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子供の頃、テレパシーが使えたらなぁ・・・と思ったことがよくありましたが、遠くにいる人に向かって、しかもその人だけに自分のメッセージを伝えるという意味では、この夢は「携帯電話」によって既に実現してしまいましたよね。それから『サンダーバード』や『ウルトラマン』などによく出てきた「テレビ電話」なんかも、今やあっさり実現してしまいましたし、子供の頃「あったらいいな」と思ったものが既にこの世にある、ということが結構あります。 私の友人でキャノンに勤めている奴がいますが、少し前に彼も同じようなことを言っていましたっけ。「家電製品で『こういうのがあったらいいな』というようなもの、もうほとんど残ってないでしょ?」って。あればキャノンで開発したい、ということなんでしょうけど、そう言われれば確かにもうないですよね、そんなもの。「瞬間移動装置」とか、そのレベルになればまた話は違うでしょうけれど・・・。 とまあ、こんなことを考えてしまったのは、岩波書店のPR誌『図書』の12月号に載っていた、椎名誠さんの「懐かしい未来」という文章が面白かったからなんです。この文章の中で椎名さんは、今から100年ほど前の時代の人たちが100年後の未来(つまり、我々が暮らしている今の時代)を予測した本を色々紹介されているんですけど、100年前の人たちの未来予想というのが結構当たっているんですわ。 たとえば彼らが想像した100年後の未来の中では、「携帯電話」や「テレビ電話」などがしっかり描かれているんですって。テレビそのものすら存在しなかった時代にあって、テレビ電話の実現を予測していたっていうんですから、大したもんでしょ? それから「撮った写真がその場で見られる魔法の写真術」なんてのも予測されていたらしい。これなんかはポラロイド写真、いやデジカメの存在を予測していたということになりますよね。また「壁からできたての料理が出てくる装置」なんてのも予測されていたと言いますが、椎名さん曰く「日本の精密な宅配便と電子レンジを組み合わせればそれはもう実現しているとみていいだろう」とのこと。確かにそうです。 また当然のことながら、「飛行交通システム」についても色々予測されていたのですが、その多くが「飛行船」を基礎にしたシステムとして予想しているんですって。19世紀末くらいの人々にとって、「飛行機」よりも「飛行船」の方が予測し易かったのでしょう。実際、ヒンデンブルグ号の悲惨な事故がなかったら、案外今頃「飛行バス」なんてのが日本や世界の通勤風景になっていたのかも知れません。 ちなみに100年前の日本人も、100年後の未来を色々と予測していたらしいのですが、これがまた結構当たっているんですよ。たとえば彼らもまた無線電信(=電話)の出現を予測していたようですが、その他にも「暑寒知らず」(=エアコン)とか「写真電話」(=テレビ電話)、「買い物便法」(=遠くにある品物を写真電話で選び、売買契約を結べるというもので、要するにネットショップ)なども予測しており、また「100年後にはエネルギーの主役が薪や石炭ではなく電気になっているであろう」とか、「自動車が普及するであろう」なんてことまで予測していたのだそうです。お見事! 一方、予測が外れたものも面白くて、たとえば「野獣の滅亡」「蚊・蚤の絶滅」「空中軍艦」「人と獣の会話」なんてのがある。残念ながらというべきか、幸せなことにというべきか、これらはまだ実現していませんなあ・・・。 それからもう一つすごく面白かったのは、100年前の人々が全然予測出来なかったものの代表が「コンピュータ」だということ。椎名さんも述べられていますが、このことからいかにコンピュータが突発的な、そして革命的な発明品だったか、ということがよく分かりますね。 この他にも、この椎名さんの文章には「へぇ~!」と思うような面白い話が一杯つまっておりますので、興味のある方は『図書』12月号を見てみて下さい。「活字たんけん隊」という椎名さんの連載、おすすめ! ですよ~。 ところで、そんな未来の発明品の話題で一つ思い出したのですが、つい先日、ネットのニュースに面白い記事が載っていました。アメリカ軍に依頼されて幾つかの研究所が永年開発に着手していた「光学迷彩服」が、ついに完成に近づいたらしい、という記事です。要するにある種の布を身に纏うと、他人からは見えなくなってしまって、まさに透明人間になってしまうというのですが、これ、ほんとなんでしょうかね? 原理的には、実現可能なんだそうですが・・・。 でも、もしほんとに完成したのなら、一枚欲しいですなあ、その迷彩服・・・。 え? 何に使うか、ですって? いや~、そりゃ~、その、アレですよ。つまりその・・・。 ま、いいじゃないですか!
November 30, 2006
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著者の名前とタイトルにピンときて買った『ぼくがカンガルーに出会ったころ』(国書刊行会・2520円)という本を読了しました。 まず著者から行きますか。浅倉久志さん。ご存じの方はよくご存じだと思いますが、海外SFの翻訳者としてものすごく有名な方です。1930年のお生まれだそうですから、今年76歳になられるはずで、これまでに翻訳された作品の数たるや膨大なもの。この本の巻末に、これまで浅倉さんが訳された作品のリストが載っていますが、まさに「数えきれない」という感じですね。で、それだけ沢山の翻訳書を世に送り出してこられた浅倉さんにして、本書『ぼくがカンガルーに出会ったころ』がなんと初めてのご著書だというのですから、びっくりすると同時に期待も高まります。 また本書のタイトルですが、これの意味がパッと分かる方は、日本にはそうはいらっしゃらないでしょう。 この「カンガルー」というのは、1939年にアメリカで生まれたペーパーバック専門出版社「ポケットブックス」の登録商標のことを指します。会社の名前が「ポケット」ブックスなので、お腹にポケットを持ったカンガルーをトレードマークにしたんですな。名前もちゃんとあって、「ガートルード」っていうんですけどね。ですから『ぼくがカンガルーに出会ったころ』という本書のタイトルは、浅倉さんが若かりし日にアメリカのペーパーバックに出会い、それをきっかけとして海外の小説、とりわけSFに読みふけりだしたころ、という意味なんです。 ちなみに私は、まさにその時代のアメリカのペーパーバックの出版史を研究しているので、浅倉久志→『カンガルー』→あ、なるほどね! と、すぐにピンときてしまった次第。 で、本書の内容ですが、幾つかのパートに分かれていて、最初の「翻訳とSF」というところでは、まさに学生時代の浅倉さんがアメリカのペーパーバックに魅せられ、いつしか翻訳家として立つようになるまでの想い出やら苦労話やらが語られます。一種の翻訳論にもなっているんですけど、何せあれだけ翻訳の実績がある方だけに、実に面白く、また説得力もある。 次の「ぼくの好きなSF作家たち」のコーナーは、浅倉さんが翻訳・出版されたSF作品の巻末に載せられた「あとがき」やら「解説」などを集めてきたものですが、そういう性質のものだけに、当該の作家の経歴や作風や魅力などが素人にも分かり易く書かれている。特に浅倉さんが専門になさっているフィリップ・K・ディックとカート・ヴォネガットについての解説集は、それ自体が愛情の籠もったディック・ヴォネガット論になっていて、読んでいるうちに、彼らの作品がどうしても読みたくなり、本屋さんに駆け出したくなってくるほど。またその次の「ユーモアSFに魅せられて」という章は、SFの世界ではやや珍しい「ユーモアSF」というジャンルに分類される作家・作品についてのよい解説と紹介になっています。 次の「SFスキャナー」という章は、これは今から三十数年前に浅倉さんが、とあるSF雑誌に掲載していた海外SF紹介のコラムを再録したもの。このコラムは、伊藤典夫さんという、これまた有名なSF翻訳家の後を受けて浅倉さんが書いたものですが、名物コラムを引き継ぐという気負いからか、書き方にも色々と工夫があり、その辺の凝り方に初々しさが感じられて何だか微笑ましい。 そして「アンケートとアンソロジー、映画、思い出の人びと」の章では、浅倉さんが選ぶベストSFイヤーは何年か、とか、早川ポケットミステリーシリーズで浅倉さんが一番に推すのはどの作品か、なんて話題もありますし、そうかと思うと、浅倉さんの翻訳仲間や先輩たち、あるいは海外のSF関係者との交流が描かれていたり、SF映画についての浅倉さんの感想やお考えなどが綴られていたり、これまた楽しくも興味深い読み物になっています。 で、最後の最後には、さすがに翻訳家らしく、一篇だけ短編の翻訳が載せられているんですけど、これがまた難解な作品で、読んでも全然分からない。浅倉さんもご自分で訳していて分からないらしいんですな。で、翻訳の後に、ある研究家が「この作品は要するにこういう内容だ」と説明している文章が載っているんですけど、これを読んで浅倉さんと我々読者が一緒になって「えー! そういうことだったのー?!」とびっくり仰天して、それでおしまいという趣向。これがまた楽しい。 とまあ、『ぼくがカンガルーに出会ったころ』というのは、こんな感じの本なんですけど、何しろSFが好きで好きで永年翻訳されてきた浅倉さんの本だけに、この本には膨大なSFについての知識に裏打ちされた興味深い話がつまっているんです。そしてそれと同時に、日本でSFという文学ジャンルがどうやって受容されてきたかということの一つの証言にもなっている。で、それらを語る浅倉さんの筆に、SFに対する愛情がたっぷり籠もっていて、実に気持ちがいいんですわ。「衒学」という言葉とはまったく離れたものが、ここにはある。この本を読むと、ここで紹介されているSFが無性に読みたくなりますけど、そのこと自体が浅倉さんのSFへの愛を証しています。 でまた、この本を読んでいて私が驚くのは、浅倉さんの文体の若々しさです。ま、もちろん浅倉さんがお若い時に書かれた文章を再録した部分が多いのも事実ですが、最近お書きになった箇所を読んでも、とても60歳、70歳を越えた方の文章とは思えません。それはつまり、SF翻訳の大家であるにもかかわらず、偉ぶったところがかけらもない、ということでもあり、またギャグのセンスが今の時代とズレていないということでもある。それはすごいことだと思います。 ちなみに、今、「ギャグのセンス」と言いましたが、この本の余白、というか、章の終わりの白紙のスペースなどに、浅倉さんお手製の「SF短歌」とか、「SF替え歌」みたいなのがちょこっと載っているんですけど、これがまた笑えるんですわ。たとえば: 原文の味が出るとか出ないとか 言ってくれるじゃないかと思う 「アシモフとハインラインが好きでしょう」 決めつけられてそんな気もする なんて、「俵万智風SF短歌」のセンス、私はいいと思いますねぇ・・・。さらに八代亜紀『雨の慕情』のメロディーに乗せた『絶版慕情』は、こんな感じ: みんなが忘れたあの本も 訳したわたしは覚えてる 長い月日のたつまえに 本屋の棚から消えていた ないから売れない ないから売れない いくら待っても やはり売れない 再販刷れ刷れ もっと刷れ 私の印税 もって来い 再販刷れ刷れ もっと刷れ 私の印税 もって来い おお! 物書きの悲哀がよく出ているじゃないですか! とまあ、色々書いてきましたけど、とにかくこの本、一読の価値はあります。ちょっとお値段が高いですけど、何しろSF翻訳の大家が初めて出した著書ですからね、買って損はないのではないでしょうか。 『ぼくがカンガルーに出会ったころ』、教授のおすすめ! です。これこれ! ↓* つけたし・・・ そうそう、この本を読んでいてもう一つ面白かったことは、私の友人がちょっとだけ登場していたこと。本書39頁、「本誌の竹内編集長にこの一件をぽろっとしゃべってしまったのが運のつき」とある「竹内編集長」というのは、当時、早川書房に勤めていた私の大学時代の友人、竹内祐一でございます。あいつ、その後フリーになったようですが、今頃どこで何をしていることやら・・・。
November 29, 2006
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あちこちで「風邪引いた」という話を聞くなあと思っていたら、ついに我が家でも急患が・・・。って、私ではなく家内なんですが。 ということで、今日は大学の帰りに風邪薬やら胃薬やらをしこたま買い込み、スーパーでも色々買い込みました。当面困らないだけの食料(レトルト食品など)やら、病人に水分を与えるためのスポーツドリンク、はたまた食欲のない時に食べさせる果物入りのゼリーなどなど・・・。 で、夕食には私がお粥を作りました。白粥に、ほんの少しだけ「ゆかり」をパラリ。あまり食欲がないようだったので、おかずは先日足助で買ってきた「きゃら蕗」、そして到来物の梅干しだけ。ただこれだけだとちょっと彩りが寂しいので、買ってきたホウレンソウを茹で、花鰹と蕎麦ツユをかけて出してみました。ホウレンソウはちょっと茹で過ぎてしまいましたが、柔らかくはなったので、かえって良かったかも・・・。 お腹にくる風邪だったので、食べられるかな? と思いましたけど、それでも茶碗に半分ほどのお粥と、冷たいゼリーは食べられたようです。水分もとらにゃイカンと思ったので、カテキンの殺菌力とビタミンC効果を期待して緑茶を沢山飲ませ、「冷えピタ」をおでこに貼って、先程寝室に送り出したところですが、あとはうんと寝て、体力の回復を待つしかないですな。 ま、私自身もよく風邪を引くので、人の看病は慣れたもんですわ。要するに、自分が風邪を引いた時に望むことをしてやればいいのですから。 しかし、夫婦共倒れになるとまずいので、私も注意しなくては! 何だかこのところ妙に暖かい日があったり、急に寒くなったり、寒暖の差の激しい気候が続いておりますので、皆さんも風邪にはくれぐれもお気をつけ下さいね。それでは、今日はこの辺で。
November 28, 2006
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クロマグロの漁獲高削減で、ますます庶民の口には入らなくなるんだそうですが・・・。 いいよ~。私に関しては全然オッケー。嫌いだもん、鮪。特にトロ、大嫌い。 トロに関しては、幼少時にトラウマがありまして。あれは私が幼稚園の年中さんの頃。父兄同伴の遠足か何かがあって、大親友の谷口君と一緒にお昼のお弁当を食べていたんですな。で、そういうケースでよくあるように、お互いの弁当を交換したりしていたわけですよ。 で、谷口君のところは、遠足のお弁当にトロの鉄火巻きを持ってきていた、と。 よく考えてみると、この時点で疑問符ですよね。お弁当に生モノはないでしょう・・・。 しかも、さらによくないことに、谷口君のご家庭では、どうやらお寿司を食べるのに醤油を使わない習慣だったらしいんです。かくして、幼い私は、親友と親友のお母さんに勧められるままに、生暖かいトロの鉄火巻きを醤油なしで口に入れることになったのでございます。すると・・・ とろりとしたミルキーな生臭さがお口一杯に広がる! みたいなー! (by 桃山りり) 一旦口に入れちゃった以上、出すに出せない、みたいな感じで、どうにか飲み込むことに成功しましたけど、あれは涙が出るほどまずかった・・・。それでいて、「ね、おいしいでしょう?!」と言わんばかりに、輝く笑顔で私の顔を覗き込んだ谷口君に恥をかかすわけにもいかず、私は心でさめざめと泣きながら、気丈にもニッコリと微笑んだのでございます。 かくしてここに鮪嫌い、トロ嫌いな人間が誕生してしまったという・・・。 ま、それはさておきまして・・・、実際、そんなにうまいですか、トロ? 「昔は鮪と言えば赤身のことで、トロの部分なんて捨ててたんだよ」みたいな誰でも知ってるトリビアを持ち出すほど野暮じゃございませんが、私にはアレがそんなに美味なものとは思えませんなあ。個人的には、これから死ぬまで一生食べられなくても、別に構いませんぜ。 だから、「クロマグロがますます高くなる」なんて言われたって、平気の平左。そんなものより、たとえば一尾100円の秋刀魚の方がよっぽど好きですもーん。 つい先日、塩引きの秋刀魚を焼いて、それを御飯と一緒に炊き、身も肝も混ぜて食べる「塩秋刀魚の炊き込み御飯」ってのをテレビの番組で見ましたけど、あれは旨そうだったな! ね。何も高い食材じゃなくたって、この世に旨いものはいくらもありますよ。鮪くらいのことで、がたがた言わないの。天下のNHKも、そんなことくらいでニュースにとりあげるんじゃない! 鮪がなけりゃ、他のものを食いましょう。そうやって皆が皆、鮪のトロに見向きもしなくなれば、そのうち向こうの方からどんどん値段を下げてきますって!
November 27, 2006
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大相撲九州場所が終わりました。「一年納めの九州場所」と言い、力士たちには「ここで負け越したくない」という思いがあって、力が入る場所でもあります。また冬の九州は食べ物がおいしいということで、その意味でも九州場所を楽しみにしている力士も多いとか。大相撲ファンにとっても、今年最後となる場所なので、応援にも気合が入ります。 ・・・その割には、福岡のお客さんの入りが少なかったなぁ・・・。 ま、それも仕方がないですかね。またまた朝青龍が千秋楽を待たずに14日目で優勝決定ですから・・・。今日も千代大海の健闘虚しく勝ち星を挙げ、通算5回目の全勝優勝ですか。ライバル不在では盛り上がりませんよ、そりゃ。今場所、優勝争いの一番のライバルが前頭下位の豊真将だってんですから、何をかいわんや。今場所の朝青龍は、全勝優勝できるほど強くなかったのにね。 それにしても、その豊真将、大分力をつけてきましたね。ちなみに、ちょっとここで自慢させていただきますと、ワタクシ、彼には早くから目をつけておったんです。過去のブログでも・・・ ・・・ま、強いて言えば豊真将という力士。今場所こそ怪我で負け越したものの、面構えがいいので、この先、ちょっと期待してもいいかな、という気になりましたけどね。(2006年5月21日) ・・・あと豊真将が9勝ですか。彼はなかなか筋がいいと私は思っているのですが、ちょっと歳がいっているんですよね。彼がもう3歳か4歳若くてこの地位ならば、もっと期待するのですが。(2006年7月23日) などと前々から注目していましたから(エッヘン!)、今場所の彼の活躍はいわば「想定内」でございます。ただ、まだ立ち会いが甘い、甘い。あんなふわっとした立ち会いでは、幕内上位では通用しません。もっと踏み込み鋭く、突いていくのか、つかまえにいくのかはっきりさせた立ち会いをしなくちゃ。もちろん、つかまえにいく方がいいと思いますけどね。 その他、三役・前頭で注目すべき人は、いません。解説の人たちは稀勢の里や琴奨菊を評価しますが、ワタクシはこの二人にはぜーんぜん期待していません。彼らはせいぜい三役止まりの相撲取りですよ。相撲見れば分かるでしょうに・・・。 それから先場所活躍した安治川部屋の安美錦と安馬は、どちらも5勝9敗と負け越してしまいました。しかし、そのこと自体は私としては想定内でして、先場所の総括の際、「ま、二人とも来場所は番付がぐっと上がり、それゆえ大負けするようなことになると思いますが(2006年9月24日)」と予想しておいた通りになっただけのことでございます。(エッヘン!) 一方、大関陣を見渡しますと、今場所はそれぞれ頑張ったんじゃないでしょうか。現状を見れば、中日までの彼らの頑張りは大したもの。特に地元出身の魁皇は盛大な応援にも助けられ、強い相撲を見せてくれました。あの黄金の右上手投げ、あれは依然としてものすごいパワーですなあ。魁皇が横綱戦であの右上手投げ、あるいは脇を絞めての右小手投げでも見せてくれたら、ちょっと面白い展開になると思うのですが・・・。もっとも朝青龍もさるもの、魁皇にまともに相撲をとらせませんからね。 また栃東も、左膝の怪我を再発させるまではいい相撲をとっていました。万全な体調で一場所過ごせれば、まだ何回か優勝できるかも知れません。横綱昇進は、ちょっと無理だな・・・。残念ですけど。 しかしそんな中、今場所、私がもっとも目を見張ったのは大関・琴欧洲です。不思議なことに、今場所の琴欧洲はほとんど誰からも注目されていませんでしたが、あれは逸材ですよ。たしかに今場所は10勝しかしていませんが、勝った相撲は、凄い内容で勝っています。がっちり両回しを引きつけ、相手の肩口に噛みつく様な姿勢で鯖折り気味に寄っていく時の迫力たるや・・・。あんな凄い相撲見せられて、彼の実力に気づかない解説者たちの目って、ひょっとして節穴じゃない? でまた、舞の海さんをはじめとする解説者たちは、双差しを狙う彼の相撲を批判して「スケールが小さい」などと言いますが、一体何のことやら・・・。あれだけ身体が大きく、腕の長い力士なんですから、相手の肩ごしに上手をとることなんて簡単にできますよ。ですから、それは奥の手に取っておいて、当面は双差し狙いで行く。これは正しい戦略じゃないですか。 ま、それはともかく、琴欧洲は間違いなく白鵬と共に次の横綱候補ですな。彼らが横綱の地位に上がって、朝青龍の独走を阻止する日がくるのを早く見たいもんです。私の見たところ、朝青龍の相撲にも大分隙が出てきましたからね。 というわけで、今年の大相撲シーズンは、相変わらず朝青龍の強さばかりが目立ったものの、白鵬・琴欧洲という二人の巨神兵力士の成長に期待が持てるところまでは来た、という感じですね。さて、来年はどうなりますか。早くも初場所が待ち遠しいワタクシなのでございます。
November 26, 2006
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ちょっと前に教え子の結婚式に出席し、その際、カタログ方式の引き出物をいただきました。 カタログ方式の引き出物というのは、確かに必要のないものをもらう恐れがなくなる利点はありますが、いただく引き出物を自分で選ぶ、というのも案外難しいものですよね。あんまり実用的なものを選んでもアレかなぁ、なんて変に気を回しちゃったりして。 でも、今回は思いっきり実用的なものをいただいてしまいました。ずばり、「スチームアイロン」です。と言いますのも、たまたま今まで使っていたアイロンがもう古くなり、スチームの出が悪くなっていたもので、この際、こいつを新しいのに替えようと思ったんですな。 ってなわけで、随分とまた生活臭のあるものをいただいてしまったわけですけど、しかし、これがなかなかいいんですわ。やっぱり新しいだけあって、スチームがじゃんじゃん出ますもん! でまた、何を隠そう、実は私はアイロンがけが好きと来ている・・・。 以前、独り者だった時は、もちろん他に誰もアイロンをかけてくれる人なんていないのですから、ハンカチとかワイシャツとか、時にはズボンに至るまで、自分でアイロンをかけていたわけですよ。でも私はその作業が決して嫌いではなく、結構鼻唄交じりにちゃちゃっと仕上げていたものでございます。いつだったか実家に戻っていた時、たまたま私が自分の服にアイロンをかけているのを見た我が姉が、その手つきのあまりの見事さに感心し、「ねえねえ、ズボンにアイロンかけるコツってあるの?」などと尋ねてきたので、秘技を伝授してあげたことすらあるという・・・。 そういえば子どもの頃、母と一緒に近所のクリーニング屋さんに行き、ガラス張りの店の奥で汗だくになりながらアイロンをかけている職人さんたちの動きを見るのが好きでした。彼らの使うアイロンは、コードが邪魔にならないよう天井から吊るしてあったりして、さすがにプロの使う道具は家庭用のとは違うなあ、なんて感心したりしてね。 ま、そんなアイロン好きの私だけに、新しいアイロンが手に入ったとなると、ちょっと使いたくなるのも無理はありません。ということで、この前、久し振りに自分でアイロンがけしてみたわけ。すると・・・ 楽しーい! 先程も言いましたように、新しいアイロンはスチームの出がいいもので、まるでプロのクリーニング屋さんのようにビシっと仕上がります。でまた調子に乗ってじゃんじゃんかけているうちに、昔の手際を思い出し、面白いようにスピードアップ。ワイシャツ1枚、大体2分くらいでかけちゃいますね。 で、自分の分を全部かけ終わっちゃったので、ついでに家内のブラウスまでアイロンかけちゃったりして。もっとも、女物のブラウスはあちこちに意外な切り返しがあったりして難しい、難しい。さすがに「1枚2分」というわけには行きません。でも、難しいからこそ闘志が湧く、みたいなー!(by 桃山りり。) 私の敬愛する林望大先生も、そのエッセイの中で「アイロンがけくらい、男も自分でやれ!」と獅子吼されておりますが、林さんが私のアイロンがけの技術を見たら、さぞ「知己を得た」と思われることでございましょう。 ということで、このところすっかりアイロンがけ職人みたいになっているワタクシなのでした。「アイロンがけなんぞ・・・」などと思っている男性諸君! 騙されたと思って自分のワイシャツくらい自分でアイロンをかけてご覧なさい。あれ、案外楽しい気晴らしなんですぞ!
November 25, 2006
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今日は家内を連れて名古屋の奥座敷、足助町にある「香嵐渓」というところに行って来ました。 全国的にはさほど有名ではないかも知れませんが、香嵐渓というのは紅葉の名所でありまして、名古屋の人は秋になるとここの紅葉を見に行くというのが一つの風物詩になっています。ま、東京で言えば秋川渓谷とか青梅とか、そんな感じのところと思っていただけば、当たらずといえども遠からずです。 ま、そんな紅葉の名所ですから、土・日・祝日に行ったりすると人出がもの凄く、またそこまで行く道もほとんど一本道みたいなものなので車の渋滞も大変なものになってしまうんですけど、今日は金曜日ということで、渋滞も恐れていたほどではありませんでしたね。香嵐渓の手前約2キロほどがノロノロになったくらい。 それでも駐車場はほぼ満杯で、普段だったら使われないだろう奥の方の駐車場に誘導されてしまいましたけど、それでもどうにか車を駐車することが出来、さて、しばしそぞろ歩きをしながら紅葉を楽しもうかと・・・ ・・・思ったのですが、まずは腹拵えをしないとね。いや、実は今日はどこで昼飯を食べるか、あてがあったんです。香嵐渓の入り口近く、「川安」というの鰻屋さんがありまして、今日はそこでうなぎを食べようかと。私たちも川安で食べるのは初めてだったんですが、すごくおいしい鰻を食べさせるということを人づてに聞いていたので、ぜひ一度行ってみようと思っていたんです。 で、行ってみると、これがまた渋い店構えで、いかにも「年季入ってます」という感じ。いいですね、こういう店構え、嫌いじゃないですねえ・・・。これこれ! ↓ 私たちが頼んだのは「鰻重」ですが、肝吸付きで1700円也。鰻丼の並は1100円でしたから、ま、リーズナブルな価格設定と言えるのではないでしょうか。で、肝心なその味ですが・・・ うまーい! 歯ごたえのある鰻の身をバリッと香ばしく焼き上げてあり、タレの味も濃いめで、なかなか野性味溢れる味でしたねえ。名古屋の鰻は、「切腹」を嫌って背開きにする東京の鰻と違い、ガツンと腹開き、しかも途中で蒸すことなくいきなり焼きに入るので、こういうバリッとした香ばしい歯ごたえが身上なんです。ま、私の好みから言いますと、味にもう少し繊細さがあった方がいいのですが、それでも川安の鰻、一食の価値はありますね。 かくしてお腹が一杯になった我らは、いよいよ香嵐渓に向かった・・・と言いたいところですが、たまたま川安のほぼ真ん前に何やら骨董屋さんがあったので、チラッと覗いてみたら、大正時代のものと思しき妙なデザインの急須があって、店番の耳の遠いおじいさんが同じデザインの茶碗二つつけて2000円にしておきますと言うので、つい買っちゃいました。まったく、紅葉狩りに来て何やってんだか、って感じですけど・・・。 かくして妙なお土産も仕込んでしまってから、ようやく紅葉輝く川沿いの散策路へ出たわけですけど、バスツアーであちこちから集まってきた観光客が到着したのかすごい人だかり。今日は平日なので、観光客の多くがおじいちゃん・おばあちゃんたちでしたけど、特におじいちゃんたちの間の写真ブームはものすごいものがあるらしく、皆プロが使う様なでっかいカメラと三脚を持ってここぞという撮影場所を求めて、右往左往していましたなあ。特に一番の名所たる「待月橋」のあたりは押すな押すなの賑わいです。 で、そんな観光客のごった返す中、人込みの嫌いな我ら夫婦は、人のいない方、いない方へと逃げまどっているうちに、何だか知らないうちに緋毛氈も鮮やかな茶房に出てしまいました。しかし、この穴場の茶房がなかなか良かったんです。待月橋から歩いてわずか3分ほどのところなのに、あまり人が気づいていないのかすごく空いていて、しかもお日様に照らされた向こう岸の紅葉が一望できる絶好のシチュエーションと来ているのですから、紅葉を楽しみながら一息つくにはもってこい。甘酒で身体を温めながら、見事な紅葉を望んでしばし至福の時を過ごしてしまいました。 でまた、私たちの後からこの茶房に立ち寄った老夫婦がとても可愛い人たちで。緋毛氈に腰をかけたこのおばちゃん、向こう岸の紅葉を眺めながら感に堪えたように「私、いっぺんここに来たかったんだー」っておっしゃったんです。なんて可愛いらしい! そんなこと言ってくれる奥さんだったら、もう何べんでもここに連れてきてあげたくなりますよね。それでおじちゃんの方は甘酒を、おばちゃんはお菓子付の抹茶を注文されたんですけど、甘酒にお菓子が付いてないのを見たおばちゃん、半分齧ったお菓子を「はい」っておじちゃんに差し出したんです。で、おじちゃんの方は渡されたお菓子を少し齧って、「残りはお前、お食べよ」という感じでおばちゃんに返したりして。なんか、可愛い老夫婦って感じでしたなぁ・・・。 そうそう、それからこの茶房では中に囲炉裏みたいのが切ってあって、そこで丸太を燃やして暖をとっているんですけど、途中、一度火が消えかけたんです。そしたら、店の人が紅葉の枯葉を集めてきてそれを焚きつけにして火を起したんです。紅葉狩りに来て、紅葉の枯葉で暖をとるってのも、何だかちょっといいもんでしたよ。 ってなわけで、すっかりこの穴場の茶房を満喫した我らは、再び人込みの中に戻り、さらに川沿いの道を進んで、土産物屋や屋台などが軒を並べるところまでやってきました。でまた、この一角が魅力的でして。香嵐渓の近くにある有名なハム・ソーセージ工房から取り寄せたおいしそうなソーセージを焼いて食べさせるところがあったり、横浜かどこかの中華街から派遣されてきた中華のシェフたちが刀削麺なんかを実演で作って売っていたり、鮎の塩焼きやら鮎雑炊なんかを売っている店があったり、竹を切って作ったコップに熱燗を注いで売っている店があったりと、まあどちらを見ても食欲をそそられる光景が・・・。私たちもトチ狂ったようにアチラで饅頭、コチラで栗きんとん、さらにソチラで名産の漬物・・・という具合に買いまくりましたが、もし鰻で満腹になっていなかったら、ここで色々なものを食べて見たかったなぁ! で、これ以上ここにいたら財布が空になる~! と危機感を抱き、とりあえずこの場を離れ、次に向かったのは香嵐渓随一の古刹・香積寺。やっぱり香嵐渓に来たら、ここでお参りしないと気が済まないのでね。そんなに大きい寺ではないけれど、なんとなく心落ち着くいいお寺さんです。 さて、このお寺をお参りしたところで、今回の香嵐渓ツアーも大団円。紅葉と鰻を満喫し、お土産も色々仕込んだ我らは、駐車場に戻って帰路につきました。ちなみに、この一番奥の駐車場から一般道に出る道が、これまた実に快適かつ美しい道で、小旅行を締めくくるにふさわしい「オマケ」でしたネ。 ・・・とまあ、紅葉シーズンの香嵐渓には私たちも今回初めて行ってみたわけですけど、休日の合間を縫っていけば、混雑も我慢どころだということも分かりましたし、色々なところに穴場も見つけることができ、結構楽しめました。いい気晴らしになりましたよ。 でも、やはり心残りは、屋台かな・・・。あんなにおいしそうなものをあれこれ売っていたのに、お腹が一杯過ぎて、なーんも食べられなかった・・・。おーし、来年こそは、あの屋台コーナーで死ぬほど食べてやるぞ~!
November 24, 2006
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風邪を引き易い体質のワタクシ。寒くなる季節は辛いんです。 ということで、風邪の予防にはいつも人一倍気をつかうのですけど、最近、こんな民間療法をインターネット上で見つけました。 ま、これはアメリカでよく行われている民間療法らしいのですが、ドライヤーの熱風を首の後ろ、項のあたりに吹きつけるというもの。要するにドライヤーでお灸をすえるような感じでしょうか。「生姜湯」とか「卵酒」などで内側から身体を温めようとする日本の民間療法と違い、文明の利器を使って物理的に身体を温めようというあたりが、さすがにアメリカのプラグマティズムという感じがしますね。 で、先日、「ちょっと風邪気味かなぁ」と思われた日にやってみたんですよ、このドライヤー作戦。風呂上がり、髪の毛を乾かすついでに、ドライヤーの熱風を首筋(首の後ろ)に当ててみたわけ。熱風を当てる時間は、そうですね、トータル1分くらいですかね。すると・・・ おお、何だか全身がポカポカしてきたぞ! 先のインターネット上の情報によりますと、どうも首の後ろに身体を温めるツボがあるらしく、その一点を温めることで全身が温まり、それが引きはじめの風邪に有効なのだそうですが、確かにドライヤーの熱風がツボを通じて全身に回るような感じ。しかもその温かみはしばらく続くので、湯冷めすることなく、ぬくぬくと就寝できるんです。 で、実際、その時の風邪の兆候は翌朝にはキレイに雲散霧消! ということで、その日以降、私はこの「ドライヤー灸」に凝っておりまして、風邪の予防として、寝る前に必ず首の後ろのツボをドライヤーで温めてから就寝するようにしておるのでございます。いいですよ~、これ。私のように風邪を引き易い人ばかりでなく、冷え性の女性にもいいのではないでしょうか。騙されたと思って、お試し下さい。ただ、あまりドライヤーを近づけ過ぎると火傷をしますから、そこは適当に案配して、ね。ドライヤー灸、教授のおすすめ! です。
November 23, 2006
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男ってのは、大体そういうものだと思うのですが、私は自分の持っている服の中で好きなものとそうでもないものがあって、気がつくと好きなものばっかり着ているということがあります。「そうでもないもの」だって、それを買った時には「いい」と思って買ったはずなんですが、買った後でどこかしら気に入らない部分が出てきちゃうんですな。 それで、大学に着ていくスーツに関しても「お気に入り」と「そうでもない」ものに分かれるわけですよ。「お気に入り」の方は随分頻繁に着るのに、「そうでもない」ものの出番はなかなか回ってこなかったりする。 で、私のワードローブの中に一着、秋・冬もののスーツなんですが、もう10年くらい「お気に入り」として愛用しているものがあるんです。それだけ長い間着ているのに全然痛みもないし、まだまだ着られそうなんですけどね。 でも、最近、そのスーツを着ていると、何だかこう、落ち着かないような、違和感のようなものを感じるようになってきたんです。 で、何でだろう、何でだろうと思っていたんですけど、ようやくその原因が分かりました。 スーツとしての「型」が、さすがに古くなってきたんです。 男物の服なんて、結局、すべてが定番みたいなものですから、ファッションとして「型」が古びるということは、女物ほど激しくはありません。ましてや「スーツ」なんてのは、そうそう時代後れになるもんでもないでしょう。しかし、それでもやっぱりスーツにも多少は流行があるわけで、その流行の変化に私の愛用のスーツは取り残されていったんですな・・・。 どういうところにそれを感じるかというと、「肩のあたりの裁ち方」ですね。それから「ズボンの太さ」。 私のその愛用のスーツは、まだバブル経済の名残りのある頃のものなので、ほんの少しだけ肩パッドを入れて肩幅をわざと広めに作ってあるんです。それからズボンも腿のあたりがやや太めに作られている。典型的なバブルスーツですね。なんかちょっと、昔のホストみたい・・・。 だもので、さすがに流行に疎い私でも、そのあたりの不自然なスーツの裁ち方に違和感を覚えるようになってきたわけですよ。特に最近作ったスーツが今風に細身に作られているので、その新しいスーツを着た翌日に10年選手の愛用スーツを着たりすると、「アレ?」と思うわけ。 うーん、さすがにこのスーツも寿命かなぁ・・・。 でも、ですね。このスーツには想い出がありまして。私が今勤めている大学に勤め始めて最初に教えた教え子たちが卒業した時、その中の一人が男性衣料品の会社に就職したんです。で、そいつの社内成績を上げてやろうと思い、彼と同じ学年の教え子二人を引き連れ、岐阜県多治見市にあったそいつの店まではるばるドライブして行って一着買ってやった、そのスーツなんです。私が試着室で色々なスーツを試着する度に、三人の教え子たちが頭を寄せて、「先生に似合いますね」とか「イマイチですかね」などと見立ててくれ、そうやって選び出したスーツなんですな。 ま、私も気に入ってこの10年というものさんざん着たスーツなので、もう完全に元は取りました。けれど、上に述べたような想い出があるので、「古くなったから、捨てる」というわけには行きませんなあ。たとえタンスの肥やしになろうとも、当分の間は取っておくつもりです。私はモノに執着する質なのでね。 それに・・・いつの日か再び「肩幅の広いスーツ」が流行する時が来るかも知れませんからね。ジーンズだって、昔流行った「パンタロン」が「ブーツカット」と名前を変えて再流行したじゃないですか。そして今、かつての「スリムジーンズ」が「スキニージーンズ」として復活しつつあるでしょ? 温故知新、温故知新。私の愛用のスーツだって、もう一度「流行の先端」となる日が来ないとは、誰にも言えませんよ!
November 22, 2006
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皆さんのお手元にも届きましたでしょうか、『JAF MATE』12月号。私のところにも昨日届きました。それで昨夜は夕食後のくつろぎタイムにこの雑誌のページをパラパラめくっていたわけですよ。今月号の特集記事は「旅先のうまいラーメン」だったので、「あー、そういやラーメンも食べたいな~!」などと思いながら、ね。 で、そんなことをしているうちに、たまたまこの雑誌の奥付(65ページ下)に目が行ったんです。そしたらびっくり仰天。 『JAF MATE』12月号の発行部数、12,285,750部・・・! せ、せんにひゃくにじゅうはちまん部! ぎょえ~、この雑誌、そんなに発行部数あるの?! うーん、ま、日本中のJAF会員の数を思えば、そういうことになるのかしらん。それにしても凄い発行部数です。今、日本で定期的に発行されている商業雑誌で、こんな桁違いな発行部数を誇る雑誌なんて他にあるんでしょうか。 で、その辺、どうなんだろうと興味が出てきたので、ちょいと調べてみました。巷に流通している代表的な雑誌の発行部数は大体以下の通りでございます:男性週刊誌『AERA』25万部 『週刊文春』80万部『FRIDAY』47万部男性月刊誌『中央公論』4万2千部『新潮』1万2千部『プレイボーイ』6万7千部『文藝春秋』63万部ビジネス系『会社四季報』60万部『PRESIDENT』24万部趣味系『山と渓谷』18万部『趣味の園芸』52万部マンガ『週刊少年ジャンプ』295万部『週刊少年マガジン』240万部『りぼん』54万部『ちゃお』103万部情報誌『東京ウォーカー』14万部『DIME』17万部『月刊テレビジョン』110万部女性誌『CanCam』63万部『JJ』43万部『non・no』50万部『More』68万部『Oggi』23万部『With』63万部『BAILA』16万部女性情報誌『クロワッサン』30万部『ESSE』60万部『オレンジページ』53万部おばさま系『女性セブン』56万部『家庭画報』18万部『婦人之友』10万部『きょうの料理』86万部 ・・・とまあ、こんな感じです。ま、『少年ジャンプ』あたりが295万部と健闘していますが、それにしたって、『JAF MATE』の1228万部と比べちゃったら桁が一つ違う。となれば、大概の雑誌とは桁が二つか三つか四つ、違うということですよ。『JAF MATE』の膨大な発行部数に気づいた私が驚くのも無理ないでしょう? で、『JAF MATE』というのはそういう空前絶後の雑誌なんだ、と思って改めて内容を読み直すと、これがまた何ともしょぼいんですわ・・・。「高速道路のSA・PA名物メニュー」「すぐできるエコドライブ 不用な荷物は降ろそう」「車内のCO中毒」「花田勝さんのお店のちゃんこ鍋レシピ」・・・それからこれは何だ? 「クルマ川柳」だぁ? 「地図よりも カーナビよりも お父さん」・・って、一体何の話だ!? いや~。いかんですたい。1千万部を軽く越す雑誌の内容がこんなんじゃ、ぜーんぜんダメですたい。 あのですね、発行部数が1千万部を越す雑誌なんてのは、とんでもなく強力なメディアなんですよ。それなのにその自覚も自負もなく、こんなどうでも良いような記事ばっかり載せちゃって・・・。第一、これだけ発行部数がある雑誌だったら、その気になりさえすれば、どんな一流ブランドの広告だって取れますよ。そして、そこからとんでもない額の広告収入が得られるはず。いんちき臭い「ランタン」だとか、ダサイ「あったか下着」だとか、「30枚のカードが収まる大容量の財布」なんて通販しているバヤイじゃないです。 それにそれだけ広告収入があれば、世界中のどんな一流のライターにだって原稿頼めますよ。ハイソなブランドの広告載せて、その広告料で最高のライターに記事を書かせ、それを最高の編集者に編集させ、最高のアーティストを使ってデザインさせたら、もうほとんど夢の雑誌になるのに・・・。「みんなのエコ川柳2006大募集!」なんてやっているバヤイじゃなーい! 私もこれまでのクルマ人生の中で、何度かJAFのお世話になったことがあり、この組織のロードサービスの優秀さについては、なーんの文句もありません。しかし、組織全体として見た場合、本来ならもの凄くパワーのある組織であるはずなのに、そのパワーを有効に活用していないと思いますし、そのことについては常々非常に腹立たしく思っております。『JAF MATE』のおちゃらけ編集ぶりは、その氷山の一角ですな。 とにかく、1千万部を軽く越える空前絶後の大雑誌として、『JAF MATE』にはもっとセンスのある、もっと知的な、もっと美しい雑誌になってもらいたいと、ワタクシはそう思うのであります。読者諸賢のご意見や、如何に?
November 21, 2006
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しっかし、最近、見たい映画がないですなあ・・・。 実は福祉関連の何チャラで、ひと月ほど前に大学当局から映画のタダ券を2枚もらったんですけど、見たい映画が全然ないので、なかなか使えないんです。 だって、今やっている映画って、ほとんどが邦画じゃないですか。ワタクシ、自慢じゃないですけど、これまでの人生でお金を払って邦画を映画館で見たことなんてありません。見たい邦画なんか、私が物心ついてから今日に至るまで存在しなかったですし。 しかし、この数年ほどの邦画人気の復活ってすごいですね。数年前、ちょうど私が「アメリカ映画論」という講義を始めた頃は、映画館にかかっている映画の大半はアメリカ映画でした。だからこそ私は講義の冒頭、「今、映画館で上映している映画のタイトルをご覧なさい。ほとんどがアメリカ映画でしょう? つまり現代に生きる我々にとって『映画を見る』とは、要するに『アメリカ映画を見る』ということと同義なのです」、なーんて高らかに述べられたのです。 でも、それがどうでしょう。今、映画館に行って見られる映画って『デスノート』『椿山課長の七日間』『7月24日通りのクリスマス』『木更津キャッツアイ』『Tanka』『Tegami』『ただ、君を愛してる』『地下鉄に乗って』『涙そうそう』・・・ってなもんでしょう? 邦画ばっかりじゃないですか・・・。それに比べて洋画となると寂しいもんで、せいぜい『父親たちの星条旗』『ワールド・トレード・センター』『トゥモロー・ワールド』『プラダを着た悪魔』くらいなもんですわ。あ、あと『ナッチョ・リブレ』ね。 これじゃ、「映画を見るとは、要するにアメリカ映画を見ることと同義なのです」なんて言えませんよ・・・。 ま、最近ハリウッドもやたらに低調なので、不人気も仕方がないのかなとも思いますが、この洋画の不人気の一因は、若者の「字幕離れ」もあるらしい、なんて話もよく聞きます。実際、レンタルビデオ屋なんかでも、洋画の場合、字幕スーパー版ではなく、日本語吹き替え版の需要が高まっているんですって。 つまりですね、今どきの若い人たちって、字幕が読めないらしいんですよ。読むスピードが遅過ぎて、間に合わないらしい。ま、辛うじて読めたとしても、文字を追うのが疲れるので、いっそ吹き替え版がいいのですって・・・。シンジラレナーイ! ですけどね。 ま、そんなホントとも思われない話を色々な方面から聞くと、単純に「昔みたいに邦画の人気が上がってよかったなあ」とは思えなくなってきます。ジャズなども含めた洋楽人気の低迷と、J-POP人気の上昇という現象も含め、「分からないし、面倒くさいから見ない、聴かない」という風潮が若い人たちの間にあるとしたら、それは相当に由々しき問題なんじゃないでしょうか。要するに、外の世界に興味がない、ということですからね・・・。 なーんて、ちょっと針小棒大なことを言っているのかも知れませんけど、とにかく、私にとって差し当たりの問題は、せっかく映画館のタダ券があるのに、見たい映画が一つもないっちゅーことですわ。タダ券の期限は来年の1月末までなんですけど、どうなんでしょうか。それまでに面白そうな洋画って来ますかね・・・。 え? 『007』はどうか、ですって? ビミョ~!!
November 20, 2006
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私のような仕事をしていると、年によっては入試問題の作成に携わらなくてはならないことがあります。勤務校の入試問題作成をするのはもちろんのこと、時に他大学・他機関の入試問題の作成を依頼されることすらあるんです。 ま、何を隠そう、私は割とそれが得意で、伝統的な入試問題にせよ、斬新な奴にせよ、私が作った入試問題は評判がいいんです。なぜ評判がいいかどうか分かるかといいますと、河合塾みたいな大手予備校が、日本全国の大学の入試問題について毎年各教科毎に評価を出していて、それによると、私が作問に係わった年は、日本全国のすべての大学中、大抵ベスト5以内の評価を得るからです。国立大学では毎回ダントツ1位です。 ま、そんな自負も多少はあるので、こと「英語の入試問題の作問」に関しては、常に工夫怠りなく、それなりに研究もしております。 しかし、そんな研究の中で気づいたことが一つありまして。それは何かと申しますと・・・ アメリカ人(英語圏の人)が、英語を勉強している外国人向けに作った英語の問題(特に文法問題)に、ロクなものがない、ということでございます。 いや、ひょっとすると日本人以外の外国人には十分通用するのかもしれません。しかし、こと日本人を対象にした英語文法問題として見ると、これはもうホントに笑っちゃうようなもんで、入試問題作問のプロたるワタクシの目から見て、まったく使えない文法問題ばっかり作るんですわ・・・。こんなこと聞いてどうするんだよ! ってな感じの問題ばっか。ま、要するに「日本人生徒には簡単過ぎる問題」ばっかりです。ですから、入試問題なんかを作る時に、外人さんの作る英語文法問題をちょっと参考にしてやろう、なんていう目論見は、見事に期待外れになる。 結局、何だかんだ言って、日本の英語教育における「文法教育」ってのは、相当なレベルにあるんですな。他の点では色々劣っているところはあるのでしょうけど、こと文法教育に関しては大したもんなんですわ。 で、それだけレベルの高いことを教えているので、文法事項によっては、日本人の生徒にはどうしても理解しにくいところが出てくる。多くの生徒が引っ掛かるところ、悩むところというのが出てくるわけです。で、日本の「大学入試問題」ってのは、まさにその「躓きの石」を突いてきたんですな、伝統的に。そこを突いてこそ、受験生の文法力の程度が分かりますからね。 しかし、そうなってくると受験生もさるもの。入試対策として「過去問」を研究し、難しい文法事項をマスターして試験に臨んでくる。だもので、大学側もさらに巧妙な引っ掛けを仕込んだ入試問題を用意する、と。そうやって、日本の「入試英語」ってのは、自動的に切磋琢磨してきたんです。で、その切磋琢磨が永年蓄積しているわけですから、日本の大学の英語の入試問題ってのは、聞きどころ・答えどころというのが見事に確立していると言っていい。 つまり、日本の英語の入試問題って、ある意味、一つの「伝統芸能」なんですな、もはや。分かる奴には分かる、みたいなところがあって、大学側が良い問題を作れば、優秀な受験生が大向こうから「いよ! 成駒屋!」なんて声をかけてくる世界と言いましょうか。 ところが母国語として英語をしゃべっている人たちには、そんな日本の事情なんて分かりませんから、そりゃもう、とんちんかんなところを聞いてくるんだ。 ある意味、それは当然なんでしょう。日本人だって、外国人から見て日本語のどこが難しいか、なんて普通分からないですよね。だから、普通の日本人に日本語文法の問題を作らせたら、とんちんかんな問題を作ってしまうかもしれない。それと同じです。 ま、そんな事情もあって、先にも言いましたように、英語圏のネイティヴ・スピーカーには、日本の入試問題の良問は、多分作れないだろうと思います。よっぽど日本の事情に通じた外人さんなら、別だろうと思いますが・・・。 もちろん、そうやって「日本人の入試問題」という伝統芸能を確立してしまうということが、果たしていいことなのか悪いことなのか、それは分かりません。そんなことするから、「文法は知っているけど、実際には話せない日本人」が生まれるんだと言われたら、そうなのかも知れません。しかし、実際に入試を作問する身としては、外人さんが作るような「とんちんかん」な英語文法問題って、作れないですなあ。 実は最近、とある機関の入試問題作成を依頼されているもので、その参考にしようと様々な種類の英語問題を精査・検討しながら、そんなことをつらつらと考えてしまったのでした。
November 19, 2006
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岩波新書に入っている『翻訳と日本の近代』という本を読みました。これ、書き下ろしというのではなく、日本(政治)思想史の泰斗・丸山真男氏と、一体何が専門なのかよく分からない知識人・加藤周一氏の対談録です。実際には対談というよりは、加藤氏が尋ねて丸山氏が答える、という意味での問答集なんですが。 そういうと、何だかとっても難しそうに聞こえますし、事実、難しいところもあるんですけど、基本的には、二人がしゃべっているのを記録した対談録ですから、そんな鹿爪らしい本じゃないですよ。 で、じゃ、どんなことが書いてあるんだ、と言いますと、幕末から明治維新の頃、日本は急速な近代化を迫られたわけですが、その際、西欧の文明をとにかく採り入れようってんで、やたらに「翻訳」をした。で、翻訳をするという以上、「何を翻訳したか」「どう翻訳したか」「その翻訳がどんな影響を及ぼしたか」という問題が出てくる。だから、この3点を見ていくと、日本の近代化が何を目指し、どのような形で成し遂げられたか、ということが分かっちゃうわけですよ。日本近代化の苦労の足跡が、「翻訳」という形のあるものの中に残っちゃうわけ。それを見ていこう、という企画です。 ま、コンセプトはそういうものなんですけど、具体的な内容となると、これはどうしても多岐にわたります。ですからいちいちそれを全部紹介することは出来ませんが、「ひょえ~、なるほど!」と思うことも随分あるので、それを幾つか紹介しましょうか。 たとえば、西欧列強のパワーに触れた時の、日本と中国の差、とかね。中国は阿片戦争なんかで西欧のパワーに圧倒されるんですが、中国というのは基本的に中華思想に基づく「礼の国・文の国」なのであって、もともと「野蛮人の腕力は強い」と思っているんですって。だから、西欧諸国に武力で負けたって大して驚かない。「あいつらは野蛮人だから強いんだ、バーカ、バーカ」というわけです。だから、国土の端っこくらい、くれてやったって痛くも痒くもない。 ところが日本は「尚武の国・サムライの国」なので、今まで尊敬してきた中国があっけなく西欧諸国の「武力」に負けたことがものすごくショックだった。「こりゃ、イカン!」と思っちゃったんですな。だから、すぐヨーロッパに留学生送って敵の内情調査をしつつ、近代化を急いだ、と。直接西欧との戦争に破れた中国がのんびりしているのに、まだ本格的な戦争をしていない日本がむしろ大慌てで近代化したことのは、そういう思想的・伝統的背景がある、というわけ。面白いでしょ? また翻訳を通じて敵情視察、となった時、まず何を翻訳したかというと、「歴史書」なんですって。西欧列強の歴史だけでなく、ギリシャ・ローマの歴史まで翻訳しちゃう。つまり、「相手を知るには、歴史から」という骨太な考え方が当時の日本にはあった。ま、これには儒教的な影響もあるようですが、それにしても今日の「歴史離れ・世界史離れ」とはえらい違いでございます。 もっとも「異文化」を知ろうとする伝統というのは、幕末に限らず日本には大昔からあるので、たとえば中国文化なんてのは、まさにその対象だったわけですね。しかも、17世紀から18世紀にかけての日本では、単に漢文を日本文に読み下すなんてのじゃ、本当に中国文化を理解したことにならない、という考え方をする荻生徂徠なんて学者も出てくる。つまり、異文化を異文化として理解しないとダメだ、という考え方をする人まで、もともと日本には居た。これなんか、翻訳という認識過程の弊害と対応策をちゃんと意識していたということですから、ものすごく成熟した翻訳観だと言っていい。 ちなみに、「翻訳」の話題からはちょっと逸れますが、本居宣長なんかが、和歌の心を知るためには実際に自分で作ってみないとダメだ、なーんて言いながら、「敷島の大和心を人問はば 朝日に匂ふ山桜花」みたいなヘタクソな歌を作って後々まで人々の失笑を買ったのも、荻生徂徠的な「現地のことは現地の通り、昔のことは昔の通り」に解さなくてはダメだ、という発想があったかららしいですよ。 それから、ますます「翻訳」から逸れちゃいますが、本居宣長についてはさらに面白いことが書いてある。本居宣長は日本の国のはじめについて、古事記的な神話を「事実」だと認めていたわけで、その点で後の研究者からは「馬鹿じゃん」と思われているわけですが、しかし、本居宣長大先生にはこの点について、ちゃんと理屈があるんですって。 『玉勝間』に書いてあるらしいですけど、たとえば「母親から子供が生まれる」というようなことを、普通の言葉ではなく、客観的に記述したらどうなるか。「母乳が出る」といわず、「やがて日が進むにつれ、その身体の一部が隆起し、その突端から何やら白い液体が流れ・・・」などと書いたとしたら、まったく知識なしにそれを読んだ人は「何を馬鹿なことを」と思うだろう、と言うんですな。でも、実際には、これは事実なわけですよ。母乳が出るというのは、そういうことなんですから。それと同じように、古事記などに書かれている国産みの神話にしても、「何を馬鹿なことを」と思うかもしれないけど、実際に起こったのだ、と言うわけ。 うーん、賢い! 本居宣長の言っていることにも、ちゃんと一理あるじゃないですか!! ま、その他、この本には色々面白いことが書いてあります。たとえば西欧の学術書を翻訳するにも、完全にアカデミックな本を訳するのと同時に、大衆的啓蒙書まで訳してしまい、それらが同じように明治の日本社会に大きな影響を与えてしまった、なんてこととかね。 あるいは、「火薬」だとか「肥料」なんかに応用できる「化学的知識」については、日本はそれほど驚かなかったけど、「ニュートン力学」に代表される「物理学的知識」についてはまったく圧倒されてしまったのであって、福澤諭吉が「西洋文明とは、要するにニュートンの数学的物理学である」と喝破したのはさすがにすごい洞察だ、なんて話とか。つまり人間と自然が混じり合うところに東洋文明が発するのに対し、西欧文明は人間が自然と対峙し、それを克服しようとするところから始まったという、この彼我の差に気づいちゃった、ということですよね。幕末から明治にかけて、日本の近代化というのは、こういう認識の大転換があった時代だったんですなあ・・・。 その他、日本語と外国語の言語的相違だとか、訳語が定まっていないことなどから、翻訳上の勘違いというのが沢山あって、これがそのまま当時の日本の思想的大混乱につながってしまった、なんてことについても色々例が出ています。その辺りもすごく面白い。 とまあ、色々ありますけど、「翻訳」という形で急速な近代化を成し遂げた日本の裏事情がよく分かる本です。ま、いわばドタバタの連続なんですが、そのドタバタの中に日本の文化の底力なんかも窺えるところがいい。私もこの辺の知識がまるでないものですから、随分勉強させてもらいました。この本、おすすめ! ですよ~。 しかし、それにしても丸山真男って人は、色々なことをよく知っている人ですなあ! 私は学生時代に丸山さんの名著と言われている『現代政治の思想と行動』を読んで感心したことを覚えているのですが、その後、その著書を直接読んだことはほとんどなく、むしろ丸山学を批判する立場の人の物言いばかり聞かされて、さらに敬遠するようになっちゃったんですけど、今回こうして対談集のような気軽な形式の本で丸山さんの言うことを読んでみて、やっぱり大した人だな、ということをあらためて思わされました。これを機に、丸山さんの本をもう少し読んでみましょうかね。またそれに加えて、新井白石だ、荻生徂徠だ、本居宣長だ、福澤諭吉だ、といった日本の学者・思想家の本も、もっと読まないとまずいな、と思いました。私なんか、そういうこと、まるで知らないんですもん。日本人として自分が恥ずかしいですわ。 も少し、日本のことも勉強しないといけませんね。反省!!これこれ! ↓『翻訳と日本の近代』(岩波新書)
November 18, 2006
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今日はワタクシにとって給料日だったので、家内を連れて近くの洋食屋さんにランチをしに行きました。 行ったのは名東区にある洋食屋さんの「ウィズ」というお店。ここ、以前は時々利用していたんですけど、この10年位は特に理由もなく足が遠のいていたんですな。ですから、今日はホントに久し振り。 で、久し振りに行ってみると、店内の様子が少し変わっていました。以前は、厨房が客席から見えるところにあって、厨房の前はカウンター席になっていたんですけど、今は厨房が店の奥の見えないところに移り、元々厨房とカウンター席があったところにはテーブル席が設けられていました。全体的にレストランっぽい感じになっていましたね。前は「レストラン」というより、「ビストロ」風だったんですけど・・・。 で、肝心の料理ですけど、こちらの方は相変わらずおいしかったです。今日は二人とも「ワンプレート・ア・ラ・モード」というのを頼んだのですが、まずスープ(ジャガイモと洋ネギのスープ)とバゲットが来て、それからワンプレートに6種ほどの料理が乗ったものが出されるというもの。で、その料理ですが、「菜の花と鮑のフリット」「京蕪とホタテ貝のクリーム煮」「鮪とイクラの洋風刺身」「トマトと人参のサラダ」「金目鯛のポアレ」といった感じで、和風を採り入れた創作洋食ですな。でも、一番おいしかったのは「牡蠣のグラタン」でしたね。この店は昔から牡蠣の料理が上手なんです。 で、あとはコーヒーなどが出て1680円也なのですが、今日は給料日ランチなので、奮発してデザートもつけました。私は「とろけるプリンとベイクドチーズケーキ」、家内は「モンブラン」を選びましたけど、どちらもおいしかったです。特にモンブランはうまかったなあ・・・。 また、ちょっと面白いなと思ったのは会計の仕方。以前はごく普通に入り口付近にレジがあったような気がしますが、今はテーブルで会計を済ませるアメリカ方式になったんですな。帰り際にレジのところでお金を払うより、テーブルで済ませてあとは出て行くだけというこのシステム、ちょっとカッコいいですよね。 で、我々もカッコよく会計を済ませたわけですけど、ランチタイムが終わるところで、我々が最後の客だったものですから、厨房から出てきてくれたシェフと少し話をすることが出来ました。私が「以前は、この辺に厨房がありましたよね?」と尋ねると、今から5、6年前に改装し、今のような形にしたのだとか。 しかしその時驚いたことに、何とシェフは、10年ぶりくらいに訪れた私のことを覚えていてくれたんです。「以前、よくご来店いただきましたよね?」ですって。ひゃー、すごい! 感激! そんな、嬉しいこと言ってくれちゃって、そんなこと言われたら、また近いうちに来ざるを得ないじゃないですか。 でも、この「ウィズ」というお店、確かにおいしいので、また以前のように時々来ようかな。次に来る時は、店の黒板に書いてあった「アンコウのポアレのパイ包み焼き、マデラ酒ソース」という奴を食べてみようっと! さて、気分よく給料日ランチを終えた我らが次に向かったのは、星ケ丘。今日はここにある「ルピシア」という店で何種類かの紅茶を買う予定があったんです。それから、ついでに年賀状に使うイノシシのスタンプやら、来年のカレンダーやらも買ってしまいました。こういうものを買うと、年末が近づいて来たという感じがしますなあ。 ってなわけで、今日はおいしいランチを食べ、あれこれショッピングも済ませて、のんびりした午後を楽しむことが出来たのでした。
November 17, 2006
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今日は朝から4コマの授業がある日。ま、毎週のことですが、4コマ目が終わると死にかけます。しかし、このところずっと気にかかっていた仕事が一つ、昨日の夜に片づいたので、何となく気持ちは軽くなりました。 ということで、今日は夕食をとってから家内を連れて夜のドライブと洒落ることにしました。目的地は名古屋郊外・三好というところにある「オートプラネット」。ここは日本でも最大級の外車中古車の専門販売店なんですけど、常時様々なメーカーの外車を百台ほども展示してあるので、車好きにはたまらないパラダイスです。しかも夜9時までオープンしているので、夕食後でも気軽に立ち寄れるところがいい。 で、行ってみると、まさに目移りするほどの外車の群れ。ス・テ・キ! まずいきなりプジョー406クーペがあるじゃないですか。ピニンファリーナがデザインした流麗な大型クーペ。それが・・・190万円? ほ、ほう、大分値がこなれてきましたね。既に新型の407クーペが出たせいかな? でも個人的にはプジョー内製の407クーペより、デザインをピニンファリーナに依頼した406クーペの方がカッコいいなあ! それからシトロエン(中古のC3なら買ってもいいな。100万そこそこだもん・・・。それに、これ天井がガラス張りじゃん!)やらオペルやらをつらつら眺めつつ、BMWのコーナーへ。うーん、クリス・バングルがめちゃくちゃにしてしまった最近のBMWのデザインは、何とも言い難いですな・・・。ちょっと前のBMWの3シリーズなら良いけど・・・でもやっぱりBMWは年式が古くても高い、高い。中古になっても需要があるんでしょう。それにしても1.8リッターで340万円? 無理無理。 それから、お、お隣にはミニがずらりと揃っているじゃありませんか! いいね、ミニ。特にカブリオレなんて、いいんじゃない? 買っちゃう? でも、270万か・・・。ちょいとお高いですな。保留、保留。 それからあっちにはベンツがずらり並んでいるけれど、ま、今の私には興味のない車だから飛ばしちゃおう。 となると、お次はフォルクスワーゲン。一世代前のパサートが150万円か・・・。これはちょっと魅力ですねえ。一世代前のパサートはワゴンもカッコいいし。一方、ゴルフやらポロなんかは、真面目過ぎて、中古で買う車じゃないな・・・。かといってビートルも、ちょっと実用性が薄いしね。 お、あそこに白いクーペ・フィアットがあるじゃないの。190万円。しかも、あらら、これ右ハンドル! クーペ・フィアットに右ハンドルってあったのか・・・。しかし、それにしてもこのデザインはインパクトあるね! それに、隣に置いてあるプントも可愛い、可愛い。何、このプント、たった94万円? 色が青だったら買いなんだけどな・・・。 と思ったら、お隣はアルファ・ロメオか! しかもピニンファリーナがデザインした真紅のクーペのGTVが240万。これもまた、ぎょっとするようなデザインだね・・・。お隣のアルファ・スパイダーとなると300万クラスだけど、私だったらクーペで十分。これ、右ハンドルだしね。うーん、クーペ・フィアットとどっちを買うか・・・。いや、最初に見たプジョー406クーペも候補だよなあ・・・。 なーんて、買うわけないんですけどね! そんなお金、ないない。 でも、外車も中古になると、中には「え? これ、この値段で買えるの?」と思うようなのがありますからね。そんなのを見ながら、「どれを買おうか」なんて空想ショッピングをするのが楽しいわけですよ。女性のウィンドウショッピングみたいなもんです。 ってなわけで、小一時間ほど様々な外車を見てすっかり楽しんでしまいました。いつか、お金持ちになったら、ホントに買いにくるからねー。 で、帰りにミニストップに寄って「冬の十勝バニラ」を家内と食べました。ま、今の私にふさわしい現実的なショッピングは、一個189円のソフトクリームってとこですな。・・・でも、うまいわ、これ! やっぱ、ソフトクリームはミニストップのに限りますね。 ということで、今日は夢の空想ショッピングとミニストップのソフトクリームに舌鼓を打ったワタクシだったのでした。今日も、いい日だ!これこれ! ↓アルファGTVクーペフィアットフィアット・プントパサート・ワゴンミニ
November 16, 2006
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尾籠な話で申し訳ないんですけど・・・。 ちょっと前から左の耳が痒くって痒くって。で、ついつい綿棒でゴシゴシ掻いてしまうせいか、それがまた症状を悪化させる、みたいな悪循環が。 それで、もう限界、と思ってついに今日、行って来ましたよ、近所の耳鼻科に・・・。 で、診察室に入って先生に診ていただくと、やはり外耳に湿疹ができているとのこと。しかし、実はその他にも問題が・・・。 先生曰く、「釈迦楽さん、綿棒でゴシゴシやったでしょう。そのせいで耳垢をどんどん奥に押し込んじゃっていますよ。まずそれをとりましょう」ですって!! ひゃー、恥ずかしい~! で、どうするのかと思いきや、まず隣の部屋に連れて行かれ、横になって左耳に何やら薬剤を注入。「5分程このまま横になっていて下さいねー」と言われたので、言われた通りにしていると、その薬剤が耳の奥まで染み通っていって、これがまた痒い、痒い。ひゃー、掻きたいよ~! でも、我慢、我慢・・・。 そして5分後、再び診察室に戻って診察台に座ると、今度は先生が何やらバキューム式の吸引機のようなものを手にしています。「ちょっと音がしますけど、別に痛くはないですからねー」。 で、予想通り、先生はその吸引機みたいので、薬剤でふやかした耳垢を吸い取っていくわけですが・・・これが、また・・・ 快・感! そりゃ、そうでしょう。プロが耳掃除をしてくれているわけですから・・・。それにバキュームが「キュル、キュルキュル・・・」とあらぬものを吸い取っている感じが、何とも爽快! あー、もうこのままずっとここに居たい! (アホか・・・。) 「これで、大分聞こえがよくなったんじゃないですか?」という先生の一言でハッと我に返るまで、エクスタシーのひと時を過ごしてしまいました・・・。 で、あとは湿疹の薬を塗っていただき、また軟膏の処方を出していただいて、診察終了ー。 でも、「今や私の左耳ちゃんは、世界中の誰よりもキレイなんだ!」という確信のせいか、何だかもうすっかり痒みも止まってしまい、気分爽快。やっぱり、お医者さんってのは、有り難いものでございますなあ。 それにしても、病院に行ってエクスタシーって、一体・・・。考えてみても、なかなかそんな経験ないですよ。いいなあ、耳鼻科! また耳垢溜めて、吸引してもらいに行こうっと! (本末転倒じゃ!)
November 15, 2006
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火曜日3限の『アメリカ映画論』の時間は、私もわりと楽しく授業しているんですけど、今日は「アメリカSF映画の変遷」と題して、年代ごとのSF映画の傑作をダイジェストで学生に見せていました。 で、1960年代後半の部で見せたのは、もちろんご存じ『2001年宇宙の旅』。スタンリー・キューブリックの傑作です。 しかしこの映画、何度見てもそのリアリティに驚嘆させられますね。ま、冒頭のサル軍団がリアルか、と言われれば答えに窮しますが、それでもサル君の投げ上げた骨が宇宙船に変わる瞬間からの、宇宙船および宇宙ステーション内部・外部の映像のリアリティと言ったら、もう・・・。その後の時代のSF映画の映像と比べても段違いにリアル・・・。 CGなんかもさほど発達していない40年前にあれを撮影したキューブリックって、やっぱ天才じゃないすか? だって、宇宙を飛行中の宇宙船を描くときには、ちゃんと「無重力」の描写をしますからね。たとえばその後に出たSFなんかだと、飛行中の宇宙船内が無重力状態であることをちゃんと描写しないで、便宜的に略してしまうことが多いでしょ? 『スター・ウォーズ』にしても、『エイリアン』にしても、宇宙船内部で人が普通に歩いています。ところが、『2001年』では、宇宙船内は無重力であるという設定でちゃんと撮影してあります。ふわふわと身体が浮かないように、人は床にくっつく特殊な靴を履いて、歩きにくそうに歩いています。 ま、人間については「歩きにくそうなふり」をさせればいいわけですが、仰天するのは、無重力で空中にプカプカ浮いているボールペンと、特殊な靴を履いて床を歩いている人間を同一画面で捉えているシーン。あれは一体、どうやって撮影しているのでしょうか・・・。 一方、宇宙ステーションの方は、ステーション自体を回転させることで、遠心力を重力に変えている、という設定なので、ステーション内の人間は、地上に居るときと同じように動き回っています。ただその状態ですと、理屈から言って、人はドーナツ型の船内を縦にぐるりと一周できることになるはずなんですが、キューブリックはそこもちゃんとそのように撮影しています。もちろん、ステーションの窓から見える景色もぐるぐる回転させていますしね。芸が細かいわけですよ。細部の細部に至るまで、ちゃんと理詰めに設定し、それを映像化してある。 あれを見せられたら、「なるほど宇宙旅行というのは、こういう具合になるのか」と納得せざるを得ません。実際、映画を見ていても、「未来のことを見ている」という気がしませんもんね。まさに「現実を見ている」かのような気にさせられます。 しかも『2001年』が劇場公開されたのは、アポロ11号が月面着陸する直前でしょう? つまり「月へ行く」とか「宇宙を旅する」なんてことが、いよいよ現実になろうという前夜の映画ですから、当時あれを見たアメリカ人たちは、ホントにリアルな近未来の映像として受け取ったんじゃないでしょうかね。 逆に、アポロ11号から40年近く経った現在、「宇宙旅行」なんてそうそう実現しない、ということが分かってしまいましたよね。限界が分かっちゃった、と言いましょうか。ですから、宇宙航空学がさらに発達し、「2001年」という年代を現実に通過してしまった今日の我々の方がむしろ、映画『2001年宇宙の旅』に感じるリアリティの度合いは、40年前のアメリカ人が感じたリアリティの度合いよりも少ないのかも知れません。その辺がまた、文化史的には面白いところなんですが。 しかし、そんな「スレた観客」たる我々が見てすら、あれだけ圧倒的なリアリティが感じられるのですからね。凄いモンです。恐るべしキューブリック! ま、もちろん、SF映画ってのはリアリティを追求することだけが仕事ではないので、「だから他のSF映画はダメだ」と言っているわけではないのですが、それにしても後の時代のSF映画と比べても際立つ『2001年宇宙の旅』のリアリティに、今更ながら仰天させられてしまった今日のワタクシだったのでした。(桜塚やっくん風に・・・)もう、びっくりだよ!! これこれ! ↓
November 14, 2006
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大学院の授業でシェイクスピアの『リア王』を読んでいるんですが、今日読んだところに「coronet of flowers」という言葉が出てきました。ま、「花の冠・花で編んだ輪」という意味なんですが。娘たちに裏切られ、国王の座を追われた狂気のリアが、王冠の代わりに花の冠を被っているんですな。 ま、それはともかく、この「花の冠」という言葉に関して、私は一つ、前から疑問に思っていることがあるんです。 それはトヨタの名車、「カローラ」の名の由来について、です。 「カローラ」、ま、英語で書けば 「Corolla」ですが、これを英和辞典で引くと「花冠」という言葉が出てきます。で、確かに字面だけ見ると、何となく子供がゲンゲで編むような花輪のイメージがある。実際、「カローラ」のかつてのトレードマークは、アルファベットの「C」の文字が花輪を被っているのを図案化したものでした。 しかし、この「花冠」という言葉、これは実は植物の解剖学の用語です。国語事典なんかを引いても、「花被の内輪で、その各片が花弁である」なんて書いてありますでしょ。 そんな植物解剖学上の用語を、車の名前に使いますかね??? 例えば「脳下垂体」とか「前頭葉」といった用語を車名につけるようなもんじゃないですか! おかしいですよ・・・。 で、私、推理するんですけど、多分、今を遡ること40年ほど前、トヨタの社員が新車の名前を考えるのに苦労していた時、「我が社の最高級車が『クラウン(王冠)』なんだから、庶民の車は『花の冠』ってのにしたらどう?」なんてアイディアを出したんじゃないでしょうか。で、「そりゃ、いい」ってんで、和英辞書を引いて「花冠」という言葉を見つけ、それが学術用語だとも知らずに、車名にしてしまった、と・・・。 どうでしょうか、私のこの推理。見当違い・・・でもないんじゃないでしょうか?! もし、いわゆる「花の冠・花輪」という言葉を車名にするのだったら、「カローラ」ではなく、「ガーランド(Garland)」とすべきだったのではないかと思います。ガーランドというのは、これはまさしく「花を編んで作った冠」という意味ですからね。「トヨタ・ガーランド」。ほら、いい名前じゃないですか! ま、世界で売れまくって、生産台数がフォルクスワーゲンのゴルフを抜いて世界一位となった名車・カローラにケチをつけるわけではないですけど、心の奥で、「この名前、何かおかしくない?」と思っているワタクシなのでした。おーい、トヨタの社長さーん、ホントのところ、どうなんですか~!?
November 13, 2006
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平井隆太郎著『うつし世の乱歩 父・江戸川乱歩の憶い出』(河出書房新社)を読了しました。 この本、サブタイトルが語っている通り、乱歩の息子さんである隆太郎さんが、「父親としての乱歩」を語った本です。ま、私は乱歩の熱烈なファンというわけではないんですが、彼のライフスタイルには興味が・・・というか、憧れがあるので、この種の乱歩本には弱いんですね。 でまあ、読んでみますと、家庭人としての、あるいは、父親としての乱歩というのがよく分かります。ま、それほど変な父親って感じではなく、むしろごく普通の父親像なんですけどね。 たとえば、乱歩は子供をあやすのが苦手だった、なんて話が書いてある。決して子供は嫌いではないのだけれど、どうやって子供の相手をすればいいものか分からず、息子の隆太郎氏に対しても、たまに肩車してやるのが精々のところだった、なんて話を聞くと、可愛いお父さんだなあ、という気がしてきます。隆太郎氏の名前を呼ぶのすら気恥ずかしさがあるのか、ごく小さい時は「坊主」、長じてからはその都度まごつくようで、しまいには「これ、隆太郎」と芝居がかった呼び方をして、隆太郎さんから「お父さん、やめて下さい」と言われてしまう、なんてのも微笑ましい話です。 また子供に対する気恥ずかしさ、ということを示すエピソードとして、大人になった隆太郎氏が立教大学に勤めていた頃、乱歩は隆太郎氏のいないところで、奥さんに向かって「ところで隆太郎は、もう教授になったのかね」とこっそり尋ねた、なんて話も載っていますが、子供のことを気にかけながら、直接は聞かない(聞けない)乱歩の照れ屋ぶり、いいですなあ。 そうかと思うと、子供のために買ってきた顕微鏡やら鉄道模型なんかに自分が夢中になって、子供そっちのけで遊んでしまう、なんていうエピソードは、いかにも乱歩、という感じがしてきます。 また乱歩は完全な夜型人間なので、家人とすれ違いの生活が多く、そのため隆太郎氏も乱歩と顔を合わせることは少なかったそうですが、それでも人生の要所要所ではよいアドバイスをくれた、なんて話を読むと、父親なんてそれでいいんだよな、と思えてくる。父と子の接点が少なければ少ないなりに、たまに言葉を交わしたことが、長く息子の脳裏に焼きつくんでしょう。 また、創作中は、それこそ「鶴の恩返し」ではないですけど、誰も部屋に寄せつけないようにして書いていたという話なんてのは、乱歩らしいなと思いますし、その一方、原稿の締め切りに追われ、捩り鉢巻で執筆中であるべき乱歩の様子をこっそり窺うと、案外別のことをして遊んでいた、なんて話も、楽しくなってきます。何だか、私の知っている誰かさんとそっくりじゃないですか! それにしても乱歩というのは遅筆だったらしく、創作の苦しみというのは相当なものだったようですね。また、作品を仕上げれば仕上げたで、「あれは外国の○○という作家の真似だ」などと批判されるものだから、乱歩にとってものを書くということは余程の苦痛だったようです。それだけに、彼の作品を批判することなく喝采をもって受け入れてくれる子供の読者は好きだったようで、彼が「怪人二十面相」などの少年物の作品を書き続けたのも、そういう乱歩の繊細な神経のなせる技だったらしい。 で、そんなふうに繊細な側面を持っていると同時に、乱歩には親分肌的なところもあって、たとえば推理作家協会の運営だとか、町内会の運営などには嫌がらずに係わる、なんて側面もあったようですから、人間というのは複雑なもんですな。作品が売れて羽振りがよかった頃は、よく後輩たちを連れて銀座や新宿を飲み歩き、数センチの厚みがあった財布がペチャンコになった、なんてこともあったようです。 で、そんな風に若い連中と遊びながら、「今日は何か楽しいことはないかな」と楽しげに言うのが乱歩の口癖だったといいますが、しかしお開きになる頃には、「結局、今日も面白いことはなかったな」とがっかりしたように口にするのが毎回のことだったのだとか。楽しいことを求めて、いつもそれに失敗する寂しさ・・・。この辺にもまた、乱歩の内面を知るための手がかりがありそうです。 とまあそんな感じで、普段着の乱歩ってのはこういう人だったのか、ということを知るためには、この本、気軽に読めていいですよ。ただ、この本は書き下ろしではなく、あちこちに発表した隆太郎氏の回想録を編集した本なので、随所に重なる部分があり、「この話、さっき読んだ」という部分にしばしば出くわします。その辺が、難といえば難でしょうか。 それから、この本には乱歩の奥さんである隆(りゅう)さんの文章も少しだけ載っているのですが、私の見るところ、こと文章に関しては隆太郎さんより隆さんの方が上です。さすが乱歩の奥さんだけあって、相当筆の立つ人だったのではないでしょうか。 その隆さんの文章の中に、こんな一節があります: 常々、考えていることなのですが、夫婦の生涯というものは、けっきょく知り合ってから結婚するまでの経過の繰り返しにすぎないものじゃないでしょうか---。つまり、交際の期間におたがいに感じたことがすべてなのです。私なども当時、ぼんやりとしか感じられなかったのですが、永い年月がたっても、主人に新しい性格を発見することはなく、その当時、はっきり捕らえられなかったものをあらためて認めるだけでした。(188頁) いや~。すごい文章、というか、恐ろしいような洞察じゃないですか。こういう文章を書く人だからこそ、乱歩の奥さんが勤まるんでしょうなあ。 てなわけで、全体としてものすごく感心した本ではありませんが、乱歩という人物に興味のある方には、それなりに面白く読める本ではあります。その意味の限定付きではありますが、教授のおすすめ!としておきましょうか。これこれ! ↓うつし世の乱歩
November 12, 2006
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江戸川乱歩こと平井太郎氏のご子息、平井隆太郎氏の著書『うつし世の乱歩』(河出書房新社・1800円)を読んでいたら、平井家の朝食風景について、「朝食は大抵父の好物の芋粥だったが、・・・」(28頁)と書かれた一節に出くわしました。 芋粥・・・。おお、芋粥! 乱歩は芋粥が好物だったのか! と、ここで、この「芋粥」という言葉が私の心にググっと迫ってきたわけですよ。 ま、私とか、あるいは私より若い世代にとって、芋粥なんてのはそうそう食べるものではなかったのではないでしょうか。それだけに、芥川龍之介の短編「芋粥」を読んだ時の衝撃は大変なもので、あの短編に登場する風采の上がらない下級武士が夢にまで見たという「芋粥」なるものは、一体全体どんな味なのであろうか、果たしてそんなに旨いものなのであろうかと、子供心に空想を逞しくしたものでございます。 で、その後「芋粥」という言葉に触れる度に、「一度食べてみたい!」という思いを強くしていたのでありますが、かの江戸川乱歩も芋粥が好物であった、との一節を読んでついに矢も楯もたまらなくなり、ついに私は自ら立ち上がることにいたしました。おーし、よかろう。作ってやろうじゃないの、その「芋粥」とやら。幸い、つい先日、家内の実家から家庭菜園で採れたサツマイモがどっさり届き、我が家は現在「芋御殿」なもので、材料には事欠きません。 とはいえ、そもそも芋粥というものを食べたことが一度もないもので、どうやって作ったものか私にはさっぱり・・・。ということで、こういう時の頼みの綱たるインターネット上のレシピ集たる「クックパッド」を開いて見ました。・・・が、さしものクックパッドも、こと「芋粥」となると掲載されているレシピの数も極端に少なくて、そういう時代じゃないんだよなあ、と思わされます。 それでも、辛うじてそこに載っている数少ないレシピを見てみると、ごく簡単に芋とコメで芋粥を作る作り方が書いてあるんですが、そのどれを見ても、味付けには「塩を一つまみ」入れることになっているんですよね・・・。 うーん、して見ると「芋粥」の味というのは基本的に塩味、なのかも知れません。・・・しかし、私の空想上の「芋粥」は、どちらかというと甘いんですよね・・・。お汁粉みたいに甘いのではないけれど、うっすらと甘い感じ。サツマイモ自体の甘さ+ほんの少しだけお砂糖の甘さが加わったような・・・。ま、私の子供時代からの勝手な空想に過ぎないのですが。 ということで、今日私が作る芋粥は、私の独断と偏見で甘いものにさせていただくことにし、作り方自体も全部自己流にやることにしました。ま、要するに賽の目に切ったサツマイモをうっすらと砂糖で甘く煮、それを白粥に加えてさっと混ぜる、とただそれだけのものを作ることにしたんです。 で、実際に作り始めたわけですが・・・しっかし、生のサツマイモってのは、切ると、澱粉のせいなのか手がベタベタになるんですね。いやー、石鹸で洗ってもなかなか取れないほど手がベタベタになるなんて、初めて知りました。 で、あんまりベタベタになるので、「こ、こいつは澱粉のせいだけじゃねえ。きっと『灰汁』の野郎も係わっているに違えねえ」、と岡っ引きのような推理をした私は、つい「灰汁」の正体をインターネットで調べてしまいましたよ。 すると、「灰汁の正体は複雑過ぎて、一言では言えない」などと突き放した説明があった後、「植物が草食動物に食われることに抵抗すべく、沢山食べると毒にもなったりする不味成分を自らに蓄積したもの」という趣旨の説明が。 ほ、ほう! 「灰汁」ってのは、植物のレジスタンスでありましたか! さて、以上のようなお勉強をして敵の内情を調査した後、サツマイモを賽の目に切ってしばし水に漬け、彼らのレジスタンスを骨抜きにしてから、水と砂糖で煮ること3~40分。で、この完成したサツマイモの甘煮を残り物の冷飯から作った白粥にさっと混ぜて完成。簡単なもんです。 で、肝心のお味はといいますと・・・ うまーい! 薄甘に仕上げたサツマイモが白粥にほんのりマッチして、実に爽やかな美味さ。今日の夕食のメインだったチンジャオロースーがやや濃いめのこってりした味付けだったので、それを甘味のある芋粥が微妙に中和して、実にいい感じです。家内も絶賛! しかし、それにしてもイメージ通りにうまく作れたなあ。自画自賛ですわ。もう「クックパッド」に投稿しちゃおうかしらん。 ということで、サツマイモがおいしく、また安くなるこの季節、「釈迦楽流芋粥レシピ」にググっときた方は是非お試しを!! 教授のおすすめ!です。
November 11, 2006
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はぁ~、人間ドックに行って参りました~。 ま、厄年に近づいた頃から、年一回行くようになった人間ドック。ま、とりあえずやっとけば安心かな、ということで。 しかし、あれも何となく憂鬱なもんですな~。ま、検査が楽しい、という人もおらんでしょうが・・・。 特に苦手なのが採血。もう直視できないので、やってもらっている間、そっぽを向いています。でも、採血の下手な看護婦さんにあたると、その後いつまでも手がだるいんだよなぁ・・・。 それから胃部レントゲンね、あれも嫌なもんです。バリウム一気飲みしろって言われても、あんなドロドロした変な味のもの、喉を通りませんよ。おえ~っ! でまた、2週間ほどして結果が届くのがね、これまた憂鬱なんだ・・・。 あれは4年程前だったかしらん、一番最初に人間ドックなるものを受けた時のこと。不整脈以外にはこれといった自覚症状もないので、別段なんの不安もなく結果を受け取ってみたらこれが予想外に「要再検査」の嵐。心臓・腎臓・肝臓・大腸と精密検査をやらされて往生しましたわ。 ま、その後も人間ドックを受ける度にあっちが悪い、こっちが変だ、と言われるもので、もう慣れましたけどね・・・。 以前は「新しい保険が出たんです」なんて言って、うるさいほど勧誘に来ていた保険の外交員のおばちゃんも、最近は私の顔見ると足早に逃げますもん。さては、「この人の健康状態じゃ、新たに保険に入るなんて無理、無理」と見切ったな! でも、ま、「一病息災」って言いますからね。自分はどこが悪い、ということを自覚していれば、その分注意して長生きできるかも知れません。死ぬ時は死ぬ、それまでは死なない、と思って、楽しく行きましょう。心配したって始まらんもんね!
November 10, 2006
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よく行進の練習になると、手と足が揃って変な歩き方になってしまう人がいます。意識しない時は普通に歩けるのに。 で、それと同じことが、学生たちに英文を和訳させる時にも生じるんじゃないか・・・。私は時々そう思うことがあります。つまり、「英語を日本語に訳せ」と言われると、もう心身ともに機能不全に陥ってしまう学生がいるのではないかと。 たとえば今日の英語の授業中のこと。映画のシナリオを英語で読んでいたのですが、その中の一節について、こういう和訳をした学生がいました。曰く、「彼は噴水のところへ行く」。原文は「He goes to the water fountain.」なんですが。 しかしですね、この場面は『12人の怒れる男』の一節でして、12人の陪審員たちが鍵のかかった密室で被告の有罪・無罪を審議しているところなんです。毎回シナリオを読んだ分だけ映画を見せていますので、シチュエーションは学生たちだって分かっているはず。 ですからこの部分の和訳としては、「彼は席を立って水を飲みに行く」が正解です。それなのに、「彼は噴水のところへ行く」ですと??? 大体、裁判所の中の一室である陪審員室に「噴水」があるわけないじゃないですか! 私には、そこのところが不思議なんですよ。常識で考えれば(あるいは、映画を見ていれば)、当該の部屋の中に「噴水」なんかないことは明らかなのに、それなのに堂々と「噴水のところへ行く」と訳して臆するところがないのは一体なぜなのか・・・。 今日だけではありません。大学で英語なんぞを教えていると、この種のぎょっとするような訳に頻繁に出逢います。この前は、「通りの向こうから、親指が歩いてきた」という訳をした学生がいました。私はコイツふざけているのかと思いましたが、そんなことはなく、大真面目な顔をしてそう訳すんです。思わず私も「君ね、君は親指が通りを歩いているのを見たことあるの?」と尋ねてみましたが、そう問われた学生は、何を聞かれたのか分からないといったような、ポッカーンとした顔をしていましたねぇ・・・。 まあ、こんな調子ですから、「He is a pretty tough guy.(彼はものすごくタフな奴だ)」という文章を「彼は可愛らしい、タフな奴だ」と訳すのなんて、お茶の子サイサイでしょう。 もう、「英語」ということだけで緊張して、常識もなにも完全に麻痺してしまっているとしか思えないでしょ? 思考が完全に停止しています。この場合、「pretty」を「可愛い」と訳したら文章としておかしくなる、ということが分からなくなってしまうんでしょうか・・・。まさに行進で手と足が揃ってしまうような状態です。 これが我が国の最高学府の学生たちなんですからねー。ホントにこの国は大丈夫なんだろうか、という気がしてきますなあ。ま、こういうのがうちの大学だけの現象だ、というのならいいのですけど・・・。閑話休題。 さて、今日で今週の授業をすべて終えたワタクシ。しかし、明日は明日でしんどい一日になるんです。明日は「人間ドック」を受けないといけないものでね。どうせまたひどい診断が下るんだろうなと思うと、いささか気落ちしますが、ま、仕方がない、頑張って行って来ますか。それでは、また。
November 9, 2006
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今日は朝から老人ホームに出張でした。 なんでまた老人ホームかと申しますと、今では教員免許をとるためには1週間ほど「介護等体験」をすることが義務づけられているので、うちの学生も何人か地元の各種施設でその種の介護体験をしているんですね。そこで、現在うちの学生がお世話になっている某老人ホームに、挨拶方々、参観に行ったというわけ。 で、実際にその老人ホームに行ってみますと、入所されているお年寄りの方々がカラオケ大会やっていて、うちが学生たちがカラオケセットの調整をしたりしていました・・・。今日はそういうイベントの日だったらしいんですけどね。 ま、たまたまこの老人ホームは本格的な介護を必要とする方たちではなく、もっとお元気な方たちの施設だったので、学生たちは毎日、お年寄りたちと一緒にカラオケをやったり、習字をしたり、俳句を詠んだりしているんですって。身体の介護より、むしろ老人たちと一緒に居て、話をしたりすることが、ここでの実習になっているようです。 それでも見ていると、お年寄りたちはニコニコしながらさかんに学生たちに話しかけておられるようで、なかなか微笑ましい風景でしたよ。いつも同世代の人しかいないので、たまに若い人たちが来ると、雰囲気が変わっていいのでしょう。 で、私が参観している間、一人のお歳を召したご婦人が私の方を見ながら学生に何か言っていたので、何だろうと思っていたら、後でその学生曰く、「先生のこと、『ステキな先生だね~』っておっしゃってましたよ」ですって! ま、きっとその老婦人は、少々目がお悪かったのでしょう・・・。 さて、そんなこんなで無事出張も終わったのですが、この老人ホームは「安城」というところにあって、近くに石川丈山ゆかりの「丈山苑」というところがあるというので、大学に戻る前にちょっと寄り道していくことにしました。 石川丈山というのは、私も今日知ったのですが、江戸時代初期の漢詩人であり、書家であり、作庭家なんだそうです。1583年にこの地に生まれ、松平家に仕えたのですが、大坂夏の陣で功名を焦るあまり軍規を破って先駆けをし、そのために蟄居を命じられてしまった。で、それを機に武士をやめて儒家になったんですが、色々あった末、59歳の時に京都・洛北一乗寺に「詩仙堂」を開き、以後は悠々自適の文人として90歳の長命を楽しんだ、と、まあ、そんな生涯だったらしい。 で、今日私が訪ねた丈山苑では、丈山の作品と伝えられて日本各地に残っている日本庭園を模した回遊式庭園がしつらえてあって、100円の入苑料を払うとこれを見ることができるんですな。ということで、私も大枚100円を払って見てきましたよ、丈山苑。 ま、そんなに大きな庭ではないので、ものの10分で一回りしちゃうんですけど、きれいな秋空の下、誰もいない回遊式庭園の景色を独り占めにしながら過ごした10分は、「忙中閑あり」の言葉通りの趣でした。のんびり出来て、なかなか良かったですよ。これこれ! ↓ 丈山苑の回遊式庭園 丈山苑から庭を見る ちなみに、安城のこのあたりでは「手延べそうめん」が名産で、特に「丈山の里 いずみ庵」というお店が有名ですが、丈山苑の方に尋ねたところ、丈山とそうめん(乃至うどん)とはあまり関係がないのだそうです。そうめん・うどんの方は戦後の名産だそうで、農家の副業として作っていたのが、たまたま「丈山の里」というキャッチコピーで売れてしまったのだとか。 でも、出張のおかげで、前から思っていた「石川丈山? Who?」という疑問も解け、日本庭園でのしばしの休息も得られたのでした。こういうちょっとした息抜きがあるので、この種の出張って好きなんですよね。今日も、いい日だ!
November 8, 2006
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大学院の授業をやっている途中、どういう話の流れだったか、酒の話題になりまして。 ま、きっかけは「ウォッカ」の原料は何だっけ? ってことだったんですけどね。で、その場でネットを使って調べたわけですよ。調べるのに使ったのはネット上の百科事典「ウィキペディア」です。 すると、すぐさま答えが出てしまった。ウォッカの原料は大麦・ライ麦・ジャガイモなんかですね。ま、日本の焼酎とあんまり変わらんわけですが。ちなみに、ロシアでいう「ウォッカ」というのは特定の酒の名前ではなく、「蒸留酒」という意味の漠然とした一般名詞なんですって。その意味では、ブランデーも焼酎もウォッカには違いないんですな。なるほど、なるほど。 で、次に「じゃあ、『ジン』ってのは何だ?」って話になったわけですよ。で、すぐさま「ウィキペディア」出動! すると、これまたたちどころに答えが分かってしまいました。「ジン」の方は、オランダ出身ですね。1660年、オランダ・ライデン大学医学部の先生だったフランシクス・シルヴィウスが、ジュニパーベリーという薬草を漬け込んだ「ジェネヴァ」という薬用酒を利尿・解熱剤として作ったのが始まりらしいんですけど、こいつが旨いってんで流行しちゃった。要するに、オランダ版「養命酒」ですね。で、1689年にオランダのオレンジ公ウィリアムが海を渡ってイギリス国王になった時(世界史ですよ、世界史!)、この薬用酒ジェネヴァもイギリスに渡り、名前がつまって「ジン」になった、と。で、その後、ジンの蒸溜法などがさらに改善を加えられて、今日に至るんですって。ほ、ほう、そうなんだ・・・。 「ウィキペディア」、ち・か・ら・あ・る・ね! (「力あるね」=「優れているね」の意。11月2日のブログを参照のこと) で、あんまり面白かったんで、ウィキペディアを使って色々な酒のことを調べましたよ。「トカイ酒」のこととか、「グラッパ」のこととかね。あるいは「ポルト酒」のこととか。 中でも面白かったのは「蜂蜜酒(ミード)」の歴史 。蜂蜜酒の歴史はものすごく古いらしく、古代まで遡っちゃうんですって。ま、酒なんてのは糖分のあるものからなら大抵は作れちゃいますから、蜂蜜から酒を作るのだって、そりゃ可能でしょう・・・。と、思いきや、実はそうでもないらしいんです。何しろ蜂蜜ってのは殺菌力が強いので、仕込んだ酵母まで殺しちゃうわけですよ。だから蜂蜜酒を作る時には、蜂蜜を水でよほど薄めて、それでようやく発酵させることができるのだそうです。 ちなみに、蜂蜜酒は滋養強壮剤でもあるので、新婚の新妻は、結婚後ひと月ほど蜂蜜酒を作って旦那に飲ませまくり、子作りに励んだのだとか。「ハネムーン(蜂蜜のひと月)」ってのは、そういう意味なんですってよ。ご存じでした? この他、「サントリー」という社名は創業者の「鳥居さん」を逆さにした、ってのは実は誤りで、本当は同社の売り物である「赤玉ポートワイン」のラベルにあるあの「赤い玉」、あれが太陽(Sun)に見えることから「Sun鳥居」としたんですって。ちなみにサントリーってのは、大企業なのに株式上場していない家族企業で、社長は株主である鳥居家と佐治家から交互に出すことになっているのだとか。勉強になるなあ・・・。 とまあ、妙なきっかけから「ウィキペディア」を使って酒の知識を増やしちまいましたよ。 しっかし、あらためて思いますけど、「ウィキペディア」ってのはものすごいものですな! ネット上にあって、ネット上にいる誰もが編集に参加できる百科事典ですから、日々、猛烈な勢いで項目が増えているし、もしその項目の中に誤った情報が盛り込まれた場合でも、すぐに訂正されてしまう。つまり、正確さも日々進化しているわけですよ。まさに21世紀ネット時代の百科事典のあり方、いやいや、「知」のあり方の象徴的存在じゃないですか。これは、世界の「知」の歴史の中でも特筆すべき事件と言っていい。ネットの発達にはメリット・デメリット色々ありますけど、「ウィキペディア」はそのメリットの方の代表選手ですね。 ひょっとして、「文学研究におけるウィキペディア活用法」といったタイトルで、シンポジウムなんかも組めたりするかな・・・。 ま、そんなことも考えつつ、酒に関する知識に酔いながら、「ウィキペディア」につくづく感心しているワタクシなのでした。「ウィキペディア」に乾杯! うー、ウィッキ! (←しゃっくりのつもり)
November 7, 2006
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「あなたがいれば、ああ、あなたがいれば、陽はまた昇る、この東京砂漠~」っと。 あ、失敬。・・・もう、今日は朝からずっとこれですわ。内山田洋とクールファイブ。内山田さん、亡くなっちゃったんですよね・・・。享年70歳、まだまだお若いのに・・・。 何だか、このところ毎日追悼記書いているみたいですけど、ワタクシ、内山田洋とクールファイブは好きだったんです。このバンドのボーカルを務める前川清って、抜群に歌うまくないですか? 演歌系じゃなく、歌謡曲系の歌い手として、彼は傑出していると思うんですよね。 でまたバンドリーダーの内山田さんという人が、自分のバンドなのにいつも無口に後ろの方でニコニコしながら前川清を引き立てていて・・・。ああいう玄人好みのするグループって、居なくなりましたなあ。内山田さんのご冥福をお祈りいたします。 さて、何だか悲しいニュースからスタートしてしまいましたが、実は今日は別なことを書くつもりだったんです。卵の話なんですけどね。 ところで皆さんは、普段、卵をどこで買っていらっしゃいますか? スーパー? ま、大抵はそうでしょうね。我が家もそうでしたから。 ところがついこの間、ワタクシ、試しちゃったんです。「卵の自動販売機」という奴を・・・。先日のブログで、「お米の自動販売機」にはまっている話はしましたが、今度は卵ですわ。 いや、実は通勤途中の道端に「こんちゃんの産みたて卵」という謎の自動販売機があったので、気にはなっていたんですけど、試すというところまでは行かなかった。でも先日、「明日の昼食に使う卵がない」と急に家内に言われたことがあって、それでふと思いついて試してみる気になったんです。たまたまその近くを車で走っていたのでね。 で、「初めて試す機械類」に弱いワタクシとしては、「一体、どうやって買えばいいんだ・・・」とちょっとドキドキしてしまったんですけど、やってみたら何のことはない、コインの投入口に300円をチャリンと投入し、しばし待つだけ。あとは取り出し口から卵の入ったネットを取り出せばいい仕組みでした。 ちなみに、そのネットに入った卵(赤玉)ですが、家に帰ってから数えてみたら、17個も入っていました。17個で300円ならまあまあ安いのではないでしょうか。 でまた、スーパーなどで売っている卵とは違うな、と思わされたのは、入っていた卵の大きさです。もう大小さまざま、大きいのもあれば小さいのもある。形だって「卵型」あり、「フットボール型」ありで、卵ってこんなに形が多様だったっけ? と驚かされます。 そして、実際に食べてみると、何だかとってもおいしいような気がするんだなあ、これが。ま、気のせいかも知れませんけどね・・・。 だけど、それにしても卵の自動販売機って、スゴいですよね! 卵みたいに割れやすいものを、よくまあ自動販売機で売ろうっていう気になったもんだ・・・。やっぱ、日本のハイテクってスゴいですな。もっとも、その卵の自販機、見た目はやけにローテクっぽいんですけど・・・。 ひょっとして、表向き「自動販売機」に見えるけど、実は中に農家のおじさんとかが入っていたりして。ンなことないか・・・。 ということで、現在、釈迦楽家では、「予想外」のものを自動販売機で買うブーム、なのでした。今度この自動販売機で卵を買う時は、この前売り切れになっていた「朝摘み卵」というのを買ってみようっと!
November 6, 2006
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今朝の新聞の訃報欄に載っていましたけど、フランスが生んだイージー・リスニング音楽の巨匠、ポール・モーリア氏が亡くなりました。享年81歳ですか・・・。あらら、先頃亡くなったウィリアム・スタイロンと同い年ですな。 ところでワタクシ、ポール・モーリアには思い入れがありまして・・・。 今からおよそ三十年ほど前、私が11歳の時のことですわ。その頃、我が家では新しい家に引っ越したばかりで、それを機にステレオ・セットを購入するということになったんです。当時のステレオですから、今みたいなチンケなミニコンポじゃないですよ。ほとんどピアノと同じくらい場所をとるでっかい奴。テクニクスにしようか、ソニーにしようか迷って、最終的にデザインの洗練で後者を選んだんですけどね。 で、ステレオを買った以上、レコードも買おうということになり、その選択権が私と姉に与えられたわけですが、二人で相談した挙げ句、選んだのがポール・モーリアのLPだったと・・・。つまり、我が家が初めて購入したレコードはポール・モーリア大先生だったわけですよ。 それにしても、11歳でポール・モーリア。洟垂らしの同級生たちとはレベルの違う選択です。 ま、それはともかく、そのLPはよく聴きました。ちょうど時季的には夏休みに入ったばかりの頃で、私は『エーゲ海の真珠』だとか『オリーブの首飾り』だとか『恋は水色』なんかを聴きながら、その夏を過ごしたんですな。11歳の夏、あれはいい夏でした。 ところで、少年時代の私は、ポール・モーリアを聴きながら遠いフランスに思いを馳せていた・・・わけではありません。ま、もちろんそれもちょっとありますが、ポール・モーリアの音楽が私の空想、というか妄想の中に掻き立てたイメージというのは、外国の風景であるよりむしろ「日本のどこか」の風景なんです。具体的に言いますと、東京郊外の、洋館の建ち並ぶ高級住宅街みたいな感じ。さらに具体的に言いますと、時間は午後の1時過ぎくらい。空は薄曇り。生け垣の続く通りはしんとして静まり返っている、みたいな・・・。 そして、そんな空想上の風景の中を一人の美しい若奥様が、白い日傘をさしながら歩いているんです。それも、物憂げに、何かぼんやりと考え事をしながら、うつむき加減で。一体彼女はなぜ、物思いに耽りながらこの通りを歩いているのか・・・。 そんなイメージ映像の中で鳴っているのが、ポール・モーリア、みたいな・・・。 くーっ! ガキの分際で、ワタクシは何を考えているんだ! ま、多分ですね、こういうのは私が中学生くらいの時以来大ファンだったFM東京の番組、『ワールド・オブ・エレガンス』の影響だと思うんですよね。俳優の細川俊之さんが、あの持ち前の甘い声でナレーションを入れていた番組。ポール・モーリア・オーケストラだとか、レイモン・ルフェーブル・オーケストラなんかが奏でる優雅なイージー・リスニング音楽からインスパイアされる、男と女のちょっとしたドラマを演出するんですが、好きだったなあ。あまり細かいシチュエーションを設定せず、具体的な話も作らず、イメージ映像みたいな感じで、多くをリスナーの想像に任せるみたいなところがすごく良かった。たしか午後1時過ぎに始まる番組だったんですが、FMラジオから女性の物憂げな声で「ワールド・・・オブ・・・エレガンス・・・」というコールがなされるのをぞくぞくしながら待ったもんです。エンディングにかかるジャン・ミシェル・カラデックの哀愁漂う曲も良かったし。 ガキの聴く番組じゃないですけどね。でも、細川俊之さんの『ワールド・オブ・エレガンス』はいい番組でした。よく昔のFMを云々する人は、城達也さんの『ジェット・ストリーム』に言及しますけど、私にとってのFMは『ワールド』なんだよなー。 ま、随分話がズレちゃいましたけど、そんな私の少年時代の思い出を演出してくれたイージー・リスニング音楽の巨匠、ポール・モーリアさんが亡くなったと聞いて、当時のことを色々思い出してしまいました。でまた、そんなことを思いながら、ポール・モーリアさんの数々のヒット曲を思い返してみて、そのどれもがとんでもなく完成度が高いことにも思い到りました。今、ポール・モーリアというと、「手品をする時のBGM」みたいな扱いですけど、それはいかにももったいないです。彼の音楽はもっと高く評価されていい。 私が一番最初に買ったレコードであるポール・モーリアさんのLPは、今、実家にあります。レコード・プレーヤーが壊れているので、実家に帰ってもそれを聴くことはできないのですが、どうにかプレーヤーを直して、LPとしてもう一度聴いてみたいような気がしますね。どうもポール・モーリアをCDで聴くという雰囲気ではないですから。やっぱり、いつもきちんとした服装をしていらしたポール・モーリアさんに敬意を表し、こちらも心して漆黒のLPをターンテーブルに乗せ、息をつめて針を置きたいものです。 私にとっては思い出の深いポール・モーリアさんのご冥福をお祈りいたします。
November 5, 2006
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昨日11月3日は、一般には「文化の日」ではありますが、私ども夫婦にとっては「披露宴記念日」。ということで、毎年この日には少々奮発してレストランに食事に行きます。で、昨夜は名古屋郊外・知立(ちりゅう)というところにある知立セントピアホテル内、「業平」というお店で京懐石をいただくことにしました。 ちなみにこの「業平」というお店ですが、これがまた鄙にも稀な京料理の名店で、私たちは何だったかの折りにたまたま発見したのですが、あとで聞いてみると、ここの料理長はかのTV番組「料理の鉄人」において鉄人を打ち破った腕の持ち主とのこと。道理で旨い訳ですわ。 さて、私たちが個室でいただいた料理は「八坂」というコースで、小ふぐ紅葉煮、烏賊黄身焼き、舞茸生湯葉、鱈子松風、むかごオランダ煮からなる前菜に始まり、椀盛り(菊花貝柱+菊菜)、造り(鮪、平目、烏賊、芽物)、蓋物(穴子粟蒸し)、焼き物(さわら杉板焼き+菊花蕪)、揚げ物(松葉かに天ぷら、銀杏、獅子唐、丸十)、酢の物(秋鮭和え膾)と来て、菜飯御飯に香の物、止め椀が続き、最後に水物(梨・柿・柚子シャーベット)がつくというもの。どれも奥深い上品な味わいで、食べ進むに連れて出るのは感嘆の溜め息ばかり。二人で一合だけ頼んだ辛口の冷酒もおいしかった! ちなみに、何を隠そう、私は関西が苦手で、なかんずく京都が大嫌い、というか、どうも昔から相性が悪いので、よほどの用がない限り足を踏み入れないし、観光に行く気なんぞつゆほども起こらないのですが、その京都嫌いの私が、唯一脱帽するのが京都の食べ物で、たとえば「千枚漬け」なんてのは、あれは漬物の王様だと思っていますし、鼓月(こげつ)という菓子処が作っている「千寿せんべい」(ギザギザクッキーにクリームが挟まっている奴)なんてのは、もう何枚でも際限なく食べてしまいそうです。 で、京の味覚の集大成たる「京懐石」となると、これぞ世界に誇る日本の味覚ではないかと愚考する次第。これが最後の食事ということになったら何を食べるか、なんて時々アホなことを考えるのですが、「超一流のフレンチ」「超一流のイタリアン」「超一流の中華」「超一流のトルコ料理」・・・などの中から、多分、私が選ぶであろう料理は「超一流の京懐石」じゃないかなあ・・・。 やっぱり「鰹出汁の味」というのは、日本人のDNAに刻み込まれてますな。 ってなわけで、昨夜は「業平」の京懐石に舌鼓を打ちつつ、7回目の披露宴記念日を祝ったのでした。名古屋周辺にお住まいの方、名鉄知立駅前・知立セントピアホテルの京料理の店「業平」、教授の熱烈おすすめ! です。
November 4, 2006
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昼食後、ベッドに寝っころがりながら、信州で牧師として暮らしながら、信州の素朴な自然と人と大地の実りを愛した太田愛人師の『辺境の食卓』(中公文庫)という本を読んでいました。で、四季折々の信州の風景、とりわけ観光客が引き揚げてひっそり静まり返る野尻湖周辺のたたずまいなんかを頭の中に思い描いていると・・・ はーっくしょい! 何だか野尻湖を吹き渡ってきた風に首筋を舐められたかのような、大きなくしゃみをしてしまいました。大学で授業なんかしていると、「今年はいつまでも暑いな」なんて思いますが、今日のように家の中に籠もっていると、肌寒いもんですねえ・・・。 で、寒いなあ、なんか上に羽織るものはないかなあと思って家の中を彷徨していると、ちょうどタイミングよく家内が夏物と冬物の入れ換えをやっているじゃないですか。そして半年ぶりに顔を出した冬物の山の中に、フリースを発見! で、「ちょっと拝借」とか言いながらそのフリースを被ってみると・・・ あったかーい! これだよ、これ! このぬくもり。 ということで、ちょっと気が早い気もしますが、先刻から今年お初のフリース姿となって、何だか幸せな私だったのでした。 ところで、この幸せな気分とは裏腹に、今日は一つ悲しいニュースが。 アメリカを代表する作家の一人であるウィリアム・スタイロン氏が亡くなったのだそうです。享年81歳ですから、歳に不足はないんですけどね。 この人は1925年の生まれですから、今話題のトルーマン・カポーティなんかとほぼ同世代だったんですが、まだ若い時分に書いた『闇の中に横たわりて』(1951)で高く評価され、その重厚な作風から「ウィリアム・フォークナーの再来」などと言われて、カポーティなどとともにアメリカ南部文学の旗手として持て囃されたものでした。 その後は大体5年から10年置きぐらいに重厚な大作をボーンと出す感じで、たとえばある黒人牧師が引き起こした白人一家惨殺+人種暴動事件を史実に基づきながら描いた『ナット・ターナーの告白』(1967)であるとか、ナチス・ドイツによるユダヤ人強制収容を生き延びた一人のポーランド人女性の数奇な運命を描いた『ソフィーの選択』(1979)など、運命に翻弄される人間の苦悩を描き続けたんです。しかし1980年代半ばに深刻な鬱病に罹り、その時の壮絶な体験を『目に見える闇』というエッセイにまとめて出版したものの、その後は見るべき作品を書かぬまま亡くなってしまった・・・。『目に見える闇』で自ら味わった地獄を、エッセイとしてではなく、小説の形にまで昇華して表現して欲しかったですけど、それはかなわぬものとなりました。 しかし彼が書いた数々の大作小説は、時を経た今もその輝きを失ってはいません。(黒人サイドから「白人なんかに黒人の苦悩が分かってたまるか」という趣旨の批判に晒された)『ナット・ターナーの告白』にせよ、『ソフィーの選択』にせよ、今読んでもものすごく面白いですもんね。10年程前、アメリカ作家としてトニ・モリスンという黒人女性作家がノーベル文学賞を受賞した時、私は賞をあげる人を間違えてない? アメリカ作家にあげるのだったら、むしろスタイロンにあげるべきじゃない? と思ったものですが・・・。 ま、それはとにかく、20世紀後半のアメリカ文学を代表する一人の作家が亡くなったということで、アメリカ文学を研究するものとして、ここに黙祷を捧げたいと思います。追伸: ウィリアム・スタイロンの作品をアフィリエイトで紹介しようと思いましたが、紹介したい作品はほとんどが絶版になっていました・・・。 しかし、河出書房版で出た『ナット・ターナーの告白』(私の恩師・大橋吉之輔訳)、新潮文庫版で出た『ソフィーの選択』、白水社版で復刻された『闇の中に横たわりて』(私のもう一人の恩師・須山静夫訳)などは古書店・古書市などでしばしば見かけるものです。興味のある方は、ぜひ!
November 3, 2006
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特集記事に興味があれば、つい買ってしまう愛読の雑誌に『Pen』というのがあります。で、この雑誌の最新号の特集は「いま世界には、アートが必要だ。」というもの。となれば、やっぱり買っちゃいます。 で、私も暇な時間にパラパラと読んでいるわけですが、今回の特集の一番の見どころは、「注目すべき、17人の現代アーティスト」と題されたコーナーですね。ここでは日本や世界で活躍中のアーティストたちが紹介されている。で、私も注目してみたわけですが・・・ うーん、興味が持てるのは総勢17人のうち、わずかに2~3人ってとこかな~! で、この2~3人の中には、たとえば「天才アラーキー」こと写真家の荒木経惟(あらき・のぶよし)さんなんかも入ってきます。あと、絵画と写真をミックスしたような作品を作るゲルハルト・リヒターとかね。 でも、やっぱり今一番の注目といえば大竹伸朗(おおたけ・しんろう)かなあ! 大竹さんに比べちゃうと、今回紹介されている17人のうちの一人で、世評の高い奈良美智(なら・よしとも)さんあたりは大分見劣りがするなあ・・・。ファンの方には申し訳ないですけど、奈良作品は・・・あれはアートというより、単なるイラストじゃないの? 「こげパン」とか「たれパンダ」みたいな・・・(あー、言ってもうた・・・) ちなみに、私が大竹さんのことを知ったのは、実はそんなに昔のことではなく、せいぜい今から2年くらい前でしたかね。1970年代に大竹さんがイギリスに行っていた頃に描いたという、膨大な量のスケッチのことが、とある雑誌に紹介されていたんですな。で、それが実際、なかなかよかったんですわ。ほんの一筆書きのスケッチなのに、ネコはネコらしく、老人は老人らしく、見事にスケッチされている。で、思わず「この大竹伸朗なる人物は何者か」と調査を開始し、たとえばちくま文庫から出ている『既にそこにあるもの』なんて著書も読んじゃったりしたわけですが、読めば読むほど、知れば知るほど、「力あるね、この人!」という感を強めたんです。(ちなみに、この「力あるね!」というのは、今年の釈迦楽家の流行語です。発音の際は、「ち・か・ら・あ・る・ね!」と一語一語に力を込め、いかにも感心しきった感じで発音して下さい。) まあ実際、とにかくパワフル。現在までにそれこそトンでもない数の作品を仕上げているようです。もちろん基本は絵画なんでしょうが、油絵あり、スケッチあり、水彩あり、版画あり、といった具合。で、それらに加えて写真あり、コラージュあり、コンピュータ・アートありといった調子で、要するにどんなものでも手を染めちゃう人なんです。そしてオブジェ制作の方もすごくて、船くらいの大きなものから、ぐっと小さなものまで、これまたトンでもない数のオブジェも作っているみたい。それから彼は一種の収集家でもあり、道端で拾った紙切れだとか、マッチのラベルだとか、そんな紙屑みたいなものを大量にスクラップしているとのこと。でまた、世界各地を経巡って活動する一方、日本国内では敢えてメトロポリス東京を避け、四国・宇和島というローカルな場所からアートを発信するというところも面白い。 ま、そんな風ですから、これまでのところは日本のお行儀のよいアート・シーンから一歩離れたアウトロー的な扱いで、知る人ぞ知るという存在だったようですが、それがここへ来て、急に世間一般からの注目を惹き始めているような感じですね。そのことは、たとえば古書の世界を見ていても感じられます。大竹伸朗が若かりし日に出版した様々な作品集が、今、大手有名古書店なんかではガラスケース入りで華々しく売られていますもんね。そういうのを見ていても、「おお、今、大竹が来ているな!」という気配がひしひしと感じられます。 そこへもって来てまさに決定的だったのは、現在「東京都現代美術館」で開催されている「大竹伸朗 全景 1955-2006」という大回顧展。旧作新作合わせて2000点もの作品を一堂に集めた空前絶後の展覧会らしいですけど、ここまで大規模な個人展覧会が開催されるとなると、いよいよ大竹さんも、日本の現代アート・シーンのトップランナーとして、まっとうなお墨付きを得た、という感じなんじゃないでしょうか。 ということで、今の私の悩みは、この大展覧会を見ることができるかどうか、ということにかかっておるわけですよ。クリスマスまでの会期なんですけど、それまでに東京に出るチャンスがあればいいのですが、どうかな~、無理かな~・・・。これから卒論指導が厳しくなってくるもんな~。 ま、私が行けるかどうかは別として、大竹伸朗とその大回顧展、教授のおすすめ!です。今、東京で暮らしている釈迦楽ゼミOB・OG諸君! この展覧会には行っておきなさいよ! (で、行ったら僕の分の図録買ってきて! お金はあとで払うからさ!)
November 2, 2006
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現在、将棋の竜王戦の真っ只中ですね。先程も第二局の模様をテレビでやっているのを見ていましたけど、終盤、行き詰まる攻防で、渡辺竜王が勝つのか、挑戦者の佐藤さんが連勝するのか、ちょっとまだよく分からないというところです。 ちなみに、私は別に将棋が強いわけではなく、辛うじてルールを知っている程度なんですけど、この種の大一番をテレビで見るのは好きなんです。現時点での日本の将棋界の頂点にいる者同士が真剣勝負をやっている、その気迫のぶつかり合いも見ていて素晴らしいですし、またそれを別なプロ棋士たちが入れ代わり立ち代わり別室で解説するのを聞くのも面白い。 対戦者二人が互いにどういう手を打ちそうか、解説者たちが様々な可能性を検討するのですが、そうした可能性を超えたような一手が打たれることも多く、そうするとその意外な一手を巡って、様々な思惑が検討される。そういう一連の手順が面白いんですな。 もちろん解説している人たちだって、やれ7段だ、9段だ、棋聖だ、なんて連中ですから、その手の読み方の早いこと、早いこと。それでも、しばしば対戦者のどちらが優勢かすら分からないというのですから、将棋というのは奥が深いもんです。 それにしても、プロ棋士の人たち、つまり、日々勝った負けたの世界に暮らしていて、勝てばよし、負ければ屈辱のどん底にたたき込まれるという生活をしている連中というのは、つくづくすごいと思いますね。なにせ全く容赦のない勝負の世界で、しかも経験がさほどものを言わない世界でもありますから、年を経て経験を積み重ねたベテラン棋士といえども、それこそ10代、20代の若造にあっさり負けちゃったりするわけですよ。で、そうやって負け続ければ、もうその時点で「落ち目」のレッテルを貼られてしまう、と。 他のスポーツ、たとえば野球なんかだと、選手として引退した後、今度は監督としてもう一花咲かす、なんて可能性も無きにしもあらずですが、プロ棋士の場合はそういうのがないですからね。弱くなったらそれで終わりですから・・・。厳しい世界ですわ。 文学研究の世界も、もちろん頂点のところでは厳しいですけど、私のようなものでも何となくやって行けるだけ、それだけ甘い世界だということも言えそうです。よかった~! そういう世界に身を置いていて。それに文学の世界というのは、ある程度経験がものを言うところがありますからね。若い優秀な奴がじゃんじゃん出てきても、ベテランにはベテランの生きる道が残されていそうです。 ま、自分がそういう甘いところにいるから、逆にプロ棋士たちの厳しい戦いぶりに興味がわくんでしょう。さてさて、先程の勝負の続きはどうなったでしょうか。私の見たところ、若干渡辺竜王優勢のようでしたが、佐藤さんは窮地を切り抜けて反撃に出たかしら。もう一度、ちょっとだけテレビを見て来ようかな。
November 1, 2006
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