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8月15日に靖国神社に参拝する人々の様子や神社に刀を奉納する刀匠を紹介した映画に対して、国が助成金を支出したのは適正かどうか、文化庁は次のように回答したと、8日の朝日新聞は報道している; 映画演劇労働組合連合会などは7日、文化庁を訪れ、同庁指導下の芸術文化振興基金が助成金を出した是非などについて聞いた。芸術文化課の担当者は「助成方針で禁じている『政治的・宗教的宣伝意図』と映画の政治的テーマとは分けて考えている」と答え、手続きは適正との立場を示した。2008年4月8日 朝日新聞朝刊 13版 33ページ「助成は『適正』」から引用 短い記事で、素人にはもっと詳しい説明がほしいところだが、今回取り上げられている映画「靖国」は「政治的・宗教的宣伝意図」で作られたものではないのだから、助成金の支出には何の問題も無いということである。
2008年04月30日
自民党の右翼、稲田朋美が公開前の映画を事前に見せろと言い出したのは民主主義のルールを踏みにじる暴挙だと、16日の読売新聞に、映画監督の是枝裕和氏が寄稿している; ちょうど今、約40年前にテレビを舞台に起きたある『事件』を調べている。それは1967年2月にTBSで放送された『日の丸』というドキュメンタリーで、カメラが街中で矢継ぎ早に一般の人たちにインタビューをしていき、国民の中にある日の丸への意識を探ろうとした実験的な番組だった。放送後、批判的な感想が数多く寄せられ、これを知った当時の郵政相が「偏向」を閣議で問題にした。このことを政治介入だと批判された郵政相は、3月18日に開かれた参院で次のように答弁している。 「新聞に大きく批判的な報道がありましたので、どんな内容かと、係の者が放送当事者の好意で見せてもらったのでありますが、これはもとより、介入とか、あるいはこれを規制するとかの意図によるものではないのでございます」 これを読んで、つい最近同様の「政治介入」が映画『靖国』を舞台に起こったことを思い出された方も多いだろう。しかもこちらは公開前である。一部の政治家は偏向したメッセージを持った映画に文化庁の助成金が使われていることが問題だと批判しているようだ。助成金というのは、我々の税金を、我々が、我々の文化の多様性を確保するために使っているのだという民主主義の原則すら恐らく理解されていないのだろう。少なくともその映画が偏向しているかどうかの議論は公開後に、私たちが行うべきものであることは間違いない。 そもそも偏向していないというのが何を指すのか、僕には全く理解できないのだが、もしそれが『常識的』ということであるなら、きっと助成金を使ってまで作るほど面白いものではないだろうし、政治家の靖国観に沿っているという意味なら、政府の広報費でどうぞ好きにお作りくださいとしか言いようがない。 NHK経営委員長が「国益」を口にしたり、知事が教育委員会への「命令」を口にしても、この国ではどうやら大きな問題にはならない。かつて国とメディアと教育が同心円上に価値観を共有したことで、互いに批評性を失った反省から、放送も教育も国営であることから距離を取ってきたのではなかったか? ナショナルなものの介入や押しつけをきっぱりと拒絶しながら、私たちが私たち自身の手によって公共的(パブリック)な空間や価値観を成熟させていくという意識が今、当事者たちから失われつつあるのかもしれない。 まさにその当事者である放送の最大の問題点もここにあるのだ。(映画監督)2008年4月16日 読売新聞朝刊 12版 14ページ「ナショナルなものとの距離感」から引用 当ブログに書かれたコメントにも「反日的な映画に国の税金を出していいのか」というような書き込みがあったような気がするが、やはりそういう考えは間違いである。一つの映画でもそれを「反日的」と感じるか民主的と感じるか、感じ方は人それぞれであり、その多様性を認め合うのが民主主義である。偏向しているかどうかの判断は、公開後に我々が行うべきもので、公開前に政治家がやったのでは検閲もどきの嫌がらせ以外の何物でもない。したがって稲田朋美の行動は糾弾されるべきである。
2008年04月29日
神奈川県では藤沢市と小田原市についで川崎市でも、平和無防備都市条例制定を目指す直接請求運動が始まる、と4日の神奈川新聞が報道している; 戦争になっても自治体が非協力を宣言する内容の「川崎市平和無防備都市条例」制定を目指す市民団体「平和無防備条例を実現する川崎の会」(須見正昭共同代表)が、26日から市に直接請求するための署名活動を始める。活動に先立ち19日には明治大学生田校舎(同市多摩区)で集いを開催、鎌倉在住で作家の井上ひさしさんらが講演する。 「憲法9条を守る上で、条例をつくることは大きな力になる」と須見共同代表。運動に参加するNPO法人「ぐらす・かわさき」理事の木村雅子さんも「イラクもアフガンも武力では解決できない。子供たちに平和な未来を手渡したい」と話している。 講演は19日午後1時半から、生田校舎第2校舎2号館2003教室で開催。井上さんが「9条を守れから半歩でも前へ」と題して講演。日本カトリック正義と平和協議会会長の松浦悟郎さんも講演する。学生以下は無料、大人は資料代として500円。 地方自治法は有権者の50分の1以上の署名があれば条例制定の要求ができると定めている。市の法定署名数は約2万2000人。川崎では過去3回直接請求があり、いずれも賛成少数で否決されている。 同趣旨の条例制定の直接請求運動は県内では3例目。藤沢市と小田原市で本請求になったが議会で否決された。全国でも実現した例はないが、上原公子・前東京都国立市長が賛成の意見書を出している。2008年4月4日 神奈川新聞朝刊 20ページ「平和無防備条例制定へ署名活動」から引用 わが国憲法9条は国が戦争をすることを禁じているので、戦争になることは無いはずだが、念には念を入れて、もし国が戦争を始めても自治体は協力しないと決めておくことは大変意義のあることだ。戦前日本人の価値観を引きずっている人には理解ができないかもしれないが・・・。
2008年04月28日
「サダム・フセインが大量破壊兵器を隠し持って、アルカイダと結託してテロを支援している」などと嘘をついて始めたイラク戦争は、結局嘘がばれて「テロとの闘い」とはでたらめで、アメリカの侵略戦争でしかないことが明らかになっている。日本が中国を侵略したときも、経済はかなりの困難をきたしたが、同じ侵略戦争をやっているアメリカの経済もだいぶ苦しいらしい。読売新聞のインタビューに応えて、米コロンビア大学教授、ジョセフ・スティグリッツ氏は次のように語っている; - アメリカ経済の混乱が続いている。 「住宅バブル崩壊で個人や金融機関が持つ資産の価値が大きく下がったことがきっかけだ。ただ、混乱にはアメリカ経済が抱える根源的な問題が隠れている。イラク戦争が長期化し、財政支出など社会が抱える負担が膨らみ経済を圧迫している。2003年の開戦時から17年までに最大3兆ドル(約300兆円)になると試算している」 - どのような負担か。 「財政支出は戦費だけではない。傷病兵への障害給付や生活保障の手当も支払い続けなければならない。国債費もかさむ」 「国債発行残高は、ブッシュ政権が発足した01年には6兆ドルだった。それが08年は5割多い9兆ドルに達する見通しだ。貯蓄率はほぼゼロで、国債の4割は海外の投資家に引き受けてもらっている。08年度の財政赤字は4000億ドルと過去最高に迫る。財政支出が増えると、民間投資を締め出しかねない。生活への悪影響は長く残るだろう」 - 財政支出以外は。 「傷病兵の介護にあたる家族の負担は大きい。社会の生産性が落ちる。戦争がきっかけで原油価格は開戦時の3倍以上に高騰し、産油国の収入増になった」 - 政府や米連邦準備制度理事会(FRB)の対応は十分か。 「グリーンスパン前議長時代の金融引き締めの遅れも住宅バブル崩壊の一因だ。大きなバブルを『フロス(小さなあぶく)』のひと言で片づけ、バブル膨張に弾みをつけてしまった。FRBの責任も検証されていないのに、ポールソン財務長官が3月末に示した金融監督の改革案でFRBの権限は強化された。あまりにも無責任だ」 「バーナンキ現議長もサブプライムローン関連の損失額を小さく見積もるなど、問題を過小評価してきた。対応は『トゥー・リトル、トゥー・レート(小さすぎ、遅すぎ)』だ」 - 望まれる対策は。 「住宅ローンや証券化商品を買い取る新しい機関が必要だ。ただ、創設には時間がかかる。まず借り手の債務免除を認め、自宅を手放さずに済むような米連邦破産法の改定を急ぐべきだ」(聞き手ニューヨーク 山本正実)2008年4月17日 読売新聞朝刊 14版 9ページ「イラク戦費 社会を圧迫」から引用 9兆ドルもの借金を、アメリカ政府はどうするだろうか。日本人と違って貯金する習慣を持たないアメリカ人から税金を集めて返済するなどと言っても、100年かかっても無理だから、結局は踏み倒すしかないであろう。踏み倒されて損をするのは誰か。投資家である。投資家が投資に使う金とは、彼らが生活に必要な金ではなくて、余っていて寝かしておくよりは投資すれば利子が付いて増えるという、邪まな考えで運用されている金である。何故そんな金が存在するかといえば、元々は労働者が汗水ながして労働した結果でてきた余剰価値で、本来なら労働者に還元されるべきところ、資本家に吸い上げられて出来上がったものだ。そんな金が水の泡になったからといって困る者はおるまい。もしいたなら、それはアメリカ政府が責任をもって、損した投資家にワーキングプアと呼ばれる人々程度の生活保障くらいはしてあげるべきだ。そして、損した投資家は「侵略戦争をやるような邪まな政府に投資した罰が当たった」と思って反省するべきなのである。
2008年04月27日
わが国の文化といえば、その多くは朝鮮半島から伝わったと言われているから、鯨を食べる文化もそうかも知れないと思っていたら、古い新聞に次のような記事を発見した; 南部・蔚山を中心に残る韓国の鯨肉食文化が存亡の岐路に立たされている。韓国で流通する鯨肉の多くは、漁網にかかった「混獲モノ」ということになっているが、クジラは「海の宝くじ」といわれるほどの高値で取引され、実際は密漁が横行。国際的な批判も絶えない。肇寮が大規模な摘発に乗り出し、闇に頼っていた鯨肉店の経営難が深刻化している。 (蔚山(韓国南部)=神谷毅) 鯨肉店が40店舗ほど並ぶ有名な観光地と聞いて蔚山の長生浦地区を訪れたが、拍子抜けした。崖時なのに通りにも店内にもほとんど人影がない。 「巌しいよ。鯨肉が手に入りにくくてね」。40年間専門店を営む女性主人は顔をしかめた。 長生浦は、植民地時代には日本が、その前はロシアが捕鯨基地を置き、解放後も韓国の捕鯨の中心地だった。だが、国際捕鯨委員会(IWC)の決定で商業捕鯨が86年から一時停止されると、韓国も捕鯨を中断した。 しかし、韓国は調査捕鯨を実施していないものの、近海で「混獲」されたり、浜に打ち上げられたりしたクジラを食用にすることが許されている。主にミンククジラで、海洋贅案が不法な捕獲かどうか調査後、競売を通して市場に出回る。 国土海洋省によると、こうした大型鯨類は05年110頭、06年86頭。蔚山には造船や自動車など韓国経済を引っ張る産業が多く金回りがいい。接待の場も多く、需要は増加傾向で、価格は上昇。1頭平均2千万ウォン(約190万円)にもなり密漁の魅力も増す。海洋肇察庁によると、06年に4頭だった密漁の摘発は、07年に20頭と急増した。 韓国メディアや関係者によると、密漁は普通、3人ずつ乗った漁船3隻が捕獲や解体などを分担。モリで捕ってその場で解体し、夜中に港に運び込む。流通関係者は「捕ってすぐ冷凍するから新鮮でうまい」。 昨年、密漁に捜査のメスが入った。韓国メディアや関係者によると、海洋警察が11月、冷凍庫に保管されていた2千個あまりの鯨肉の箱を「申告されたDNAと一致しない」として押収。平年の年間流通量の3割とも4割ともいわれ、鯨肉店の経営に打撃を与えた。 海洋警察は今月17日、不法にクジラを捕獲した疑いで船長ら3人を逮捕し、鯨肉店主や流通業者ら約80人を書類送検した。警察は「捜査はまだ進行中で逮捕者はさらに増える」としている。 取り締まりの背景に国際社会の批判がある。IWCではここ数年、韓国の混獲は食用にするため漁民が故意に網を仕掛けていると問題にされ続けた。密漁については05年と07年のIWC総会で米国の教授が「流通する鯨肉のDNAを調べたところ、混獲で申告のあった量の1・8倍に達した」として、約半分が密漁だとの批判を繰り広げた。捕鯨大切日本と同じ立場だが… 取り締まり強化と対照的に、蔚山市などはクジラを目玉に観光振興構想を練っている最中。街中にクジラの造形物をつくったりホエールウオッチング産業を育てたりする様々な案が検討されている。構想に関する専門家会議の中心人物は「クジラ観光振興に鯨肉食は欠かせない」と主張する。 ホエールウオッチングの対象を食べる「ちぐはぐさ」は議論されていない様子だ。「捕って食べるなと言いたいのか、食文化を守れなのか、矛盾だらけ」 (鯨肉店主)。 蔚山環境運動連合の呉栄愛事務次長は「混獲クジラの食用が許される限り経済的利益が生まれ密漁は根絶できない。法整備が必要だ」。一方で市の専門家会議の関係者は「食文化としての歴史が存在し、生計を立てる人もいる。密漁をなくすためにも安定供給を確保できるようにするべきだ」と調査捕鯨実施への体制整備を求める。 韓国政府の捕鯨に対する立場は日本とほぼ同じだ。昨年のIWC総会で反捕鯨国が出した調査捕鯨の自粛決議案では反対の立場から投票に参加しなかった。02年サッカーワールドカップなどで「犬肉食」を欧米から批判されると、韓国では「固有の食文化だ」との反発が起きた。鯨肉について韓国政府も伝統的な食文化に他国が関与するべきではないと主張する。しかし、ソウルの水産関係者は「商業捕鯨の一時停止から20年余。しかも蔚山という一地方の問題だ。多くの国民がクジラ保護に傾き、環境団体の強い反発もあるので、中央政府や官僚は動こうとしない」と話す。 鯨肉の供給確保かクジラの保護かの行方が定まらないまま、国際的な批判のなか、密漁は続く。「鯨食文化を維持すべきかどうか世論に訴え、政策をつくるときだ」と地元関係者は訴える。 韓国の鯨肉食文化は歴史がある一方、さほど広がりはない。蔚山に先史時代の捕鯨の様子などを描いた壁画遺跡が残るが、長く沿岸の一部で食されていた程度だった。 国民の多くが食べるようになったきっかけは朝鮮戦争(1950~53)だ。ソウルなどから韓国南部に避難した人には、牛は言うに及ばず豚や鶏は値が高く手が出なかった。ただ市場には他で見ない「赤い肉」があった。韓国捕鯨再開推進協議会の辺昌明代表(73)は「食糧難とたんぱく質不足を解決するため、安く簡単に手に入る鯨肉を食べるようになった。需要は爆発的に増えた。戦争を知る世代には懐かしさがある」という。 今では全国の消費量の約8割を占める蔚山のほかソウルの一部で主に刺し身やスユク(ゆでた肉)で食べられる。高価で「蔚山で鯨肉を食べたと言えば、手厚い接待」(辺代表)とされるほどだ。2008年3月29日 朝日新聞朝刊 13版 6ページ「韓国 鯨食文化ピンチ」から引用 日本では調査捕鯨と称して獲った鯨の在庫がだぶついているのに、韓国では需要があるにも関わらず政府が国債捕鯨委員会の方針に従って捕鯨を中止している。好対照である。
2008年04月26日
自民党議員のいやがらせがきっかけで上映中止になった映画「靖国」について、映画評論家の山根貞男氏は2日の朝日新聞に寄稿して、次のように述べている; 映画「靖国 YASUKUNI」が上映中止に追い込まれた。12日に封切りを予定していた映画館5館が上映自粛を決めたのである。一般観客の鼻先で扉が閉められてしまったわけで、残念という以上に腹立たしい。 このドキュメンタリー映画は、一部週刊誌などで反日イデオロギー映画のように書かれているが、そんな映画とは違う。といっても、それはわたしの見方で、別の感想を持つ人がいるかも知れない。だからこそ、広く一般に公開されるべきなのである。 映画は二つの光景を交互に差し出す。8月15日の靖国神社のにぎわいと、90歳の刀匠が靖国刀を作る姿である。靖国神社のご神体は日本刀であり、敗戦前には神社で数多くの刀が作られ、老刀匠もその仕事に従事していた。それが靖国刀で、老人はかつてと同じように作ってみせる。 大勢の個人や集団でごった返してお祭りのにぎわいを繰り広げる境内と、寂れた町工場のような場所で孤独に刀を打つ老人。この対比が鮮やかで、息を詰めて見守ることになる。と、老刀匠が愛用の録音テープをラジカセにセットするや、音楽ではなく、東京オリンピック開会式における昭和天皇の声が流れる。 注目すべきことに、この映画ではナレーションがいっさい使用されない。字幕は出てくるが、名前や事実を告げるにとどまる。つまり、作り手は言葉によるメッセージをひと言も発しないのである。 実際の話、メッセージでいえば、8・15の靖国神社のシーンには、旧日本軍の軍服を着て参拝する集団、日の丸を手に天皇陛下万歳を叫ぶ一団など、靖国神社を崇(あが)める声が大量に渦巻く。ほとんど無言の老刀匠も、珍しく意見をもらすと、小泉首相(当時)の靖国参拝に賛同する。 この映画は、メッセージではなく、出来事や人物や資料をただ差し出す。それをどう受け取るかは、すべて観客に委ねられている。靖国刀のつながりで、軍人が刀で人を斬る写真が登場する。また、テープの声を受け、昭和天皇が白馬で靖国神社に参る戦中の映像が出てくる。そんな構成に作り手の意があることは明らかだが、どう解釈するかは丸ごと観客に任され、ひと言のコメントもない。 そのように提示に徹したところが、この映画のユニークさで、優れたドキュメンタリー映画ならではの力を見ることができる。だからこそ、封印されず、一般公開されなければならない。そこから正当な議論が始まる。 監督は日本在住19年の中国人、李纓(リイン)。靖国神社をかつてない角度から捉(とら)えたドキュメンタリー映画は、アジアの広い視点から生まれた。2008年4月2日 朝日新聞朝刊 13版 22ページ「公開して議論を」から引用 国際映画祭でも高く評価された映画「靖国」が上映できないということになると、日本が世界に恥をさらすことになる。先進国日本が、これでいいのだろうか。
2008年04月25日
映画「靖国」上映中止に関連して、2日の朝日新聞「天声人語」は次のように述べている; 米国で封切られたチャプリンの「殺人狂時代」(47年)は散々だった。宗教界や在郷軍人会が「倫理に反する」「共産党シンパだ」と映画館に圧力をかけたためだ。ほどなく赤狩りの嵐に覆われるこの国は、彼を「追放」する。 20年後、チャプリンは再び米国の地を踏んだ。アカデミー特別名誉賞の授賞式である。それは希代の映画人と、表現の自由を守れなかったハリウッドの謝罪にほかならない。 中国人監督のドキュメンタリー映画「靖国」を上映するはずだった五つの映画館が、中止を決めた。不測の事態を警戒しての結論だという。終戦記念日の参拝風景などを撮った作品は素材提供に近いが、国会議員向けの試写会が開かれ、政治色を帯びた。 右翼の抗議を怖がり、日教組の集会を拒んだホテルと同様、あるいはそれ以上に、メディアの一翼を担う映画館の萎縮(いしゅく)は深刻だ。あらゆる表現や言論、批判が出会うべき場が、近所迷惑になるからと自ら幕を下ろしては議論さえ始まらない。 面倒はいやだと縮こまる。ネットで匿名の中傷を浴びせる。そんな風潮を含めて、時代の空気は少しずつ危うくなっている。一人、また一人と嫌がらせに譲れば、筋を通す者に街宣車が群がるだろう。勇気ある者をどう支えるか。メディアの端くれとして、ここは踏ん張りどころと肝に銘じたい。 靖国の桜はきのうも満開だった。北風に花びらが舞うが、多くは揺れる枝にしがみついている。花見の名所の木々らしく、週末までは散るまいという意地なのか。風に負けてはならない時がある。2008年4月2日 朝日新聞朝刊 14版 1ページ「天声人語」から引用 赤狩りの嵐のとき「表現の自由」を守れなかったハリウッドは、20年後にアカデミー特別名誉賞を贈ってチャップリンに謝罪したのであったが、私たちの日本は同じ轍を踏むことなく映画「靖国」の上映を実現したいものである。
2008年04月24日
オウム真理教のドキュメンタリー映画で知られる映画監督・森達也(もりたつや)氏は、3日の朝日新聞に寄稿し、映画『靖国』上映中止騒ぎを起こした日本人社会について、次のように論評している; ドキュメンタリー映画「靖国」の公開を4月に予定していた東京と大阪の映画館5館が、上映中止を決めた。トラブルや嫌がらせを警戒しての自主規制だという。 発端は、映画を「偏向」と決めつける週刊誌報道を受け、映画制作に公的助成金が出ていることを自民党国会議員が問題にしたことにある。その議員は試写を見て「偏ったメッセージがある」と感想を語ったという。 ドキュメンタリーは、360度の世界をどう切り取るかによって変わる、主観的な表現行為だ。客観的なドキュメンタリーなどあり得ない。中立であるべきだというのは、ドキュメンタリーに対するリテラシー(読み取る力)を欠いた要求だ。 「靖国」は、監督が必死にバランスをとろうとした映画だと私は見た。靖国神社を中国人監督が撮ったことに短絡的に反応した騒動といえないだろうか。 映像にこめられたメッセージを、様々な立場の人が見て自分の主張を紡いでいくのがドキュメンタリーだ。政治家という立場で公開前に「偏っている」と価値判断を示すこと自体、映画に特定の政治色を帯びさせることになる。それは映画の評価や見方を強制する「圧力」にほかならない。ただ、当の議員自身も、その後の事態の広がりには戸惑っているかも知れない。 熱力学に「相転移」という言葉がある。水が氷になったり水蒸気になったりと、分子一つひとつは変わらないのに、全体の相が変わることだ。面白いことに、零度の水は液体と固体のどちらの姿もとりうる。水を零度以下までゆっくり冷やすと、液体のままでいる「過冷却」の状態になる。そこでコップをたたくと、一気に凍る。 最近の日本は、この過冷却の状態ではないかと思う。亀田父子にしろ朝青龍にしろ、安倍前首相にしろ、昨日までのヒーローが一夜でバッシングの対象になる。一人ひとりは変わらないのに、何かのきっかけで社会の雰囲気ががらりと急変する。 自民党国会議員は、コップをたたいたに過ぎないのかも知れない。「反日」を糾弾する勢力の嫌がらせなどには、対処のしかたがあるはずだ。上映中止という映画館の先回り自粛から見えるのは、いつ世相がひっくり返るかわからない、不安や不満に満ちた社会の臨界状態だ。 かつて「放送禁止歌」を取材した。人はこれを自主規制というが、自律的で主体的な規制ではない。いってみれば他律規制だ。ルールがない不安から逃れるために「ここから先は危険」という標識を立てて、その内側にこもることで安心する。標識はそこかしこに立てられ、やがて禁止が独り歩きを始める。無自覚な規制がルーティン化し、社会の過冷却を招く。 イワシやメダカは、1匹が逃げると群れの全員がどっと逃げる。同じように人も群れる。群れの暴走は怖い。だから、場を乱すなとの声が高くなる。日本社会はいま多数に同調し、少数の意見や見方をたたく傾向が強まっている。 過冷却社会から脱するにはどうしたらいいのか。映画を含むメディアはつくり続け、発言し続けるしかないし、「見せる」「聴かせる」という努力を続けるしかない。そして、それを社会が受け止め、多様な視座を形づくる。やぼったいが、声を出す、声を聴く、それしかない。2008年4月3日 朝日新聞朝刊 13版 15ページ「私の視点-『靖国』上映中止 過冷却社会が圧力を増幅」から引用 森氏が指摘するように、政治家が公開前の映画をチェックするのは検閲と同じ効果をかもし出すのだから、やってはいけないことである。例え国の予算が支出されていても、作品の内容に介入してはならない。政治の介入は表現の自由を損なうからである。 それにしても、かつてジャーナリストの本多勝一氏は日本人社会を評して「メダカ社会」と言ったことがあったが、森氏も同じ表現を使っている。やっぱりそうなんだなぁと思った。
2008年04月23日
君が代を強制的に歌わせようとする文部科学省の姿勢に疑問を呈する投書が、3日の朝日新聞に掲載されている; 3月17日の天声人語で紹介されていた劇「歌わせたい男たち」を私も鑑賞しました。 卒業式で「君が代」を歌わず、「日の丸」に起立しない教員に対して、校長たちがなんとか歌わせよう、起立させようとする都内の高校を舞台とした話でした。 校長が必死に「不起立」教員をなだめすかし、そして脅す姿はこっけいな喜劇でしたが、これが教育現場での現実を映したものと思えば、心からは笑えない、考えさせられる劇でした。 渡海文部科学相は、小学校の学習指導要領を告示する段階で、これまで「いずれの学年においても指導」とあった「君が代」を、「いずれの学年においても歌えるように指導」と内容に修正を加えました(3月28日朝刊)。 これは、中教審の審議を踏まえた改訂案の後に、議論が不明確なまま、勝手に文科省が決定したことだといいます。 劇の「歌わせたい男たち」のように文科省は「君が代」をどうしても歌わせる、との強い意図を感じます。2008年4月3日 朝日新聞朝刊 13版 14ページ「声-君が代強制を考えさせる劇」から引用 わが国の国旗はこういうデザインで、国歌はこういう歌詞とメロディーだということを児童生徒に教えるのは結構なことだが、起立しなさいとか大きな声で歌いなさいなどと強制するのは、教育活動からの逸脱である。今上天皇も強制ではないほうがいいと発言している。文部科学省もこっけいな寸劇の笑いものにされないよう気をつけるべきだ。
2008年04月22日
福田首相も社民党の福島党首も映画「靖国」が上映中止になったことは遺憾であると述べたと、3日の朝日新聞が報道している; ドキュメンタリー映画「靖国 YASUKUNI」の上映中止問題で、大阪市淀川区の映画館「第七芸術劇場」が5月に予定通り上映することを決めた。同館は地元商店主らが出資する96席の市民映画館。松村厚支配人は「見たい人がいるなら捏供するのが役目。映画館を議論の場にしてほしい」と話している。上映は同月10日から7日間の予定。=15面に「私の視点」 「靖国」は、靖国神社に参拝する戦没者遺族や軍服姿の若者らをナレーションなしで撮影した中国人監督の作品。トラブルや嫌がらせを警戒した大阪、東京の5館が3月末までに相次いで上映中止を決めた。大阪で唯一の上映先となった第七芸術劇場には、中止しないよう求める電話やメールが相次いだという。 社会派作品を多く扱ってきた松村支配人は「客観的に靖国をとらえている」と作品の感想を話し、「靖国がある東京はもう少し踏ん張ってほしかった」と話している。 一方、5月中の上映に向けて日程を調整していた名古屋市千種区の映画館「名古屋シネマテーク」は、同月中の上映を先送りすることになった。「上映するかどうかも含めすべて検討中」と話している。捜査当局によると、同館には政治結社から上映を見合わせるよう要請があり、2日までに話し合いをしたという。 この問題について、社民党の福島党首は2日の記者会見で、超党派の国会議員に呼びかけ、自主上映を検討する考えを示した。福島氏は「日本の表現の自由の危機だ。全力を挙げておかしいと言う」と語った。首相「中止は遺憾」 福田首相は2日、上映中止が相次いでいることについて、「なんで上映が中止になっちゃったのか。嫌がらせとか、一部の人が特別のことを考えているのか、よくわかりません」としたうえで、「もしそういうことが理由で中止になるなら誠に遺憾なことだ」と述べた。首相官邸で記者団に語った。2008年4月3日 朝日新聞朝刊 14版 1ページ「『靖国』来月上映へ」から引用 上映を決めた映画館には、中止しないように求める電話やメールがあいついだそうだが、それが民主主義の危機を感じた国民の声というものであろう。
2008年04月21日
コラムニスト・早野透氏は3月31日の朝日新聞で、「九条の会」集会に参加した感想を、次のように述べている; 3月9日、NHKのETV特集「小田実 遺す言葉」を見た。作家でありベトナム反戦の市民運動家、東京の病院の緩和ケア病棟に入ってがんと闘う最後の日々がカメラにとらえられていた。テレビの小田さんは、私が病室にお訪ねしたときよりもやつれて、しかし力を振り絞って小説の口述をしていた。作家魂とは、かくも激しいものか。 小説は、題して「トラブゾンの猫」。トルコ半島にあるギリシャの植民都市にトロイの猶、クビライハーンのころの猫、秦の始皇帝のころの猫、そして日本の三毛猫が時空を超えて集まって語った。「人間ってなんで愚劣なことばかりしているのか」と。 「愚劣」といっても、例えば道路特定財源をマッサージチェアに使うお役所とか、ねじれ国会で突っ張りあって打開のてがかりを兄いだせない与野党とか、そういう次元のことではない。ギリシャの昔からイラク戦争まで、人間が果てしなく繰り返してきた愚劣な「戦争」のことである。 テレビの前日の8日、東京・渋谷のホールで、「九条の会 小田実さんの志を受けついで」という集会があって、2300人が集まった。なかなかのものですね、3月4日、中曽根康弘氏らの「新憲法制定議員同盟」の総会で、草の根に広がる「九条の会」の向こうを張って「拠点づくりを」と対抗意識を燃やすだけのことはある。 「九条の会」の呼びかけ人は小田さんを含めて9人。この日、梅原猛氏はメッセージを寄せ、大江健三郎、鶴見俊輔、加藤周一、三木睦子、井上ひさし、奥平康弘、沢地久枝の7氏、そして小田さんが「人生の同行者」と呼ぶ妻の玄順恵さんが次々と話した。 その玄さんの話。若き日、ギリシャ文学を専攻した小田さんは昨年春、家族でトロイ遺跡やトラブゾンを旅して帰国、そして病がわかり7月30日亡くなる。「小田はギリシャのデモクラシー、小さい力をあわせて知恵をもって社会をつくる人々の力を信じていました。それに一番近いのはやはりアメリカだと。そのアメリカから学んだ『自由と平等』に、『平和主義』を加えたのが日本だと。それが9条だと」 私は、ギリシャの話を聞きながら、イマヌエル・カントのことを思い起こしていた。1724年生まれ、フランス革命後まで80年の生涯を東プロシアのケーニヒスベルクの街からほとんど出ずに過ごし、毎日決まった道を決まった時刻に散歩して、人々はそれに合わせて時計の針を直したという哲学者。世界を考え、人間を考え、歴史を考え、「永遠平和のために」という本を書いた。 カントといえば、その難解な著作を読むのに昔は苦しんだけれど、この「永遠平和のために」の本はもともと戦争に明け暮れる政治家にも読ませようと簡潔に書き、このところ日本でも次々とわかりやすい新訳が出た。なーんだ、カント先生、200年も前に、いまの世界をお見通しじゃないか。ここは綜合社発行、集英社発売のきれいな写真つきの池内紀さんの訳本に従って読み進みたい。 「戦争状態とは、武力によって正義を主張するという悲しむべき非常手段にすぎない」 「いかなる国も、よその国の体制や政治に、武力でもって干渉してはならない」 イラク開戦前にブッシュさんも小泉さんも読んでほしかった。 「殺したり殺されたりするための用に人をあてるのは、人間を単なる機械あるいは道具として国家の手にゆだねることであって、人格にもとづく人間性の権利と一致しない」 だからこそ、ドイツには兵役拒否のかわりに福祉などで働く制度がある。小田さんは、9条の日本は「良心的軍事拒否国家」になるべきだと説き続けた。 「対外紛争のために国債を発行してはならない」 昔、日露戦争を戦うのに、日本は外債募集で走り回った。太平洋戦争を戦うのに、郵便貯金を軍事費にあてた。 「常備軍はいずれ、いっさい廃止されるべきである」 9条は、ギリシャのアリストフアネスの事劇「女の平和」からカント先生まで、人類の思想を受け継いでいるのであって、占領軍に押し付けられたとかなんとかいう問題ではない。小田さんが言っていたとおり、「日本はいい国だ」ともっと自倍を持っていい。 「戦争を起こさないための国家連合こそ、国家の自由とも一致する唯一の法的状態である」 カント先生がすごいのは、今日の国連の誕生を見越していたことである。「世界政府」はむりとしても、「世界市民」は空想の産物ではないと言っている。地球温暖化もチベット問題も、国家の利害ではなく、市民の問題ととらえられるべきなのだ。 と書いてきたものの、日本政治は日々忙しく、それどころじゃないと思いがちだが、カント先生はそこもクギを刺している。 「永遠平和は空虚な理念ではなく、われわれに課せられた使命である」2008年3月31日 朝日新聞朝刊 12版 11ページ「『永遠平和』うけつぐ9条」から引用 この記事は少し古いが、大変良い文章なので是非とも日記に書き写しておこうと思った。「いかなる国も、よその国の体制や政治に、武力でもって干渉してはならない」これぞ、永遠の真理である。
2008年04月20日
商売のチラシ配りは大丈夫で政治ビラを配るのは違法という判決に疑問を呈する投書が、1日の朝日新聞に掲載された; 花を生けようと思って新聞を広げたら、「政治ビラ配布、有罪確定へ」(3月22日朝刊)の見出しが目に入った。自衛隊宿舎にイラク派遣反対のビラを入れ、住居侵入罪に問われた裁判である。 ビラの配布は日常的に容認されていると思うのだが、無断で立ち入ったために違法とされたようだ。そうだとすると、我が家にも無断で色々なビラが配布されるが、東京・立川の事件のように、なぜ逮捕されないのか。 選挙が近づくと政党のビラがポストに入る。国会中継をいつも見ているわけではないので、各政党がどんな公約を掲げているかとても参考になる。私のようにビラを役立てている人もいるのだから、一部の迷惑している人の声だけを取り上げるのはおかしい。 そう考えると、何だか政府のやることに反対すると、こうなるぞと恫喝(どうかつ)されているように思える。今まで最高裁の裁判官には無関心だったが、今度は誰がどんな判決を下したか記憶しておこう。2008年4月1日 朝日新聞朝刊 13版 15ページ「声-ビラ入れたら有罪だなんて」から引用 この問題の本質はやはり、政府のやることに反対する者への見せしめである。本来であればわが国憲法の下では許されないことであるが、国民の政治意識が低いことを利用して、裁判所は権力に迎合し判断を歪めている。こういうことが続けば、わが国は戦前体制に逆戻りである。戦前は、思想家の大杉栄やプロレタリア作家の小林多喜二らが見せしめとして国家権力によって虐殺された。そのような世の中の再来を許してはならない。
2008年04月19日
東京都杉並区立和田中学校で、校長の主導でPTAを廃止したことに危機感を訴える投書が、1日の朝日新聞に掲載されている; 地元の区立和田中学校が、PTAを地域本部の一部門の現役保護者部会とし、PTA会長は選出しないという記事(3月23日朝刊)を読み、戦前戦中の後援会を思い浮かべた。校長主導でPTAの「改革」を決めたことに違和感を覚えたからだ。 国民学校の保護者が属した後援会は、在郷軍人会に協力して木銃による突撃訓練や野営訓練などの軍事訓練をした。杉並には当時そのモデル校が複数あって、映画にもなっている。後援会は校長や行政の意図で動き、普通の親が意見を言う場ではなかった。 戦後、その反省からPTAが作られた。杉並では親たちが、冬は暖を取る薪を持ち寄って遅くまで話し合い、規約を作った。この人たちが母体となって原水爆禁止の署名運動も行われた。 現在のPTAに改善点はあると思うが、校長の言うがまま事実上廃止を決めたのは、こうした歴史が忘れられているからではないのか。私は区史を含めて歴史を学ぶ一区民として、戦中に逆戻りしないか心配している。2008年4月1日 朝日新聞朝刊 13版 15ページ「声-歴史を忘れたPTAの廃止」から引用 人々が政治に関心を失い子どもの教育にも無関心になると、権力を握った者はやりたい放題にやれることになる。それでは暗い戦前体制に戻ることにならないとも限らない。原水爆禁止署名運動発祥の地である杉並区のみなさんの自覚を促したい。
2008年04月18日
日ごろからNHKは偏ってはいけないなどと言っていた経営委員長自身が、実は自民党議員を励ます会に出席してスピーチをしていたことを指摘されて、古森氏は自ら経営委員会で釈明したと、9日の読売新聞が報道している;NHK経営委員会の古森重隆委員長(富士フイルムホールディングス社長が国会議員の「励ます会」でスピーチしたのは不偏不党の原則に反するとして、市民団体が経営委に見解を求め、古森委員長は8日の経営委で、同会への出席は「社長としての行動」と釈明した。経営委は了承した。市民団体「NHKを監視・激励する視聴者コミュニティ」によると、古森委員長は2月26日、元富士フイルム社員の武藤容治衆院議員(自民)の「励ます会」に出席。「NHK経営委員長を仰せつかっている」と自己紹介し、同議員への支持を求めたという。これに対し、古森委員長は8日の記者会見で「支持を求めたのではなくエールを送っただけ」と述べた。2008年4月9日 読売新聞朝刊 14版 33ページ「NHK委員長釈明」から引用古森氏の釈明は子どもの言い訳のようで情けない。それをあっさり了承する経営委員会もどうかしている。それというのも、かつて委員長の強引な会長人選に異議申し立てした委員は辞めてしまったあとなので、いたしかたない。こうなったからには、市民団体による監視が一層重要ということである。
2008年04月17日
神戸大学教授・木村幹氏は、7日の読売新聞に寄稿して、最近の朝鮮半島情勢について次のように述べている; 3月28日、北朝鮮が黄海にて、短距離ミサイル3発を発射した。韓国政府が直ちに、「通常の訓練とみられる。北朝鮮も南北関係の行き詰まりを望んではいないはずだ」という声明を発したように、短距離ミサイルの発射実験は、それだけで北朝鮮を巡る状況を極端に緊張させるものではない。この数年、北朝鮮による短距離ミサイル発射は、年に数回行われる年中行事のようになっており、その背景には、イージス艦配備により海軍力を強化した韓国海軍に対する強い警戒感があると言われている。 しかしながら、今回の北朝鮮による短距離ミサイル発射にはこれまでとは異なる側面がある。何故なら、通常、北朝鮮によるミサイル発射演習は、日本海や黄海が比較的穏やかな5月から6月の時期に集中するのに対し、今回は比較的早い時期に行われているからである。背景にあるのは、アメリカに対する北朝鮮の強い不満である。 周知のように、北朝鮮による核実験後の2007年1月、ベルリンでの米朝首席代表会談においてアメリカは、北朝鮮の核保有を事実上認める方向で政策展開を行い、その内容は後の6か国協議にも反映された。 そして、恐らく、北朝鮮は、これを自らの核実験成功の成果であり、以降もアメリカに対して強気で押せると考えた。だからこそ、北朝鮮は、約束した核計画リストの提出を行わず、核開発施設の無能力化も意図的に著しく遅延させた。 しかし、北朝鮮にとって、不幸だったのは、この間に北朝鮮を巡る国際環境が変わってしまったことである。とりわけ、北朝鮮にとって重要なのは、彼等が貴重な2007年後半の時期を浪費している間に、ブッシュ政権のレイムダック化が進み、各種制裁の撤廃へ向けての政治的決断が困難になっていることである。共和党の大統領候補に事実上確定しているマケインは、北朝鮮問題に対しても強硬であることで知られている。北朝鮮は、或(ある)いは、民主党のオバマにかけているのかも知れない。 確かにオバマは選挙戦で、「北朝鮮などの指導者」と「何の前提条件もつけずに会う」と述べたことがあるから、期待はあながち的外れでないのかもしれない。果たして、北朝鮮の浪費した時間は吉と出るか凶と出るか。彼らは民主主義国の選挙は所詮(しょせん)、みずものだ、ということを学ばされることになるのかもしれない。2008年4月7日 読売新聞朝刊 12版 15ページ「アジアスコープ-米大統領選 北朝鮮の賭け」から引用 ろくな実績も残すことができなそうなブッシュ大統領にとって、もし米朝国交正常化が実現できれば今までの汚名を返上できる願っても無いチャンスだったから、その辺に目をつけた朝鮮政府はいいように6カ国協議を利用してきたが、ここにきて協議が一向に進展しなくなったのは、朝鮮政府がブッシュ大統領を見限ったせいかも知れない。
2008年04月16日
集団自決が軍の命令で起きたとする大江健三郎「沖縄ノート」が訴えられた裁判の一審判決について、6日の「しんぶん赤旗」日曜版は次のような解説を掲載している; 太平洋戦争末期の沖縄戦で起きた住民の「集団自決」に日本軍が「深くかかわった」と、司法も認めました。作家の大江健三郎さんらを名誉棄損で訴えていた原告は敗訴しました。問われているのは原告の言い分を利用して、軍強制の事実を教科書から削除させようとした文部科学省です。 前田泰孝記者 原告は、沖縄県・渡嘉敷(とかしき)島の元戦隊長、赤松嘉次氏の弟・秀一氏と、同・座間味(ざまみ)島元戦隊長の梅澤裕氏。 両氏は、ノーベル賞作家・大江健三郎さん(73)の著書『沖縄ノート』で、住民に自決命令を発したと書かれて名誉を傷つけられたとして、大江さんと出版元・岩波書店を訴えました。 3月28日、大阪地裁が出した判決はこうです。 - 体験談の多くが、日本軍兵士から米軍に捕まりそうになった場合には自決を促され、その手段として手稲弾(しゅりゅうだん)を渡されたことを示している。 - 赤松氏の部下が「おそらく戦隊長の了解なしに勝手に(手相弾を)やるようなばかな兵隊はいなかった」と証言している。 - 日本軍がいなかった渡嘉敷村の前島では集団自決はなかった。 - このように考えると日本軍が深くかかわったと認めるのが相当だ。 判決は原告の兄、赤松嘉次氏について、住民を「集団自決」の『玉砕場』に集める命令を出したことや、米軍の捕虜になった少年2人や投降勧告に来た男女6人を処刑していたことを指摘しました。 同氏が「住民が捕虜となり、日本軍の情報が漏えいすることを恐れて自決命令を発したことがあり得ることは容易に理解できる」とも言及しました。 「集団自決」生存者の吉川嘉勝さん(69)=渡嘉敷村教育委員会委員長=は「判決が『集団自決』体験者の証言を受けとめてくれたのは大変うれしい。文科省は反省して、ただちに検定意見を撤回すべきです」と話しています。「靖国」派が暗躍 判決によって教科書検定意見の根拠が崩れました。同省の布村幸彦審議官は昨年4月、国会で(1)近年出された当時の関係者の証言(2)「軍命令の有無が明確でない」とする研究者の著作(3)元戦隊長からの訴訟を挙げて「これらを契機として教科用図書検定調査審議会に調査審議」を求めたと答弁しています。 しかし、(2)で自分の著作を引き合いにされた林博史・関東学院大学教授は、著書の結論部分で「『集団自決』は日本軍による強制と誘導によるものである」と書いている事実を指摘し、同省に抗議しました。 (1)の近年の証言や(3)の元戦隊長たちの訴えも判決は退けました。検定意見の根拠は、すべて崩れたのです。 「文部科学省は国民に謝罪すべきだ」。安仁屋政昭・沖縄国際大学名誉教授は判決後こう批判しました。 裁判で原告側を支援したのは「自由主義史観研究会」など日本の侵略戦争を正当化する「靖国」派の人たちです。元戦隊長が『沖縄ノート』を読んだのは提訴後であることが、本人尋問で露呈しました。判決は、侵略美化勢力の思惑も打ち砕いたといえます。あの悲劇は軍の犯罪 判決後、被告の大江健三郎さんは記者会見し、次のように語り(要旨)ました。 ◇ 皇民教育すなわち『天皇の国民』をつくるための教育を背景に、軍の強制が起きたのです。 『沖縄ノート』には、個人の名をあげませんでした。個人の犯罪ではなく軍の犯罪、軍の一員として行われた犯罪だと考えたからです。 裁判所は、私の書物をよく読みとっていただいた。 この裁判には、政治的な大きな動きがあります。03年に日本を戦争ができる国にする有事法制ができ、その2年後にこの訴訟が起きました。さらに2年後の教科書検定で軍「関与」という言葉が取り去られたのです。 有事法制はできたけれど精神的・道徳的・倫理的に戦争を拒むことが、戦後六十数年の民主主義が生み出した新しい精神だと、今後も訴え続けたい。 11万人もの沖縄の人たちの集会は、今まで最も感動した集会でした。あの悲劇について裁判で証言くださった人たちに心から敬意を表したい。2008年4月6日 「しんぶん赤旗」日曜版 33ページ「『集団自決』軍が深く関与」から引用 この記事から分かるように、文部科学省が検定意見の根拠とした3項目はすべて否定され、同省の論拠は破綻した。こうなったからには、潔く己の非を認めて検定意見を撤回するのが日本人というものだろう。それとも、文部科学省の担当官は「愛国心教育」を受けていないので、だめなのだろうか?
2008年04月15日
映画「靖国」が上映中止になったことについて、3月30日の朝日新聞は次のように社説で主張している; 日本在住の中国人監督が撮影したドキュメンタリー映画「靖国 YASUKUNI」に上映中止の動きが出ている。公開は4月半ばから東京4カ所と大阪1カ所で予定していた。ところが、都内の映画館の一つが「色々と話題になっている。問題が起きればビルの他のテナントへの影響や迷惑もある」として中止を決めた。残りの映画館の中には抗議や嫌がらせを受けたところもあるという。 この映画は、「反日」との批判を受けたことなどから国会議員向けに異例の試写会が開かれた。一部の議員からは、この映画に公的な助成金を出したことへの疑問が出ている。 映画館からすれば、大勢で抗議に押しかけられたり、嫌がらせをされたりするのはたまらないということだろう。観客にも迷惑がかかるかもしれない。そうした気持ちはわからないわけではない。 しかし、映画館が次々に上映をやめたら、どういうことになるのか。 映画は表現や言論の手段の一つであり、その自由は保障されねばならない。映画館もその一翼を担う社会的存在だ。評価が分かれる映画だからこそ、多くの人に見る機会を与えることが大切だ。 上映をめぐって嫌がらせなどの卑劣な行為があれば、警察に相談することもできる。ここは苦しくとも、踏みとどまる勇気を各映画館に求めたい。 それにしても、こんな事態になった背景として見逃せないのは、国会議員の動きである。経緯を振り返ってみよう。 この映画では、終戦記念日の靖国神社の風景と、神社の境内で刀剣をつくっていたという刀匠が交互に登場する。 一部の週刊誌などが「反日映画」と批判し、公的な助成金が出ていることに疑問を投げかけた。 その後、自民党若手議員らでつくる「伝統と創造の会」の稲田朋美会長側が文化庁に問い合わせたのをきっかけに、全国会議員向けの試写会が開かれた。 映画を見た議員の反応は様々だった。稲田氏は「靖国神社が、侵略戦争に国民を駆り立てる装置だったというイデオロギー的メッセージを感じた」と語った。一方では、「自虐的な歴史観に観客を無理やり引っ張り込むものではなかった」という自民党議員もいた。 稲田氏らが問題にしているのは、助成金を出すのにふさわしい作品かどうかだという。そんな議論はあっていいが、もしこうした動きが上映の障害に結びついたとしたら見過ごすことはできない。 幸い、稲田氏は「表現の自由や上映を制限する意図はまったくない」と述べている。そうだとしたら、一部の人たちの嫌がらせによって上映中止になるのは決して本意ではないだろう。 そこで提案がある。映画館に圧力をかけることのないよう呼びかける一方、上映をやめないように映画館を支えるのだ。それは、主義主張を超えた「選良」にふさわしい行為に違いない。2008年3月30日 朝日新聞朝刊 13版 3ページ「社説-上映中止は防がねば」から引用 この社説が最後に述べている稲田議員に対する「提案」は皮肉である。彼女は口でこそ、表現の自由を制限する意図はまったくないなどと言ってはいるが、本音は「してやったり」だからである。だから、稲田議員は絶対にこの提案には乗ってこない。自分の本音と裏腹の行動をするわけがないからである。
2008年04月14日
自民党稲田議員らが策謀したと見られる「沖縄戦集団自決に軍の命令は無かった」と主張した裁判について、ルポライターの星徹氏は4月4日の「週刊金曜日」で次のように論評している; 太平洋戦争末期の沖縄戦時に慶良問諸島で起きた住民「集団自決」をめぐる訴訟の判決が、3月28日に大阪地裁であった。座間味島の戦隊長だった梅澤裕氏(91歳)と渡嘉敷島の戦隊長だった故赤松嘉次氏の弟が、『沖縄ノート』(大江健三郎著)と『太平洋戦争』(故家永三郎著)の中で日本軍の命令・関与により「集団自決」が起きたとの記述をされたのは不当として、大江氏と両書出版元の岩波書店に対し、出版差し止めなどを求めていた。 判決は、原告らの請求をすべて棄却した。深見敏正裁判長は、「梅澤作成の陳述書と本人尋問の結果は、信用性に疑問がある」などとして、梅澤氏が「『集団自決』に関与したものと推認できる」とした。故赤松氏については、複数の住民・防衛隊員の処刑に関与しており、「『集団自決』に関与していることは、強く推認される」とした。また、「隊長命令説は援護法適用のための捏造」とする原告側主張も、「疑問が生ずる」として退けた。原告らは控訴の意向。 沖縄戦研究を続ける林博史・関東学院大学教授は、「これまでの研究・史料状況を踏まえた妥当な判決だ」とし、「原告側は住民の『集団自決』を『自発的な尊い死』と美化しようとしたが、判決はその目論見を明確に否定した」と評した。 高校「日本史」教科書の執筆者・石山久男氏は、「昨年春に文部科学省が出した検定意見は、梅津氏の『集団自決への命令・関与を否定する』陳述書等を根拠にしていた。それ自体おかしなことだが、今回の判決でその『根拠』の正当性が否定されたのだから、検定意見は撤回されるべきだ」と語った。 石山氏や被告支援者らは、4月25日に文科省へ申し入れに行く予定だ。2008年4月4日 「週刊金曜日」697号 7ページ「沖縄戦 大江・岩波訴訟 大阪地裁判決で完全勝訴」から引用 教科書執筆者の石山氏が言うように、文部科学省が始めに検定意見を付けたときの論拠が司法によって否定されたわけだから、検定意見を撤回するのが筋というものである。
2008年04月13日
国会議員の政治介入で上映中止という事態になったことについて、世間では抗議の声が上がっていると、4日の神奈川新聞が報道している; 靖国神社を題材にしたドキュメンタリー映画「靖国 YASUKUNI」の上映中止問題を考えるトークイベントが3日、東京都内のライブハウスで開かれ、首都大学東京教授の宮台真司さんらが会場を埋めた約百人の聴衆を前に上映中止の不当さを訴えた。 民族派団体「一水会」顧問の鈴木邦男さんは「いい映画なのに反日的と決め付けられ中止に追い込まれたのは非常に残念。たいした街宣活動もないのに右翼の影におびえているのではないか」と指摘。宮台さんは「個人で上映するという方法だってある。市民社会の中で意見を闘わせ、解決できる問題なのではないか」と提案した。 イベントは当初、映画の公開に合わせ靖国神社について議論する予定だったが東京などで上映中止を決める映画館が相次いだため、急きょテーマを変更した。 議論に耳を傾けていた都内の医師(41)は「映画を見ることができなければ、内容の良しあLも判断できない。一部の国会議員だけが見ているなんて状況は我慢できない」と不満そうに誇った。 「看過できぬ」新聞協会など表明 靖国神社をテーマにしたドキュメンタリー映画「靖国 YASUKUNI」の上映を中止する映画館が相次いだ問題で、日本新聞協会編集委員会の斎藤勉代表幹事は三日、「表現・言論の自由を擁護する立場から看過できない」とする談話を発表した。 談話は「上映中止という事態が生じたことは残念でならない。映画の内容をどう評価するかは個々人の問題だが、その評価、判断の機会が奪われてしまうことは看過できない。表現活動が萎縮する社会にしてはならないと考える」としている。 また、民放連の堀鉄蔵報道委貞長は同日、「言論、表現の一翼を担う者として、こうした事態に強い懸念を表明する」との談話を発表した。日本ペンクラブ(阿刀田高会長)も、「自由な表現の場の狭まりを深く憂慮し、関係者の猛省をうながす」と緊急声明を発表した。2008年4月4日 神奈川新聞朝刊 A版 21ページ「『反日』決めつけ残念」から引用 猛省しなければならない関係者とは、不当な政治介入を行った稲田議員と、不当であるとの認識を持たずに対応した文化庁職員である。国会議員がチェックできることは、文化庁の予算が不当に、例えば文化活動支援と称して実は文化活動をする人物や団体ではなく、全然関係ない政治団体に支出されているとか、そういう問題なら稲田議員でもさなだ議員でも調査するのは当然だが、支出先が文化活動をする人物や団体であることが確認されれば、そこから先の問題は政治家が口を差し挟める問題ではない。いわんや作品の内容について、公開前に「偏っている」だの「イデオロギー」だのというのは検閲以外の何ものでもない。公務員と国会議員は憲法を守る義務が課せられていることを自覚してほしいものである。
2008年04月12日
自民党・稲田朋美議員が政治介入したために上映中止の騒ぎになった映画「靖国」の問題について、4日の神奈川新聞はことの顛末をつぎのように報道している; 映画「靖国」の相次ぐ上映中止は、自由な表現活動の危機を見せつけた。映画界からも「映画館はトラブルを過度に恐れ、保身に走っている」と嘆く声が上がる。しかし大阪市淀川区の映画館「第七芸術劇場」が予定通り五月に上映することを明らかにし、配給元には上映を希望する映画館が名乗りを上げるなど、新たな動きも出ている。▽面倒な争い 三月中旬、最初に上映中止を決めた新宿バルト9(東京)。この時点で政治団体の目立った動きはなかったのに、早々と中止を決め、政治団体の動きを勢いづかせた。 銀座シネパトス(東京)には、三月下旬に三回、街宣車が押しかけ、「上映を中止せよ」とスピーカーでがなった。 愛知県警によると、五月の上映予定を延期した名古屋シネマテーク(名古屋市千種区)には、政治団体の関係者が押しかけ「東京や大阪では中止になったのに、名古屋だけ上映されたらわれわれの顔が立たない」などと話した。 それでも映画館側は上映したいとの空気があった。「現場は上映したいんだけど、上が言っているから」。事情を知る映画関係者は、上映中止を決めた劇場側から異口同音にこう聞かされた。 その背景には「面倒な争い事に巻き込まれたくないという映画館の運営会社上部の過剰な保身意識がある」とにらむ。▽文化庁の影 そもそもこの騒ぎは、2月12日、文化庁の映画担当者が制作者側に「ある国会議員が見たがっている」と問い合わせたのが発端だった。 関係者によると、文化庁は国会議員が自民党の稲田朋美衆院議員であることを明かし、試写会を提案。配給会社側が特定議員向けではなく、一般国会議員にも見せることを提案して合意し、配給側が費用を負担しないことで決まったという。 文化庁側は「共催」ではなく「協力・文化庁」とするよう要求。配給会社が妥協して試写会を全議員に案内すると「全議員に案内を送るとは聞いていない」と、文化庁は突然、難色を示し「試写会の人件費などは払えない」と伝える。 最終的に、文化庁側と対立するのほ得策ではないと配給会社側が折れ、費用は配給側が持つことで3月12日、試写会が開かれた。▽見て判断を 騒ぎにつながる試写会のきっかけをつくった稲田議員は、ここに来て「上映中止は残念」と圧力否定を強調する言動が目立ってきた。当初、国会議員向け試写会参加を呼びかける文章は「『百人斬り』の新聞記事や真偽不明の南京事件の写真を使って、反日映画になっているようです」と指摘。 試写会後も「イデオロギー的なメッセージを強く感じた」と述べたが、五館が上映中止を決めると「残念だ。映画は最後まで引き込まれる力作で、上映をやめさせようと考えたことはない」と、主張のニュアンスが変化する。 配給元のアルゴ・ピクチャーズによると、5月以降上映を予定していた全国13の映画館に加え、今回の騒ぎで逆に複数の映画館から上映希望が寄せられているという。 予定通り5月の上映を決めた大阪の「第七芸術劇場」の松村厚支配人(46)は「普通の映画と同じようにお客さんに見せたいだけ。『靖国』は首相参拝に賛成する(視点の)余地も残っているし、8月15日に靖国神社で何が起きているか見てもらって判断すればいい」と話す。2008年4月4日 神奈川新聞朝刊 A版 21ページ「表現の自由に危機」から引用 反日的だのイデオロギーだのと言っておきながら、騒ぎが大きくなりすぎたと見るや「最後まで引き込まれる」などと歯が浮くようなお世辞を言い出しても手遅れである。稲田朋美が火をつけた騒ぎであることは、天下が知るところである。
2008年04月11日
わが国の戦前は、言論表現の自由が制限されていて、内務省というお役所が国民の自由な言論を制限するために目を光らせていた。2日の読売新聞は、権力による検閲が如何にばからしいものか、「編集手帳」で、次のように述べている; 終戦の前年に封切られた映画に黒沢明監督の「一番美しく」がある。脚本には次の一文があった。「勤労動員の学生達を、工場の門は胸をひろげて待っている」 「胸をひろげ」は猥褻(わいせつ)で劣情を刺激する。内務省の検閲官はそう告げて再考を命じたという。黒沢氏の自叙伝「蝦蟇(がま)の油」(岩波現代文庫)の一節は検閲のばからしさをよく伝えている。 憲法で表現の自由が保障されたいまも、嫌がらせの衣をまとった検閲は生きているらしい。東京と大阪の映画館5館が、予定していた上映を中止した。靖国神社がテーマの日中合作「靖国 YASUKUNI」である。 ある映画館は街宣車の抗議行動を受け、圧力めいた電話も続いたという。来月からは全国のほ館が上映を予定している。映画館は少しの勇気を、世間は表現の自由が脅かされることに少しの気がかりを、警察は少し強めに監視の目配りを - 各人が『少し』を持ち寄るのみである。 内容を快く思わぬひと握りの人の意思により、多くの人が目隠しをされる。それがまかり通る社会では、「胸をひろげて…」に劣情を刺激された昔の検閲官を笑えない。2008年4月2日 読売新聞朝刊 14版 1ページ「編集手帳」から引用 このように、稲田議員のやったことは読売の常識から言っても「嫌がらせの衣をまとった検閲」である。ところが、8日の当ブログのコメントには>>内容が偏っているらしいから、公開前にチェックしたい>>だけだったらいいじゃん。などと、民主主義のルールも「検閲」の意味もまったく理解しない書き込みがあった。もしこれが、平均的日本人の民度であるなら、あまりにも情けない話だ。「読売の常識」が日本人の常識であることを願うものである。
2008年04月10日
映画『靖国』を上映中止にした映画館が出てきたことを報道した1日の読売新聞は、次のように識者のコメントを紹介している; ジャーナリスト・田原総一朗さんの話「上映中止になったのは、(映画館が)そこまで追い込まれたからで、言論の自由が保障されている憲法の下ではとんでもない話だ。この映画は客観的ではないと思うし、見たくない人もいるだろう。しかし、映画とは本来、監督が主体的に撮るもので、この映画が上映できないのは日本の恥だと思う」 映画評論家・山根貞男さんの話「色々な評価を受けるのを承知の上で、監督は判断を観客に委ねていると思う。私自身は反日的だとか、イデオロギー的なメッセージがあるとは思わない。結果的に、一般の人がこの映画を見て、作品の内容を判断する機会を奪ってしまったことは良くない」2008年4月1日 読売新聞朝刊 14版 38ページ「上映中止は過剰反応」から引用 その後の報道によると、この映画を進んで上映したいとする映画館も出てきているとのことで、我々の日本人社会も捨てたものではないと思った。
2008年04月09日
映画「靖国」の上映中止を報じた1日の読売新聞は、同じ日の紙面の解説記事で、次のように事態を解説している; 映画「靖国 YASUKUNI」の公開を予定していた、東京や大阪の映画館が、相次いで上映中止を決めた。作品の内容を世間に問う機会を、映画館が放棄するのは、異例の事態だ。 映画が芸術文化振興基金の助成を受けていることから、国会議員が「映画を見たい」と要請したのが問題の発端。上映に圧力をかけたのであれば問題だが、文化庁は「議員は、助成の是非を言っているだけで、公開自体は問題にしていなかった」としている。 19年も日本に住む中国人監督が撮った映画自体は、一方的な主張を避けた内容になっている。配給会社や映画館に対し、「上映をやめろ」といった電話がかかるなど、上映に対する抗議があったことは憂慮すべきことだ。こうした抗議を受けた形で上映中止を決めるのは、過剰反応とはいえないか。 日本映画監督協会は31日、「表現の自由が侵されかねない事態。あらゆる映画は自由に上映されるべきだ」との声明を発表した。上映中止は、一般観客が見て判断する自由を奪うことでもある。(文化部 近藤孝)2008年4月1日 読売新聞朝刊 14版 38ページ「上映中止は過剰反応」から引用 この記事では稲田議員が公開自体を問題にしていなかったし、助成の是非を言っているだけだったと、文化庁職員の話を紹介しているが、だからそれでいいとは言えない。「内容が偏っているらしいから、公開前にチェックしたい」と言って文化庁に圧力をかけた稲田議員の言動は、事前検閲を連想させるもので批判されるべきである。
2008年04月08日
自民党の右翼議員・稲田朋美らがイチャモンをつけたことに端を発した日中合作映画「靖国」の問題は、ついに上映を中止する映画館が出るところまできたと、1日の読売新聞が報道している; 靖国神社をテーマにした日中合作のドキュオンタリー映画「靖国 YASUKUNI」が、東京と大阪の映画館5館で上映中止となったと、映画を配給するナインエンタテインメント社が31日発表した。 中止を決めたのは東京都内の銀座シネパトス、渋谷Q-AXシネマ、新宿バルト9、シネマート六本木の4館と大阪府内のシネマート心斎橋。いずれも今月12日から公開を予定していた。「公開によって、近隣の劇場や商業施設などに迷惑が及ぶ可能性がある」(銀座シネパネス)などと理由を説明している。 この映画は文化庁所管の芸術文化振興基金750万円の助成を受けており、「政治的な宣伝意図があるのではないか」などとして、国会議員から問題視する声もあった。「映画を見たい」という議員の要請もあって配給会社は3月12日、都内で試写会を開き、議員約40人が参加。議員と文化庁関係者らの意見交換会が開かれ、参院文教科学委員会でも質疑が行われた。 19日に新宿バルト9が公開中止を決定。その後、他の映画館や配給会社に上映中止を求める電話などがあったという。 19年間日本に住む中国人の李纓(りいん)監督が、10年間にわたって、靖国神社を訪れる参拝者や遺族、神社に納める刀を作る刀匠らの姿などを記録した日中合作映画。昨年の釜山国際映画祭など海外の映画祭でも上映され、今年3月の香港国際映画祭では最優秀ドキュメンタリー賞を受賞した。 配給会社では「国際的な評価も高い作品が、こうした事態に陥ったのは大変遺憾。日本社会における言論の自由、表現の自由への危機を感じる」とコメントを発表。文化庁芸術文化課では「一般論として、芸術文化の発展の機会が外部からの嫌がらせで妨げられてはならない」と話している。 最初に助成を問題視し、試写会に参加した自民党の稲田朋美・衆院議員は「我々が問題にしなのは助成の妥当性であり、映画の上映の是非を問題にしたことは一度もない。いかなる内容の映画であれ、それを政治家が批判し、上映をやめさせるようなことが許されてはならない」などとする談話を出した。2008年4月1日 読売新聞朝刊 14版 1ページ「『靖国』の上映中止」から引用 ことの発端を作った稲田朋美の責任は重い。映画の上映の是非を問題にしたことはないなどと欺瞞に満ちた発言をしているが、自分の責任を回避しようとする詭弁であり、腹の中では「してやったり」と思っているにちがいない。そもそも、映画上映の是非をとやかく言う立場にないのは当たり前である。それどころか、本人自ら白状しているが、「助成の妥当性」を問題にすること自体、やってはいけないことだ。芸術文化の発展のため予算を出すと決めたのであれば、出すのが当たり前で、内容によっては出さないなどということがあれば、それは政治が表現の自由を束縛することになり、民主主義のルールに反する。その辺の認識に欠ける人物は政治家としては不適格と言わざるを得ない。
2008年04月07日
石原都知事の無謀な新銀行再建策を、3月29日の朝日新聞は次のように批判している; 強弁して無理を通そうとする時は危険だ。400億円の追加出資が決まった新銀行東京をめぐる石原慎太郎都知事の発言には、危うさを感じる。 追加出資を受けて進める新銀行の再建策は資産を減らして利益を倍増するという、専門家からも疑問の声が上がる代物だが、知事は「黙って結果を見て下さい」と白紙委任を求める。昨春の知事選では、新銀行からの撤退を求める声を振り切り、「必ず2年で立て直す」。そう大見えを切った結果、1千億円超の赤字を生んだ。 知事選の公約だった低所得者への個人都民税減税を昨秋に見送った時には「公約の進化」だと言い張った。「選挙受けを狙った無理な政策。尻ぬぐいをせざるをえなかった」(都庁幹部)と97億円の低所得者対策が創出された。 追加出資の400億円も無駄にせずに済むのだろうか。追加出資に賛成した与党都議すら「リスクの高い投資で、また花火を打ち上げようとしている節がある」と警戒感を強める。もう黙って結果をみているわけにはいかない。 (寺西折星)2008年3月29日 朝日新聞朝刊 14版 11ページ 「石原知事危うい強弁」から引用 新銀行も、オリンピック誘致も、選挙中の公約だった「低所得者への個人都民税減税」も、すべては選挙受けを狙ったもので、都民の生活を考えた政策よりも自分の選挙対策のために政治を行う石原慎太郎の政治姿勢を、私はポピュリスト的であるとして批判しているのである。
2008年04月06日
大江健三郎「沖縄ノート」を名誉毀損で訴えた裁判は被告側全面勝訴となったが、それに関連して3月29日の朝日新聞社説は次のように述べている; 太平洋戦争末期の沖縄戦で、米軍が最初に上陸したのは那覇市の西に浮かぶ慶良問諸島だ。そこで起きた「集団自決」は日本軍の命令によるものだ。 そう指摘した岩波新書「沖縄ノート」は誤りだとして、慶良問諸島・座間味島の元守備隊長らが慰謝料などを求めた裁判で、大阪地裁は原告の訴えを全面的に退けた。 集団自決には手投げ弾が使われた。その手投げ弾は、米軍に捕まりそうになった場合の自決用に日本軍の兵士から渡された。集団自決が起きた場所にはすべて日本軍が駐屯しており、日本軍のいなかった所では起きていない。 判決はこう指摘して、「集団自決には日本軍が深くかかわったと認められる」と述べた。そのうえで、「命令があったと信じるには相当な理由があった」と結論づけた。 この判断は沖縄戦の体験者の証言や学問研究を踏まえたものであり、納得できる。高く評価したい。 今回の裁判は、「沖縄ノート」の著者でノーベル賞作家の大江健三郎さんと出版元の岩波書店を訴えたものだが、そもそも提訴に無理があった。 「沖縄ノート」には座間味島で起きた集団自決の具体的な記述はほとんどなく、元隊長が自決命令を出したとは書かれていない。さらに驚かされたのは、元隊長の法廷での発言である。「沖縄ノート」を読んだのは裁判を起こした後だった、と述べたのだ。 それでも提訴に踏み切った背景には、著名な大江さんを標的に据えることで、日本軍が集団自決を強いたという従来の見方をひっくり返したいという狙いがあったのだろう。一部の学者らが原告の支援に回ったのも、この提訴を機に集団自決についての歴史認識を変えようという思惑があったからに違いない。 原告側は裁判で、住民は自らの意思で国に殉ずるという「美しい心」で死んだと主張した。集団自決は座間味村の助役の命令で起きたとまで指摘した。 だが、助役命令説は判決で「信じがたい」と一蹴された。遺族年金を受けるために隊長命令説がでっちあげられたという原告の主張も退けられた。 それにしても罪深いのは、この裁判が起きたことを理由に、昨年度の教科書検定で「日本軍に強いられた」という表現を削らせた文部科学省である。元隊長らの一方的な主張をよりどころにした文科省は、深く反省しなければいけない。 沖縄の日本軍は1944年11月、「軍官民共生共死の一体化」の方針を出した。住民は子どもから老人まで根こそぎ動員され、捕虜になることを許されなかった。そうした異常な状態に追い込まれて起きたのが集団自決だった。 教科書検定は最終的には「軍の関与」を認めた。そこへ今回の判決である。集団自決に日本軍が深くかかわったという事実はもはや動かしようがない。2008年3月29日 朝日新聞朝刊 13版 3ページ「社説-司法も認めた軍の関与」から引用 原告が「沖縄ノート」を読みもしないで裁判を始めたのは、自民党議員・稲田朋美らにそそのかされてはじめた裁判だったことを示している。お粗末な裁判であった。しかし、その結果「集団自決には日本軍の命令があったと信じる相当な理由があった」との司法判断を引き出した成果は大きい。
2008年04月05日
都知事・石原慎太郎を批判する投書が、3月30日の朝日新聞に掲載されている; 26日の石原都知事の報道陣への発言にはあきれた。 設立わずか3年で経営難に陥った新銀行東京の存続をはかる都の400億円の追加出資案に対して、世論調査で、7割以上の都民が反対意見していることについて記者に聞かれ、「世論調査を気にしていたら政治はできない」と。知事独特の強がりと言おうか、これではまさにどこかの国の独裁者である。 最後に「責任を取らないといけない」とは言ったものの口だけで、新銀行を発案し経営を主導してきた責任者としての誠意は全く感じられなかった。議会審議が始まった当初、責任を民間から招いた前経営者に押し付けるように、私が経営していればもっと大きな銀行にした、と大言壮語したのには開いた口がふさがらなかった。 採決の土壇場まで、もめにもめた都議会も情けない。与党自民党は石原知事に寄り添い、チェック機能をはたさない。一方の与党公明党は支持者の多くが反対だと言うのに結局は400億円の追加出資案に賛成した。これだけ問題のある銀行に金融庁が検査に入らないのも不思議である。2008年3月30日 朝日新聞朝刊 12版 9ページ「声-世論気にせぬ まるで独裁者」から引用 聞く者を「開いた口がふさがらない」という気分にさせるのが、ポピュリストの特徴である。小泉元首相も、陸上自衛隊をイラクに派遣する直前、イラクのどの地域が安全なのかと問われて「そんなこと、私にわかるわけ無いでしょう」と言ってのけたのであった。そんな発言を通してしまったのは、ひとえに野党の非力による。
2008年04月04日
アメリカが武力でイラクを侵略して5年になる今年の3月20日、朝日新聞は次のような解説記事を掲載している; 米英が起こしたイラク戦争を奥機に、日本政府は「国連」から「同盟」に外交の軸足を大きく傾斜させた。憲法の「グレーゾーン」に踏み込み、陸上自衛隊を初めて「戦地」に派遣した。イラク開戦から20日で5年。政府・与党は今、海外への自衛隊派遣を随時可能とする一般法(恒久法)制定の議論を進めるが、その前にイラクへの自衛隊派遣の総括が必要だ。(佐藤武嗣) 政府がイラク戦争を支持した根拠は「大量破壊兵器」(WMD)の存在だった。「イラクの大量破壊兵器廃棄のために決断された。これを支持するのは当然だ」。開戦直後の03年3月、当時の小泉首相はブッシュ米大統領にこう伝えた。 国民向け記者会見でも「大量破壊兵器が危険な独裁者の手に渡ったら、どのような危険な目にあうか。日本も他人事ではない」。イラクへの自衛隊派遣で強調したのもWMDの存在だった。 ところが、「そのうち見つかる」 (当時の福田官房長官)としたWMDは見つからず、政府はイラク復興支援特別措置法の原案に盛り込んだ「WMD処理の支援活動」を閣議決定直前に削除。ブッシュ大統領自らWMDをめぐる機密情報の誤りを認めたことで、自衛隊派遣の大義は失われた。 誤算はこれだけではない。「イラクがこれほど泥沼化するとは当初想定していなかった」と防衛省幹部。町村官房長官が19日の記者会見で、陸自が手がけた復興事業の進捗(しんちょく)を確認しようにも「そこまでの治安状況が確保されていない」と語るほどだ。 「軍事色」を弱めるため、政府は自衛隊派遣と並ぶ支援の柱として、文民派遣もイラク特措法に盛り込んだが、自衛隊派遣から4年たった今も文民を派遣できていない。 「ブーツ・オン・ザ・グラウンド(陸上部隊の派遣を)」。米政府から促され、十分な「国連のお墨付き」もないまま、「非戦聞地域」への派遣は憲法が禁じる「武力行使との一体化」にはあたらないーとの論理構成で自衛隊をイラクに派遣したものの、憲法との整合性について、国会論戦では小泉首相の荒っぽい答弁ばかりが際立った。 その後、政府はミサイル防衛や防衛大綱改定、米軍再編、海外派遣の本来任務化など、日米安保の薗化に邁進(まいしん)した。外務省幹部は「イラク派遣の決断により日米が緊密化した結果だ」とみる。 政府が次にめざしているのが、米国中心の多国籍軍に自衛隊が参加できるようにする一般法の整備だ。03年、内閣官房に検討作業チームを設置。福田首相も1月の施政方針演説で「迅速かつ効果的に国際平和協力活動を実施していく」と一般法制定に意欲を燃やす。 ただ、インド洋での給油活動でイラク作戦に従事した米艦艇への燃料転用疑惑が浮上し、活動継続をめぐる世論は二分。イージス艦衝突事件の影響もあり、与党検討チームの発足は遅れている。 イラクでは空自による輸送活動が続く一方で、陸自は06年7月に撤収。隊員に犠牲は出ていないが、03年11月にはイラク中部で奥克彦参事官と井ノ上正盛3等書記官(いずれも当時)の外交官2人が殺害された。 イラク戦争支持と自衛隊派遣の大義と意義は何なのか-。一般法に視線を移す前に、まだまだ検証すべきことが残されている。2008年3月20日 朝日新聞朝刊 14版 4ページ「自衛隊派遣 足りぬ検証」から引用 アメリカのブッシュ大統領が「イラクはアルカイダと繋がりがあり、核兵器を隠し持っている」から、イラクへの武力侵略は「テロとの戦い」なのだと言って始めたイラク戦争であったが、今ではイラクが元々核兵器などもっていなかったし、アルカイダとも何の関係も無かったことが明らかになっており、ブッシュ大統領もそのことを認めている。5年前に日本が自衛隊をイラクに派遣したときは、ブッシュ大統領の「いいがかり」が真実であるとの前提があってのことだった。今やその前提がウソであったことがわかったのだから、日本政府は未だにイラクで米軍支援を続けている航空自衛隊を撤退させるべきである。
2008年04月03日
卒業式で行われる卒業証書授与が何故男子からなのかという疑問の声が3月23日の朝日新聞に掲載されている; 一人娘が通っていた小学校の卒業式に出席した。大人びた顔、まだ幼い顔……。小学生の高学年らしく、ばらつきが大きい。多くの男子生徒の声変わりはまだだったが、ソプラノ調で息があった合唱は涙が出るほど美しかった。 残念だったのは、卒業証書の手渡しがどのクラスも男子が先で、女子が後だったことだ。場違いなのを承知で行事が終わった後、校長に指摘すると、「それはあなた一人の意見でしょう」と怒声を含んだものだった。名簿を男女分け隔てなく「あいうえお順」にしたり、クラスごとに男女の先を入れ替えたりするなどの施策を検討するように求めたが、それも問題外のようだった。 どうして男子が先かを尋ねると、「差別しているわけではない」「集団生活を教える」「今までの学校生活の基本を踏襲」と理由にならない答えばかり。「すべての名簿が男女別になっており、合同にするのは大変」とも言っていた。しかし、実際は背の低い順で男女別になされ、名簿順と一致していなかった。 つまりは、男女順を問題視し、そこに手間をかける姿勢がないということだろう。「教育のモデル校」とされるその小学校で、先生方が懸命に教材や配布物を作る姿に感心してきただけに、その日の出来事が残念でならない。2008年3月23日 朝日新聞朝刊 12版 8ページ「声-卒業証書授与 なぜ男が先か」から引用 卒業式に参列した父母のささいな疑問に対して、校長の対応は残念である。個人的な意見であろうと、校長としては「昔からの慣例で男子からということにしているが、今後あなたのような意見が多くなるようなら、やり方を検討してみたい」とか答えて受け流せばよいものを、いきなり目くじら立てて「個人的な意見だ」「差別ではない」「名簿が」どうのこうのと言い出す態度からは、父母や教職員の声に耳を傾け、民主的に学校を運営していこうという姿勢がみじんも無く、職員会議とPTAをバッチリ押さえ込んで「お上」すなわち教育委員会と文部科学省の期待に応えていこうという魂胆が見え透いている。教育者の風上にも置けない。
2008年04月02日
ジャーナリストの堤未果(つつみみか)氏は、世界第一位の経済大国アメリカに存在する貧困層に関わるアメリカ政府の責任について、次のように述べている; サブプライムローンの焦げ付きは、金融問題であるとともに、米国の抱える貧困問題を象徴している。なぜ、全米で何百万人もの人がこのローンを借り、返せなくなる人が相次いだのか。大量の焦げ付きを生んだ米国社会の背景に、目を向ける必要がある。 借り手の多くは移民や低所得層で、借入額は全米の住宅ローン総額の1割を占める。これだけ大規模に広がったローンを、「家ほしさのあまりに、十分な返済計画を持たずに借りた人が悪い」と片づけられるだろうか。 借り手を取材すると、ずさんな融資の実態がわかる。「米国はチャンスの国。夢をかなえよう」「不可能を可能としよう」。こんな言葉がローン勧誘のうたい文句となっていた。所得を十分に審査せず、返せなくなると思える人にも、住宅価格上昇を前提にローンが組まれたケースもあった。住宅ブームが失速する過程で、移民や低所得層はローンの新たな借り手として格好のターゲットとなった。 延滞による住宅差し押さえ率が全米の中でも高い、カリフォルニア州ストックトンの街を昨年取材で訪れた。街は空き家が増えて静まり返り、ゴーストタウンのようだった。こうした地域は、中間層や高所得層が住む地域とは分かれているため、実態が米国社会全体で十分に認知されない。ただ、差し押さえが進む地域はモザイク模様のように全米に広がっている。 私は大学留学以来の10年余りを米国で過ごした。米国では、住宅ローンを借りることやクレジットカードを作ることが、社会生活を送るうえで大きな意味を持つと実感した。アパートを借りようとすると、カードの利用履歴を問われる。住宅ローンを組むと、ほかの様々なローンが借りやすくなる。低所得層にとって住宅ローンは、貧困からはい上がり、生活を改善する手段の一つでもあった。 米国の貧困層の姿はサブプライムローン問題以外でも、様々な形で顕在化している。高額な医療費を払えずに自己破産する人が増えている。学費を払えない若者が、借金返済のためにイラクの戦地へ赴く。ハリケーン・カトリーナの被災者は生活再建を果たさぬまま援助を打ち切られ、国内で難民となっている。 世界一の経済大国で貧困に苦しむ人々を取材して感じるのは、米国社会の一部で民営化や市場原理の導入が行き過ぎたことだ。政府は、国民の生存権を守るという「公」の役割を十分に果たさなくなった。富裕層から多く集めた税金を、教育や医療を通して中間層に再配分する機能が低下した。富裕層と貧困層へ、社会の二極分化が進んでいる。 サブプライム問題は、米国の大統領選のテーマの一つにもなっている。ただ、大統領候補らは金融問題として語り、貧困問題として十分に向き合おうとしているようには見えない。この問題を生み出した経済思想や経済政策、社会のあり方こそ、見つめ直す必要があるのではないか。 日本社会にとっても、サブプライム問題は対岸の火事とは思えない。派遣社員、フリーターなど、日本でも若者の貧困問題が目立ってきた。中間層が厚いという日本の伝統的な姿は変わりつつある。我々は米国社会の後追いをするのか、別の道を探るのか。サブプライム問題は日本人に対しても、どんな社会を選ぶのか、問うている気がする。2008年3月23日 朝日新聞朝刊 12版 4ページ「耕論-貧困生んだ社会直視を」から引用 日本でも、自民党政府が財界のいいなりになって、金持ちはより大金持ちに、貧乏人は一層貧乏になるような政策をやっていたのでは、いずれアメリカのようになっていく。ワーキング・プアが増えたところで憲法を改悪し、軍隊経験を有する若者は優先的に大企業に就職できるなどという政策を実施すれば、わが国の軍国主義は一気に盛り上がることになるだろう。そういう政策を許してはならない。今のうちに「金持ち優遇税制」を止めるべきだ。
2008年04月01日
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