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今年の最後の日になってしまいました。今年を振り返ってみて、私にとって色んな事が起きた一年でした。大変でツライ事もありましたが、その分得たものもたくさんありました。改めて自分にとっての辛い事はステップアップの為に必要だからあるんだと実感した年でもありました。何よりブログを始めてたくさんの人に自分が感じた事、考えた事、知った事を読んで頂いたことが自分の中で自分の考えを再認識出来た事はとてもよかった事です。またそれに対してコメントを戴いたり、日記リンクをしてくださったり、何もコメントされずにいながらも更新の度に私のブログに立ち寄ってした方々に深く感謝を申し上げます。同時に今年一年色々とセミナーや著書等で教えてくださった渋井真帆さんとフラメンコの先生を始めとする私を指導してくださった方々に感謝を申し上げたいと思います。今年一年、皆様にとってはどんな一年だったでしょうか?では、良い年をお過ごしください。
2005.12.31
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「他人の視点で考えてみる」といわれてもピンと来ない人のほうが多いでしょう。人によっては「他人って誰?」って仰るかも知れません。ここで言う他人とは尊敬する人、リスペクトしあえる親友、理想通りになった未来の自分などです。ここで「他人(友人達)からの評価を良くすること」と早合点してはいけません。他人からの評価なんて以前にも書きましたが結果でしかありません。しかしこれはこれで評価に固執せずに参考にするには良い方法でもあります。何故「他人の視点で考えてみる」というテーマなのか、といいますと自分の行動が本当に好きな自分、なりたい自分の行動なのかと言う事を客観的にみるためです。人間は以外にも習慣で行動しているものなのです。ですから時折、今の自分の行動は自分のことを好きになれる行動なのか、それとも自分で自分を嫌いになってしまう行動なのかをきちんと把握する必要があるのです。例えば自分で自分を好きになる人は無意識に自分のことを「すごいじゃない」と誉めれる行動をし、自分で自分を嫌いになる人は無意識に自分で自分が嫌になる行動をしてしまいます。同じように理想とする自分になりたいのになれない人は無意識に「理想の自分」と逆の行動をしているのです。しかし行動する前に今からの行動は自分のことを好きになる行動なのか、理想の自分の行動なのかをちょっと考えてみれば自然と行動が変わってくるのです。もし行動する前に考えられなかったら、後で考えればいいのです。理想の自分だったらどういう行動をとるのか、何処で気をつければいいのかをしっかり考えて次からそういう行動をとろうとすればいいのです。上手く考えられなくても、少なくても行動した事が理想の自分とは違うと分かれば他の方法を選ぶようになります。もし理想の自分というのが上手くイメージ出来なければ、憧れているほかの人や尊敬する人、そういう場面で上手く立ち回れる人の行動と自分とを照らし合わせてみるといいでしょう。「〇〇さんだったらこう行動しているか?」「この行動は△△さんから教えてもらったことに逆行していない?」そう問い掛ける様にしたら自分の行動も変わって来ます。ここで大切なのは誰かと同じように行動する事ではありません。自分が自分の今までの悪い習慣の行動を止めることなのです。時には感情が自分のやりたい行動・なりたい自分の行動を妨げることがあるかも知れません。その時も落ち着いて感情が大切なのか理想の自分が大切なのかを考えましょう。もしその時は感情に負けたとしても落ち込む必要はありません。次の時の為にどうしたら良いかを対策を立てて実行すればいいのです。これが上手く行かない人はコーチを付けたりメンターを見つけるのも一つの方法です。もっとも依存してしまっては意味が無いので、そういう人がいないと何も出来なくならない様に気をつけてください。次回は「自分との約束」です。
2005.12.29
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今日で今年のレッスンは終わりでした。といっても来年は4日から。・・・まあ、なんかあまり日常と変わらない感覚ですわ。火曜日はCDを聞きながら基礎レッスン。ブラその練習と身体の心を感じて『踊る』レッスン。まずは「真っ直ぐ」に立ってブラソの練習。広背筋を使うように、肩に力が入らないように、何処にも力まずに動かすのですがこれが以外に難しい。相変わらす背筋がきちんと使えません。上手く動かせた時は本当に背骨から繋がっている広背筋が動くのが感じられるのですが、ちょっと姿勢が崩れると変なところに力が入ってしまってすごい疲れました。ただブラソを動かすだけなのにめちゃめちゃ神経使いました。今まで意識無く、適当にやっていたのが丸分かり。ソレアを聞きながら片足を軸にしてもう片足で6拍ずつリズムを刻みつつその場で回る、というのをやったのですがこれがまたなかなか難しかったです。ブラソは普通に滑らかに自由に動かしながら動くのですが、腰が決まらないから軸がぶれるんですよね。そのため足を動かすたびにブラソもぶち切れるから先生の様に滑らかに、周りの空気さえ動かすような動きが出来なくなります。しかも視線が遠くに飛ばないからピキーンと固まって見えるし・・・。水曜日はそのレッスンをもう一度やりました。先生のアドバイスとしてはちゃんと軸足に体重を乗せると言うのと、回る時にちゃんと軸足のかかとを前に押し出すように少しずつ動かしていく、の2点がありました。あとブラソを動かす時に肩より後ろに腕が抜けないようにしないと身体が転でバラバラに見えるということ。これは先週からやっているアバラを下に向けると言うのを意識するとかなりできるようになっていると思います。そしてタンゴをそのレッスンを踏まえてやるという事をしました。身体のあちこちを意識して踊るので先週もですがすごく踊りにくかったです。でも自分の悪い癖が出ている!!というのに気づき今回は修正する事を意識でき始めたかなぁ。それにしても踊っている時に顔を下に向けるクセをどうにか克服しなければ。今日も必死になって頑張った(私の中では)けどまた駄目でした。踊っている最中に「辞めなきゃ、前を見なきゃ」と思えるようになっただけマシになったのかも。来年のテーマですね。
2005.12.28
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要らない物を捨てる。もし貴方が今、何か行き詰まっているとしたら掃除をする事をお勧めします。正確に言うと要らないモノ、本当は持っていたくないものを捨てるのです。よほどしっかり自己管理できている人意外は大抵何かしら本当は必要の無いものを持っているのです。それを思い切って捨てるのです。自分の経験から言わせていただければ、本当は捨てても問題が無いものを何時までも持っていると何も身に付かないし、また本当に必要なものも自分に寄ってこないのです。「そうは言ってももしかしたら使うかも知れないから・・・」そう言って本当は要らないモノを貯めていませんか?ちなみにそのもしかしたら・・・は何年くらいそのまま置いてありますか?1年以内ならまだ分かりますのでもうしばらく置いておいてもいいでしょう。しかし2年以上持っているのなら多分貴方はそれを使う事は今後10年経っても無いでしょう。もしただ単に勿体無いから使っていないのでしたら今すぐおろして使ってしまいましょう。使わない事が実は一番勿体無い事なのです。同時に直せば使えるものは今すぐ直してしまいましょう。もし何年も直さずに置いてあるなら、ほとんどの場合そのまま直さずに使わずに持っていることになります。そういったものも出来れば捨ててしまいましょう。「捨てるなんて勿体無いからできないわ」と言うならばフリマに出してしまう事をお勧めします。きっと誰か大切にしてくれる人が買ってくれるでしょう。その代わりもし売れ残ったらそれはゴミ袋に入れることを約束してください。そうしないとその本当は要らないモノは何時までも貴方の側に留まり続けます。そうは言っても簡単に捨てられないものもありますよね。そういうものは自分が自ら捨てる気になるまで置いておいても構いません。しかし最低でも半年に1回は引っ張り出してきて「これって本当に要るのかしら?」と自問自答してください。最初はいきなり全て捨てる事は出来ないのでまずは引き出し1個だけ整理しましょう。会社のでも自分の部屋の机でもタンスでも構いません。そうすれば何かしら進展があるでしょう。そう言われても捨てる気になれないのであればこの2冊の本を読む事をお勧めします。 この2冊を読んでも掃除する気になれなければ貴方は余程キレイ好きか、もう何もしたくないほどのゴミ山で暮らしている事になります。ゴミ山で暮らしているならそのゴミ1袋だけでも捨てましょう。そうすればちょっといいことがあるはずです。折角の年末です。思い切って大掃除と同時に要らないもを捨ててしまいませんか?そして部屋をスッキリさせて新年を迎えましょう。次回は「自分のこと好きですか?51」です。
2005.12.26
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「言霊のちから」と聞いて貴方はどう思いますか?そんなもの迷信、といいますか?でも何故か不安になって「〇〇にだったらどうしよう」と口に出していった事が本当になると言う経験をした事がありませんか?また逆にすごい究極のピンチの時に「絶対大丈夫になる!」といったら本当に大丈夫になった事がありませんか?それこそが「言霊のちから」です。私たちが普段口から何気なく出しているのはただの「言葉」でしかありません。これもある程度の力はありますが、普段のおしゃべりを思い出してみても現実になる事は無かったと思います。「言葉」という音は何の気持ちも願いもないと口からでるとあっという間にかき消えてしまう事が多いからです。その言葉に自分の気持ちや強い願いを込めて出した言葉が「言霊」になるのだそうです。これを口から出すと自分の想いが音に乗って広がっていき、音は消えても想いだけが残ってそれが現実になるように作用するそうです。「悪い事は口にしてはいけない」と言われたことがある人はいませんか?人は悪い事、不安な事、怖い事等のマイナスの想いの方を言葉に乗せやすいのかもしれません。想いを乗せて口から発した所でそれは言霊になっていますので、やがてそのマイナスの事が自分に降りかかってくるのです。ですから「悪い事は口にしてはいけない」と言われているのはとても当たり前のこのなのです。でも逆に考えればプラスの想いを込めて言葉を発すればそれは自分にプラスの事になって降りかかってくるのです。もし今貴方が色々と大変な目に会っているとしてそれに対して不平不満しか言わなければ、それはもっと大変な事を呼び込んでしまいます。しかしそれをプラス思考の願いを込めて「大丈夫」と言えば、それは貴方にとって大変だったけどとても良い経験としていいことを呼び込んでくれるでしょう。そうは言っても思わずマイナスの感情を込めて不平不満を言ってしまう事もあるでしょう。その時は直ぐに言ったことを打ち消すような事をその不平不満以上に思いを込めて大きな声で言いましょう。そうする事によってプラスマイナス0になったり、プラスにならなくてもマイナスの事が減っていきます。同時に大変つらい時に何も言わず黙々とその時期が過ぎるのを待っている人もいるでしょう。でも何も言わないより自分の希望的観測や「良いことがある」と口に出した方がその大変つらい時は早く終わる事が多いので、言霊を使う事をお勧めします。最初は上手く行かないかも知れません。でも慣れてくればプラスの事を言えばプラスのことを必ず呼び込んでくれます。ただあまりにも自己中心的なことばかりだと上手く行かないこともあります。その時はもう一度本当にプラス思考な事なのか考えてみてください。ちなみに「言霊のちから」はよほど訓練された人でない限り「言霊」を発した人にも必ず還ってきますので他人に対して使おうとする時は悪い事に使わないように気をつけてください。でも良いことに使えば必ず良いことが倍になって還ってきます。次回は「他人の視点で考えてみる」です。
2005.12.23
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自分の軸を持つ。ここで言う「自分の軸」とは自分の価値観のことです。「自分の価値観なんて持っていて当たり前じゃない」そういう人も多いと思いますが、実際どれだけの人がはっきりとした自分の価値観を持ち、他人や世論やその他諸々に左右されずにいる事が出来るかとなるとかなり怪しいといえるでしょう。もちろん時代の流れや状況によって自分の優先順位は多少変わるものですが、ある程度の大まかな枠組みはそう簡単に変わるものではないと思います。まず一番大事なのは自分にとって何が譲れて何が譲れないかをはっきりさせる事。これをやるのにはブレストをするのが一番ですが、面倒だと言う人は毎日、または何日かに一度気が向いた時にスケジュール帳や日記にそれを書いていくといいでしょう。。最初にこれをすると1週間下手すると1~2日単位で結構色々前回に書いたものとは変わってくるものです。でも最初はそういう物なのであまり気にしないようにしてあまり考えず新しい紙に書き散らしてください。これが1ヶ月くらいするとある程度の量が溜まるのでそれを全部見直して共通項を出すのです。これで大体の枠組みが分かると思います。しかしこれが直ぐ出来るかと言うと出来る人と出来ない人がいます。出来る人はいつも自分にどうなりたいかを問い掛けている人。出来ない人はそういったことをした事が無い人です。しかし貴方が出来ない人だとしても今から思い出した時に自分で自分に問い掛けていれば必ず出来るようになります。ちなみにこれは自分の価値観を決めつけ思い込むための作業ではありません。今現在自分の価値観はどうなっているかを知るためのものです。同時に自分がどうなりたいのかがわかると思います。これによって物事の優先順位をつければ自然と行動が変わってくるはずです。そして今までやっていた事を辞めたり新しく何かを始める事になるでしょう。もしそうやって行動が変わった時には貴方の周りにいる人と話が会わなくなる可能性があります。(実際合わなくなりつつあります、私)それを受け入れてくれる人はともかくそうでない人とは疎遠になる事があります。しかしそれはそれで人間関係の新陳代謝だと思い諦めて受け入れる事をお勧めします。それが出来ないのであれば自分を変えることは難しいですし、下手すると友達と泥沼のケンカ別れする羽目になるでしょう。ちなみに現在出たその価値観を変えたいとなるとそのために何をすればいいかを分析する必要が出てきます。そして計画を立て、実行し行動して、反省をする。PDACをやらないといけません。そうやって行動していくうちに自分の軸を持ちつつ自分が持ちたい価値観に変わっていくでしょう。次回は「自分のこと好きですか?50」です。
2005.12.22
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今週は基礎訓練とタンゴでした。火曜日はタンゴで一つ目のエスコビージャの終わりが「次に歌が始まるように見えない」と言う事で集中レッスン。メリハリのつけ方や首を振り向くタイミング等等・・・を徹底的にしごかれました。自分がやっているつもりなのと実際にやっている事にかなり隔たりがあって、その差を縮めることが出来なかったです。う~ん、自主練で一人でじっくりやらないと身に付かないかも。同時に身体の位置や動かし方もチェックされながらやったからものすごぉ~~~くやりにくかったです。でも先生曰く「身体の使い方を直しているんだから、正しい使い方をして最初に違和感があるのは当たり前。逆に違和感が無いと言う事は正しい使い方をしているつもりで、元の悪い癖のまま踊っていると言う事」と仰っていたので良いのかなぁ~。水曜日は身体の正しい使い方をするためのトレーニング。ファルダ穿かずにトレパン・スパッツで足の内転筋を使い鍛えるためのトレーニングでした。本当はバレエのトレーニングらしいです。あまりにも普段レッスンで使っていない(変なところに力が入っている)ためにやればやるほど筋肉が攣りそうでした。力の入れどころを意識する、ということをずーっとやっていてそれが私たちになかなか伝わらない、ということで先生が色々と試行錯誤して戴いてます。先生のおっしゃりたい事は頭で分かるけど、自分の身体への落とし込みがなかなか上手く出来ないんですよね。色々とやってみているのですが、それが本当に正しいのか思い込みなのかが分からない。さすがに感覚を教えてもらうって言うのは難しいので余計に難しいです。そういえば先生はそういった感覚を捉えるのは大得意だそうです。もしかしたらスピリチュアルな才能もあるのかも??先生が絶賛したアレクサンダーテクニークの先生は今度NLPの授業も受けるそうです。NLPはセラピストの養成なので身体を正しく使うと言う事と根底で何か通じるものがあるのかしら?
2005.12.21
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「感謝の気持ち」を持っていますか?例えば平穏無事に過ごせた一日に。楽しい時間をすごせた時、その時一緒にいた仲間たちに。自分を見つめなおす言葉をかけてくれた人に。自分の失敗を「大丈夫」と言ってフォローしてくれた人に。またそういう人たちとめぐり合わせてくれた何か(神様)に。きちんと「ありがとう」と面を向かって言うのは恥ずかしいかも知れません。上手くその気持ちを表現できないかもしれません。もちろんきちんと伝えた方がいいのですが、もし出来なければ心の中で何十回と唱えても構いません。寝る前に小声で「○○さん、ありがとう」と言っても構いません。大事なのは「感謝の気持ち」を持つ事です。「感謝の気持ち」がもてると言うのは卑屈になるのでなく、自分の分を弁えているから持てるのかも知れません。もし貴方が自分を過信していたり、他人の助力が当たり前という傲慢な態度でいたりすると楽しい時間や素敵だと思う事は少なくなってしまうでしょう。しかし人は慣れてしまうと「感謝する気持ち」が減ってきて徐々に傲慢な態度になってしまいます。色々なことを「当たり前」の枠の中に入れてしまい、逆に「当たり前」の枠に入ってくれない人(モノ・事柄)に対して怒ったり、嫌悪してしまうのです。でも実際は人は自分のやる事しか自分の自由には出来ないのです。ですから他の人・もの・事柄に対して全てを自分の思ったとおりにする事は不可能です。それを考えると他の人・もの・事柄に関して自分の「当たり前」の枠に入れようとすることはとても大変な事と思いませんか?そして今自分の「当たり前」の枠に入っていることがとてもありがたいことだと思いませんか?同時に「当たり前」のことをしてくれる人・モノ・事柄がどんなに貴重な存在かを感じませんか?「感謝の気持ち」は謙虚な気持ちに似ているかも知れません。もし今貴方が周りに対して「感謝の気持ち」を持てないなら無理をする必要はありません。それは仕方の無い事で、貴方は今そういう時期なのです。「感謝の気持ち」は無理をしたり義務で持つものではないのです。今、「感謝の気持ち」が持てなくてもいつかふと『幸せだなぁ』と思う瞬間がきたならば、その瞬間に対して「ありがとう」を言うといいでしょう。その瞬間をくれた場所や天気・モノに対して言っても構いません。「感謝の気持ち」は人に対してだけ持つものではないのです。「感謝の気持ち」は「幸せな気持ち」でもあります。貴方が幸せな気持ちになった時は同時に感謝の気持ちを持ったほうがいいでしょう。次回は「言霊のちから」です。
2005.12.19
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ものすごーく当たり前の話ですが、仕事をする時には基本的に良くも悪くも自分のことだけを考えていてはいけません。これは会社づとめの人はもちろん独立して仕事をしている人にも当てはまります。独立して一人で仕事をしている人なら尚更実感がわいているかも知れません。とにかく自分が楽したい、と思って他人に自分の仕事を押し付ける。自分の売上を上げたい、と思ってとにかく相手の状況を無視して売りつける、または同僚の仕事を横取りする。このような事は基本的にあってはいけません。このような事をして一時的に自分がよくなったような気がしてもそれは長続きしません。時には他人を思いやるようなことを言いつつも、よくよく聞くと自分の事しか考えてない人もいますが、そういう人の仕事はあまり上手くいってないことが多いのです。このように自分のことしか考えず、相手の事や会社や仕事の流れなどを無視すると後でとんでもないしっぺ返しがきます。とにかく「自分の利益のことだけを考えて仕事をしてはいけません」もしどうしてもその時その場面でそう動くしか無かったとしたら、後でちゃんとフォローを考えましょう。そうする事によって自分のビジネスが上手く行く様になるのです。明日は「自分のこと好きですか?49」です。
2005.12.18
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「通過点を決める」貴方が自分を変えたいとして、もし変えたい事がはっきりしたら、まず闇雲に最終ゴールに向かう前に通過点のゴールラインを決める必要があります。変えたいことがはっきり見えたとして、直ぐに貴方がそのラインにいけるならともかく、時間が掛かるようならば尚更、通過点を決めた方がいいでしょう。これは夢を叶える時も同じです。私たちは成果が目に見えて現われないと直ぐに嫌になってしまう事が多いのです。ですから身近な所にちょっと頑張れはクリアできる通過点が必要になってくるのです。注意して欲しいのはあくまでも通過点。そこに到達したからと言って満足してもう何もやらなくなってしまってはいけません。しかし普通の人はちょっと頑張ってできるとそれが嬉しくなって次の場所に向かうパワー沸いてきます。それはどんなに苦しくても自分がそこまで出来るという喜びと自信によって現われるものです。それに自分のやった事が目に見える成果になるのでますます頑張る気になるのです。そして何時の間にか自分の最初に見た最終ゴールを何時の間にか潜っているものです。しかしそうなれば貴方はそれまでに大いに進化しているため、更なる高いゴールをめざしてしまってまた更に何かにチャレンジしているのかもしれません。貴方が本当に変わりたいと思うなら一度通過点としてのゴールを幾つか作るといいでしょう。そうすれば例えどんなに苦しくても、辛くても、迷っても必ず最終ゴールにたどり着けるでしょう。明日は「女性のためにビジネス村のルール」です。
2005.12.17
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「泣きたい時には泣く」ことをしていますか?我慢して辛い気持ちから目をそらして、強がって笑っていませんか?辛い時には涙を流して泣いてもいいと思います。「人前で泣いてはいけません」そう躾けられて育った人もいると思います。大勢の人前で確かに感情のまま振舞う事は時にはとてもみっともない事です。しかし時には感情のままに涙を流してもいいのです。もちろん泣くタイミングや時や場所を選ばなくてはいけません。人前で泣いていいのは周り皆が泣くような場面。例えば悲しい映画をみた時とか感動的な舞台を見た劇場、親しい人のお悔やみの場などは思いっきり泣いていいのです。逆に自分の悔し涙や悲しい涙、そういった自分ひとりの感情での涙は人前で流してはいけません。基本的には一人で誰もいない場所(または知り合いがいない場所)で泣いた方がいいでしょう。また泣いても許容してくれる人たちがいる前なら涙を流していいかもしれません。そうは言ってもどうしても感情が押さえられない場合もあります。その時は出来るだけ泣く事を堪える必要もあります。それから一人になれる場所(トイレなど最適です)に急いで駆け込んで思いっきり感情のまま泣いてしまいましょう。テレビの情報番組で見た話ですが、感情で流す涙にはストレスホルモンが含まれており、それが涙と一緒に体外に流れ出る事でストレスを軽減する作用があるそうです。感情のまま泣き止んで落ち着くととってもスッキリするのはストレスが体外に出て行って、自分の中に残らないからだそうです。小さい子供などはストレスに対して耐性が無いため、感情のまま泣いてストレスを軽減しているという話です。私たちは大人(もしくはちいさ子供ではない)のでストレスにある程度は耐性もつき、泣く以外のストレス発散方を知っています。ですからむやみやたらに泣く必要はないのです。しかし辛い思いを抱えたままストレスも発散できず、泣かずにいるとどんどん辛くなっていき、自分自身が壊れてしまいます。またあまり自覚のない小さなストレスの積み重ねでもそのうち雪達磨式に大きくなっていき自分自身を潰してしまいます。貴方がもし何の理由もなく「泣きたく」なったらストレスが溜まっているのかも知れません。そんな時は部屋に籠もって思いっきり泣いてしまいましょう。「そんな簡単に泣けない」と言う貴方は泣ける映画・ドラマ・本・CDなどの音楽を使って泣いてしまいましょう。そしてスッキリして次の日からは元気に過ごしましょう。自分を辛い状態にしておいてはいけません。泣きたくなったら一人でこっそり思いっきり泣いてストレス解消していいのです。次回は「感謝の気持ち」です。
2005.12.16
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今週は基礎練習及び基本姿勢強化デーでした。水曜はコンパス感の練習と久しぶりにパルマ練習。でもようやく表をあまりブレずに叩けるようになったばかりの私に裏打ちはやはりまだ無理でした。練習方法をしっかり教えていただいたので頑張ってみようと思います。+広背筋の強化エクササイズ。うつぶせに寝て内転筋を使って胸を上げる背筋の要領で起き上がるのだけど、内転筋を使うと背中の広背筋を使うって背中を広く使うので強化にはいいというお話。かなり広背筋を使うのでお勧め。ちなみに手の位置はひじを90度に曲げて手のひらを下にして、頭とどう位置におきます。ゆっくり5回くらいやると初回は背中が痛くなります(笑)水曜日はタンゴと基礎。身体をひねる振り付けで肩に力をいれずに、手や腕ではなく身体を動かすと言われました。背骨に近い筋肉を使って腰を動かさず上体のみを動かすのだけど、「やり方が違う」とご指摘をうけまして、やりながら試行錯誤。先生の言いたい感じは分かるけれどイマイチ身体の感覚では良く分かりませんでした。どうやら私はやっぱり腹筋が開きがちで踊っていて、そこから手足体がバラバラ動いているようになるようです。でも下手に「腹筋・腹筋」と思うより「肋骨下向き・下向き」て唱えた方が私にはわかりやすかったです。そうして今日踊ったら、身体を一つに纏めるというものの基本の「き」の字が分かったような感覚でした。次回忘れないようにしなきゃ。本日先生が仰ったお言葉で一番見にしみたのは「踊っている時もその前に訓練した動かし方をちゃんと意識しなさい!何のためにやっているの?訓練は訓練、振り付けは振りつけとバラバラにしないでちゃんと全てつなげて踊るようにしなさい」と言う事でした。ごもっともです。がんばります。
2005.12.14
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反省をする。自分を変えたいと思って何か行動をして、それが上手くいかなかった場合は反省をしないといけません。上手くいかなかった、ということは何かがしっくりいってなかったり、やり方が悪い(自分に合わない)ことが考えられます。何処が悪かったのかを考えて、どうすればその悪いところをなくせるのかを考え、次回にその改善した方法で行おうと決心する事が大事です。そして次回はその方法を試してみましょう。この分析→改善策を出す→実行してみる、という反省の手順は自分がする行動全てに当てはめることが出来ます。これをせずに失敗しても「まあいいや」とか「失敗は忘れて次回頑張ろう」と言ってもまた同じ失敗をしてしまい自分を変えることは出来ません。ちなみに失敗した(上手くいかなかった)時に「何で失敗したんだろう、私ってやっぱり駄目なんだわ」といじけたり、「どうして上手く行かないんだろう」といって分析・改善をせずにウジウジ悩んでいては前には進めません。挙句の果て「周りが悪いんだわ」とか自分以外の責任に転嫁してしまっては尚更変えたいことを変えることは出来ません。上手くいかなくて落ち込む事はあることです。しかしずっと落ち込んでいても始まりません。この場合はできるだけ一日でも早く落ち込みから回復するためにも、その感情を後回しにして反省と次の打開策を出す事が大事です。自分を変えたいのに上手く行かないと言う人は、一度自分がどうして上手く行かないのかを考えてみましょう。次回は「自分こと好きですか?48」です。
2005.12.12
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男性の方にはとっても当たり前な話ですが、ビジネス界にはルールがあります。別名:暗黙の了解。ちょっとそこの女性の方!今「ベーつにぃ、起業したいわけでは無いしぃ、会社で毎日ルーティンワークしているだけだから関係無いわ」って言いませんでしたか?甘い!!甘すぎます!!貴方が会社に勤めている(働いている)だけでビジネス界には所属しているのです。貴方が正社員でも契約でも派遣でもアルバイトでもそれは関係ありません。と言ってもピラミッドの一番底辺ですけど・・・。余談ですが貴方が生きてお金を稼いで、何かを買っている段階で貴方は日本経済に参加しています。経済もビジネス界も無縁ではないんですよ。もし貴方が自分らしいお仕事の仕方を模索しているならば尚更自分が働いている「ビジネス界」のルールは押さえておいて損はありません。貴方が住んでいる地域のゴミだしルールを覚えて、おばちゃんに挨拶するのと同じ感覚だと思ってください。もしくは回覧板の回し方。郵便ポストに入れて回してOKなのと郵便ポストは駄目で新聞受けに入れないといけないのか。はたまた必ず呼び鈴を押して渡さないといけないかとか知っていたほうがご近所づきあいはしやすいですよね。ちなみに「自分らしいお仕事の仕方」とはその時の気分や感情で集中して仕事をしたり、だらだらと手を抜いたりする事ではありませんのでご留意くださいね。とりあえず今回覚えておいて欲しいのは「ビジネス界には暗黙の了解と言うルールが存在する」と言う事。もしかしたら貴方のお仕事が上手く行かないのはこのルールを無視しているからかも?今すぐ知りたい人は仕事のできる人にアドバイスを貰って下さい。このテーマは毎週日曜日にブログに書く予定です。
2005.12.11
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「努力するのは恥ずかしい?」時々努力をするのが恥ずかしいという女性がいます。努力をしている所を見られるのが恥ずかしい、というならばまだ分かりますが努力する事自体が恥ずかしいと言う人は何か勘違いしているのでは?と思います。かなり昔にクラスメイトが言っていた事に、「わき目を振らずあくせくと努力するなんて恥ずかしいじゃない」と言うのがあります。こういったのは女の子らしい女の子ですが、別にお嬢様では無かったです。お嬢様に憧れていた子だったのでしょうか?その子の言い分は努力をしているとみっともない姿になる。みっともない姿になりたくないから努力をしない。と言うものでした。彼女が何をみてそう思ったのかは不明ですが本末転倒な言い分ですよね。本当の意味でみっともないのは何も出来ず何も知らず何も見えない事だと思います。何か出来る様になるにはたくさんの失敗があります。色々と知るためには色んな本を読んだり勉強したり、たくさんの人と話をして見聞を広めたりする必要があります。もちろんその間には知らずにかいてしまう恥もあるでしょう。そういったことは全て努力になります。何かを身につけるためには大抵の場合は努力が必要です。特に自分が今まで持っていなかったものを身につけようと思ったら、大変な努力が必要になってきます。その時は自分の身だしなみに気にかける余裕が無くなるかもしれません。もしかしたら一時的に世界の全てがそれだけに見えて視野が狭くなるかもしれません。でも身に付けば、誰にも盗まれない自分の財産になるのです。確かに努力をしている最中を他人にみられるのは恥ずかしいかもしれません。中途半端で未完成で身についていない状態ほど不安定な事はないですから。だからと言ってそれをみっともないこととして恥じる必要はないのです。そうは言っても努力は他人にひけらかすものでもありません。人に自慢するものでもなく認めてもらうための物でもなく、自分のためにするものです。ただ自分に甘いひとは努力を続ける方法として人に告知するのも一つの手です。告知しても自分で続ける努力が無ければ意味はありませんが。努力をする事は孤独な事でもあります。世の中のみんなが全ての事をすいすいと身につけていき、自分だけがどんなに努力しても身につかず置いていかれるような気になる事よくあります。でも世の中で輝いている人は自分が思っている以上に努力をしている人がほとんどです。みんな一夕一朝に色んなことを得た訳ではないのです。必ず私たち凡人が思っているより3倍以上は努力をしています。そして3倍以上辛い目にあっているのです。ただそれを表に出さないだけなのです。もしくはそれを努力と思っていないのかも知れません。ですから私たちより3倍以上輝いているのです。「努力をする事」は恥ずかしいことではありません。逆に努力をしないと人間的に魅力が無いのです。貴方が何かを成し遂げたいのであればずっと頑張る必要はありませんが、諦めず努力する必要はあります。それが自分を輝かせることになるのです。次回は「泣きたい時には泣く」です。
2005.12.09
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最初に否定するのを辞める。何かする時、何か始めようと思ったとき、何かしたいと思ったときに「出来るわけ無いじゃん」と言ってはいませんか?または何か新しいニュースを聞いたとき「そんな事ある訳ない」と言う事はありませんか?日常で信じられずに思わず言ってしまう場合を除いて否定的に使っているならば、貴方は自分で自分のことを貶めている事になります。世の中に起こる物事は誰かの強い思いを現実に実現させた場合に起こります。それは今までの常識では計り知れないこともあるのです。例えば今から100年ほど前では宇宙に行く事自体とても出来る事ではなく、ただの夢物語でした。確かにその当時の技術力からは夢物語でしたが、「宇宙に行くんだ!」という誰かの強い思いが段々広まって、人や国を動かし技術力を発展させ、とうとう宇宙に出ることが出来たのです。しかも現在まだまだとても高額ですが、宇宙旅行さえ売り出され始めたのです。もしその時「出来る訳無いじゃん」とみんなが思っていたら今もまだ宇宙に行く事は出来なかったかも知れません。もしかしたら有人ロケットの発射さえ今日になっていたかも知れないのです。また自分が夢物語だと思っていた事が現実になったと聞いて思わず耳を疑う、ということはよくある話ですがそれをきちんと調べもせずに「どうせガセだろう」と高をくくっていてはいけません。確かに「ガセネタ」と言うのは蔓延していますが自分の力で確認せずに鵜呑みにしたり、ガセだと決め付けていては新しい波に乗り遅れてしまいます。きちんと自分でガセか本当か調べてその上で判断しないといけません。ついでにどうして出来たかを調べるといいでしょう。そうしてデータを貯めれば自分が何かをする時に参考になるはずです。人はどうしても保守的なところがあります。自分を守る事は大事ですがだからと言って自分の信じたくない事を否定してはいけません。また始める前に「出来る訳無い」「そんな事ある訳無い」と言うならばそれは出来なかった時の保険(言い訳)でしかないのです。そう言ってしまった分貴方はそれが「出来ない」という魔法を自分にかけたのと同じ事です。ですから出来ることも出来なくなってしまっている事があります。何かする時、何か始める時に否定的なことを言う事は辞めましょう。自分で自分を何も出来ない人に貶める必要は無いのです。そう言った事こそ自分を変えていきましょう。次回は「自分のこと好きですか?47」です。
2005.12.08
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火曜日は先生お休みで自主練習(みたいなもの!)で、水曜は先生のレッスンでした。リサイタル、ライブと立て続けに踊った先生はリフレッシュで行った温泉で寝違えて股関節を痛めたそうです。今日はとても大変そうでした。火曜は代教のNさんがレッスンをしてくださったんだけど、どうも私が微妙なところで音がずれるものだからものすごい渋い顔してました。気持ちの問題、って言いますがそれが上手く出来ないから私自身も困っているのに『何で出来ないの』という無言のプレッシャーが辛かったです。水曜は先生のレッスンでまた表現力のお話でした。それに関して大阪の教室の人の踊りが変わったと言う話。毎回先生の話を聞いて思うのはフラメンコと経済という分野は違えど話している根本的なことは渋井真帆さんの仕事の仕方の話と共通するなぁと言う事。特に身体の使い方で余分な所に力をいれずに足や頭の上にエネルギーを出す所の出す、という本日の指摘はまんま「やわキャリ初級」で聞いた仕事はルーティンワークは6割の力でやってプレゼン等の勝負どころで100%以上の力を出さないと評価されない、という話と共通するなぁと。フラメンコで表現力を出そうと思ったら自分が出そうとして試行錯誤をしないといけない。そのためには身体の余分な肩や首の後ろなどに変な力が入りやすいところは力を抜いて、エネルギーを下と上に、または出す方に流さないと不自然になる、そうです。そのために中心を作って(でも身体にがちがちに力を入れて固めるのでなく)身体を自然に一つにまとめないとバラバラになって表現力どころではなくなるそうです。今の私の身体の状態はまた重心が後ろに行きたがって中心に纏めるどころではない状態です。とはいっても身体を纏める事ばかりに気をとられると「踊っているのでなく、やっているだけ」と言う指摘を受けてしまうので両方に気をつけないと・・・。他に気をとられると上体も縮んでしまうから気をつけないといけないことだらけです。いい加減この変なクセが取れると言いのですが~、なかなか難しいです。さ、来週も頑張ろう。
2005.12.07
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「なりたい自分になる」方法があるといったら貴方はそれを試してみますか?それともそんなものある訳が無いといって何もしませんか?「なりたい自分になる」方法は私はあると思います。それは「なりたい自分」を具体的に想像して、それが何年後に叶えるかを決める事だと思います。そしてその自分に『絶対になれる』と強く思うことです。もし貴方が「ここでそんな事できるわけが無い!」と思ったら、それは永久に「なりたい自分になる」事はできません。と言うのもその時点で「なりたい自分になる」ことを何もしないからです。何もしないのに「なりたい自分」にはなれないのです。ここで「なりたい自分になる」「絶対できる」強く思ったら次に今なりたい自分になるために今の自分に何が足らないのか、何をしなくてはいけないのかをはっきりさせましょう。ここでしなくてはいけない事が一杯出てきたからといってショックを受けてやめてはいけません。沢山出てきた、ということは貴方が今と理想の自分にどれだけギャップがあるかを冷静に判断できた言うことです。それを一つづつやればなりたい自分になれるのです。次にやらなくてはいけない事の中で一番簡単に出来るものからやっていきましょう。一つづつクリアしていって段々時間の掛かるもの、難易度が高いと思うのもをやっていきましょう。ここで注意しなくてはいけないのは大体何時ぐらいにそのものをやるかをきちんと決めなくてはいけません。だらだらとやる事を延ばしていたら、自分の決めた時になりたい自分になれていない事になります。こうしてやっていけばなりたい自分になれるはずなのです。余談ですが現在私はこれを実践中です。始めたばかりなのでなかなか効果は出てきませんが何もしない自分よりはなりたい自分に近づいていると思います。ただし途中でその努力をするのをやめたり、投げ出したりしたらなりたい自分になれなくなります。しかしどうしても続けたくなくなる時というものが出てくるものです。また怠けてしまった先に進めなくなることもあります。その時はその時点で「なりたい自分になる」と決めた時になれた自分となれなかった自分を想像してみてください。どちらになりたくてどちらになりたくないですか?貴方がなりたい自分にならなかった自分が良いと思えば途中でやめても構いません。それは貴方が選択する事です。そんな自分が好きならばそう選択すればいいのです。もし少しでもなりたい自分になれないことが嫌ならばなりたい自分になるように努力をし続ければいいのです。「なりたい自分になる」方法に一日二日の短期間でパッとできる方法は残念ながら無いのです。でも1年かければ必ず「なりたい自分」に近づく事が出来ます。パッと変われないからといって何もしないのと少しづつ近づくのとどちらになりたいのでしょうか?次回は「努力をするのは恥ずかしい?」です。
2005.12.05
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「他人の価値観を尊重する」。貴方は周りにいる人の価値観を把握していますか?両親や兄弟、親しい友人の価値観は知っているかも知れません。ところで学校のクラスメイトや会社の同僚・上司・部下の価値観を知っていますか?知っていてもそれを尊重していますか?知っているのと尊重するのとはかなりの違いがあります。知っていると言うのは何度も書いていますが、文字通り知識として知っている事です。あくまで知っているだけでそれを尊重しているわけでも理解しているわけでもない状態です。尊重するというのは大事にする事です。ここで気をつけて欲しいのは大事にすると言うのは理解するとはまた別のものである事です。理解は文字通り自分の経験等と照らし合わせて自分の中に納得する形で受け止める事。納得できなければ理解しているとは言いがたいのです。一方で尊重するということは理解しているとは限らないのです。理解して尊重していることもありますが、逆に理解どころか馬鹿馬鹿しいと思っていても尊重をする事はあるのです。もし貴方が誰かの価値観において何か大切ににしていることがあったと言うのを知ったとしたら、それがどんなに馬鹿らしくても出来るだけそれを馬鹿にしたりからかうのは止めましょう。またその事に気づかずにからかった時、相手が本気で怒ったら直ぐに誤るようにしましょう。誰かが貴方の大切にしているものを「価値が無い」とか「馬鹿みたい」「そんなもの」と言われたらどう思うかを良く考えてみましょう。同時に貴方が大切にしているものを他の誰かが同じように大切にしてくれたらどう感じますか?自分が感じたように貴方は他人にしてあげた方がいいでしょう。他人の価値観が自分とまるきり違って理解できなくても自分が出来る範囲で尊重したら、尊重さらた他人もその人のできる範囲で尊重してくれます。次回は「自分のこと好きですか?46」です。
2005.12.04
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「他人からの評価」を貴方はどう受け止めていますか?思いっきり正面から受け止めて一喜一憂する?好意的でない評価以外を出す人を敵視しますか?それとも完全に無視しますか?そうではなくて今後の参考にする?大抵の方はこのいずれかのことをしているかと思います。そもそも「他人の評価」と言うものは自分が行動した結果、それを受け止めた(見た)人の経験や価値観というフィルターを通して出されたものに過ぎません。ある意味客観視された自分とも言えますが、その人の主観を通した評価ですので完全に客観視されてはいますが公平とはいえないものです。こうやって考えると一喜一憂をするのはどうかと思います。私たちは他人に良く評価されることを快く思います。自分が認められ受け入れられたと感じるとうれしいものです。逆に悪く言われると不快に感じます。意図していない悪いことを言われるとショックを受けたりします。ですから自分を悪く言う人たちを思わず敵視してしまう事もあります。十人十色という言葉があるように人は人の生きてきた環境などによって色々な価値観を持っています。ですから評価もそれ以上にあるものです。一説によると十人の人がいたら必ず自分に好意的な人は5人いて、好意的でない人は5人いるそうです。そうやって考えると好意的でない人を敵視しても仕方ありません。もちろん完全無視してもいいのですが、そうなると独りよがりな事に暴走しかねません。芸術家や一人で生きていける人ならそれでも構わないかも知れませんが、普通に人間社会に暮らしている人にとってはそれも得策とは言いがたいのです。ですから参考にしつつ自分の軸をしっかり持つのが一番の方法かと思います。何よりも他人の主観と言うフィルターを通した出されたものと言う認識をしっかりもつことが大切だと思います。他人の評価と言うものはどうしてもそれはその人の個人の価値観が出ますので、全てを正面から受け止めていては自分が疲れてしまいます。また他人の評価を重きにおいて、評価をよくする事だけを目的に行動する事はあまりにもナンセンスです。そのために自分のやりたい事、やりたい道を見失ってしまったら尚更泣くに泣けないことになります。自分が自分らしく生きたいのでしたら他人の評価は目先のものと思い、ロングスパンの目標に向かっていく強さをもって行きたいものです。そのロングスパンをもって現在の評価を上げておく必要があると貴方が感じたなら、自分の道や軸から外れない方法で他人の評価をあげる事に力を注いでもいいでしょう。次回は「なりたい自分になる」です。
2005.12.03
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自己否定を止める。日本人に生まれた私たちにはとても難しいとは思いますが、時には自分で自分を肯定してあげる必要があります。もし、自己肯定が難しいのであれば自己否定だけでも辞めましょう。たまには何か失敗をして「なんて自分は駄目なんだろう」と一時的に思う事はよくある話です。でも「次ぎ頑張ろう!」と思えるのでしたら何の問題もありません。しかし自分で自分を「自分は駄目なんだ、価値が無いんだ」などと自己否定をし続けると無意識に自分で自分に自信がなくなってきます。そうするとだんだん気持ちが下向きになり、顔も下を向きがちになってしまいます。そしてずーっと下ばかり向いているとどんよりとした雰囲気を背負うようになります。そうなると周りからもウザがられ、それを受けてまた自己否定をすると言う悪循環になってしまいます。こんな状態から抜け出そうと思ったらとても大変です。とりあえず自分だけでも自分を見捨てずにそこから出そうと思う事から始めないといけません。もっと大変なのは身内(特に親)から自分の性格や容姿などを否定され続けた場合です。こうなると自分嫌いにも拍車が掛かっているので抜け出すのに一苦労です。しかしそれを理由に自分で自分を否定し続けていては、自分を不幸にしてしまいます。他人の意見に負けて、自分にも負けてはいけません。少なくても自分だけは自分を見捨てずに否定するのを止めましょう。同時に傷ついている自分を慰めてあげましょう。最初は難しいかも知れません。でも自分で「出来る」と信じれば何事も出来るのです。自己否定を止めると自分をもっとよくする為のヒントを見つけやすくなります。神様は自分で自分を幸せにしようと努力・実行している人を助けてくれるのです。ただし「努力しているつもり」にはならない様に気をつけてください。次回は「自分のこと好きですか?45」です。
2005.12.02
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本日は名古屋栄のマナハウスのセミナールームでMLIの名古屋セミナーの開催でした。10ヶ月ぶりの名古屋でのセミナーだったので、結構楽しみにしていたのですが(何せ名古屋ではやってくれない「日経新聞の読みこなし隊」でしたから)日経新聞を持ってきていない人が多くてノーマルヴァージョンの「日経新聞読みこなし隊」だったのが残念です。それでも情報の捉え方のポイント及び渋井真帆さんだから知っているいろいろな経済(会社経営)状況を聞くことが出来、とても有意義な2時間でした。ちなみに私が疑問に思っていたニュースソースが聞けたのが一番の収穫。納得しました。それにしても2時間というのはやはりちょっと短いですね。微妙に物足りなさがありました。平日の夕方からだから仕方ないとして、次回は是非!もっと時間をゆったりとってじっくり講義を聴きたいと思います。明日は通常テーマに戻りますね。
2005.12.01
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