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今日は学会初日。大変だったわ~。 何が大変って、まず天候。寒い! 5月末だよ! 気温15度、体感温度10度って、どゆこと? 電車に乗ったら、ダウンコート着ている奴がいたわ。そりゃそうだよね、体感10度だからね。 で、わしはまさかそんなに寒くなると思ってないから、暖かい服を持ってきてないっていうね。仕方ないので、色々重ね着したけど、それでも凍えたわ。5月末に凍えるって。 で、新宿から大江戸線に乗って本郷三丁目まで行ったんだけど、大江戸線新宿駅が謎。一旦逆方向に乗って、都庁前で同じ大江戸線に乗り換えて(同じ大江戸線に乗り換えるって、どゆこと?)、それで本郷三丁目を目指すってこと自体、意味不明だわ。 で、シンポジウムに参加したんだけど、4人のパネリストがいて、2勝2敗って感じだった。二人はいい発表だったけど、二人はダメという意味。でも、学会での打率から言えば、5割は悪くない。いい方の二人の発表は勉強になりました。 で、そのあと、旧友と待ち合わせて新宿の金谷ホテル・クラフトビールで旧交を温めたのだけど、さすがクラフトビールが売りなだけに、ビールが旨かった! 喉が渇いていたのもあったけど、学会後の飲み物としては最高でしたね。 で、美味しい食事をとりながら、四方山話に花が咲いたのですが、驚くような情報、役に立つ情報をゲットし、かつ、愚痴も聞いてもらってスッキリ。やはりたまには都会に出て、情報の中心地で学問的に何がもてはやされているのかとか、そういう情報を手に入れないとだめだなと思った次第。この場で話題になった本については、帰りがけ、紀伊国屋書店によって早速買いましたよ。これこれ! ↓ナラティヴの被害学 [ 阿部幸大 ] さて、明日は学会二日目。元気があれば、参加する予定。では、今日のところはお休みなさい。グーグー。
May 31, 2025
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明日は英語英米文学関連で最大の学会である日本英文学会の全国大会(於東京大学)がありまして、それに参加するために、今日、帰省しました。 学会の全国大会なんて、参加するの何年振り?って感じ。最近は、自分の研究と他の同業者の研究の傾向が乖離する一方なので、学会そのものに興味を失っていた(失っている)のですけど、まあ、たまにはいいかなと。 それに、学会の楽しみは、学会そのものだけでなく、同業者同士、旧交を温めることにもあるからね。 ところで、学会に参加するに当たって、当然、電車での移動があるので、その時に読もうと思って持ってきた本がありまして。木村幹という人が書いた『国立大学教授のお仕事』という本なんだけど。 で、これ、ちょっと読み始めたんだけど、まあ、身につまされるというか、リアル過ぎてびっくり。 著者の木村さんが私とほぼ同年代、同じ時期に国立大学に助手として就職し、助教授、准教授、教授と昇任していく間に独立法人化があり・・・といった感じで、経験してきたことがほぼ同じなので、そうそう、まさにこういう感じで日本の国立大学は地に堕ちて行ったんだよな、というのがほんとによくわかる。 別に批判するつもりじゃなくても、国立大学の中にいて経験してきたことを綴っていくと、それだけで、この国の教育行政のひどさを批判することになる、というね。 まあ、暇な人はこの本、ご一読ください。国立大学って、こういう感じか~、っていうのがほんとによくわかるよ!これこれ! ↓国立大学教授のお仕事 とある部局長のホンネ (ちくま新書 1852) [ 木村 幹 ]
May 30, 2025
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今日は道場の日、ひと汗かいて参りました。 それにしても、このところ、うちの道場は門下生が増えまして。今日も一人、見学の方が来られていたけど、なんだかすごいことになっております。 で、門下生の段位も上がってきて、この春から二段に上がった人が一人いる。Uさんという人。 八光流では、自分の持っている段の一つ上の段の技を学ぶことができるので、二段に上がったUさんは、三段技を学ぶことができることになったわけ。 うちの道場には私を含め、五段を持っている人が4人いるのですが、五段同士だと三段技を練習することはあまりない。何せ三段技は痛いからね! だから、Uさんと稽古をするとなると、久しぶりにその痛い痛い三段技を練習することになる。 というわけで、最近、Uさんと稽古することもそうだけど、それを前提として五段同士でも三段技を練習することが多くなってきた次第。だから、結構、大変よ。五段同士で三段技を掛け合うとなると、技も厳しいからね。 その一方、この春から新しく入って来た新人さんとは、当然、初段技を練習することになる。これはまたこれで新鮮なのよ。初心忘るべからずってな感じで。特に新人さんは、習った技を力任せに掛けてくるのだけど、そういうのを受けながら、そうだなあ、昔は自分もこんな感じだったなあ、なんて懐かしく思ったりして。 とまあ、そんな感じで、このところバラエティに富んだ稽古ができるので楽しい、楽しい。切磋琢磨して、みんなで上達できるといいな。
May 30, 2025
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話題の映画『ミッション・インポッシブル ファイナルレコニング』を観て来ました~! いや、「話題の」は言い過ぎか。若い人は誰も興味ないからな。今日も大スクリーンの映画館で、客はまばら。そのほとんどがワタクシと同年配のご夫婦連ればかり。 若い連中は、これまでに何度、トムに人類滅亡の危機を救われてきたか、知らんのか! 今回だって、あやうく地球上から人類が消えるところだったんだぞ! 今、こうしていられるのも、全部、トムやトムの仲間のおかげなんだぞ! っていうわけで、今回もトムは、深海に潜って潜水艦に潜り込んで死にかけたり、セスナ機に飛び乗って振り落とされそうになったり、もう、大変よ。3時間、ハラハラしどうし。しかもね・・・トムの大事な仲間の一人が・・・ あー。もう言えねえ、もう言えねえ。 しかし、さすがにトムも大分、年齢を感じるようになってきたかなあ。お肌の艶とかね。大分老けてきた感がある。 映画は、まだこの先も作れるような作りになっていたけど、そろそろトムもイーサン・ハント役、卒業してもいいのではないだろうか。 でも、『007』と違って、トムの後釜になり得る俳優がいないよね! トムみたいにスタントを使わず、自分でオートバイを飛ばしたり、高層ビルに上ったり、飛行機にしがみついたり、スカイダイブしたりできる俳優なんて他にいないもん。 映画は面白かったけど、これからトムはどうする気なのかなあ・・・なんて、勝手に悩みながら帰路についたのでした。
May 29, 2025
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今、「尾木ママ」こと尾木直樹さんの半生記が某Y新聞に掲載されておりましてね。これが非常に面白い。 今のところ、尾木ママが大学を出てから一旦私立の進学校の国語の先生を勤めた後、公立の中学校の先生に転じた頃の話が出ているんですけど、やっぱり尾木ママって、いい先生なのよ、実に。学習指導もそうだけど、生活指導に関しても、荒れた中学校の生徒たちに対して実に辛抱づよく、子どもの身になって考えている。 たとえば学校内で暴れて窓ガラスを割っちゃう子とかがいる。普通は「コラ! 何やってんだ! やめろ!」みたいなところから始まると思うんだけど、尾木ママは違う。まず「どうしたの?」って聞くというの。その年ごろの子が暴れたとしたら、それはその子なりに苦しいことがあって、それが大人のように消化できないから、窓ガラスを割るような行為になっちゃうわけでしょ。だから、そういう問題行動を起こす子供に対しては、まずそこをくみ取ってあげる。 そういうことができる先生だったのよね、尾木ママって。いい先生だよね・・・。 で、思うんだけど、それはやっぱり尾木ママ本人の人格に根ざすものだろうなと。人格と、あと経験ね。尾木ママ自身が子供だった時に学校生活の中で苦しい思いをした経験があるから、同じような経験を今している子供たちの気持ちが分かるのでありましょう。 しかし、そういうものはノウハウじゃないから、教えられないと思うわけよ。ところが。 うちの大学ってアホだから、「いい先生になるための授業」プログラムを作ろうとするの。いい先生なんて、教えたらなれるものじゃないだろう、っていうことが分からんのかね? 尾木ママだって、大学の授業で「問題行動を起こす子がいたら、『どうしたの?』って問いなさい」なんてノウハウを教わったわけじゃないと思うのよね。っていうか、教わったものじゃなくて、尾木ママ自身の中から自然に出たものだからこそ尊いのであって。 そんな当たり前のことが、うちの大学の執行部には、思いつきもしないんだろうね。 まあ、それはいいとして、尾木ママの半生記、この先も読むのが楽しみです。
May 27, 2025
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この間学生にラフカディオ・ハーンの話をしていたら、あまりにも反応が薄いので、聞いて見たら、彼らはラフカディオ・ハーンが誰だか知らなかった・・・。 で、「ハーンって、ほら、小泉八雲のことだよ」と言わずもがなのことを言ってみたのですが、小泉八雲も知らなかった・・・。 で、「八雲って、ほら、「耳なし芳一」書いた人だよ」とさらに言わずもがなのことを言ってみたのですが、彼らは「耳なし芳一」を読んだことがなかった・・・。 これが当世、大学生を自称している連中の現状ね。 さて、そんな我が大学ですが、国立大学の常として金がない。だから、いよいよ非常勤講師を雇う金がないということになり、開講している授業の数を減らすことにしたわけ。 で、どの授業を減らすかということになり、それぞれの授業の実態を見て行ったのですが、当然のことながら、大学の授業には受講生の多い授業とそうでない授業がある。 当然、受講生の少ない授業は需要が少ない(=人気がない)のだろうと考えるのが普通の人間で、ならばそういうのから切っていくのが筋であろうと。 ところが、よく見ると、今年人気のない授業が、昨年はすごく多くの受講生を持っていたことがあったり、その逆パターンがあったりする。 同じ授業なのに、年度によって受講生の数がこれほど増減するのって、どういうわけ? で、よくよく調べてみると、そういう妙な受講生の増減がある授業って、開講時間が変わったケースだけであることが判明。 つまり、同じ授業が1限にあった場合と3限にあった場合、1限の時には受講生が少なく、3限に移ったら受講生が激増するわけ。あるいは、月曜・火曜・木曜日にあった授業が、水曜とか金曜に移った場合、受講生が激減したりする。 要するに、学生は、自分が大学に行く曜日の、しかも都合のいい時間帯の授業を選んでいるので、授業題目はまったく関係がなかったのね。 だから、その授業の内容が興味深いとか、その講師の話が面白いとかではなく、ただ単に、都合のいい時間帯に開講しているという理由で、どんな授業であれ、学生は取るの。たとえば経済学を専攻している学生が、ただ都合のいい時間帯に開講しているという理由だけで、漢文の授業をとっていたりする。 つまり、彼らには知的好奇心はかけらもないと。なにか、自分に興味のあることを学んでいるのではなく、単に卒業に足るだけの単位を集めているだけなのね。 もうね、もはや大学というところは、単位を商品として売っているだけ。学問の府ではなくなりました。国立大学でこのざまだからね。 これが現状。日本が色々な分野で落ち目になっているのも、当然だよね。あー、早く定年を迎えて、大学という単位デパートから足を洗いたいわ~。
May 26, 2025
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現在、4冊の本の出版計画が同時進行中なんですけど、順番から言うと次の次の次(あるいは次の次の次の次)に出る本の執筆計画中。 この本はね、ちょっと今までの本の書き方とは違う。計画の段階から編集者が介入するの。 今までは自分で勝手に原稿を書いて、完成した原稿を編集者に「はい」って渡す、みたいな感じだったけど、今回は、執筆計画をまずワタクシが書いて、それを編集者がチェックした上で場合によっては変更を要請し、それに応えてこちらも計画変更して新たなプランを作り、双方合意出来たら本文を書き始め、書いている途中で何度も編集者のチェックが入る、みたいな書き方をするの。執筆者と編集者が共同で本を書いて行くようなイメージと言えばいいかな? ま、そういう書き方をしたことがないんだけど、これも経験だからね。ライターにとって重要なのは、本を書くに際して豊富な経験があること。だからこの仕事も引き受けたようなもんで。 っつーことで、現在、その最初の執筆計画を立てているところなんだけど、今のところ7割くらいできたかな? あと一日二日あれば、書き上がるくらいまでは仕上がったかも。 6月に入ったら、編集者の最初のチェックが入るので、まあ、間に合いそうな感じ。 編集者から何を言われるか分からないので、おっかなびっくりだけど、とりあえずやってみないとわからないからね。まずは最初のハードルを越えられるよう、頑張りますわ。
May 25, 2025
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学習院大学の上岡伸雄先生が『東京大空襲を指揮した男 カーティス・ルメイ』(ハヤカワ新書)を出されたようで、毎日新聞に書評が載っておりましたね。これこれ! ↓東京大空襲を指揮した男 カーティス・ルメイ (ハヤカワ新書) [ 上岡 伸雄 ] いいな、大新聞に書評されて。羨ましい・・・。 それはいいのだけど、でもこれって、アメリカ文学研究の一端ではないですよね? どう見てもアメリカ(史)研究の分野。 最近、日本のアメリカ文学研究者が文学研究以外の研究をするようになっている気がするのは私だけ? アメリカ文学者がこのところ出す本って、映画論か音楽論ばっかな気がする。それかアメリカ史。もちろん、アメリカ映画やアメリカ音楽、あるいは上岡先生の今回の本のようにアメリカ史にまつわる研究は、いわば文学研究から地続きの分野ではあるので、それをすることが悪いとは言いませんよ。言わないけれど、でも、大本のアメリカ文学研究がお留守になっているのでは、ちょっとどうなのかなと。 私自身は、異端の研究者でありまして、学会ではイロモノ扱いですけれど、私がこれまでにやってきた研究は、「アメリカ大衆文学出版史研究」にせよ、「アメリカ読書会研究」にせよ、「アメリカ女性向け文学研究」にせよ、はたまた現在やっている「アメリカ自己啓発本研究」にしても、これ、全部、アメリカ文学研究だからね。文学を研究するというところからは一歩も離れていない。 しかも、私がやっている研究は、どれも手つかずの沃野で、課題は山ほどあるのに、研究しているのは私一人、というのばっか。こっちにこんなに面白いアメリカ文学研究の沃野があるよ~って、私がずっと言い続けているのに、誰も追従しないというね。 で、目先の利く人はアメリカ文学研究「以外」の研究を始めるし、そうでなければ十年一日の古い手法で、誰も読まないような作家の、誰も読んでいないマイナー作品を、重箱の隅をつつくように研究しているばかり。これじゃあ、日本のアメリカ文学研究が衰退するのも無理はないな。 ほんと、アメリカ文学研究って、一体、どこへ行ってしまったんだろう? 「そして誰もいなくなった」って、まさに日本のアメリカ文学研究の話だな。
May 25, 2025
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現在、愛知県高浜市にあるかわら美術館で開催中の「ペネロペ展」に行ってきました~!これこれ! ↓うっかりやさんのペネロペ絵本原画展 ペネロペって、あの「リサとガスパール」を描いているゲオルク・ハレンスレーベンとアン・グッドマンが生み出したもう一つのキャラクターね。 リサとガスパールも可愛いけど、青いコアラの3歳の女の子であるペネロペも可愛いのよね! 特にハレンスレーベンの色使いがビビッドで素晴らしい。 ということで、ペネロペが活躍する絵本の原画を沢山見ることができてとても良かったです。 で、展覧会を見た後、ちょいと休憩しようということになり、立ち寄ったのが「中世ルネサンスブックカフェ テューア」というカフェ。 ここ、偶然、地図を見ていて見つけたんですけど、コーヒーも美味しかったし、なにより手作りのケーキが珍しくて、私は「幻のヴァレニエケーキ(青松ぼっくりと松の実のケーキ)」、家内は「シムネルケーキ」(一種のフルーツケーキ)をいただいたのですが、どちらも美味しかった。また、カフェの名前の通り、中世ルネサンスに関する本が沢山置いてあって、コーヒーを飲みながらそれらを読むことができる。なかなか面白い趣向のカフェでした。 ってなわけで、ペネロペの原画を見て、面白いカフェでコーヒーとケーキを堪能したわけですが、その後、自宅に戻る途中、ちょっと寄るところがありましてね。それで高浜から西尾の方に向かってクルマを走らせていたわけ。 で、クルマで走っていると、道のそこここにお茶屋さんがある通りがあるのよ。さすが西尾は抹茶の生産地として有名ですからね。 で、思わずその一つ、「いずみ園」というところでクルマを止め、お茶を買っちゃった。なにせ新茶のシーズンですからね。夏も近づく八十八夜だ。 全然予定していなかったんですが、たまたま西尾の街を走っていて、偶然、新茶のシーズンであることに気づき、飛び込みでお茶屋さんに入って新茶を買うっていうね。こういうのが面白いよね! っつーことで、今日は五月末の一日を楽しく過ごすことになったのでした。せっかくだから、夕食後に西尾の新茶を淹れて、今日一日を振り返りながら、リラックスすることにしましょうかね。
May 23, 2025
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愛車ルノー・キャプチャーのオイル系の警告灯がついてしまったので、出勤途中にディーラーに寄ってきました。 チェックしてもらったところ、4リッターあるべきオイルが、3リッターを切っていると。漏れはないので、おそらく、自然消費だったもよう。で、足りないから足すという風だと、古いオイルと注ぎ足したオイルの馴染みが悪かろうということで、結局全とっかえしてもらうことに。まあ、半年点検をさぼってしまったので、ちょうどいいかなと。 で、どうせオイルを全部入れ替えるのであれば、添加剤も入れてもらおうかな~、なんて。 前にアルファロメオに乗っていた時、ディーラーの人に勧められてWAKOのオイル添加剤を入れてもらったことがあったのよ。そうしたら、あーた、まるでエンジンを積みかえたかのように回転は滑らかになり、音は圧倒的に静かになり、振動は少なくなり、えらく効果がありまして。 その時の記憶があるもので、私はWAKOの添加剤には信頼感しか持っていないというね。 っつーことで、今回もエンジンオイル交換のついでにWAKOのオイル添加剤を入れてもらった次第。 で、無事、オイル交換と添加剤注入も終わり、クルマを受け取って大学までひとっ走り。 すると・・・、まあ、気のせいかもしれませんよ、気のせいかも知れません。でもね、なんとなく、クルマの調子がいい。なんか、クルマの全身の隅々に至るまで、とろっとろのオイルが行き渡り、摩擦という摩擦をすべて潤滑したかのような気分。 気のせいとはいえ、そういう気分を手に入れられたんだから、WAKOの添加剤の値段くらいの価値はあったかな。
May 22, 2025
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レンガ本として有名な読書猿さんの『独学大全』を読んでおります。これこれ! ↓独学大全 絶対に「学ぶこと」をあきらめたくない人のための55の技法 [ 読書猿 ] まあ、分厚い、分厚い。本文だけで752ページあるもんね! こんな分厚い本が、なんとたったの2800円! どうしてこんな値段で出版できるのか、訳が分からないよ。 で、読み始めて分かったのだけど、この本、独学は素晴らしい、独学すべきだ、独学のメリットはこんなにたくさんある!ということを述べ立てるものではないのね。 そうではなくて、独学を始めたい人、始めたいのだけど、どこからどう手をつけていいかまったく分からない人に向けて、独学を成立させるのに必要なありとあらゆる情報とノウハウを提供する、というもの。だから、その内容は徹頭徹尾、プラグマチックです。精神論ではない。そこがいい。読書猿さん自身が独学の徒だから書けた本ですな。 それにしても、コツコツと知恵をつけて行った人の言うことってのは、迫力あるな。色々なことを知っているだけじゃなくて、その知っていることがつながって、線をなし面をなしている。その面となった知識こそが、知恵なのであって。 まだ半分も読んでないくらいですけど、うろんなことは書いてないので、サクサク読める。これを読み上げた時には、私もますます独学のノウハウを身につけ、今後の活動に力を得られるかも。 ということで、年齢にかかわらず知恵者になりたい人、『独学大全』は必読です。教授のおすすめ!【中古】独学大全 / 読書猿
May 21, 2025
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次の朝ドラって、ラフカディオ・ハーンにまつわる話なんですってね。 そんなこともあり、所属大学の図書館では、今度ハーン関連の展示をやると。で、その目玉がハーン直筆の手紙。 うちの大学にバジル・ホーン・チェンバレンの蔵書コレクションがあるんですけど、同じく明治時代に日本にいたということで、ラフカディオ・ハーンとチェンバレンは知り合いなんですな。だからハーンからチェンバレンに宛てた手紙というのが数通所蔵されている。で、この手紙を展示しようと。 ところが、ハーンは相当な悪筆なので、手紙はあっても、何が書いてあるか分からないわけよ。 で、何とか解読せねばならないんだけど、その解読役として白羽の矢が立ったのが、かくいうワタクシであると。 というわけで、図書館に頼まれてハーンの手紙を解読し始めたのですが、苦労しちゃってね。95%くらいはなんとか解読したけど、残りの5%が分からない。 で、同僚のイギリス人のR先生にも見てもらって、残り5%のうち4%くらいまでは解読したんだけど、1%が依然として解読できない。 で、他の英米人に頼んでみるかと思ったのですが、ふと思いついてAIに聞いてみた。「判読不能な手紙があるんだけど、何とかならない?」と。そうしたら、AI曰く、ハンド・ライティングを解読するのは簡単よと。GEMINIに頼めばいいだけだと。 で、半信半疑、GEMINI に手紙を見せて「これ、判読して」と頼んでみた。そうしたら・・・ 3秒くらいで全部解読しました。これで、解読不能だった数箇所も見事、読み取ることができた。 もう、驚愕よ。AIにできないことなんかないじゃない。 はあ~。時代は変わったね。あまりにもAIが頼もし過ぎて、むしろ引くわ~。 それで、解読した手紙の内容を訳す作業も、AIと相談しながらこなし、これでミッション終了。 それにしても、AIというのはすごいな。もはや人間の知恵を越えているんじゃないだろうか。 こうなってくると、あれじゃない、ロシアとウクライナの戦争に片を付けるにしても、首脳同士が膝を突き合わせて、ではなく、いっそAIに尋ねた方がいいんじゃね? この問題について、どう収拾つけたらいいの?って。そうしたら、多分、的確な答えを出すと思うよ。的確というのは、理性的な、という意味で。感情抜きにして、どうするのがいいか、きっと答えると思う。 実際にやってみよう。AI君、君ならロシアとウクライナに、戦争終結に向けてどういう提案をする?AIの回答:ロシアへの提案即時停戦と撤退の条件交渉: ロシア軍の段階的撤退を条件に、ウクライナ側が安全保障上の譲歩を検討する枠組みを構築。経済制裁の緩和交渉: 停戦に応じた場合、国際社会が制裁の一部緩和を検討することで、ロシア経済の安定化を図る。国際監視団の導入: 停戦後の領土管理を国際監視団に委ねることで、双方の信頼を構築。ウクライナへの提案安全保障の保証: NATO加盟の代替案として、米欧諸国による安全保障協定を強化し、ロシアの懸念を軽減。復興支援の確約: 停戦後の経済復興に向けた国際的な支援枠組みを確立し、戦後の安定化を促進。領土問題の外交的解決: クリミアやドンバス地域の帰属問題について、長期的な外交交渉の場を設ける。 なるほど。まあ、飛び道具的なものはないけど、そこそこまともな回答なのではないかと。 でも、これは現時点での回答であって、今後、AIは日進月歩で進化するので、もっとすごい提案をするようになるかもね。 とにかく、AIの万能ぶりには驚くしかないな。
May 20, 2025
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韓国系自己啓発本のベストセラー、キム・スヒョンさんの書いた『私は私のままで生きることにした』という本を読了しましたので、ちょいと心覚えをつけておきましょう。 ちなみに、この本を読む前に、とりあえず読書メーターでこの本の評判をざっと調べたのよ。そうしたら、概ね好評で、この本を読んで共感するところがあったとか、心に刺さる言葉が随所に出てきた、などといった感想が書き連ねてある。なるほど、じゃあ、いい本なのか。 と思って読み始めたのだけど、実際に読んでみてビックリ。というのも、予想していたのとは大分異なる感じの本だったから。 普通、自己啓発本って、読むと気分が上がるものじゃん? やる気が出て来るというか。ところがね、この本を読んでいると、逆にどんどん気分が下がって来て、もうだめだ―っていう感じになってくる。 まずね、ビックリしたのだけど、この本によると、現代の韓国社会って「ヘル朝鮮(ヘルチョソン)」と呼ばれているほど、それほど地獄のように住みづらい社会だと。 かつて韓国の高度経済成長時代には、自助努力によって社会階層を駆け上がることも出来たのだけれど、現在の既成社会が完成して以来、社会階層が固定化してしまった。金持ち階級はコネによっていい就職もでき、いい暮らしができるけれど、そうじゃない階級はずっと貧しいままで置かれる。 で、それだけならまだしも、社会階層とか、出身大学とか、預金残高とか、TOEICの点数とか、人間の価値を数値化できるようなもので計るような社会になってしまったので、貧しい階級の人たちは徹底的に馬鹿にされると。しかも努力は実を結ぶ、といったことはもはや夢物語なので、いくら努力したところで、馬鹿にした相手を見返すことができるようにはならない。 加えて、SNS社会だから、何かSNS上で発言したりすると、たちどころに叩かれる。いいことを書いても叩かれるのだから、もう、人の目を気にしてビクビクしていなければならない。 だから、もう、韓国社会って、絶望がみなぎっていると。自殺率もすごく高いんですと。 で、著者のキム・スヒョンさんは、このヘルに暮らしてきて、子供の頃からすごく苦労するわけよ。親の容姿のことで友達から馬鹿にされたり、わいろを渡す親の子だけ贔屓する担任の先生から厳しく扱われ、社会人になれば上司からパワハラされ、友達を作ろうとしても、初対面の時からこちらの年収とか尋ねてきて、大して稼いでないと知れるととたんにそっぽを向かれるとか。 で、そういう社会で生きてきたキム・スヒョンさんは、思うところあって、今後そういう周囲の連中の言いなりにはならないぞと決意した。周囲の敵は無視し、それでも危害を及ぼして来るなら反撃することに決めたと。その決意がたとえばこういう言葉になる・・・ 私は個人的に、どんなに優秀でも 数字に極端に執着する人には、 人生の幸福の基準があまりに単純なように思えて まったく魅力を感じない はっきり言って、私のタイプではない。 相手にとっては、私は不合格ということになるだろうけど、 その人も私にとっては不合格だ。 私にとって必要なのは、私と似ている一人の人だけ。 人を数字で評価するような人たちは、こちらからお断り。 だから、もし誰かが私を数字で評価しようとしたら。。。。 バカみたい。どうせ、あなたたちは全員失格。(53ページ) 私は人と対等な存在であって、弱者ではなく、 誰かが私を嫌っても、そのせいで私の人生が ぶち壊しになるわけではない。 だから私はもう、憎まれるのを恐れて、 いい人であろうとするのはやめようと思う。 他人を傷つけないのは立派なことだけど、 自分を守るのは、自分に対する責任んであり、権利だから。 To my enemies, (私の敵たちへ) I will destroy you.(私はあなた方をぶっつぶしてやる) (172ページ) さっさと消えてしまえ 先に手を出したら有罪 正当防衛は無罪 (173ページ) ・・・とまあ、こんな感じの呪詛が並ぶわけよ、本書には。 どう、これ。読んでいて悲しくならない? こういう環境だから、私は他人のことはもう気にしないことにした、それでもちょっかい出して来るヤツはただではおかないから覚悟しておけ! っていうことであって、良く言えば、これからの韓国社会は、集団主義ではなく、欧米のような個人主義社会にならなきゃいかんよ、という主張なんだろうけど、それにしてもねえ・・・。 ふうむ! これが韓国版の自己啓発本か! 厳しいな! なんか、自己啓発本というより、かの国の闇を見させられたっていう感じで、私なんぞは震え上がったのですが、この本に共感している日本の読者もまた、キムさんと同様の境遇にいるという自覚があるのだろうか? そうだとしたら、日本も相当やばいな。 ということで、自己啓発本を心から愛するワタクシですら、この本にはさすがに度肝を抜かれ、辟易してしまったのでした。これこれ! ↓私は私のままで生きることにした [ キム・スヒョン ]
May 19, 2025
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昨日、家内が学生時代の友人の家に遊びに行ったので、帰宅してから夕食を作るのも大変だろうと、夜、二人で外食することにしました。 とはいえ、普段の日ですから、別に御馳走を食べようという感じでもない。丸亀製麺とか、くら寿司とか、街中華とか、そんなんでいいなと思っていたわけ。 そんな時、ふと、「ん? 最近、サイゼ行ってないな」と気づいた。気づいたら、急に行きたくなりまして。 で、それこそ2年ぶりくらいにサイゼに行ってみたと。 で、メニュー見て感動。やっぱ安いね、サイゼは。お得感あるわ~。 で、まず小エビのサラダとオニオンスープみたいなの、それにフォカッチャと、ラム肉と野菜のグリル、それにサイゼでは欠かせないミラノ風ドリアを注文。 で、食べ始めたんですけど、これが旨いのよ。下手に洒落たイタリアン・レストランよりむしろ旨いんちゃう? で、これらをペロリと平らげた後、まだお腹にスペースがあったので、ピザ(マルゲリータ)と生ハム、それにグリーンピースととろーり玉子とチーズの温サラダを追加。 そしたら、これがまためちゃくちゃ旨かった。 そして最後、ティラミスで締め。完璧なメニュー構成だったのではないでしょうか。 で、これだけ食べて二人で3500円くらいだったかな? 夕食としては十分以上にリーズナブル。クルマでなければ、グラスワインでも注文して、さらにいい気分になったかもね。 いやはや、久々のサイゼリヤ、大成功でした。サイゼってこんなに旨かったっけ? 改めて見直したわ。また次にこんな感じのチャンスがあったら、また行こうかな!
May 18, 2025
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近藤康太郎著『三行で撃つ』という本を読了しましたので、心覚えをつけておきましょう。 何でこの本を読んだのかと申しますと、私はもともと文章論に興味があって、割とそういうのは読む方なので。あと、著者の近藤さんという方が私とまったく同い年で、しかも朝日新聞の記者として名文で知られた人と聞けば、どんなお手並みなのか、知りたくなるじゃないですか。 あと、タイトルもいいよね! 三行で撃つ、だなんて、ちょっとカッコイイ。本を読んでみて分かったのですが、近藤さんは今は東京を離れ、九州かどこかの田舎で猟師などもしながら若手ライターの指導もしている。で、猟と文章書きの共通性の高さを実感したことからのこのネーミングなのだと。なるほど。ま、「三行で撃つ」ことの意味合いとしては、文頭の出だしで読者の心を惹きつけないと、読んでもらえないよ、ということなんですけどね。 で、とにかく、読んでみた。 まあ、全体として面白くはあったかな。 「冒頭で読者の心を摑め」ということのほかにも、ライター訓練の方法論としてはいくつか面白いアドバイスがありました。 たとえば常套句を排除せよ、擬音語・擬態語・流行語を使うなという主張の一端として、「○○的」という言葉を使わないという訓練を、時間を限って、たとえば一年間は使わない、というように決めて文章を書いてみる、とかね。そうやって不自由さを自分で自分に課すと、それを突破するための試行錯誤の中で見えてくるものがあるとか。なるほどね。 あと、文章で食っていくと決めたら、毎日、時間を決めて、何時から何時までは文章を書くようにするべきである、とか。あるいは、必ず毎日、2時間は読書すべし、その内の1時間は自分の好きな本を、また残りの1時間は「日本の古典」、「海外の古典」、「社会学とか自然科学の本」、「詩集」を15分ずつ読め、とか。実行は難しいだろうけど、文章で食っていくならこれは絶対に外せない習慣だと。 あと、近藤さんが若い記者だった頃、ある時、上司の人が近藤さんをつれて町中の散歩に出かけ、街中の喧騒やら何やらを見て回ったあと、飯を奢ってくれた、という話。要するにこの上司は、近藤さんに、文章に詰まったら外に出よ、という非常に有用なアドバイスを(無言で)してくれたわけですけど、これは確かにいい話だし、役に立つアドバイスだなと。 とまあ、そんな感じで、文章を書いて生計を立てるつもりの人なら、この本を読む価値は十分にあるんじゃないでしょうか。 ただ・・・ 個人的には、この本を諸手を上げて絶賛まではできないかな。 なんでかっつーと、この本自体の文体が、なんかちょっとウザイのよ。熱があり過ぎるというのか、『飛び出せ!青春』みたいな感じなのが、少々鼻につくというか。 要するに、近藤さんの文体に外連味があり過ぎる。 たとえば267ページに、 「しかし、熟成後も変わらず感動する文章やロジックが、ある。」 と書いてある。この「、ある」が気に入らない。どうして、 「しかし、熟成後も変わらず感動する文章やロジックがある。」 としないのか。この「、ある」としているところに、著者の得意気な顔が見えちゃうのよ。それが外連味。 わたしゃ、こういう、外連味のある文章が大嫌い。著者の個性というか、鼻息というか、そういうのが見えちゃうのって、どうなのかなといつも思う。そういうのがまったくない、誰が書いたのかわからないような水のように淡い文章を書くことだけを心掛けているワタクシとしては、こういう外連味のある文章を読むと、しかもそれが文章術の指南書であることを考えると、違うなって思うわけよ。 ま、それは人の感じ方だからね。こういうのが好き、という人がいたっていいし、そういう人がいるからこの本は売れているのだろうけれども。 あと、この本の中で近藤さんは、文章を書き直すことの重要性を言っていて、近藤さん自身も5回、6回、いや30回くらい書き直す、と書いてある。でも、30回って何? 30回書き直したら、その辺りで奥さんが出てきて、「そろそろお紅茶でもいかがですか?」って言いますよ。30回の書き直しは「お紅茶」レベルですわ。 私は100回以上書き直すからね。奥さんが出てきて、私にすがって、「もうやめて」って泣く、そのレベル。 100回以上書き直す、それも自分が書いたという痕跡を消すために。その観点からすると、「しかし、熟成後も変わらず感動する文章やロジックが、ある。」はないわ~。 っつーことで、ためになるところもあり、納得できないところもあり、でも全体的にはいい本です。これこれ! ↓三行で撃つ <善く、生きる>ための文章塾 [ 近藤康太郎 ]
May 17, 2025
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今日は昔の教え子がお子さんを連れて大学に遊びに来てくれました~! でまた、これがホントに可愛い女の子でね! 今、6歳なの。幼稚園の年長さん。来年は小学校ですな。 で、お母さんの先生に会うということで、大分緊張していたようですが、初対面の挨拶もきちんとできて。賢い子なのよ。 その後もしばらくは緊張していたみたいですけど、学食で一緒にお昼を食べて、それから研究室に来たあたりから少しずつ緊張もほぐれたようで。 で、一旦、「この人はコワい人じゃないんだ」と納得してからは、すっかりなついてくれて。私が事前に用意しておいたプレゼントも気に入ったようで、完全にお友だちになってしまいました。 これほど小さい子と接するのは久方ぶりでしたけど、いいもんですなあ・・・。 もうね、ずんずん私のところに来て、私の座っている椅子に割り込んで腰を下ろしちゃうの。安心して私に体をもたせかけてくる、その体の暖かくて柔らかいこと! その子が無邪気に私を信頼しているのが分かるわけよ。それはもう、感動ものでね。人間同士って、こんなに短時間に親しくなれるんだっけ? 子どもの心の素直さには、本当に感動してしまう。 で、一緒に絵を描いたり、かくれんぼみたいなことをしたり、椅子を使って電車ごっこをしたり、子供は遊ぶことに飽きないので、同じことを何度も何度もさせられて疲れましたけど、実に幸福な時間でありました。 というわけで、今日は一日子どもと遊んで、心が洗われたワタクシなのであります。イエス様が子どもを身近に呼んで、「天国はこのような者たちのものである」と仰った気持ちが分かるなあ。
May 16, 2025
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今日は、昨年度で定年を迎えられ、今は非常勤で大学にお見えになっている先輩同僚のD先生が私の研究室に遊びに来てくれました。 直接の用向きは、先週亡くなられた名誉教授の告別式の様子などを聞きたい、ということだったのですが、その話がひとくさり終わった後は、フリートークになりまして。 で、私がD先生に伺いたかったのは、定年を迎えられた心境と共に、今、どうしておられるかということ。私も数年後には定年を迎えますのでね、その心の準備をしておこうと思いまして。 でもD先生によると、まだ非常勤で大学に教えに来ているので、引退したという実感が持てないと。だから、今までの生活と今の生活ではあまり変わりがないとのことでした。まあ、それはそうですよね。 でも一つだけ、変わったことがある。それは猫を飼いだしたことだそうで。 猫! そうですか・・・ で、そのいきさつを伺うと、これまたビックリ。ある時、家の近くでにゃーにゃー鳴く声がするので、行ってみると、赤ん坊の猫が捨てられていたと。しかも、目やにだらけで、まともに見えてないらしい。 しかも、近所の野良猫が、この赤ちゃん猫を追い払おうと、シャーシャー声を出して、今にも猫パンチを食らわせそうな状態。 このままだと、この赤ん坊猫は死んでしまうのではないかと思ったD先生は、それを捕まえて一旦、動物病院に連れていき、目の治療をしてもらった上で、行きがかり上、飼うことにしたのだとか。 で、この猫ちゃんはすごく甘えん坊であることが判明し、今では先生の帰りを待って、やたらに甘えて来るんですと。だから、それが先生にとっても喜びになっていると。 ほう! そうでしたか! いやあ、そういうことってあるんですなあ。 実はね、私も子供の頃から、捨て犬とか捨て猫を拾ってきて飼うということに憧れがあるのよ。だって、昭和のアニメとか見ていると、そんなこと日常茶飯事みたいに描かれているでしょ? だから、子供の頃のワタクシも、どこかに子猫が捨てられていないか、どこかに子犬が捨てられていないか、ずっと探していたのよ。だけど、残念ながらそんなシーンに出くわしたことがない。だから、ああいうのはテレビの中だけの作り事なのかと思っていたわけ。 でも、令和の日本にも、捨て猫ってあったのね。昭和のテレビのあの捨て猫エピソードは、作り事ではなかったと。 いいな。私の家の近くにも捨て猫いないかな。そうしたら、行きがかり上、飼ってもいいのにな。できれば優雅な毛並みのノーウィージャン・フォレストキャットの捨て猫、いないかな。 いねーよ! ペットショップ行けよ!
May 15, 2025
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日産が深刻な経営不振のようで、工場は閉めるわ、人員は削減するわで大変なことになっております。 まあね、私のような還暦世代からすると、信じられないような話ですわな。私なんかが若い頃は、日産はトヨタと切磋琢磨する完全なライバルだったんですから。それがまさかこれほどの差がつくとは・・・。 何が悪かったのか、それは部外者たる我々には分かるはずもありませんが、部外者だから分かることとして、今の日産車は、デザインが悪すぎるのではないかと。中身が良くても、見た目が悪ければ客が選ぶはずがない。安い買い物じゃないんですから。 たとえば、もしですよ、もし、かつての名車、日産チェリーが、こんな感じのデザインで出たら? これこれ! ↓新型日産チェリー(希望) これだったら、買ってもいいかな! やっぱりね、何のかんの言って、クルマはデザインが9割よ。 このままだと日産は、かつてのプリンス自動車とかいすずのように消えてしまうのかもしれませんが、消えたくないのだったら、ワタクシの言うことを聞いて、ちゃんとしたデザイナーに頼んで、いいデザインの日産車を復活させてくださいな。
May 14, 2025
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橋本翔太著『わたしが「わたし」を助けに行こう』という本が売れているようなので、読んでみました。 世の中には「生き辛い」と思っている人が大勢いるわけですよ。生き辛いというか、屈託の有る人が多い。 じゃなんでそうなのかっつーと、幼少期のトラウマが原因。特に親との関係が悪い場合、子供からすれば、もう逃げ場がないのでね。 そんな時、自分を救うために別人格が登場する。もう一人の自分ね。相談相手が他に居ないから、自分でもう一人の自分を作っちゃうわけ。 とうぜん、このもう一人の自分は、自分を救おうとします。自ら身を盾にして、外界に対するバリアとなる。万事、自分が傷つかない方向で、ことを仕組む。 で、幼少期にはこれが奏功します。奏功するから、自分を守るもう一人の自分はいつまでもそのまま残り、大人になった自分をも同じ方法で救おうとする。バリアになるわけね。 だから、たとえば好きな人ができても、もう一人の自分がしゃしゃり出てきて、「この人に振られたら、もうお前は生きていけないぞ」などとアドバイスする。 だもので、せっかく好きな人ができたのに、自分から身を引いてしまったりする。 こうやって、人はこじらせるわけね。これじゃ、生き辛くなるのも当たり前。 で、この状況で、いつもしゃしゃり出てきて自分を守ろうとするもう一人の自分を、本書の著者橋本さんは、「ナイトくん」と名付けるわけ。で、このナイトくんのおかげであなたは守られてはいるんだけど、実はそのせいであなたは生き辛いんですよと。 ではどうすればいいか。ナイトくんと話し合いすればいい、と橋本さんは言うわけ。で、ナイトくんに対し「今まで、私のことを守ってくれてありがとう、でも私ももういい大人になったし、一人で生きていけるから、あまり心配しないで」と伝える。もう一人の自分を拒むのではなく、その存在を認め、感謝した上で、もう大丈夫だから、そんなに介入しなくてもいいよ、でもこれからも一緒に居てね」と伝える。 そうすると、ナイトくんもある程度納得して、その後は、それほどしゃしゃり出て来なくなるよと。そうしてナイトくんのバリアがとけると、あなたも生き易くなるよと。 本書が言わんとしていることを、私流にまとめると、まあ、ざっとこんな感じ。 さて、これをどう評価するか。 言っていることは、正しいよね。でも「新しいか?」と言われると、そんなこたぁない。同じ内容のことは、たとえばエリック・バーンの交流分析でも言っているし、あるいはM・スコット・ペックの『愛と心理療法』などにも書いてある。 それに幼少期のトラウマ、なんて話になると、それこそ大昔からさんざん言われていることだしね。 もう一つ言うと、一冊の本まるまる使っているにしては、情報量が少ないよね! だって、「私が生き辛いのは、もう一人の私が自分を守っているからだ」ということ、一個だけだもんね。そこが一番、物足りないところかな。 じゃあ、何がこの本をベストセラーたらしめているのかというと・・・多分、イラスト。 可愛らしい女の子と、西洋風の鎧を身に纏ったもう一人の女の子(同一人物)、この二人が並び立つ、ジブリ風のイラスト。これが効いているんだろうね。身も蓋もない言い方だけど、多分、そう。 情報量少なくして、素敵なイラストつければいいのか・・・。わかった。 っつーことで、私がこの本から学んだことは、「情報量切り詰めて、あとは素敵なイラストをつけろ」ということだったのでした。勉強になるねえ。これこれ! ↓わたしが「わたし」を助けに行こうー自分を救う心理学ー [ 橋本翔太 ]
May 13, 2025
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あまりにも読むべき本が多いので、とりあえず研究費で注文をかけ、本を取り寄せて実際に読んでみて、いい本だったら自分でも買う。そんなことを繰り返しております。 で、この方式の楽しいところ、そして怖いところは、注文をかけた本が、ある時、まとめてドサッと何十冊も届くこと。事務方も、五月雨式にやるのはしんどいので、ある程度まとめてやるんでしょうな。だから、本が届く時は一度に大量に届く。 で、今日がその日だったのよ。だから20冊くらいの本が届いていた。 それを家に持ち帰る。ひと通り眺める。特に読みたい本をパラパラめくる。これ、至福。 だけど、美味しそうな御馳走を目の前に並べられたようなものなので、もう、目移りしちゃって大変。こっちの本をちょっと読み、あっちの本をちょっと読み、さらに向こうの本をチラチラ読む。 こういう読み方が一番よくない。気が散るからね! それは分かっているんだけど、やっぱり、やっちゃうという・・・。 ということで、先程まで、最近売れ筋の自己啓発本を2、3、読んでいたのだけど・・・ うーん、どうかな。 どうかな、と思った一つの要因は、あまりにも簡単に読めること。だって、その内の一冊など、1時間くらい読んだら、もう5分の4くらい読めちゃうんだもん。どうなんだ、この手軽さは。ワシの本は、もちろん、それ自体は自己啓発本ではないけれど、それにしたって読み上げるのに2、3日は掛かる程度に情報を盛り込んでおるぞ。 だけど、1時間で5分の4ほど読み終わる本って、売れるのよね~。世間は、そういう軽い本を求めておるんだなと。 私もどうにかしてそういう本を書きたい。そして〇ンマーク出版とか、〇スカヴァー・トゥウェンティワンとかから出して、ベストセラーにしたい。 ってなことを言うと、真面目な人から叱られるんだけど、私は世間を舐めてないからね。自分が世間の目を持たなくて、世間のことは分からないと思っているから。 ま、それはともかく、今日は結局、仕事もせんと、本祭りで終わってしまったのでした。いかん、いかん。
May 12, 2025
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先日、岐阜・長野方面にドライブに行った時に買った2冊の文庫本のうち、梨木香歩さんの『春になったら苺を摘みに』を読んだという話は前に書きましたが、もう1冊の方、福岡伸一さんの『ナチュラリスト』という本も読んでしまいました。ので、簡単に読後感を書きつけておきましょう。 何でこの本を買ったかと言いますと、前に福岡さんの『生物と無生物のあいだ』を読んだら面白かったから。理科系の科学者が書くエッセイって、割と好きなのよ。生物学では日高敏隆先生のご著書が好きだしね。福岡さんも生物学者だし、いいかなと。 で、この本を読み始めたのですけど、最初にちょっと面食らったのは、『ドリトル先生』に関することがやたらに書いてあったから。 うーむ。『ドリトル先生』か・・・。 子どもの頃、岩波少年文庫で『ドリトル先生』シリーズが出ていて、その存在は知っていたし、学校でもやたらに推薦されたのよ。面白いから読めと。 だけど、私は何一つ読まなかった。ドリトル先生が動物と会話ができる、と聞いただけで、途端に興味を失ったのね。あ、そういうファンタジー系は趣味じゃないのよ、と。 小学生当時の私は、将来は動物学者になりたいと思っていたくらいだから、動物の出て来る話は好きで、シートン動物記とかファーブル昆虫記、あるいは戸川幸夫ものとか、『野生のエルザ』とか、そういうのはよく読んだんですわ。そういうのに、動物と人間のかかわりは出て来るけど、動物と自由に会話できる人の話は出てこない。 あと、ロウリングスの『小鹿物語』とかね。あれは、むしろ小鹿と話が通じない話だからね。否、鹿と話が通じないだけでなく、人間同士、話が通じない、という話だから。そこにリアリティがあるのであって、動物と話ができるドリトル先生のような子供騙しの作り話に興味が持てなかったのよ。 だけど、子供の頃の福岡さんは、『ドリトル先生』に夢中になった。否、ドリトル先生自身よりも、その弟子になるスタビンズ少年に自分を重ね合わせたんですと。 なぜなら、ドリトル先生も、スタビンズ少年も、センス・オブ・ワンダーの持主だから。自然の姿を、そのあるがままに、驚きを持って観る人。そういう、本物の「ナチュラリスト」に、自分もなりたいと。 で、福岡少年も、子供の頃はセンス・オブ・ワンダーをもって自然に接し、昆虫採集とかに夢中になっていたのだけど、長じるに従い、生物学者になるうちに、どんどん、学問的な方向に行ってしまった。そしてその過程で、自然に対する思いを失い、ただ学問的な興味だけで生物の仕組みを解読することばかりに熱中してしまった。 で、よほど後になって、福岡さんは自分がバイオロジストにはなったけど、ナチュラリストであることから遠ざかってしまったと気づいたんですな。で、そこで方向転換し、もういちどナチュラリストにならんとした。つまり、自分の原点である『ドリトル先生』に戻ったわけ。そして『ドリトル先生』の新訳を出すこともした。 というわけで、本書はナチュラリストとして出発した福岡伸一が、もう一度ナチュラリストに立ち返る、その過程を綴ったものなんですな。だから、本書の最後は「ナチュラリスト宣言」で終わっているのは、そういうわけ。 ま、要するに福岡さんの、ある意味、自伝みたいな本ですな。そういう本として、面白かったといえば面白かった。でも、私は『ドリトル先生』に惹かれなかった人だから、100%、この本を理解したとは言えないかもね。これこれ! ↓ナチュラリスト 生命を愛でる人 (新潮文庫) [ 福岡 伸一 ] でも、思うのだけど、科学者ってのは、屈託がないね。あっさり自分を語るよね。そこがいい所でもあるんだけど、やっぱり文学者とは違うな。文学者は、逆に屈託があり過ぎて、面倒臭いんだけどね。どっちがいいか、だよね。
May 11, 2025
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今日は、一昨日亡くなられた恩師のご葬儀があったので、葬儀場に行ってきました。 で、恩師と最後のお別れ。先生、これまでお世話になりました。ありがとうございました。 で、その時にご遺族の方から、先生が愛蔵されていた本を一冊、遺品としていただくことに。 その本は、研究社から出版された、福原麟太郎著『文学要語辞典』というもの。昭和35年刊なので大分古い。私ですらまだ生まれていない頃の本ですからね。 『文学用語辞典』ではなく、『文学要語辞典』となっているところが渋い。 で、これは学問としての(英)文学を学ぶ際に必要な専門用語を解説したコンパクトな辞典で、中を見ると、そこここに赤線が引いてある。 そして、感動的なのは、辞典の裏表紙のところに「広島大学大学院入学にこの上ない助けとなった。感謝する。1962.4.2.」と書いてあったこと。愛知学芸大学(今の愛知教育大学)を卒業し、広島大学の大学院に進学するに当たって、先生はこの辞典を使って入試対策をされ、かつ、文学者になるための基礎知識を身につけようと大分勉強されたらしいんですな。 一冊の辞典に、「この上ない助けとなった。感謝する」とお礼をする。これ、研究社の人が見たら、泣くんじゃない? 恩師が学生時代にこの辞典を使って一生懸命勉強した、その姿が目に見えるよう。とても素敵な遺品をいただき、私もとても嬉しい。これは私の宝物にしようかな。 というわけで、今日は一日、この辞典を眺めながら、今は亡き恩師・H田先生の思い出に浸ろうと思います。合掌。これは後に出た増補改訂版 ↓【中古】【非常に良い】文学要語辞典 (1978年)
May 10, 2025
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今日は恩師のお通夜。なのに、こういう大事な時に限って運転免許の更新に行かなくてはならないというね。 事前に予約を入れてしまっていたので、時間をずらすわけにもいかず。しかも、今回は家の近くの免許センターで予約が取れず、はるばる豊川にある東三河免許センターまで行かなくてはならなかったもので、結局、お通夜の式には参列できませんでした。 それでも、恩師の顔をひと目みようと、夕方遅く、お通夜の会場に行き、ちょっとだけですけど、恩師と対面してきました。 眠っているように、とはよく言うけれど、本当にそんな感じでした。穏やかなお顔で。大分痩せてしまわれたけれど、あらためてH田先生はハンサムだったなと。 明日は告別式。最後のお別れに行ってきます。
May 9, 2025
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勤務先大学の大先輩にして、私にとっては大恩人であるディケンズ学者、H田先生が今朝、お亡くなりになりました。 大恩人というわけは、この先生が私をこの大学に採用してくださったから。私が今、ここで研究生活を送っていられるのも、そもそもH田先生が数多いた候補の中から私を選んでくれたからでありまして、その意味で恩人という以外ない。そしてそれ以来、ずっと私によくしてくださいましてね。 それに、私たち夫婦が結婚した時も、保証人のお一人になっていただいたし。本当にお世話になりましたから。 明日はお通夜、明後日は告別式ですが、せめて最後のお別れをしてくることにいたしましょう。合掌。
May 8, 2025
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あのさ、もうすぐ母の日じゃん? この時期、母の日には○○を送ろう、的なCMなんかが出回るんだけど、ああいうのを見ると、最近、悲しくてね・・・。 子どもの頃は、学校行事として「母の日」を祝うようなイベントがありましたけど、ある程度長じてから、私は母の日というものにまったく興味を失いまして。 というのも、子どもの頃から「どうも母の日はインチキ臭い」という思いを抱いていたもので。クリスマスとか、サンクスギヴィングとか、あるいはひな祭りとか、端午の節句とか、そういうのはちゃんとした起源がありそうだけれど、「母の日」というのはどうも後付けみたいな感じがするじゃない? それに5月の第2日曜日、みたいな設定の仕方も中途半端だし。 しかし、それよりも何よりも、母に感謝する日が一年に一回、というコンセプトが気に入らなかったのよ。感謝するなら、一年365日、すべきだろうと。 そういうのもあって、何だかとってつけたような日一日を、母の日だとか言って、カーネーションだか何だか、しょぼいものを贈って済ますのがすごく嫌だったのね。 そのことは、もちろん、母にも伝えていました。ワシはそういうの嫌いだから、この日を祝ったりしないよと。でも、365日、感謝しているからね、と。 でもさ・・・。 昨年、母が亡くなって、もう、母の日を祝おうにも、祝う本人がいないという状態になってから、ああ、自分はなんて愚かだったのだろうと思うわけ。 母だって、私が365日感謝しているというのは分かるわけよ。分かった上で、やっぱり母の日には、私から何か「ありがとう」とか、言葉をかけてもらったり、プレゼントをされたりしたかったかもしれないじゃん。 あー、馬鹿な理屈をこねないで、素直に母の日を祝っておけばよかった。俺は本当に馬鹿だった。 そう思うと、母の日が辛いんだよね。 孝行をしたいときには親はなし、ってね。まあ、馬鹿な自分に鞭打つために、毎年、母の日が来る度に後悔することにしましょうかね。
May 7, 2025
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今朝の某Y新聞に、自己啓発本に関する特集が組まれていて、そこにワタクシのコメントがバーン!と載っておりました。うーん、朝から気分がよろしい。 今回の特集は、古賀史健さんの『嫌われる勇気』という本がどうしてこんなに売れるのか、ということを解説するものなのですが、自己啓発本研究者たる私が見てもこの本は非常に優れた本なので、この本を讃える方向性の記事に名を連ねられるのは嬉しい限り。 それはともかく。 GW最終日となる今日、私がウンウン唸っていたのは、科研費の報告書類を書く仕事。 科研費で研究資金をいただけるのはありがたいけれど、その報告のための書類を書くってのは実に面倒くさいというか、私の手に余る大仕事でありましてね。ここのところ数日かけて必死に書いていたんだけど、今日、ようやくそれが書き上がった次第。 で、「これでよし!」と思って送信しようとしたら、何かエラーメッセージが出ている。なんだ、なんだ?? よく見たら、「報告書が書きすぎです」だって。4ページ分書けばいいものを、6ページも書いちゃったんで、エラーになったらしい。 なんだよ、気張って沢山書いたのに。せっかくこんなに書いたの、削るのかよ~! でも仕方ない。削りましたよ。 とまあ、そんなこんなでようやく仕上げ、さっき、関連部署に送信したところ。これでやっと、枕を高くして寝られるぜ! でも、油断していると、「釈迦楽先生、この前提出していただいた書類に不備が・・・」などという事務方からの連絡が入ったりするのよ。 そうならないよう祈りながら、GW最後のひと時を、リラックスして過ごそうかな。
May 6, 2025
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今、名古屋の自宅の書斎に、ステレオがないのよ。あるんだけど壊れちゃってて。だから、部屋でステレオが聴けないの。そんなの買い直せばいいんだけど、そうなるとまた機種選定に時間がかかる。実は部屋の大幅な模様替えを考えているので、それに合わせて買おうと思っていて、なかなか手が回らないのよね。 で、実家に帰ると、部屋に普通にステレオがあるじゃん? で、それを聴く。これが実にいい。 そりゃそうだよね! 学生の頃から、それが当たり前の世界として過ごしてきたんだもん。今、自宅の書斎にステレオがないのが、自分的には異常事態なのであって。 で、もう一つ、実家にはレコードプレーヤーがあるのよ。だからLPが聴ける。これが最高。 最近、機会がある度にLPレコードを買っているんだけど、これがいいのよ。昔はCDのクリアな音がいいと思っていたけど、久しぶりに聴くLPの音の柔らかさ。電熱器の熱と、人肌の熱の違いといいましょうか。 しかも、今、中古レコード屋に行けば、バカみたいな値段でLPが買える。200円とか300円とか、そんな値段で買えるのよ。ウソみたいでしょ。 で、そんなところで手に入れたハーブ・アルパートの『ライズ』とか、エロール・ガーナーの『コンサート・バイ・ザ・シー』とか、ライオネル・リッチーの『キャント・スローダウン』とか、クリストファー・クロスの『クリストファー・クロス』とか、とっかえひっかえ聴くわけよ。 一言で言って、至福。 ま、そんなのを聴きながら、科研費の報告書を書く。報告書を書く方は至福とは言えないけどね。 とにかく、自室にステレオがあるってのはいいなあ、LPレコードってのはいいもんだなあと。改めて感じているわけ。 さてさて、実家で過ごすGWもここまで。今日はこの後、名古屋に戻ります。明日からはまた名古屋からのお気楽日記、どうぞお楽しみに~!
May 5, 2025
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いやあ! 今日の井上尚弥選手のアメリカでのタイトルマッチ、冷や汗もんでした。 そろそろ試合開始かなと思い、アマプラを覗いたところ、ちょうど第2ラウンドの終盤で、いきなりダウン食らってるんだもん。ネリ戦の時もまさかと思いましたけど、ウソだろ?!と。 それでも第4ラウンドあたりからは立て直し、第7ラウンドでダウンを奪い返すと、第8ラウンドでTKO勝利。その辺は当然として、第2ラウンドと第3ラウンドはちょっとやばかった。 相手が研究してきたというのもありましょう。階級を上げるにつれ、相手も大きく、タフになり、パンチも強くなってきていることもありましょう。さらに井上選手も32歳となり、年齢的な衰えというのも多少はあるでしょう。 そのせいか、かつてのような別格の、圧倒的な強さというのは、大分薄らいできたかなあ・・・。 それに、以前に比べると、振り回すパンチが増えた感じもする。以前はコンパクトなパンチだけで倒していたけど、今は勝ち急ぐあまり、つい振り回しちゃうんですかね。それが空を切るものだから、余計、無理している感が出ちゃうというか。 とはいえ、もちろん、今の階級でも十分パンチはあるし、スピードはあるし、ディフェンスもすごいし、打たれ強さもあるんだけどね。 まあ、とにかく、今日はTKO勝利出来てよかった。でも、冷や汗かいた分、どっと疲れちゃった!
May 5, 2025
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穏やかな晴天に恵まれた連休中日、午前中は父と母の墓参りで、是政橋で多摩川を渡り、多磨霊園に行ってきました。昨年、いや、一昨年だったか、お墓の脇に植えたムクゲの苗木が、一年前とは見違えるほどに逞しく、緑色の葉っぱの塊になっていてびっくり。いやあ、生命力の強い木ですなあ。アジサイの苗は、3年連続で根がつかず、枯れてしまったというのに。 そして、同じく多磨霊園に眠っておられる我が師・大橋吉之輔先生の墓前にも花を供え、近況報告をして参りました。 で、その時、何気なく墓標を見たら、先生が平成5年に68歳で亡くなられたことが記してあった。それはもちろん知っていますが、ふと思えば、先生は1924年11月のお生まれだから、今、生きておられれば100歳なんだなと。そうか、先生が亡くなられて32年が経ったのか・・・。 ま、そんな感慨にふけりつつ。 午後は、姉に頼まれて近くの農協の農産物売り場に行き、バジルの苗やら腐葉土などを買ってきました。姉には、ベランダでハーブを育て、料理に使うという野心があるのだとか。ハーブなんてもともと雑草みたいなものなのだから、簡単に栽培できそうなものだけれど、この前はローズマリーを枯らしたばかり。果たしてバジルは成功するのかどうか。 そしてその後、私は梨木香歩さんの書かれた『春になったら苺を摘みに』という本を読んでおりました。 梨木さんの本を読むのは初めて。っていうか、今まで梨木さんの存在に気づいてもいなかったという。調べると1959年生まれだから、私よりちょっとお姉さんですな。 じゃあ、何でこの本を読んだかと言いますと、先日、信州の方に遊んだ際、「のほほんBooks & Coffee」という本屋さんに入ったのがきっかけ。ごく小さな書店ですが、品ぞろえが魅力的で、パラパラ立ち読みすると、読んで見たくなるような本が沢山あった。で、その本屋さんで記念に2冊ほど文庫本を買ったのだけど、そのうちの一冊がコレだったというわけ。 パラパラ立ち読みした時に、なんだかイギリスのことを書いたエッセイ風の本であることは分かった。で、私もイギリスには二度ほど行ったことがあるので、興味があったというわけ。 で、実際に読んで見たら、これが大正解だったの! とってもいい本でした。 梨木さんが学生時代にイギリスに留学され、その時に「ウェスト夫人」という方のお宅に下宿していたと。で、それから20年経って、再びイギリスに半年滞在することになって、久方ぶりにウェスト夫人と久闊を叙した、その時の経験を中心に綴った本なのよ。 で、このウェスト夫人というのが、なかなかの人物なんですな。もともとイギリス人ではなく、アメリカはニューヨーク育ちの人なんだけど、イギリス人と結婚し、イギリスに来たと。だけど、その後、離婚してしまった。しかしその後もイギリスに住み続け、自邸を下宿のようにして、色々な国から来るゲストをもてなしてきた。 で、この人がクエーカー教徒だったというところが、ちょっとしたミソでね。気合の入った博愛主義者的なところがある。だから、アフリカの人や中東の人や日本人など、異文化から来る客人を拒まない。たとえその異文化に馴染まないとしても、リスペクトを持って受け入れる。そういう懐の深さがある。だから梨木さんはウェスト夫人と出会ったことで、彼女を起点として様々な人達に会うことになり、それが梨木さんの視野を一層広げてくれることになっていくわけ。 とまあ、この本にはウェスト夫人をはじめ、個性豊かな人達が沢山出てきて、様々な形の異文化交流がなされるんですけど、もちろん、そのすべてが心地よいものではなく、梨木さん的に「ん?」と思うこともあれば、差別的な相手の言動に怒りを発することもある。だけど、そういうものもすべて含めて、梨木さんはこの惑星に生きるということを、強烈に体験していくわけよ。 で、それを記述していく梨木さんの筆がね、とてもいいの。面白おかしくしようとせず、それでいて淡々としているわけでもなく、一人の人間が、他の人間とその人の後ろにある文化と接触して、双方になんらかの影響を与え合っていくさまが、とても素直に書いてある。そこが実に実に共感できる。 というわけで、地方の本屋さんでたまたま出会ったこの本、私にはとても素晴らしい読書体験を与えてくれたのでした。これはいい本よ。教授の熱烈おすすめ!って感じ。これこれ! ↓【中古】春になったら苺を摘みに / 梨木香歩
May 4, 2025
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毎年5月3日に、小学校時代の友人たちとバーベQをするのが恒例になっているのですが、今年も無事、皆で集まることが出来ました。 今年は小田急町田駅にある小田急百貨店町田店の屋上にあるバーベQサイトで行うことに。これだけ小田急町田店に親しんでいて、その屋上に行ったのは初めてかも。昔はここにちょっとした遊園地があったそうですが、今はバーベQサイトとして、時間貸ししているんですな。 今日集まったのは8人。男子5人、女子3人。まあ、小学校の時から知っていて、しかも還暦すぎた仲間ですから、男子だ女子だってのはもうあんまり関係なくて、昔からの幼馴染み同士って感じ。とても居心地がよろしい。 ところで、実は我々の学年、つい先日、大同窓会をやったんですわ。もちろん、私は不参加でしたが、今日集まった中に何人か、そちらの同窓会に参加した奴がいた。で、その時に撮った写真を見せてもらったのですが、これが非常に興味深いものでありまして。 もうね、全然分からないの。誰が誰だか。子供の時にはむしろ痩せっぽちだった男の子が、還暦すぎた今、でっぷり太ってしまったとか。昔は背が高いと思っていた子が、案外、その後伸びなくて、むしろ小柄になってしまったとか。髪の毛が無くなったとか。 とにかく、総じてジジイ化していて、ほんと、全然分からない。今、町ですれ違っても気が付かない感じ。 女子の皆さんも、相応にお年を召されて。昔、可愛らしい子だったのに、今は見る影もなくおばあさん然となってしまったとか。 まあ、写真を見て評している我々だって、ジジイ/ババアになっているわけですが。それにしてもねえ。 また、聞くところによると、既に物故された同級生も相当いるとのこと。ジジイになっても、生きているだけまだましっていうね。 この次、大同窓会があるとしたら、古希の時かしら。その時は、私も勇気を出して参加しようかな。さらにその次、傘寿の時まで元気でいるか、分からないもんね。 というわけで、今日は爺さん、ばあさんが8人集まって、仲良く昔の話などに花を咲かせたのでありました。たっぷり笑ったし。いい一日でした。
May 3, 2025
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今日は5月2日。GW後半を過ごすため、今日は実家へ瞬間移動。 そう言えば、生まれてこの方、GW後半を実家以外で過ごしたことは(ロスにいた時は別として)、一度もないな。名古屋の大学に就職してからも、この時期は必ず律儀に帰省していたものでした。 両親が元気な時は、必ずクルマで両親をどこかに連れて行ったものですわ。別に遠くにいくわけではなく、多摩センターのデパートに行って飯を食い、その後、公園で散歩とかね。季節もいいし、この時期、そのあたりでお祭りみたいなことをやっているのでね。 そういう出店みたいなのを冷かしたり、おやつに大判焼きとかケーキとか、あるいはこの時期だと柏餅か、そういうのを買って帰って、家で紅茶を飲みながらそれを食べる、なんてのもよくやりました。 で、そんな時、必ず父が言うのが、「お前は五月が一番好きなんだよな」という一言。父は私が薫風香るこの新緑の季節が一番好きだというのをよく覚えていて、いつもそう言ってくれた。そしてその季節に私が傍にいるのをとても喜んでいた。 その父も今はなく、ついに母も亡くなってしまいました。昨年のGWには、母は老人ホームに入っていたけれど、まだ存命だったのに。 父や母は、今頃天国で、「5月が好きな息子が帰ってきたぞ」と思っていてくれているかしら。 明日はちょっと用事があるけれど、明後日あたり、墓参りに行こうかな。お墓に植えたムクゲも、きっと新緑を噴き出しているころでしょう。
May 2, 2025
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先日、とある出版社から本の出版の打診があった、と言うようなことを書きましたが、今日の午前中、ズーム会議で、その本のコンセプトを詰めることをしておりました。 どういう本にするか、それはもちろん企業秘密というか、内緒なので、ここではお話しできませんが、まあ、書く側、出版する側、双方にとって実りのある話し合いにはなったかな。 まあ、私の書く本に欠点があるとすれば、それは情報量が多すぎることでありまして、ちょっと読むだけでおなか一杯になっちゃうところがある。だから、今度の本ではその情報量を極力減らす方向で・・・ ・・・おっと、これ以上は言えねえ、言えねえ。 とにかく、今後ライターとして生きていくためには、自分の引き出しを可能な限り広げておかなくては。いつもいつもワンパターンではなく、臨機応変に姿をガラッと変える術も持っておかないとね。 しかし、大体の方向性がわかったので、今後、他の仕事の合間に、少しずつ準備をしないと。 一方、午後に入って、某新聞社から、先日私が出したコメントを記事化したものの校正を依頼するメールが。これは私が書いた記事ではなく、記者さんが書いた記事なので、部分的な修正のみ。それでも、直すべきところは修正できたかな。5月6日のY新聞に出るそうなので、それも楽しみ。 とまあ、私もこれでなかなか忙しい、忙しい。今年は自分にとって、なかなか大忙しの年になりそうです。何せ、正月に「登り龍」と「鳳凰」の幻影を見ちゃったからなあ! マジで羽搏く年になっちゃうかも。
May 1, 2025
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