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世の中でノロウイルスやフードテロなど見えない恐怖にかかわる出来事が続いています。季節的なインフルエンザや予想できる危険はある程度予防できるものと、対策に限界があるものの間でできることから行動する、というのがある意味現実の限界ともいえる。私のようにインフルエンザはもちろん、普通の風邪ひとつでイチコロ、の恐怖を日々抱えていると、世の中はあまりにも危険に満ちていて、手も足も出ない恐ろしいところになってしまう。それでも、できる予防策ともしかかってもどんな風に対応してもらるかを知り、信頼できる人がいるとわかることが大きな信頼になっている。先週、我が家で父が急性胃腸炎になって家の中で厳戒態勢になった。(もう治ったのでご安心ください)父は隔離。弟も病室に出入り禁止になり、食事やトイレもバリバリ消毒になった。接触しないようにする意味から弟にわかるように教える必要があるし、一人で三人を世話する母は救急病棟の鬼看護師長だった。マジで即刻信頼のおける看護師さん(こっちはホンモノ)に方法を聴いていたし、経験のあるヘルパーさんから情報を集めたりして、あっというまに救急バージョンになった。というものの、私も入院中に手洗いや感染予防のマニュアルを見ていたけれど、家でやるのではまったく違う。日常生活をしながら他の家族も生活しているのでなかなか難しいし大変だ。幸い週末寝込んで仕事を休まないでよかった、と喜ぶ父。週末だとヘルパーさんも休みでケアの分担ができなくてひどいのに、とぼやく母。いろんな注意を守りながら私のケアを助けて実力を発揮してほめられた弟。なにより感染しなくてほっとした私。であった。何かのときにすぐ連携して協力できるようにするために、普段から関係を作り、信頼を育てておくことがものすごく大きな力になる。それは、ウイルスのように目に見えない脅威に対する目に見えないバリアのようなものだ。いつも全てを想定して全てを準備しておけはもちろんいいのだろうけれど、それらをいくら用意したところで、運用して力を発揮させるのは人なのだ。人と人の信頼と連携があれば、多少モノが足りなくたって知恵を出し合って乗り越えることができるだろう。家族の中は小さな社会のようであり、小さいからたやすいようでもあるけれど、あまりにも日常すぎるときに気がつかないこともある。改めて私という存在が地域の家の中で普通に暮らし、その健康を守られていることの意味を考えさせられた出来事でした。あたりまえが、あたりまえになってはいけない。ありがとう、の一言で報われる母であった。はい。それでも、もちろん後日談があります。疲れ果てた母の反乱節分の前にだいぶ早くきた鬼のかく乱。豆、豆が必要である。お世話になったみんなでやさしくする番です。
2014.01.26

ベトナムのシルクスカーフ ホンモノがにあうようになりたいな今日は誕生日。25歳になりました。外は雪がちらつく寒い日です。けれど、室内は明るいところは暖かいです。先週、注射後の集中リハビリを頑張っていました。一日何度も動かしてもらって、自分の身体のありかを確かめていました。ちょっと回復したと思ったら、また少し気管が鳴りだして、痰も多め。とほほな誕生日に。めずらしく父が体調を崩して週末寝込んだ。一度に2人をケアした母はそれでも、弟といっしょに誕生会をやってくれました。弟はいい助手だった。25回目の誕生日を、自宅で迎えられてうれしい。私が生まれた日も今日みたいに寒かった、ようだ。今年もまた、これまでの1年を元気に過ごせて感謝しました。何度迎えても誕生日はめでたく、うれしい。20代の前半はとても充実していました。後半の5年を着実に過ごしたいと思う。
2014.01.19
4カ月に一度の筋肉注射ボトックス。指折り数えて、やっと治療してきた。脳性まひの筋肉の緊張を和らげる治療。最近ではだいぶ人気も出て、病院でも予約がいっぱいです。私はほぼ2カ月しか効果がないので後半を過ごすのがとても大変だ。側わん一度にもどると自分の中に隠れていたもう一人の何ものかに肉体をもっていかれるような感じになる。もう一人のわたし、と思っていたけど、近頃ではわたしと折り合いをつけるという考えを捨てている。この苦しみをもたらすのも自分だと思うこと自体がストレスになってきているのかもしれない。病気の症状を外側の自分が客観視するのは、なかなか難しいことだけれど、試してみるようにしている。とはいえ全身が勝手に動くのだから頭で命令不能な24時間を落ち着いて過ごすのは修行のようなものだ。滝に打たれながら、座禅をくみながら、いつしか静寂の中に集中していくように、緊張の中で自分の精神と向き合うことを目指している。考えてはいけない。ただ、集中する。集中という言葉も超えるのかも。ただ気持ちを無にする感じだ。まだうまくできないけれど、2か月ごと山にこもって修行するつもりになって自分のからだと向き合ってみたいと思う。何はともあれ、これから2か月はパラダイス!思いっきり楽しいことをしたいです。山を下りて俗世間を眺めていると誘惑いっぱいだのお
2014.01.11
さあさあ。いよいよ寒くなってきました。寒波です。緊張の強い私のために室内の設定温度は16度ですが、換気で窓を開けた時のヒヤリ感がピリリ感になってきました。弟も寒さの鼻水で帰ってくるようになりました。ガンバレ!さてさて、ゆず風呂です。一番目が私。二番目が弟。その後に母。母がひゃ~と言いながら出てきた。(ナニナニ?)たくさんあったはずのゆずがたった一つになってる!(なんで?)弟がミカンのように皮を全部むいてくれていたおかげで、湯の中はタネだらけ。ゆずの身はお浸し状態。酸味で目が染みる~~~\(◎o◎)/!というわけだった。ひとつだけ残してある意味。について考察した。。。。近頃では弟の行動の意味をみんなであれこれ推測したり推理したりするのが日課です。思わぬところに深い意味が隠されていることも多くて、人間理解の深さを感じる。言葉や表現の少ない弟にとっては「言葉以外」のものが心をあらわす大切な表現手段なのである。わかりにくい世間の見えない意味と、伝えにくい伝わりにくい心の意味をつなげる方法があればあるほど安心している。コミュニケーション支援は生きることの支援だ。何も伝わらすただ吐くしか表現方法がなかった私でも、伝わろう、理解しようとするたくさんの人との試みの積み重ねが今の安心を作っている。辛いことがあっても受け入れられている深い信頼感が強い安心の核になっている。どんなときも絶望することはもうないと確信する。弟にもそんな安心を持ってほしいとたくさんの人が努力している。それでも、心の支援だけは一方通行では意味がないし、お互いのチャンネルがあわなければいつまでも交信できないだろう。微弱な電波だとしても、発信していないのと発信しているのでは全く違う。外国語がまったく通じなくても通訳がいれば意味が伝わる。すごく仲良くなれば言葉なんかいらなくなるのだ。ただそばにいるだけでいいのだから。周りにとって困った行動も本人にとっては大まじめに理由があることも多い。いや、ほとんと大真面目が意味があるのだ。それを理解できるかどうかは周りの問題ともいえる。弟が頑張っているのに困っていることを、全て理解できなくても、理解しようとしている人がそばにいることはきっと言葉を通り越してそこに存在していい、という許しになるのだ。許しという言葉一つも、向かい合って上から目線で許可される許しはいらない。お互いを理解しようという共感の気持ちひとつあれば、なんのことはない。すぐ仲良くなれるのだ。というわけで、ゆず風呂掃除の大変さをわざわざすくった種を枕元まで見せに来た母のボヤキを聴きながら、人間の生きる意味について考察を深めた寒い朝でした(*^。^*)こんどはゆずの皮むかないでね。弟の答え。最後にやばいと気がついた。そうです。
2014.01.10
今週からケアも開始。楽しみな入浴デイだ。今年一番はゆず風呂それはそれはいい香り、ぷかぷかとゆずの黄色が浮いたり沈んだり。何をおいても入浴が一番大好きな時間だ。緊張が強くても入浴タイムを考えただけでうれしくてまた緊張してしまうくらい。週に2回の入浴ケアを今年も大事にしたい。ヘルパーさん二人とのお風呂はいつも楽しいショータイム。みんなが過ごしたお正月の様子を聴きながらすごくリラックスした。クリスマスプレゼントのいい香りのシャンプーとソープで完璧。だんだん湯船に沈むのが難しくなってきている。ケアの人にも苦労をかけています。でも、一番続けていきたい大切なケアの時間です。金曜にやっと注射の治療に出かける。長いながい2か月だった。当の本人の私はもちろん、緊張のケアをしてくれた施設のみなさんや家族たちにも長い2か月だったと思う。お疲れ様&ありがとう。ゆず風呂。是非みなさんも。いい香りに包まれるとなぜかみんなやさしくなる。
2014.01.07
新しいカレンダー 新しいカレンダーを初めにめくる瞬間見えない風がさっと動いた 未来の私がもうそこにいるように まだ色にならない時のきらめきをあなたと一緒にみつけよう
2014.01.04

新しい年です。仙台は雪もなく、穏やかなお正月です。家族もみんな元気でそろって新年を迎えることができました。今年はみんな健康で楽しい一年にしたいです。私は体調を整えて元気な一年にしたいです。みなさんにとっても、笑顔が多い365日になりますように。今年もよろしくお願いします。
2014.01.01
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