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とうとう先生のリサイタルのための群舞の練習に入りつつあります。昨日、予告もなしにオーディション(だったと思う、あれは)するし・・・。どちらにしても私は確実に群舞は踊らない人になったので、安心半分・消沈半分です。お手伝い(という名の雑用係)には行きますけど。昨日・今日と相変わらず体の使い方の基礎訓練が更に熱が入っています。今日は背中の筋肉の使い方をみっちりやりました。いかに今まで小手先で踊っていたかが良くわかったのでそれがうれしいです。だからと言って直ぐに身体はゆうことをきいてくれないので、日常生活の中から身体をしつけていかないとなかなか本当に身体を使った表現は出来なさそう。そしてまた背中が筋肉痛になりそうです。(先週もなってしまったの)なかなか先生が注意してくださった事が踊りの中で生かしきれなくて今はかなりジレンマに陥ってます。毎回毎回「ああっ、しまった~!」と言う事の繰り返し。こんなに自分の身体を自分の思い通りに動かす事が出来ないとは・・・。変なクセが付いているから余計大変ですが、「ちょっとは良くなっている」という励ましを胸に日々がんばっています。今日の反省はエスコビージャのときに重心が十分に落としきれてなくて、足が上ずってしまうという失敗をしてしまいました。細かい早いパソでこう言うミスをするから何時までも踊りに安定感が出ないんでしょうねぇ。ちなみに私の先生のリサイタルは11月18・19日名古屋市名東文化小劇場で行います。詳しくはEl CapoteのHPまでお願いします。・・・そういえば、こんな所で宣伝してもいいのかしら?でも先生の踊りは周りの雰囲気ごと自分の色に染め上げて、空気を動かして踊る素敵なフラメンコなので一度見ていただきたいです。
2005.08.31
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もしとりあえずちょっと気分を変えたいと思ったら「プチ冒険に出かけてみる」のはいかがでしょうか?人間は意外と決まった範囲内で決まった道筋しか通っていないのをご存知ですか?通勤・通学の道も遊びに行く道順も大体決まったとおりにしか動いていないんです。ですからほんの1本道筋を変えただけで全然違う風景が広がっている事もあります。ここで言うプチ冒険とはいつもは通らない道を通ったり、行かない場所に行ったりする事を指します。でも自分の家の近所ですと大体もう知り尽くしてしまって新鮮味が無い人も多いはず。そこで通勤通学の途中の駅で下車してみる、というのをお勧めします。そうは言ってもそう簡単に降りて散策、なんて出来ないというのであれば、前もって準備しておいて、時間のあるときに思い切って降りてみる事をお勧めします。さて、準備をするものですが、ポケットサイズの地図と飲み物(ペットボトルで可)と歩きやすい靴とバンドエイドの4つだけです。ポケットサイズの地図は方向感覚が特別に優れている、という人ならいらないかも知れませんが、あった方が安心します。飲み物も途中で買ってもいいですが、最初からあったほうが無難かも。歩きやすい靴は言わずもがなですね。バンドエイドは念のためあったほうがいいですよ。余り歩かない方ですと歩いている最中に合っている筈の靴で靴擦れが起きたりしますから。其の時にコンビニが意外と無くて困ったりします。では初めて降りた駅でまずする事は其の駅周辺の地図を見ることです。大抵の電車の駅には駅周辺図が必ずどこかにあります。また降りる前にポケットサイズの地図をチェックしておいても面白いです。そしてまず、どちらの方向に行くかを決めます。近くに大き目の公園があるのならそこを目指してもいいでしょう。商店街があるならそちらをふらふらするのもいいです。ここで注意して欲しいのはどこかを目指してまっしぐら、ではなく周りをちゃんと見ながら歩く事です。そしてどんなに不安になってもそれも楽しみましょう。ただし、どうしても怖い場所などは通る必要はありません。とっとと引き返してきてください。もし迷子になったらちゃんと人に道を聞いてください。それが出来ないという人は必ず地図を持っていきましょう。そして自分の通った道をちゃんとチェックすれば帰れるはずです。大体このプチ冒険は1時間くらい知らない町を散策すればOKなので余り最初から無理をする事はありません。慣れてきたら2時間とか丸半日とか歩き回ると面白かもしれません。もし降りた駅の周りがつまらなくてもまた別の駅周辺は面白いかも知れません。何回かやってみてください。もしかしたら自分の好きなお店が見つかるかも知れませんし、新しい発見があるかもしれません。ただし、貴方が重度の方向音痴であるのでしたらこれは辞めた方が無難でしょう。もう少し別の方法を探しましょう。明日はお休みで、明後日はフラメンコレッスン報告になります。其の次が「自分のこと好きですか?22」です。
2005.08.29
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貴方は自分の「心の声を聞く」事をしていますか?もし貴方が自分を大切にしているのなら必ず「心の声を聞」いていると思います。ここで言う心の声とは~~したい!という欲望の事ではありません。まあ、それも心の声の一種かも知れませんがそれとは別に何か感じていませんか?「疲れたから休みたい」「本当はそれって欲しいのかなぁ」「みんなといるのに寂しい」そういった声を貴方は無視していませんか?人は「社会」という集団の中で生きていく生き物ですから、生きていく社会のルールは守って生きていかなくてはいけません。ですから自分の欲望のみに忠実になっていては「社会」では生きていく事は出来ません。だからと言って、人は外から決められた事のみをやっていては心が死んでしまいます。ですから通常人は欲望と社会のルールのバランスを取りながら生きているのです。でもその欲望は本当に貴方が心の底から発している欲望なのでしょうか?周りの人や情報に振り回されているだけではないでしょうか?人間は意外と外からの声や情報によって「自分はこうしないといけない」「あれを持っていなくては普通じゃなくなっちゃう」と色々と自分の行動を決めているのをご存知でしょうか?其の中で人は自分の本当の気持ちや本当に欲している事を押さえつけ、他人の願望などで自分を捻じ曲げてしまっていたりするのです。けれど他人の願望を自分の物と思い込み、それを叶えても満足するのはほんのひとときでしかありません。そしてそれは何時までたっても自分を幸福にする事はないのです。誰か願望の通りに動く事を自分喜びにしている人は、本当の自分の中でちゃんと折り合いをつけている人もいます。そういう人は問題ないのですが、本当の自分が納得していないのに折り合いがついて振りをしている人は何故本当に折り合いがつかないのかを正視してください。其の時こそ本当の心の声を聞いてください。自分は本当は何を望んでいるのか、自分が何故納得できないのかをちゃんと把握しましょう。もちろん、非現実的な欲望や、怠惰な理由は問題ですが、そうでない場合はきちんと向き合えば必ず答えは出るはずです。また其の答えは出ているのに行えない場合はどうしたら行えるのか考えましょう。体が不調気味で休みたいのに仕事をしなくてはいけないのなら、どうしたら不調が治るのか、また休める状態になるかを考えましょう。本当にやりたい事をやっていない場合はやりたい事に着手しましょう。もし貴方が本当はジャーナリストになりたいのに親に銀行員になるように言われても、親の言うとおりになる必要はありません。ジャーナリストへの道が見えているならなお更です。「親を傷つけたくないから」「失望させたくないから」と言うのは逃げているだけではないでしょうか?もちろん貴方が何も行動せずにそういい続けるのは余りにも愚かです。自分の本当の心の声を聞いたなら行動をしましょう。心の声を現実にする事をまず考え、それからそこへいたる道を考えそれを一つづつクリアしていけば必ず現実になるのです。次回は「傷つくと言う事」です。
2005.08.28
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パワースポットに行く。貴方は風水などでいうパワースポットへ行った事はありますか?「そんなものただの気休めでしょ」と言った貴方、それは本当のパワースポットに行った事が無いからです。私の好きな風水師さんで李家幽竹という女性の風水師さんがいらっしゃいます。其の方が出している本で絶対、運が良くなる旅行風水新版と言う本があります。(ちなみに私が持っているのは2年前の旧版です)この中で「日本のパワースポット」という章がありまして、そこに幾つかの場所が紹介されています。私のお勧めは「伊勢神宮」です。実は去年、色々と変わる前にちょうど吉方位だったので、伊勢神宮にいってきたんです。すごく行きたくなったから、会社をお休みして人が少ないと思う平日に(笑)本の通りに外宮に行ってから内宮に行ったのですが、外宮も内宮もすごく空気が澄んでいて、何かが秘められているようで鳥居の外と内で全然雰囲気が違うんですよ。特に内宮は意図していないのに自然とゆっくりと歩いてしまい、更に何故か涙が出てきてしまいました。何かね、通っているんですよ、参道を。だから場所によっては押されてつんのめったりしました。結局1時間ぐらい内宮をうろうろして帰ってきたのですが、普通の遠出だとすごく体が疲れてしまうのに、伊勢神宮は全然疲れないどころか次の日からすごく元気になってしまいました。それから色々変化が訪れたことを考えるとやはり伊勢神宮に行ったお陰かなと思います。それと後から他の本で知ったのですが、伊勢神宮は良い変化を起こしたいときに行くと良いパワースポットだそうです。ですから自分を変えたいと思ったときに行くと良いと思います。そんな事があってからパワースポットを最近注目するようになったのですが、やっぱり神社、仏閣・協会などの場所にパワースポットが多いそうなので、一度行ってみるといいかもしれません。もし貴方がパワースポットに行きたいのに何故かいけない時は、其の時に行くのはやめたほうがいいでしょう。きっと何か貴方にとって良くないのかも知れません。こういった場所へ行く時の私なりのポイントは「楽しむ」と「無理をしない」にあります。どうも何か上手く物事が進まない、なぜかトラブルが続く場合、一度すべてリセットするのも一つの方法です。パワースポットには色々な運気がもらえる場所もあるそうなので一度利用してみてはいかがでしょうか?自分を変える追い風が吹くかもしれません。明日は「自分のこと好きですか21」の予定です。
2005.08.27
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「神様は存在すると思いますか?」がテーマになっています。これがどうして「自分のこと好きですか?」に結びつくか不思議に思っていらっしゃる方も多いでしょう。さて、貴方は神様を信じていますか?ここで神様というのは別にあらゆる宗教のあらゆる神様でも構いませんし、地球を守っている何かでも構いませんし、世の中の不可思議な法則もある種の神様と言えるかも知れません。私自身は「神様」は存在する、と思っています。でも其の神様は自分の都合の良い事を叶えてくれる存在ではありません。あくまで見守ってくれていて、ほんの少し気にかけてもらって道しるべを教えてくれる何かというものです。もしかしたら「神様」ではないのかも知れません。聖書だったと思いますが、(すみません、手元に聖書がありません)「神は自らを助けるものを助ける」と言う言葉があります。この言葉を実感した事はありませんか?誰かに助けてもらおう、他の人に何とかして貰おうと他力本願な事ばかり考えている時は誰も助けてくれません。逆に自分でどうにかしようとした途端に、何故かタイミングがよくなって皆が助けてくれてするすると上手くいってしまった。そんな事は一度や二度ではなかったりしませんか?シンクロニシティ(よく出来た偶然)と言うのは実際に起こるです。このような時に私は「神様が何かをしているんだ」と思うことにしています。もちろん自分でどうにかしようとして上手く行かないこともあります。上手く行かないといって強引に物事を進めると余計に拗れてしまったり、逆に他人にお願いしたらスムーズに行ったり、色々とありますよね。上手く行かないときは冷静に、周りの状況を分析したり、手順に無理が無いか考えたり、客観的にみたりするのですがそれだけではどうも上手く説明できない何かが働いていると思うときも、「神様が何か考えている」と考えます。そうして次回のチャンスをじっくりと待つのです。すると以外な事が起こって助かったり、更によくなったりする事があるのです。そういった意味では人は一度や二度は神様の存在を感じているのではないでしょうか。また、長年何かをしたいと強く思っていたりするとそういうことをするタイミングが自分の周りに多く集まって来たりするのも神様のおかげかもしれません。もちろん、そうなる原理を説明した本もありますが、それだけでは説明しきれない偶然もあるのです。私は宗教家ではありません。ですから特定の神様を信じなさいと言いませんが、そういう存在はいることを信じて欲しいと思います。今、私は自分の事が好きですが、それも結局は自分が自分嫌いをどうにかしたいと思った末に神様が変わるチャンスをくれたんだと思います。次回「心の声を聞く」です。
2005.08.26
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「服の選び方を変える」の2回目です。前回自分に似合う服を選んだ方がいいことを書きましたが、そういっても女性だから流行を無視するわけにはいきません。でも流行だから、みんなが着ているからと同じ物を買って着ていたらやっぱりちょっと変、ということはよくあります。大事なのは流行のものを着るなら自分がカッコよく見えるものを徹底的に捜すことです。たいていの場合、流行のファッションがあってもある程度デザインに幅があるもの。ですからある程度お店を渡り歩けば自分に似合う形のものが見つかるはずです。一番厄介なのは色の流行です。特に「今年は青が流行り」といった場合、何処にどんな青色を取り入れるかによってかなり印象が変わってきます。青にも落ち着いた色から蛍光色、空色、ターコイズブルー、藍色まで様々です。例えば私の場合、どんなにキレイで気に入っても鮮やかなパステルカラーを顔の直ぐ側に持っていくと絶対に顔が暗くなり、服の色が浮いて見えてしまいます。ところがワントーン落ち着いたグレイが入っているようなパステル系なら顔色も良く見え全体的にしっくりきます。このようにある程度自分に似合うカラーを知っておくとだいぶ印象が変わってくるので、出来たらカラーコーディネーターさんに一度見てもらうといいでしょう。ただし、コーディネーターさんもピンきりなので気をつけてください。もし流行の色が自分に似合わない色でも諦める必要はありません。顔の側に持ってこなければ、良いだけでそれ以外の鞄やベルト、ボトムなどに取り入れれば問題はありません。ただ、其の場合も色の組み合わせはちゃんとファッション誌などでチェックしておいたほうがいいでしょう。蛍光イエローに鮮やかな紫なんてとんでもない組み合わせはやらないにしても変な組み合わせはありますから。流行で自分も着たいけど、どういったのが自分に似合うか分からない!と言う人はとりあえず人がたくさんいる街中に出かけましょう。ここで見るのはショップではなく、歩いている人です。自分に似た体型で流行の服を着ている人の中で自分が「カッコ良い(可愛い)」と思う着こなしをしている人がどんな風に着ているのかチェックしましょう。ここで注意して欲しいのは「自分に似た体型の人」であること。例えば身長150センチくらいの人が165センチある人の着こなしを真似ても全然似合わないのです。同じようにファッション誌も服の組み合わせの参考にはなりますが、同じ物を揃えてきたからと言ってモデルさんと同じ体型ならいざ知らず、そうでない場合似合わず全然格好良くならないこともあるのです。ファッションセンスは最初から良い人もいますが、自分で磨かないと何時までたってもセンスは良くならないのです。また自分の気に入らない服を仕方なく着るのもやめましょう。本当にお金に困っているならともかく、そうでない場合は気に入ったものだけを買うようにしましょう。服も自分を表現する道具です。きちんと選んでください。
2005.08.25
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お盆休みがあったため2週間ぶりのレッスン報告です。また基礎強化になりかかってます。火曜日はタンゴの練習をしながら、冷静に身体を変なクセを取るために中心を捕らえつつ、ロボットみたいに身体を固めず踊ることをメインでした。肩甲骨の下を支点に手を動かす事を改めて教えられましたが、確かにそこに意識があると体の中心が確かにぶれにくいです。嫌でもお腹の筋肉引き上げますしね。しかし本当に気をつけないと、必要な所から力が抜けていらない所に力が入るし、今までのクセを直す事だからすごく踊りにくくて、覚えているはずのパソや振り付けが飛んでしまったりと悪戦苦闘中です。そんな状態なので「目が泳いで変」とまた言われたのは仕方が無いかもしれないと思っています。ちゃんと振りが身について、自信がでたら泳がなくなるような気もしますが、踊っていてみんな何処を見ているんだろうとも疑問にも思います。誰かに聞いてみようかしら。水曜の今日は、昨日注意された所を気をつけつつもなかなか身に付かないことに自分で嫌になりました。さらにパリトロッケ(ブレリア)もやって、新しい振り付けも付いてどうしようかと思うぐらいフラメンコに関しては一杯一杯です。今現在、先生が11月に公演を行うので其のプログラムの中の群舞の練習に入っています。と、いっても小さい劇場なのでウチのクラス(一応スタジオでは一番上のクラスです)全員は出場無理らしいのですが、3月の発表会でも行う予定らしく全員に覚えるように激命がきています。ちなみに申し訳ないが、私は既に11月は出ないだろうと思い込んでます。リズム音痴がなかなか治らず直ぐにパソが取れないので、指名される可能性はまずないですね。そんなわけでタンゴとパリトロッケ(ブレリア)の練習・・・。タンゴはともかく(また多少の変更あり。泣きそう)パリトロッケは4年前に先生の講演会で行ったものを全部覚えなくてはいけないので少し辛いです。もちろん今のクラスにも、その4年前の舞台に立った人がいるので其の人たちと引けを取らないようにしなくてはいけない。パソの中には今までやったものも含まれているので、それに変なクセが付いているので、直そうと思うとやりにくくて仕方ない。一つ筒クリアにしていくしかないのは分かっていますが、進歩がこう牛歩並なのはどうかと今日も自分に疑問を持ってしまいました。
2005.08.24
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「プライドは傷つかない」が今回のテーマです。よく「プライドが傷つけられた!」と言って怒る人がいますが、これを聞く度に私が思う事があります。「これくらいで傷つくプライドってプライドじゃないのでは?」そもそもプライドとは国語辞典には「誇り・自尊心」とあります。更に誇りとは「自分の置かれた立場がやましくない事を自ら恃む(やった仕事は意義があるもので少しも他人に引けを取るものでない)気持ち」とあります。また自尊心には「自分という存在に誇りを持つ事」と出ています。これから考えると『プライド』とは自分がやってきた事に対して持つものであって何もしていないものには「プライド」とは言わないものだと思われます。ですから些細な事で「プライドが」と言う人は本当に傷ついているのは「見栄」とかいう自分の外側を飾るものだけなのです。自分自信が努力して何かを積み重ねることなく他人から見える物だけを借りて繕ったものはプライドではありません。またそういったものはいとも簡単にあっさりと崩れ落ちてしまいます。それに気づかずに繕い続けても自分の本当のプライドは地に落ちていくだけです。本当のプライドを持つには地道に自分がやり続けるしかありません。それは技術だったり見識だったり仕事だったり人によって違ってきます。時には簡単な道があるのに気づかず遠回りして身につけたものもあるでしょう。それはそれで確かな「プライド」になるはずです。また見当違いの方向に行き、それに気づいた場合それまでのプライドは崩れるかも知れませんが、諦めずに改めて構築する事は可能なのです。自分が今まで確かにやってきたことは足もとから崩れる事はあっても傷つく事は無いはずなのです。もし傷ついたと感じたらそれは方向性が間違っている可能性があります。もう一度良く考えて検討してみてください。それは貴方が自分で見ない振りをしてきた自分の欠点かも知れません。時には「プライドが高すぎる!」と言う人がいるかもしれませんが、プライドは高くなったり低くなったりしません。遠くを見て物事を行っている人を目先の利益重視でゆうことを利かせたいだけかもしれません。また貴方の理想が自分の実力の及ばないほど高いのを指摘されているのかも知れません。どちらにしてもそういった人が何を訴えたいのかちゃんと確認をしましょう。また今まで積み上げたプライドに固執しすぎることほど愚かな事はありません。固執しすぎると柔軟性が失われ、周りに自分の存在を誇示するための道具にしかならないのです。それは見栄と変わらないどころか更にみっともないことになります。特に一つの業界や領域でしか通用しないプライドをひけらかして他に行っても何の特にもなりません。ある程度の目安になるかも知れませんが、他の業界には他のやり方などが必要ですので、逆に足を引っ張りかねません。そういったことから考えると、プライドは周りに誇示するものではなく自分の中で柱としてもっていることが一番大切なのではないのでしょうか。それはいつでも自分を支える力になりえるのです。本当のプライドを持ている人は謙虚です。また過ちや間違いに対して大変柔軟に対応出来ます。それは彼らは目先の誤りや損失よりに騒ぐよりもっと大切なものが何なのか理解しているからです。貴方の持っているプライドは一体どういうものでしょうか?次回は「神様は存在すると思いますか」です。
2005.08.22
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「服の選び方を変える」がテーマです。はっきり言って女性向です。男性の方すみません。街中を歩いていると時々「どーしてそういう格好をする?!」と思う人がいます。太っているとか、痩せているとか、背が高いとか低いとか関係なく、です。ちょこっと変なくらいなら構わないのですが(やはり後でおかしいかもと思う事はありますから)、時には服と髪形等のバランスが全然取れていない人がいてとっても「鏡をちゃんと見てから出て来い!」と言いたくなります。其の人のファッションがピンクハウスだろうとレゲエだろうとヒップホップだろうとパンクであろうとそれ自体は関係は無いんです。例えば最近良く見かけるゴスロリファッションですが、私は嫌いではありません。元々フリルの多い可愛い服は女性の憧れですから、全身ビシッと決まっている人を見ると「いいな~」と思ったりします。だからといって自分が其の服を着るかといったらまた別の話です。年齢的にもいい加減アウトですし、何より今の私が着たら髪型から雰囲気から全然合わないのでとっても不気味になります。また背の低い女性のファッションを背の高い女性が着ても似合うとは限りません。逆も言えます。ですから一番大事なのは今自分がどんな雰囲気を持っていて、どんな服が似合うかちゃんと把握する事です。もし貴方がピンクハウスが好きで着たいなら、髪型からお化粧・小物までちゃんとそれに合うようにしないといけません。またそういう特別な服でなくても既製品で自分がどんな服が似合うのかはちゃんと把握しましょう。例えばスカートの丈はどれくらいなら一番バランスよく見えるのか、どういったラインのものがスマートに見えるのかを研究しておきましょう。店頭のトルソーにかかっていた服がカッコ良く見えるからといって、試着なしで買ってはいけません。其の形が自分に似合うとは限らないのです。また、自分の意思が弱いとわかっている貴方は一人で服を買いに行くのはやめましょう。出来るだけはっきり物事を言ってくれる友達と一緒に買いに行き、必ず友達の感想を聞きましょう。店員さんはよほど仲良くならない限り、どんな服も「お似合いですよ」と言ってくれます。しかし其の言葉を鵜呑みにしていてはカッコよくはなりません。確かに流行りのスタイルというものもあり、どうしてもそういうものが着たいということもありますが、自分が格好良く見えない限り着ないという選択もしたほうがいいと思います。20代前半までは流行りスタイルを追っかけていても多少問題があっても回りも大目に見てくれますが、20代後半からはみっともなくなるだけです。もし貴方が太っているまたは年を取っているならそれを理由に服をいい加減に選んではいけません。わざわざ自分が余計に太って見える服や余計に年老いて見えるを自分に与えては自分に大変失礼です。分不相応?わざわざ自分で自分を貶める必要はありません。自分がより良く見える服を選ぶのは当たり前の事です。値段の高い安いではなく自分をよりよく見せる服を探して買うようにすればいいのです。自分に似合うよりよく見せる服を探し続ければ、必ず自分にとって最高の服と巡り合えるはずなのです。また髪型も自分に似合う髪形にちゃんとしましょう。そういったものを提供してくれる美容院を探しましょう。明日は「自分のこと好きですか19」です。
2005.08.21
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「前向きの思考をする」がテーマです。前向きの思考、出来る人にはなんて事の無い事ですが、出来ない人にとってはとっても大変な事なんです。一つの出来事に対し、悲観的な人と楽観的な人など人の反応は様々です。今までの経験から人はそういう風に捕らえるパターンが出来ているのでこれはなかなか崩せません。でも出来れば前向きで建設的な考え方をしたほうが人生楽しいと思いませんか?また前向きで建設的な考え方をしたほうが、幸運がよって来易いので前向き思考になりたいと思っていませんか?一番手っ取り早い方法は何があっても前向きの発言をしまくる人を近くに置いておくのことですが、なかなかそういう人にはお目にかかりませんし、後ろ向き思考している人の側には後ろ向き思考する人が集まりやすいので難しいかもしれません。しかも超前向き思考をする人を軽視する事が多いので余計難しいかと思います。人間の思考回路には大人のなると大体のパターンが出来上がっています。ポジティブ、ネガティブ、また条件反射的思考回路等などと存在しますが、この回路にも大通りとわき道、小道とあります。前向き思考の出来ない人は前向きの思考回路が出来てないのではなく、前向きの思考回路がわき道の細い小道として出来上がっており、更にそこに行く前に後ろ向きの回路が広い大通りで出来ているのです。ですから何かがあると前向きの細い回路より広い後ろ向きの回路に考えが流れやすくなっているのです。ですからもし貴方が「前向きの思考をしたい」と思ったなら、前向きの思考回路を広く作り直す事が必要になります。またそれは意識的にそういう風に考える事で可能になります。そのためにもまず能天気に思える前向き思考を受け入れなくてはいけません。現時点での自分との考え方とは違っていても(めっちゃ反発してくても)「そういう考え方もあるよね」と口に出して言いましょう。それを続ければ前向き思考を受け入れる事が可能になります。またどういう視点でそういう考え方に成るのかもチェックしておきましょう。それから物事をネガティブに考えた後にポジティブに考えるとしたらどういう考えになるんだろうと自分で考えてみる事です。ポジティブな人の視点を使うとどうなるかをメインに考えて見ましょう。これによって自分の前向きの思考回路の道の幅が少しづつ広くなっていきます。それを続けると自然にネガティブ回路よりポジティブ回路に思考が流れやすくなっていき、「前向きな思考をする」事が可能になっていきます。ただし、この前向き思考に変わるにはやはり時間がかかります。飛び飛びでもいいので続けてください。しかし前向き思考で考えても時には感情が付いて行かない場合があります。それは貴方がネガティブ思考に捕まっているのです。無理になだめようとしても感情はなかなか言う事をきいてくれない場合、ちゃんと何故そこまで感情的になるのかをちゃんと把握してください。それでも感情が落ち着かないならばその気持ちを紙に全て書き出してしまいましょう。きっと理由がわかるはずです。そしてその紙をシュレッダーしてしまえばいいのです。「前向きな思考になる」と行動力も出てきます。多少の失敗があっても落ち込むことが少なくなります。さらに前向きな思考と無邪気な能天気な思考とは違う事をちゃんと押さえてください。前向きな思考とは自分を成長させるものです。より良くしていこうと言う考えから来ていいるので自分の幸せにも繋がります。無邪気な能天気な思考は成長がありません。ただ大丈夫だろうと何の根拠もなしに信じている事です。これは愚かな考え方になり、災害時には自分を殺しかねません。その違いをちゃんと理解して下さい。次回は「プライドは傷つかない」です。
2005.08.20
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「相手に期待するのを辞める」貴方は誰かに何かをしてあげた後、「これくらいしてあげたんだから、相手からもそれくらいはして貰って当然」と考えていませんか?もちろん何かを与えたら(ギブ)もらう事(テイク)もあります。いわゆるギブ&テイクというのはそういうことです。しかし何かをもらう事ばかり考えて何かを与えていては、得るものも少なくなりどんどん貴方の心は醜くなっていきます。「~~してあげたのにーーしてくれない」とか言うセリフはその典型です。友達と冗談の範囲で言う分には可愛いですが、心からのこのセリフは恨みが入り込んでいて自分を貶めていきます。「でも何かしてあげたら、してもらうのが当たり前じゃない?」と今言った方に質問です。もし貴方の周りで「〇〇してくれたら△△してあげる」という人がいたらどう思いますか?△△が貴方にとってとても魅力的で欲しいものならすごく嫌なことでも○○するかもしれませんが、そうでなかったら「ふーん(するわけ無いじゃないそんな事)」で済ませませんか。実は「でも何かしてあげたら、してあげ返すのが当たり前じゃない?」というセリフは積極的には言わないけど「〇〇してくれたら△△してあげる」という人と同じ事を言っているんです。何かをもらうために先にするか、何かをもらったからするかの先にする・後にするの差だけで、相手から何かを得ることを目的としている点で同じなんです。そこで考えて欲しいのは自分が逆の立場にいたらどう思うかという事です。もちろん、何かをしてもらったら何かしてあげたいのは当たり前の心理です。でもそこに「感謝」の気持ちが無ければただの儀礼的なこと(義理)に過ぎません。更に言うなら人は「感謝」したくなることをされなければ、何かお礼をしようと思いませんし、どうしても何かをして返さなくてはいけない場合でも手を抜く事になりかねません。「~~してあげたのにーーしてくれない」と言うせりふを言う事が多い人は自分が相手から何かを得ることばかり考えてて、何をしてあげたら喜ばれるかということが抜け落ちている事が多いのです。相手のして欲しい事を考えてして、更に自分の欲しい事をして貰う方法もありますが、これも必ずしも成功するとは限りません。もしここで自分の欲しい事をして貰うこと(相手に期待する事)を頑固に主張するなら今後相手は自分の何かしてあげようとするのを拒むかもしれません。何処かでお話しましたが、自分自身以外は血が繋がっていても「他人」です。ですからまず自分以外の「他人が自分の思い通りに全て動くことは無い」事は理解しておきましょう。「期待する事を辞める」とはいつも自分の欲しいものが相手から100%得られると考える事をやめる事です。少しの期待はしても構いません。しかし期待が外れたからといって相手を責める事はやめましょう。自分に色々な事情があるように相手にも事情があるのです。ちなみにきちんと約束したことに対して相手が反故にした場合は怒っても構いません。これはれっきとした「契約違反」になりますから相手に期待する事とは違います。あなたが見返りの無い愛情や無償の気持ちをもらったらすごく感謝するように、貴方が誰かに見返りの無いことをすれば同じように感謝されます。そしてそれはいつか大きな愛情で貴方に帰ってくるでしょう。本当のギブ&テイクの関係は本人達にしたらギブ&ギブ(お互いに与えあう)関係だそうです。端から見るとそれがギブ&テイク(与えたから貰う)の関係に映るそうです。この二つは同じように見えて感謝の気持ちで繋がっているか、契約の関係で繋がっているかというようにかなり違います。最初はなかなかギブ&ギブになれないかも知れませんが、貴方が見返りを求めないギブを行い続ければ、必ず感謝の気持ちで繋がっているギブ&ギブの関係になれるでしょう。あしたは「自分のこと好きですか?18」です。
2005.08.19
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今回のテーマは「失敗しては駄目?」です。はっきり言ってしまえば、失敗するのは当たり前のことなんですが・・・。よく皆さんの周りで新しいことをする前に「失敗したらどうしよう」と言っている人はいませんか?ここで「そんな事考えてないで、とにかくやりなさい!」と怒る人がいますが、このセリフって時と場合によりけりなのをご存知でしょうか。十分出来るはずの力を持っているのにしり込みだけしている人には効果的なセリフですが、そうでない人にとっては下手すると死刑宣告になります。「死刑宣告」は言いすぎ?でも実際そういう人もいます。では「失敗する」に対して恐怖するのは何故なんでしょうか?それは育ってきた環境に答えはあります。今まで何かに対して「失敗」をした事が無い人はいないと思います。幼い内は失敗しても周りの大人によほどの事でない限り責められたことは無いと思います。逆にどうすれば失敗しなくて済むかの方法を教えてもらったことがある人も多いのではないでしょうか。しかしある程度の年齢に達するとささやかな失敗をするとそれが周りに受け入れられなくなっていくのです。そして失敗をするたびに鬼のごとくの形相でヒステリックに失敗した事のみを責められ続けると、「失敗する事」に恐怖するようになります。そこで「失敗」しないように色々考えたり出来るのなら良いのですが、それを考える以前に恐怖で思考が止まってしまうと「失敗しては駄目」と強く思い込むようになります。そしてその思いに縛られると何かする前に「失敗する事」を怖がって新しい事が出来なくなるのです。「何かを新しいことをする」と「失敗しては駄目」が条件反射的に強く結びついて行動する事を邪魔するのです。ではどうしたらそこから抜け出せるのでしょうか。まず「失敗してもいいんだよ」と自分に言い聞かせましょう。それから「後でちゃんと何が悪かったか考えて次に結びつければいいんだから」といいましょう。と、言いますのは失敗するのが普通で何の進歩得られなければ、それは意味が無いからです。そして何も準備なしで新しいことに飛び込むなら「失敗して当たり前」という気持ちを持つ事が大切です。ここでも失敗したらちゃんと反省する事が大切です。注意して欲しいのは反省は大切だけど後悔して何時までもそればかり考えていてはいけない、ということです。後ろばかりを向いていては前にまっすぐ進めません。最近では「失敗学」という本もでているのでご存知の方は分かると思います。次にどうしても失敗したくないのなら準備をしっかりしましょう。ただし準備ばかりしてて肝心な事が始められないといけないので、ちゃんと「〇〇日までに」というように期限を区切りましょう。それと準備をしたから失敗が全く無くなるわけではありません。確かに失敗するというリスクは低く押さえる事が出来ますが、0%にはならないのを理解してください。どうしても失敗しそうな所は失敗したらどうしたら良いかを考えておくのもいいでしょう。失敗は誰でもするもので、特別なものではありません。ただ、失敗から目をそむけたり、何時までも悔やんでいてはいけません。すぐに気持ちの切り替えが出来なくても構わないので、ちゃんとどうして失敗したのか、次はどうしたらいいのか考える事が出来れば失敗も大切な経験値にする事が可能です。また失敗した事で自分を「こう言う人間なんだ」と決め付けてはいけません。「ここを直せば出来る人間なんだ」と思ったほうがいいでしょう。次回は「前向きの思考をする」です。
2005.08.18
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「言い訳を辞める」自虐ネタですが今回のテーマです。「自分を変えたい!」と思いつつ貴方は貴方に言い訳をしていませんか?「えー、だってそんな事私に出来るわけないじゃん」「そー言っても俺、毎日忙しいし」こういった事を言った事ありませんか?これは自分で何も出来ない自分に言い訳をしている事になります。早い話、変わることから逃げているのです。「明日からやろう」という言葉も言い訳です。本当にやれる人ならいざ知らず、たいていの人は結局次の日になってもそのまた次の日がきても「明日からやる」と言い続けるのです。本当に明日からやれる事なら今からでも出来るはずです。実際に出来る人は「今日からやったら?」というと「そうだね」とすぐ同意してやり始める事が出来ます。では何故言い訳をするのでしょう?人は自分を良く見せたい(見栄)という欲があります。それゆえに出来ない事をやれるといったりします。そして実際にやらなくてはいけない羽目になるのです。自分の撒いた種は自分で刈り取るのが法則ですからこれはごく当たり前の事です。しかし実際に出来なかったりした場合、また出来ないのが分かっていた場合に、最初に言った自分を良く見せたいという欲のために素直に謝ったり出来なかった事を告白する人はかなり少ないのです。そしてそのために言い訳が使われるのです。一番多いのは女性の「明日からダイエットする」かもしれません。自分の体型に不満がある→ダイエットした方がいい→「ダイエットする」と宣言する→でも美味しいものやカロリーの高いお菓子は食べたい→食べる→ダイエットにならない→言い訳として「ダイエットは明日からする」でも結局「言い訳」を使用する事で自分の見栄は保てるかも知れませんが、他人からの信用は失っていくのです。(ここだけの話ダイエットを本当にしたいのなら生活習慣の改善と体質改善するのが結果的に一番早いです)ではいきなり「全ての言い訳は止めろ」といっても言い訳に慣れた人間にとってそう簡単には出来るわけがありません。そうしたら何処からしたらいいのか、と言いますとやはり他人への言い訳を止めることでしょう。見栄を張ることをやめ、出来なかったことは素直に「出来ませんでした。すみません」といい、もしやるといってしまった事はどうやればやれるのか真剣に考えましょう。そうして他人への言い訳が無くなったら、自分自身への言い訳を止めましょう。どちらかと言うと他人への言い訳をやめるのは大変楽です。下手な見栄や面子を持たないようにすればいいのです。それこそ「自分を受け入れる」ことをしてしまえ下手な見栄や面子は要らなくなります。大変なのは自分への言い訳を止めることです。でもこれも「自分に素直になる」ことが出来ればそのうち出来るのではと、私がチャレンジ中のことです。やりたいものは「やりたい!」だからどうすれば良いかを考える。そうして自分自身への良いわけを少しでも減らしていきましょう。素敵だな、と思う人は他人にも自分にも言い訳していない人が多いです。自分も素敵な人間になるよう自分で導いていきしましょう。
2005.08.17
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「やりたい事をしてみる」が今回のテーマです。「やりたい事をしてみる」という事はすごく簡単なようで実は難しかったりしませんか。では「やりたい事」をしたいのに出来ないのはどうしてでしょうか?たいていの場合お金とか時間とかが良く理由にあげられますが、本当にそんな事が理由なのでしょうか?「やりたいことをする」ことが出来る場合と出来ない場合、何が一番違うのでしょうか?まずやりたい事ができない場合は先にあげた物理的な原因より何より、今までの自分の行動の枠を自分から逸脱することを私たちは怖がっているのではないでしょうか。元々人間は保守的で変化を恐れるものだといいます。なので新しい変化が起こると戸惑い、迷ってしまうそうです。「やりたい事」をやれないのは自分の中で「やりたい事」をやると何かしらの変化が起きるのを怖がっているのかもしれません。もちろん強い意志があれば今までと違うかなり変化をもたらす「やりたい事をする」ことはいくらでも可能です。でも「やりたい事」をしたいのに、したほうがいいと思っているのに出来ない事があります。そういった場合一体何がそこまで行動を阻んでいるのかちゃんと直視しないと先へ勧めません。ただ変化が怖いのか、やって失敗するのが怖いのかそれともその事は本当は自分の「やりたい事」ではないのかも知れません。時々、自分が本当はやりたくない事を他人や親などの勧めるため断れなくて、「やりたい」と思い込んでしまっている人がいます。でもそれは本当の自分の中から出たものでないので、やはり本気にはなれませんので、なかなか行動にも移れません。また行動に移れても結果が出ない事もあります。ですから「やりたい事をする」為にはちゃんと自分の心の声を聞かないといけません。「やりたい事」は今どれ位の気持ちでやりたいと思っているのか、それは本当の自分の気持ちなのか、他人の熱意を断れないだけなのか見極めなければいけません。それで100%自分のやりたい事で本当の気持ちなら、貴方はそれをやっていいと自分に許可を出しましょう。そのためにはどうすれば良いか入念に調べて計画を立てておきましょう。法に触れない限り(自分で自分を殺す事以外)、貴方のその気持ちを阻止できるものは本当な何もないのです。親とか友達を理由にして止めてしまう必要はありません。貴方の熱意と気持ちが本物である限り、計画に穴があったらちゃんと指摘してくれます。それでもやめさせたいのはその人の我儘ですからきいてあげる必要はありません。(ちなみに自殺はこの領域には入りません。それは阻止されて当たり前です)ささやかな事の場合でもやりたいのにやれない場合は自分で自分を縛っている可能性がありますので、「やっていいんだよ」と許可を出してあげましょう。少しでも自分がやりたい事をして自分がうれしいことしてあげましょう。次回は「失敗をしては駄目?」です。
2005.08.15
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元々このブログを始めたわけは、自分嫌いだった私が自分好きに変わってしまった事に気づいて、自分嫌いな人も自分を好きになる方法があることをわかって欲しくて始めました。と、いうのも自分嫌いだった私はそれを「持病」と揶揄しつつ、いつもどうにかしたいと思っていたからです。「自分嫌い」な人はいつでも内心どうにかしたくて、でも方法がわからなくて悩んだり、困ったり、でも他人には「自分好き」と言ってみたりしているところがありますよね。「自分嫌い」→「自分好き」に変わるには色々な方法があります。何がきっかけでどう転ぶかわからない。それは人によっても違ってきます。だから、私の方法が全てだとは思ってはいないんです。人によっては偽善に見えることも、馬鹿馬鹿しいと思う事もあるだろうとは思ってます。色々な方法を試して、自分にぴったり来る方法をすればいいと思ってます。でも方法が「色々ある」という事を知らないと知っている方法を片端から試してダメだったら、更にひどい「自分嫌い」になってしまいます。そのためにあくまで参考例の一つとして書こう、と思ったのがきっかけです。けれど思ったより難しいですね。今、書いててなんかテーマが少しずつずれている様な気もするし、でも言いたいことを伝えるためには書かないとダメよね、と思う事もある。思わず一度消して書き直したことも一度や二度ではないです。文章力が余りにも無くて、歯噛みをしたいこともあります。「書くこと」が目的なのか、「伝えたい事がある」のが目的なのか履き違えそうになる事もあります。「自分を好き」にならなくても「大切にして」と思う事もあります。無理をしなくていいけど諦めないで欲しいとも思います。たった一人でも誰かの助けになればいいなぁと思ったり、でも自分の考え方とかをたくさんの人に知ってもらいたいと考えたりします。でも唯一つ分かっているのは「誰かの助けになりたい」という事です。それも自分の自己満足かな?今は色々迷っている。でも自分を信じないと駄目よね。自分が何処に向かっているのかちゃんと見誤らないように歩き続けましょう。明日こそ「自分のこと好きですか?16」です。
2005.08.14
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「素直になる」を今回のテーマにします。私の課題でもありますのでちょっと自分の首を自分でしめる羽目になりそうです。そもそも「素直になる」とはどういうことだと思いますか?其処をちゃんと押さえないと意味を履き違えてしまいますので注意しましょう。まず「素直」とは三省堂の国語辞典によると「一、人の言う事をそのまま受け入れて、おとなしい様子 二、癖のない様子」とあります。ここで人の言う事をきくだけと勘違いしてはいけません。自分の自主性を持たずに他人の言うがままに動くのは「素直」ではありません。それはただの操り人形であり人間ではなくなってしまいます。これは親子関係で一番履き違えてしまった状態(細木数子先生の言われる子供の私物化)でもあります。もし、これを読んでいる貴方が親で子供が自分の言うとおりに全て動くいい子だと思っているのなら、貴方は子供を人間と思っていないという事になります。子供のためにやっている?それは本当に子供のためになっていますか?親の自己満足ではありませんか?まあ今回はそういった話ではないので余り追求をしませんがちょっと考えてみてください。基本的な話ですが、人は自分以外は例え血縁関係があっても自分でない「他の人」です。ですから自分の思い通りに動くのは自分だけで、自分以外が自分の思い通りに全て動くわけではありません。もしそうしたいのならそれは貴方の我儘でしょう。それでも自分に見えている他の人のやった方が良いことや止めた方が良いことを助言した場合は聞いてほしいですよね。「素直になる」とは自分の自主性を持ちながら、そういったアドバイスはきちんと感謝の心で受け止める事、になります。しかしこれがまたなかなか難しいのです。今までの価値観や立場、プライド、年の上下やその人の言い方などでそういったアドバイスを「素直にな」ってきく事を邪魔するからです。また今までの経験で疑心暗鬼になっているかもしれません。耳に痛いことを言われると反発してしまうかも知れません。以前に付き合いのあった年上の女性の言動が目に余るようになった時、私がアドバイスをすると「どうして言いがかりをつけるの」とか「貴方は私のこと分かっていない」と反発された覚えがあります。結局色々あってその方とは縁を切ったのですが、どうやら私が年下であった事と、自分が他人のためにやっているから絶対に良いことをしているといった先入観があった様で、何故私がそういった耳に痛いことを言ったのかが理解できなかったようです。私も言われ方やタイミングによってはアドバイスを素直に聞けないことがやはりあります。しかしその場合は後からでもゆっくり「何故この人はこういった事をいってきたんだろう」と考えるようにしています。耳に痛い事、心にグサッと来る事は必ず何かあるはずですので其処から逃げずに考えてください。更に「素直になる」を深く追求したい方には「素直な心になるために/松下幸之助著/PHP文庫刊」がお勧めです。ちなみにこの本は私の尊敬する渋井真帆さんが「素直になる事が大事」というお話をされた時に「そもそも素直になるってどういうこと??」と思った時に出遭った本です。結構私って幸運な本との出会いが最近多いです。では明日は「自分のこと好きですか?16」です。
2005.08.13
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今回は「仕方ないはいけない言葉?」がテーマです。何故これがテーマかと言うと、「仕方がない」というと「何で諦めているの?」といわれることがたまにあるからです。「仕方がない」という言葉を使う時はたいていの場合、何かを諦めたり断念する時に使われます。しかし私はそれだけではないと思っています。というのも私は「仕方がない」は物事を受け入れる言葉とも思っているからです。例えば私が女である事は変えようのない事実ですし、私が「私である」ことも変えようがないことです。日本人に生まれたのも、今の両親のもとに生まれたのも、どんなに不満があっても変えようのない事実です。また例えばもし貴方が『性同一性障害』だとしたらそれも「仕方のない事」です。自分の力で変えようと思っても変えられないこと、または無理が出る事は「仕方がない事」ですので、受け入れざるおえません。「仕方がない」けど、だからといってそれを逃げ道にする気も実は私はありません。「仕方がない」でも「より良くしたい」、「何とかしたい」、「どうにかする!」「何か方法を考える」というのが今の私の心境です。「仕方がない」現実を受け入れながらもそれのせいにして自分から逃げる気はないのです。またそういったことを考えている限り、「仕方がない」は決して諦めや絶望の言葉ではありません。本当は今、「仕方がない」以外で現実を受け入れる言葉がないかな?と考えています。何かありましたら教えてください。さて、ではどういった時に「仕方がない」が諦めの言葉になるのでしょうか?それは自分でどうにかできる事を何もやらずに済まそうという時の「仕方がない」ということだと思います。中でも「自分のやりたいことをやれない」ことを「仕方がない」といって諦めるのが一番私は問題だと思います。「自分のやりたいこと」をやるのには必ず方法があるはずです。(法に触れない限り)それを「親」とか「環境」とか何かのせいにして自分が動かない限り心に悪い景況を与え続けます。現実は直視しないといけませんが、これから先を諦める必要は何一つないからです。貴方が今「仕方がない」と思っている事は受け入れないといけない現実ですか?それとも自分が動けば変えれるはずのことでしょうか?一度じっくり考えてみませんか?次回は「やりたいことをしてみる」です。
2005.08.12
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「風水を施してみる」がテーマです。というのも自分を変えたい、と思いつつなかなか行動へ移せない人はひょっとしたら今いる部屋の影響かもしれません。なので自分を変えたかったら部屋の雰囲気を変えてみましょう。風水と効くと西に黄色いものを置く、というのが一般的に知られてますよね。でも元々風水は環境学の一環なのをご存知ですか?人は環境によって作られるといいますが、だからこそ今いる部屋の環境を整えてあげれば、其処にすむ人もよくなるというものです。でも最近巷に溢れている開運グッズを買って置けばいい、と勘違いされている方も多々いらっしゃるようですが実はそうではありません。開運グッズといわれる物に確かに効果のあるものも本の一握りあるようですが、買ってもごちゃごちゃのゴミだらけの場所に置いたら逆に運を下げてしまうんですよ。では、どうすれば良いのか。そのためにも第一に掃除!です。これはどの派の本でもインテリア風水に関しては必ず書かれていますが、余り重要視されてはなかなか書かれていません。そんな事言われても掃除をする気になれない、今部屋にあるのは捨てられないという方には、自分を変えたい2でも紹介した「ガラクタを捨てれば自分が見える/カレンギングストン著/小学館刊」をまず読むことをお勧めします。これで掃除をする気にならない人はかなり変わった方かと思います。前回も書きましたがこれで私はだいぶ変わりました。次に整理整頓が大事になるのですが、それも風水でやりたいという方には「運がよくなる風水収納&整理術/李家幽竹著/日本実業出版社刊」がお勧めです。私は一応タンスの中などは出来るだけこれにそって行っています。でもあくまで『出来るだけ』なんです。無理して「こうしなくちゃ、ああしなくちゃ」とやることはありません。そんな事をすると疲れてしまいますし、嫌になって続けれないからです。何度も書きますが、こういったことは何より『続ける』事が大事なんです。ちょっとやってすぐに変わるって事はありません。どうしても風水で即効性を求めるならプロの風水師さんに依頼する事を勧めます。いい風水師さんはやはり金額はかかりますよ。閑話休題。さて、掃除と整理して収納してきれいになったらそれをキープするのが大事です。その上で自分の気に入った風水グッズを置くなり、各種の本の自分の欲しい(変えたい)開運方法を行って下さい。ここでもう一点注意!出来るだけ自分の気に入った風水師さん(または流派)の方法だけを行ってください。やはり風水にもある程度流派がありますので、時々いくつもの本を読むと相反する事が書かれている事もあります。全てをやったら良いのではと思いますが、逆に部屋がごちゃごちゃして混乱することになります。でもさっき二人の方の本を紹介したじゃない?といわれるかもしれません。実は今出ている風水関連の本で「掃除」「収納方法」を詳しく言及している本がこの2冊しか無いんです。なので二人の方になってしまいますが、紹介させていただきました。明日は「自分のこと好きですか14」かな。
2005.08.11
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相変わらずタンゴです。今回はとにかく体力不足を実感しました。夏のせいか地下にあるスタジオは練習中にあっという間に気温があがって、大変体力を消耗します。一曲せいぜい10分なのに息の上がり方が半端ではないです。もちろん酸欠にもなります(笑)ブエルタの練習があって首がきちんと切れない私はまた目が回ってしまいました~。何度説明されても、その通りやってるつもりでも軸がぶれてしまうせいか絶対に目が回ってしまいます。きちっと回れるひとがうらやましい。でも最近軸がぶれにくくなったんですけどね、これでも。相変わらずのリズム音痴のせいで、頭でコンパスのカウントを知らず知らずのうちに取ってしまうようで、また先生に注意されました。くやしい。何が一番悔しいって自分でそれが気づいて治せないことが一番です。体の軸がぶれるのは自覚症状があるのでいま必死で直しています。うーん、自分との戦いだわ。今日もまた軸が後ろに行きかかって必死に立て直してました。まるでカタツムリの歩みのようだわ。来週がお盆休みだから再来週までに何とかしたいなぁ。
2005.08.10
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「自分を受け入れる」がテーマです。そもそも「自分を受け入れる」とはどういうことだと思いますか。「自分を受け入れる」とは、当たり前の話かも知れませんが、いいことはもちろん自分の欠点も困った事もすべて自分であると理解する事です。いい事をやった自分は本当の自分で悪い事や間違った事をしたのは自分じゃない!といっていませんか?そんな事していない?では「〇〇さんは言いがかりばかりつけて来る」「××先輩は私に嫌な事ばかり言うからウザイ」などといった事はありませんか。実際にそういう困ったちゃんが存在するのは否定しませんが、もしかしたら貴方が自分の欠点を受け入れられない人という事かも知れませんよ。では何故人は欠点を受け入れようとしないのでしょう。人には男女問わず少なからず他人に自分を良く見せようという心理が働きます。一般的に「見栄」とか「世間体」とか「面子」といったものです。人間のそういったものは初めっから備わっているのでそれが良いか悪いかというのはとりあえず置いておきます。ただ、その意識が過剰に働くと良く見せようとする事だけが大事になって、他の困ったところとか欠点を必死になって隠すようになると問題がでてきます。そして見えない振りをし続けたあげくそれ自体を自分の意識の見えないところへ追いやって、『無いもの』としてしまう事があるのです。しかしこれは自分の意識から見えないだけで、他の人から丸見えだったりするんですね。例えば自分の服の真後ろが何か拍子で破れてしまったものと思ってください。貴方本人は破れた事にその時は気づいたのに忘れてしまったものです。親切な人、または悪意のある人が貴方の背中の破れがある事を伝えたとします。ところが貴方は破った事すらまるっきり忘れているのです。ここで貴方はお礼を言って一度背中を確認しますか?それとも「そんな事した覚えもされた覚えもない!言いがかりをつけるな」といって怒りますか?何時までも街中で背中が破れたのを認めずそのまま歩き回るより、確認して応急処置をしたり近くの店に入って服を新しくしたほうが良いですよね。ここで言う服の破れは貴方の欠点だと思ってみたらどうでしょう。見ない振りをして他人を悪く言うより、認めて今後気をつけたほうが本当の自分のためになりませんか。ちなみに欠点は必ず誰にもあるもです。「受け入れる」とは直す事でも見ない振りをする事で憎むことでもありません。自分がそういう欠点(美点)を持っているのだと理解する事です。これは自分が欠点が多いと思っている人ほど辛いことでもあります。誰でも認めたくない欠点の一つや二つあるものです。(特に自分で最低だと思っていることが自分の中に存在するという事は認めたく無かったりします)けれど「これもひっくるめて自分なんだから仕方ないよね」と思えるようになったら自分を受け入れたことになるのではないでしょうか。こうなると後は必要以上の見栄などはいらなくなります。自分の中心がしっかりしているから周りを囲う見栄などのよろいは要らなくなるからです。次回「仕方ないはいけない言葉?」です。
2005.08.08
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「感情をコントロールしたい」と思った事はありますか?日々生きていく中で喜怒哀楽は自然と起きます。それはごく当たり前の事ですそして感情は私たちの大事な一部ですが全てではありません。しかし時にはその感情が暴走してとんでもない事を引き起こしたり、後悔できないような自体に発展したりします。よく「怒りに任せて~してしまった」とか「悲しみで胸が一杯で~してしまった」とか後悔を交えて聞くことは(話す事は)ありませんか?これは一体どうしてでしょう。実はこれは本当の自分が感情に飲み込まれて支配されてしまった状態なのです。時々ドラマなどで坂道を下っている車がスピードの出しすぎでブレーキかからないために原則はもちろん止まる事も出来ず、必死にハンドルを操っている状態なのを見たことありませんか?これってちょうど怒りに支配された自分に似ていませんか。車=怒りなどの感情 運転手=本当の自分そうやって置き換えてみると分かりやすいと思います。感情に任せて失敗をしてしまったというのは、コントロールが効かず、ガードレールから飛び出してマッさかさまに落ちていったようなものです。そうなると後で運転手はどうしてそんなにスピードを出してしまったのかと悔やむのと同じ状態ではないでしょうか。でも上手く暴走しないようになりたいのにコントロールできなくて、毎回負けてしまう。どうしたらいいか分からないから感情が暴走したらそのまま突っ走ってしまう。そういう貴方はまず、暴走する感情(特に怒り)を感じたら始めに「落ち着いて」と自分に言い聞かせて見ましょう。そうする事によって感情のままに何かをする事は少なくなります。それでも怒り等が収まらない時は紙に全て書き出しましょう。これは感情のままに書いてokです。そして感情が落ち着いてからじっくりとその紙を見返して見ましょう。それでどう思ったのか、それを知るだけでもセーブする事は可能になります。後でシュレッダーしてしまえば他人に見られることはありません。次に自分が何故そんな感情を感じたのか考えてみましょう。絶対どこかに理由があるハズです。その理由がわかったらもし自分がそんなことをいう(する)としたらどういう場合かを考えて見ましょう。つまりそれが貴方が相手の人にしていた事だったりします。そうすればそういうこちらが感情を波立たせる事をしなければ、自分の感情も波立たないわけです。後は感情を擬人化して抑える方法もあります。これは渋井さんが行っている方法だそうです。怒りなどの感情が湧きあがってきたらそれを悪魔やバイキンマン(アンパンマンはご存知ですか?そのキャラです)に見立ててそれを自分をいじめているのを想像するそうです。それから自分または天使やアンパンマンがパワーアップしてやってきてその悪魔やバイキンマンを「えいっ!」と踏み潰したりやっつけたりするのを想像すると感情が押さえらるのだそうです。ちなみに私はこの方法は合いませんでした。どちらにしても感情そのものが湧き上がってくるのを止める事は出来ません。でもコントロールは可能にしてくれるハズです。一度どちらかをやってみてはいかがでしょうか?
2005.08.07
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「自殺したい人へ」が今回のテーマです。そうでない人にはつまらない話だと思います。「自殺したい」貴方へ貴方が今其処まで追い詰められている理由を私は知りません。何故そこまで思いつめてしまったのか、本当に救いは無かったのか、それは貴方の口から聞かない限り私たちには理解できません。「止めて」という資格は無いのかも知れません。しかし、貴方には生きていて欲しいと思います。私もかつて「自殺をしたい」一人でした。全てが上手くいかず、先行きは絶望的にしか見えず、何処をどう歩いていけばいいのか分からず、アドバイスを頼んだ親には逆切れされた上に罵られ、自分が要らない人間だと思っていました。「何時どうやって死のうか」そればかり考えている時期に当時唯一の友人だった人に言われました。「自殺だけはしないでね」その時私は、ビックリしました。表向き私は自殺したいなんてことは何一つ話してはいなかったのです。それどころか普通に生活をしていました。「自殺するとね、死んだ後も同じ場所に縛られて何処にもいけず、苦しい思いをするんだよ」たしかそんな話をされた覚えがあります。その時思ったのは、「今の状況が嫌で死にたいのに死んでも今みたいな状況になるなら、少しでも生きてマシな状況に行きたい」という事でした。そのときの言葉のおかげで今はかなり、と言うよりとても生きるのが楽しい状況になってきています。でも「自殺したい」貴方には「そんな友達いない、そんな事言われてもピンと来ない」というのでしょう。それならそれで構いません。ただ、貴方が死んでしまったら、これから会うはずだった友達や親友や恋人、伴侶になるべき人を一人ぼっちの孤独に追いやってしまう事になるのです。また、貴方がいることで助かる人や救われるはずの人を見捨てる事になります。あなたはそれで良いのですか?私も今まで、「貴方がいてよかった」と片手で足りるほどですが、言われた事があります。「ああ、あの時自殺せずに生きてきて、この人の助けになってよかったなぁ」その時は深くそう思いました。それでも死ぬと決めたのなら、その前に今までやってみたいのに出来なかった事を必ずやってください。海外へ行く事、思いっきり買い物をする事等の、そう言った今まで自制してきた事全てです。恥や外聞やお金が無くなることを気にすることはありません。どうせ死んでしまうのならそんなものすぐに要らなくなります。(法に触れることや他人の命を奪う事はそれでもやってはいけません)親や親類に迷惑がかかる?自殺そのものが親や親類を泣かす事なので、気にするのもどうかと思います。ただ、誰かを道連れにする事はやめてください。それはただの殺人行為です。寂しいから、一人はつらいから、というのは何の弁明にもなりません。本当の闇に落ちて、光の当たる場所には二度と戻れなくなります。でもやはり出来る事ならば生きていてください。どんなにツラくても、どんなに死んだほうがましだと思っても生きて自分で自分をその状況から救い上げてください。いつか必ず光が見つかります。次回のテーマは「自分を受け入れる」です。
2005.08.06
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「顔を変えたい」と思った事はありますか?こう聞かれて真っ先に整形手術を思い浮かべる人はどれ位いるのでしょう。でも整形すればキレイになれる訳ではないんですよ、女性の皆様。「でもテレビとかで整形した人が出てくるとみんなキレイじゃない」今そういいませんでしたか?では何故彼女達はきれいになったのか。これが分からないとどんなに整形手術をしてもキレイにはなれません。良く見ていると彼女達は整形手術という手段で自分の劣等感を克服し、気持ちが前向きになって自信がついたのが分かります。この前向きのオーラが出ているから彼女達はきれいなんです。よく整形手術をしてはいけない、と聞きますが目的によると私は思っています。例えば、奥二重で目が腫れぼったく見えるから変えたい、とか黒子が変なところにあってい嫌といったような物理的に何とかしないと変えられないものを「整形手術」という手段で解決するのは構わないと思っています。ただし、どんなリスクがあるのか事前にちゃんとチェックする事。全てを受け入れた上で自分の責任で行うのなら問題ないと思います。また自分がどうしたいのかはっきりせずただ「キレイになりたい」というだけで手術を繰り返していては、何時までたってもキレイな人のオーラはでません。ちゃんと自分と向き合って何が不満で何をどう変えたいかじっくり考えましょう。もしかするとお化粧する事であっさり克服できるかも知れません。それに自分の中の劣等感を克服しない限りどれ位整形してもキレイにはならないし、どんなにエステにお金をつぎ込んでも無理なのも理解してくださいね。ところで整形手術なんてお金とリスクがかかる事をしたくないけど、顔を変えたい。キレイになりたい。そう思っている方はいらっしゃいますか?そんな方法ある分けない?いいえ、顔そのものでなく、顔つきを変えるのであれば方法はあります。実は顔つきで印象がだいぶ変わるんですよ。まず一つ目が自分の劣等感を克服する事。時間はかかりますが、自信がつき、下手にお金をかけるよりよほど顔が生き生きとしてきます。知人から聞いた話ですが、彼女は普段ブライダル関係の音楽製作の仕事をしているため、余り人前に出ないそうです。しかし仕事で人前に出なくてはいけない時(披露宴がほとんどだそうです)は服をきちっと着て、最後に鏡を見て「よし、これで完璧、私は美人」と暗示をかけてから自信を持って人前に出るそうです。そうすると人は美人に見てくれると言っていました。自信があるかどうかで顔つきが変わる例かと思います。二つ目は社会、経済の勉強をする事。中学、高校で習った形式的な経済よりもっと現実的な今現在の状況を勉強してくださいね。渋井真帆さんから聞いた話ですが、アイドルをやっていた若い芸能人をイメチェンさせる時、まず経済の勉強をさせるそうです。顔が垢抜けて、知的ないい顔になり、もちろん目の大きさとかあごのラインとか変わりませんが、顔つきが変わり美人になるそうです。方法がわからない?女性の方は東京のMLIが開催している「女のたしなみ経済塾」を受ける事をお勧めします。男性の方はとにかく日経新聞を読みましょう。政治経済を舞台にした小説もいいかもしれません。国営放送の「週刊子供ニュース」お勧めです。これで顔つきを美人に変えましょう。
2005.08.05
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今回のテーマは「自分を嫌いになる人」です。ちょっと大本のテーマから最近ずれてきたようなので軌道修正です。そもそも何故自分で自分を嫌いになるのでしょうか?直接的な原因として、イジメにあったとか、他人に徹底的に(精神的に)叩きのめされたとか、親から人格を否定されたとかいう他人による人格否定が多いのですが、根本的なところでいうと「自己嫌悪」です。では何故「自己嫌悪」が起きるのか。一番多いのは他人(特に親)の期待に応えたいのに応えられないことにあります。他人(親)の期待(要求)に応えたい、期待に応える事で自分を認めて欲しいという欲求は誰にもあるものです。しかしその期待(要求)が自分に見合ったものでないと相手の期待(要求)応えられないことになります。普通はそれまでの努力を認めて、出来なかった事を責めず、次回に期待する事(挽回させる機会を与える)を伝えれば次回にがんばろうと心に誓うだけで、余り自己嫌悪にまで陥りません。(もっとも本人が完全主義者でそんな自分を認めないのであれば話は別ですが)しかしここで相手が自分の期待に応えられなかったものを認めず否定すると、応えられなかった方は相手に認めら無いのでそんな自分を嫌になる(自己嫌悪)、という風にになります。でもこれが1回きりでしたら自分嫌いにまで発展する事は余りありません。でもこれが立て続けに起こり、さらに相手の否定の度合いが反論できないくらい過激になると「自分はダメな人間なんだ。要らない人間なんだ」という思考に陥り自分が嫌になります。特に子供はまだ価値観も自分の軸も定まっていず語彙も少ないので反論できず、親のいうことをそのままうのみにしてしまいます。そうすると物事に消極的になり、上手くいかなくなり更に自分を嫌になるというマイナスの循環に嵌ってしまいます。ここで「自分を嫌い」な人になり、更に他人にそれを「いけない事」と怒られるとさらに消極的に内にこもっていってしまいます。ではこのマイナス循環から救い上げる事は出来るのでしょうか?何度も書いていますが、本人が変わる気が無ければ人間は変わりません。いくら他人(親)がどうにかしようとしても変われないのです。特に感情のままに怒る事は絶対にしないで下さい。自分嫌いな人は強引にどうにかしようとすればするほど相手に不信感を持ちますので、余計に警戒心を持ち受け入れる事が出来なくなります。では、周りで見ている人は何も出来ないのでしょうか?出来る事はあります。まず第一に「自分が嫌い」ということを認めて(受け入れて)あげることです。その人のツライ気持ちを分かってください。実は「自分嫌い」な人は自分を嫌う事しか出来ないことに苦しんでもいるのです。自分を好きになりたい、でも自分で自分の悪いところしか見えず好きなところが見つからない事にもがいています。その気持ちを共感できなくても大変な事に理解を示してください。その上で物事の見方を広げてあげましょう。視野が広がれば自分でどうにかしようという気になるものです。また「自分嫌い」の人は嫌いな自分を消すために自殺を考えている人もいます。こう言う人には自分がその人を愛している事を伝え、自殺だけはしない事を約束して貰いましょう。自殺をしたい人を止めるのはとても難しいです。ただやめろというだけでは何の解決にもなりません。というわけで次回は少し重いテーマ「自殺をしたい人へ」です。
2005.08.04
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昨日・今日と相変わらずタンゴの練習です。変更に次ぐ変更で現時点で何処がどう変わってどう繋がったかが分からなくなりつつあります。整理しておかないと、踊ってる最中に「なんだったっけ??」となりかねません。と、いうか現時点でそんな状態です。ヤバイ!!全体の流れを見ておかしい所を変えて、また見て変えての繰り返しのため、変わる前の振りが身体に染み付いているためにすぐに変えれないあたり、かなり不器用だなぁと感じます。細かいパソなどすぐに取れない為、後でちゃんと確認しておかないと流れで出来なくて困ったり・・・。現時点で足の打ち方や、体の使い方を微妙により良く変えようとしているためすごく動きにくい状態です。(重心とか頭の位置とか)気をつけないと悪いクセで踊ってしまうから全然進歩しないし。何処かレンタルスタジオ抑えて一人で踊ってみないとかなり困った事になりそう。救いは何処があやふやで分かっていないかを把握していることかしら。現在ウチのクラスでスペインのシューズ工房にネットでシューズを注文しようと言う話が出ています。足幅や靴のベルトなどを選べるっていうから、頼もうか考え中。今AMAYAのシューズだけど、足の甲が低いためベルトを一番きつくしてもちょっと緩い感じで、悪くないけどかかとが安定しないからタコンが打ちにくくて困っているのよね。(ゴムベルトのときよりましだけど・・・。あの時は下手するとシューズが抜けそうになったから。ワンサイズ小さいと足先痛くてプランタが打てないし)前すべりや横滑りしにくいと先生のお墨付きなのでいいなぁと思ってます。意外とぴったりするのってないから困りますよね。
2005.08.03
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今回は自分を変える本の使い方です。最近良く自己啓発の本がいっぱい出ていますよね。「〇〇になる方法」とか「××になるテクニック」とかいうタイトルの本の事です。買ってきて読んだのは良いけど「これって絶対私には実際に出来ないわ」と思う事が一杯あったりして、結局本棚の片隅に置いてあったり、古本屋に売ってしまったことってありませんか?以前にも少し書いたのですが、こう言う本に書いてある事の全てが全て実行出来る人ってのはいません。特にテクニック系の本なんか出来る人が出来る基準で書いてあるために、これからやろうとする人には全然参考にならない事が良くあります。(パソコンの取扱説明書と一緒ですね)しかし本当はテクニックの数に圧倒されて、それだけで出来ないと思い込んで放棄してませんか?こういった本はあくまで教科書ではなくて、参考書です。しかも自分に参考になる事だけをやれば良い都合のいいものです。一つでも「あ、やれそう」と思う事があれば、それだけで良いのでやってみましょう。やってみることが一番大事。何かと理由とつけてやるのを伸ばしてはいけません。とにかく1週間でも、2週間でも自分が決めた期間やってみましょう。そしてそれが出来たら自分を誉めてあげて、もし出来なかったら、何で自分が出来ないかを考えれば良いんです。ハードルが高すぎましたか?やる時間帯に無理がありませんでしたか?ハードルが高かったら、どれくらいのレベルなら自分が出来るか考えてちょっとハードルを低くしてしまっても大丈夫。本の通りではなくなるからダメ?ダメではないです。最初は低くした後に本の書いてある通りの事をすればいいのです。たとえば地面からいきなり2階の屋上へ行けって言われて、鳥ではないので飛んでいく事は出来ませんよね。地道に階段で行くか、壁にはしごをかけて一段一段上がっていくかですよね。慣れてくれば、一段飛ばしで上がっていくことも出来るでしょう。もしかしたらそのうち一気に行く方法を見つけているかも知れません。それと同じだと思ってください。ちなみに自分の変わる体験を書いた人の本はちゃんと地道な順番で書いてある事が多いので、(「愛されてお金持ちになる魔法のノート」とか「キッパリ」とか)わざわざ自分で階段を作る必要がないことは多いです。でも自分には高い壁だわ、と思ったら踏み台を自分で作りましょう。それを超えてから高い壁に挑めば思ったより低いとこにあるかも知れません。目的は本の通りにやることではなく、自分を変えることですので、其処の所は間違いの無いようにしてくださいね。これが一番はまりやすい落とし穴かも知れませんが。
2005.08.01
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