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このところ出かける用事ばかりで里山活動に出られなかった。一週間も空けたのは初めてか? 仲間の手によって炭焼き窯は火入れができるように材料は積み込まれ、焚口もできている。植林した苗木の部分は草刈りも一通り完了していた。いよいよ全体的に第一回目の下草刈りのシーズンだ。私は炭焼きをスタートしたいのだが、明日はまた尾瀬案内で留守になるため火入れはできない。最低3日間は窯の監視が必要なのだ。作業には7人が出てくれ炭加工、ワラビ植栽箇所の草むしり、刈り込み機での下刈りに分かれる。
2007年05月31日
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天気予報はあまり良くない。6年生とはいえ雨の中の尾瀬はちょっと悲惨! でも晴れ男の私の力ではないが、帰着する寸前まで一滴の雨も落ちなかったことは何よりの一日だった。 生徒は69名とか、3台のマイクロに分乗して鳩待峠に向かう。私は3号車に乗せていただき生徒たちに自己紹介と自然環境の「温暖化」、「酸性雨」、動植物の嘆き、などの危機について話をさせていただく。尾瀬での行動マナーはこの話しと自己紹介を聞いていただければ、ほんの「さわり」だけでいい。今日のガイドは私の仲間7人、外の2台のバスはどうなっているのだろう。ガイド料をいただきながら、ただ現地の解説だけをすればいいと思っているとしたら・・・と不安になる。鳩待峠で7班に分かれて一日別行動。私のグループは出発前に目標、コースのミーティングに時間をかけて最後に出発。まずまず班としてのチームワークはまとまった感じ。これが一番大事だ。午後の天候が心配なので、山の鼻に着くと、私の班だけ最初に見本園のミズバショウを見ていただこうと時計回りに半周する。子供たちから「俺たち、得しているかも...」といってくれる。目標地点は下の大堀川ビューポイント。「体調は? みんなにその気がないなら途中で折り返すよ...」というと、「行く、行く...」と全員元気。まだまだ尾瀬ヶ原には数多くの花は見られない。ビューポイントで「この景色見たことある?」と訪ねると「カレンダーだ! テレホンカードだ!」と返ってくる。これでいい...。帰り道も遅れる生徒も出ずに順調に戻れた。尾瀬に近いところに住みながら全員が初めてという今日の尾瀬と私の話をどう感じてくれたろう。家に帰ると、2人の生徒からお礼のメールが届いた。うれしいことだ。早速今日のデジカメ画像を入れて返信する。
2007年05月30日
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このところ、そして明日からも出かける日が多くなって庭に出てみると、もう芝の中は先に草退治をした場所は再び草だらけ。畑もしかり。 ゴミだしを済ませてから布団を干し、芝の草退治、そして昼までにと思って食料の買出しへ。午後は畑の草退治とまた芝の草退治、みんな中途半端だけれど嫌になりワラビ摘みをして家に入り、夕方になって食事の用意と洗濯。まるで去年まで女房がしていた仕事しかできない一日。でも一人で生きていくには最低週に一日、二日はこんな日を作らなければならない。
2007年05月29日
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機あって何年ぶりかで湯沢の「アルプの里」に行ってみた。 以前よりも本来住む世界がちがう場所から移植された高山植物たちは悲鳴をあげていた。ウスユキソウなどは各地にはあるけれど、それぞれ緯度や高度、土地の環境などによって、特定された場所に同種のものが場所により姿・形を変えて区分されているのに、「全員集合...」をかけられても、ここの地形や気候に耐えて生きるのは辛い。タカネビランジやイワヒゲなど高山の特定な場所に限られるものはことさら辛い。「ヒマラヤの青いケシ」など異国のものまであり、植物にとってまさに残酷物語の里だ。もっとも、動物園なども同じことが言えるが、室内ならは湿度や温度コントロールもできるし食料も加工できる。でもちょっと考えて欲しい。植物は光合成(光と水)だけでその場の食物連鎖を支えるデリケートな生き物なのだ。表情も感情も出さない。ただ、枯れ死するまでだけ泣きながら耐えている。その中でちょっと元気そうだった「セイヨウオキナグサ」を貼ってみた。外来種は気候さえ合えば強いぞ...。怖いぞ! まして平地で生きているものは・・・。
2007年05月28日
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朝食後に皆さんに別れを告げて家に向かう。 何とか育成会の「廃品回収」に時間に間に合う。廃品回収は年3回のために新聞紙やお酒のビンなど出すチャンスを失うと大量に溜ってしまうのでホッとする。午後は妻が最後に過ごした「緩和ケア病棟」で最期看取った近親者の年に一度の集まり「はなみずきの会」に出席する。昨年は亡くなったばかりで今回が初めてのため参加には少し躊躇したけれど思い切って出ることにしたのだ。出席者は50数人か? スタッフは優しく心配りをしていてくれるのが肌で感じることができるけれども、参加者は皆さん交流がない方同士のために雰囲気は暗く重い。病院側の挨拶の後、・緩和ケアへの提言 ・死別後の悩み、苦しみ ・現況 などを... と、主催者から求められてもなかなか自分から話しをしてくれる方はいない。司会者に指名された最初の方は男性で妻を失った方、7,8分しゃべった。次に・・・と、また沈黙が続きそうなので2番目に私が挙手して「病棟へのお礼と近況」を話させていただく。すると今度は発言次々とつづき、予定時間になってしまう。でもやはり重苦しい雰囲気は否めない。その一因は誰もが辛い思いをしてきたことは共通するけれど、同じ家族でも親子、連れ合いでは体験談や現況も異なり、参加者がどのような体験をされてきたのか全くわからないので、テーブルを分けるなり、簡単な自己紹介をしていただくなどのスタッフの配慮も必要なのではないかと感じた。「何か、お話のある方は残って話をしていってください...」といわれたけれど、私は会場を去った。
2007年05月27日
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今回は仲間を沼田駅に迎えに行かなくてもよいという連絡があったので、早目に出かけて玉原湿原周辺を観察してから皆さんに合流する。 参加者は20名。作業内容別に4班に分かれて行動する。私の班は4名で積雪があって登山路が不明のときにK教授が測量して作った750分の一地図に落とした樹木と地形図に登山路を記入できるように測量していくための作業。雪が消えた今、NOを付けられた樹木の特定をしながら登山路との距離を測っていくのだが、とにかく笹の背丈は身長より高い。猛烈なヤブ漕ぎを強いられる。私はテープの先端を持って道の左右の樹木までを往復するきつい作業。これを17:30分近くまでしたのだからズボンは毛羽立ち、長靴は破れる。でも明日は用事があって、朝帰りをしてしまうのだから精一杯頑張る。楽しいのは夜の懇談と勉強会。これがあるからもう7年もこのボランティアに参加している。F教授のお話、研究生の発表。そしてみなさんの情報と、すべて自分の活動の血となり肉になる。床に入ったのは0:00時頃になってしまった。
2007年05月26日
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ゴミだしをしようとしたら雨が降り出して一日中少し強く続く。 午後、群馬県「 地球温暖化防止活動推進委員研修会」に参加する。先ず県知事より200人に委嘱状が交付され、一通りの挨拶の後、テレビでお天気キャスターとして活躍し、現在環境カウンセラーの「飯島 希」女史による「気候危機と私たちの挑戦」と題して温暖化の現状と課題についての基調講演があった。内容的には一時間強の時間内で良いものだったと思う。講演後の質疑ということで私は挙手をして指名され「温度上昇より先に土壌が酸性雨に晒され、アルミイオンが溶解して3大栄養素のリンを吸着してしまい、森の植物や動物たち、そしてそれを食する人類まで種子を作れなくなっている現象について先生のお考えがありましたら...」とお聞きした。女史は「そういう危機感を持っていてくれてありがたい、私も尾瀬など行ってみると樹木の立ち枯れなど気になっています。」という。ちょっと私とトーンが違う。周辺はともかく尾瀬での立ち枯れは見られないし、気象予報士だけにターゲットは気候変動による生命の危機に重点を置いていた。時間の関係で外に一人の質問だけで終了。講演会っていつもこんなもので問答することは所詮無理なので諦める。
2007年05月25日
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昨日は現役のときの会社OB会総会に顔を出してみた。やっぱり...、現職のときの思い出と、ゆとりある生活なのに会の運営資金まで会社の助成金で賄い、選挙やただの仲間意識で繋がっている意味のない集団。 という自分は忙しく、やることばかりの毎日が続く。この歳になって何で? と誰もが思うだろう。一日中のんびりとして、自分の身の回りのことだけ処理して、好きなことをしていても生活はできる。でも問題は「好きなこと...」そのものなのだ。私の大好きな言葉{「前へ...」、一人で生きていくのに立ち止まっているのが怖い。やれることがある限り、人や社会に役立つことか自分にある限り命の証を求めたい。一年前まではそれを後押しして日常を支えてくれる妻がいた。そして一年。家事の全部も自分、平均して一日3時間は要するだろう。なにか削らなければと思いつつ頑張ってはいるものの、自然の中に入る日数が減っている。今までこの時間を作るために働いてきたのに、これって私にとっては最大の危機! でも一番わがままな部分だった。だから必然的にその時間を削るしかない。今、晩酌を終えてテレビを背にして日記を書いている。幸せなことに昼間は畑でも里山活動でも皆さんと会話ができるのに、これから眠るまでの時間が空しい。明日の行動予定も決まっている。何で「空しい...」といいながら、忙しい生活にのめり込んでいるのだろう。ポケーっとできる自分になりたい。自然や空を眺めながら「詩」でも作っていたい。ただ臆病なためいつも動いていないと老いてしまうのでは、と恐れている弱い自分。
2007年05月24日
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このところ国内外で化石燃料に代わるバイオエタノール利用の車が増えつつあり、自動車メーカーでも海外に生産拠点を広ている。 確かに地球温暖化防止の面からは効果を期待できるが、人間の食料をエネルギーに変えてまで自動車社会を保っていっていいのだろうか? と思う。消費そのものを減量し、もっとゆっくりしたスピードの社会にしていかないと人類の先も短い。穀類を石油に代替すれば主食の価格は高騰し、もともと食糧不足の後進国は更に飢餓を生み、生産量を増やすための化学肥料は生身の体への危険度を増すことだろう。いずれにしても資源を思うままに使っている人間への「しっぺ返し」は必ず来る。その時間を先送りしようとする思想のひ弱さが嘆かわしい。結局今の経済欲に支配されている人間の比率が多い限り、どうしようもないことなのだか・・・。私が大声をあげたいことは「後世代にあなたは何のプレゼントを残せますか?」の行動を一人、一人が起こして欲しいということ。午後になって昨日からの「キャラフキ」が出来上がった。お隣におすそ分けをする。
2007年05月23日
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妻の実家からは「ゴミだし」の日なので朝食をご馳走になってすぐに家に戻る。 庭のフキでもう3回キャラフキを作った。でも、もう一回これが最後で今春は終わりになると思って本数を130本と決めて大鍋1杯分を摘んだけれどまだ残ってしまった。日がたつにつれて少しずつ育っているフキは洗って裁断し、鍋に入れたら山盛りになってしまった。それをアク抜きで煮沸したらやっと蓋ができるようになる。今日はガスで4時間ほど煮詰める。前回のように最初から七輪でやるとあまりにも時間がかかるので前半はガスを使うことにした。量は半分ほどになったので明日は庭の七輪で後半の仕上げをしよう。今日も一日好天気、庭の芝の中はだいたい二回目の草取りは済んだけれど、もう最初のところは三回目をしなければならない状態で、樹木の下雑草の背丈が30センチ以上になり、畑も草に覆われようとしている。人には「この庭は広くていいね...」と言われるが、一人で維持するには広すぎる。いっそマンションにでも住んだほうが楽だろうけれど、仲間と癒しの眺望を捨てることができない。それとも木を切って半分は畑か花畑にしようかな…
2007年05月22日
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2人の仲間は午前中に帰っていった。午後は里山作業に出て、以前から呼ばれていた妻の実家に出かける。姪の状態がタローと生活し、私と何度か深夜まで話したことにより回復してきた証だ。泊まるなんてことは新婚時代に確か一度だけ? だと思う。 このところ何年間も妻と一緒に訪ねても顔さえ見せなかった彼女がこうして「おじさん来てよ…」というようになったのだから本当に嬉しい。お母さんにも私が家で彼女と会話した内容なども話しをする。「お世話になってありがとう…」と平身低頭な母親だけれど、まだまだこれから先、じっくりあせらずに見つめていかなければならない。回復の兆しから一歩前に進んだところだと思う。夜はじっくり飲ませていただいたが、昨夜からの続きで一番先に休ませていただく。
2007年05月21日
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妻の一周忌を知って先週に連絡をくれた川崎と横浜の昔の山仲間が「ぜんまいの煮付け」を作り終えたところへ訪ねてきてくれた。 ここに越して生活するようになってからも何度か訪ねてきてくれた気心の知れた友達。子持山獅子岩の初登攀、上州武尊大沢の初遡行など燃える思いで憑かれたように山に向かった青春時代を伴にした仲間なので懐かしく嬉しい。昼食後は「赤城自然園」を案内する。心地よい新緑と草木の花たちに出合い、最初の山登りから45年もたち、あの頃と異なった自然への接し方になった私の変化に驚いたことだろう。帰り道に「敷島温泉」に立ち寄り、家に戻ってお酒を飲み始めると話しは尽きない。山のこと、妻のこと、世の中のこと・・・。何を言っても許せる仲間、夜中まで語り合う。
2007年05月20日
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自分の活動ホームページ(本館)は真面目すぎて、楽天ブログはちょっと暗い。 そこで気軽に自然の花や樹木、風景などだけをアップするお気軽で癒しになると思う「画像ブログ」を数日前Yahooに開設してみた。ところが、この活用方法がトンとわからない。自分のページなので書き込みはできるのだが、どうやってYahooブログからトップページに入れるのかもわからない。アドレスはhttp://blogs.yahoo.co.jp/yamaya22jp/MYBLOG/yblog.htmlなのだけれど、自分で開くとその一部しか出てこなくて不思議?アクセスしてくれる人も少ない。まーこれからボチボチ勉強しよう。昼近くになって青空も広がってきたので午後は作業に出ると二時間もしないうちに激しい雷雨、慌てて中止したが家が遠い仲間はまたびしょ濡れになったことだろう。明日は昔の山仲間が訪ねてくれるというので作業服のまま家の中を片付け始めると、久しぶりにMちゃんが妻の仏壇にと「お花」を持って訪ねてくる。こうして一周忌になったことを忘れずに覚えていてくれ、前後してお線香をあげてくれる人たちが来てくれる私も妻も幸せ者だ...。夜、このところ孫たちが前後して「ロタウィルス」で寝込んでいた娘家族と「カラオケ」に行く。この歳になって私はまだたった二度目だ。…下の画像は昨日出来上がったキャラフキ、こんな少しになってしまう…
2007年05月19日
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目を覚ますと清々しい朝。5:30分に起きだして昨日準備しておいたキャラフキ作りをスタート。こんなに早く始める理由はガスで煮詰めるとどうしても最後に「焦げつき」になりやすいので今回、炭火で庭の「七輪」を使い時間をかけてゆっくり煮込んでみようと思ったからだ。 郵便局、返礼品の精算に出かけ、芝の草取り、炭の袋詰めなどをしながら時々炭を足し、夕方まで見守る。水気がなくなってほぼ完成したのは18:00時を過ぎた。実に13時間を越えた。さて、出来栄えは? というと、色はよし、味も満足なのだがちょっと辛味か強かった。というのは唐辛子(タカノツメ)を3本刻んで入れたのが効きすぎた...。でも長期間保存できそうで成績は90点としておこう。おかげで今年2回目の芝の草退治も95%済んだが、最初に始めた場所にはもうたくさんの雑草が目に付く。…画像は半分ほど煮詰まったフキ、仕上がるとこれが1/4くらいになる。…
2007年05月18日
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旅が終わったら朝から雨の一日。これでは山の作業も庭の手入れもできない。あなたも少しは休みなさい、という神様がくれた休養日なのかも知れない。でもその分、明日は作業が休みの金曜日なのに翌土曜日までにしておかなければならない仕事が後回しになる。 このところの忙しさで書き込むことができなかった日記を4日間分書く。そして旅の会計報告、洗濯。午後の3時ころ雨が止んでから妻の実家へ届け物をして戻り、庭のフキを摘んでまたキャラフキ作りの下作業。大きなバケツで洗い、裁断、あく出し、水切りまで済ませて明日の煮込み準備完了。
2007年05月17日
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昨夜の宴会は14名にもかかわらずにぎやかに過ごせて安心する。いつものように飲みすぎだが5:00時に起きて街を3キロほど歩く。何より嬉しいのは天候に恵まれたこと。散歩しながら望む「北信5山」が美しい。 だが地元の人が説明する山に間違いがあることに気づいた。というのは高妻山を戸隠山と思っているのだ。右から斑尾山、妙高山、火打山、手前に黒姫山、飯縄山まではいいのだが黒姫と飯縄の間に見える高く白い山を戸隠と説明する。戸隠は標高も1,900m台で2,300mを超える高妻山の方がはるかに目立つ。朝食を済ませて早めの8:30分に宿を発つ。今日の目的地は「なべくら高原の森の家」。ここはNPO法人「信越トレイルクラブ」の事務局もあり、近年活発な自然保護活動を展開して新宿からの往復定期バスも運行されるようになった。このスタッフ3名はおととし我が家を訪ねてきてくれ、妻が用意した昼食を食べてくれた。そのうちの一人、Wさんが今日のガイド。妻の話をするとびっくりした様子で悔やんでくれた。案内していただくフィールドはWさんにお任せしたが、開通したばかりという関田峠の「茶屋池」周辺のブナ林となった。例年ならばまだまだ残雪に覆われているというが70年来の小雪のため所々に雪は残っているだけ。やはりブナ林は気持ちよいが正直のところ私が日ごろ活動しているブナ林に比較したら樹齢も若くて少し貧相な森だった。でもこれでいい。Wさんが話してくれる住民と森と水との関係、手がけている「信越トレイル」への取り組み、そして自然と人の暮らしぶりなど現場に来てみなければ知ることはできない。そして関田峠の新潟側から見た素晴らしい景色! みんな私が登った山々だ…。森の家ロビーの本棚には私の本「山・私の軌跡」も置いてあった。ありがとう。午前中で山の家を後にして新潟経由で帰宅する。これで楽しみでもあり苦労でもある「自然観察の旅」は終わった。また明日から日常の活動に戻る。
2007年05月16日
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参加者が揺れ動いた旅も出かけるときが来た。最終的には14名になってしまい宿には一万円の追加料金とバスの高速代を支払うことで何とか決行できることになった。 今日の主な目的は道中の自然観察(標高差による植物と季節の変化)、そして戦死した東京芸術大学画学生の遺作を展示した上田市の「無言館」へ。無言館は町外れの山の中、まるで「いらっしゃい...」の雰囲気はない。20人以上の団体は予約を要するという。コンクリートの建物に近づくと「一人ずつ入館すること、入館料は500円以上で出口で支払うこと、撮影禁止、静かに...」と説明する人がいてロビーなどはない。最初に目に入る文章を読み終えただけで誰もが「無言」になるだろう。私には記憶できないけれどすべての画学生のプローフィールには目を通した。私たちは彼らの犠牲を忘れて生きている。もう私は60年以上もだ。申し訳ない気持ちになる。溜った涙がこぼれないように一人、一人に思いを巡らせてやることしかできない。自分は世間にいったい何をしてきたのだろう。何をしてやれたのだろう。せめてもの救いは、自然環境の保存に向かう今のスタンスだけだ。出口では千円を支払って明るい陽射しの外に出た。こんな美術館は初めてだ。見なければいけないと思うし、何度も訪れる場所でもない。黙祷!!
2007年05月15日
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義兄は夕方伊香保でのクラス会に行くまで暇だというので庭の草退治をお願いして2人で始めたら、親友のNさんが迎えに来てくれ10:00時過ぎに帰っていった。何かやっと一周忌が済んだような気持ちになる。午後は里山作業に戻り、夜になると明日からの「自然観察の旅」の用意とチェック。これから先の自分の生活を見直そうと思う。まだ時々、老いて動けなくなるまでずっと一人の生活が続くと思うとき「ぞっ」とする気持ちに襲われる時間がある。ここ数年間、妻の闘病と並行しての活動に追われその支えがなくなっても何とか頑張ってきた。でもこのままでは疲れきってしまいそう。もう少しゆとりが欲しいと思うと同時に、気が緩んだらずるずると老化していってしまうような恐怖感もある。自分を見つめながら心にも体にも「張り」を持って生活していきたい。新しい自分探しをしなくては・・・。
2007年05月14日
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今日の後半から雨も降る予報。朝食の後それぞれ宿を去っていく。 我が家に姪夫妻と義兄が立ち寄り、義兄は泊まっていくという。でもその話しを聞いたのは昨夜、気遣う人でないので快く受けたが、できれば事前に話をしていてくれたらありがたかった。というのはここ数日、この一周忌を無事に乗り切ることばかり考えていて終わったら少し一人で休みたかった。昼食は昨日から少し食べすぎ飲みすぎだったので「おふくろ亭」へ6人で行って「お蕎麦」で済ませる。午後は義兄を除いて帰っていったので里山作業現場に顔を出してから義兄に手伝っていただいて「竹炭」を洗う。これは「お風呂用」の袋に入れる炭になる。夕食はいつものような自分食に付き合っていただく。お客さまがいると皆さんの「お包み」の集約もできない。それにしてもこの2日間、特に今日の天気予報は悪かったのに穏やかに過ぎて感謝! ありがとう。
2007年05月13日
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命日の二日前だがついに一周忌法要の日になった。 この一年が長かったのか短かったのかわからない。とにかく無事に儀式が終わることを願っている。出席者は揺れ動き結局39人になった。ところがやはり問題発生! 名簿に入れていなかった奥さんが同伴で来られた。そして山形の方はやはり1名増えていた。やむなく近所の奥さんにはお墓でそのことを理解していただき、会席への出席を遠慮していただくことにした。本当に申し訳ない。1名の増加では済まなかったのだ。そして会席の宿に着くと、今度はもう1名宿泊希望者が増える。フロントに交渉するとこちらは何とかなったが会席の部屋にはそんなこんなで私が一番遅れて入ることになる。できれば着席の位置ももう少しお願いがあった。 皆さんにお礼の挨拶の後、いよいよ会食に入ったがここまでくればもう90%終わったようなもの。飲み物が切れないように気を配るだけ。一番嬉しかったのは、食事の内容が良かったことか! 私は初めてのところだが、前は「安かろう 悪かろう」の宿だったと聞いていたけれど、県庁舎レストランの「久ろ松」が入ったことにより評判どおりのものになっていた。2時間と少しの会食も無事に終わり、宿泊者を除いて帰宅する21名の送迎バスを見送り私が独断で決めた4部屋に分かれていただいて18:30分の夕食までそれぞれ自由にくつろいでいただく。夕食の時間はできるだけ遅くしていただき18:30分から。また宴会になるがこの食事も良かった。そしてこの席で披露した私の「サンショ」と「キャラフキ」も褒めていただき嬉しい。二次会は夜半近くまで続ききっと妻も「ご苦労様!」といってくれるだろう。
2007年05月12日
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明日の一周忌への出席者が夜の9:00時になっても確定できない。参った。 先ずは娘家族でお姉ちゃんの方が今度は弟の「ロタウィルス」が感染して発熱。こうなると親のどちらかがついていなければならない。とすると2名欠員。住職の会席欠席。そして姉の一人が体調を崩して欠席とのこと。情報では山形の兄関係が4人とのことだったが5人で出発しているという。そして泊まるか泊まらないかはっきりしない人...。そして一周忌が近いことを知っていて「お包み」や花など持って訪ねてくれる人。返礼品は用意もしていなかった。人生経験の未熟さを知らされる。それにしても知人はありがたい。もう一年も経てば忘れてしまっているだろう! と思っていたのにこうしてポッポッと訪ねてきてくれる。私たちはまだその方の心に生きていると感じたとき、ただただ「ありがとう」と感謝の気持ちでいっぱいになる。
2007年05月11日
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参列者のチェック、法要の場所お寺さんにもっていくもの、お布施の金額とわからないことばかり。そして住職も会席に出席して欲しいとのお願い。 教えていただいたのはお寺さんに持参するものは・お花、写真、位牌、供物、おだんこ、お布施は〇〇円。会席の方は本人にスケジュールを確認してから連絡をしてくれるという。今日も3日連続のキャラフキ作りに挑む。また方法を変えてみる。材料に昆布、唐辛子、サンショの実を加えてみた。4時間ほどで煮詰まったけれど、昆布は溶け、サンショと唐辛子の実が混じって何だか汚くなってしまったような見栄えだが味は良さそう。明日は来た人に三回それぞれの味比較をしてもらおう。
2007年05月10日
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朝食と並行して昨夜に引き続いて「キャラフキ」を煮詰める。色は見事にそれらしくなったが、ちょっと醤油の量が多すぎて塩気が強すぎた感じがする。でも長持ちするぞ! 昨日行けなかった買い物へ。そして草退治、里山作業と続き夕方になってまた新たにフキを摘んで再びキャラフキ作りに再挑戦。晩酌をはじめていると懐かしい後輩の「Iちゃん」がお線香をあげに来てくれる。一周忌が近くなったので先日もT君が家族で来てくれた。ほんとうにありがたい。ありがとう。話し込んでいてすっかり「キャラフキ」を煮詰めていることを忘れてしまい、彼女を玄関に送り出すとき「焦げ臭い!」と思い台所に行くと鍋の下のほうが焦げてしまった。またちょっと失敗! でも食べるには問題なさそうだ。よし、明日も挑戦するぞ・・・。
2007年05月09日
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5:00時過ぎに起きて朝食前にお隣の土手の草刈りを終える。両隣とも高齢と一人住まいのためにとても土手の手入れまで手は回らない。ここは本来公有地のために住民が例年実施している「春・夏・秋」のクリーン作戦に該当する土地だけれども、我が家の庭に隣接していて住民の形ばかりの草刈りでは再びやり直しの状態なので以前からその行事前に自分で刈っている。今回は13日なのだが私は12日が女房の一周忌でそのまま泊まりになるので参加できない。この草刈りの面積だけで数十人分の仕事をしているのだが出不足金千円を納めておいた。 朝食を済ませてから洗濯、芝の草取り、松のみどり摘みと昼食時間を遅らせてつづける。今日は買い物にも行く予定でいたが芝はまだまだ進まないので午後も続け時間がない、夕方近くになって「フキ」を摘み、初のキャラフキ作りに挑戦する。作り方がわからないのでネットで調べたが大量すぎたのか時間がかかること。最終仕上げは明日にしよう。
2007年05月08日
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雨は明け方まで降り続いて残ったお隣の草刈りができなかった。 その後、天気は回復して午前中は庭の芝に入り込んだ草むしりをする。二度目がやっと五割くらい進んだ。昼過ぎの作業はめずらしく9人も出てくれた。6人は「タラの芽」の剪定作業へ。3人は炭の整理。明日は作業が休みの火曜日で、天気予報も好天気。ご無沙汰している山に行きたい。夕食の準備をしながら明日の予定を考えると、庭木の松の「みどり摘み」もしなければ、そして芝、周囲の草退治、フキも摘んで「キャラフキ」にしなければ・・・。やはり山には行っていられない。女房がいれば少なくても家の庭や料理だけはお任せだったのにすべて自分がしなければならない。
2007年05月07日
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目覚めたらまだ雨が降っていなかったので6:00時から7:20分まで草刈りができたがやはり雨は途中から降ってきた。でもあと1/3で両隣の土手も含めて今年第一回目の刈り取りは終わる。 朝食の後、竹炭の「お風呂用袋」を作ってみる。とりあえずきんちゃく袋が100円ショップに13袋しかなかったのでそれだけ。外に「ペットボトル用」も作る。午後は里山活動自然観察旅行のスケジュールを明日には配布できるようにする。参加目標は20名だったが、結局16人しか集まらないのは残念。いずれにしても今日はアウトドアの作業は朝の草刈りだけで一日家の中、物足りないけれども休養日と思えばこれも感謝。
2007年05月06日
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10:00時の現地待ち合わせで自然園へ向かう。少し遅れてきた家族はお祖母ちゃんと小一、年長の男の子親子4人。とても元気な子なのだが昨日は自転車でお父さんと片道24キロの「群馬の森」まで行ってきたとのことで、園内を一時間も歩くとまだ1/4くらいしか回っていないのに「疲れたー」と言い出す。 植物や花には親達は興味があっても子どもにはそう面白いものではないのだろう。それでも私の話を「おじさん物知りだねー...」と我慢して付いてきてくれる。両親はさすがに自然志向で「初めでだけどいいところだね! 年間パスポート買った方がいいかも...」という言葉も出る。静かなお祖母ちゃんも気に入ってくれたようで嬉しい。「昆虫館」のところの池で昼食を取り、「木登りの木」に出会うと子供たちは俄然元気になる。やはり男の子だ! お父さんが手本を示して教えると見る見る上手に木で遊べるようになる。その後、炭焼き体験にコーナーで全員がミニチュアの「炭俵」作り。良い記念になると思う。自然園には15:00時過ぎまで遊び、帰り道に我が家に立ち寄って私たちの炭焼き窯を見て、私の木の実ブローチと竹炭の売れ残りをプレゼントすると喜んでくれた。それに加え、帰宅したらちょうど仲間が作業を終えて摘んだ「タラの芽」を届けに来てくれたところで、こんなに大勢いるのではと大量に分けていただき、それもおみやげに...。今日は初めて会ったご家族に喜んでいただき、仲介した姪も面子が保てたことだと思うと私も満足の一日になった。疲れた姪を置いて、タローの散歩を済ませると彼女も帰っていった。夜になるとポツンと抜け殻になったような自分になった。熱を出した孫の様子が気になり電話をすると病院で診察を待っているところだという。午前も当番医に行ったがあまりにも混んでいるのでいったん家に帰り、また違う病院へ来たのだがここも60人くらい待っていてまだ診察を受けられないという。今「はしか」が流行っているので心配。熱は39度もあるという。
2007年05月05日
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四月になって娘がパートに出はじめてから孫たちもめっきりか遊びに来る機会が減った。今日は姪も含めて、みんなで「赤城自然園」に行こう! と決めていたのに出かけ際になって長男に「熱がある!」と測ってみたら38度6分もあるという。 残念だが中止するしかない。姪のほうはカウンセリングに行くといい、タローを置いて夕方まででかける。戻ってからの話しで一緒にカウンセリングに通うお友達の家族は自然が好きで自然園に行ってみたいということなので電話をすると、明日行こう! ということに急遽決定する。
2007年05月04日
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ゴールデンウィークの後半連休がスタートした。きっと周辺の観光地は人ばかりだろう。久しぶりに一階の部屋を全部掃除して炭焼き窯のところへ行くと、Tさんが気密を保つための作業をしていてくれた。午前中の合間に芝の草退治。午後の作業にはさすがに出動者は少なくたった3人。夕方になってから今年最初の土手の草刈りを刈り込み機の燃料1タンク分をする。春一番の草刈りは伸びた草とまだ芽を出したばかりのものがあってとても刈りにくい。
2007年05月03日
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あの日が家に戻れなくなる最後の入院の日になるとは思っていなかった。必ず帰れる! と思って病院に向かった。 その車の中で「ありがとう 幸せだった...」と言った。突然の言葉に即応できなかった。だが今でもその言葉の通過地点もはっきりと記憶に残っている。あのとき、きっと本人は「もう家には帰れない...」と覚悟していたのかも知れないと思うと本当に今でも切ない。朝食もいつものように作ってくれていたのだ。だからこの家にとって今日が一年忌のような気持ちになる。大好きな花でいっぱいの庭を振り向くこともなく静かに身を引くように病院に向かった。ふり返れば、肝臓への再発転移の末期は自分自身もその症状を知っていたが、何より本人がその時期を知っていたのだと思う。その後、こんな句が浮かんだ。... 君逝くや 大好きな花 ふりむかず ... それから12日後、ついに帰ることのない天国に召された。今日の自分は2:00時と5:00時に起きて炭焼きの様子と温度測定に行き、午前中に買い物と一周忌の返礼品を注文してくる。そして午後はまた里山作業。炭焼き窯を閉鎖するのは夜遅い時間になるだろう。
2007年05月02日
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5:00時に起きだして二時間ほどかけて炭窯の焚口作りをする。いったん家に戻って朝食を済ませ、再び窯へ。乾燥焚きのスタートは8:50分頃になる。 TさんとKさんは9:00時からタラの芽摘みへ。10時には窯の中の竹に着火し外焚きを片付けて送風態勢の入る作業を一人でする。2人が戻ったのは12:00時近くになってしまったが大量のタラの芽を収穫してきた。午後は選別して出荷できる準備もしなければならない。昼前から降り出した雨のために我が家に持ち込んでの選別作業は16:00時頃までかかってしまった。でも助かったのは正子さんが「パック詰め」をしないでそば屋の「桑風庵」への引き取り交渉をしてくれたこと。ありがたいことなので一割ほど格安にして全部引き取っていただけた。しめて7キロ、一万八千円になった。今夜、そして夜中も炭焼きの状態確認に行かなければならない。
2007年05月01日
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