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実は、ほぼ完成まで書いたのは5本。中途でなげたものが10本ほどあります。単純に、ページ数のすくないものがほぼ完成。10ページを超えるものはすべて断念しています。で、ここに出したものは、5本目、最新作ですが、1981年のものです。この時期、高校は卒業していて、とりあえず漫研に籍がなく、所属する同人誌がない状態でした。出すあてもなく、なんとなく書いてしまいました。あえて好意的に表現すれば、2008年現在、未発表で、書き下ろしで、最新作です。3本目と4本目は、部分的に紛失しているページがあって、見つかったらまた出します。3本目が自己ベストなのですが・・・。勝手にネタにしてしまった吉本くん、やっと陽の目をみますよー。この舞台のアパート、長七さんの<下宿ネタ>が、思い出させてくれました。 ↓(2)←(1)↓ →→→→→→→→→→→→→→→→→→→→↓ ↓(4)←(3)↓ →→→→→→→→→→→→→→→→→→→→↓ (6)←(5)<<拡大版はコチラで>> ※19歳の12月のもの※
2008年10月29日
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みんなー。起きてるか!今日はこんな番組。なかなか、早寝はできません。あさがおが24時より早くに眠れる日がくるのは、いつだろう。石川鷹彦さんがテレビ出演。ギターの音色は知っているし、あちこちで字も見るけど、顔は知らん!でも、すごいんだぞー!10月26日(日)22:54~23:24 テレビ東京 系日本のアコースティック・ギタリストの草分けにして第一人者、石川鷹彦。1968年25歳からプロのスタジオミュージシャン、アレンジャーとして活動を開始。南こうせつやイルカをはじめ、70年代フォーク、ニュー・ミュージックの名曲に驚くほど多く携わっており、各ミュージシャンの絶大なる信頼を得ている。アコースティックギターのみならず、マンドリン、バンジョー、ブズーキ、ドプロ、そしてシンセサイザーのプログラミングをもこなす。現在は年間100本以上のツアーサポートをする傍ら、自身の作品を精力的に制作中。これまで手掛けた作品は3000曲以上。今なお現役にこだわり魔法の音色を奏で続ける。ギター歴50年、石川鷹彦の技巧に迫る!アノ名曲はこうして生まれた…数々の名曲誕生の裏に隠された真実とは!?http://www.tv-tokyo.co.jp/m-jin/で、まさか2日つづけて、いやいや1日2回も、まっさんのご尊顔に拝することになろうとは。みんな、はやく、テレビつけるんやで。(あさがおの、ライブ・ブログでした。)ついき)同じ番組が下記で放送されるようです。BSジャパン 10月29日(水) 24:00~24:30 http://www.bs-j.co.jp/bangumi/html/200810292400_19429.html(ところでね、こっそりと訊くんだけれど、BSジャパンって、やっぱ地デジとはちがうもんだよね?)
2008年10月26日
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なぜか、テレビつけたら、さださんのこの番組にあたるんです。で、反省。「つぎにはきっと、ハガキをかくぞ!」と、思っていたのに、また、果たせませんでした。10月25日がグレープのデビューした日とのことで、「雪の朝」を生演奏。さださんてば、表通りを荷馬車がすぎてゆく時代から、レコード出してたのね。おかげで、今日も夜なべです。ねむー。つぎは、紅白のあと、元日になるのかなぁ。http://www.nhk.or.jp/masashi/
2008年10月25日
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(´艸`) 今日のBGMはこちらを拝借という顔文字を見るたびに、いつも、記憶をよぎるかわいい画像。顔の前に手をあげるのは、阿保美代さんのマンガのなかのこどもたちの、得意なポーズなんです。そこで、スクラップをつくってみました。こんなやさしい絵をかける漫画家さんが「埋もれ火」しているなんて。(単行本や古雑誌を、スキャナーでぎゅーっとするのはちょっと「つらぃよ」なので、デジカメで集めました。影がでてるけど、想像力で消してね!)
2008年10月23日
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テレビのクイズ番組で、「風を数える単位は?」という問題があった。答えは、「迅(陣)」であった。ちょと、ちがわないかなぁ。一迅(陣)の風はあっても、3迅(陣)の風って聞いたこと、ある?一息いれる、一握の砂、一生の問題、一計を案じる、一面の花畑、一気呵成、一念発起、一介の教師、一天にわかに、・・一ではじまる言葉はあっても、単位ではないものもある。二息いれる、三握の砂、四生の問題、五計を案じる、六面の花畑、七気呵成、八念発起、九介の教師、十天にわかに、・・単位であれば、こんな言葉も成り立つはずなのですが・・・。一つに集中することの意味合いと、ほかにはない(全)という意味合いと、あるかないかという意味合いと、「一がついても単位であるとはかぎらない」という仮説・・・。そういえば「一説によれば」というのもありました。「一大事」とか・・。 まとまりませんが、あとはヨロシク。大和製衡 中型上皿はかり1kg河島英五河島英五『 てんびんばかり』お子さまの創造力や感性を高める木のおもちゃナカバヤシ 木製知育玩具 -数-てんびんブロックBTG-B03
2008年10月22日
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(今日も、笑えないんだな。ごめん)自分の同姓同名の人が、この日本に2人(A氏、B氏)は存在する。昨年はそう信じていた。今日は3人目(C氏)がいることを、ネットが教えてくれた。で、このC氏がとにかく、アクの強い方である。まず、キリスト教系の支流に属する宗教の中間管理職であり、生命及び医療について、一般の医師と対立する教義を堅持する人である。年齢適には7歳ほど、目上の方であるが、姓名の漢字表記がまったく同じというのは、そら恐ろしいものがある。姓名占いが、外れる可能性を調査するにはよい機会かもしれない。A氏については、自分と同じ業界で、大手に属していることや、自分の父親の出身県で就職している点など、共通点があり、姓名占いを信じるキッカケにならなくもない。B氏については、犯罪を犯して判決を受けたとの記事であり、共通点は特にない。そしてC氏。この方が信奉する宗教は、「みんないい人だったよ。でも、聖書の読み方が間違っているんだよね」という端的な評価を受けていた宗教である。輸血ができないとか、ちょっとシビアなんだなぁ。で、なんかの拍子に○○派のところに、自分の同姓同名がいるのを見つけたら、どう、思うのかなぁー、ちっとこわいぞ!神さまってば、とおまわしなバチを用意してくれたのかな。
2008年10月21日
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※※このカキコミのうち、緑色の部分はフィクションであり、現実のものではありません※※とか、あえてさきに書いてみる。こんなこといいな、あったらいいな。 アソウ内閣の閣僚全員が、全国各地の社会保険事務所で、1日所長をつとめることとなった。これにより、「消えた年金問題」を単なる社会保険庁内の問題ではなく、政府全体の問題として再認識することになる見込み。これは、他省庁からの人的支援を切望するマスゾエ大臣からの切望をうけたもの。各大臣が社会保険庁の「現場」に立ち、人的支援の必要性を確認することを目的とする。40年間で積もり積もった問題点を、現行の社会保険庁の職員だけで確認作業を行い、なおかつ、通常業務までも処理することは、どう考えても無理なこと。早期解決を計るためには、人的支援は必要。また、臨時雇用職員には個人情報守秘についての問題点も指摘されており、国家公務員による増援に期待する声は多い。この視察で各大臣は、社会保険事務所の開業時間から就業時間まで、終日所内に拘束される予定で、所員の職務状況の視察のほか、順番待ちの高齢者の苦労なども目の当たりにすることになる。野党関係筋からは、先月、スーパーマーケットを視察した際のアソウ大臣の緊張感のない態度に対する非難の声を避けるためのパフォーマンスではないかとの、憶測も呼んでいる。こんなこといいな、あったらいいな。 あ・そうさんも、楽チンな現場だけを視察してちゃ、だめだよね。主婦の声は聴かないで、お店の都合を聴いているあたりは、消費者よりも経営者だね。つい)社会保険事務所での上手な順番待ち(時間つぶし)の仕方。ホイチョイプロダクトにしか書けないだろなぁ。【防災用品/保存食・非常食】水で戻せるご飯!アルファ米・五目ご飯ホッカイロひざ用 2コ入[4902407347497]【折りたたみイス チェア】LOGOS(ロゴス) ビタミンタイニーチェア グリーン 73021484世界の高齢者福祉緊急防寒ブランケット【災害時の簡易防寒具・アウトドアやスポーツ観戦に】ホイチョイプロダクトのおちょくりに、受験生ブルースを想起するあさがおであった。
2008年10月21日
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前回の分はコチラむかしの年賀状シリーズ第2弾。平成一桁のぶんが、見つかりました。1999年だと思いますが、<謹賀新年なら、銀は萬年。>やはり、ダジャレねたです。きんさんぎんさんの画像資料が手元になく、まったく似ていない顔になってます。まだ、カラーコピーが普通紙(ハガキ)には使えなかった時代でした。水彩手塗りなので、結果、いろんなバージョンができてしまいました。ばらつきができてしまったものを、これはA先生に、これはB子ちゃんに、とふりわける作業も苦心のシドコロ。ずいぶんと時間がかかったものでした。1991年(平成3年)の「ひつじどし」とおもわれます。これも、白黒コピーのあとに水彩で塗り絵して仕上げてました。カラー版は残っていません。もとねたは「迷える仔羊に愛の手を」。仕事に迷い、馬券に迷い、人生に迷い・・・・。1993年(平成5年)の「とりどし」。この年はチャレンジャーだったようです。白黒コピーは使わず、1枚ずつトレスしています。なんでそんな面倒なことをしていたのか、記憶がありません。なにかの絵本でみた絵を思い出しながら描いたようです。正月らしさのカケラもないのが、スゴイです。趣きのある和風カード 【手書き年賀状に】手漉きの伊予和紙「麻入りはがき」(無地)5枚絵手紙むき顔彩 木箱セット 年賀状や葉書カード作成ユーモア絵手紙年賀状
2008年10月18日
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よぴちさんとこで話題になっていたので「水の影」をきいてみた。このところ、某所でよく聴く曲なのですが、BGMで使われていて、ナレーターさんの声がかぶさるので、歌詞をキッチリと聴いたことがなかった。番組の名前は、「探検ロマン世界遺産」(NHK)。1番の歌詞は、それっぽいですね。2番の歌詞は、この番組には、ちょっと生々しいですね。この1番、2番なのですが、もうすこし、シャレた言い方があったように思うのですが、思い出せません。だれか、おしえてください!で、ゴンドラよりは大きい船ですが、こんな絵がありました。 「百万年の船」ポール=アンダースン
2008年10月17日
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(これは、9月25日12時から16時におきたできごとである)韮崎までの区間は、耕作に向かない細くて急勾配な谷筋は、樹林のままに残され、岡の上の平坦地や、幅のある谷底は、むだなく田や畑に使われている。この2つの風景が、1~3分間隔で交替する。それにあわせて、カメラを構え、シャッターを押す。車窓からの風景をオートフォーカスでとると、4回に1度くらいはガラス面でピントをとってしまい失敗する。ふと気がつくと、マニュアルでもピント設定ができる。ピントを風景に設定し、シャッターを押すと、瞬時に「カシャ!」あ、マニュアルだとタイムラグがなくなるんだ。この携帯とお付合いして約2年、今頃気づいてる。帰りの車窓写真には期待が持てそう。小淵沢へ到着。本来は、ここから小海線へ乗り換え、遠回りして帰る予定でした。今回はお通夜の予定がはいってしまったため、省略。これも次回の課題とする。 甲府で乗り換え。2分ほどしか時間がなく、トイレも駅弁もあきらめる。甲府を過ぎると、平坦地であっても田んぼはなくなり、果樹園が多くなる。中央本線の上り線と下り線の間は離れているところがある。上下独立の鉄橋が、ほんの数十メートルはなれて、あり、その間で鮎釣りの姿を見るが、さすがにシャッターは間に合わなかった。甲府駅あたりから、高校生が多くなる。男子と女子が別々のグループにわかれるのは、昨日の小淵沢の学生たちとかわらないが、冗談混じりに肩をたたいたり、強気な子と、弱気な子の個性が簡単に見てとれたり、自分の見慣れた都会の学生と変わるところがない。女子学生は「こっち、こっち」などと騒ぎながら、三々五々、席に着く。座席にゆとりはあるものの、はなればなれになるのがイヤなのか、男子のグループはドアの近くで立ち話をはじめる。沿線の地形が平地から丘陵地にかわり、勝沼ぶどう郷駅周辺の果樹園の広がる景色は、旅行者にとっては興味を惹くものなのだが、高校生らには単なる日常でしかないらしく、相変わらずのようすで話続けている。甲府から乗った電車の窓は、土埃に覆われて、くもりガラスのようになっていた。昨日、行きの列車では、先頭と最後尾の車両だけは窓が綺麗だった。もしや今回も、と、他の車両もまわってみるが、どうも無理なよう。このため、高尾までの窓際写真はすべて、ソフトフォーカス風になってしまった。 大月駅では乗客の多くが降り、それを上回る客が乗る。いままでとは違った制服の学生が乗りこみ、また、背広姿の男性や、リクルートスーツ風の若い女性、ベビーカーを提げた母親など、町場の日常を思い出させる人々が流れ込む。座席はほぼ満席、ドアまわりだけでなく、通路にもかなりの人が立つ。自由にウロウロできる状況ではない。 途中、上野原駅で特急の通過まちをする。トイレを探すがホームにはない様子。待ち時間がわからないし、乗り遅れると1時間待ち、ガマンすることに。ホームへ出ると、以前にテレビでみた風景がある。駅から丘の上の町まで登るエスカレーター。思っていたより、かなり大きい。 高尾でも乗り換えの時間は短く、とりあえず八王子までトイレをガマンすることに。八王子でトイレへ入る。ほっとする。長くてL字型にまがった跨線橋で、横浜線100周年のポスターを見つける。車内補充券がなつかしい。 「各停・東神奈川ゆき」は、すでに座席が埋まっており、座れない様子。次の「快速・桜木町ゆき」はまだホームについたばかりらしく、空席が目立つ。10分ほどまって発車。会社員、専業主婦、配送員、女子大生、営業員、老婦人、建設会社社員、などなど。だいたいのお客さんの属性がはっきりする。日常からかけはなれた異質な客は、法事帰りらしい老夫婦と、自分くらいのもの。うつらつらとするものの、駅の間隔がみじかく、そのたびに目を開ける。この駅はもっと畑が多かったはず、八王子みなみ野駅? 新設駅かな。そんなことを何度かくりかえすうち、ある駅でも目をひらく。ここは、ずーっと片思いをしていたようこさんの家のある駅。30歳くらいまでは実家に住んでいた。今もいるかもしれない。<フラッシュバック>・・・・・学校の近くの弁当屋。図書館。スーパーマーケット。東京駅の地下のうなぎ屋。ディズニーランド。三浦海岸。等々力の公園。高田馬場の喫茶店。新宿の紀伊国屋書店。・・・・・・。<フラッシュバック>ようこさんのいる場面がつぎつぎと、目前に、よみがえる。寝ぼけた脳が暴走している。ほんの数分のことだったようだけれど、不思議なものである。死ぬかと、思った。この電車は「桜木町ゆき」か。きっと、そのせい。島崎ひとみさんの「one more time, one more time」を思い出す。♪いつでも捜しているよ どっかに君の姿を 明け方の街 桜木町で こんなところに来るはずもないのに♪15時30分、無事に帰宅。このあと、通夜に出席のために、東海道本線に乗る。1日に2つの「本線」に乗るなんて、なんとめずらし経験。まぁ、それくらいでは「本線」で通学する学生さんには勝てない。とりあえず、にわか鉄ちゃんの旅は、いろんなものを引きずりながらも、終わったのであった。(これは、9月25日12時から16時におきたできごとである)
2008年10月13日
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他人ごととは思えないアニメがはじまります。だって、タイトルがね、「ねぎぼうずのあさたろう」ねぎ+あさたろう(+ぼうず) って、言うじゃなぁ~ぃ。 http://www.toei-anim.co.jp/tv/negibozu/12日のあさ6時30分。5時間後ですよー。Keyさんと、ありさんが起きてるくらいかなぁー。
2008年10月12日
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(これは、あけて9月25日10時から11時におきたできごとである)昨日とちがい、ロープウェーの駅はおおにぎわい。つぎつぎと送られてくる小学生を、2名のスタッフさんで降ろしている。そのうちの一人が、下山用の乗り場へ移動してくる。傍らの箱からおしぼりをだして、渡してくれた。昨日、麓駅で買った缶コーヒーを開ける。冷たい。昨日のゴンドラに比べると、樹脂性の窓にキズが多く、ちょっと不満。すれ違う登りのゴンドラには、小学生、マウンテンバイクを乗せた人、中高年のグループなどなど。昨日とちがって、からのゴンドラはない。 麓駅へおりたのは、ほぼ10時。タクシーのりばまで歩く途中で、タクシー会社へ電話し、10分後に待ち合わせする。昨日の「赤いヤッケ」が気になるが、待ち合わせに遅れるといけないので素通り。駐車場には小学校の名前を表示した観光バスが4台。タクシーはまだ来ていない。涼しいのは間違いないが、1時間半も歩いていれば汗をかく。シャツも真冬用の厚いものを着ている。駅で着替えるつもりでいたが、ここでしまおうと思い、上半身はだかになったところで、タクシー到着。富士見駅までは1500円。首都圏の私鉄なら2駅分に近い距離。曲がり角も目印がなく、地図もなく歩くには無理がある。20年ほど前に、「すずらんの里」という新駅ができているが、距離はあまり変わらないが、こちらは無人駅ということ。駅で時刻表をみると30分ほど間がある。駅員さんは、道案内でいそがしい様子。以前のお土産物のお店はなくなっており、駅の横の売店へ回る。「くるみぱい、ありますかー?」「あれは、扱ってないです。農協まで行けばあるとおもうけど・・・」あまり近くはにようなニュアンスが言外に。「蕎麦」と「野沢菜漬け」を買う。 (ここで「み」さんがホクソ笑んでくれているだろうか)駅のベンチで荷物を整理。先ほど脱いだシャツをビニール袋につめ直す。靴を変える。2リットルのペットボトルには、まだ半分ほど水が残っている。あれこれ、工夫してみても、お土産まではかばんに収まらない。駅員さんに八王子までの乗り継ぎを聞くと、「あずさ」を使う経路を教えてくれた。が、早く着きすぎる。各駅での経路を聞くと、甲府で乗り換えるよう教えてくれた。横浜までのキップは自動販売機で買えるとのこと。 駅の待合室では、「開駅100年記念」の写真展示と、井戸尻考古館のポスターをみて、列車をまつ。10分ほどのゆとりをみて、跨線橋をわたって下りホームへ。昭和55年にはこの跨線橋はなかったと、記憶している。10時51分、乗車。観光の人、普段着の人、とりまぜて席の30ほどが埋まっている。4席とも空いているボックスは、3箇所しかなかった。進行方向右側に着席。ことら側なら、来るときに見てきたのと同じ側なので、写真がとりやすいはず。と、思ったとたん、鉄橋を通過。一番気に入っている田んぼを撮りそこねる。(これは、あけて9月25日10時から11時におきたできごとである)
2008年10月10日
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(これは、あけて9月25日7時から10時におきたできごとである)携帯のアラームにせかされて起床。窓の外は明るいものの、うす灰色の雲が広がり、切れ間はみえない。雲の色は明るい灰色。雨の気配はないように思える。まずは歯磨き。山小屋によくある洗面台。間口がひろく、蛇口が5個、横一列にならんでいる。夏場の朝には、大人数の子供たちが、わいわいがやがや、おしあいへしあいするのだろう。傍らには、地元の工務店さんのカレンダーがかけられている。そういえば洗面台は木製でブリキの薄板で捲かれている。この建物は、どこもかしこも、手づくり。築年数は判然としない。30年ほど前の地図には記載されており、その前から建っているのかもしれない。冬はスキー場にほどちかく、雪に埋まりながらも、年数を重ねてきたのだろう。7時30分、あさごはん。鮭と海苔とお味噌汁とお漬物と。ほかにも幾品かあったのだけれど、寝ぼけていて思い出せない。ちょっと無作法かな。と、思いつつも、他のお客さんが食堂を出られたので、3杯目のごはんにお漬物をのせ、最後にお茶漬けをいただく。こんなにのんびりと朝食をとることも、普段にはないこと。かたづけ荷物をまとめ、布団をたたむ。忘れ物の無いことを確認。受付で支払いをすませ、荷物をあずける。8時20分、登山道へはいり、山頂へ向かう。片道、30分ほどの道のり。手には軍手、タオルを襟首に巻き、レモン水のペットボトルを水筒がわりに持つ。雲は多少せわしなく流れていく。風も、笹なり木立なりを揺らしながら、絶えず過ぎてゆく。シーズンはずれで、他に人影はない。確かに、こころぼそい思いがする。 昨日の湿原の道のりに比べると、勾配もきつく、まさに登山道。この時期でも、路傍の笹群の縁では数種類の花が咲いている。5分ほど登って、小休止。路傍のホタルブクロなどを撮りながら、息を整える。呼吸が落ち着くと、2種類の鳥の声が聞こえる。巣を守ってでもいるのだろうか、移動はしない。更に5分ほど登る。登山道の右側の眺望がひらける。手入れが行き届いた芝庭のような、牧場が見える。左側のゲレンデのほうが荒れた感じがする。牧場側 ゲレンデ側このところ、英国のリンクスのゴルフ場をテレビで見ることが多いが、くすんだみどりの色に、似たものを感じる。寒冷地と高地は植生が似ているというのを、おおざっぱながら実感する。牧場側 ゲレンデ側山頂まではあと15分ほどかな。岩場ルートと迂回ルートの分岐点に到着。ひとり歩きであれば、安全優先。迂回ルートをさらに5分ほど進む。とつぜん、風がとまる。雲はあいかわらず流れてゆくのに。鳥の声も止んでいる。寂寥・・・?登頂はせずに引き返すことにする。昼には電車に乗らねばならないが、1時間に1本の電車なので時間にゆとりがあったほうがいい。言い訳をつくろう。下りは足もとへ視線があつまる。そのためか、のぼりの時には気づかなかった花々にきづく。 半分ほど下ったところで、ゲレンデ側へ目線をあげる。遠くの山並みは雲に見え隠れしているものの、手前の電波塔はよく見える。山荘の近くに軽トラックがとまり、鹿よけネットの設置作業をしている人影がひとつ。孤独な仕事なぁ、と思っていると、中型の黒っぽい犬が1頭。トラックと作業員さんを中にして、輪をかくように走っている。山荘の近く、登山案内板のそばにある公衆トイレへ寄る。なんと水洗、こんな場所なのに・・・。入笠山は、女性でも安心して登山していただけます。トイレを撮影しようと思い、中はキレイだけど下品かな、外側だけでいいいかななどと思いあぐねていると、間近から犬の息吹。さきほどの黒っぽい犬がすりよってくる。「こらこら、かえって来い」飼い主さんは以外に若く30代後半にみえた。昨日、湿原の入口であった人とは別の人だった。(トイレの写真はすっかり忘れてしまう)9時頃にはマナスル山荘さんへ戻る。 山荘のお母さんにあいさつし、荷物を受け取る。「今朝は急に寒くなったねぇ」といわれたが、前日までの様子を知らないので、「そうですね」としか言えない。受付においてある観光マップを見る。ロッジの間を抜ける近道は省略されている。迷子にはなりたくないので、確実な車道をすすむ。昨日あるいた車道でも、見落としていた花を見つける。 山彦山荘のまえから湿原を一望。ドライブにこられている数名のグループが2組ほど。ひと組はカメラ仲間、もうひと組は家族連れの様子。 今日は寄り道があるので、湿原には入らず、車道を進む。先ほどのロッジ道が左手の斜面をくだってきて、合流する。寄り道は高校時代に毎夏お世話になった「すずらん寮」。建替えられているが、まさに「この場所」である。 以前は、寮の入口から見えた山が、道路を挟んだところにある木立が大きくなり、かくされてしまっている。湿原との距離が近いことに驚く。単純な学生であったあのころは、山頂を征することには目が向くものの、近場の湿原へ降りることは考えてもみなかった。寮の前で右折し、山頂駅へ向かう。あのころにはこの路はなく、寮が最奥だったように記憶しているが・・・。山頂と寮を結ぶ裏道(ロッジ道)しか使わず、山彦山荘の位置も知らなかったのだから、あったのに気づいていなかっただけなのかもしれない。 道案内にしたがって行くと、昨日湿原へ入っていった十字路にあたる。昨日の林間ルートへ入る。途中、並行している自転車コースを走る人と2回すれ違う。レンタルのマウンテンバイクを使えば楽だったかもしれない。次回の課題。 山頂駅の手前でにぎやかな声が聞こえてくる。小学生が40人くらい、駅から出てくる。先生らしい大人の方も10名ほど。ここにも何人かのイタズラぼーずがおり、列を離れて走り回っている。ここは八ヶ岳を見渡せる場所なのだが、雲がかかっていて不調。昨日、アベックさんに遠慮して撮らなかったことを後悔する。写真をみると静かな印象ですが、遠足集団から50Mもはなれていない状況でとりました。 (これは、あけて9月25日7時から10時におきたできごとである)
2008年10月10日
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(これは、18時から25時におきたできごとである)「お食事の用意ができました」との声が聞こえてきました。食堂にはもう一組のお客さん、一組のご夫婦がすでに席に着かれていました。「よろしくおねがいします」と、簡単な挨拶で済ませてしまう。きちんと自己紹介なりしておけば、多少のコミュニケーションが生まれたかもしれないのですが、無口な風情で垣根を作ってしまいました。いくつになっても、人見知りな自分です。盛りだくさんなご馳走です。かりん酒、岩魚の塩焼き、揚げ物の盛り合わせ、くりたけのおひたし、お漬物、その他もろもろ。どこから手をつけようかと迷っていると・・・、「茸汁です。あたたかいうちのどうぞ」と、大きめのお椀があつあつで出されます。「ビールとお酒もありますので、よかったらどうぞ」ついつい、ねがノンベのなものでお酒を追加でいただく。地元の佐久のお酒、眞澄、紙カップの中にプラスチックカップが入った独特なパッケージのお酒。軽量なのが山むきなのでしょうか。黙々と食べつづけ、約40分ほどかかって完食。こんなに食べて大丈夫かなぁ。でも、明日朝食まで13時間、固形の食料が手に入いるあてはなく、ぎりぎりまで、詰め込みました。小屋の大将に、星空を見にきたことをつたえ、空の様子をたずねてみる。「これから下り坂で、明日の昼には雨になるようですね。」「入口の鍵は開きますから、いつでも出て大丈夫ですよ」部屋に戻り、まどから見上げると、やはり切れ間のない空いっぱいの雲。ラジオでも聞きながら、空の様子を見守ることにするが、それ以外にすることはなにもない。何をしようか。部屋の片隅にある布団が目につく、とりあえず、敷いてしまう。「おいしい水」の2リットルボトルと、「白角」のキャップをあけ、空になった「れもん水」のペットボトルに2つを入れ、水割りを1本つくる。ラジオでは、内閣関係の特別ニュース、野球中継、FMフジ、が入るが、聴き入るほどの興味がわかない。長七さんが言っていた妨害電波だろうか。妙な金属音や、昔のUFOゲームのような音が混じる。30分おきに窓をあけ、空を見上げるのだが、やはり雲は切れない。20時40分、セーターを着込み、軍手をはめて、懐中電灯を手に、外へ出てみる。星は見えない。雲も見えない。懐中電灯で空を照らすと、雲にあたる。虫の音が聞こえるほかは静寂。ときおり、風が起こる。右手側、3~4百メートルのくさはらでわきおこった風音が、自分のほほをたたいたことなど気づきもせず、一気に駆け抜けて、西側の樹林を越えて、空へと解けていく。あきらめて部屋に戻り、21時には歯をみがいて布団へ入る。疲れているはずなのだが、なかなか寝付けない。うつらうつらとしていたが、23時30分、なぜか、目が冴えてしまう。だめもと、窓をあけて空をみる。「うおっ」 思わず声がもれる。星が見えている。靴紐をむすぶのももどかしく、表へでると、注文通りの「満天の星」、これほど星空を見るのは20年ぶり。数かぎりなく、天の川もみえる。オリオンの三ツ星が、樹林のすぐ上にかかっている。すばるらしき集合もある。30分ほど見上げつづける。いまひとつ、迫るものがない。あ、メガネをまちがえてる。ことしの春に新調した眼鏡を持ってきている。遠くがよく見えるよう調整してもらったものだ。しかたない。部屋へ戻り、眼鏡をとり、トイレへ寄ってから、防寒用に雨がっぱを着て、再出発。戸口の柱にかかっている寒暖計は12度を示してはいる。風は弱く、寒くは感じない。懐中電灯にタオルをかぶせ、背中側に持つ。目がなれてくる。北側の岡谷・諏訪方面はぼんやりと空が明るい。天上の空も、思っていたよりは黒さがにぶい。まだ9月、冬の澄み渡った空気のようにはいかない。星空へまっさかさまに落ち込んでゆくような感覚は起こらない。あと10分ほど、入笠山へ登れば、もっと視野が広がり、自分の目線よりも低い場所に星がまたたくはず。急に虫の声が高まり、なにやら小動物が動く気配。不安な気持ちが頭をもたげる。登るのは止めにして、時計をみる。24時30分。かれこれ1時間ほど経っている。オリオンの三ツ星はいくらか高い位置にきたものの、右足の星はまだのぼってこない。が、そろそろシオドキ。よぴちゃんに「<自転車セイちゃんの星座>は見つからなかったです」と、ご報告せねば・・・。部屋へ戻り満足な気持ちで就眠。(これは、18時から25時におきたできごとである)※携帯カメラの性能限界(とりめ)のため、このページには画像はありません。※ひしひし感を演しゅつするため、あえてBGMもありません。
2008年10月03日
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(これは17時から18時におきたこと) BGMはこれ!!さて、湿原の中央で一考。このまま登山道を行くか、車道へ移るか。登山道はまったく人影がなく、そろそろ日が翳り始めています。距離的にはどちらも同じくらい。安全をとって、車道で行きましょう。 さて、車道は退屈かなとおもったら、さすがに「高山植物の入笠山」。道端にもおかしなものが、ちらりほらり。しばらく歩いて旧・入笠山バス停へ。山頂まではまだ20分ほどの場所ですが、今夜の宿「マナスル山荘」さんの庭先です。今は廃線となってしまった富士見からのバスが、ここから高遠方面へ下りはじめる場所。まさに峠の場所です。高校時代、「高遠」という地名に、とてもロマンチックなものを感じつつ、バスを見送った記憶があります。西側の空が広く見えます。雲が多め。はたして、「まんてんの星」はみられるのでしょうか。 17時15分。マナスル山荘さんへ入りました。「食事は18時、お風呂はすぐでもはいれます。」とのこと。部屋は1階のいりぐちの「もみじ」、和室で広さは8帖。ひとりではのびのび。荷物をひろげて、しばらくぼんやり。トイレと洗面所と風呂の位置を確認。入浴時間や消灯時間や洗面所の使い方など、貼紙が多いのは合宿所とおなじ風情。とりあえず入浴、10分ほどで体を洗うのものの、湯船につかると、お湯がこぼれてしまいそう。山頂近くでは、「水の確保がむずかしい」と遠い過去に聞いた憶えあり。もったいないので、つからずに退出。部屋に戻り、窓から空を見上げると、青いところはまったくなく、あとで山小屋の大将へきいてみようと思っていると、夕食の仕度ができたとの声がかかりました。(これは17時から18時におきたこと)
2008年10月01日
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(これは16時から17時におきたこと) BGMはこれ!!タクシーの運転手さんは、おばさまでした。「30年ばかり前に来たときにはバスがあったと思ったのですが・・」「バスはね、赤字つづきで町がもちきれなかったんですよ」などと世間ばなしをしながら、富士見パノラマリゾート、ゴンドラ麓駅へ。徒歩40分とひとくちに言われるが、かなり複雑な道のりで、歩いていたらまちがいなく、迷っていただろう。4時10分、キップを買う、が、乗車券売り場から、ゴンドラ麓駅までは徒歩5分とか。迷子になったら、乗り遅れるかもしれない。マーフィーの法則。食堂やみやげもの店、アイスクリーム工房などの脇をぬけて歩きます。(カッコイイ防水のジャンパーを売っているのが目に入り、小淵沢ショッピングを後悔する)夜食用にビスケットあたりを買おうと思っていたが、それらしき売店がない。とりあえず、自販機で缶コーヒーと、レモン水を買う。またまた、重量がかさむ。4~5棟の建物を通り抜けて屋外へ。誰もいない初秋のゲレンデのすそにそうように、道案内のさす右方向へ。目標の山麓駅がどこなのか、はじめてなのでわからない。人影はまったくない。まぁ、マウンテンバイクとスキーを軸にした観光地で、シーズンオフで、平日で、夕方ですから。今は閉鎖されている救護所や予備のトイレなどのかたわらをぬける。歩きながら、これらの施設が、スキーシーズンににぎわう姿を妄想する。単純な連想ですが、映画「ローカルヒーロー」も思い出す。 山麓駅には係員さんが待ち受けている。何十というゴンドラが、からっぽのまま、動きつづけている。さっき聞いたバスの維持費がよぎる。ゴンドラとバスと、どっちが安いのだろうか。ゴンドラはとにかく、怖い。駅内ではゴトンゴトン、手すりに当たったりしている。荷物を入れると前後に揺れ、自分が乗ったら左右に揺れた。駅を出るやいなや、前方の視野はすべて、草に覆われた崖壁で塞がれる。意外や意外、ゴンドラはロープウェーとは思えない急角度で、上へ向けて移動する。 そうだ、自分が高い場所に弱かったことを、乗ってから思い出す。「あ、逆だ」 山側を見ていてはいけない。このゴンドラは、後方に広がる八ヶ岳のパノラマが<ウリ>なんだから。振り向くと、さすがに、すごいものが見えます。まず、麓駅の後にひろがる田園風景。ここでも田の黄いろが鮮やか。上方に目を移すとゴツゴツとした八ヶ岳の山巓の群。視線を左右にふれば、さがるにつれ、のびやかに広がるたおやかな山麓。果樹園、田畑、別荘地、いいなぁこういう暮らし。「美しい村」という言葉がうかぶ。にわか前田しんぞー。シャッターを押し続ける。と、ここで携帯が鳴ってしまう。こういうタイミングでかけてくるのは・・・、やっぱり、母上ですね。「あしたの通夜は私が行くから、かえってこなくていいからね。」(・・・あんたの行ける場所ではないって。)「明日は、昼頃に出発すれは3時までには帰るから、間合うから大丈夫だよ」「そっちから3時間で着くわけないでしょ・・・」などと、不毛な会話をしている自分を乗せて、ゴンドラは登り続けます。ゴンドラが谷をまたぐ際には目がくらみ、架線から水飛沫がとびちれば心臓が静止。さらに、スタッフジャンパーのおじさんたちが、3つのゴンドラに分乗して降りていく。「上に係員さんが、残っているかしら・・・」よけいな心配はおいといて、無事に山頂駅に到着。係員さんも、まっていてくれました。大地を踏みしめて最初にしたことは・・・、おトイレさがして、小用をたして、やっとヒトゴコチ。だって、乗り遅れたらシャレにならないので、ずーっとガマンしてたんですよ。駅を出ると、ここでもやはり、さわやかな風がむかえてくれます。大地をふみしめて眺める八ヶ岳は、ひとしおです。空を見上げると、青空4割、雲6割。ゆっくりとではありますが、確実に雲がながれてゆきます。今夜は無事、<まんてんの星空>を見ることができるのでしょうか。 あとは、今夜の宿泊所まで歩くだけなのですが、「山頂方向へあるいて20~30分です」というアバウトなご指示のみ。ぐるりを見回しても山頂は見えず。道しるべをたよりに歩き始めます。 山頂駅を発つと、最初は林間の小路です。MTB用のコースと、ハイキングコースが並行しています。手入れが行き届いていて、歩きやすい路。ちょうど、お陽さまへ向かって歩いているため、幹間を抜けてくる光線がきれいです。(コックン師匠のブログの画像を思い出します)車道と交差するところで林間をぬけ、ひろびろとした場所に出ます。ここからは湿原へ入ります。近くに湿原があるというのは聞いていたのですが、なぜか訪れたことのない場所。ここまで来ても、方向がいまひとつ、確信にいたりません。山の道しるべは時に、能力限界の推理を要求します。この四辻でも、まっすぐ行っても「山頂」、右方向へおれても「山頂」。さて。たまたま、プラスチックのポールを立てているおじさんを発見。「山頂にいくにはどっちが近いんですか」「右は車の路だけど、まっすぐ行けば湿原をこえていけるからね」近さはおいといて、まっすぐいくのが良なんですね。「鹿よけですか?」「そうだよー」「ごくろうさまです。」 湿原の入口では、紫の花が2種類だけ。一つはたしか、ヤバイやつですね。季節のためもあるのでしょうが、「高山植物の入笠山」としては、ちょっとさびしい。湿原に入ると、黄・橙・黄緑のグラデーションのなか、リンドウらしき濃い青紫の花が咲いています。やわらかな補色の組合せ。目でみると一面にひろがる色合いが、カメラで撮るとあちこちにスキマができてしまいます。雲の流れが速く、あかるいタイミングでシャッターが切れません。ついつい、枚数を重ねてしまいました。 電波塔の立っている山が見えました。あれがみえると、もう目的地はそんなに遠くないはず。方向も検討がつきます。(これは16時から17時におきたこと)
2008年10月01日
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