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生態学者の梅樟忠夫さんが、 日本人にとって住みやすい地域はアジアよりヨーロッパであるが、 その対比の仕方を従来のような東洋対西洋の捉え方を、 ユーラシアの中心部対周辺部に代えたらどうかと提案しています。 ユーラシア中心部は、 ロシアや中国のように基本的には専制政治体制を続けた地域です。 それに対してユーラシア周辺部は、 日本やヨーロッパのように封建制を経験した緩やかな政治体制で、 市場経済も発展している地域であると言っています。 考えてみますと、日露戦争の時に、 英露間の力学関係で日本はイギリスと結んでいます。 これには、ロシアは専制国家で政治優位の国であるのに対し、 日本は立憲主義国家で通商貿易優位の国である、 であればイギリスと提携した方が良い、こういう議論があったのです。 そうなると日本とイギリスの提携は単に力学的な関係以上に、 ある種文明的なアイデンティティーの問題があったと考えられます。 日本は民主的で開かれた文明圏に属している、 そういう自己認識が当時の指導者の中にあったと思うのです。 小村寿太郎も意見書にイギリスと結ぶべきだと書いていますが、 そういう考え方を反映しているのです。 ですから、ユーラシア中心部とは対決する必要はないのですが、 違った文明圏としていかに賢明に冷静に共存していくかです。 こういうことも、 日本の国家のあり方を考えていく一環とすることが必要です。 防衛についても、 中国との軍事対決を念頭に置いて 何十%防衛予算を使えということではなくて、 例えば昨年十二月に起きた北朝鮮の不審船に 普通の国家としてどのように対応するか、 いかに政治的にユーラシアと構えるか、 その関係でアメリカとどのように提携していくか、 こういうことが日本の国家を考える上で非常に大きな課題になっていく、 そういう気がしているわけです。「市場と国家」 坂本多加雄 藤原書店
2019年04月29日
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一九二八年十二月四日にクーリッジは 新議会で最後の公式演説を行なった。 の状況を概観いたしますと、合衆国の歴史上、 今議会ほど喜ばしい期待に満ちた議会はないと申せましょう。 ……わが国の企業や産業が生みだし、経済が貯えた莫大(ばくだい)な富は、 国民のあいだに広く分配される一方、国外に着々と送りだされて、 世界の慈善事業やビジネスに役立っております。 生活必需品はすでに必要水準を満たし、贅沢(ぜいたく)の域に達しました。 増産される製品は 国内需要の増加と外国貿易の拡大によって消費されております。 わが国の現状はまことに満足すべきものであり、 将来に対しても楽観的な期待を寄せることができるでありましょう。 この意見は成功を収めた政治家の慢心した自己満足ではなかったし、 経済界の見方というだけでもなかった。 あらゆる分野の知識人も同じ考えを抱いていた。 一九二七年に出版されたチャールズ・ベアードの 『アメリカ文明の勃興』によれば、 アメリカは「つぎつぎに技術上の勝利を収め、 天然資源やエネルギーの枯渇を克服し、 文明の恵みをますます広範囲にわたって普及させている ――健康、安全、商品、知識、余暇、芸術鑑賞など……」。 同じ年、ウォルター・リップマンは 「ともかくもビジネスマンの無意識で無計画な活動が、 このときばかりは進歩派の理論よりも目新しく、 大胆で、ある意味では革命的だった」と述べている。 一九二九年にジョン・デューイは、 問題は繁栄をいかに長続きさせるかではなく ――それは当然のことだ「偉大な社会(ソサエティ)」を いかにして「偉大な地域社会(コミュニティ)」へ変えていくかだと考えた。 左翼のあいだでも、 結局のところ経済界のやり方は正しかったのではないか という感触が広まった。「現代史」 上 ポール・ジョンソン 共同通信社
2019年04月26日
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第一次大戦中でさえ、 法的な紛争は少くなかったとはいえ、 被占領国の基本的国内法は改変されなかった。 ハーグ陸戦規則第四十三条は、次のように規定している。 第四十三条〔占領地の法律の尊重〕 国ノ権力ヵ事実上占領者ノ手二移リタル上ハ、 占領者ハ、絶対的ノ支障ナキ限、 占領地ノ現行法律ヲ尊重シテ、 成ルヘク公共ノ秩序及生活ヲ回復確保スル為 施シ得へキ一切ノ手段ヲ尽スヘシ 軍事占領者は被占領国に対して軍事的権能を行使するが、 完全な主権を有する者ではない、 というのが国際法上の通説である。 戦勝国の意図を いかに完全に理解した上で行われたものであるとはいえ、 全面的降伏の場合、 右の原則がどの程度まで変更され得るものかという基準は、 今日にいたるまで確定していない。「一九四五年憲法―その拘束」 江藤淳 文藝春秋
2019年04月25日
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クラウゼヴィツが見事だったと思うのは、 彼があれだけ詳細に戦争と政治の関係を論じ、 攻撃と防禦のあり方や戦略と戦術の実際を論じながら、 戦争の「正・邪」については一言も触れなかった見識である。 クラウゼヴィツにとって戦争とは 「正しい」ものでもなければ「不正な」ものでもなく、 単に「敵を強制して われわれの意志を遂行させるために用いられる暴力行為」であって、 「他の手段をもってする政治の実行」にすぎなかった。 人間は政治的動物であり、 個人も集団も他の個人や集団との衝突なしには生きられない。 その集団の紛争の一つとしての国際紛争を解決する手段としての戦争は、 正・邪という観点から見るべきではない という彼の考えには徹底した明確なものがあり、 彼の定義自体のなかに「正・邪」の判断を排除する意志がはたらいている。 あるいはクラウゼヴィツがこうした明確な認識を持ち得たのは、 彼の生きた時代の文明度の故だったかもしれない。 戦後処理の問題にも直接関わりのあることだが、 戦争には正も不正もなく、 ただ単に複数の国家の欲望と それに基づく政治的意志の衝突があるにすぎないという認識を 交戦国の指導者たちが共有していた時代は、 戦後処理が概して寛大だった事実は特筆すべきことがらである。「敗者の戦後」 入江 隆則 中央公論社
2019年04月24日
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第三のポイントは、 中国と韓国は無力であったにもかかわらず、 日本に理由なき優越感(ゆうえつかん)を示し、 扱(あつか)いにくい、面倒(めんどう)で、 手に負えない存在であったことである。 両国はともに古色蒼然(こしょくそうぜん)たる 東夷思想(とういしそう)・中華思想(ちゆうかしそう)に 閉ざされていたために、 「小癪(こしやく)なる東夷・日本」という 侮日感情(ぶにちかんじょう)を最初から抱(いだ)いていた。 彼らとの今日に及(およ)ぶ感情的もつれの原点である。 両国は欧米の進出には 比較的寛大(かんだい)に振(ふ)る舞(ま)いながら、 わが国の進出にだけは新参者・日本は小癖な、 許しがたいという感情を抱いていた。 日清戦争の原因は、 清が日本の台頭を近代化の成果、文明への努力とは見ずに、 自らの中華秩序(ちつじょ)を乱すものとだけとらえたことにある。「国民の歴史」 西尾 幹二 産経新聞社
2019年04月23日
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大戰爭を闘ふ日本には、 戰ふ目的について堂々たる主張がなければならぬ。 自存自衛のために戰ふと云ふのは、 戰ふ気分の問題で主張の問題ではない。 東亜の解放、アジア復興が即ち日本の主張であり、 戰爭目的である。 公明正大なる戰爭目的が、 国民によつて明瞭に意識し理解せられることによつて、 戰爭は初めて有意義となり、 戰意は高揚する。 また若し、戰爭の目的さへ達成せられるならば、 何時にても平和恢復の用意があるわけであるから、 戰爭目的の高調及び限定は、 平和恢復の基礎工作となるわけである。 且つ、かやうな戰爭に乗り出した以上、 中途半端で如何することも出来ぬ。 犠牲に犠牲を生んで行くことは止むを得ぬ。 ただ、人としても、國家としても、 自ら至善なる本體を見出すことは、 大なる力であつて且つ神聖なる仕事である。 これによつてこそ、たとへ戰爭の結果は如何であつても、 国として人として将来が立派に見出されるのである。 その神聖なる仕事は、 如何なる場合でも決して遅過ぎることはない。「昭和の動乱」 下巻 重光葵 中央公論社
2019年04月22日
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近代という人間中心主義の時代の到来を 高らかに告げる言葉が、 デカルトの有名な「我(われ)思う、ゆえに我あり」である。 それは自分の理性で考え行動することのできる 自我の確立を意味した。 こうして近代という新しい時代の到来とともに、 人間は神の支配から自由を獲得し、 自らの自由意志で思考し、 行動できる人間中心の社会を構築することに成功した。 しかしそれ以来、西洋人の「自我の肥大化」は、 人権主義、個人主義、そしてエゴイズムと、 とどまるところを知らぬ有様となった。 日本人のように「自己否定」の文明では、 自らの小ささを認識することから出発するのに対して、 「自己肯定」の文明は、自らの存在の実感と、 自らの大きさを認識することから出発する。 自分が思うからこそ、この世は存在するのだ。 自分がなければこの世は存在しないという 自己肯定の文明は、 きわめて人間中心的な文明となる。 世界は、宇宙は、大自然は、 人間のために存在すると考える。 これはなんと、尊大な思想ではなかろうか。「破約の世界史」 清水 馨八郎 祥伝社
2019年04月19日
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近衛文麿が京都帝大卒業の翌年(一九一八年)、 二十七歳のとき執筆した論文 「英米本位の平和主義を排す」である。 一読すれば誰しも気づくように、 この近衛の主張も視点も論理も、 マルクス・レーニン主義の教科書どおりである。 「分配の平等」が「正義」であり、 「持てる国」(ブルジョアジー)のものを 「持たざる国」(プロレタリアート)が奪っても「正義」なのだ、 「正義」である以上その手段として 「戦争(暴力)」を選択してもよく 「平和(現状維持)」の破壊は正当化される、 と近衛は主張している。 レーニンの教義そのままである。 具体的に、英米の二大強国をもって 「持てる国」と近衛は認識するから、 この変形マルクス・レーニン主義的な一般理論に従えば、 英米の植民地は暴力でも奪ってよいものとなり、 しかもそれを「プロレタリアート(持たざる国)」の 生存が優先されての上のことだから、 「人道」であるし「正義」でもある、 と近衛は考えるのである。 この際、 ドイツの「生存圏(ルーベンスラウム)」理論を援用した「自己生存」を、 近衛流のマルクス・レーニン主義的な解釈でさらなる補強をしている。「大東亜戦争と『開戦責任』」 中川 八洋 弓立社
2019年04月18日
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一八七八年に ヘンリー・ジェイムズはホーソンの小伝を書いたが、 そのなかに「他の国に存在して、 アメリカ生活には欠けている高度文明の諸要素」を列挙した、 有名だが(アメリカ人にとっては)きわめて腹だたしい一節がある。 しかも、そうした要素こそ文学の創作には欠かせない 豊かな趣きを社会に与えるものだ、とジェイムズは主張する。 アメリカにないものは、国王、宮廷、個人の忠誠心、 貴族、国教会の会堂、国教会の牧師、軍隊、外交官、 地方の大地主、宮殿、城、荘園、古い地主の邸宅、 牧師館、わらぶき屋根の小屋、ツタに覆われた廃墟、 大聖堂、修道院、ノルマン人の教会、立派な大学やパブリックスクール ――オックスフォードもなければイートンもハローもない。 さらに文学も小説も博物館も絵画も政界も スポーツを愛好する階級だってない ――エプソムもアスコットもないのだ!「現代史」 上 ポール・ジョンソン 共同通信社
2019年04月17日
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歴史上正統政治には 正統王制と正統民主制の二種類しかない とするグリエルモ・フェルーロの考えは、 少なくとも西欧に関しては正しいから、 ルイ一六世の処刑によって 正統王制が崩壊した後のフランスの歴史は、 革命と反革命をくり返して無駄な血を流しながら、 正統民主制の成熟を待つしかなかった。 しかし日本の場合は幕府が倒れれば、 その権力を朝廷に移管すればよいのだから 権力の空自というむき出しの恐怖は起らない。 日本人はそれをよく知っていて 倒幕に当って予め朝廷の承認を得ておこうとさえした。 幕府の権勢が眼に見えて衰えた安政期に 各藩の朝廷工作が活発化したのはその現われで、 そもそも「公武合体」という折衷案が考えられたり、 将軍が大政を「奉還」するという発想自体が 二重権力制度の利点を物語っている。 しかも現代日本の政治は、 実務権力が普通選挙制度と三権の分立とを取り入れた正統民主制となり、 一方正統君主制は再び江戸時代に似た権威の中心に後退して 両立の形になっているので、 基本構造としてこれほど完壁な制度は考えられまい。 おそらくグリエルモ・フェルーロが生き返ったら、 比類のない卓抜さに感嘆するのではなかろうか。「敗者の戦後」 入江 隆則 中央公論社
2019年04月16日
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そのように不安なときに、 頼りになるべき中国(ちゅうごく:(清:しん))が 自国の領土保全もままならない 官僚的老廃国(かんりょうてきろうはいこく)で、 朝鮮はその属国にすぎなかった。 これが第二のポイントである。 朝鮮半島は北からの脅威(きょうい)の いわば吹(ふ)き抜(ぬ)けの通路であった。 明治日本は自衛(じえい)のためにも 朝鮮の清からの独立と近代化を願い、 事実そのために手を貸したが、 朝鮮半島の人々はいつまでたっても目が覚めない。 自国さえ維持(いじ)できない清に、 朝鮮半島を牛耳(ぎゆうじ)ったままにさせ、 放置(ほうち)しておけば、半島はロシアのものになるか、 欧米諸国(おうべいしょこく)の 草刈(くさか)り場になるだけであったろう。 つぎに起こるのは日本の独立喪失(どくりつそうしつ)と 分割統治(ぶんかつとうち)である。 日本は黙(だま)って座視(ざし)すべきだったろうか。 近代日本の選んだ道以外のどんな可能性が他(ほか)にあったであろう。 江戸時代を通じ武家社会であった当時の日本人は、 中韓両国人(ちゆうかんりょうこくじん)に比べ、 危機意識に格段の差があった。 今日日本のあるのはそのおかげである。「国民の歴史」 西尾 幹二 産経新聞社
2019年04月15日
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十九世紀末のイギリスの歴史学者、 パーカー(J.E.Barker)という人がある。 この人の『オランダ興亡史』という書物は名著で、 それこそ洛陽の紙価ならぬロンドンの紙価を高からしめた人です。 この『オランダ興亡史』の中に、 パーカーが、「領土だの物資だのというものが、 その国め偉大さに本質的な関係があるものではない。 真にその国民の偉大さに関するものは、 そんな領土や資源や貿易ではなくって、 国民の能力であり、国民の精神である。 殊に後者の国民精神の問題である。 これの旺盛な国民は、必ず、どんなに困ってもまた勃興する。 航海に例を採れば、よく規律あり訓練ある乗組員であれば、 荒海をくぐりぬけることもできるが、 秩序の乱れた、精神のこもらぬ船員共では、 沈没の危険があるのと同じである。 その意味において政党政治は非常に注意を要する。 国あることを知らず、ただ党あるを知り、 その党よりも実は己の利を図るばかりというように、 政党が堕落してオランダも衰退してしまった。 だからどうしても、己よりも党、党より国家 という精神に燃えた政党員を作らなければ、 到底、政党政治というものも国民のために危うい」 ということを痛切に論じておる。 それがそう行かずにだんだん悪くなると、どうしても革命を招来する。 革命というものはやむを得ざることであるが、無条件で肯定できない。 非常に注意を要するものです。 警戒を要するものです。 ところが、行き詰まってくると革命が要求されるために、 なにか革命といえば無条件に礼讃される傾向があります。 これは間違いで、できるだけ革命は避けたが宜しい。 やむを得なければ革命もなければならないが、 それはあくまでも正しく賢明に行なわれねばならない。 一番望ましいことは、 革命など要らない「絶えざる生新」即ち維新であります。「活眼 活学」 安岡正篤 PHP
2019年04月12日
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マルクス主義は、どこが間違っていたのか。 一言でいえば、プラモデルを組み立てるように、 未来社会を技術的に設計し、建設できると考えたことだろう。 しかも、社会主義的な生産様式という土台を作り上げれば、 その上の制度や文化は自動的にでき上がると説明されてきた。 まるで年表の下の欄が経済的土台で、 上の欄が政治的上部構造であるような歴史図式があって、 封建的土台と封建的上部構造、 資本主義的土台と資本主義的上部構造、 社会主義的土台と社会主義的上部構造、という縦割り図式になる。 言語や芸術のように各時代を貰いて同一であるような 横割り文化のあり方は、 (後にスターリンが言語論という形でマルクス主義を修正するが) 原則として認められない。「倫理で歴史を読む」 加藤 尚武 清流出版
2019年04月11日
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日本は中国の周辺国家でありながら聖徳太子の時代以降、 殆ど朝貢することがなかった。 あるいは、中国からお墨付きを得て 国王に任じてもらうことをしなかったのです。 日本が八世紀の初頭に天皇という独特の称号を設けたのは、 皇帝と名乗ると中国と対等になってしまう。 国王と名乗ると中国に臣下の礼をとったことになるからで、 天皇という称号は日本の独特の自己主張なのです。 要するに、中国とは戦いはしないが自立しながら 独自の文化的発展をするというのが日本の姿勢だった、 それが天皇という称号になっていると思うのです。 そう考えますと、中国から多くのものを学びながら、 日本人は中国の文明とは違った 自分のアイデンティティーを持っていたのではなかろうか。「市場と国家」 坂本多加雄 藤原書店
2019年04月10日
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マッカーサー白身の現行憲法制定経過についての記述、 特に第九条の成立事情についての説明は、 前掲『芦田日記』の記述とは著しく矛盾している。 彼の『回想』(一九六四・昭和三十九年)によれば、 ‟戦争放棄条項″を加えることを提言したのは幣原首相その人であり、 マッカーサーではなかったことになっているからである。 しかしながら、マッカーサー自身によるこの記述は、 マクネリー、ワード両教授によって きわめて信憑性に乏しいものとして斥けられている。 その最大の理由は、 マッカーサーによれば幣原が進んで提案したはずの‟戦争放棄条項″が、 再三の閣議を経て二月八日に総司令部に提出された 「憲法改正草案要綱」に全く含まれていない、 という事実に求められている。「一九四五年憲法―その拘束」 江藤淳 文藝春秋
2019年04月09日
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近頃の青年男女が、初めて社會に出るに就いて、 色々観察するのに、 どうも戦々競々として 第一歩を踏み出すやうな傾向のあるのを見ます。 勿論、學窓から初めて實社會に乗出すのですから、 或程度までの氣後れもありませうし、 物慣れぬ怖氣もあるのでせう。 が少くとも世に出る第一歩である以上、 もつと活氣あるスタートを切つて欲しいと 私は常々考へて居ります。 學生時代はかなり元氣いつぱいで、 大いに語り、大いに論じ、精氣溌溂たる人であつたのに、 一度社會の戦線に起つと、いぢゝゞいぢけて、 言ひたいこともロクに言へないといふ人がよくあります。 かやうなことでは、世の荒波といふものは、 なかく乗切れるものではない。 もつと活氣あり、 もつと力強いステップを以て踏み出さなければ、 将来の大成などといふものを望めるものではありません。「私の行き方」 小林 一三 斗南書院
2019年04月08日
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第一は、近代日本の出発点には イギリス、ロシア、フランス、オランダ、アメリカ、ドイツなど 列強(れっきょう)の迫りくる具体的な 武力脅威(ぶりょくきょうい)があったことだ。 アジアでは当時、国境(こつきょう)は名ばかりで、 塀(へい)も柵(さく)もない荒(あ)れた原野(げんや)を 野盗(やとう)の群(む)れが走り回っていたに等しい。 すなわち欧米列強の植民地支配は、 列強の相互牽制(そうごけんせい)以外は無制約で、 支配圏(しはいけん)の確定は 明治維新(めいじいしん)以前に完了(かんりょう)していたのではなく、 近代国家としての日本の独立維持の 長い努力のプロセスにおいて進行中であった。 イギリスのインド支配の完成は明治維新の十年前だが、 ビルマのそれは明治十九年、 マレー半島の完全な植民地化は明治四十二年である。 フランスが清仏戦争(しんふつせんそう)で 清からベトナムを奪(うば)うのが明治二十年。 インドネシアが正式にオランダ領となるのは明治三十七年である。 そして南太平洋からはアメリカが北上してくる。 アメリカによるハワイの併合が明治三十一年、 フィリピン奪取(だっしゅ)も同じ年であった。 他方、北からは不凍港(ふとうこう)を求めて 南下してくる最大の脅威ロシアがあった。 明治の日本人はどんなにか心細かったであろう。 そもそもこの心細さが歴史のすべての話の基本でなくてはならない。「国民の歴史」 西尾 幹二 産経新聞社
2019年04月05日
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啓蒙主義のいちばん基の発想として 「すべての人間は法の前に平等である」という言葉が出てくる。 簡単にいうと、 すべての人間は国家の定めた法の前に平等であるということで、 それ以前の宗教法の世界を否定しているのである。 アメリカの憲法がこの点をうるさいぐらい強調しているのは、 アメリカは絶対、宗教法的体制をとらない ということをいっているわけである。 この点はわれわれには必要のない条項なので、あまり注目されていない。 日本は宗教法体制をとったことがないから、 宗教とは即法律であったということはピンとこない。 しかし宗教法は今でもサウジやアフガニスタンにはそのまま生きており、 イスラエルその他の国でも一部は生きている。 刑法その他は国法も、 民法はどこの国でも宗教法的かその系統の法律である。 そして、この宗教法的体制に基づかない法は国家の独占に任せる、 ただし立法機関を民選――民意をもって行なう、 というのが基本的な図式である。 現在、民主主義といわれる国はどこでも、この体制を採っていて、 これが二十世紀の政党政治であり、 それにとどまらず、社会主義といわれる国も、 人民民主主義国といわれる国も、 形式的にであれ何であれ、この体制をとる。 したがってこの体制は人類の原則のようになっているが、 本をただせば西欧という一地方から出てきた一つの主義で、 これがほぼ人類全体の正統主義みたいになってきて、 われわれもそれを正統主義だと信じているわけである。「日本人の可能性」 小室直樹、並木信義、山本七平 プレジデント社
2019年04月04日
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HIVは八一年七月の「四十一人の同性愛者にヘンな癌」 という同紙の記事で世界にデビューした。 翌年、後天性免疫不全症候群、つまりAIDSと名が付き、 似たような病気がアフリカ諸国でも蔓延しているのが確認された。 翌々年にはこの病は癌でなくウイルスによることを フランスの学者が明らかにした。 カストロが動いたのはこの時点で、キューバの医務当局者を集め、 エイズの疑いのある患者全員を隔離し、 感染源の一つとされた血液製剤をすべて破棄させた。 さらに医師をフランスに送り最新の情報を入手させる一方、 国民全員にエイズ検査を義務付けた。 陽性反応が出た者は 過去の性交相手まで徹底的に調べ上げて隔離と治療を行った。 キューバには米国や欧州から「白人が買春ツアーにくる」(同紙)。 その相手をする女性は避妊具と定期検査が義務付けられた。 それが今の「世界で最もHIV患者が少ない国」の栄誉になった。 発生源米国とは指呼にありながら、それは奇跡と言ってもいい。「マッカーサーは慰安婦がお好き」 高山正之 新潮社
2019年04月03日
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ホール・チェンバレン教授は 一九一二年に出版された評論『新しい宗教の創造』のなかで、 次のように述べている。 「ひとつの原理あるいは規範としての武士道が存在したことは一度もない。 武士道についての説明は、 主として外国人向けにでっちあげたまったくのでたらめである。 ……十年かそこら前まで武士道などだれも知らなかった」。 もしかすると武士道は、 ほとんどの人には近づきがたい一連の宗教的な修業だったのかもしれない。 ともかくそれは一九二〇年代には名誉ある軍人の規範として普及し、 極端な国粋主義や軍国主義と同一視されるようになった。 さらに、 個人の殺害から始まり大衆に対する残虐行為や虐殺にいたる、 このうえなく醜悪な行為を正当化する根拠にもなった。「現代史」 上 ポール・ジョンソン 共同通信社
2019年04月02日
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サラリーマンに限らず、社會生活にをいて成功するには、 その道でエキスパートになることだ、 ある一つのことについてどうしてもその人でなければならない といふ人間になることだ。 たとへば銀行員だつたら、 為替なら為替については誰よりも知識をもつてゐる といふ人間になれば必ず自分の道が開かれてくる、 一つの銀行でさういふエキスパートになつてゐれば、 為替のこととなれば、何でも自分に聞きにくるやうになる、 上役の者でも何でもさあといふ時聞きにくるやうになる、 さうなれば自分の地位が安定することはもちろん、 さらに昇進の邁が開けてくることも當然だらう。 さらにこれが一つの銀行に止まらず. ある銀行界を通じて為替のエキスパートだといふことになれば、 さらにその人の活動範囲は廣くなる、 さうなればその人の前途は一銀行家に止まらず、 どこからでも迎へられるだけの可能性があることは當然だ、 さらにそれが日本で第一の人だといふことになれば、 絶對にかけがへのない人物といはれることにもなる。 これはサラリーマンであれ、誰であれ同じだ、 今日の社會でなかなか成功が出来ないと.いふことを開くが、 必ず成功の道がないと思はれない、 何かの方面にをいて第一の人物になれば、 たとへ無一文でも、事業でも何でも出來る、 それだけの能力さへもつてゐれば 人でも金でも先方から寄つてくる、 決して道がないといふ譯ではないだらう。「私の行き方」 小林 一三 斗南書院
2019年04月01日
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