2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
全23件 (23件中 1-23件目)
1
「落ち込むという事」は誰にでもあることです。大事な場面で失敗した、失恋をした、自己嫌悪など原因は様々です。落ち込んで直ぐに立ち直る場合もあれば、なかなか浮上せずに回りに迷惑をかけることも在ります。こう言う時はもうどうしようもないので他所様のいない、迷惑の掛からないところで思いっきりどっぷり落ち込むことをお勧めします。気分というものは底の底までたどり着いたら嫌でも上がっていくものです。もしこれが上がっていかずに何ヶ月も地下鉄をやっているのでしたら、心療内科もしくはカウンセラーやセラピストに相談する事をお勧めします。しかし出来ればそんな「落ち込むこと」に遭遇したくはないですよね?どうしたら落ち込まずにいられるのでしょうか。「何かを失敗して落ち込んだら自意識過剰になっている」という様なことを仰ったのは渋井真帆さんですが、最近この言葉を私は実感しています。人間多かれ少なかれ失敗するのは当たり前です。ただその失敗した時に頭の中で「失敗した~!どうしよう!!」ばかりで埋め尽くされてしまって思考停止して自己嫌悪に陥った状態が「落ち込む」ということのようです。(経験では)自己嫌悪をすること自体が悪いとは思いません。ただ自己嫌悪に陥ると自分しか見えなくなって、周りの人への配慮が足りなくなるのです。自分のことしか見えないと自分の失敗だけが目の前に大きく立ちはだかり、他のものが見えなくなってしまいます。そうするとどうしたら良いか分からなくなり、余計に目の前の失敗したという事実にだけ目が行ってしまうのです。そうならないためにも失敗してしまったらまずその失敗を挽回するためにどうしたら良いかを考えましょう。相手がいるならどうしたら相手が満足するかを考えると良いでしょう。もしここで考えようとしても何も考えれない思考停止に陥ってしまったら(どうしたら良いかわからなくなってしまったら)、必ず誰かに相談しましょう。その時に相談者が罵倒しかしないようであるならそれは相談するに値する人ではありません。さっさと力になってくれる人の所に行きましょう。そうして失敗の挽回が出来ればただ単に落ち込むだけの状態からは抜け出せるはずです。それどころか更なる自信に繋がるでしょう。また失敗したデータをもとに失敗しない仕組み作りも出来るようになればよりよくなるはずです。もし挽回するだけの事をして、反省して次回の教訓になったことを忘れないようにしても気分が落ち込む事があります。その場合は少しくらいなら責任転嫁をしてしまいましょう。分かっているかと思いますが反省なしに責任転嫁をしてはいけません。それはただの無責任な無能な人間です。・・・ただし失恋に関しては迷惑の掛からない程度に思いっきり責任転嫁してしまいましょう。また超ポジティブな考え方も落ち込まないための方法です。落ち込みそうになったらノートにポジティブキングなことを一杯書きましょう。それでも落ち込むハメになったらレンタルで泣ける映画やドラマを借りてきたり、本やCDをかけて思いっきり泣くのをお勧めします。これが結構スッキリして心が軽くなるんですよ。「落ち込むという事」は自意識が過剰になっている状態、「落ち込まない」為には自分以外に目を向けるという事をはっきりと自覚してください。それでもどうしても落ち込む状態になったら一人になって(周りに人がいるとこでは落ち込まない事!)どっぷりハマって泣いて流してしまいましょう。次回は「知っている事と理解している事」です。
2005.10.31
コメント(0)
テレビを見るのを止める。貴方は家にいるときどれ位テレビをつけていますか?そしてそれをちゃんと「見たい」と思って見ているのはどれくらいですか?もしだらだらと何か音が無いと寂しいからといってつけているのであれば、思い切ってスイッチを消してしましましょう。テレビを消すとやる事がない?そんなはずはありません。将来の自分の事を考えたり、今ある問題を書き出してみたり、部屋の片付けをしたり、手足の手入れをしたりやれる事は沢山あります。本やテレビで見たダイエット体操やピラティスをしても良いでしょう。何か音がなければ寂しいのであれば自分の好きなCDを欠けたりMDを聞きながらやればいいのです。それが飽きてしまっているならFMラジオを聞くのも楽しいです。テレビを見ること自体が悪いと思っているわけではありません。面白かったり、楽しかったりワクワクしたり、難しい問題を優しく解説してくれたりとテレビはテレビのよさがあります。なので貴方が「見たい!」と思ってみるテレビ番組は悪いとは思いません。問題なのは垂れ流しのテレビ。付けっぱなしにしておくと何気に見ていてボーっとしているとだんだん思考力が低下していきます。だんだん考える事をしなくなっていくのです。これって怖い事だと思いませんか?見ながら色々と明日の仕事の事や宿題をやれる人は構いませんが、そうでなくついボーっとしてしまうのであれば、見ないほうがどれだけましか分かりません。もっとも貴方が何も考えずにボーっとしたいのならそれも構いませんが、それは一種の逃避なので出来ればやめることをお勧めします。物事から逃避していて良い事は何もありません。ちなみに同じ垂れ流しでも朝、テレビを時計代わりで使っているなら問題はないです。もし貴方が見たい番組がないのにテレビをつけているとしたら、その1時間だけでもテレビを消して自分と向き合ってみてはいかがでしょう。何か変わるかもしれません。明日は「自分のこと好きですか?38」です。
2005.10.30
コメント(0)
3ヶ月ぶりに美容院に行って来た。元々セミロングで長い期間行かなくてもあまりそんなにだらしなく見えないように切ってもらっているんだけど、いい加減重いし、はねるし、絡むし、困っていた。本当は先月中に行く予定だったけど、予算と予定が狂いまくっていけなかったんですよね。今行っているところ、元々気に入っていたスタイリストさんが支店移動してしまって、そこが行きにくいので指名せずに行ったら今回の人は結構良かったです。最初喋り方がマシンガンみたいでちょっと引いてしまったけど、カラーもアドバイスしてくれながら強要しないし、髪質もさらっっと触っただけで見抜いてこうした方が良いといってくれてそのとおりにやってしまいました。すごいなーと思っていていたら、やっぱトップアーティストで本来ならカット料金が一番高い人でした。指名せずに行ったから一番割安な料金だったけど、でもこの人なら高い料金払っても全然平気だなって思いました。それくらい満足しましたよ、技術と話題に。ちなみにそのお店、4段階くらいスタイリストさんのレベルを分けています。今まで下の人で切って貰っていたけど、やはり上のレベルの人のほうが良いですね。当たり前の話だけど。でも技術とか上に行くとイマイチ人当たりが悪くなる人多いからどうかと思っていたけどこの人ならOKって思いました。お客様を大切にしようという気が溢れていて、色々とやっぱりプロだなぁっと思いました。今まで変なプライドだけ高い人に当たっていたのネ・・・。ちなみのその人は男の方です。女性で男性に髪の毛を切られるの嫌って言う人多いけど、私は平気です。そういえば今のお店以外に続けて行っています。大抵1年くらい浮気すること多いけど何か気に入ったのよね。平均的に技術が高いからかなぁ。明日は「自分を変えたい」を書きますね。
2005.10.29
コメント(0)
貴方は「笑顔のちから」をご存知ですか?好きな人の笑顔はもちろん、そうでもない人の笑顔も自分の笑顔にも沢山のパワーが詰まっています。そう言っても24時間ずーっとニコニコしていることが出来るわけではありません。嫌な事があって怒ったり、落ち込んだり、悲しくて泣いたり、疲れて無表情になったりしてしまいます。すごく好きな人の心からの飛び切りの笑顔を見ればきっと直ぐにパワーを貰えるのでしょうけど、仕事中などでしたらそういうわけにはいきません。ケータイ等で好きな人の全開の笑顔を撮っておいて、待ち受けで見るのも出来ますが、それでもどうしても浮上しない時もありますよね。そんな時ちょっとだけ休憩を取って鏡をみて無理矢理で良いので笑顔を作って見てください。その時の無理矢理笑顔は上の歯の犬歯を見せるように口を大きく横に開いてください。でもしたの歯は見せないように気をつけてください。目は無理に笑わなくてもこの笑顔を作ると自然に笑ってしまうので気にしないように。今ここで手鏡でも良いのでやってみてください。どうですか?何かちょこっと心が軽くなりませんか?私の場合不思議な事にこれをやると「よし、がんばるぞ」という気持ちが湧いてきます。そうして笑顔で仕事をしようという気になるのです。以前は私は笑顔でいることに何の意味があるのだろう、と思っていた時期がありました。特に「女の子は笑顔でいなくてはいけない」なんて聞いた時は差別だと怒っていた時期もあります。更にあまり笑顔でいない私を母親が嫌味をネチネチ言った事もあり、心に鎧をまとって余計に笑顔でいることを辞めていたこともありました。しかし笑顔が仕事や世代を越えたコミュニケーションをとる為に最大の武器になったり、ツールになるという話を聞いて「これは使わない手はない」と思い笑顔で居ようと思うようになったのです。実際に笑顔でいると他人もニコニコ笑顔でいてくれて、自分までうれしくなって余計に笑顔でいるようになります。そういういい順めぐりが続くのを感じました。自分が不機嫌でいると周りまで不機嫌になります。自分が笑顔でいると、周りも自然に何時の間にか笑顔の人が増えていきます。笑顔でいるように心がけるだけで周りが明るくなるのです。もし貴方の周りにいつも不機嫌な表情の人がいても嫌味や陰口を言ってはいけません。その人はますます意固地になって不機嫌オーラを撒き散らすだけです。むしろ笑わせてみましょう。上手くいかずにスベッても、ドン引きされてもそんな自分を笑いものに出来るならそれも笑いを引き出すネタになるはずです。そんな貴方を『お調子者』という人がいても怒ってはいけません。それをネタにコミュニケーションを笑顔でとってしまいましょう。貴方がもし今、上手く笑顔を作れなくても、無理矢理な不自然な笑顔でもそれは構わないのです。無理無理笑顔でも出来るだけそうなっていようとすると、自然に魅力的な笑顔が作れるようになるのです。次回は「落ち込むという事」です。
2005.10.28
コメント(0)
他人を見て自己分析をしてみる。貴方は自分で自分のことを知っていると思っていますか?「当然!100%把握している」「大体把握していると思うけど、分かってない部分もあるかも」「自分の事だから知っているもんじゃないの?」「実は自分で自分のことが一番わかってないみたい」大体大きく分けて上の4つくらいが一般的な反応だと思います。ところで、貴方の近辺に(会社とか学校とかバイト先等など)になんかものすごぉくムカツク人はいますか?ものすごくじゃなくてもなんとなくムカムカする、でも同じです。そして貴方は何でその人にムカつくか理解していますか?実はそのムカツクところが貴方が持っている自分で自分が嫌だと思っているところなのです。または自分が欲しいと願いつつ持っていないくて強がっているところ。もしここで「そんな事絶対にない!!勝手な事言わないで!!」といった貴方は自分で自分の嫌な所(欲しい所)を見ないように蓋をしているだけなのです。通常ただ単に自分とはまるっきり違う人と出会った場合、それだけ本当にムカついたり、イラついたりする事はほとんどないのです。もしこの段階でまるっきり違う人を『ムカツク』と思った場合、自分が他人を受け入れるキャパシティが狭いのを無意識に知っていて、それを強く意識させるから嫌になることが多いようです。このように誰かに対して自分が抱く感情によって自分のことを知ることが出来るのです。それはマイナスの感情だけでなくプラスの感情も同じ事です。誰かに対して「嫌だな」と思ったら、ぞれは自分の中に同じような所がありどうにかしたいと思っているところ。同じように誰かに対して「素敵だな」と思ったらそれは自分の中にある同じ要素が表に出たがっているのです。こうしてみると自分はどうなるのを嫌がってどうなりたいのかが見えてきます。それがはっきりしたら後はどうしたいいかを考えて実行するだけです。そう考えると周りにいるいい人も悪い人も自分で自分を磨くために何処を磨けばいいのかを教えてくれる先生になります。自分で自分の望みが分かれば自分を変えることは誰にでも出来るのです。次回は「自分のこと好きですか?37」です。
2005.10.27
コメント(0)
リサイタルの練習がメインでした~。と言っても火曜日はしっかりきっかり基礎練習。体の中心をキープしながらのブラソを大きく動かす練習をしたのですが、これがまた以外に大変でした。周りの空気も動かしてもっと伸びて!といわれましたがなかなかできているのか出来ていないのか分かりません。でも先生の言う「中心をちゃんとキープしているから自由に体が動かせるのよ。中心がなければただめちゃくちゃに動いているだけで自由も何もないの」という説明はとても納得しました。体の中心からブラソを動かすように意識するのは基礎練習中は出来るけど、踊りの中では別の方に意識が飛んでいるのでなかなか出来ないのが問題ですね。私の今週のレッスンテーマは身体を立体的にキープするだったのですが、それをやると何故か音がずれたり、振りを忘れたり。どうも客観的に意識をもって踊りに集中するという事が出来ない。情けない。今日もパソのリズムがずれる!と厳しいご指摘を戴きました。リズムを正確に追いかけると体のキープがおろそかになるし、体の中心のキープを心がけるとリズムが甘くなるので困ったものです。どうして両方出来ないんでしょう・・・。まあ問題が山積みと言うことはそれだけまだまだ成長する余地があるのね、と自分を慰める一日でした。
2005.10.26
コメント(0)
「私って依存症?」と思ったことはありますか?誰でも『これだけはすごい好きだから手放したくない!』といったものはあるものです。しかしそれが無いと文字通り生きていけないといったような知らず知らずの内にそれに依存してしまうと自分らしく生きるのが難しくなります。依存とはそもそも力のあるものやものに寄りかかっている事、と国語辞典にはあります。つまり物事を判断する基準が自分でなく他人にあるということ。または自分で考えずに他人の価値判断で物事を決めるという事です。これはある意味自分で考えたりしなくて済むし、誤ったとしても自分が下した判断でないので責任転嫁をしてしまえば自己嫌悪にならなくて良い一見楽なことに見えます。しかしこれはとても怖い事です。気がついたら洗脳されて、誰かを殺しているかもしれません。犯罪を犯しているかもしれません。自分で自分のことを考え、周りを見て状況判断するのを放棄する事は自分で自分の生き方を決めるのをやめて自分をを殺している事になるのです。最近良く聞く「依存症」も同じようなものです。ただ、こちらがもっと怖いのは気がついたら「依存症」になっていた。ということがよくあるからです。それは何故でしょう?実は最近の依存症は「人」ではなく「物」に依存しているからです。「物」とは文字通り私たちが使う道具の事です。もちろん普通は私たちが「主」となって物を「従える」のですが、依存症は物が「主」になって私たちが「使われる」状態になっているのです。これがなくては不安で不安でたまらない、在ってもそれが気になってずーっと気にかけてしまう。そんな事ありませんか?これが新しく何かを買って1週間目とかならまだ普通です。欲しかったものを新しく手に入れたらうれしくて手放したくないのは当たり前ですから。ただこれが半年以上も経ってそれが無いと不安で不安で仕方がないとなったら依存症を疑ってみて良いでしょう。ただこれが大きなトラウマを受けた後や不安定になりやすい小さい子供でしたら問題ないでしょう。それが精神安定剤の代わりであるなら、心の傷が癒されれば自然とそれを手放す時が来るからです。ちなみに「中毒」という症状は欲求が満たされればある程度それがなくても大丈夫なインターバルの期間があります。この「中毒」の度合いが過ぎればやはり「依存症」になります。貴方が今何かがなければ生きられないと思っているものがありますか?それは少しでも手を離したら不安で怖くてたまらなくなりますか?もしそういうものがあるとしたら、貴方はそのものを主人としてそのものの為に生きている事になります。生きていく事は自分が主人でなくてはいけません。周りの物は自分が生きるための便利な道具や彩りであって、それに縛られるためのものではありません。物はコントロールするものであってそれにコントロールされていてはいけません。一度じっくり考えてみてください。次回は「笑顔のちから」です。
2005.10.24
コメント(0)
5年後、10年後貴方はどんな自分でいたいですか?5年後が具体的に分からなければ1年後でも構いません。1年後の自分はどんな自分で居たいでしょうか?「1年も先の事なんてわかんなーい。大体途中で事故にあって死んでいるかもしれないじゃない」もし今そう答えたあなたは今すぐその考えをゴミ箱にポイ捨てして蓋をしめてしまいましょう。とりあえずどんな考え方でもいいです。1年後どんな自分になっていたいのかはっきりさせましょう。「10キロ痩せていたい」「月収を増やしたい」「素敵な恋人とラブラブな結婚式をあげていたい」どんな事でも良いです。絶対1年じゃ無理だよう!という事でもとりあえずは構いません。というのは本気になれば無理なんてことはありえないのです。100%は無理でも50%でも達成できていたそれは自分が1年でそれだけ進化したという話になります。それってとてもすごい事ですよね。とりあえず自分がどんな風になりたいのかがはっきりしたら、次にそれを達成するために何が出来るか考えましょう。もし10キロ痩せたいとしたら1ヶ月で約900グラム落とせばいいのです。そうやって考えらば出来そうですよね?一日のプラスマイナスは置いておいて一月後に今の体重から900グラム落ちていらば良いんですから。仕事の月収を上げたいならまず会社で何を求めているのかをちゃんとリサーチしましょう。何を求めているか分かったらそれがどうやったら出来るのかを考えましょう。これはもしかしたら1年ではクリアできないかも知れません。でも3年後に「1年後にあげたい月収の目標」の3倍になっていたらすごいですよね。めんどくさい?そう思った貴方、では1年後今と変わらず不平不満を言っている自分と少しでも夢に近づいてニコニコ笑っている自分、どちらになりたいですか?そりゃあニコニコ笑っている自分が良いけど本当に笑っているかどうか分からないじゃない。そういった貴方は「失敗恐怖症」に取り憑かれています。1年後は失敗して泣いていてもそのまた1年後は失敗した以上に笑っているかもしれない。そもそも「失敗」を前提にするから失敗する事も多いのです。「成功」すると考えて行動すれば「成功」を引っ張り込む事が出来ます。もし今のままで居たくないのならとりあえず行動しましょう。どんなに知識を蓄えても動かないと何もなりません。本当に自分を変えたいなら言葉を言うより行動しましょう。明日は「自分のこと好きですか?36」です。
2005.10.23
コメント(0)
今回のテーマは「自分と向き合う」です。最初は予告どおり「孤独の勧め」で書いていましたが微妙に内容がずれてしまったのでタイトルテーマを変えさせていただきました。あなた方は気の置けない友人達と集まるのは好きですか?もちろん沢山の友人といる事は楽しいですし、また人と繋がっていると実感できるので好きな方は多いと思います。でも同時に一人でいる時間も本来はとても大切なことなのをご存知ですか。メールも電話も無いと一人でいるとどうしていいか分からない、という人が最近多いと聞きました。特に他人と繋がっていないと落ち着かないとか。これってとても怖い事です。本来自分一人でいる時間とは自分だけのために時間を使える貴重な時間です。この時に将来の事を考えたり、自分を磨く勉強をしたり、特にじっくり自分と向き合う=自分が本当に望んでいることをはっきりさせるために使えたのです。特にどういう自分になりたいのか、そのためにどうしたら良いのかを考えるには他人に邪魔されない時間にじっくりと自分の心を見つめる事が必要になります。ですから一日のうち10分でも自分と向き合う時間を与えるのはとても大切です。「愛されてお金持ちになる魔法の体」と言う本ではなりたい自分になるために出来るだけ具体的に想像する事が必要とありました。そしてそれは知人・友人が近くにいると困難になります。こう言うことを考える時は友人知人が近くにいると要らない見栄をはったり、(こんな風になりたいなんて私って変かな)という心配をしてしまいがちです。またどうしてもそちらに気が向いたり、使ったりして自分の心をまっすぐ見ることが出来ないのです。ですから「孤独」になることをお勧めするのです。また一人で家にいてもテレビはDVDを見ていたり、家事に追われていては自分と向き合う時間が取れません。もし貴方がメールも電話も無くテレビやDVDもない状態が怖いと思うのならそれは自分自身から逃避しているのです。自分の本当の望み、本当にどうしたいのかをはっきりさせることを怖がっているのです。しかしそれでは本当の自分の望みどおりに生きていく事はもちろん、どんな問題も解決しません。本当に自分らしく生きる事も難しくなります。一人になって、静かに自分で自分が本当に望んでいることは何なのか、または自分はどんな自分にだけはなりたくないかをはっきりさせましょう。そうしてそのために自分はどうすればいいのか、どうすればそれが出来るのかその方法を考えましょう。人と関わりあって生きていく時間はとても大切です。人と関わる事で得られる体験は誰にも盗まれない大切な財産です。しかし一人きり孤独な時間を自分と向き合うために使うのもとても大切な事なのです。次回は「私って依存症?」です。
2005.10.21
コメント(0)
相変わらずリサイタルモード・・・。別に良いんですけどね、微妙な気持ち。先生の指導の仕方がかなりキツクなってきました。確かに打って響くような私たちではありませんが、その言い方はちょっと・・・という気がしています。まあ、確かに何度言われても癖がついているからなかなか直らなくて困るんですけど、それで怒られても困ってしまいます。十代の人たちならともかく私たち平均30代ですから・・・。それに体の使い方は日ごろの行いですし、それを直ぐに修正できるなら私たちの踊りのレベルはもっと上がってますって。昨日、今日とやって先生にチェックされたのは聞いているようでパルマをきちんと聞いていないと言う事。確かに言われるとその通りかも。聞いているつもりになっているみたいです。気をつけなきゃ!と改めて気合を入れなおし。+足の細かくて速いパソで上体の芯ががきちんとキープ出来てない。これはきちんとやっているつもりになっていたから目からウロコでした。確かにチェック入ったところまで神経が行って無かったです。要注意を受けてしまいましたので気をつけないと来週が怖いです。それにしても本日は集中力が欠けていて、めちゃ振り付け間違えた。どうも仕事がヒマだとフラメンコの集中力も欠けるみたい。変なの。普通は仕事が忙しいと疲れてフラメンコの方の集中力が出ないんだろうけど、最近は逆に体が疲れていても集中力が持続するみたいで踊りに気合が入ります。なんなのでしょうねぇ。
2005.10.19
コメント(0)
自分の問題から逃げるのを辞める。貴方は困った事や厄介な事から逃げていませんか?もちろん、本来関係の無い厄介事や揉め事に関わる必要はありません。不可抗力で巻き込まれてしまったとき以外は出来るだけ逃げて正解です。しかし自分が直面した自分の問題から逃げていては何の進歩もありません。そのときその場からは逃れられたと思っても自分自身の問題はいつかまた必ず何処かで直面してきます。正面から直視せずに見ない振りしていても消えたり、勝手に解決したりする事はありえません。とはいってもなかなか今まで逃げてきた人間にとってそれをするのは難しい問題です。まずは何より以前に書かせていただいた「言い訳を辞める」事が大切に成ってきます。言い訳は自分の罪悪感や責任逃れしかしません。より自分を貶める事になりかねません。何より、自分が自分で立ち向かわなくてはいけない問題からの逃避をしてしまいます。もちろんあまりのことに自分の頭が思考停止をしてしまう事があります。それは貴方がその問題に立ち向かうのに慣れていないからです。そうなってしまった場合ここで大事なのは「自分が思考停止をしている」と自覚する事です。思考停止してしまうのはあまり誉められた事ではありませんが、それを自覚する事で自分がその問題に立ち向かうのにまだ時間が必要だと理解できます。思考停止を自覚できたなら一度その問題を棚上げしても問題はあいません。あくまできちんと改めて向き合えるまでの一時の棚上げです。もちろん棚上げしている最中に貴方はその問題を解決するための方法を色々と探さなくてはいけません。ここが逃げや逃避とは違う所です。例えて言うならば思考停止状態は、貴方の行く先に高い壁があってそれを越えなくては行けない時に、何も装備も無く壁によじ登ろうにもどうすれば良いか話から無い状態。一時の棚上げは壁を登るための対策を立て直したり装備を整える為にいったん戻る事に当たります。ちなみに逃げや逃避は壁があるからそこに行きたくなくてそのあたりをぐるぐるうろうろしている状態と思っていただければ分かりやすいかと思います。そうしているうちに問題を解決する方法をみつけて解決する事になると思います。一方そこら辺をうろうろ、ぐるぐるしているだけでは問題解決にならないことはお分かりですよね。挙句のはてにその壁があるのが悪いと八つ当たりしてみたり・・・。こんなことしていても問題は解決されません。問題は立ち向かうと以外にあっさり解決することもあります。自分が初めて見るものが心理的に大きくみえたり怖く見えたりするのと同じかもしれません。「幽霊の正体みたり枯れ小花」と言うことわざもあるくらいです。問題の大きさは自分の心理状態と関係しているかもしれません。あなたは今、自分の問題を抱えていますか?それから逃げ出さずしっかりと解決しようとする事が大事です。明々後日は「自分のこと好きですか?35」です。
2005.10.17
コメント(0)
貴方は「ギブ・アンド・ギブ」の関係と言うことを聞いた事ありますか?「『ギブ・アンド・テイク』なら知っているよ」と言う方は多いと思います。「ギブ・アンド・テイク」とは利益を与えるから利益を貰うという互助関係の事をいいますよね。日本語で言うなら「持ちつ持たれつ」。でも日本人にとってこれはある意味必ず見返りを求める関係でもあるのをご存知ですか?よく特に女性で「○○さんってば、私が××してあげたのに△△してくれない。普通ギブ&テイクでやるでしょ?!」と言う人がいます。これはとっても悪い意味でのギブ・アンド・テイクです。これは見返りをいつも求めている状態です。自分の欲しいものを貰わないと相手の欲しいものを与えない行動、つまり代償行為です。自分はそれで満足するかもしれませんが、自分以外の人は満足していない事があります。なぜかと言いますとそれはもしかしたら他の人にとって不本意な不利益をもたらしているかもしれないのです。貴方はその人に利益を与えたと思っているかもしれませんが、自分の求めた利益がその人に与えた以上の不利益を与えていたらどうでしょうか。もしそれが度重なるとその人は貴方に近づかなくなります。貴方の近くにいればいるほど自分が不利益を被るのは納得行かないからです。もちろん逆の立場にいたら貴方は絶対にその人に近づかなくなるでしょう。さてそれを踏まえると「ギブ・アンド・ギブ」と言うのはお互いに出来る事を与え合う関係と言えます。どういうことかと申しますと、こう言う人たちは自分が出来る相手の利益になることをしたあとに決してこれといった見返りを求めません。けれど人の情として力になってもらったことは力になってあげたいものです。ですから自分の出来る範囲でその人の助けになってあげるでしょう。自分の力で出来なければそれが出来る他の人と引き会わせたりするでしょう。結果として第三者の目から見て「ギブ・アンド・テイク」に見えるだけです。そう考えると本当にいい人間関係はこの「ギブ・アンド・ギブ」の関係といえると思います。相手を大切にして、自分も大切にすると相手も自分を大切にしてくれます。またその利益を得る事のみ考えていいては「ギブ・アンド・ギブ」とはいえません。貴方は今「ギブ・アンド・ギブ」をしていますか?それとも「ギブ・アンド・テイク」をしていますか?次回は「孤独の勧め」です。
2005.10.16
コメント(0)
貴方が本当に自分を変えたいと思うなら、変えたいことを忘れずに続ける事が大事です。そうは言っても毎日の忙しさにかまけて知らず知らずのうちに元の状態になっている事もあるはずです。また流されて何時の間にか本末転倒になっていることもあるでしょう。もし貴方が今、最初に思ったとおりに出来ていない!と気づけたとしたらそれは大変すごい事です。突然変わってしまうことには誰もが気づくのですが、日々少しづつ変質してしまう事はなかなか気づけないものです。例えば貴方が毎日学校や会社まで通っている道(街)も少しづつ変わっていっています。例えば新しく店が出来た、道路工事で道幅が変わった、古い家が無くなってマンションになった等。毎日毎日貴方は見ているので変わった時は「変わった」と思うのですがあっという間にそれは日常の中に埋没してしまいます。ですからいつも通る場所は「特に変わっていない」と言う印象なのです。しかし貴方が学校や会社が変わってその場所に行かなくなり何ヶ月かして見るとずいぶん変わっていて愕然とした経験は無いでしょうか?自分を変えることも同じ事が言えます。少しずつ緩やかに変わっていけば、久しぶりにあった友人には「何か変わったよね?」と言われるでしょう。もしそれが無ければ貴方は変わろうとしていながら変わっていないことになります。以前にも書きましたが、「自分が変わる」と言うことは微妙に違和感があるはずです。今までと違うものになるのですから、今までと同じであるはずがありません。またしばらくしてなじんできたら昔の自分に違和感を感じるはずです。もし貴方が以前自分に違和感を感じず、何かおかしいと感じたなら貴方は変わっていないことになります。「変えたい」事が変わっていないのなら確実に貴方は「変わろう」としていながらそのこと自体を変質させて元に戻っているのです。これでは元の木阿弥です。しかし同時にそれは誰にでも起こりうることです。変えたいことを変質させずにいくにはそれを忘れないようにすることが一番です。そのためにはまずそのことを紙に書いておく必要があります。そして何処でも良いので自分が絶対目にする所に貼っておきましょう。またパソコンのスクリーンセイバーにするのも、携帯の待ち受け画面にするのもお勧めです。必ず目にするので自己チェックになります。一種の自己暗示ですがこれは効きます。十分に変わったと思ったら次ぐに変えたいことに変更しましょう。大体3~6ヶ月スパンで見直すとより良いでしょう。明日は「自分のこと好きですか?34」です。
2005.10.15
コメント(0)
「出来る事・出来ない事」を貴方はどう判断していますか?人間誰でも「出来る事」と「出来ない事」があるのは当たり前です。ただ自分の能力を過小評価せず、過大評価せずに行う事は難しいです。例えば「自転車に乗る」事は誰でも練習すれば出来るようになる事です。しかし少し練習すれば直ぐに乗れる人と練習を一杯しないと乗れるようにならない人というのは存在します。少しの練習で直ぐに自転車に乗れる人をみて、一杯練習しないと乗れない人が「自分が自転車に乗ることが出来ない」と思い込んで練習を途中で止めればその人はずーっと自転車に乗れなくなります。自分で「自分が出来ない」と思った時点で出来る事も出来なくなるのです。これは「自分を変えたい」でも書きましたが、自分の可能性をも否定する事です。一方で短距離の世界新記録を出すという夢は子供のうちならまだしも、大人になってからでは一般人が自分の力だけでとても出せるものではありません。これが「自分が出来ない」と言う現実を受け入れる事です。しかし私たちは自分自身が新記録は出せなくても、新記録を出せそうな人のサポートをすることは出来ます。栄養バランスのよい食事を提供する事、ウェアや靴を開発する事、練習メニューを考える事、応援する事等等。自分一人の力だけでは出来ない事も他の人の力だったら出来る事もあるわけです。と言うより他人の力(助け)があれば出来ない事はなくなるのです。もし貴方が何かやり遂げたい夢があるならば自分ひとりの力だけで全てをやろうとするのは辞めましょう。もちろん、他人に100%依存するのは最初っから間違っているので論外です。自分の力だけで出来る所までやってみる。どうしても出来なかった所は他人に手伝って貰う。もちろん貴方も他人の夢を手伝えばいいのです。そうすれば出来ないと思っていたことも出来るようになります。世の中は「死を避ける事」と「時間を戻す事」以外であれば出来ない事のほうが少ないのかもしれません。もし今貴方が自分を嫌いだとしても、貴方が自分を好きな自分になる事も出来るはずです。自分の可能性を否定する事と現実を受け入れる事を混同してはいけません。今出来ない事は「今」と言う時間軸で「出来ない」と言う現実であってこれから先の未来まで「出来ない」と否定しているわけではありません。これから先の未来は「出来る」可能性があるのです。それを忘れてはいけません。次回は「ギブ・アンド・ギブ」です。
2005.10.14
コメント(0)
物事の枝葉にのみ拘るのを辞める。貴方は物事に拘るほうですか?それは大きな範囲でのこだわりですか?細かい所まで拘りますか?現在この「自分を変えたい」で書いていることは枝葉を見て、木を類推しながら木の全体を見て、森全体を類推しながら森を見る事をになります。身近な小さなものからだんだんと範囲を広げて全体を見ていく。何かを変えたいと思ったり何かを成し遂げたいと思ったときの最初の一歩を踏み出しやすい方法です。しかし身近な小さなもののその範囲のみに拘っているとなかなか全体がつかめません。掴めないどころか逆にその小さな範囲だけが全てと思い込みかねないのです。もしそうなったら本末転倒です。「自分を変えたい」どころか「変わらずに固執化」してしまいます。例えば像を知らずに像の鼻の先だけをみてどうしてこんなに鼻が動くのかを研究しても、像全体を把握できないし意味がありません。またどういう動物なのかさえ分からないでしょう。像全体を知っていて鼻全体が長くて器用にに動くと言うのを把握しているからこそ鼻先がどれ位器用に動くかを研究する意味があるのです。また細かい所だけを気にかけると言うのは、クリの木を葉っぱ一枚が枯れているのをみてその木が枯れそうだ(枯れている)と思うようなものです。実際はもっと多くの葉を集めて見ないと分かりませんし、そのクリの木そのものを見て全体が生き生きとしていれば何の問題も無いのもご存知ですよね。もちろん全体を把握した上で細かい所を気にかけるのは問題ありません。生物の研究などはそういったことの積み重ねです。大事なのは全体を把握する事。自分のゴールが何処なのか、出口はどのあたりなのかをいつも意識していましょう。何か気に掛かる細かい所は「なんか気になる」と言うことで心の隅に置いておいて構いません。しかしそれに引っかかってゴールに向かって進むのを辞めたりゴールを変えてはいけません。そうしないと自分の中で自分が路頭に迷うことになります。以上、今回は渋井真帆先生の「決算書読みこなしの勉強の仕方」を参考に書かせていただきました。明日は「自分のこと好きですか?33」です。
2005.10.13
コメント(0)
今週もブレリアとタンゴのレッスンでした。特にリサイタルの群舞用のブレリアがメインになっているので、ちょっと複雑な気分。火曜はまた身体を筋肉の使い方を気にかける練習があり、翌日またまた背中が筋肉痛になりました。いたたた~って言う痛みではなく、じわじわじわと何か痛い~って方。平常いかに背中の筋肉を使っていないか実感しました。背中の贅肉が増えるはずですね。水曜は群舞に出る人でいない人の代理に入りました。と、言っても新しくちょっと足す分のみですけどね。背丈のバランスを見るためにちょうど良かったらしい(笑)誰かの代わりにいきなり入って踊れるほど単純なフォーメーションではないんですよぉ。いきなり「Uさんの代わりに入って」と言われても把握していませんよ、先生。しかも彼女は結構メインどころではないですかぁ。はっきり言って無理、というか無謀。勘弁してください。先週その件でもめた人の一人が昨日今日ととても不機嫌そうでそれが嫌だったなぁ。一応昔に悪くした腰がまた痛むからって今日は見学していたから昨日も体調悪かったのかも知れない。けど、ただ単に前回1回お休みしたからその分お金払いたくなくて回数を見合わせているみたいにも見えた。まあ、彼女の言い分もわからなくも無いですけどね~。その一人は元々先生にも気にかけてもらって小さなコンサートでソロで踊るチャンスを何回か貰っていた人だから、余計に群舞から自分が外れたのも気に入らなかったのかな。でも先生から何度も同じ注意を受けていて、それを直す態度が見えないと散々先生は怒っていたんですよね。だから先生も考えたのかも知れないし、なんともいえないんですよね。少なくてもレッスンに来るなら不機嫌な調子でいて欲しくないと思った二日間でした。
2005.10.12
コメント(0)
「見た目を気にかける」事をしていますか?見た目を気にかけるとは通常あまりいい意味では使われませんが、それは外見だけを気にかけて中身をおろそかにしてしまっているからに過ぎません。中身を十分に磨いたら(磨きつつあるなら)外見も気にかけなくてはいけません。もし貴方が自分を好きならば(好きになりたいならば)、なおさら自分をみっともない格好をさせていてはけません。見た目を気にかけると言っても美男美女になるように整形したり、ブランドと一目でわかるものを身につけろと言っているわけではありません。逆にそんな事をしても意味がありません。ここでは清潔感があるようにしましょうと提案をしたいです。清潔感が他の人からみて一番何より不快感を与えない事だからです。そのためには自分の身の回りに気を使わなくてはいけません。貴方が男性であるならば、髪の毛ぼさぼさで無精ひげを蓄え何時洗ったか分からないような服を着ているようでは清潔感があるとは言えません。もちろん仕事柄やむをえない場合(漫画家や作家の方のような締め切りがあるお仕事やADさんのような昼夜問わない仕事)もありますが、その中でも出来るだけ清潔に整える事は出来るはずです例えば髪の毛に関して言えばちゃんと櫛で梳かすだけである程度整いますし、髭も充電式の電気シェーバーがありますからちょっとした合間に何処でも剃ろうと思えばそれるます。時間が無いというのは言い訳になりません。服は出来るだけよれよれでない服を身につけましょう。一人暮らしの男性でしたらなかなか洗濯が出来ない人もいると思います。そうであるならば1週間分のワイシャツを、できれば記憶形状シャツを買っておくことをお勧めします。これなら急いでいる時に襟と袖をアイロンかけるだけでピシッとした清潔感のある印象になります。確かに最初の出費は痛いかも知れませんが、それで上司やお得意先の印象がよくなり仕事を勧めるのがスムーズになるのを考えれば安い先行投資になります。また休日に寝起きのままよれよれのスウェットにサンダル履きのままスーパーに買い物に来る方もいらっしゃいますが、ハッキリ言って辞めましょう。どうしても休日にスウェットですごしたいのであれば、パジャマ用と外出用とは分けるべきです。足元のサンダルもスーパーの特売で税込み498円のものよりはスポーツメーカーのスポーツサンダルの方がカッコ良く、そう簡単に壊れたりしないのでお勧めです。貴方が女性でしたら伸ばしっぱなしの髪や一目でサイズの合っていない服や手入れを怠っていると見える服を着るのは辞めましょう。特に世間の目は厳しいので気を使わなくてはいけません。髪の毛を切りたくないのであれば少なくても顔が出るように髪を結いましょう。これだけで大分印象が変わってきます。出来れば毛先は整えるように気を使ってください。顔が隠れてしまうような髪型は暗くじめっとした印象を与えるのでNGです。服に関して言うならば、時には組み合わせで微妙に変なことがあるのは仕方ないとして、どう見ても流行おくれの服を着るのは辞めましょう。また服の色は多くても3色以内にすると落ち着きが出ます。全身を1色にするなら素材に変化をつけるか指し色を入れるとカッコよく見えます。また自分の背の高さや体型を考慮して服を選ぶのも大事です。体のコンプレックスを隠すような服は逆に目立たせる事もありますから、ちゃんと服を買うときには試着して、後姿もチェックしましょう。服装や自分の身だしなみを整えたら、次は姿勢を整えましょう。姿勢を正すと言うと胸を反らせて全身をカチカチに固める人もいますがそれは姿勢が良いとはまた別のものです。姿勢を整えるのにはまっすぐに立つ事が大事です。ではまっすぐに立つにはどのようにしたら良いでしょうか?次のとおりにやってみてください。まず、女性でしたら足を揃えてくるぶしと膝がつくように、男性でしたら肩幅よりやや狭く足を開いて手は横に自然に下ろして立ちます。重心はかかとでもつま先でもなく真ん中(強いて言うなら土踏まずのあたり)に行くようにしてください。次にお腹を軽くへこませます。イメージとしてはボールの空気が抜けてすこし凹んだような感じです。そのままお臍が内側から体の中心を通って頭の上まで紐で引っ張りあげられていることをイメージしましょう。次に肩甲骨を下に引っ張ります。これで見た目にもすっとした立ち姿になっているはずです。また座っているときも上半身は同じようにイメージしましょう。簡単ですよね?もう少し「外見を気にかける」ことをしたければ男性なら西松眞子さんの「魅せる技術」「好かれる技術」と言う本がお勧めです。女性でしたら日経WOMANの10月号「魅せる!技術」をお勧めします。まだバックナンバーで買えます。必要以上に外見のみを気にかけるのは問題ですが、最低限の身の回りだけでも気を使うようにした方がいいことがあります。次回は「出来る事・出来ない事」です。
2005.10.10
コメント(2)
オオボケかまして書いた日記全部消去してしまいました。・・・・折角書いたのに。ちょっと本日これ以上書き込む気になれないのでお休みします。すみません。
2005.10.07
コメント(0)
ブレリアとタンゴのレッスン+身体をちゃんと使うと言う事でシェネの練習。シェネは身体をちゃんと使っているかどうかを確認しながらゆっくり回る、ということをしました。先生のチェックが厳しかったです~。でも体の全てが必然でないといけないと言う事で、何処で自分が体の意識が飛んでしまうかが分かったのはとて良かったです。そして体のインナーマッスルをちゃんと使おうとしているつもりが、全然使えていない事に改めて気づきショックでした。変に楽になろうと必要な所の力が抜けて、身体を支えようとするといらない所に力が入ってしまうのを実感。「芯はキッチリつかって、外は柔軟に」に程遠い状態です。先生曰く私たちは「シュークリーム状態(外はカチカチ中柔らか)」だそうです。しかし、最近はそれでもちょっとづつ体で理解しはじめてきている(と思う)のでちゃんと使えてないと変な違和感があります。そういけば今週はちょっとしたトラブルがありました。ウチのクラス全14人中先生のリサイタルで群舞をやるのが10人なんです。そのため通常のクラスも半分以上リサイタルの群舞のブレリアの練習に当てられています。そのため私を含めた4名は隅っこでレッスンをしているハメになっており、それに不満をもったほかの3名が10月からレッスン休むと言い出しました。確かに現時点で満足なレッスンとはいえない状態ではあります。しかし私は色々考えた結果、今は確かに満足に出来ないかも知れないけどそれなりに出来る事はあるのでそれに終始しようと心を決めました。また他の群舞の人への注意を聞いていれば先生がフラメンコに対してどういう意見をもち、どうなって欲しいかが分かってきますし、それは逆に通常レッスンでは半分おざなりにされやすい所でもあり勉強にもなっています。足を打って身体を動かすだけがレッスンではないですよね。結局他の3名は休む旨を先生に伝えはしましたが、逆に説得されて(と言うより先生にちゃんと説明できなくて却下されて)とりあえず練習に来ています。確かに現時点で時間単価的には損していると思いますが、この現状がいつか役に立つような気がするんですけどね。どうも彼女達はそう思えないようです。なんかいつか大きな問題になりそうです。
2005.10.05
コメント(2)
貴方は今「自分を信じる」事をしていますか?自分さえ信じられずにあやふやなまま生きていく事も出来ますが、できれば自分を信じて生きていきませんか。ところで「自分を信じる」とはどういうことかはご存知ですか?何でも自分が一番正しいと信じ(思い)込んで他人は全て間違っていると断定して全ての責任を外になすりつけることではありません。これはただの自己中心的な迷惑な人間です。こう言う状態は一種の狂信的な状態なのでかなり危ないと言えるでしょう。「自分を信じる」とは正確には「自分の判断を信じる」と言うことになります。現在の世の中は情報過多で気をつけないと何がなんだか分からない状態になります。その情報を何を選んで何を捨てるかは自分に掛かってきます。その取捨選択を信じるのは本当は簡単なようでこれほど難しいことはありません。だからと言って全ての情報をシャットアウトしてしまっては意味がありません。情報をちゃんと受け止めつつ自分の判断軸に沿って取捨選択をしていかないと正しい判断は出来ないと思います。もちろん判断軸を持っていても多少の揺らぎは出てくるものです。環境や状況、そのときの自分の状態などで判断は揺らいでしまうものです。その場合、自分にとって何が一番大切なのかを考えてみてください。これで物事の5割くらいは判断がちゃんとつきます。後は自分がそれで将来、後悔しないかどうかになります。これで残りの3割ぐらいは判断できるはず。残りの2割は自分が納得できるかどうかになります。私の場合どうしても納得できない場合は直感に頼る事もあります。時と場合によってはそれが有効なこともあります。しかし直感で判断しても感情で判断するのはあまり有効ではありません。もしそれで判断を誤ったと後々思う事があっても自分が納得して判断した事ならば反省はしても後悔をする事はあまり無いと思います。それでも「自分を信じる」のは自分のみの問題だけの時はまだ気楽です。グループや部下や会社を背負ってしまた場合に一番つらいかもしれません。自分の判断軸だけでなくグループや部下や会社にとっても何が一番良い方法なのかを考えに考えなくてはいけません。結果判断した事が受け入れられない事も十分にあり得ます。それも十分に考えた上での判断ならその批判も受け入れる事が出来るはずです。あくまで自分を信じるのは自分のためです。「〇〇のためにやったのに」と責任を転嫁する為ではありません。それを十分に気をつけてください。また自分の判断が誤っていた時は「誤っている」という判断を信じて責任転嫁をしないようにしてください。ちなみにこれは「自分を信じる」事を止めることではありません。次回は「見た目を気にかける」です。
2005.10.03
コメント(0)
![]()
「新聞を読む」ことをしていますか?別にどんな新聞でも構いません。読売新聞、朝日新聞、毎日新聞等の全国誌や中日新聞、四国新聞等のローカル新聞、中日スポーツ等のスポーツ新聞色々あります。自分のとっつきやすい新聞から読む習慣をつけましょう。男の方ならスポーツ新聞→ローカル新聞→全国区の新聞と順繰りにあがっていって最後に日経新聞にたどり着く方が多いと思います。ちなみに女性でしたらローカル新聞どまりが多いですね。特に地元のスーパーのチラシは大変貴重ですからそれ目当てで新聞取る方も多いでしょう。でも、よく考えたら毎日1円でも安いものを買うために毎月3千円前後をチラシの代金として払っているのもどうかと思うこともありますが。ところで今回自分を変えたいと思っている方には「日本経済新聞(略して日経新聞)」を読む事をお勧めしたいです。(回し者ではありません。念のため)特に女性の方なら「スーパーのチラシもほとんど無く、お惣菜のヒントも少ないくせに枚数だけやたら多くて他より高い新聞を読まなくてはいけないの!」と言われそうですが、日経新聞だから良い事があるのです。日経新聞とは渋井真帆さん曰く基本的に「(日本を中心とした)経済というフィルターを通して政治・国際・社会・スポーツに至るまで紙面が作られている新聞」です。しかしただ単に日経新聞をとっていて紙面を眺めているだけでは意味がありません。それなら他の新聞でも一向に構いません。日経新聞を読むには技がいるのです。それを知っているか居ないかだけでもかなり違います。その技を知るために一番良いのは渋井真帆さんが行っている「日経新聞読みこなし隊」というセミナーに出ることです。これで日経新聞を読むときのポイントを教えていただけます。難点は東京でしか行っていない事。地方にも来て欲しいと最近切にに願っています。次に9月26日に発売した「渋井真帆の日経新聞読みこなし隊」と言う本を読む。これには世界経済のポイント・国際社会でのポイント・日本経済・社会のポイントが載っています。これを頭に叩き込んで少しずつ考えながら新聞を読むとかなり色々と見えてきます。ちなみにゴーン日産やトヨタの人事の読み方、ホリエモンの日テレのっとり劇場の裏読み(?)もあります。最後にMILのHPの右のメニューの一番下「Money/日経新聞今日の気になる記事」をチェックすること。日経新聞を良く知る人がチェックする記事とそのコメントがあるのでどういう理由でその記事を見てどう考えたのかをちゃんと知る事ができるです。それを平日毎日続けていけば気が付くと半年後くらいには大体どの記事をチェックし、どう読むかの思考が出来上がってきます。それにプラスして自分の会社の所属しているセクターにどう影響するかまで考えれるようになったらしめたもの。会社が今後進むべき方向性が見えてくるはずです。こうして半年もしてくると社会の見え方・考え方が変わってくるのです。(私個人で実証済みです)そうしたらこの間の衆議院総選挙も色々考える事が出来、道路公団の民営化がいかに意味が無いかを怒る事が出来ます。また毎日日経新聞を読むのが待ち遠しくなります。毎日楽しみながら考え方を資本主義経済に添った形に変えていける読み方を是非してみてください。明日は「自分のこと好きですか?31」です。
2005.10.02
コメント(0)
「経験する事」た大事だなぁと最近良く思います。いい事も悪い事も全てです。色々としり込みすることが多い私ですが、ここ1年ばかりは今までよりかは積極的に動く事が多くなりました。でもまだ全然動けていないですけどね。今までは意外と何か新しくする事はとても怖くて、でもやりたい気持ちばかりありながら結局動かずにウジウジと後悔する事が多かったのです。今思えば「失敗」が怖かったのだとわかります。ちなみに何故「失敗」が怖いか実は私は今も全然わからないのです。ただ小さい頃から「失敗したら全てお終い」という思い(恐怖)だけがずっと自分の中に巣くっているのです。確かに自分のテリトリーから出なければ、必要以上に神経を使う事も気を配ることもお金を使う事も無いですが、それでは何も変わらず、進歩せず、落ちて腐っていくだけです。それの方が嫌だと思った私はその思い(恐怖)を無視する事から始めました。しかし自分のテリトリーから出れば確かに大変な事も失敗も恥ずかしい事も悔しい事も自分がいたらないこともありますが、それ故に新しい発見もたくさんあります。それに世の中は実際に経験してみないと分からない事ばかりなのです。新しく経験値として分かった事は誰にも奪えない自分だけの財産になります。思わず舞い上がってしまうようなうれしい事も、どんなに穴を掘って深く埋めてしまいたいような経験もそこから這い上がって自分の肥やしにしてよりいいことにつなげていく事も自分が自分であるゆえに経験できることなのです。でも嫌な事、失敗する事を回避しようとする動きが最近はありますよね。それ故にやりたい事もやらずに日々すごしていくのはもったいないのではないでしょうか?確かに自分からわざわざ嫌な事や失敗して嫌な思いをする必要はありませんが、自分がやりたい事をやるために行って失敗した事、嫌な思いをした事は自分を咲かせる肥やしになります。そして後々に穴を掘って埋めてしまいたい思い出や経験がとても役に立つ事があります。不思議な事に後々考えて、経験してよかったと思えることは穴を掘って埋めてしまいたい経験な事が多いです。もし貴方がいま無かった事にしてしまいたい経験をしたならばそれはいつか必ず役に立つ時が来ます。それは直ぐにかも知れませんし5年後10年後かもしれません。ですからそれを無かった事にする前にそれから何か得られたものが無いか一度考えてみてください。次回は「自分を信じる」です。
2005.10.01
コメント(0)
不本意ながら二日もブログをお休みしてしまいました。楽しみにしていてくださっている方、申し訳ございませんでした。歓送迎会があったり、中間決算の〆があったりしたわけですね。でも仕事は大事です。仕事がなければ食べていけない=生きていけないことになりますから。今の仕事嫌いではないです。でも派遣の立場上手を出せる範囲は決まっていてそれはもどかしいです。とはいえ立場をわきまえなくてはいけないけど、それなり何か出来ないかと今現在改めて調査中(笑)仕事をしていて気づいたけど、私は言われた事だけを言われたままにやる事(人)は大嫌いです。ちゃんと目的意識を持って欲しい。今隣に居る営業の男性社員が「必ず言い訳」をし、「言われた事だけを額面どおりにする」人なのですごく嫌。全然もっと売上を上げようとかそのためにどうしたら良いかと考えてない。本人は考えているかもしれないけど、ポイントを外しているから意味ないし。人間仕事をするには頭を柔らかくしないと意味無いな、と思った昨日でした。
2005.10.01
コメント(1)
全23件 (23件中 1-23件目)
1