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一八九七年、アメリカのハワイ王国の奪取は、 明らかに一方的な侵略である。 当時ハワイには 日本人移民が二万人余(当時の島の人口の半分)を占めていたが、 アメリカ人は約七〇〇〇人で日本移民の三分の一にすぎなかった。 アメリカ人は顔に墨を塗ってハワイ人に化けてクーデターを起こし、 王制を倒し、内乱をでっち上げ、これを鎮圧すべく、 アメリカ軍艦ボストン号を派遣し、そこから陸戦隊を上陸させた。 そしてこれを制圧すると女王を退位させ、 ハワイ諸島に仮の共和国政府をつくり、 その後でアメリカに 併合してしまったのである(一八九八年、明治三十一年)。 この手のこんだアメリカの謀略を予感して、ハワイ女王は、 日本移民が多いのだからと、明治天皇に援助を求めてきたが、 いまだ当時の日本には、米国に刃向かう力がなかった。 アメリカは、フィリピンを占領するときも、 フィリピン民族独立軍のアギナルド将軍の協力を求め、ス ペイン撃退後はフィリピンを独立させることを約束した。 ところが、スペインが敗退降伏すると、 アメリカは約束を反故(ほご)にして、 明治三十一年、これを米国領に併合すると宣言した。 裏切られたアギナルドは、怒ってアメリカ軍と戦ったが、 力尽きて降伏した。 その時も、アギナルドは日本に援助を求めてきたが、 力およばず、一九〇二年(明治三十五年)に鎮圧されてしまった。 スペインは「パリ条約」によってキューバを放棄し、 プエルトリコ、グアム、ミッドウェー、ウエーク、フィリピンを アメリカに割譲させられた。 つづいてアメリカは、パナマの重要性に着目し、 秘密工作員をコロンビアに潜入させ、 パナマをコロンビアから分離独立させることに成功した。 一九〇三年(明治三十六年)のことである。 操り人形に等しいパナマ共和国との協約により、 アメリカはパナマ運河を建設し、 一九一四年(大正三年)、これを完成させた。 アメリカは条約により運河の永久租借権を獲得し、 軍隊を派遣した。 ハワイ奪取と同じ手口の謀略で目的を果たしたのである。 パナマ運河の開通により、 アメリカはフロンティアと覇権を いよいよ本格的に太平洋に乗り出すことになった。 かくてアメリカの次の目標は、 必然的に日本打倒に向かうことになった。 こうして日露戦争直後から、アメリカは、日本を仮想敵国とする。「破約の世界史」 清水 馨八郎 祥伝社
2019年10月31日
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「昭和軍閥」は満州の野で生まれた――と言って大過はなかろう。 そうして生まれながらにして強敵であった。 が、それを一層強敵にしたのは、 「五・一五」から「二・二六」にいたる 幾つかの暗殺事件であった。 上海事変が治まり、 日本が内政外向的に一息ついたとたんに、 日本史上の一大悲劇、五・一五事件が発生した。 それは日本の道義文明の終わりを告げる銃声のように響いた。 果たせるかな、それは亡国の予告編の第一章でもあった。 昭和二十年における大国日本の死は、 昭和七年五月十五日のカルテの上に、 不治の病として書きつけられた。 新しい医術や名医はこれを治し得たであろうが、 日本はそのいずれをも持たず、 節制を忘れ、乱暴をつづけて、 十三年目に、「ミゾウリ」艦上の御葬式となった。「軍閥興亡史」2 伊藤正徳 光文社NF文庫
2019年10月30日
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男女間の愛情は非道く個人的なものである。 従ってそれは不羈奔放なものであり、 可変的なもの、動的なもの、無責任なものである。 今日一人の人間が一人の異性を愛したとしても、 それは只それ丈けのものである。 それは明日に対して義務を生じたり 保証を与えたりするものではない。 所で此の箸にも棒にもかからない男女間の愛情、 即恋愛、 なるものが結婚の基礎でなければならない とする考えは一体どう言うことであろうか。 其処には 原子力の平和利用と同じような困難がありそうである。 結婚は一つの社会制度である。 責任ある恒久的な関係である。 ダイナミックな恋愛が その中に自らの墓場を見出すのは一応当然である。 結婚制度、財産組織、身分関係、 等の社会秩序が厳存する限り、 筍くもこれに違反する行為は、 善悪正邪の別なく、排斥せられる。 それは社会の掟である。 それにも拘らず、 特定の相手と一緒になろうとしてこの掟を犯し、 時には、 生命の危険をも敢てする有名無名の男女の数は 尽きることを知らない。 これは冷静な打算の立場からすると 全く正気の行為とは受取れない。 元来が種属保存の本能から出発していながら、 時に心中沙汰などに終るに至っては、 目的錯誤も甚しいと言わなければならない。 而もこれは人間に丈けある現象であって見れば、 何か人間の本質に関連を持つもののようである。「読史余話」 加福 龍朗 潮流社
2019年10月29日
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これは「民生品の軍事・航空向け転用」という方針で、 従来「ハンマー一つで数百ドル」と 評判の悪かった軍用品調達をオープン化して、 民生品の中から質の高いものをより分けて使うことで コストを抑えようという考え方である。 COTS(commercial off-the-shelf)にしたときは、 特定のメーカーの民生品に頼って、 そこがつぶれたり製品がなくなったりしては困るから、 当然その民生品がスタンダードそれも独占がない、 たとえばISO (International Organization for Standardization)のような オープン性が保証されたスタンダード品であり、 かつ複数メーカーが作っているような 民生品であることが重視される。 従来のように力のあるものが勝ち、 自らが作るものをグローバルスタンダードにするそのときには 勝者の権利として独占も許される、 というマッチョなアメリカンウェイでなく、 安心して使えると保証してくれるなら 皆で決めたオープンなスタンダードに合わせるという 協調的姿勢がそこにはほの見える。「グローバルスタンダードと国家戦略」 坂村 健 NTT出版
2019年10月28日
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人間は誰でも「知りたい」という好奇心を持っていますが、 それがただ対象についての情報を得ることに止まっているうちは、 まだ、学問的な知にはならない。 そうではなくて、その好奇心が、より一般的な問いかけに結びつき、 そこに一般化可能な問題が立ち現れるときに、 はじめて学問的な知の行為がスタートします。 歴史とはなにか、言語とはなにか、 これこれの地域文化とはどのようなものか、 どのように政治が機能しているのか、 人間はどのようにみずからを了解してきたのか ……結局、文科系学問にとっての問題は、最終的には、 「人間とはなにか」という大きな問いに 収斂していくように思われますが、 いずれにせよ、 そのような問いにつながっていくような問題意識を ――もちろん最初はきわめて漠然としたものでしょうが―― 持たないかぎりはなにもはじまりません。 その間題意識に導かれて、 しかも問題意識そのものが深まるにつれて、 次第に、対象領域が決定され、方法論が模索され、 そして研究の問題構成が組み立てられることになります。「知の技法」 小林康夫 東京大学出版会
2019年10月25日
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天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと言えり。 されば天より人を生ずるには、万人は万人皆同じ位にして、 生れながら貴賤(きせん)上下の差別なく、 万物の霊たる身と心との働きをもって 天地の間にあるよろずの物を資(と)り、 もって衣食住の用を達し、自由自在、 互いに人の妨げをなさずして 各々安楽にこの世を渡らしめ給うの趣意なり。 されども今広くこの人間世界を見渡すに、 かしこき人あり、おろかなる人あり、 貧しきもあり、富めるもあり、 貴人もあり、下人(げにん)もありて、 その有様雲と泥との相違あるに似たるは何ぞや。 その次第甚だ明らかなり。 実語教に、人学ばざれば智なし、 智なき者は愚人なりとあり。 されば賢人と愚人との別は、 学ぶと学ばざるとに由(よ)って出来(いでく)るものなり。 また世の中にむつかしき仕事もあり、やすき仕事もあり。 そのむつかしき仕事をする者を身分重き人と名づけ、 やすき仕事をする者を身分軽き人という。 すべて心を用い心配する仕事はむつかしくして、 手足を用いる力投(りきえき)はやすし。 故に、医者、学者、政府の役人、 または大なる商売をする町人、 夥多(あまた)の奉公人を召使う大百姓などは、 身分重くして貴き者というべし。 重くして貴ければ自(おの)ずからその家も富んで、 下々(しもじも)の者より見れば及ぶぺからざるようなれども、 その本(もと)を尋ぬれば ただその人に学問のカあるとなきとに由(よ)って その相違も出来(いでき)たるのみにて、 天より定めたる約束にあらず。 諺(ことわざ)に云(いわ)く、天は富貴を人に与えずして これをその人の働きに与うるものなりと。 されば前(ぜん)にも言える通り、 人は生れながらにして貴賤貧富の別なし。 学問を勤めて物事をよく知る者は貴人となり富人となり、 無学なる者は貧人となり下人となるなり。「学問のすすめ」 福沢諭吉 岩波文庫
2019年10月24日
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大昔は、人間の性情がまっすぐであったから、 複雑な道徳律などは必要がなかったのである。 もちろん悪い行ないが行なわれることは たまにはあったろうが、 人間の性情がまっすぐなので、 悪行をかくすようなこともなく、 したがって、 それが大きくひろがるようなこともなかった。 そんなわけで、 むかしは正しいことと邪(よこしま)なことの 教義をもつ必要がなかったのである。 ところが中国人は、もともと心が悪いから、 いくら教えたところで、外見がよいだけだから、 かれらの悪行は社会を紊すような大きなものになったのだ。 しかし日本人はまっすぐだから、 べつに教えなくても行なえたのである。 「日本 一つの試練」 小泉八雲 恒文社
2019年10月23日
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朝鮮との外交権を対馬の宗氏から政府に移した日本は、 明治三年(一八七〇)、 「皇」「勅」「朝廷」を使わないで文書を送った。 それでも、徳川時代と違ったやり方は嫌だ、 日本政府から直接でなく対馬の宗氏を使ってくれ、 と朝鮮は相変わらず拒絶を繰り返した。 この翌年に宗主国の清国は日本と修好条約を結んでいるから、 清固よりも朝鮮のほうが頭が固かったということになる。 とにかく日本から行った外交使節はむなしく帰るかたちになった。 しかも、このあと朝鮮では 理由もないのに反日運動が日に日に高まって、 江戸時代から釜山にあった日本の外交事務所に 薪や食糧を供給しなくなり、 その門前には侮辱のプラカードのようなものを立てたりした。 さすがに日本も腹を立てた。「日本とシナ」 渡部 昇一 PHP
2019年10月21日
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冬を前に日本軍は難攻不落と言われる旅順要塞を攻め、 1日でここを落としてしまう。 眼下の旅順の街は戦火を避けて ほとんどの市民は避難したあとで、 そこに逃げ込んだ残敵の掃討もすぐ終わった。 しかしその2週間後、 ニューヨーク・ワールド紙にジェームズ・クリルマン記者の 「日本軍大虐殺報道」が載る。 日本軍は女子供を追い、強 姦し、殺した。 「水辺を逃げる子供たちを追って 兵士は容赦なく銃弾を叩きこんで切り刻んだ」 今に「旅順6万人大虐殺」と伝えられる噂の素がこれだ。 日本政府はあらぬ誹謗に驚く。 ワールド紙はピューリッツァーの経営で、 いわゆるイエローペーパーの一つだった。 過去にもUFOに連れ去られ、 宇宙人に強 姦されたとかのエログロを専門とした新聞だが、 それにしてもその描写。 空想で書いたとは思えぬ真に迫った凄さがあった。 この誹誇は幸いベルギー駐日公使アルベール・ダネタンが フランスの観戦武官らを取材し、 日本軍の無実を立証してくれた。 クリルマンの創作した嘘と分かったが、 ではあの迫真の描写は何がヒントだったか。 ハワード・ジンの『若者のための米国史』に 日清戦争と同じころまで続いた 米国のインディアン戦争の虐殺の形が載っていて、 調べてみたらコロラド州サンドクリークでの シャイアン族の虐殺場面がそっくり同じだった。 報告者はシャイアン混血のロバート・ベントで、 夜明け方、男の戦士が出払った集落を 800人の騎兵隊が襲うところから始まる。 騎兵隊は丸腰の女を撃ち殺してその頭皮を剥いだ。 別の女が子供を連れて逃げる。 「水辺に逃げた母は土手の砂を掘って 我が子を隠そうとしたが、背中から撃たれた。 母が持たせた白旗を振る6歳の女の子も 容赦なく撃ち殺された。 妊婦は腹を割かれ、傍 に引きずり出された胎児が捨てられていた」 クリルマンの記事と同じ描写だ。 日本軍は中国軍の残虐な仕打ちに報復もしなかった。 投降する者に危害も加えない。 それが気に食わなかったのだろう。 非白人で非キリスト教徒の野蛮な日本人は こう振る舞えと書いたつもりだったが、 それで思いつく残虐さが 自分たち白人種のものだったところが笑える。「プーチンよ、悪は米国に学べ」 高山正之 新潮社
2019年10月18日
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人生の根本的問題は、主客を分つものであってはならぬ。 問いは知性的に起されるのであるが、 答えは体験的でなくてはならぬ。 なぜならば、知性の性質として、 知性上の答えは必ず次から次と問いを呼び求め、 最後の答えに到り着くことがない。 その上、 たとえ知性の解決というものが得られたとしても、 それはつねに知性の上に留まり、 おのれ自身の存在を揺り動かすものとはなり得ない。 知性はただ周囲を空(から)まわりし、 かつつねに、二者対立の形で物事を取りあげる。 ある意味では、実在に関する問いは、 問われる以前にすでに答えられているとも言える。 しかしこのことは、知性の次元では理解されないだろう。 それは知性を越えたところの消息だからである。 問うことと、二つに分けて見ることとは、 不可分離の関係でつながっているが、 一方、問うということば、実は、 実在がおのれ自身を知ろうとすることである。 おのれ自身を知るためには、 実在はみずからを問う者と問いとに分つことが必要である。 そこで答えは、分離が行なわれる以前の、 実在そのものから出てこなければならない。 つまり、答えは、 問う者と問いとがなお一つであったところにある、 ということである。 問いは分離の後に生まれた。 分離の以前には問いはなかった。 だから、 いまだかつて問いのなされたことのないところに到れば、 そこには当然答えはない。 問うことも、また答えることもない。 この世界にこそ、究極の解決がある。 かくて禅の哲人は、 答えは問いのいまだ問われざる以前にすでに与えられている、 と明言するのである。「禅」 鈴木大拙 筑摩書房
2019年10月17日
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われわれは、 むしろ文科系の時代に 突入しつつあるのかもしれません。 つまり、学問という行為が、 ある意味では 「ひと」と「ひと」とのあいだの相互関係であり、 そこに学問の主体が、 それぞれ固有の文化的、歴史的な 特異性を背負った不透明なものとして、 巻き込まれているという構造の方が、 むしろ現代的なアクチュアリティを持つような時代を われわれは生きているのだと思われるのです。 あらかじめ設定された普遍性ではなく、 固有の主体性から出発して、 みずからの行為を普遍性の方へと開いていく そのプロセスに自覚的でなければならない文科系学問は、 自然科学までも含んだ人間の文化的営みの在り方に 根底的な問いを投げかけるのであり、 また、その間いかけを通じて、場合によっては、 新しいプロセスを創造的に生み出すことも しなければならないのです。 なぜなら、普遍性に向かうプロセスは あらかじめ定まった一義的なものではなく、 本質的に創造的な多様性を許容するものだからです。「知の技法」 小林康夫 東京大学出版会科
2019年10月16日
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軍司令官たちが爪を噛みつつも平和を維持し、 どうすべきか事態を見守っていた。 中国ロシア双方の共産主義者たちは 彼らの計画を蒋介石に突きつけ、 諾否、好悪を問うていた。 まさに大胆なサイコロが投げ込まれたのだ。 アジアの運命と利害を国際的陰謀の中に放り込んだのだ。 蒋介石は驚いて夜の闇の窓の外に飛び降りた。 寝巻きのままだった。 飛び降りたときに入れ歯を落とした。 背中も怪我した。 全く惨めなままに誘拐者の前に引きずられていった。 彼は誘拐されたのは幸運で救われたのだ、 そしてごくごく丁重な中国的もてなしを受けるだろうと言われた。 彼は籠の中に首を入れて帰るか(つまり首を切られることだ)、 政府の方針をソビエト寄りに変更して 日本との戦争の約束をするか、選択を迫られた。 そこには蒋介石政府と公然たる軍事同盟を結び、 共に戦うことが記されていた。 餌は満洲であると約束せられていた。 張学良は誘拐に大きな役割を果しており、 彼にはかつての領土である満洲が与えられるのであつた。「中国の戦争宣伝の内幕」 F・V・ウィリアムズ 芙蓉書房出版
2019年10月15日
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日本の問題は縦型の組織になっていることだ。 部門が縦割りのため、 真っ先に必要な「このような『もの』をつくりたい」 というビジョンは、 商品企画の人が考えればいいのか、 それともデザイナーなのかエンジニアなのかが 明確になっていない。 さらにそうした人たち自身、 自分というものがわかっていないから、 何をつくりたいかがわからない。 そのうえ残念なことに、 一緒に話をするコミュニケーション能力がない。 そうすると、最終的に何をつくりたいかがわからないから、 さかのぼって何の技術が必要なのかということも見えてこない。 どういうかたちで誰にオーダーしたらいいのか、 皆目見当もつかない。 ないないづくしの状況なのだ。 社内の誰でもいいから、 ビジョンやつくりたい「もの」の最終的な形態を考える。 そこから正確に種を植えていく 作業をしなければならないのである。 今、なすべきことは、 プロフェッショナルとして現状を的確に判断し、 「ここから先はこう行くだろう、 自分たちはこう行きたい」と決めて、 それに沿って種を植えていくことです。 「狩猟型ものづくり」から「農耕型ものづくり」へ転換していく。 「ものづくり」の(へいそく)感から抜け出す道はそこにしかない。「伝統の逆襲」 奥山 清行 祥伝社
2019年10月11日
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未来について具体的なイメージの持てない今、 人々の孤独感がつのってきています。 自分一人で生きているのは寂しい。 だれかと一緒にいたい、という気持ちが強い。 こういった孤独感を背景にした時代が始まりつつあり、 これが現在のイベントや国際見本市、国際合議 などを支えている一つの大きな秘密です。 世界中を見渡して、世界とともに生きていきたい という気持ちの表れでしょう。 これは、日本に限らず、アメリカ、ヨーロッパといった 先進諸国に共通する感情、または欲求です。 これからのビジネスマン、あるいは学者、技術者、 そしてその他の およそあらゆる職業に就いている人々にとって、 世界とのつながりや情報交換は 必要欠くべからざるものになっていくことと思われます。 国の内外に豊かな人脈を作る。 同業種、異業種の間にたくさんの友だちを作る。 それがこれから先、不確実な未来を切り開いていくための、 おそらく唯一の方法です。 人々はこのことを強く感じ、 その気持ちがコミュニケーションを促す原動力になっています。『「多価値化」社会』 日経広告研究所編 日本経済新聞社
2019年10月10日
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当時の朝鮮が これほどまでに頑なだった理由について、 明治政府が朝鮮と接触する前に起こつていた 二つの事件が関係しているのではないか、 と中村粲氏は示唆する。 一つは、平壌近くの大同江で 通商と食糧を求めるアメリカの武装商船 シャーマン号が座礁し、動けなくなった船を 朝鮮が焼き討ちして乗組員全員を殺した事件である。 もう一つは、同じころに 朝鮮がフランスの宣教師九人を殺し、 助けに来たフランス艦隊を撃退した ――といっても、 遠浅の海岸で潮が引いたため船が近寄れず、 帰っていっただけのことだ――事件である。 当時、朝鮮で政治の実権を握っていたのは 国王の父で大院君と呼ばれた人だが、 「アメリカの軍艦を焼いて皆殺しにした」 「宣教師を九人も殺してフランスの軍艦を退けた」 ということをもって「白人に勝った」と錯覚し、 「日本などは何ほどでもない」 というところがあったようだ。 武力に対する認識が 江戸幕府のように正確でなかったのである。「日本とシナ」 渡部昇一 PHP
2019年10月09日
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学問がある対象の記述を目指すにしても、 その記述は、 けっして記述する人の主観に左右されるものではなく、 原理的には「誰にとってもそうである」ような仕方で 記述されているのでなければなりません。 「わたしはこう思う」というだけでは、 まったく不充分なのであって、 「わたしにとってそうであるだけでなく、 あなたにとっても、誰にとってもそうであるとわたしは思う」 のでなければならず、 しかもなぜそのように言うことができるのかを、 論理的にということは、 原理的には誰にも分かるような仕方で説明し、 論証することができるのでなければなりません。 そのことを、 専門的な言い方では「反証可能性」(falsifiability)と言います。 すなわち、どのような知の言説も、 同じ知の共同体に属する他の研究者が、 同じ手続きを踏んでその記述や主張を、再検討し、 場合によっては、反論し、反駁し、更新する という可能性に対して開かれていなければならないということです。「知の技法」 小林康夫 東京大学出版会
2019年10月08日
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人間というものはみな、 産巣日(むすぴ)の神の御霊(みたま)によって、 この世に生まれてきたままで、 身にふさわしい行為はなんでも おのずとよく知っていて為(みたま)すものであるから、 この世に生きとし生けるものは、 鳥や虫にいたるまで、 わが身に応じてふさわしいことなら、 産巣日の神の恩頼によって、 なんでもよく知っていて実行するものなのである。 なかんずく人間は、 格別すぐれた存在として生まれついているから、 そのすぐれているのに応じて、 知るべきことはすべて知り、 為すべきことはすべて為しうるものである。 それをどうしてそのうえなお強制する要があろうか。 教えによらなければ、 知ることも為すこともできぬというのなら、 人間は鳥や虫にも劣るといわねばなるまい。「直毘霊」 本居宣長 日本の名著 中央公論
2019年10月07日
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自己同一性の回復と生存の維持という二つの基本政策は、 おたがいに宿命的な二律背反の関係におかれている。 自己回復を実現するためには「米国」の後退を求めねばならず、 安全保障のためにはその現存を求めなければならない。 沖縄の返還はこの二律背反をかならずしも解決しないのである。「一九四五年憲法―その拘束」 江藤淳 文藝春秋
2019年10月04日
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米国においては、 コンピューターの研究開発の初期の段階は 軍関係の予算により行われることが多い。 軍の予算は非常に大きい。 軍関係の研究開発はそもそも「敵」とのレースが前提だから、 チャレンジの許される範囲が 他の予算よりもはるかに大きいのである。 研究開発の段階では失敗も多い。 これに対して、 形式的にしろ「成功」が義務付けられるような 日本的な研究開発予算の出し方では、 大胆なことはできない。 それに対し初期段階は多額の軍事研究費を投入し、 さらに成功したものに対しては、 軍関係の調達を行うことで、 研究者がスピンオフしベンチャーを興すことに インセンティブを与え、 適切な時点で技術を商業公開して 米国全体の経済政策に転換していくという手順が 米国では今までとられてきた。 見事というしか言いようがない。「グローバルスタンダードと国家戦略」 坂村 健 NTT出版
2019年10月03日
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列強が連合して日本に対抗して 世界の貿易市場で結束したために、 日本は北支において列強が反日的に 中国政府に影響を与えていると感じた。 それだけでなく彼らが蒋介石相手にずるく立ち回り始めたから、 新たな危難に直面しているとも感じ始めたのである。 この危難はソビエトロシアからやってきた。 西洋諸国は中国で経済計画を作成していた。 特にその中の一国は中国に大きな権益を持っていた。 ソビエトロシアは政治的計画を作成していた。 極東に起きたドラマにおけるソビエトの役割は まだほとんど語られていない。 だから私が話そう。 モスクワが日本と中国の間に戦争の火を点じたのだ。 スペイン戦争を起こし、メキシコを赤化しようとしたように。「中国の戦争宣伝の内幕」 F・V・ウィリアムズ 芙蓉書房出版
2019年10月02日
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江戸幕府が倒れたあとの明治元年(一八六八)、 明治政府は諸外国に日本の王政復古を通告した。 朝鮮に対しては、江戸時代に朝鮮との窓口だった 対馬の宗氏に命じて通告を行ない、 また朝鮮と修好したい意思を伝えた。 これを朝鮮は拒否した。 その理由としていくつか挙げたが、 一つには日本の出した手紙に 「皇」「勅」「朝廷」という文字があったというのである。 これは朝鮮という国の性質に関係する。 朝鮮をつくつた李成桂は高麗の将軍であり、 手柄を立ててシナの明(みん)朝から朝鮮をもらった。 ちなみに、朝鮮という国の名前も明から授かったものである。 そして建国以来、シナと同じ年号を使い、 五百年近くシナを宗主国としてきた。 要するに、朝鮮は明を崇める体制だった。 「皇」「勅」「朝廷」という文字は シナの王朝だけが使う言葉であり、 シナの属国である朝鮮からすれば、 日本ごときが使うとはけしからんということになり、 そんな手紙は受け取れないと突き返したわけだ。「日本とシナ」 渡辺昇一 PHP
2019年10月01日
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