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モールバザーが売れ行き順調と聞いてなかなかうれしい。お客さんもたくさん来てくれているそうだ。ますますうれしい。お世話になっているヘルパーさんも事務所もすぐ近くで、みんなで買いにきてくれたそうだ。とってもうれしい。陶芸のおひなさまが限定販売されている。人気があるからなかなか買えない。そんな商品が買えた時は超うれしいよね。小学校の同級生綾麻ちゃんが買いに来てくれた!ひゃー、久しぶり!お互いに高校3年祭だから6年ぶりだ。って、直接会ってないけど、先生が写真とメッセージを届けてくれた。受験の最中だというのに、またまた感激だー。ありがとう!!!合格祈願の平蔵くん買ったかな。今年のバザーは力作ぞろいです。いいものは売れるのである。私もはやく販売に行きたいよ。来週火曜の天気を早速チェック。暖かい日になるようだ。しめしめ。ちなみに私のポストカードは1枚30円です。よろしくね。(さりげなく宣伝)
2007.01.31
今だって筆談のなみはつきない。それはガイドにチャレンジしてみよう、という人が少ないことなんだ。もうすぐ卒業して、先生と別れる。3年の間、先生のガイドはものすんごく進化した。週に3回、1時間半の授業でうんとできるようになったわけ。これからは、またゼロから始める。はあー、けっこう大きくため息。リハビリのとき、身体を触って、ちょっと力が入ると、筋肉が固くなってヘンな方向に動いてしまう。それをPTの先生はなんとか筋、とわかって触っているから、「力を抜いて、こっちに動かして」といいながら、うまくいくと「そうそう」とかほめてくれる。はたから見ると、筋肉にじっと手を乗せる様子に何の変化がなくても、手のセンサーが微細な動きをキャッチしている。ガイドと似ている。ただし、リハビリは先生の誘導の動きがあるから、そこは違う。何パーセントの誘導率で本人の動きが何パーセント、と数字であらわれる筋肉の力を測る機械でもあればいいのになあ!ちなみに、父に何でわかんないの?と聞いてみた。緊張と書いている動きの区別がつかないのと、根気がない、のが理由だそうだ。緊張○パーセント、随意運動○パーセントとデータで出ればいいのだ。そしたら、今のは緊張、とわかるのだ。そして、1.2回ためしてうまくいかないと、大抵の人は私には難しいとあきらめてしまう。すごく相手次第のところがあって、私から強く言えない。だから、本当に私ともっと話したいな、と思う人が現れるのを待つことになる。それでも私も進化した。少し大きい字で、初めての人にもよく通じるようになった。でも、筆談だけではなくて、顔とかパソコンとか、別のコミュニケーション方法も進化させたい。舌をだすとか、耳を動かすとか、オナラをするとか!身体全部で話していることにまず気がついてもらわないと。だから、どれくらいわかっているか?と疑っているより、何かを伝えようとしている、と信じようとする人が観察すれば一ミリの動きも読み取れるのではないかとニランデいるんだ。
2007.01.30
脳性まひの障害が重いけれど、わかっていることがたくさんあって、それをなんとか伝えようとしている中学生がやってきた。少しずつ字を書くことにチャレンジしているという2年生の女の子だ。私も中学1年のときに気管切開をして声のかわりに字を書く練習をした。それまではホントに手段がなくて、笑っても動いてもかろうじて「イエス」しかなかった。それが文字となって、なんでも自由になったのだ。この喜びは今でも思い出してもとり肌モノだ。ただし、話せるようになれることがわかってから、なれるまでの道のりが苦しくて長かった。麻痺の身体は本当に手ごわい。うまくコントロールできないのが脳性まひなんだから。自分の障害そのものに立ち向かうことそのものの深みにはまって、練習すればするほどできなくて超くるしい。おまけに中学2年生というと思春期の入り口で、なにもかもむかついた。とくに母親はいつもべったり近くにいるから、女どうしだし、ホントに苦しかった。まあ、私の話はいいんだけど、だから彼女も練習あるのみ。だけど、これから苦しいかもしれない。だけどすごくいいことは、すでに、もっと話したいと信じてくれる人が近くにいることだ。親以外にそういう人がいることはものすごく力になると思う。私は始めは親だけだったからなかなか客観性がなかった。100枚カードがあっても101枚目のことを言いたいかもしれないと母が話していた。そう。ほとんどが101枚目なんだよ。だんだんそのことに慣れて、あきらめていく。あー、吐きたくなってきた。このトラウマは消えないのではないかと思うよ。がんばって字を書いてほしい。がんばっているのに悪いけど、これだけは、がんばった方がいい。自分が自分になれるかどうかの瀬戸際だよ。
2007.01.29
お待たせしました。いよいよ今年度最後の高等部モールバザーが始まります。来週月曜日から太白区長町モール三階、紀伊国屋書店前にて、高等部の生徒たちが学習で作成した数々の力作を販売します。ちなみに私は例の書とイラストのポストカードを出店します。学校のバザーでは完売してお買い求めになれなかったお客様、是非今回はご来店いただけますように、ご準備いたしました。さらに!幸せを呼ぶ「平蔵くん」は内容も充実してたくさんご用意しております。平蔵の営業部長の私としては、今回はかなり力を入れておすすめします。営業部長の仕事もこれが最後だ。ちょっと名残惜しい。とにかく、かわいいから一度見てください。日時は1月29日から2月6日の10:10~14:50です。(土日のぞく)私は最終日の午前中に売り場にいく予定です。高等部の力作をみなさんどうぞよろしくお願いします!
2007.01.27
ベストアルバム「さんきゅっ」をお世話になった人にプレゼントした。クリスマスから少したって、感想をもらっている。よかった~とか癒される~とか、ほめてもらうとうれしい。子どもも大人もいろんな年の人がいいねえ、と言ってくれる。おじさんに言われるとなんかさらにうれしい。女で子どもという私とは正反対の、男で大人という人の心に通じたのがうれしいのだ。自分ではベスト中のベストはコレ、と気に入ったのがあるんだけど、人によって色々ちがう。当たり前なんだよねえ。それを聞くのがまたおもしろい。同じ曲の中でも、ここがいいねえ、という場所が微妙にみんな違う。具体的に感想を聞くとすごくまたうれしいものだ。私も聞きたい、と知らない人から「売ってないの?」と聞かれる。今のところは手作業でジミに親が作ってくれているわけなんだけど、売るとしたらいったいどうやって値段をきめるんだろう?それに曲は半分詩で、半分作曲だ。詩は全部私が作ったが、曲はたくさんの人が作ってくれた。著作権というのもよくわからないんだけど、そういうのに詳しい人は是非教えてほしい。1枚2000円くらいで、といわれた。ひえええっ。5枚で1万円。10枚で2万円だよ。作ってくれた人とお金を分けるとしても、どれくらいの割合で分けるとか、売れた分の何パーセントを貯金するとか、次の作成のお金にする計算とか。会社はそれをみんなでやっているのだから商売は大変だ。ちょっと、かなり、うんと興味がある。そしたら女社長か。話が大きくなってきた。まだ、とらぬたぬきの皮算用である。
2007.01.26
高等部の訪問学級生は4人いる。そのみんなが勢ぞろいして登校した。国際交流のイベントである。学校の隣の公民館に大集合した。初勢ぞろいだ。みんなの体調がそろうなんてことはなかなかない。それだけでもかなりうれしい。国際交流イベントは3年の私が企画した。パソコンKさまの奥さんがタイから日本にやってきたのだ。外国のことはたくさん知りたい。そこで、お互いの文化を紹介して仲良くなるにはどうしたらよいか先生と考えた。タイのあいさつのことば。いただきますを聞こうとしたら、そういうこうことは言わないらしい。男と女で挨拶の言葉がちょっと違う。ありがとうのときには手を合わせてちょっとひざを折る。おもしろーい。季節はみっつだ。暑い・めちゃめちゃ暑い・死ぬほど暑い。けっきょく暑いのだ。ひえー。日本からのお返しに、四季の特徴と行事、着物、お茶と和菓子と紹介した。日本茶は苦くて飲めなかった。お茶を飲むという習慣があんまりないそうだ。着物は私のお気に入りを着せてあげた。水色でチョウのもようだ。超にあった!本当はタイ式マッサージのプロ資格をもつ奥さんに、身体をメンテナンスしてもらいたかったのだ。首と腰の痛みがとれるかもしれない、と期待しているんだ。学習中なのにおもしろくてコーフンして→緊張してしまった。→どんどん動いてしまう。最上級生なのに一番行儀が悪かった。奥さんのサロンにお客さんになって行くにはまだ修行が必要だ。このままではベッドから落っこちる!タイの写真をたくさん見せてもらった。色が濃くて模様がはっきり、という印象だ。暑い国だからかな。料理は辛いそうだ。こっちも暑いからかな。暑いのに辛いの食べてもっと暑くなるんじゃないのかな。などなど、?がつきない。
2007.01.25
両親から誕生日の贈り物をもらった。年末から誕生石のなにか、とリクエストしていたんだ。1月はガーネット。真実・友愛・忠実の石である。すっちーちゃんにパワーストーンを贈ったからではないけれど、石というのは自然にできたもので、長い時間をかけて結晶になったみえない力が本当にあるような気がしている。石からパワーをうけると「考えること」自体が自分の精神的な意欲を育てるような気がする。ガーネットは赤い色だ。光にすかすと細かい模様が少し見える。それがすぐには見えない真実のようでもある。本当に心がかよう友と忠実に向き合うと真実がみつかる。そのように意志を持って石をもてばいいよね。涙のしずくみたいな形の石が並んだブレスレットは、腕につるんとくっついて、だんだん暖かくなる。血の色に似ている分パワーにも血が通う感じだ。スイカの種がくっつたみたい、という母。センスまるでなし。真実をどのようにみるかは見る人の内面しだい。今年の誕生日はたくさんの人から贈り物をもらって、それがどれも気持にピッタリするうれしいものばっかりだった。特におしゃれ関係が多かったのは、みんな私をよく知ってくれているってこと。超うれしい。おまけ・・・・ちなみに弟は3月生まれで、石はアクアマリンだ。沈着・勇敢・聡明だ。う~ん、どれもまだ修行が必要だ。いつかその力が出るようにプレゼントしてあげよう。みんなも、自分の誕生石を知ってそれに守られるっていうのもいいんじゃない?
2007.01.24
書家の紫雲先生が流れ星の詩を書いてくれました。本物の芸術はオーラが違う。うれしくて、びっくりして、手が冷たくなった。
2007.01.23
置き引きという言葉を始めて知った。というのは、置き引きにあったからである。弟と母がスーパーに買い物に行った。レジを通って荷物を詰めて、一度店の外に出た。弟がイカのお刺身を忘れたことに気がついて戻る。もうない。ほんの1分の出来事だ。問い合わせてもお店には届いていなかった。荷物からはなれた方も悪い。でも持っていった誰かはもっと悪い。ここからが本番。弟にこのことの意味を教えなければならない。あっという間になくなった。そのことの意味だ。自分の財産を守るということの意味だ。うっかりしていると大切な財産を失うかもしれないのだ。知的障害がある人が、そうとわかったとたんに狙われることもある。世の中いい人ばかりではないのだ。なんていうか、人を信じて生きている弟みたいな人に、わざわざ、そんなことを教えなければならないというのが、はあ・・・・、悲しい感じだ。犯罪から身を守るのも個人の責任か。そうしたら、十分できない知的障害がある人たちのことは周りが守ってあげなければならないんだなあ。私だって自分のお年玉を貯金するのは人に頼まないとできない。よほど信用できる人しか頼めない。弟のできる範囲で自分を守ることは必要だ。今回は大切な勉強だったねえ、と言って話しているのが聞こえた。最後まで確認しなかった自分もドジだった、と母はあやまった。もうドジはしないといいね。イカのお刺身400円。「イカで勉強してイカったね~」。イカの大切な教えであった。
2007.01.21
続々と誕生日を祝っていただいている!いちいちじ~んとしている。全部うれしい。いつも誕生日は、よく一年生きのびたなあ、と思う日だったんだ。生まれたときも生きのびた。小さいときはどの一年も歯をくいしばって生きのびた(脳性まひの過敏による緊張。そのまんま!)。最近は嘔吐の気持悪さでやっとやっと一年ずつ生きのびた。去年の誕生日も入院していた。なかなか余裕の時間を過ごせないと誕生日は、祝うというより、一息ついて次の苦労に立ち向かうためにお腹に力を入れる日だったよ。18歳は福祉の法律も大人になっていろいろなことがかわる節目だ。直接生活の中で「大人」を意識するから、もしかすると普通のみんなより自覚させられる。そんな今年の誕生日に、生まれて初めてジャズのCDをもらった。ビル・エヴァンスの「ワルツ・フォー・デヴィ」だ。エヴァンスさんが姪のデヴィちゃんに贈った曲だ。贈り主は大人の女性である。ジャズは大人っていう感じだ。詩的なピアノを弾く人だと選んでくれた。音楽の詩だ。18歳にジャズを選んでもらったというだけで、なんか音楽がちゃんと身体に入ってくる感じがする。大人扱いしてもらったということがうれしいのだ。音楽ひとつの世界でもいろんな分野があって、知らないことばっかりだ。大人になることはいろいろなことを許可される。大人の落ち着きとか、深さとか、信頼とか、自信とか、そんなものがじんわり表わせる大人になりたい。 ジャズのピアノ。なかなかよい。なんか、首の力が抜けていく。温泉効果。
2007.01.20
18歳になった。もう児童ではなくなった。子どもと大人の違いとは?について考えている。大人に求められるのは責任。それについても考え中だ。大人の障害者として自覚をもって生活してください。と母に言われた。大人の自覚に、障害者の自覚がくっつくとけっこう複雑だ。支援をうけて生きていくのも、自分で考えるということだ。自分がやりたいことと、必要な支援を決めなくてはならない。というか、決めていいのだ。大変だけどおもしろくなってきた。ずーっと、大人になりたかった。だからめちゃめちゃうれしい!ちなみに姉さんは、今日が命日だ。命日件誕生日のイベントも計画中。もちろん私が代表あいさつだ。がんばる。
2007.01.19
障害児は歯がいのち、ってことで、私には虫歯がない。17年歯みがきをしてもらったおかげである。ものを食べないので噛まない私はあごが細い。ので、元気な歯を2本も抜いた。ま、おかげで女優の笑顔もできるわけだ。前歯は肝心だ。ところが、長年の悩みというと、それは歯垢である。虫歯はないけど、歯垢はたくさんついてしまう。小さいときは歯科に行ってとってもらった。超大変だった!何しろ口を静かにあけているということが、麻痺の過敏でできないの!口の中は過敏なの!中くらいにあけるなんて、無理無理。そんなわけで、体調もあるし、車椅子も大きくなったし、で歯科に通いにくくなった。ということは、親に歯垢とりもしてもらう。当然、流血バトルだ。虫歯がなくても、ばい菌の歯垢や、歯ぐきが痛むというこを聞いた。とくに緊張で歯ぎしりしてしまう私だ。若くても歯がとれたらどうしよう!入れ歯なんて危なくてできない。ノドにゲロッと落ちたら・・・考えるだけでこわい。究極は入院して麻酔して歯垢とりか。うーん。そこまでやるか。うーん。悩む。入れ歯はやだけど、歯がないのはもっとやだよー!
2007.01.18
弟の首におでき?ができた。もう2ヶ月になるんだけど、なんだかだんだん大きくなってきている。はじめはムシ刺され?とみんなが思っていたから、気にしてしょっちゅう触るせいで、化膿したり痛くなったりするのだとしつこく言われていた。普段でもかさぶたとかが気になる弟は、ますます気にして、年中おこられていた。ばんそうこうをはったり、薬ぬったり・・・・それでもなんだか固くて大きくなってきたわけ。とうとう受診することになって、ストレス最高潮。心配だったんだね。ヘルペスが唇にできちゃって、こっちも痛いし、本人は歯が痛いと学校で大泣きした。お正月に虫歯ゼロと言われたばっかりじゃん。心配すぎると全然違うところが痛くなるんだな。小児外科に行った弟は、エコーをやってきた。それでなおったと思ったらしくて、喜んでいる。でも、実はムシさされではなくて、大きくなっていくおできらしい。小学生の時にも手術でとったことがあるんだ。たぶん、また大きくなったら手術だ。触るから大きくなるというのは濡れ衣だったわけだ。親、謝罪。弟は今なおったと喜んでる。そっちはまた新たな問題でしょう。手術はいやなのに、なんかうれしそうだ。看病してもらえるからかもね。入院というのもちょっと旅に出るみたいで、特別扱いされるのを期待しているようだ。そんなの、たまにだから思うのだ。フン!繊細にストレスを感じやすい弟は、生活のストレスを身体で表現している。学校ですごくがんばると身長も伸びない。気持が安心するとぐんぐん伸びる。痛い、といったのは今回初めてだ。ものすごく心配だったんだな。だんだん理解するようになって、不安の内容も詳しくなってきた。だったら詳しく教えればいいんだけど、難しいところもあって、なお不安になっている。私は10回以上も手術をしたから元気になったんだよ、とヘンな説得をする母である。回数じゃないと思うんですけど。弟にわかりやすいんなら、まっ、いいか。
2007.01.17
書初めの授業だ。みみをすますを大切に書いた。書初めの紙は大きめで、落ち着いて書くのがちょっと大変だったけど、がんばった。「みみをすます」は谷川俊太郎さんの詩だ。冬休みのあいだ、弟がずっと読んでくれた。じっと耳をすますと色んな音が聞こえてくる作品だ。時間や空間を越えて、その情景が浮かぶのだ。私がすきなのは、赤ちゃんがうまれるシーンで、産声とか、水音とか、おとうさんの心臓の音とかが出てくるばしょだ。生まれてすぐに親に抱っこされなかった私でも、心音は覚えているような気がする。今そこになくても記憶が聞こえるのだ。みみをすますのには集中が必要だ。それと、新しいものをみつけようとする気持もいる。新年の書初めには、今いる自分の場所と時間から先を想像してみみをすます気持を忘れないようにしようと思って書いた。大切なものは目に見えなくて、耳にも聞こえないかもしれない。注意していないと気がつかないだろうから。ちなみに、夜になって小さい字も書きたくなった。うんと小さな音を聞く感じだ。何枚も書いてみると、紙の奥にもうひとつ世界があるような気持がしてきた。ますます深いね。おまけ・・・・弟も中学部で書初めをした。わすれっぽい弟はいっつも注意されている「わすれない」を書いた。これは一年中大切に使えそうだな。
2007.01.16
私は長いこと何も言えなくて通じない人だった分、表現できるようになったことでものすごんごく気持が自由になった。何をいっても、はじめのうちはみんな大喜びしてくれて、その日の予定が自分の気持ちで決まっただけで、超うきうきしたもんだ。少ない言葉しかいえない分、詩というやり方に結びついていったことも幸せだ。詩の方法を借りると、けっこう照れることとか、ムカつくこともすんなりいえるような気がする。作品として自分自身から離れて独立していくからかもしれない。世の中には数えられないくらい詩があって、それを気に入る人も気に入らない人も数え切れないほどいる。星みたいなもんだ。だったら、私の感じ方をいいんじゃない、と言ってくれる人に通じるとそれだけでいい感じになる。たった一人でもいい。そりゃあ、たくさんの人にうまく通じればいいのかもしれないけど、数でもないと思っている。気に入られるために表現するのでもないし、自分がしたいからしているだけというか、自分が自分を確認するためにしているようなものなんだ。だからだれでも自分を表現していいと思うし、その考えに会わない人がいるのはむしろ当然って感じがする。それは否定されたことではない。その人と違っていただけだ。でも、私もそうだったけど、人と違っていても自分は自分でいっか、と思うまでには悩みがあるね。今だって悩んでる。どんな人もいるだけで、すでに立派な表現者だと思う。別にしゃべらなくたって表現している。彫刻なんてずっと表現している。人も物も自然もみんな意味のある表現をしていると思う今日このごろでした。深いね。
2007.01.15
親子は何かとよく似ている部分がある。顔とか体格とかは納得するんだけど、性格となるとどうなんだろう?予想としては、親から受け継いだものに経験したことが影響して性格が決まると思うんだけど、親からなにを受け継いでいるか?というとあやしいと思う。母はいいところは自分で悪いところは父、と都合のいいことを言っている。私は性格に関しては環境の影響の方が多いのではないかと思っている。小さいときの育てられ方なんかはやっぱり大きそうだ。とういうことは親の性格の影響をモロに受けるわけだ。子どもにしてみたら、あっちの親のほうがいいなあ、と思うこともある。選べないから。でも、しかしだ。やだなあ、と思う親だったら、自分が大人になったときそうしないようにすることもできる。悪い例として参考にできる。母の細かいところはマネしたくない。めんどくさい。兄弟が何人いるとか、何番目かとか、男か女かとかこれも影響している。社会が男と女に与える価値もあるし、期待も違う。時代も変われば中身も変わる。そういうのって面白いと思う。障害がある人に期待される社会的な環境もある。守られて、大切にされる社会もあれば、お荷物でやっかいものの場合もある。同じ人間だとモノを言うことも、そもそも同じ人間だと認められないと言えない。がんばってモノを言ってきた障害のある人たちはある意味「生意気」だったから言えたのかもしれない。それも、ものすごく生意気になれるエネルギーのある人たちだったのだ。本当は生意気でなくても必要なことを普通に言えるようになりたい。そのようになるには、障害があってもまあ、そんなもの、と思える性格とか、強さとかがいるのか?障害という環境が強くさせる部分はかなり大きい。だけど、もともと楽天的な性格の親の元で、楽天的に育てられれば、楽天的な障害児が生まれるだろう。そうするとやっぱり、性格の大元は遺伝かなあ?こんがらかってきた。
2007.01.14
新年初授業。卒業式までの予定を立てた。本当にあとちょっとになってしまった。まとめ、と思うが、今までのとおり坦々と行事に参加したいと思う。今年のいいところは高等部のどの年より元気に過ごしているということだ。冬の行事なんてとんでもない!という今までが信じられないくらい別の自分だ。参加できる行事の中でも、自分のやりたいところを選んで参加できる。そうさせてくれる学校もうれしいし、そう伝えられる自分もうれしいのだ。さっそく第一弾は書初めである。今年は「みみをすます」と書くつもり。余裕があったら「まっすぐ」もいいかな。どっちも今のわたしにぴったりだ。
2007.01.13
お正月からかわいそうな事件が続いている。わたしとそんなに歳が違わない人が事件の当事者になっている。すごく別の世界の出来事のようでいて、よく考えるとそうでもないようなきもする。家族のけんかや友達とうまくいかないとか、自分の進路に悩むとか、だれでも経験しそうなことだ。自分というものがいて、思い通りにいかないとき、さて、どうするか、ということだ。そもそも、自分というものがいない場合がある。周りにずっと合わせているだけならそんなに大変でもないだろう。でも、ほとんどの場合は自分がいる。本当の自分が周りとは違っていると悩むねえ。困難にぶつかったとき、困難は嫌なものだから、まずは逃げたい。やめたい。原因があるなら原因をなくしたい。どうしようもないときに事件は起こるのだろうとは思う。でも、別の考えかたとか、別の方法があったとも思う。困難から逃げるのもひとつの方法だ。逃げるのも勇気がいるけど。困ったときは助けてくれる人が絶対どこかにいると思う。親や家族がだめなら別のところにいるかもしれない。子どもは親も家族も選べない。親や家族は大切だが、それ以外を選ぶ場合もあるだろう。あってもいいと思うよ。自分の生き方を自由に選ぶのは大変だ。
2007.01.12
身体のメンテナンスの中に医療品のメンテナンスもある。私の場合は身体に入っている二本のチューブと気管カニューレ一本だ。身体本体の調子が落ちると連動してこっちも調子が変わる。原因と結果だ。嘔吐中の注入量を少なくした。案の定つまってきた。とくに腸の細いチューブがあやしい。タダでさえ気を配る場所だけど、さらにだ。しかも突然つまるとあふれる。兆候が出る場所が身体の中では見えない。体調が悪いときにつまると、当然チューブ交換に行かなければならないんだけど、移動をを考えるとつらいなあ。
2007.01.11
思ったより回復が遅くてブルーな気分である。予想通りだったり思ったとおりのことには気持の余裕もある。そうでないとき、様子を見てもなかなか結果が出ないとだんだん落ち込む。気持ちの貯金がどんどん減る。そのわりにたまらないからまた凹む。なかなか吐き気が終わらない。これが疲れる。腸ろうにずっと水分を注入しながら乗り越えるパターンで脱水はなんとか避けた。しかし、少し微熱っぽくて、身体の痛みもでてきた。なかなか笑えません。まったく自分の都合なんだけど、こんなとき元気な人の様子を聞くとよけいに凹む。受け止める元気がでるまでちょっとそっとしておいて、って感じだ。家の中に病人がいると、家族はヒヤヒヤするだろう。静かにしなくちゃならないし、いつもより仕事が増えるし。病人の本人の私としては、病気の具合にかかわらず、家族には普通にしていてほしい。あんまり大騒ぎしないでほしいし、「あっそ」ってな感じで看護してほしい。元気な人はいつもどおりご飯を食べたりでかけたりしてほしい。みんなが普通どおりしていてくれると、私も普通どおりにすぐもどれるように感じるわけ。元気な人をみて、凹む気持と矛盾するけど同居している。看護人が大騒ぎするとその気持の余波でとても疲れる。冷静でいてくれると落ち着く。ハッスルしすぎて看護されるのも休めない。フツーが何よりである。そういうわけで、具合が悪きときも大抵の場合はヘルパーさんも看護師さんもキャンセルしないでフツーにやってくる。母もフツーに郵便局に行く。いつもより回復も気分も悪いけれど、フツーの今日一日ならフツーになおっていくだろう。いいときもそうでないときもフツーの私の生活なのだ。
2007.01.10
とほほのほ。疲れて吐いてしまった。久しぶりだ。やっぱりコンサートはかなり体力を使うのだ。もう大丈夫かな、と思っていたけど、やっぱり少しずつだ。音量と人ごみの中に2時間というエネルギーを50パーセントくらい受け止めるのが今のわたしの器かな。でも、心はマンゾク進行中で後悔度はなしだ。多少前後しても前進していることがわかるからいいのだ。コンサートでもらった力もたまっているし。てなわけで、今日は授業の初日なのに欠席してしまった。なにごともひとつひとつだ。
2007.01.09
ドクトルKの「地球のステージ」に行った。ステージ4の初演だ。地球の色々な災害地域で医療活動をしながら子どもたちの支援をしている。その様子とそこから生まれた音楽のステージだ。昨日から全国的に天候が悪く、ちょっと心配したけれど、会場の前まで父に送迎してもらって、看護師さんも一緒に決行した。もちろん白のおしゃれはばっちりである。事務局の人は親切。お客さんの入場の前に車椅子をいれてくれた。ドクトルKも好きなところで聴いていいといってくれたそうだ。前の通路でステージがよく見えるいいところを見つけた。スライドもなかなかいい感じに見えた。もちろん歌と語りもばっちりである。ドクトルKが私を紹介してくれてちょっとびっくりした。お互いに見ているところは同じような気がするんだ。困難を乗り越えるとき、自分に自信を持つことが大切で、どんな状況でも人間は強いことを伝えるメッセージにすごく共感している。あまりにも困難だと思えるときに、自分がたった一人だと思うほど自分で自分に壁を作るし、どんどん孤独になる。そのとき、どんなに支援の手があっても壁がある自分には受け入れられない。でも、壁を破るきっかけが必ずあって、自分ひとりの力で無理でも、どこかに必ず応援している人がいることを知ると人は強い。世界は広い。日本は広い。ちょっと移動するのも大変な私には隣町だって遠い。でも、思いとか想像力は自由でつながっている。共感の力とか、つながることの意味とか、そんなことを思うと、今できることがちっこくてもがっかりすることはない。私はまさかガザ地区には実際には行けない。スライドを見て、話を聴いて、そこの誰かではなくて名前のある子どもの顔を見れば、今を生きているのは一緒だと思う。私の困難は病気と障害だけど、人間が強いことは同じように示すことができる。示さなくても自分の力を信じることはできる。ステージを見た人はみんな自分の中にある力を見つけたと思う。私は冬でもコンサートに行けちゃって、途中休憩したけれど、最後まで聞くことができたのが今回発見した「力」だ。いつかドクトルKと話してみたいとまた思った。 おまけ・・・今回冬の外出だったので、母は迷って一度断った。しかし、私の気持を聞いてなかったと後から確認してくれた。私自身も「やっぱり冬だし、しょうがないな」と一度は納得したけれど、聞きなおしてくれたからには「やっぱり行きたい」と思わず答えた!そのために体調を整えてじっと聴いているのをがんばったよ。しかし!喜びの方が大きくて、イナバウアーで車椅子のひじ当てを壊してしまった。また伝説を作ってしまった。とほほ。
2007.01.08
みんなそれぞれ自分の時間があって、それをうまく調整しながら生活している。仕事だったり、遊びだったり。全員1日は24時間だ。今の時刻からどれくらい先まで予定を決めるか、または決まっていくか、うまく調整していくのがけっこう難しいことだと思う。弟は不安が強いときは、すごく先も今も同じくらい心配で、行動の予定や自分の気になることにしばられている。気になりだすと確認して、さらに確認しすぎて、周囲の人を疲れさせる。それって、周りのみんなはすごく先のことは今の大切なことより優先順位がひくいことを知っているからで、そこらへんは弟には抽象的で難しい価値だ。まあ、私だって、病気が急変しやすい時期は、明日のことも不安で、寝ている間に死んだらどうしようとか気になった。気になると眠れなくて、落ち込んで吐いて・・・・。明日は来る、大丈夫、と思えるようになると、安心して眠れるようになった。だから弟の不安さも少しはわかる。安心をためられない障害って大変なことだと心から思うよ。程度はちがうけど、健康な人も、時間の使い方に対する安心度はそれぞれ違う。細かく予定を決めておくと安心する人から、いきあたりばったりで平気な人まで基準が様々だ。私の生活はほとんど全部人とかかわって成り立つから、そこら辺の感覚の個人差にあわせるのがけっこう大変だ。自分の時間は大切にしても、人の時間は軽く見る人もいるからね。仕事だったら日時をきっちり決めてできるけれど、そうでないときは「しっかり度」が少し落ちる。土壇場で変更したり、約束していたことができなかったりする度合いが増える。その判断には支援する人の基準が影響する。時間とか予定に対する感覚が自分と合わないと疲れる。変更可能なタイムリミットと時間への責任度がずれると生活を振り回す。だけど私は支援を受けるために相手の時間をもらっておいて、体調でドタキャンがありうるだけに、相手のドタキャンを強く言えない。弱みがある。お互いさまといってもやっぱり申し訳ないと思う。そんなやり取りには人と人の相性とか、支援そのものにたいする考え方とか、性格とか、思いやるアンテナとかいろいろなことがかかわっている。お正月はそういうのを全部休んでぼーっと家族だけで過ごして楽だった。人とかかわらないと生きていけない。人とかかわれば疲れる。その間でうまくバランスをとっていきたいなあと思う。
2007.01.07
ぼちぼちウチも仕事はじめ。私は初ヘルパーさんと清拭だ。弟は新年恒例の歯科である。毎年予防歯科でピカピカの歯になる。そして一年のスタートだ。完ぺき主義の母は小さいときから私たちを歯医者につれていった。というのは、これ以上通院を増やしたくないと「予防」したのだ。それでなくても小児科とかリハビリとか整形外科とか通院が山ほどあって、しかも弟と二人分だ。これ以上やってられない!と虫歯にだけはしないでくれた。歯みがきは嫌いではない私だけど、脳性まひの過敏が多い小さいときは、口の中に歯ブラシがくるとつい反射してがっちり噛んだ。それでもまあ、しつこくやっているうち、歯ブラシあとのさっぱりがわかってきたから、積極的に口をあけたよ。食べる練習で口の動きはすごく言われたから(こっちも超しつこくてさ。摂食に関しては言いたいこと山ほどあり)、自分で口の中は見えないけど、わりとイメージもわいている。障害のある人の虫歯治療は大変だと思う。聞いているだけで怖いし、いたそう。私なんて、麻痺で動いてしまうのだから、網でしばったり、みんなでおさえないと絶対無理。さもなきゃ、麻酔だ。手術とおんなじだ。幸い、フッ素のうがいで虫歯はゼロだ。弟も歯みがきだけなら喜んで歯医者に行く。私としては、重心の人がドコも悪くないのに熱が出て、口を最後に見たら虫歯でいっぱいだったとか聞くと、そっちの方が怖くてしかたがない。歯垢のかたまりを誤えんして肺炎で死んでしまったとか聞くと、ひえ~~~!だよ。障害の重い人は、全身のお世話が山ほどあって超大変だけど、歯もいのちだ。芸能人は歯がいのちというのがあった。障害児も歯がいのちである。で、女優スマイル研究中のわたしとしては、女優は歯がいのちってことになってきた。なので、フッ素ぶくぶくうがいはみんなにオススメだよ。
2007.01.06
名古屋のおじさん夫婦がやってきて、家族大宴会となった。仕事はじめの父は速攻で帰ってきて、乾杯にめでたく間に合うし、九州博多おとりよせのとり鍋で盛り上がった。私ももちろん白の女優で参加。濃厚なスープも味見できて、縁起のよい初宴会だ。九州の鳥なべは、キャベツを入れる。白菜ではない。なんでだ?キャベツの産地?鳥の味を薄めないとか、キャベツの甘みとか、いろんな意見が出た。西のほうではカニが安いとか。何でだ?日本海のカニなら輸送が安いとか。そうか。なかなかおもしろい。モーツァルトのお酒が出てきた。日本酒である。実はすごくいいお酒らしいのに、あんまり日本酒は飲まない親は料理に使っていたのだ。しかも肉じゃが。モーツァルトの肉じゃがだと、芋が軽くはねそうだ。原料の米は半分まで精米して使ったというから高級だ。しかも、もしかしたら、稲を育てるときモーツァルトを聞かせたかもしれないんだって。音楽を聞かせると稲はよく育つらしい。というわけで、モーツァルトの曲を歌いながら飲む大人たちであった。いろんな食べ物、いろんな話、私もコンサートを報告して、弟は腹踊りも発表した。あーおもしろかった!
2007.01.05
家族に指令を出して初売りに行ってきてもらった。弟には身の回りのもの、母には洋服だ。弟はメモを持って真剣に復習しながら行ってくれた。靴下とお風呂のもと。買いもの作戦は大成功だったようだ。弟は下痢で買い物学習を欠席してからずっと気にしていたのだ。リベンジになってよかった、よかった。今年の目標は「上品・女優・白」のキーワードで指令を出した。ところが3日だというのに初売りパワーの人ごみにびっくりして計画の店では買えなかったと報告あり。何しろやっと店に入って、服を選んでも、レジに50人も並んでいるというのだ。あきらめて隣のお店で運良くゲットしたのが大当たりだった!超かわいい~。計画を立てて決まった店で福袋を買う人も、思わぬチャンスでいいのにめぐり合う人もいる。人ごみのすごさを聞くと、ちょっと私が行くのは無理みたいだが、大分希望と好みをうまく伝えられるようになって、失敗が減ってきた。たっくさんあるものの中から本当に好きなものを選ぶのはけっこう難しいもんだ。選ぶ自由には失敗もつき物だ。人によって買い物のしかたはずいぶん違う。父はカタログ検討派。弟はチラシ信者。母は優柔不断。今のところわたしは即断即決である。性格が出るね。父は初売りに行かない。弟は買うものというより初売りという状況を楽しむ。母は1点主義で店を探し回ってひとつだけ買う。私はテーマが決まれば細部にそんなにこだわらない。すると初売りの状況にマッチするのは弟だけだ。やっぱり、そのとおりになっているよ。ちなみに、今日は訪問看護の初仕事だ。もちろんオニューに着替えようっと。うひひ。
2007.01.04
思いっきりまったりのお正月だ。はっきりいって何にもしないことを貫いた。頭も身体もマジメに休ませた。一生懸命寝た。休もうと思って休むというのもなかなかよい。ヘルパーさんも看護師さんも学校の授業もお休み。朝から寝るまで予定を入れない。そろそろ飽きてきた?と親に聞かれても、まったり中と答えるわけ。始めのうちはどろどろ疲れが出て、昼寝をしたくても神経が起きている。弟が初売りに出かけてくれたおかげで静かだ。だんだん頭が休みモードに入っていく。ぐっすり半日寝た。頭がよく休んだら、身体も続いてやわらかくなった。肩甲骨が動くと腕がゆるゆるだ。ゆるゆるの気持ちよさをゆっくり味わった。別の人の身体みたいだ。だんだんヤルキが出てきた。今年はすでにいろいろ計画もあるし、体調の配分をしっかりやりたい。休みたいときに休むと決めたい。いつも自分の体調をよくしておくのは技である。身体を支配するのは心だが、心を守るのも身体なんだよね。身体も心も健康でいたい。まあ、そうでないときはそれなりに。ゆっくり充電するのも意志を持って、である。自分自身によーくみみをすまそう。さて、そろそろ書初めの言葉を考えようっと。
2007.01.03
あったかくておだやかなお正月です。しみじみといいお正月です。なんかしんみりしちゃった。家族そろって映画を見て、わはっは、と笑った。おせち料理を味見した。年越しパーティーの乾杯をした。新年の挨拶をした。もちろん晴れ着はおしゃれである。家族がみんなそろって家に集まれるということはほんとうれしい。今年はいい年になりそうだ。今年もよろしくお願いします。
2007.01.01
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