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昨日までに作っておいた里山活動ニュースを印刷して世話人の6人に配布する。内容は今年度の総会案内と近況報告。 そのあと先日約束していたおばさんの家に行き「お餅」をいただきに伺う。自分には何もやるものがないので妻と一緒に塩漬けにしておいた「タケノコ」を三日前から塩出しをしておき、そのタケノコ料理を味見に少し持っていく。両親も亡くなった女房側唯一のおばさんは妻亡きあとも私のことを気遣ってくれただ感謝するのみ。味見の「タケノコ料理」もひとつまみして「美味しい」「よくやるねー」といってくれた。おばさんの餅は忙しいときや、簡単に済ませる食事のときパンと同じように大助かり、これで二か月分くらいある。保存はセイロの中に「からし」を溶いて一緒に入れ、ビニールで蓋をしておくとカビも生えないことも教えてもらっている。このおばさんに一周忌に来てもらえるか聞いてみたら「もういいよ...膝が悪く座ることができないから」という。無理してお願いすることもできないけれど、こうして私がお世話になることも喜びかも知れないと思いただ甘えるばかりだ。もう一つのニュースは、娘のこと。長男が4月から保育園に入るのでパートに出たいといい、先日面接に行ってきた。仕事は郵便局の休務者補完巡回勤務。あちこちの局を掛け持ちとのこと。面接のときは複数の人がいたので「ダメかも...」といっていたが、本人が結婚後まで勤めていた本来の仕事なので採用には有利だったのだろう。とりあえず「おめでとう!」。でもお母さんべったりの二人の孫のこともちょっと気にはなる。少しでもお手伝いをしなければと思う。こんなとき、おばあちゃんがいてくれたなら何より心強いのだが・・・。
2007年02月28日
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昨日から少しずつ芝の草退治をスタートさせた。まだ小さいけれどびっしりスズメリカタビラなどが芽を出している。これから全体を一通り完了するには毎日はしないし合間を見ての一時間くらいだから2、3週間はかかるだろう。 穏やかな日で里山作業も休みの曜日だしたまには気晴らしにと思い高崎のなじみだった飲み屋さんへ出かけてみる。いつも寄った店の一軒は看板を閉じていたがすぐ近くの店に寄り、そのあと二次会でいつも寄ったスナックへ。実に四ヶ月ぶりの街での酒飲み。なじみの店は私の生活事情も知っているので気安く話ができるのでいい。高崎は20:13分の電車で帰り、今度は渋川の店に寄る。ここでは四人組のおばさんと一人のおじさんがいてカラオケ大会の様相だった。皆さんそれぞれに唄が上手で多くで見られる「耳ざわり」な人はいない。その中で特に素晴らしい美声のおばさんがいた。一人でいたおじさんが5.6曲歌って帰ると、鉾先は私に回ってきて何年ぶりかで私も歌わされる。すると焼酎のお湯割りを飲んでいた私に「ウイスキーの水割り」が二杯も届き、ついに3曲歌わされてしまった。お礼に持っていた「木の実ブローチ」を一つずつプレゼントすると一人の方が売ってくださいと4個買ってくれた。結局10:30分まで店にいてタクシーで帰ると運転手も家も私も知っていて「もう尾瀬に入ってますか?」などと聞かれる。久しぶりに外に出てみたけれど、なんか暖かい人たちに触れた気持ちになり思い切って出かけた甲斐があった一日になった。真っ暗な家に戻る(この瞬間が一番空しい)とお風呂の用意をしてゆっくり浸り、11:30分に床に着く。
2007年02月27日
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今朝も少し冷え込んだが日中は風も穏やかで暖かな日になる。朝が寒かったので朝食の後パソコンに向かいいつもより遅く9:00時すぎに食器洗いをしようと思ったら「断水!」。 まいった! トイレにも行けない。地域内水道の栓を全面的に取替えるので6回の断水があるというが、その日がいつになるのか記録しておかなかった。妻が亡くなってからずっと夜になるとひしひしと独りの寂しさと空しさを感じていたが、このところ当たり前とやっと自覚してきたのか慣れてきた。でもふと「これからも生きている限りずっと独り・・・」と思うとき、恐怖にも感じる空しさに襲われることがある。それはあまりにも長い年月、同然のことのように妻頼りの生活をしてきた「しっぺ返し」なのだ。自分ではまだまだ体力もある。働かなくても年金で生活はできる。いきがって自然ガイドや保存活動に没頭せず「もっと遊べ」とも思う。これからの日々、各地への旅を定期的にしてみたい。でもこれもまた「独り」と思う二の足を踏んでいる自分がいる。
2007年02月26日
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今朝は冷えこんだなぁーと思ったらなんと今年の冬の最低気温だとか! もう摘み菜が食べられるようになりカタクリも芽を出して芝の中の草は緑を目立たせるようになってきたのに、今頃になってと思うのは私だけでないだろう。 夕方、直売所の炭を引き取りに行くと先週、今週とあまり売れていないのでがっかりする。それでも来月になると販売を始めてから一年になる。何とか10万円程度にはなるだろう。これで活動費をまかなうのには足らないけれど販売は仲間達で知人などに協力していただき、どうにか今春も「自然観察旅行」の補助もできるメドがついた。
2007年02月25日
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北風が強く体感温度は低いけれどこれくらいが普通の気候なのだろう。 里山作業ではとりあえず私一人は、ワラビ苗植え付け準備作業としての5年前に竹を伐採し、3年前に植樹した場所の竹の根掘り作業をはじめてみた。竹の根はもう枯れ腐りが入っているのだが張りめぐらされた竹の根は唐鍬を受け付けない。すぐに汗だくになり上着を二枚脱いでも汗が出る。結局なんとか掘った面積は一坪ほど...これからが思いやられる。今年は暖かかったので庭のカタクリの芽が出たのでは? と覗いてみると「あるある」もう最初の芽は数日前に出たらしく2~3センチになっていた。昨年は気がついた日は3月5日だからやはり早い。こうなるとこれから庭の芝に出てくる草退治の仕事も増えてくる。
2007年02月24日
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一年生として今年最後の野外学習。尾瀬高校を出発する時になって雨が降り出し、武尊牧場スキー場リフト終点に着くと湿り気の多い雪に変わる。 初めてカンジキを履く生徒も多く出発に手間取るが6班に分かれてスタートする。視界は数十メートルと悪く自分たちの位置をコンパスを使って地図上に確認するには絶好の日なのだが生徒達はまだまだ読図とコンパスの使いこなしは未熟で時間がかかる。冬芽観察、生き物の足跡観察などが主体だが今日は動物の足跡が少ない。野ウサギ、カモシカくらいでテンやタヌキ、リスなども発見できなかった。...とんでもない連想だが、何かこのところ野鳥が少ない気がする。今日も確認できなかった。ひょっとして食物連鎖で「鳥インフルエンザ」にかかった野鳥を肉食の小動物が食べて死に、その動物の死骸を食べる鳥がまた「鳥インフルエンザ」という循環があったとしたら怖いことだと思う。...樹皮、樹幹、枝先、冬芽からの樹木特定など教えていくのだが果たして何種類覚えてくれたろうか?それにしても去年の5月にマサ江が亡くなってまだ十数日目に始まった一年生の野外学習。この時期になると生徒達も逞しくなった。これからの高校生活はあと2年間、自信と誇りを持って全国で唯一の自然環境科というクラスに入った生徒が成長して欲しい。ゾンデで計った今年の自然観察路の積雪は1.3m~1.4mほどで昨年の半分ほど、この春からの植物の生育や水不足が心配になる。
2007年02月23日
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今日も暖かい。午前中、前橋市の「橘山憩いの森愛護会」の3名が私たちの活動の中で「竹炭作り」を勉強したいので参考にさせてくださいと訪問する。 炭窯や作業現場を見て「これはたいへんだ・・・」と驚いた様子。月に何回とか、年に何回とかの活動で山の手入れはできないことを痛切に感じたと思う。でも各地にこうした自然環境問題を憂える仲間がいることに拍手を送るとともに機会があれば応援や助言もしたい。午後の作業では竹を担いでの運搬は一部の場所を除いて終了する。気温が高く汗びっしょりになったけれども、休んでいるときの背中を流れる汗の冷たさはそれほどでない外気温。でも家に戻ると気持ちが悪く、たまった洗濯をしながら明るいうちから風呂に入る。夕食前には洗った衣類も干しあがる。これで明日の尾瀬高校野外学習にすっきりして行けるが、天気予報は雨。雪山の中での雨は一番嫌な天候。でもあの「竹担ぎ」から比べたら楽かも知れない。
2007年02月22日
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もうスタートをして6年目に入る里山保全活動。延べ作業日数は1,000日、延べ出動者は7,000人を越えた。 今日は嬉しいことに新人が一人加わった。今まで勤務地が遠く退職してから昨年こちらに定住するようになったSさんだ。今日の作業には10人出てくれたが、いきなり6人で行った「竹の運搬」という重労働に加わってくれた。あと数回で今春の運搬作業は終了できるメドがついてきた。でもSさん、明日の疲労がどれくらい残るか心配。
2007年02月21日
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暖かくなるという予報だったのに終日薄曇りで気温は上らなかった。 午前中は食料の買出しに出かけたが、昨日から始めた日記の抜粋を亡くなったあとの初七日まで済ませた。それから先はどうしようかと迷っている。それは自分の生活と心境になってしまうからだ・・・。
2007年02月20日
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3年前の4月2日に再発宣告された日から書き始めた日記、あと二ヶ月足らずで3年になる。 そして5月の第二週には一年忌。できれは自分のためにも親しい人にも「生きた記録」を残したいと思っている。目標は三年忌のときだが、もう一年と少ししかない。今日は日記の中から彼女のことを書いた部分の3ヵ月分だけ引き出してみた。これから少しずつ加えていきたい。思えば一緒に乳がんと戦ってきたネット仲間のホームページ、多くの方が去り、今現在、同じ肝臓転移で一番世話になってきた3人のページ更新が止まってしまっている。どんな容態なのだろう? 患者本人とは立場の違う自分から交信はしにくく、毎日ロムをしているが「何とか平穏であってください!」と祈るのみ。私の場合、妻の死を最後に止めようと思っていたブログを訪ねてきてくれる方がいるので今日も書いている。
2007年02月19日
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昨日は山に行き、帰ってから里山作業、でも重労働を避けて竹割り作業で済ませたもののやはり夜になると眠気に負けて21:00時すぎに床に横たわる。 6:00時に生理現象でトイレに行き、雨が降り出したのでもう少しゆっくりしよう! と再び横になるとまた眠りこけ、再び起きたのは8:10分。年老いての体力低下を痛切に感じる。朝食後、パソコンに向かい昨日の画像を整理する。あらためて見ると、もっともっと良い場面があったのに記録できなかったことが悔やまれる。でもカメラのフィルムにも記録は残っているので期待しよう。昼頃になっても止まない雨に午後の作業も諦め、いただいたダイコンの煮付けや、塩出しをしておいたタケノコの炒め物でも作ろうと料理を始めたときは12:00時すぎ。庭をのぞいてみると雨が止んでいる。でもこの濡れた現場には誰も来てくれないと思い昼飯を後回しにして煮付けを作りながら「もしかして誰か作業に...」と思って外に出でみると、竹を割る音が聞こえてくる。現場では代表が一人で作業をしている。「ちょっと待っててね、すぐ飯を食べて来るから...」といって家に戻り、15分後に二人で竹割りをする。二時間ほどで裁断してある竹はすべて二人だけで小割りができた。予想以上の成果。別れ際に「夕方一杯やろう!」と声をかけておき、約束通り訪ねて来てくれて三時間ほど懇親。相手の奥様には申し訳ないが独り者の私にとってかけがえのない仲間のありがたさに感謝のみ。
2007年02月18日
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4:00時過ぎに花見さんと子持の「道の駅」で合流して谷川岳に向かう。あれだけ尾瀬に通いつめている花見さんが谷川岳は初めてだというのだからこれも不思議なことに思えた。 昨日、おとといと山は雪が降ったのでまた化粧直しをして美しくなった山に逢えると期待していたが新雪は水上温泉以降で意外に少なかったが一の倉沢辺りでは40センチくらいはあったろうか?車を4日前の場所に置いて5:40分過ぎ湯檜曽川に沿って歩き始める。すると10人以上通ったと思われるスノーシューのトレールがあったが、1キロほどのところで湯檜曽川の河原方向に消えてそれからはまったくの新雪を踏みしめて二人だけの世界。マチガ沢を過ぎて河原を進むと前方に堅炭尾根が見えてくる。空には雲ひとつない。まだ稜線に朝陽も当たらないが谷川を初めての花見さんは素晴らしい! とカメラを構える。本当のところここで時間を消費したくはないが彼女の感性を無視するわけにはいかない。少し進むと一の倉沢出合い手前で稜線が輝き始めてしまう。ここでまたカメラ。私はもう少し先の景色を見せてあげたいので彼女のザックを持って先に進むこと2度。でも花見さんにとってこのモロゲンロートに輝く山々はすべてがきっと新鮮なのだ。私が思っているビューポイントの手前で朝陽はまたたく間に岩壁を下ってしまった。 こんなに良い天気に恵まれでどこを眺めても素晴らしいのだから、たったの1回や2回ですべての良さを欲張っても不可能なことだから仕方ない。かじかんだ素手でシャッターを握る真剣な姿はいかに感動しているかが伝わってきて嬉しい。朝のセレモニーの時間はあまりにも短いがこんな瞬間に出会えることの幸運に何より感謝。この前と同じく一の倉沢を旧道出合いへと登る。踏み跡は全くなくてスノーシューの威力が発揮される。カメラを構える花見さんに「たくさんある一の倉の写真にもこの場所からのものはないよ!」などと話しをしながら途中でも何度か立ち止まる。旧道に着くとそちらを歩いてきた二組の人たちがいた。いつもの年ならばとても歩けない旧道も今年は雪が少ないので歩けるのだ。私たちも帰り道に使うことにする。 旧道の下まで来て撮影をしている花見さんを待ちながら雪を溶かしてお湯を沸かす。コーヒータイムの時間にはもういつもの谷川岳の光に戻っていた。帰り道のマチガ沢までは森の生き物の足跡を写す花見さん。厳しい自然の中で真冬を過ごす動物達にも関心を示してくれることが嬉しくなる。今日のフィールドサインは野ウサギ、テン、カモシカ、リス、小鳥と意外に少ない。マチガ沢出合いで昼食。あの荒々しい一の倉沢に比べるとホッとする優しい美しさでいつも癒してくれる景色だ。何度訪れても山はその日、その日の姿で迎え、二度と同じ姿は見せてくれないから飽きることはない。朝、出発のときに今日の横浜までの帰宅予定時間を聞いていたのであまりのんびりはしていられない。道の駅まで送る前に我が家の場所も知ってもらおうと思っているので時間を逆算して朝の登山口に戻ることにする。11:30分頃、朝の湯檜曽川に戻ってくると、これからスノーシュートレッキングに向かう人たちがたくさんいるのには驚いた。ずっと先を見ると列をなして歩いている。頂上付近には雲が増え、車に乗って湯檜曽温泉から振り返ると、谷川岳の頂上や尾根のコンタクトラインはすっかり光を失っていた。たった半日の快晴の時間、初めて谷川岳を訪ねた仲間にとって最高のプレゼントをしてくれた山、ありがとう。帰りは高速を使って帰宅して一旦我が家に立ち寄り、車を止めてある道の駅に送る。再び家に戻り、14:00時から山の作業に出動する。
2007年02月17日
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今日も昨日に引き続いて北の山には雪が降り続いていた。 午前中、ブログの日記をアップしていると電話が鳴る。花見さんからだ! もう5年くらい前から自分がホームページを立ち上げた頃から相互リンクさせていただいている仲間。13日の谷川岳に行った報告とお誘いをしていたけれど、正直なところもうすこし日にちが経ってからと思ってはいたが電話を受けてハッとした。明日なら今日の夜中から少なくても午後までは快晴。グットタイミングなのだ。断る理由はない。新雪で化粧直しをした大好きな山にまた会える。
2007年02月16日
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久しぶりに北風が強く吹く一日で午前中床屋さんへ行ったらその後の風の冷たさはまたひとしお。 こんな日には山の作業に出てくれる人は少ないな! と思ったとおり常連の3人だけ。でもこの重労働は寒い日のほうが助かる。汗の流れも少なくてまた休んでいると濡れた背中が冷たくなるのでじっとしていられず仕事ははかどる。しかし終えた後の疲れは増す。今日で竹の運搬は山の上2/3以上に荷揚げが完了した。あとの1/3の距離を歩道まで上げて窯のところまでリャーカーで運ぶ。まだまだ重労働はいっぱい残されている。ところで10日前に火を止めた炭焼き窯の温度はなかなか下がらない。どこか空気流入があるのか心配。
2007年02月15日
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天気予報では9回目の月命日で初めて雨か! の予報だったが降らずにもってくれた。 娘が訪ねて来るのを待って10:00時過ぎにお墓に行くと水仙の新しい花が供えてあった。持っていった花を加えると器に満杯。お線香をあげていると姉さんと姪が歩いてくる。畑からダイコンをいただいていると花の主も現れる。やっぱりAさんだった。こうして命日を知っている仲間やウォーキング途中に墓に立ち寄ってくれる人がいてありがたい。「千の風になって...」では「私はここにはいません...」と詠っているけれどもやはり遺骨を安置している以上はできるだけ訪ねたい。少なくても一周忌までは毎月。そのほうが自分の気持ちも休まる。帰り道には姉さんのところに立ち寄ってお茶をご馳走になる。兄の容態ははかばかしくはないが今日はワープロで頼まれた文書を作っていた。昼頃からは絶対に雨になると思っていたのに降らないので午後は里山作業へ。Tさんが公民館からリャーカーを借りてきたので「竹運搬」。ひと山、300本以上は炭焼き窯のところに運べた。
2007年02月14日
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毎日の里山作業で昨日はついに腰痛を起こしてしまったが作業仲間の2人を誘って予定通り谷川岳見物に出かけた。 6:00時出発はまだ夜明け前、明るくなってくると谷川岳は雲に覆われているではないか! こんな予測はしていなかった。でも歩いているうちに晴れるよ! と話しながらスノーシューをつけて歩き出す。それにしても雪が少ない。いったいどうなっているの? 昨年の1/4くらいか。いつも水が流れているところは雪が消えて路面が露出している。去年はマチガ沢から先は湯檜曽川も埋まり潅木も埋没してどこでも好きな場所を歩けたけれど、今日は潅木や石ころや水の流れを避けて歩かなければならない。こんな状態では今年の春から先は自然生態やら水問題も心配だ。一の倉沢の新道出合いに着いてから沢沿いに旧道出合いへと登り始めると、徐々に稜線の雪雲は後退していった。岩壁に光が刺しこみ輝いてくるといつもの一の倉沢の素晴らしい景色が前方一面に立ちふさがる。あの岩壁に向かった若い日々か私の宝だ。同行の二人も感激の様子で嬉しい。 しばらくは雲と光の変化に見とれ帰り道は雪が少ないので旧道を歩くことにする。いつもの年ならは雪で埋まった急斜面で歩きにくいのにほとんど道路としての形跡が残り、マチガ沢までも無雪期とあまり変わりなく歩けた。一の倉沢に比べたら女性的なマチガ沢も美しい。しかし大滝付近から下は潅木が見えて雪渓になっていない。昼には朝の駐車場所に戻る。こんなに短い時間で素晴らしく心地よい静かな雪山に入れるなんて天気が良ければ毎週でも来たいところだ。
2007年02月13日
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午後の里山作業には4人しか出てくれなかった。竹をまともに運搬できるのは私とKさんだけ。外の二人に無理強いはできない。 汗だくになって一番下に積み上げられた集積場所から細いものは4本。太いものを2本担いでわずか数十メートの距離を荷揚げするだけなのに斜面がきつくて辛い。たった2時間足らずなのにバテバテになってしまった。結局、ひと山の三分の二くらいしか運べなかった。明日は今年初めてスノーシューで谷川岳山麓を歩きに行くのに大丈夫だろうか?
2007年02月12日
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昨夜は予想もしないにわか雨が降る。 朝食後に洗濯物を干し、パソコンのブログを覗くとありがたくない「トラックバック」への書き込みがこのところ続いている。いったい何を目的で書き込むのだろう。削除するのもバカバカしい。それより気になっているのは乳がんネットでお世話になっていた方のブログへの書き込みが何人か止まってしまっていること。パソコンに向かえなくなってしまったり、辛い思いをされているのでは? と心配になってしまう。私たち夫婦にとって何より力になってくれたかけがえのない人たちに何も手を差し伸べることができない。もう何人もネットで支えてくれた方を失ってしまった。ましてや私の場合、男一人が残されて患者の女性に直接連絡も失礼と思い、ただ「どうか平穏な日々でありますように・・・」と祈るのみ。夜は従兄弟と仲間のSちゃんを誘って一杯飲む。すると従兄弟の奥さんが夕食まで作って持ってきてくれた。一緒の部屋に来た仏壇の前で妻も仲間に加わっているような気がする。みなさんありがとう。
2007年02月11日
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今日も暖かく午前中は畑の草退治を少し、午後はいつものように里山作業の竹運搬で汗だくになって着替えを済ませると、隣の街区のHさんが来週末の17日に前橋に家を新築して引っ越しをするということで挨拶に訪ねてきた。 彼女のご主人、職種は違うけれども自分より一歳年下でこの地域に一緒に住むようになってから数年過ごし30代前半で急病で他界してしまい、そのときの驚きと「お送り」を手伝ってから「近からず・遠からず」の関係でずっと過ごしてきた。でも「すごいなー」と思う。ご主人を失って金融機関に勤め、女手一つで二人のお子さんを育て上げ、また新たな地で生活をスタートできるパワーに拍手を送りたい。私など、ここを離れるのならいっそ県内とか国内でなく他国へ行きたい。それくらいこの地に愛着があり仲間がいる。今日の作業も衣類を汚し汗だくの数時間。こんな無償の労働をしながらお互いに損得なしで語り合える仲間は宝物だ。そして「礎」を一緒に築いてくれた妻に今日も感謝。晩酌の準備を終えてさぁーいつものように一人で一杯! と座り、テレビを入れるとNHKでまた「千の風になって」の再放送をしていた。
2007年02月10日
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先週から少しずつ始めた写真の整理、今日はビニール袋にまとめられていたものを空けてみると結婚前の若かりし少女時代を中心にした妻の写真だった。ほとんどがモノクロで女子高時代のものが多い。 自分が知る以前の画像を一枚一枚見ていくと、誰にも好かれ明るく快活だった彼女の姿そのもの...。子供の頃からこんなに可愛い子だったんだ!と、あらためて知る。 結婚してからの表情やしぐさもまるで同じだ。何といっても「辛い!」や「苦しい、悲しい!」の言葉は聞いたことがなかった。あの辛かったであろう抗がん剤副作用のときも吐かなかった。その面では私は少し弱すぎる。もう古くて良く見えないものや、誰だか何処だかわからないようなものは申し訳ないけれど廃棄した。それでも300枚くらいはあった。彼女が最後の入院に向かう車の中で「ありがとう・幸せだった...」の言葉がよぎる。今でも胸が締め付けられるくらい切ない。あのときすでに本人は次の旅路に向かうことを知り覚悟していたのだ...。自分の場合だったらそんな時どんな態度をとってしまうだろうか?
2007年02月09日
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毎年妻が仲間と作っていた「味噌」、思えば最後に作ったのは亡くなる一ヶ月半ほど前。 おととしと昨年で100キロ以上作ってあると仲間のAさんとSさんはいう。それらしき漬物樽は家の裏にあるけれど、順番もわからない。今日は里山作業を終えてから二人にお願いして分別をしてもらい、毎年味噌を作るたびにお裾分けをしていたお隣に連絡して「引き取っていただけますか?」と話しをすると、「そうでしょう、奥さんからいっぱい作ってあるから妹さんたちにも分けてやってね!」と言われていたのに、独り者になった私に「味噌はどうなったの?」とは話しにくかったという。だから電話をするとすぐに外に出てきてくれた。二人のお仲間さんは手際よく汚れた樽の周囲を綺麗にして2つの樽を一緒にお隣に運んでくれた。ありがとう。それともう一つ、一昨年妻と姪と行った旅先で拾った「手胡桃」の実。自分では使いそうもないので4人の女性仲間に分けて持っていってもらった。少しずつ、少しずつ女房の生きていたときの証が消えていく。これが歳月というものなのだろう。もう一つ今日の出来事、午前中、県の社会福祉協議会から「ボランティア研究集会」の案内とオープニングでの活動事例紹介依頼に訪ねてきてくれた。ただ、持ち時間が30分とは短すぎるけれども、これからの時代を考えると団塊世代と熟年の人々がいかに社会貢献をしなければならないかという共通認識で引き受けることにした。
2007年02月08日
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クンシラン、シャコバサボテンなど昨年の暮れに家の中に囲い込まなければならない鉢植えのものを庭に出したままだったことに気がつかず、一月の下旬になって従兄弟の奥さんが「こんなところにほったらかしではだめになっちゃうよ!」と教えてくれ、ベランダや踏み石の霜が当たらないところに移動したものの、このところ葉の半分以上が茶色に変色して枯れてしまった。 「お母さん ごめんなさい!」、今までいっさい花の管理は任せきりだったのでまったく無頓着だったのだ。そういえば沢山あったシンピジュームはどうしたのだろう?。 一人になって花の世話をするまで神経が行き届かなくなってしまった。ロウバイの花は盛りを過ぎ、これから庭には沢山の春の花々が芽を出してくるのに細かなことがわからない。せいぜい藪に覆われないようにはしにければ・・・。里山作業は5人で竹運搬。Kさんは一人で材料刻みをしていてくれた。
2007年02月07日
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本当に良く眠ったものだ。10時間半も寝て起きだしたのが8:30分。二日間の炭焼きでの寝不足を一気に解消できたような気がする。 昨日、しばらく出かけてこない娘に「明日は休みだから長男と散歩してやるよ」と話しておいたら、以外に早く10:00時頃「おはようございます!!」と玄関で大きな声。あれっ! お姉ちゃんも一緒だ。たまには暖かい日なので保育園を休ませて一緒に遊ばせたいと連れてきたという。昨日、炭焼き窯の温度計が壊れてしまいTさんとネットで温度測定器を検索していたところだったが欲しい温度計は数万円以上の値段でもう少し検討することにした。10:30分過ぎに外に出て一緒に歩き出す。手入れをしている山の階段や斜面の上り下り、前黒沢川の丸木橋を渡り、妻の墓まで廻って戻るとお昼過ぎになってしまった。子供たちは元気で楽しそうに滑ったり転んだりしてみんな汗だくの一時間半の山歩き...。ちょっとでも記憶に残ってくれればと思う。昼食後は娘が片付けを手伝ってくれるというので「写真の整理」をお願いする。子供たちはしばらく部屋でブロック作りをしていたがその後庭で砂遊びなどをしていた。未整理の写真の枚数は何千枚あるだろう? 今日は600枚ほどアルバムに入れ、妻が仲間にやろうとして焼き増ししたものも100数十枚で出てきた。明日から配らなければ・・・。
2007年02月06日
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昨日の強風は21:00時を過ぎておさまっていった。夜から明け方まで三回炭焼き窯の様子と竹酢の採取に行く。妻を月にたとえれば、夜が明けるまでずっと見守ってくれていた。2:00時には排煙温度が130度近くに上り竹酢採取を中止し焚口の空気口を1/3に絞る。明け方は今冬の最低気温になったが排煙温度は230度を超えて8:00時には焚口閉鎖、10:00に煙突閉鎖をしてあとは窯が冷えるまで何日かかるだろう? 乾燥焚きを開始してから52時間30分、やっと第一回目の火入れは順調に推移して終わった。あとはどれだけ窯の気密性があるかにかかっている。炭焼きの合間に昨夜洗濯したものを干し、畑の草退治、食事とあっという間にお昼。女房のいない一日の時間は寸暇もない。妻のありがたさを身に浸みて感じる。午後の作業は眠いので重労働の「竹運搬」を避けて次の材料刻みをする。昨日と打って変わった穏やかな一日で夕方になると眠気が襲ってくる。今日は早く寝てゆっくり休もう。
2007年02月05日
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妻が亡くなった日の夜は満月の日だった。眠り続けて応答しない人の死の意味がわからない孫二人には外に出て「おばあちゃんはあのお月様になって二人を見ているんだよ...」と言い聞かせた。月に向かって大声で「おばあちゃーん!!」と叫んでいた日がつい昨日のように思い出される。 昨夜は満月の次、16歳のお月様。私は夜になってから、そして今朝の4:00時に炭焼き窯の状況確認と竹酢採取作業のとき、あの日のことを思い出していた。一人で「月になった」妻に見守られ応援されながら今、ここにいる。今年最初の炭焼きの作業を空から照らし、往復も懐中電灯がいらない明るさで照らしてくれていた。ありがとう。夜が明けても炭焼きは順調に推移し、排煙温度は8:00時になっても80度で安定していた。
2007年02月04日
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5:00時すぎに起きだして5:30分に竹炭焼きを開始する。空が白んでくる頃には焚口の火も安定して様子を見ながら家かにポットで持参したお茶とサンドイッチで朝食。 直売所への納入時間に田村さんに出できて貰って納品して戻る。その後も食事時間以外は一日中窯の前で過ごし周囲をリフレッシュした窯の様子観察と排煙、温度状況を見る。午後の一時に排煙温度は70度に達し、竹酢採取をセットする。その後三時ころ77度前後で安定し、22:00時になって80度に上昇する。このままの送風を保ったまま家に戻って今日の作業は終わりにする。
2007年02月03日
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朝食後、尾瀬高校に向かう。沼田を過ぎると久しぶりの雪が舞っているが学校までの道路に積雪はない。発表会は7人の生徒が課題研究テーマを披露した。 この学校の理科部は今年度も群馬県の理科研究発表会で最優秀賞を2編受賞している。私が1年生の野外学習でお邪魔してから3年が経つ。上級生になるにつれて頼もしくなっていく生徒達の姿を見ていると自分が励まされているような気持ちになる。そういう私は、物心ついてから政治や社会問題に人一倍関心を持ち、批評をしてきた自分が一人になってしまってからめっきり無関心になってしまった。聞いてくれる妻もいないし、これから政治に関わる年齢でもない。過日の市議会議員選挙も多くが「サラリーマン議員」と「名誉議員」で本当にこれからの世の中を考えて今を改めようとする熱意を感じる方は探し出せなかった。自分の場合、できることは一つしかない。人類が生きていくための自然環境の大切さを訴えること。そのために日常は放置された民有里山林を美しくしていく活動。そして自然の動植物の営みから人間との絆を考え大切にしてくれる方をできるだけ多く育てたいこと、これしかできない。社会ニュースでは柳沢厚生労働大臣の発言、少子化対策のトップに立つ人の良識がこの程度のものと諦めてしまっている自分がいる。
2007年02月02日
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今日は炭焼き窯の材料詰めが終わりいよいよ火入れができる状態になった。明日は休みの日で尾瀬高校での「自然環境課題発表会」にお邪魔する。若い人の着眼点と「物を見る目」から自分自身の行動への指針が得られたらと楽しみだ。 夕食後、これといったTV番組を見る目的もなくチャンネルを回していたら見覚えのある顔!! あれっ!と確認すると12チャンネルの「TVチャンピオン」。家具職人のチャンピオン争い。その顔はいつも「玉原ブナ再生作戦」で一緒に活動している丸山さんだ。彼は家具職人ではなく、工芸品を創る職人だとばかり思っていた。物静かで黙々と作業をいているのと彼の作ったカヤの木とヒノキの「ぐい飲み」を一個三千円で買っている。そのときは「ちょっと高いな!」と感じたけれど、テレビでの彼の技能を拝見すると当然のことだった。当日の出場者から予選を勝ち抜き、トップの成績で以前からチャンピオンに挑む権利を得た。しかし結果的には審査員5人の票が3対2でチャンピオンの防衛になった。私の見た限り審査員の趣味の話で技能に遜色はないと思う。残念だったか致し方ない。いつも幌を被った軽トラックで長野の田舎から群馬の山に駆けつけてくれる丸山さんの本来の姿を知りびっくりした。今度5月に会うときはきっとこの話が弾むだろう。いやそれともこれで有名になり忙しくてボランティアへの参加が難しくなってしまうのでは? との心配の方が大きい。
2007年02月01日
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