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今西錦司(いまにしきんし)氏は、 日本人の自然観に立脚した独自の生物学を展開した。 その一つが「棲(す)み分け原理」である。 自然界は食うか食われるかの弱肉強食の関係ではなく、 相互にテリトリーを持って、 できるだけ争いを避けて棲み分けている。 動物たちは棲み分けによって共存している というこの今西の理論は、 キリスト教世界の自然観とは異なる、 日本人独自の自然観・神(かん)ながらの思想から 発せられたものである。 これはダーウィンの弱肉強食の自然淘汰説とは まったく異質の進化論である。「破約の世界史」 清水 馨八郎 祥伝社
2019年03月29日
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エネルギー問題の状況が、歴史の方向を想定する上で、 非常に微妙な影響を与えている。 埋蔵地下資源の限界は、かなり予見可能な形で迫ってくる。 しかし、 核融合反応から利用できるエネルギーを取り出すことができるかどうかは、 賭けなのだ。 一方に確実な限界、他方に予測不可能な賭け、 これがわれわれの歴史の決定要因の現在のあり方なのである。 人類の置かれたこのような条件に対して、三つの対処法がある。 第一の姿勢は、最悪の事態に対処するということ。 化石エネルギー資源の減少というトレンドに従って、 原子力ヘの依存を排除し、核融合反応制御技術の開発を断念して、 太陽熱利用の路線に世界のエネルギー問題解決の道を絞る。 第二の姿勢は、核融合反応制御技術の開発に賭けるということ。 最善の可能性にすべてをつぎ込む。 あらゆる可能性を追求して、この技術開発に成功することのみが、 人類の未来を切り開くという意志決定を貫くのである。 この道は、もしも失敗したとき、 つまりその技術開発に成功する前に、 化石エネルギーに依存した世界の技術文明が崩壊してしまったとき、 最悪の結果をもたらす。 第三の姿勢は、最悪の事態のなかでの最善を追求する、ということ。 つまり、核融合反応技術の開発を断念することなく続け、 太陽熱利用だけでも人類が生き延びることのできる可能性を追求する。「倫理で歴史を読む」 加藤 尚武 清流出版
2019年03月28日
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イギリスでは革命(レボルーシヨン)が早くにおこなわれたため、 その後は進化(エボルーシヨン)による スムーズな変化を持つことができました。 スカンジナビア諸国の革命はむしろおそかったのですが、 イギリスというモデルがあり、 イギリス革命のおこるのを目にすることができたため、 進化による変化が進行しました。 しかし、東欧や南欧での変化は すべて基本的には革命的な性格のもので、力づくでおこなわれました。 フランス人も変化を力づくでやってのける方で、 ついにはおそるべき大革命を勃発させます。 ドイツの場合には、革命運動の出現がかなりおそかったので、 非常にちがった伝統ができあがりました。 日本はというと、革命が出現したのは、 長い平和期が真の安定を確立し、 社会に一大変化に応ずる用意がまったく整ったのちのことでした。 だから、ついに革命がやってきたとき、 古いシステムはすみやかに消えさって、 進化というに近い変化を可能にしただけでした。 短い革命期はありましたが、以後は基本的に進化的変化で、 板垣や大隈らの自由民権運動とともに進行し、 都市や農村の民衆までが 自分たちも応分のものを得たいといいだしました。 施行された教育制度も一九世紀の教育制度で、 新しい時代に合う平等性の高いものだったので、 日本での変化は基本的に進化的性質の変化になりました。「日本への自叙伝」 エドウィン・O・ライシャワー 日本放送出版協会
2019年03月27日
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産業的征服はおそるべく、道徳的制服はたえがたい。 われわれの祖先の理想、われわれの家族制度、 われわれの倫理、われわれの宗教は、日に日に色あせてゆく。 あいつぐ各世代は、西洋人との接触によって、 道徳的根性をうしなってゆく。 廉潔のかわりに業績が重んぜられ、人格のかわりに才気が尊ばれる。 われわれは、心ならずも、 のこされたものを破壊しつくす手助けをする。 われわれは、崩壊をもたらす改革をくわだてる。 われわれは、社会の実験をおこない、滅亡にむかっての進行を早める。 われわれは、没落と戦おうとして、外国の知識をもとめ、 異国人のあやまった見地から視(み)るようにわれわれの心を訓練する。 われわれはしはしば、絶望のあまり、廉潔は便利にまさることを忘れる。 われわれのもっとも偉大な知識人さえ、奇妙な仮定にとらえられている。 詭弁(きべん)は、男が借りることを憎む多くのものを弱さに貸しあたえる。 あるものは、服従は抵抗の真の手段であると主張し、 多くのものは、静観して行動を放棄すべきだと主張しすべてのものが、 再興の時は熟していないという考えに賛成する。 ヨーロッパの模倣と崇拝は、ついに、われわれの自然な制度となった。 ロンドンの最新流行を誇示するカルカッタや東京の貴公子違の姿は、 滑稽をとおりこして悲しくなるほどだが、 彼らは、一般的なこの観念のあらわれにすぎない。 流行を追うわれわれの学者たちが 近代哲学の借り物の文句のなかにもとめる保護色を、 彼らは衣裳にもとめているのである。「東洋の目覚め」 岡倉天心 日本の名著 中央公論
2019年03月26日
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仕事が得られなくなつた、出世が六ケ敷い、 といふやうな考へから、 若い人達は一般に「實業の日本」式の教訓とか、 或は「キング」の主張する虞世訓等に引きづられて、 如何にすれば早く仕事が得られるか、 その勤務振りは、如何にすれぼ.重役の御見出しに預かるか、 そういふやうな出世の近道ばかり研究する風潮は、 青年をして自分の持つて生れて來た天分を、 失わしめる弊害を生ぜしめるやうになつて來ている。 成程、この實社會の盤根錯節を切り開ぃて行くには、 常識通りの教訓を無視することは出来ないであらう。 然しながら、人には各々その人のみの持つ、 或る天分があるものである。 その天分は、これを指導する方法の如何に依つては、 尊くもなり、悪くもなるものである。 各人の持つこの天分に、更に磨きをかけて、 光を發揮せしむることによつて、 特殊の人物を造り得るといふ事が、 閑却されるやうな時代になつて來てゐるやうに思ふ。 凡そ、あらゆる事業の成り立つた後を顧みれぼ、 それはその人の人格の發露である。 これは或る特殊の技藝を持つ人に非ざれば、 出来ないことを證明してゐるものであつて、 その特殊の技藝とは、 容易に他人の眞似の出來ない能力の結晶である。 然るに今日の若き人は、この技能を磨くといふことを忘れて、 無理からに、常識のみに依る行動をとつて、 出世しようと心がけてゐる者が多いが、 賓際、今日の世の中は、 そういふ平凡人は多過ぎて困る状態になつて居る。 これは各種の教訓談の薬が効き過ぎた結果であつて、 寧ろ今日では、この教訓談で出來上つた人は多過ぎる。 それよりも確固不抜の精紳を以て、 自分のみの持つ或る特色を頑強に發揮する 力強い人物が缺乏してゐるのであるから、 私は寧ろ、この種の方面に、 自分の力量を信じて進んで行く青年が、 存外早く頭角を現はすのではないかと思つてゐる。「私の行き方」 小林 一三 斗南書院
2019年03月25日
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大体この新憲法は、 敗戦後将来の日本の政治体制のあり方の根本を、 連合国側が制定したものだと思う。 この新憲法の根本は結構なことだと考える。 然し独立回復後の日本に於ては、 本当に「我々日本人」によって 憲法を制定するべきではあるまいか。 憲法改正というと、 この米国製憲法を改正するという意味だろうが、 そんなケチなことは止めて、 新規蒔き直しにこの現代日本に適応する様な憲法を、 新規に制定すべきであろうと私は思う。 現代の憲法は余りにも事務的の部面が多過ぎる。 一国の憲法などというものは、 もっと根本を示すもので充分であると思う。 事務的に余りに規定することが多い故に、 その解釈に於ても運用に於ても、 色々の無理が出て来ているのではないだろうか。 新憲法の原案を書き上げた米人の気持は判る様な気がする。 米国の議会ほど年々法律を大量生産するところはないと聞く。 そういう議会が好いのか悪いのかは知らぬし、 知ろうとも思わぬが、この心理状態が、 日本国憲法を煩雑化(?)の結果に 陥れたのではないかと考えるので、 原案作成の米人の気持は判る様な気がすると言うまでなのだ。「プリンシプルのない日本」 白洲次郎 メディア総合研究所
2019年03月22日
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神道は原始的ですたれかかっていた少数者の信仰から、 近代的な全体主義国家お墨つきの宗教へ変身をとげたのである。 つまり、なんとも卑しむべき皮肉というほかないが、 宗教とは本来現世の恐ろしさをやわらげるべきものであるのに、 そうした恐ろしさを神聖化することに使われたのだった。 これですべてではない。 神道は拡張主義的国粋主義の宗教として、 古い武士道の規範を一新した軍国版武士道により意図的に補強された。 今世紀のはじめ、士族出身の大学教授、 新渡戸稲造博士は武士道を次のように定義した。 「この世におけるみずからの地位に満足し、 生来の動かしがたい身分を受けいれ、 その許された境遇のなかでおのれを磨く。 家長に忠実で、先祖を尊び、自己啓発と心身の鍛棟により 武道にはげむことである」と。 しかし、二十世紀になるまで、どんな種類にせよ、 武士道について述べたものはほとんどなかったといってよい。 なかには武士道の存在そのものに疑いの目を向ける人もいる。 ホール・チェンバレン教授は 一九一二年に出版された評論『新しい宗教の創造』のなかで、 次のように述べている。 「ひとつの原理あるいは規範としての武士道が存在したことは一度もない。 武士道についての説明は、 主として外国人向けにでっちあげたまったくのでたらめである。 ……十年かそこら前まで、武士道などだれも知らなかった」。 もしかすると武士道は、ほとんどの人には 近づきがたい一連の宗教的な修業だったのかもしれない。 ともかくそれは一九二〇年代には名誉ある軍人の規範として普及し、 極端な国粋主義や軍国主義と同一視されるようになった。 さらに、個人の殺害から始まり大衆に対する残虐行為や虐殺にいたる、 このうえなく醜悪な行為を正当化する根拠にもなった。「現代史」 上 ポール・ジョンソン 共同通信社
2019年03月21日
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古事記によると 最初の天皇が即位したのは紀元前六六〇年で、 古代エジプト第二五王朝の時代にあたる。 その血筋は、ときには養子をまじえながら、 二千六百年以上も続いてきた。 天皇家は世界でも並はずれて古い支配家系で、 古代の不可思議な儀式、慣習などが代々、 虫入り琥珀(こはく)のように閉じこめられて伝えられている。 十六世紀に日本に来た 「インド諸国の宣教者」フランシスコ・ザビエルは、 自分の出会った日本人が、そのねばり強く不屈な精神を持って、 理想的なキリスト教信者になるだろうと考えた。 しかし、宣教師間の内部紛争のせいで、 日本人はキリスト教を拒否してしまう。 十七世紀のなかごろ、日本はヨーロッパ世界に対して門戸を閉ざす。 そのためユダヤ=キリスト教の伝統の賜物である 個人の道徳的責任という考え方をまったく吸収せず、 古代世界の特色である連帯責任主義の痕跡を強く残すことになった。 一八五〇年代になると、 欧米の列強がこの物静かな社会に強引に入りこんできた。 十年後、日本の支配層の大多数は 日本が中国のように植民地化されることを恐れて、 上からの革命を推し進め、 独立国として生きのびるために必要と思われる 欧米の方式を採り入れ、 日本を強力な「近代」国家に変身させようという決断を、 集団の意志によって下した。 一八六八年一月三日のいわゆる明治維新によって、 将軍政治は廃止され、天皇が事実上の君主となったが、 この政治革命は「富国強兵」の日本をつくるという 慎重なねらいをもって推し進められたものだった。「現代史」 上 ポール・ジョンソン 共同通信社
2019年03月20日
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教育制度のあり方いかんにかかわらず、 変貌し続ける社会の動きに対応してゆくための 「教養」とは一体どのようなものかを、 私たちは本気で考えてみる必要がある。 今こそ多くの人々が自分の体験や研究、 教育の実績をふまえた解決策を出しあって、 真剣に議論すべき時だと思う。 私の考えるいま必要な教養とは、 たくさんの知識を身につけることではない。 もちろん何も知らなくては困るが、もっと重要なことは、 知識を自分の中で位置づけ、 行動の指針となるよぅな方向性を育てることだと思う。 「こういうことがある」「こんなことが言われている」といった よく言えば記述的、悪く表現すれば傍観者的な態度で学んだ知識は、 現在のように知るべきことがあまりにも多く、 表明される意見が多様をきわめる時代では、 知識や意見を自分に引きつけ、 自分の立場からまとめ整理する態度を身につけないと、 頭の中はめちゃくちゃに混乱し、 首尾一貫した行動や生き方ができなくなる。「教養としての言語学」 鈴木孝夫 岩波新書
2019年03月19日
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現代中国語には「科学」や「歴史」や「革命」など 日本製の漢字が大量に使われている。 中華人民共和国も中華を除けばすべて日本製だ。 とくにRepublicの訳は秀逸で西周王朝の末期、 王様が逃げてしまって二人の重臣が国政を預かった。 その際、 年号を「共和」にした故事を日本人が引き出してきたものだ。 もちろん中国人も日本人の頭脳にすがってばかりはいられない。 それなりに翻訳努力はしてきた。 Democracyも「徳莫克拉西」と当てたが、 これはldentityを「自己同一性」とか訳した 日本の国語研の馬鹿さ加減と大して変わらない。 結局は日本製の「民主」に落ち着いた。 Telephoneも「徳律風」と翻訳したが、 これも日本製の「電話」になった。 彼らにはやはり無理だった。 創意も工夫も持ち合わせがなかった。 ちなみに東シナ海などで使われる「支那」という国名。 東京外大の岡田英弘名誉教授によると、 隋とか唐とかの王朝名はあっても国名のなかった中国のために 新井白石が造語してやったものだ。 彼がシドッチから聞いたチーナがもとだが、 そうやって名付けてやったのに、 感謝どころか不満を言い募るのはいかがなものか。「ジョージ・ブッシュが日本を救った」 高山正之 新潮社
2019年03月18日
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十九世紀末になると、 ロシアが全シベリアを征服して南下し、 イギリスはインド支配から中国に勢力を伸ばし、 大陸の周辺部を巡る両国のグローバルな対立が、 日本列島や朝鮮半島周辺で激化しようとしていました。 日本が明治維新を起こして本格的に国家形成をしたのは、 この時期です。 日本にとって朝鮮半島にロシアの勢力が入ってくれば大問題だったからです。 イギリスはロシアの動きを見ながら日本の対朝鮮政策を支援していました。 英露の激しい対立の結果、日本海で両国間の戦争が起きかねないわけです。 戦争が起きた場合に日本が取る路線は、 両国のどっちに付くか、中立をとるかでしたが、 選択したのはイギリスと結んでロシアを押し返すことでした。 そのことで日本はロシアの南下を防止することに取り敢えず成功したわけです。 その後、 ロシアを防ぐための拠点として大陸に進出していきますが、 その処理を後に誤って、日米戦争になっていったわけです。「市場と国家」 坂本多加雄 藤原書店
2019年03月15日
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ジョージ・ボールは、いうまでもなく米国外交界の長老である。 『レンタ・キャリアー』は、 このボール元国務次官が 二月五日付の「ワシントン・ポスト」に発表した論説で、 その骨子をなしているのは、 日本に二隻の大型空母を建造させ、 それを合衆国海軍が借り受けて使用するという提案であるが、 元来ボール元次官が、 第二次大戦中レンド・リース法の実施にたずさわった 経験にもとづいての着想であるらしく思われた。 ボール元次官は、次のようにこの論説を締めくくっている。 《‥…もし日本が現在の態度を変更しようとせず、 一方的に利益のみを享受しようとするなら、 自国の防衛負担が増大し経済が沈滞するにつれて、 米国人はますます日本に腹を立てるにちがいない。 これは両国のためになる状況ではない。 今や日本政府が惰眠から眼覚めて、 われわれに応えるべきときである。 日本はいままであまりにも長期にわたって 只乗りをしつづけて来たのである》「一九四五年憲法―その拘束」 江藤淳 文藝春秋
2019年03月14日
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十八世紀の後半、 東方の略奪からうまれた信用と資本によって、 ヨーロッパ産業主義の発明的エネルギーが活動をはじめる。 木材のかわりに、石炭が精錬につかわれるようなった。 今や、 飛梭、紡績機、ミュール精紡機、動力織機、蒸気機関等の おそるべき装置が完成された。 農業と協力することも、 人類の産業計画を十分に解決することもなしに 商業主義の時代に入ったために、 西洋は、商品販売市場の発見に依存する巨大な機械になった。「東洋の目覚め」 岡倉天心 日本の名著 中央公論
2019年03月13日
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わが国の戦後の歴史教育は、前述したような 「他人によって強要された物語を自分の物語として語り、 他国によって語られた来歴に真剣に同化しようという傾向」 が強かったが、自国の来歴を他国の物語、 「人類」を主体とする「世界の進歩」の来歴を 借用して 語ろうとしてきたこと自体に矛盾があり問題があったのである。 日本の軍閥を非難する『平和と戦争』の歴史観は 『太平洋戦争史』に受け継がれ、 日本の軍国主義者と国民との対立を仮構することによって 実際には日本と連合国、特に日本とアメリカとの戦いであった 第二次大戦を現実には存在しなかった 「軍国主義者」と「国民」との間の戦いにすり替えようとしたのである。 両者の対立という架空の図式を導入することによって、 アメリカには何らの責任もないという論理が成立可能になり、 広島、長崎への原爆投下も 「軍国主義者」が侵略戦争を起こしたことに よってもたらされた災厄であって、 実際に原爆を落としたアメリカに全く非はないということになるのである (江藤淳『閉された言語空間』参照)。「新地球日本史」2 西尾幹二 産経新聞社
2019年03月12日
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三世紀頃から二〇世紀に至るまで、 歴史には基本的なトレンドが存在した。 人口も生産量も流通の量も増大した。 そして今、同じトレンドで人口や生産が増大するなら、 地球上の人間の生活が破綻する可能性が見えてきた。 だから、「歴史にはこういうトレンドがあるから、 そのトレンドに従えばよい」という判断の枠組みが使えなくなった。 ヨーロッパとロシアでは、マルクス主義国家が次々と崩壊し、 資本主義が勝利したかのような形になっている。 では、二一世紀は資本主義型単調増大成長が続くのか。 ごくおおまかに言うと、 三つの視点から単調増大型の成長に警鐘が鳴らされている。 第一に、資源や環境問題を抱えたまま、工業社会を維持できるのか。 第二に、人口問題などを抱える開発途上国は、近代化に成功するのか。 第三に、世界平和は達成されるのか。 この三つの問題に答えが出ないうちに、マルクス主義国家が崩壊し、 今は生き残った資本主義国家が主体となって、 資本主義型の解決方法しか考えられなくなってしまった。 単調増大型という大きな枠組みは何ら変わっていないから、 資源が枯渇し、環境が劣化し、人口が増大すれば自動的に行き詰まる。 だから、われわれは今、歴史の未来を見る基本的な視点を、 「どのようなトレンドが存在するか」ではなくて、 「人間に課せられる課題を、どのように解決するか」 という視点に変えなくてはならない時代にきているのである。「倫理で歴史を読む」 加藤 尚武 清流出版
2019年03月11日
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マーシャル・マクルーハン (一九一一~八〇、カナダ出身の英文学者、文明批評家)の 『グーテンベルクの銀河系』を読んだ。 素直な感想を言えば、こんな簡単なことを、 こんな大著にする、なんてご苦労様、としか言えない。 きっと、おしゃべり好きな哲学者だったんだろう。 マクルーハンのメッセージを、私なりに一口で言えば、 十五世紀までは、 言葉が文字よりも優越していた古代・中世だったのが、 グーテンベルクが活字印刷の技術を開発してから、 その関係が逆転して、文字が言葉よりも優越する現代になった、 ということだと思う。 地中海世界や西ヨーロッパ世界では、 ヘブル文字も、ギリシア文字もラテン文字も、すべて表音文字だ。 こういう世界では、言葉をそのまま書き留めたのが文字であり、 文字を読み上げればそのまま言葉になる、と単純に思い込みやすい。 このふつうの思い込みが嘘であり、 言葉は言葉、文字は文字だということを、 マーシャル・マクルーハンが見破ったのはさすがにえらい。 しかしシナ世界では最初から、印刷技術に関係なく、 文字は言葉に対応しない、それ自体で完結した記号体系だった。 このことをマクルーハンが知ったら、なんと言っただろうか。「岡田英弘著作集」Ⅳ 漢字の正体 岡田英弘 藤原書店
2019年03月08日
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「日本政府は、ヒロシマ原爆より六ヵ月も前に、 すでに降伏を決定していた。 スターリンを介して、トルーマン大統領に和平の交渉をすすめていた。 米国政府はそれを知っていながら、 それが表にあらわれない前にというので、広島と長崎に原爆を投じた。 そして一般には、日本人を降伏させるために、 ヒロシマ、ナガサキの原爆が必要だったと思いこませようとした。 しかし、じつのところは、原爆投下には三つの動機があった。 一つは原爆の性能のテストであった。 二には、ソ連を牽制(けんせい)し、脅威をあたえるためであった。 三には、ヴェトナムをはじめ東南アジアの民族に恐怖をあたえ、 民族独立の指導者たちに、 アメリカに抵抗する希望を失わせることにあった。 ソ連の指導者たちは、とうにアメリカの真意を見ぬいていたが、 西洋一般の人々や、東南アジアの民族主義者たちや、 それから日本国民も、 ヒロシマ、ナガサキは戦争終結のためだという 米国政府の作りあげた神話をうけいれたようだった。 じつは、広島と長崎の市民を大量虐殺したことは 無法な罪悪行為であった。 その罪に対して、西洋人ことごとくが責任を負わなければならない。 西洋人の共通の名において行なわれたからである」と。「人間バートランド・ラッセル」 日高一輝 講談社
2019年03月07日
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教育あるほとんどのドイツ人の例にもれず、 ホルヴュークも マックス・ノルダウの『堕落』(一八九五年刊)を読んでおり、 またイタリアの犯罪学者 チューザレ・ロンブローゾの堕落理論にも通じていた。 戦争があろうとなかろうと、人間は不可避的に衰退し、 文明は破局へ向かうという考え方は当時の中央ヨーロッパの通念で、 その下地があればこそ、 一九一八年にオスヴアルト・シュペングラーの『西欧の没落』が、 予告された自殺の完了ともいえる戦争の終結と 時期を合わせて出版されたときには、 息をのまんばかりの喝采を受けたのである。 当時イギリスでは、 主な作家のなかでただひとりジョゼフ・コンラッド(彼自身東欧系)が このペシミズムを作品に反映、 『親方』(一九〇四年)『密偵』(一九〇七年) 『西欧の目のもとで』(一九一一年)『勝利』(一九一五年)など 衝撃的な小説をつぎつぎと発表していた。 これらは小説にことよせた絶望的な政治説法で、 そこで唱えられているものは、 一九二四年にトーマス-マンが『魔の山』で 中央ヨーロッパに広めようとしたメッセージにほかならなかった。「現代史」 上 ポール・ジョンソン 共同通信社
2019年03月06日
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外交交渉で事態の解決を願い、 戦争回避のために力を尽くしてきた東郷外相も 次のように述べた。 「ハル・ノートに対する出席者全員の感じは一様だったと思う。 米国は従来の交渉経緯と一致点を全て無視し、 最後通牒を突きつけてきたのだ。 我々は、米側は 明らかに平和解決への望みも意思も持っていないと感じた。 蓋しハル・ノートは、平和の代価として日本が 米国の立場に全面降伏することを要求するものであることは 我々に明らかであり、米側にも明らかであったに違いないからだ。 日本は今や長年の犠牲の結果を全て放棄するばかりか、 極東の大国たる国際的地位を棄てることを求められたのである。 これは国家的自殺に等しく、この挑戦に対抗し、 自らを護る唯一の残された途は戦争であった」「世界史の中から考える」 高坂正堯 新潮選書
2019年03月05日
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ブルクハルトの次のような言葉は有名だ。 中世においては、 ひとはみずからを種族、国民、党派、家族、 ギルドの一員とのみ認識しており、 なんらかの一般的なカテゴリーを通してのみ、 自らを認識していた。 イタリアではじめてこのヴェールが風の中に吹き払われる。 ひとは精神的な「個人」となり、自らを個人として認識する。 (『イタリア・ルネサンスの文化』柴田治三郎訳、中公文庫、一九八七年) 続けて、名声への欲望やそれを達成する手段として、 芸術があげられる。 逆にいえば、このブルクハルトの言葉によって、 「中世」という時代が規定され、 中世から「個人」を消してしまった、ともいえる。 それ以来、中世の「ロマネスク・ゴシック時代」は、 「暗黒の中世」としてみられるようになったのである。 しかし、『中世の秋』を著して、 中世再評価の礎(いしずえ)を築いたホイジンガがいうように、 「名声」を切望するのはこの時代だけではない。 ホイジンガは、 ルネッサンス期の名声への渇望(かつぼう)について、 「それ以前の時代の騎士の名誉欲と本質的には同じもの」 と反駁(はんばく)し、 名声の栄光から軍事的な意味がなくなったにすぎない、 と主張している。「国民の芸術」 田中英道 産経新聞社
2019年03月04日
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坂本多加雄はその著 『象徴天皇制度と日本の来歴』(都市出版)において、 次のように述べている。 (第二次世界大戦を 「全体主義」に対する「民主主義」の戦い と定義することに対応して……国際社会は、 本来、「平和を愛好する諸国民」によって構成されており、 日本を含めて、旧枢軸国の勢力が台頭しない限り、 世界の平和は維持されるという考え方が、 その前提となっていたのである。 「平和と民主主義」をテーマとする「人類」の来歴は、 本来、ある特定の歴史観に由来するものであり、 そうした歴史観は、 とりわけ二十世紀以降の現実の歴史を説明するものでもなければ、 また、ある具体的な国家の過去の事蹟に 一貫して言及していくような来歴でもなかった)「新地球日本史」2 西尾幹二 産経新聞社
2019年03月01日
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