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福沢諭吉は、 壬午(じんご)軍乱ののち 朝鮮における清国の勢力が強まったのに対し、 朝鮮の改革派を援助し、 彼ら自身の力で 朝鮮の国内改革が推進されることを期待した。 しかし、 1884(明治17)年の甲申(こうしん)事変のとき、 清国の軍事介入で 改革派の勢力が朝鮮から一掃されたため、 福沢の期待は失われた。 翌年3月、 福沢は『時事新報』紙上に 「脱亜論(だつあろん)」を発表した。 その趣旨は、 西洋諸国の急速な東アジアへの勢力拡張のなかで、 西洋文明を取り入れて近代化しない限り 国家的独立は維持できないという認識に立ち、 近代化をなしえない近隣諸国を見捨てても、 日本は独自に近代化を進めて西洋諸国の仲間入りをし、 朝鮮・清国にも 西洋流のやり方で接するほかはないというものであった。 このような脱亜論は、 清国との軍事的対決の気運を高めていくことになった。「もういちど読む山川日本近代史」 鳥海靖
2019年12月25日
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チョムスキーは話を簡単にするために 二つの重要な仮定をした。 そのひとつは、言語の統語法は 言語の他の諸側面とは 独立に研究されうるというものであった。 というのは、もし、統語法が言語の他の諸側面 ――たとえば意味とか伝達の便法とか―― と複雑に絡まりあっているとすると、 統語法に属する法則がどんなものであるかを 突きとめることができないであろうからである。 これと強く関連した第二の暗黙の仮定は、 言語学という学問分野は 他の認知諸科学の分野とは 独立に進展しうるというものであった。 それというのも、言語の研究が、 人間の認知を司る他の領域 ――チョムスキーが後になって述べるところの、 他の心的諸器官―― についての研究と密接に結びついていたとすると、 進歩はほとんど不可能か、 あるいは、はなはだしく 遅々たるものになってしまうであろうからである。「認知革命」 ハワード・ガードナー 産業図書
2019年12月24日
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唯一のグローバル・システムが 全世界を包摂する直前というべき 一八〇〇年に立ち戻ってみると、 「旧世界」のアジア・アフリカ・ヨーロッパの 「三大陸」の中核部には、 五つの大文字圏、文字世界としての 文化世界が並存していた。 すなわち、西から東へ「ラテン文字世界」、 「ギリシア・キリル文字世界」、 「梵字世界」、「漢字世界」、 そして上述の四っの文字世界の全てに接しつつ、 アジア・アフリカ・ヨーロッパの 「三大陸」にまたがって拡がる 「アラビア文字世界」の五つである。 「新世界」の南北アメリカの両大陸、 そして六つ目の人の住む大陸というべき オーストラリア大陸は、 その頃までには、 いずれも西欧人の植民地となり ラテン文字世界の一部と化していた。 ここで、「旧世界」の 「三大陸」中核部を占める文字世界は、 文化世界としてとらえなおせば、 ラテン文字世界は西欧キリスト教世界、 ギリシア・キリル文字世界は東欧正教世界、 梵字世界は南アジア・東南アジア・ヒンドゥー・仏教世界、 漢字世界は東アジア儒教・仏教世界、 そしてアラビア文字世界はイスラム世界としてとらええよう。 そして、各々の文字世界の成立には、 各々の文化世界内における共通の古典語、 そして文明と文化を語るときに共用される 文明語・文化語の書記に用いられる文字が基礎を提供した。 すなわち西欧キリスト教世界ではラテン語、 東欧正教世界ではギリシア語と教会スラヴ語、 南アジア・東南アジア・ヒンドゥー・仏教世界では、 ヒンドゥー圏におけるサンスクリットと仏教圏におけるパーリ語、 東アジア儒教・仏教世界では漢文、 そしてイスラム世界においてはアラビア語が、 各々の文化世界で共有された 古典語、文明語・文化語であった。「文字と組織の世界史」 鈴木 董 山川出版社
2019年12月23日
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第一の問題は、商品開発のスピードが 技能開発のスピードを上回っているために、 五年後を予測して種を蒔かなければならない、 ということだ。 それを誰が決定し、指示するのか、 つまりはマネジメントの問題である。 その際に不可欠なのが、何をつくるのか、 何をつくりたいのかという意図なのだ。 第二の問題は、「ものづくり」の専門技術が、 企業内に集中しすぎているという点だ。 たとえばトリノという街は、 フィアットがカロッツエリアのみならず、 自動車開発に必要な人材や小規模な企業を支えてきた。 そのため今に至っては、 世界中に優れたサービスを提供できるインフラが整ったのだ。 フィアットにとってもそれはメリットで、 固定費をかけずに優れた外注先を身近に置くことができ、 プロジェクトの量に合わせてフレキシブルに対応できる。 また、社内では考えつかない 新鮮なアイデアを調達することもできる。 第三の問題が、実は最もやっかいかもしれない。 団塊の世代の退職とともに、 生産現場で培(つちか)われてきた技能が失われようとしている。 ひとたび失われると、新たに習得することは困難になる。 二極化が懸念される日本の社会も変容している中、 良心的で質の高い人材を得て、 どう継承していくかは喫緊(きっきん) の課題である。「伝統の逆襲」 奥山 清行 祥伝社
2019年12月20日
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フランクフルト学派はルカーチから始まっていまして、 暴力革命を目指す共産党系ではなくて、 二段階革命を掲げています。 まず、封建主義を倒して近代化する。 それは西洋で フランス革命を経てロシア革命が起こったという経緯から、 まずは市民革命で徹底的に民主主義化して、 その後革命を起こすという路線。 講座派と違うのは主体が労働者でなく 市民、中間階級である点です。 彼らは日本では天皇を利用して民主主義化する。 そのために天皇を断罪せずに温存しようと考えた。 野坂参三はこのことを言い続けました。 その野坂参三を日本の毛沢東にしようという OSSの計画がありました。 そのために彼を日本で大歓迎をしたのですが、 二・一ストライキあたりから OSSの左翼的方針がつぶれてしまう。 そしてGHQが冷戦の中で反ソ連になり、 レッドパージが始まる。 この前までは完全に日本を二段階革命にしようとしていて、 憲法をつくったケーディスやラーウエルなどは、 次は革命を起こそうとしていたのです。 このことは、 ここ二十年で解禁された資料で出てきたことです。 ところがこの資料を見ているのは左翼だけで、 保守は気付いていなかった。「日本文明論への視点」 遠藤浩一編 展転社
2019年12月19日
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明治維新以来、 日本の対アジア外交の中心は朝鮮に向けられていた。 欧米列強の東アジア進出に 強い危機感を抱いていた日本政府は、 朝鮮が列強、とくにロシアの勢力下に入れば 日本の国家的独立もまた危うくなると恐れた。 そして、 それ以前に日本の主導権で 朝鮮を独立させて日本の影響下におき、 列強と対抗しようと考えていた。 征韓論や日朝修好条規の締結もそのあらわれであった。 しかし、 朝鮮を属国とみなして宗主権を主張する清国は、 こうした日本の朝鮮政策を認めず、 両国はしだいに対立を深めることになった。 日清戦争の主要な原因は、 このような朝鮮問題をめぐる日清間の 政治的・軍事的対立にあった。「もういちど読む山川日本近代史」 鳥海靖
2019年12月18日
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「一身独立」は、 『学問のすすめ』にあっては 「独立とは自分にて自分の身を支配し 他によりすがる心なきを言う」というふうに 個人主義と誤解されかねない説明を与えられているものの、 その真意はというと、 まさに他者関係における道徳の基準として 「一身独立」が唱えられているからである。 「不品行なことはできない、 不仁、不義、不忠、不孝ソンナあさましいことは、 誰に頼まれても何事に切迫してもできないと、 一身を高尚至極にし、 いわゆる独立の点に安心するようにしたいものだ」 (『福翁自伝』)。 これは諭吉が晩年に至って辿りついた 道徳的境地というのではない。 諭吉の最大の関心事は一貫して 「人間交際」(『学問のすすめ』)にあった。 「およそ世に学問と言い、 工業と言い、政治と言い、法律と言うも、 みな人間交際のためにするものにて、 人間の交際あらざればいずれも不用のものたるべし」(同)、 これが諭吉の変わらざる基本姿勢である。 それゆえ、 もし「人間交際」を今様に「社会」と表現し直すならば、 諭吉を、 日本最初の社会学者とよぶこともできるわけである。「思想史の相貌」 西部 邁 世界文化社
2019年12月17日
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一人でいるのは寂しい。 だれかと一緒にいたい。 この気持ちがつまり、 レリジョン(Religion)です。 〝宗教″と訳されていますが、 このレリジョンという言葉の語源は ラテン語のレリガーレ、レリグルーという言葉です。 レリガーレという言葉は〝結び合わせる″という意味、 レリグルーという言葉は、〝バラバラになったものを 再び集める″という意味です。 一人でいるのは寂しいからお互い集まって、 手と手、心と心を結び合いたい。 こうした気持ちが人々の間で高まっています。『「多価値化」社会』 日経広告研究所編 日本経済新聞社
2019年12月16日
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「文明」については、 「人類の、マクロコスモスすなわち外的世界と、 ミクロコスモスすなわち内的世界についての、 利用・制御・開発の能力と その諸結果に対するフィード・バックの能力の 総体とその所産の総体」と定義したい。 そうすれば「文明」は、 何よりも時間と空間をこえて普遍的なものとしてとらえうる。 このような意味での「文明」、 とりわけその外的側面は、 どちらがより有効性が高いかで 客観的に比較優位、比較劣位を問いうることとなる。 そしてまた「文明」は、累積的たりうる。 ただし「文明」については、 発展のみに目がいきがちであるが、 退行もありうるものとしてとらえたい。 これに対し「文化」については、 「人間が、集団の成員として後天的に習得する、 行動のあり方、ものの考え方、ものの感じ方の 『クセ』の総体とその所産の総体」と定義したい。 そうなると、「文化」については、 特殊性の方に重点がおかれることになる。 特殊的な「文化」の拡がりについては、 ごく小さな集団で共有されるものから、 巨大な拡がりをもつものまであるが、 同一文化が共有され基調となっている空間を 「文化圏」と呼びたい。 「文化圏」のうち、とりわけ広大で 相対的に自己完結的な世界となっている大文化圏を、 「文化世界」と名づけたい。「文字と組織の世界史」 鈴木 董 山川出版社
2019年12月13日
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『文法の構造』において、 チョムスキーはまず一連の目標を定め、 次に英語における ――そして、すべての言語における―― 正しい規則を識別するために必要と思われる 文法の種類について記述した。 彼以前の言語学者たちがしていたような、 言語データを単にながめたり、 実際に得られた発語から 規則性を見つけ出そうとしたりすることを否定し、 チョムスキーは発話自身についての研究からは 原理のようなものはけっして見つからないと主張した。 そのかわりに、 演繹的に研究することこそが必要なのだ と主張したのである。 言語とは一体どんな種類の体系なのかを、 数学のある特定の分野はどのようなものであるかを 突きとめるときのようなやり方で 突きとめることこそが必要であり、 その結論は形式的な体系によって述べられねばならない。 そうした分析は考えうるいかなる文法的な文 (もちろん、そうした文は無限に存在する) の産出をも可能にするような規則群を設定することへとつながる。 しかも同時に、 そうした規則群はいかなる正しくない文、 すなわち非文法文をも「生成」しないものでなければならない。 こうして、そのような体系が作られた後は、 その言語体系の規則群に従うことにより 実際にある特定の発話が 適切に生成されうるか否かを調べてみればよいのである。「認知革命」 ハワード・ガードナー 産業図書
2019年12月12日
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三月十一日の地震の時、 私は上野駅から目黒の自宅まで歩くことを強いられた。 つまり、 歩くという文化が地震により急に露出してきたのです。 電気がなくなれば、 古代と同じように暮らさなければならないということに、 古代との連続性を垣間見せられたわけです。 頭だけを使っていればよい職業は バランスを欠いているということです。 電車に乗っている時に地震が起こり、 電車が止まった時にものすごい揺れを感じて、 これは死ぬかもしれないと思った人は 多いのではないでしょうか。 しかし叫ぶわけでもなく、 怖いと言うわけでもなく、 何か反応するのでもなく、 車内はシーンとなっていた。 これはすごいことになったと思った。 また、 三陸海岸で津波が 全てを呑み込んでいく映像をご覧になった方も、 「圧倒的だな」と感じたと思うのです。 これが、 「神々を見た」ということなのです。 何か本質的なものを見た。 神という定義は 本居宣長が「鳥獣木草の類、海山等、 その他なんでもあれ、世の常ならず、 優れたる徳ありて畏きものを神といふなり」 と書いております。 つまりあらゆるすごいものに、 神を感じているのです。「日本文明論への視点」 遠藤浩一編 展転社
2019年12月11日
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名分とは虚飾の名目を言うなり。 虚名とあれば上下貴賤悉皆(しっかい)無用のものなれども、 この虚飾の名目と実の職分とを入替にして、 職分をさえ守ればこの名分も差支あることなし。 即ち政府は一国の帳場にして人民を支配するの職分あり。 人民は一国の金主にして国用を給するの職分あり。 文官の職分は政法を議定するに在り。 武官の職分は命ずるところに赴(おもむ)きて戦うに在り。 このほか学者にも町人にも各々定めたる職分あらざるはなし。 然るに半解半知の飛揚(とびあが)りものが、 名分は無用と聞きて早く既にその職分を忘れ、 人民の地位に居て政府の法を破り、 政府の命をもって人民の産業に手を出し、 兵隊が政(まつりごと)を議して自(みずか)ら師(いくさ)を起し、 文官が腕の力に負けて武官の差図に任ずる等のことあらば、 これこそ国の大乱ならん。 自主自由のなま噛(かじり)にて無政無法の騒動なるべし。 名分と職分とは文字こそ相似たれ、 その趣意は全く別物なり。 学者これを誤り認むることなかれ。「学問のすすめ」 福沢諭吉 「岩波文庫
2019年12月10日
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自信とか精神とかいうものも、 実に敗者である自己に出逢い、 敗北した共同体の運命を引受けるところからしか 生れはしない。 敗北に出逢うことは屈辱ではない。 この事実を勇気をもってになうところからしか、 本当に沈着な自信は生れない。 政治家は 沖縄が還って来るから自信を回復しろという。 しかし 国家の政策の比重が生存の維持にかかっている以上、 かりに自信に似たものが生れても それはあの「ごっこ」の世界のなかでの自信にすぎず、 他人の視線によってたしかめられなければ たちまち崩壊するような かりそめのものにとどまるであろう。 経営者は物質文明の弊害に対処するために、 精神的価値を作興しろという。 しかし 精神作興運動から生れるのは狐つきだけであって、 真に個人の内面に生きる精神ではあり得ない。 敗戦というものが いかに大きな打撃であったかということ、 自己回復によって「敗北」に出逢う瞬間が 刻一刻と近づいているということ、 そしてわれわれは 繁栄と復帰のよろこびを獲得することによって、 まさに一歩ずつ「敗北」の経験に 近づいているのだということを、 私はここに書きとめておきたい。 『広辞苑』第二版によれば、 「敗北」とは「戦いにまけて逃げること」である。 あえていえば、 そのような自己の姿に直面する予感が、 われわれの唯一の希望なのである。「一九四五年憲法―その拘束」 江藤淳 文藝春秋
2019年12月09日
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1894(明治27)年5月、 朝鮮で民族主義的な東学(とうがく)を中心に、 減税と排日を要求する大規模な 農民の反抗がおこった(甲午(こうご)農民戦争、東学の乱)。 朝鮮政府は鎮圧のために清国に派兵を要請し、 同年6月、清国は軍隊を送った。 日本もこれに対抗してただちに出兵した。 両国の出兵もあり、農民の反抗は収まったが、 日本は日清両国で朝鮮の内政改革にあたることを提案した。 しかし、 清国政府はこれを拒否したので交渉はついに決裂した。 ちょうどそのころ、 日英通商航海条約が締結され、 イギリスが日本に好意的な態度を示したので、 日本政府(第2次伊藤内閣、陸奥宗光外相)も開戦を決意し、 7月には豊島沖(ほうとうおき)の海戦によって 日清戦争が始められ、 8月には正式に対清国宣戦が布告された。 国内では、 それまでしばしば対立・抗争を続けていた 政府と政党が一致協力の態勢をとり、 議会では巨額の軍事予算も満場一致で可決されるなど、 清国との戦争を遂行するため挙国一致の動きが進められた。 日本側が明治維新以来、 強い対外危機意識のもとで 国内の改革を進めて立憲政治を実現し、 国をあげて十分な準備を整え、 よく訓練され近代的に組織化された軍隊をもっていたのに対し、 清国側は国内の改革に立ち遅れ、 西太后(せいたいごう)派(后党)と 光緒帝(こうしょてい)派(帝党)問の政治的対立も激しく、 専制政治のもとで国力を十分に発揮できなかった。 そのため戦争は圧倒的に日本の優勢のうちに進められた。 まもなく、 日本海軍は黄海海戦で清国艦隊(北洋艦隊)を撃破し、 陸軍は清国軍を朝鮮から一掃して、 さらに 遼東(りょうとう)半島・山東(さんとう)半島の一部などをも制圧した。 こうして、 約2億円余りの戦費と約10万人の兵力を動員した戦争は、 約8ヵ月で日本の勝利に終わった。 戦争における 日本軍の死者は約1万7000人で、 その約7割が戦病死であった。「もういちど読む山川日本近代史」 鳥海靖
2019年12月06日
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日本は朝鮮と日朝修好条規を締結し、 朝鮮と近代的な条約関係を取り結んだ 最初の国となった。 これはペリー提督の艦隊が 西欧諸国に門戸を開放するよう徳川将軍に迫ったのと 同じ手法を使ってのことであった。 これ以降日本は朝鮮半島に対し ますます政治的権力をふるうようになり、 半島を国防上の戦略要地とみなすようになった。 ところが清国では朝鮮をいまだ属国とみなしており、 半島の覇権をめぐって日清の対立が始まった。 朝鮮の改革派は日本の支援を希望し、 保守派は日本の勢力が浸透してくるのに反対した。 そこで一八八五年、日清両国は、 相互の軍隊を朝鮮から撤退させ、 ふたたび派兵するときは 他方に通告することを取り決めた。 しかし一八九四年にさる保守的な宗教集団が 反乱を起こしたのをきっかけに、 両国の軍隊は朝鮮に兵を送り、 やがて日清戦争が始まった。 眇(びよう)たる一島国の近代化された軍隊が、 大国清朝をいとも簡単に破ったことに 西欧諸国はびっくりした。 日本軍は朝鮮を抜けて満州に進出し、 清国の艦隊を破って華北の威海衛を占領した。 一八九五年四月十七日に下関条約が結ばれ、 日清戦争は終結した。 条約では清国は日本に対し 台湾、およびその周辺の膨湖島、 南満州の遼東半島を割譲し、 多額の賠償金を払い、 朝鮮の完全な独立を認めることに同意した。 同時に西欧諸国が清国に強要した 不平等な外交および通商特権を 日本にも与えることとなった。「ライシャワーの日本史」 エドウィン・O・ライシャワー 文藝春秋
2019年12月05日
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単純な形での認知心理学は、 「情報処理心理学」、 つまり認知システムはコンピュータ・プログラムとの連想によって 最もよく理解できるとする立場から挑戦を受けてきた。 このアプローチの背後にある仮定は次のようにまとめられる―― 1 すべての認知システムは記号処理システムである。 知能は外的・内的状況や事象を記号化し、 その記号を操作することによって実現される。 2 すべての認知システムは共通の基本的な記号処理機能を共有している。 3 認知理論は適切な記号形式のもと、プログラムとして実現される。 このプログラムは、適切な環境で実行されれば観察された行動を生成する。 このアプローチは、先行する非計算的モデルと相容れないわけではない。 一般に再現性を統御するルールをプログラムに埋め込むことは可能である。 その意味で、プログラムはいくつかの変数を備え、 モデルすべき自然システムの行動(出力)について 予測を行なうための形式システムといえる。 予測された行動が観察に対応する限りにおいて、理論は支持される。 ここではコンピュータは、理論の解析や手計算で扱える範囲を超えた、 複雑な理論構成を可能にしている。 これによって認知理論は、実験によって制御されつつも、 先行理論よりは複雑で込み入ったものとなりうる。 認知心理学実験でカバーできる状況を超えた現象を扱うため、 人工知能(Artitieial Intelligence) ――つまり人間の思考や言語をなぞった行動をする プログラムの設計と評価に目が向けられた。 これらのプログラムは、対応する人間行動の理論と受け取られている。 サイモンは述べている ――「[知能についての]我々の知識のほとんどは、 …‥多様な知能システムの観察と…… その観察から導かれた形式的理論 ――主にコンピュータ・プログラムの形をとる―― によってもたらされるに違いない」(simon1981、p.24)。「コンピュータと認知を理解する」 テリ-・ウィノグラード 産業図書
2019年12月04日
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最近では、 欧米諸国と歴史的条件・国際的環境が いちじるしく異なる日本の明治維新について、 絶対主義とかブルジョア革命とかいった 欧米流の概念を適用しようとすること自体、 あまり意味がないとする考え方が支配的である。 そして、 外圧とそれに対する強い対外危機意識が原動力となって 明治維新が達成された点を重視して、 民族革命という視点から それを理解しようとする見方も行われている。 いずれにせよ、 より広い国際的視野や比較研究の 視点を取り入れることが要請されている。 そこでは、 欧米先進列強の東アジア進出という 国際的環境にさらされた日本の 対外的危機意識と国家的独立の達成の意義を強調し、 外圧(「西欧の衝撃」)に対抗しつつ行われた 封建的諸制度の打破という国内変革により 近代国民国家の形成が進められた点を重視する視点から、 その出発点として明治維新を理解しよう とする見方が有力である。「もういちど読む山川日本近代史」 鳥海靖
2019年12月03日
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構造主義は、とくにだれの発明という訳でもありません。 それは今世紀の初頭、 芸術、文学、生物学、物理学、数学、言語学などの分野で ほぼ一斉に台頭しました。 頭に入りやすいかたちでいえば、 構造主義とは「実体論から関係論へ」という、 ものの見方の推移をさす言葉と思って間違いないでしょう。 同じころ画家のブラックは、 「わたしは物を信じない、 信じるのは物と物との関係だけである」といっています。 このような動向をいちはやく察知した ロマン・ヤコブソンという言語学者は、 1929年、「構造主義」という名前をこれに与えました。 「現代科学の考究する現象は、 どれをとっても機械的な寄せ集めとしてでなく 構造的全体として扱われており、 そこでの基本的な仕事は、静態的であれ動態的であれ、 当の体系の内部法則を明らかにすることである」。「知の技法」 小林康夫 東京大学出版会
2019年12月02日
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