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昨日の取り組みが災害弱者の特集になって、今夜NHKで放送されます。てれまさむねですよ。よかったら見てね!
2007.11.29
町内会の会長さんたちが来て、災害の時の非難の練習をした。練習といっても、試しに車椅子をさわってみて、私の動かし方とか、道すじを確認したのだ。この前、公園でやった防災訓練のときには車椅子を近くで見ただけだったわけで、吸引機や酸素なんかがいろいろついているのをどうやって操作していいかは、やっぱりやってみるに限る。私は乗らないで、スロープの段差の越え方やレバーの使い方を実際やってもらった。会長さんが言うには、公園のは防災体験で、これを、防災訓練にしなければいけない、ということだ。なるほど!おばあちゃんでさえ、たまに介護を頼むと、注入のポンプのスイッチがどれか忘れているのだ。私の状態も細かく変化したりするから、普段とイザというときの中間が難しいわけ。支援の人は機械になれていないから怖いだろう。頼む私も不安になる。機械のところは母がやって、力仕事や人手がいるところを頼むことにした。分担を確認しただけでもなんか安心。ひとつやってみたことで、今度は近所のみんなで集まってみようということになった。私のことは知っていても、詳しくはまだみんな知らない。お互いに会えば何かと話題も出てくるだろうし、よく知るきっかけになる。100人くらいに支援を頼んだら、全員ひきうけてくれたという。なかなかいい町内だ。
2007.11.28
今年も予防注射をした。もうはやってきているらしいし、今年はいつもより何倍も大流行するらしい。聞けば聞くほど恐ろしい。この前肺炎になったばっかりだから絶対予防したい。注射をしても別のにかかる人もいるらしい。Aを予防してもBがはやるかも知れないし、CとかDとか、病気の方も進化してくるかもしれない。やだねえ。再生医療のすごい細胞とか、疲れないネズミとか、研究の世界はどんどん進化している。今まで治らなかった病気も治るようになったものもある。でもやっぱり、風邪はひくし、今年の冬にインフルエンザで亡くなる人もいるのだろう。丈夫になったつもりでも、やっぱり冬が怖い。そういうわけですいませんけど、私の部屋に入る人は、必ず手洗いうがいをしてくださいね。お願いします。
2007.11.27
初めて即興演奏というものをきいた。楽譜も何にもないのに、演奏者がお互いを聞いて演奏するのだ。すごく不思議な感じがした。聞く前は、そんなのできるの?と思った。北九州から教会オルガニストをしている音楽家さんと、サランギというネパールの弦楽器奏者さんとその家族の人たちが、私のために演奏してくれることになった。オルガンさんにはずっと前からいつか会えるかなあ、と楽しみにしていた。コンサートのためにやってきた次の日に実現したのである。オルガンさんは作曲家の高田三郎にすごくかわいがられたそうである。すごいことらしいよ。サランギの音はよく響いて部屋いっぱいになる。そこへ、キーボードの不思議な和音が合わさって、音と音がうねうねになる。さらにそこにハーモニーベルの音が加わり、音と音を包み込む。テーマは「平和への祈り」。はっきりしたメロディーはなくて、うねうね音が漂うのだが、音がお互いに近くなったり遠くなったりするうちにそれらの流れが同調するよようなときがある。部屋は壁に囲まれて、音は充満していくのだが、その密度がどんどんたかまって音だらけになるころに、ほわっとその壁を突き抜けて、音の真ん中に浮かんだようになるのだ。超気持いい感じ。相変わらず私の身体はつい力が入るんだけど、そんなとき、知らず知らずに腕がふわーっと伸びる。黙って音に聞き入るみんなで気持を集中して音のうねりにのっかった感じがとてもよかった。この抽象的でうまくことばにできにくいような感じとか、感覚をめざして音の行き先を探しながら演奏するのは、その音を聞こうとして曲を聴くのとはちょっと違うな。確か以前スヌーズレンで光や音やゆれの中でふわふわしながら肉体の感覚から抜けた気持とよく似ているが、また違う。スヌーズレンには方向がない感じだ。感覚の助けがなくても、精神的に耳に集中することもできるわけだ。だったら、スヌーズレンの環境で感覚を助けながら即興の音を聞いたらどうなるのか?さて、ハーモニーベルは金属の棒(おんさ)をぶつけて高い音を出す。天使の歌声を現しているそうである。にくいね。ひとりひとり感じた集中の表現の仕方は違う。母は血の巡りがよくなって肩こりがよくなったかも、というし、背筋がぞくぞくっという人もいるし、和音の中に聞こえない音が聞こえたとオルガンさんはいう。インドではこういう演奏をよくするそうだ。神様に近づくための瞑想とか祈りの音楽だそうだ。バッハもそうだ。宗教の音楽は人間のいのちに直接つながっているのだな。オルガンさんがバッハの有名な曲を弾いてくれた。おおーっ。上手だ。当たり前だけど。ビックリした。というか、教会で聞いたらどんなだろう、と思った。金子みすずの作曲をたくさんしているという。私の詩にも作曲してくださるというではないか。ひゃー!曲があることで私がいなくなっても私の精神が残る、といってもらった。そうなったら、うんとうれしい。
2007.11.26
久しぶりの反省文である。また、いろうボタンとチューブを引っこ抜いてしまいました。また、というところがミソで、これまで、いろいろなものをひぱってはずしては、介護のみんなをひやひやさせてしまった。自分でも、以前よりは手のコントロールができるようになったつもりなんですけど、やっぱり完璧とはいかない。あっ!と思った瞬間相変わらず力が入ってしまうのである。ほんと反省している。昨日は母がインフルエンザの注射に行って、看護師さんたちと留守番+入浴していた。湯船でまったりしていたら、ひっかかった~。すぐに対応してもらって、母に連絡もついたし、連休前の飛び入りでも受診させてもらえた。あいにく雪がばんばんふってきて、冬タイヤもまだ替えていないワゴン車だけど、母が一人で連れて行ってくれた。ピンチの時、案外母は落ち着いているので私も安心する。病院もいつでもおいでといってくれるし、弟の下校のヘルパーさんにもうまく連絡がついたし、分刻みの連携プレーがうまくいった。ありがたい。と、安心している場合ではないのだ。だんだん腕が長くなったし、芸術的な動きができるようになった(人工鼻隠し)分、予防技術と技の競争になってきた。何度も反省文を書いているな。同じ中身では進化がない。もっと安全になるように工夫しようと思う。みなさんありがとうございました。心配かけてすいませんです。いいこともあった。なかなか見られない雪景色をじかに見ました。寒かったけどね。
2007.11.23
えーっと、まずはニュース。アクセスの数が今99999です。次の人で100000人です。3年間でこんなにたくさんの人に見てもらったわけ。一人が毎日見ても365だ。たくさんの人が楽しみにしたり、更新がないのを心配してくれたり、いっしょに喜んだりして、あっという間でした。毎日書き換えるのはあとりえの仕事のひとつになってきたし、楽しくできているのでありがたいと思う。ブログを教えてくれたけんちゃん始め、パソコンで仕事を手伝ってくれる事務員の母や、応援してくれるみんなの顔が浮かぶ。顔はしらなくても大切なことを教えてくれるみんなのおかげで、積乱雲は育っていると思う。最近、人を幸せにするものが仕事だ、というわけが少しわかってきた。一人一人が役割を持って、今できることをできる分だけ分担する。したいこととできることは違う。などなど。まだまだみんなの仕事観インタビューはしたいと思う。自分の仕事についてもまだまだ考え中です。けど、ブログを見てくれているみなさん、ありがとうございます。これからもどうぞよろしくね。
2007.11.22
クリスマスプレゼントをあれこれ考える季節になってきました。弟は毎日日替わりでどんどん変わる。洋服だったり、ゲームだったり、バッグだったり。三つちょうだいなんて、ずーずーしい。ひとつだけ、といわれて、3月の誕生日にふりわけたりしている。今年は卒業だから、卒業祝い、入学祝もあることを、しっかり理解してきた。この前のリクエストは「どこでもドア」だ。どらえもんの。どこに行くの?と聞かれて「世界」という。えーっ。ドイツの話やいろいろな国のことをわかってきたのだ。進化だ。そしたらみんなほしがった。ヘルパーさんも、母も、どこで売っているんだろう、と真剣だ。だったら、私もほしい。わたしこそ便利である。どこにだってすぐ移動できる。ローラとどこでもドアの間で迷う今日このごろ。
2007.11.21
東京からお客さんがやってきた。ケルン大学で勉強をしている学生さんとおじさん3人+トッシーだ。輝く金の髪をしたおねえさんだった。きらきらの金の髪を始めて見た。すんごくきれいだ。もちろんしゅっしゅっと聞こえるドイツ語だ。私に筆談を教えてくれた先生たちだ。筆談といっしょにマクトス(パソコンの脳波スイッチ)の情報交換もした。さすがトッシー。マクトスの中にドイツ語を入れてくれた。ヤー(はい)はおねえさんにちゃんと通じた!超感激。研究所のお医者さんは一番マクトスを興味深そうにしていましたね。さすがお医者さんです。脳波だもんね。思考を脳のどこが処理しているかを研究するという。すんごく興味がある。目の見えない人が耳をよく使っていると、脳のその神経の道が進化するらしい。絶対あると思う。私の脳はどんな風になっているのか、ずーっと気になっているのだ。科学的に見ためでわかりにくいわたしの中身があることを証明したいよ。ちょっとうれしくてコーフンしすぎた。脳波出すぎで失敗のつぼにはまってしまった。一度はまると自動的に反応してぬけられない。いろんな分野の研究の人が知恵を出し合って考えるのは超面白いことだ。トッシーのIT支援や障害児の教育や医療やなんかがいっしょに考えることで切り開かれていく。その進化の場面に参加させてもらえそうだ。うんとわくわくしちゃう。わたしは障害が重い人でも、いろんなことをわかっている人が実はたっくさんいると思っている。言えないだけで。通じない苦しみを味わっている人が一人でも減ってほしい。通じるとこんなにおもしろい世界が山ほどあるのだからね。ドイツのおねえさんは3月まで日本にいるそうだ。ドイツに帰ってもドイツの研究は続くだろう。ドイツの話をもうちょっとしたかったよー。私の場合、日本語どうしでも通訳が大変だ。ドイツ語はむりっぽい。英語をやろうかなあ。どうやって勉強したらいいのかなあ。耳で覚えるから、カタカナで書こうかな。なんちゃって。
2007.11.20
高等部の同窓会がありました。みんなの在学中から職場実習の打ち上げにいつも利用していた焼肉やさんが会場だ。高校生の時は、昼間の実習も1日が体力の限界だった私は、打ち上げに一度の参加もできませんでした。ということは、初焼肉、初夜遊び、初宴会である!昨夜は急に寒くなって、雨がちらちらみぞれになったくらいだ。しかも前日ローラで大盛り上がりでしたからね。どんなもんか、と疑っていた両親である。でも私の答えは、ひとつさ!行くしかないでっしょ。くるくるローラで、マーガレットさんにパーマをしてもらったくるくるでセットして、もちのろん目元はマキアージュのラベンダー色ですよ。久しぶりのみんなは社会人オーラを身にまとい、一段とかっこよくなっていた。焼肉の煙につつまれて、乾杯するとは。そこに私もいるのだから、すんごいことである。ぽっぽさんやすぎさんや、クララさんやローラの会のメンバー先生などなど、みんなと次々におしゃべりして超あっという間に1時間半。友達のピーちゃんや男子にも囲まれて、超うれしかった。修学旅行を思い出した。仲間と一緒って、じつにいい。ぽっぽさんに通訳ガイドを頼んでいる間、母はパクパク焼肉に向かっていった。こんなチャンスはまたとないわけ。初めてくらいだ。弟と父も私を待ちながらしっかり焼肉を食べられたし、家族みんなで夜のレストランなんてこれも初めてなのだ。もちろん私は焼肉を食べないけど、煙と臭いと会話でお腹いっぱい、幸せいっぱいだ。一足早く帰る前に集合写真もとった。感激して泣きそうであった。その後はカラオケタイムだったそうである。今度はそっちまで参加できる体力が目標だ。くるくるローラであたたかかったが、すっかり臭いが移って焼肉ローラになった。でも臭いと一緒に歓談のいろんな音がまだ耳の中に残っている。ジュー。みんな今日も仕事ガンバレ。
2007.11.19
いってきました。ビップでセレブなローラ行き。師匠と父をお供にローラの世界へ突入! 丸ごとローラの空間は見えない空気の扉をふにゅっと抜けてそこで流れる音楽も香りも景色も一転。お話の世界にひょいと入ったような。すると私はローラの世界の登場人物で、車椅子の歩みもひらりゆらりとエレガントになるのだった。介助が大の男、しかもふたりも、なので姫を守る家来ってことでいいかな?(すいません)話には聞いていたけど、予想をはるかに超えて、うーんとステキなお店だった。次々に色んなコーナーへ渡り、一つ一つの色やディスプレイにうっとりしちゃった。みんなこっちを見て、一番いい見せ方で(わたしってどう?)と話しかけてくる。みんな連れてかえりたいけどねえ。一番気があったひざ掛けとパジャマとタオルケットなどを買いました。やっぱり私はやさしい気分のピンクがしっくりしたので、これでくるくるになったら、うんとよく眠れるような気がしたんだ。予想通り、熟睡。ハッピー。ラッキー。体調よし。元気。エネルギーマンタン。やっぱ、ローラはいいわ。そうそう、他のみんな(品物たち)、また会いにいくから、待っててほしい。
2007.11.18
いよいよでっす。ほーんと、楽しみにしていたのよ。もう、わっくわく。明日は少し寒そうだけど、なんのその。ぐるぐる巻きになっていくわよ。レポートお楽しみに!うひゃひゃひゃひゃ
2007.11.16
ごっそり白髪を発見した母。美容室に行った。ひと月前になかったのに、何かありましたか?といわれたらしい。昨日の今日だけど、ちょっとだけ心が痛む。美容室にいっている間、おばあちゃんと留守番をした。喧嘩の後は別の人の介護だと助かる。気分が変わる。そして私は、ヘルパーさんに顔のマッサージをしてもらった。アロマオイルでほんわか、リンパマッサージである。リラックスのはずなんですけど、嬉しすぎて緊張した。もったいない。もちろん、効果ばつぐんで、リフレッシュした。蒸しタオルつきだ。二人ともリフレッシュしてめでたしめでたし。女は美容に限る。
2007.11.15
乾燥してきたとか、痰が多いとか、体の全体の状況でお通じに影響する。朝からすいません。こんな話題で。腹筋がうまく使えないもんで、ビミョーなレベルでうんと苦しいのだ。ここ数日風邪のはじめ??で痰が多くて多くて吐いたりした。ので、たぶん、水分不足でベンピぎみ、という流れであろう。ところで、以前からお通じの前は緊張が高まってしまう。ので、歯ぎしりも止まらない。さらに全身に緊張が広まり汗だく→ゼイゼイ→嘔吐、という悪循環がパターンである。これを手っ取り早く解消するために、座薬や浣腸をすればよいのだが、この薬の後の疲労感と脱力感がだいっ嫌いで、いつもいつも介護人とけんかする。気持が通じる前は、即浣腸でそれはそれは嫌だった。嘔吐発作が多い入院中は体力優先で座薬だった。大分元気に過ごせる今は、自力を心がけている。昨日はそれにしても苦しみが続いてまる1日歯軋りが止まらなかった。体調が今ひとつの母は半日は付き合ってくれたが、後半はだんだん怒ってきた。もう関節のあっちこっちが痛いのである。それで痛み止めとかを飲むので眠いしだるいのだ。私の意見を尊重して10時間がまんした母は、とうとうプッツンして座薬使用。問答無用であった。結果、お通じはあったが、お互いに、気まずくなった。私は、ちょっと反省した。10時間は長かったと思う。母は、お坊さんのようにできない、と怒った。冷静でいられないのはしょうがないという。臨機応変にちょうどよいところで交渉を成立させるのはすごく難しい。緊張でいっぱいの間、相手のことを考える余裕がなかった。相手は交渉をもちかけても、話し合いが平行線で強行手段に出た。なんか、どこかの国の政治みたいである。お互いに冷静でないと、交渉も難しいものだ。でも人間は、人間だから、感情的なものもたくさんもっている。持っているからいいのだと思う。うまく交渉するには、まだ修行が必要だと言われた。お互い様じゃん!さて、父はこんなとき、ただじっとお通じを待っている。父とは交渉できないから、歯軋りしようが緊張しようが、ただ、待ってくれる。父と母。どっちがいいんだか。
2007.11.14
おじいちゃんとおばあちゃんが北陸旅行から帰ってきた。金沢や富山を見てきたんだって。で、おみやげをいろいろもらった。金沢は小京都というくらい雅で上品らしい。有名な兼六園を見て来たそうだ。雅な和紙の手帳をもらった。詩や短歌をメモするにはぴったり。なにしろ雪が多いのが日本海側だ。きっと、しんとした雪の中で、昔の姫も和歌をよんだことであろう。今みたいにメールもないから、返事をずーっと待っただろう。その、待つ間は寒さも減ったことだろう。ラブレターならなおさら。さらに永平寺という有名なお寺のお線香をもらった。うんと厳しい修行の寺なんだって。お坊さんは心が平らで、めったなことではムカッと怒らないらしい。世の中には起こりたくなることが山ほどあるから、これらを乗り越える心にたどり着くには、いったいどんな修行をどれくらいするんだろう。わたしもつらいことがあると、いちいち動揺してしまう。それをみんなラクに受け入れられるならどんなにいいだろうなあ、とは思う。まあ、一瞬ですけど。何日も食べないでお経を読むとか、寝ないで考え続けるとか。修行は物理的な身体をつらい目にあわせて、そこから何かを見つけるのだろうか。同じではないけど病気も似ている。逃げたくても逃げさせてくれない困難である。修行はいやだったらやめればいいから、病気の方が大変かもしれない。でも、その先にはどんな人にも死があるのだから、日ごろ、小さなことでも苦しいことからは逃げない練習をした方がいいのだろう。一度死にそうになってみると、それ以外のことは、あんまり大したことでない。ついでに、いやなことより、いいことがわかるようになるし。わたしも、ちょっとは修行したのかもしれない。まだ、まだ、あるでしょうけど。永平寺のお線香はいいにおいだ。いいにおいの後ろには修行が隠れている。
2007.11.13
また秋になった。去年の今頃ろちょうどワンバイワン(アムウェイ)と出会った。もう1年たった。その後、進路に悩んで、卒業式をして、社会人になるという河を渡った。予想外に太い河だった。流れはゆったりだが、油断すると沈没する水の量だ。もうすぐ向こうの岸につきそうだけど、まだ気を抜いてはいけない。でも、あとちょっと、という手ごたえもあるかな。春に東京の授賞式に始めて新幹線で旅をした。東京という首都の大きさを体験してからというもの、家で聞く政治や事件のニュースも現実味を帯びた。年齢が増えてただトシをとるのと、社会人の意味を体得するのはずいぶん違う。これまた長い道のりを歩く必要があるのだ、と感じる今日このごろ。太い河の先の長い道を自分で歩かないと。授賞式で、初めてたくさんの人と会った時、ありがとうと伝えられたことは喜びだった。その後、いろんなところで、またまた出会いがあって、ありがとうのひとつひとつにキラリと光るものが生まれた。たぶんこれがいのちの輝き、という、アレ、じゃないかと思う。去年の秋より、1年分のキラリを貯金して、今年分すんごく幸せになったと思う。振り返ってワンバイワンの意味を改めて考えています。 ありがとうの行き先ありがとう一日何度もありがとうというありがとうの行き先はあなたありがとう一月に何度もありがとうというありがとうの行き先はあなたたちありがとう一年に何度もありがとうというありがとうの行き先はみなさんみなさんに会ったことがなくてもみなさんと話したことがなくてもありがとうとありがとうがつながる心の一瞬キラリありがとう 一生に何度もありがとうと言おうありがとうは旅をして必ずここにもどってくるいのちのキラリをおみやげにもってありがとうにありがとう
2007.11.12
センターにいくつもりでいたのだけれど、がさがさっとヘンな息がした。むむっ?なんか、ヤナ感じだ。いつもなら、どうしようかと悩むところだが、来週は大切な週なのだ。やっぱ、ここは、ローラ優先でしょう。即決、欠席。急ですいません、師匠。学習発表会だというので、弟は朝からでかけた。通学バスまで送った母が、すごく寒い、とかえってきた。うーむ。やっぱり、無理は禁物だな。おみやげに、いろいろ落ち葉を拾ってきてくれた。ので、折り染めのイメージつくりとして、どんな赤にしようかなと考えることにした。ローラの生地の中に、そっくりのあかるいピンクがあった。その上にいろいろ並べてみると、もうすっかり、ローラの赤になった。カメラマンのようにはいかないが、あっちこっちに並べてバランスをみて、オッケーをだした。アシスタント(母)はダメダシばっかり出されて、モンクが多い。しかし、納得いくものにするには、そう簡単にはいかないのだよ。自然の中には、ホントきれいな色がいっぱいある。それも、時間とともにあせてしまったりする。移り変わる色を残したい、という気持になる。ローラの赤を辞典でみると茜色とカーディナルという名前がついていた。権威のある人が使う色だったり草花の色だったり意味があるのもおもしろい。リサーチによると今年のローラにも赤があるらしい。それも楽しみ。
2007.11.11
窓から入る色のいろいろが秋深まりモードになってきた。どんどん色が変わる。実の赤、葉の黄色、茶色、そこに残る緑。山々の紅葉はどんなにきれいでしょう!おじいちゃんとおばあちゃんは今、金沢の旅に出ている。日本海だ。どんな景色なんだろう。どんな色なんだろう。と、気になる。今日はセンターで紅葉の折り染めを追求してきます。師匠とどんな色がうまれることか。紅が何を話しかけてくるか、作業しながらきっとわかるはず。それを見つけるのが楽しみだ。
2007.11.10
うちの地区の社会福祉協議会が取り組む災害弱者の支援が全国で表彰されたことが記事になりました。めでたい東北ただひとつというのでまためでたい自分のことのようにうれしい。って、自分のことか。近所の人が助け合う仕組みつくりのことである。障害があって家にいることが多いと、ほんと、イザっていうときに困るのだ。普段の生活もけっこうぎりぎりだから、イザにいつなるかとひやひやしながら暮らしている。もちろん、健康な人だってイザというときは焦るに違いないし、昼間、元気な人たちは仕事や学校に行っているから家にはいない。うちも、父と弟はいないわけで、そんなときに地震が来たら、マジで怖い。病院に近くに引っ越してきたし、いつでも診てもらえるように、時々顔を出して覚えてもらっておくが、そこまで行けるかがポイントだ。病院では、とにかく病院においで、といってくれるから這ってでもいくつもりだ。そうはいっても、自分では這えないから、そのときの方法を考えておくのはすごく安心できる。あちこちの地区で、この方法をモデルにしているという。社協って、なにするところ?とか、地区のお年寄りのための会かと思っていたけど、障害者にも目をむけてくれたところがうんとうれしいことだ。地区の障害者4人も登録したそうだ。もちろんそのうち1人はわたしだ。朝刊から、めでたい、めでたい。今日はなんか嬉しい一日になりそうだ
2007.11.09
自閉症の友達が床屋さんにいったところ、動いてしまったことに対して、割増料金をとられたという。なんか、へんじゃない?障害の特性で動いてしまうのだからわざとではない。多くの人はじっとして髪を切ることができるだろうけど、動いてしまうお客さんでもささっとできる、というのがプロではないの?わたしは椅子にまっすぐ座れないし、動いてしまうし、でマーガレットさんがベッド上でささっとカットしてくれます。自由に動いていいよ、と言ってくれて、おまけにボランティアでしてくれる。お小遣いで払える材料費しか払っていない。プロとボランティアの違いということもあるが、いつもハッピーになる。障害があると大変な分、割増料金なんだろうか。その大変さはどうやって量るのだろう。飛行機にストレッチャーで乗ったときは、ストレッチャー代が一人ぶんよりは多くかかった。でも座席をたくさんつぶしたから、その値段でも安いくらいなのだろう。料金のちょうどよさ、というのは決める人の感情がすごく含まれている。もうけようと思うと、ズルをしても高く売ろうとするし。お客さんを思って、大変でも安く商売する人もいる。ボランティアもお金を受け取れない、という人から、有料ならやりますと言う人もいるし、料金に関係なくても仕事に対する責任度はかなり個人差がある。障害者がきらいな人は障害者割り増し料金をとって、嫌いなのにやってあげている、という気持に折り合いをつけるのだろうか。サービスを売っているのではないのかね?高いお金を払って、嫌な気分になって、だったらもうその店には絶対行かないね。友達はカットしてすっきりいい気持も買うはずだったのに、台無しだったことだろう。マーガレットさんみたいな人にどんどん仕事をしてほしいとまた思った。なにしろ、安いのに人を幸せにするからだ。
2007.11.07
社会人になって半年。後半の目標を考えながらこれからの自分をどう計画する話し合いをすることになって、改めて自分がやりたいことは何?と整理してみた。卒業から環境が変わって、生活も変わった。その変化に大分なじんだところで、はた、と自分のこれからについて考えなおすと、理想と現実の隔たりや、そのなかでもできそうな具体的な方法が少しずつわかってきた。環境がかわることで物理的に医療の問題が第1になってきた。まずはそこにいけなければ、何をするかも始まらない。でも、私が進路を決めるときに、どこに行くかということより、「そこでなにをするか」が最優先だった。それはもちろん、今でもかわらない。仕事なのか趣味なのか、仲間と会うのか、家から出るのか、介護者が休息を取るためなのか。進路を選ぶ最優先は人によって違うことでしょう。社会参加や自立を考えるときに、進路先に所属することで何を得て何を生かすのか。そして、誰の意見が最優先なのか。いろんな考えが飛び交うけど、私が何を一番大切にしたいかに戻ってみると、道のりは長くても案外ひとつずつできそう、と思えてくる。1週間の時間を振り返ると、障害が重いということはケアも多いということで、生活することでいっぱいの感じがある。生きていくこと、清潔にすること、食べていくこと、そのことは最低限大切だが、それに多くの時間をとられてそれだけで疲れてしまうのも現実だ。お世話の人もたくさん必要だし、制度もめいっぱい使う。それでも足りない。しかし。余裕がある人だけが生きがいとか、やりがいなんて言えるのだろうか。エネルギーの分配しだいではないだろうか。行くところがとりあえずあっても、ただいるのではつまらないだろう。やっぱり、人とかかわって充実感や満足感を味わうことが生きている喜びなのではないかと思うよ。というわけで、わたしの願いがわかった。たくさん人と会って仲良くなりたい!ってこと。だからみんなと話したい。書も詩もパソコンも、どの表現手段もそのためにあるのだった。なんか、すんごく、スッキリした
2007.11.06
センターにてクッキング。なんとすんごく気持のいい秋晴れの日。やっぱり他の利用者さんは、みーんな散歩にでてしまった。そりゃそうだよ。私だって行きたい。そこはぐぐっとがまんして。だったら師匠と二人でセンター貸しきりってことで、静かに美しくお菓子つくりにいそしむことにした。フルーツたっぷりのかんてんだ。桃とパイナップルを刻んで寒天に流すとなかなか美しい。ちょうど外の日差しのきらきらと合ってる。うーん、なので、今日の命名はひざしのカケラである。寒天のうす透明の中に、輝く黄色が散らばる。紅葉の秋も葉っぱが散る一瞬を閉じ込めてみました。味はうす甘で、フルーツの風味を感じてほしい。いつもは形作って、もりつけはお任せしていましたが、今回は切り分けるところまでホストの私が参加して、お散歩帰りの利用者さまをおもてなしいたしました。やっぱり、おいしそうに食べてもらえるとうれしい。いつもよりみんなの食べ方に注目してしまったよ。私も桃を味見していい感じであった。見てるだけより参加感がアップするね。実は医療行為のためにわたしは単独で散歩ができない。でも、あんまりいい天気だから、寒天が冷える間、センター周辺をぐるっと歩いてもらった。あたりはすっかり秋の色でした。
2007.11.05
11月になったとたんに、今年はあと少し、と感じる。空気がきりっとしてきて、透明に光がよく通るようになる。空がものすごくきれいで、青が一層深くなります。秋の空を毎年見ているけれど、今年の空ほどゆったり見たことがない。病室から見る切り取られた青は、手の届かない遠くにあったし、退院直後のドライブで見た蔵王の秋も、冬を越えられるか不安を抱えながら急いで見た。紅葉や落ち葉は確かに美しい自然の姿だが、どうも、いのちの終わりを連想させられてちょっと暗くなった。葉っぱのフレディの読みすぎか?何にもない青の日があった。空の隅から隅までなんにもない。青があるだけ。どんな痛みも終わりが来ると思って我慢した。どんな嵐も過ぎ去ると信じていた。同じ晴れた秋の青空も心が晴れ晴れと見る日がくるとは。今の今までなかなか長い道のりであった。社会人1年生の秋晴れはなんにもない。なんにもない自分がいる。ってことは、これからである。何をどのように自分の行き方を作るかみんなこれからだけど、確かに動きだしている。この気持の青を忘れないようにしたいと思う。ゼロの青。
2007.11.04
入院して延期になったセンターの所外活動がもうすぐだ。ローラアシュレイ行きですよ。ふっふっふっ。17日に行くのだ。そしたら、付き添いは父と師匠ということになった。ローラにおじさん二人とボディーガードっぽくて、ビップである。おぐりんさんにはひざかけチェックもしてもらっているし、ショップのyokoさんには今年の流行色も聞いてあるから、実に期待しているのだ。高校生から、クリスマスプレゼントは両親からもらえることになっている我が家である。今年も迷わずローラにする予定なので、その下見も重要な仕事なんだよね。パジャマかベッドカバーか・・。うひー、楽しみ
2007.11.02
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