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経済政策は政府の仕事ではない、というのが僕の考えだ。経済政策は経済人に任せるのがいいし、経済が良くなるのは経済人の功績だし、経済が良くならないのは、それも経済人の責任だからだ。経済の数値が政府の功績だだなんて、ほんとうにおかしい。政府の仕事は、国民の生活をよく吟味しながら、その中で生起する問題に取り組むことだ。経済人が人生かけて切磋琢磨している果実を、政府が自分の成果のように話すのは、相手にしてはならない。あまりにも愚民的な傲慢さだ。今、経済数値でいいこともよくないことも混じっている。アベノミクスのようなイカサマ的な手口は相手にしたくもないけれど、野党の人はやはりもっと国民にアベノミクスのインチキさを分かるように話してほしい。僕は流通業界に居た。リタイアしてから何年もの間、昔なら想像しないような消費の鈍さが続いた。デフレにしても消費セクターの低迷にしても、無限には続かない。経済だから循環の波がある。民主党でも自公党でも、結果は大して変わらないはずだというのが僕の見方だ。だから、野党も的外れだと思うのだ。卑近なことだけど、僕が管理を任されている小さなマンションは、古いし、オートロックなどできない構造だし、家賃が安い。でも、数年前までは、空き室が出ると、埋めるのにかなり時間がかかった。半年以上かかったことがある。でもここ数年、ぜんぜん定着している。今たまたまインターネットマンション化を検討しているけれど、それで家主に新規の費用増をもたらすことは実はかなり悩んでも居る。日本中で10%以上が空き家である現実の中では、堅実でつつましい人々が住んでいる。手段的自衛権の前に、賢明な国民たちは、わざとらしい饒舌男に騙されてるふりしながらも、生活防衛を自覚しているのだと思う。日本は、成熟社会に向けて、経済成長神話からも、原発神話からも、集団自衛神話からも卒業しながら、先進国のあるべき姿に国を導ける為政者をこそ待望している。
May 31, 2016
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英語に馴染んでいる妻は、友達に促されて英文を読んだそうだが、読むとすぐ涙が出た、と言う。格調が高いのは僕も感じるし、詩的とさえ言えるかもしれない。でも彼自身が述べたように、核兵器が自分の存命中にさえなくならないかもしれないというのが現実だ。僕は思う。今一番危険な人物はひとり居る。その人物にこそ、広島に来てもらいたい。彼を広島に招待するような度量は今の首相にはないが、彼を今の権力につけてしまった責任者でもある小泉さんなら、できるかもしれないし、そう妄想したくもなる。それにしても、小泉さんがアメリカで、友達作戦で被爆した兵士たちに会った一部始終は、まるで報道統制かと思うぐらいに、メディアに出てこない。日本の社会の病状はまだ深く深耕している、というのが僕の見方だ。国民を災いから護るには、やはりアベコベ氏から権力をはがすしかない。ほんとうは、インチキめいた経済政策だけでも辞職するべきなのに、ダメ野党とピントはずれな国民のせいで、日本はまだ彼の思うつぼにはまってゆく。
May 30, 2016
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いつのまにかインターネット接続がインフラになった。いま僕は、管理を任されている小さなマンションのインターネットマンション化を検討している。マンションを特定の回線業者に一本化し、オーナーが費用を負担して、居住者はネット接続の費用が不要になる。今ネット接続に4~5000円払ってるから、特別な理由がなければ、居住者には年間5~7万円節約になる。この機会に僕は、自分のこともあるからネット接続の現況を調べてみたが、ワケ分からない]ぐらい)競争が凄い。キャッシュバックも複雑で、なんとまあ面倒なこと。。。その中でゼロ円というのはないのだから、オーナーが負担するなら、面倒は何もない。だからといって、居住者が歓迎するかどうかは、今何をどういうふうに使っているかに依るので、今日たまたま排水管清掃をお願いしたから、在宅してもらった機会を使って、ネット、テレビ、電話の使い方をヒアリングして回った。というのは、早い話が僕自身は、自宅のうちの実家ではネット、テレビ、電話一括契約で3年間拘束されている。僕がそのマンション居住者ならば、この拘束で身動きがつかない。解約には3万円近くかかる。3万円払ったら、あとは毎月無料になるからと言っても、そうは簡単じゃない。電話もテレビもひとくくりだからだ。今日把握できた限りでは、僕みたいなケースはなかった。でも、最近変えたばかりの人があったり、新しい簡便なネット接続システムの利用者もあった。でも、なんか拘束されていそうだなあ。。。。インターネットマンション化は、現居住者の退去抑止や新規募集時の競争力に寄与する。新規のマンションなら建築費に原価参入されて価格に転嫁できるが、古いマンションの場合は、そのままオーナーの負担費用に加わるから、慎重な検討が必要だ。総合的には、やる方向に傾いてきたが、僕がいちばん気に入ってないのは、今のプロポーザルでは、5年契約なことだ。巨人はダメだなあと思う。5年も拘束するなんて、馬鹿げている。でも、厚顔無恥なマス某とかアベ某と比べたら、馬鹿げているだけだからまだマシ。
May 29, 2016
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本さえあれば生きられるぅ小2男児本人の語録だ。姿が消えてもあまり心配ないのは、本のあるところに行ったにちがいないからだ。僕は本を読むのが極端に苦手。妻は読まないけど、読むときは速い。僕は読むことがほとんどないけど、読むときは途中下車ばかりで読破できない。息子はこの男児と同じ読み漁るタイプだった。この男児は娘の長男だけど、娘も専門書に限ってはよく読んだ。僕の父は読書家だったし、祖父は源氏物語をラジオで話すような人だったらしい。妻の父も読書家だ。本が苦手、勉強は苦手の僕は、まあ勝手に人生を遊ぶタイプだったので、後続の者が本が読めるのは、地に足の着いた、根を張れる人間のような気がして、安心なことである。
May 28, 2016
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近所の会館で救急講習があり、促されて行ってきた。人工呼吸とAEDの講習を地元の消防署団員がやってくれた。LED持ってきて!ひとりがウケたのは、AED取ってきて、という台詞の訓練の時だった。よくあるのだそうだ。僕が住む市の人口は45万だけど、救急車は8台しかない。全国で大阪市についでワースト2位。3番目の東京より忙しい救急隊なのだ。公助・自助・共助の連携の必要性がますます高まる。僕が救急の世話になったことは一度だ。その時は現役で有料老人ホームの責任者だったから、仕事で連携していた医師の口添えもあり、国立循環器病センターに搬送された。それでも、救急車が来てから出発するまでの時間がとても長く感じた。救急車が早く来ても、かかっている病院に連れて行ってくれない、長い待ち時間がどうにかならないか、と今日も質問があった。消防団員はそこが大きな苦労らしい。実際には、病院のほうの受け入れはなかなか難しいことが多い現実がある。30回以上電話することもあるという。今は救急車内のタブレットに今可能な病院が表示されているそうで、その点は病院決定までのアクセスタイムは少しましになっているようだ。でも、それも症状に寄るだろう。一昨年僕が、深夜に鼻血が止まらなくなった事態があったが、そのときは耳鼻科医が居ないと無理ということで、救急車側の対応のあいまいさからこちらから断ったのだった。その時は、休日時間外医療センターで職員があちこち電話してくれて、幸いにも受け入れてくれる病院があり、妻の「救急車」で深夜の国道を走った。ガソリンが少ないと妻がいうので、ガス欠のほうがいやだからガソリンが先だと出血が止まらぬ怯えはあったが僕は判断した。ちょうど27時までのスタンドの閉店直前だった。あの時はラッキーだった。深夜の病院には若い女神が待機してくれていた。僕の様子を診てすぐに、「私は上手よ!」の一言で、それは始まった。称賛に値するドクターだった。救急者も病院も、毎日毎晩、無数の救急救命事態が生起し続けている。尊い仕事だと思う。
May 27, 2016
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銀行もカードも嫌いなのに、なぜか見てしまうCM.でもこのリズムに乗せて、僕の頭ではこうなっている。人望がある人望がない人望がある人望がない人望が・・・・・・ますぞえ氏にしても、過去いろんなリーダーにしてもサビが一旦露呈してしまうと、部下たちはほんとうの意味ではもうついてこなくなる。ついて来方が変容するのだ。選挙民以前にそれは仕事の中で動き出してしまうから、人望がないリーダーはもう辞めてもらわないと社会の迷惑になる。振り返ってみれば、ほとんどのリーダーは晩節を汚している。いざという時に、人望がないリーダーの末路は同じだ。なぜリーダーになれたのか?それはなんらかの意味で能力が秀でていたからなのだけど、その能力の高さが人望というものを超えてしまうことが起こる。人望というこの日本的な感覚は、権力もない庶民の底力だし、それが効き目のある世の中はまだ安全である。どれにしても、あの都知事の場合、近来稀に見る悪あがき振りなのは、都知事職が首相に次ぐ強大な権力だからなんだろうか。
May 26, 2016
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あっというまにメジャーになったり海外にも知られるようになるような人は、話してるのを聞くとなるほどと思うことが多い。冴えているなあと思うことが多い。ちょっとした反応や一言がピンときて、人に伝えたくもなる。でもすぐ)忘れちゃって、再現できなくなることも多い。今朝、テレビでちらりと見かけたことなら覚えている。チャラン・ポ・ランタンの二人組がインタビューされていて、「ジャンルになりたい!」と言い放ったのが可笑しかったけどセンス感じた。普通の若い女の子のような会話のノリだけど、ちょっとした機智だから。でもすぐあとに大きなこと言っちゃった、と自らフォローしていた。ジャンルにとらわれない音楽の世界を爆走中だ。僕には好きでも嫌いでもない存在だけど、破格の創造力は感じる。ジャンルにとらわれない境地を切り拓いてるのに、ジャンルになりたい、って意味は分かるけど、キミたちもうジャンルじゃん。でも、その一言は、僕の中ではヒットした。クリーンヒット!!
May 25, 2016
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アートバザールでお買い上げくださったお方で、当日は持ち帰れないので取りに行く、という方があって、今その4つの鉢をお渡しして、一連のことが終わった。暑いのに大丈夫か、とあいさつ以上のことばをいくつかもらって、妻さえそう思ったらしいけれど、そんなに気をかけられる歳なのかなあと内心思う。そういう歳、なのらしい。ヤなこった、だ。太陽熱が体内にまだ溜まっている気がするのと、やはり重量物で腰がちょっとヤラれたかな。・・・肩痛でテニスしなくなってもう7年だ。40度以上のコートで免疫があったのに、もう消滅しているらしい。でも疲れはなかった。楽しいことに疲れなどない。翌日も今日も、節を越えた解放感で中和されて、軽い満足感だけがあるのだ。頭は、つぎへの想念が漂っている。・・・さっき引き取りに来られた方は、以前にも拙宅に来られたのだけど、今咲いているツルハナナスとカンパニュラアルペンブルーを愛でてくださって、帰って行かれた。このカンパニュラアルペンブルーは、好きな花のひとつだけど、何年も前に、鉢から飛んだ種が塀の下の石垣の隙間から芽吹いて、消えても毎年、石垣の中から再生してくる。デジカメでもスマホでも、このブルーは再現できない感じだ。
May 24, 2016
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毎年春と秋の芦屋美術館のアートバザールに出ている。手づくり品の展示と即売という主旨だ。僕のほうでも内容に変遷があったが、運営側にも変遷があって、来場者数も再び増え始めている。僕はlapdesk.jp名で出ているから、初めて出た時は、主催者が用意してくれたPRポストカードを友人知人に50通出した。そうすると、20個作って持って行ったのが、11個買われていった。でも気が付けばその11個のうちの10個は、それぞれみんな友人知人が買ってくれたものだった。これはよくないなあとそれから以降、いっさい事前にお知らせを出すことはやめてしまった。そうすると、超マイナーなニッチ製品であるラップデスクには、振り向く人もめったにないぐらいに滑り気味になってしまった。でも僕はそれはそれでいい、むしろそjのほうがいい、という考えになった。二日間居ても、やりとりした人は20人もない、買ってくれた人は1~3名ぐらい、ということが分かってきた。でも、一人でも収穫だなあと思うのは、ほとんどの場合、そういう出会いはいい出会いになるからだ。質を伴うとでもいえばいいだろう。サトエリさんのように、こちら側に回り込んでコアメンバーになってくれた例などは、出来過ぎともいえるけど、実は理想的なパターンなのだ。お客様、すなわち買う立場の人、使う立場の人が、作る立場に転向してくれる、これが最も望ましいパターンだからだ。そこまでいかなくても、好意的で、シンパシーをもってくれる関係が生まれるのだ。・・・かといって、何回か出展していると、二日間が物足りなくもなってきたので、すこしづつ、創作雑貨的なものを出したりしたが、それだと本来のラップデスクに焦点が当たらなくなるのだ。そこで、現実を妥協して、2年ほど前から、自家育苗の植物ということをハンドメードのカテゴリーと考えて加えたら、一気に反応が増えて楽しくなっちゃった。今回は、二日間で60個ぐらい出たのだ。とはいえ、8割がたは単価200円だけどね。でも、植物は植物で、ストーリー性のある出会いがときどき起こっている。で、肝心のラップデスクだけど、今回もなんの説明もしないののに、一瞬で自分用にと買ってくれた人がいた。いつもそうなんだ。価値観が同じ人は、すぐに決めちゃう。
May 23, 2016
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見るんじゃなかったと思うことがある。見なくたって、よく分かってるよ。あれは中学生の頃だった。近所に英国系イラン人だかイラン系の英国人だったかの石油会社の社宅が何軒かあった。その中に時々パジャマ姿で佇んでいる人が居た。とても気になった。異国の空の下で老いていく気持ちって、どんなだろうと。今はグローバル時代だから、もう異国も何もなくなってきたけれど、長年の間、なんども思い出すのだ。だから、こういう写真を見るとまた連想してしまう。でも、考えてみれば、どこに居ようが、生まれた故郷にそのままで居ようが、老境は異郷でもある。すこしづつ、異国の空の下のように、心細くなっていくのに似ている気がする。
May 17, 2016
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生涯でいちばん今はラクになったなと思ってる。その理由のひとつは、晩年になって作業的なことに馴染むようになったことだ。子供のころからも大人になってからも、作業的なことに、僕はずっと負い目を感じてきた。作業的な職種に就くことがなかったし、そういうのは任してくださいという人がいると、それに甘んじてきた。そういうのは向かないしできないししたくないだろうと、そういう目が社会にあると感じてきた。それに甘んじている自分に負い目があった。リタイアモードになりはじめたこの10数年、僕は作業的なことを小さな仕事にしている。マンションの掃除だ。掃除から始めたことが、総合管理的なことになっているのもあるのだけど、ルーチンは掃除などの作業だ。ずっと続いているので、妻は少し感心してくれているようだけど、僕にすれば、やっと作業的なことをするようになって長年の心の負い目が軽くなっているのだ。掃除人風情と見られても、なにもいやじゃない。清掃中足元にご注意ください、とそう書いてあったのが、もう風化してしまったので、今書き直したところだ。今朝のルーチンで、ロビーの汚れがやっと解消し始めた。いろいろ試しても取れなかった汚れがあったのだ。ネットからの受け売りなのだけど、酢が効いた。安い穀物酢が適するのだけど、どういう汚れのときかは説明できない。どういう原因でできた汚れか分からないからだ。自転車かバイクからの何かじゃないかと推測はされる。高い業務用洗剤とかを買ってもだめだったのだ。でも、もしかしたら、やり方にも依るのかもしれない。今日はまずそのマンションに寄って、汚れ箇所に酢をまいて、クレンザーもまいて、雑巾で覆ったまま、別の所に作業に行った。1時間半ほど経過してから戻ってきて、ブラシを使って洗浄したら、今までになく目立たなくなった。解消したと言ってもいいだろう。漬け置いたのがよかったかもしれない。普通の洗剤でも、もしかしたら・・・・・・・??とはいえ、僕の場合、作業のお手当はわずかな金額なのだ。ところがそのわずかな金額であることも、僕をラクにしている。現役時代、大したことしていないで人並みな賃金を得ていたことも、僕には負い目だった。だから、つつましい暮らしをせざるをえなくなっていくことも、僕をラクにしている。やっと、人生がラクになってきたのだ。まずぞえ氏にも、mちろん、アベコベ官邸男には分からないだろう。
May 13, 2016
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もし僕がアメリカ市民だったら、と思ってみる。もしそうなら、サンダースに大統領になってほしい。そう思ってるのに民主党がクリントンになったら、たぶん僕は共和党じゃないけど、今回はトランプになってほしい。サンダースもトランプも、今までの既成の勢力、既得権益者にノーという立場だ。日本のありきたりな人たちは、だから自国を守るにはと陳腐な軍事強化に追い風と思うだろう。でも、そのときこそ、日本国民が目を覚ますときだ。アメリカ依存症から目覚めるときだ。集団的自衛権から卒業する時だ。
May 12, 2016
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自民党のようなところで生息してきた人でも、現役を退くと、小泉さんのように正気に戻れる人はある。でも、時すでに遅し、となる。オバマさんの場合、アメリカの政治家なのに核廃絶を現役で唱えたのは偉かった。でも、現役なのに何もできなかった。人類がほんとうはプログラムされている運命なのなら、核兵器か原発かが自爆装置なのだろう。今の世界は、その構図が明らかなのに、現役という権力者たちは、相変わらず、自分のことしか考えていない。オバマさんがほんとうに尊敬を得るためには、明確に謝罪すべきだ。謝罪は、日本に向けなくていい。謝罪は、核兵器を使ってしまったことに対してでよい。でも、時すでに遅しだ。原発も核兵器も、まるでオカルト信仰のようになっていることから、人類を救える者は見当たらない。
May 11, 2016
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近頃はもう梅雨みたいだ。自転車で用事を済ませる日々なので、なにかと制約があって困ります。でも慈雨だよね。
May 10, 2016
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近年、共同代表という形が散見される。あまりうまくは行っていないとは思うけれど、それはAという個人とBという個人が同じ権限と責任をもって組織を統治するということだから何か妥協の産物とも言える。でも、僕は思うのだけど、個人と個人とではやはり同期することは至難なことだろうけれど、組織と組織とならどうだろう。組織の長と組織の長となら、個人と個人と似たような関係も生じてしまうから、やはり難しいけれど、組織の長がお互いに凡庸な人であれば、個人と個人の共同よりは集団同士の交わりの中で中和される要因も増えてくる。いつも思うのだけど、国と国との確執の中には、まるで権力者や政治家が、そういう確執があるほうが仕事になっているみたいな、わざと問題にして解決を先延ばししているようなテーマが多い。領土問題のような原始的なものは特にそう感じる。北方四島も、尖閣諸島も、竹島や、いろんな岩礁とかも、どれも共同代表でいいじゃないか。ガキじゃあるまし、そんなことでたいそうなこと言ってないで、ほかの大事なことをしろ、と思う。国民同士は友好で交流しているのに、権力者は怠慢を決め込むか、交流にはもったいぶるという陳腐は外交がまだ日本には多い。全世界が、共同代表という落としどころに妥協点を求めるように、外交もイノベーションしたらいいのに、外交こそ化石のように古い。サミットなんかで遊ぶな。プーチンが言うヒキワケは、もしかしたら平和賞になり得る。
May 9, 2016
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今乾燥中で明日引き取りに来るMさん作のラップデスクの天板部分だ。ネットで見つけてくれた僕のサイトで、わずか2キロの近くに住んでいることを知って、手づくり体験に通ってきてくれた。勤めてきたIT企業をやめたばかりで、思い出づくりにと思ったそうだ。彼女の発案はオリジナリティがあったので、1回3時間程度の作業を、普通は3回で済むところを、6回通って来た。手前部分はノートPCなどの滑り止めで、先のエッジ付近のスリットは、タブレットを差し込んで斜めに利用できる。左側はマグカップホルダ―だ。そして、取っ手をつけたので、今はたまたま塗装ニスの乾燥に吊り下げる役目をしている。ちょうど今僕はウッドバーニングを試みているので、すぐ刺激を受けたのか彼女流イラストを入れたのだった。クッションも、選んだ生地は意外にも渋いものだった。楽しんでくれたみたいなので、嬉しい。僕のほうが、嬉しい。ラップデスクで縁が生まれる人は、ほんとにたまになんだけど、不思議にどの人ももっている。Something specialをもっている。
May 7, 2016
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清掃とか諸々頼まれている隣市のマンションが、今朝行くとタイヘンなことになっていた。カラスたちがナーバスな時期なので、物凄いモチベーションなのだ。おまけに、回収車が1時間ほど遅かった。ゴミ回収業務は仕事柄急いでいるから手荒なようででも担当者は責任感が強い人が多い。僕が片づけている間に到着したが、急いでるだろうから散らかってるのはいいよ、と僕は言ったのに、また戻ってきた。あまりに散らかっているので、大丈夫だからと言うと、ではまた来週出してくださいと言って戻っていった。ゴミ処理工場の設備や事情によって、自治体ごとに分別ルールはちがうけれど、隣市は僕が住んでる市より細かい。個別に細かく分類するほうがよいに決まっている。でも、役所の人ってなんヘンだなと思うことがある。ある年の1月のことだった。2週目の木曜はペットボトルだったのだけど、居住者も第2だったから出していたし、僕も第2だからと思ってあと始末(市指定のコンテナを引き揚げるとか)に行ったら、回収には来なかった。???委託業者のミスや怠慢ならいけないので、翌日市に連絡したら、今月は第1がまだお休みでしたので、第2は次の木曜になります、と澄まして答えたのだった。お休みって、・・・・市役所がお正月休みだったという意味らしい。。。。それにしても、散乱してるゴミって、あまりにも生活感有り過ぎて・・・・・・・・
May 6, 2016
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土の道がすっかり減ってしまった。土の道は懐かしい。土の道は、子供だった頃につながっているからだ。土の道は今では貴重な存在だ。有料道路にしてもいいぐらいだ。未来は必ず現在になる。だから、未来とは子供たちのことだ。子供たちはみんな可愛い。毎日が子供の日なのだから、今日は子供の日というよりも、未来の日にしたほぅがいい。未来の日にして、大人はもっと良心を取り戻せ。政治家に任せているのに、なにしてんだ!
May 5, 2016
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お出かけが多いから、行列ができている。こういうのが出始めたときは驚いたが、増えていっているということは、利用者が多く、販売側も成り立っているのだろう。本当に貧困状態なら、お出かけそのものができない。でも消費態度が引き締まっている傾向は続いているので、これもまた氷山の一角なのだろう。震災特需や度重なる公共事業にも関わらず、それに民需も膨大な外国人消費が特需になっているのに、マクロ経済は不思議なほど低迷していることが、いかに一般国民生活が引き締め気味かを証明していると思う。AKBすなわち、アベ・クロダ・ブラック政策は国民生活のための政策ではないからだ。あからさまな円安誘導は破たんしつつあるけど、デフレ脱却も思うようにいっていないのは、デフレには必然性があったからだと思う。自由経済下では、デフレはいずれは反転するものだと思う。なにもしなくても、30年も続くはずはない。デフレは市場のニーズが生むものだと僕は思うから、デフレの成果はもう少し続いたほうがいい。デフレは多彩な商品やサービスを創造したが、僕がいちばん評価したいのは、人々の消費態度が時代を洞察しているからだと思う。つつましい暮らし方が好むと好まざるとにかかわらず、日本人のライフスタイルに復活しつつあるのかもしれない。
May 4, 2016
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びっくりしたり、わけわからないことがなんだか増えたのは、自分が老いたせいと、社会の多様化の加速化との相乗作用だ。民泊って民宿とどうちがうの?と最近思っていたら、今話題の民泊のようなのは、数年も前から民間で広く普及していたようだ。つまり、民間企画の民泊がすでに国際的なビジネスモデルとして人々に広がっていたことに、びっくりした。しかもそれは、収入源を求める起業的なものの掘り起こしと同時相互進行していた。ホテル不足は慢性化しそうだけど、日本人がホスト役で民宿を副業化するような段階を越えてしまって、日本の空き家空き室や新規物件を外国人が貸す側で参入して、来日外国人の宿泊ニーズに対応している実態を実は僕は知らなかった。外人旅行者が当然のように口にしていたAirbandbも知らなかった。世界中に広がっていたのだ。いかにもいっぱい問題が起きていそうだけれど、巨悪が支配的な現代では、些細なことだ。そんなことよりも、サービス分野にもイノベーションがいくらでもありえるものだな、と新鮮な驚きを感じる。
May 3, 2016
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物の価格は、理論的には需要と供給の均衡点になる。57の時に輸入業を始めてしばらくして、イギリスの商品は高くて、イタリアの商品はそんなに高くはないという印象を持った。しかも、イギリスの企業はイタリアの企業ほどは日本営業ににやってこない気がした。たまたま縁のできたイギリス商品の場合は、最初はメーカーのマーケティング担当役員が来たが、日本で見本市に出たが名刺ばかりいっぱい集まって、すこしも進まなかったと言って、対日ビジネスのエージェントに委ねてしまった。僕の場合はそのエージェントは日本語もできるしとても助かった。一方、イタリアの商品は、これはずっと妻に任せたのだけど、毎年組織的に日本にやってきて、ホテルの部屋をいっぱい借りて展示会をした。妻がイタリアに行ったのはたった一度きりで、それも招待で、しかも、9.11直後の旅客機がら空きの時になってしまった。他企業が中止するなかで、妻ともう1社だけが参加したのだった。それはともかく、イタリアのものは多くの日本人は好きだから、そしてその前になんといってもイタリア人は才覚に富んでいるから、ビジネスも活発に行くということはある。というわけで、価格というものは相対的なものだから、安いも高いもないのだけど、今の自分のような、別に仕事でやってるわけじゃないけど価格というものを決めないといけないときは、実にいいかげんなことになる。手づくり活動は、カッコよくいえば「ひとりメーカー」だ。販売価格まで自分で決めないと完結しない。普通は、原価がいくらかかったから、それ以上にして、買ってもらえそうな価格に決めることとなる。これならビジネスと似ている。今の僕の場合は、原価は忘れることにしている。原価は、今の生活状態の中で吸収できる範囲しかかけていないからだ。かけられる原価しかかけないからだ。作ったものが、あるいは頼まれたものが、いくらくらいならいいと思ってもらえるか、というそれしかない。それしかないから、たしかに安くなる。売る体験をしていながら、買う体験を共有しているのだ。その共有が楽しいと言える。その共有が嬉しいと言える。でも、そういうふうにしていると、いずれ原価そのものがかけられなくなるだろう。でもさいわい、そんなにひんぱんには頼まれない。そんなに頻繁には販売機会は作らない。まあ、「繁盛しないひとりメーカー」のちょっとした負け惜しみだけど、このほうがたまに生じるご縁をゆっくりていねいに進められる。いい出会いも得られる。いいかげんなようでいて、良い加減なのだ。
May 2, 2016
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カルビー会長の語録の中で、人が物を買うのは人から買うのだ、という気づきを強調する言い方がある。その人だから買うのだということだ。今はネットショッピングが何兆という規模の時代なので、人から買うと言われてもと揚げ足とることはできるけど、氏はデフォルメして言っているだけで、確かに商品というものには人がブレンドされている。モノづくりの工場の作り手だけでなく、流通営業する人、ショップ販売員、ネット上の画面の制作者、取引メッセージのやりとりをする人などなど。だから氏は、いわば人間性を磨けと社員に言っているわけだろう。キミだjから買う、キミから買う、と言われよということだろう。企業イメージもブランドイメージも、究極的には従業員の人間性の果実だと言える。
May 1, 2016
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