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佐藤舞さんが書かれた『あっという間に人は死ぬから』という本を読了しましたので、心覚えをつけておきましょう。 この本、タイトルもそうだけど、副題に「「時間を食べつくすモンスター」の正体と倒し方」とあるので、時間の使い方論なのかなと、読む前は思っていたのですが、そうではないね。そうではなくて、自己実現を通した幸福の掴み方の指南書です。 ではどうやって自己実現するか。 佐藤さんは、このテーマを語る上で、まず、逆に「なぜ人は自己実現できないか」という方面から話を始められる。で、結論として、人間は「人生の3つの理を回避しようとするからだ」と喝破する。佐藤さんの言う「3つの理」とは、①死 ②孤独 ③責任 の3つであり、生きていく上で絶対に避けられないこの3つに直面しようとせず、回避するために、膨大な時間を浪費しているのだと。 でも、回避したって、この3つから逃げられるものではなく、それだったら時間を浪費するのは愚の骨頂。 では、これら3つのことに直面しつつ、人生を充実させるにはどうしたらいいか。この点について佐藤さんは3つの対処法を措定する。その3つとは、①変えられないものと変えられるものを区別する ②人生に対して主体的に参加する ③人生に苦はつきものだと覚悟する、この3つ。自分に変えられないものと無駄に格闘するのは無意味、だったら、そこは放棄して、自分に変えられるものだけに主体的に取り組むしかない。それは時として苦痛を伴うけど、それを避けていたらダメよと。 はい、これが覚悟編ね。この先が実践編。どうすればこの3つの対処法を具体的な行動として、実現させるか、という話になってくる。 で、その具体的な方策を大幅にはしょって説明すると、「目的」「目標」「手段」の3つを明確に決めて、人生を歩め、っていうことになる。 まず「目的」というのは、その人の価値観のこと。「本当はどうありたいか、何を大切にして生きるか」ということを設定する。 次に「目標」というのは、上で設定した価値観に沿った形での目標のことなんだけど、ここで重要なのは、その目標が目に見える到達点であることね。いわば、ちゃんと価値観に沿った行動をしているかどうかを確認するための中間ゴールみたいなもの。 最後の「手段」は、上の目標を具体化するための行動のことであり、しかも、常態的な行動という意味で、「習慣」と言い直してもいい。そしてそれはまた、自分自身との約束の確認でもあるわけ。 で、佐藤舞さんのこの一連の具体化案で重要なのは、「固定しない」ということね。価値観にしても、目標にしても、手段にしても、一度決めたら最後まで守り通さなければ意味がない、というものではないの。そうではなくて、毎週のようにこの3つを確認し、必要があれば頻繁に変える。この軌道修正が重要になってくる。 要するに、人間って、自分の価値観が何か、なんてすぐには決められないわけよ。だから暫定的に決めるしかない。これが自分の価値観だと思われることを設定し、それを実現するための行動をとってみると、案外、別なことが自分の価値観だったことが判明する、なんてことも多いんですな。だったら、その新しく発見された価値観の方が、より精度の高い価値観なんだから、そこは設定し直すべき。そして大本の価値観の設定が変わったのなら、それを実現するための「目標」も「手段」も変更を余儀なくされるはず。 そうやって随時自分のことをチェックし、必要に応じて適宜修正を加えながら、しかし自分の価値観に沿った目標を行動によってクリアしていくプロセスだけは絶対に継続する。で、そういうことを続けていけば、いずれ自己実現が成し遂げられ、ハッピーになれると。 で、佐藤舞さん自身の例を挙げると、佐藤さんの価値観は「自分の創造性を発揮して作品を生産し、感動を与える」だったんですと。で、当初はこの価値観を実現する目標として「漫画家になる」を挙げ、「手段」としては「漫画を描く」「漫画を読む」「絵の練習をする」・・・というようなことを設定していた。 ところが、その内にどうもこの目標・手段では自分の価値観を実現できないということが判明してきたと。そこで佐藤さんは目標を「コピーライターになる」に変更し、手段を「法人営業する」「ライティングの勉強をする」「ブログを書く」というものに変更。しかし、これでも結果が出なかった佐藤さんは、さらに修正を加え、「価値観」はそのままに、「目標」を「プレゼン代行」「会議ファシリテーターになる」に変え、「手段」を「紹介を依頼する」「リピートにつなげる」に変更。それでも結果が出なかったため、ここからさらに修正を加え、最終的に「目標」を「専門である統計学の入門書を出版し、そこから仕事の依頼を得る」に変更、「手段」を「出版コーディネーターとつながる」に変えてみた。で、それでも結果が出なかったため、「目標」を「YouTubeで1万人登録」、「手段」を「毎週1本投稿」に変え・・・という風に、どんどん変えていったわけ。 で、結果として佐藤舞さんは統計学をつかったコンサル関連の仕事で大成功、おまけに「サトマイ」なるキャラまで確立。本書だって、10万部だからね。そうして、最終的に彼女の目的(=価値観)である「自分の創造性を発揮して作品を生産し、感動を与える」を実現したのだから大したもの。 だから、あなたもこういう風にしてみたら? というのが、本書『あっという間に人は死ぬから』という本の謂わんとするところ、というわけ。 さて、この本についての私の評価ですが・・・ 最初、読み始めた時は、なんかタイトルと本の内容が合ってないな、というような気がしたことに加え、書き方もちょっと素人っぽいというか、プロのライターではないな、という感じがして、イマイチかも…と思っていたんですけど、後半の具体的な行動の指針の話あたりからちょっと面白くなって、最終的には面白く読み切りました。やっぱり、実績を出した人の話だから、具体的な部分が面白いのよね。 たとえばこの本の275頁に、マーク・グラノヴェッターというアメリカの社会学者の言として、「(人間同士の)弱い結びつきは、情報の交換や新しい機会の発見において特に重要な役割を果たす」ということが紹介されているんですけど、これなんか面白いよね! 確かに親しい人との強い結びつきは、情報や感情の支援が得られるので重要だというのは分かる。だけど、それほど親しいわけではない、ちょっとした知り合いから、新情報やチャンスが舞い込むことが多い、というのは、なるほど!っていう感じ。で、この言葉を知ってから、それまで極端な人見知りだった佐藤さんは、積極的に人と交わるようになり、必要であればこちらから連絡をとって人と接触するなどして、チャンスをつかむようになった、というのですから、具体的なアドバイスとしても素晴らしい。 その他、本書を読んでいて、チェックしたのはラス・ハリスという人の言として「価値観とは好きなアイスクリームの味のようなもの」という言葉(210)。例えばストロベリー・アイスクリームが好きな人が、チョコレート・アイスクリームが好きだという人に出会ったとして、「お前のその考え方はおかしい!」とはならないでしょ。だから、価値観というのは、どれが正しいとか、そういうものではない、ということを、ラス・ハリスはこういう言葉で言い表したわけだけど、なるほど!だよね。 あと、習慣の力の大きさを訴えるものとして、チャールズ・デュヒッグという人の「キーストーンハビット」という考え方がある、ということを、本書を読むことで知ったのですが、これも私としては収穫。 1冊の本を読んで、これだけ収穫があれば十分じゃね? ということで、この本、結果としては、十分にためになる本だったのでした。これこれ! ↓あっという間に人は死ぬから 「時間を食べつくすモンスター」の正体と倒し方 [ 佐藤 舞(サトマイ) ] ところで、この本を読みながら思ったのは、なぜワタクシの本が10万部売れず、サトマイの本が10万部売れるのか、ということ。 結局、売れる本というのは、一つのことしか言ってないんだよね。本書の場合だと、「価値観」「目標」「手段」を設定し、これを微修正しながら運用しろ、という一つのことしか言ってない。私の場合は1冊の本に200個くらいの情報を詰め込んであって、そういう情報量の豊富さこそ重要だと思っているところがあるんだけど、そこがダメなところなんだね。いや、もちろん学術書としては情報量こそが大事なんだけど、売れる・売れないという話になると、その長所が短所になる。 それにプラスして、その一つの事を言うのに、自分自身が例になってないとダメ、ということ。サトマイは自分がこのやり方で実際に成功しているから、それが説得力になっているのであって。この観点から自分の本を顧みると、どこが弱点かはすぐわかる。解説者ではなく、成功者にならなければ、売れる本は書けないんだな。 まあ、そんなことも考えさせられた次第。
June 29, 2025
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作家の万城目学さんの自伝的エッセイ『べらぼうくん』を読了しましたので、感想を一言。 あのね、これ、すごく面白いです。 京大を受験して一度失敗し、浪人生活が始まったあたりから書き起こされた万城目さんの自伝エッセイ。そこから京大法学部に入学し、京都での一人暮らしが始まるのですが、この辺りから、関東人の私からすると「へえ~」と思うようなことが色々。 関西の学生気質というのもあるし、学生を優遇する京都の文化というのもあったりするのだろうけれども、とにかくそういう街の懐に抱かれた形で過ごすモラトリアムとしての学生時代って、東京にはなかったわ~。もっとこう、トゲトゲした緊張感のあるものだった記憶がある。だから、関西でのそういう学生生活を綴った部分も、とても珍しくて面白い。毎年夏休みにひと月ほど海外を放浪するのを決まり事にしていた、なんてのも面白いし。 で、万城目さんは学生時代に、突如、小説を書き始めるのですが、まだそれで食っていくという感じはない。で、一年の留年を含め、5年間の学生生活の果てに就活をするのですが、マスコミ系はみな落ち、そうこうしているうちに、色々思うところあって化繊メーカーに就職することを決めるまでの、万城目さんの思考の歩みがまたとても面白い。 で、就職した先での新入社員時代の社会人としての生活ぶりや、研修時代の経験の描写も面白いんですけど、そういう中で、学生時代からの野心である「作家になる」ということにチャレンジしてみようと決意するまでの道なりも面白い。 その後、万城目さんは、東京本社に配属されて、いよいよこれから本格的なサラリーマン生活が始まるとなった途端、会社を辞め、親戚の持っていた雑居ビルの管理人をやりながら、愛用のNECのワープロ「文豪」を使って作家修行をすることになる。だけど、なかなか思うようにはいかず、書いては小説の新人賞みたいなのに応募するものの、1次選考にも引っ掛からない時代が結構続く。 でも、そうやって何作も没にされていく中で、段々、書き方も上達し、何をどう書けばいいのか、自分の強みはどこにあるのか、ということも次第にハッキリわかるようになっていくんですな。そのプロセスがまた非常に興味深い。 で、ついに『鴨川ホルモー』で作家デビュー!っていうね。もう、ここまでの道程すべてが、起承転結、山あり谷ありの万城目さんの青春一代記っていう感じ。これ、このままNHKの朝ドラになりそうよ。『べらぼうくん』というタイトル自体、朝ドラって感じしない? いやあ、さすがさすが。面白いわ~。そんなに長いものではないけど、充実の読後感よ。 やっぱり観察眼がいいのかねえ。あるいは、観察したことの再現力が高いのか。こういう時、こういうことがあった、という感じで、随所で色々なエピソードが語られるのですけど、そのエピソードに登場する人物や、その人物との会話にリアリティがあり、しかも無駄がなく、しかもポイントがしっかりとあって、万城目さんの言わんとすることがずばりと感じられるような書き方になっているのよね。作家に対して書き方が上手いというのはおこがましいけれど、なかなかの名人芸と見た。 それにしても思うのは、私には万城目さんのような体験は書けないなと。というのも、社会人になったことがないからね。大学出て、大学院出て、大学に勤める。大学人としての仕事は、社会人と言えるのかというと、言えないような気がする。なぜなら、上司とか同僚とか、そういう人間関係がないから。常に一匹狼だからね。自分の思い通りにならない人たちに囲まれたことがないのだから、人間関係についての葛藤もないし、経験もない。 結局、大人になれなかったなあ、っていうところは、あるんだよな~。だから、就職経験を経て作家になった人の話って、すごく羨ましいところがあるのよね~。 そういう羨ましさも含め、万城目学なる一人の若き作家が生まれるまでのビルドゥングス・ロマン。教授のおすすめ!です。これこれ! ↓べらぼうくん (文春文庫) [ 万城目 学 ]
June 28, 2025
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なんかね、私が書いた本の韓国語版が出るらしいっす! 前にも何度か、そういう問合わせが来たことはあるのですが、今まで実現した試しがなかったのよ。だから今回もどうせ実現はしないのだろうなと。 そしたら! なんと、実現するんですって。正式な契約が結ばれたらしい。ということは、ついに私もインターナショナルな著者になったってこと? やった~! 先週、神社にお参りした成果が早速出ましたかね! 来週は、お礼参りに行かなくちゃ! っつーことで、週末を前に気分上がるねえ。この上昇気流に乗って、ますます頑張るしかないな!これこれ! ↓大学教授が解説 自己啓発の必読ランキング60 自己啓発書を思想として読む [ 尾崎 俊介 ]
June 27, 2025
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梨木香歩さんが書かれた『炉辺の風おと』という本を読みましたので、心覚えをつけておきましょう。 ちょっと前に同じ梨木さんの『春になったら苺を摘みに』という本を読んで感銘を受け、この作家さんのエッセイ、好きかも・・・と思い、もう一冊読んでみた次第。 これ、毎日新聞に連載されているエッセイをまとめたものだそうですけど、結論から先に言いますと、やっぱりとてもいいです。 『春になったら・・・』は、梨木さんがお若い頃、イギリスにしばらく滞在されていた時に出会った人たちのことが書いてあって、それはイギリスに興味がある者にとっては非常に面白い話題だったのですが、今回読んだ『炉辺・・・』の主な舞台は日本の八ヶ岳の麓の山荘。梨木さんがその山荘を手に入れる経緯などから話が始まって、四季折々(真冬は除く)にその山荘で過ごされた日々のことなどが書いてある。 この段階で私のハートは射られてしまうわけですよ。私もまた、八ヶ岳ファンで、晩年をここで過ごせたら、などと夢想しているのだから。 で、そういう山荘エッセイとして読んだ場合、まず驚かされるのは、梨木さんの植物や小鳥やリスなどの小動物についての豊富な知識。それは動植物学的な知識というより、山荘にやってくる小鳥や獣の種類を見分け、敷地に咲く野生の花々を愛でるに当たって、自然と身に着いた知識なんですな。おそらくは、そういう小さな生き物たちを見つける度に図鑑などで調べて、そうしてその名を知ったというものなのでしょう。 やっぱり、モノを愛する、そのスタート地点は、その名前を知ることなのよね。 しかし、このエッセイ集は、そういう山での生活の平和な話題ばかりではありません。もう少し感情の高ぶる話題もある。 例えば梨木さんがお父上を亡くされた時の話とか。これは身体の弱った親の介護に直面した還暦世代の人間からしたら切実な話で、私も梨木さんがお父上を亡くされたのとほぼ同時期に父を失ったし、昨年は母を失ったので、梨木さんのおっしゃっていることはよく分かる。あと、梨木さんご自身も最近体調を崩されたことがあったようで、しかしそういう微妙な体調と対話し、全快は期待しないまでも一病息災でやっていこうと覚悟されているあたりも、同じ還暦世代としてはこれまた「わかる~」という感じ。 あと沖縄における戦争の爪痕の話とかね。梨木さんは鹿児島のご出身ということで、沖縄は近いのですが、しかし近いようで遠いところもある。その近くて遠い沖縄で、激しい戦争が行われ、人々が亡くなり、そして今もなお米軍基地によって強制的に本来の形を奪われた状態で存在している。実際に沖縄を訪れ、そのことに思いを馳せる部分は、もちろん重い話になるわけですけれども、そういう重い話をした後で、「また八ヶ岳に戻ってきた」という話に移ると、読んでいる方としてもちょっとホッとする。そういう、硬軟のバランスもとてもいい。 とまあそんな感じで、いわば梨木さんの日常の一部をエッセイとして共有させてもらっているような感じの本でございます。 興味深いキャラクターの人物が多数登場する『春になったら苺を摘みに』と比べると、よほど静かなエッセイですけど、これはこれでいいかな。 ということで、すっかり梨木香歩ファンになってしまったワタクシ。この本も教授のおすすめ!と言っておきましょう。これこれ! ↓炉辺の風おと (毎日文庫) [ 梨木香歩 ]
June 26, 2025
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独学ブームということで、山野弘樹さんの書いた『独学の思考法』という本を読んでみました。これこれ! ↓独学の思考法 地頭を鍛える「考える技術」 (講談社現代新書) [ 山野 弘樹 ] 話題の本で、結構売れているというので、どんなもんかなと。 で、読んでみた感想ですけど、うーーーん、イマイチかな。 そもそも、これ、『独学の思考法』というタイトルになっているけど、独学の本ではないね。むしろ『哲学者の思考法』とでもした方が、実態に合っているのではないかと。 で、最初の方は「本の読み方」みたいなことが書いてあって、本を読むときは重要なワードとかフレーズとか、著者に賛同する部分とか、納得できない部分とか、意味が分からない部分などをそれぞれ違う色のペンで囲う、とか書いてある。え、今時、齋藤孝の三色ボールペン法? みたいな。でも、そんなことしてたら、毎ページ極彩色になって、目がくらくらすると思うんだけど・・・。 あと、各パラグラフで、そのパラグラフの要点をまとめろとか。そんなことしてたら、新書一冊読むのに1週間くらい掛からないか? いやあ、こんなことするぐらいなら、むしろ通しでじっくり2回読んで、本全体の要旨をまとめた方が楽じゃない? あと、論を立てる時は独り善がりの論にならないよう、他者との対話が必要だとか、他人と議論している時、いきなり相手の論の不備を指摘すると相手が怒っちゃうから、相手を怒らせないような反論の仕方はこうだ、とか。そんなことも書いてある。まあ、それはもっともな話。 そんな感じで、中にはなるほどと思うこともあるんだけど、全体として「めんどくせえな」と思うことが大半で、少なくともプロにはあんまり参考にはならない。かといって、じゃあ、素人には役に立つかというと、素人はそもそも論なんか立てようとしないと思うんだよね。 じゃあ、この本を読んで恩恵を受ける人って誰? わからん。 ひょっとすると、この本って「素人だけど、本を読んで何か書かなくてはならない人」、すなわち大学生向けに「論文・レポートの書き方」を教えようとしているのかな?とも思うのだけど、それだったら、別な本を読んだ方がいいと思うよ。例えばこんな本とか・・・ゼロから始める 無敵のレポート・論文術 (講談社現代新書) [ 尾崎 俊介 ] こっちの本の方が読んでて絶対面白いと思う。 ということで、後学のために読んではみたけれど、うーん、どうなの?って感じ。それほどおススメはできないかな。
June 25, 2025
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季節外れの風邪をひいてしまい、連日臥せっております。 普段、学期中に授業を休むということはあまりないのですが、油断しましたかね・・・。 ただでさえ蒸し暑いのに、熱っぽい身体を布団に包んでいると、まあ、苦しい苦しい。 本を読むのもなんだか億劫だし、とりあえず病気が去るのを待つしかないですね。
June 24, 2025
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これまでアメリカの自己啓発思想についてあれこれ研究してきたわけだけれど、最近、必要があって、日本の自己啓発思想についても、あれこれ本を読み始めています。 日本の自己啓発思想というのは、明治維新で士農工商の身分制度が撤廃されたことをきっかけに広まっていくのだけれど、そこで生まれた立身出世という概念は、アメリカ的な個人主義を元にしたものではないのね。つまり、日本という国家が海外列強と伍していく、その礎になるという意味での出世だったと。 だけど、そうやって日本が富国強兵化していくにつれ、出世コースも整備されていく。要所要所で試験が行われ、その試験を突破したエリートだけが出世できるという風になるんですな。 で、そういう狭き門が完成した頃、日露戦争で勝った後の混乱もあったりして、若い人(いわゆる「青年」)が一枚岩ではなくなってくる。エリート街道を突っ走る者と、落ちこぼれて享楽に走る者、あるいは人生いかに生くべきか、みたいな感じで煩悶しちゃう「煩悶青年」に三分割される。 で、そうなった時に、いやいや、学問ってのは、何もエリートになるためだけのものじゃないよ、むしろそんなことより人格の陶冶が重要だ、ってなことを言い出したヤツがいる。それが新渡戸稲造大先生。で、新渡戸稲造が旧制第一高等学校の校長になったことで、この人格の陶冶なるものが「修養」という概念で言い表されて普及する。 で、この時に、修養概念が、国家的人材育成のためのものではなくなり、個人の人格をいかに向上させるかということを問題にするようになるわけ。つまり、新渡戸稲造において、日本の自己啓発思想は、個人的なものになるのね。 だから、日本の自己啓発思想史の中で、新渡戸稲造大先生は、重要なポジションにあると。 で、新渡戸大先生は、西洋の教養で育った人だから、学生にもそういう本を読め読めと勧めるんですな。だから、日本において、修養はイコール「教養」ということにもなっていく。 西洋の場合、教養ってエリートしか持ってないから。だから、教養は貴族的なのね。だけど、日本の場合、旧制高校に通うような学歴エリートは、元は田舎の庶民出身だから。日本において、教養とは修養の一端でしかない。そこに貴族と庶民との壁がない。ここがすごく特殊なところ。日本において、修養と教養は切り離せない、ということになるわけ。 で、この旧制高校生を中心として発達する修養/教養は、意外にも昭和時代を生き残る。それはなぜか? 昭和初期に一時、マルクス主義が浸透するのだけど、その影響は意外に大きくなかったんですな。事実、マルクス主義自体が、西洋哲学を根っこにして育ってきたものであるから、それを理解するためには、そもそも西洋哲学を理解しなければならない。だから、マルクス主義を信奉するにしても、そのために修養/教養は必要だということになってしまう。 ここにも、日本において、教養は貴族のものではなかった、というのが効いてくる。マルクス主義=庶民のもの、だから、庶民が力を合わせて貴族階級をぶっ潰せ、ということには、日本ではなりにくいのよ。 あと、戦争前・戦争中において、軍国主義的な思想も旧制高校の中には浸透しない。だから、左からも右からも影響を受けずに、日本の高等教育レベルでは、自己啓発思想としての修養/教養は生き続け、戦後にまで延命したと。 で、昭和10年代からの10年、この意味での日本の修養/教養系自己啓発思想を体現するのが『学生生活』とか『学生に与う』とかの一連の学生叢書で有名な河井栄次郎という人。この人の学生叢書が、学生たるもの、こういうものを読め! とか言って、読書案内とかをしちゃったおかげで、旧制高校生にとって修養/教養がマニュアル化されると。いわば新渡戸稲造が打ち出した個人的自己啓発思想としての修養/教養が、河合栄治郎によって完璧にマニュアル化された、っていう流れがある。 で、この流れは昭和40年代まで続くんだけど、この辺りで大学の大衆化っていうのが起こるんですな。 初期の帝国大学なんて各世代の1パーセントくらいしか行かなかったわけ。だからそれはすごくエリート的だったんだけど、昭和50年代に入る頃には、35パーセントくらいが大学に行くようになる。3人に一人は大学生の時代。 昔は、大学に入ると、先輩から「お前たち、こんな本も読んでないのか」的にいじられて、とにかく教養書を読んで先輩たちに追いつかなくちゃ、という焦りを抱かされることになったんだけど、大衆化された大学では、大学に遊びに来たアホ学生たちが、一部のエリート大学生を揶揄するようになる。「勉強なんかしちゃって、超ダサい」とか。 こうやって、明治以来、連綿として続いてきた青年たちの修養/教養は、息の根を止められたのでした。 昭和50年代頃には三人に一人だった大学生も、今や二人に一人だからね! そりゃ、修養/教養なんて、薬にしたくたって、そんなものはもうないよね! ・・・とまあ、そういう流れなんですって。まあ、面白いというのか、情ないというのか、よく分からないけど、とにかくそういう流れであるということは分かった。 それはともかく、こういうことを踏まえて、また私自身の自己啓発思想研究を、研ぎ澄ませていかないとね。
June 22, 2025
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授業の小テストを採点していて、「ほう」と思うことがありまして。 日本の学校制度とアメリカやドイツの学校制度を比較した授業だったんですけど、小テストの問題としては、「アメリカやドイツの学校制度の中で、日本の学校制度に取り入れてもいいと思われるものを挙げ、その理由を述べよ」というもの。 で、私がちょっと驚いたのは、ドイツの学校制度をいいと思う学生が圧倒的に少数派だったこと。 ドイツの学校制度の特徴は、早い時期から生徒の進路が決まるところ。大学進学に必要な「ギムナジウム」に進むかどうかは10歳くらいで決まりますからね。で、中学卒業くらいの時点で、職能学校に進学する生徒が出てくる。農業とか商業とか工業とか、自分が進みたい職能に特化した学校に、比較的早い時点から進学することになる。 で、これは明治時代の日本の学校制度によく似ているのね。っていうか、明治時代に日本が学校制度を作った時、ドイツをモデルにしたので、そういうことになるわけですが。 だから明治時代の日本の学校も、ドイツ同様、中学くらいから複線的になる。大学を目指すなら旧制中学校に進むし、学校の先生になりたければ高等小学校を経て師範学校へ進む。医者になりたければ医専に進むし、そのほか、商業学校・農業学校・工業学校などに進む生徒もいる。 今みたいに、小学校を終えたら全員が中学校、中学校を終えたらほぼ全員が高等学校、それを終えたら半分は大学生に、残りの半分は就職に、というような「高校までは全員が一本道」という単線的な学校制度は、戦後、アメリカの学校制度を取り入れたからそうなったのであって、それ以前はドイツ的な複線式だったのよ。 で、私なんかは、「全員が高校に行かなくてもいいんじゃね? 国民の半分が大学に行かなくてもいいんじゃね?」と思っているので、ドイツのような複線式を復活させた方がいいのじゃないかと思っているのですが、小テストをやると、ほぼ全員が「ドイツ式はよろしくない」と意見を言うんだよね。 その解答の文面を見ていると、どうもドイツ的複線式の学校制度を「不公平」と捉えているらしいのよ。そこに、私はビックリする。 全員が高校まで行くのがよろしい、という考え方。それが不公平でなく、不平等でないからいい、という考え方なんだよね。 つまり「多様性」より「平等」が好きなわけ。平等を重視するあまり、多様性は無視すると。 私は、むしろ多様性を重視することが、平等を重視することにつながると思うんだけど、最近の学生はそうは思わないのかな? 人間には、色々なことに対して向き・不向きがある。これが多様性ということであって、全員が同じ進路に進むということになると、この多様性を無視することになるわけよ。そうなると、たとえば「勉強の出来る子がいい子」という価値基準で同学年の全員が判断されることになり、中には「勉強ができないからダメな子」と言われてしまう子が出てくる。その子は、勉強以外のことで素晴らしい素質があるかもしれないのに。 それは不公平だ、とは思わないのかな? それぞれの多様性に合わせた基準で判断した方が、むしろ平等に、公平に、個々人を判断することになると、私は思うのだけど。 というわけで、何が何でも同学年の子が同じ進路の進むのが公平であり平等だと考えている学生が大半であると知り、ホントにそれでいいの? と思ってしまったのでした。
June 21, 2025
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それにしても、国分太一君は一体全体何をやらかしたのかね? テレ東の『男子ごはん』、好きだったのにな。栗原心平ちゃん一人でいいから、番組続けてほしい。 それはともかく。 明日は夏至なんですって。早いね。この前、冬至(クリスマス時期)だったのに、もうあれから半年経ったのか。暑くなるはずだ。 っつーこともあり、まだ土用の丑の日ではないけれど、今日の昼、鰻を食べちゃった。 鰻も高くなったからねえ。私が子供の頃は、せいぜい1500円くらい出せば食べられたような気がするけど、今はちょっとしたところで食べると5000円くらいするからね。 だけど、まあ、そんなに頻繁に食べるものでもないし、たまには贅沢もいいかなと。 で、名古屋で鰻といえば、ひつまぶし。最初はそのまま、二杯目はわさびや分葱、海苔などを混ぜて、三杯目はお茶漬けにして、三度味を変えて食べるヤツ。今日もこの食べ方で鰻を堪能してまいりました。 歌人の斎藤茂吉は鰻が好きで、鰻を食べる前と食べた後では目に映る町の風景すら違って見える、より鮮やかに見えると言っていたそうですが、まさかそこまでの効果があるとは思えないけど、でも、「鰻を食べたのだから、スタミナが増した」くらいの心持にはなるかな。 ということで、週末は暑さに負けず、原稿書きに励もうかな。
June 20, 2025
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今日は、生まれて初めて、ベルギー人と友達になりました。 すごくない? ベルギー人って、日本にいてなかなか会えないじゃん? だから、ベルギー人ってどういう感じなのか、よく分からない。アガサ・クリスティーの小説に出て来るエルキュール・ポワロくらいしかベルギー人、知らないもん。 ではなぜベルギー人と知り合いになれたかというと、うちの大学に非常勤講師で英語を教えに来ている人だったから。この人が、私に会いたいとわざわざ言ってきたので、一緒にコーヒーを飲んで雑談したのよ。 このT先生、日本に来てもう12年くらいだそうで、奥様は日本人。お子さんはお嬢さん二人。 ベルギーっていうと、チョコレートが美味しいということくらいしか知らないと言ったら、「ビールも有名だよ!」と言ってました。ドイツと同じように、「ビール祭り」というのがあるのだそうですが、ドイツ人とは異なり、大ジョッキでビールを飲むようなアホな真似はしないとのこと。「大ジョッキで飲んだら、飲んでいるうちにぬるくなるじゃん! ビールはキンキンに冷えた状態で飲まなくちゃ!」ですって。 で、「イギリス人は生ぬるいビールが好きだよ」と言ったら、「それは知らなかった!」と。 キンキンに冷えたビールが好き、ということも含め、ベルギー人は日本人に嗜好が似ているところがある。 たとえば「礼節を知る」とか「遠慮がち」というところも日本人そっくり。 うちの大学の専任の先生と共著で論文を書いているというので、共著じゃなくて、単独で書いた方がより自分の実績になるから、共著なんかやめちまえ、とアドバイスしたら、「でも、その先生が『こういうテーマで論文書けば?』と誘ってくれたので、その先生へのリスペクトを表わすためにも共著の方がいい」と。 うーん! 奥ゆかしい! 「俺が、俺が」のアメリカ人とは大違いだねえ・・・。 ちなみに、ベルギーの公用語はフランス語、ドイツ語、オランダ語の3つ。なにしろ母国語が3つもあるもんで、同じ国民同士で話す時も間をとって英語で話すことも多いのだとか。 だから、T先生の英語も、第2外国語としての英語なわけ。だからT先生と英語で話すのは楽でいいよ。向こうもこっちも完璧なネイティブの英語じゃないんだもの。そう考えると、イギリス人やアメリカ人の先生と英語でしゃべるより気が楽。 ということで、とにかく、ベルギー人と友達になれたというのは、結構、面白い経験でした。
June 19, 2025
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今日は、さることがありまして、久しぶりに花束を買いました。 以前は自宅近くにいい花屋さんがありましてね。そこにはすごくセンスがいい店主がいらしたので、たとえばバラならバラを中心にいくらくらい、あるいはチューリップならチューリップを中心にいくらくらい、と伝えておけば、いい具合にセンスのいい花束を作ってくれた。 だけど、数年前にその花屋さんが店を閉じちゃいましてね。高齢ゆえに。そこから、私の花屋難民時代が続いていると。 あのね、花屋って、どこも同じように見えて全然違うからね。店によってセンスが全然違う。 で、自宅近くの花屋さんが店を閉じて以来、あちこちの花屋さんで花束を買うのだけど、ろくな花束になったことがない。以前のように、頼んでおけば勝手に素敵な花束ができる、なんてことが一度もないのよ。 で。 で、今日はもう、店の人に頼まないことにしたんですわ。もう、自分で花を選んで花束を作ることにした。 今、「仕方なく」みたいな言い方しちゃったけど、実はこれ、私の若い頃からの夢でね。自分で花を選んで花束を作るというのが。 昔観た『アンダー・ザ・チェリー・ムーン』という映画で、主人公を演じたプリンスが、花屋で花束を作るシーンがある。ほんとに無造作に「これ、これ、これ」みたいな感じで花を選ぶんですけど、あれに憧れましてね。いつか、アレを自分でもやってみようと。 だけど、実際に花屋に行くと、なかなかできないのよ。恥ずかしくて。で、ついつい、店の人に頼んじゃっていたわけ。 でも、今日は意を決して、自分で選びましたよ。プリンスみたいに「これ、これ、これ」みたいな感じで。一瞬も迷わず。 そしたら、素晴らしい花束になりました。 もちろん、まぐれじゃないよ。ワタクシにはワタクシの理論があるからね。 ではその理論とはなにか。 あのね、キレイな花束を作るにはコツがあるのよ。それはね、「白い花、青い花、オレンジの花+緑色の何か」の4色で構成するということ。そしてそれぞれの色を構成する花の形を変えること。 で、今回はこの理論を実地に試し、ものの見事に成功した、というわけ。賢いでしょ? というわけで、今日は念願の「自分で花束を作る」という夢を、ついに私は実現した次第。 そして、家に帰り、家内から満面の笑みを引き出したのでした。めでたし、めでたし。
June 18, 2025
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大相撲、元大関の増位山さんが亡くなりました。享年76。力士は早死にするケースが多く、76歳ならまだいい方というところもありますが、平均寿命から言ったらまだあと数年は行けたはず。やはり、早いお別れということになってしまいました。 増位山というと、ソップ型でスタイルのいい、二枚目力士。そして業師というイメージがある。それも、旭国のような堅いイメージの技というより、やわらかく優雅な技。 昭和の相撲ですから、増位山の場合も外掛け・内掛けといった足技が多かったし、内無双のような一瞬で決まる華麗な技も、いかにも増位山という感じがしましたねえ。 あと、華麗と言えば、なんといっても「上手投げ」ね。 増位山の上手投げは、ほんとに独特で、どちらかというと「上手出し投げ」に近い。でも、何か、引きずるように投げるので、出し投げというよりは、むしろ引き投げという感じがする。「上手引き投げ」なんて技の名前はないですけど、もしどうしてもつけるとすれば、そんな感じかなあ。 それもね、内無双と同じで、一瞬で決まる。四つに組んで、状況が硬直したかなと思いきや、次の瞬間、一瞬のタイミングで引きずるように上手投げをうち、瞬間的に相手を土俵に這わせてしまう。観客の誰もが「え?」と思うような、それほどインパクトのある上手投げでした。 子供の頃、相撲好きだった私は、あの増位山の上手投げがやりたくてねえ。なかなかそう上手く、増位山のようには行きませんでしたけどね。 現役の時から歌のうまさでは定評があり、たしかミリオンセラーの曲もあったような。力士の中には歌の上手い人が少なからずいますが、最もプロに近かったのは増位山じゃないでしょうかね。甘いマスクも手伝って、まさにムード歌謡という感じでしたから。 大関としての在位は短く、決して大成した力士ではなかったけれど、どこか華のある力士ではありました。そんな、私の子供の頃のあこがれの力士の一人として、増位山関のご冥福をお祈りいたします。合掌。
June 17, 2025
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最近、YouTube 動画で「古着」に関するものを見るのが楽しくて仕方がない。これこれ! ↓Forza Style つぼウォーク いい歳のおっさんたちが寄ってたかって古着を見たり買ったりしているのを見ていると、楽しそうだなあ!と。 で、実際に私も古着ショッピングしてみたくて、実家に帰ったら、下北沢とか高円寺とか、古着の聖地に行ってみようと決意しているんですけど、自宅のある名古屋となると、大須あたりまで行かないとちゃんとした古着屋さんはない。 でも、ちゃんとしたのでなくてもいいから、古着屋を覗いてみたいという思いが強まったもので、昨日の日曜日の夜、ちらっと家の近くにある「2ns Street」に行ってみました。まあ、古着界のブックオフみたいなもんですな。 でもね、行ってみたら、結構楽しかった! まあ、古着屋ってのは、言ってみればセレクトショップですからね。ユニクロに行ったら、ユニクロの服しか売ってないけど、2nd Street に行けば、何が置いてあるかわからない。そこが面白い。 別にヴィンテージというわけではないけれど、色々なタイプのリーバイスやラングラーなどを試着したりしてね。 面白い、面白い。サイズさえ合えば、ブランドものジーンズが格安で買えるわけだし。 ということで、日曜日の夜のちょっとした散歩がてらの古着ショッピングをして、結構楽しかったのでした。 でも、次はもっと本格的な古着屋に行ってみたいな! バーバリーのコートとか、ジョン・スメドレーのポロとか、フレンチ・ラコステとか、はたまた軍パン(グンゼのパンツじゃないよ!)とか買っちゃおうかしら。
June 16, 2025
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世界柔道柔道ブダペスト大会、阿部詩が優勝、阿部一二三が銅メダルとなって、そこが話題になっておりますが、いやいや、それどころじゃないでしょ。男子66キロ級、すなわち阿部一二三と同じ階級で、阿部に代わって優勝した武岡毅。こいつはスゴイよ。 いままでノーチェックだったけど、今回、武岡毅の試合ぶりを YouTube で確認して仰天。強い! まず技が多彩。日本人選手によくあるように、特定の得意技、たとえば内股とかにこだわることなく、その瞬間その瞬間で一番効果的な技を繰り出している。特に足技がスゴイし、チャンスと見れば巴投げも繰り出す。しかもその技がすべてキレッキレよ。まあ、切れ味鋭い。さらに体幹が強く、パワーのある外国人勢に負けてない。 で、これまた日本人選手によくあるように、ちゃんとした組手にこだわらない。釣り手、引き手、両方持つまで攻めない、なんてことはない。外国人勢がよくやるような、たとえば奥襟を摑むとか、背中を摑むような変則技を自分から出したりする。しかも、それで極め切るんだから大したもの。 いやはや、こうなってくるとこの階級、阿部一二三の一人勝ちではないよ。次のオリンピック、阿部一二三が選考落ちすることだってあり得ると見た。それほど武岡毅は強い。 とにかく、今回の世界柔道で優勝したのは決してまぐれではありません。武岡は強い。柔道ファンとしては、今後の武岡から目が離せなくなりました。
June 15, 2025
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木村幹さんが書かれた『国立大学教授のお仕事』という本、ちょっと前から読み始めて、ちょこちょこ読み継いできたのですが、ようやく読み終わりました。 前にもちらっと書きましたが、木村さんと私はほぼ同年代。ほとんど同じ頃に地方国立大学に就職し、30年以上を国立大学教員として過して来た。だから、この30年ほどの間に国立大学が法人化され、生き残りにアップアップするようになってしまった経緯を一緒に見てきているわけですよ。 だから、「国立大学教授」が今、何をしているのか、その仕事とは何なのか、ということに関しては、まったく異議なし、という感じ。私に言えるのは、「そう、そう、そうだよね」の一言。 そういう意味では、面白い本でした。国立大学の何たるか、そこで教授として勤めるとはどういうことかを記した本としては、過不足のない、充実した本だと思います。 だけど、全部読み終わって、一息ついて、それで振り返って見ると、「ん? で、この本が言おうとしていることは何?」という疑問が浮かんでくる。で、そのことを思い始めると、途端にこの本のことがよく分からなくなってくるというね。 たとえば、「国立大学の内実って、どういう感じなんだろう。国立大学の教授の生活ってどんな感じなんだろう。私もいつか国立大学の教授になってみたいので、事前に国立大学の様子が知りたいなあ」と思っている人がいるとしたら、この本は大いに参考になります。 参考になる、というのは、今日日、教授の仕事っていうのがいかに忙しいか、本業以外の雑務に追われるものか、いかに国立大学にお金がなくて困窮しているか、なんていうことがよくわかるから。 だけど、じゃあ、この本は、そういう国立大学の実態を批判しているのか、というと、そうでもないんだなあ・・・。 もしね、国立大学と、教授の実態を世の中に晒して「今、国立大学はこんな有様になっとるんじゃ! これ、みんな文科省の教育行政のアホさのおかげだ! 反省しろ! そして、ここをこう直せ!」と主張しているのだったら、理解できるのよ。理解というか、共感ができる。 だけど、この本は、そういう日本の文部行政への批判の書ではないんだなあ・・・。 むしろね、「状況は大変だけど、その中で自分は自分なりに頑張っています」という部分が強い。 大学にお金がないから、大学教授といえども、象牙の塔に籠ってばかりはいられないので、私なんか、関西財界とか、海外の学術団体などにも顔つなぎして、色々貢献したりして、そういう営業をして研究資金を取って来ていますよ、とか。 執行部に入ると、研究以外にも仕事が無限に増えるけど、指名されちゃったので、仕方がない、なんとかこなしています~、とか。留学生の面倒も見なくてはいけないので、英語で授業もしなきゃいけないんだけど、なんとかやってます~、とか。 要するに、どこを読んでも「大変だけど、自分は有能だから、何とかやってますよ、アッハッハ」という話なのよ。それって、木村先生の自慢話ってことでしょ? 本書のタイトル『国立大学教授のお仕事』の、「お仕事」という言い方からしてちょっとチャラいけど、そこにそこはかとなく漂うふざけた感じの背景には、そういう自慢話へのいささかの照れ隠しがあるような気がする。 だから、この本はどういう種類の本なのか、ということを考えていくと、結局、「一人の有能な大学教授の生活」ということになるんだろうなと。そこまで言うと、ちょっと言い方がキツくなるかもしれないけど、読後感としては、そんな感じ。 まあ、木村先生は韓国政治についての立派な研究業績のある方ですから、この本はほんの手慰みなのでしょう。それにしても、ここまで国立大学の現状を書くのだったら、もう少し、批判的な観点から、「このままじゃ、日本の大学は廃れるよ」という感じの、警鐘をならす本にしてもらいたかったな。これこれ! ↓国立大学教授のお仕事 とある部局長のホンネ (ちくま新書 1852) [ 木村 幹 ]
June 14, 2025
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つい先日、スライ・ストーンの追悼記を書いたばかりなのに、また追悼記を書かなくてはなりません。ビーチ・ボーイズの・・・リーダーと言っていいでしょう、ブライアン・ウィルソン。これがまたスライと同じく享年82。 泣く子も黙るビーチ・ボーイズですが、私が彼らのファンになったのは、この10年くらいなものかな? もちろん、昔から知ってはいましたが、「ファン・ファン・ファン」とか「サーフィンUSA」とか、そういう系統のとっぽい兄ちゃんたちの歌、というイメージが強くて、そこまで強い思い入れはありませんでした。 それが変わったのは、かの名アルバム、『ペット・サウンズ』をじっくり聴いてから。 あまり色々なところで、『ペット・サウンズ』が激賞されるのを読んで、それほどいいのかな?と思い、聴いてみたわけですよ。 最初は良さがあまりわからなかった。ところが、その頃丁度クルマでの出張が何日か続き、その間、集中して、移動距離にして500キロくらい連続して聴いたんですわ。 とっかかりは「ゴッド・オンリー・ノウズ」という曲。何度も繰り返し聴いている内に、ある時、突如としてこの曲が分かった。それこそ、「あーーーーーーー!」ッという感じで、いきなり分かったの。そうしたら、まるで目から膜が落ちるように、そのほかの曲も全部分かった。で、ブライアン・ウィルソンが圧倒的な天才だということも分かった。 そこからよ。ビーチ・ボーイズに狂い出したのは。ファンとしては本当に遅いデビュー。でも、ファンになりそこなうことはなかった。そこはラッキーでした。 そういう意味で、私にとってビーチ・ボーイズ、そしてブライアン・ウィルソンは、過去の人どころか、バリバリ現役の人だったんです。今、まさに旬の人(たち)という感じ。だから、ブライアンが亡くなったという報は、私にとっては寝耳に水の衝撃でございます。 でも、あれだね、こういう天才と、少なくとも10年、一緒に並走できたというのは幸せだったのかもね。 ということで、一人の大分遅れてきた熱狂的ファンとして、天才ブライアン・ウィルソンのご冥福をお祈りいたします。「ゴッド・オンリー・ノウズ」の無限上昇メロディーに乗って、彼の魂が天国に行きますように・・・。合掌。これこれ! ↓God Only Knows
June 13, 2025
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ネットフリックスで『炎のデス・ポリス』という映画を観たのですが、これが意外なほど面白かった。タイトルからしてB級映画の雰囲気プンプンで、実際にそうなんですけど、結構手に汗握る展開で、映画の楽しさという点から言うと、相当高得点なんじゃないかと。 映画の舞台はネバダ州の片田舎にある警察署。どこにでもありそうな、緊張感抜け抜けの警察署なんですが、ここに黒人女性で極めて有能な新人警官が配属されると。 で、近くのカジノで喧嘩騒ぎがあるとの通報を聞いてヴァレリーと同僚が駆けつけたところ、喧嘩のどさくさに紛れてヴァレリーが一人の男から殴られてしまう。そこでヴァレリーはこの男を逮捕し、とりあえず留置所にぶち込むのですが、見るとこの男、怪我をしている。 一方、同じ日に、別の警邏警官たちが酔っ払ってクルマを危険運転していた男を逮捕してきたので、この男もとりあえず留置所に入れることに。 ところが留置所に入れられたこの男二人、実は訳ありで。 最初にぶち込まれたテディという男は高級な詐欺師で、なんとマフィアのボスを騙して今、追われる立場にあり、殺されそうになったので警察署に避難したんですな。一方、後から来たボブという男は殺し屋で、まさにテディを殺すためにわざわざ逮捕されていた。かくして、留置場の中でボブはテディを殺すことになるのか・・・ …と思いきや、有能なる新人ヴァレリーが、どうも二人の男の逮捕の経緯がどうもおかしいと気づき、動き始めるわけ。 ところがそこに第二の殺し屋、ラムがやってくる。こいつはボブよりもさらにサイコパスなヤツで、テディを殺すために、既にこの警察署の多くの警官を殺しているわけ。 で、ヴァレリーもあやうくラムに殺されかけるのですが、間一髪、留置所に逃げ込むことに成功。しかしその過程でヴァレリーは負傷してしまう。 かくして留置所の中に、詐欺師と殺し屋と共に閉じ込められ、大けがをしたヴァレリーは、サイコパスな殺し屋ラムの猛攻をしのぎ、無事に脱出できるのか?! …というようなお話。 実際には、このほかにさらに複雑な身内の裏切りなんかもあって、見ている側はハラハラ、ドキドキのしっぱなしよ。B級映画の魅力満載でした。 いやはや、こんなところに掘り出しものがあったとは。『炎のデス・ポリス』なんていうタイトルでは、観る気が失せるかもしれませんが、観れば実に面白い映画ですので、未見の方、そしてネットフリックスに加入している方は是非! 教授の熱烈おすすめ!です。これこれ! ↓『炎のデス・ポリス』公式HP
June 12, 2025
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小谷輝之さんが書かれた『本をともす』という本を読了しましたので、心覚えをつけておきましょう。 小谷さんは元々出版社にお勤めだったのですが、50歳の時に独立し、小さな書店をオープンすると同時に、ひとり出版社「葉々社」を起ち上げられ、本の出版と販売に着手された人。で、『本をともす』は、出版社勤務時代のことも含め、どうして小谷さんが、この書店不況のさなかに新たに本屋さんの経営に乗り出され、ひとり出版社までスタートされたのか、その辺の経緯が縷々綴られております。 ま、私はこの種のひとり出版社奮闘記に弱いのでね。つい買って読んでしまうという。 そりゃね、本好きの人間ならば共感してもらえると思うけど、本好きってのは、自分の好きな本を自分自身の手で作ったり売ったりしたいものなのよ! 心の奥底で、そんな風な夢を漠然と持っているものなの。 でも、たいていはそれは夢で終わるわけね。だからこそ、自分と同じような夢を実際に叶えた人の話って、つい、身を乗り出して聞いてしまうという。 で、私もそんな感じで、私の夢を叶えた赤の他人である小谷さんの奮闘記を、非常なる興味を持って読ませていただきました。 だから、「ふうむ、書店の開業資金ってのは、このくらい必要なものなのか・・・」とか、「やっぱ、店舗を借りるとなったら、「東京R不動産」から借りるのがいいよなあ・・・」とか、「月500冊売ると、なんとか経営が回るのか・・・」とか、「イベントやると、けっこう、売り上げに響くんだな・・・」とか、色々参考になることをメモメモ。(メモしてどうする?!) あと、アメリカ文学研究者で翻訳家の柴田元幸先生は、葉々社のイベントにもあれこれ参加して、尽力していらっしゃるのか・・・など、同業の先輩のお噂にも興味津々。 また、実際に書店を経営してみて、日本の本の販売システムがいかに良くないか、ということを実感された、ということも小谷さんは書いておられる。要するに、本を売った場合、その売り上げにおける書店側の取り分が少ないんですな。これでは、日本中で個人経営の書店が次々とつぶれていくのも無理ないと。 小谷さんはそこで、「大手出版社自体が、書店を経営してみればいい」と提案されているんですけど、確かにそうだよね! 出版社が書店を経営すれば、いかに今のシステム上で書店を経営するのが難しいか、すぐにわかるだろうと。 本来、出版社が出す本は、書店を通じて売られるもの。だから、書店がつぶれるということは、出版社にとっても打撃であるはずで、だから、本を売った利益の配分を見直し、書店の取り分を多くすることは、長い目で見れば書店側にとっても利益になるはずだ、という小谷さんの主張は、とても理にかなっていると私には思えます。 しかし、本書のキモはそういう批判ではない。 小谷さんは、こういう難しい商環境の中で、色々なイベントを打ったりしながら、何とかお客さん(読者)の顔が見える書店経営を続けておられる。結局、書店経営というのは、そういう、顧客との一対一の信頼関係以外ないんだよ、ということを、日々、感じながら工夫を続けられている、そこがこの本の感動的なところなのではないかと。 葉々社があるところは、東京の梅屋敷というところで、私の実家からはちょっと遠いのですが、いつか実家に帰った時に足を延ばして、この本屋さんを訪れてみようかな。もし私の本を売っていてくれたりしたら、サインしちゃうよ! ということで、心の奥底に自分の本屋、自分の出版社を起ち上げたい、なんていう叶わぬ夢を持っておられる読書家諸氏には、この本、熱烈おすすめ!と言っておきましょうかね。これこれ! ↓本をともす [ 小谷輝之 ]
June 11, 2025
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あー、ついにこの日が来てしまった。アメリカのファンク・ミュージックの創始者とも言うべきスライ・ストーンさんが亡くなりました。享年82。 スライ&ザ・ファミリー・ストーンを率いてファンク・ブームを作り上げた功労者。なにしろ1960年代に黒人・白人・男・女混成バンドを作り上げたところだけでもすごいけど、なによりもその音楽が素晴らしかった。「In Time」「Thank You」「Family Affair」「Dance to the Music」「Everyday People」「If You Want Me to Stay」「Runnin Away」などなど、名曲が多すぎて数え上げられない。若き日のプリンスがこの人の強い影響を受けたのも当然。 かくいう私は、よほど後になってからスライのファンになったのですが、とりあえずアルバムは全部持っているかな。まあ、どれを聴いてもすごいですよ。 アメリカでブラック・パワーが叫ばれた時代、その時代に逆行するように黒人・白人混成バンドを率いていたということで、黒人社会から相当な批判を浴び、次第に精神を病み、クスリにおぼれ、創造性を失っていって、晩年はあまりよい生活はできなかった。本当に悲しいことだと思います。 ドラムの腕が素晴らしいから、白人ドラマーのアンディー・ニューマークを自分のバンドに連れてきて、あの「In Time」のものすごいファンク・ドラムを演奏させただけなのに、それで批判されるなんて、今だったら考えられないですよね! 寂しい晩年になってしまったけど、スライ・ストーンがファンクという音楽を作り上げた事実は決して色あせることがありません。今日はスライのアルバムを聴いて、彼の功績をあらためて検証しつつ、そのご冥福をお祈りしたいと思います。合掌。スライ・アンド・ザ・ファミリー・ストーンの名演奏、「ケ・セラ・セラ」と「In Time」 ↓「ケ・セラ・セラ」「In Time」 (←アンディー・ニューマークのドラムに刮目せよ!)
June 10, 2025
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昨夜、バンタム級王座統一戦、中谷選手対西田選手の試合、ご覧になりました? すごかったね! 前評判では、中谷選手の圧勝が言われていて、私も多分そうなるだろうと予想しておりました。 で、ゴングが鳴って第1ラウンド、いきなり中谷選手の猛ラッシュですよ。バッスン、バッスン、パンチの音がスゴイ。あれ、中谷は1ラウンドで試合を終わらせるつもりなのかな?と。 だけど、西田選手。素晴らしかったね。1ラウンドの猛攻に耐え、少し戦況が落ち着いた2ラウンド以降、コツコツとパンチを当て始めた。ぶん回す中谷選手の派手なパンチと比べると地味ですけど、あれ、結構効いているんじゃないかと思わせるところも。 で、第3ラウンド、第4ラウンドと進行する中で、確かに中谷選手の攻勢は変わらないんだけど、西田選手も決して引いてはいない。そのうちに自分自身のラッシュに疲弊したのか、中谷選手の手数も少し減って来て、しかも空振りも多くなってきた。 あれ? ひょっとして、意外や意外・・・? と思ったのですけれども、残念ながらそこまで。中谷選手の左パンチの影響に加え、バッティングもあったりして西田選手の右目が腫れ上がってしまった。右肩の脱臼もあり、西田サイドが試合を棄権して万事休す。結果としては前評判通りとなってしまいました。 しかし、西田選手は頑張りました。途中、観客の間からものすごい西田コールが沸き起こりましたからね。観客の大半は中谷選手のファンだったかもしれないけど、西田選手の健闘ぶりは彼らにも伝ったはず。なかなか気持ちのいい試合となりました。チャンピオン同士の決戦としては、見ごたえのある試合だったのではないでしょうか。 で、この試合を見ながら思っていたのだけど、今後、中谷選手が一つ階級を上げて井上尚弥選手と対戦することがほぼ決まりになっているじゃん? あれ、今まで「ひょっとして若く勢いのある中谷選手がジャイアント・キリングをするんじゃないの?」なんて、井上尚弥ファンとしてはちょっと心配していたんですけど、今の調子ならそれはないなと。 確かに中谷選手はパンチはあるけど、結構大振りだし、案外、スタミナがないような気がする。しかも、意外に打たれ弱いのではないかと。 井上尚弥選手は、ディフェンス面で上手いと言われている西田選手をはるかに凌駕するからね。そうまともに打たれるはずがない。一方、中谷選手は西田選手のパンチを結構もらっていたけど、井上尚弥選手のパンチを一発でもくらったら、その時点で試合が終わっちゃうからね。 中谷選手、確かに強いけれど、まだまだ井上選手を脅かすレベルの選手ではないな、と、今回の試合を見て私は思いました。ホッとしちゃった。 さて、メイン・イベントの前に行なわれた那須川天心選手の試合にも一言。 今回の試合に関しては、危なげない試合運びぶりで、3対ゼロのジャッジも納得。だけど、いかんせん、相変わらずパンチがないなと。しかも、ちょっと疲れてくると足を使わずに打ち合っちゃうので、パンチのあるチャンピオンと闘って勝てる見込みがあるかと言われると、ちょっとね・・・。今日の試合でも、最終ラウンドなんて、両者子供のケンカみたいなヘナヘナ大振りパンチの応酬で、ちょっとカッコがつかなかった。その後に行なわれた中谷・西田戦の本物感と比べると、ちょっとレベルの違いが大きすぎましたね。 パンチってのは、練習してつくものでもなく(練習でつくくらいだったら、世界ランカー級のプロボクサー全員がすごいパンチの持主ということになるはず)、おそらくは天性のものなのでしょうが、どうも天心選手にはそれがないなと。 でも彼も一生懸命努力して、一歩ずつ階段を上がっている途中なので、応援はしています。頑張って欲しい。 とにかく、昨夜の中谷・西田戦、堪能いたしました。面白かった!
June 9, 2025
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山下賢二さんの書かれた・・・ていうか、聞き書きされた『喫茶店で松本隆さんから聞いたこと』という本を読了しましたので、心覚えをつけておきましょう。 この本ね、春に小淵沢にドライブした時、「のほほん Books & Coffee」という小さな本屋さんで見かけ、買っておいたもの。この本屋さん、小さい本屋さんですが、セレクトが良くて、何となく読んでみたい本が沢山置いてある。それで思わず買っちゃったんですけど、それと同時にこの本を出版しているのが「夏葉社」だったということもある。夏葉社は、本好きからすると、ちょっと捨て置けない本を出すところなのでね。これこれ! ↓【中古】 喫茶店で松本隆さんから聞いたこと/山下賢二(著者) さて、この本は京都周辺の喫茶店の名店で、はっぴいえんどのドラマーで作詞家の松本隆さんから聞いた話を聞き書きするという趣旨の本。現在、松本さんは関西在住なので、地元ゆえのリラックス感もあり、肩肘張らない話が聞けたと。 だから、そんなに力んだ言説ってのはないのだけど、さすがに斯界で名を成した人の雑談ゆえ、一つ一つの短い談話が面白いのよ。この薄い、小さな本には似合わず、意外なほど面白かったというべきか。 たとえばさ、松本さんの仕事である「詞のつくり方」という一節。こんなことが書いてある: 詞のつくり方を順を追って説明すると、まずタイトルを考えるときに、同時に大雑把なテーマを考えてる。 大事なのは季節、それとどこにいるか。5W1H、だいたいそれはぼやっと考えてる。When と Where と What「何をしてるか」、Who「誰に」、Why「なぜ」、How「どのようにして」。当たり前すぎてつまらないかもしれないけど、これがまず基本にある。 たとえば、「雨のウェンズデイ」だったら、いつ? 「午後くらい」。どこで? 「海辺」。誰が? 「自分」。何をしてるか? 「ワーゲンのボンネットに座ってる」。なぜ? 「恋愛感情の複雑な日だ」。どのようにして? 「黙りこくってる二人がいて」。まあ、こうやって考えていくわけ。 なるほどねえ。作詞家って、こうやって詞を考えていくわけだ。このほか、人称代名詞は使わないとか、否定形は使わないなど、松本さんの作詞ポリシーなども面白い。 あと、たとえばこんなのどう? 新人歌手発掘の話: 当時、うちの新人の詞をを書いてくれってのは、多方面からいっぱい来てた。そのなかからどうやって選ぶかっていうと、たいてい写真がついてくる。でも参考にならないの。みんなかわいいから。写真を見ても差異がわからない。 結局、なんで選ぶかっていうと、声。歌の上手い下手もあんまり関係ないの。上手くても売れない人ってたくさんいる。きっとおもしろくないんだと思う。じゃあ、何がおもしろいかっていうと、声質かな。 太田裕美の場合は、一見欠点なんだけど、舌ったらずな感じがすごくよかった。あと楽器が弾けるってこと。 これも、なるほど~、だよね! そのほか、こんな一節も面白かった: 負のエネルギーがあるとしたら、それはマイナスだから、プラスでは絶対プラスに置き換えられない。マイナスを制覇しようとたら、マイナスをかけるしかない。数学だよ、単純に。 たとえば、誰かが問題を起こして、その人を助けたいとき、いくらこの人はいい人ですって言ってもみんなにはわからない。その子にいくらプラスをかけてもマイナスにしかならない。だから、マイナスにはマイナスをかける。そういう詞を書く。そうすると、その歌手が立ち直るきっかけをつくれることがあるし、その人の代表曲になることもある。 こういうのは経験だよね。本にしても、映画にしても、漫画にしても、モデルケースは無数にあるわけで、何かで学んだことなんだと思う。 ふうむ、いいこと言うねえ! ・・・とまあ、ページをめくるたびに、目の覚めるようなことが書いてある。いやはや、素晴らしい。そして、この本を無造作に選んでしまうワタクシの眼識にも感動! (また自画自賛かよ!) とにかく、松本隆、只者ではないな。もうこうなったら、はっぴいえんどのアルバムとか全部買っちまうか。LPで。それに、松本隆さん本人が書いた本も結構あるようだから、この先、あれこれ読んでみようかな。いい本よ、これ! ↓【中古】喫茶店で松本隆さんから聞いたこと /夏葉社/山下賢二(単行本)
June 8, 2025
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ジェームズ・ドゥティという人の書いた『人生の扉を開く最強のマジック』(原題:Into the Magic Shop, 2016)という本を読了しましたので、心覚えをつけておきましょう。 これ、私の分類から言うと「引き寄せ系自己啓発本」ね。引き寄せ系って、インチキ臭い話が多いのだけど、これは、著者の実績からしてリアル・ガチなヤツ。珍しいよね。そういうのって。特に最近のものだと、あまり例がないので。 では、その実績たっぷりのドゥティという人はどういう人かと申しますと、スタンフォード大学の脳外科医。 本書によると、この人、人生のスタート時点ではあまり幸先よくなかった。親父さんは飲んだくれの暴力野郎で、ほとんど仕事をしたことがない。母親は、そんな夫に振り回されているのだから当たり前だけど暴力に怯え、薬物中毒になりがち。著者の兄貴は体が弱いいじめられっ子で、弟である著者が守らなければならないほど、しかも後にゲイとなり、エイズで死亡。まあ、そんな感じだから家に居ても落ち着いていられない。なにせ、いつ家賃未納で追い出されるかわからないし。 そんな少年時代のドゥティは、手品(マジック)に興味があって、たまたま家の近くにあるマジック用具店に行ったと。そうしたら、そこでルースという年配の女性と出会った。 で、どういうわけかルースはドゥティを見た途端にひらめくものがあったらしいんですな。この子にはマジックが必要だと。マジックというのは、手品という意味ではなく、人生を変えるマジック。で、それを伝授しようとドゥティに申し出る。で、ドゥティは訳が分からないものの、家庭では自分に関心を払ってくれる人なんかいないし、家を少しでも離れていられるならその方がいい、ということで、12歳のそのひと夏、毎日ルースのところに通ってマジックを伝授されると。 ではリースがドゥティに伝授したマジックとは何だったのか。 それは結局、瞑想だったの。ルースはドゥティに瞑想を教えたんです。ステップ・バイ・ステップ方式で。まずは全身をリラックスする方法から始め、心から雑音を取り除く方法、心を開く方法、そしてなりたい自分をイメージし、絶対そうなれると信じる方法。だからこれは瞑想でもあり、引き寄せでもあり、そして一点に集中するという意味では、マインドフルネスでもある。そっち系の自己啓発思想総動員って感じ。で、ドゥティはこれを「一応」マスターし、そしてルースは去っていく。まるでルーク・スカイウォーカーにフォースを教えたオビ・ワンのように。 で、それ以降のドゥティは、まさに引き寄せ的快進撃よ。家族の中で大学に行った人が一人もいない状況の中、カリフォルニア大学アーバイン校に合格。そしてテュレーン大学医学部に進学し、そこから有名なウォルターリードの脳外科で脳外科医になるという夢を果たす。それも、とてもそんなトントン拍子には行かない状況だったのに、まるでルースの魔法が次々と難関のドアを開けてくれたように、あり得ない幸運が続いて夢が叶っていくわけ。 で、ドゥティはもう、無敵感を抱くわけね。まあ、調子に乗るわけだ。で、そんな折、調子に乗った拍子にクルマで大事故を起こし、九死に一生を得る。それでもやっぱり、ドゥティはこの事故をサバイバルするわけ。で、ますます彼は調子に乗る。 で、ドゥティは脳外科医として成功したばかりでなく、最新の外科手術機器の開発にも成功し、総資産7500万ドルという、とんでもない大金持ちになります。まさに飛ぶ鳥を落とす勢いの成金に。生活は乱れますが、そんなこと知ったこっちゃない。 ところが。バブルがはじけ、ドゥティは一夜にして一文無しになる。友達はほとんど去っていきます。 で、そうなって初めて、ドゥティはルースの教えに立ち返るのね。そういえばルースがあのマジックを教えてくれた時、「欲しいと思っているものが、いいものだとは限らない」と言っていたことを思い出す。ドゥティは貧しい出自だったことから、金や名声を欲しいとずっと思って、そのために努力してきたわけだけれども、手に入れた金や名声は一夜にして崩壊するようなものでしかなかった。 そしてもう一つルースが教えてくれたことは、「心を開く」ということ。心を開き、心のコンパスに従えば、正しいことができると。ドゥティは、それをルースから教わった時、その教えだけはピンとこなかったんですけど、こういう状況になってみて、はじめてルースの言っていたことが分かるようになるんですな。 バブル成金から一夜にして一文無しになったドゥティですが、後で良く調べたら、調子に乗ってテュレーンとスタンフォードに多額の寄付をした、その手続きがまだ完了していなくて、今ならまだ相当額のお金を取り戻せることを知ります。しかし、ドゥティはその寄付金を取り戻すことはせず、一文無しの状態から人生をやり直すことを決めます。自分は大金持ちである前に一人の脳外科医なのであり、その技術によって多くの人を救えるはずだと。その原点に立ち戻ればいいだけだと。 そしてその決意の通り、ドゥティは脳外科医として活躍します。そしてルースから教わったことを脳外科医として科学的に解明することを志すんですな。CCAREという団体を起ち上げ、共感・利他ということが脳に及ぼす健康への影響を調べるというプロジェクトを立ち上げる。人間の脳にはあらかじめ、共感ということが組み込まれていると。だからこの本は、科学者の立場から、「共感」とか「利他」、すなわち「親切」ということが人間にとっていかに重要であり、メリットがあるか、を脳科学的に実証しようと試みている本でもあるわけ。 引き寄せ系/マインドフルネス系から親切系へ。自伝系からスタンフォード(大学教授)系/脳科学系へ。この本は、自己啓発本のジャンルを縦横無人に横断する本だったのであります。それに、元来自己啓発本というのは功成り名遂げた人が書くものでありますが、そういう点でもドゥティは自己啓発本を書く資格が十分ある。しかも、一度道を踏み間違えた人が正道に立ち戻るという、放蕩息子系の本でもあるから、面白いっちゃ面白い。教授のおすすめ!と言っておきましょう。これこれ! ↓スタンフォードの脳外科医が教わった人生の扉を開く最強のマジック/ジェームズ・ドゥティ/関美和【1000円以上送料無料】 ところで、先にドゥティが自動車事故で瀕死の重傷を負ったという話を紹介しましたが、この時、ドゥティは臨死体験をしております。で、その話の中で、ヒエロニムス・ボスの「天国最上界への上昇」という絵のことに言及しているのですが、16世紀の異端の画家、ボスのこの絵には、臨死体験者が異口同音に語る光の世界に通じるトンネルのようなものが描かれている。このボスの絵は倫理体験の話をする時にちょっと面白い話題になるので、覚えておこうかな。
June 7, 2025
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読書猿さんが書いたレンガ本、『独学大全』を読了しましたので、心覚えをつけておきましょう。 なにせ752頁+34頁もある分厚い本で、外観だけ見るとたじろぎますが、実際に読み始めるとサクサク読めるので、案外簡単に読み終わりました。 まあ、読み終わるのは簡単なのですが、ここに書いてあることを実践するとなると、話は別よ。実践するのは、至難の業。っていうか、独学だろうと何だろうと、そもそも学問というのは甘い世界じゃないからね。 で、この本のキモは何かというと、「scaffold」の重要性を説いているところ。scaffold というのは「足場」という意味。読書猿さんは「外部足場」と訳していますが。 足場っていうのは、ビルの工事現場などで見かける足場のことね。それを登れば高い所まで行けるっていう、便利な仕掛けでございます。 たとえば、これは読書猿さん自身が出している例ですけど、世に「筆算」というものがある。これは、外部足場の一例であると。 なんとなれば、「筆算」という技法を知っていると、よほど特異な才能がない限り難しい3ケタ以上の数字同士の掛け算とかを、凡人でもできるようになるから。そう、我々凡人は「筆算」という外部足場を使って、不可能に思われる課題をこなしていたわけね。 一時が万事。学問の世界を独学で切り拓いていくためには、色々な外部足場を利用することが必要になってくるわけね。じゃあ、その外部足場は誰が作ったのかといえば、自分より前にその学問を切り拓こうとした人です。過去の学者の業績がそのまま外部足場となるので、後世の学者である自分たちは、そういう外部足場を使って上へ上へと登って行き、その頂上に上がって自分なりの貢献をする。 と、その自分のなした貢献が、今度は外部足場となって、自分より後の学者を助けることになる。こうして人類は、少しずつ進歩してきたわけですよ。 つまり、学問というのは、過去の学者たち(巨人)の肩に乗って、その頂上から世界を眺めることであり、そうして今度は自分もその頂上の一角を構成して、後世の学者たちが乗る肩となることができれば、それがいわば学者が手にできる最高の報酬であると。 これが読書猿さんの学問の世界の在り方であり、それはもう、独学者であろうとなかろうと、全学者にとっての真実ということになる。 では一般の学者と独学者の何が違うかというと、独学者はよくも悪くも自由であるということ。ここが違う。学問を始めるのも自由だし、止めるのも自由。だから、好き勝手にできる反面、ともすると最初の志を忘れて、中途半端なことになりがちであると。 では、どうすれば中途半端に歩みを止めることなく、初志貫徹できるようになるか。ここに本書『読書大全』の存在意義が現れてきます。 かくして、この本は、この後、徹頭徹尾、独学で学問を遂行するためのノウハウを伝授していくわけ。そのノウハウの数はなんと55個。 この徹頭徹尾ノウハウだけ、というのも本書の面白いところで、たとえば「どういう分野を勉強するか」を決定する方法から始まって、ともすればさぼりたくなる勉強をどうやって継続していくかのコツや、個々の学問分野特有の勉強法(例えば語学の習得法とか)などなど、様々なノウハウを教えてくれる。 そういう意味では、この本は独学のための百科全書みたいなところがあって、通読してもいいけれど、それよりも必要な時に必要なところを読む、という読み方もできる。理想的には、一度通読して、その後、時に応じて必要箇所を読むのがいいのでしょうな。 ただ、読書猿さんが教えてくれるのは、ノウハウと言っても、ガチのヤツだからね! 知らないことを調べるノウハウにしても、人文系のプロの研究者(たとえば私自身)ですら、ここまではなかなかやれないよと思うほどの徹底したヤツだから。この本に書いてあることを、全部実践できる人って、そうはいないでしょう。 そこが欠点といえばそうなんだけど、しかし、読書猿さんとしては、この欠点を修正するわけにはいかないだろうからね。修正したら、『独学大全』とは銘打てなくなるだろうし。 っつーことで、とにかく学問の茨の道を示した本であることは間違いない。独学を志す者の心の支えともなり、かつ、技術的な支えともなる本、私も敬意を表して「教授のすすめ!」と言っておきましょう。これこれ! ↓独学大全 絶対に「学ぶこと」をあきらめたくない人のための55の技法 [ 読書猿 ]
June 6, 2025
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頭木弘樹さんが書かれた『絶望読書』という本を読了しましたので、心覚えをつけておきましょう。 この春、信州方面に旅行に行った時、ホテルで迎えた朝、テレビをつけたら頭木さんが登場していましてね。で、そこで頭木さんは、ご自身が若い頃、大病して絶望していた時、カフカの本を読むことで立ち直れた、なぜならカフカも絶望ばかりしている人だったからだ、というような趣旨のお話をされているのを聴いたんですわ。で、面白そうだなと思ってこの本を買って読んでみた次第。 結果から言いますとね、この本、すごくいい本でした。話題になったのも納得。これこれ! ↓絶望読書 (河出文庫) [ 頭木 弘樹 ] どの章もとても良かったのですが、私が特に感銘を受けたのは冒頭の第一章。 その中でも特に印象的だったのは、23ページに登場する「レベッカ」という19歳の女性をめぐるエピソードね。 レベッカは、少々知的障害がありまして、そのため現実生活に対応できず、いつもおどおどして、不安そうにしていたんですって。 ところがある春の日、レベッカが診療所の庭のベンチにすわっているところが目撃される。その時のレベッカは、いつものおどおどした様子ではなく、いかにも楽しそうに、少し微笑みながら春の一日を楽しんでいるようだった。それはもう、他の19歳のうら若き乙女と少しも変わらない様子だったと。 ではなにかレベッカを変えたのか? 「物語」だったそうです。レベッカは、春の新緑の頃を描いたある物語を読んだことがあり、その一節を思い出しながら、目の前の春の風景を楽しんでいた。つまり、「物語」という準拠枠がレベッカにはあったので、それを使って現実を十分に理解することができた。物語を一旦通過していたので、それを通して現実を観ることで、現実は彼女を脅かすものではなくなっていたんですな。 だから、「物語(フィクション)」というのは、人間に必要なものなのだ、と頭木さんは言います。意識はしないけど、誰だってレベッカと同じように、フィクションを経験していることで、それを使って現実を理解しやすくできるし、誰もが実際にそうしているのだと。 このレベッカの話、すごくいいなあと思うんですよね。 実際、人間って、物語の準拠枠を通して世界を見ているなって思いません? で、一旦そのことに気づくと、実際そうだ、否、それどころか、「そういう傾向がある」というのではなくて、100%そうだなって思いませんか? このことがどうして私をかくも納得させたかと言いますとね、私が研究している自己啓発思想の中に、この頭木さんの主張と同じことを言っているものがあるから。 自己啓発思想の中には、「客観的に存在する世界などない」と言っているものがある。あるのは「あなたが創り出す世界」だけだ、と。あなたにとってこの宇宙に実際に存在しているのはあなた一人であって、あなたの周りには、大勢人がいるように見えるけれども、実際には誰もいないのだよと。 ね。こう言うと、スピリチュアルっぽいというか、馬鹿馬鹿しいと思うでしょ? だけど、この自己啓発思想が言っていることというのは、頭木さんが言っていることと同じね。つまり、人間は、誰しも、自分が持っている物語(フィクション)を通して世界を見ているのだと。だからその世界はフィクションなのであって、ファクツではないのね。客観的な世界ではない。 で、フィクションとしての世界とファクツの世界が齟齬をきたすことがあります。自分的には順調だと思っていた世界が崩壊することがある。たとえば頭木さんのように、突然重病になるとか。あるいは結婚を約していた相手が死ぬとか。 そうなった時ですら、ファクツとしての世界は一部しか変わっておりません。重病になったこと、婚約者が死んだことだけが変わったのであって、そのほかの部分では、いつも通り、そのまんま。 だけど、人間はフィクションを通じて世界を見ているので、当人にとって、自分が重病になった時点で、あるいは婚約者が死んだ時点で、世界は崩壊しているわけよ。 で、世界が崩壊した結果どうなるかっていうと・・・そう、その人は絶望するわけ。もう、何も楽しくない。ファクツとしての世界が春だろうと、その人のフィクションの世界では暗黒の真冬なんだから。 ほら、人間って、客観的な世界に住んでないでしょ? 人間にとっての世界は、その人にとってのフィクションでしょ? 自己啓発本が「客観的な世界なんかない」と主張するのは、だから、実にまともなことを言っているんですな。 だけど、その「人間はフィクションの世界にしか住んでいない」というのが、ある意味では救いなのね。なぜなら、フィクションは書き直せるから。重病になったらなったで、婚約者が死んだのなら死んだで、そこから新しいフィクションを書き継げばいい。それができた時、その人は再生するはず。 ところがすぐにフィクションを書き継げるほど、人間は強くない。だから、絶望したならしたで、その絶望の時期をある程度の時間、過すことが重要だと、頭木さんは言います。急ぐなと。 で、その絶望の時期に何をすればいいかというと、やはり同じように絶望した人の物語を読めと。 ただその絶望の物語は、やっぱりフィクションがいいんですね。 なぜなら、絶望のファクツだけで構成された本って、実際にはそんなにないから。それにファクツとしての絶望本は、それ自体、絶望を加速させるかもしれないし。 だからむしろそういう時は、フィクションとしての絶望本を読むのがいい。カフカでもいいし、ドストエフスキーでも。そうすると、そのフィクションを準拠枠として使って、過酷な世界を理解することができる。ちょうどレベッカが、春の物語を事前に読んでいたことによって、現実の春を理解したように。そして、そういう時の読書というのは、もう、衣食住に先立つものにすらなり得る。「そういうものがあれば都合がいい、便利だ」というのではなくて、もはや「それが無くては生きていけない」というものにすらなり得ると。 だから、絶望読書は必要だと頭木さんは言うわけね。それは今、現在、絶望している人には絶対必要だし、今は絶望していない人も、「こういう絶望本がある」ということは事前に知って置いた方がいい。だって、その人だっていつ絶望するか分からないから。絶望してからでは遅いのね。災害が起こる前に災害に備えておくことが必要なように、絶望に備えて絶望本の存在を知っておくにしくはない。 というわけで、じゃあ、絶望本にはどんなものがあるのか、という風に話が進んでいくのですが、ここで頭木さんが推薦する本はどれも面白そう。本だけでなく、映画とかテレビドラマも推薦しておられるのだけれど、頭木さんに言われると、なんか急にそれらが読みたく(観たく)なってくる。 それは結局、実感が伴っているからですよね。頭木さんご自身が、実際にそれらによって救われたという事実があるから、その推薦には実がこもっている。その薬を飲んで病気が治った人から、「この薬は効くよ」と言われるようなものですからね。 というわけで、この本、私にはとても面白かった。そして、自己啓発思想を理解する上でもとても役に立ちました。この本、すっごくいい本です。教授のおすすめ!です。絶望読書 (河出文庫) [ 頭木 弘樹 ] もっとも、頭木さんは自己啓発本については苦々しく批判していましたけどね。重病で臥せっていた時、人に勧められて自己啓発本を読んだけれども、苦しくてとても読めたものではなかったと。苦しい時に「頑張れ! ポジティヴに行け!」などと言われたって、そんな風にはできないよ、と。 頭木さんがそうおっしゃるのは分かります。でも、それなら私にも言わせてもらいたい。頭木さんが読まれて救われたというカフカの本も、ドストエフスキーの本も、それ、自己啓発本ですから! 自己啓発本が人を救うのではなく、人を救う本が自己啓発本なの。だから、自己啓発本を読んで余計苦しくなったのならば、それは頭木さんが読むべき自己啓発本を間違えただけで、自己啓発本そのものが悪いわけではないのよ~。
June 5, 2025
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ワタクシが出演している「プレジデント 公式チャンネル」の YouTube動画、「ホシノ編集長のプレズバ!」が今日から公開スタートとなりました~!これこれ! ↓ホシノ編集長のプレズバ! 今日公開されたのは「前編」でありまして、明日は「後編」も公開になりまーす。 今回の動画は、『プレジデント』誌の前野編集長との対談形式で、自己啓発本の魅力を語るというもの。 人気はあるけど、アンチも多い、そんな自己啓発本の世界をご案内。自己啓発本の世界に踏み入るために、まず読むべき本なども紹介しております。興味のある方は是非!
June 4, 2025
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そうか、長嶋さん、亡くなったのか・・・。 巨人がV9を達成したのは、私が小学生の頃。当然のことながら、当時の子供にとって野球は神聖なるスポーツでしたから、長嶋さんとか王さんなんてのは神様でありましてね。否、子供だけじゃないか。私の父なんかも、そこそこ長嶋ファンでしたっけ。 まあ、父が長嶋ファンだったのは、長嶋が千葉県出身で、同郷だったからではないかと。長嶋さんは、確か佐倉の出で、父は鴨川だから、だいぶ離れていますけど、千葉県という点では一緒ですからね。そう、天覧試合で長嶋がさよならホームランを打ったことを、子供の頃、父はいかにも痛快と言わんばかりに、私によく話してくれましたっけ。 長嶋か、王か、という話になると、私はどちらかというと、求道的な王さんのファンでしたが、もちろん、だからと言って長嶋が嫌いだったわけではない。それどころか、ONが揃ってホームランでも打とうものなら、子供心に頼もしいなあと思ったことでありました。 あの頃のジャイアンツは、柴田といい、土井といい、高田といい、森といい、地味ながらも味のある、そして子供の目からみると紳士的に見える選手が多かった。(堀内は、子供心にも、紳士的には見えなかった。) そこへもってきて世界のホームラン王がいて、見るからに華のある長嶋がいるんだから、誰もかれもがジャイアンツファンだったのも当然でしょう。 長嶋の引退セレモニーも、王さんがハンク・アーロンのホームラン数を超えて世界一になった時も、両方、リアルタイムで見ていたワタクシ。あれから大分年月が過ぎ、私も相応に歳をとりました。 そんな昭和の人間にとって、長嶋茂雄さんは、どんな形であれ、生きていてくれさえすれば、と思うような対象でありましたね。 その長嶋が逝って、また一つ、昭和の灯が消えた。 偉大なる、そして天真爛漫なる野球人、「ミスター」のご冥福をお祈りいたします。合掌。
June 3, 2025
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父も母も居なくなった実家で、今日からリフォーム工事が始まっております。まあ、姉のところがしばらくこの家に住むことになったので、そういうアレもありまして。 家をリフォームするというのは、私は初めて体験するのですが、まあ、大変よ。だって、我々がこの家に住んでいる、まさのその中で工事が始まるわけだから。 しかも、リフォームの最初の段階は、破壊だからね。古い造作を破壊していく。不要となった家具を破壊し、畳をはがし、それらを持ち去るということだから。 で、工事の方たちが右往左往する中、家の片隅で食事をしたりする、その居心地の悪さと言ったら・・・。 まあ、リフォームというのは、言うは易く、実際は厳しいねえ! 実は名古屋の自宅も、そろそろリフォームを、と考えないこともないのですが、そちらの方はスケルトンでやるつもりなので、工事の中で生活することはないでしょう。しかし、工事中はどこかに引っ越していなければならないのだから、それはまたそれで、結構なハードルなのかもね。 っつーことで、リフォームってのはなかなか大変なものだなあ、というのを実感した次第。まあ、私は今日、名古屋に戻るのでいいですけど、姉の一家はこれから1週間ほど、大変だろうなあ・・・。
June 2, 2025
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今日は学会二日目。昨日は開始ギリギリに会場に到着したため、会場となった校舎以外見ていなかったのですが、今日は少し余裕をもって現地に到着し、20分ばかりキャンパスを散策。さすが東大、敷地も広いし校舎も重厚なものが多い。漱石の作品でも名高い「三四郎池」も見てきちゃった。我ながらミーハー。 で、今日の見ものというか聞きものは「学魔」こと髙山宏先生(御年77歳)の記念講演。 学魔を自称するだけあって、髙山先生の学識は広く、また深いのですが、あまりにもそうなので、講演向きかというと、そうでもない。話が二転、三転してどこへ飛ぶか分からず、しかし分からないなりに面白いというのが、さすが学魔の学魔たるゆえん。 というわけで、結局、最初に先生ご自身が今日の講演のおおよその内容を図示してくださったのにもかかわらず、全然その通りにはいかず、予定図には謎が残ったまま、2時間の講演が終わったのでした。 まあ、多分そうなるだろうなと思っていたけどね。でも、脈絡のない話でも十分啓発的だったのはさすが学魔。 しかし、問題はその講演予定図よ。 その図の中には、髙山先生に関わりのありそうな色々な事柄や人名が羅列してあるのですが、その中に一つ、まった文脈のとれない人名があった。それが「小原國芳」。 小原國芳と言えば、私の恩師じゃないの。玉川学園の創立者。私の迷著『アメリカは自己啓発本でできている』を捧げた人。その小原先生は、偉大なる教育哲学者ではあるけれど、英文学者ではない。その小原先生の名前がなぜ、髙山先生のご講演の予定の中に入っていたのか? 超、知りたい! 一体全体、髙山先生はどういう文脈の中で小原先生のことを話すおつもりだったのかしら。 まあ、ご講演後に、「質問等ある人は、後で連絡して」みたいなことをおっしゃっていたので、いずれご本人に問い合わせてみようかな。 それはさておき、この記念講演をもって今回の学会は終了、ということで、昨日もご一緒した友人のT君と共に本郷キャンパスを通り抜け、裏手にある古書店の名店「古書ほうろう」へ。 で、ここでT君も私も何冊か本をゲットし、その後、湯島近くのドトールにしけこんでコーヒー片手に昨日の続きのトーク。今日もいろいろ面白い話が聞けました。AIにまつわる話とか、やはり今、同業の人間はAIを活用しているなあと。 というわけで、昨日・今日と丸二日、久しぶりに学会の全国大会に参加し、色々、堪能いたしました。最近、学会と縁のないワタクシですが、たまにはこういうのもいいもんですな。ちょっと若い頃のことを思い出しましたよ。
June 1, 2025
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