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2025年が間もなく終わる。昨年末(クリスマスイブ)、抗がん剤が原因と考えられる熱発があり、病院に相談するもスルーされてしまうという悲惨な事件で命の危険を感じた。「年が越せないかもしれない」という危機感を持ったことを思い出す。今年は、抗がん剤治療をやめ(病院としては停止)、10ヵ月間、がんに抗わない生活を続けた。その間、抜けていた頭髪が生え、ガサガサになっていた皮膚がだいぶ回復した。剥がれてしまった足の爪も再生し、知覚低下があった味覚が元に戻った。7月に骨折、8月に手術、10月まで片脚の杖生活を余儀なくされるという事件も勃発し、「人生の終焉に来て…」と、考えざるを得ない日々を過ごした。しかし、10月からは歩行可能になり、滞っていた事務処理事項や携帯電話が故障したことによる各種手続きを済ませ、ほっとしたのもつかの間、11月の検査結果を見たときに、「年が越せないかもしれない」と再び思った。2年連続である。抗がん剤というのは、延命を可能にするのは確かだが、わずか数ヵ月の話なのだ。24年6月に再発・転移という診断を受け、怖い主治医に聞いた。虫「何もしなければあとどれくらい?」怖「1年」怖い主治医の言葉から、余命宣告されなくても、自分の残命を計算できた。本来、25年6月までの命。しかし、24年8月〜12月まで5ヵ月間治療した。これで、25年11月+数カ月となった。つまり、25年12月〜26年3月くらいまでの命。11月の検査では、かなり数値が悪く、死因につながる症状が出るまで早くて 1週間〜数週間。緩和ケアに入って1ヵ月程度と予想され年が越せるかどうか、という計算どおりの状況だった。が、新しい主治医の判断で、抗がん剤を使った。3週間後の検査で随分改善していた。もちろん、数値的に、という話なので、それが延命を可能にすることなのか、一時的な回復なのかはわからない。しかしである。きょうは大晦日。もうすぐ23時。多分、年が越せると思う。ここ数日、自分の体にはとても敏感になっていたが、副作用以外はいつもどおりだった。幸せなことである。30年以上前、ミスタードーナッツのプレミアとしてゲットした重箱にお節的料理を詰め込んだ。日付が変わる前に年越しそばを食べようと思う。あとは、眠って、朝、目が覚めるかどうか。「年が越せないかもしれない」と思うことはもうない。元気に目覚めたら、風呂に入ろうと思う。あいにく目が覚めなかったら…。 南 無
2025.12.31
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風呂に入っていたら、ふと思い出したことがある。去年、「怖い主治医の謎の言葉の答え合わせ」というシリーズを書いていた。「答え合わせ」と言いながら、怖い主治医に確かめたものはなかった。その後の会話や事象から推察される結論を勝手に書いていただけなのだが、今年の夏に入院したとき、怖い主治医との会話の中で本当に確かめられたことが幾つかある。それを湯に浸かりながら思い出した。大した結末ではないのだが、とりあえず書いてみようと思う。時は23年5月。(以下、「怖い主治医の謎の言葉の答え合わせ ②」より)虫けらが違う病院(入院施設のない病院)からいまの病院に紹介状を持って訪れた当日、外来からすぐさま病棟に回されて、緊急手術となった。そのときは、虫けらは内科の患者。怖い主治医が病室まで訪ねてくれて、怖「外科の○○です」と名乗った。なぜ外科の先生が?という疑問の顔をしていた虫けらに、緊急手術の後、一旦退院、再度入院して外科手術を受けるスケジュールになっていると説明してくれた。そのとき、虫けらは余り意味なく、虫「先生が執刀してくださるんですか?」と聞いた。怖「別に僕が執刀せんでもいいんやけどね」ガビーンである。地雷を踏んだと思った。何か気に触ることを言ったか?言い方が悪かったか?それとも、一瞬にして嫌われたか?幾つもの疑問で頭がいっぱいになった。(以上、引用終わり)このブログの中では、「若手に執刀を任せたいけれど、 なかなか育たない。育ってきたな、と思ったら、 退職して別の病院に移ってしまう。 そのジレンマから、この言葉が出たのではないか」と推論している。が、本当にそうなのか?という疑問をずっと抱いていた。このことを、怖い主治医に聞いてみた。虫「最初にお会いしたときの会話、覚えておられます?」怖「僕、なんか変なこと言った?」虫「いえ、変なことではないんですが、 私にとっては、とてもショックなお言葉でした」怖「え、怒ったりした?」虫「極めて冷静で、静かな声でおっしゃったんですが…」怖「何を言ったんやろ」虫「私が、『先生が執刀してくださるんですか?』 ってお聞きしたら、先生は、 『別に僕が執刀せんでもいいんやけどね』 とおっしゃって、地雷を踏んだー! 怒らせた! と思って、焦りました」怖「あぁ、そんなこと言ったなぁ。 ◯◯さん(内科の担当医)から、 『治療不要、いつ死んでもいい、と言われた』 と聞いていたんよ」入院が決まって、ナースステーション前で内科の担当医と立ち話したときに、それに近い話をした。が、ニュアンスが全く違う。虫「あ…」怖「それを聞いて、僕が説得せなあかん、 と思ってあなたに会いに行ったんや。 そうしたら、あなたが想像と全く違う雰囲気で、 にこやかに笑いながら僕に執刀の話をするから、 調子が狂ったのと、僕が執刀するのが いやなんかと思って、そんなこと言うたんやと思う」虫「えー、スタートからちぐはぐだったんですね、 お互いの認識…」怖「そうみたいやな」虫「◯◯先生には、『もう3年近く前から これはおかしい、大きな病気に違いないと気づいて いました。が、たとえがんでも、何もせずに ずっとこのまま生きて、抗わずに死んでいこうと 思っていたのに、イレウスは想定外でした。 放置して、すぐに死ぬわけにはいきません。 片付けないといけないことがたくさんありますので、 これは何とかしていただかないといけないし、 その後、切除手術が必要であれば、受けます』 と言ったんです」怖「だいぶ違うなぁ、ニュアンスが」虫「あの、最初の会話以降、先生が怖くなりました。 どこに地雷があるかわからないので、 会話は慎重に、言葉は最小限で、と」これが、真実のようだ。全容かどうかはわからない。もしかしたら、虫けらの笑顔がムカついたのかもしれないし、物言いが気に入らなかったのかもしれない。しかし、怖い主治医が虫けらに対して持った認識がちょっと違っていたことが原因のようだ。『まだ若い(この病気に罹患するには)のに、いつ死んでもいいと自暴自棄になっている。治療は不要と拒否の姿勢を明らかにする頑なさ。どんないけ好かんおばはんなんだろう』 と思いながら、虫けらのベッドサイドに来たのだろう。なのに、いきなり明るく笑いながら、「先生が執刀してくださるんですか?」と聞いてこられたら、ずっこけるだろう。なーんだ、そんなことだったのか、である。内科医の説明が悪かったのか、怖い主治医の受け取り方が独特だったのか。いずれにしても、そんな深い話ではなかったということだ。長い間悩んで損した。きっと、人間関係や会話の中での疑問や悩みは、こうした、他愛ない誤解や認識のズレが原因ということも多いように思う。虫けらは、そういう悩みはほとんど持たないので(怖い主治医に対しては、たくさん持ったが)、心を病むほど考え込んでしまっている人の気持ちはよくわからないのだが、あんまり深く考えなくてもいいよ、という話ではないかと思う。脚の骨折については、「私の人生において、何の意味があったのか」と何度も考えたが、入院中に怖い主治医とこうした会話ができたことは、大変意味のあることだと思っている。間もなくあちらに行く、というタイミングで、その意味とやらを緻密に分析し、書き記したいと思う。あ、まだ答え合わせができた話がある。次回。 心 慮
2025.12.29
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今度入院するとしたら、①急性症状発生時の緊急入院②終末期の最終段階の緩和ケアのどちらかである。もちろん、今夏のように「骨折」などの思わぬ事故が原因となることもあろうし、がん以外の病発覚、ということもあると思う。が、確率的には、①か②が間違いなく高いし、①より②の方が主原因だと考えている。そこで、Amazonでチロチロ物色していたのがパジャマである。入院したら、パジャマしか着ることがない。虫けらの心算(こころづもり)では、病床で過ごすのは2週間以下だと思うし、「がん相談支援センター」にもそう伝えて受け入れ体制をつくってもらっている。しかし、そう思いどおりにいくものでもないだろう。1週間以下になることもあるが、伸びる可能性もある。体力的に、自力で洗濯をすることはできないだろう。病床に家族を呼ぶつもりはない。となると、何着かのパジャマを用意しておかねばならぬ。手持ちのパジャマを見ると、この時期に病院に持っていけるのは、2着ある。もう少し先になると、1着になってしまう。買い足そう、というわけである。真冬から春先まで、と考えて、とても暖かそうな素材のものを1着、春まで着られそうなものを1着の2着をポチッた。翌日、とても暖かそうな素材の方が届いた。『ん???』見覚えがあるような…。急いで押し入れを探り、冬物素材を入れた衣装袋を漁った。マフラーやニット帽などを入れた衣装袋を見て、『いや、もう一つあったぞ!』と思い出した。あった!パジャマばかりが入った衣装袋が。今回買った、暖かそうな素材のパジャマに極めて似たパジャマが出てきた。そうだった!去年も、病院に持っていくパジャマを探していて、これを買ったのだった。それにもう一つあるはず…、あった!つまり、4着持っていたことになる。そこに2着。さすがに6着も要らない。今年買った暖かい素材のパジャマは、早速部屋着として利用することにした。もう1着は、週末に届く。これで万全。そうなのだ。昨年の冬も、「最期」のことを考えていた。一昨年の冬には、「来年着ることがあるだろうか」と考えながら、セーターやスカートを買ったのだが、昨年は、さらに切実な状態になっていた。故に、セーターなど衣類は極力買わなかったのだが、どうしてもコートが欲しくなった。安物だが、内側にボアのついたロングコートを買った。「2度と着ないかもしれない」と、思いながらも、昨冬には2〜3回着た。そして、昨日は大変寒かったので、外出時に着た。これで、今年も着ることができた。26日、27日は大阪でも最高気温が10℃にならないという寒い寒い予報なので、当該のコートを着て、わざわざ出かけようと思う。思えば、がん発覚時から、「来年はもうない」とずっと考えていた。昨冬に買い控えたのが今になって効いている。でも、もう来冬はない。このままでいくしかない。というときに、パジャマの買い過ぎ。何をやっているのだろう。週末に、もう一つのパジャマが届いたら、入院時に持ち込むものをキャリーバッグに全て詰め込もうと思っている。「そのとき」は、不意に訪れるように思う。これまでの人生、どんな苦難もずっと一人で乗り切ってきた。会社の問題で裁判所に出向かないといけなかったとき、仕事が忙し過ぎて体を壊したとき、時間のない中での引越し、無謀な夫のしでかしを処理するとき……、さまざまな艱難辛苦を誰の力も借りず、一人で処理してきたという過酷な人生。さらに、人生の終焉という今夏、骨折で緊急入院したときも、片足生活で不自由を極めたときも、どうにかして自力で切り抜けた。(南京錠が壊れたときと、 スマホが壊れたときは、 『天満のエロ男爵』にお世話になった。 ありがとうございます。 しかし、このときとて、金さえ用意すれば、 直接鍵屋を呼んだり、便利屋に頼むこともできた。 天満のエロ男爵からの頼まれ事もあったりするので、 少し甘えさせてもらった)今回も一人っきりで迎えるであろう最期を抜かりなく、思ったような瞬間にするべく万全を尽くさねば。それにしても……。去年買ったパジャマの存在をすっかり忘れているとは…。ほかに、忘れていることはないか?多分、大丈夫だと思う。この2年、買い置きは大変慎重にしているし、酒も長いこと買っていない。ただ、ソーダのガスシリンダーのオーダーを迷っている。いつもなら、1本消費した段階で、交換用シリンダー(2本セット)をカクヤスにオーダーするのだが、2本となると、通常でも3ヵ月ほどもつ。そんなに要らんだろうと思うが、なくなってしまったら、困る。炭酸水を買いに行くのも大変である。どうしたものか…。きちんと余命宣告を受けないと、日夜、こういう悩みから抜け出せないのである。シャンプーが足りないかも…、いいドライヤーを見つけたけど…、洗濯機がもつかなぁ…、トイレットペーパーはいつまである…?悩み多き毎日なのである。 煩 悩
2025.12.24
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「どう生きたか」を考えてみたというシリーズを書いている。まだ完結していない。それのスピンオフ企画第2弾と言えるだろうか。というわけで、シリーズの⑥にしてみた。先週、うちの店のお客さんに紹介してもらった歯科医院に行ってきた。以前通っていた歯科医院の院長の方針で、被せの取れた歯を「このまま使えるだけ使おうか」という、余り聞かないやり方で放置していたのだが、抗がん剤を使うと血小板の減少や免疫力の低下が顕著になることがあり、治療が難しくなることが考えられる。いまのタイミングで処置してしまおうというわけで、予約を取って、院長先生に診てもらった。問診票には一応これまでの病歴や治療中であること、服用中の薬剤名を正直に書いておいたのだが、余り見ておられなかったのか、スパンの長い話を始められた。虫歯はないのだが、当該の処置が済んだ後の歯周病予防のための検診や定期検診の話などを途中で遮り、虫「先生、最初にお伝えしないといけないんですが」先「はい、何でしょう」虫「問診票にも書いたんですが、 現在、がんの治療中なんです。 これまでの経過からして、 もう余り先がないんです。 いいところ数ヶ月、半年は持たないと思います」先「……」虫「ですので、対症療法をお願いします。 問題の箇所以外は、都度ご相談ということで」先「イサギいい(大阪弁の言い回し。「潔い」)人やな」虫「もう2年になりますから。そろそろです」先「そうなんか」と言った後、笑っておられた。この「潔い」という言葉も、虫けらの長い人生の中で、何度か聞いた。納期が本当に短い仕事、予算が極端にない仕事、プロジェクトのスタッフの誰もが経験したことのない困難を含んだ仕事、クライアントの扱いが難しい仕事……さまざまな局面で、虫「やりましょう。私のことです。なんとかするでしょう」と言って、仕事を受けた。そんなとき、「潔い」と言われたと記憶している。そして、必ず仕事を完遂した。それを知ってか知らずか、難しい仕事ばかりが虫けらに集中する時期があった。虫けらは、苦情処理係のような存在だったのかもしれない。断ることができないわけではなかった。しかし、こんな難しい仕事を虫けらが断ったら、誰がやり遂げられるというのだろう。スタッフが困る姿が脳裏をかすめる。で、「やりましょう」となるのだ。ここ数日、「なぜ虫けらは、自分の死をこんなに素直に受け入れて、人に笑いながら話すことができるのだろう」と考えていた。答えが出た。虫けらには、「こうしたい」「ああなりたい」「それは嫌」「そうすべき」「これはできない」という「欲」や「嫌悪」といった情緒的なもの、あるいは、「できる」「できない」など自分を規定する枠がないのだ。その根源は、「自己肯定感が絶対的にない」という悲しいというか、無残な事実なのである。自己肯定感がない理由は、このブログでも書いたが、「自分は生まれてくるはずではなかった」という生い立ちと、生まれてからの家族との関係性で出来上がった。このことは、もうどうにもできないものだ。故に、「わがまま」「自己主張」がなく、状況に合わせて何でも受け入れる生き方になった。おかげで、楽である。どんな状況になっても、「いや」と思わないし、「後悔」したり、以前のいい状況に「拘泥」することがない。「こんなもの」という姿勢で受け入れて生きられる。以前、何度か医師に「PTSDが心配です」と言われたことがある。そのときは、医師が心配するほど過酷な状況に置かれていたのだが、虫けらの精神は何ともなかった。夫が亡くなったときも、突然だったこともあり、周辺から随分心配してもらったが、やることはやらないといけないし、仕事もある。悲しんだり、思い出に浸ったりする時間は、少し先にして、目の前の雑事をこなすことが先決だった。そうしているうちに、夫のいない日常が折り重なって、それが当たり前になった。悲しまないわけでもないし、涙を流さなかったわけでもない。しかし、現実を否定したり、回避したりはできない。そういう、こだわりのない生き方だから、「潔い」と言われるような、過酷な状況を素直に受け入れられたのだろうと思う。先「治療中でも、抜歯できるやろか」虫「大丈夫です。CRPも白血球も正常値。 感染症は心配ありませんし、 好中球も十分です。血小板も良好ですから、 止血しにくいことはありません」先「はははは…」虫「これ以上がん治療が進んだら、 抜歯が難しくなるかもしれません」先「抜歯したら、翌日洗浄しないといけないので、 週明けにしましょうか」虫「……いえ」先「きょう抜く?」虫「はい」先「おぉ、やっぱりイサギいい(潔い)なぁ」というわけで、6年ほど被せが取れて放置状態だった奥歯を抜いた。スッキリした。「潔い」理由のもう一つは、虫けらがよく考えた末の結論のみを人に話すということにあるのではないかと思う。思いつきや、感情の吐露といったことがなく、考えに考え抜いた、虫けらの持論だけを口にしているから、他人から見たら、「はっきり物を言う人」「迷いがない」「言葉が端的」ということになるのだろう。改めて、「潔い」の意味を。『思い切りがよい。未練がましくない。 さっぱりとしていて小気味がよい。 道に反することがない。潔白である』「かっこいい」に「潔い」は含まれるように思う。「見てくれ」のカッコいいではなく、「生き方」だが。シリーズ化する? もういいか。。 廉 潔※余談ながら、上記の院長と虫けらの会話の全貌を。虫「先生、最初にお伝えしないといけないんですが」先「はい、何でしょう」虫「問診票にも書いたんですが、 現在、がんの治療中なんです。 これが二度目なんですが、これまでの経過からして、 もう余り先がないんです。 いいところ数ヶ月、半年は持たないと思います」先「ほんまか……」虫「ですので、対症療法をお願いします。 問題の箇所以外は、都度ご相談ということで」先「……、大変やな」虫「いえ、両親も、夫の両親も、夫も見送りました。 いま、誰かが生きていたら、大変心配されるでしょうけれど、 みんなあっちに行きましたから、 心配されなくて楽です」先「それはそうやろけど…」虫「葬儀場も決めて、料金も払い込みました。 もうちょっとやらないといけないことはありますが、 大体片付きました」院長、少し考えてから、先「イサギいい(大阪弁の言い回し。「潔い」)人やな」虫「もう2年になりますから。そろそろです」先「そうなんか」
2025.12.19
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経緯から。◎23年5月 イレウスから大腸がん発覚〜切除手術を受ける◎23年6月 予防的抗がん剤の投与を拒否◎24年6月 がん再発・転移(肝臓と肺)◎24年8月 抗がん剤治療開始◎24年12月 抗がん剤治療中止(終了)◎25年11月 抗がん剤治療②開始〜現在2クール目「治療はしない」と断言していたのに、24年に抗がん剤治療をしたのは、⑴新しい治療法が発見された、先進医療を受けたい となったときに、標準治療を受けていないと 生命保険金がおりない(そんなつもりはないが、 言い訳。また、先進医療は高額)。⑵23年におりた保険料が支払総額の1/3程度 もう少し保険料をせしめたい(強欲)⑶何もせずに逝ってしまうと、家族に悪影響 「努力もせずに」という汚名を着せられるのは 耐え難い⑷怖い主治医との関係性がどう変わるのか 興味を持った(具体的な期待はない)という、説明にもなっていないような脆弱な理由をこじつけたからで…。当初は、治療を拒否する姿勢だったのに、幾つかの検査をするうちに、「治療をしたら、何が変わるだろうか」と、興味を持ってしまったのだ。治療には、「副作用」という厄介なものがつきまとうが、それに耐えられなくなれば、やめればいいという気楽な考えもあって、治療を開始した。⚫︎手の痺れ(電気ショックのような強烈なもの)⚫︎口中の痺れ(冷たいものがダメ)⚫︎味覚の減退(仕事柄、死活問題)⚫︎肌の乾燥、皮膚異常(見た目がひどい)⚫︎脱毛(ウイッグ必須)といった目立つものから、胃腸の不調、目の不調、食欲減退など二次的な症状まで、たくさんの異常が出現した。しかし、血圧・心拍数の上昇や倦怠感、めまい、起き上がれないなどといった急性症状がなく、いつものように仕事をして、食事をし、量は減ったが飲酒もできた。一度目の治療を終了(病院では「中止」とされた)のは、24年末に38℃以上の発熱をし、12時間辛抱して病院に電話連絡をして指示を仰ぐも、「もう少し悪くなってから」「午後からもう一度連絡を」といった、全くがん治療のことを考慮してない回答があり、「やってられん」となったわけである(こんな対応をする病院で治療するなら、何もしない方が安全)。電話に出た人間が悪かったと思う。後に、がん治療室の看護師にこのことを言うと、「看護師さんではなく、医事課の人間が電話に出ることもある。わかる人に代わればいいのだが、自分で処理しようと頑張ったのだろう」と言われた。それが真実なら、怖い主治医に伝わったこちらの症状もいい加減だった可能性がある。年明けの診察のとき、虫けらの呼び込みに大層な時間がかかったことと、診察室に入った虫けらの目に、頭を抱えた怖い主治医の姿が飛び込んできたことの整合性がつくというものだ。前にも書いたが、抗がん剤治療中は、免疫力が極端に下がる。そんなときに感染症にかかると命取りになる。よって、38℃以上の発熱があるときは、特に慎重に対処する必要がある。「好中球減少症からの感染症」というのが、抗がん剤治療中の患者につきまとう厄介な試練なのだ。特に12月は、インフルエンザやノロウイルスなどの感染症がはやる時期である。対処が遅れると、あっけなく逝ってしまうこともままるという話である。という経緯で、治療を拒否して終了したのだが、なぜ2度目の治療を…? と、虫けら自身も納得がいかない。10月から新しく担当してくれることになったいまの主治医は、「医師然」とした医師で、言葉数が少なく私語がない。主「肝臓が…。血液検査上は問題ないですが、 そろそろ症状が出始めると思います。 治療するならいまです」虫「治療?」主「前の治療では、副作用が強くて中止されたと 聞いています。副作用が少ない治療が ありますから、それをしましょう」虫「抗がん剤ですか?」主「はい」虫「抗がん剤以外の対症療法はありませんか?」主「物理的(外科的)に回避する方法もありますが、 それと並行して抗がん剤治療をすれば、 より高い効果が期待できます」これが、11月半ばの主治医との会話。まだ、血液検査上の異常がなく、切羽詰まった状況ではなかったせいもあり、「副作用が少ない抗がん剤って、どんなだろう」「新しい主治医にも売り上げが必要」「話のネタ(ブログに書く)になるかな」などという、おおよそ真面目ではない理由から治療を受け入れることにした。それが木曜日。週明けの月曜日には治療を開始するという。主治医の知見から、もう切羽詰まった状態だと判断したのではないかと思う。で、月曜日の治療前の血液検査。驚くような悪い数字。肝機能に問題があることが明白にわかる。肝臓自身に問題があるのではなく、がんの位置が肝機能を落とすような場所にあるということである。主「治療できるギリギリのタイミングですね」虫「治療できますか?」主「はい。もう少し遅かったら、無理でしたね」と言われれば、治療を拒否することができない。前回、ある状態に陥ったら、「死期は近い」と言われたし、この治療ができなければ、その状態に陥ることは明白だったからだ。1クール(3週間)が終了し、先週、血液検査を受けた。数値が驚くほど回復していて(何なら、健康な人よりいい)、虫けらはにわかには信じられなかった。なぜなら、虫の知らせを受け取った知人からたくさんの連絡が入り、週3〜4回の会食(もちろん飲酒込み)を3週間続けていたし、仕事もいつもどおりだった。食事にも特に注意を払わなかったし、外出も、睡眠もいつもどおり。抗がん剤ががん細胞を小さくする、数を減らす、といった効果をもたらすのはわかっていたが、たった3週間(内服薬は2週間)の治療で、そこまで改善するものなのか。「検体の取り違え?」と疑うほどの数値。どうも納得がいかなかった虫けらは虫「前回の数値と全く違いますよね。 何がどうなって、こうも改善したんですか?」主「薬が効いたんでしょう」虫「どう効いて、何がどうなったんですか?」主「よくわかりませんが、前回、どこかに炎症があって、 数値が格段に悪かったのかもしれません。 炎症が治まったから…」虫「抗がん剤が効いたから?」主「どうかわかりません。 がんの状態は、CTの画像を見て判断します。 今回は、どうにか薬が効いてくれたということだと 思います」やっぱり納得がいかない。(前回が検体の取り違えなら、いまごろその人は…。今回の検体が取り違えなら、虫けらはそろそろ…)疑ったらキリがないのだが…、ま、仕方ない。というわけで、2クール目に入った。まだ、CTの撮影はできないので、2月くらいまで治療が続くのだろう。となると、4クールになる。果たして、そこまで生きていられるのか。気になる副作用だが、手の指先と手のひらがインド人になっている。(インド人の方々、すみません)ピンクの爪が異様に目立つほど、色素沈着が起こっているのだ。それと、爪がボロボロである。下痢は多少あるが、前回の抗がん剤とは比較にならないほど軽いものである。いまのところ、その他の症状は見当たらない。治療開始からまだ1ヵ月なので、そんなものだろう。今年いっぱいの命かと思っていたが、年は越せそうな雰囲気なのでホッとしている(年末に死ぬと、家族の正月を台無しにしてしまう)。去年もある程度考えたのだが、今年はさらに正月の準備をするかどうか迷いに迷った。これまでは、「お節料理」とまではいかないが、それらしい料理をお重に詰めて正月を迎えていたが、今年は無理かもしれないと、「それらしい料理」も購入しなかった。いまになって、慌ててバラバラと購入している。ミスタードナッツのプレミアム(懐かし〜)去年のお節もどき。二毛作作戦。一人だと、こんなもん今年もあと2週間と少し。やらなければならないことも残っているので、頑張って生きる。忘年会の誘いもあるので、それもこなして。生きるというのは、忙しないものである。 忙 殺
2025.12.15
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10歳のときからの旧友と旅行に行った。前回(昨年夏)に旅行したときより、少し大きくなっているようだったし、彼女の口から出る言葉も少し違った。今回、虫けらが新たに認識したことや、心がけなければならないことをしたためておこうと思う。それが、太った人全般に言えることかどうかはわからない。しかし、彼女と共通する何かがあるように思う。太った経験もなければ、家族に太った人間もいない虫けらにとっては、人を思いやる気持ちが欠けていたのではないかと、再認識させられることが幾つかあった。反省を込めつつ。◎「しんどいんや!」温泉施設での出来事。先に温泉から出て身支度を済ませていた虫けらが、化粧室からロッカー室を何気なく見たら、旧友の後ろ姿が。上半身にはバスタオルをかけていたが、腰から下が丸出しになっている。ふくよかな尻にまとわりついているショーツ(通称「パンツ」)は、右半分が上がり切っていない。走って行って上げてあげるほどのことはない。皆、同じような格好でウロウロしているので、気にする人もいなかろう。と、放置していたのだが、そのことを部屋に戻ってから彼女に話したら、彼「わかってたよ」虫「パンツが上がり切ってないことを?」彼「うん。けど、しんどかったんや!」虫「パンツを上げるのがしんどい?」彼「そう! 汗かいて疲れてた」温泉のみならず、ミストサウナにも入って、大変な汗をかいたのは事実である。しかも、虫けらは2回にしたが(汗をかくと疲れる。体重が減って体力のない虫けらは自重した)、彼女は3回も入った。結果、疲れたと言う。パンツを上げるのもしんどかったと。彼「太ってたら、しんどいんや!」汗をかいたら疲れる。太っていたら、動くのに体力を使う。しかし、ミストサウナには3回入る。この矛盾に気づかないまま、彼女は「しんどい」を主張するのだ。しかし、これが太っている人の心理かもしれない。その心理のまとめは最後に。◎「嫌い」と「もったいない」朝食バイキングのとき。虫けらはいつもご飯食を選ぶ。パンは食べない。コーヒーも飲まない。おかずを選ぶときは、ご飯に合うものにする。卵焼きがあった。四角い小さな「卵焼き」は、「だし巻き」とは違うことを主張していた。つまり、甘い可能性があるのだ。関西人の卵焼きは砂糖を入れないのが主流だが、甘い卵焼きが主流の地域も多い。ゆえに、卵焼きは一つにし、スクランブルエッグも所望する。旧友のお盆上には、ご飯の入った茶碗と、パンののった皿が並んでいる。卵焼きとスクランブルエッグが並存しているのは虫けらと同じ。パンを食べるのなら、当然である。先に卵焼きを虫けらが食べる。虫「この卵焼き、甘いわ」彼「え、甘い? 嫌やわ。卵焼きが甘いの、 耐えられへん。食べて!」と、箸でつまんで虫けらの皿にポイッとのせる。バイキングなので、残すわけにはいかない。虫けらも卵焼きは甘くない派なので、ちょっと本意ではないものの、小さな卵焼きだし、別に食べられないほど嫌いというわけではないので、いただいた。しばらくして、彼「もう一杯食べようかな」ご飯のことである。ご飯がなくなったが、おかずがあるのか、と思ったが、そうではなさそうである。彼「漬物が食べたい」虫「梅干があったなぁ」虫けらは、朝食バイキングのときは、「漬物」「梅干」「海苔」は絶対に取らない。ご飯が足りなくなって、おかわりが必要になるからだ。いつもは食べない朝食なのに、ご飯2杯は多すぎる、という判断なのだ(ホテルには「昼食」がついていない。朝ごはんを食べておいて、昼抜きをするつもりではある)。結果、彼女はご飯をおかわりし、漬物と、ヨーグルトや果物(パイナップル)を取ってきた。虫けらは、デザートは食べないし、飲み物も水のみである。部屋に戻った彼女は彼「食べ過ぎた」と、吐き出すように言ってベッドにゴロン。虫「昼抜きでも大丈夫やな」彼「昼も定食メニューあるで」虫「とりあえず、温泉を楽しもう。ご飯はその後で」ホテル内にはレストランがあり、日帰り温泉を利用する客のためにランチメニューが用意されている。しかし、運動もせずにゴロゴロしている我々に、「定食」など重すぎると思うのだが。旅程が終わり、電車で大阪市内に戻ってきて、遅い昼食を食べようという話になった。虫けらが何度か行った、ホテルに入っている回転すしに行くことに決まる。同系列の他の店には彼女もよく行くらしく、ネタやメニューのことは知っているようだ。彼「なんか、揚げ物食べたい」虫「海老の天ぷら、フライ、イカの天ぷら、 ゲソの唐揚げ……」タッチパネルのメニューを見ながら虫けらが言う。彼「ゲソの唐揚げ!」即答だった。虫「私はタコの唐揚げにする」オーダーを済ませる。同時にやってきた。虫「タコの唐揚げ、おいしいねん、食べてみ」彼「ほんま! おいしい!」虫けらは、この店のタコの唐揚げは毎回オーダーする。冷たい酒に寿司だと腹が冷えるので、熱い食べ物が欲しくなるのだ。しばらく食べ進めてから彼女が言う。彼「このゲソ、味濃いわ。食べて」つまり、自分の理想の味ではなかったので、虫けらに食べてほしい、というわけだ。以前、同系列の他店でオーダーしたことがあるとばかり思っていたが…。そこで虫けらが気づいて言う。虫「普通、『これおいしい、食べて』やろ。 『おいしくない、食べて』っておかしくない?」彼「……そうやな。でも、もったいないやん」ということなのだ。朝食の2杯目のご飯とて、「もうおなかいっぱい、食べて」と言いたかったに違いない。しかし、さすがにそれは憚られたのだろう。「食べたい」の後に「おいしくない」「嫌い」「おなかいっぱい」と思っても、残したり、捨てたりするのは『もったいない』という気持ちがいつもある。そこで、近くにいる他人に…ということなのだ。しかし、「食べたい」のだ。食べたい欲望の割に、わがままが過ぎる。虫けらなら、多少味が濃くても薄くても、想像した味付けでなくても、最後まで食べ切る。しかし、彼女は我慢するのが嫌なのだ。我慢するくらいなら、おいしい他のメニューを食べたい、ということだろう。つまり、食べ物に対して貪欲だということ。しかし、「もったいない」という気持ちも常にある。彼女一人の食事なら、いやいやながらでも食べ切るかもしれない。が、処理係がそばにいるなら、そいつに任せようという算段だろう。「食べたい」「いや」「もったいない」の葛藤の中に常にいるのが、太った人なのだ。◎「我慢できん!」旧友は、無呼吸症候群も患っているらしく、常にうとうとしている。うとうとするのは、常に寝転んでいるからで、座っているのはつらいので、寝転ぶ。するとうとうとする、という寸法である。「うとうと」と言っても、一般人のうとうとではなく、イビキが伴う。イビキを聞くと、よく眠っているような錯覚にとらわれるが、寝言を言ったり、手を動かしたり、笑ったりする。夢と現(うつつ)を行ったり来たりしているのだ。突然目を開けて、彼「知らんかった」と、夢の続きを喋り始める。虫「夢やろ。寝言言ってたよ」彼「夢か…」毎回、この会話である。そして、彼「暑い!」と言っては布団を跳ね上げ、彼「寒い!」と言っては布団をかぶる。虫けらはずっと布団をかぶっている。室温は多分20℃前後なので、暑いわけがないのだ。が、暑い! と大きな声で叫ぶ。暑いのだろう。Tシャツにショーツ(俗にいうパンツ)のみで布団をかけずに眠っては、寒い! と目を覚ます。寒いのだろう。どうしろというのだ。虫「布団、着といたら?」彼「暑いもん」虫「すぐに寒くなるやんか」彼「我慢できんのよ!」彼女に「ちょうどいい」はないらしい。こんな調子なら、ゆっくり眠れるはずがない。一日中うとうとしている理由がわかろうというものだ。突然、彼「いま何時!?」と聞かれるのにもまいった。部屋には時計がない。スマホで確認するしかないのだが、YouTubeを観ていたりすると、わざわざ画面を落とさなければならない。なぜ時刻を気にするのかわからないが、聞かれたら答えるしかない。何度か繰り返したら、こちらも準備するわけで、何時に温泉、何時に食事と決めておいて、その時刻までの時間を把握するようにした。彼「いま何時!?」虫「温泉(に行く時刻)まで、まだ30分くらいあるよ」という具合である。彼女は自分が眠ってしまったことに、申し訳なさを感じているのだろうが、そのことで、多少予定がずれても大した問題ではない。遅れたら遅れたで、リスケすればいいのだ。それより、眠っていた人間が突如目覚めて、大きな声で時刻を聞いてくることの方が迷惑である。気ぃよく、観たいYouTubeを観ている、あるいはゲームをしているこちらの身にもなってもらいたいものだ。つまり、自分の「欲望」を押し殺したり、我慢するということができない、あるいは、いつも「限界」状態で生きているということなのだろう。それはそれで大変である。◎「多分そうやろ」チェックアウトしてホテルを出て、駅まで歩いた。彼「タクシー呼ぶ?」虫「歩いたら遠いのかな?」チェックインのときは、タクシーを使った。が、あっという間に到着した。距離が短いのは確かなのだが、結構複雑な経路だった。彼「すごく近いで、駅」地図上で確かめたような言いぶりだったので、キャリーバッグをゴロゴロする覚悟が彼女にはあるのだろうと、虫けらは判断した。虫「そう。じゃ、歩こか」ホテルを出て歩き始める。虫「こっち?」彼「そうちゃう?」経路を知らないようだ。頭上に走る高速道路や鉄道の高架とホテルのことを調べるために見た地図とを重ねながら、東西南北を判断して歩く。虫けらの歩く速度が速すぎるのか、彼女とは常に50mくらいの差ができる。虫けらとしては、できるだけ早く駅への経路を把握したいので、どこかに看板なり、指示表示がないかを探しつつ、歩いている。方向を間違えたとわかったらすぐに彼女に知らせて、無駄に歩かなくていいようにと。信号で彼女が追いついた。彼「駅に着いたら、トイレ行く」虫「駅、わかってるの?」彼「ううん」虫「荷物、私が持って行くから、とにかくあの施設の トイレに行っといで」イオンモールが目の前にある。駅ではないが、近くに駅があるのは確かなので、彼女のキャリーバッグを預かった。彼女は単身で歩いてトイレを探すが、その速度で大丈夫か? というじれったさ。キャリーバッグを二つ、ゴロゴロしながら彼女が入ったであろうトイレを探す。5分ちょっと待っただろうか。彼女が出てきた。彼「間に合ったー。よかった」それより、このトイレの前で虫けらが待っていたことに感動してほしかった。大きなイオンモールの中で、このトイレだと決め打ちして待つことは、大変な判断が必要だったのだ。この後、無事に駅を見つけて帰途に着くのだが、よく考えたら、すべての判断は虫けらがしていたように思う。彼女は提案はするのだが、「どうする?」が必ずつく。「どっちでもいいよ」と返そうものなら、「私もどっちでもいい」と言う。虫けらは、自分に予備知識や判断材料があることは、即座に判断して彼女に「こうしよう」と提案する。このことは滞りなく実行され、完結するが、彼女からの提案に対してこちらに知識がなければ、彼女の提案に同意し、判断を仰ぐことになる。この場合、スムーズに実行、完結されることがない。判断、予備知識、提案、すべて「アバウト」なのだ。ま、旧友相手のお気楽な旅行なので、そうなるのだと信じてはいるが……。太った人が皆そうだとは思わないのだが、彼女が言った「しんどいんや!」がすべてに通じているように思う。考えるのも、判断するのも、行動するのも「しんどい」のだ。しんどいからアバウトになり、わがままになり、人に頼ることになる。虫けらには「思いやり」が必要だと思った。「しんどい」と言う人は、本当にしんどいのだと思う。いつも、助けてやらねばならぬ。あす、死んでもおかしくない虫けらだが、旧友の「しんどい」は、本当に助けてやらねば。しかし、元気なときに限る。旧友を助けようとして、虫けらが死んでしまっては、元も子もない。次に会うとき……来るのだろうか。いまの虫けらより、元気になることができるのだろうか。思いやりより体力。年は越せるのではないかと思う。新しい主治医も、主「次は、年明け5日ですね」と、表情を変えずに言った。多分、年明け5日の診察時には、生きているだろうという判断か。きょうは営業と、店の設備の修理。あしたは仕事を休んで、やりたいことがある。今週はもう一日、違う科への通院。思いやりを取り戻すために、少しゆっくりしたい。 無 理
2025.12.09
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2泊3日の旅行に行った。海の見えるホテルだったが、ちょっと怖い表情の海だった。ホテルの部屋からの眺望(友人より)先週の予約だったので、最後の1室だったらしい。部屋が端の端。エレベーターまで80歩(一般の人なら100歩以上)ほどの長い廊下を何度往復したか。温泉施設は逆の端なので、1回入泉するために200歩近く歩く。帰りを加えると400歩。よい運動になるのだが、一緒に行った旧友は、最近大きくなってしまって、歩くのがつらそうだった。虫けらは、歩幅90cm、7km/hで歩くので、温泉施設まで1分半もあれば十分なのだが、旧友と歩くと倍くらいかかる。それでも虫けらに追いつくのがやっとのようだった。部屋も温泉施設も2階だが、自動製氷機が1階にある。風呂上がりに氷を調達しようという話になった。温泉と部屋のちょうど中間点にエレベーターがあるのだが、彼女がエレベーター前で立ちどまり、動こうとしない。虫「何してるの?」彼「氷、1階やろ?」虫「…階段で行ってくるから、部屋に帰っといて」虫けらが走って階段を降りて氷を調達した。氷を持って部屋に戻ると、彼「足、大丈夫なん?」今更、である。虫「足、絶対ケガしたらあかんで。 治るのにえらい時間がかかるよ」と忠告するしかなかった。体重がある人が足をケガすると、大変である。虫けらの倍ほどの体重がある彼女の足へは、倍ほどの加重となるわけで、ケガへの負担も倍増するのだ。という旧友だが、子どものころは普通体型だった。ここで虫けらの持論を披露したいのだが、以前にも書いたかもしれない。歳をとって(女性の場合40代以降)、太る人と太らない人の差はどこにあるのかというと……、「骨盤」だと断定していいと思う。「骨盤」が大きい人は確実に太る人種である。対して、骨盤が小さい人は、太らないか痩せるかのどちらかだと考えている。科学的な根拠はないが、長い人生を通しての知見である。彼女は骨盤が広かった。子どものころから女らしい体型だった。ところが虫けらは、骨盤が狭くて男の子のような体型。虫けらは彼女が羨ましかった。ミニスカートを履いても、Gパンを履いても、体に馴染んでいる。虫けらがミニスカートを履くと、男の子が女装しているようだし、Gパンを履くと、尻周りがぶかぶかする。まったくもって似合わなかった。二人で温泉に浸かりながら、ぼぉ〜っとしていたとき、ふと思い出した。中学のときの男子同級生に「かっこよかった」と言われたことだ。虫「◯◯くんに、『かっこよかった』って言われたけど、 思い当たる節がないのよ」彼女も彼のことを知っている。同級生になったことはなかったようだが、彼は有名人なので、大抵の女子は知っている。彼「あんた、かっこよかったよ」虫「えーっ、何が?」虫けらには意外としか言いようのない彼女の言葉だった。彼「制服の着こなし」何を言っているのか、彼女は。制服など皆同じである。中学のときは、成長を見越して結構大きめにつくってある。かっこいいとは程遠いシルエットなのだ。虫「制服なんて、着こなしようがないやん」彼「いやぁ、かっこよかったよ。 廊下歩いてても、他の子とは違ってたもん」虫「意味がわかりませんが」彼「姿勢がいいし、所作が真似できんのよ」虫「所作?」彼「そう、何気ない動きというか、仕草というか」虫「特別なこと、何もしてないし」彼「ちゃうねん、普通のことしてても、かっこいいんよ」理解できない。バレエを習っているような女子は、姿勢がよくて手足が長く、所作も美しい。しかし、虫けらは下賎な貧乏人である。両親も兄弟も、「所作」や「仕草」といった言葉が全く馴染まないろくなもんじゃない民たちである。とはいえ、彼女の言う「かっこいい」は文字どおり「格好」が「いい」ということのようだ。それはそれでうれしい。彼女は虫けらより背が高く、女性らしい体型だし、顔も美人系である(全て中学生時点)。彼「あんたはかわいい系ではなかったやんか」虫「……」中学生のときに、既にかわいくないとは…とほほ。彼女「顔な」雰囲気がかわいくないだけではなく、顔がかわいくないとは…もっととほほである。虫「美人系でもない」彼「かっこいい系やった」どんな系統なのだ。男子ならわかる。女子の顔を表現するワードではないように思うが。このあと、虫けらが後輩からのアプローチに苦難した話や、女子校でのエピソードを暴露するに至るのだが、彼女は全く知らなかった。虫けらが話していないのは確かだが、中学生のとき、日夜受けていた後輩女子たちからのアプローチに大変難儀していた事実を彼女が知らないのは意外だった。つきまとい、プレゼント攻め、おねだり……。「おねだり」は、モノではなく、「一緒に◯◯して」という類のもの。一緒に写真を撮って、一緒に歩いて、一緒に寝て(合宿のとき。変な行為はない)、手紙を読んで……などといったもの。虫けらは男好きなので、女子からのこういう要求に応えるのは苦痛でしかないのだが、女子に恨まれることほど怖いことはない。気持ちを殺してでも、8割方の要求に応えざるを得なかった。「かっこいい」というワード一つで、大変たくさんの思い出が蘇った。旧友の彼女から、そんな言葉を聞くとは思わなかった。人というのは不思議なものである。10歳のときから友達である彼女にも話していないことがたくさんあり、虫けらが知らない彼女の過去も結構あった。たった2泊3日だから、大してゆっくりできていないのだが、観光もせず、ただ温泉に浸かってベッドでゴロゴロする時間は、他愛ない思い出話を引っ張り出すのには、ちょうどいい人生の幕間だったのかもしれない。そして、彼女は仕事に、虫けらは病院に。これから、互いに違った生活を営むことになるのだが、残り少ない人生のひと時を旧友と過ごせてよかったと思う。もう旅行はできないだろう。旅行どころか、すぐ病院に入らねばならぬような、緊急事態が待ち構えているかもしれない。今週初めに葬儀場を決め、基本的な料金を払い込んだ。遺品処理の業者も決めてある。来週は、公正証書をつくろうと思っている。店の処理も早くしたい。旅行で体重が増えた。旅行中の食事はおいしかったし、大阪市内に戻ってから彼女と行った回転寿司も堪能できた。まだ、カヘキシアには移行していないようだ。きのうは、夕方「ちょっと休もう」と、2時間程度眠るつもりで布団に入ったら、8時間も眠ってしまった。少し起きていて再び眠り、合計11時間。少々疲れていたのかもしれない。これから少し運動したら、おいしいものを食べて、あしたは買い物にでも行こう。寒いので、風邪を引かぬよう注意して。あと少し、かっこいい生き方、姿を忘れぬように。背筋を伸ばして、かっこいい表情で。 不 能
2025.12.06
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