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実家で一つ困ったことが起っておりまして。 今の場所に引っ越してもう三十年以上経つのですが、この間、父がずっと通っていた床屋さんが廃業することになったというのですな。 実家からその床屋さんまでゆっくり歩いて15分。ダラダラとした坂を上って下るので、後期高齢者の父にはこの坂が最近きつくなってきたのですが、それでもとにかく今までずっとこの床屋さんに通っていたわけ。 だけど、そこが廃業するとなると、もう父が行けそうな床屋がないわけですよ、近所に。 ま、実際には一軒あるにはあるのですが、そこは最近流行のスピードカットみたいなところで、昔風の床屋ではない。昔風の床屋を、気心の知れた小料理屋とするならば、ここは吉牛みたいな感じと言いましょうか。とにかく、自分とあまり年齢の変らない親父さんに今までずっと頭を刈ってきてもらっただけに、孫みたいな年頃の若者の店に行く気にならないと言うのです。話も合わないでしょうし、そもそも話をするような場所ではない。 まあ、その気持ちは分かるなあ。 だけど、実際問題として困るわけですよ。髪の毛は伸びるわけだから。もう来月から困ることになる。電話口で、親父も困り果てておりました。 それでも、一つ良い話もありまして。 廃業すると聞いて、我が親父殿は、得意のスケッチでこの床屋さんのお店を外からスケッチし、色もつけて、それを額に入れて、その床屋さんにプレゼントしたんですと。三十年の感謝の印に。すると、床屋さんも非常に喜ばれて、宝にすると言ってくれたそうで。 親父殿、それは、いいことをしましたね。いい餞別を思いつかれましたな。 さて明日から三月。三月は別れの季節ではありますが、床屋さんとの別れは、高齢者には辛い。この先父の散髪問題はどうなるのか。まあ、春休みに実家に帰った時にでも、私が床屋探しでも手伝いますか。
February 28, 2015
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今日、マツダから新型SUV、「CX-3」が発売されました!これこれ! ↓マツダCX-3 これ、めちゃくちゃカッコいいじゃん! 久々に欲しくなる日本車登場! 最近のマツダはデザインも洗練されているし、メカ的にも「スカイアクティヴ」の評判はいいですしね。 私、人生のクルマ遍歴の中で、「一度はターボ車に乗ってみたい」「一度は四駆車に乗ってみたい」「一度はオープンカー(もしくはサンルーフ車)に乗ってみたい」という3つの願望があるのですけど、CX-3を買ったら、はじめの2つを一挙にクリアできますしね。 うーん、これ欲しいなあ。もしCX-3に「サンルーフ」のオプションが付くようになったら買っちゃおうかな・・・。
February 27, 2015
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昨日春の話をしていたら、中学校の時の今頃のこと思い出しちゃった。 私が通っていた中学では、3月に「中学部展」というのをやるんです。生徒それぞれが所属している部の一年間の成果を問う、みたいな奴でありまして。 で、その当時、バリバリの生物学者を目指していた私は、当然のことながら「生物部」に所属していたと。 で、一年生の時は無冠、二年生の時に銀賞、三年生で生物部部長だった時に栄えある金賞に輝くという右肩上がりの好成績を収めたのであります。 まあ、わしが研究しているのだから、当然、そういうことになりますわな。だから、そのこと自体はどうでもいいの。 問題は、研究発表の仕方でございます。 発表は、どの部も基本、パネル展示なので、模造紙に研究した結果を図やら絵やらと共に書いて、それをパネルとして貼り出す。「白い・模造紙に・黒い・マジックで・書いたもの」を貼り出すわけですな。 だけど、二年生になった時、私は考えた。他人と同じことをやったのでは目立たないなと。 そこで私が何をやったか? そう、学校中でただ一人、「黒い・模造紙に・白い・マジックで・書いたもの」を貼り出したのよ。 くーーーーっ! もう、やり口が今の私とおんなじじゃん。外連味たっぷり。本体がちゃんとしていて、外見に外連味のスパイスがかかっているのではなくて、外連味自体が本体、みたいな。 二年生の時に銀賞とったのも、この「他人と違うやり方」ってのが効いていたんじゃないのかしら? で、これが評判となって、次の年には「色模造紙」を多用したパネルが流行したのだけど、それを予想した私は、口では「次は金色の模造紙を使う」とか言っておきながら、本番ではシンプルで何の工夫もない白模造紙に戻して金賞を取るという。 そんな昔のことを思い出しながら、三つ子の魂百までというけれど、私の「他人と違う道で行く」というポリシーは、この頃からハッキリあったなと。そんなことを再自覚したわけでございます。 ところで、あのまま生物学の研究者になっていたら、どうだったんだろう、と思うことがたまにあります。他人と違う研究分野、他人と違う研究方法、他人と違うアイディア、そういうものを生物学で追求していったら、ひょっとして、案外、いい成果を出す研究者になっていたのでは? 例えば小○方さんみたいに? 他の研究者が白衣なら、私は割烹着、みたいな? そうなっていた可能性は・・・あります!
February 26, 2015
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春になるといつも思うのですが、子供の頃、いや、高校生くらいの頃までの春休みって、なんだか楽しかったなと。 3月で学年が終り、この一年一緒だったクラスメートが近い将来、バラバラになる。そういう「慣れ親しんだものの終り」と、来たるべき「新しいものへの期待」がないまぜになって、なんともいえぬ快い不安定感があって。 でまた、私がそんな年頃の頃には、ラジオが結構重要なメディアだったのですけど、春頃にラジオから流れてくる音楽って、意外にいつまでも覚えていたりするわけですよ。どういうわけか。 それにつけても思うのですが、今、大人になってみると、ああいう春の感じって、なかなか取り戻せないなと。 なんかね、この歳になってしまうと、あらゆることが予定されたこと、あるいは自分で予定していること、なんですな。「クラス替え」とか、そういう、「自分以外の人の意志によって、予想できないことに巻き込まれる」ということがない。 だから、春だろうと、それ以外の季節だろうと、「今週末までに○○をしなきゃいけない」「来月の○○日までに○○を終わらせないといけない」「夏までには○○をやっておこう」「今年は○○をするつもりだ」ってことが目白押しで、全部、否応なくやらなきゃいけないことか、自分でやろうと思っていることばかり。 だから不安もない代わりに期待もない。 その辺が、春を楽しむことが出来ない理由なんじゃないかと。 そう考えると、自分の生活に自分で責任をもたなくていい子供時代って、素晴らしいなと。未来がまだ漠然としすぎてイメージできない、自分が将来何になるかも全然分らないという時期。その素晴らしさ。 その環境で初めて、春という季節を真に理解できるのではないかと。思春期とはよく言ったもので。 今、私は春という季節を、子供の頃ほど享受してないもんなあ。それを享受するには、子供に還ってバカにでもなる他ないしなあ。 さて、明日も私は「入試の採点作業をする」ことが明確に決まっております。入試に受かって大学生になることを、受験生たちは心待ちにしているのだろうけど、「お前さんたち、大人になっていいことなんてあんまりないよ」と言ってやりたいもんですな。
February 25, 2015
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今年もうちの科の紀要(=毎年出す論文集)を編纂する時期がやって参りました。 もう何度もこのブログに書いていますが、毎年うちの科が出す紀要は、編集フェチの私がすべて編集し、版下まで作成して、印刷所と交渉し、完成した紀要を全国の大学に送り届けるまで一手に引き受けておりましてね。これはもう、好きじゃなくちゃできない仕事なのよ。で、私はこの作業がめっぽう好きなの。 で、このところその編集作業に没頭しているのですけれども、今年は一つ難関にぶち当たりまして。 言語学関係の教授の論文の中に図があるのですが、この図の中に波線が使われているんですな。ところが、その波線をワードで出そうと思うと、なかなか難しいわけ。 しかし、論文の図とかに波線を使うことって、割とあるのではないか? ワードともあろうものが、波線ひとつ出ないなんてことはあるのか? で、ネットで「ワード、波線」などとキーワードを入れて検索するのですけど、なかなかコレという回答がない。 よくある回答としては、「アンダーラインの線種の中に波線があるから、それを使えばいいんじゃないの?」というもの。 だけど、私が引きたいのは、アンダーラインではなくて、行の真ん中に引く波線なのよ。 それに、百歩譲って波線のアンダーラインで代用しようと思うじゃないですか。だけどね、あれ、拡大するとよく分かるのだけど、実は波線じゃないんですよね。 あの、一見波線に見えるアンダーライン、じつはギザギザ線なの。尖っているの。緩やかなカーブを描く波線じゃないの。 だもので、どうやったら波線が出せるのか分らずじまい。結局、ネット上にある「波線」の図を選んで、それをコピペして貼りつけると言う、なんとも面倒臭いやり方で対処しましたが。 しかし、本当にワードで波線を簡単に引く方法ってないのかなあ? アンダーラインじゃない波線をね。 ま、マニアックな話で誠にスミマセン。でも、もし「こうやれば簡単よ」というのを御存知の方がいらっしゃいましたら、釈迦楽までご一報ください。
February 24, 2015
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今日はアカデミー賞発表の日。ということで、朝も早くからWOWOWで授賞式の様子を延々見ておりました。 ちなみにWOWOWでは日本側の司会としてジョン・カビラさんが仕切っていた他、ゲスト解説者みたいな形で町山智浩さんが出演されておりまして。 で、「お!」と思って町山さんの解説を聞いていたのですが、意外に(!)まともなことを言っておられるのでびっくり。「まとも」というのは、「非常に的を射た」という意味でもあり、また「これならNHKの番組にも出られそうだ」という意味でもある。実は私、町山さんというのは、もっとアナーキーでデンジャラスな人かと思っていたもので、実物はこんなに真面目そうな人なんだと判明して驚いたわけ。 ちなみに私はライターとしての町山さんのファンで、このブログでも『ベスト・オブ・映画欠席裁判』とか紹介した覚えが。この本、結構、言いたいこと言って(書いて)いて、そこが面白いんだけど、実物の町山さんは、ちゃんとしようと思えばちゃんと出来る人なのね。 で、たまたまですが、私は今、寝しなの本として町山さんの『USAカニバケツ』という本を読んでおりまして。これも結構面白いわけ。 『カニバケツ』はどういう本かと言いますと、アメリカのゴシップ新聞辺りで取上げられるような、三面記事的トホホな芸能ゴシップ記事を取り上げ、それを解説する、という感じの本なんですな。で、何しろレベルの低いゴシップ記事みたいなものがテーマですから、面白いと言えば面白く、下らないと言えば下らない。 だけど、その下らないところにこそ、案外、アメリカらしさが見え隠れするのではないか、というのが町山さんの見立てなわけ。 で、実際、そうなんですよね。下らないゴシップの中に、アメリカらしいところが確かにある。それで、面白いんだから、読み物としてなかなかいい。 その辺のね、こう、ライターとしての目のつけどころ? そこがいいわけよ。なんか、書きぶりも上智大学系のライターっぽくて。でも町山さんって上智じゃなくて早稲田なんですよね。 早稲田にしておくにはもったいない。(なんのこっちゃ) というわけで、今日は「まともな」町山智浩氏のうごく実物を映像で見られて、ちょっと面白かったのでありました。これこれ! ↓【楽天ブックスならいつでも送料無料】USAカニバケツ [ 町山智浩 ]価格:777円(税込、送料込)
February 23, 2015
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今日は終日執筆作業に没頭しておりました。 大学時代の恩師の未収録文集を編纂しているのですが、ただ先生の文章を編纂しただけでは面白くないので、先生の思い出の記を私が書き、それが先生の文集の解説にもなる、という風にしようと、今はその思い出の記を書いているわけ。 で、今は1991年の夏、先生と二ヵ月の間シカゴに滞在していた時期のことを書いていて、今日はその締めくくりのところを書いたのですけど、まあ、これでこの部分に関しては書き終わったかなと。 先生の文章だけで既に65万語くらいになっているところへ持ってきて、私の思い出の記が今の時点で5万語位。あわせて70万語を超しました。70万語というと、400字詰め原稿用紙で1750枚ですか・・・。うーむ、すごい分量になってしまいました。 予定から言うと、まだこの先、分量は増えるので、2000枚弱まで行くかもね。2000枚って、本にしたら何ページになるんだろう。上下二段組みにしても、相当な部厚さになっちゃうかも。 売れそうもね~。っていうか、絶対売れね~。 ま、いいや。売れる売れないは二の次だからね。昭和後期のアメリカ文学研究の一つの形を後世に伝える歴史文書だから。 というわけで、今日も今日とて、ひたすら恩師のことを思い出し、亡き恩師との対話を楽しんでいた私なのであります。
February 22, 2015
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某テレビを見ていたら、認知症予防の一つの方策として、日記を書き続けることが有効、さらに有効なのは、時間差を置いて、二日前の日記を書くことなのだそうで。 うーむ、ぬあるほど! 二日前に何をやったかを思い出しながら書く。そのプロセスが脳を刺激するのでしょうな。よし、わしもやってみよう。 さて、二日前・・・。 何やったっけ、自分・・・? ・・・・・。 ・・・・・・・・。 ぬおおおお! もう認知症になっていた!
February 21, 2015
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今、マクドナルドで「ハワイアンバーベキューポーク」ってのを売っているじゃないですか。あれが食べてみたいなと思って、今日のお昼はマックへ。 で、注文。食べてみた。 結論から言いますと、味はまあまあではないかと。ただし、たまたま私のがそうだった、ということかも知れませんが、やけに盛りが悪くて、あのテレビCMでやっているおいしそうなバーベキューポーク、あれの破片がちょこっとしか入ってなかった。これじゃあ、単品390円の価値ないなあ。 まあ、○が入ってなかっただけマシか・・・。 だけど、今マックでは「ハワイアン」が売りのせいか、店内の至るところにハイビスカスの花のシールが貼ってあったりするんですけど、それがまたやけにみすぼらしいというか、もうなんか、スーパーのフードコートみたいな雰囲気を醸し出していて、なんだかすごく居心地が悪いというね。 このところマクドナルドは業績が悪化の一途を辿っているようだし、混入物騒動もあったし、そうなると弱り目に祟り目で、何をやっても裏目に出ると言うか、パッとしない感じがしてきますね。 そこで、だ。 無能なマクドナルド首脳陣に代わって、拙者がマクドナルド立て直し策を考えてやろう。 まず、一つ思うのは、長年見慣れた・・・というか、見慣れ過ぎた感のある、あの店舗のアピアランス、あれ変えない? でっかい黄色のMマークまで変えろとは言いませんが、今やあのマックの店舗デザインは古いよ。安っぽいし。しかも、店内が明るすぎるというか、スケスケ過ぎる。幼稚園の校舎みたいじゃん。 スタバの店舗にしたって、もう少し薄暗いでしょ。その薄暗さが「落着き感」「居心地の良さ感」を出すわけで。もちろん店舗に落着き感があると、客が長居したくなって回転が悪くなるのはわかるよ。だけど、今は「マック? なんか入る気しないなあ」という気分が蔓延しているわけだから、少しくらい回転が悪くなったとしても、まずは客が入りたくなるような雰囲気にしないとダメなんじゃないの? まあ、全部一気に変えるのも大変なので、ここは一つ、マックの店舗を二種類に分けよう。従来通りの店舗と、新しいデザイン・コンセプトの「大人マック」店舗と。 で、前者は、今まで通り、幼稚園のお迎えを済ませた若いママさんたちの集まる場所にすればいい。ガキが少しくらい騒いだっていい。 で、後者は、店舗自体を「スタバ」レベルのぐっと落ち着いた雰囲気にして、ガキ向けの「バリューセット」をはじめ、セットものは一切置かないの。全部単品。値段も少し高めにして、100円マックも置かない。「セットはいかがですかあ?」とか「ポテトはいかがですかあ?」とか言わない。 で、後者の「大人マック」では、サブウェイ方式で自分好みのハンバーガーを客自身が作る、というのはどう? まず「バンズ」の種類(ホワイト/ウィートなど)を選び、パテ(ビーフ/ポーク/チキン/フィッシュ/海老/ビッグサイズ・ミディアムサイズ)を選び、トッピング(目玉焼き・チーズなど)を選び、添える野菜(基本ピクルス。それにマッシュポテトやトマトやレタスやオニオンやオリーブなど)を選び、ソース(デミグラス/テリヤキ/ケチャップ)最後にサイドディッシュと飲みものを選び、最後に精算すると。 あるいは逆に、大人マックでは、究極のメニューを数種類くらいしか置かないとか。「バーガーキング」における「ワッパー」みたいに、「マックと言えばコレ」みたいなハンバーガーを1種類。絶対旨い特色あるピザ(例えばシカゴピザみたいな奴)を1種類。それに究極に旨いサンドイッチを1種類。フードメニューは基本それだけ。後は、めちゃくちゃ旨いコーヒーと紅茶(旨い紅茶が飲める場所ってなかなかないからねえ)、それに絶対旨いパイ、ケーキ、ドーナツをそれぞれ1種類ずつ。とかね。 とにかく、私はガキがうるさくなくて、ハイビスカスのシールが安っぽくべたべた貼ってないマックに行きたいな。本を読んだり、パソコン開けるマックに行きたい。 どう、この「マック改造釈迦楽プラン」。 まあ、マックのお偉いさんは、このブログ読んでないだろうけどね。逆に、私の方だってマックをどうしても立て直す義理はないけど。
February 20, 2015
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先日、ブログでちょっと書きましたけど、今、アメリカ文学史の授業改革として、「学生自身にアメリカ文学史を編纂させる」という計画を立てておりまして、アメリカ作家の情報をウィキペディアからとって来させ、それを特製のノートに切り貼りさせるには、どのような特製ノートを作ればいいか、それを設計しているわけ。 で、試しに何人かのアメリカ作家の情報をウィキペディアで探してみたのですが、その結果、面白いことが判明。 日本人は、圧倒的にエドガー・アラン・ポーが好きなんだ。 もうね、他の作家とは桁違いと言っていいほど、日本語版ウィキペディアではポーに関するページが充実しているの。例えばアメリカン・ルネサンスを代表するハーマン・メルヴィル(2ページちょい)、ナサニエル・ホーソーン(1ページ半)と比べると、ポーのウィキペディア情報は延々20ページだもんね。情報量10倍だ。 日本人特有の陰翳礼讃じゃないけれども、ポーのあの暗い感じが、日本人の感性には合うのかもね・・・。それにしても、ここまで差がつくか、というくらいの情報量の差に、ちょっとびっくり。 しかし、「切り貼りアメリカ文学史」を作らせるとなると、ポーの項だけとてつもなく分量が多くなってしまうから、ウィキペディア情報の中のどの部分を切り貼りしろ、とか、指定しないとダメだなこりゃ。 でも、こういう作業をし始めたからこそ、こういう状況が分かったのであって、やっぱり何か新しいことを始めると、勉強にはなりますね。なかなか面白いな。
February 19, 2015
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最近読んだ本についてあれこれ書いておきましょう。 一番面白かったのは、松任谷正隆さんの『僕の散財日記』。これ、先日「ブ」(=ブックオフ)で108円で買った奴。 私思うに、人生というのは「選択」の連続でありまして、朝何時に起きるか、朝食に何を食べるか、何を着ていくか、どこで何を買うか、誰と会うか、どこで会うか、電車で行くかクルマで行くか、泊るか泊らないか、とまあ、意識するとしないとに係わらず、数え上げたらきりがないほど日々、瞬間瞬間、選択をしているわけですな。 ある意味、その一つ一つの選択の蓄積が、その人の人生だと言ってもいい。 だから、沢山の選択肢の中から何を選択するか、というのは、大げさに言えば、その都度自分の人生を決めているようなものですよ。 そう言う風に考えると、意識的な選択としての「買い物」は、その人の人間性を知るのに恰好の素材となり得る。というか、「自分は、どんなものを買ってきたか」をチェックすることで、自分自身がどういう人間かが分かる・・・かも知れません。 で、本書『僕の散財日記』は、音楽プロデューサーにしてユーミンのご主人でもある松任谷氏が、自分がその月に何を買ったか、なぜそれを選んだかということをネタに書いた雑誌連載エッセイを集めたもの、なんです。 なにせ多趣味で、かつお洒落な人ですから、松任谷さんが買うものは、何にせよちょっとお高い。まさに「散財」という言葉で表せるようなものばかり。例えば、「エルメスのハンドタオル」とかね。その辺のハンカチと比べたら、よっぽど高い。 だけど、汗っかきの松任谷さんとしては、ハンドタオルは必需品。で、もし汗っかきの人が、安物のタオル地のハンドタオルか何かでごしごし汗を拭いていたら、それはやっぱりちょっとカッコ悪い。 だったら、そこをちょっとお洒落して、ハンカチをエルメスにしたら、気付く人は気づく程度の気取りとして、そこそこ様になるのではないかと。そう考えれば、これ見よがしにエルメスのバッグとかを持ち歩くより、この方がよっぽど洒落ているとは言えないか。 ま、こんな感じで、松任谷さんの買い物には、それぞれ何か理由がある。その理由を語りながら、松任谷さんは松任谷さんの選択を語り、それによって自身を語っている。そういうエッセイですな。 他人が何を買ったかなんてことを読んで面白いの?と思うかも知れませんが、私は割と面白かったです。文庫版もあるようですから、モノにこだわりのある方にはおススメ、と言っておきましょう。これこれ! ↓【楽天ブックスならいつでも送料無料】僕の散財日記 [ 松任谷正隆 ]価格:1,728円(税込、送料込) 次、江藤淳氏の『妻と私』。これも先日、「ブ」で108円で買った奴。 江藤淳・・・まあ私にとっては江頭淳夫(えがしら・あつお)ですけど、その江頭氏が奥さんを亡くされた時の話。雑誌に書き下ろしされたのを本にしたもので、ページ数的には100ページちょいの短いもの。 まあ、何と言っても奥さんが死ぬ話ですから、お気の毒、っていう他ないわけですけれど、奥さんを亡くした本人が「すごく悲しい。あんまり悲し過ぎて、自分も体調崩しちゃった」と書いているので、「お気の毒」以外、何も言えませんよね。 そういう本です。 ところで、江頭氏は奥さんを亡くされた後、1年も経たないうちに自殺されたんですな。ご自身、脳梗塞か何かを発症されて、それを苦に、ということのようですが。それも含めて、まさに「お気の毒」ですね。 まあ、でも、特にこの本を人に勧めようという気にはならなかったかな。 次。玉村豊男著『忙中有閑ときには旅』。これも『僕の散財日記』同様、雑誌連載を本にした奴。 いいな、そのパターン。雑誌連載⇒本になる、っての。そういう仕事、来ないかな。 ま、それはともかく、玉村さんはエッセイストであると同時に、長野県で「ヴィラ・デスト」というワイナリーを経営していらっしゃるわけで、本書はそんな玉村さんの晴耕雨読のライフスタイルといいますか、エッセイを書いたり、農作業をしたり、という日々のあれこれを特にテーマも定めずに文章化したもの。それだけに、気楽に読める反面、特に何も記憶に残らないという。ただ、ひょっとしたら大変なのかも知れないけれども、俺もそんな生活してみたいな~、それでエッセイの注文が来るんなら御の字じゃん、と思う人は思う本です。ちなみに、私はそういう風に思う人なんですが。 玉村さんも、気合の入ったエッセイの時と、そうでない時の脱力エッセイと、その振幅が大きいよね。ファンはどちらも読むけど、ファンじゃない人からしたら、これは食い足りないかも。 ということで、『忙中有閑ときには旅』は、私のような玉村ファンだけにおすすめ、と言っておきましょう。これこれ! ↓【中古】 忙中有閑ときには旅 / 玉村豊男価格:300円(税込、送料別) なんか最近、軽いモノばっかり読んでいるなあ。疲れているのかね。 まあ、マグロみたいなもので、軽いモノでも数読まないと、生きた心地がしないワタクシ。口から入って鰓から抜ける、そんな本も必要なのよね~。
February 18, 2015
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佐久間裕美子著『ヒップな生活革命』という本を読んだので心覚えをつけておきましょう。 最近、東京に「ブルーボトル・コーヒー」が進出してきたりして、今、コーヒーの「サード・ウェーブ(第三の波)」が来ている、というような言い方がされます。ちなみに、「第一の波」というのは19世紀、アメリカの家庭に「フォルジャーズ」というブランドのコーヒーが行きわたった頃のこと。「第二の波」というのは「ピーツ・コーヒー」など、おいしいコーヒーのチェーン店が出来始めた1960年代からスターバックスの登場まで。そして「第三の波」というのは、機械ではなく、バリスタの手淹れによるグルメ・コーヒーが飲めるブルーボトル・コーヒー的なカフェの登場を指します。 で、そういうと、「へえ、そうなんだ」で終ってしまうわけですけれども、佐久間さんによれば、このコーヒー界の動きは、実はアメリカの食文化全体の改革の波の一端に過ぎないというのですな。つまり、リーマン・ショックによるバブル崩壊以降、アメリカの食文化は全体的に劇的に改善されつつあると。アメリカで、美味しいものが食べられるようになってきたと。 それは何故なのか。 つまり、バブルの崩壊によって、大量生産・大量消費の時代が終ったんですな。安い野菜、安い肉、安い魚が買えるならば、世界の果てからでも輸入し、輸送コストがいくらかかろうが、輸送の過程でどんなに無駄が出ようが、最終的に採算がとれればいい、という時代は終ったと。 で、それに代わって、地産・地消の時代になった。だから、今までよりも新鮮で質のいいものが食べられるようになってきたと。 もちろん、そのためには食の生産・消費システムの改革が行われました。例えば、今NYあたりでもビルの屋上で野菜を生産することが増えてきたそうで、ビルの屋上で作った野菜を、ビルの下の階のレストランで使えば、新鮮な野菜が輸送コストゼロで食べられる。ビルの屋上で野菜を作るなんていうと、いかにも大変そうですが、実は大都会の真ん中のビルの屋上というのは、害虫が寄ってこない分、殺虫剤も使わなくていいし、すごくいい農地なんですと。 それに、都会の近くの海の漁師さんたちが獲った魚が、うまいこと消費者にわたるシステムも作られているそうで、例えば週極めとか月極めでお金を払えば、地元の漁師さんが地元の海で獲れた魚を配送してくれる。勿論、その場合、配送されてくるのは、その時獲れた旬の魚ということで、客が指定できるものでもないのですが、その代り、その魚の調理法を記した紙を付けてくれるなど、サービスもばっちり。 そんな感じで、今アメリカの食文化は確実にバブル前よりも改善しているというわけ。 しかも、改善しているのは食文化だけではないんですって。 着るものにしても、バブルの時のようにブランド品がものを言う時代は終り、今は質のいいものであれば、ブランド品でなくても長く愛用するとか、古着を上手くリユースする文化が定着してきた。 で、こういう様々な生活革命の担い手になっているのが、ヒップスターであると、佐久間さんは指摘します。1960年代にはカウンター・カルチャーの担い手を指す言葉だった「ヒップ」が、今はこの種の生活革命を良しとして受け入れる人々を指す言葉として使われ出したと。 で、ヒップたちの生活革命は、このほかにも様々な方面で発揮されています。 例えば、バブル崩壊で大型書店チェーンがどんどん潰れたけれども、その代りに個性的な品揃えの個人経営の本屋が増えたし、そういう本屋では、これまた個性的な同人誌の発行・販売母体になったりして、新たな文化の発信地になっていたりする。またバブル崩壊と共に消えた大型CDショップの代わりに、中古LPレコード屋が増え、これまたマニアックな文化の発信基地になり始めている。 その他、様々なクリエイターが、バブル崩壊を機に、ネットを使ったりして、自分たちにできることをどんどんやり始め、その結果、アメリカは今、めちゃくちゃ面白いことになっているよと。本書が伝えてくれるのは、そんな良い方向に激変しつつあるアメリカの姿であります。 どう、面白そうでしょ? で、私も面白いなあと思いながら読んでいたのですけれども、ふと思うのは、佐久間さんの言う「ヒップな生活革命」って、日本では大昔から達成されているよなと。 だって、日本の喫茶店なんて、大昔からマスターの手淹れだし。レストランだって、板長さんが築地で仕入れてきた食材を提供しているわけでしょ。それに日本の廃品回収システムだって、相当なもんだ。佐久間さんは、アメリカで「10分カット」じゃない、大人の男がリラックスして髪を切れる床屋が増えてきたと言いますが、日本の床屋さんなんて昔からそうだし。肩もみまでしてくれますから。 そう考えると、この本、アメリカの今を知るばかりではなく、「日本のあれやこれやのシステムをアメリカに持っていったら、すごく受けるだろうな」ということを考えさせてくれる、いい手がかりになりそうです。例えばの話、アメリカに「ブックオフ」のようなシステムはないですけど、ブックオフをアメリカに持っていったら、相当受けると思うな。 ということで、この本、特に日本のビジネスマンとか、日本の若手クリエーターなんかが読んだら、ビジネスチャンスを考える上でのいいヒントになるんじゃないかと、私はそう思うのであります。その意味で、教授のおすすめ!と言っておきましょう。これこれ! ↓【楽天ブックスならいつでも送料無料】ヒップな生活革命 [ 佐久間裕美子 ]価格:1,015円(税込、送料込)
February 17, 2015
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義兄がシンガポールで行われた学会に参加した際、お土産にジャムをくれたのですが、これがまためちゃくちゃ旨かったんです。 ひょっとして有名なのかも知れないけど、かの有名なラッフルズホテル謹製「カヤジャム」というの。まあ、卵が入っているので、カスタードっぽいところもあり、ミルクジャム的なところもあり、はたまた舌触りからいうと、モンブランの栗のクリームみたいな感じもあり。だけど、とにかく旨いのよ。これこれ! ↓【税抜6,000円以上で送料無料】ラッフルズホテル カヤジャム【輸入食品】価格:1,580円(税込、送料別) もうね、これさえあれば、ただのトーストがスペシャルな食べ物になるよっ! ジャムとしてはちょっと高いけれど、一度味わっておいて損はない。教授の熱烈おすすめ! 今度から、友人がシンガポールに行くと言ったら、絶対これをお土産に頼もうっと。
February 15, 2015
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昨夜、WOWOWから録画していた『ブルージャスミン』を観ましたので、心覚えを。以下、ネタバレ注意ということで。 主人公ジャスミン(ケイト・ブランシェット)は、もとは「ジャネット」という名で、どういう事情からか養女として、同じく養女の妹ジンジャーと共にさる家庭で育つわけ。だけど、この血のつながらない姉妹は、当然と言えば当然ですが、性格がまるで異なっていて、ジャネットは上昇志向、ジンジャーはそうした上昇志向はまったくない。 で、ジャネットの方は「ジャネット」という平凡な名前をエキゾチックな「ジャスミン」に変え、大学時代に出会ったある金持の男ハル(アレック・ボールドウィン)と卒業を待たずに結婚してしまう。そしてそこから贅沢三昧の夢のような生活を送るんですな。一方、妹のジンジャーの方は、地元サンフランシスコに留まり、スーパーのパートか何かをやりながら、しょぼいながらも、まあごく普通の生活をしている。 ところが、ジャスミンの夫ハルは、実は稀代の詐欺師だったんです。彼の莫大な収入は、様々な会社を巻き込んだ壮大な詐欺行為から上がったものだった。しかも彼は稀代のプレイボーイでもあって、妻ジャスミンに隠れてあちこちに愛人を作ってもいた。 で、ここが重要なところですが、ジャスミンも夫ハルの行動に「おかしいな」と思うところはあるわけ。だけど、今自分が送っている贅沢な暮らしが続いている以上、その幸福を壊したくないというところがあって、夫の行動が怪しくても、その都度、目を背け、問題を直視しないわけですよ。そうやって自分自身をも騙していたんですな。 ところが、ついに破滅の時が来る。様々な愛人遍歴の末、ジャスミンと離婚し、十代のフランス人の小娘と再婚する、とハルが宣言したところで、ジャスミンの中で何かが壊れてしまった。彼女は発作的にFBIに電話し、夫の詐欺行為を告発。ハルは逮捕され、刑務所で自殺。ハルの連れ子で一流大学へ通っていた息子も、詐欺師の父を恥じて大学をやめ、失踪。詐欺で稼いだ財産を奪われ、一文無しになったジャスミンは、NYで一旦靴屋に就職するも、昨日までセレブ友達だった友人たちの憐れみを受けながら、彼女たちの靴のサイズを測る屈辱に耐えかね、NYを引き払ってサンフランシスコの妹・ジンジャーのもとに身を寄せると。 しかし、これにも問題が。 以前、ジンジャーと当時の夫が、宝くじに当たって2000万円ほどゲットしたことがあったんですな。で、ジンジャーは金持のジャスミンにその使い道を相談し、ジャスミンのアドバイスでこのお金をハルに託し、投資に使ってしまった。しかし、何しろハルは詐欺師ですから、その虎の子の2000万円も右から左へと消え、そのおかげでジンジャーとその夫は絶望し、離婚していたんです。だから、本来なら妹に申し訳なくて顔も出せないはずなのですが、その辺、ジャスミンはセレブ生活の中で他人への思いやりを忘れていますから、平気で彼女に助けを求め、居候することになる。 だけど、セレブ生活に馴れたジャスミンには、なかなか自立する方策が立たないんですな。大学も中退していますし、何かの資格を持っているわけではない。インテリアを飾るのが得意とはいえ、それで身を立てるにしても資格がいるし、パソコンも使えなくてはならない。しかし、それまでそういう勉強をしてこなかったジャスミンには、パソコンを扱う勉強をするのも一苦労。そして人に使われて給料をもらうというのも、プライドが邪魔して難しいわけ。 しかもジャスミンは華やかな美人ですから、市井の男たちがすぐ近寄ってくる。しかし、ジャスミンにとって中流階級以下の男など眼中にもなく、そういう連中に言い寄られるのが絶えられないんですな。 一方、一緒に暮している妹のジンジャーは、そういうどちらかといえば肉体労働者的な男たちとしか付き合ったことがなく、またしてもそういう男と再婚しそうになっている。ジャスミンからすれば、「そんな連中と付き合うから、今みたいなレベルの低い生活から抜け出せないのよ!」ということになる。まさにそのレベルの低い生活の妹の世話になっていながら、そういうことを口に出して言ってしまう、それがジャスミンなんです。 ところがそんなある日、とあるパーティに参加したことがきっかけで、ジャスミンはまたしてもセレブで野心もあるハンサム男と知り合うことになります。で、チャンス到来!と思ったジャスミンは、「前の夫は詐欺師で、刑務所で首をつって自殺した」なんてことはひた隠し、彼と付き合うようになる。 果たしてジャスミンの起死回生の玉の輿作戦が成功し、彼女は再びセレブ生活を手にすることができるのか?! ・・・ってな話。 で、この映画に対する私の評価は・・・ 「83点」でーす。高評価! ウッディ・アレン映画の苦手なワタクシとしては珍しい。 高評価の主たる理由は、ケイト・ブランシェットの鬼気迫る演技ですね。上昇志向の彼女がついに手にしたハルとの夢の結婚生活、それが破綻した時から彼女は一気に壊れていくのですが、人間が「壊れる」というのは、こういうことかと思わせるような演技は見事の一言。それでいて、そこはウッディ・アレンですから、真っ暗なまでの深刻さにはならないわけ。ギリギリのところで「コメディ」を保っている。その深刻劇とコメディの間に引かれた細いラインを辛うじてバランスをとりながらケイト・ブランシェットが歩いているところがね、なかなかいいのよ。 しかも、低レベル(といっても、私からみればごく普通の庶民レベルですが)の生活にどっぷり安住している妹・ジンジャーとの対比も面白いんだなあ。 で、普通なら「上昇志向でセレブな生活ばっかり夢見ているより、地味でもごく普通の生活の方がいいですよね」と妹の側に肩入れするような描き方をしてしまいそうなところですけど、そういう風に描いていないところもまたいい。やっぱり、どこか上昇志向がなければ、このレベルに留まっちゃうよね、ということを、かすかに揶揄しているところもある。 だから、上昇志向の強いジャスミンが被った悲劇が、ちゃんと悲劇として成立するわけよ。「ほら、いわんこっちゃない」という批判の対象としての悲劇ではなく、運命に翻弄される人間の悲劇として。 それゆえ、ジャスミンが自分の現在の立場もわきまえずに妹の生活ぶりや妹の男の趣味をクソミソにけなしても、あんまり嫌な感じがしないんだろうと思います。普通なら、「何言ってやがるんだコノヤロー」とジャスミンに対して思いたくなるであろうシチュエーションなのに、(もちろん、多少は思いますが)、あまりそう思えないのは、彼女がギリシャ悲劇的な悲劇のただ中にいる、ということがどこか伝わってくるからでしょう。 というわけで、この映画、なかなかレベルが高いのではないでしょうか。この映画でケイト・ブランシェットがアカデミー主演女優賞を獲ったのも納得の一作。まだご覧になっていない方は是非。教授のおすすめ!です。これこれ! ↓【楽天ブックスならいつでも送料無料】ブルージャスミン [ ケイト・ブランシェット ]価格:3,926円(税込、送料込)
February 15, 2015
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知人、というか、研究者の先輩からとある冊子をいただきまして。それを見てびっくり。 ある有名なアメリカ文学の先達の先生が編集している小冊子・・・いや、もっとはっきり言えば文芸同人誌みたいなもので、同人となっているのは、私も直接間接に名前を存じ上げている方ばかり。メンツを見ると、TB大学系の先生方ですな。 で、その先生方が、その同人誌に発表しているのは、基本的に小説なんです。 で、私のよく存じ上げている女性の先生なんか、およそ小説なんか書きそうもない方なのに、結構エロティックな小説を書いていらしたりする。 ひゃ~、皆さん、どっちの方向に行こうとしているの~?! いやあ、意外だったなあ。 結局、文学の先生なんてのは、どこかに小説家になりたいという願望を持っているもんなんですな。 でも、およそエロティックなことと関係なさそうな先生が、そういうのを書いているのを発見しちゃうと、今度会った時に、見方が変ってくるなあ。どうしよう。一応、冷やかしておいた方がいいのか、それとも知らんふりをした方がいいのかしら。 でも、火のないところに煙は立たないんだから、その先生の中にもエロティックな願望があることは間違いなかろう。 いやん! なんか今日は、面白いものを入手してしまって、同業者の皆さんの別な一面を見てしまったような、そんな感じでしたね。
February 14, 2015
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「大宅壮一文庫」ってご存知? ジャーナリストの故・大宅壮一氏が設立したある種の図書館で、日本の主要な雑誌の記事をデータベースとして蓄積しているユニークな施設なんです。今はどうか知りませんが、昔は係員がそれこそ手作業で雑誌の記事を分類し、キーワードによるクロスレファレンスも可能にしてあって、使いようによっては非常に有用な文献の宝庫なわけ。 だけど、そのデータベースにアクセスするのは有料ですから、個人で契約するのもなかなかしんどい。だから、たとえば大学図書館がここと契約して、その大学の先生なら大学経由でこのデータベースを活用できたら、とっても都合がいいだろうなと。 で、このところ昔の新聞・雑誌の記事をやたらに探し回っているワタクシとしても、これが大学経由で利用できたらいいなあと思っていたわけですよ。で、先日、勤務先の大学図書館に相談してみた。 そしたら、「理系の先生方のための有料データベースはいくつか契約があるのだけど、文系の先生のためのデータベースは今まで要望がなかったので契約がなく、不公平な感じがしていたところですので、検討してもいいですよ」とのお返事があり、早速、トライアル版を使えることになったんですわ。 ひゃー、嬉しい! 頼んでみるもんですなあ。 ちなみに愛知県内の大学で、大宅壮一文庫と契約を結んでいるのは、愛知県立大学、愛知大学、椙山女学園大学、東海学園大学の四校だけ。あらま、名古屋大学はどうしたの? 南山大学とか淑徳大学とか金城大学とか、使わなくていいの? ちなみに、早速トライアル版を試してみたのですけど、いい感じでヒットします。これ、人文系研究者にはかなり役立つものだと思うけどなあ。これで本契約となれば、私もちょっとばかり勤務先大学に貢献したことになるのではないでしょうか。 ってなわけで、私の要望に素早く対応して下さった図書館の皆さんのおかげで、質の高いデータベースへのアクセス権を手に入れることができ、ちょっと鼻高々なワタクシなのであります。
February 13, 2015
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NHKの番組でコンゴ共和国に伝わる「サプール」文化というものを知り、大いに感銘を受けました。 「サプール」というのは、収入の大半を服に費やし、ブランド品のスーツなどを身に纏う男たちのこと。コンゴの生活レベルは先進国のそれと比べるとかなり低いのですが、そんな中、彼らは身を削ってまで高級な服を買い、週末ともなると、それを着飾って町へ繰り出すわけ。 というと、何だかすごく愚かしい感じがしますが、実はそうじゃないんだなあ。 サプールというのは、コンゴの人たちにとっては憧れの存在であり、我が町のサプールが登場したとなれば、もう大人も子供もみんな繰り出して、うっとり眺めるわけ。その群衆の中で、サプールたちは工夫をこらしたポーズを決め、喝采を浴びる。つまり、サプールはその服のセンスと立ち居振る舞いのエレガンスによって、片やエンターテイナーともなり、片やヒーローのように尊敬され憧れられる存在になるんです。 そして、サプールとなった以上、注目を浴びる分だけ、人々のヒーローとなる分だけ、自らの行動を律しなければならないんですな。だから、サプールは先輩サプールやライバルのサプールに対しても尊敬の念を絶対に忘れない。服のセンスやポーズの粋を競いこそすれ、他人を貶めたりは決してしないし、ましてや喧嘩もしない。サプールたるもの、完璧な平和主義者でなければならないわけ。 だから、サプールとして生きることを選択するのは、ものすごく覚悟がいるし、先輩サプールについて長い間勉強しなければならない。 そしてその修業が終って、いよいよサプールとしてデビューするとなると、先生役を務めてきた先輩サプールが、スーツ一式を大枚はたいてプレゼントしてくれる。それは大変なことなのですが、先輩サプールはそうやって、サプール文化が継承されていくことに貢献するんですな。 この番組、見てて思ったのですが、これはいわば、日本の茶道と同じだなと。「茶を飲む」という当たり前のことを高度に洗練された一つの文化に高めた我が国と同じように、コンゴ共和国では、「服を着る」ということを文化にまで高めたのでしょう。 だけど、着飾ることで人々に悦びや希望を与えるなんて、面白いなあ! ということで、今日は「サプール文化」なるものを初めて知り、すごく勉強になったワタクシなのであります。
February 12, 2015
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「アメリカ文学史」の授業を受け持って早や20年以上。「文学史」というのは、基本、同じことを毎年繰り返して教えることになるので、教える側もマンネリになりがちだし、それが学生にも伝わるのか、最近ちょっと気合いが抜けてるかなと。 で、これじゃいかん、来年度は少しやり方を変えよう、とか思ってはいるのですが、これがなかなか難しくてね。 今までは特に教科書を指定していなかったので、来年度からは市販の文学史を教科書にして、学生にきちんと読ませようと考えたものの、いざ探すとなると、適当な(というのは、授業をする上で、という意味ですが)文学史がない。あったとしても、大抵3,000円くらいするものばかりで、しかも分厚すぎて半年では読み切れそうもない。 では、自分で簡便な文学史を執筆するか、と、一瞬思ったのですが、文学史を執筆するとなるとすごい労力が掛かりそうですし、そもそも自分にはそこまでの実力がない。文学史上重要だけど、読んでない作家・作品が多すぎますからね。 っていうか、文学史を自分で書く、というような正攻法のやり方は、私らしくないんだなあ。そういう、まっすぐな道は行かないのが私の持味ですから。思いがけぬ方法で急襲する、というのが、文学ゲリラ・釈迦楽教授の取る道なの。 じゃあ、どうするか・・・。 ・・・と考えた末、ワタクシ、ある方法を思いついたんです。いかにも私らしいやり方をね。 題して、「切り貼り文学史」作戦。 まず、専用のノートを印刷会社に特注するわけ。で、毎回の授業で取上げる作家・作品についての情報を、学生自身にウィキペディアで調べさせ、それをプリントアウトしたものをその特製ノートに貼らせるの。 で、例えばマーク・トウェインについて学ぶ回であれば、マーク・トウェインについてのウィキペディア情報と共に、写真か肖像画をネットから適宜取ってこさせて、それを指定した写真欄に貼らせる。自分で探して自分で切りぬいて自分で貼れば、その過程で自然と学生もマーク・トウェインの顔を覚えるでしょう、きっと。 で、さらに文学史と共に憶えておくべきアメリカ史の情報も、適宜、ウィキペディアから取ってこさせて、それも貼らせる。例えば、19世紀後半の文学史を教えるのに必要な「金ぴか時代」のことも、やはりウィキペディアで調べさせ、それをプリントアウトして貼らせる欄を作っておく。 そうやって授業が進む毎に切り貼りノートが部厚くなっていって、最終的には学生自身がそれぞれ自作した『切り貼りアメリカ文学史』の本が完成すると。自分で自作した本であれば、それなりに愛着がわくでしょうし、試験対策にしたって、その自作本を読めばいいのだから、楽でしょう。 その一方、授業の中では、いつも通り、当該の作家の重要な作品について解説したり、時には実際に作品を読んでもらって、順番を決めて感想を「ビブリオバトル」形式で発表してもらうわけ。そしてその勝敗・順位づけについては、聞き役の学生たちに投票してもらって、その結果を「平常点」として成績に反映させる。 どう、この案? 私自身が文学史を作る(=執筆する)のではなく、学生の側にそれを作らせるという。まさに、トム・ソーヤーのペンキ塗り作戦ですよ。 どうだろう、うまく行くだろうか。 成功の鍵は、おそらく、その切り貼りの台帳となる特製ノートの設計にかかってくるでしょう。ちょっとその辺、春休みに考えてみようかな。
February 11, 2015
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重い腰をヨイショっと持ち上げて、「アメリカ文学史」の期末試験の採点をしております。 で、私はいつも、この授業題目の期末試験の一部に、「授業で紹介した作家の作品を一つ読み、思うところを記せ」という問題を出します。ただし、粗筋を書くのではなく、その小説を読んだことで自分が何を感じ、考えたか、その小説とあなた自身の出会いとはどういうものであったか、それを読んだことであなたの何が変わったのか、ということを書くように指示します。その回答が、できるだけ個性的なものであることを祈りつつ。 で、中にはこちらの出題意図を汲んで、面白い回答を寄せてくる学生もいるのですが、大半は型通りのことを書いてくるものでありまして、そういうつまらない回答を読む度に、若い人たちがいかに小説を読まなくなったか、フィクションから何かをつかみ取るという経験を何もしてこなかったか、ということを痛感させられます。それは、他人の体験を自分の体験のごとく受け入れる力、すなわち想像力の欠如を示唆するものでもあって、冗談抜きでゾッとさせられるところもある。 その一つの例として、例えばサリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』を読んだ学生たちの感想を読むと、ほぼ全員が、「主人公のホールデンは、信じられないほど我儘で、自分以外の人間のやることなすことすべて嫌と言っているばかりで、まったく共感できなかった」と書いてくる。まあ、正直に思ったことを書いてきたのでしょうけれども、ホールデンの悲しみというか苦悩というか、それが今時の同年代の人たちには、まるっきり分からない範疇の感情なんだということが明らかになって、私としてはさすがに呆然よ。 日本の学生は英語ができないから、英語をもっと小さい時から勉強させた方がいいとか、そんなアホなことを言っている間に、国語力(言葉の力)と想像力を鍛えるような手を打たないと、いかんのじゃないですかねえ。 ところで、この試験で型通りの、つまらない回答を書いてくる学生には一つ、共通点がありまして。それはもう、100%に近い共通点なんですが。 それはね、出来の悪い回答をしてくる奴に限って、答案用紙の最後にこういうことを書いてくるんです。「今回はこの作家の『○○』という作品しか読むことができなかったが、非常に興味が湧いたので、春休みには同じ作家の別の作品を読んでみたい」と。 う・そ・つ・けっ! どうしてこういうウソを平気でつくかね。 推測するに、一つにはダメダメな自分の回答を自覚し、「試験後、もっとちゃんと読みますから、少しでも加点して」という訴えがあり、また一つには「今回はこんな低レベル回答ですけど、他の作品も読めば、もう少し良い回答を書けるんです、私という人間は」という自負もしくは照れがあり、さらには「こんな回答ですけど、これは先生のせいじゃなくて、先々アメリカ文学を読んでみようと思わせるくらい先生の授業は面白かったですから」という、私に対する憐れみもあり、というところなんですかね。 そう考えると、このウソにも、ある程度は人間的な側面があるのかもね。 だけど、いずれにせよ、潔くないことは確かだな。それに、本当にその言葉通りのことを実行するとはとても思えないし。 ということで、この種の言い訳を書いてくる連中の答案は、遠慮会釈なく、血も涙もなく、「不可」カテゴリーに叩きこんでいるワタクシなのであります。
February 10, 2015
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今日は卒論の口頭試験があり、わがゼミ生たちも無事これを切りぬけて、好成績を納めることができました。 あー、これで今年度の卒論指導はすべて終了だ~! 一方、私も副査として他のゼミの学生の卒論を幾つか読みましたが、中に一つ飛び抜けていいのがありまして。 外国人犯罪の新聞報道の在り方を検証したもので、これによると、愛知県の場合、全体的に外国人による犯罪は減っているにも関わらず、逆に報道は増えているというのですな。 で、犯罪を犯した外国人の国籍を見ると、ブラジル人とペルー人の犯罪報道が多いのですが、実際の犯罪件数から言えば、ブラジル人やペルー人よりももっと顕著に犯罪件数の多い外国人集団がいるわけ。 そして、犯罪を犯した外国人の年齢を見ると、比率から言うとどの年齢層もあまり変わらないのに、報道されたものを見ると若年層の犯罪を報道する場合が際立って多いと。 つまり、新聞報道だけ読んでいると、南米系若年外国人の犯罪が増えているように「体感」されるのだけれど、事実はこれとまったく異なる。その意味で言えば、こういう傾向をメディアが勝手に「創作」しているとも言えるんですな。その辺りの事情を、独自調査に基づき、反駁のしようもないほど理路整然と示したこの卒論は、このまま本として出版しても、メディア操作への告発の書として立派に成立するのではないかと。 ううむ、なかなかレベルの高い卒論だったなあ。うちも頑張らないと。卒論審査で私も大いに勉強させられ、来年度に向けての刺激を受けることができたのでした。 とにかく、今日で卒論指導はすべて終了。ということで、今日は夕方からゼミ生と共に慰労会。ロシア料理を食べながら、この一年を振り返ったのでございます。今年度の三人のゼミ生たちは、これから卒業式の間に、卒業旅行としてドイツ&フランス、あるいはフロリダなどに旅立っていくとのこと。昨今、テロがらみの危険が色々ありますけれども、そういうのに出くわさず、いい思い出だけ持ち帰ることを祈りつつ、卒業式での再会を約して解散となったのでありました。
February 9, 2015
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テレビを見ていて、興が乗ったので、ちょっと似顔絵を描いてみました。これは誰でしょう? 「さむらごーち」に縁のある人です。
February 8, 2015
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二年ほど前に保険に新たに入り直したのですが、それをまた一部変更することになり、その手続きに行ってきました。今や成人男性の二人に一人は癌にかかるわけですし、また癌の治療法も新しくなっていくので、それに対応しないとね。 で、午前中、それに費やしたので、昼飯はどこかで外食をしようということになり、一社駅近くのトルコ料理店「クラル」へ。ランチメニューで、「鯖サンド」をチョイス。これにスープ(家内はレンズ豆のスープ、私はヒヨコ豆のスープ、どちらも旨し)と食後のデザート(焼リンゴの入ったチーズケーキにチャイ)がついて一人1,100円だったかな? 鯖サンドなんて他ではなかなか食べられませんから、良かったかな。「オリエンタルの青い月」が撤退してから、なかなかトルコ料理が食べられなくなってしまったのですが、今後はこの店を贔屓にしましょうかね。これこれ! ↓クラル で、お腹が一杯になった我ら、明日は一日雨という予報ですし、天気のいい今日、もう少し遊ぶか、ということになり、一路高速に乗って小牧のメナード美術館へ。今、この美術館で「音から生れた色ワールド」と題した展覧会が催されていて、マティスの「ジャズ」シリーズなどが展示されているので、それを見ようと。これこれ! ↓メナード美術館 まあ、あまり大きな美術館ではないのですけれども、常設展も含め、持っている絵はなかなかいいものがありますので、何年かに一度訪れるにはいいかなと。 で、その後、せっかくここまで来たのだからと、「小牧古書センター」にも立ち寄ったものの、収穫なし。で、今日はそんな感じであれこれと色々なことをやった一日となったのでした。
February 7, 2015
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WOWOWの番組で、ビリー・ジョエルのソ連公演のドキュメンタリーをやっていたのを観ましたが、これがなかなか面白くて。 まだソ連がソ連だった頃、1987年ですかね、その頃にソ連の文化省の招きで、ビリー・ジョエルがソ連でロック・コンサートをやることになったと。 冷戦末期、というかソ連自体の末期ですけれども、アメリカとの間に雪解け的なムードがあって、それでそういうことになったのでしょうけれども、まだまだソ連はソ連であって、アメリカ的な文化、ましてやロックン・ロールなんていうのは、ソ連から見れば鼻持ちならない頽廃的な文化というところがある。 実際、ソ連では、若者がそういうものにかぶれることに対して非常に強い警戒心があり、ソ連に僅かにいたロックン・ローラーたちもかなり弾圧されていたんですな。 そこへもってきて、アメリカの一流のミュージシャンが大規模なツアーをソ連でやるというのですから、当時のソ連としては画期的なイベントだった。 でも、もちろん、それはまぎれもなく政治的なショーですから、ソ連政府上層部が決めたこととはいえ、市民レベルでは反撥もある。 一方、アメリカ側でも状況は同じで、ソ連でツアーをやるとなった時、アメリカ人でそれを快く思わない人も沢山いて、ビリー・ジョエルもこの件に関してはアメリカ国内でずいぶんブーイングを受けたらしいんですな。だけど、ビリー・ジョエルとしては、「ソ連にだってロック好きはいるだろう」という信念一発で、批判を跳ね飛ばしてソ連に行ってしまった。しかも、奥さんと幼い娘さんもつれて。 で、ソ連公演。ソ連の人々は、機材を満載した大型トレーラーを十台くらい連ねてロックンローラーが乗り込んでくる、なんてことは初めてで、物珍しさ一杯。だけど、クラシック音楽以外のコンサートなんて見たこともないので、大音響のステージが始まると、最前列に居たソ連政府のお偉いさんたちは、耳をふさぎ、顔をしかめ、早々に退散してしまう。 で、一般ピープルも、初めて聴くロックにどう対応していいのかわからず、しーんと静まり返ったままビリーの歌を聴いているわけ。これにはビリー・ジョエルもまいってしまうんですな。 だけど、ビリー・ジョエルは何とか会場の人々と一体になろうと、ステージを駆けまわり、時には客席に乱入して、「椅子になんか座ってないで、ステージの前の方に来いよ!」と懸命に促すわけ。 それで、ようやく、少しずつ会場が活気づいてくるんですな。 そして、最後の方のコンサートでは、もう大変なノリになって、客がステージ上に乱入するくらいにまで盛り上がり、会場が熱狂に包まれる。ソ連もアメリカもない、ただ音楽の素晴らしさ、ロックのビートに酔い痴れるようになる。 で、ビリー・ジョエルはステージをこなすだけでなく、空いている時間にはソ連の町を家族で散歩したり、街中でたむろしているソ連の若者たちに声をかけたり、とにかく人々との交流を図ろうとするんですな。 で、若者はそういうビリーに反応して、すぐに彼の回りに人だかりができるわけ。 ところが、そこへどこからともなくおばさんがやってきて、嫌な事を言うのよ。「こんな、アメリカのヘンテコな音楽やる奴にこび売ってんじゃないよ、お前たち! お前たちは国の恥だ!」とかね。 するとビリーがすかさず、「いやあ、俺が十台の頃、俺のおふくろもこのおばさんと同じこと言ってたよ! 男のくせに髪の毛を伸ばしたりして、変な音楽に夢中になって、国の恥だ!って」。それで若者たちは爆笑、当のおばさんも苦笑い。 そんな感じで、ソ連・アメリカ双方に批判的な人々は沢山いても、ビリー・ジョエルは少しも屈せず、ユーモアをもって対処しながら、「音楽なんて楽しめばいいじゃん」的な信念で、精一杯のパフォーマンスを繰り広げるわけ。 それはね、なかなか感動的なんだなあ。 寡聞にして、冷戦末期にこんなことがあったことを私はまったく知りませんでしたけれど、アメリカとソ連、双方の間にある壁に、一人のロックンローラーが、たとえ小さいものであったとしても、穴を開けたんだということを知って、私はもともと大好きなビリー・ジョエルのことがますます好きになってしまったのでした。
February 6, 2015
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青山南さんの読書エッセイ『眺めたり 触ったり』(早川書房)を読了。二つの雑誌に連載していたものを一冊にまとめたものですが、章立てとか、そういうことをしないで、アメーバ連続体的につらつらと緩やかに読書をめぐるあれやこれやの話が連結されていて、気楽に読める面白い本でした。 ところで、本書172ページ~173ページにかけて、アメリカのペーパーバックにまつわる話題が出てきまして。その部分、引用してみましょう。 アメリカの本、とくにペーパーバックには、ときどき、奇妙な断り書きがついている。本文が始まる直前あたりの、出版にかんする権利が細かく書いてあるところに、まるで、喫煙は体に害があります、という煙草の断り書きのように、罫で囲んで、こう書いてあるのだ。 「表紙なしでこの本を販売するのは、認められていません。表紙のないこの本を買ったときは、版元にはそれは「未売却の破損品」として報告されていることを御承知おきください。著者も版元もその「引き裂かれた本」の売上金は受け取っていません」 ぼくはまだ、この断り書きに該当するような「引き裂かれた本」を買ったことはないが、もし、そういうのにでくわしたら、はたして買うだろうか? 表紙がないのだからたぶん安売りされているのだろうが、そしたら、果たして買うか? 考えこんでしまう。 長いこと探していた本だったら、喜んで買うだろう。それはわかる。でも、それ以外の本だったら? なぜ考えこむのか、その理由はわかる。ぼくの頭のなかのどこかには、表紙がなければ本ではない、という気持がはっきりある。 で、ここから青山さんは、「表紙がなければ本ではない」という話をしていくんですな。 さて、それはいいとして、青山さんはこの断り書きのことはこれ以上触れていません。多分、詳しいことは御存知なかったのでしょう。 じゃあ、なぜこういう断り書きがあるのか? それに解答できるのは、多分、日本では私だけだと思います。 ということで、解説しよう。 アメリカのペーパーバックは、日本の本と同じで、返本が効きます。つまり、書店などで売れ残ったペーパーバックを版元に送り帰せば、版元は返金してくれるのです。 だけど、1950年代、あまりにも大量に印刷されていたアメリカのペーパーバックの場合、版元はこの売れ残りの返本に常に悩まされるわけ。売れないのは仕方がないとして、大量のペーパーバックが返本されてくると、もう置き場所がない。逆に置いてしまえば倉庫代が半端ない。 そこで、当時ペーパーバックの版元は、書店に対し、「返本するのであれば、表紙をビリビリっと破いて、その表紙だけを送ってくれ、そうしたらその表紙の枚数分のお金は返金するから」と言ったわけ。で、表紙がなくなったペーパーバックは、書店の方で処分してくれと。 で、これで一応、双方うまく行くはずなのですが、なかにはずる賢い書店がありまして。 そういうずるい書店は、破いた表紙を版元に送って返金してもらった上で、表紙のないペーパーバックを安く客に売り、二重に儲けていたわけよ。 そうなると、その安く売った分のお金はまるまる書店のものとなり、版元や著者の元には一銭も入ってこないことになる。だから、当時のペーパーバックにはそういう「断り書き」が付いていて、「良識ある読者の皆さんは、表紙のないペーパーバックを買っちゃダメよ」と釘を刺した。 そういうことなの。青山さーん、そういうことなのよ~! ということで本書『眺めたり 触ったり』、上記解説付きで、教授のおすすめ! と言っておきましょう。もっとも、絶版なので古本で探さないとダメですけどね。これこれ! ↓【楽天ブックスならいつでも送料無料】眺めたり触ったり [ 青山南 ]価格:1,728円(税込、送料込)
February 5, 2015
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今日は名古屋の西の方、津島市というところで秘密のミッションをこなしておりました。ま、これは秘密のミッションなので、内容は言えないのですが。 で、その仕事は予想より早く終ったので、なら、めったに来ない場所でもあるので、この辺の古書店でも廻ろうかなと。 しかし、調べてみると、ないんですな、津島に、古書店。ただ「ブ」(「ブックオフ」を「ブ」と略すのは岡崎武志さんの受け売り)が近くにあることがわかったので、久々に「ブ」に行ってみることにしました。 そしたら、これが2階建の大きな店舗で、時間つぶしにはもってこい。 ちなみに、私は「ブ」では基本、「100円コーナー」しか見ません。「ブ」は基本、新し目のきれいな本、いわゆる「白本」を、定価の半額とか、そんな感じで売るか、あるいは「100円」で売るか、どちらかなのですが、わたしらマニアからしたら後者しか興味がないわけ。その「100円本」の中から100円以上の価値のある本を選び出す、いわゆる「文化財保護」をすることが、わたしらにとっての「ブ」の楽しみ方ですから。 で、「100円コーナー」を徘徊することしばし、私が掘り出したのは・・・○池田満寿夫『エーゲ海に捧ぐ』ハードカバー版。○林望『音の晩餐』ハードカバー版。○テリー伊藤『お笑い大蔵省極秘情報』。○松任谷正隆『僕の散在日記』ハードカバー版。○江藤淳『妻と私』ハードカバー版。○森見登美彦『宵山万華鏡』ハードカバー版。 ってな感じ。これらみんな100円の美本なら、文句ないでしょ。 ということで、まあまあの戦果ににんまりしながら「ブ」を後に。 で、そのまま帰路についた・・・のですが、名古屋高速蟹江インターの方に向って走っている途中、手書き感満載な「新酒できました」の看板が。 お、これは面白そうですな・・・。 そこで矢印に従っていくと、なにやら由緒ありげな酒蔵が。ほう、「鶴見酒造」とな・・・。 で、来客用のスペースにクルマを駐車し、怪しげな螺旋階段を上ると、お店感がまったくない事務所が。ここでいいのか?と思いながら、そっとドアを開け、中の人に「あの~、ここでお酒、買えるんですよ、ね?」と問うと、「買えますよー」とのこと。確かに、事務所にこの酒蔵が製造している何種類かの日本酒の見本も置いてあります。 で、店の、というか事務所の人に聞くと、ここが作っている「神鶴」というお酒の新酒が出たそうで、これは火を入れてない「しぼりたて生原酒」とのこと。ほう、おいしそうじゃないですか! しかもこれはお酒屋さんなどには出回らないものとのこと。 ということで、その生原酒とやらの720ミリを千円でゲット! 店というか事務所の方々も親切で、感じがよく、いい気分でいい買い物ができたのでした。 で、実際、夕食の時にこれを飲んでみましたが、甘味が強く、しかし、後に残るクセがないせいか、その甘味がいかにも新鮮で、なかなか美味しいものでありました。この鶴見酒造、ネットで調べたら、140年の伝統を誇る古い酒蔵のようで、結構な名門だったのね、と。 ってなわけで、普段、なかなか行かない津島市という町に用事で出かけたおかげで、古本三昧と生原酒を楽しむことができ、なかなか楽しい一日となったのでした。 ギフト品と通常品の同時購入はできません【送料無料】【ギフト品】【代引不可】神鶴 大吟醸 ...価格:5,400円(税込、送料込)
February 4, 2015
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毎年この時期、『みすず』誌が識者に「前年に読んだ本ベスト5」を選んでもらう大アンケートを行なうのですが、文化社会学者、長谷正人さんが拙著を選出してくれました~! やった~! 拙著は10月中旬出版だったこともあり、アンケートの締切まで時間がなく、今年は駄目かな~と思っていたので、すごく嬉しい。『週刊読書人』の最新号にも書評が載ったし、このところ、絶好調でございます。 まあ、少しずつでもね、読んでくれる人が増えていってくれたらいいですなあ。 【楽天ブックスならいつでも送料無料】ホールデンの肖像 [ 尾崎俊介 ]価格:2,484円(税込、送料込) さてさて、今日は節分。ということで、恵方巻き、夕食に食べちゃいました。 バレンタインのチョコ同様、食品業界もあの手この手で季節とタイアップした食べ物を売ろうとしているわけですけれども、恵方巻きってのは、最近では最も成功したものの一つじゃないでしょうか。スーパーなんかでは、飛ぶように売れるらしいですからね。予約を取っているところもあるくらい。 「ラーメンが食べたい」とか「カレーが食べたい」とか「お好み焼きが食べたい」とか、時折無性に食べたくなるものってありますが、「太巻きが食べたい」って思わないですよね、普段。 それが、恵方巻きブームのおかげでこの日ばかりは太巻きが飛ぶように売れるってんですから、不思議なもんだ。 ブームって、判らないな。ま、それが判れば、私の本も、もうちょい売れるようになるんでしょうけどね。
February 3, 2015
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私の父も母もそれぞれ俳句の会に所属して句作に励んでいるのですけれども、今朝方起きてきた父曰く、目が覚めて暫くぼんやりしていた時に、子供の頃「雪釣り」の遊びをしたことをふと思い出したので、これを是非俳句にしたいと。 それで父の詠めるに、 雪釣りをせし日も遠し、八十路かな これでどうだと。 うーん、どうなんでしょうか。「・・・せし日も遠し」と既に言っているのだから、「八十路かな」と重なってしまって、何だか面白くないような気がしますなあ。 私思うに、俳句というのは、ウィットの文学なのだから、見立ての面白さを追究しなくてはならない。その観点からすると、父の句にはそうした見立ての面白さがないなと。 じゃあ、面白い「見立て」というのは何かと言えば、とにかく「離れる」ということが重要なわけ。「雪釣り」から遠く離れた別なモノを持ってきて、それと組み合わせるところが面白いのでありまして。 例えば、「白鷺」と「ボウリングのピン」。両者はまったく異なります。だけど、枯れ畑にぽつんと白鷺が立っているところを遠くから見て、まるでボウリングのピンが立っているように見えた、と言えば、そこに見立ての面白さが生じ、歌にも詩にもなるわけですよ(「ボーリングのピンのごとくにすっきりと 白鷺一羽枯れ畑に立つ」←今朝の某新聞の歌壇にあった作品)。 もちろん、「離れる」というのが非常に難しいことは分かります。俳人というのは、皆それで苦労するのですから。だけど、離れるにもコツがある。 例えば、一番簡単な「離れるコツ」としては、「反対のモノをもってくる」というのがある。芥川龍之介の句に「木がらしや 目刺にのこる海のいろ」というのがありますが、小さく乾涸びた目刺の中に、その正反対のもの、つまり広くて水の塊である海を見た、と言っているわけですから、ここに正反対の合一があるわけ。 だから、「雪釣り」に対してはその正反対のものを持って来ることをまず考えましょう、と私は父に提案しました。 雪釣りは寒いから、その正反対の暖かいものを考える。こたつとか風呂とか。着膨れるとか。 雪釣りは子供の遊びだから、その正反対の大人のすることを考える。書を読むとか、文を書く、とか。 何かないか、何かないか、と、父、母、私で考えたのですが、いいのが思いつかない。 それで父が、「うーん、いいのが思いつかないな。しょうがない、とりあえず顔を洗って髭でも剃って来よう」と。 あ! それだ! 雪釣りをせし日も遠し 髭を剃る どうこれ! 最初のよりずっと良くないですか? 年を取った男が、雪の朝、洗面所で髭を剃っていて、窓から見える雪景色を見ながら、ふと子供の頃のことを思い出した、という風情。「髭を剃る」というのは、女性にとっての「米を研ぐ」に似て、無心のようでいて物思うことの多い時間ですから、髭を剃りながら子供の頃のことをふと思い出した、というのは、まあまあ説得力があるでしょう。 ということで、今朝は父の句作を少しだけ手伝うことができたのでした。 さて、今日はまた名古屋に戻ります。明日からはまた名古屋からのお気楽日記、お楽しみに〜!
February 2, 2015
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毎年恒例、二月の第一日曜日に、小学校時代の仲間がお世話になった担任の先生の墓前に集まるというイベント、今年も無事、開催されました。今年で33回目ですが、今回の参加者は7人。うち女子二人・・・もう「女子」という年齢でもないか・・・とにかく例年以上に賑やかな顔ぶれとなりました。少ない時は参加者2人、という時も何回かありましたから、7人も集まるのは珍しい。 年齢的に、そろそろ子育てが一段落する頃なので、こういう催しに参加できる人が増えてきたってことですかね。 で、年々きつく感じられる急で長い階段を登ってお墓の前に到着。何人かが供花を持ってきたので、ぜいたくなまでに先生のお墓が花で埋まって、豪勢なものに。それで、順番に手を合わせ、この一年の報告を。 そしてその後は、京王プラザホテルのレストランでランチ・バイキング。入れ替わり立ち代わり御馳走をとってきては、昔話と互いの近況報告に花が咲きます。 今回、二十数年ぶりに参加することになったOさん(旧姓Tさん)は、妙に名古屋のことに詳しいので、理由を聞くと、ご子息が名古屋の医学系大学に進学され、その関係で結構頻繁に名古屋に来るようになったとのこと。ご子息の住むアパートと私の家が近いことも判明し、思わぬ縁にびっくり。 ちなみにOさん、私が名古屋にいることは皆の話し振りから気づいたようですが、私が名古屋で何の仕事をしているかは知らなかったんですな。 で、他の連中は私のことを「教授、教授」と呼ぶのですが、Oさんもそれに釣られて私のことを「教授」と呼びながら、「ところで、教授はさあ、名古屋で何の仕事をしているの?」と。 で、私が答える前に皆が異口同音に「だから『教授』だっていってるじゃん!」 するとOさん曰く、「『教授』って、あだ名なのかと思った」ですと。 小学生のあだ名か! とまあ、とにかく子供の頃からのつきあいで、久しぶりにあってもすぐに打ち解けるのがいいところ。今日も楽しい時間を持つことができました。これも、亡き先生の遺徳のおかげです。また来年も皆元気に集まれたらいいな。
February 1, 2015
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