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神奈川県秦野市では、戦争の記憶が風化しないようにとの願いから本年6月に「8月15日を『平和の日』とする」条例を可決、今月、初めての「平和の日」を迎えた、と16日の朝日新聞が報道している; 63回目の終戦記念日の15日、秦野市は、市として初めての「平和の日」を迎えた。平和について語り合う日にしようと今年6月、8月15日を「平和の日」と決めた。 この日は、市文化会館で平和の日を記念する式典が開かれた。中学生らが平和の日の趣旨を朗読。川崎市の戦争体験者らでつくる「戦争を語りつぐ会」の朗読劇もあった。 古谷義幸市長は式典で「平和を願う心が次の世代に確実に受け継がれていくよう期待している」と話した。 秦野市はこれまで、戦争や平和について考える企画や催しを開いてきたが、最近は、参加者が減っていた。とくに若い世代の参加はほとんどなかったという。 「戦争の記憶が風化しているのではないか」と、市は昨年末に検討委員会を設置。老人クラブや自治会、遺族会などの代表らが議論を重ねてきた。 アンケートでも、市の平和事業や、平和都市宜言の認知の低さが浮かんだ。検討委の報告書によると、市内に住む登録者300人にインターネットで調査した結果、平和都市宜言を知っていると答えた人は34%にとどまった。 一方で、「平和について家族や友人と話し合うことがありますか」との質問には、「よくある」「たまにある」と回答した人は56%にのぼった。報告書はこの結果を「平和への意識は決して低くない状況」としている。 検討委を経て、市議会が6月、平和の日の制定を可決した。 (小島寛明)2008年8月16日 朝日新聞朝刊 14版 23ページ「秦野『平和の日』」から引用 市民の幸福な生活のために努力する秦野市は、平和都市宣言の次は是非とも平和無防備都市宣言を採択してほしいと思います。草の根の平和運動こそ庶民の願いを実現する力だと思います。
2008年08月31日
先月末に交渉決裂が伝えられたWTOについて、10日の「しんぶん赤旗」は次のような解説記事を掲載した; 世界貿易機関(WTO)ドーハ・ラウンド交渉の非公式閣僚会合が7月29日夜(日本時間30日未明)、決裂しました。貿易自由化のルールを定める市場開放の大枠(モダリティー)合意を目指しましたが、先進国と発展途上国の溝が埋まりませんでした。WTO流の自由化が世界の現実に合っていないことが改めて示されました。 ドーハ・ラウンドの開始にあたり、途上国に配慮して、その呼称は「ドーハ開発アジェンダ(課題)」とされました。しかし実際には、貿易自由化だけがひたすら追求されました。自由貿易が世界を繁栄させるという主張に反し、現実は、貧富の格差が拡大し、貧困が広がる一方です。 農業・食料分野では、特に深刻です。 WTOが発足した当時と比べ、世界の事情は一変しています。各国で食料不足が起き、食料危機の懸念が起きています。お金さえ出せば、いくらでも食料が買える時代ではなくなったのです。途上国をはじめ、各国で食料生産の拡大が緊急に求められています。 日本でも、WTO協定受け入れ後、農産物輸入が急増し、WTO協定に合わせて価格政策が廃止されたために、農業の荒廃が進みました。その結果、食料自給率は40%にまで低下しました。 国民に食料を安定的に供給することや、そのためにどんな農業政策をとるかは、各国の主権(食料主権)の問題です。農業・食料はもともと、自由化一辺倒の施策にはなじまないのです。 しかし、WTOは農業・食料分野で、各国が補助金など生産刺激的な政策をとることを否定し、農産物貿易の自由化だけを追求してきました。そのもとで、圧倒的力を持つ多国籍企業が世界の農産物市場への支配を強めました。その結果、各国で伝統的な家族農業、小規模農業が衰退し、貧富の差や飢餓が急速に広がりました。 交渉では、米国は自国の農業補助金を維持しながら、輸入国にはいっそうの市場開放を迫る身勝手に終始しました。米国の農産物を、補助金で競争力をつけて、世界に売りつけるためです。 日本は、工業製品の輸出拡大を優先し、その見返りに農産物市場を明け渡すという姿勢でした。交渉に臨んだ甘利明経済産業相(当時)は、「鉱工業品の関税引き下げなどで、農業分野での痛みを相殺するのに十分な利益が得られない限り、日本の国内にラウンドの成果を訴えることは難しい」と公言していました。 WTO協定が国会を通過した1994年12月8日、日本共産党は志位和夫書記局長(当時)の談話を発表し、WTO協定は各国の経済主権を制約し、多国籍企業と大国の利益のために発展途上国に犠牲を強要すると批判しました。また、日本の農業を荒廃させるとも指摘しました。そして、WTO協定の不公正な内容の改正を求めました。 その後の事態は、この指摘が正しかったことを示しました。日本共産党第6回中央委員会総会への幹部会の報告(7月11日)も、国際通貨基金(IMF)、世界銀行とならんで、現実に合わないWTOの民主的改革を改めて提起しています。 北川 俊文(きたがわ・としふみ 赤旗経済部)2008年8月10・17日合併号 「しんぶん赤旗」 24ページ「経済 これって何?-WTO交渉決裂」から引用 どうもこの「自由貿易が世界を繁栄させる」というのはウソで、自由貿易によって繁栄するのは資本家階級のみ、貧乏人はますます貧乏になるだけのようである。多くの発展途上国がその点に気づいたから交渉は決裂したのではないか。それにしても、他の国々には農業補助金を止めさせておきながら自国の農家には手厚い補助金を出すことを止めないとは、アメリカのやり方は汚い。
2008年08月30日
十五年戦争末期にハワイで発行されていた米軍機関紙が復刻版として出版されたと、16日の朝日新聞夕刊が報道している; 太平洋戦争末期の45年5月から約8カ月間、ハワイで発行された米軍の準機関紙「星条旗新聞」が、復刻版の形で出版された。沖縄戦から占領開始の時期に当たり、沖縄では米軍の攻撃で大勢の民間人が死亡したという従軍記事もある。戦史や戦時のジャーナリズムを考える上で、重要な資料になりそうだ。 (川端俊一)「那覇郊外に侵撃」-45年5月14日付、ハワイ印刷第1号の1面大見出しは沖縄戦だ。その後、首里の司令部が撤退し、日本軍は潰走(かいそう)、多くの住民が犠牲となる。別の記事は写真付きで沖縄で戦闘する一人の米兵を紹介し、「ジャップ殺しが彼の趣味」と記す。 7月7日付1面に「壕は生き埋めの墓場に」との記事がある。300人の日本兵と400人の民間人が立てこもるガマ(自然壕)で、降伏呼びかけを無視された米軍は、ガソリンを流し込んで火をつけ、大半が死んだという。 沖縄県平和祈念資料館の平田守学芸員は、このガマは糸満市にある「クラガー」と呼ばれる壕ではないかという。陸軍第24師団の司令部が置かれ、6月28日に米軍の攻撃で大勢の日本兵と徴用されていた沖縄の人々が死んだ。「犠牲者数ははっきりしないが、民間人がいると知っていて攻撃したことを示す」 沖縄戦での記事は激烈な内容が多いが、広島に原爆が投下されたことを伝える記事は「爆弾の発明家たちが人類の利益のために創作品を破壊しなかったのは残念」というバチカンの新聞の論調を紹介するなど、非難の動きも伝えている。 日本の降伏後、東条英機元首相が自殺未遂をした時は、元首相の組み写真を1面トップで報じている。 戦史に詳しい沖縄在住の元楼美林大学教授、吉田健正さん(67)は「戦況だけでなく娯楽にも多くのスペースが割かれ、当時の状況を知る上で資料的価値をもっている」という。 星条旗新聞社によると、ハワイでの印刷は日本占領に先駆けて始まった。終戦後、45年10月からは東京でも印刷が開始されたが、ハワイでも翌年1月まで続いた。同社編集局の室井規夫・資料調査室長は「ハワイで印刷された星条旗は日本では研究者の間でもあまり知られてないようだ。戦史などの研究に新しい情報となるのではないか」と話している。 問い合わせは、文生書院(03・3811・1683)へ。2008年8月16日 朝日新聞朝刊 4版 16ページ「沖縄戦 米軍の目で詳細に」から引用 「ジャップ殺しが彼の趣味」とは呆れた話だ。中国で非戦闘員を殺害した日本軍と同じである。我々はいかなる戦争にも反対しなければならない。
2008年08月29日
日中戦争のとき、日本軍が中国の占領地にアヘンを流通させて巨額の利益を上げていたことを示す史料が発見されたと、16日の朝日新聞夕刊が報道している; 日中戦争中、中国占領地でアへン流通にかかわり「アヘン王」と呼ばれた里見甫(はじめ)(1896~1965)が、アへンの取扱高などを自ら記した資料や、旧日本軍がアへン販売の原案を作っていたことを示す資料が日本と中国で相次いで見つかった。取扱高は現在の物価で年560億円にのぼり、旧日本軍がアへン流通で巨利を得ていたことがうかがえる。(永井靖二) 日本側の資料は「華中宏済善堂内容概記」で、国立国会図書館にある元大蔵官僚・毛里英於菟の旧所蔵文書に含まれていた。 この文書には、里見の中国名「李鳴」が記され、付属する文書に里見の署名がある。毛里は戦時総動員体制を推進した「革新官僚」の一員で、里見の友人だった。内容から42年後半の作成とみられる。 文書によると、日本軍の上海占領とともに三井物産が中東からアへンの輸入を開始。アへン流通のため、日本が対中国政策のために置いた「興亜院」の主導で、「中華民国維新政府」内に部局が置かれ、民間の営業機関として宏済善堂が上海に設立された。 維新政府は38年3月に成立した日本の傀儡(かいらい)政権だった。 文書では、里見が宏済善堂の理事長になっている。取引の主流は中東からの輸入品と、日本軍が内モンゴルに設立させた蒙彊(もうきょう)政権の支配地域からのアへンで、41年度の取扱高は3億元(当時の日本で約1億5500万円、現在の物価で約560億円に相当)だったという。 また、在庫として、満州国産モルヒネ999キロ、台湾専売局製コカイン277キロが記録されている。計630万元に該当し、「市中相場に換算せば約倍額に販売可能」としている。 里見は戦後、極東国際軍事裁判法廷に提出した宣誓口述書で、自分は宏済善堂の副董事(副理事)で董事長は「空席」と供述。幹部の顔ぶれや経理の詳細には触れず、アへン以外のヘロインやモルヒネは扱わなかったと主張していた。 中国側の資料は、愛知県立大学の倉橋正直教授(中国近現代史)が南京の中国第二歴史襠案(とうあん)館で発見した。 極秘印がある「中支阿片麻薬制度二関スル参考資料」と題する文書などで、この文書は38年10月1日付で軍特務部が作成していた。 文書によると、蒋介石政権はアへンの取り扱いを厳禁していたが、旧日本軍の特務部は中毒患者の救済を名目に許可制とする布告文案を作り、維新政府に示していた。 文書は、浙江、江蘇、安徽の3省の占領地域で人口を2495万7千人とし、うち3%がアへン中毒と推定。台湾や旧満州国の実績から、維新政府の税収を3173万元(当時の日本で2322万円、現在の物価で約111億円に相当)と見込んだ。 当時、駆逐艦の建造予算が1隻676万円だった。 付属する文書には、軍特務部から任務を引き継いだ日本政府の組織と椎新政府が交わした覚書の内容も記され、アへン収入について、維新政府側と軍特務部の間で協議することなどが明記されている。 倉橋教授は「表向きは中毒患者の救済を掲げながら、軍部が傀儡政権に膨大な利潤が上がるアへンの流通制度を導入させた実態がうかがわれる」と話している。秘密業務、詳細に 里見甫の伝記「阿片王 満州の夜と霧」を書いたノンフィクション作家佐野眞一さんの話 里見は極端な秘密主義者だった。「右手がしていることは左手に教えるな」という言葉を生涯の行動規範とし、直属の部下にすら仕事の全容を教えなかった。その里見が、アへン取引について自ら記した文書が見つかったのは初めてではないか。日本軍の主導でアへン専売制が敷かれた経緯や、「宏済尊堂」の業務などが詳細に述べられ、極めて貴重な内容だ。2008年8月16日 朝日新聞夕刊 4版 1ページ「アへン王巨利の軌跡」から引用 A級戦犯は戦後まもなく有罪判決を受けて処刑されたが、実はその手下は責任追及を免れて東京オリンピックの翌年まで生きながらえていたのであった。つまり、かつての十五年戦争はA級戦犯の処刑をもって終わった「昔話」ではなかった、ということである。
2008年08月28日
北京オリンピックの最中、13日の朝日新聞はジャーナリスト・玉重佐知子(たましげさちこ)氏の次のような一文を掲載した; 北京五輪の見どころは、競技もさることながら、中国の文化力の再発見にある。私はこの15年、折に触れ中国の芸術表現を取材してきたが、「100年の夢」といわれた五輪を契機に、国際的文化大国への飛翔(ひしょう)をめざす中国の意思が見てとれる。 8日の開会式は、中国の壮大な歴史絵巻をハイテクと群舞で描きあげ、圧巻だった。この演出の総合監督を務めたのが「紅いコーリャン」など名作で知られる映画監督の張芸謀(チャンイーモウ)さんだ。彼の下で現代美術家の蔡国強(ツァイクオチァン)さんが華麗な花火を演出した。 15年前、天安門事件後の芸術表現を取材するため初めて北京を訪れた折、現代美術や映画は厳しい検閲にさらされていた。欧米で既に高い評価を得ていた張さんや蔡さんは当局からにらまれるような存在だった。 蔡さんは86年から9年間日本に暮らし、美術家としての基盤を築いた。国際的芸術家として成功した2人が、五輪という中国の国家事業の中枢で活躍し、彼らに請われて日本人デザイナー石岡瑛子さんがコスチュームの演出を担当した。最近までの反日ムードを思い出すにつけ画期的なできごとだ。 石岡さんの起用理由は「東洋のDNAを持ち、世界規模で表現活動している」からだ。今回彼女が手掛けた約50種類2万着のコスチュームには、中国の伝統のみでなく、現代と未来的要素をみごとに加えてみせた。 北京は国籍を超えた創造性を取り込み、アジア文化圏の覇者になるかもしれない。それは主会場の「鳥の巣」などの斬新な公共建築にも表れている。 現代美術も隆盛ぶりを見せている。長年中国の現代作家を支援してきた日本の老舗(しにせ)画廊「東京画廊」が、「大山子798芸術区」と呼ばれる軍需工場跡地の一角に初めて画廊を開いたのが02年。以来、わずか6年で100軒余の画廊が立ち並び、外国人を中心に毎月10万人が訪れる芸術の新名所になった。北京市はこの芸術区を保護地区に指定し、周辺には巨大な芸術区が続々と誕生している。 行き過ぎた商業主義を危ぶむ声もあるが、中国現代美術の世界的ブームで欧米の有力画廊が進出し、北京がニューヨークに並ぶ世界のアートセンターになる日も遠くないかもしれない。 人権、環境問題や情報統制などの矛盾や暗部は見逃せない。しかし、国家事業に日本人デザイナーも加える中国の進取性、度量の大きさにも、日本は日を向けるべきだと思う。 五輪招致を狙う東京が北京から学べることは少なくない。東洋のDNAを共有する日中両国が、文化を通じて協働し、切磋琢磨(せっさたくま)して理解を深め、共に文化大国に成長する。今世紀はそんな夢の華を咲かせたい。2008年8月13日 朝日新聞朝刊 12版 7ページ「私の視点-文化大国めざす跳躍台」から引用 開会を目前にしてチベットで暴動が起こったり、開会式当日にはロシア軍がグルジアを攻撃したりと、色々なことがあったが、中国もオリンピックを契機としてより一層、政治・経済・文化の面で大国になっていくことと思います。
2008年08月27日
笠原十九司著「『百人斬り競争』と南京事件」(大月書店刊)について、立命館大学教授・赤澤史郎氏は、10日の朝日新聞に次のような書評を書いている; 「百人斬(ぎ)り競争」とは、南京攻略戦の途上で日本軍の将校2人が、どちらが先に中国兵100人を軍刀で斬り殺すかを競った事件をさしている。南京事件を否定する人たちは、これを報道した新聞記者の創作だったと主張し、2人の将校の遺族は、この事件を改めて紹介した本多勝一らを名誉棄損で訴えた。 06年12月、裁判は原告側の最高裁での敗訴で終わる。確定した判決は「百人斬り競争」について、新聞報道には誇張があったかも知れないが、決してでっち上げではなく、斬殺競争の事実が存在したことは否定できないと認定した。この裁判で被告側を支援して史実を検証したのが著者であり、本書はその裁判での成果をまとめたものだ。 本書によればこの2人の将校に限らず、日本軍将兵が1人で数十人の中国兵を軍刀で斬り殺したという話は、日中戦争期には数多く見られ、将兵の出身地の地方紙上で報道されていた。だがそれは実際には、敗残兵や捕虜など無抵抗の中国人を斬った場合が多いと推測されるという。 衝撃的なのは、その当時こうした斬殺を、将兵の家族を含む地域社会が称賛し、彼らを郷土の英雄扱いしていたことだ。事件を裏で支えていたのは、マスメディアも含む国民の喝采だったことを、本書は明らかにしたのだった。2008年8月10日 朝日新聞朝刊 12版 13ページ「『百人斬り競争』と南京事件」から引用 この本の「あとがき」によると、稲田朋美をはじめとする原告弁護団は故・向井、野田両少尉が南京軍事法廷に提出した「答弁書」「申弁書」の写しやその他南京大虐殺否定派の文書など、膨大な証拠文書を提出したが、弁護側が提出した文書はその3分の1だったそうである。原告側の主張が次々と、まっとうな論理で否定されるのを読むのは爽快である。
2008年08月26日
漫画家の赤塚不二夫氏を追悼する投書が、9日の朝日新聞に掲載された; マンガ家赤塚不二夫さんの遺影と対面して懐かしかった。昭和30年代、私は「週刊少年サンデー」編集部員で、「おそ松くん」の担当編集者だった。東京・新大久保のアパートの一室が仕事場でもあった。まだ「マンガなんか読んで!」と目の敵にされ、子供たちはおおっぴらにマンガを読めなかった時代だった。 そんな時、評論家坂西志保さんの評論「これでよいのか少年雑誌」が64年2月20日朝刊に掲載された。ステレオタイプの評論には納得できず、特に「おそ松くん」について的外れなことを書いていたので、我慢ならず学芸部気付で坂西さんに『子供たちにマンガは必要なんだ」と手紙を書いた。 その手紙が「坂西さんのマンガ論に反論」と題し、同年2月28日の声欄に掲載された。時の編集長には「出過ぎたまね」と叱責(しっせき)された。しかし後日、私の意見に賛成する2人の読者の意見が掲載され、うれしかった。 かつて少年マンガを全否定するような一文を載せた文化面に5日、「一代の奇才、赤塚不二夫の逝去を惜しむ」と哲学者鶴見俊輔氏が追悼文を寄せた。マンガもここまで来たのだ。以(もっ)て瞑(めい)すべしだね、赤塚さん。合掌。2008年8月9日 朝日新聞朝刊 13版 14ページ「赤塚漫画批判『声』欄で反論」から引用 「週刊少年サンデー」や「週刊少年マガジン」は私が小学校4年生のときに創刊だったように記憶している。当時は投書も述べているように、世間には漫画に対する偏見があった。「そんなものばかり読んでるとロクな人間にならない」と叱責されたものだった。しかし、今から考えると、当時の漫画は無邪気なものだった。それに比べると、昨今の漫画は暴力と残虐シーンが多く、これが子供向けの雑誌なのかと疑いたくなるようなものが多い。漫画雑誌編集者には考えていただきたいものである。
2008年08月25日
沖縄県では予備校の先生が沖縄戦体験者の証言を記録したドキュメンタリー映画を作製した、と11日の朝日新聞が紹介している; 沖縄(おきなわ)県名護市の予備校で教壇(きょうだん)に立つ輿石正(こしいしまさし)さん(62)が沖縄本島北部の戦争体験者の証言を記録したドキュメンタリー映画「未決・沖縄戦」を制作した。 本島北部に限定した沖縄戦の証言映画としては初の試みだ。沖縄戦は中南部の激戦地だけで起きたのではなく、戦闘(せんとう)だけが戦場ではない、という思いがある。 制作のきっかけは、昨年9月に開かれた教科書検定意見の撤回(てっかい)を求める県民大会だ。「歴史の書き換えは許さないと沖縄は燃え上がったが、その脈絡がわからないという声が生徒から出た。約10年前から、北部の各地域に残る70冊以上もの字誌(あざし)など郷土史誌を読みあさってきた輿石さんは教師として責任を感じた。 映画では13人が旧日本軍による住民虐殺(ぎゃくさつ)や、朝鮮人慰安婦(ちょうせんじんいあんふ)の存在などについて生々しく証言している。大城安信(おおしろやすのぶ)さん(75)は伊江島で起きた「集団自決(強制集団死)」を語った。24人中2人しか生き残らなかった惨劇(さんげき)について、これまで重く口を閉ざしてきたが、県民大会の盛り上がりに心を動かされた。 輿石さんが取材を申し込んだのは32人にのぼる。いまなお拒否(きょひ)せざるを得ない人のなんと多いことか。体験者にとって沖縄戦がいまだ終わっていないことを如実(にょじつ)に物語る。証言者の言葉の背後には、おびただしい「不在の証言」が横たわっているのだと痛感する。 映画はDVDで発売中。定価3千円。問い合わせはじんぶん企画(0980・53・6012)へ。 (大矢雅弘)2008年8月11日 朝日新聞夕刊 4版 13ページ「終わらない沖縄戦」から引用 戦争体験を後世に語り継ぐことは大変重要です。人々が歴史の真実を忘れてしまうと、それを利用して曽野綾子のような輩が「殉国美談」を捏造しようとするし、それがうまくいけば今度は歴史の歪曲へと進みます。それを阻止するには、正しい歴史認識を持つことが必要です。
2008年08月24日
大分県で発覚した教員採用に関わる贈収賄事件に関連して、教育委員の公選制復活を訴える投書が、8日の「週刊金曜日」に掲載された; 大分県の小学校教員採用に関して県教育委員会の元ナンバー2や小学校長らの贈収賄事件で、われわれは底なしの退廃を見せつけられ、問題を根元的に考えさせられる。 私が公立学校の教員であったとき、同僚の若い教員が、自分は教育委員会の或る人の世話で就職し、その人と約束したから組合活動をすることはできない、と言ったことを思い出す。 この事例からもわかるように、学校管理者や議員の口利きで教員を採用することは教育行政の管理統制に教員を服従させるのに都合がいいから、口利き就職が多くなり、そこに金銭がからんだのが今回の事態である。「日の丸・君が代」の強制や職員会議の形骸化など、教員の自由と自主性を抑圧する教育行政が教育界を腐敗させたのである。 旧教育基本法に書かれているように、教育は国民全体に対して直接責任を負って行なわれるべきである。今回の事態は、その責任の直接性の自覚が欠けていることを示している。国民に対する直接的な責任の自覚がないのは、教育委員の任命制によって責任が間接化されたからである。そして、教育委員を任命する地方自治体の首長は、教育問題に関して選出されるのではないから、教育行政が一般行政に従属して、教育の自由を侵害するのである。 これらのことを深く反省して教育委員の公選制を復活させて、教育権の独立と教育の自由と責任を回復し、教員の採用にも受験者や保護者市民の日と声が充分届くようにすべきである。2008年8月8日 「週刊金曜日」714号 76ページ「投書-教育委員の公選制を」から引用 この投書は論旨が極めて明快である。議員や行政の上層部の人間の口利きで教員になれば、組合には入りにくいから自然に組合の組織率は低下し、組合の力が弱まれば国としては都合が良いわけである。しかし、それでは教育活動は停滞し、あるまじき腐敗が蔓延することになる。 もともと国民を教育する権利は国もものではなく、親のものである。戦後民主主義がスタートした時点では、教育委員は公選制であったが、私の記憶では確か、岸内閣のときに反動的な与党が強行採決という不正な手段で公選制から任命制に改悪したのであった。そのツケが今、汚職問題となってでてきているのであるから、これは公選制を復活させる以外に解決法はないと知るべきである。
2008年08月23日
戦前の日本政府がポツダム宣言にどう対応するかを検討していた時期の東条元首相の手記が発見された、と12日の日本経済新聞が報道している; 国立公文書館に所蔵されていた東条英機元首相の手記はポツダム宣言受諾を巡って政府中枢が揺れ動いた時期に書かれていた。軍人の論理に固執して終戦に強く反発するものの、天皇の裁可を経たことで受け入れる心情がつづられている。戦争は「自存自衛と東亜の安定が目的」としており、後に東京裁判で主張した論理も垣間見える。 東条元首相は「メモ魔」といわれたほどきちょうめんな性格で、東京裁判の法廷でも常にメモを取っていた。そのメモなどをもとにして裁判では長大な口供書が提出されている。 また後年、A級戦犯として巣鴨拘置所で書かれた「獄中記」の存在も明らかになっている。 これらの「メモ」に記されているのは「大東亜戦争は自存自衛、アジア解放が目的の戦争」という主張と開戦に至る経緯、戦争を指導した首相在任時のことが中心だった。 今回明らかになった終戦直前の手記にも同様の主張が述べられているが、終戦を前にした生々しい感情はこれまでの文書には記されていなかった。手記が書かれた時期は沖縄戦に敗北後、原爆投下、ソ連の参戦が続く絶望的な状況だった。陸軍上層部も表面的には本土決戦を呼号していたが、「一度大勝利を挙げてからの講和」という認識だった。 しかし、手記には「(日本は)持てる力を十二分に発揮していない」と、なお戦争継続が可能と信じている記述がある。裁判対策として「論旨明快」に書かれたものではなく、本音がもろに出ているだけに、戦争を指導した人物の視野の狭さと認識の甘さがよく分かる文書といえる。「東條英機と天皇の時代」の著書がある作家、保阪正康氏の話 敗戦直前の東条英機の心境を具体的に裏付ける手記はなかっただけに、きわめて資料としての価値は高い。しかも本音が正直に語られている。敗戦を恐れて、その後の責任追及に神経をとがらせていることがわかる。 敗戦の理由を政治指導者や国民の「無気魂」に押しつけているところは、軍人としての枠を一歩も踏みでていないといえるであろう。東条のこの強気によって戦争が継続したら米軍による徹底した破壊攻撃、ソ連軍の北海道上陸と続き、その惨禍は計り知れなかった。それだけにこうした東条のような非理性的な考え方を抑えた昭和天皇や鈴木貫太郎首相たちのポツダム宣言受諾への道筋は改めて重く受け止める必要がある。2008年8月12日 日本経済新聞朝刊 14版 34ページ「軍人の論理に固執-東条元首相手記」から引用 軍人は戦闘のプロであり、敵味方の戦闘能力の正確な評価と勝つための周到な作戦が必要である。そのために、軍人は理性的な判断ができるものと思っていたが、戦況が不利になったらその責任を政治家や国民のせいにするとは、子ども並の発想である。このような人物をリーダーにしたのでは、国が進路を誤り滅亡の危機に瀕したのは当たり前だったのかもしれない。我々はこのような過ちを二度とおかしてはならない。
2008年08月22日
ルポライターの鎌田慧(かまたさとし)氏は、3日の朝日新聞で、派遣労働の問題について次のように述べている; 私は70年代前半に出稼ぎの期間工として働き、「自動車絶望工場」というルポルタージュをまとめた。秒単位で工程が決められた製造ラインで部品を組み付けていく作業はきつく、多くの同僚が途中で辞めていった。 ところが、日雇い派遣で働くいまの若い人たちが私の本を読むと、好待遇と感じるのだという。自分たちは登録している派遣企業から携帯電話に届く求人の連絡を待ち、明日の仕事はあるか、次はどんな仕事だろうと不安に感じながら職場を転々としている。勤務先の企業に直接に雇われて3カ月、6カ月と安定して働け、ボーナスや退職慰労金までもらえるなんてうらやましいじゃないかというのだ。 戦後、労働者がこれほど絶望的な気持ちを抱いた時代は初めてだろう。 底技けの状況を生み出したのが、86年に施行された労働者派遣法だ。これにより、ヤミ世界の存在だった労働者の派遣が合法化された。使い捨て自由の安価で便利な労働力の誕生だ。その後も経済界の要請に応えて派遣できる対象は次々に拡大され、労働者は生存ギリギリのところにまで追い詰められていった。 政府や与党が、いまになって日雇い派遣を禁止しようというのはあまりに遅い。とはいえ、派遣事業の拡大から抑制へと姿勢を転じたことは評価したい。派遣法の改正に向けた世論が強まるなど機が熟しっつあったことに加え、6月に東京・秋葉原で派遣社員による無差別殺傷事件が起きたことが、政治家や官僚の背中を押したのだろう。 ただ、内容的にはまだまだ不十分だ。かつての期間工は仕事が嫌になっても、「やってられないよ」とゴミ箱をけって辞めていくのがせいぜいだった。秋葉原の事件を起こした加藤智大(ともひろ)容疑者は、携帯サイトにたびたび派遣先への不満を書き込んだ末に凶行に及んでいる。これは個人の資質や家庭の問題だけではなく、社会や職場のストレスが影響したとみるべきだ。 事件の教訓をくむならば、日雇いの禁止にとどまらず、すべての労働者が最低でもかっての期間工のように、数カ月とか数年の単位で安定して働けるようにすべきだ。そのためにも、専門的な26業務以外の登録型派遣は禁止しなければならない。派遣法を99年改正前の段階に戻すのだ。 空論だと言われるかもしれないが、より長期的には企業で働く派遣を含む非正社員の総量を規制し、7割なり8割は正社員にするという原則を確立してほしい。労働者をこき使って後は知らないというのは社会的な不正だ。企業任せではなく国としてトータルに枠をはめていくしかない。 そうした方向を目指す上で、情けないのは民主党の姿勢だ。ほかの野党が専門業務以外の登録型派遣も禁止すべきだと主張しているのに、この点に踏み込めずにいる。これまで通りの主張を続ければ国民に見放されるだろう。 ようやく改善への一歩を踏み出したとはいえ、不安材料は多い。最も心配なのは景気の後退だ。企業の業績が悪化してくれば揺り戻しの動きが強まってくるだろう。予断は許さない。いまが正念場だ。 (聞き手・林恒樹)2008年8月3日 朝日新聞朝刊 12版 7ページ「日雇い派遣の禁止-正社員化で『絶望』緩和せよ」から引用 鎌田氏の「自動車絶望工場」は世間にそれなりのインパクトを与え、私も「トヨタはなんてひどい会社だ」と思ったものでしたが、その後、トヨタのひどい状態はますます悪化し、会社が世界のトップ企業になったのに反比例して現場の労働者はますます悲惨な生活を強いられているらしいです。上の記事が語る鎌田氏の意見は正論です。一部のエリートだけが裕福な暮らしをするのではなく、すべての労働者が豊かに暮らせる社会を、私たちは制度として構築していくべきです。
2008年08月21日
自民党議員で厚生労働相の経験がある川崎二郎(かわさきじろう)氏は、3日の朝日新聞で、派遣労働禁止について次のように述べている; 私が座長を務める与党のプロジェクトチームは、7月にまとめた「労働者派遣制度の見直しに関する提言」に、日雇い派遣の原則禁止を盛り込んだ。1日単位など雇用期間が極めて短い日雇い派遣をめぐっては、あまりに多くの問題が起きているからだ。 日雇い派遣が存在する背景として、臨時的に働きたいという学生や主婦らのニーズがある一方、正規雇用で働きたくてもその機会に恵まれない人が、生活のためやむを得ず選択している現実もある。 そうした人たちが、派遣先の現場で「今日は手伝ってもらうが、明日は暇なので来なくていい」と言われるなど、使い捨てのように扱われている。事前に知らされないまま危険な仕事をさせられ、事故が起きても派遣先には雇用責任がないので、責任の所在があいまいにされてしまう。派遣会社の手数料の取り分が多く、きつい仕事の割にはわずかな賃金しかもらえない。こうした働き方は、スキルアップには当然つながらず、職場を転々としながら年齢を重ねる生活に陥ってしまう。 コスト優先の経営者にとって、都合よく労働者を使う究極の手段になっており、ワーキングプア(働く貧困層)を生む温床にもなっている。法令順守の徹底で済む話ではなく、働き方そのものの問題として政治が責任を持ってメスを入れないといけない。 原則禁止の対象にする日雇い派遣の期間は、月給という一般的な給料の支払い方に照らせば、30日以内の派遣にするのが妥当だろう。ただ、通訳やアナウンサーといった専門的で労働単価が高く、危険を伴わない業務については例外的に認めるべきだ。 日雇い派遣が原則禁止になっても、短期の仕事を望む人はもちろんいる。繁閑の激しい企業のニーズもなくならない。このため「原則禁止は行き過ぎだ」と反対の声もあるが、職業紹介会社やハローワークなどを通して募集し、企業が直接雇用する形に切り替えればいい。派遣労働が広がる前はそのようなやり方でアルバイトを集めており、混乱を招くことはないだろう。 直接雇用になれば、どんな仕事をするのか承知したうえで働ける。雇用責任も明確になりトラブルは減るだろう。私は何よりも、その仕事に興味を持ち、スキルをアップしようとする意欲が働く側にわくことを期待したい。企業にとっても、意欲のある人材なら、仕事を覚えてもらって長期間雇用した方が業績にプラスになるだろう。ワーキングプアの解消へ向けた一歩になってほしいと思う。 派遣労働はこれまで規制緩和が続いていたが、社会のゆがみを招いてしまった部分があるのは確かで、見直していかないといけない。 ただ、規制強化へとすべてカジを切るべきではない。共産、社民、国民新党の3党は、仕事があるときだけ派遣会社と雇用契約を結ぶ「登録型派遣」について、原則禁止を求めているが、一気に禁止すると現実の雇用形態が崩れてしまい影響が大きい。製造業を中心に景気の落ち込みも予想されており、そうした経済状況をみながら判断していくべきだろう。 (聞き手・深津弘)2008年8月3日 朝日新聞朝刊 12版 7ページ「日雇い派遣の禁止-『使い捨て』の雇用にメスを」から引用 川崎議員はプロの政治家だけに、派遣労働の問題に対する洞察は本質を突いている。派遣労働のせいでゆがんでしまった日本人社会を是非とも正常な姿に戻して欲しいものである。
2008年08月20日
経済企画庁の官僚から国際基督教大学教授に天下りした八代尚宏(やしろなおひろ)氏は、政府・自民党が「日雇い派遣」を禁止する方向で法改正を考えているのが気に入らないらしく、3日の朝日新聞に次のような談話を掲載した; 日雇い派遣の禁止は労働者のためと言われているが、疑わしい。本人が自分の意思で行っている働き方について選択肢を狭めることが、労働者のためなのか。与党の主張する30日以内の派遣の原則禁止で、正社員としての雇用は増えるのだろうか。 07年に厚労省が日雇いで働く698人を対象に行った「日雇い派遣労働者の実態に関する調査」では、短期派遣で働く理由として、「正社員で就職できない」が8%、「正社員の仕事がみつかるまでのつなぎ」が25%。やむを得ずやっている人は3割程度ということだ。少ないからいいというわけではないが、残りの7割の人は禁止されたら迷惑をこうむる。 やむを得ずやっている3割の人も、禁止で救われるのだろうか。 二重派遣やピンハネなど、日雇い派遣の会社の違法行為が問題になっているが、これらは労働基準法や労働者派遣法など現行法の違反だ。いまある法を厳守させるべきで、「違法行為が多いから禁止」というのは労働行政の怠慢だ。 派遣会社がマージンをとっているので、禁止すれば働き手の賃金が増えるという議論もあるが、これも単純すぎる。派遣先の企業はマージン分を上乗せした料金を派遣会社に払っている。そんな高い料金を払うのは、短期の働き手を採用するコストの方が高いからだ。直接雇用に変えれば採用コストが派遣先企業の負担になるため、その分が働き手に回るとは限らない。 禁止派は「日雇い派遣はワーキングプアの温床」とか「働き手は嫌々やっている」と主張し、そうした「悪い働き方」を禁止してやるという論理だが、これはあまりにも家父長的な発想だ。 対案としては、今は派遣元にしか課せられていない使用者としての責任を、米国のように、派遣先企業との共同責任にすることだ。いまの派遣法でもセクシュアル・ハラスメントなどについては共同責任が認められているが、これを広げ、労働災害の責任なども派遣先にも負わせるべきだ。 違反した場合の罰則も、派遣元にしかない。これを派遣先にも負わせ、中途解約など働き手に不利な行為は責任を問う。違反の監視を強めるため、労働基準監督官も増やす。ハローワークの紹介業務を徐々に民間に委託し、この人員を監督官に回せば、労働者保護行政を充実できる。 仕事が急になくなった時のキャンセル手当や交通費の支払いなど、おろそかにされていたことを、日雇いに限らずすべての派遣労働に徹底させる。日雇い労働者の失業手当である日雇労働求職者給付金が、07年度から日雇い派遣にも適用されるようになったが、ほとんど普及していない。これも、日雇い派遣が1人でもいる事業所には必ず適用させる必要がある。 「派遣が悪い働き方だから禁止」、ではなく、労働者保護を強化して、派遣をよりよい働き方にしていくことが問題の解決につながる。日雇い派遣禁止に反対するのは企業のためと思われがちだが、働く人のためにこそ必要だ。(聞き手・編集委員竹信三恵子)2008年8月3日 朝日新聞朝刊 12版 7ページ「日雇い派遣の禁止-働き手の選択肢狭めるな」から引用 この記事は完全にペテンである。政府が資本家階級に妥協して労働法制を改悪し、本来限定されていた労働者派遣を、どの業種でも派遣してよいことにしたために、企業は正規雇用の門戸を狭め、必要な人員を派遣でまかなうことが可能になった。正規雇用の社員と同じ時間、同じ仕事をしても収入は正社員の半分というワーキングプアが出現したのは、これが原因である。八代氏は、日雇い労働者の7割は本人の希望で日雇いをやっているなどと言っているが、世の中に低所得を希望する馬鹿はいない。彼が言う「7割」とは700人足らずの労働者のアンケートが唯一の根拠であるが、アンケート対象の人数があまりに少なすぎるし、この種のアンケートなどというものは、質問の文章の表現を工夫することで回答者の答えをいかようにも誘導できるものだから、「日雇い派遣禁止」に反対するにはいささか根拠薄弱である。
2008年08月19日
日本が朝鮮を植民地支配したときに総督府に勤務した日本人に、植民地支配の実態を聞き取り調査した「朝鮮近代史料研究会」の活動を紹介した記事が、7月31日の朝日新聞に掲載されている; 「オーラルヒストリー」という言葉が注釈ぬきで使われるようになってきた。聞き取りで引き出した証言を史料として後世に伝えようとの試みで、出版物も目につく。その先駆けといえる朝鮮近代史料研究会が50周年を迎えた。歩みをたどると、その可能性と課題が同時に見えてくる。 「だれが話しているのか、声で識別できるのは私ぐらいになってしまいました」。そう語りながら元早稲田大講師の宮田節子さんが書庫に案内してくれた。東京・目白の学習院大学東洋文化研究所。ロッカーを開くと、オープンリールの録音テープが並んでいた。その数418巻。朝鮮総督府で実務のトップだった政務総監3人をはじめ財務や産業、公安などの責任者、さらに出先機関勤務者まで植民地朝鮮の統治にあたった約130人の証言が収まっている。 始まりは58年5月。東京・丸の内のオフィスビルの一室に、年配の男性4人と、20代の若者4人が集まった。年配組は総督府殖産局長や朝鮮商工会議所会頭などを歴任した穂積真六郎ら。向かい合ったのは後に一橋大教授になる姜徳相さんら早大と東大の学生だった。朝鮮統治の実態と内情を、当事者が、植民地支配に批判的な若手研究者に対して語る、不思議な組み合わせの初会合となった。 宮田さんはその前年、卒業論文のために史料を探した。独立を求める3・1運動をテーマに選んだが、戦前は伏せられた事件で手がかりはなかった。自分で見つけるしかないと歩き回り、たどりついたのが東京駅の近くにあった元総督府高官の懇親組織で、資料が無造作に残っていた。 代表の穂積が「一緒に勉強しませんか」と研究会を提案した。「いかに批判されても聞く耳は持っています。しかし事実に基づかない批判は承服できない」と穂積は語ったという。一方的な聞き役に終わらないために学生たちは事前の勉強会で問題点を絞り込み、聞き取りに臨んだ。研究会は500回以上も続いた。 残された録音は、宮田さんが中心となり文字におこし、注釈をつける作業を今も続ける。「植民地支配の実態に迫るという意味に加え、朝鮮統治を日本人がどう考えていたのか思想史の上でも貴重な証言のはずです」と宮田さん。 「日韓双方にかけがえのない史料」と見る国民大(ソウル)の柳美那・研究教授(朝鮮近代史)は「植民地における朝鮮人の日本人への『協力』の実態や戦後間もない日本人の植民地認識など、記録ではつかみにくい微妙なニュアンスが伝わる」と評価する。 オーラルヒストリーという概念がない段階で始まり半世紀。これまでの歩みは可能性を示すと同時に、聞く側に情熱と持続する意思、語る側に誠実さと責任感が欠かせないことも物語っているように思える。 (渡辺延志)2008年7月31日 朝日新聞朝刊 12版 23ページ「植民地支配 証言残す」から引用 戦前を知らない日本人が人口の7割にもなった今日、貴重な研究だと思います。
2008年08月18日
政権交代がなければ日本の将来もないという投書が7月29日の朝日新聞に掲載されている; 「08政権選択 どうする民主党」(23日朝刊)の稲盛和夫・京セラ名誉会長のご意見に心からの敬意を表します。1歳年上の私も稲盛氏と同じように戦後日本の政治を見てきました。政権交代が可能な政治体制を構築しなければ日本の将来がないぐらいに思うという同氏の意見に大賛成です。 戦後の民主主義国家の中で、一国の政治が50年余も一つの政党で独占支配してきた例は日本以外に数少ないでしょう。名ばかり民主主義です。一党独裁の中国や独裁国家の北朝鮮と何ら異ならないのではありませんか。 現在の政治や社会における数え切れないほどのひずみや不正、官僚支配、国民不在の悪政の根源は、自民党の一党支配にあることは明らかです。なぜなら、「権力は腐敗する」を数千年の歴史が証明しているからです。 幸い昨夏の参院選で自民党は大敗しました。来るべき総選挙でも野党が過半数を獲得して、新しい政権を誕生させる絶好の機会です。日本にも米国のごとき二大政党時代が到来した時、初めて日本にも真の民主主義社会が到来したと言えるでしょう。2008年7月29日 朝日新聞朝刊 13版 15ページ「声-二大政党こそ民主主義では」から引用 私は二大政党制が構築されればそれでいいとは思わないが、今の段階では自民党長期政権体制を終わらせることが肝心なので、ここに引用したような意見を応援していきたい。
2008年08月17日
派遣労働の実態を調査報道して反響を呼んだ朝日新聞は、7月28日の朝刊で、これまでの状況と今後の方針を次のように解説している; バブル景気が始まろうとしていた86年、「自由な働き方」をうたい文句に一部の専門業種に限って派遣労働を解禁する労働者派遣法が施行されました。それから22年。目の前に広がる雇用の風景は、当時とは全く異なっています。就業者の3人に1人は、非正社員なのです。こうした変化は、名ばかり管理職や過労死につながる長時間労働など、正社員の働き方にも大きな影を投げかけています。 バブル経済崩壊後の景気低迷を受けて推進された派遣法の相次ぐ緩和は、ワーキングプアを生み出す大きな原因となりました。ルポにっぽん「39歳、全財産100円」(4月30日付、1面など)で紹介したケースは、極端な例外ではありません。「派遣はいま 4」(7月4日付、生活面)でも、待遇が悪化し続ける現状を紹介しています。 経済界は、競争力の強化とともに「多様な働き方」を唱え、さらなる緩和を求めています。しかし、最近発表された労働経済白書は、非正規雇用の拡大は、競争力強化にはつながらない、と指摘しました。その背景には、将来の年金不足や社会保障、社会のあり方に対する懸念があると思います。緩和を推進してきた与党も日雇い派遣の原則禁止を打ち増し、政府は派遣法改正案を秋の臨時国会に提出する見通しです。 規制への転換で、著しい低賃金や雇用保険の未加入、二重派遣などの問題が一掃されるのでしょうか。法案の審議を注意深く報じるとともに、「日雇い派遣原則禁止 依存業界に危機感」(7月9日付、経済面)で展開したように経済界の動きや考え方も引き続き、取材していきます。 派遣法緩和の歴史は、近年のグローバリズム経済の展開と軌を一にしています。米国経済が変調をきたすなかで、世界の雇用潮流には変化の兆しがみられます。雇用流動化が進む韓国の動きを近く紹介するのをはじめ、取材を進めていきます。(東京本社・池内清)2008年7月28日 朝日新聞朝刊 12版 8ページ「紙面モニター-派遣労働」から引用「自由な働き方」だの「多様な働き方」だのとうわべだけのきれい事に、我々は騙されてはなりません。結局は経営者が人件費をきちんと支払わないですむための違法なやり口を合法化する手段に過ぎなかったことが、ワーキングプアの出現によって証明されています。ここにきて、政府与党が財界のあまりにもひどいやり方を見過ごすことができなくなり、労働法制を規制の方向へ方針転換したことは、結構なことです。自民党も凋落に歯止めをかけるためには労働者保護が必要であることにようやく気が付いたらしい。
2008年08月16日
日本政府が学習指導要領解説書に「竹島は日本領土である」ことを明記することにしたため、日韓の民間交流が次々と中止になる中、こんな時にこそ交流を続けるべきとする動きもあると、7月28日の朝日新聞が報道している;(前略) 一方、秋田県横手市の横手清陵学院高校に22日、韓国のジョンバル高校の生徒23人が訪れた。両校生は「こんな時こそ交流が重要」とばかりに、一緒にカレーライスを作るなどして交流を深めた。日本留学を希望している2年生のカン・クホン君(18)は「もっともっと民間交流をして仲良くなった方がいい」。2年生の櫛田花夏さん(17)は「国家の問題を高校まで持ち込まないでほしい」。 川崎市などと富川(プチョン)市の夏恒例の高校生交流も予定通り実施される運びだ。00年から続く行事で、今年の交流会の議題は「竹島」。交流を指導してきた神奈川県立麻生高(川崎市)の風巻浩教諭は「真剣な議論があってこそ良好な関係を築ける。竹島問題が負の連鎖にならないよう、草の根レベルの交流でネットワークを広げたい」と願う。2008年7月28日 朝日新聞朝刊 14版 34ページ「日韓 草の根交流に影」から引用 日韓関係は領土問題がすべてというわけではないのですから、民間交流はできるだけ維持されるのが望ましいと思います。
2008年08月15日
米コロンビア大学教授、ジェラルド・カーティス氏は3日の東京新聞に寄稿して、今後の日米関係について次のように述べている; 米国は半年後、新大統領を迎える。共和党のマケイン氏であろうと、民主党のオハマ氏であろうと、新大統領が下す必要のある決定の一つに、米国がアジアや地球規模での目標を追求する上で、日本との関係にどれほどの重要性を置くかということがある。 心配なのは、次期大統領の対日姿勢が敵対的になるというようなことではない。より現実的な危険は、喫緊の地域的、世界的な問題の解決に対し、日本は大きく貢献できないだろうと考える政権指導者たちによって、日本が忘れ去られ無視されることである。 今も経済大国だが、日本の影響力は減少している。日本の相対的経済力が小さくなる一方、中国は経済ダイナミズムの新しい世界的な中心として登場してきた。日本は防衛費を凍結しただけではない。政府開発援助(ODA)と文化交流予算を削減している。 数週間前、私は東南アジアを訪れ、その一国の外相と懇談したが、30分の予定が1時間半になった。というのも外相は、日本は経済力があるのに、なぜ外交ビジョンを示せないのか、経済力を政治的影響力に変えられないのかについて議論を求めたからだ。 私はこの現象を説明するために特に重要と考える二点をあげた。第一は、日本の近代世界への参入は、西洋列強の猛攻撃を前に、生き残り策をなんとか見いださなければならない帝国主義時代だったことだ。「どう生き残るか」が合言葉となり、今日の日本外交もその歴史を引きずっている。自ら目標を定め、実現の戦略を練るよりも、他者が生じさせた状況に反応していく対応型外交の様式は、明治以降、日本の対外政策をめぐる思考を支配してきた。 第二に、政治指導者が自分たちの見解を官僚に受容させてこなかったことがある。官僚が過剰に権力を行使しているとの批判をよく聞くが、官僚は、政治家が憲法の定める責任を果たさず、権力を行使しなかったため生じた空自を埋めているのである。「西欧に追いつく」という目標を達成した後の指導者たちが、それに代わる二十一世紀にふさわしいビジョンを示していない責任は重い。 新しい米大統領の就任後、日米関係に最も深刻な挑戦となりそうなのがアフガニスタン問題である。オハマ氏は米軍をイラクからほぼ撤退させるが、アフガニスタンでは増強するとし、マケイン氏も同様の方針を表明している。 日本など各国に、さらに努力するよう圧力がかかるのは不可避だ。応じないなら、日米関係が危機に陥るのではない。日本はただ忘れ去られるだろう。マンスフィールド元駐日大使が言ったように「日米関係は世界で最も重要な二国間関係だ」と思う米国人は今や少ないだろう。その現実を直視しないといけない。 日本が小さな政府を持ち、世界において小さな国になる道を選ぶなら、その自由はある。だが、今の日本の萎縮(いしゅく)は自覚的思考の帰結とは思えない。国益を考慮せずに予算の厳格主義を追求する一面的思考の結果で、戦略的思考の欠如の産物ではないだろうか。 次期米大統領が対日関係に注意を怠るなら、両国が協力して多くの地域的、世界的な問題を解決する機会は失われる。日米関係強化の重要性を理解している米国人、日本人はともに、日本と新しい米政権の関係が好ましい方向に進むよう尽力する必要がある。2008年8月3日 東京新聞朝刊 12版 3ページ「時代を読む-萎縮する大国日本」から引用 産軍複合体に支配されたアメリカ政府の代理人として、本音がよく表れた文章である。すなわち、日本は憲法を無視するか改悪するかして今後のアメリカの軍事作戦に協力しないなら、日米関係が危機になることはないにしても、忘れ去られる危険がありますよ、と恫喝している。このような恫喝は、自民党政府と財界には有効に作用し、今ごろは自民党首脳と経団連は恐怖に慄いているかもしれないが、一般の日本国民にはあまり効果がないと思われる。一般国民としては、憲法9条を遵守する立場からは、アメリカの軍事作戦に協力する自衛隊などというものは忘れていただくほうが好ましい。経済活動についても、日中間の貿易は日米間を凌いでおり、遠いアメリカよりも近い中国との取引のほうが経済効率も良く、無駄な二酸化炭素を排出することも防げて良いことづくめである。わが国は自信をもってイラクからもアフガニスタンからも自衛隊を撤退させるべきである。 ところで、この文章にはもう一つ、注目すべき点がある。それは、経済力のある日本がなぜ外交ビジョンを示せないかという問いに対して、ジェラルド・カーティス氏が「『西欧に追いつく』という目標を達成した後の指導者たちが、それに代わる二十一世紀にふさわしいビジョンを示していない」と指摘している部分である。では、なぜ現代日本の政治家が21世紀にふさわしいビジョンを示せないのか。それは、おそらく世襲政治家だからである。これからの日本はこの方向で行こうという明確なビジョンを持った人物でも、地盤・看板・カバンを持った、しかし明確なビジョンは何も無い世襲政治家に、選挙では勝てない。こうして議員になった世襲政治家ばかりでは、新しいビジョンを期待するのは無理な話だ。有権者の自覚が必要である。
2008年08月14日
7年間もイラク侵略戦争を継続しているアメリカで、人々は何を考えて生活しているのか。4日の読売新聞は次のように報告している; ワシントンで暮らしてみて不思議に思うことがある。アメリカは本当に戦争をしている国なのだろうか -。 もちろん、イラクで約国万人、アフガニスタンで約3万2000人の米兵が今も戦っていることは十分承知している。だが、7年近くも「戦時中」にあるのに、ごく普通に時間が流れていく米社会の雰囲気が、海の向こうで戦われている戦争とあまりに乖離(かいり)しているように見えてならないのだ。 14万人と言えば、陸上自衛隊がほぼまるごと派兵されている計算だ。全世界に部隊を展開する唯一の超大国だからと言われればそれまでだが、それにしても、大統領選も大リーグも熱戦真っ盛り。ガソリン急騰への悲鳴こそ聞こえるが、日常生活は平穏そのもの。戦争と言えば、国家・国民が総力で戦い、悲惨な犠牲を払うというイメージしかわかない国民の目から見ると、どうもよくわからない。 そんな思いを抱きながら、ニューヨーク州ウエストポイントの陸軍士官学校を訪れた。南北戦争からイラク戦争までこの国の主要な戦争を担い、アイゼンハワー、マッカーサーなどの英雄を輩出してきた名門だ。 「今、イラクで戦っている兵士は皆、志願した職業軍人。徴兵制で戦い、反戦運動が社会全体に広がったベトナム戦争時とはまったく事情が違う」。社会心理学者の教官トーマス・コルディツ大佐(53)は、『戦時平穏社会』の理由を、35年の歴史を経た完全志願制に帰した上で、こう続けた。「第2次世界大戦は、国民を総動員し、飛行機や戦車の量産を撃つ工業力の戦いだったが、今はコンピューターと精密兵器で戦う情報化時代。だから、たったの14万人で戦える。人口規模も倍増しており、社会全体が犠牲を払う必要はない」 「たったの」という表現に戸惑いを覚えつつ、「国民に不人気な戦争を、兵士はなぜ戦えるのか」と尋ねると、大佐は「我々は大統領と議会に従うのみ」と答え、こう結んだ。「戦場で兵士が戦うのは、『自由』などの大義のためではなく、純粋に『自分と戦友を守るため』です」 マサチューセッツ州ケンブリッジ。7年ぶりに会ったハーバード大の知人は、イラク戦争を決断したブッシュ政権への批判をまくしたてた。その中で、印象的な言葉があった。 「我々(エリート層)が行く戦争ではないと思った。志願兵は南部出身者が多いから、犠牲が増えれば、南部で共和党支持が減り、2004年のブッシュ再選はないと思ったのに、そうならなかった」 結局、この国でイラク戦争を批判する人々も、支持する人々も、大半がどこかで「自分が直接かかわる戦争」だとは思っていないのではないか。戦地に行くのは、職業軍人の「誰か他の人たち」であり、我々ではない。そんな意識の中に、政権側が戦前、開戦へ向け情報操作を行う余地も生まれたのではないか。「戦場」となるイラクの人々への配慮はさらに希薄だったに違いない。 この究極の「文民統制」の中で、あの戦争はおそらく、「止まらなかった」のだろう。米国の強さと怖さが見えたような気がした。2008年8月4日 読売新聞朝刊 14版 4ページ「ワールドビュー-『対岸の戦争』実感乏しく」から引用 将来の日本はこうなってはならないという意味で、極めて示唆に富む報告である。徴兵制は廃止されて、一般市民が戦争に駆り出されることはないとは言うものの、では南部のどのような人々が志願兵となっているのか、その辺の事情もレポートしてほしいものである。
2008年08月13日
竹島が日本領土あると教科書に書かせようとした日本政府に抗議して、韓国大使は帰国してしまったが、そのことで韓国側を批判し日本政府の態度を是とする投書が7月20日の朝日新聞の掲載された。しかし、その4日後にはその不見識な投書への痛烈な反論が掲載された。反論は次のように述べている; 「毅然(きぜん)たる姿勢『竹島』に必要」(20日)を読み、韓国政府や韓国民を一方的に非難する意見に驚きました。韓国民がデモをしたり政府が駐日大使を帰国させたりした原因は、学習指導要領解説書への竹島記載を発表した日本側にあるのではないでしょうか。 日本政府が竹島を自国の領土だと確信しているのなら、駐留している武装要員の撤退を求めることが先決ではありませんか。その交渉は行われていたでしょうか。 領土問題の教育は、併合や侵略といった負の歴史に絡む微妙な問題があり、言葉遣い一つにも細心の注意が必要です。解説書の分かりにくい表現を添えるだけで、竹島を実質的に日本の領土だと教科書に書かせようとする政府のやり方は、無責任だと思います。 数年前から、両国の歴史学者らによる共同研究が行われていると聞きます。その場で一致した内容を教科書にも書けばいいでしょう。合意は難しいのなら、そのような問題については両国の主張の根拠を併記することこそが、相互理解に役立つ教育というものではないでしょうか。2008年7月24日 朝日新聞朝刊 16ページ「声-『竹島』の記述 両論を明確に」から引用 この投書は正論を述べている。他の国の教科書はどうなっているか知らないが、いやしくも大国日本であるなら教科書で子どもにものを教えるときは、竹島は日韓の間で問題になっていることも教え、日本政府の立場と韓国側の言い分も紹介するのが、我々の子弟教育に必要である。
2008年08月12日
おととい引用した「週刊金曜日」本多勝一氏のコラムの続きは、次のとおりである; 浅野健一・李其珍両氏の論文「首相による靖国神社参拝と日本メディア」は、第二章「小泉参拝とジャーナリズムの無力化」で三節にわたって靖国報道の分析と靖国神社自体への聞きとり調査が報告される。 一節の「新聞記事の分析調査」ではまず仮説を立てる。アジア諸国との外交関係を悪化させながらでも小泉首相が参拝を強行できたのはなぜか。首相の靖国参拝という行為について、世論は数十年来反対が根強かったが、小泉政権になってから容認の方向へ転換しはじめたことには「マス=メディアの報道が深く関わっているのではないだろうか」。これが調査前の仮説である。『読売』の転向 「靖国神社の歴史観は、アジア太平洋戦争をアジア解放戦争として賛美し、過去の過ちを否定する『歴史修正主義』の総本山である。」(論文から)-俺がかねてから強調している解説をさらに加えるなら、アジアへの侵略と「日米侵略者同士のケンカ」としての太平洋戦争を一緒にする歴史観が根っこにあるのだ。マス・メディアはこれを決して峻別(しゅんべつ)してこなかった。 論文は日刊5紙(『朝日』『毎日』『読売』『日経』『産経』)を分析対象とした結果を報告する。ごく一部ながら直接引用しょう。-「5紙のうち論調の変化がもっとも激しかったのは『朝日』と『読売』である。三つの争点(憲法問題・歴史認識・外交問題)において、両紙はともに大きく立場を変換させた。」「『朝日』に見られる論調の変化は、靖国問題の争点を憲法問題から外交問題に切り替えたことである。(中略)同紙は政教分離を定めた憲法第20条3項を挙げ、『政府は(政教分離)など憲法理念に立ち返って、靖国神社公式参拝そのものを再検討すべきである」(1986年8月17日社説)と主張するだけでなく、憲法89条(公の財産の支出利用の制限)と第99条(公務員の憲法尊重擁護の義務)を取り上げ、公式参拝に反対した。」 しかし、20余年後の2001年、小泉が総裁選公約で靖国公式参拝を掲げたとき、『朝日』は「驚くほど萎縮し」その3年後には「靖国に限らず、中国は『歴史カード』を使って日本を責め続けるのではないか(2004年11月23日社説)、などといった論説は『朝日』の靖国問題に対する劇的な変化を端的に表す。」「靖国問題を『国益の益か損か』の基準に当てはめて論評したことは決定的な『問題のすり替え』に他ならない。(中略)外国の反発がなければ外交問題も起きないし、国益を損なうこともない。靖国問題=諸外国の反発(その結果、国益損失)という図式だ。ここには靖国神社の歴史的経緯やその歴史観の問題は一切排除されており、違憲の疑惑も問題の争点から離れてしまう。日本の世論が中国・韓国の抗議に冷ややかで、小泉の靖国参拝に好意的になったことは、こういった日本のマス=メディアの姿勢と無関係ではないだろう。」 そして『読売』については「最大発行部数新聞の完全なる転向」と題し、「首相の靖国参拝に『反対』から『賛成』へ180度立場を変えた」と断ずる。「『朝日』が靖国参拝に反対の立場を維持しながら論点をすり替えたことに対し、『読売』は根底にある歴史認識において靖国神社への同調に変貌し、小泉政権の主張を支持・代弁するメディアとなった。」 論文はさらに中曽根時と小泉時を比較し、憲法問題の記事が後者で激減して外交問題が激増したことを数量分析で示した。靖国問題で日本のジャーナリズムは「政府の言い分を正当化するような方向に議論を進めさせたと言わざるをえない。」「権力を監視することを最大の価値とするジャーナリズムの基本姿勢が欠けている。」 最後に論文は、自民党の保守本流たる野中広務や昭和天皇も今のアキヒト天皇も靖国参拝をやめていることを指摘して-「日本の報道機関に、野中氏や天皇のように明快に靖国神社の『過去の清算』を求める企業メディアが一つもない。」「パリに本部のある『国境なき記者団』が2006年に発表した世界報道自由ランキングで、日本は51位だった。」古い歴史観の靖国の存在は「ジャーナリズムが機能していないからである。日本には表現(報道)の自由がないことをはっきり示している。」 今月は六三回目の「八月一五日」を迎えるが……2008年8月1日 「週刊金曜日」713号 59ページ「貧困なる精神-首相の靖国神社参拝と日本の新聞(下)」から引用 朝日も読売も戦前は権力に迎合し、侵略戦争を批判することがなかった。そのため、日本は間違った方向に突き進み、大きな悲劇をもたらすこととなった。いままた、朝日や読売が靖国批判を止めてしまうのは、戦前の誤りを繰り返すきっかけにもなりかねない。ジャーナリズムの責任を自覚してほしいものである。
2008年08月11日
朝鮮政府の核放棄への姿勢に疑問があると言われながらも、6カ国協議が全体として前向きに進みだしているにも関わらず、日本政府は「拉致問題」で自縄自縛となって、朝鮮へのエネルギー支援を行う5カ国の中で一人遅れをとった形になっている。そのことを、読売新聞編集委員・宇恵一郎氏は29日の同紙で次のように解説している; 6か国協議が北朝鮮の核放棄に向けた「第3段階」の論議に動く中、日朝交渉打開の糸口はあるのか。 拉致問題を米国のテロ支援国指定解除問題と連携させる日本の外交戦略は失敗に終わった。米国は拉致問題の進展とは無関係に問題の処理を進めている。北朝鮮は、米国によるテロ支援国指定解除が発効する8月日日を静かに待つ構えで、指定解除を確認したあと、さらに対米関係改善への動きを加速させるだろう。ブッシュ政権下で実現するかどうかはさておいて、北朝鮮は、米朝が互いの首都に連絡事務所、あるいは貿易代表部を設置する方向を目指している。 北朝鮮が体制生き残りをかけた、そうした夢物語実現の大前提は、当然、核の完全放棄なのだが、北朝鮮に本気でそれに取り組む意思があるかどうか、いまだに見えない。その入り口である核申告内容の検証問題においても、北朝鮮の意図はあいまいなままだ。 それをうかがわせる場面が7月10~12日に北京で開かれた6か国協議首席代表会合であった。当面の焦点となっている北朝鮮の核申告内容の検証について、北朝鮮の金桂寛(キムケグァン)外務次官は、「わが国の一方的な武装解除につながる非核化ではなく、朝米の敵対関係を清算して朝鮮半島とその周辺ですべての核戦争の脅威を根源的に取り除く非核化に向けた検証であるべきだ」とくぎを刺した。 当面、北朝鮮の寧辺地区にある5000キロ・ワット原子炉など3施設の過去の活動状況の検証がスタートしたとしても、金次官が展開した論理が検証を困難にする。完成したと見られる核兵器、抽出済みのプルトニウムの所在の確認、搬出という最終段階に踏み込めば、北朝鮮は、韓国内の米軍に戦術核が存在しないかどうかの同時検証が必要だとして、核廃棄作業の遅延をはかることになるだろう。 今回の6か国協議では、北朝鮮が日本を追い込むための重要な合意がなされている。「義務履行の監視体制」の設置がそれだ。そこでは、北朝鮮に見返りとして提供される経済・エネルギー支援を含む、6か国それぞれの公約履行を確認することになる。 北朝鮮の核無能力化の完了と、見返りとしての重油計955万ドル相当のエネルギー支援が「第2段階」の目標だが、日本は、「拉致問題の進展がない」との理由で、エネルギー支援を見送っている。今回、10月未を努力目標に、北朝鮮の核無能力化と残り5か国による経済・エネルギー支援という第2段階の履行義務を完了させることが合わせて合意されている。それを考えると、10月未に向けて、日本のエネルギー支援不履行が問題として浮上する可能性がある。 米国の6か国協議首席代表のヒル国務次官補は、「エネルギー支援は、どこが出そうと問題はない」と、当面日本の立場を考慮して第三国による肩代わりの可能性を示唆したことがある。韓国の肩代わりが想定されていた。しかし、日韓間では、日本の中学校の学習指導要領解説書への竹島問題記述を巡って外交摩擦が噴き出して、とても韓国が肩代わりできる状況ではない。日本は外交的に孤立しつつある。 日本が外交的袋小路を抜け出すためには、6月の日朝公式協議で北朝鮮が約束した拉致問題解決のための再調査作業を具体的に進めるしかない。そのためには北朝鮮は、日本が約束した対北朝鮮制裁の一部解除の実施を強く求めるだろう。「世論の反発」を理由に、制裁解除は困難だと判断するのであれば、当面、静観するしかないだろう。いずれにせよ、国民にきちんと国益判断を説明した上での決断が必要だ。2008年7月29日 読売新聞朝刊 13版 13ページ 「日本 深まる孤立感」から引用 この記事は、現状分析という点では評価できるレベルである。日本の困難な立場を克服するには韓国政府の協力が必要だったのに、右翼官僚が竹島問題を蒸し返したため、韓国には協力を依頼するような環境ではなくなった。福田内閣のリーダーシップの欠如を意味している。しかし、それはさておき、この記事で読者をがっかりさせているのは、日本政府の今後の態度として「当面、静観するしかないだろう」と現状を追認している点である。このような政府広報紙のような論調ではなく、日本政府は腹をくくり毅然として問題解決の姿勢を国民に示すことを要請するのがジャーナリズムではないだろうか。
2008年08月10日
同志社大学社会学会の機関誌『評論・社会科学』に発表さた浅野健一教授と李其珍氏(社会学研究科メディア学専攻博士課程後期)の論文「首相による靖国神社参拝と日本メディア」について、ジャーナリストの本多勝一氏は7月25日の「週刊金曜日」で次のように論評している;「首相になれば八月一五日に靖国神社を参拝する」と公約して首相になった小泉純一郎氏が、首相就任後初めて靖国参拝をした2001年8月13日、NHKテレビは、三木武夫首相(当時)が1975年に靖国を「私人」として参拝した際、家永三郎東京教育大学教授らが「首相の参拝反対」と書いたプラカードを掲げて境内をデモ行進するモノクロ映像をオンエアした。 あの頃は、靖国神社の敷地内で反靖国行動が可能だったのだ。当時、首相の靖国参拝を支持する新聞社はなかった。 2005年の靖国では、極右反動勢力と公安警察が共謀して、靖国に異議を申し立てる内外市民を徹底的に弾圧する。日韓共同制作ドキュメンタリー映画『アンニョン・さよなら』には、極右組織のメンバーと思われる屈強な男性たちが、靖国の前で抗議行動する女性を殴るシーンが映っている。傍にいる警察官が何もせずにいる。 * 右は同志社大学の浅野健一教授および李其珍氏(社会学研究科メディア学専攻博士課程後期)が、同志社大学社会学会の機関誌『評論・社会科学』で発表した論文「首相による靖国神社参拝と日本メディア」の序章冒頭部分である。 日本の現状について俺がしばしば引用する原寿雄(はらとしお)氏(共同通信OB)の言葉「満州事変の直前あたり」は、すでにマス=メディアとしての新開・放送が具体的に示している。その風景は本誌先月13日号のこの頁でも少しふれたが、ここではA級戦犯がまつられている靖国神社への首相参拝とマス=メディアについて、正面から論じているおそらく稀な例と思われるこの論文から、来月の「8月15日」を前に、ごく部分的ながら引用しっつ紹介しておきたい。『粉砕』された憲法 まず自衛隊の海外派兵で憲法が正面から『粉砕』された点について序章で述べる。-「小泉政権は米英によるイラク侵略・占領に武装した自衛隊を派兵して、海外では武力行使をしないという方針を捨てた。」「『大東亜共栄圏』の看板を『国際貢献に塗り替えただけで、日本はネオファシズム化した。」 第一章「カルトとしての靖国」の(1)「靖国派のクーデター」は、小泉の6回にわたる靖国参拝が憲法第20条の政教分離規定などに違反することを指摘した上で「日本のメディアは、国家(天皇)が戦死者を『慰霊・追悼』すること自体への批判的視点が必要だ。しかし、ジャーナリズム性を失った企業メディアは、小泉首相の6回にもわたる靖国参拝の共犯者となった。」「各新聞社が『国益』を言い出したらおしまいだ。新聞が守るべきは人民の利益 (パブリック=インタレスト)であり、それは『国益』と反することもある。」(ゴシック化は本多、以下同様) そして(2)「靖国神社の危険な本質」で、この神社(東京招魂社)は明治維新以降「天皇のために戦死した兵士を『英霊』として顕彰し祀っている『戦争肯定』神社だ。(中略)祀られているのは軍人・軍属だけであり、戦争にまきこまれて犠牲になった民間人を一切祀っていない。(中略)軍人恩給が支払われる軍人だけが顕彰される。(中略)A級戦犯でそのうち絞首刑になった7名を含む14名も祀られている。他国にある戦没者慰霊施設とは大きく異なり、天皇のための戦争を誉めたたえる顕彰施設である。」 (3)一昨年の8月15日、小泉首相は「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」56人と共に靖国に参拝した。現職首相としては1985年の中曽根康弘以来21年ぶりの敗戦記念日参拝だが、侵略肯定神社を正当化し憲法違反でもあるこの鈍感首相に、NHKニュースは韓国・中国の抗議を伝えた後、台湾が批判しないと報じたものの、その他のアジア太平洋諸国の声は報じなかった。「中韓両国が反対したら(靖国に)行けないのかという小泉のすり替えは、マス=メディアが靖国の本質を伝えてこなかったから可能になった」「首相が靖国に現れた際、参拝者・市民が押し寄せ、『万歳』の声があがったという。(中略)こうした多数の民衆の存在こそが小泉首相よりも怖い。」 そう。この「多数」の存在はマスコミの責任である。そこで論文は(4)「首相参拝を容認する世論創り」と題して参拝の既成事実化過程を示す。 (以下次号)2008年7月25日 「週刊金曜日」712号 59ページ「貧困なる精神-『国家の慰霊への批判的視座が必要』」から引用 三木武夫首相が靖国神社を参拝した頃は、世間もマスコミも右翼も「靖国神社」に対する意識は今のように熱いものではなかった。なかば世間からは忘れられた存在だったのである、祀られた戦没者遺族の人々を除いては。だから、家永教授も正々堂々と「首相の参拝反対」のプラカードを掲げて靖国神社の境内をデモ行進することができたのだ。それが今、蘇った亡霊のように靖国神社がメジャーになったのは、戦後のマスコミがきちんと侵略戦争の反省を(または、検証を)してこなかったからである。
2008年08月09日
大阪府の財政が赤字になったのは、府職員や府民の責任ではないとする投書が7月11日の「週刊金曜日」に掲載されている; 大阪府では、タレント弁護士知事・橋下徹の人の気を引くような発言に、府民の相当数が巻き込まれているようだ。 府職員の年収が高い、1000万円も取る者がいると言って知事は非難するが、ならば自分自身の給料はどうか。知事の月給145万円を30%削減するというが、それでも101万円。4年で退職金4176万円、自らの予告どおり半分にしても2088万円だ。大阪府は「破産会社」であり、「死ぬ覚悟でやる」というなら、自分はゼロ円か、せめて400万円程度にすればどうか。外国では無給の市長、政治家は相当いると聞く。知事自身が認めているかつての脱税(2500万円)も不快だが、自分の全所得を公開するだけでなく、府に寄付でもすればよい。 地方財政が苦しくなった最大の原因は、政府・中央行政の誤った政策にある。バブル誘導、その崩壊後の損失の地方への付けまわしだ。大阪では、関西空港二期事業、りんくうタウン、箕面の宅地開発(箕面森町みのうしんまち)などの巨大公共事業で多額の金が支出された。バブル崩壊後、府債残高は急カーブで上昇した。1991年度と1998年度を比べれば約2・7倍。これ以前の数年間は安定した額だった。「骨太の方針」によって地方財源は約6・8兆円(2004-2006年度)削減されたという。 こうした事態が、権限のない府職員や、まして府民のせいであるわけがない。にもかかわらず、橋下知事は「何でこんな大阪になったのかは、有権者みんなの責任」と強弁する。一般府職員を「官僚」と呼んで勤労者である彼らの労働条件を切り下げ、府民のための福祉や教育など日常的行政サービス、平和のための事業、女性・青年等の社会参画を進める事業、府民の心を豊かにしてきた文化事業をなで斬りにしようとしているのが橋下知事だ。弱い者(勤労者)同士の対立をあおり、自分で自分の首を絞めさせようというのだ。 公務員の労働条件が切り下げられると、民間の労働条件も下げられるということを忘れないようにしよう。 橋下知事は、中央政府に対して責任をほんとうに追及したり、財政支接を強力に要請する気など、はなからないといえよう。ただマスコミでさらに有名になって金儲けをしようと考えているだけではないか、また、後々中央政界へ打って出ようとでもしているのではないかと疑いたくなるような派手な言動が多い。弱い者に対しては倣慢だが、権力者・資産家には手のひらを返したように頭を下げる。福田首相・石原知事等には「先輩の教えを請う」などと言う。 私たち勤労者には、彼らの失政のつけを払わなければならぬ筋合いなどない。この「橋下問題」という非常事態下にこそ、かえって大阪を、日本を、「競争の社会」から「共生の社会」「真の福祉社会」へ成長させることが真の目標だと見定めよう。2008年7月18日 「週刊金曜日」711号 63ページ「論争-橋下大阪府知事の『改革』にだまされるな」から引用 関西空港二期工事だのりんくうタウンだのという事業が大阪府民の希望だったかどうか、ましてや大阪府職員が勝手にそんな事業を始められるわけはなく、政府と財界が結託して大阪府にカネを出させた結果、今日の赤字になったものである。それを府民と府職員に負担させるというのはやはりおかしい。
2008年08月08日
戦争中の日本をよく知る高齢の読者が「週刊金曜日」に投書して、最近のマスコミの風潮を痛烈に批判している; 最近テレビを視ていると、日本と北朝鮮の交渉が再開されるというので、特集を組んでいた。一般国民へのアンケートによると、日本人を拉致した北朝鮮は一方的に悪者で、制裁は続行すべきだという意見が圧倒的に多かった。 しかし考えてもみよ、戦争中の日本は、多数の韓国・北朝鮮の国民を、有無を言わさず強制連行し、日本本土の飛行場建設や坑内労働を強制し、死亡者の遺骨さえ返さなかったではないか。戦後60年を経てもなお知らぬ顔の半兵衛を決めこんでいるではないか。 近年この強制連行の朝鮮人韓国人の死亡者の埋葬地を調査し発掘し、遺骨を掘り出して韓国や北朝鮮の遺族に渡しているのは、日本人のボランティア団体ではないか、一体日本の政府はなにかをしてあげたことがあるのか? この無責任日本政府はもっと恥を知るべきであり、無責任日本人も、一方的な北朝鮮悪者論は考えるべきではないか。ましてテレビや新開報道人はもっと勉強した上で発言すべきではないか。こんなことでは世界の人びとから、いい笑い者にされるだけである。2008年7月11日 「週刊金曜日」710号 61ページ「投書-北朝鮮は一方的に悪者か?」から引用 まったくこの投書の言うとおりだ。自分の国の過去をまったく知らずに拉致問題だけがすべてであるかのような番組を作っている者たちこそ、恥知らずの名に相応しい。
2008年08月07日
アメリカ人の大学教授、ジョセフ・スティグリッツとリンダ・ビルムスの共著「世界を不幸にするアメリカの戦争経済」(徳間書店刊)について、東京大学教授・久保文明氏は7月20日の朝日新聞に次のような書評を書いている; 戦争はとてつもなく高くつく。これが本書のメッセージである。イラク戦争開始前、ブッシュ政権関係者は、戦争はすぐに終わり、イラクの石油を売却すれば戦費もごくわずかしかかからないと主張した。「ところが実際には、戦争は生命と財産の両面で、驚くほど高くつくことになった」。本書の概算では、アメリカに課される財政的・経済的コストの総額は約3兆ドルに達する。 戦争の費用に含まれるのは、直接の武器・人件費はいうまでもなく、退役軍人の障害補償や将来の医療費、負傷した退役軍人を介護するために離職を余儀なくされる家族の収入の喪失、石油価格の値上がりによるマクロ経済的損失などである。ちなみに、本書では、日本が被った経済的損失は1010億ドルから3070億ドルの間と推定される。 それだけではない。著者によれば、ブッシュ政権はさまざまな方法でコストを少なくみせようとしてきた。これは国民を欺く行為である。 著者がとくに強く読者に訴えたいことは、アメリカが3兆ドル負担する能力があるかどうかではなく(著者はそれは可能であると言う)、「機会費用」、すなわち「その3兆ドルがあれば何ができただろうか」という問題である。 思うに、経済的コストは、いかなる戦争においても開戦にあたって重要な判断要因である。ただし、戦費が高いからという理由で、開戦の決定は一切行われないということになるであろうか。 アメリカによるアフガニスタンに対する戦争は、その総コストが政権と国民に認識されていたとしても、また事件当時民主党のゴア政権であったとしても、着手されていた可能性が高いと思われる。 超党派の議会予算局はより控えめな推測をしており、石油価格上昇までコストに含める本書には批判も多い。 しかも、本書では9・11テロがアメリカと世界に与えた経済的コストについては触れていない。こちらにも触れた上で議論を進めた方がより公平ではないか。いろいろな意味で読者の独立した思索を促す書である。2008年7月20日 朝日新聞朝刊 12版 11ページ「読書-世界を不幸にするアメリカの戦争経済」から引用 イラクはアルカイダと何の関係も無かったことが、米軍によるイラク侵略後に明らかになったし、イラクには大量破壊兵器も存在はしなかった。イラク戦争はジョージ・ブッシュの失政である。それと同時に、日本にとってはブッシュに盲従した小泉の責任も重大である。我が国をアメリカの属国にしようとした小泉純一郎の責任は重大である。戦争は国民の税金を軍需産業のふところに流し込む口実だ。我々はいかなる戦争にも反対しなければならない。
2008年08月06日
社会学が専門の麗沢大学教授・大橋照枝(おおはしてるえ)氏は、7月17日の読売新聞に寄稿して日本とスウェーデンの比較を次のように論評している; 経済規模の尺度に過ぎない国内総生産(GDP)では、生活満足度や地球環境の持続可能性は測れない。ベルギーで昨年日月、欧州委員会などの主催で「GDPを越えて」と題した国際会議が開かれたのも、そうした認識が広がったためだ。 私は、人の幸福や満足感と持続可能な発展を両立させる指標で、「社会」「環境」「経済」の3分野を織り込んだ「人間満足度尺度(HSM)」を開発している。この一環として昨年は、日本で2109人の一般生活者を対象に、今年は、日本人の多くが理想の国とみるスウェーデンで300人に、それぞれ調査を行ってみた。 両国の生活者が3分野の重要性をどう評価したか。両国とも「環境」がトップで、「社会」「経済」と続いていた。経済優先とみられた日本でも、「経済」より「環境」と出たのである。 また、「幸福感や満足度の高い『理想の社会』とはどんな社会か」を尋ね、回答文を野村総研のソフトで単語に分解し、それを分析した。その結果、両国に共通して出現したキーワードは「環境への配慮」と「生活の安定」。これに対し、スウェーデンだけに現れたのは「民主主義」「教育」「平等」で、日本に特徴的なのは、「格差・不安のない社会」だった。 これらをどう読み取ればよいのだろうか。 ストックホルムを訪れた際、17歳の男子高校生に「スウェーデンを好き?」と聞いたことがある。高校生は「もちろんです。安心して暮らせ、自由がある。男女、宗教、人種の差別がない。民主主義国なので、何か起きたとき、納得できる解決策も出る」と答えた。 瞬時にこんな受け答えができるのは、スウェーデンの学校法の影響も大きいと思われる。学校での活動は「民主主義的価値観によって形成される」と定めて、子どもたちは民主主義をたたき込まれる。その一環として、異なる立場に立ったディベート(討論)も盛んに行わせている。「権利の主張と義務の実行を伴う民主主義」によって、意見の対立するさまざまな問題を解決する力を身につけさせるためだ。 こうしてスウェーデン社会では、民主主義、教育、平等が重要と理解され、それが実際に機能もしている。例えば2006年の総選挙の投票率は80%。労働組合の組織率も9割に達する。18%台の日本は遠く及ばない。この透明性、首尾一貫性は、あいまいで不透明な日本社会と対極をなしている。 しかし、模範的な福祉国家にも問題はある。労働力人口のうち失業以外の「休業」が12%、「長期病欠」が3%を占める。06年に誕生した中道右派連合、ラインフェルト内閣のもとで福祉社会と競争社会の調整が始まり、理想の社会像を求めての模索も続いている。 日本はどうか。「理想の社会」のキーワードとは裏腹に、格差への不満、将来への不安が充満している。弱者に平等の機会を与える仕組みが確立されておらず、社会のゆがみのツケが弱者に回っている感も否めない。ただ、そんな情勢の中でも「環境」重視の傾向が強まり、「経済」一辺倒ではない価値観も示されている。 幸福感や理想を他国と比較すると、その国の課鐘も見える。政治の展望、国のビジョンを描いていく助けにもなると考えている。2008年7月17日 読売新聞朝刊 13版 13ページ「『理想の社会』調査-『環境』重視 新たな価値観」から引用 子どものときから「民主主義をたたき込まれる」スウェーデンに比べると、日本では「日の丸と君が代への忠誠」がたたき込まれようとしているし、それを教える教員も実力よりは政治家の口利きが優先されてきたのが実態で、正にあいまいで不透明な社会である。これでは、権利の主張と義務の実行を伴う民主主義の発展は望むべくも無い。私たちはよく考えてみる必要があるのではないでしょうか。
2008年08月05日
中国共産党の機関紙「人民日報」に初の日本人スタッフとして勤務したフリーライターの浅井裕理氏の体験談を、7月22日の読売新聞は次のように紹介している; だだっぴろい敷地に、質素なコンクリート造りの社屋が並んでいて、地方の大学のようだった。浅井裕理(41)は1999年5月、中国共産党の機関紙「人民日報」の北京市の本社に初めて足を踏み入れた。 浅井は、人民日報で初の日本人スタッフだ。仕事は日本語版ホームページの翻訳。国営企業がまとめ買いした時代は終わり、経営は楽ではなさそうだったが、給与は役員並みで、外国人向けの高級マンションに住まわせてくれるなど待遇はよかった。 「これぞ中国」と実感する瞬間もあった。社員食堂で新品のデジタルカメラを試し撮りしたら「秘密をばらそうとしている」と上司に密告されたり、国家主席と首相の記事を毎日必ず掲載しなければならなかったり。「良きにつけあしきにつけ、あの経験から私の中国ライフが始まったんです」と、いまはフリーライターになった浅井は言う。 * 中国に特に興味があったわけではない。都内の女子大在学中に学生結婚。卒業後は金融機関の海外投資部門で働いた。97年に夫の転勤で北京に引っ越した。中国は香港返還に沸いていた。 翌年5月に長女の理子(10)を出産。1歳8か月の時、離婚した。帰国して仕事と子育てを両立できるか悩んだ末、自分の収人で家政婦を頼める中国に残ることを選んだ。 女性の社会進出がめざましい中国は、日本とは比べものにならないほど子育てがしやすい。昼間は幼稚園に預け、夜は寝かしっけるまで家政婦さんが面倒をみてくれる。レストランでは食事の間、従業員が理子をあやしてくれ、バスでは子どもを抱いて立っていると、車掌がほかの乗客に「席を譲れ」と注意する。 文章を書く仕事を探していて、たまたま行き着いたのが人民日報だった。 2001年7月、五輪招致を射止めた時のことは忘れられない。速報用に当選と落選の2本の原稿を用意して、かたずをのんで結果を待った。国際オリンピック委員会(IOC)のサマランチ会長が「北京」と宣言した時に、天安門広場の群衆が見せたはじけるような笑顔。「こんなに国が一つになれるなんて」と、うらやましく思った。 「4年前に退社するまで、見えない力はいつも感じていた」と、浅井は振り返る。日本語版でも、少しでも日本寄りに見える記事はご法度。日本人が目にすることのないファクスがあって、党本部から記事にしてはいけないことが送信されるといううわさもあった。 * あれから7年。シングルマザーとして北京で過ごした時間は、中国が五輪開催へとひた走った時間と重なる。五輪が来ることで、世界中の厳しい目にさらされたが、「取材したいことが取材できず、書きたいことを書けない状況は変わっていない」と感じる。 五輪は中国に言論の自由を根付かせるきっかけになるのか。自分と娘をたくましく成長させてくれた北京で2週間後に幕を開ける祭典で、浅井はそのことを見届けるつもりだ。 (敬称略、おわり) ◇ この連載は小島剛、梅村雅裕、鈴木隆弘が担当しました。2008年7月22日 読売新聞朝刊 14版 34ページ「人民日報 初の日本人スタッフ」 中国人の日常がちょっと見えるようで、面白い文章です。オリンピックが中国に言論の自由を根付かせるきっかけになることを祈ります。
2008年08月04日
福田内閣の無策ぶりに、ついに隣国からも助言をもらうはめになったと7月19日の朝日新聞が報道している; 【北京=林尚行】自民党の山崎拓外交調査会長は18日、北京市内で中国共産党の王家瑞・対外連絡部長と会談した。山崎氏によると、王氏は拉致問題について「日朝双方が自らの基準に固執しているから行き詰まっている。国民的な課題になっているのは理解するが、政府の役割は国民を導くことだ」と述べ、日本側にも歩み寄りを求めた。 拉致問題を理由に日本が不参加を表明している北朝鮮への経済・エネルギー支援については「日本は取り残されている状態だ。まだゴールしていないので、加速すれば(他国と)一緒に到着できる」と語り、柔軟な対応を促した。 日本が名乗りを上げている2016年の東京五輪招致については「アジアで開催されるのは大歓迎だ。ただ、中国政府として賛成と決めたわけではない」と語った。2008年7月19日 朝日新聞朝刊 14版 4ページ「拉致問題巡り「歩み寄りを」-中国共産党部長、日本に」から引用 日朝双方が自らの基準に固執しているという王家瑞氏の指摘は正にそのとおりである。日本政府の場合は、拉致被害者家族の機嫌を損ねないようにという点を気にしすぎて、本来の外交活動が出来ない状態だ。拉致問題をおろそかにしていい訳はないが、ものごとには軽重があり解決には順番があることくらいの自覚がなくては政権担当能力が疑われる。経済大国の日本も、政治については中国のアドバイスが必要なのか。
2008年08月03日
落ち目の自民党の無気力な政治姿勢を批判し、早期解散を希望する投書が7月19日の朝日新聞に掲載された; 次々と政治的な課題が山積されていくのに、何一つ解決されていない。こんなことが政府への評価として表れており、全国世論調査(15日朝刊)で内閣支持率は24%と低迷したのではないか。この異常さと無力感の漂う政治の世界。一体この日本丸はどこへ進もうとしているのだろうか。 原油高騰で漁業者は一斉休業した。食糧自給率が低いのになんの策もない。景気は後退しているといいながら進む道も決められない。サミットで具体的方策を示さないのに自画自賛。天下りの温床の解消も口先だけで、汚職は相次いでいる。拉致問題も国境問題も評論家に終始し、手を汚してでも解決しようという姿勢が感じられない。 もちろん、どんな問題でも簡単ではないことは理解する。しかし、だからこそ、優れた政府があり、有能な官僚がいるのではないか。国民はシラケている。政府には何も頼めない、と思い、むなしさを味わう日々だ。 こんなことなら政治家は半分で良いと思うのは私だけではないはずだ。早く解散をして信を問うべきだ。2008年7月19日 朝日新聞朝刊 13版 13ページ「声-無力感の政治 早期解散願う」から引用 無力な自民党政府に国民は苛立っている。拉致問題や国境問題を手を汚してでも解決するとは、具体的にどういう意味か気にかかるが、今の内閣には解決のために汗を流そうという姿勢が見られないのも事実だ。今必要なのは衆議院の解散と総選挙である。
2008年08月02日
沖縄戦で起きた集団自決は日本軍の強制によるものだと書いた大江健三郎「沖縄ノート」(岩波書店)を、当時の日本軍責任者とその遺族が名誉毀損で訴えた裁判は、一審で完璧な原告敗訴であったが、それを不服として始まった控訴審で、実は原告側弁護士の数が34人から6人に激減したと、18日の「週刊金曜日」が報道している; 6月25日、「沖縄戦大江・岩波訴訟」控訴審(大阪高裁)の第一回口頭弁論が行なわれた。この訴訟は、太平洋戦争末期の沖縄戦時に慶良間(けらま)諸島で起きた「集団自決」をめぐり、元戦隊長やその親族が大江健三郎著『沖縄ノート』などで「日本軍の命令・関与により集団自決が起きた」旨の記述をされたのは不当として、大江氏と刊行元の(株)岩波書店を提訴したもの。大阪地裁判決(今年三月)では大江・岩波側の名誉毀損を認めず、原告敗訴となった。 控訴審が始まり被告側支援者らが驚いたのは、原告側弁護団の人数の激減ぶりだ。地裁段階で34人いた弁護士がわずか6人に。「何があったのか?」「内紛か?」……。さまざまな憶測が飛び交うが、真相は薮の中だ。 戦争責任問題の訴訟に数多く関わるある弁護士は、「弁護団の人数が途中でこれだけ減るとは、普通ではちょっと考えられない。裁判官への印象も良くない」といぶかる。 原告側は今回、原判決は「『隊長命令』の真実性を認め」ず、同著の「頒布が違法であることを認定している」にもかかわらず、同著を増刷しているのは暴挙として、賠償請求額を増やした。また、一審結審後に「重要な新証言」をしたとする宮平秀幸氏を、なぜか証人申請しなかった。 岩波書店編集局の岡本厚部長は増刷批判に対して、「一審判決では頒布違法などと言っていない。名誉毀損を認めず、私たちが勝訴した。通常の手続きに従って増刷しているだけ」と本誌・筆者に語った。また「『新証言』なるものは、これまでの宮平氏の証言と矛盾している。もし本当に重要な証人なら、なぜ原告側は証人申請しないのか」と語った。 星徹・ルポライター2008年7月18日 「週刊金曜日」711号 7ページ「金曜アンテナ-沖縄戦『大江・岩波訴訟』原告側弁護士が激減」から引用 元はと言えば、右翼小説家・曽野綾子の誤読をヒントに殉国美談を捏造しようとした者たちのインチキ裁判であるだけに、心ある弁護士が離反したということはあり得る話である。
2008年08月01日
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