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01月27日の「関東外周山つなぎの旅33日目」。強石から秩父御岳山へ登る途中、2箇所に洞穴がありました。自然にできたものではなく、誰かが作ったもの。ひとつは土台だけになっていましたが、もうひとつ(写真下)は原形を留めています。穴の中は直径1.5mほどの球形、人間ひとりがゆったり座れるくらいの広さ。入口と内壁は石を組んで崩れないようにしてあります。山歩きをしていて同様の穴を見たことが、以前にも何度かあります。初めて見たときは宗教的な意味のあるものかと思いましたが、穴の中に石仏などがあったこともないので、それは違うようです。昔、山仕事をするひと達が雨を避けて休憩したり、場合によっては泊まったりするために作った「シェルター」のようなものではないか、と今は想像しています。飽くまで推測ですが・・・。
2007.01.31
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2007年01月27日(土)快晴08:44秩父鉄道三峰口駅着、西武観光バスに乗り換える。09:03太陽寺入口で下車、前回の続きを歩き始める。歩きつなぐため、今、バスに乗って来た国道140号線をわざわざ強石まで1.7km引き返す。強石集落から秩父御岳山へ登る。登山口の看板に「12月から04月まで通行禁止」とあるが、見なかったことにする。植林地の急登。人気のあるルートではないが、比較的新しい道標が設置されているところを見ると、それなりに利用者はいるらしい。10:10杉ノ峠でひと休み、風で倒壊した東屋の屋根が登山道をふさいでいる。ここで落合からのルートと合流。落合側は薄っすらと雪化粧、昨夜の東京の雨もこの辺りでは雪だったようだ。杉ノ峠からは尾根道、風を受けて寒い。林道を横断。東に秩父の町、西に秩父湖を望む。工事用トラロープが張られたヤセ尾根の急登、切れ落ちた両側は見ないようにする。頂上近くは雪が融けずに残る。11:15秩父御岳山(1080m)、別ルートから登ってきた先客が10人ほど。まわりの木々は葉を落とし、ほぼ360度の展望。快晴の日差しを浴びて早春のように暖かい。菓子パンと紅茶で昼食休憩。下山ルートは北斜面なので雪が凍っている。ちょうど登ってきたハイカーに「アイゼン、着けたほうがいいですか」と聞くと、「雪があるのはこの辺だけです」とのこと。その言葉通り、じきに雪は消える。三峰口駅へのルートを分け、猪狩山・古池方向へ。猪狩山を越え、12:30猪狩神社「奥の院」。ひと休みに打って付けの場所、祠が3つ並ぶ。最後は急降下のジグザグ道、積もった落葉で足元も不確か。登るより下るほうが大変なのでは、と思えるほど。13:10猪狩神社に下り着く。古池集落で県道に出て、次回のスタート地点・小鹿野町栗尾まで車道約8kmを北上する。14:55国道299号線の栗尾バス停に到着。バスが来るまでは30分。ヒッチハイクを試みるが誰も止まってくれそうにない、10分で諦める。定刻より7分遅れの15:32西武観光バスに乗り、西武秩父駅へ。16:30発の電車で帰途に就く。太陽寺入口→栗尾:18.1km
2007.01.27
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地図上の距離を測ることにより、その距離を歩くのに必要な時間を計算して、「歩き旅」の計画を立てています。距離を測る手段として採用してきたのが、最も原始的な方法・・・地図に直接定規をあてて測る・・・です。マップメジャー(写真右)を買いましたが、曲がりくねった道程には対応できず、お蔵入りとなっています。地図ソフト「カシミール」が便利とは聞いていますが、試してみないまま、定規のお世話になってきました。そんなとき目にしたのが、01月20日の朝日新聞土曜版。フリーソフト「測ルンです」が紹介されていました。これは使えるかも・・・で、ダウンロード。国土地理院の地図閲覧サービスで試してみると、当然のことながら楽チン。登山道の距離測定にはそれなりの補正が必要ですが、車道の測定ならこれで十分対応できます。
2007.01.26
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2003年04月27日(日)快晴前日買っておいたコンビニおにぎりで朝食。女将さんに見送られ、05:45「まるたや旅館」を出発。快晴の穏やかな空。入木集落までの10kmは、左に海、右に山が迫った海岸沿いの国道55号線を行く。時々車は通るが、人家はない。ずうっと先の室戸岬近くまで見える。野根の外れでバス停の時刻表を見ると、甲浦を出たバスが06:00頃ここを通って高知駅まで行くらしい。法海上人堂でひと休み。ベンチがあり、清水が引かれている。4月とは思えない暖かさ、Tシャツ1枚になる。しばらく歩くと山側のコンクリート壁に通路があって、10mほど奥に神社が祭られている。ちょっと寄ってみようと階段を上ると、脇に青いビニールシートの小屋、誰かいるようだ。そう言えばインターネットの情報で、この辺りにホームレスが住み付いているというのがあった。集落から離れたこんな場所で、どうやって食料調達するんだろう・・・余計な心配をしてしまう。東洋町と室戸市の境界標識の下、歩道でビニール製の手提げカバンを拾う。中には財布・携帯電話・ダバコなど、とりあえずザックに入れて歩き出す。入木集落に着き、仏海庵でカバンの中身を調べてみる。住所の分かるものはないが、「ヤマモト」というひとの落し物らしい。現金は31000円余り・・・信心で八十八札所を巡っているわけではないが、形だけでも遍路の真似事をしているのだから、ネコババはできない。交番を探して届けよう。佐喜浜駐在所での拾得物預書作成に、思いのほか時間がかかってしまう。駐在さんの説明では、今年11月11日までに持ち主が見つからない場合、室戸警察署まで来れば現金を受け取れるとのこと。バイクで来るとしても、交通費と宿泊費で半分以上なくなってしまいそうだ。佐喜浜から先は海岸沿いに平地もあり、集落や人家が見られる。今日は統一地方選挙の投票日、室戸市議会議員選挙のポスター掲示板があちこちに立っている。ポスターのなかに「とくます」という候補者がいるので、この先にある「民宿とくます」の経営者が立候補しているのだろうか、などと思いながら歩く。歩きながら考えることは、こういったどうでもいいことばかり。「民宿とくます」の前には、「とくます候補連絡事務所」の看板が出ていた。(後編につづく)
2007.01.25
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01月13日の「関東外周山つなぎの旅31日目」で宿泊した酉谷山避難小屋、長沢背稜酉谷峠の南急斜面(1595m)にへばり付くように建つログハウス風の小屋です。「関東・越後の避難小屋114」によると、1997年築で収容人数6名となっています。日原からの酉谷山往復なら日帰りでOKですが、長沢背稜を縦走したり、秩父側へ抜けたりする場合の宿泊に重宝する存在です。小屋の窓からは遮るもののないパノラマ展望、鷹ノ巣山を正面に石尾根の連なりを見渡すことができます。天気が良ければ富士山も望めます。小屋前に水場(写真下)、奥にトイレがあり、避難小屋としては最上級と言えます。好天とは言え真冬、他に宿泊者はいないだろうと予想していましたが、着いてみたらすでに3人が寝袋を広げていました。シーズン中の休日に利用する場合、「寿司詰めが好き」というひと以外は、テントを持参しないと後悔することになるでしょう。
2007.01.23
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(8日目前編よりつづく)水床トンネル出口が県境、徳島県から高知県に入る。東洋町甲浦港、1巡目で泊まった川渕旅館の前を通る。年末で他に客はいなかったが、布団に行火をいれてくれるような心配りのある宿だった。遍路情緒を最も感じられる場所のひとつが昔ながらの遍路宿なのだが、女将さんがひとりで切り回しているところが多く、後を継ぐひとがいないから、こういう宿は減ってゆくのだろう。思ったより早く野根の町に着き、東洋大師に立ち寄ってお参りする。古い町並みを抜けて、16:30「まるたや旅館」に到着。中庭を囲んでロの字型に建物が配置された古い遍路宿、高齢の夫婦がやっている。あとで知ったことだが、女将さんは81歳。だいぶ耳が遠くて、予約の電話で名前が聞き取れないようだ。すでに着いている客がいて、洗濯された白衣が干してある。二階の八畳間に案内される。夕方、呼ばれて食堂に降りてゆく。60歳くらいの男性遍路が2人、ビールを飲みながら食事をはじめている。他に客が2人いるようだが、まだ入浴中らしい。明日の宿のことで情報交換していると、「ドライブインのミツウラさんはもうやってないですよ。今は更地」と女将さん。ミツウラはドライブインが本業で、民宿は副業。前回遍路のとき、ここで大晦日を過ごした。夕食に年越蕎麦・朝食におせち料理をだしてくれたり、他の遍路と紅白を見たりした思い出の宿。明日の昼食はミツウラで、と考えていたのに・・・。食事の後「これを書いて」と渡された宿帳をパラパラめくっていると、先月第21番から第22番まで一緒に歩いたサトウさんの名前がある。ここまで順調に来たようだ。野根から先しばらく宿がないから、この旅館に泊まることになる遍路が多いのだろう。野根にもう一軒あった「小松屋旅館」は廃業したとのこと。夜、隣りの部屋のテレビがうるさくて、なかなか寝付けない。「まるたや旅館」、1泊夕食付5800円。鯖大師→まるたや旅館:24.0km(第1番霊山寺より235.7km)
2007.01.18
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一杯水避難小屋。東京都と埼玉県の境界を成す長沢背稜、天目山の南肩、標高1445mに位置しています。「関東・越後の避難小屋114」(高橋信一著 随想舎)によると、1980年築・1989年改装、収容人数12名となっています。01月13日の「関東外周山つなぎの旅31日目」、この小屋で昼食休憩をとりました。だるまストーブ・トイレがあり、名前の由来となっている水場まで200mほどのようです。宿泊環境は良好、利用者が多いものと思われます。ただし、避難小屋を宴会場と勘違いしている中高年グループに目を付けられ易いとも言えます。他の宿泊者の迷惑も考えず大勢で酒盛りする連中と同宿するハメになったら、それはもう最悪です。翌日の帰路・西武池袋線の車内、酔った中高年ハイカーのグループが一升瓶を自慢げに見せびらかして浮かれていました。ああいうストレス発散法しか知らない「団塊世代」と言われるひと達が、哀れに思えて仕方ありませんでした。
2007.01.17
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2007年01月14日(日)快晴思ったほど冷え込みは厳しくなく、それなりに眠れる。05:30起床、レトルト中華丼の朝食。快晴微風、06:50酉谷山避難小屋を I と共に出発する。北からの風は弱いが、ウールの手袋を通して寒気が凍みる。15分で酉谷山頂上(1718m)、避難小屋で同宿だった2人が御来光撮影のため先に来ている。太陽はすでに地平線を離れ、富士山をオレンジ色に照らしている。秩父方面へ向かう山道は、酉谷山を北へ下るマイナールート。昭文社の山地図でも「破線」で示されている。山頂北側の急斜面雪上に、このルートを登ってきたと思われるトレース・・・足跡は1人分、単独行のようだ。このトレースと目印テープを頼りに、下山開始。「破線」で示されているだけあってルートの取り方がかなり強引、斜面を直線的に急降下している。北斜面は雪が深く、膝まで埋まってしまう場所もある。心強いのは、赤や黄色の目印テープが濃い密度で付けられていること。頼りのトレースに鹿の足跡が交錯する。大血川峠から登り返し、07:50小黒(1650m)でひと休み。登山靴のなか、つま先が冷たい。笹ヤブのかなへ、更にトレースをたどる。ぽっかりと丸く雪がなく、地面の見える場所が時々ある・・・吹雪をやり過ごすため、鹿がうずくまっていた跡のようだ。工事用トラロープ伝いに急斜面を下る。トレースが二方向に分岐、「山火注意 東京大学」の看板にマジックペンで「熊倉分岐」と書き込みがしてある。当初の計画では尾根伝いに熊倉山まで行き秩父鉄道白久駅へ下るつもりだったが、I と協議のうえ、大日向へ下るエスケープルートに変更する。この辺りは東京大学の演習林、甲高い鹿の鳴き声が聞こえる。自然林と植林地が交互に現れるなか、ジグザグ道で標高を下げてゆく。南斜面では雪が消えるが、北斜面はガチガチに凍った雪道。アイゼンを外すことができない。谷底に林道が見えだすころ、ハイカーがひとり登ってくる。「小黒までの往復です」とのこと。10:05東谷林道に降り立つ。アイゼンを外したのが失敗、路面が凍結していて何度も転びそうになる。大日向で林道ゲートをくぐり、10:45大血川渓流観光釣場の休憩舎で昼食休憩とする。インスタントカレーうどんと菓子パン、食後にコーヒー。大血川沿いに車道を進み、12:10国道140号線に出る。太陽寺入口バス停から12:30発の西武観光バスに乗り、秩父鉄道三峰口駅へ。12:57発の電車で帰途に就く。酉谷山避難小屋→太陽寺入口:11.1km
2007.01.14
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2007年01月13日(土)快晴のち薄曇今年の歩き初めは友人 I と2人、避難小屋利用の1泊2日。08:23JR青梅線奥多摩駅着、08:30発日原行きの西東京バスに乗り換える。車内は満員で席に座れないハイカーがいるほど。08:52終点・東日原で下車、前回の続きを歩き始める。山道に入ってしばらく、民家の玄関先でゴミを燃やしているおばあさん「1時間くらい前、2人登って行ったよ」とのこと。植林地の急斜面、ジグザグ道で高度を上げる。ヨコスズ尾根に出ると、明るい自然林に変わる。うっすらだった雪が標高1200m付近から凍った雪道になり、10:30アイゼンを装着する。ザックの肩ベルトを長く調節してしまったようで、腰に負担がかかって具合が良くない。尾根西側の小川谷から頻繁に銃声、Iは流れ弾が来ないか心配している。快晴だった空に、少し薄雲が広がりだす。11:50一杯水避難小屋。先客が3人、蕎麦粒山の方から来たそうで日帰りとのこと。インスタントラーメンと菓子パンで昼食休憩、食後にコーヒー。小屋の中では寒さを全く感じない。ザックの肩ベルトを短く調整して、12:30出発。酉谷山へ続く尾根は長沢背稜、東京都と埼玉県の県境を成す。登山道は尾根の南側を巻く感じで延びている。前回歩いた石尾根に鷹ノ巣山、その向こう微かに富士山の輪郭も見える。途中でハンターが2人、鹿の駆除なので持っているのは散弾銃ではなくライフル。時間に余裕があるから、普段より多く休憩を取りながら進む。登山道を付けることのできない岩場には桟道が設置されているが、ガチガチに凍った雪に覆われている。アイゼンなしでこれを渡るとしたら命懸けだ。14:20七跳尾根分岐を通過。尾根を回り込んで、ようやく今日の宿泊地の避難小屋が見える。急斜面にへばり付くように建っている。15:05酉谷山避難小屋に到着、標高1595m。こんな季節だから誰もいないだろうと思っていたら、先客が3人。収容人員6人だから、スペース的には十分。小屋の正面は遮るもののないパノラマ展望、次第に暮れてゆく夕日を見ながらのんびり過ごす。暗くなる前にレトルトハヤシライスの夕食、日本酒を燗して体の内側から温まる。19:00就寝。夜中トイレに起きたら、オリオン座がはっきり判る星空だった。日原→酉谷山避難小屋:11.6km
2007.01.13
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2003年04月26日(土)晴のち曇三宮07:20発の山陽電鉄高速バスで09:05徳島駅、09:13発のJR牟岐線に乗りつないで、計画通り11:26牟岐駅着。鯖瀬への乗継電車は12:15まで待たなければならないが、駅前からの徳島バスなら11:35に発車する。窓口で鯖瀬までの運賃190円を払って買った切符は、100円と90円の切符をセロテープで貼り合わせたもの。地元のおばあさんばかりが乗るマイクロバスは、2分遅れで発車する。歩けば1時間かかる4kmほどの道を、バスは8分で運んでくれる。自宅を出てから5時間以上、11:45ようやく今回の区切り打ちの起点・鯖瀬に着く。別格4番鯖大師をお参りして旅の安全をお願いしたあと、駐車場のベンチでコンビニおにぎりの昼食、12:00歩き始める。今日の宿は東洋町野根の「まるたや旅館」、距離は24km。急いで歩いて17:00までに着きたい。浅川からは国道を避けて旧道を使おうと考えていたが、いつの間にか分岐点を通り過ぎてしまう。海南町のヘンロ小屋でひと休み。おばあさんが2人、お茶とトマトでお接待してくれる。先客の自転車遍路のおじいさんは「野宿旅だから時間なんて気にしなくてもいい。もう2時間もここで休んでる」とのこと。こちらはそうもしていられない、10分くらいでお礼を言って出発する。国道55号線をひたすら歩く。遍路シーズンとあって、歩き遍路の姿もよく見かける。今朝日和佐を発った遍路は宍喰あたりに泊まることになるので、そういうひと達なのだろう。60歳前後の男性が多い。菅笠と白衣の遍路装束だと、どのひとも同じように見える。(後編につづく)
2007.01.11
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(7日目前編よりつづく)イトウさんとふたり、おかざき商店前のベンチに座り、かなり早い昼食にする。こちらは「民宿田井の浜荘」のお接待弁当。食事のあとイトウさんは携帯電話で鯖大師に宿泊予約を入れている。商店の公衆電話が故障しているのでその携帯電話を借り、高速バス予約センターにキャンセルがでていないか聞いてみる。「16:00の便にひとつだけ席があります」との返事、運良く帰りの席を確保する。ほんの2時間前に知り合ったひとから電話を借りられるというのも、通常の生活では考えにくいことだが、歩き遍路同士だと気兼ねなく頼めるから不思議だ。「今日は鯖大師までだから、のんびり行きます」と言うイトウさんと別れ、出発。1時間ほどで牟岐の町にはいる。牟岐警察署前で地元のボランティア団体が、派手にお茶のお接待をやっている。遍路装束のおじさん2人が呼び込みをしているけれど、地元のひとであってお遍路さんではない。時間に余裕があるのでコーヒーをご馳走になる。椅子に腰掛けて飲んでいると次々3人の歩き遍路が来たが、それでもボランティアの人数のほうが多い。「来訪帳に名前と住所を」とか「雑記帳にひと言」とか、くつろいでいられる雰囲気ではない。お礼を言って早々に退散する。12:30今回の区切り打ちの終点・鯖大師に到着。トイレに寄ると、洗面所で歩き遍路のおじさんが髭を剃っている。電車の時刻はまだまだ、参詣者も少ないのでゆっくりお参りする。今回の遍路ではどの札所も大勢の巡拝者で賑わっていたし、歩き遍路にもずいぶん会った。新聞には団体バス遍路の広告がよく出ているし、歩き遍路が増えているという話もよく聞く。3~4月がベストシーズンだとは知っていたが、予想以上だった。バスの団体が来て騒々しくなり、本堂前のベンチを離れる。もう一度トイレに寄ると、きっきのおじさんが今度は頭を洗っている。JR牟岐線鯖瀬駅、荷物の片付けをしながら電車を待つ。定刻13:27発、予定通り電車とバスを乗り継いで、19:15大阪梅田で友人と落ち合う。自宅に帰り着いたのは、22:00過ぎ。田井の浜荘→鯖大師:31.9km(第1番霊山寺より211.7km)
2007.01.05
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山歩きでのひと休み用に携行するのは、普段だとチョコレートか飴。12月28日の歩き納め「関東外周山つなぎの旅30日目」、和菓子「千歳」を持って行きました。年末年始に自宅で食べるため、前日に買い求めたものです。「千歳」は、出身地金沢の和菓子屋「森八」の伝統名菓。進学で金沢を離れるまで、年に1~2回、祝い事や頂き物で口にする特別な御菓子でした。社会人になって東京勤務。「千歳」とは縁があったのでしょう、「森八」東京店は会社のすぐ近く。少し改まったときの手土産にこの和菓子を利用してきました。鷹ノ巣山へ向かう石尾根縦走路でひと休み、道標に紅白の「千歳」を並べて写真に撮ってみました。
2007.01.04
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