牛耳るには、あのくらいのアクの強さは必要なんだろうな、と思います。 で、実際に傘下の女子大で教えていても、栗本イズムを感じることがよくあります。というのは、とにかく学生の行儀がいいんですよ。授業中に私語なんか一つもないですし、遅刻・欠席もほとんどない。で、最初は私も感心したのですけど、少し事情が分かってくると、はは~んと思うわけ。つまりね、大学の締めつけがものすごく厳しいんです。授業への出欠なんて個々の教員ではなく大学自体が厳密に管理していて、ちょっとでも遅刻・欠席が続いたりするとすぐさま呼び出しです。だもんで、学生たちも完全にビビッているわけですよ。彼女らは、自発的にというよりは、いわば栗本学長が怖いから静かにしているんですな。 もちろん、そういう締めつけがいいのかどうかは、意見の分かれるところでしょう。しかし、今の大学生なんて精神的には全然大人ではないので、そういう実態にあわせた上で締めつける=子供扱いする、というポリシーは、それはそれで正しいとも言えそうです。第一、今の時代、大勢の学生をビビらせるほどに、大学側のポリシーを押し通すというのは、なかなか難しいですよ。国立大学ではまず無理だし、私学だって東京あたりではもう無理なのではないでしょうか。 そういう意味で、私とはキャラが随分違うなと思いつつ、栗本さんには勉強をさせてもらいました。ま、その後私は、教育方針の上で栗本さんと意見が合わないことがあり、この女子大での非常勤を辞めてしまいましたので、もう随分長いことお目にかかっていませんけど、今、久し振りにどこかで会ったとしたら、昔のことなどおくびも出さず、「釈迦楽先生~、お久し振り! 元気?」なんて言いながらハグハグしてくれるんじゃないかと思います。そう思ったら、何だか会ってみたくなりましたよ。 それに・・・ワタクシ、この女子大で教えていた独身の頃には、学生の間に結構ファンも多く、ラブレターとかよくもらいましたし・・・。(もちろん、真に受けませんでしたけど・・・) ・・・それはともかく、早稲田を首になった植草某先生を名古屋商科大学が拾った、と聞いた時、ああ、いかにも栗本さんらしいなと思ったんです。業績的には優秀な先生を捨てておくのはもったいないと思って、例の押しの強さで学内の反対を押し切ったんでしょう。でも、この度の不祥事でさすがの栗本さんも植草某を諦めたんでしょうな。 あの押しの強い栗本さんでもかばいきれないような人、もうどこの大学だって雇えませんよ。そう考えると、植草某先生、返す返すも馬鹿なことをしたもんだ。 ということで、今回の植草スキャンダルの報道を目にしながら、ふと、栗本学園で教えていた頃のことを懐かしく思い出してしまうワタクシなのでした。
September 27, 2006
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丹波哲郎さんが亡くなりました。というか、大霊界に行っちゃったというべきなのかな? 丹波さんというと、『Gメン75』がよく引き合いに出されますけど、私としては『キイハンター』のボス役としての丹波さんのイメージが強烈ですなあ。 『キイハンター』か、懐かしい。確か土曜日の夜9時の放送だったんですよね。で、その前の番組がザ・ドリフターズの『8時だよ 全員集合』だったので、テレビをつけておくと自然と『キイハンター』になってしまうわけ。 でまたこの『キイハンター』ってのが、時々お色気シーンが出てくるもので、「子供の見るもんじゃない」なんて親に消されてしまうこともありましたが、そういうことも含めて、背伸びして見ていたような気がします。野際陽子が歌っていたテーマ・ソング『非情のライセンス』もカッコよかったですし、コマーシャルに入る毎にアナウンスされる「キー、ハンター!」というセリフも渋かった。 千葉真一の存在を知ったのもこの番組でしたけど、彼と野際陽子って、この番組を機に結婚したんですよね。今は離婚しちゃいましたけど・・・。もっとも私はむしろ千葉真一というよりは、カー・アクション担当の谷隼人のファンだったんですけどね。ついでに言いますと、クールな野際陽子より、ちょっとぽっちゃりした大川栄子の方が好きだったかな。 それにしても昔のテレビドラマって、今よりよっぽど気合が入っていたなあ。「ハードボイルドもの」なんて、もちろんアメリカ映画なんかの真似なんだけど、それでも本気で真似ようとしていたもんなあ。 昭和40年代って、日本が一生懸命だった時代だと思いますけど、そういう時代に自分が育ったことが懐かしいですわ。そしてそんな記憶のつてとなるような俳優だった丹波さんが亡くなったことは、その意味で残念なことでございます。 それから、昨日はもう一人、文楽の吉田玉男さんも亡くなったんですよね。私の理想とする「ちゃんとした日本人」の一人であった吉田玉男さんですが、せめて一度だけでも、彼の文楽を生で見てみたかったと悔やまれます。 お二人のご冥福をお祈りいたします。
September 26, 2006
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昨晩の晩御飯で、今シーズン初となる「新米」を食べました~! ま、以前このブログにも書いたように、実を申しますと「新米」という季節限定ものの美味しさを明確には判定できないワタクシではあるのですが、それでも今年は新米のフレッシュな美味しさを少しだけ味わうことができたような気がします。多分、このところ電気炊飯器ではなく、陶器の炊飯釜を使ってガスの直火でご飯を炊いているからじゃないかと思うのですが。 ところで、皆さんはお米って、どこで買っていらっしゃいます? 米屋さん? スーパー? 我が釈迦楽家は、何せ家内と二人暮らしなので、そうそうお米が減るもんでもなく、以前はスーパーで2キロとか5キロ単位で買っていたんです。しかし、最近は違います。 ま、都会の中心部にはあまりないと思いますが、周辺に田畑がちらほら見られる程度の郊外に行くと、道端に「お米の自動販売機」が並んでいたりするじゃないですか。私が住んでいるところは名古屋の東側に広がるベッドタウンですが、まだまだ田舎なので、その種の自動販売機があっちこっちにあるんです。 で、以前から、「お米を自動販売機で買うって、どういうことなんだろう?」と興味はあったんですな。で、ある時、勇を鼓して買ってみた、と。すると・・・ 面白い! これが実によくできているんですよ。5キロ詰めのパックと10キロ詰めのパックが、銘柄ごとに大体5種類くらいずつ、計10種類くらい並んで売られていて、それぞれ値段が書いてある。で、買う銘柄と量を決めたら指定された額のお金を入れてボタンを押すわけ。するとドサっと音がして米の入った袋が自販機の下の部分に落ちてくるので、それを受け取ればいい仕組みなんです。でまた良心的なことにお米のパックは取っ手のついたビニール袋に入っていて、そこにちゃーんと領収書も入っています。いや、それだけじゃなく、「サービス券」みたいなのも入っていて、それを何点分か貯めると、図書カードや商品券に換えてくれるんです。ね、うまくできているでしょ? また値段の面から言っても、同程度の銘柄のものをスーパーなんかで買うよりは安いと思いますし、私がいつも買う自販機では、週末に買うとその値段からさらに100円引きです。 それに味の点から言っても、気のせいかスーパーなんかで流通しているお米より美味しいような気がします。よく分かりませんが、こういう自販機で売っているお米というのは、地元周辺か近隣県でとれたもので、流通経路が短く、新鮮なんじゃないでしょうか。 てなわけで、このところ我が家ではずっと自販機でお米を買い続けているのですが、色々な銘柄を買ってみた経験から言いまして、私の味覚に一番アピールするのは、ずばり「三重県産コシヒカリ」。「魚沼産」ではなく、「三重県産」というところがミソで、コシヒカリと言ったってそれほど高くはないんですけどね。 でも、そこはそれ、やぱりコシヒカリというのは偉いもので(?)、家内に言わせますと、炊飯釜で炊いてみると、コシヒカリは炊く時の音が他の銘柄とは全然違うのだそうです。たとえば「あきたこまち」なんかだと、ごく普通にコトコトと水が沸騰し、その後も静かに炊きあがるのですが、「コシヒカリ」となると、水が沸騰する時も「ゴォー!」という音がし、その後も湯気が破裂するように蒸気穴から噴出するのだそうです。私が推測するに、コシヒカリ系のお米は粘りが強く、その粘りゆえに泡が大量に発生して、それがこのような音を発生させたり、蒸気を噴出させたりするのではないでしょうか。 で、昨夜食べた新米というのは、もちろんこの「三重県産コシヒカリ」でございまして、おいしかったですよ~! 「新米を食べると寿命が伸びる(by 我が姉)」と言いますから、私もますます長生きしちゃいそうです。 さて、ここで一つ余談ですけど、新米の友となるちょっとした惣菜の作り方を伝授してしまいましょう。 はーい、皆さん、茄子をご用意くださーい。そしたらそれを1センチほどの輪切りにし、(耐熱性の)お皿の上に並べ、その上にマヨネーズ・醤油を適当にかけ、鰹節をたっぷり乗せてレンジで8分ほどチン。 調理終了。 え? と思うほど簡単ですが、これがうまいのなんの。家内がインターネット上の料理サイト「cook pad」で見つけて来て、昨日試してみたのですが、これが箸休めとして恰好のご飯の友になるんですよ。秋は茄子の美味しい季節でもありますからね。ぜひお試し下さい。教授のおすすめ!です。
September 25, 2006
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今日3件目の日記書き込みになってしまいますが、大相撲秋場所が終わりましたので、恒例となりました総括を。 千秋楽を待たずに昨日、優勝が決まってしまいましたが、結局今場所も朝青龍の優勝で幕を閉じました。二場所連続18度目ということになりますか。ま、相変わらずライバル不在ということで、彼にとっては楽勝でしたね。 一方、他の力士はというと、依然としてダメですなあ。本来、今場所の見どころは白鵬の綱取りだったのですが、肝心の白鵬は序盤から精彩を欠き、序盤・中盤でころころ負けて早々と横綱への道が振り出しに戻ってしまうという体たらく。で、他の大関陣に関しても、魁皇が序盤ほとんど勝てないまま休場したのをはじめ、栃東も怪我で黒星を重ねるなど低調で、千代大海と琴欧州が割といいのかなと思いきや、これまた中盤にばたばたと黒星を重ねたのですから、もう朝青龍に優勝して下さいと言っているようなもんです。これだけ大関陣がやたらに負けるご時世なんですから、もう平幕が大関に勝ったぐらいで、いちいちインタビュー・ルームに招く必要はないんじゃないでしょうか。 またすごい勢いで幕内上位に上がってきた把瑠都も、このあたりの番付ではちょいと家賃が高かったのか、押し相撲に対する意外な脆さを露呈した上、怪我で休場。さらに大関復帰を目指していた雅山も黒星先行の相撲が続き、中盤が終わった段階でその望みも絶えるという・・・。やれやれ。 とまあ、全般に盛り上がりに欠けた今場所だったのですが、その中で唯一気を吐いたのが、安治川部屋の二人の力士、安美錦と安馬でした。安美錦は場所前の怪我であまり稽古ができていなかった割に持ち前のうまい相撲がとれ、特に必殺の外掛けで大関陣を次々と撃破するなど、見せ場を作りました。また安馬は、細い体でありながら正攻法の突き押しで、かつての寺尾を彷彿とさせるような元気のいい相撲を見せてくれました。ま、二人とも来場所は番付がぐっと上がり、それゆえ大負けするようなことになると思いますが、勝っても負けても気合の入った相撲を見せてくれるこの二人は、番付とは関係なく応援したくなります。 その他、栃東と琴欧州の二人は、怪我ゆえにあっけなく負ける相撲も何番かありましたが、黒海・琴欧州・白鵬を破った栃東の相撲、またライバルの白鵬を土俵に叩きつけた琴欧州の相撲など、少なくとも勝った相撲に関してはどちらも見応えのある内容でした。特に琴欧州が長いリーチを利用して両まわしを取り、上体の怪力を利用してがっちり引き付けて寄る時の迫力はなかなかのもので、怪我さえ治ればもう一つ上の地位も夢じゃないと思わせてくれました。 一方、圧倒的な強さを見せて見事優勝を飾った朝青龍ですが、千代大海戦などで見せた負けっぷりの悪さなどを見ていると、本当に嫌らしいですなあ。もちろん誰だって負けたくないのは当たり前ですが、千代大海の突き押しに憤って顔面を狙った張手を繰り出すとか、負けた後、いつまでも相手を睨み付けたりする様子があまりにも下品過ぎる。「なんだ、この野郎!」と言わんばかりの憤慨ぶりは、ほとんど「や○ざ」じゃないですか・・・。この下品な振る舞いに対して、相撲協会だの横綱審議委員会だのは何にも言わないんですかね。横綱が相撲の品と粋を汚しているというのに・・・。 ま、それはともかく、相撲ファンにとっては秋場所が終わるといよいよ本格的な秋の到来という感じがします。そしてその秋が冬に変わる頃、1年納めの九州場所が始まるわけですね。せめて朝青龍の3連覇を阻止すべく、琴欧州あたりの奮起に期待しておきましょうか。
September 24, 2006
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昨日の続き、小淵沢ツアー二日目のレポートです。 さて、我々が泊まったペンション、「ゲストハウス カーリーヴィレッジ」ですが、ここの「朝食つき素泊まり」の料金は一人5250円。夫婦二人で泊まっても10500円で済みます。安いでしょ? いや、もちろん探せばもっと安いところはいくらもあるのですが、部屋にバス・トイレがついていてこの値段というところは案外少ないんです。 で、ここのオーナーですが、ネット上の情報通り、見た目はブラザー・トム風の風貌。若い頃は色々遊びました、みたいな感じで、若い連中のアニキ的なキャラでしたね。朝食を出してくれながら、艶のある低音ヴォイスで「コーヒーお代わり要る?」などと聞いてくれるわけですが、その口調はぶっきらぼうながら、根っこのところはとても親切でした。で、この人、何だかアメリカ西海岸の匂いがするなと思って探ってみると、やっぱり昔、サンディエゴに5年も住んでいたとのこと。ま、そういう経歴の持ち主から想像される通り、日本に帰って来てサラリーマン生活をする気になれず、アメリカ的な気候の土地を探して清里でペンションを経営することにしたのだとか。曰く、「清里もアメリカ人(ポール・ラッシュ)が開拓したところだからね」。 私たちもアメリカ西海岸派といことでロス談義にも花が咲きましたが、「今度は酒を飲みながらじっくり話そうや」と言ってくれたブラザー・トムさんに別れを告げてペンションを後にした我らは、清里から小淵沢へと戻り、今日の最初の目的地である「バックハウス・インノ」というパン屋さんを目指しました。ここ、小淵沢ではちょいと知られたパンの名店なんだそうですが、前回立ち寄った時は既にパンが売れ切れになった後で、残念な思いをしたので、今回は午前中に寄っていこうという計画だったんです。 で、我々が寄った午前10時頃はちょうど今日最初のパンが焼き上がる頃だったらしく、店の奥から次々とお店に運ばれてくるパンはどれもおいしそうなものばかり。目移りしてしまいますが、その中から我々が買ったのは「林檎とクリームのコキーユ」「いちじくのパン」「紅茶クリームパン」そして定番の「フランス食パン」といったところ。家に帰ってから食べましたけど、食パンと紅茶クリームパンが特にうまかったですね。この店、ちょっと引っ込んだところにあって、表通りに出された小さな看板を見過ごすとなかなかたどり着けないんですけど、パン好きの方にはおすすめですよ~。 さて、うまいパンをゲットしたとなれば、次は当然「ジャム」でしょう。前回、小淵沢を訪れた時に寄って大いに感激したジャムの店「とりはた」ですが、もちろん今回もここでジャムを仕入れることにしてあったんです。で、また例によって沢山のジャムを試食させていただいた挙げ句、「モモのジャム」と「ルバーブのジャム」を購入することに決定。前回買ってすごくおいしかった「ラム苺ジャム」は既に今年の分を売り尽くしてしまったということで、残念ながら買うことができませんでしたが、それはつまり「季節のものはその季節にしか売らない」という当然のことであって、大量生産をしない個人商店ならではの良心と思い、また来年に期待することにしました。 ところで「とりはた」さんのお店に、周辺のお店の情報などを記したボードがあったので、今日のお昼はどこでとろうかと考えながらそのボードを見ていると、お店の方が「何かお探しですか?」と声をかけてくれました。そこで私が「昨日蕎麦を食べ損なったので、このあたりでいい蕎麦屋はないかなと思いまして」と答えると、即座に「いち」という蕎麦屋の名店を紹介してくれました。昔病院だった古い建物を利用してお店にしているとのことで、蕎麦のうまさだけでなく、そのたたずまいも含めて非常にいい店だということでしたので、今日のお昼はそこで蕎麦を手繰ることに決定。 ちなみに「いち」はものすごく分かりにくいところにあるのですが、「とりはた」さんで書いてもらった見事な地図のおかげで一つも間違わずに到着。実際、これが渋い店構えで・・・と口で言ってもこればかりはなかなか通じませんので、ここでこのブログでの初の試み、「いち」の写真を載せてしまいましょう。 どうだ! ついに写真を掲載したぞ! ま、それほど鼻息を荒くするほどのこともないのですが、なかなかいいでしょ? ここ、もとが病院だけに和洋折衷様式で建てられているのですが、中も畳敷きの上にテーブル&椅子という風で、何だか初めて来たのに懐かしい感じがしてリラックスできます。で、我々がついた席は窓際の席で、外の景色もよく、また吹き込んでくる風がなんとも爽やかで、すごく良かった。この際、我々の座った席から見た風景も載せてしまいましょう。写真手前に見えるガラスの容器は、小淵沢にあるガラス工房「ツパイ工房」で作られている洒落た薬味入れです。 で、肝心な蕎麦ですが、私は「野菜天ぷらつき蕎麦」、家内は「茄子の煮びたしつき蕎麦」でしたけど、石臼引き十割蕎麦、実にうまかったです。十割蕎麦といっても黒々とした田舎蕎麦ではなく、白に近い色の細切り蕎麦で、蕎麦の香り、歯ごたえ、汁の味とも私の好みでした。店の雰囲気もよく、地元の人の誰もが絶賛するだけのことはあります。小淵沢の「いち」、熱烈おすすめです! さて、いちで気持ちよくお腹を満たした我らが次に向かったのは、「月の手」というガラスと陶器の工房です。以前、別のところで見たガラスの置物やアクセサリーが非常に気に入ってしまい、それを作っているのが「月の手」工房だと知ったので、ぜひ一度訪れてみたいと思っていたんです。 で、行ってみますと「月の手」というのはこじんまりとした工房兼お店で、ご主人の有吉亙(ありよし・わたる)さんが陶器を、奥様のあいざわゆみさんがガラス細工を作っていらっしゃることが判明。そもそも私たちは、あいざわゆみさんの作るガラス細工に惹かれてここを訪れたので、最初はガラス細工の展示に目が行きましたけど、ご主人の有吉さんの作る陶器がまた非常にセンスがいいんです。陶器好きの私たち夫婦としてはもう大興奮で品定めすることしばし。その間、有吉さん、あいざわさんとお話をすることもできました。ご主人の有吉さんは私とほぼ同年代、奥様はそれより少しお若い感じでしたけど、お二人とも物静かなとても感じのいい人たちで、いかにも「もの作りをする夫婦」という雰囲気でした。あ、ちなみに「月の手」工房という名前は、有吉さんのお名前に「月」の文字が隠れていることからの命名だそうで、それと同時に「私は性格から言って太陽より月に惹かれる方ですから・・・」とおっしゃっていました。 で、どれもこれも欲しいものばかりの展示作品を見ながら悩みに悩んだ末、有吉さんの作ったご飯茶碗を二つ、あいざわさんの作ったガラスのピアスを一組買うことに。茶碗の方は基本は織部なんですが、そこに現代的なセンスの模様が加えられていて、伝統とモダンさがほどよくミックスしている感じ。一方あいざわさんのガラス細工は、色鉛筆を使って描くと言う独特の画風の絵をガラスの中に封印した特殊な細工もので、こちらも他ではみられないような繊細な作品です。いやー、「月の手」工房、いいですよ~! 小淵沢を旅行する方には、ぜひぜひおすすめしたいと思います。 ちなみに工房の入り口にあるベランダ風のスペースにはテーブルと椅子が出してあって、有吉さんが作った陶器の器で自由にお茶が飲めるようになっているのですが、私たちもここでお茶をご馳走になりながら、工房を取り巻く森の景色を眺めてリラックスしてしまいました。またそのベランダには「ご自由にお持ち下さい」という札と共に「ホトドキス」の苗が沢山置いてあったので、一株もらっていくことにしました。鳥のホトトギスの羽根によく似た斑点を持った小さな花を咲かせるこの野草、私大好きなもので。 さて、月の手工房をいい気分で堪能した我らが次に向かったのは、このブログではお馴染み、段ボール・アーティストの本杉さんがたむろする「ギャラリー折々」です。ま、ここへは本杉さんの顔を見るために行ったようなものですが、たまたま「島村真司作陶展」というのが開催中だったので、この展示を見たところ、これがまた良かったんですわ。島村さんの陶器もまた伝統的なものの中にモダンさが見え隠れする作風で、私の好みなんですな。 で、一通り展示を見終えた後、ギャラリー併設のカフェで本杉さんの入れて下さるコーヒーとチーズケーキで一息入れながら本杉さんと話をしていたのですが、本杉さんは相変わらず変なことばっかり考えている人で、例の「レモンカレー」に続く新メニューとして「タマネギ丼」というのと「タヌキ丼」というのを考えついたなどと言っておられました。タマネギ丼というのは天ぷらにしたタマネギを丼飯に乗っけ、タレをかけただけのもの、「タヌキ丼」に至っては天かすを載せたご飯に醤油をかけたものらしいんですけど、これがうまいんだそうです。これらを300円くらいでランチメニューに入れたいけど、どうだろう、などとおっしゃっていましたが、本杉さんのお話を聞いていると、そんなものでも何だか食べたくなってくるから不思議です。 でまた、そんな本杉さんのもとに集まってくる人たちも変わった人が多くて、たまたまその時カフェーにいたおっさん二人も、定年後小淵沢でワイナリーを始めたとのことで、5年目にして初めて売り物にできそうなワインが出来たので、そのテイスティングを兼ねて折々を訪ねて来られたらしいんですな。60代と思しきおっさん二人が、自分たちが育てた500本のぶどうから摂れた初めての本格ワインを飲みながら、「これ、いくらだったら買ってくれる人がいるかなあ」なんて相談しているのを見ると、こっちまで楽しくなってきます。「ギャラリー折々」ってのは、そういう愉快な連中のたまり場みたいになっているんですな。私たちもそんな人たちの輪の中に入って、しばし気持ちのひとときを過ごすことができたのでした。*この続きは、すぐ下のブログで!
September 24, 2006
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*上からの続きです。 さて、ギャラリー折々で展覧会とコーヒーとおしゃべりを楽しんだ後、次に我々が向かったのは、甲斐大泉の駅の北の森の中にあるガラス工房「LAMP・YA」さんです。ここは七尾裕子さんというガラス作家の方がやっている工房兼店舗なんです。ちなみにここのガラス細工は「明り」がテーマで、ランプのホヤだとか、キャンドル用の器なんかが中心です。 で、展示そのものも素敵だったのですが、一通り見終わった後、七尾さんがガラスの加工の仕方を説明して下さったのがとても面白かったです。ここでその説明を再現することはできませんが、ガラスの加工ってそうやってやるのか! というのがよく分かりました。私には陶芸家の友人がいるので、陶器の焼き方はよく知っているのですけど、ガラスを炉で焼くというのは、またそれとは違った作業と苦労があるんですな。 で、その後、お茶をご馳走になりながら、七尾さんから色々なお話を聞くことができたのですが、七尾さんはもともと東京の初台のマンションにお住まいで、そこでガラス工芸を始められたらしいのですが、そのうち小淵沢に別荘を持たれるようになってこの地での暮らしを楽しまれ、ついに別荘の隣に工房を建て、こちらでの生活が主になってしまったというのです。七尾さんのご主人は工業デザイナーで、デザインを考えている時は東京にいる必要がない、ということも大きかったようで、実際、2階建ての七尾さんの工房の一階部分はご主人の仕事場なんだとか。 いやあ、いずれは小淵沢周辺に永住をなんて考えている私たちにとっては、参考になるなあ、七尾さんのお話。でまた、七尾さんの方では名古屋では一度も展覧会を開いたことがないとのことで、私たちも名古屋のギャラリーを紹介してあげたりして、双方にとって有意義な出会いとなりました。うーん、こういう出会いこそ、旅の醍醐味だよなあ。 ところで、七尾さんと話していたのは午後4時半くらいでしたけど、この時期、八ヶ岳の麓では、この時間、もう肌寒いほど。日も落ちて段々暗くなってきます。ほんとはこの辺から、七尾さんの作られたランプの明りが一層輝きを増してくるのでしょうけど、旅の身空の我らとしてはそれを見届ける余裕がありません。 ということで、今回の旅はこの辺でタイムアップ。帰りにはいつものように「リゾナーレ小淵沢」の中に入っているお店をちょっと冷やかした後、鉢巻き道路沿いにある「カントリーキッチン」で夕食を食べてから帰宅の途につきました。ちなみに今回は私は「ステーキ丼」を食べたのですが、こいつが絶品! 家内が食べた「ヘルシーハンバーグ」もおいしかったですよ。またこのお店はジャズの生演奏が聴けるところも魅力の一つなんですが、今回ピアノを弾いてくれたのは老紳士で、私たちが会計を済ませていると、優雅な微笑みで「ありがとうございました」という気持ちを示してくれ、非常に気分よく小淵沢最後の楽しみを終えることができました。 さてさて、今回は一泊二日の旅でしたけど、その中でお気に入りの店も増やすことができましたし、この地の地理にも相当詳しくなりました。またここで才能ある様々な人たちと出会うことができたのも大きな収穫でした。そして彼らの多くが脱都会組だったということも、非常に参考になりましたしね。 今回あちこち回ってみて、バブルの頃に作られたと思しき各種施設や美術館があちこちで潰れているのを見ました。しかしその一方で、それとは別な、もう少し地道にこの地に根を張ろうとしている人たちが沢山いることも分かりました。いつの日か、私たちもそういう人たちの一員になることができるかどうかは、まだ分かりませんけど、とにかくそういう夢をますます強固に抱かせてくれるような今回の旅だったのでした。
September 24, 2006
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さて、昨日予告しました「小淵沢ツアー2006・秋」の本編でございます。 まず木曜日。名古屋の自宅を出発したのは10時頃でしたか。名古屋インターから名神・中央と乗って一路「諏訪南インター」を目指します。小淵沢インターではなく、一つ手前の諏訪南インターで下りたのは、その近くにある「にしむら」という蕎麦の名店で昼食をとる予定だったから。何しろ信州は蕎麦どころですから、初っ端からうまい蕎麦を食おうというわけでございます。 ところが、インターを下りてから「にしむら」に向かうまでの道で迷い、時間をロス。ようやく1時半近くになって店に着いた時には、既に「準備中」の札が・・・。オー、ノー! せっかく楽しみにしてたのに~。 仕方なく今日の最初の目的地へ向かうことにし、そこに行く途中でレストランがあればそこで食べることにして、「原村ペンションヴィレッジ」へ向けて車を走らせました。このヴィレッジの中に「スウェーデン倶楽部」という北欧グッズを売る店があるというので、そこを目指したんですけどね。 で、そこへ向かう途中で出くわしたのが「岩田ペンション」というお店でした。このお店、その名の通り基本的にはペンションなんですけど、昼は広いベランダを利用してランチも出しているんです。で、腹ぺこの我ら夫婦はここで昼食と相成った、というわけ。 ところがこれが案外成功だったんです。ここではイタリア・トスカーナ地方で食べられているパンを使った一種のホットサンドに、壺焼きのトマトシチューを添えてを食べさせてくれるのですが、うまかったんですわ、これが。それに緑に囲まれた気持ちのいいベランダで、のんびりランチなんぞをいただいていると、のーんびりしちゃってね。また、ペンションで飼っているおばあちゃん猫が、我々の足元に遊びに来てくれて、猫好きの家内は大満足でしたし。 でまた、ペンションを経営している一家の娘さんが気さくな方で、食後、色々とお話を伺うこともできました。彼女は原村でペンションを経営することにしたご両親に連れられてこの地にやってきて以来、26年間ここで暮らしているのだそうですが、ここでの暮らしにはよいところもあり、不便なところもありで、こういうところでの暮らしに向くかどうかというのは、「冬の暮らしに耐えられるかどうか」が鍵になってくるのだそうです。冬場、観光客もいなくなってぐっと寂しくなり、時に雪に閉じ込められたりした時、あまりの刺激のなさに時間を持て余してしまうような人は、こういう場所での暮らしは向かないので、もしここに永住する気があるのなら、一度冬場に訪ねて来られたらいい、とのこと。 それからもう一つ、標高のことも教えていただいたのですが、原村ペンションヴィレッジのように標高が海抜1300メートルもあるところだと、やはり冬の寒さが厳しいので、できればせめて1000メートルくらいをメドに考えた方がいい、とのことでした。海抜1300メートルというと、植物の成長も遅く、樹木が育つまでにものすごく時間が掛かるのですって。ですから、新しく引っ越して来られた方が、何も知らずにそこにあった木を伐ってしまい、自分の好みの木に植え替えたりすると、その新たに植えた木が「庭木」らしくなるまでに20年以上かかる、なんてこともあるのだそうです。その他、山梨県と長野県の行政管理の違いなどについても貴重な情報をいただくことができ、将来このあたりに引っ越そうと思っている私などには有意義なランチとなりました。いや、満足、満足。 さて、岩田ペンションでおいしいランチをいただいたあと、我々は今日の目的地の一つであるスウェーデン倶楽部を目指しました。北欧デザインの品というのは、我ら夫婦にとって興味津々なので、ね。 ところが、地図上ではすぐ近くにあるはずのそれがなかなか見つからない・・・。変だな、おかしいなと思いつつ、地元の人に道を聞いたりしてようやくのことたどり着いてみると・・・潰れていました。ガイドブックにはスウェーデンの国旗を模して黄色と青で彩られた美しい山小屋風の建物が載っているのですが、我々が見たのは、人の気配なく打ち捨てられ、雨風に晒されて色落ちした残骸だったという・・・。嗚呼、憐れ、つわものどもが夢のあと。多分10年くらい前にオープンした時は、北欧グッズを売る店として頑張るつもりだったのでしょうけど、今ようやく北欧ブームが訪れようとしている時まで持たなかったんですなあ・・・。寂しいことでございます。 仕方がないので、近くにあった小洒落たジェラートの店で、ミルクジェラートを食べちゃいましたよ。 さて、「にしむら」「スウェーデン倶楽部」と、立て続けに予定を外された我らは、それでもくじけずに次の目的地に向かいました。小淵沢と原村を結ぶ「鉢巻道路」沿いにある「鹿の池」です。小さな池なんですけど、ガイドブックによれば、ちょっとした散策もできるし、ボートにも乗れるらしい。それに1時間400円で釣竿も貸してくれるので、釣りもできるんですって。中学生時代に熱中した釣りですが、久し振りに1時間ほど釣りに興じるというのもいいじゃないですか。 と思って意気揚々と鹿の池に到着してみると・・・ボート乗り場閉鎖。釣り禁止。散策路閉鎖。 秋風ひゅるるぅ~。 なんだよ、今日やろうと思って計画していたこと全てが挫折じゃん! 久し振りに鮒とか釣ってみたかったのに~。バブルの頃には盛んだったであろう別荘地の娯楽施設も、バブルと共に崩壊したんですかねー。 しかし、計画していたことがすべてパーになったので、時間が余っちゃったよ、どうしよう。小淵沢周辺って、木曜休みのところが多いので、小淵沢を今から回ってもしょうがないし・・・。 ということで、仕方なく近くにあってほぼ年中無休でオープンしている小淵沢アウトレットで買い物をすることにしました。ま、どんなところなのか、様子見を兼ねて。 で、行ってみると店舗数としてはそれなりにあるアウトレットであることが判明。ですが、どことなく建物が安普請なんですよね。アウトレットってのは華やかに売るからいいので、アウトレットをみすぼらしいところで売ったら、それは単なるゾッキもんじゃないですか・・・。でまた、店員さんの着ているもののセンスがイマイチで、なんか垢抜けない感じです。こりゃ期待薄だなあ・・・。 しかし、一通り見ていくと、インポートものにはそれなりにいいものもあって、家内は「タヴァニティー・ジーンズ」のアウトレット品を7400円で売っていたのを目敏くゲット。アウトレット品と言っても見た目は正規品とまったく変わらないし、元値は3万円近くするものだそうなので、なかなかいい買い物ではありましたネ。なんて言いながら、私もシャツとネクタイを買ってしまったりして。 とまあ、結局二人ともそれなりに買い物を楽しんでしまったわけですが、時間も6時半となり、このあたりでタイムアウト。今日泊まる予定のペンションは、小淵沢ではなく清里にあるので、そろそろそちらに向かって走ることにしました。で、街灯がほとんどない真っ暗な夜道を怪しげな地図をたよりに時々道に迷いながら走ること小1時間。今日の宿となるペンション「ゲストハウス カーリーヴィレッジ」に到着ー。 とはいえ、これで今日の予定がすべて終了、というわけではなかったんです。実は今回の旅では経済性を重視し、ペンションも朝食のみの宿泊プランで予約していたので、荷物を置いてすぐに宿の周辺のレストランを探しに行かなくてはならなかったんですな。 ところが、清里なんて有名な観光地なんだから、夕食を食べるところなんぞいくらでもあるだろうと思ったらこれが大間違い。いや、食べるところはあることはあるのですが、たいていが8時で店を閉めてしまうので、8時少し前に宿を出た我らに残された選択肢は、9時までオープンしているレストランのみ、ということになってしまうわけ。ということで、ほとんど選択の余地のないまま我々が向かったのは、清里・萌木の村の中にあるビアレストラン「ロック」でした。 ま、萌木の村自体は既に何度も行った事があるので、場所自体はよく知っているのですが、ロックで食べるのは初めて。でも、結果からいいますと、なかなか良かったかな。私が注文した「骨つきチキンのロースト、レモン風味」もおいしかったし、家内が注文した「ラムの香草焼き、マスタード添え」もおいしかった。またサイドディッシュとして注文したポテトのグリルもガーリックトーストも、どちらもおいしかった。他の客も少なかったので、のんびり食事ができましたしね。デザートもつけてお腹一杯。うーん、満足、満足。かくして、小淵沢ツアーの初日は終わったのであります。 さて、一夜明けてツアー二日目・・・と言いたいところですが、もう随分長くなったので、二日目の模様はまた明日レポートすることにしましょう。え? ちっとも写真が出て来ないじゃないか、ですって? まあまあ。そのうち、おいおいと・・・。
September 23, 2006
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小淵沢への一泊旅行から先程戻って参りました。今回はプジョー306ではなく、「紅子」ことスバルR2を使ってのドライブだったのですが、軽自動車ながらにアップダウンの多い中央道を果敢に激走してきましたよ。 平地を走っている分には普通乗用車と遜色ない走りを見せてくれるR2。が、さすがに中央道を時速100キロキープで走るのは難しく、特に上り坂で一旦スピードダウンしてしまうと、そこから100キロまで戻すのが一苦労。アクセルを踏めども踏めども加速しないどころか、逆に減速していくという体たらく。オー、ノー! しかし、そこはそれ、レベルの低いところでは低いところなりの切磋琢磨というのはあるもので、車というよりはチョロQに近いちっぽけな「紅子」が、大型トラックや長距離バスと抜きつ抜かれつの激しいデッドヒートを繰り広げ、それはそれでなかなか楽しいドライブとなりました。上り坂で抜かれたトラックを、下り坂を利用して抜き返す、とかね。 それに一旦現地に着いてしまえば、その卓越した小回り性能でどんな細い道でもガンガン入って行ける頼もしさ。そしてもちろん財布に優しい経済性。うーん、軽自動車って、いいなあ! じゃ、その「紅子」でどんなところに行ったのか、ということになるわけですが、今夜はもう遅いので、そのあたりの報告レポートは明日以降ということで。今回の小淵沢ドライブ旅行の顛末を、おすすめのお店や食事処などと共に逐一レポートしますので、おったのしみに!
September 22, 2006
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いや、何だか最近、おかしいなと思ってたんですよ、私のパソコンちゃん。 スパムメールが届くのは前からのことで、これはもうある程度は仕方がないのかなと思って諦めてはいたのですが、最近届くスパムメールがどうも怪しいんです。つまり、少し前に私がパソコンに打ち込んだ何らかの文字列を引用したようなスパムメールが届くようになったんです。 ということは、ひょっとしてスパイウェアが潜んでいるってことか!? 私のパソコンにスパイが忍び込んでいて、私がキーに打ち込む文字列を盗んでいやがるんだな!! くーっ! というわけで、契約しているプロバイダーが提供する常時セキュリティ・システムを導入することにしちゃいましたよ。月400円の余計な出費ですけど、パソコンの中にスパイがいるとなると、なんか気味が悪いのでね。 で、ウェブ上で簡単な手続きを済ませ、最新のセキュリティー・システムを導入したあと、早速スパイウェアのチェックをしたところ・・・ いたいた! 74個も! イメージ的には74「個」じゃなくて、74「匹」のおぞましいバイ菌がゾヨゾヨ蠢いている感じです。うー、気色ワル!! 早速こいつらはすべて「封印」し、さらに毎日定期的に自動チェックするよう、セットしておきましたけどね。ザマミロ。 このブログをお読みの皆さんは、それぞれ周到にウイルス対策をなさっているかも知れませんが、スパイウェアというのは通常の「ウイルスチェック」にはひっかからないものなのかも知れませんので(だって、私のパソコンも直前にウイルスチェックをかけた時は「白」だったんです)、ご用心、ご用心。 さて、実は私、木曜の朝から家内を連れて、小淵沢に一泊旅行をしてきます。その模様につきましては、また金曜の夜、あるいは土曜日以降にアップしますので、乞うご期待です。出来れば少し写真もアップしたいのですが、うまく行くでしょうか。その辺も、お楽しみに!
September 21, 2006
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今日は雑用を片づけに大学へ。 で、いつものように自分の研究室のある研究棟に入ろうとすると、なにやら工事中の模様。ああ、そうか、告知が出ていたっけ。 私の研究室のある建物って、昭和40年代に建てられた時代ものなんです。エレベータはないし、階段はやたらに急だし・・・。しかもこの時代の建物の常で・・・そう、アスベストが随所に用いられているらしいんです。天井とか床とか。で、それを除去しつつ、廊下の床を張り替える工事を夏休み中にやることになっていたんですな。それかあ・・・。 え。じゃ、ひょっとしてこのあたりの空気中にアスベストが飛び散っているのでは? かくして、息を止めて床張り替え中の廊下をダッシュ! が、自分の研究室の鍵を開けるのに手間取って万事休す! 目一杯、空気吸い込む! みたいな・・・。 ま、今まで十年以上、アスベストに囲まれて暮らしていたんだから、今さら、って感じですが・・・。 てなわけで、大学であれやこれやの雑務をこなして帰宅。あーあ、なんか大学に行くとそれだけで一日潰れるなあ。 しかし、家内が作ってくれた今日の夕食は、そんな徒労感を吹き飛ばすほどの出来でした。ビーフストロガノフだったんですけどね。 ま、私が作ったのではないので、大体こんな感じで作ったのだろうと想像するのですが、まずは細い短冊に切ったタマネギと細切りにしたピーマンを炒め、そこに牛肉の薄切りを炒めます。適当に塩・胡椒をしてね。で、そこに生クリームを適当に注ぎ、ついでにブナシメジも入れます。で、ここからが重要なのですが、ここに青カビ系のゴルゴンゾーラ・チーズを適当に入れるんです。チーズは熱ですぐに溶け、生クリームと相まって絶妙のソースとなります。チーズの量はお好みで。 かくして出来上がったビーフストロガノフのうまいこと、うまいこと! 市販のルーなんてお呼びでないって感じです。今日はこれに冬瓜とトマトのコンソメスープとキャベツとニンニクとXO醤の炒めものを付け、パンと白ワインで食しましたけど、ゴルゴンゾーラの風味がワインに合うんだ、これが。そして食後のデザートは、ちょっと和風になってしまいますが、実家からもらってきた梨にしました。これもさっぱりとして、こってりした食事のあとにはちょうど良かったです。 というわけで、おいしい夕食に舌鼓を打ちながら、食欲の秋を実感した私だったのでした。チーズに抵抗のない方、釈迦楽家特製ビーフストロガノフは簡単に作れて非常においしいので、おすすめ! ですぞ~!
September 20, 2006
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今日は名古屋に戻る日。ということで、いつものようにお昼は外食で。 今日は新百合ケ丘のマプレ商店街にあるイタリアンの名店「ラ・カンパーニャ」に行きました。本当は同じマプレ内にあるフレンチの「アンジュ」に行く予定だったのですが、こちらの店は混んでいて、待ち時間が長くなりそうだったので。 もっとも、「カンパーニャ」の方もランチの品切れ気味で、我々の注文した「目鯛のソテー」は品切れ。仕方なく「ベーコンとキャベツとグリーンピースのパスタ」と「ノルウェー産鮭とキノコのクリームパスタ」を注文することに。この店でパスタを食べるのは初めてなんですが、どちらもおいしかったです。特に鮭とキノコのパスタの方は、クリームパスタといえどもホワイトソースがどっちゃりかかっているというものではなく、適度にゴルゴンゾーラの風味の効いたソースがからめてあるだけなので、クリームパスタの苦手な方でもOK。とてもいい線行ってました。 で、今日はこの後あっさり帰宅し、後は荷物をまとめて、紅茶とケーキで軽くリラックスしてから父母に別れを告げて名古屋へ向かって走り出しました。今日の東名はさほどの混雑もなく、相撲放送などを聞きながら4時間きっかりで名古屋到着ー。やはり自分の実家に戻っていた家内と再会ー! さて、今日からまた名古屋ライフ再開です。夏休みもあとわずか。まだまだやろうと思っていたことは沢山ありますので、残りの時間を精一杯楽しむつもりです。それでは、また明日!
September 19, 2006
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今日は都心で学会でした。今回帰省していた主たる目的は、この学会に出席することだったので、とりあえずそのお勤めは果たしたということで。 ま、それはそれでいいんですが、今日、その会場となった大学のキャンパスの近くで面白いものを見ました。道端で雀が遊んでいたんです。 はぁ? と思われたかも知れませんが、その雀、口に何か緑色の虫、多分バッタか蛾だと思うのですが、それをくわえているんです。で、時々おもむろにそれを放すわけ。すると、当然その緑色の虫はパッと飛んで逃げますよね。すると雀はそれを追いかけて、また口にパクッとくわえてしまう。それを何度も何度も繰り返しているんです。 で、時々ほんとに逃げられそうになるんですが、どうにかしてまた捕まえてきて、得意気に首を傾げたりなんかした挙げ句、しばらくするとまたパッと放すんです。まさに猫が捕まえたネズミを弄ぶような感じなんですが、何せ虫も飛ぶし雀も飛ぶので、両者の追いかけっこはちょっとした空中戦になるわけですよ。それが実に楽しそうだし、見ていても実に面白い。 ところで、この雀と虫の追いかけっこを見て私が驚いたのは、これとまったく同じ光景を、昨日も別な場所で見たからなんです。昨日、恩師の家に車で向かう途中、やはり雀が緑色の虫を捕まえたり放したりして遊んでいるのを見かけたんです。 ひょっとして、この季節の雀の遊びの定番なんでしょうか、これ? それとも雀界における最近の流行り? 私が目撃した2回とも同じ緑色の虫と遊んでいましたけど、雀の世界では「やっぱり、遊ぶなら緑色の虫だよね」などというきまりがあるのかしらん? そんな光景、私も見た!という方がいらっしゃいましたら、ぜひご一報下さい。 さて、学会がはねたあと、今日は学会仲間とどこかに食べに行くということはしないで、実家に帰って家で夕食をとることにしました。そこで、どうせならお土産でも買っていこうと思い、帰りがけに新宿の小田急デパートの地下食料品街で「銀ぶ ロールケーキ」というのを買ってみました。「銀ぶ」というのは「銀のぶどう」の省略なんだそうです。 で、夕食後、これを家族皆で食べてみましたけど、生クリームとカスタードクリームが入ったシンプルなロールケーキで、スポンジ(カステラ)生地もしっとりとしていてやわらかく、なかなか結構なものでした。このところすっかりロールケーキ評論家となっている私ですが、その厳しい目から見ても高得点ものでございます。「銀ぶ」のロールケーキ、教授のおすすめ!です。 それに、いつも言いますが、私は「ロールケーキを食べると金運アップにつながる!」という信念の持ち主ですからね。近々、小金が入って来ないとも限りませんゾ、楽しみ、楽しみ・・・。 さてさて、このところ東京の実家からお届けしてきた「教授のお気楽日記」ですが、私の東京暮らしも今日でおしまい。明日はまた名古屋に戻ります。明日からはまた名古屋から様々な話題をお届けしますので、お楽しみに! それでは、また。
September 18, 2006
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今日は大学時代の恩師S先生を訪ねて、調布市深大寺まで行って来ました。長い休みで実家に戻っている時は、必ず一度は先生のもとを訪ねるのがならいになっていますので。 S先生は、私の指導教授であったO先生の招きで他大学から講師として週に一度、私の通う大学に教えに来ていただいていたのですが、S先生の授業を受けてその学問とお人柄に惚れ込んだ私は、大学時代はもちろん、院生時代の5年間もずっとS先生のもとに通って読書会の指導をしていただいていたんですな。ですから私の大学・大学院時代は、O先生とS先生と、いわばお二人の先生に師事していたようなものだったんです。 その後、O先生は今から13年ほど前、60代後半という若さでこの世を去られましたので、今や私にとって本当の意味での「先生」は、もうS先生お一人になってしまいました。そのS先生が、80歳の齢を重ねられてなお、日々営々と研究・文筆活動に携わっておられることが、私にとっては何よりの励みになり、また心の中で額づきたくなるような気持ちになります。 と言いましても、私は別にS先生の前で畏まってばかりいるわけではありません。私は子供の頃から年上の人の話を伺うのが大好きなので、40歳ほど年上のS先生と一緒にいてもまったく堅苦しさを感じたことはなく、時候のご挨拶の後、ぼちぼちと私の近況を報告しているうちに、そこからどんどん話題が広がり、3時間、4時間はあっという間に経ってしまいます。 今日もまずは私の近況として、最近イタリア語を勉強し始めたという話になり、「スパゲッティ」とは「細い紐」の意であるというような語源の話をして自慢をすると、それに対してS先生もそれを言うなら「マカロニ」というのはギリシャ語起源であって、もとの意味は「幸いである、祝福された」ということである、などと応戦。「食べ物に福々しい名前がつくとは、これ如何に?」と私が問うと、「日本語でも『大福』『福神漬』などと言うが如し」と返されるなど、丁々発止のやりとりとなりました。 で、さらに私が、このところアメリカのベストセラー小説を継続的に読んでおりまする、これがなかなか面白くて・・・と自慢すると、S先生すかさず「それならポール・オースター(Paul Auster)の『The Brooklyn Follies』などはどうだ、最近読み終わったが面白いぞ」と受けられ、今度はひとしきり文学談議に花が咲きます。 うーん、やはり先生には太刀打ち出来ない・・・。 しかし、そうやって私が自分の思うように話をして、それを上手に受けて下さる先生がいる、というのが、これが何とも楽しい時間なんですよねー。もう最初っからかなわないと分かっているので、楽しい話からつらい話まで、先生の前なら何でも話せるというところがある。先生のお宅を後にする時は、いつも何か心身共に浄化されたような心持ちになれるんです。でまた、先生の奥様がまた、いつも突然お邪魔する私を暖かく迎えて下さるので、奥様にお目にかかるのも楽しみの一つなんですな。 ということで、今日の午後は半年ぶりに恩師ご夫妻にお目にかかることが出来、いつものようにいい気分で帰路についた私だったのでした。今日も、いい日だ。 ところで、今日は連休の中日ということで、久し振りに週末アフィリエイトといきますか。フリーページの「教授のマスコット」で扱っている商品を先日総入れ替えしました。今回はドイツのメーカー「トロイカ」のキーホルダー特集です。キーホルダーなんてのは実用的な品ではありますが、実用的なものであるからこそ、そこにちょっとした洒落を忍ばせたいもの。男性用・女性用取り揃えておきましたので、興味のある方はぜひ一度、下の文字列をクリックしてみて下さい。ここをクリック! ↓教授のマスコット
September 17, 2006
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実家に居られる時間も限られてきたので、今日の私は「ハンディマン」と化して、家中の「困った」を直して回りました。 で、まず最初は母に頼まれていた除湿器のフィルター交換。なにやら「交換時期」のサインがやたらに点灯するので何とかしてくれというので、フィルターを引き出してみてびっくり。フィルター一面に埃がびっしりとついて、まるでフェルトのようです。ひゃー、これじゃあ機械が悲鳴を上げるわけだわ・・・。 そこでとにかく埃を落して枠を水洗いし、新たなフィルターをセットして交換完了。除湿器もスムーズに動き出すようになりました。やれやれ一丁上がり! 次。今度は父に頼まれて画像レタッチソフトの使い方指導。デジカメで写真を撮るのが趣味の父ですが、撮った後、プリントする時に修正を加えたい時があるらしいんですな。で、先日、専用のレタッチソフトを買ってきたものの、使い方が分からん、というわけです。ま、もちろん私自身、決して機械に強いわけではなく、自分でもレタッチソフトなんか使ったことないわけですけど、ま、親父よりは詳しいかな、と。 で、実際に見てみると、父もソフトをインストールするところまでは出来ています。じゃ、あとは使うだけなんですが・・・、うーむ、確かにうまく動きません。こうすれば、こうなるはずというだけなんですが、なかなかいう事を聞いてくれない・・・。 かくして奮闘すること1時間。私の出したとりあえずの結論は、「ウィンドウズ98SEのマシンで、このソフトを動かすにはパワーが足りな過ぎる」ということでした。ひょっとするとそうじゃないかも知れませんが、そういうことに決めつけます。 しかし、父がレタッチソフトを使ってやりたいことなんぞ、「明るさ調整」「コントラスト調整」くらいなもんだよな、と思ってごちゃごちゃやっているうちに、見つけましたよ、いいソフトを。インターネット上でただで入手できるレタッチソフト、「JTrim」です。 で、これがまた軽いソフトらしく、さくさく動くし操作も簡単。父がやりたいと思っているようなことなら、こいつで簡単にできることが判明。これだよ、これ! で、これを入手し、実際に動かしてみて、父のお悩みも解決! もっとも、「ただで使えるソフトがあるのに、大枚8000円も出して使えもしないソフトを買ってしまった・・・」という別なお悩みを与えてしまったようですが・・・。 しかし、こんな優れたソフトがあるのなら、私だって使わない手はありません。早速私も自分のコンピュータ用にダウンロードしてみましたが、おお! ウィンドウズXP2で使えば、さらにさくさくと動くではありませんか! なるほど、友人たちが時々面白く加工した写真を送ってきたりするのは、こういうソフトを使っていたわけね・・・。 うーむ、やっぱり情けは人のためならず。今日は人助けをしている間に、自分にとってもタメになるものを得てしまったのでした。この画像レタッチソフト「JTrim」、手軽にダウンロード出来ますし、操作法も簡単ですので、私のように機械オンチの方もぜひ一度お試し下さい。「ヤフー」などの検索ソフトで「JTrim」と入力すれば、ダウンロード・サイトが分かると思いますよ。教授のおすすめ!です。 それにしても、父のウィンドウズ98パソコン、そろそろ寿命だなあ。今やコンピュータの処理能力が各種ソフトの重さに耐えかねているようで、起動するだけでも3分くらいかかっています。第一、98用のソフトそのものがないもんな・・・。「だって、このコンピュータ、ついこの前買ったばかりだよ」という親父を説得するのは、なかなか骨が折れそうですけどね・・・。
September 16, 2006
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今日は、また例によって両親を連れて箱根・湿性花園に行って来ました。 今日は時々曇りがちながら時には太陽も顔を出す一日となりましたが、さすがに箱根は寒い、寒い。とても半袖ではいられず、カーディガンなどを羽織らないと過ごせないほど。 で、いつものように湿性花園入り口にある洋食店「グレイン」でおいしいランチをいただいた後、湿性花園に入りました。 いやー、山の上はもうすっかり秋でしたよ。湿性花園の草花も秋一色。撫子、桔梗、黄色がまぶしい女郎花、曼珠沙華も既に咲いていました。それからアザミね。山萩、ミソハギ、ホトトギス。秋の草原を濃いピンク色に染める浅間フウロ。それから青紫のリンドウに真紅のワレモコウ。薄紫の松虫草。私の大好きな沢桔梗。そして仙石原を代表する植物としてのススキ。その他、数えきれないような初秋の植物たちが美しくも儚げに咲き揃い、秋の野山を可憐に、しかしどこか寂しげに彩っておりました。秋ですなあ・・・。 ほんと、箱根・湿性花園は四季折々、いつ来ても気持ちのさっぱりするところです。 で、ここの楽しみの一つは、園内で売っている各種鉢植えを見ることなんですが、今日は「黄色トラノオ」の鉢を一つ、530円で買い求めました。トラノオというとピンク色の花を咲かせる野草のイメージがありますが、これは低木のような感じで、庭に植えれば毎年咲くのだそうです。今日買ったのは、まだ上の方に蕾がたっぷり残っているので、今年もまだしばらくは我々の目を楽しませてくれそうです。 さて、湿性花園散策を堪能した我ら親子が次に向かったのは、湿性花園から車で5分ほどのところにある喫茶店の「Hill Top」。インターネットで調べたら、ここはオーナーのご自宅を喫茶軽食の店にしているようで、ちょっと興味があったので、ね。 で、実際に行ってみると、なるほどこれは「店」というよりは「ご自宅」ですわ。ログキャビンの一階を喫茶・軽食の店に改造してあるんです。ですから、何だか人の家に呼ばれたような感じです。 メニューは少なくて、コーヒー、紅茶の類の他には、カレーとかカツサンドとか、その程度しかありません。ケーキもないんです。でもコーヒーを注文するとごく簡単なおつまみがつきます。ですから、この店は家庭的な雰囲気の中でコーヒーやら軽食を食べる、というところなんです。そう割り切れば、結構のんびりと楽しめますよ。 で、オーナーのご夫妻にちょっと話を伺ったら、もともとは本厚木の方でご主人がサラリーマンをやっていらしたのですが、都内にお住まいだった親御さんが亡くなったのを機に、その家を売り、そのお金で箱根に山荘を建て、ご主人の定年と同時にご夫妻でこちらの山荘に定住されたのだとか。ご夫妻にはお子さんはなく、本厚木の家は今は人に貸しているのだそうです。ちなみに、ログハウスは「ビッグフット」製でした。 ローンもなく、年金と家賃収入があれば、あとは人づきあいの楽しみと収入の足しになることを兼ねて、この地で喫茶店を開く、なんてのは、面白い老後の過ごし方かも知れませんな。なーんて、自分の老後のことと重ねて、参考にしてしまったりして。 さて、ここでコーヒーを飲んで一息ついた我らはそこから一旦元箱根に出て土産物を買ったあと、もう一度湖尻に戻り、そこから「芦ノ湖スカイライン」を通って芦ノ湖を一周しました。この芦ノ湖スカイラインの途中には、富士山の裾野から相模湾にかけて一望できる眺望抜群の「三国峠」というところがあり、ここでしばし絶景を堪能してきました。もう夕方になって風が冷たかったですけどね。 そして元箱根から箱根新道・小田原厚木道路・東名と通って我が家へ。途中、新百合ケ丘のいつもの蕎麦屋で夕食もとりつつ。 今日はそんな感じで、箱根の秋を満喫してきました。父には写真撮影の楽しみを、母には俳句の句材を提供できたので、少しは親孝行にはなったかな? ま、普段は名古屋にいて、なかなか親孝行の機会もありませんので、少しでも罪滅ぼしができたのなら、「今日もいい日だ!」と言っておきましょうか。
September 15, 2006
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今朝の新聞に「荒れる小学校」というテーマの記事が一面・三面に大きく掲載されていました。 それによると、今や小学校の先生が生徒に暴力を振るわれるケースが年間460件もあるんだそうですね。先生が生徒を、ではなく、小学生が先生を殴るんですよ・・・。 あるケースでは、椅子の並べ替えを指示したの無視した小学校高学年の女の子に先生(女性)が注意したところ、その女性徒は椅子を蹴り倒し、「うるせー!」みたいなことを言ってすごんだとか・・・。 またあるケースでは暴力をふるった男子生徒の腕をつかんで先生を注意したところ、「殴れるなら殴ってみろ、教育委員会に言って首にしてやるからな!」とほざいたとか・・・。 またまたあるケースでは、小学校5年生の生徒同士の喧嘩の仲裁に入ったら、「テメーは引っ込んでろ!」と殴られたとか・・・。 もう世も末ですな。 でまた、「誰々君・誰々さんにやや粗暴な面が見られますので、そのあたりを少しご家庭でも注意しておいていただけると・・・」なんてPTAの会合か何かで報告しようものなら、今度は親から「不当な個人攻撃だ!」などとつるし上げられるってんですから、もう先生方としては泣き寝入りするしかない。実際、今どきの小学校の先生は、生徒が言うことを聞かなくても、「○○さん、今日はちょっと疲れているんですねー」などと言ってご機嫌をとりつつ、触らぬ神に祟りなしで済ませるのですって。 戦前は「聖職」だった教師稼業も、今やこのざまですわ。もう先生になる楽しみなんてないな。 こういう状況を見れば、 日本の教育を根本から変えないとまずいんじゃないかと思いますけど、今日の夕刊によると、次期首相の呼び声の高い安倍晋三氏の教育改革の大方針は、大学入学時期を9月に変えることだとか。え? もしもし? そこを変えるんですかい? で、高校卒業から大学入学までの半年間は、奉仕活動させるんですと・・・。 日本の政府ってのは、この「奉仕活動」ってのがよほどオールマイティな特効薬だと思っているんでしょうな。奉仕活動さえさせれば、性根の腐った奴も少しは世間のことが分かってシャンとするだろうと、本気で思っているみたいですね。私、職業柄、教員免許のことには詳しいのですが、日本の教員の質が落ちている、と言うことになった時に、文科省が最初にやったのは「介護施設などでの奉仕活動」を教員免許をとるための必要単位に組み込む、ということでしたからね。 わずか1週間だか2週間、おじいちゃん・おばあちゃんの介護するだけで、教員の質が上がると思っているんだから笑わせてくれますけど、文科省は笑ってないどころか大真面目だし、うむを言わせず諸大学に命じてそれをやらせているんですから、役人の考えることってのはおっそろしいものでございます。 ま、生徒の問題を解決するには、その前に親を教育しなくちゃいけないっていうのがあるので、そう短期間に改善する方法があるとは思いませんが、それにしてもさしあたり「学校の権威」「教員の権威」というものを示す方法を検討しないとまずいんじゃないかと思うんですが。もちろん、「大学9月入学」制度なんてことより、もっと先に、ね。 ちなみに、ワタクシになんでもやらせてくれるのなら、「法廷侮辱罪」みたいなのを教育現場にも応用し、「教室侮辱罪」というのを作って、教員に不当にたてついた生徒や親は処罰の対象にする、というような方法を実行しちゃいますけど。ついでに小学校の校長先生には「教育的体罰権」もドーンと与えちゃいましょう。先生ってのは偉いもんで、おまけに怖いもんだという認識こそが、教育の原点になってないと、何をするにしても示しがつきませんからね。 でも、そういうのに反対する人は沢山いるからな・・・。難しい問題ではありますな。閑話休題。 さて今日の私ですが、別にすることもないのでしっかり勉強しております。おりますが、そこはそれ、少しは息抜きも必要。ということで、昼食後、車で5分ほどのところにある古書店に行き、『エスクワイヤ』誌のバックナンバーで面白そうなのを2、3冊見繕って買ってきました。イタリア・トスカナ地方のスローフードの話題、北欧のライフスタイルの話題、ニューヨークにおけるアートシーンの話題などが載っていて、なかなか面白そうです。これらを時々パラパラとめくりつつ、今日はもう少し仕事をしますか。それでは、また!
September 14, 2006
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週末に東京で学会があることもあり、東京の実家に戻っていますが、今日は町田にある「国際版画美術館」で開催されている「版画の青春:生命を描く、大正期『月映』TSUKUHAE の時代」展を見てきました。 『月映』(つくはえ)というのは、大正時代に恩地孝四郎、田中恭吉、藤森静男という当時の若手版画家3人が協力して発行していた版画と詩の雑誌です。彼らは「貧しさ」や「病による死」といった迫り来る恐怖を、耽美的・象徴的・ロマン的な表現法の中に昇華しようとしたアーティストたちであり、創作版画という概念を定着させるのに非常に大きな役割を果たしたと言っていいと思いますが、今回の展覧会ではこの三人の『月映』時代の作品を中心に、同時代の画家たちの版画作品も含めて展示してあります。版画好きの私には、たまらない展覧会です。 で、実際に見てきた感想ですけど、なかなか良かったですよ。田中恭吉の『冬虫夏草』であるとか、藤森静男の『影』のように既に何回か見た作品もありましたけど、いいものは何度見てもいいですからね。 で、あらためて三人の版画を見ると、恩地孝四郎の作品というのは、他の二人と比べるとちょっと異質ですね。より抽象性が高いといいますか。ま、私の好みから言いますと、田中・藤森の方が少し上かな・・・。しかし、この三人についてはどの作品もとても良かったし、量的にも展示室二つ分ですから、見応えもありました。 ちなみに今回の展示では、彼らの同時代人として香山小鳥、山本鼎、織田一麿、岸田劉生、長谷川潔、平福百穂、南薫造などの諸作品があり、私の目を楽しませてくれました。またイギリス人の版画家で、日本の芸術・文化、特に白樺派の人たちに大きな影響を与えたと言われるバーナード・リーチの作品も何点かありましたが、これもなかなか良かった。一方、橋口五葉だとか伊東深水といったあたりの浮世絵的な画風の作品となりますと、私の趣味からはかなり外れていました。 ま、その辺は好みの問題ということになるわけでしょうが、私思いますに、少なくとも「木版画」に限って言えば、単色のもの、あるいはせいぜい2色刷り程度のものに味わいがあるような気がしますね。もともと版画ってのは精密さよりも象徴性の方に重きを置くので、あまり多色刷りだとかえって象徴性を薄めてしまうんですよね。伊東深水なんかの浮世絵風の版画がなーんとなく下卑た感じがするのは、その多色刷りのけばけばしさのゆえかも知れません。 で、一通り「版画の青春」展を見終えた後、常設展の方も見たのですが、今回はこの常設展の方も気合が入っていましたねえ。二部屋が常設展に当てられていたのですけど、片方はほとんど長谷川潔と駒井哲郎の二人展でしたから。長谷川潔の初期の作品なんて、なかなか良かったですよ。それからもう片方の部屋は、外国のアーティストの作品が並べられていて、たとえばデューラーの作品なんかもありましたけれど、ざっと流して見ていながらも、ピタリと私の足が止まってしまうのは、ムンクの作品、ピカソの作品、エゴン・シーレの作品、デイヴィッド・ホックニーの作品の前でしたね。これは単に彼らの作品がすごいからなのか、それとも古いヨーロッパの精密な銅版画を味わうための素養が私に欠けているからなのか、よく分かりませんが、多分後者なんでしょう。仕方のないことでしょうが、近代以前というのは私にはあまりピンとこないんですな。 ま、それはともかく、町田市立国際版画美術館における「版画の青春」展、私は十分に満喫して参りました。この展覧会は9月24日(日)まででおしまいなのですが、東京近辺にお住まいの方で、版画好きの方にはぜひおすすめいたします。入場料も一般400円、大学生200円と格安ですぞ!
September 13, 2006
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『おじゃる丸』の作者、漫画家の犬丸りんさんが亡くなってしまいました。享年48歳。私、『おじゃる丸』好きだったのに・・・。特に電気ホタルの「電ぼ」が・・・。どうでもいいことですが、ワタクシ、電ぼの真似、上手なんです。甲高いファルセットで「おじゃる様、申し訳ございません、私がついておりながら・・・」とか言うわけ。すると、おじゃる丸の真似が上手い私の姪が「もうよい。よいのじゃ・・・」などと応じる・・・。 ホント、どうでもいいですね。 ところで、犬丸りんさんが亡くなったのは、作品が書けなくなったことを苦にしての自殺と報道されています。それを聞いて、私、ははーんと思いましたよ。 もうかれこれ2、3年前になりますか、犬丸さんの漫画が、我が家がとっている某Y新聞の日曜版に隔週連載されることになったんです。『桃太郎ぽけら異聞 ももぺ』というタイトルでね。なにしろ世界最大の発行部数を誇るY新聞ですから、これは漫画家としてなかなかの大仕事だったはず。 で、『ももぺ』というのは、そのタイトルの示す通り、民話の「桃太郎」の現代版なんですね。何だか正体不明の「ももぺ」という生き物が桃から生まれ、どうやら鬼退治をすることになるんですけど、その一方でライバルの「桃次郎」という奴がいる。でその桃次郎には、我こそ真正の現代版桃太郎なのであって、鬼退治の偉業を成し遂げるのは自分だ、という自負がある。で、どちらが本物の桃太郎かということを巡ってモモペと桃次郎の間で「十番勝負」が行われる、みたいな筋書きなんです。 「桃太郎」という古い物語を現代に面白おかしく蘇らせようという点では、『おじゃる丸』と同じわけで、言うなれば犬丸りんさんの得意分野と言えましょう。 ところが、実際には『ももぺ』は大失敗作になるんですな。 あまりの失敗作ぶりに、逆に私も興味津々で、隔週毎の連載を楽しみにしていたのですが、その都度、「あ~・・・、今週もまたやってしまった・・・」と思わず溜め息が出るほどの無惨さでした。少なくともY新聞の日曜版をめくる老若男女にはとうてい通じないだろうと思われる低空飛行なギャグの連発。作者自身も手がつけられなくなっているのではないかと疑わせるほどの、散漫なストーリー展開。どういう笑いを狙っているのか、よく分からない漫画でした。隔週で連載されるもう一方の漫画がけら・えいこさんの『あたしン家』で、こちらが第二の『サザエさん』的な扱いでテレビアニメ化されるほどの人気を保っているのと比べ、『ももぺ』の低調さは気の毒なくらい際立っていたんです。 そして、いつの間にやらの連載中止。作者が予告していた「十番勝負」のうち、三番目が登場するかしないかくらいの時点での打ち切りは、「やっぱりな・・・」と思わせるだけのものではありました。 もっとも、先にも言いましたように、我が家では逆にそのあまりに低調なギャグが大受けで、『ももぺ』が掲載される度に、「今週の『ももぺ』読んだ?」ってな感じで、家内と共に大笑いをしていたものでございます。ももぺは、桃から生まれているだけに、「モモ」とか「モ」という音が好きらしく、どんな言葉にも「モ」音を入れるんです。ですから、普通の人が「ふぅ~」と溜め息をつくような時、ももぺは「ふもぅ~」と言うんです。あるいは人が落ち込んで「閉じこもる」場合、ももぺは「もじこもる」んですな。こういう「ももぺ語録」のいくつかは、我が家ではいまだに生きております。 そんな感じで我が家では大受けだった『ももぺ』ですが、連載途中で打ち切られたあの作品を読む限り、犬丸りんさんが行き詰まっていたことは容易に伺えました。そして、この度の自殺報道・・・。 思えば漫画家という職業も、厳しいもんですな。自転車操業のように、次から次へと新しいアイディアを出していかないと、すぐに飽きられ、仕事が無くなってしまう。でまた大仕事の連載を抱えていても、それが不評だったりした場合、それはそれで針の筵に寝かされているような感じなんじゃないでしょうか。そういうのに耐えていかなければならないのですから、クリエイティヴな仕事をしている人たちの世界というのは、厳しい、厳しい。 で、その厳しい環境に耐えきれず、犬丸さんが自らの命を断ったということなのであれば、本当にお気の毒としか言い様がないですなあ。 ところで、この「仕事上の行き詰まり」ということに関して、私には一つ思い出すことがあります。数年前、停年退官で大学を辞めていったある教授が、その退官の挨拶の時に、「凡庸な研究者は、専門を2つか3つ、持っていた方がいい」ということをおっしゃったんです。その先生曰く、「優れた学者なら、一つのテーマを突き詰めて研究するのもいい。しかし、私を含めた凡庸な学者がそれをやると、いつか行き詰まって苦しい思いをする。だから研究テーマを2つか3つ持っておいて、一つが行き詰まったら別の奴を、それも行き詰まったらもう一つ別の奴を研究するといい。それにそういうことをぐるぐるやっていると、いつしか最初の研究の行き詰まりが、意外な方面からほぐれることがある。私自身も、何度かそういう経験をした・・・」。 私はこの先生の言葉を時々思い出し、事実、行き詰まり回避のための逃げ道をいくつも作ってあります。 職業が違うので、類推の範囲を超えるものではありませんが、犬丸さんにも、そういう逃げ道があれば、死ぬことはなかったのではないかなあ・・・なんて、ちょっと思ったりして・・・。もちろん、悩みの渦中にいる間は、そういう逃げ道が見えなくなってしまうのでしょうが。 とにかく、「創作」という崇高な仕事に従事され、その中で苦悩しつつ、その果てに死を選んだ方として、また少なくとも我が家にいくつかの流行語まで残した『ももぺ』の作者として、犬丸りんさんのご冥福をお祈りしたいと思います。合掌。*『ももぺ』は、その後単行本化されています。と思ったら、絶版らしい・・・。果たして十番勝負の行方や如何に? もはやこの漫画は、伝説ですな・・・。 ↓ももぺ
September 12, 2006
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昨夜、F1・イタリアグランプリの後の記者会見で、優勝したフェラーリのミハエル・シューマッハ選手が今期限りでの引退を発表しました。 優勝90回、7度の世界チャンピオンに輝き、出走回数以外のすべての記録を塗り替えて、F1史上最強ドライバーの称号をほしいままにしてきたF1界の皇帝が、ついに檜舞台から去っていく・・・。 来シーズンからワタクシは一体誰を応援すればいいのでしょうか・・・。ガックリ・・・。 今から十何年か前のこと、シューマッハは現在のルノー・チームの前身である「ベネトン」というチームで、F1でのキャリアを歩み始めました。確か当時のF1はエンジンの形式が多様で、フェラーリのようにV型12気筒エンジンを使っているところもあれば、ベネトンのようにV8エンジンを使っているところもあった。両者は音が全然違うんです。フェラーリやホンダの多気筒エンジンが、魔物がむせび泣くような甲高く澄みきったエンジン音を響かせていたのに対し、フォードV8エンジンは、これがまたドロドロとした泥臭い音で、カッコ悪いったらなかった。ところが、当時バリバリの若手だったシューマッハは、その泥臭い非力なエンジンで次々と勝利を納めていったんですな。そしてそれは、当時のF1界の王者だったアイルトン・セナを焦らせるに十分な戦績だったんです。 そしてそんな中、あるレースの最中に、若きシューマッハの猛追を受けたアイルトン・セナは、ステアリング操作を誤り、コースアウトしてウォールに激突、無念の死を遂げ、そのシーンを目の前で見ていたシューマッハはそのレースを勝利で飾ったばかりか、その年の年間王座も獲得することになったのでございます。スポーツ界の新旧王者の交代が、前王者の死と、それに代わる新王者の優勝という、これ以上ないほど劇的かつ暴力的な形で行われた例を、私は他に知りません。 そしてその後シューマッハはベネトンチームで2度の世界王者となった後、当時落ち目のフェラーリに移籍し、ボロボロのチーム体制を建て直すところからはじめて、ついに2000年から5年連続してチャンピオンとなったのでありました。特に2004年シーズンは16戦中13勝を挙げるという圧倒的な強さで「F1をつまらなくした元凶」とも呼ばれましたが、しかしそれはもともと落ち目だったフェラーリを常勝チームに仕立て挙げた彼の功績を忘れた物言いと言わざるを得ないでしょう。 弱いチームを強くして勝つ。一言で言えば、それがシューマッハでした。 ところが昨シーズンのフェラーリは、18戦中わずかに1勝しかできないという大スランプに陥ります。ま、昨年のブリジストン・タイヤの性能が、ライバルチームの使うミシュラン・タイヤと比べて劣っていたというようなことも言われましたが、その時代の自動車技術の粋を集めて作られているF1マシンの場合、ちょっとしたバランスの悪さが決定的な性能差になって表れてしまうので、さしもの常勝フェラーリといえども、常に完璧であり続けることはできなかったということなのでしょう。 それにまた強力なライバルの出現ということもありました。昨年のチャンピオンとなったルノーのフェルナンド・アロンソ選手は、ちょうど若き日のシューマッハがアイルトン・セナを追い詰めたように、冷静かつクレバーな走りで機敏なルノーのマシンを自在に操り、パワーに優るシューマッハのマシンを蹴散らしてみせた。 そして今シーズン。フェラーリの復活が言われながらも、オープニングの数戦はルノー・アロンソの圧勝が続き、いよいよシューマッハの進退も極まったかという感じでしたが、その後、ブリジストン・タイヤの頑張りもあってシューマッハも勝ち始め、両者の攻防は一進一退。昨日のイタリア・グランプリでシューマッハがアロンソに並ぶ今シーズン6勝目を挙げ、チャンピオン・ポイントも108対106とわずか2ポイント差まで追い上げてきた。 で、自力優勝の可能性が、つまり8度目の世界チャンピオンがいよいよ現実のものとして見えてきたまさにこの時点で、シューマッハは自ら、今シーズン限りでの引退を発表した、と・・・。生きた伝説・皇帝シューマッハの走りが見られるのも、あと3回ということになってしまった・・・。そしてその3回に、シューマッハ対アロンソの新旧王者対決の行方がかかっている!! もう、スゴ過ぎ・・・。 ま、「巨人・大鵬・玉子焼き」じゃないですけど、いい歳こいて史上最強ドライバーであるシューマッハを応援するなんてのが子供染みているのは分かっているんです。しかし、相撲界に千代の富士なき後、精根込めて応援してきた唯一のスポーツ選手であるシューマッハの引退表明を聞いたワタクシの心は、昨夜から千々に乱れております。もうズタズタのボロボロです。 こうなったアカツキには、シューマッハ様には残りの3戦ですべて勝利を納め、前人未到の8度目の世界王者となってから引退していただきたい! 世界中のすべてのティフォシと共に、釈迦楽の心はこのこと一つにかかっております。次は10月1日の中国グランプリ。奇しくもワタクシの夏休み最後の日ではありませんか。その日、その夜、私の目は悔し涙にくれるのか、歓喜の涙にむせぶのか。今からドキドキして眠れない私なのでありました。
September 11, 2006
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ちょっと前のこのブログで、イタリア語を少し勉強してみようかと思っている、というようなことを書きましたが、その方向の独習本でいいのを見つけました。郡史郎(こおり・しろう)さんの『はじめてのイタリア語』(講談社現代新書)です。 私はこの本をざっと一通り読み終え、今、もう一度ゆっくり読み直しながら復習しているところなんですけれど、イタリア語って、面白いですよー。 まず発音が簡単。発音の規則に例外が少ないという意味ではフランス語もそうですが、日本人にとって発音しにくい単語が多いフランス語に対し、イタリア語はほとんどローマ字読みですからとっても気楽。 それから私が一番驚いたのは、イタリア語における疑問文の作り方。英語だとYes-No疑問文を作る時に主語と動詞の順序が逆になったり、助動詞を文頭に出すじゃないですか。フランス語もそう。ところがですね、イタリア語の場合、疑問文は平叙文にクエスチョンマークを付け加えるだけなんだそうです。で、発音する時に語尾を「疑問」っぽく上げる、と。ただそれだけ。その点では日本語とよく似ていますね。たとえば「一緒に行く」という平叙文と、「一緒に行く?」という疑問文を考えてみた場合、違いはクエスチョンマークがあるかないか、発音の際、語尾を上げるか上げないか、でしょ。イタリア語も、それと同じで、Compri una giacca.(=あなたはジャケットを一枚買う)という文のお尻に「?」マークをくっつけ、Compri una giacca? とし、語尾の発音を上げるだけで、「あなたはジャケットを一枚買いますか?」という意味になるんです。 ま、大体、主語と動詞の順序を逆にしようにも、そもそもイタリア語では主語を言わないことが多いんです。主語を言わなければ夜も日も明けぬ英語とは、そこのところがぜんぜん違う。逆に、感覚的には日本語に近いと言っていいかな? とはいえ、今「日本語に近い」と言ったのは、ごく表面的なことを言っただけなんです。イタリア語の場合、動詞の格変化がきちっとしてますから、主語を言わなくても何(誰)が主語か分かるんですね。ですから、先の例で言えば、「compri」というのは「(あなたが)買う」という意味なのであって、「私はジャケットを買う」と言いたいのなら、「compri」を「compro」に変え、「Compro una giacca.」と言わなくてはならない。ですから、一つの動詞を覚えるにしても、一人称単数・複数、二人称単数・複数、三人称単数・複数の6通りを覚えなくてはならない。 しかもそれは「直接法・現在形」だけの話で、直接法の範疇だけでもその他に「近過去」「半過去」「大過去」「遠過去」「先立過去」「未来」「先立未来」というのがあり、その他にも「条件法(過去・未来)」「接続法(現在・過去・半過去・大過去)」「命令法」があります。つまり、一つの動詞には全部で6×15=90通りの変化があるっちゅーことですね。そう考えれば日本語とは大違い。ま、そうは言っても日常的に使う形はもっとずっと限られているので、実際にはそれほど大変なことではないみたいですけどね。それに、動詞の格変化自体にも一応規則性があるので、コツさえ覚えれば、何となく分かっちゃう感じもします。 それにしても、こういう格変化の多い言葉と比べると、その点に関しては英語は楽なもんですよね。ほとんど格変化がない、というだけでも、英語が国際語に選ばれる理由にはなりますな。ただ、格変化がない代わりに、英語では語順が重要になってきたんですけど・・・。 ま、ちょっと脅かしてしまいましたけど、そういう格変化の難しさはあるとしても、イタリア語って面白いです。そして、この『はじめてのイタリア語』という本にはイタリア語の初歩の初歩がとても分かり易く書かれているので、一番最初に取り組む本としては最適なのではないかと思います。この本でイタリア語の基本を学んでおいてから、口語会話の教則本か何かをやれば、すごくいい組み合わせになるのではないか知らん。 でまた、この本は単にイタリア語の文法などを教えてくれるばかりでなく、イタリア語やイタリア文化、あるいはイタリア人気質にまつわるちょっとした情報も得られるようになっていて、それがまた面白いんですわ。 たとえばイタリア風のコーヒーに「カップチーノ」ってのがありますが、あれはラテン語の「カッパ」、つまり「頭巾」から来ているってご存じでした? で、この頭巾がトレードマークだった修道士の一派が「カップチーニ派」で、彼らの被っている頭巾つきの上着の色が茶色だったことから、その色によく似たミルク入りエスプレッソのことを「カップチーノ」と呼ぶようになったとか。ちなみに、日本語の「合羽」というのは、ラテン語の「カッパ(=頭巾)」がポルトガル語経由で入ったそうですが、そういう面白い雑学も、この本には満載されています。 言葉の勉強をきわめるというのは、すごく難しいことであって、そこまで到達する人は少ないでしょう。しかし、そこまで目指さないまでも、新しい言葉の勉強をし始めるということは、それ自体面白いですよね。へえ~と思うことがよくありますし。それに、私もいつかイタリアには行ってみたいと思っているので、その時に少しでも言葉が分かれば余計楽しいでしょうしね。 ということで、少しでもイタリアとかイタリア語に興味のある方、郡史郎さんの『はじめてのイタリア語』は「教授のおすすめ!」ですよ~。ワタクシと一緒にイタリア語、勉強しましょうよ! 英語ばかりが外国語じゃないですぞ~!これこれ! (下の表紙は旧版のもの。現在の版は白地に緑の四角の模様の入ったシンプルなものになっています) ↓はじめてのイタリア語
September 10, 2006
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少し前、まだ私の甥ッ子が小学生か中学生くらいでしたでしょうか、大きくなったら何になりたいという話になった時に、彼が「絶対、偉くはなりたくない」ってなことを言うんです。で、やけに野心がないなあと思って、「どうして偉くなりたくないの?」と問うてみたわけ。すると・・・ 「だって、偉くなるとテレビで謝らなくちゃいけないでしょ」 ですと! 子供ってのは、よく見ていますな。 それにしても、確かに甥ッ子の言う通り、毎日のように不祥事を起したどこかの会社のお偉いさんが、テレビカメラの前で頭を並べて頭を下げていますなぁ。あれ、いつから始まった風習でしょうか? 最近のことでしょ? 一昔前まで、会社の偉いさんがぺこぺこ謝っている映像なんて、テレビで流されることなんかなかったですよ。 ああいうの、なんで流すんでしょうかね。「社長に謝らせたい」「土下座しているところを見てやりたい」という人が沢山いるから、つまり「需要があるから」なんでしょうけど、私はそういう心持ち自体、下品な感じがして嫌だなあ。人がぺこぺこ謝っているところなんて、見たくもないです。大体、あんなに毎日誰かがぺこぺこ頭を下げていたら、「謝る」という行為そのもの価値が下がりますよ。陳腐な見せ物になっちまう。 どこぞの会社が不祥事を起した場合、もちろんその責任を追究することは必要ですし、また不祥事に相応する罰を与えることは当然だと思いますが、そのことと、当該の責任者に公共の電波を通じて頭を下げさせることは、別なレベルのことだと思います。 それに、今日、お昼のニュースを見ていたら、どこかの県の職員が酒気帯び運転か何かで交通事故を起し、怪我人を出したということで、県庁の上役が数名で頭を下げていましたが、これは明らかにやり過ぎじゃないでしょうか。交通事故は、個人の責任ですよ。個人が事故を起したのであって、その個人が相応の責任をとるべきもんです。何も上司が世間に謝る種類のことじゃない。 「謝るのがいいこと」であるかのような今の日本の社会通念そのものも軽薄な感じがして嫌ですが、一旦そういう社会通念ができると、なんでもかんでも上役をつかまえて頭を下げさせようとする、そういうジャーナリズムの薄っぺらな正義感も嫌ですなあ。しかも、そんなふうに人(加害者側)に土下座させておいて、後から「誠意が籠もっていない」「謝ればいいという問題ではない」みたいな(被害者側の)コメントを流すでしょう? 人が謝るということも、人を謝らせようとすることも、どちらも見栄えのいいもんじゃないです。でまたそうである以上、そんなみっともないものを、軽薄にテレビで流すなと私は言いたい。そういう軽薄さが、逆に軽薄な犯罪を生む温床となり、ひいては軽薄な国民性を生むのだと私は思います。 最初に述べたように、テレビを見ている子供は「あんなみっともないことをさせられるのなら、偉い人にはなりたくない」と思い、その結果として向上心や野心を失っています。そういうことも含め、誰に向かって言えばいいのかよく分かりませんが、とにかく「大の大人にぺこぺこさせるんじゃない!」と声を大にして言っておきましょう。
September 9, 2006
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今朝の新聞を見ていたら『デスノート』などの作品で知られる漫画家、小畑健さんがナイフ所持で逮捕された、という報道が出ていました。 それによると、夜、小畑さんが運転していた車のライトの片方が消えていたため、警官に職務質問され、その際、コンソールボックスの中にアーミーナイフがあったということで銃刀法違反で逮捕されたとのこと。 えー! そんなことで「逮捕」されるの? 解説によると、人は「正当な理由なく、刃渡り6.5センチ以上の刃物を許可なく持っていてはいけない」とのことですが、それにしても、ちょっとしたナイフを車のコンソールボックスに放り込んでおくくらいのことで逮捕されちゃうのかなぁ! 第一、職務質問で車の中の所持品って検めていいんですか? 「検めるなら、令状持ってきて」って言えないのかしら。 それに何が「正当な理由」かなんて、分からないじゃないですか。たとえば、「いや、これからどこかでスイカを買って、このナイフで切って食べようと思っていたんです」って言ったらどうなの? 私には十分正当な理由に思えますけど・・・。 ま、私がこの新聞記事を読んでビビるのは、実は私自身、ナイフというものが好きで、いつも持ち歩いているからなんですー。 なんでナイフが好きかといいますと、アメリカでお世話になった80歳を越す老教授が、いつもポケットに小さなナイフを忍ばせていて、それを時に応じて上手に使われるんですよ。手紙を開封するとか、オレンジの皮を剥くとか、そんな感じです。そういうのを見ていて「かっちょいい!」としびれた私は、早速自分用にスイス・ビクトリノックス社のアーミーナイフを買ったのをはじめ、アメリカを旅するごとに一本くらいずつ土産にナイフを買っています。で、特に最初に買ったビクトリノックスのナイフはホントに愛用していて、今も日々持ち歩いているんです。もちろん、正当な理由もなしに。 じゃ、私も逮捕されるんでしょうか・・・。 と思って慌てて刃渡りを計ったら、6センチでした。ひゃー、うまく出来てるわ。ちゃんと逮捕されない長さになってるんだ。 ま、ちょっと一安心しましたが、それにしても車のコンソールにナイフを置いていたくらいのことで逮捕されてしまった小畑さんには、同じナイフ愛好家として、同情してしまいますね。人とハサミは使いようじゃないですけど、ナイフだってそれ自体は有用なものなんですから、所持していただけで逮捕ってのは、ちょっとやり過ぎなんじゃないかと思うワタクシなのであります。 閑話休題。 さて、今日は私の住んでいるあたりの「ごみ収集」の日。ところが、このごみ収集のパターンが不可思議で、午後になって収集のトラックが来ることもあれば、もう9時頃に来てしまうこともある。私のように変則的な仕事をしているものにとっては、これが結構悩みのタネで、夜中の3時・4時まで起きている時など、朝寝坊をしてしまって、しばしばごみを出しそびれることがあるんです。で、実はこの前の月曜日もごみを出しそびれてしまったので、今日こそは何としてもごみを出さないと、という状況だったんですな。 そこで今朝は根性で9時頃には起き、見事ごみを出したのでありました。 で、せっかく頑張って起きたのだから、ということで、今日は朝食と昼食を兼ね、とあるカフェに行って「モーニング」を食べようということになったのでございます。 ところでこれをお読みの皆様はご存じでしょうか、名古屋の「モーニング」というシステムを。すごいですよ。名古屋では、11時頃までに喫茶店に入ってコーヒーを注文すると、タダでトーストと茹で玉子がついてくるんです。 いや、もちろんお店によってはもっとすごいことになっていて、トースト+茹で玉子だけではなく、これにサラダがついたり、ケーキがついたりする。肉まんが出てくるところもあれば、バイキング形式でパン、サラダ、パスタが食べ放題なんてところすらあります。で、これらすべてが、せいぜい380円程度のコーヒー一杯の値段で食べられるんです。これぞ名古屋の喫茶店文化の粋というところ。 で、今日私と家内が出向いたのは、長久手(「小牧・長久手の戦い」のあの長久手です)というところにある「カフェ・ジー」というお店。ここは、初めて訪れたのですけど、モーニングがお得な店と聞いたので。 で、この店も380円のコーヒー(もちろん、紅茶などもあります)を注文すれば、トーストと茹で玉子はモーニングでつくのですが、今日は朝昼兼用ということで「ホットサンド・モーニング」というのにしてみました。これはコーヒー代に120円を追加するだけで、サラダつきのホットサンドが食べられるというもの。 で、待つことしばし、出てきたのはおいしそうなホットサンドです。クロックムッシュみたいな感じでハムととろけるチーズとピクルスがこんがり焼けたトーストに挟まっており、一口食べると「サクッ」といういい音がします。味もなかなかよかった。コーヒーもたっぷりめでしたしね。これで一人分500円は安い。家内と二人で、雑誌などをパラパラ読みながら、お得なブランチを楽しんでしまったのでした。 というわけで、今朝は予想外の展開でしたけど、名古屋特有のモーニングを堪能した一日のスタートであったのでした。今日も、いい日だ。
September 8, 2006
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昨日からもう紀子様ご出産で大騒ぎですけど、色々な人のコメントを聞いていて一番「?」だったのは、「男の子か女の子か、ご出産まで医師に尋ねなかった秋篠宮さまご夫妻は偉い!!」などと大層に曰っていた某テレビ局コメンテーターのコメントでしたね。 そんな・・・生まれてくるのが男の子だってことなんか、ほとんどの国民が噂で知っていたんじゃないの? それに聞くところによれば、秋篠宮様ご自身も事前にご学友に漏らされていたというじゃないですか。それをまあ、よくこういうことを白々しく言えるもんだ・・・。 せっかくおめでたいことなんですから、こういう馬鹿っぽいコメントで我々を白けさせないで欲しいもんですわ。猛省を促しておきましょう。 さて、それはともかく、秋の気配が漂い始めた今日この頃、私にとって気になるものがあります。それは何かと言いますと・・・ 「焼き芋鍋」でーす! ガーン! 実は今朝、朝刊の中にホームセンターのチラシが入ってきて、その中にあったんです、「焼き芋鍋」というのが。どうも蓋つきの陶器製の土鍋のようで、この中にサツマイモを入れて直火炊きするのかな? すると「遠赤外線」の効能により、何だかとてもおいしい焼き芋が出来るらしいんです。 遠赤外線かあ・・・。実は私、「遠赤外線」と言われちゃうと弱いんですよね。だって赤外線よりもっと「遠い」んでしょう? きっとトンデモなく素晴らしいものに違いないじゃないですか!!(意味不明) 前にもこのブログに書きましたが、我が家ではこのところずっと炊飯用の土鍋でご飯を炊いており、そのうまさに毎度幸せを感じているもので、同じような仕組みで焼き芋が出来るなら、きっと旨かろうなあと想像するわけですよ。 うーん、興味あるなあ。買っちゃおうかなあ。これからサツマイモもおいしくなる季節ですしね。 どうなんでしょう、この「焼き芋鍋」。値段としては、安いものになると1000円くらいのものらしいですから、そんな悩むほどのことはないのですけど、もし「うちで使っているけど、いいよ!」というような情報がありましたら、ぜひぜひお知らせ下さい。速攻で買いに行くので。こんな感じ! ↓長いおいもも折らずに焼けます。本格的!石焼き芋鍋 「いも太朗」
September 7, 2006
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「アメリカ大衆小説を読むキャンペーン」を自分一人で実施中ですが、先日来読んでいた エリカ・ジョング(Erica Jong) の『飛ぶのが怖い(Fear of Flying)』を読み終わりましたー。 この小説、1973年に出たので、今から30年程前の作品ということになりますね。翻訳もあります(アレ? これも柳瀬尚紀訳ですね。どうも柳瀬さんはこの時期、こういう系統の翻訳を随分やっていらしたんですなぁ・・・)ので、既にお読みになった方も多いと思います。アメリカのみならず世界中でベストセラーになった作品です。 にもかかわらず、これまで私がこの小説を読まなかったのは・・・まあ、怠慢ゆえなんですけど、「フェミニストの小説」という未確認の風評があったので、食指が動かなかったんですな。ワタクシ、どうもフェミニストって苦手なもんで・・・。 でも、今回実際に読んでみたら、別にフェミニズム色が濃いというような種類の小説ではなかったです。いかんですね、偏見でもって読まず嫌いをしては。 で、じゃ、どういう小説かというと、主人公の30歳ほどの女性、イザドラの(精神的)放浪の物語です。 イザドラはニューヨークはマンハッタンに住む東欧ユダヤ系の中流階級の家庭に育ち、芸術を重んじる一族の、とりわけ母親の影響を受けて詩人となり、既に詩集も一冊出して、そこそこの評判を得ているところ。 ところがその私生活となると、かなりめちゃくちゃなんです。最初に結婚したブライアンという男性は、IQ200以上という天才だったのですが、いつしか発狂し、自分が第2のキリストだという幻想を抱くようになって病院に入れられてしまいます。で、ブライアンと協議離婚をしたイザドラは、次に音楽家と恋に落ちるも二股をかけられて破局、そして悩みに悩んで何人もの精神分析家の診療を受けた挙げ句、彼女を診察した精神分析家の一人で中国系のベネットという男性と再婚することなる。かくして、イザドラは安定した結婚生活を手に入れるのですが、無口で内向的な夫との結婚に飽き足らなさを感じてもいるんです。 そんな中、ドイツで精神分析関連の学会が開かれることになり、イザドラはベネットにくっついて(ほんの少し前にユダヤ人を殺戮し、ユダヤ系の精神分析家たちを国外追放した、その)ドイツまで行くのですが、その学会において、彼女は彼女が夢見る「放埒なファック(zipless fuck)」のお相手になってくれそうなエイドリアンという男性と運命的な出会いをすることになります。「静・理性」のベネットに対して、「動・情動」のエイドリアンは、イザドラにとって自分の夫の足りない部分を補ってくれるような存在だったんですな。そんなこともあり、イザドラはエイドリアンに惹かれていきます。 しかし、ベネットとエイドリアンは相互補完的な存在ですから、イザドラは二人のうちどちらを選べばいいのか、なかなか決心がつきません。で、ベネットとエイドリアンの間を行きつ戻りつしながら、優柔不断を繰り返し、ついには3P的な大混乱にまで陥るシュールでコミカルな場面が続くのですが、結局イザドラは、一生に一度くらいは冒険してみようという気になり、ベネットを残して、エイドリアンと冒険の旅に出ることになります。 そしてイザドラとエイドリアンの二人はヨーロッパ中を自動車で旅行しながら、恋人同士のように互いに束縛もしなければ、かと言って単なるセックスのパートナーというわけでもないという、いわばヒッピーみたいな実験的な男女関係を続けていくんです。そしてその間、自己解放への筋道として、エイドリアンに求められるまま、最初の性的な目覚めからベネットに到るまでの自らのウィタ・セクスアリスを赤裸々に語っていくわけ。 ま、そんなことをしながら旅をしていくわけですが、傍から見れば恋人同士みたいな形で過ごしているのですから、イザドラもエイドリアンに対し、恋人として依存しそうになるんですね。ところが、エイドリアンというのはもともと妻子持ちで、何だかんだ言っても最後は妻子のもとに帰って行ってしまうんです。 で、夫であるベネットのもとを飛び出しておきながら、愛人のエイドリアンにも旅の途中で放り出されてしまったイザドラは、残りの旅程を一人で旅する羽目になります。女一人で見知らぬヨーロッパを旅し、その過程で邪な男たちに色々ちょっかいを出されたりしながら、とにもかくにも自力で目的地(ロンドン)まで旅を続けるんですな。 で、この危なっかしい一人旅の中で、イザドラは何かを掴むんです。で、彼女は、その新たに掴んだ自分に対する認識、そして自分の将来に対する自信を手土産に、ロンドンにいたベネットのところに帰って行くんですな。それは、浮気をした挙げ句、しおしおと夫のもとに平伏すために戻ったということではなく、自分を解放するためのアクションをやり遂げた新しい自分としてベネットに再び対面するために戻ったんです。その結果、ベネットがどう出るか。もしもう一度やり直そうと言ってくれるのならよし、二度と顔も見たいくないと叩き出されるのであれば、それもよし、というぐらいの覚悟です。 そして、ベネットが不在の隙にホテルの彼の部屋に入り込み、勝手に風呂を使わせてもらっている時に、ベネットが帰って来た、というところで小説は幕を閉じます。この後どういう展開になるかは、読者の想像にお任せします、ってなところでしょう。 さて、以上、この小説の梗概を述べてみましたが、これを読み終えてみての私の感想を以下、簡略に述べますと、ま、単純に言って面白かったです。中盤、イザドラがベネットとエイドリアンの間を行ったり来たりしている部分がやや長くて冗長だったかな、とは思いましたが、小説の入りっ端なんてのは、スピード感のあるスラップスティック(どたばた)的なギャグ満載で、すごく面白かった。 その面白さの感じは、何となくアレに似てます。ウッディ・アレンの映画に。ウッディ・アレンの映画の中で、ウッディ演じる冴えない中年男は、いつでもユダヤ人ネタのギャグを体現し、妄想に満ちたセックスの悩みをぶつぶつ打ち明けるじゃないですか。ああいう感じなんです。はじめに言いましたように、エリカ・ジョングもまたユダヤ系であるわけですが、やはりユダヤ人特有の笑いの感覚というのがあるんじゃないでしょうかね。 それからもう一つ、作中においてイザドラは、単に「ベネットをとるか、エイドリアンをとるか」ということだけでなく、たとえば「芸術家になるか、それとも子沢山な主婦になるか」とか、「従順な女になるか、冒険的で支配的な女になるか」、あるいは「ユダヤ人としてのバックグラウンドを意識するか、コスモポリタンになるか」という感じで、常に二つの価値観の間で揺れ、しかもどちらの道をとっても孤独感を味わうという閉塞的な状況に陥っているわけですが、そういう閉塞的な状況を抱えつつ放浪を続けるというあたりについて言えば、J・D・サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』的な味わいもあります。『ライ麦』がティーン・エイジャーの男の子の放浪だとすれば、『飛ぶのが怖い』は30歳の既婚女性の放浪、と言っていい。『ライ麦』のホールデンもよくしゃべりますが、『飛ぶのが怖い』のイザドラも、よくしゃべります。この小説は、そういうおしゃべりの面白さを味わうべきものなんでしょうな。そこが日本流の私小説とは違うところ。 ただ、そのイザドラの無際限のおしゃべりの面白さを理解するには、読者の方にもある程度の知識が要求されます。たとえば、以下に示す第9章の冒頭の一節、 Of course it all began with my mother. My mother: Judith Stoloff White, also known as Jude. Not obscure. もちろんすべては母との関係から生じたのだ。私の母:ジューディス・ストロフ・ホワイト、通称ジュード。「曖昧」な人じゃないけど。 という部分を読んで、ははん、と笑えないといかんわけです。こういうのを説明するのも野暮なんですけど、イギリス19世紀の作家にトーマス・ハーディーという人がいまして、その人の代表作に『Jude the Obscure(曖昧なジュード)』(1895) というのがある。ですから、それにひっかけてイザドラは「通称ジュード。曖昧な人ではないけど」と言ったんですな。ま、これはほんの一例ですが、要するにこの程度の知識は読者として用意していないと、この作品に満ちている様々な言葉遊びやギャグは笑えない、ということになる。決して難しい小説ではないですが、その意味でかなり知的な小説ではあります。 てなわけで、色々書きましたけど、三十路女性のライ麦畑、あるいは女性版ウッディ・アレンたる『飛ぶのが怖い』、かなり面白いです。この小説の大部分は作家であるエリカ・ジョングの実体験に基づいている実話だそうですから、その意味でも興味津々。特に女性の方には、共感される部分も多いと思いますので、ぜひ一読をおすすめします。これこれ! ↓飛ぶのが怖い さて、「アメリカ大衆小説を読む」キャンペーンの次なる対象ですが、次は James Gould Cozzens の『By Love Possessed』という作品を読む予定。これまた5百数十ページの大作なので、いつ読み終わるか分かりませんが、読み終えたらまた感想を書くつもりです。乞うご期待~!
September 6, 2006
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今日、夕食後のデザートに葡萄を食べましたー。「デラウェア」ってんですか? ごく普通の葡萄。今シーズン初ですね。 ところで、あの種の葡萄ってのは・・・あれはどうやって食べるのが正しいのでしょうか。 ま、当然最初は房から葡萄の一粒をもぎ取って口に持ってきますよね。で、つるっと吸い込む。その後です、問題は。 葡萄の正しい食べ方は次のうちどちらか。一つ選びなさい:(1) 口に入った葡萄の粒をそのままぐっと飲み込む。(2) 粒をいちいち噛みつぶす。 ちなみに私の解答は(1)で、そのまま飲み込んでいます。でも、それだと何だかもったいないような気が・・・。葡萄ってのは一粒一粒に味があるのだろうに、それをぐっと鵜呑みにするんじゃあ、ねぇ・・・。それに、胃の中に粒のままの葡萄が溜まっていくかと思ったら、何だか胃に悪そうだし。かといっていちいち噛みつぶすってのもどうなのかなと。 で、家内に聞いてみたら、一度だけ噛んで、後は飲み込むようにしているとのこと。2回以上噛むと酸っぱさが強調されるから、だそうです。 ・・・ふーむ、そうか。1回噛むというところがミソか。次はそうしてみようっと。 それにしても、歳をとる毎に、食べるのに手のかかる果物への情熱が段々冷めていくような気がします。葡萄にしても、子供の頃は好きだったんですけどね。今では小さな実を何度も何度も口に運ぶのが面倒臭くなってきてしまいました。あと、スイカですか。タネをいちいち吐き出したりするのが面倒になってきて、だったら食べなくてもいいや、という感じになりつつあります。このまま行くと、この先、死ぬまで食べられるのは温州ミカンとバナナくらいになりそうですなー。 でも、ま、温州ミカンが食べられればいいか・・・。 と言いますのも、ワタクシ、疎遠になりつつある果物の中で、温州ミカンだけは心底愛しているんです。もう1回に10個くらい平気で食べちゃう。もうお腹が一杯で苦しいというのに、「もうダメだー。これ以上食べたら死ぬー。よーし、もう一個!」ってな感じで食べてしまいます。冬場は、普段以上に黄色人種でございます。 で、そんなふうだけに眼力もすごくて、ミカンを手にとっただけでその味の微妙なところまで予想することが出来ます。単に甘いか酸っぱいか、ではなく、その甘さの質といいますか、くどいほどこってり甘いのか、適度な酸味を伴った甘さなのか、それともさっぱりとした水のような甘さなのか、というレベルで言い当てられます。ですから、よくスーパーなんかで山積みのミカンから好きなのを10個選ぶ、なんてのがありますが、ああいうのはお手の物。まったく失敗のないセレクションをしちゃいます。 そのミカンの季節も、もうすぐですなあ・・・。ウレシー! ってなわけで、葡萄の粒を胃の中に抱え、ちょっと消化不良に苦しみつつ、来るべき温州ミカンの季節を幻視している今日のワタクシなのでした。おいしいもの、好き!
September 5, 2006
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我が家は少し前から「和菓子ブーム」です。午後のお茶の時間に食べるおやつのメニューとして、和菓子が出てくる頻度が高まっているんですー。 たとえば先日は奈良県にあるどこぞのメーカーが作ったという「わらび餅」を食べましたけど、これはうまかった。控えめな甘味が上品で。メーカーの名前を控えておけばよかったんですけど、つい忘れてしまいました。あれはもう一度食べてもいいなあ。 ちなみに「わらび餅」というのは、私は名古屋に赴任して初めて知りました。名古屋あたりですと、夏になると「石焼き芋」と売る時のような感じで、軽トラでわらび餅を売り歩くんです。「わらびー餅、わらびー餅、つめたーいよ、おいしーいよ、早く来ないと行っちゃうよ」ってな掛け声でね。最初は何事かと思いましたけど、慣れると夏の風物詩ですね。それにしても「わらび餅」ってのは、きっと関西系の和菓子なんでしょうな。東京に住んでいた頃、わらび餅なんていうものの存在すら知りませんでしたから。その代わり東京には「葛餅」がありますが、名古屋辺では葛餅をあまり見かけません。葛餅は葛餅で、うまいもんなんですけどね。 ま、それはともかく、このところ家の近辺を経巡って、和菓子の店を探し出しては、上用饅頭だとか葛桜だとか、とにかくその種のお菓子を買って楽しんでいるんです。が、今のところまだ「これはすごい!」というお店には巡りあっておりませんなあ。どのお店も、ごく普通においしい、というところ。この方面に関しては、まだまだ調査中という感じです。 ところで、わらび餅と同様、名古屋に来て初めて知った和菓子に「大あんまき」というものがあります。すごい名前でしょ、「大あんまき」。 これは名古屋の、というよりは、もう少し三河寄りにある「知立」という町の名産なんです。ここに藤田屋という老舗がありまして、国道1号線沿いに大型観光バスが何台も止まれるような大きな店舗を持っているんですな。その他、知立周辺のスーパーマーケットなどに行けば、必ずと言っていいほど藤田屋が出店しているので、この辺に住んでいたらどうでも目にせざるを得ないお菓子なんです。 で、実際、私が最初に名古屋に赴任した時、知立のあたりにアパートを借りていたので、その頃にはよく食べたんですよ、大あんまきを。 じゃ、「大あんまき」ってのがどういうお菓子かと言いますと、どら焼の生地よりももう少し薄くてしなやかな生地で、小豆のアンコを平たい葉巻型に巻いたものと思って下さい。ま、その意味ではどうってことのないお菓子ではあるんですが。 しかしそこは藤田屋も考えたもので、この単純なお菓子に色々と変化を付けるわけ。アンコの代わりに白あんを巻く、なんてのは序の口で、クリームチーズとアンコを合わせた「チーズあんまき」なんてのもあったりする。しかしもっとすごいのが「天ぷらあんまき」という奴で、これは大あんまきを不埒にも天ぷらにしてしまったという究極のあんまきなのでございます。 で、また大あんまきの特長の一つは、安いということなんですな。一個食べるのだってかなりのボリュームですけど、これがまた一つ100円するかしないかくらいなんです。ほんとに気軽な和菓子なんですわ。だもので、私、これをよく仕事帰りに買って休日に食べたり、実家に帰る時にお土産に買って帰ったりしたもんです。 だから、「大あんまき」という言葉を聞くだけで、独身で知立のアパートに住んでいた頃のことを痛烈に思い出します。何せ初めての独り暮らしでしたし、東京を離れること自体、初めてでしたから、なんか心細くてね。でまた知立ってところが案外物騒なところで、よくアパートに止めていた車(名古屋ナンバーじゃなかったから?)にイタズラされたりして、嫌な思いもしました。ですから、そういう何とも心細くて不安な心持ちというのが、私にとっての大あんまきの味わいなんですな。 そんな知立時代からもう10年ですわ。 その後、結婚もして、より名古屋に近い新興住宅地に引っ越してから、あまり大あんまきを食べる機会も減りましたけど、何だか昔のことを書いていたら、あの懐かしい大あんまきが食べたくなってきました。ちょうど今、我が家は和菓子ブームですから、そのうちどこかで藤田屋の出店でも見つけてきて、各種大あんまきを買ってきましょうかネ。
September 4, 2006
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『バジル』(臨川書店刊)を読み終わりました。 あまり聞いたことのない小説ですが、これ、ウィルキー・コリンズというイギリスの作家の小説です。1852年の作品ですから、アメリカ文学で言えばメルヴィルの『白鯨』なんかとほぼ同時期に出たということになりますね。随分昔の作品です。 私、ウィルキー・コリンズという作家は大好きで、『月長石』『白衣の女』は随分夢中になって読んだ方ですが、正直、それ以外の作品となるとまるで知りませんでした。ところが、先日市の図書館で京都の臨川書店から出ている『ウィルキー・コリンズ傑作選』(12冊揃)を見つけた家内が、その第一巻である『バジル』を借り出して読んでいたので、これは私も読まなくては、という気になったんですね。 さて、その『バジル』ですが、この表題は主人公である若い男性の名前、というか、その洗礼名です。彼はとあるお金持ちの旧家の次男なんですが、その彼が若気の至りから、あるとんでもないことに巻き込まれてしまうんですな。で、その顛末を語るとなると、家名に傷がつくからという理由で、彼は敢えて苗字を名乗らず、洗礼名だけを用いているんです。 じゃ、その若気の至りとは何かと言いますと・・・もちろん「恋愛沙汰」でございます。 ま、よくある話ですが、彼がある時乗合馬車に乗り込んだら、たまたまそこに妙齢の美女が乗り合わせていた、と。で、あまりの美しさに、思わず後をつけて住まいを確かめてしまい、翌日、プロポーズしてしまった・・・。まさに究極の一目惚れです。 しかし、ここに一つ問題がある。というのは、バジルの一家は貴族ではないものの、ものすごく古いイギリスの旧家でお金持ち、ジェントルマンの階級なんですが、バジルが惚れたマーガレット嬢の家族、シャーウィン家というのはリネン商に過ぎない。つまり、身分が違うわけですよ。 でまた、バジルの親父さんというのが、ものすごく家名にプライドをもった人で、自分の息子が商人の娘と結婚する、なんてことを許すはずがないんですな。それはバジルにもよく分かっているんです。なにしろ、本来なら家督を継ぐはずのバジルの兄貴、レイフという人が遊び人で、親父さんからは半ば勘当されている状態ですから、親父さんの期待は次男のバジルにかかっているわけ。そんな状態で、もし「商人の娘に惚れました」なんて言ったって、許してくれるはずがないんですよ。 そこで、バジルがどうしたかと言いますと、「秘密結婚」に踏み切るんです。つまり、親には内緒で結婚してしまい、その後しばらくは「清い交際」をしつつ、まあ1年ほど経って結婚が既成事実となったあたりで、親父さんに「実は・・・」と打ち明ければ、親父さんとしても認めざるを得ないだろう、というわけ。ま、これは彼が考えたことでもあり、またマーガレットの実父で、計算高い商人であるシャーウィン氏の要求でもあります。シャーウィン氏としては、娘が旧家の出身で大金持ちのぼんぼんと結婚するなんてことになれば、商売上、色々と都合がいいですからね。 それにしても、「秘密結婚」ねえ・・・。19世紀の恋愛小説っぽい設定ですなあ・・・。 ま、それはともかく、バジルはそんな形でマーガレットとの秘密結婚に踏み切ります。ついに彼は若く輝くばかりの美貌を誇る娘を手に入れるんです。彼は毎日のようにシャーウィン家を訪れ、新妻と楽しい時間を過ごすことができるようになったんですな。初めのうち、あまりにも頻繁にバジルが訪れることに難色を示した義父のシャーウィン氏も、次第にそのことを気にしなくなります。というのも、シャーウィン氏の店の大番頭にして、彼の右腕たるロバート・マニオン氏というのが、バジルとマーガレットの幸福のために一肌脱いでくれて、シャーウィン氏に意見をしてくれたらしいんです。そのおかげもあって、二人はあまり厳しい監視にもさらされることなく、会うことができるようになった。 しかし、ならばバジルは幸せ一杯かというと、必ずしもそうでもないんです。彼としても、家名を傷つけたという意識はあるわけですし、真実が暴かれた時、プライドの高い彼の父親の感情をいかに傷つけることになるかということも不安でたまらない。いや、すでにこのところのバジルの不可解な行動に、親父さんも半ば気づいているらしく、親子の間の溝は既に出来上がりつつあります。 でまた、一家のピースメーカーであり、またバジルのことをこよなく愛している妹のクレアラも、最近のバジルの豹変ぶりに心を痛めている様子。バジルも、クレアラに対して隠し事をしていることが、心の重荷になっています。しかし、とにかく1年間は、秘密を隠し通さなくてはなりませんから、バジルは父親と妹に対して不義理を重ねながら、隠し妻を持つということを続けるわけです。 しかし、そんな1年が過ぎるうちに、バジルはあることに気がつくんです。それはマーガレットの人格についてのことなんですが。 先に言いましたように、バジルはマーガレットの美貌だけに一目惚れして、ろくに話をすることもなく結婚したわけですが、結婚してしばらく経つうちに、彼女の色々な側面が少しずつ見えてくるわけですよ。たとえば彼女が「学問・教養」というものに対し、興味もなければ素養もないということが分かってくる。またバジルを前にしてはその素振りも見せませんが、彼が近くにいることに気づいていない時など、ものすごい浪費家であり、見栄っ張りであることを露呈してしまうことがあったりする。特に服装や装飾品、贅沢品への執着はそらオソロシイほど。 しかも残虐な性格でもあるんですな。たとえば可愛がっていたカナリアが、母親の飼っていた猫に殺されてしまった時など、激怒のあまり自らその猫を絞め殺そうとするほどなんです。その猫が病弱の母親の唯一の楽しみと知っていても、です。そういう場面を、バジルは偶然見てしまったりするんですな。でも、そのことを咎めると、途端にマーガレットは美しい顔に涙を流し、その涙にバジルはころっと騙されてしまう。 しかしバジルは騙されても、我々読者は騙されませんから、このマーガレットという女の恐るべき邪悪さに、この先のバジルの結婚生活がどうなるか、我々は本人より先に不安に駆られるわけです。 で、その不安は的中します。ようやく1年間の「秘密期間」が過ぎ、もうこれからは親父さんにばれようがどうしようが、もう大手を振って夫婦としての行動をしようという、その記念すべき日の前夜、あるパーティーに行っていたマーガレットを迎えに行ったバジルは、そこでとんでもないものを見せつけられることになります。 なんと、マーガレットは、バジルと結婚するはるか以前から、シャーウィン氏の大番頭であるマニオン氏とできていたんですな。バジルは、マーガレットがマニオン氏と安ホテルで密会し、そこでマニオン氏がバジルの当然の権利であるものをマーガレットから奪うところを見てしまうんです。 そして怒りに狂ったバジルは、ホテルから出てきた二人に襲いかかり、マニオン氏を半殺しにしてしまい、自らもショックのあまり心神喪失してしまいます。 ところが、バジルの不幸は、いわばここから始まるようなものなんです。実は、マニオン氏というのは、ただ単にバジルより先にマーガレットをモノにしようとしていた、というだけではなかった。なんとマニオン氏は、バジルの親父さんに非常に深い恨みを持った人物だったんです。しかもその恨みというのは、ある程度までは正当な恨みでもあったんですね。で、その恨みは、バジルの目の前で新妻を奪うということだけでなく、今やバジルの手によってハンサムな顔を台無しにされた恨みも加わって、バジルが死ぬまで災いをもたらしてやるという決意に変わった。 果たして狂気のマニオン氏に狙われたバジルの運命や如何に!! ってな感じの小説です。面白そうでしょ? 実際面白いです。またこういう展開の中、バジルの兄で放蕩者のレイフってのが、いい場面で再登場してきましてね。彼が弟のために一肌脱ぐ、なんて場面は、なかなか痛快だったりするんですよ。もちろん『バジル』というのは、ウィリキー・コリンズにとってもかなり初期の作品であって、当然、『月長石』や『白衣の女』に見られるような完成度はないんですけど、これら後の傑作を予感させるような出来であることは確か。あまり巷間に知れ渡った作品ではないので、お読みになられた方は少ないと思いますが、一読の価値はありますよ。ウィルキー・コリンズの『バジル』、教授のおすすめ!です。これこれ! ↓ウィルキー・コリンズ傑作選(第1巻) ところで、『バジル』を読むと、イギリスという国を動かす原理として、「階級」というのが如何に大きいか、というのがよく分かりますね。でまた、そういう階級の壁にチャレンジしてこそ「恋愛」だ、という原理もあって、この「階級vs恋愛」のバトルロイヤルこそが、恋愛小説の醍醐味というところがある。だからこそ、恋愛小説ってのは、イギリスのような階級社会から興り、イギリスのような階級社会で大きく花開くのでしょう。 私はいま、「恋愛小説」という文学ジャンルについて研究しておりますので、こういう恋愛小説の基本構造を確認するという意味でも、『バジル』は面白かったです。 それに引き換え、階級というものがほとんど存在しないような日本で、恋愛小説を成り立たせる要素って何なんでしょうか。階級以外に、恋愛を邪魔するものとは。 「死病」かな。『今、会いに行きます』ね。「記憶の欠如」? 『博士の愛した数式』ね。 そんなもんだろうなー。 ま、強いていえば、理論的に言って今の日本で階級差を乗り越える大恋愛ができるのは、天皇家の誰かさんと結婚する娘さんだけなんですけどね。 ・・・雅子様かよ! ま、下々の者にはよく分かりませんが、恋愛小説の奥義という学問的観点から申しまして、あそこのカップルにはうまいことやって行ってもらいたいものでございます。あと3日ほど経つと、また大騒ぎになること必定ですけど、ま、心穏やかに成り行きを見守るとしますか。
September 3, 2006
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昨夜、遅まきながら『M:I:III』を見に行ってきました。 ま、上映期間の残り少ない今となってこんなこと言っても仕方ありませんけど、おすすめです。ハラハラ、ドキドキしっぱなしの2時間20分。『MI』シリーズ過去2作と比べてもダントツの面白さじゃないでしょうか。 今回のイーサン(トム・クルーズ)は、IMFの訓練教官であることを隠してジュリアという女性と結婚しちゃうんですー。ところが、そんな幸せも束の間、元教え子が潜入活動中に敵の手に落ちたとの知らせが・・・。既に第一線からは退いていたイーサンですが、最もお気に入りだった教え子の救出に腰を上げることとなります。 が、救出には失敗。教え子を死なせてしまったイーサンとそのスタッフは、汚名挽回、バチカンに乗り込んで敵の親玉を見事誘拐! ところが、どうやらIMFにおけるイーサンらの上司がこの敵の親玉に通じていたらしく、護送中に彼を奪還されてしまうばかりではなく、イーサンの新婚の奥さん・ジュリアまで誘拐されてしまうという大失態。そして彼女を返して欲しければ、敵の狙う謎の最終兵器、中国が極秘で開発していた「ラビットフット」を持ってこい、ということになってしまいます。果たしてイーサンらは厳重な中国側のガードを破って「ラビットフット」を手に入れられるのか、また48時間以内というタイムリミットの中でジュリアを救出できるのか・・・。 ・・・ってな話なんですけど、ま、アクション映画ですからね。話の筋がどうのこうのではなく、大スクリーンに繰り広げられる迫力と緊迫のアクションに酔いしれられるか、というところがポイント。で、その点について言えば、間違いなく酔いしれられます。私自身、上映期間の末になって見たのですから、あまり大きなことは言えませんが、この映画、まだ見ていない方がいらっしゃいましたら、ぜひご覧になることをおすすめします。ビデオで見るより、大スクリーンで見るべき映画ですぞ~! しかし、いつも思うのですけど、この手の映画って必ず上司に悪い奴がいますよね。『MI』の第1作からしてイーサンは上司に裏切られているじゃないですか・・・。ま、「敵は内部にあり」というのは、テロリズム時代を象徴する設定なんでしょうけど、それにしても過去から学んで「上司教育」を何とかしとけよ! と言いたくなりますなあ。 それに、IMFのスタッフであることを隠して結婚するって・・・そりゃ無茶だわ・・・。今回もイーサンは、奥さんに対しては「政府の交通局」の職員ってことにしているんですけど、交通局の職員にそんなしょちゅう出張がある訳ないでしょうが! それに、第一、出張から帰って来る度に怪我していたりしたら、そりゃ奥さんだって不審に思うでしょうよ。スパイはねー、やっぱり結婚なんかしちゃいけません。 ってな話を家内としていて、つい「ま、実は僕も大学教授の振りをしているけど、本当はスパイなんだけどね」と告白しちゃいました・・・。私:「ほら、昨日も、大学に期末試験の成績提出してくるって出て行ったけど、帰って来た時疲労困憊していたでしょ。あれ、実は上海で活動してたんだ」家内:「そうなんだ・・・。ね、明日の朝、何食べる?」 もっと遊んでよ~! あ、そういえば嫌なこと思い出しちゃいましたけど、映画行く前、郵便物のチェックしたら、某出版社から印税の支払いの連絡が入っていたんですよねー。この春、共著で出した本の印税です。結構売れていると言っていたから、それなりの額になっているのかな・・・。ベリベリベリ・・・(封筒を開ける音)。 ・・・ウソ・・・。 たった、これだけ・・・。小学生のお年玉かよ! 執筆分は20ページとは言え、これだけ書くのにも1年半の準備期間と相当な数の資料読みをしたんだけどなあ・・・。その報酬がこれか・・・。 これこそ本当の「ミッション・インポッシブル」だ~~!!
September 2, 2006
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昨晩、今シーズン初めて、秋刀魚を食べました! 昨年のブログを見ると8月30日に「初秋刀魚」の記事がありましたから、ちょうどこの頃が秋刀魚が出始める時期なんでしょうな。私思うに、秋刀魚ってのは案外当たり外れがあるもので、我が家でも1シーズンに3回くらい秋刀魚を食べますけど、ほんとにおいしい秋刀魚ってのはそのうち1回くらい、それもシーズン初めに食べる秋刀魚のような気がします。この頃は小骨もまだ柔らかいので、口に残りませんし。昨夜食べた秋刀魚もおいしかったですー! いつも言いますが、ワタクシ、焼き魚の中でも特に秋刀魚が大好きでありまして、モノもいわずに秋刀魚と格闘し、頭と尻尾と骨だけになるまで食べ尽くします。ほんと、漫画に出てくる「食べ終わった魚」みたいになっちゃいます。秋刀魚は身も旨いけど、ワタが旨いですからね。とはいえ、家内はあれが苦手だそうで、そっくりワタを残しちゃうんだよな・・・。あれじゃ、秋刀魚が成仏できない・・・。ま、心臓だけは私の勧めで食べるようになりましたけどネ。 ちなみに、秋刀魚を焼く時は、焼く前に身に軽く酢を塗っておくと、焼き網に皮が貼り付かず、きれいに焼けます。あとで焼き網を洗う時も若干楽ですからねー。秋刀魚ってのは、焼いた後の焼き網の処理などが生臭くて大変なので、ちょっとした下処理が大きな差を生みますよ。ま、老婆心ながら。 そうそう、秋刀魚といえば、何と言っても焼き魚が一番旨いとは思いますが、それ以外の食べ方で私がうなってしまう料理を出すお店が名古屋近郊の豊明にあります。「ジャンニーノ」というイタリア料理店なんですけど、このお店、この時期になんと「秋刀魚のスパゲティ」というのを出すんです。トマトベースなんですけど、これが旨いのなんのって。生臭さなんてまったく感じさせず、それでいて秋刀魚特有の強い風味を上手に活かしているんです。シーズンものなので、何時行ってもあるというものではないですけど、なかった場合は「イワシのスパゲティ」もおいしいですからお試しを。ああ、そんなこと書いているうちに、またジャンニーノの「秋刀魚スパ」が食べたくなってきた! さて、今日は9月の月初め。ということは・・・「映画の日」か! 今日はどの映画館も入館料が半額のはず。昨日、成績も無事提出したし、今日は息抜きに映画でも見に行こうかしらん。 で、行きつけの映画館のプログラムを調べてみたら、お、『MI:3』が辛うじてまだやっていますね。こういう映画は大画面で見ないと面白くないですから、今日の夜、この映画を家内と見に行ってきますか。新興宗教にはまって最近とみに評判のよろしくないトム・クルーズ大先生のご尊顔でも拝んできます。 それでは、明日はまたこの映画の感想でも書きますから、そちらの方もどうぞお楽しみに!
September 1, 2006
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