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最近知った議員なのだけど、もしかしたら希望の星だ。インチキ満載の凶悪政権に立ち向かえる毅然とした人が少ない現状では希少価値を感じる。つぶされないでほしい。
Feb 29, 2016
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逆境は、基本的には嫌いじゃない。人生レベルであっても、日常レベルであっても、逆境には、生きる手ごたえもある。これはM的な嗜好とも解釈されるかもしれないけれど、逆境に陥ると、なんとかして解決し、打開しなくてはという、ポジティブなマインドが湧きあがるからだ。解決して打開できた時の喜びがいいということもある。現役時代の仕事のことで言えば、それは同じであり、それがあるから、ストレスが消化できていたとも言える。仕事って、問題解決の連続系だからだ。今僕は、製作物が設置寸前でピンチになっている。なってはいるけれど、現役時代の仕事とは次元がちがう。仕事と趣味の中間ぐらいだから。それに、自分一人だけの問題だから。
Feb 19, 2016
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昨日、昨年からまだ進行中の「回る看板」が、テスト中、ある拍子に問題が起きた。その衝撃をまだひきづっている時に、彼女との約束時間が来て、ついそのことを話した。彼女は自分の作業もあったのだけど、一段落して、僕の問題にも参画し始めてくれたのだった。それで、彼女がとても興味を持ってアイデアを考えてくれるので、僕も気を取り直して次第に僕の中での妥協レベルを思い直し始めたのだった。一晩いろいろ考えて、妥協レベルに陥っていたレベルよりはベターないくつかの方法が浮かんできた。その方法のためのパーツを今探してきたので、明日はそれを応用して問題解決を図ろうと思う。Tちゃんは、木工女子でもあるけど、多才な魅力あるスーパーウーマンなのだ。彼女に刺激されて、モチベーションが上がり、その結果として、新たな知恵が生まれてきた。あとはその作業がうまくいくか、と思うような効果が出るかという不確定要素があるけど、人間関係の中から知恵もレベルアップするという簡単な原理を体験中だ。どうなるかな。
Feb 18, 2016
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晩年になって幼時と似た国家の病状が漂うのを僕は感じている。今のところ進行性で悪性である。凶悪政権の悪政に国民が目覚める日が来ることを待望する。戦後70年の日本人の進化と開花を壊す勢力には絶対に従わない。ブログを続けていては、抗議の内容しか書けない。でもブログはひとつの生体反応装置なので、今後は、日常の小さな小さなひとかけらだけを記録しておこう。14年ほど前に輸入した英国製の椅子The Regentの最終在庫が展示場から戻ってきた。モスグリーンのほうが、最初日本に来て、僕が一目惚れしたアームチェアだ。その頃の僕は、良品ネット21という名で活動していて、この椅子はライフワークにしようと思うほど気に入ったのだった。結論としては、共感する顧客との出会いはきわめて散発的で、いわば独りよがりで閉幕しようとしている。でも、独りよがりは変わらない。椅子の世界では、デザイン優先のものが多いのが僕の疑問だけれど、椅子は座るものではなく、過ごすものだというのが僕の考えだ。上質の時間を過ごすためのパートナーなのだ。だから、この椅子との相思相愛の時間がようやく近づいてきている。
Feb 16, 2016
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晩年になって幼時と似た国家の病状が漂うのを僕は感じている。今のところ進行性で悪性である。凶悪政権の悪政に国民が目覚める日が来ることを待望する。戦後70年の日本人の進化と開花を壊す勢力には絶対に従わない。ブログを続けていては、抗議の内容しか書けない。でもブログはひとつの生体反応装置なので、今後は、日常の小さな小さなひとかけらだけを記録しておこう。清原がいた頃の西武は僕は好きだった。清原も明るかったし、チームもエンターテイナーだった。巨人へのこだわりが彼の深いミスだったのかもしれない。テレビの露出が今になって目立ってしまい、哀れを誘う。その取材の余波で巨人時代の同僚野村が取材に応じてその様子や自宅が曝されることになった。僕は清原以上にその映像が衝撃だった。今の清原にせよ、今の野村にせよ、映像がすべてを物語っていた。解説も何も要らない。僕は思うのだが、そこまでテレビがさらし者にしていいのだろうか。違法だから犯罪だし、それ自身悪であるけど、その行為で自分自身が壊れてゆくという特殊性からして、そこまで晒すのはどうなのだろう。糾弾すべきことは世の中にあふれているのに、メディアはそれでいいのかと思う。もちろん、世にさらされたことで、本人は追い詰められたから、今度は更生できるかもしれないことだけは救いだ。
Feb 15, 2016
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晩年になって幼時と似た国家の病状が漂うのを僕は感じている。今のところ進行性で悪性である。凶悪政権の悪政に国民が目覚める日が来ることを待望する。戦後70年の日本人の進化と開花を壊す勢力には絶対に従わない。ブログを続けていては、抗議の内容しか書けない。でもブログはひとつの生体反応装置なので、今後は、日常の小さな小さなひとかけらだけを記録しておこう。ゆうべ、へえ~と思って小さな発見をした。数少ない好きなテレビ番組である「「イタリアの小さな村の物語」で、ブドウ園の剪定をしているカシャ、カシャ・・・という乾いた不思議な音にとても惹かれたのだ。枝を刈る感触が好き、とは友人ミセスKazもよく言っていたが、僕も聞くのもするのも好きだ。なので、聞きなれた音のはずが、ぜんぜん違う音がしているのだった。植木屋さんの作業でも見たことがなかった。もちろん、電動のバリカンとかチェンソーは知っているが、なぜか初めてその存在を知ったのだった。ここでもまた、音に惹かれたのだ。イタリアまで注文しないといけないのかなとアマゾン見たら普通に国産でもあったので、さっそく注文した。そのブドウ園の人は3000本をひとりでやるので、電動は必需品だったのだろう。でも僕はあの音を体感したいのだ。さあ、再現できるかな。ちょっと不安。でも、もちろん、高齢者にはいいかもしれない。もしかして、介護用品????
Feb 14, 2016
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晩年になって幼時と似た国家の病状が漂うのを僕は感じている。今のところ進行性で悪性である。凶悪政権の悪政に国民が目覚める日が来ることを待望する。戦後70年の日本人の進化と開花を壊す勢力には絶対に従わない。ブログを続けていては、抗議の内容しか書けない。でもブログはひとつの生体反応装置なので、今後は、日常の小さな小さなひとかけらだけを記録しておこう。昨日、もらった。あなただから、特に嬉しいよ。セントバレンタインデーを知ったのは、60年も前、まだ10代で聞いても知ってる人はいなかった。男子校の僕は彼女もいなかった。イギリス人ペンパルが教えてくれたのだ。今では各国によって違うみたいだけど、女性から打ち明けてよい日、というのが新鮮で青春未開地の若い心をくすぐった。いつの頃からか商業主義の波にみんな乗せられてファッション化し、義理チョコが主流になってその中のグラデーションの中にさりげない心が潜むようになった。もしかして、というおめでたい男の気持ちがそそのかされる始末だった。でもすでにもう、世の中は女性社会に変貌していた。思い出すことがある。職場に意外な人から電話があって、近くの喫茶店に呼び出された。チョコレートのケースとともに、自作の手作りの詩集があった。詩集なので、なんか難解だった。僕はそのメッセージを読み解けなかった。でも気持ちは分かるので戸惑ったのだった。今ではそんな無垢なシーンはもう珍しいかもしれない。確かなことがひとつある。77の男には、もう何も起こらない。無風もまたいいもんだ。なんにも心配することはない。それが分かるのも、77だからさ。
Feb 13, 2016
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晩年になって幼時と似た国家の病状が漂うのを僕は感じている。今のところ進行性で悪性である。凶悪政権の悪政に国民が目覚める日が来ることを待望する。戦後70年の日本人の進化と開花を壊す勢力には絶対に従わない。ブログを続けていては、抗議の内容しか書けない。でもブログはひとつの生体反応装置なので、今後は、日常の小さな小さなひとかけらだけを記録しておこう。おじいちゃん、おばあちゃん、おっさん、おっちゃん、おばはん、おばちゃん、などの言い方は僕は大嫌いだ。理由は言うまでもないが、強い嫌悪感を感じる。もちろん、センスとしても酷い。よく遊びに来る近所のハナちゃんは、小学校3年か4年の女子なんだけど、いつも僕におっちゃんと言うのだった。それである時、名前が分かったら、それからは名前で呼ぶんだよ、と僕は言った。それからも二三回、おっちゃんと口を滑らせたけど、こら!名前で呼べ、と僕はまた言ったので、それからは名前で呼ぶようになった。最近は道で僕を見かけたら、離れたところからでも、うえはらさ~~ん!と爽やかに声をかけてくれる。ヤったぜ。
Feb 12, 2016
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晩年になって幼時と似た国家の病状が漂うのを僕は感じている。今のところ進行性で悪性である。凶悪政権の悪政に国民が目覚める日が来ることを待望する。戦後70年の日本人の進化と開花を壊す勢力には絶対に従わない。ブログを続けていては、抗議の内容しか書けない。でもブログはひとつの生体反応装置なので、今後は、日常の小さな小さなひとかけらだけを記録しておこう。さっき、雑談しているなかで、以前アメリカ人ダンが言ってたことを引用した。その引用はもう過去に10回以上はしているし、なんとなく可笑しかったのでよく覚えているのだけど、さっきはその一部を思い出せなくなった。その話というのは、ダンがアメリカ人として恥ずかしいと感じている三つの事だった。アメリカ人はこういう人が多いから恥ずかしいというわけなのだが、こういう人とは1.髭をはやしている2.大声をあげるそれともうひとつなのに、それが思い出せなくなったのだ。以前自分がとても好きな花なのに名前が出なくなって、1年以上も思い出せず、結局は花屋さんを利用して思い出せたというプチ事件があり、また1年か~~~と嘆きたくなった。でも、ちょっと用事で移動して1時間後、それは滲み出すように思い出せたのだった。それは、3.太っているだった!思い出せてよかった。ちなみに、ダンはその三つとは全くかけはなれた、僕らから見たらアメリカ人によくある好青年が仕事ができる大人になった、という典型的なアメリカ人だった。
Feb 11, 2016
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晩年になって幼時と似た国家の病状が漂うのを僕は感じている。今のところ進行性で悪性である。凶悪政権の悪政に国民が目覚める日が来ることを待望する。戦後70年の日本人の進化と開花を壊す勢力には絶対に従わない。ブログを続けていては、抗議の内容しか書けない。でもブログはひとつの生体反応装置なので、今後は、日常の小さな小さなひとかけらだけを記録しておこう。
Feb 10, 2016
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ネット社会になってから、友人知人の範囲が膨張し続けている。facebookで繋がってる人は僕の場合150人ぐらいで、まあ普通とは思うけど、そのうち実際に(今風にはリアルタイムに)知っている人は7割ぐらいで、3割ぐらいの人はネットで知り合っている関係だ。これも一応知り合いという関係になると、そういうことにしておこう。でも、誰しもそうだと思うけど、ネットだけのつながりであっても、リアルな知人以上、友人並みな人も今では結構ある。このへんがまさに、現代を生きる同時代人が共有できているすごい歴史的現象だ。そういう話を進めるつもりではなかった。というのは、過去になんらかの形で関係があって知ってる間柄なのに、今は特に関係もないという人のほうが何十倍も何百倍も数の上では多いので、日常の中で不意に思い出したりして、そのときの気持ちがなんとも掴みようのないやるせない感じがするのだ。食事するために店に入ると、別な席についている人の後姿や横顔が、あ?と誰かの面影に似ていて思い出していることがある。夢にだって意外な人が出てきたりする。もう生きていない人の場合もある。ちょっと困らせてくれた人物だったりしても、やはりどうしてるのかなあと思う。自由に空間を移動できる能力があるのなら、そう思う都度会ってみたい気がする。もちろん、一時期を人生を共有するような関係であった場合はもっと感慨は特別だけど、そうでもない、ごくごくただ仕事やなんか知り合ってただけなけなのに、ちょっと会いたくなる。すこし気が付くことは、ある幅からはみだしているような人のほうがそういうことが多い。いいほうにはみだしている場合も、よくないほうにはみだしている場合もなのだ。なんのことはない、セ・ラ・ヴィなんだな。
Feb 9, 2016
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制裁はイジメと同質で、最も安易で負のスパイラルを伴う。日本人は本来そんな馬鹿な民族じゃない。今首相やってる男は、なんか日本を取り戻すとか口走っていたが、彼のすることは日本を壊すばかりで、とても日本人とは思えない。僕には思えない。まずは他国のありきたりな外交の真似はするのはもうやめろと言いたい。日本には日本人しかできない事がある。日本人ならできる役割というものがある。きっとあるはずだ。そう切り替えることこそ始まりだ。
Feb 8, 2016
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今の凶悪政権にとっては、ミサイル発射はむしろ都合の良い出来事だから困る。そしてまたまた、彼らの仕事は制裁とかの話になる。もちろん、及び腰の制裁だから、特に効果はない。効果がないことばかりをそう分かってるのに繰り返す無策の者たちだ。やりすぎたら、制御不能になることもさすがに彼らだって分かってるから、アブないゲームみたいなことの繰り返しになる。そういう状況が続くことこそ利益になる勢力があるのだろう。そういう状況が続くことが保身になる勢力があるのだろう。ということは、解決に向かう方法は彼らこそが分かっているのかもしれない。分かっているからこそ、できるのにしないのだろう。できないと思わせたいから、思わせたいからこそ、制裁や軍拡や集団的自衛化しかないと「それしかない」と、そう思わせるための愚民政策がますます露わになっている。バカなこと言うな。僕はバカになっていたい。
Feb 7, 2016
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ぜいたくなこと言うんじゃない、と叱られても仕方ないが、どうしてもこう思ってしまう。人には皆親がある。親はあってもこんどは自分は親にはならないという生涯も多い。自分もまた親になって、つまり子供があって、さらにはまたその子供にも子供があって、つまり孫があって、という流れはやはり恵まれていると思う。そのためにいろいろあっても、恵まれていると思う。自分の子供の成長のプロセスは覚えているようで意外に覚えていない。子供の子供の成長のプロセスはすこし距離があるためにとても心に刻まれてゆく。今日も幼稚園の公開行事があったのだけど、保育園過程を含めての成長期の断面図がいつも印象深い。ひとこで言えば、楽しいのに悲しい。可愛いけど可哀そうだ。頼もしいけど不安だ。歳をとるということはそういうことだ。生きるということはそういうことだ。
Feb 6, 2016
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夕べのBSフジのプライムニュースには、自衛隊の元3司令官が出ていた。軍人だから当然安保法制は賛成だし、賛成以上だった。3人のうちいちばん知性的な人は、中国は敵視でなく直視すべきだと言っていた。中国は日本の10倍以上の国だし、軍事力も10倍以上だ。だから、日本単独では不可能なのでアメリカと同盟して初めて国を守れるというわけだ。そして、世界情勢に基づかない議論はダメだと三者とも強調した。「価値観を共有する」アメリカ、オーストラリアと組んで初めて日本を防衛できるという図式だ。分かりやすいし騙されやすい図式だし、アベコベ氏のような陳腐な危険思想と全く同じだった。アベコベ氏の化けの皮をはがせる者は今は居ない。あざとい経済政策で目つぶししながら彼は着実に憲法を犯して壊すだろう。現実の中の非現実を現実のように思い思わせるというのは、ほんとは陳腐で安易すぎる手口だと僕は思う。陳腐で安易な手口は国民受けするのだろう。日本と日本国民がありきたりな国家国民に転落してゆく道筋が参院選挙でさらに進みそうだ。衆参同時選挙ならもっと加速しかねない。世紀的な分水嶺だ。見たくないのは転落だ。見たいのは、国民の目覚めと勇気なのだけど、今の状況では神頼みだ。
Feb 5, 2016
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若い頃、売れない小説家みたいなひと、とある人に言われたことがあった。小説家じゃないけれど、振り返れば売れないづくしではあった。22の時、僕は百貨店の1階の売り場にいた。旅行鞄の売り場だった。売れると僕が思うものは、売れなかった。ベテランの上司が仕入れるものは、僕から見たらダサかったが、よく売れるのだった。自分が売れると思うものは、自分が好きな感じのものだった。そうだからと言って、ダサいものが売れる、と言うつもりはない。売れるものこそ、ダサくないはずなのだ。売れるのだから、ダサいはずはない、ということになる。僕はたった半年で売り場から人事部に引き揚げられたから、売れないものを仕入れるような仕事をせずに済んだのだった。晩年になって、また僕は自営業として商品にかかわることになったが、例外はあるにせよ、僕がいいと思うものは、やってみると、売れなかった。昔まだ百貨店人として、水面下でフランスの通販会社と提携を模索していた頃、先方の幹部セネシャルさんは、彼の会社の婦人肌着類を指さして、なぜ買わないんだ?!と迫ったことがあった。彼がその商品に惚れこんでいるという感じはよくわかった。以来そのなぜ買わないんだ?!(こんなにいいのに)、という一言は長年いつも思い出すので、実は僕もそう言いたい気持ちになることが、今も多い。でも、僕がそう思うものは、売れないのだ。なかでもこの椅子は、僕は出会った時からワイフワークにしようと思った。イギリスでは売れている。日本ではめったに売れないのだ。売れないままで10年以上経つ最後の在庫を、今回引退させることになった。やっぱり、売れない小説家みたい、な人生だったのか。
Feb 3, 2016
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