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昨日、今日もリサイタルモードでした。群舞で出ない私にはちょっといい加減辛い時期です。しかし先生は「踊りの質を上げる!」と言う目標を断念したわけではなく体の使い方に関してはすっごくチェックが入ります。私は群舞で参加しないためあまり厳しいチェックが入ることは少ないのですが、人の注意されたのを聞きながら自分でチェックし直しています。どうも困った事に体の引き上げると言うことが持続しない傾向にあるのを改めて再発見しました。筋力の持久力がなさ過ぎるわ!私。プラス重心が後ろに傾きやすい~。気をつけないと変えるどころか昔のクセが増長されてしまいます。気づいてよかった。直っている所と昔のクセのままのところと現在は混在していて踊っていてすごく気持ち悪いです。多分、集中力も足らないのでしょうねぇ。なんか毎週同じ課題を再確認していますね。いい加減進歩しろよ、と私も思います。今日は先生とギタリストのOさんとの間でブレリア(群舞)からアレグリアス(先生のソロ)へのギターのつなぎが上手く話が伝わらなくて、大変そうでした。音を切らずにギターをつなげて欲しいと先生が言っていたのをOさんは上手く理解していないようす。イメージ的にこう言うことを言いたいのかな?というのは分かりますがこれを言葉にするには大変難しいです。踊り手とギタリストの間の溝を縮めるのは時間が掛かりそうです。そういえば、スペインの「deFlameco」にNetでフラメンコシューズを4人分、作成で発注かけたらExpressにしたせいもあるけど、なんと2週間で自宅に届いたのでビックリした。靴の代金・送料等の諸経費込みで日本円で約1万5千200円で買えたのもすごい。シルビアとかチャコットで買うより断然割安だし好きな色や形を選べるので日本で売っているフラメンコシューズが合わないのであれば一度発注してみる価値はあります。通常の幅で1足92.75ユーロで一回送料72ユーロだから、幅広にした場合でも代金別途必要ですが2万円は超えません。Expressにしなけれ約1ヶ月みれば届くと思います。お勧めです。
2005.09.28
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「出来ない」と言うこと(思うこと)を辞める。貴方はつい「出来るわけないじゃん」と言うことはありませんか?また1回やって上手くいかなかっただけで「出来なーい」と気軽に言ったりしていませんか?しかし本気でそう言ってしまった瞬間それは本当に出来なくなるのをご存知ですか?しかしついみんなの前で諦めずにやり続ける事が恥ずかしくてそう言ってしまう事がありますよね。でもそのときも感情や気持ちを込めていってはいけません。感情や気持ちを込めていった言葉には物質に働きかける力があります。いわゆる「言霊」と言うものになるのです。これは言葉と言う音の波にのって周りに向かって広がっていき、やがてあちこちにぶつかって物質に働きかける大きな力となって私たちのもとに帰ってきます。そして発した言葉を現実にするのです。もし貴方がマイナスの感情をこめた事ばかり言っていれば貴方の周りに起こる事は全てマイナスなことになります。同時にプラス感情をこめたことばかり言えば周りにおきる事はプラスの事になります。そう入ってもついうっかりマイナスの感情をこめたことを言ってしまう時がありますよね。その時はそれ以上の感情や念をこめてその言葉を打ち消す事を言ってください。少なくてもだいぶマイナスの事は減ります。ですから本当は出来る事でも「出来ない」と言い続ければそれは本当に出来なくなりますし、現時点で出来ない事でも「出来る」と言い続ければそれは感ならずできるようになります。確かに即効性は少ないですが、確実にそうなるのです。もし貴方が周りを気にして「出来ない」と言うのであれば言う時に反対の気持ちを強く持つと良いでしょう。「出来ない」と口で言って出来てしまう人にはそういう技が使われている事もあります。今生きていく中で出来ることが出来ない事より多いほうがいいと思いませんか?今出来なくても出来るようになれば楽しい事も多いはずです。安易に「出来ない」というのは辞めましょう。ちなみに言霊は他人に効く事もありますがたいていの場合発した本人に帰ってくるので気をつけてください。明々後日は「自分のこと好きですか?30」です。
2005.09.26
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今回のテーマは「幸せって何?」です。現在、本屋に行くと成功するための技術やら、幸せになるための魔法のノート等等がたくさん並んでいます。しかも最近の本は「これが幸せです」と幸せの定義を勝手にしてあるのでなく、自分にとっての幸せの見つけ方が書いてあるものが多いのでかなり参考になると思います。けれどもどの本にも共通して書いてあることは第一段階で、自分の夢や幸せを出来るだけ具体的にはっきりさせるという事です。ものすごく簡単ですよね。ところがこれが出来ない人が居るのです。昔は「これが幸せ」というモデルケースがあったためにそれを目指せば幸せになれるという信仰がありました。でも最近はそれがどうもおかしいとみんな気づいてしまった。しかしそれが何故か自分にとっての幸せの追求にはなっていないことが多いのです。自分にとっての幸せは自分の心をじっくりと見つめ直せば出てくるのに、何故か外に「幸せの形」を求めてしまう。これでは本当の「幸せ」にはなれません。貴方にとって幸せは何ですか?地位を獲得する事ですか?お金を持つ事ですか?家庭円満な事ですか?他人がうらやむような生活をする事ですか?そうしてそれは何故幸せだと思いますか?もし貴方が本当の幸せを手に入れたいのならばこの「何故?」という掘り下げがとても大切です。もしお金をたくさん持つ事が幸せと感じるならそれは一体何故そう考えたのでしょう?それが分かっていなければお金をたくさん持ったとしても貴方は本当の幸せにはなれないのです。出来ればそういったことを紙に書いていきましょう。ずーっと掘り下げていくとこれ以上掘り下げることが出来ないところに来ることがあります。それが貴方が本当に幸せだと思うことなのです。先ほどのもし「お金をたくさん持つ事が幸せ」と考えた場合何故そうかを考えて、「色々なものが手に入るから」と応えたとします。次に「色々なものが手に入るのが何故幸せなのか」と考える。「好きなものに囲まれると幸せ」というのが答えなら何故それを幸せと感じるか、といった具合に掘り下げていきます。こうして「好きなものに囲まれると安心感があるから」ときたらその人の本当の幸せは「好きなものに囲まれて安心感のある生活をする」のが本当の幸せという事になります。こうやって一度自分の幸せと思うことについて一度じっくり掘り下げてみましょう。意外と自分で自分の本当の望みをハッキリさせることが出来ていない人が多いので本当の自分が見えてくるかもしれません。次回は「経験する事」です。
2005.09.25
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占いを利用する。気をつけて欲しいのは利用するのであって、言い訳に使ってはいけません。もし貴方が自分を変えたい方向がはっきりしたのにどうしても動けない時は占いを利用する方法があります。もちろん利用するのはプラスの意見です。最近はありとあらゆる占いが巷に氾濫しています。占星術、動物占い、守護天使占い、タロットカード、六星占術、等など数えればきりがないほどです。ですから全てをチェックしていくと幾つかの占いで真反対なことが書かれていることがあります。こう言うときは良いほうを信じて「自分はラッキーだわ!」と思って行動すると何故かより良い結果が出ることが多いのです。ところが何故か全ての占いで同じマイナスな事を注意している事もあります。ここで気をつけて欲しいのはそれが書いてあるから止めるのでなく、それに要注意しながら進む、ということです。自分が変えたいことが本当に変えたいことなのか、角度を変えて総点検してみるのも良いでしょう。「占いを信じるなんて馬鹿みたい」という意見も存在します。それも確かに一理あります。やる事を本質的・多角的・全体的・長期的視点からみて今がチャンスだと思えばそれはチャンスなのです。占いは横に置いて確実に捕まえましょう。また本当に自分がやりたい事や夢がある場合はいかにやるかが大事になってきますので、一々占いを気にしていたら動けなくなります。ただ物事には「流れ」があるので逆流をいくよりは流れていく方向に乗る方が物事がスムーズに進むのも確かです。だからといって流れに乗ってばかりいたら根無し草と同じで何処に行くか分かりません。占いというのはあくまで今が向かい風なのか追い風なのかを知らせる目安に過ぎません。向かい風なら苦労するのを予見してそれなりの対応を立てておく、また追い風ならばそれに乗りすぎて変なことをしないように事を行うといったことをするための目安です。例えば雨が降るという予報を聞いて「外出やーめた」といって得意先周りに出ない営業の人は居ませんよね。雨が降る前に外回りを済ます方法を考えるか、ちゃんと雨傘を持って出るのと一緒です。人生の天気予報と思えば上手く使えばこの上ない味方になります。もっともいつでも万全の準備をしている人にとってはあまり意味のない物でもあります。けれど自分を変えるきっかけにも利用出来ますから一度使ってみるのも面白いと思います。しかし、上手くいかなかったときの言い訳や物事をやらない事の言い訳にしてはいけません。もし「今は動かない方がよい」とあった場合、何もしなくて良いというように捕らえてはいけません。動かないけれど、機会が来たら直ぐに動けるように準備しておくと良いと理解しましょう。占いは使い方を間違えなければ良い人生を送る中で結構面白い道具になると思います。明日は「自分のこと好きですか?29」です。
2005.09.24
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「人生の主人公になろう」というテーマです。これはコーチングの学校の説明会に行った時にそこの校長(なのでしょうか?とりあえず代表)がおっしゃっていた事です。でも自分の人生、自分が主人公なのは当たり前でしょ?そう思った貴方、貴方はいま本当に今を生きるという物語りの主人公として生きていますか?ところで漫画やアニメや小説の主人公はどんな人が多いでしょう?たいていの場合始まりはごくごく一般的な普通の少年・少女ですよね。ところが物語が進んでいくにつれてとんでもない自分の運命が出てきたり、困難にぶつかったり、強力なライバルが出現したりして大変な目に遭います。しかし主人公達は一時的にへこんでいじけたり、泣き言を言ったりはしますが、最後にはそれに屈せず自分の幸せや夢へと進んで障害を乗り越えていきます。そして必ずハッピーエンドを迎えるのです。(ちなみに他の終わり方をする事もありますが、ここではそれはとりあえず横に置いてください)さて、貴方はどうしていますか?些細な事で凹んだり、泣き言を言ったり目の前の障害に立ち向かわずグチを言ったり他人の足を引っ張ったりしていませんか?それではまるで物語の主人公の周りにいるどうでもいい脇役ではないでしょうか。脇役にも脇役の物語というものはありますが、それでは自分は今という時代を生きる主人公にはなれないですよね。人間はなりたい自分になれるものだそうです。なりたい自分になる人生を送っている人が「人生の主人公になる」人だと言えるでしょう。そのためにも躊躇いや逃げとは出来るだけ縁を切るようにしましょう。同時に「人生の経営者」でなくてはいけません。なりたい自分になるためにお金を使うのは構わないのですが、むやみやたらと使いまくって破綻して生活が成り立たなければ「人生の主人公」にもなれなくなります。このバランス感覚をちゃんと磨く事が大事になっていきます。貴方はなりたい自分をちゃんと分かっていますか?どういった人生を送る主人公になりたいかが分かっていないと「人生の主人公」にはなれません。今まだ良く分からないのであれば色々なことをしてみましょう。自己啓発のセミナーに参加したり、ボランティアをしてみたり成功した人のトークショーでも構いません。幸せになるための本を片っ端から乱読してみるのも一つの手かも知れません。本当に貴方が求めているならば、ある時突然にピピッと来るものが必ずあるはずです。それが来たら逃さずちゃんと胸にしっかり抱いていきましょう。それが自分が本当に「人生の主人公」といえる人生を歩ける道しるべになるはずです。次回は「幸せって何?」です。
2005.09.23
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やった事が無い事をしてみる。もし何かを変えたいと思ったら一度もやってみた事が無い事をやってみるのも楽しいです。一人では出来ないというのであればお友達を誘ってみてもいいでしょう。もちろん最初は緊張と不安でかなり挙動不審な人になりますが、それは回数を重ねるごとに解消されますのであまり深刻にならないように。例えば、一人でお茶をする。男性にとっては当たり前な事ですが、女性にとっては結構な冒険だったりします。一人でお茶をした事が無い人はまずはセルフサービスのコーヒーショップがお勧めです。間が持たないというのであれば携帯でメールをしたり、本(雑誌)を持っていくといいでしょう。同じように一人ランチもやってみてください。お店によっては一人が居ずらい場所や逆に落ち着くお店があります。新しいショップに入る。いつもと違うショップで買い物をしてみるのも面白いです。しかし通常だと店員さんの「何で貴方みたいなのがこの店入るの」視線が嫌な人、デパートの新しいショップや路地店に入るのに入りにくい場合はバーゲン期間を利用します。この期間は店員さんも人定めはしないことが多いので、気軽に入れます。新しいジャンルの本を読む。男性でしたら女性誌を、女性でしたら男性誌を読んでみましょう。本屋で恥ずかしいというのであれば、図書館で読める場所もあります。またネット書店を利用して注文したり、メモ用紙を持って「頼まれ事なんだ」というポーズをとってもいいかもしれません。普段スポーツ誌しか読んだ事の無い人でしたら旅の雑誌や経済誌が以外に面白いかもしれません。今まで馬鹿にしていたことをしてみる。競馬とかネットオークションとか各種マッサージなど。結構楽しい場合がありますがハマりすぎない様にしましょう。これらをやるに当たって気をつけて欲しいのは「無理をしない」こと。思いつめてしまっては意味が無いので、楽しむ事です。自分が出来ない事は仕方ないので、またの機会を待てばいいのです。もしかしたら旅先などの方が行いやすいかも知れません。新しい自分を発見できるかも知れませんし、改めて自分を再認識出きるかもしれません。一度試してみてはいかがでしょうか?明日は「自分のことが好きですか?28」です。
2005.09.22
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相変わらずリサイタルモードでした。久しぶりにギターのOさんが来ていたので、タンゴもやりましたが・・・。それにしてもリサイタルに出ない私に「予習・復習して覚えて」とあっさりと言う先生も酷なんですけど。確かにブレリアなので覚えて置いて損は無いけどパソの順番が複雑すぎてついていけません。音は別に難しくないんですけどね、リズム音痴な私としては覚えるのに一苦労です。水曜は筋トレでした。身体を使って立体的に表現する為の鍛え方。腹筋はともかく背筋(腰の筋肉を使わずに本当に背中の筋肉だけ使う方法)が辛かったです。内心「背~中~が~イーターイー」といいつつやっていました。おかげさまで翌日は筋肉痛です。筋力は相変わらず弱いです、私。体の使い方や銃身の位置とかが少しずつ強制されているのか、以前にやった事のある振り付けをやる時にすごい違和感があります。「あ、駄目な使い方してる」って直感で分かるようになってきた分進歩しているのかも知れません。でもどうしたらいいかが分からないのでぐるぐるしてしまっています。でもまだまだ、他の人に見せて楽しませようという所まで行かないので先は長いです。本当はこちらの意識があった方が進歩が早いような気もしなくはないですが。日本でフラメンコ習っている方って、そちらの意識が足りないですよね。コンパスとか歌とかに必死になっているから。
2005.09.21
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日記を二日間お休みしてしまいました。楽しみにしていた方、すみません。理由は精神的疲労(別名ストレス)です。ちょっとブログに書くのが嫌になってしまったのでリフレッシュしてきました。その間にコーチングの授業体験をしてきました。面白かった。けど、そのときの先生が教え方が下手でちょっと途中で集中力が切れました。そのとき思ったのはやっぱりコーチングだけでは解決しない問題も一杯あるよねという事。やわキャリ初級どまりですがそれが分かって問題点とか見えてきているあたり先に渋井真帆さんを知って、やわキャリ受けておいてよかったなーって思いました。人を教えるという事はやはり自分で自分の軸が出来てないとブレてしまって「先生」としての役割が果たせなくなってしまいます。コーチングではっきりと自分の意見を言ってはいけないことは多いだろうけど、教える立場では意見はハッキリさせないと駄目だと思いました。というか、教えたり公演をしている人をつい渋井さんと比べてしまうあたりちょっと困った人ではありますが、渋井さんの自分が人を教えるという事に対するヴィジョンがしっかりしている分さすがとしか言いようがありません。そんな渋井真帆さん主催の「決算書読みこなし隊」の授業に10月から行って来ます。また月二回の名古屋←→渋谷通いです。日帰りです。しかも夜8時に授業終了予定(って言うかあまりキッチリ終わらないだろうと踏んでいる)で名古屋に帰るのはキツク無いかとちょっと不安。まあ、また貯金を削ってしまうけど(交通費で)それは先行投資なので仕方ないですね。問題は同居している親。・・・何とかなるだろう、というかするしかない。相変わらずこうゆうところは背水の陣です。先に言ったら愚痴や文句や非難しか出てこない人を説得する(黙らせる)には不言実行しかありません。そんなわけで10月から土曜日月2回はブログお休みです。すみません。
2005.09.19
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貴方は今「夢をみている」人ですか?それとも夢を見ていない人ですか?ちなみに今回の夢は夜寝ているときの夢ではありません。念のため。「夢」は何でも構わないので基本的に「夢見る」ことをお勧めします。大きくても小さくてもそれは関係ありません。貴方が本当に叶えたい夢を具体的に描いてください。夢は自分の中からとても大きなパワーを引き出して自分では出来ないと思っていたことを可能にしてくれます。しかしそう言ってもなかなか最初は難しい人もいるかもしれません。とくに夢を見ることに慣れてないと具体的な夢は描き出せません。そういう人は最初は絶対に実現可能な夢を最初に見ましょう。例えば「今手元にある仕事をミス無く終わらせる」「中間試験で前回より良い点を取る」「気になる彼(彼女)に挨拶をする」「寝坊しない」等など何でも構いません。出来るかぎり具体的な目の前にあってクリアさせる事が可能な夢をみることをお勧めします。さて実際やってみて貴方はクリアできましたか?出来た人はまた次の夢を具体的に描いてクリアしていきましょう。こうして小さな成功体験を続けていけば、どんな大きな夢も実現可能だと渋井真帆さんもライブドアの堀江社長も「愛されてお金持ちになる魔法の言葉」という本の中でも仰ってます。もしクリアできなかった人は信じる気持ちが足りなかったのだと思います。「何を信じる気持ち?」そう思った貴方はかなりマイナスです。困った人です。もちろん『自分が夢を叶えることが出来る』という気持ちです。『自分が目の前の夢を叶える事が出来る』と信じる事が出来ないひとはささやかな夢さえも叶える事が出来ないのです。でもそれって自分に大変失礼ではないでしょうか?「自分の夢」とは自分がこうなったら自分が幸せになれるということですよね。自分で自分を幸せにすることは誰もがやらなくてはいけない事だと思っています。基本的に自分で自分を不幸せにしたい人はいません。(もし、貴方や貴方の周りに自分で自分が許せなくて自分を不幸せにしたい人がいた場合はカウンセリングまたはセラピーを受ける事を強くお勧めします)それなのに自分で自分が描いた夢を叶えようとしない人は自分で自分をわざわざ不幸に追いやっている事になります。でも何故人は自分で自分を幸せにすることを躊躇ってしまうのでしょう。人は「すごい幸せの後には必ず不幸がやってくる」と思っています。この幸運の後の不幸に怯えて自分を幸せにする事を躊躇ってしまっているのです。確かに自分の幸せ力以上の幸運を得た後には相当の不幸がやってきます。しかし自分の夢を実現して得る幸せはより幸せを運んでくれます。幸せの後に辛いことがあってもそれは更なる幸せへ行くための階段であって、決して不幸ではないのです。それを理解していれば幸運の後に来るつらい事は不運でも何でもありません。次のステージに上がるためのトレーニングなのです。ですから皆さんも自分の夢をみて叶えていってください。もしその中で不幸だと思うことがあったら次のセリフを思い出してください。「最悪の出来事は、最善への近道かもしれないのよ」 (レディー・ヴィクトリアン(10) もとなおこ著/秋田書店刊)漫画の中にあったセリフですが、色々な本(特に本田健さん)で似たようなことが書いてありました。また不幸の後には必ず幸せな瞬間がやってきます。ついでに今の私のようやく見つけた夢は「自分で自分を幸せにしたい人の手伝いをする(幸せにする)仕事をしたい」と思っています。現時点では怠けそうな自分とそのために今戦っています。次回は「人生の主人公になろう」です。
2005.09.19
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「変えたいことをハッキリさせる」貴方が本当に自分を変えたいと思っているならば、そろそろ自分の「何」を変えたいかハッキリさせなくてはいけません。なんとなく「自分を変えたい」と思って色々やってみるとだんだんそれが分かってきているはずです。まず、最初に自分の何を変えたいのか全て書き出してみましょう。もしかしたらそれはまだ一つしか分からないかも知れませんし、何十個も出てくるかもしれません。次にその理由を書いてみましょう。書けたら次にそれを全て読み返しましょう。何か共通項はありましたか?あった人はそれが今貴方が自分を変えたいことになります。いくつも変えたいことが出てきて、しかもそれが全然共通項が無い場合は変えたい順番を決めた方がいいでしょう。やり方は最初から一つずつ見比べてみましょう。一つ目と二つ目、貴方はどちらをより変えたいと思いますか?こうして一番になったものから変えていくといいでしょう。もし、こうして出てきたものがすごく重荷に感じたら変えれることから変えていく方法もあります。どちらも自分に合うと思う方からやってみてください。さて、何故自分の変わりたい事をハッキリさせた方がいいのかということですが、人間は漠然と思っているより、目標を決めて強く思った方が物事を実現させやすいからです。例えば、何か習い事の発表会があったとするとそこが第一の目標になります。「発表会に出たい」と思うと自然に中途半端なことをしたくなくなり、練習にも力が入り集中力も増します。練習に力が入って集中力が増せば自然と上達も早くなります。そうして発表会が終わると「次はもっと上手になりたい」と思うようになり更に上達していくのです。(中にはそれで満足して終わる人もいますが、ちょっとここでは省きます。)このように目標があれば人間はそれに向かっていく力が自然と出てくるのです。ちなみに最初から実現不可能な目標を立てるよりは手の届きそうな目標からクリアしていく事をお勧めしますが、人の想いが強い方がより実現しやすいので先ほどは「変えたい」事からやっていく方法と「変えれる」事からやっていく方法を教えました。もしまだ自分の変えたいことがハッキリしないのであれば、まだ色々とお試しでやってみる事をお勧めします。これは直ぐに出る人と長く掛かる人といます。変えたいけどハッキリ分からないのであれば1~2ヶ月のスパンで色々やってみる時期と自分と向かい合う時期を決めて交互にやっていきましょう。自分から逃げなければ必ず自分の望みは出てくるはずです。次回は「自分のこと好きですか?27」です。
2005.09.16
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「今更遅い?」がテーマになっています。『今更遅い』と言う事ってどれだけありますか?例えば消防士とかレスキュー隊、スポーツ選手になるのでしたら体力勝負ですから早ければ早いほどいいと思います。また、アイドルのように年齢制限があるものもあります。しかしそういったものや将棋士のようにエリートコースがないとプロになれないようなもの以外は「今更遅い」ということは無いように思います。何か夢を持ってそれが実現するように努力をすることは何歳からでも出来る事です。TBSで日曜の夕方6次30分から放送している(中部地区では)「夢の扉」という番組を見ていると特にその想いを強くします。そこには色々な人がいます。正真正銘の無添加のパンを作る職人、痛くない注射針を作った町工場の職人そういう人を見ていると夢をみて実現させるのに年齢なんて関係ないのだと教えてもらえます。ただ、こう言う番組みても大抵の人は「こう言うのは一部の特別な人たちだから出来た事で自分には出来るはずが無い」と思い込んでいます。でも何故そう思うのでしょうか?どうして出来ないと思うのでしょうか?人は自分の出来る範囲を小さく思いすぎなのです。それは今まで命令されたり、範囲を囲われて育ってきているので自分が出来る事が少ない(小さい)と思い込んでいるのです。実は自分の才能は自分が出来ると思い込んでいる範囲の外にある可能性があるのです。もったいないと思いませんか?二つ目はやはり失敗に対する恐怖。これは以前にもお話をしているので今回は省略させていただきます。三つ目は今いるところを守ろうとする心理です。今いるところに慣れてしまって、その外に出たがらない事が良くあるのです。また結婚されている方ならそこに家族を守ろうとする真理が働きますのでどうしても保守的になりがちです。しかし、それだけでは「今更遅い」という言い訳にはなりません。これは自分の年齢に対する言い訳でしかないのです。「もう〇〇才だから年下の人間に混じるなんて」「この年齢で何かをはじめることなんかできない」でもそれは本当でしょうか?世の中にはかなりの年齢になってから物事を始める人が少なからずいます。その人たちは年齢を理由に何かから逃げたりしていません。自分の思いに素直に生きようという姿勢が何よりもカッコ良いと思います。貴方が本当に何かをやりたい、やり遂げたいと思ったら年齢も何も本当の障害にはなりません。貴方がそれをどのようにやるかを考えるための要素にはなりますが、本当の妨げにはならないのです。「今更遅い」という前に一度挑戦してみると意外な道が開けるかもしれません。次回は「夢をみる」です。
2005.09.15
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今秋の火・水のメインは「質を上げる」がテーマのようでした。相変わらずリサイタルモードですが、体の立体的な使い方という所を徹底的にやっています。先々週からの背中の筋肉を使って、とか肩甲骨を動かすように、とかが全て集約されてました。・・・というわけで何か背中のあちこちが痛い気がする。頭の位置を正確にする、ということで百均で売ってる小さいボールをあごに挟んで身体を動かしました。その中で私の頭(首)の位置が思った以上に下だった事が判明しました。首を伸ばすという事がはっきり分かり、先生が「顔をもっと上げて!」と怒る意味がすごく理解でき、今までの反省を思いっきりしました。それにしても先生の体動かしかたの研究のすごさに改めて尊敬をしました。私たちは先生の教えてくれるようにやるだけですが、先生はどうやれば私たちにより分かりやすく理解し実感できるか考えて教えてくださるのですから、そのパワーには頭が下がります。それに報いるには私が成長しなくてはいけませんが、カメのごとくノロイ成長しかできないのが悔しいですね。私はリサイタルには出ませんが、一緒に練習していると先生が求めているものの高さに行きたいけどいけないもどかしさをすごく感じます。仕方ないので地道にやっていきます。そうそう、リサイタルの群舞に出る人たちが靴の色を揃えるので、一緒にスペインのフラメンコ用品のお店(ドン・フラメンコ)にネットで発注をしました。英語・スペイン語音痴の私ですが、がんばって申し込みましたよ~。やれば出来るんですね。ただし、Mさんに多大なる助力を戴きました。しかし一番のトラブルは自分のクレジットカードの暗証番号が何故か受付不可になっていたことでしょう。改めて登録しなおしましたが、毎回トラブルのでいい加減にして欲しいと思いました。
2005.09.14
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考え方を変える。貴方は自分の思考パターンを知っていますか?または大体でいいので把握していますか?私は大体のパターンを把握している方だと思います。悪いパターンにはまってしまうと後でどっぷり自己嫌悪に陥るというパターンは毎度の事ですが。毎度目先の利益を得る考え方を繰り返していると人間は視野が狭くなっていきます。また違う意見・違う思考が存在する事さえ分からなくなっていきがちです。一つの答えが出たときに「別の考え方は無かったかな」「〇〇さんだったらどう考えるだろう」「5年後はどうなっているかな」とちょっと考え方を変えてみるとまた別の答えが出る事があります。例えばお金を出して何かを勉強する場合。最近資格をとるためのスクールとかが結構流行っているようです。やりたいと思っている仕事があり、でもそのためはスクールに通って資格をとるために何十万のお金が必要な時、貴方はどう考えますか?A.仕事に就けるか分からないのにそんなお金出せるか!と思いますか?B.仕事に就けるか分からないけど、自分がやりたい事に少しでも近づけるなら惜しくない!なんとしてでもひねり出す!と思いますか?A,の意見もある意味正解です。確かに世の中資格があるからその仕事に就けるとは限りません。でも資格が無ければ余計に近づけない仕事もあります。B.も正解です。ただしちゃんと資格が取れるのならという条件付です。でもAよりはやりたい事に近づけると思いませんか?何年か後にどちらが満足していると思いますか?ほかの事をする時もそうです。出来る!出来ない!で単純に決めるよりもやりたいかやりたくないかで考えるようにしませんか?人は出来ると思ったことしか出来ないそうです。本当は出来る能力があっても本人が自覚がないとその能力は眠ったまま、宝の持ち腐れになります。更に出来ないと思い込むと出来る事も出来なくなる事があるそうです。でももし貴方がやりたい!やりたくない!で考えるとしたらやりたい事は出来ないかもしれないけどやってみたい!と思いますよね。そうすると眠っていた能力がいきなり目覚めて出来なかった事が出来るようになることもありうるのです。貴方が仮に何かをやりたいと思ったら以前書いたように言い訳をしてはいけません。どうやってやるかだけを考えましょう。また、何時からやるかを決めてそれを実行に移しましょう。やりたい理由を自分の中からたくさん紙に書いて並べるのもいいことです。これをやると私の場合、中からパワーが出てきます。今から5年後、貴方は自分を好きな自分に変えていますか?それとも今と同じように自分を変えたいと思い続けていますか?どちらを選択するのも貴方次第です。明々後日は「自分のこと好きですか?26」です。
2005.09.12
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本日はコーチングの説明会に参加してきました。いや~行って来て良かったです。色々な疑問や不安がかなり解消されました。最初興味を持ったのはこちらにコメントを残してくださったcocoro☆さんのブログを見に行った時に、そのかたがコーチを目指していらっしゃる方だったんですね。其のブログを読んで思ったのが、すごく前向きで(もちろん色々と何でらっしゃる事もあるようなのですが)素敵だという事と、こう言う仕事を目指している人がいるんだ、こう言う仕事もあるんだということです。私自身も他人を助ける仕事をしたいと思いながらもなかなかそれが「何」かがわかっていないところがあります。その暗中模索していた中でcocoro☆さんがコメント残していってくださったお陰でそういう仕事があるという事を知り、私がやりたい事の手助けになりそうだと思ったのです。ただ、他人のそれをやっている方だけのブログを見て早計に判断してはいけないと、とりあえずコーチングとは何だろうというところから調べました。しかし本とかHPだけ読んでいても具体的にどうなのか知識として分かっても実質的に理解しようとしても分からなかったのです。そうなるとこれはもう実際にコーチングを行っていて、かつ教えている人の話を直接聞いたほうが早いと思い、愛知県でコーチングを教えているところを調べたのです。そうしたらちょうど私が参加できる曜日と時間帯で説明会が開かれるのを知り、早速申し込んだのです。私が今回参加した説明会はコーチングアカデミーという学校の説明会でした。最初にHPを見たときは私が現時点で習得したがっているやわキャリと何箇所かで相違があったのでかなり不安になりました。しかし実際に参加しましたら、全然大丈夫でした。大丈夫どころか逆に補完関係になるという希望も貰いました。それどころかはっきりと夢を抱く事が出来ました。今まで漠然と夢と思っていながら不安に駆られていた事を不安を取り除いてきました。コーチングの学校の説明会に参加してはずが密かにコーチングされたのかも知れません。でもそれも自分で体験出来たからラッキーですよね。後はいかに授業料を自分の薄給の中からひねり出すかが問題です。それはこれから貯金通帳とにらめっこして自分と対話します。ちなみにこの説明会のあとサンマルクカフェデビューをしてから(クロチョコが美味しかった~、また食べに行こ)、ちゃんと選挙にも行って来ました。郵政改革派支持だけど他の政策を見比べたら、色々悩んだあげく民主支持。でも党首は好きでないので、今の状況からすると岡田さんが降りるので次の人に期待します。多分、小泉首相では今後アジア外交で更に厳しい立場に立つだろうなぁと思いつつ、でも次の首相になった人は改革が駄目でもアジア外交を正常化したらそれだけで支持を受けるだろうからそれも小泉さんの手の一つかなと最近は勘ぐっています。さて日本の未来はどっちに行くのでしょう。
2005.09.11
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貴方の周りに「こんなはずではなかった」という人いませんか?でも「こんなはず」な状況にしたのは自分でなく他人だけでしょうか?「こんなはずではなかった」とはいい意味でも悪い意味でも言われます。いい意味では予想外な流れで来てしまったけど幸せな人。悪い意味では全然そういうつもりが無くても状態が悪くなった人。いい意味はともかく悪い意味の方は実は其の人の意志が弱いだけの場合があります。もちろん何故か雪達磨式に不運が積み重なってしまってとんでもない渦中にはまってしまった人も中にはいますが。悪い意味で「こんなハズではなかった」人の話を聞くと必ず共通して出てくるのが、人に言われた事を鵜呑みにして、自分の頭で考えず行動を起こしていないことです。「誰かに言われたから」「こうした方が良いっていわれたからやったのにひどい」こう言う話を聞くたびに私が思いました。たまには直接本人に言った事もあります。「でもそれを聞いてやりたいと思ってやったのは貴方だから自分にも責任があるでしょ?」しかし彼女達はそうは思いません。「絶対大丈夫って言ったから、言った○○さんが悪い」とほとんどの人は責任を転嫁してしまうのです。どうしてこの人たちは責任を転嫁したがるのでしょうか。私が思ったのは自分が失敗をしたということを正面から受け入れる事が出来ない心の弱い人たちだということでした。でも何故自分の失敗を認めたくないのでしょう。以前書いたと思うのですが、私たちは「親の都合の『いい子』に育つ」ように育てられている場合がほとんどです。ここで言う『良い子』はちゃんと正しい事をして、周りから好かれて、失敗しない、親が自慢できる子です。其の場合「自分が失敗した」事はすごく怒られますが「他人が原因で失敗した」のは怒られ無いどころか同情して貰えるのです。そうして親に対する処世術のまま社会で物事を行ってしまうのです。でも人間の社会では「自ら蒔いた種は自らが刈り取る」のが掟です。誰に言われようと自分がやった以上その結果がどうなろうとその結果は自分で受け止めるのが当然です。「こんなはずではなかった」という人はたいていの場合は自分の意思で物事の流れに任せているのです。本当にどうにかしたいのならいくらでも選ぶ道はあるはずなのです。いつでも自分の意思で変えれるのです。ただ自分の意思で物事を変えて、上手く行かないことを怖がっているだけなのです。(もちろんそうでない状況に追い込まれて選ぶ道が無い人もいますが、ここでは一般論で話をしています)ところで「こんなはずではなかった」という貴方、本当は「どんなはず」でしたか?「どんなはず」か分からないという貴方はただ悲劇のヒロインぶって自分で自分を哀れんでいるだけです。今すぐそんな非生産的なことはやめて「どんなはず」ならいいのか考えてみましょう。「どんなはず」が分かっている貴方はそれをどうやったら実現できるか考えましょう。最初から「出来るわけが無い」と諦めてしまっていてはいけません。物事に「今更遅すぎる」ということは余りありません。何歳からでもどんな立場からでも本気で願えば必ず出来るのです。次回は「今更遅い?」です。
2005.09.10
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「お金の使い方を変える」の2回目です。貴方の今日使ったお金は生きたお金ですか?それとも死んだお金ですか?生きたお金と言うのは自分や他人を幸せにする使い方をしたお金です。友達にお茶をご馳走した。プレゼントを買った。夕飯や明日のご飯の買い物をした。化粧水が切れたから新しいのを買った。仕事(勉強)が上手く行ったから自分に欲しかったものをご褒美した。等などは生きたお金の使い方ですよね。逆に服を衝動買いしたけどタンスの肥やしにした。なんとなく何かを買った。便利だと思ったけど全然使わなかった。と言うのは死んだお金の使い方です。特に使うと思って買いながら全然使わずに誇りをかぶっているものは死んだお金を使ってしまったと言う事になります。注意して欲しいのは年に一回(シーズン)しか使わないもの(例えばクリスマスツリーとか)はこの限りではありません。でも人間誰しも多少そういったものはありますよね。それが1ヶ月に1~3個くらいなら問題はまるっきりありません。しかし毎日何か覚えていないものを買って、とにかくお金が無い!という貴方は問題大有りです。でも何故そうなっているのかをちゃんと考えなければここで私が「死んだお金を使う事は止めましょう」と言っても無駄になります。ではどうしてそういうお金を使ってしまうのでしょう。やはり原因はストレスです。皆さんも聞いたことがあると思いますが、お金を使う事でストレスを発散させていることが良くあります。私もストレスがピークになるととにかく何か買いたい衝動に駆られて失敗をしてしまいます。しかも何かを買っただけではその場はストレスを発散させれますが、結局タンスの肥やしを増やしたと言う失敗に対するイライラもつのり、あまりストレスを軽減で来ませんでした。ここで私がしたのは視点の変換です。どうせお金を使ってしまうのならストレスを緩和する方にお金を使おう!ということです。「整体」や「足つぼマッサージ」などに行くようにすれば必要以上のものは欲しくなくなりました。次にやった事は何かを買おうと思ったときに買う前に「本当にそれって要る?」「それって本当に欲しいと思っている?」という自分への問いかけでした。これが以外に効果あります。其の問いかけで最近増やしたのは「これって私の価値を上げてくれるかしら?」というものです。これで安物の衝動買いが減ってきています。衝動買い自体は悪いとは思いません。思いがけず「これ!」というお気に入りのものが見つかる事ほどうれしいものはありません。しかしなんとなく買いや値段だけで買っていては安物買いの銭失いになることが多いのです。それを「厄払いができた」と風水的に考えるのもありですがどうせなら楽しく生きたお金の使い方をした方が、毎日楽しく暮らせると思うのです。明日は「自分のこと好きですか?25」です。
2005.09.09
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「手段と目的を誤らない」が今回のテーマです。色々考えたあげくこのテーマに行き着きました。「目的と手段」は別物。というのはごく当たり前の事です。しかし以外にも私たちは「目的と手段」をごちゃ混ぜにしたり、必要以上に分けて考えているのをご存知でしょうか?今一番問題と思われるのは「目的と手段」を何時の間にか自分の中で摩り替えている事。という人は多いのではないのでしょうか。「目的」とは文字通り「何になりたいか(したいか)」と言う事で、例えば山に登る時の頂上に当たります。「手段」は文字通り「目的のところまで行く方法」で、山の頂上までどうやっていくのかという事です。例えば富士山の頂上まで行くのが「目的」、途中まで電車とバスを使って5合目から歩くのか、5合目までは自家用車で行くのか、最初の麓から歩いて行くのかが「手段」です。通常「目的」を決めてそこまでに道のりを行く「手段」を考えて人は行動します。ところが何故か「目的」にたどり着けない『こんなはずじゃ無かった』という人が必ず出てきます。では何故「こんなはずじゃ無かった」ということが起こるのでしょうか?一つは選んだ「手段」が自分に合わない誤った選択だった時。これはもう一度一からプランを建て直し、再チャレンジするしかありません。二つ目は怠惰にすごした時。自分が怠けて手段どおりに事を運ばなければ「目的」までたどり着くはずが無いので、これは自分の意志の問題。本当にたどり着きたい「目的」ならもっと意思を強く持ち続けるか、持ち続ける方法を考えて実行してください。この二つ以外なのに「目的」にたどり着かないのは「手段と目的」を摩り替えてしまった場合があるのです。例えば富士山で5合目まで自家用車でいく手段を選択した時に、山道をドライブする事が楽しくなって、そのまま5合目の駐車場を通り越し、山道をずーっと走っていったらどうなるでしょう。もちろん貴方は楽しいくて山道のドライブテクニックも付くでしょうが、最初の目的である富士山の頂上へは何時までたってもたどり着けません。このように手段が楽しくなってそれをやる事が目的になってしまうことが実は日常生活には多々あるように思います。これを防止するためには常に目標を自分で把握しておく事が必要になります。忘れっぽいと言う人はよく目にするものに目標を書いておくと良いでしょう。携帯の待ち受け画面やパソコンのスクリーンセーバーなどにしておく手もあります。それでももし自分が今やっている事が楽しくて仕方が無くなったら、元々の目的と今自分のの中に生まれてしまった新しい希望を紙に書いてどちらがより強く望んでいるかを知るために、理由を全て箇条書きにしてみると良いですよ。そうして二つをじっくりと見比べてみる。それで納得したら新しい希望に向かって行っても良いし、元々の目的の方へ軌道修正してもいいと思います。ここを中途半端にすると後で「こんなはずではなかった」という事に陥るのでとことん自分が納得するまで見比べましょう。次回は「こんなはずではなかった?」です。
2005.09.08
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昨日今日完全にリサイタルモードでした。ウチのクラスで先生のリサイタルに群舞で出ない人、私を含めて4人だけなので、分からなくはないのですがちょっと不満。「出ない人も覚えて」と先生が仰っているから、何かやる気かしら?火曜日ブレリア、水曜にタンゴと最初言っていたけど、結局ブレリアしかやらないみたいでタンゴは置き去り。来年3月の発表会はどうなるか分かりません。タンゴは確かに足が細かくて更にニュアンスとか表現とか難しいですけど、やらないと全然、先生の希望するレベルに達しないのですけど・・・。でも昨日は基礎訓練で「背中を使う」をまたじっくりやったのでかなりどう使った方が良いかは分かってきました。ちゃんと理解していないと踊りの中では絶対に出来ないからすごく勉強になりました。これを言葉で説明するのはとても大変です。実際にやって見せた方が100倍分かります。しかし踊っていても今までの悪い癖がついているから、直ぐに体のちゃんとした使い方が出来ないです。今日も必死に悪癖と闘って(?)来ました。変な意味で疲れた。今日一つ気づいたのはとにかく腰を落とせば細かい早いパソもちゃんした音を出せて、必要以上に力が要らないから遅れなくて済むと言う事。今さらと言われそうですが、かなり実感できました。もっとも其の前に背筋と腹筋で状態をちゃんと上に吊り上げている事という条件が付くのですが、必要以上に力を入れなくてちゃんと音が出せるのはかなり助かります。となると表現力が無いのが今はすごくチェックされます。今一番どうすれば言いか分からない。(と先週も書いた気がする)自然に顔がついてないといわれれば言われるほど変な風に意識してしまうので余慶に能面みたいになっているそうです。どーすればいいんでしょう。
2005.09.07
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「お金の使い方を変える」貴方は自分で何にお金を使っているか分かっていますか?お金を使っているのが分かっていても総額いくら使っているのか把握できていなければ、本当にお金を使っている事を分かっていないことになります。毎日コンビニについ寄ってしまうって言う人最近多いですよね。でもそういう貴方、そんなに何を買っているか把握していますか?よく女性の方で「目の前にコンビニがあるとつい入ってお菓子を買っちゃうのよねぇ。でもいい加減ダイエットしなきゃって思うし、お金も貯めたいけど出来ないの」という人がいらっしゃいます。でも貴方は毎日お菓子を買う事にお金を使っているのでどう考えてもお金はたまらないし、買った分だけ毎日お菓子を食べているのでその分だけ脂肪に蓄え確実に体重も増やしています。ちなみに毎日500円コンビニでお菓子を買うとしたら、1ヶ月で約1万5千円もお金を使っている事になります。更にお菓子は最低でも200kcalあります。それを一ヶ月取り続けたら約6000カロリーあります。男性で2日強、女性で3日弱分のカロリーオーバーになります。場合にによっては1ヶ月で1週間分のカロリーオーバーをしているかも知れません。早い話貴方は毎月わざわざ太るためにお金を使っている事になるのです!もちろん、貴方が身体を使う肉体労働者や運動選手であれば話は変わってきます。それだけ分食べないと逆に体が持ちませんから仕方が無い事です。また仕事の残業中にお腹が減って効率が悪いのであれば多少、補食として食べるのは構いません。でもわざわざ自分がカッコ良い服を着れなくなるような、体型のいい人をうらやむようなお金の使い方をするのはどう思います?ところでここで1万5千円あれば1ヶ月で出来る事は何があるか考えてみましょう。まず、スポーツクラブに通えます。ここで運動したら其の分の余分な脂肪分は落ちますし、またストレスも身体を気持ちよく動かす事によって減っていきます。女性でしたら、コースにも寄りますがエステに通えます。太っていく事にお金をかけるのと、きれいになるためにお金をかけるのとどちらを選びますか?また2か月分貯めればワンランク上の洋服が買えます。それでも「食べるのが好き!」というのであれば、どうせなら自分の身体にいいものや、セレブな気分になるものを食べてはいかがでしょうか。すごく自分も満足しますし、そういったお金の使い方もありだと思います。お金は生きていく中で必ず必要になり、使っていくものです。どうせ使うのでしたら目先の幸せでなく、自分がこれから先ずーっとハッピーになる使い方をしませんか。そうしてそれが自分にとってどういうことなのかちゃんとじっくりと自分と話し合いましょう。次回は「自分のこと好きですか?24(テーマ未定)」です。
2005.09.05
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最近ちょっと疲れ気味。どうもイマイチ調子が出なくて、休みの日はずーっとだらだらしている。色々とブログに書いているのにそれさえも実行できなくなりそうで、駄目だなぁって思うくらい。今はもうちょっと自分を癒す方向にいってもいいのかも。あまりにもやる気が出なかったので、久しぶりに成田さんまで出かけてきました。境内が高台にあるから犬山城と長良川が一望できて私の結構好きなスポットです。ついでにおみくじを引いたら「吉」でした。この間熱田神宮に行ったときも「吉」だったなぁ。何故か二つとも「今すぐになかなか結果は出ないけどちゃんと勉強し続ければ後から結果が出る」というようなことが書いてありました。おみくじって不思議と近い時期に引くと同じような事が書いてありますよね。確かに今、色々と踊り場に来ていて良くも悪くも進歩が無くてある意味辛い状態ではあります。カメの歩みくらいに進歩している(?)のはフラメンコくらいかも。でもこれも本当に微妙。そういえば、コーチングに興味が出て来たので、とりあえず説明会に行ってみたくなり申し込んだら今日、資料が届きました。ただそちらの資料が『「コーチング」自体が人間関係を良くする魔法の杖』みたいなことが書いてあってちょっとそれは違うのでは?と思いました。最近人は安易に何でもかなう「魔法の杖」を捜し求めすぎています。ですからまず自分の学校や教えている事に対する興味を持ってもらうために書いてあるんだろうなぁと類推したのですが、一抹の不安を持ってしまったのは否めません。でもとりあえず実際の説明を聞かなくては何も始まらないので来週の日曜日に行ってきます。ただ、今秋MLIの「決算書読みこなし隊」にも申し込んだので、直ぐにコーチングの勉強が出来ないかも知れません。でもMLIの方は抽選だからどうなるか分からない。どちらかでも始められるといいなと思ってます。とにかく行動しないと何事も始まらない。私が「行動を起こしたがらない」と指摘してくださった人のためにも出来るだけ行動をして、より自分が自分として好きになれるようにしたいと思ってます。明日は「自分を変えたい」を書く予定です。
2005.09.04
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人から心を強くならなくちゃいけない、ということを聞いたことがありませんか?「強い自分とは」何だと思いますか。強い自分になるにはまず心が強くなくてはいけません。心を強くするとはどういう事かご存知ですよね。心が強いと言うのは何も感じない事でも、無神経な事でも他人を慮ることが出来ないことでもありません。逆に傷つきやすく、繊細で他人への思いやりが深かったりします。だからと言って傷ついた時にそこでぺしゃんこになったり、立ち止まって悲観したりはして不幸に浸っている人は強い人ではありません。泣いても辛くてもちゃんと前を向いて歩いている人が強い人なのです。ではどうしたらそういう強い人になれるのでしょう。強い人の共通点はちゃんと自分の価値観をちゃんと持っていることにあります。ここで気をつけて欲しいのは其の価値観は他人に何か言われたからと行って直ぐに変えれる類の価値観ではない事です。自分にとって譲れないものや目標の事を指します。例えば生き方ですとか、人生の目標とかは譲れないものですよね。もちろん生きていくステージごとに少しずつ変化はしていくものではあります。でもそれは自分の経験などからこうした方がいいと思ったことですからそれは当たり前の事です。またそれを知るためには自分がどんな価値観を持っているのか、どうなりたいのかを知る事が必要になります。これは以前にもお知らせした一人ブレストで明らかになります。そしてそれを実践してみる。これが一番大事。もちろん、そう言ってもその場その場で臨機応変に対応しないといけない事もありますし、誰か他の人に何かを言われたり、また怠惰によってブレてしまう事もありますが、本当の自分の価値観を持っていれば必ずそこに戻ってくるのです。ですから冷静に自分を見る目も必要になります。もし自分が何かに潰されてペシャンコになっても、悲観していては駄目だと気づけば、また歩き出す事が可能です。それが強い自分ではないでしょうか。次回のテーマは未定です。明日の「自分を変えたい」までに纏めておきますね。
2005.09.03
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「自分が変わると言う事」はどういうことかご存知でしょうか?それが分からないと自分は変わっていきません。自分を変えたい!と言いつつ全然変わらない人って言うのは必ずいます。逆にするするとブレイクスルーして変わっていく人もいます。この差は一体何かご存知ですか?一つ目が自分を(他人の意見を)受け入れられない事。変わるためにはまず今現在の自分をちゃんと把握する事が必要になります。そのための手段の一つに他人の客観的な視点を受け入れなくてはいけません。他の人の意見を聞いてそれを分かった振りをしていたら何時までたっても自分を把握し、受け入れる事にはならないのです。また「~~しているつもり」と言うのも其の一環です。二つ目が今の自分に執着しすぎている事。良くも悪くも今の自分の殻にこもっていては、自分を変えることは出来ません。また、これはアレクダンダー・テクニークの先生に教えていただいた事ですが、人は違う場所がどんなにすばらしいと分かっていても、今までの窮屈な慣れの場所を選んでしまうものだそうです。しかし、変わる、ということは今までの自分ではない所に行かなくてはいけません。ですから最初は心許なかったり、不安だったり、すごい違和感を感じるものなのです。それが嫌で自分の今までの領域から出ないでいるなら、人は変わることは出来ません。強いて言うなら、貴方が自分の家を一歩も出ずに、ディズニーランドで遊びたいというくらいに不可能な事です。またディズニーランドに行くまでの道のりで何か事故があったりトラブルが起きるのが怖くて家を出て行けない人もいます。これが三つ目の自分が変わることへの恐怖心で変えられない事にあたります。変わった方が言いという事が分かっていながら、変化する事への恐怖心が自分を変えることに対してブレーキをしてしまうのです。また、今まで積み上げてきたものが「無駄」だと分かるのが怖くて、変われない人もいます。二つ目と三つ目の複合型ですね。プライドが高い人もここに入ります。しかし今まで積み上げてきたものが間違った方向に行っていたとしても、それが完全な無駄とは限らないのです。それより間違っていると分かっている方向にこれから先もずーっと積み上げていくより、一度崩しても正しい方向へ積み上げていった方がどれ位ましかご存知ですよね。自分の過ちを認めない限り自分を変える事は出来ません。本当に自分を変えたいなら、必要なのはプライドや見栄ではなく、素直さと謙虚な気持ちです。今貴方はどちらを持っていますか?次回は「自分のこと好きですか?23」です。
2005.09.02
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貴方は心が傷つきやすい人ですか?それとも結構気にしない人でしょうか?そもそも「傷つくという事」はどういうことでしょうか?人を傷つける人=悪い人、という図式が世の中成り立っていますよね。特に女性の間では其の傾向が顕著です。しかし同時に『悪い人(自分の気に入らない人)は傷つけても良い(それが正義)』と思い込んでいる人もいますから、困ったものです。私個人としては自分の娯楽として人を傷つける(人がいるんです、世の中には)のは許し難いと思っていますが、同時にそれに負けてしまうのもどうかと思っています。しかしこの話はとりあえず本題とは別の話になるので、また後日します。でもそれ以外で「傷つけてしまう人」と「傷つく人」がいるのも事実です。それは一体どうしてでしょう。その理由の一つに外的心傷があります。これは今までの経験上にどうしても取れないとげがありそれを逆撫でしてしまう事で、誰にでもあるものです。もし貴方が誰かのとげを逆撫でてしまったら、誠意を持って誤りましょう。逆撫でされた貴方はちゃんと相手に其の事を伝えてなかったら、誠意を持って謝られたら、許さなくてはいけません。他人は貴方ではありません。ちゃんと話をしない限り、あなたの事を理解など出来ないし、どういったことで傷つくのかも分からないのです。もし話をしていた場合は許さない選択肢もありかと思いますが、相手が知っていてわざと傷つけた場合はちゃんと貴方は其の真意を考えなくてはいけません。それが特に貴方が信頼している人からのものであればなお更です。これは次のもう一つの理由に相当するかもしれないのです。もう一つの理由は逃避していた事を目の前に突きつけられたときです。これは渋井真帆さんに教えていただいた事です。人は一つや二つ劣等感、また超えないといけないのに超えられない壁を持っていることがあります。普段はそれを視野の外に追いやって見ないふりをしている事があります。それを目の前に突きつけられると人はショックを受け、他人を責める事で(被害者となって)自分を守ろうとします。これがもう一つの「傷つくと言う事」の正体です。しかし先にも書きましたように、信頼している方が貴方を傷つけた場合、貴方がこの事と正面から向き合って超えなくてはいけないと感じた為に行っている場合があります。ここで貴方は被害者ぶって其の人を責めてはいけません。ちゃんと自分の見ない振りをしてきた傷と向き合って、超えないと何時までたっても成長しないのです。心が痛いからといって痛くないように自分を甘やかしてしまわないで下さい。貴方が自分を好きなら、また好きになりたいなら特にです。心が痛いと感じながらもちゃんと向き合えば、いつか越えれる、また受け入れて進んでいく道が開けるのですから。他には他人が思い通りにならなくてショックを受けた場合です。失恋や友人と決裂したことなどがこれになります。これも最初はどうしても相手を責めてしまいます。それはある程度仕方の無い事です。しかし他人を責めたからと言って自分の傷が消えるわけではありません。傷を負ったことをちゃんと見つめて(大変難しいのですが)癒していくしかないのです。心の傷は外からは見えません。ですから他人からは見た目で理解されず、自分の中からじくじくと自分を突付き続けるのです。それに視線をそらすと言う麻酔をして痛みを感じなくする事も出来ますが、それは治りきらない怪我と同じで、またささやかな事で傷が広がっていきます。その傷と向き合う事でのみ其の傷は治ります。心の傷が付いたら、他人を責めつづけるより何故自分は其の事に傷ついたのか考えてください。もちろん色々と例外もありますが、それを考える事でより強い自分になるはずです。次回「強い自分とは」です。
2005.09.01
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