全30件 (30件中 1-30件目)
1

図書館大好きの大使として、「本の歴史」を一度、系統的に見ておきたいと思い、この本を借りたわけです。・・・というのは公式見解です。さて、製本、印刷史上で最も重要な出来事とは何か?この本では、それは「グーテンベルクの活版印刷術」ということになっています。ということで、まず、グーテンベルクのあたりを紹介します。<グーテンベルクの存在>p44~45より 1997年末、アメリカの「ライフ」誌で、1001年から2000年までの1000年のなかで、人類にとってもっとも重要な出来事100選の調査結果が発表された。 その一番に選ばれていたのが、聖書を印刷したヨハネス・グーテンベルグの活版印刷術であった。いわゆるルネサンスの三大発明をとってみても、ほかに火薬、羅針盤があり、その後も産業革命をおこした蒸気機関の発明、医学の進歩、飛行機やロケット開発、月面到達など大きな発明や出来事はたくさんある。それなのに活版印刷術が一番とは少々意外に思うが、しかし情報や知識を発展させ人類の文化文明に大きく貢献した印刷ならではの功績かと、その意義の深さに納得する。 ヨハネス・グーテンベルグ。印刷の世界では有名な人物であるが、その生涯には不明な点が多く、実際にその名前が世に出たきっかけは、財産相続の問題や、結婚不履行をおこなった裁判記録などにその名が残っていたからである。 1397年頃ドイツのマインツの貴族の家に生まれたグーテンベルクは、1430年頃にストラスブールにわたり、金細工師として生計をたてていた。はっきりとした記録はないが、このストラスブールに滞在していた時期には、すでに金属活版印刷術の開発に本格的に取り組んでいたようである。 その後マインツに戻ったグーテンベルクは、1445年頃に金属活字による活版印刷術を完成させ、1455年頃には有名な『42行聖書』を印刷したと思われる。それまでヨーロッパでは、聖書など書物はすべて手で書き写す写本であったので、活版印刷術の出現はまさに大革命であった。それは、宗教改革の引き金になり、特権階級にのみ与えられていた読み書きを一般大衆に浸透させるなど、その成果は計り知れない。 もともと金細工師であったグーテンベルクは、その技術を用いて、鉛と錫とアンチモンの三つの金属を混合することで融点が低く、そして印刷に耐えるだけの硬度があるという金属を開発し、その活字を鋳造するための母型と鋳造装置もつくりだした。 またグーテンベルクは印刷が効率的に行えるために手動の印刷機をつくった。さらに、用紙にきれいに転写できるような油性のインキを、当時開発されて間もない油絵の具を利用してつくりだした。そして印刷用紙には、中国からヨーロッパに伝わった紙が用いられたのである。(中略) グーテンベルクが活躍した時代は、デジタルによって新しいメディアが加速度的に浸透している現代に似ているのかもしれない。グーテンベルクの発明は、550年近く経た今日、デジタルメディアによってこれまでまったく体験したことのない大変革の前にさらされているのである。木版印刷術の伝播は当時の日本にとって、パラダイムシフトとでもいうショックをもたらしてのではないか?昨今では、そのパラダイムシフトを察知する能力がやや薄れてきているが・・・当時の日本人は、ショックを契機として、模倣、吸収、改良に邁進したようです。木版印刷術の伝来のあたりを紹介します。<百万塔陀羅尼と日本の仏典>p30~31より 中国で発明された木版印刷術は、朝鮮半島を経由して、遅くとも奈良時代までには日本へと伝わったが、ほぼ同じ時代、同じルートで、仏教も日本へと伝来している。 東アジアにおける印刷は、仏教と密接な関係があり、お互いの存在なくして発展はありえなかったといえるだろう。それは、初期の印刷物のほとんどが仏書であったことが証明している。 日本印刷史の先駆けとなり、その金字塔ともなったのが、百万塔陀羅尼の印刷である。これは、764年から770年にかけて孝謙太上天皇が、国家の安泰を願い、「無垢浄水大陀羅尼経」に説かれている造塔・写経の功徳を期待して、根本・相輪・六度・自心印の4種類の陀羅尼を百万枚印刷させて、百万基の木製小塔におさめ、法隆寺など畿内の十大寺に分置させたものである。 この国家的事業につては、『続日本記』に記されており、百万塔陀羅尼が、印刷された年代が記録に残る現存世界最古の印刷物であることがわかる。 その後、皇室、公家、貴族の手によって、写経と並行する形で摺経が盛んにおこなわれたが、平安時代後期より仏書の印刷は、寺院を舞台におこなわれることとなった。それは、まさに日本の出版の原点でもあった。 先鞭をつけたのが、春日版の開版である。春日版は、藤原氏の氏寺である奈良の興福寺において印刷され、氏神である春日社に奉納されたことから、この名がつけられた。現存最古の春日版は、寛治2年(1088)の刊記がある『成唯識論』であり、平安末期においては、法相宗の唯識論関係が寺院の学僧の教学書として印刷された。その後、鎌倉時代にいたると、「大般若経」、「法華経」、「華厳経」など数多くの経論が印刷され、他の寺院出版活動に影響を与えた。また春日版は、これまでの巻子本に、折本、粘葉装といった新様式が取り入れられており、製本の歴史においても画期となっている。 春日版に触発される形で、東大寺や法隆寺など各寺院でも開版事業が始められたが、紀伊高野山においては、真言密教関係の仏典が開版された。いわゆる高野版である。(中略) 古代・中世の印刷・出版は、仏教関係のものが主役であった。しかし、江戸時代に民間出版が隆盛となり、古典文学をはじめ、さまざまなジャンルの書物が印刷されると、仏教関係の印刷は主役の座を奪われることとなった。最後に電子書籍のあたりを紹介します。<デジタル化の衝撃>p122~123より 2010年は電子書籍元年といわれた。ひとつのきっかけは、これまでデジタルコンテンツを専用に表示する専用端末の開発が進んだことであろう。この数年間に海外から相次いで開発された専用端末が日本に上陸してきた。またそれに対抗して国内のメーカーからも専用端末が開発されてきた。(中略) しかしこれまで本から受けてきた情報、つまり本の内容はもちろんのこと、それ以外にも視覚から嗅覚、触覚など人間の持つ感覚に直接訴えてくる存在感は、どのようにして引き継ぐことができるのであろうか。また紙面を見るのではなく画面を見るというこれまでにない情報発信のあり方が、これから先何年で普通のこととなるのであろうか。 まさに電子書籍の登場は、グーテンベルク以上の情報革命をもたらす原動力になる可能性を秘めている。それは同時に、情報を発信・配信する社会的システムも大きく変化し、それ以上に人間が失ってしまう感覚のほうが大きいのかもしれない。電子書籍については興味はあるが、わりと懐疑的なんですね・・・そのあたりについては電子書籍の正体にしたためています。【図説 本の歴史】樺山紘一著、河出書房新社、2011年刊<「BOOK」データベース>より石に刻み、木や葉に書くことから始まった。紙の発明、大印刷時代。デジタル化、本の未来形までを考える。【目次】1章 書物という仕組みは(本とはなんだろうー旅のはじめにあって/紙という舞台ーこの最強のメディア ほか)/2章 本が揺り籃から出る(アルファベットを書くー書体の工夫/漢字の書体 ほか)/3章 書物にみなぎる活気(グーテンベルクの存在/大印刷時代の展開 ほか)/4章 本の熟成した味わい(本は権利のかたまりー著者権と著作権/本の文明開化ー本木昌造と福沢諭吉 ほか)/5章 書物はどこへゆくか(神田神保町ーどっこいそれでも古本は生きている/デジタル化の衝撃 ほか)<大使寸評>本の歴史=知の歴史のような内容となっていて、画像も多くて充実した図説である。デジタル化の潮流にさらされる製本業界であるが・・・歴史上、長くアナログでやり過ごしてきた「紙の本」は、今後も生き残るような予感がするのです。rakuten図説 本の歴史この本は図説と銘打っているとおり、カラー画像満載であり、1項目を2ページで説明するスタイルが必用充分で読みやすいのです。なお、この本の「装丁」あたりの説明は、造本装丁コンクールで『gallay』が受賞で取り上げています。
2014.06.30
コメント(0)

図書館で、『愛と日本語の惑乱』という小説を借りたのです。日本語を題材にした小説といえば、水村美苗や筒井康隆あたりならあり得るだろうけど・・・清水さんで大丈夫?と危惧されるのです(笑)でもね、先日の日記『小説家になる方法』でも触れたように、清水さんのパスティーシュ路線なら、案外と読めるんですよ♪NHKの日本語委員会らしきものが登場するけど、経営委員会のような政治的なものは出てこないわけです。清水さんでは場違いになるもんね。この小説に出てくる事物が何を指しているか?を詮索するのも面白かったりして♪ではその、いけてるヵ所を紹介します。<第2章 バイバイ!尻ぬぐい>p53~55より その論理で、教授は次のような広告コピーにも腹を立てる。 「まだ、モバイってないの?」 モバイルという名詞はある。可動性の、という意味の英語だが、コンピュータ用語としては、オフィスや自宅以外の場所で、通信回線を用いてコンピュータを操作することを言う。だが、モバイルは片カナ4文字でそう書くところの名詞だ。モバイる、という動詞では断じてないのである。モバイルをモバイるにして、活用させて使うなんて犯罪的でむちゃくちゃだと教授は嘆きまくるのだった。 そして最後に、高田教授は言葉の意味を逆にしてしまう罪悪を語る。 このやり方のいちばんわかりやすい例が、「こだわる」という言葉だと教授は言う。「こだわる」とは、小さなことにとらわれる、つまらないことに気を奪われる、という意味であって、本来悪い意味の言葉である。「まだあんなことにこだわっているのか、小さい男だな」などと使うのが正しいのである。ところが最近では、何かに特別の思い入れがある。という意味に使われることも多くなっており、「私は道具にこだわるほうなんだ」というような言い方が出てきている。 そして、広告コピーに、 「男はこだわる」 というのがあることを教授は嘆くのだ。まるで自慢なことのように堂々とそう言われても、わかっている人には何をバカなこと言ってんの、ということなのだ。男ならば些事にはこだわらない、というのがまっとうな日本語だからだ。 だが、コピーの影響力は大きくて、だんだんと多くの人が、「こだわる」をいい意味に使いだす。そのように、日本語が壊れていくのだ。 そして高田教授が最後に取り上げる困ったコピーがこれである。 「バイバイ!尻ぬぐい」そういえば、大使は「こだわる」をいい意味に使っているが、これは本来は誤用だったんですね。近いうちに自費出版と夢想する大使にとって、出版社と摺り合せる次の章は参考になります。<第3章 東大出とビンボー症>p69~73より 初校ゲラというものを預って、この先1週間で著者校をしなければならないのだ。本を出版するには必ずしなければならない作業なのだ。 「そこで次に、いくつかある表現上の問題なのですが」 と言って宮本は、ゲラを手に取った。そのゲラには色つきの付箋が七夕飾りの短冊のようにいっぱいついていた。その付箋を頼りにあるページを開き、野田に見せる。 「ここに『看護婦がびっくりして』という文章がありますね。これ今は普通、看護師と言うことになっているんです」 ゲラの「看護婦」という部分から鉛筆で線が引いてあって、ページの余白に「看護師では?」と書いてあった。 「そうか、この頃は看護師っていうんだ。でも、まだ看護婦っていう言い方のほうがピンとくるよね」 「ですから、必ず直さなくちゃいけない、ということではないんです。たとえば70歳くらいの老人が、台詞の中で『看護婦を呼んでくれ』なんて言うんだったら、そこは看護婦のほうがリアリティがあるかもしれません。でもここは地の文ですし、今の普通の用語を使った方がいいのでは、という指摘です。どうしてもいやだ、ということなら、このママでもいいのですが」 「どうしてもいやだということはないけど」 「」 「」 「お願いします。それから、これはちょっと微妙な問題なんですが」 と言って宮本は次の付箋のページを開いた。 「ここに、『千葉の田舎者』という表現があります。これは少し差別的な表現ではなかろうか、ということを考えなければいけないんです」 「ああ…、田舎者という言い方がマズいわけですか」 「」 「」 「」 「」 宮本はそういうことを、泣き出さんばかりの苦しげな表情で言うのだった。この章では、病名や職業名を書くときには注意がいると校正のプロがおっしゃっています。勉強になるなぁ。(アルツハイマーとか、坊主とか床屋とかストレートに書くと、あまり良くないようです)このあと、名古屋発のパスティーシュ路線は、男女関係や芸能界ゴシップなどに突き進んでいきます。なかなか守備範囲が広くて・・・ええでぇ♪清水さんは、奇妙な響きの言葉を愛する主人公を設定しているが、このあたりに名古屋発の言語感覚が炸裂しているのかも♪【愛と日本語の惑乱】清水義範著、ベストセラーズ、2008年刊<「BOOK」データベース>より愛は言葉か、言葉が愛か?恋多き大女優と同棲するコピーライターが、失われつつある愛に惑乱し、奇妙な言語障害に陥っていく爆笑長編。<大使寸評>著者は日本語の乱れ方とか言語障害に注目しているのだが・・・こういうテーマに関しては、名古屋発のインスピレーションは快調です♪とにかく、日本語を題材にしてパスティーシュ小説を書ききる筆力を評価したいのです。rakuten愛と日本語の惑乱長かった下積み時代の修練が、今の作品に昇華されていることは喜ばしいことですね。もう「カスリの清水くん」とは呼ばせない、既に小説作家ですもんね。
2014.06.29
コメント(0)

今年の「造本装丁コンクール」の文部科学大臣賞には、青磁社の『gallay』が受賞したそうです。そして、この本はドイツで開催される「世界で最も美しい本コンクール」に出品される予定だそうです。フーン、画像ではあまりパッとしないが、実際に手にすると、手触りの良さなんかが分かるのかももしれませんね♪ところで今たまたま、『図説 本の歴史』という本を読んでいるのだが、この本から装丁のあたりを紹介します。<装丁の技>p74~75より 装丁とは、本の表紙を形成し、装飾を施してより美しい本にする様々な工夫のことと表現できるであろう。製本やブックデザインなどと混同して使われることも多いが、それぞれ異なるものである。 製本については別項で述べているが、手書きもしくは印刷された紙などの中身を、折りたたみ綴じ合わせて、本の形にするのに必要な加工方法である。またブックデザインとは、表紙から本文までの本の全体をとおして、読みやすく美しく見せるための数々の表現や工夫とでも表現できるだろう。 西洋で羊皮紙を使った写本が登場してからは、木の板を表紙に使用して製本をした。その板を芯材として皮やビロードなどで包み、本を貴重なものとして保護すると同時に、表紙には装飾を施したことが装丁の始まりである。 そもそも写本は、聖書などを僧侶などが手で書き写していたものである。そのため神のことばとしての聖書の表紙には、豪華な装飾を施した。本の表紙には、むやみに開かないように銅製や真ちゅう製の留め具が付けられ、図書館では盗難防止のために書見台に鎖でつなぐといった厳重な装丁本も登場した。 その後、羊皮紙に代わって紙が使用されるようになり、さらに15世紀中葉に活版印刷術が発明されると、本は大量に生産されるようになって、装丁の形態も変わってくる。(中略) 17世紀以降の装丁は、凝った意匠が施されていくが、産業革命など工業化が進むにつれて職人技の工芸的な装丁本は少なくなっていった。本が大衆のものとなった20世紀には、印刷などの製造工程で表現される表紙の姿が本の装丁となっている。 いわゆる和綴じ本の装丁は、西洋のものとは違って非常に質素である。手書き本ではなく、春日版や高野版のような中世の版本の表紙は、本文と同じ用紙を使い、その表に本のタイトルである外題を書きしるした簡単なものであった。それが江戸時代に入り、町人文化として盛んに版本が出版されるようになると、表紙の素材や表現が多様化していったのである。(中略) 現代の装丁家は、本の保護はもちろんだが、それ以上に、いかにその本の内容が表現されているか、書店で購買者の目を引くか、制約があるなかでも美しい本が作れるかといった条件を満たす装丁を心がけているようである。【図説 本の歴史】樺山紘一著、河出書房新社、2011年刊<「BOOK」データベース>より石に刻み、木や葉に書くことから始まった。紙の発明、大印刷時代。デジタル化、本の未来形までを考える。【目次】1章 書物という仕組みは(本とはなんだろうー旅のはじめにあって/紙という舞台ーこの最強のメディア ほか)/2章 本が揺り籃から出る(アルファベットを書くー書体の工夫/漢字の書体 ほか)/3章 書物にみなぎる活気(グーテンベルクの存在/大印刷時代の展開 ほか)/4章 本の熟成した味わい(本は権利のかたまりー著者権と著作権/本の文明開化ー本木昌造と福沢諭吉 ほか)/5章 書物はどこへゆくか(神田神保町ーどっこいそれでも古本は生きている/デジタル化の衝撃 ほか)<大使寸評>本の歴史=知の歴史のような内容となっていて、画像も多くて充実した図説である。デジタル化の潮流にさらされる製本業界であるが・・・歴史上、長くアナログでやり過ごしてきた「紙の本」は、今後も生き残るような予感がするのです。rakuten図説 本の歴史今流行りの電子書籍なるものを買ってみようとも思う大使であるが・・・やはり、アナログな紙の本に執着するような予感がするのです。紙の本に対する執着といえば・・・本に携わる職人たちに大使の偏執ぶりが、よく表れています♪
2014.06.29
コメント(0)

図書館で「藍布の源流(季刊銀花第126号)」という本を手にしたが・・・・この本を借りたわけは、モン族の民俗衣装の写真が素晴らしかったこともあるが、レポーターの文章も良かったわけです。特に「民族の矜持」という言葉には、しびれたのです。。(さまよえる少数民族でもあるモン族には、思い入れが深いのです。大使の場合)ということで、そのあたりを紹介します。<藍の人、藍の技>p5~12より 庭一面を彩る藍草は、触ればパリパリと音を立てるほどに命みなぎらせ、収穫の季節を待ちわびる。初夏7月、刈り取られた藍草はみごとな染料に生まれ変わるのだ。藍布の源流を求めて、ヴェトナムの中国国境の町サ・パへ、そして中国の絞りの里大理へと、1千キロを駆け抜けた。 たちこめた霧が薄れていく。深い霧の中に眠っていた山も田もゆっくりと目覚めの時を迎えていた。ハノイから車で8時間ほどでラオ・カイ、さらに峠を越えること1時間半、サ・パはホアン・リエン山脈の麓に位置する高原の町である。ムン・フォア川に沿って、モン族の村々が点々と見えてきた。春先の柔らかい陽光が谷を刻む田を次第に照らし、辺りを銀色の光で満たしていく。そろそろ野良仕事へ出かけていくところなのだろう、その光は畦道をたどる親子をも優しく包み込んでいった。 彼らは皆藍をまとう。それも黒々と染めた藍を。蛇や虫、山棲みの民にとって、さまざまな毒牙から身を守るためにも、藍なくして生きていくことはできなかった。藍は天からの賜物だった。 染めの季節にはまだ少し早いはずなのに、その家の庭先は一面の藍草でおおわれ、軒先に置かれた樽からは、もう藍のいい匂いがそこはかとなく漂っていた。 ふつふつとたぎる藍の花、その一粒一粒が、緑みがかっていたり、褐色を帯びていたり…みんな違う色。藍草は、一葉一葉の内に実に豊かな色合いを潜ませていたのだ。 1年がかりで糸を績み織り上げた大麻布を、母は大切そうに手に取るや、そっと藍をくぐらせていく。そのしぐさのたおやかさ。誰のものでもない、我が夫の、我が子の身を守る布への思いがにじむ。モン族の母たちはあたりまえのように藍を建て、染める。着古した衣も再度藍液に浸せば、新品同様の輝きを取り戻すのだった。家族の衣は母の手から生まれ、技は娘へとごく自然に伝えられていく。(中略) 織りためた布を染めるのは夏の仕事だ。初夏7月ごろ、根を残して刈り取った藍草を女たちは樽にぎっしり押し込み、水と灰汁、蒸留酒も少々加える。40度にも及ぶ日中の高温で藍は自然のままで醸され、三日もすればみごとな藍が建つのだった。 藍と大麻布は実に相性がいい。十回ほど染めれば充分な濃さが得られるし、摩擦に弱くけば立ちやすい繊維もしゃっきりと張りが出て強さも増した。サパの黒モン族より 表布の大麻は藍に染まりやすいから深い色に、裏の木綿は染まりにくいので水色、表裏の配色は心憎いばかりだ。女の衣装はキュロットスカートに脚伴、頭に筒状の帽子を頂く。男も女も子供も、民族の服をこんなに大事に着ているのは、アジアにあっても稀有なことだろう。 かつて中国に暮らしていたモン族は、いくたびも戦渦に巻き込まれ、この地へ移り住むようになった。他民族に迎合せず、独自の文化を守り貫いてきた誇り高き人々。彼らにとって衣装は他民族と分かつしるしであり、民族の矜持そのものだから。p18より 鍬や鋤を担いで、元気に山道を下ってきた一団。ハノイからラオ・カイに向かう途中、そしてサ・パ周辺でも、笑顔の彼らに遭遇した。ザオ族もまた藍を愛する藍の民だ。藍とは一つの植物名ではなく、青の成分インディカンを含むものの総称というが、ここでは琉球藍と同じ仲間、キツネノマゴ科の藍がよく育つ。 温暖で湿潤、紫外線が強いところと生育環境としては最適地だった。しかも、自然発酵建ての場合、温度が高いと発酵が進み茶色みを帯びてしまうし、逆に寒すぎても発色せずといささか気難しい。 標高二千メートル、高地ゆえに高温になりすぎず、かといって寒すぎず、麗しい藍が得られた。藍ははろばろと広がる空の色、稲穂を渡る風の色、健やかな暮らしの色だ。 袖は大麻、袖口は木綿・・・藍の濃淡を取り合わせた配色はみごとというほかはない。背は細密な織り模様。目の届かない背面だからこそ魔に見入られないように―めくらましだった。<大麻と藍と>p30~31より●ここは中国に接するヴェトナムの西北部、モン族の住むカット・カット村。共同の染め場ではなく、なんと、どの家にも必ず藍樽がある。藍は彼らの生活の必需品。藍の匂いを蛇や蛭は嫌い、近寄らない。山仕事、田畑仕事、彼らの家も山の中、虫よけの効果の高い藍は危険から身を守る生活の知恵である。服地は女性たちが自生の大麻を仕事の合間に、いえいえ、寸暇を惜しみ歩きながら糸を績み、農閑期に織ったものである。●この大麻の特徴は繊維がごわごわとして弾力性がなく、摩擦に弱く、けば立ちやすい。このように衣服素材としてあまり適しているとはいえないが、藍染めとはたいへん相性がいい。木綿なら30回、芋麻なら20回染を繰り返さなくては濃い藍色を得られないのが、大麻では10回ほどで濃い藍色に染めることができる。摩擦に弱く、けば立っても、再度藍樽に浸けて染めれば、糊づけしたかのように張りが出て艶が出る。洗濯して色あせた服も藍樽に浸し、いつも艶のある服を身につけている。<紀元前二千年の昔から>p52より●藍はインディゴともいう。インディゴは世界の藍の総称ともなっている、インド原産のマメ科の潅木で、このインド藍は紀元前二千年ごろより染料とされ、紀元前後には地中海沿岸に輸出されたと『エリュトラー海案内記』に記されている。インド藍は、沈殿法により泥状にしたものを煮つめて固形にし、保存、運搬に適している。●17世紀、ヨーロッパに藍がインドから染料として運ばれた時、人々はこれを鉱物だと思ったという。ヨーロッパで青く染めることができる染料は、藍の一種でウォードという染料があった。しかしそれは水色には染まるが濃紺に染めることは難しい。ところが、このインド藍は青を染めることができる成分のインディカンの含有量がたいへん多く、高い気温の中で発酵させ、さらにその藍を煮つめ、成分を凝縮して、固形物としている。そのためインド藍はとにかく少量で濃く染まり、澄んだ色で美しかった。●さて、藍といったりインディゴ、ウォードといった言葉が出てきたり、わかりにくい。要するに、藍とは、青、藍色に染めることのできる植物染料であり、植物の中でも、葉に、青に染めることが可能な成分、インディカンを持ったものをいう。<藍建ての発明>p53より●"藍建て"とは、青色の色素インディカンは採取して時間がたつと水に不溶性になるため、藍草を発酵させることにより色素を水に可溶性にし、それに灰汁を加え、染められる液を作ること。"藍建て"には、沈殿法とスクモ法の2種類の方法がある。 一つは、藍草を水に浸け発酵させ、藍色の成分を沈殿させる。この沈殿藍を乾燥させる代表がインド。ほかに、このような沈殿法により泥状のままで藍建てを行う所は、中国、ミャンマー、ラオス、ヴェトナム、インドネシア、沖縄、つまりアジアの広い地域で行われている。●江戸時代には、スクモ法の発達により日本中に紺屋ができ、蛇や蛭などの虫よけとして、また胃薬として、子供のあせも知らずとして、衣服、手拭いなどに染められた。実用的で美しい藍染めは庶民の衣服の主な染料であった。<模様に描かれた民族の物語>p54~55より●"藍"はジャパン・ブルーといわれるように、また、ラフカディオ・ハーンが日本を「青い屋根の下の家も小さく、青い着物を着て笑っている人々も小さい」と書いているように、私たち日本人にはたいへんなじみ深く、それゆえ藍は日本のものと思いやすい。しかし、藍は、アジアに、世界中にある。●さて、世界の藍の種類を見てみると、日本で現在作られているタデ科の蓼藍。マメ科のインド藍。同じくマメ科の、メキシコ、グアテマラなどの中米諸国、インドネシア、アフリカ中部などに生育している、南蛮こまつなぎ。 そして、沖縄、タイ、ミャンマー、中国の雲南、ヴェトナムなどに生育している、キツネノマゴ科の琉球藍。 ヨーロッパ地域、モンゴル、中国北部には、アブラナ科のウォード、他にガガイモ科、キョウチクトウ科など、世界中で藍は身近な青の染料として愛されている。●この藍染めは、織り上がった布を藍甕に浸けて青の生地に染める。しかし、後に、屋号や紋章を描く、染め抜くということを考えた。それには糊や蝋で防染する方法と、糸や紐で括り、絞りを行い防染する方法がある。 日本の浴衣、法被、印半纏、風呂敷などは糊で伏せて紋章や模様を染める。糊を置いたところは藍に浸けても染まらず、素の生地のまま白い。また後世になると抜染という方法も考えられた。●もう一つの防染、蝋防染、蝋で模様を描く方法は、インドネシアのバティックと、モン族、ザオ族などヴェトナムや中国の山岳部に住む少数民族の間で使われているロウケツ染め。モン族やザオ族は故郷を追われて移住しているため、衣服の模様には、昔住んでいた遠い故郷と勇敢であった祖先の話など、伝承説話が込められている。 山路、垣根、虎の爪、城壁、豊かな自然とお花畑。悲しく美しい模様を白で描いている。美しい藍の色に白で描かれた模様は清らかで、それは見事である。【藍布の源流(季刊銀花第126号)】季刊雑誌、文化出版局、2001年刊<文化出版局サイトの目次>より<特集>藍の人・藍の技 ヴェトナム、中国、日本藍布の源流──ヴェトナム「ハノイ」から中国「大理」まで一千キロを走る 5ヴェトナムへ藍の人に会いに行く 伊豆原月絵 30もっと自由に──布人たちの現在 作・新道弘之、青戸柚美江、尾白直子 33当代の紺屋さん繁盛記 48世界の藍、アジアの藍、日本の藍 52<大使寸評>モン族の民俗衣装の写真が素晴らしかったが・・・レポーターが発した「民族の矜持」という表現には、しびれたのです。。bunka藍布の源流(季刊銀花第126号)ところで、映画『グラントリノ』にも、モン族と漢族が出てくるが・・・この映画も、ある意味「民族の矜持」を描いていると、言えなくもないのです。
2014.06.28
コメント(0)

なんか、重い内容の本ばかり紹介して疲れたので、ここいらで閑話休題といきましょう♪それでは、名古屋の軽いノリで行ってみよう。『小説家になる方法』という本を、図書館で借りて読んだのです。この本のタイトルが、モロというか、マユツバというか・・・いかにも、著者の資質が表れているように思うわけです。 著者の清水さんは、西原理恵子と組んで文庫本を出したりしていて、その本からもユーモアの資質が感じられるのだが、次のくだりを読むと、なるほどと納得するわけです。p131~133 要するに、私には人間の営みを思いもかけない視点から見たり、裏返しにしてみたりして、意表を衝くおかしさを指摘する能力が、いつの間にか備わっていた。もともとの個性と、SFから学んだ思考法やユニークなユーモア精神から、人間を笑い、かつ愛する、というような異想の小説が書けるようになっていたのだ。 それが、私の書きたい小説だった。(中略) それにしても、自分のことはわからないものである。自分がどういう小説を書きたいのか、つまりそれは「自分とはどういう人間か」ということでもあるのだが、それを見つけるまでに、12年くらいの時間が必要だった。 もっとも、私の場合は見つけにくいのも無理はない、という事情もあった。なぜなら、私の書きたいものには前例がなかったからだ。まだ誰も書いていないものが、書きたかったのだから、それが何なのか、とても説明しにくかったのである。 パスティーシュというキャッチコピーをつけられた時、私はその言葉を知らなかった。つまり私は、私自身が名前を知らないものを書いたのだ。それでは、あらかじめ説明できないのも当然である。 しかし、名前がついてしまえばもう、それは私の手の中にしっかりと握られた。私の頭の中には、そういう小説でよければ、その材料はほとんど無尽蔵にあった。 『小説現代』に載せる3作目に、私は『蕎麦ときしめん』という小説を書いた。それは、イザヤ・ベンダサンの『日本人とユダヤ人』というベストセラー書をからかいたくて、発想したものだ。日本人は、外国人が日本の悪口を書き並べた本を、大喜びで読むという、とてもおかしい面がある。ちなみに、イザヤ・ベンダサンは、山本七平さんという日本人だが。 ならばと考え、東京から名古屋に転勤で来ている人が、名古屋人の悪口を書き並べる名古屋人論をやってみた。ギャグ満載のデタラメ名古屋人論である。 この小説が、思いがけないほど評判になった。【小説家になる方法】清水義範著、ビジネス社、2007年刊<おわりに>より小説家になりたいと希望している人のうち、実際になれる人の比率はどのくらいだろうか。それは調べようもないことだが、私の想像では、なりたいと一瞬でも思ったことのある人100人につき、なれる人が一人といったところではないだろうか。(中略)私は「書く仲間」を増やしたいのだ。そういう人は私と同類の、話の通じる人だと思うから。そんな思いを込めて、本書を書いた。さて、これを読んで本当に小説家になる人は、どれくらいいるだろうか。とても楽しみだ。<大使寸評>『SFマガジン』の新人発掘企画に応募し「カスリの清水くん」との異名を取った清水さんの著わした著書であるが…小説家未満時代の「汗と涙」を笑いにまぶして述懐しています。基本的には創作活動のススメが語られているわけで、たとえ小説家になれなくても、ブログを書く上でのヒントやノウハウが見つかることは、請け合いでしょうね♪amazon小説家になる方法
2014.06.27
コメント(0)

「ホワイトカラー・エグゼンプション」の怖さてったって、既に残業代ゼロの世界に浸っている人には…陳腐に聞こえるのです。でも、『超入門資本論』というサイトで、「ホワイトカラー・エグゼンプションの本当の怖さ」という記事が出て、気になったわけです。記事の一部を紹介します。6/24労働時間は増え、給料は下がる!?誰もが知っておくべき「ホワイトカラー・エグゼンプション」の本当の怖さより 先日、こんなニュースが流れました。 【厚生労働省は(5月)23日、高収入の専門職に限り、働く時間を自己裁量とする代わりに残業代の支払いなどの労働時間規制を適用しない「ホワイトカラー・エグゼンプション」を導入する方向で検討に入った。(産経新聞Webより)】 これは、要するに、特定のホワイトカラー人材には、残業代を支払わなくてもいいようにするという意味です。 金融機関のディーラーなど、労働時間を自分の裁量で決めやすい職種が「残業を払わなくていい対象」となる見通しです。 この制度は以前からも導入が検討され、その都度批判の対象になっていました。そして、このニュース発表後、また物議を醸しています。 田村憲久厚労相は記者会見で、「成果をはかり、効率的に働くことが、ワーク・ライフ・バランスの改善につながる」、という主旨のコメントをしています。 つまり、労働時間ではなく、成果で給料を払うことが、労働者のメリットになる、ということです。 たしかに、その側面はあるでしょうが、労働者から見たら「労働条件の改悪」であることは否めないでしょう。労働組合側も、労働時間が長くなるという強い懸念を出しています。 しかし、この制度で労働者が気をつけなければいけないのは、「長時間労働」だけではありません。今でも、まともに残業代を払っている企業は少数で、当たり前のように残業代なしの超長時間労働がまかり通っています。 そう考えると、「今と変わらない」とも思えます。しかし、今回の制度は、気をつけなければ新たに労働条件を悪くする可能性を孕んでいます。『資本論』を書いたカール・マルクスが、150年前に、すでにその危険性を指摘していました。 この制度では、労働者は、与えられた業務が終わるまで仕事をしなければいけません。つまり、仕事が終わらなければ給料を支払わなくていいということになり得ます。そのため、労働者に長時間労働を強いる制度と批判されているのでしょう。 しかし、さらに怖いことがあります。それは、成果が上がったかどうかは企業が恣意的に決めることができる、という点です。 マルクスは、その点を指摘していました。単に「残業代を払わなくてよくなったから、たくさん働かせちゃえ」では終わらず、労働者が生産した成果物も「質が悪い。基準未達。これでは50%の仕事をしたにすぎない。だから給料も50%しか払えない」などといって、給料自体を下げることができてしまうのです。(中略) 今回のホワイトカラー・エグゼンプションは、一部の職種に限られますが、今後、すべての正社員に適用するように検討されるでしょう。 この流れは必然ですし、企業が生き残っていくために、そしてその企業が労働者に働く場を提供するためにやむを得ない判断だと、個人的には感じています。厚生労働省の政策は、伝統的に企業寄りである。なぜそうなるのか?ということで、この記事を読んでみたわけだが・・・官僚のなかには、CIAの手先がいるんじゃないかと、毎度、不思議に思うのです(笑)(大使の思い過ごしなのか)ホワイトカラー・イグザンプションの再燃か?でも触れたが、今回のはなんか限りなくブラックな「スマートワーク」なるものが、組み込まれているようです。
2014.06.26
コメント(0)

日曜日の朝日新聞に読書欄があるので、ときどき切り取ってスクラップで残していたのだが、これを一歩進めて、無料デジタル版のデータで残すことにしたのです。・・・・で、今回のお奨めです。・素顔の孫文・だから日本はズレている 暇な大使は、日頃から図書館に通い、手当たりしだいに本を借りているのだが・・・更に新聞の読書欄にも目を通しているので、最近は若干、混乱気味になっております(笑)昨今、目が行く本は報道のせいもあり、どうしても、日中関係になってしまうな~。***************************************************************素顔の孫文より<歴史を動かした革命家の実像:角幡唯介(ノンフィクション作家・探検家) > 三民主義を掲げ、辛亥革命をリードした近代中国の国父孫文。日本の歴史の教科書にも威厳のある口ひげを蓄えて登場するこの偉人が、実は大言壮語ばかりする困った人物だったらしいというのは何かで読んだことはあったが、まさかこれほど際どい人物だとは思わなかった。 とにかく変わり身が早い。柔軟というよりむしろ無節操。状況によって提携相手を次々と変え、裏では借款との引き換えに革命後の租界割譲を密約するなど、裏切り者と言われても仕方がないことを平気でした。看板の三民主義も想像からはほど遠い。鼻につくほどの漢民族中心主義で、少数民族の自治を排し、人民を愚か者と決めつけ個人の自由を認めず、革命後の政体も軍部と行政府による独裁型を志向していたという。 自前の軍隊を持たず蜂起と敗走を繰り返し、流れ者のように日本に亡命を繰り返した姿を読むと、実務能力に乏しく周囲が見えていなかったとしか思えない。「革命だ! 革命だ!」と叫び続ける裸の王様を思い浮かべてしまう。申し訳ないが、革命家以外の職業は無理だったろう。 謎なのは彼がなぜ国父と呼ばれるほどの政治的権威を身につけたのかということだ。 何しろほとんど何も成功していない。辛亥革命勃発時も実は外遊中で、慌てて文無しで帰国し、後は俺に任せろと言わんばかりに他人が作った政権の上にチョコンと乗っかっただけらしい。一体何様ですか?と思うが、逆にそれができるのが偉大なところ。それぐらいの個性がないと中国のような大国の歴史を動かす星にはなれないのだ!とでも思うよりしょうがない。 筆者も指摘しているが孫文が志向した政治は現在の共産党政権によりかなり実現されている。歴史にイフは禁物だが、孫文がいなかったら今の中国は一体……という疑問はどうしても湧く。色々な意味で興味の尽きない傑物だ。横山宏章著、岩波書店、2014年刊 <「BOOK」データベース>より大言壮語するほら吹き「孫大砲」。共和革命を夢想し実践した孫文は、そう呼ばれた。建国の父という神壇から下ろして公私に亘る事績を追うと、失敗続きの革命にめげず人々を結集させる憎めないオーガナイザーの側面が浮かんでくる。彼が目指した民主・憲政構想とは何だったのか。その素顔を通し活写する型破りな評伝。<読む前の大使寸評>探検家の角幡唯介が書評を書くぐらいだから、国父と呼ばれる孫文の面白い世過ぎだったんでしょうね。孫大砲の法螺はどれだけ大きかったか・・・興味深いのである。rakutenいるだから日本はズレているより<おじさんのズレたしなめる:斎藤環(精神科医)> 著者は『絶望の国の幸福な若者たち』(講談社)で、惨めな弱者に成り果てたと思われていた現代の若者が、実は過去40年で最も生活満足度が高い若者でもあったというデータを紹介して話題となった。本人が弱冠20代ということもあって、当事者性のある若者論の語り手として人気がある。 本書で古市は、そんな「若者」の立場から、日本の「おじさん」のズレ方を目の細かいヤスリのような皮肉でたしなめる。「クールジャパン推進会議」やスマホ家電のズレ具合に突っ込みまくる章などは実に痛快だ。溜飲を下げたい若い世代と他人事のように説教されたい「おじさん」世代のニーズに、本書はみごとに答えている。 「社会学者としては掘り下げが甘い」「ズレた原因の解明がない」「朝井リョウへの謎のこだわりがうざい」などの不満もあろうが、エッセイ集として読めば新鮮な視点も多い。女子力の高い文体は親しみやすく、「コンサマトリー(自己充足的)」に「やさしい革命」を、という提案もなかなか素敵だ。 それだけに、皮肉の効いた未来予測、「2040年の日本」の姿は妙にリアルだ。ズレが放置された結果到来する、「幸福な階級社会」というディストピア。 ではそのズレをどうするか。本書では「おじさん」を「今いる場所を疑わなくなった」人とみなす。「おじさん」は、年齢や性別とは無関係に存在する。しかし、社会を変えるパワーを持っているのも彼らなのだ。 今やそんな「おじさん」に愛される識者の一人となった古市は、自らも彼らの仲間入りをしつつあることを自覚する。だからこそ「若者」の気持ちを忘れない「おじさん」として、ズレの橋渡しを担おうとするのだ。願わくはその困難な航海に幸多からんことを。 ◇古市憲寿著、新潮社、2014年刊 <「BOOK」データベース>よりリーダーなんていらないし、絆じゃ一つになれないし、ネットで世界は変わらないし、若者に革命は起こせない。迷走を続けるこの国を二十九歳の社会学者が冷静に分析。日本人が追い続ける「見果てぬ夢」の正体に迫る。【目次】「リーダー」なんていらない/「クール・ジャパン」を誰も知らない/「ポエム」じゃ国は変えられない/「テクノロジー」だけで未来は来ない/「ソーシャル」に期待しすぎるな/「就活カースト」からは逃れられない/「新社会人」の悪口を言うな/「ノマド」とはただの脱サラである/やっぱり「学歴」は大切だ/「若者」に社会は変えられない/闘わなくても「革命」は起こせる/このままでは「2040年の日本」はこうなる<読む前の大使寸評>斎藤環が古市憲寿のズレに注目しているが、団塊世代の「おじさん」として、それを見ているだけでは・・・あかんのやろな~。rakutenだから日本はズレている**************************************************************<asahi.comのインデックス>最新の書評を読むベストセラー解読売れてる本(新聞紙面のデジタル版はだいたい2~3日後にUPされています。)朝日デジタルの書評から42朝日デジタルの書評から(目録)
2014.06.25
コメント(0)

日曜日の朝日新聞に読書欄があるので、ときどき切り取ってスクラップで残していたのだが、これを一歩進めて、無料デジタル版のデータで残すことにしたのです。・・・・で、今回のお奨めです。・これを語りて日本人を戦慄せしめよ・なぜ八幡神社が日本でいちばん多いのかなんか、最近はやたら民俗学関連の本に目が向くが・・・自分のこの傾向はどのようにして生じたのか?やはり昨今の内憂外患がひき起こしたナショナリズムなんでしょうかね。***************************************************************これを語りて日本人を戦慄せしめよより<人間苦追う「経世済民」の人:赤坂真理(作家)> 経済効率が至上となったこの国で、忘れられたのは、「経済」というまさにその語が、「経世済民(世を経〈おさ〉め民を済〈すく〉う)」の略だったことではないだろうか? 法制局参事官として「経世済民」を考え挫折した柳田国男は、未だ近代化の及ばざる山と山里に出かけ、まったく新しい学問を日本に拓いた―民俗学。 本書の衝撃的なタイトルは、『遠野物語』の冒頭にある「これを語りて平地人を戦慄せしめよ」から来ている。一体、山に何を見たのか? 人里から追われ、飢餓線上をさまよう山人たち。彼らの生きる様を「偉大なる人間苦」と柳田は呼んだ。著者は「人類の生存に課せられた業のような重荷」ではないかと言う。そこにあるのは仏陀のような視点でありはしないか。 「経世済民」を離れて「経済(エコノミー)」となった活動は、獰猛で、私たちを呑み込み、その内にいるも苦、外れるは、さらに苦。今こそ柳田国男を読み、戦慄しつつ、未来を紡ぎなおす時ではないか。そう思う。 ◇山折哲雄著、新潮社、2014年刊 <「BOOK」データベース>より山に埋もれた人生を描いた代表作『遠野物語』が出されたのは明治末期。さらに『山の人生』では、山間部の壮絶な人間苦が描かれていた。小説という娯楽も広がり近代国家を謳歌する時代、柳田は文明から遠く離れた過酷な人生に目を向けていた。その半生を俯瞰し、民俗学という新しい学問を通して訴えたかったメッセージを探る今までにない柳田論。【目次】第1章 普遍化志向/第2章 平地人を戦慄せしめよ/第3章 偉大なる人間苦/第4章 折口信夫/第5章 二宮尊徳の思想/第6章 ジャーナリストの眼/第7章 「翁さび」の世界/終章 日本文化の源流<読む前の大使寸評>梅棹忠夫さんの著書を読んだりして民俗学に関心があるわけだが、柳田国男については、まだ手付かずです(梅棹忠夫は民族学だったか―笑)自宅には父が残した定本柳田国男集(全39巻)が飾ってあり、読書環境は申し分ないんですけどね。 山折哲雄も『遠野物語』や山人たちに注目しているので、まずこのあたりから手をつけようと思うわけです。rakutenこれを語りて日本人を戦慄せしめよこの本に触発されて柳田國男あれこれという頁を作りました。この本もそのなかに収めています。なぜ八幡神社が日本でいちばん多いのかより<謎だらけの神々の特異性を明らかにする:長薗安浩> 私が暮らす地区の氏神は、慶應大学三田校舎の東門脇にある春日神社だ。その神社の総本社が藤原氏の氏神、奈良の春日大社と知りつつ、私は毎年、初詣に出かける。おそらくは藤原氏の末裔が勧請したのだろう、このような分祀がくり返された結果、春日神社は全国に1,000社以上あるらしい。 神社本庁の「全国神社祭祀祭礼総合調査」によれば、全体で79,355社ある神社のうち、八幡信仰にかかわるものがもっとも多い。その数、7,817社。春日信仰の7倍強だ。ちなみに、2位は伊勢信仰の4,425社。これらの数字を比較するだけでも、八幡信仰の圧倒的な広がりがわかる。 しかし、『古事記』にも『日本書紀』にも登場しない、日本神話とは無縁の八幡神がどうしてこれほどまで信仰を集めてきたのか? 島田裕巳はタイトルどおりの疑問を解明しつつ、天神、稲荷、伊勢、出雲、熊野などの系統についても解説し、宗教としての神道の特異性も明らかにしていく。〈開祖もいなければ、教典も教義もない。当初は、神社の社殿さえ存在せず、神主という専門的な宗教家もいなかった〉 いわば、あれもこれも「ない宗教」が故にわかりにくく、初詣や七五三やお祓いなどで身近なはずなのに理解しにくい神道。その上、仏教が伝来してから明治になって禁止されるまでつづいた神仏習合の影響もあり、同じ神でも名称が変化してきた歴史もある。たとえば八幡神は弥勒菩薩と合体して、長らく八幡大菩薩と称されていた。 そしてさらに混乱するのは、八幡神がもともと新羅の神であった可能性が高いという点だ。渡来神ながら宇佐神宮に祀られ、弥勒ばかりか応神天皇とも習合して皇祖神にもなり、武神として武家が崇め、庶民にも広く信仰されてきた不思議。八幡神だけでなく、私たちの身近な神々は謎だらけだ。 灯台もと暗し。この本は日本の神々の足もとを照らす良きライトとなっている。 ◇島田裕巳著、幻冬舎、2013年刊 <「BOOK」データベース>より日本全国の神社の数は約8万社。初詣、宮参り、七五三、合格祈願、神前結婚…と日本人の生活とは切っても切り離せない。また伊勢神宮や出雲大社など有名神社でなくとも、多くの旅程には神社めぐりが組み込まれている。かように私たちは神社が大好きだが、そこで祀られる多種多様な神々について意外なほど知らないばかりか、そもそもなぜ神社に特定の神が祀られているかも謎だ。 数において上位の神社の中から11系統を選び出し、その祭神について個別に歴史と由緒、特徴、信仰の広がりを解説した画期的な書。<読む前の大使寸評>開祖もいなければ、教典も教義もない。当初は、神社の社殿さえ存在せず、神主という専門的な宗教家もいなかった・・・・限りなく無宗教で、習俗のようなものだったのか。この無宗教で八百万(やおよろず)というキーワードが、日本的なのかも。rakutenなぜ八幡神社が日本でいちばん多いのか**************************************************************<asahi.comのインデックス>最新の書評を読むベストセラー解読売れてる本(新聞紙面のデジタル版はだいたい2~3日後にUPされています。)朝日デジタルの書評から41朝日デジタルの書評から(目録)
2014.06.24
コメント(2)

マイケル・グリーン米戦略国際問題研究所副所長がインタビューで「領土奪還目的なら地域に武力容認論、日本も抑止に必要」と説いているので、紹介します。ウクライナやベトナム沖の領土問題に端を発し、むき出しの帝国主義が見られようになったが・・・新冷戦とも例えられる中華帝国の出現に対して、世界はどう対応するか問われているわけですね。有力なジャパン・ハンドラーズとして知られるマイケル・グリーン氏であるが・・・ワシントンの戦略専門家であるだけに、日本の味方として頼りきることはできないはずですね。(マイケル・グリーン米戦略国際問題研究所副所長へのインタビューを6/20デジタル朝日から転記しました) 日米中を含む、アジア太平洋の主要11カ国・地域の外交・安保専門家に実施したアンケートから、米国の「アジア回帰」(リバランス)に対する圧倒的支持と中国の孤立化がはっきりした。調査を主導した米有力シンクタンク、戦略国際問題研究所(CSIS)のマイケル・グリーン副所長にアジア太平洋のパワーバランスの変化を読み解いてもらった。Q:CSISアジア外交識者アンケートの結果、中国を除く調査対象国・地域の間では、米国の「アジア回帰」に対する支持が平均で約85%と、非常に高いことが分かりました。中国への懸念でしょうかA:そうだと思う。中国の要素がなければ、もっと低かっただろう。地域諸国は、米国がアジアで第1の大国でありつづけることを求めている。前回(2008~09年)の調査と、はっきり異なる点だ。 地域諸国は、米国に挑戦する大国がいなければ、米国が各国の文化や経済に影響力を及ぼそうとするのではないか、と懸念する。しかし、中国のような大国がいていろいろと強制してくると、米国について不満を言う余裕はなくなる。 目を見張るのは、米国の『アジア回帰』について、中国以外はいずれも『中国に対して敵対的だ』とは答えなかったことだ。中国にとって重要な教訓だ。Q:しかし、「今後10年後に経済的に最も重要な国はどこか」という質問に対して、「中国」と答えた人は各国・地域平均で56%。「米国」はその半分の28%でしたA:多くの国々にとって、対中貿易は対米貿易よりも早く増えていくという傾向を反映したものであって、(経済の)実態を示したものではないと思う。中国経済は今後、ますますグローバルな生産ネットワークや資金の流れに組み込まれていく。中国が独裁的な経済システムを構築できるということにはならない。 ■ ■Q:韓国や豪州といった中国をより重要なパートナーと見る国と、日本やインドなど米国を最重要視する国との間で二極化が進んでいますA:米国の同盟国が中国と経済関係を深めると同時に、米国と安全保障関係を深められるか、という問題を提起している。シンガポールのような通商国家は慣れているだろうが、韓国や豪州には新しいことだ。特に韓国だ。前回調査では中国との経済関係より中国の脅威に焦点を当てていた。それが今は親米ではあるものの、中国により温和な見方をしている。もう一つの違いは、日本に対してずっと否定的になったことだ。Q:韓国は、地域の権力構造が米中主導のいわゆる「G2」、あるいは二極支配に向けて変化していると見ているのではA:確かにそういう計算があると思う。韓国では米中の『新型大国関係』の議論をよく聞く。ジレンマが解消できるのだ。つまり一方で、李明博・前大統領時代に悪化した中国との関係を改善させ、同時に、米韓同盟を強化したいと考えている。 青瓦台(韓国大統領府)は、その両方を満足させるには日本との距離をさらに大きくとればよいと考えている。しかし米国が利益を損なうと思っていることに気づき、調整している。韓国の『対中傾斜』はすでにピークに達していて、徐々に解消されると思う。米国は日本に対しては歴史問題を慎重に扱い、関係を悪化させないでほしいと願っている。 ■ ■Q:他の多くの調査対象国と同様、日中ともに8割以上が、奪われた領土を取り返すためなら武力行使を支持すると答えましたA:日本の政策専門家たちが、武力の行使に極めて積極的なことは、注目すべきだ。抑止のために重要だ。この結果に東南アジア諸国の多くが強い警戒感を持つとは思わない。そもそもフィリピン、ベトナム、マレーシアは、日本に断固たる姿勢をとってほしいと思っているからだ。 歴史問題が軍事衝突の原因になりうるかという質問に対し、中国での『なると思う』という回答は、日本の約2倍あった。これは警戒を要する。Q:東アジアでの共同体構築に対する最大の障害は「領土問題の解決の失敗」という結果が出ましたA:5年前の前回調査では、共通の政治システムの不在や、経済発展の段階の違いが主要なもので、安全保障問題に焦点は当たっていなかった。要するに、中国が軍事力や経済力をテコにした強制力をより積極的に使うようになったということで、決定的な変化だ。Q:尖閣諸島問題をめぐっては、日中間で緊張が高まったままですA:安倍晋三氏が首相になる以前、日本の姿勢は非常に予測しにくかった。安倍首相はこの点、非常にはっきりしている。指導者の決意が決定的に重要だ。今、中国がベトナムにしかけているようなことを抑止するのは、まさに日本の首相の決意だからだ。しかし、それだけでは不十分だ。中国の戦略は日米の分断だからだ。その手法は、日本を挑発して過剰反応をさせ、米国に紛争に巻き込まれる不安を抱かせることだ。実際、中国は『安倍政権は危険だ』『米国は日本を封じ込めるべきだ』という説得工作を、ワシントンなどで盛んにしている。Q:効果は上がっていますかA:いや。それはオバマ大統領が訪日した際に、日米安保条約第5条が尖閣諸島にも適用されると発言したことで明らかだと思う。心配なのは、その大統領発言に中国が衝撃を受け、憤ったということだ。中国は対米説得工作が効果をあげていると誤解していた、ということだ。 ■ ■Q:米国の政策エリートが「民主主義」「人権」といった普遍的価値から離れる傾向が見えますA:世界全体が法の支配、民主主義の規範などを兼ね備え、米国と同じようになってほしいと考えていることに疑いはない。それが過去100年以上にわたり、米国のアジア政策の不可欠な要素となっている。ところが今回の調査では、こうした価値を広めることに対する支持が明確に落ちている。衝撃を感じた。Q:なぜでしょうA:複数の要素が作用していると思う。その第一は中東だ。アフガニスタンやイラクでの選挙や民主主義は成果をあげていない。『アラブの春』も結局大きな失望で終わった。中東での民主化プロセスは、どこでも悲惨な結果になった。米国が手を出せば常にやけどをした。第二の理由は、オバマ大統領がこの問題を話さないということだ。ライス大統領補佐官(国家安全保障担当)など政権の幹部も、アジアでの民主主義的価値の重要性について、クリントン元大統領やブッシュ前大統領のようには語らない。これは米国にとって非常に大きな戦略的死角、失敗だ。Q:価値外交と言えば、ロシアのウクライナ問題への対応をめぐって日米がギクシャクしています。米国は、日本が領土保全、内政不干渉といった原理原則を軽視して、ロシアとの外交関係維持を図ろうとしていると批判していますA:安倍政権だけでなく日本の政権はいずれも、石油や天然ガスを産出する国に対して制裁を科すことには消極的だ。ミャンマーやイランに対してもそうだった。しかし今回のケースでは、日本はG7(主要7カ国)と同調すべきだ。そうしないと東シナ海問題に悪い影響が出る。それにもしリスクを冒してまで日本がロシアとの関係維持に走ったとしても、日本が得られる利益は限られる。プーチン大統領は決して北方領土問題で譲歩をしたりはしない。むしろ旧ソ連を再建しようとしている。Q:日本政府の狙いは、中ロが一緒に日米に対抗する事態を防ごうということですA:それこそ単純な戦略思考だ。よく考えてほしい。ロシアと中国が接近するのは、お互いに都合が良いからにすぎない。しかし、いずれ中国はブレーキを踏む。プーチンの味方をすることで米国と対立するつもりはないからだ。一方、ロシアが中国と一緒に行動することにも限界がある。極東地域で中国の圧倒的に多い人口を恐れているからだ。Q:ウクライナ問題は東シナ海にどんな悪影響を及ぼすのですかA:まず、もしプーチンが西側諸国から有効な対抗措置を受けずに、この併合をやりおおせたら、中国が東シナ海や南シナ海で同じような戦術をとっても、ヨーロッパや米国は対抗措置をとらないかもしれない、世界規模での対応は期待できない、ということになる。もう一点は、もし日本が足並みを乱したら、米国が不満を抱くのを世界が見るということだ。中国に、日米同盟にくさびを打ち込む機会を与えることになる。 *マイケル・グリーン:米戦略国際問題研究所副所長 1961年生まれ。日米関係、アジア政策の専門家。ブッシュ政権の国家安全保障会議(NSC)でアジア上級部長。<取材を終えて> 米中は新冷戦に突入するのか――中国の先鋭化と、米国の対中批判の強化を受けて、最近、国際会議でよく出る質問だ。グリーン氏は、そう単純ではない地域の状況を最近の独自の調査結果を踏まえて説明した。その視野の先にあるのは、米国をハブ(拠点)とした新たな地域秩序の構築だ。日本も「しかける」のか、従属変数で終わるのか。それが問われている。(編集委員・加藤洋一)中国も怖いがイスラムのテロを呼び込むのも怖い。 集団的自衛権とは、アメリカの敵を、日本の敵にするようなものである。 そのあたりを天秤にかけるのが、真の安全保障ではないだろうか。もうひとりのジャパン・ハンドラーズとしてカート・キャンベル氏へのインタビューを・米の「アジア回帰」外交 2013.02.09に見てみましょう。変わるアジア太平洋2014.6.20
2014.06.23
コメント(0)

柳田國男の民俗学と柳宗悦の民藝運動を並立して語るという着想もいいけど・・・それをなぜ書きたいかと説明する「まえがき」がええでぇ♪著者自ら「学術研究ではないし、一般読者向けの紹介とかいったものではない」と断ったうえで、この本の生い立ちを述べています。<まえがき>より 柳田國男の民俗学と柳宗悦の民藝運動とは、二人の天分に従って大変異なる方法、手段、言葉遣いで展開されたのだが、それらを生み出し、成長させた土壌は同じひとつのものだ。二人は、そのことを充分に知っていながら、まるで疎遠な兄弟のように、互いにほとんど通い合うところがなかった。 論争も称賛も交し合うことがなかった。それほどに、二人の仕事は、歴史中の大きな困難を、それぞれの仕方で突き抜けたところにあって、説きがたい孤独な普遍性を帯びていたと思う。これまで彼らに向けられてきた崇拝、懐疑、揶揄、罵倒は、みなそのことを裏から示している。 私もこの本は、彼ら二人の仕事をして輪唱のように歌わせたい、という願望から書かれている。声質も音域も異なり、伴奏法もまったく異なる二人に、同じただひとつの曲を交互に歌わしてみたい、という願望である。(中略) そういうわけだから、これから私が書くことは、もとより学術研究ではないし、一般読者向けの紹介とかいったものではない。私は柳田と柳と、さらにこの二人をめぐる幾人かの人々の歌から注意深く採譜して、それらを繋ぎ合わせ、できれば自分なりの演奏をつくり出してみたいのである。そういうことが、できるかどうかはわからないが、この試みは、少なくとも私にとっては無上の喜びだ。それでよい。書く喜びが、最も深い動機でないような本を、私は結局のところ信用することができない。柳宋悦といえば李朝陶磁を連想するが・・・そのあたりについて紹介します。<柳宋悦が観たもの>p78~82より 柳が生まれ、育った明治後半の東京は、維新以来、「文明開化」と称してなだれ込んできた西洋の文物を、言わば内面化することに、多くの知的選良がしのぎを削って競い合った場所だった。柳は、まさしくそのような選良の一人として、自身の執筆活動を始めているのである。こうした柳に転機が訪れるのは、大正3年、彼が25歳の時だった。柳より5歳年上で、目下、西洋彫刻を学んでいる浅川伯教という青年が、当時は千葉県我孫子町にあった柳の自宅を訪ねてくる。 浅川伯教は、山梨県高根町で生まれ、明治45年に彫刻家、新海竹太郎の弟子となったが、同じ頃、甲府で朝鮮陶磁に出会い、強く惹かれるようになる。大正2年、伯教は、ついに朝鮮に渡り、朝鮮総督府山林課に勤めながら、朝鮮工芸を独自に研究し始める。翌3年、彼が我孫子の柳宅を訪ねたのは、そこにロダンのブロンズ彫刻があったからである。この彫刻は、雑誌『白樺』の「ロダン第70回誕生記念号」刊行に対するロダンの返礼として白樺派の同人に贈られたものだった。届けられた彫刻は、全部で3点あったが、そのうちひとつを、柳が自宅に預かっていた。伯教は、それを観るために、はるばる朝鮮から柳を訪ねてきたのである。しかし、その後、二人を生涯の盟友として結びつけたのは、ロダンの彫刻ではなく、伯教が手土産として持参した李朝白磁の安価な一個の壷だった。李朝染付草花文瓢型瓶(日本民藝館) 「瓢型瓶」と呼ばれるからには、この壷には、もう一段上に瓶が乗っていたのだろう。それが失われたまっまで、ただの壷として使われていた。朝鮮で日常品として使われていた古物の壷を、浅川伯教が現地で買い、初対面の柳宗悦に手土産として贈ったわけである。この贈り物こそは、昭和になって大きく展開される「民藝運動」の出発点になった。(中略) 柳は20歳の時、偶然通りかかった神田神保町の骨董店で、李朝の牡丹紋の壷をひとつ買っている。初めて買った器だった。学生が大枚3円をはたいて買ったと、後年柳は書いているが、それは、ほんとうに不思議な経験だったと言うほかはない。西洋近代への憧れで頭を一杯にしていた学習院高等科の学生が、なぜこの壷の、すでに半面は消えかかっている染付の味わいに強く惹かれたのか。柳が物を観る目の澄みきった天性は、いつも彼の知識、思惟、経験にはるかに先立っていた。浅川伯教が持ちこんだ草花文の瓢型壷は、さらに大きな倍音を響かせたに違いない。ふたつの李朝壷は共鳴し合い、柳が負った真の天分を、彼の心底から沸き上がらせた。(中略) 李朝陶磁は、その姿、焼肌、色合い、模様のいずれを取ってもまことに慎ましく、柔らかく、何か寂しい心持ちを与えるものでさえある。それらは、奔放で自由だが、内に沈み込んで、自足しているものでもある。そこに溢れる自然への謙譲は、喜びのある農の道徳から育ったものにほかならない。大陸から来る強大な明文明の圧力に対して、李朝の器こそは、守るべき朝鮮の心を、遂に、最後に、暮らしの道徳において守りきったとでもいうような佇まいを持つのである。【民俗と民芸】前田英樹著、講談社、2013年刊<内容紹介>より柳田國男の民俗学と柳宗悦の民藝運動―。異なる方法、言葉遣いで展開されたそれらを、成長させた土壌は同じひとつのものだ。それを本書で著者は“原理としての日本”とよぶ。時期を同じくしながら、交わることの少なかった二人の仕事によりそい、二人の輪唱に誘う力作。<大使寸評>柳田國男の民俗学と柳宗悦の民藝運動を並立して語るという着想もいいけど・・・それをなぜ書きたいかと説明する「まえがき」がええでぇ♪著者自ら「学術研究ではないし、一般読者向けの紹介とかいったものではない」と断ったうえで、この本の生い立ちを述べています。amazon民俗と民芸ところで、中朝の陶磁器をめぐって面白い論争があったので、茨木のり子著「ハングルへの旅」より紹介します。(蛇足かもしれないが)一年分のキムチや味噌を入れて、庭さきに置かれるトックという飴いろの甕も、作りは実に無雑作で、底が平らでないのか、がたぴしした姿で並べられている。大量生産である筈のこの甕も、整然とはしていない。 大小さまざまの甕が、いびつなんかどこ吹く風、というように庭さきや屋根や堀の上に泰然と鎮座し、ぴっちり蓋をかぶされ、おもいおもいの姿で陽を浴びて、中のものをゆっくり発酵させている図は、隣国ならではの安らかな風景である。 隙のある美しさ、欠けたるところのある良さ、を十分に享受できる資質を持った日本人が、いざ物を作ろうとすると、完璧志向があらわれる。シンメトリーが気にかかる。一部の隙もないものを作れなければ一人前の職人とはみなされない。 鑑賞と製作のこのアンバランスはおもしろい。ふしぎである。 いつか、中国の陶器を熱愛する友人に、「李朝のものがいいたって、中国の逸品に比べたらぜんぜん駄目。絶対にかないっこない」と挑まれ、中国の陶器をさほどいいと思ってない私は「中国の陶器は精巧だけれど、一部の隙もなくて、こちらがパーンとはねかえされるような硬さがある。見事ですね、で終わり。特に景徳鎮のものなんて厭じゃア」 とか言って、相手も負けてはいず、 「高麗磁器なんか、あなた、あれは金かくしの色よ」「冗談じゃありません!」 お互いに一歩も譲らず喧々諤々、言い争ったことがある。好みの問題ばかりはどうしようもないけれど。好みの問題はいかんともし難いが・・・このところの嫌中気分もあり、朝鮮の方に軍配が上がりますね♪
2014.06.22
コメント(2)

トマ・ピケティ教授がインタビューで「戦争がもたらした偶然の格差縮小、富の偏在再び進む」と説いているので、紹介します。 教授の新著『21世紀の資本論』が米国を中心にベストセラーとか・・・気になるのです。(トマ・ピケティ教授へのインタビューを6/14デジタル朝日から転記しました) 現代のマルクス。ロックスターのようなエコノミスト。そんなふうに突然もてはやされるようになった経済学者がいる。パリ経済学校のトマ・ピケティ教授。マルクスの「資本論」の向こうを張ったような名前の新著がこの春英訳されるや、米国を中心にベストセラーに。経済的不平等の拡大を悲観的に描いた彼は、どこに希望を見いだすのか。Q:経済的な不平等の拡大を論じた著書「21世紀の資本論」が大きな議論を巻き起こしています。世界の不平等問題で、何が起きているのでしょうかA:ここ数十年の間で、二つの非常に大きな変化が起きています。一つは米国でとくに目立つことですが、上級の企業幹部の収入が急上昇しています。米国では今、全所得の約50%が上位10%の人たちに渡っています。そして、もう一つの方がさらに重要ですが、生産設備や金融資産、不動産といった資産の蓄積が進んでいます。こうした資産が、その国の1年の経済活動を示す国内総生産(GDP)の何倍あるのかを見てください。1970年時点では、欧州では2~3倍でした。それが今は5~6倍になっており、国によっては6~7倍にもなっています。Q:資産の蓄積それじたいが悪いことなのでしょうかA:問題は、資産を所有している人の偏りが大きくなりがちで、親から子へと引き継がれてしまうことです。私は『世襲資本主義』への回帰と呼んでいます。第2次大戦後の1950年代~70年代の高度成長期は違いました。少なくともフランスでは、持っている資産ではなく、能力主義だけで差がつくような新しい社会になる、という希望がありました。しかしそれは、戦争で富が破壊されたからにすぎなかったのです。工場や建物が壊れ、インフレで金融資産も価値を失いました。しかも、それ以前の第1次大戦、大恐慌、そして第2次大戦にいたる期間に、民間貯蓄の多くが戦争に使われてしまい、資本の蓄積も難しかったのです。私たちは少しの間だけ、『資本家なき資本主義』という夢を見ることができたのです。それが今はどうかというと、例えば米経済誌フォーブスの世界長者番付を見てください。1987年から2013年までの期間、最上級の資産家たちは平均の3倍以上のペースで資産を増やしています。Q:どうして、そうした富だけが急速に増えるのでしょうA:一つの理由は、大きな資産を持つ人は高い収益が見込まれる投資ができる機会が多い、ということです。そしてもう一つの理由は、資産から得られる収益は経済成長率を上回る傾向がある、ということです。経済成長と収益が一致する理由はどこにもありません。産業革命より前の社会を考えてみてください。経済成長はゼロでも、地代は5%くらいあるのが普通でした。オースティンやバルザックなど、18~19世紀の小説を読めば分かります。そしてこの傾向は今も大きくは変わりません。市場経済が完璧に機能していたとしても、あてはまるのです。戦後しばらくの間だけ、成長率がきわめて高かったために資産の収益に接近しましたが、これは驚くべき偶然と言えるでしょう。 ■ ■Q:このまま不平等が進めば、貧富の差が激しかった第1次大戦前くらいまで拡大すると?A:分かりませんが、可能性はあると思います。資産の集中がどんどん進んでいく危険性は、深刻なものがあると思います。子どもが少なく、人口が増えない社会では、富の相続が大きな意味を持ってきます。人口減少が進むドイツ、イタリア、そして日本ではとくにそうでしょう。 不平等は、公共の利益にかなう限り受け入れてもいいと思います。それが経済成長をもたらし、すべての人の生活水準を良くするものである限りは。問題は、不平等が行きすぎることの悪影響です。政治的には、人々がグローバル化に背をむける危険性があります。国内的に問題を解決する手立てが見つけられないとき、人は非難する対象を外に探すものです。欧州の国でいえば、外国人労働者であったり、欧州連合(EU)やドイツであったり。それだけではなく、不平等が行きすぎれば、社会階層や職業などの間の流動性を小さくしてしまいます。すでに米国では、教育の機会は非常に不平等なものになっています。ハーバード大学の学生の親の収入を平均すると、上位2%の年収と同じだといいます。Q:では、不平等を小さくするには、どうすればいいのでしょうA:教育の機会を拡大することが最も重要ですが、それだけでは十分ではありません。収入と資産の両方に、額が大きいほど税率が高くなる累進課税をかける必要があります。100万ドル(1億200万円)の管理職の年収を10倍にしたところで、それほど業績が上がるわけではありません。最上級の収入の人に高い課税を求めることで、際限なく報酬が上昇するのを防ぐことができます。 資産への累進課税は、もっと重要です。多くの国で不動産に課税していますが、このやり方では、住宅ローンを抱えた人も、相続した人も同じ額を払わなければいけません。資産から負債を差し引いた純資産に累進課税をかければ、中間層の資産形成を促し、大金持ちへの資産の集中に制限を加えることができます。しかし、大金持ちは外国に逃げようとするかもしれません。国際的な協調が必要です。 ■ ■Q:国際的な累進課税ですか。何か夢物語のようですA:簡単ではありません。しかし、不可能かといえば不可能ではない。スイスの銀行は顧客の秘密を外に出さない制度を守ってきました。5年前には、これが崩れるとは誰も考えなかったでしょう。それこそ夢物語だった。でも、米国がスイスの銀行に制裁しようとしたら、スイスは突然政策を変更しました。Q:国際協調はどうしたらできるのでしょうか。G20(主要20カ国・地域首脳会議)で合意するとか?A:米国とEUの間で、貿易や投資の自由化のための話し合いがこれから進みます。このなかで、租税回避防止策や多国籍企業への課税など、税制の分野で協力できることはあると思います。資産を世界規模で把握することは、金融を規制するうえでも重要です。完璧な世界規模の課税制度をつくるか、さもなくば何もできないか、というオール・オア・ナッシングの進め方ではだめです。その中間に多くのやり方があります。一歩一歩前に進むべきです。Q:課税の累進性を強めると、比較的富裕な層の経済活動が鈍くなり、結果として経済成長を鈍化させませんかA:これは慎重に扱わなければいけない問題です。実利的に考えるべきです。すべては、どのような水準の収入や資産にどのような税率をかけるかに、かかっています。確かに年収20万ドル(2040万円)の人に80%の最高税率が課せられたら、やる気を失ってしまうでしょう。でも、年収100万ドルや500万ドルであれば大丈夫だと思います。資産への課税も同じです。巨額の資産があり、そこから年6~7%の収益を得ている人に1~2%の税金をかけることは大きな問題ではないでしょう。 ■ ■Q:著書は、米国でとくに読まれています。彼らは不平等が行きすぎたと感じているのでしょうかA:米国が不平等を気にしない国だと考えるのであれば、それは間違いです。長いあいだ、少なくとも白人にとっては米国は欧州よりも平等でした。100年前には、欧州のように不平等になったらどうしようと心配していたくらいです。第2次大戦の直後、連合国に占領された日本やドイツでは一時、所得税の最高税率が90%になりました。米国が日独のお金持ちを罰しようとしたのではなく、それがいい税制だと米国で考えられていたからでした。民主政治が金権政治になるのを防ぐ財政制度が必要だと、彼らは考えていたのです。しかし今日の米国では、不平等がどんどん進み、民主的制度への潜在的な脅威になっています。先日、米連邦最高裁が選挙向けの献金の上限を撤廃する判決を出しましたが、それを象徴しています。政治が少数のエリート層に握られてしまうことへの懸念が高まっています。 不平等はいまのところ、欧州や日本よりも米国で大きな問題になっています。オキュパイ・ウォールストリートの運動が、東京やEU本部のあるブリュッセルではなく、ニューヨークで起きたのは偶然ではありません。でも、長い目でみれば、これはグローバルな問題になりえるのです。 *トマ・ピケティ(Thomas Piketty):パリ経済学校教授 71年生まれ。米マサチューセッツ工科大助教授などを経て現職。仏社会党に近く12年の大統領選でもオランド氏を支持。<取材を終えて> ピケティ氏をパリに訪ねたのは、欧州議会選挙の2週間後だった。フランスでは、反移民を掲げる右翼・国民戦線(FN)が2大政党を押しのけて1位に。経済的な不満からグローバル化に背を向けてしまう懸念は、ここでは現実のものである。彼の処方箋に納得する人もしない人も、問題の存在に目をつぶることはできない。(編集委員・有田哲文)新しい資本論トマ・ピケティ2014.6.14
2014.06.21
コメント(2)

図書館で「Jブンガク」という本を借りたのだが、日本文学がアットランダムに面白くレポートされています。ロバート・キャンベルさんが、「Jブンガク」の楽しみを「はじめに」で述べているので、その一部を紹介します。<はじめに>より 日本文化と言えば誰もが思い浮かべがちな「わびさび」に対抗すべく、鮮やかなアクションシーンを並べたり、淡白な古典的「料理」志向と異なる近代的フード・フェティッシュを覗いてみたりと、見慣れない角度からお馴染みの日本的伝統と革新とを章立てのなかで照らし出してみた。 取り上げるラインナップもなかなか個性的で、誰もが知る天下の名作もあれば、「ん?」と首を傾けてしまうような、ふつうの文学講座ではお目にかかれない、あるいは学校の授業では学ばない隠れた傑作を次々に打ち出していった。 とにかく、この国の言語文化をふだんとは少し違う角度から見直し、魅力を再発見してもらおう、そういった気持ちを番組とテクストにこめてプランを立てたのである。(中略) では「ブンガク」とは?簡単にいうとこれも日本語そのもので「文学」を意味する。表記を漢字から片仮名にギアチェンジすることで、新しいテリトリーが視界に入ってきそうで、日常のなかで光を隠してきた小さな宝物に行き当たるのかもしれないと、そのようなことを考えつつ「片仮名」に変換した。そのじつ、日本語で言うところの「日本文学」も英語に直そうとすると"Japanese Literature"以外に表現のしようがないことに気づかされた。日本語のなかであれば、漢字も片仮名ももちろんOKだし、ローマ字が混入しても一向にかまわない。自在と言えば自在な言語である。このように、気づけばJブンガクのなかにW―つまりワールドの要素もいっぱい詰まっている。 Jから出かけてWに渡り、気が向いたときにJに戻ってくる。そんなブンガクの日々を送るのも、最高に愉しいことではないだろうか。それではまずオーソドックスに、日本的伝統を代表する作品として『枕草子』から、とっかかります。(橋本治の桃尻語訳もすごいが、表紙のイラストがすごい!)<21章『枕草子』>p97~99より 『枕草子』には今回の「うれしきもの」のように「~もの」を集めたり、あるいはおなじみの「春はあけぼの」のように「~は〇〇」というものを集めた章段がたくさんあり、それらは「類聚章段」と呼ばれている。 本章段では「うれしいもの」を次々と挙げていくが、これは清少納言とその周囲の人々、すなわち中宮定子とお付きの女房たちが形成するサロンの中で皆が思わず「こういうのってうれしいよね。あ、そうそう、それも・・・」と共感しあう、そんな雰囲気を反映していると言われる。 清少納言は和歌や漢詩文などに秀でた高い教養の持ち主で、その鋭い観察眼と高い文章力で書かれた本書は、当時の宮中の様子を物語る記録としても重要な価値を持っている。 The Pillow Book contains many list-like collections,based on particular topics or themes,such as the famous section starating with "as for springtime,the dawn" and the section introduced here about "happy things."Such a roster of"happy things"may in fact reflect the atmosphere of the salon assembled by Empress Teishi and her ladies-in-waiting,an environment in which participant chatted away about the things that bring happiness in everyday life. As such,The Pillow Book is a precious record of court life at the time, written with sharp observations and literary force by a woman highly educated in both Japanese and Chinese poetry. 遠き所はさらなり、同じ都のうちながらも隔たりて、身にやむごとなく思ふ人のなやむを聞きて、いかにいかにとおぼつかなき事を嘆くに、おこたりたるよし消息聞くもいとうれし。Then there's the pleasing moment when you've heard that someone who matters a lot to you and who's far from you ― perhaps in some distant place,or even simply eleswhere in the capital― has been taken ill,and you're worrying and wringing your hands over the uncertainty,when news arrives that the illness has taken a turn for the bettter.川上弘美の出世作「蛇を踏む」を初めて読むのだが・・・独特な怖さがありますね♪<36章「蛇を踏む」>p165~167より 仕事に行く途中で、蛇を踏んだ。「踏まれたらおしまいですね」。蛇は言って、50歳くらいの女性になった。帰ると部屋が片付いていて、蛇の女が座っている。わたしはあなたのお母さんよ、と言う彼女が作ったごはんを食べ、蛇は蛇に戻って寝た。こうしてヒワ子は蛇と暮らしはじめた。勤め先である数珠屋の主人は「追い出しなさいよ」と言うけれど、聞けば彼も奥さんについてきた蛇と、もう20年ばかり暮らしているそうだ。知り合いには蛇を妻にした住職がいて、世話女房だと褒めている。 若い女性の日常と非現実とがなだらかに連続する、不思議な空気の漂うせかい。蛇を何かの、たとえば規格化されたの寓意と読むのか、それともただ心地よい幻想に身をひたすのか。いろんな愉しみかたを与えてくれる、川上弘美の出世作である。Hiwako steps on a snake on her way to work."I'm done for if you step on me,"says the snake, then turns into a 50-year-old woman.When Hiwako returns home, she finds that the snake-woman has tidied up and made dinner, "I'm your mother,"the snake-woman explanes, then turnes back into a snke and goes to sleep.The man Hiwako works for at a Buddhist prayer bead store tells her to get rid of the snake, but he and his wife go on living with their own snake-woman for about twenty years. Does the snake symbolized model femininity or is this just a pleasurable fantasy? There are many ways to appreciate the book that made this author famous. 女に肩を叩かれた。振り向くと女は頬ずりをしかけてくる。女の頬はひやっこかった。愛玩動物を抱きしめているときのような、または大きなものにすっぽりと覆われているような、満ちた気持ちになった。女は頬ずりをしながら私に両腕を巻き付ける。巻かれた腕もひやっこく、女の指先は少し蛇に戻っているようでもある。蛇に戻っていたとしても、気味は悪くない。むしろ蛇であった方が心丈夫なのである。She tapped me on the shoulder. when I turned around to face her,she rubbed her sheek up against mine.Her cheek was cool. As sense of fullness came over me,like when you squeezed a pet tight or else get snugly wrapped up in something big.Nuzzling my cheek,she coiled her arms around me.They were cool too,and her fingers seemed to be turning serpentine agein.It didn't worry me when she turned back into a snake.I actually felt more secure with her that way.【Jブンガク】ロバート・キャンベル編、東京大学出版会、2010年刊<内容紹介>よりNHK教育テレビ「Jブンガク」が単行本になって登場! 清少納言から川上弘美まで、読んでおきたい日本の名作50編を厳選。時代背景やあらすじをおさえつつ、作品のワンシーンを原文と英訳で読みくらべる。英語的発想を学び、日本文学のおもしろさに出会いなおす。まったく新しい文学案内。<読む前の大使寸評>米語はあいかわらず、好きになれないが・・・ロバート・キャンベルさんの文章とパーソナリティがええで♪ということで借りたわけです。キャンベルさんは、1957年、ニューヨーク生まれ。ハーバード大学東アジア言語文化学科修了、現在は東京大学大学院総合文化研究科教授。専門は江戸時代から明治期の日本漢詩文。…バリバリの言語学の権威という側面を持つ人なんですね。お見それしました♪rakutenJブンガク
2014.06.20
コメント(2)

「なんどい ダボ!」神戸や摂津の住人にとって播州弁ですごまれたら・・・怖いでぇ。でも播州弁や河内弁は、けんかの時は断然優位に立つわけで・・・その口調を覚えておくべきかと思ったりする(笑)冗談はさておいて・・・最近、我が娘が播州人に嫁いだことや、このところの「軍師官兵衛」の放映に触発されて、播州が気になるのです。図書館で「播磨気質」という本を借りたのだが、播州が面白くレポートされています。<ダボ、ワレ・・・>p13より レシーバーの奥から、どすのきいた声が響く。ぶっきらぼうに「〇〇は何番どい?」。問い返す間もなく「ワレ、はよ調べんかい」の追い打ちだ。答えにまごつけば「オンドラ、ドアホ」ととどめの一撃をくらう。 聞きしにまさる播州弁の迫力だ。姫路電電局の番号案内「104」と「105」にかかる問い合わせ電話は1日2万本余り。そのうちの何本かは「理由もなくののしられる」という恐怖感を交換嬢に与えて切れる。「一生懸命調べているのに、親にも言われたことのないような言葉で口汚くののしられて・・・。よほど逃げて帰ろかと考えた」とは、但馬の浜坂から出てきて勤続27年というベテラン職員が語る初出勤の思い出だ。播州の中心地といえば姫路であり、姫路のシンボルと言えば姫路城となるのだが・・・・播州人はこの姫路城を誇りに思っているかといえば、この本の刊行時1989年は、そうでもなかったようです。<あてがいぶち>p29~31より 「せめて年1回でいい。気分を新たに登閣してもらえたら・・・」 姫路城管理事務所で、香山宏所長が嘆く。姫路市のシンボルであり、市民の心のふるさとであるはずの姫路城。その天守に市民がさっぱり登ってくれないというのだ。姫路青年会議所が58年(1983年)8月に行った調査では全登閣者のうち市民はわずか5.1%、年間登閣者約85万人からはじくと4万人余りに過ぎない。さんざんの数字だ。 登閣者だけではない。裏側の姫路公園は碁、将棋をする老人や散歩の親子連れがちらほら見られるだけ。同じ播州ながら、明石城の早朝体操、散策、スポーツなど市民あげてのフル活用ぶりとは対照的だ。 世界に誇る名城がたったの23円50銭―。明治新政府が出した廃城令に伴い姫路城が売りに出された時の落札値(明治十年)だ。米価に換算すると今の約20万円ぽっち。市民の反対運動も起こらなかった。後でことの重大さに気づいた陸軍省幹部が動き、すんでの所で命運を今日につないでいる。 対する明石城は市民運動に救われた。小学校建設用材に転用が決まったが“落城”寸前に地元藩士らが総決起し、現存する東西二櫓(やぐら)を守り抜いた。保存運動、現在の利用状況ともまさに市民の城である。 二つの城の間になぜこれほどの差が生じるのか―。播磨の民衆史などに健筆を振るう作家の寺林峻さんは「姫路城があてがいぶちの城だったからではないか」とみる。 確かに、池田一族が百万石の財力と威信をかけて築城した堅固な連立式天守閣は徳川政権の押し付け。豊臣方の本拠、大坂をにらみ、西国の外様諸侯を封じ込めるのが狙いだった。輝政の死後、池田家は転封され、代わって本多、松平、榊原、酒井など譜代大名が入国したが禄高は15万石程度。城は国力に不似合いの飾り物となり、藩主のめまぐるしい交代は領民から活力を奪っていった。 「播州は古くから権力にあらがった政治犯などが流されてきた地。長いものに巻かれることを潔しとしない気骨があった。が、“第二江戸城”に匹敵する巨大な城郭の出現で気力がなえ“寄らば大樹のかげ”というべき播磨気質ができてしまった」と寺林さん。 お上の意向に唯々諾々と従い、あてがいぶちで満足する気質を播州人に植えつけたとすれば、お城の罪は大きい。どんな時代であれ、権力や権威に抵抗し、反発する精神が独自の文化と創造性を生む源泉であったはずだからだ。 精神風土の甘さゆえの“あてがいぶち”はまだ続く。姫路を軍都に変えた第十師団も国からの授かりもの。鉄道誘致の夢破れた丹波・篠山町が起死回生策として町をあげて運動、歩兵70連隊誘致に成功したのとはまったく事情が異なっている。<前進基地>p55~56より 西日本一の豊かさを誇る播磨国は事が起きるたびに、外部の勢力から狙い撃ちされる。古代には朝鮮半島から渡来人が大量に入り、鎌倉政権誕生後には、いわゆる地頭として関東御家人が次々と入国。さらに南北朝の動乱期には、山陰、北陸諸国から悪党の群れがなだれ込み、そのまま居座った。その他、海を渡って上陸した四国人、明治維新後、職を求めて移住して来た西日本、九州人。播磨人は東西の血が色濃く混じり合い、類がないほどの混血民族と評判されるゆえんだ。 あとがきに、神戸新聞の播磨版に掲載されたこのシリーズの裏話が載っているけど、ええでぇ♪<あとがき>より 「播磨国の風俗は、知恵があって、しかも義理は知らない。親は子をだまし、子は親を欺く・・・」 「姫路人は利害関係に敏感で、自分本位の行動に走る。あるいは打算的な行動をとるため、諸集団の連帯性とか、統一性が持続しない」 いずれも、本書の中で幾度か引用した文章である。ご記憶の読者も多いだろう。というより、これだけ手ひどくやられては播州人の一員として記憶に残らざるを得ない。なぜ、我々はこれほどまでに悪しざまにののしられなければならないのか? 前者は江戸中期の「人国記」の記述。後者は昭和の時代に信金総合研究所がまとめた地域特性の研究報告書の一節だ。二つの文章の間には、ざっと250年の歳月がある。時代の流れを超えてなお、二つの播州人論は、なぜ、これほど似てしまうのだろう? 播州人を語るのに、悪口の例は事欠かない。既に本書で紹介したように、利己的、打算的、排他的・・・。あるいは、言葉が汚い、柄が悪い、気が荒い・・・。が、これらの言葉は、本当に播州人像を言い当てているのだろうか?よしんば思い当たるふしがあったとしても、それは播州人の本来の気質にゆえんするものなのか?企画「播磨気質」は、まさしくこうした疑問符の積み重ねから生まれたといえる。(中略) 全体を通じて、もっとも力を入れたのは「播州人よ、もっと自信を持とう!」「大国播磨の末裔として、胸を張って播州人と名乗ろうではないか!」という呼びかけである。その意味では、シリーズそのものが一種のキャンペーンであったと言えるが、実は第一部の掲載当初はビクビクものであった。「みな盗賊」「ダボ、ワレ」「あてがいぶち」「殿様商法」「腰くだけ」など刺激的な言葉の連続に「読者から反発の電話が殺到すのではないか」と本気で心配したものである。が、結果は予想に反して「なかなかおもしろい」「よう書けとる」との声をいただいた。連載途中には、播磨という地域の奥の深さ、とらえどころのない多様性に直面し、つい“腰くだけ”になりそうな時期もあったが、そんな時には「次のシリーズはまだか」「早く始めろ」と励ましの言葉まで数多く頂戴した。播磨の人々のおおらかさ、度量の広さのおかげで、完結できたようなものである。【播磨気質】神戸新聞社編、神戸新聞社、1989年刊<内容紹介>よりデータなし<大使寸評>「なんどい ダボ!」神戸や摂津の住人にとって播州弁ですごまれたら・・・怖いでぇ。rakuten播磨気質
2014.06.19
コメント(0)

今回借りた5冊です。だいたい支離滅裂に借りているけど、今回の傾向は、強いていえば、「ジャパン」でしょうか。<市立図書館>・ビゴーを読む・Jブンガク・播磨気質<大学図書館>・ブルーノ・タウトと建築・芸術・社会・民俗と民芸図書館で手当たり次第で本を探すのがわりと楽しいが・・・これが、図書館での正しい探し方ではないかと思ったりする(笑)*************************************************************【ビゴーを読む】清水勲編著、臨川書店、2014年刊<内容紹介>より歴史教科書の諷刺画で知られるフランス人画家ジョルジュ・フェルディナン・ビゴー Georges Ferdinand Bigot(1860-1927)は創作版画の分野でもその力量を存分に発揮している。本書では、来日前の作品から、日本滞在中に製作された刊行・未刊行を含む版画集の全点、そして帰国後の作品に至るまで、ビゴーが生涯で製作した版画作品のほぼ全点を図版・解説付きで紹介。三遊亭円朝、自由民権運動、成田・佐原街道を行く道中の風景など、ビゴーの版画作品には、明治黎明期を生きる人々の姿が克明に描き出されている。彼のまなざしを通して浮かび上がるものは何であるのか。長年ビゴー研究を続ける著者が読み解く。<大使寸評>明治期の日本の庶民を、ビゴーはこれだけ数多くリアルに描いたんですね♪200点ほどの版画に対して詳しい解説がついています。ビゴーは吉原にも足繁く通って、描いていたことが見てとれます。rakutenビゴーを読む【Jブンガク】ロバート・キャンベル編、東京大学出版会、2010年刊<内容紹介>よりNHK教育テレビ「Jブンガク」が単行本になって登場! 清少納言から川上弘美まで、読んでおきたい日本の名作50編を厳選。時代背景やあらすじをおさえつつ、作品のワンシーンを原文と英訳で読みくらべる。英語的発想を学び、日本文学のおもしろさに出会いなおす。まったく新しい文学案内。<読む前の大使寸評>米語はあいかわらず、好きになれないが・・・ロバート・キャンベルさんの文章とパーソナリティがええで♪ということで借りたわけです。キャンベルさんは、1957年、ニューヨーク生まれ。ハーバード大学東アジア言語文化学科修了、現在は東京大学大学院総合文化研究科教授。専門は江戸時代から明治期の日本漢詩文。…バリバリの言語学の権威という側面を持つ人なんですね。お見それしました♪rakutenJブンガクJブンガクbyドングリ【播磨気質】神戸新聞社編、神戸新聞総合出版センタ-、1988年刊<内容紹介>よりデータなし<大使寸評>「なんどい ダボ!」神戸や摂津の住人にとって播州弁ですごまれたら・・・怖いでぇ。rakuten播磨気質播磨気質byドングリ【ブルーノ・タウトと建築・芸術・社会】田中辰明著、東海大学出版部、2014年刊<内容紹介>よりベルリン、日本、トルコに残るブルーノ・タウトの全ての建築作品を眺めながら、タウトと二人の伴侶の関係、同じく建築家であった実弟マックス・タウトのことなど、これまでに知られていない事柄を紹介し、誤解されている事実をただし、その波乱に満ちた生涯を辿る。オールカラーのブルーノ・タウトの決定版。<大使寸評>彼の設計した集合住宅の機能性、色彩と桂離宮とでは、一見異質ではある。だけど、建築のプロとも言えるタウトから見れば、桂離宮に普遍的な美しさがあったということなんでしょうね。桂離宮大好き♪の大使は、建築写真満載のこの本に惹かれるわけです。rakutenブルーノ・タウトと建築・芸術・社会ブルーノ・タウトと建築・芸術・社会byドングリ【民俗と民芸】前田英樹著、講談社、2013年刊<内容紹介>より柳田國男の民俗学と柳宗悦の民藝運動―。異なる方法、言葉遣いで展開されたそれらを、成長させた土壌は同じひとつのものだ。それを本書で著者は“原理としての日本”とよぶ。時期を同じくしながら、交わることの少なかった二人の仕事によりそい、二人の輪唱に誘う力作。<大使寸評>追って記入amazon民俗と民芸*************************************************************とまあ・・・・抜き打ちのように、関心の切り口を残しておくことも自分史的には有意義ではないかと思ったわけです。図書館大好き63図書館大好き(目録)
2014.06.19
コメント(0)

大使の実例が示すように、パソコンがタブレットやスマホに置き換わりつつある昨今ですね。この本で言うところのパラダイムシフトなんでしょう。そのパラダイムシフトとして、インテルの判断ミスとサムスン電子の躍進が気になるわけです。そして、大使としてはとにかく日本製半導体の敗因を知りたいので「日本型モノづくりの敗北」という本を買ってきたわけです(笑)<インテル史上最大のミスジャッジ>p199~200より アップルは、初代「iPhone」用プロセッサの生産委託をインテルに打診した。その際、アップルは、それに一定の金額を払うが、その金額以上はびた一文も出す意志がないと伝えたという(ジョブスの言いそうなことだ)。 おそらくジョブスは、プロセッサ1個当り約10ドルとし、それ以上払わないと言ったのだろう。インテルは、これに基いて利益を出すにはどのくらい生産すればいいか、つまり「iPhone」がどのくらい売れるかを予想した。インテルは、まさか将来スマホの出荷台数がPCを超えるとは予測できなかった。したがって、1個約10ドルのプロセッサをつくっても利益は出ないと判断した。だからこそ、インテルCEOオッテリーニ氏は、アップルからの依頼を断ったのだろう。 しかし、蓋を開けてみれば、インテルの予測したコストは間違っていた。なぜならば、「iPhone」の生産量はあらゆる人が考えていた量の100倍だったからだ!<インテルの代わりにサムスン電子が受託>p200~201より ちなみに、インテルが断った「iPhone」用プロセッサは、韓国のサムスン電子が製造することになった。サムスン電子は、DRAMやNANDフラッシュメモリで世界シェア1位だが、メモリは好不況の波を受けやすいため、随分前からファンドリーに進出しようとしていたが、鳴かず飛ばずの状態が続いていた。 そんな時に「iPhone」用プロセッサを受託し、ファンドリービジネスを開花させ、その利益を享受することになった。「iPhone」効果で、ファンドリー部門では、サムスン電子はこの3年間で10位から3位に大躍進した。 さらに、「iPhone」用プロセッサの受託は、もっと大きな果実をもたらした。サムスン電子は、自他共に認める「ファーストフォロワー」、つまり模倣者である。その模倣者に、アップルは、スマホの付加価値の源泉ともいうべきプロセッサを製造委託したわけである。 現在、サムスン電子のスマホ「GALAXY」は、出荷台数で「iPhone」を抜いて世界一となり、同社の最も大きな収益源となっている。「GALAXY」の開発・製造に、「iPhone」用プロセッサ製造で知り得たノウハウが活かされていることは間違いない。 アップルとサムスン電子は、2012年以降、世界各国で、スマホに関する訴訟合戦を繰り広げている。これについては、アップルは墓穴を掘ったとしか言いようがない。パラダイムシフトの前兆を察知する感性も大事なんでしょうね(なーんちゃって)<パラダイムシフトの前には技術力は無力>p210~211より 1980年代半ばに世界シェア80%を占め、世界最高品質を誇り、産業のコメとまで言われた半導体メモリDRAMは、コンピュータ業界のパラダイムシフトに適応できず、破壊的に安く大量生産するサムスン電子によって駆逐され、撤退した。 1社だけ残った残ったエルピーダメモリは、日立が新技術の研究開発を行い、三菱がインテグレーション技術を担当し、NECが量産工場の生産技術に専念したら、世界最強のDRAMメーカーになったかもしれない。しかし、実際は「ほとんどNEC」になってしまい、PCの低価格化に伴ってDRAM1ドル時代を迎えていたにもかかわらず、従来の“こてこて”のプロセス技術から脱却することができず、倒産した。 DRAMから撤退した日本は、雑誌に煽られて確たる戦略もなくSOC(システムLSI)に舵を切った。ニッチな集合であるSOCに必要なことはマーケティングとシステム設計だったが、日本は30年以上前に形成された技術文化から何一つ変わろうとせず、上位発注者から言われた通りに、ひたすら高品質につくることだけに注力した結果、まったく利益が出ず、壊滅的状態に陥った。 かつて日本のお家芸だったテレビ産業では、モジュール部品の組み合わせでデジタルテレビが製造可能になったにもかかわらず、ほんのわずかの差の高画質にこだわり、しかも世界展開はほとんどできず、壊滅的状態になった。 1992年以降、世界半導体売上高1位の座に君臨し、PC用のプロセッサを独占し、世界最先端の半導体技術を開発し続けてきた米インテルは、PCがスマホに駆逐され始めたため、史上最大の危機に直面することになった。 こうしてみてくると、世界シェア1位、世界最高品質の製造技術、世界最高の高画質技術、世界最先端の技術を持っていても、パラダイムシフトの前にはまったく無力であることがわかる。 だからといって、技術開発を行うことが無意味だと言っているわけではない。世界のパラダイムが変化しているにもかかわらず、過去の成功体験に囚われ、それゆえ強いと思っている技術にしがみつき、自身が変わろうとしないことが問題なのだ。 日本が再起するためには、パラダイムシフトにうまく適応し、イノベーションを起こすような技術を開発し、製品をつくることが必要である。 このままでは、後口が悪いので、最後は湯之上さんの宣託を拝聴しましょう♪<あなたが世界をどう変えたいのか?>p247~249より エジソンがウォシュレットを発明できなかった理由は、自分のお尻を洗えないと言う不幸せを不幸せと思えなかったことにある。つまり、「お尻を洗うと気持ちがよいのではないか?」という問題を発明することができなかったからだ。 三宅氏によれば、新市場の創出には四つの制約条件がある。これを幸せの制約条件と呼んでいる。 ウォッシュレットの例でいえば、温水器やポンプなどの技術的制約がある。また、水洗トイレのための水道インフラや送電インフラなどの社会的制約もある。さらにモノを購買し維持するだけの経済的制約も存在する。 しかし、この三つの制約より重要なのが文化的制約だと結んでいる。なぜなら、「お尻を洗いたい」と思わなければ、たとえ全期3条件が満たされていても、ウォシュレットを使おうという気にはなれないからだ。 私は2007年に48日間かけて世界一周をしてみたが、日本以外にウォッシュレットが普及している国はなかった。中国やインドなどの新興諸国には経済的及び社会的制約があったかもしれない。しかし、欧米にはそのような制約はないはずだ。にもかかわらずウォシュレットがあまり普及していないということは、「お尻を洗いたい」という文化がないからに他ならない。 逆に言えば、「お尻を洗いたい」という文化が広まりさえすれば、ウォシュレットの普及は難しくない。ここに、日本の電機・半導体産業が新市場をつくり出すヒントがあるのではないだろうか? ビジネスをしたい国に行って、その国民目線で、その国民が幸せになるにはどんなモノやコトが有効か、そして、そのモノやコトはどうしたら受け入れられるかを探求し、考え、企画する。これが出発点ではないか?そうしてみて、模倣による解決策を考えるのである。 結局、新市場の創造とは、あなたが世界の何をどう変えたいかという信念ではないか?つまり、あなたがこの世界をどう理解し、何を変えたいと思い、自分に何ができるか、何を分担するかということだ。【日本型モノづくりの敗北】湯之上隆著、文藝春秋、2013年刊<「BOOK」データベース>より「日本の技術力は高い」-。世界では言われているが、なぜ半導体・電機業界が壊滅したのか?日立の技術者から学界に転じた著者が、零戦やサムスン、インテル等を例にとりながら日本の問題点を抉るとともに復活のための処方箋を提示する。<読む前の大使寸評>アップルとサムスン電子の製品をボイコットしている大使であるが・・・とにかく、日本製半導体の敗因を知りたいわけです。rakuten日本型モノづくりの敗北「技術者を盗む」というような大胆な発想が、孫子を産んだ大陸マインドであるが(笑)・・・わりと視野が狭いのが日本の経営者の弱点なんでしょうね。企業統合という官主導のわりと安易な方法で、この大陸マインドを蹴散らすことができるとは思えないけど、まあお手並み拝見というところでしょうか(弱気な大使でんがな)。日本型モノづくりの敗北(その1)タブレットを買った2014.04.05
2014.06.18
コメント(0)

岸元首相の“見果てぬ夢”を追うかのような安部さんの集団的自衛権であるが・・・・安部さんのやや古いパッション(というか危ういイリュージョン)を、司馬史観に照らしてみようと思うのです。父から引き継いだ1999年刊『司馬遼太郎が語る日本(未公開講演録愛憎版5)』というムック本の中から日露戦争あたりを読んでみます。<ロシアの内部事情で日本は助かった>p94~96より 普通、大会戦をするときには、予備軍というものを控えておかなければなりませんね。十万人を展開するとすれば、1万人、あるいは2万人ぐらいは司令部に控えておく必用がある。 ところが日本軍はこの予備兵力まで動員し、三つの大会戦をやっています。絹糸一筋を張りめぐらせるように、常に横一線に全兵力を展開した。 ロシア軍は遠くからこれを見ていまして、これは大軍だと勘違いをした。後ろに何万の予備軍がいるかもわからない、これは困ったと思って引き下がります。むろん、その間に激戦はありますが、常にロシア軍は日本軍が重大な手傷を負う前に引き下がってくれました。最後は奉天大会戦であり、ここでもロシアは引き下がってくれた。 日本軍は奉天の段階で勝つことは勝った。しかし、横一線の、いわば虚仮おどしが成功しての勝利です。この時点で優秀な将校も少なくなり、弾もほとんどなくなっていた。 しかし当時の日本の政府にはリアリズムがありました。こうなることはわかっていて、手を打っていた。 アメリカに調停をしてもらおうと、軍人もシビリアン(文官)も挙げてそのつもりでした。金子堅太郎というシビリアンがハーバード大学でセオドア・ルーズベルトと同級生なものですから、早くにアメリカに行っていました。ルーズベルトに戦争をうまく止めてもらった。 ルーズベルトはこれでノーベル賞をもらうんですけれども、ノーベル賞よりも何よりも、日本が生き返ったわけであります。 そしてロシアは、もっとやるぞという力を秘めてはいましたが、ロシア帝国は滅びかけていた。ソ連をつくったコミュニストの前の段階の人たちが非常に暴れておりまして、ひそかに日本はそういう人たちにお金を出していた。 当時、明石元二郎という大佐がヘリシンキあたりに行って、ロシアの革命党にずいぶんカネを出した。それがすべてはもちろんありませんが、内乱があり、ロシアも困っていた。 ロシアとしてもこれ以上戦争を続けていくとマイナスばかりだというので、兵を引いた。ですからロシアは決定的に負けたわけではない。ルーズベルトの仲裁がなければ、日本はおそらく滅んでいただろう。 ロシアの内部事情が悪化していたから日本は助かったのであり、元気いっぱいのロシアなら、滅んでいただろうと思います。 そういう認識があれば、日本は太平洋戦争をやらなかったでしょう。(中略) 日露戦争が終わったあと、日本は全部オープンにすべきでした。日露戦争はきわどかったんだ、もうあれ以上やったら負けていたんだと。 それはしませんでした。それどころか日露戦争が終わると、日本人は戦争が強いんだという神秘的な思想が独り歩きした。小学校でも盛んに教育が行われた。 そんなばかな教育は、例えば夏目漱石も受けたことがないし、正岡子規も受けたことがありません。日露戦争の軍人たちもそんな話は聞いたこともなかったと思います。 「日本軍は世界一強い」 とんでもない話ですね。 明治末年や大正時代に生まれた人たちから教育が始まった。私もその一人です。日本は強いと。そんなばかな国ですから、結果は皆さんご存じのとおりになりました。私も1945年の8月15日に、なんでこんなばかな国に生まれたんだろうと思いました。<比較を拒絶すると国を滅ぼすことに>p98より ノモンハン事件は昭和14年の出来事でした。日本軍の総司令官は、モスクワ駐在の武官をしていた。つまりソ連軍の実力をいちばんよく知っている人だったはずであり、日本の陸軍省や参謀本部にずいぶん報告したはずです。それが仕事なのですから。しかしどうも報告した気配もない。報告すると出世しなかったそうですな。 ソ連は往年のロシア軍ではないぞ、日露戦争のロシア軍ではないぞといって、きちっとした報告をした人が出世しない。中将になる人が少将で終わったそうです。比較をする人間を、軍はむしろ積極的に圧殺していったのです。 きょう申し上げたかったことは、防衛というものは、国家にとって第一に大切なことであると。しかし、日本の防衛というのは、歴史的にも現実的にも線を越えることが極めて難しい。 日本を防衛するためには、周辺の国を取ってそこに陣地をつくらなければ平和は保てないという考え方まで空想的に起こした人たちが、かつていた。 よその国にご迷惑をかけるというヒューマニズムの問題以前に、兵力が全く分散してしまいます。そんな防衛をしていたら、防衛になるはずもない。 当たり前のことであります。だから日本は、非常に聡明な人が防衛の基本線を考えねばならない国だということですね。 繰り返し言いますが、フランスの防衛はたやすい。伝統的にドイツが攻めてこないようにするだけでした。 イギリスは、全世界に情報を持っていて、ブリテン島が海に浮かんでいるというよりも、情報で浮かんでいる。 日本もそうあるべきなのに、比較の嫌いな、比較を拒絶した時代がありました。1945年よりも前の少なくとも20年間、比較嫌いの政治勢力が日本を支配していた。中国の脅威がこれだけ大きくなるとは、司馬さんの想定外なのかも知れないが(笑)・・・司馬さんが、日本の安全保障はどうあるべきかを語っているこのあたりの史観は、司馬史観というやや揶揄した言い方で聞き流すことはできないと、思うわけです。【司馬遼太郎が語る日本(未公開講演録愛憎版5)】ムック本、朝日新聞社、1999年刊<目次>よりロシアについて 防衛と日本史 総合雑誌の歴史 うその思想 医学の原点 建築について 土佐人の明晰さ 小説の衰弱 松尾芭蕉の感動と失望 私と八木一夫 発掘!司馬さんの青春時代の短編小説 特集「司馬遼太郎と台湾旅行」を語る会 グラビア 同行カメラマンが撮った司馬さん インタビュー 小説を書き始めた頃 司馬さんの習作を追いかけて 座談会 老台北、安野光雅さんが語った司馬さん<大使寸評>この本は父の蔵書を受け継ぐものですが・・・・古書なので、japanorderのデータです。japanorder司馬遼太郎が語る日本(未公開講演録愛憎版5)
2014.06.17
コメント(0)

太田秀樹さんがインタビューで「最後まで自宅で自分らしくある「天寿」を支える」と説いているので、紹介します。 この4月末に父を看取った大使なんですが、このインタビューには切実な関心があるわけです。介護施設や市民病院の皆さんにはお世話にになったと感謝しているのだが・・・でも何か釈然としない思いが残ったので、太田秀樹さんのご意見を拝聴する次第です。(太田秀樹さんへのインタビューを6/03デジタル朝日から転記しました) 病院中心の医療から、住み慣れた地域や在宅で支える体制への転換を政府は打ち出した。65歳以上の人が人口の30%を超え、団塊の世代が75歳以上になる「2025年問題」に対応する狙いだが、地域のかかりつけ医として在宅医療に取り組む医師の太田秀樹さんは病や死への向き合い方を見直すべき時期だと考えている。太田さんに聞いた。Q:20年余り前に、なぜ在宅医療を始めたのですか?A:それまでは、自分が働いていた大学病院は最高の医療を提供できる、最先端の医療は患者を幸せにできる、と信じていました。でも大学は研究をし、論文を書く場でもあります。患者第一ではないことも少なくないと感じました。たとえば、大腿骨骨折の手術をした90歳の人が、歩けるようになって退院しても、寝たきりになって病院に戻ってくる。転んだら困ると家で寝かせきりにされるからです。そういう患者はやがて床ずれができて、肺炎になって亡くなる、という経過をたどります。退院後の家庭での介護力や療養環境を考えずに病気だけを診た結果です。これでいいのかと漠然と疑問を抱いていました。 ちょうどそのころ、車いすの人たちから医師の同行がないと海外旅行に行かせてもらえないと頼まれ、ついて行きました。1991年です。車いすは医師として処方していたのですが、押したことがなかった。じゅうたんの上では車いすが進まない。その不便さに初めて気づきました。旅行中に一緒に酒を飲むと、『医者は都合のいい患者の都合のいい病気しか診ていない』などと医療への不信を語る本音が聞けました。ショックでしたが、よく考えると、そうだな、と。医師と患者が信頼関係を築ける医療はどうあるべきなのか。この旅行で感じたことや大学病院で感じていた疑問が、在宅医療を始めるきっかけになりました。Q:実際に始めてどうでしたか?A:経営は苦しかったが、楽しかった。何よりも患者さんが幸せそうでした。末期のがん患者でも表情が明るい。孫がそばにいて、ペットもいる。最期までたばこを吸いたいと言って吸っちゃう。同じことをしたら病院ではとんでもない患者と言われますが、おいしそうにたばこを吸い、家族に囲まれ笑顔も出る。いい表情をしているんです。自分もこういう最期を迎えたいと思いました。 診療所は午前は外来、午後は在宅診療です。最初は赤字で、ダメかなと思ったときもありました。94年に診療報酬が上がり、96年からは黒字に。いまでは診療所4カ所と訪問看護ステーション3カ所、介護老人保健施設などを運営しています。 ■ ■Q:日本では病院で亡くなる人が多いですよねA:8割が病院で亡くなります。がん患者の場合は9割。日本は病院死の割合がとても高い。米国はともに4割前後、オランダは全体の病院死が35%、がん患者は28%です。昔は日本でも自宅で亡くなるのがふつうでした。76年に、病院での死亡率が自宅での死亡率を上回ります。 僕の考察ですが、73年に政府の『1県1医大構想』が決まり、10年ほどで医師数は倍増します。臓器別や疾病別の専門医の増加につながりました。同じころ老人医療費が無料化されます。福祉政策が未整備で家族に重い介護負担がかかる状態だったこともあって、医学的に入院の必要がない高齢者の入院が増えます。CTの設置など医療の高度化も進み、何でも病院が解決してくれるという病院信仰が生まれた。風邪でも病院に行く人が増えました。Q:大きな病院に頼りたいという気持ちはわかりますA:一橋大教授の猪飼周平さんが著書『病院の世紀の理論』で書かれていますが、21世紀のいま、『病院の世紀』は終わりました。例えば、腎疾患の患者は尿毒症では死ななくなりましたが、治せないから透析し、移植をします。でも、遺伝子解析や人工臓器ができるようになっても、人は死ぬのです。もう医学の限界を認めなければなりません。 超高齢社会を迎えるにあたって、治せるものは病院で治すが、治せないものは治せないと、患者や家族、医療関係者を含めた社会全体が受け入れることが必要です。そうでないと、いつまでも病院で濃厚な医療をすることになる。必要なのは、1分でも1秒でも長く生きる長寿ではなく、天寿を支える医療です。 たとえば、最期のときに病院に運んで治療するのではなく、家族が休暇を取ってそばにいるという医療です。そのためには『死』を受け止める覚悟が必要です。少しでも長く生かそうと死のそのときまで点滴を続けることがありますが、点滴すればむくんで苦しくなる。しなければ眠るように安らかに旅立ちます。 うちの診療所ではこれまでに約2千人の在宅療養を支援し、約600人を自宅で見送りました。自宅でみとった患者さんの割合は開業した92年当時は20%でしたが、今は7割近い。昔は『家で死なれたら困る』『世間体が悪い』という人も多かったですが、最近は患者さんや家族の意識も変わってきたと感じます。 ■ ■Q:在宅医療は病院より質が低いと言う人もいますA:在宅でも、エコーやX線、外傷の縫合もできます。質をはかる尺度を『数値改善』に限れば、在宅の方が低いと言う人もいますが、生活の質を考えると、病院より質のいい医療をしています。たとえば、病院で放射線をあててがんの大きさが半分になっても、だるくて苦しくて寝たきりになった末に命を落とすのと、放射線治療をせずに自宅で緩和ケアをし、苦しくないようにして好きなものを食べて、家族と暮らすのとを比べてください。命は短いかもしれないけれど、後者の方が幸せじゃないですか。 もちろん、苦しくても、とにかく病院で治療を受けたいという人は病院に入院すればいい。けれど、天寿を受け入れ、安らかに自宅で死にたいという希望があっても、在宅医療を提供する態勢が整っておらず、その希望がかなえられないという、いまの状況が問題なのです。 肝臓がん末期のある男性患者は認知症があり、病院では縛られて暴れていました。80歳近い方でした。お迎えが近いと家に帰され、僕が在宅診療をしました。病院では酒は厳禁ですが、せっかく帰ったんだから楽しく生きた方がいいと、本人の希望で酒を飲み、たばこも吸いました。一時は自転車に乗り、簡単な大工仕事までするぐらい元気になりました。いつ亡くなってもおかしくないと言われて戻ってきたのに、亡くなるまで2年診ました。 『死んでも病院に行きたくない』という80代の男性が肺炎になったことがあります。酸素と抗生物質を与える治療法は病院でも在宅でも同じです。違いは、看護師がそばにいるかどうか。たぶんこの方は病院に行けば、夜中に騒ぐ。そうすると縛られて、食事はチューブになり、寝たきりになってしまうだろう、と思いました。認知症も進むかもしれません。病院に行けば、肺炎を治しやすいかもしれないけれど、この人らしくなくなってしまう。訪問看護師や家族などと話し合い、自宅で治療しました。在宅医療は、患者さんの『生きざま』を認め、それを支える医療なのです。 言い忘れましたが、在宅医療の主役は訪問看護師です。医師は病態を判断し、指示し、責任をとる。医師は病気を治すことを最優先にしますが、看護師は、治す、いたわる、癒やすという、三つの支え方が得意です。さまざまな形で支える医療が生活の場では重要です。 ■ ■Q:在宅医療は、増え続ける医療費を減らし、安上がりにするためだ、と言う人もいますA:患者の生きざまを支える在宅医療は無駄な医療をしないので、結果的にコストは下がる。末期のがん患者に高額な化学療法をしなければ、安上がりになります。でも、コストの問題はあくまで結果です。 在宅医療は、入院の受け皿ではなく、外来の延長線上にあります。外来に来られなくなったから在宅で診療をする、ということです。病院は行って帰ってくるところ。行ったままにならないことが大切です。 医学が進んでも病院がすべてを解決することはできません。高齢化が進むと、医療が逆に状況を複雑にすることも多い。骨折手術で入院して認知症や寝たきりになったり、肺炎で入院して胃ろうをつくられ、口から食べられなくなったり……。 高齢者が入院すると、のみ込むと危険だと入れ歯を外されることがあります。退院するときに入れ歯が合わなくなると、食べられなくなってしまうのです。医療に支配された生活は不幸です。人はみな年をとる。足腰が弱ると、通院しにくくなります。病院はその虚弱な、要介護の高齢者が抱える心身の問題を解決する場所ではありません。虚弱な高齢者を支えるのは、生活の場や地域で行われる医療であり、介護です。 人は必ず死にます。それを受け入れなくてはなりません。それが、いまの医療の課題です。最期をどう迎えたいのか、私たち一人一人が考えなくてはいけないと思います。 (聞き手 編集委員・大久保真紀) * 太田秀樹:全国在宅療養支援診療所連絡会事務局長 53年、奈良市生まれ。栃木県の自治医科大学大学院修了。同大整形外科の医局長を経て、92年から同県小山市で在宅医療に取り組む。(インタビュー)在宅医療で見えたもの太田秀樹ところで、今日は娘の結婚式の後、有馬で一泊します♪ホテルのWI-FIでレポートできるかも。
2014.06.16
コメント(2)

ブルーノ・タウトと言えば、桂離宮を評価したドイツ人の建築家であり、彼の設計した集合住宅の機能性、色彩と桂離宮とでは、一見異質ではある。だけど、建築のプロとも言えるタウトから見れば、桂離宮に普遍的な美しさがあったということなんでしょうね。桂離宮大好き♪の大使は、建築写真満載のこの『ブルーノ・タウトと建築・芸術・社会』という本に惹かれるわけです。この本から気になるヵ所を紹介します。<はじめに>より ブルーノ・タウトという名前はドイツ人の建築家というよりも、『日本美の再発見』(岩波新書)の著者として日本人には知られている。この本を読むと翻訳者篠田英雄先生の名訳を通じてタウトという人が如何に哲学的に物事を考え、捉え、活動したかが読者に伝わってくる。言葉の一つひとつが詩的であり、哲学的である。というと近寄りがたい人物であったのではないかとも考えられるが、実際はそうでもない。来日に際してはエリカという婦人を同伴して敦賀に上陸している。その後もエリカをタウト夫人ということで通している。しかし実際には熱烈な恋愛の末結ばれた正妻が離婚もせずドイツに残っていた。このような面もある人物である。 (中略) ブルーノ・タウトは来日し、宮廷文化である桂離宮、また代表的な神道建築である伊勢神宮を激賞した。これは当時太平洋戦争に突入しようとしていたわが国にとっては非常に好都合なことであった。国粋主義の高揚に役立ち、西欧人には文化的にも技術的にも劣等感を持っていた当時の日本人に自信と誇りをもたらせた。そのことから大政翼賛会からの出版物にもブルーノ・タウトは紹介され、高く評価された。またタウトの著作は文部省の推薦図書となり、多くの読者を得た。しかし実はブルーノ・タウトは生涯を通じ戦争反対者、平和主義者でかつ社会主義者であった。これは東海大学創立者松前重義先生の思想と合致するところであり、東海大学出版会から出版のお誘いを受けたひとつの理由である。桂離宮を評価したタウトは、『徒然草』『方丈記』まで読んだそうだから・・・日本を深く理解していたのかも知れません。 <タウトの来日>p180~184より 来日の翌日上野夫妻の案内で桂離宮を訪れている。日本の素材を十分に生かし、かつ簡潔な建物と庭園からなる空間が、自然と人間との調和をはかりつつ、かつ京都という伝統ある都市の景観とよく融合していることに感動する。「涙が出るほど嬉しい」とも日記に書き「今日はおそらく私の一生の内でもっとも善美な誕生日であったろう」とも記している。 さらに伊勢神宮、大徳寺、飛騨白川の合掌造りの民家などに直接触れてその感を深めた。日本の伝統的建築、ひいては日本文化の本質に触れ、かつそれを正しく取得している。タウトの興味の対象は単に建築ばかりでなく、民芸、キモノ、焼き物、香、生け花、文学、造園、日本の自然、と非常に広い。また自らの講演をもとに著述にも励み『ニッポン』『日本文化の再発見』『日本文化私観』『日本・タウトの日記』などを著わし、日本人に自信と感銘を与えた。ちょうど日本が太平洋戦争に突入しようという時代に日本文化を外国人によって褒められるというのは当時の日本政府にとっても具合のよいことであったに違いない。 タウトの作品は文部省推薦図書となり、当時多くの国民がこれを読んだ。しかし、読者の多くはタウトの本職が建築家であったことを知らなかった場合も多い。単なる文化評論家くらいに考えていた同胞も多いはずである。しかしタウトはきわめて短い1920年代に1万2000戸もの集合住宅をベルリンに完成させた、れっきとした建築家であった。ドイツでは想像もつかないハードなスケジュールをこなしてきた人であった。 第一次世界大戦後の世界的不況により、日本の農村は荒廃が深刻であった。これを克服するために、地方では農村の振興が急務であった。タウトはまず仙台の商工省工芸指導所で工芸の指導にあたった。これは1933年9月に東京の三越で商工省工芸指導所の展覧会を見学したことが契機となっている。工芸指導所の国井喜太郎所長に批評を語ったことがきっかけで、顧問として働くこととなった。(中略) タウトは高崎郊外の少林山達磨寺の洗心亭に住み、工芸品制作の指導にあたった。1934年8月1日にタウトが洗心亭に住むようになって、1936年10月日本を去るまで、ここを拠点として仕事をした。少林山は、タウトが青春時代を過ごしたコリーンと似ているという。時々コリーンを想いつつ、ここで日本文化に関する書籍を読み、また多数の著述を行った。建築設計や大学で教えるといった職はなかったが、タウトにとっては思いがけない貴重な時間をここで過ごすことができたのである。この時間をタウトは自嘲気味に「建築家の休日」と呼んでいる。 タウトは『徒然草』を英訳本で読んでいる。洗心亭の生活をすっかり気に入り、日本文化に関する多くの本を読み、またここで著述が行われたのである。鴨長明の『方丈記』を読んでは、鴨長明の庵がわずか一丈しかないことに「私の洗心亭の方が少し広い」と書いている。(中略) 時局は戦時色を強め、タウトとエリカにとって居心地はよくなくなってきた。工芸品製造に必用な材料は軍需に回され、工芸研究も軍事研究のほうが優先された。工芸に関わる職人も兵役に就いた。こういうときにトルコからインスタンブール芸術アカデミー教授の口がかかり、愛した洗心亭、広瀬住職一家、八幡村と涙の別れをすることになる。【ブルーノ・タウトと建築・芸術・社会】田中辰明著、東海大学出版部、2014年刊<内容紹介>よりベルリン、日本、トルコに残るブルーノ・タウトの全ての建築作品を眺めながら、タウトと二人の伴侶の関係、同じく建築家であった実弟マックス・タウトのことなど、これまでに知られていない事柄を紹介し、誤解されている事実をただし、その波乱に満ちた生涯を辿る。オールカラーのブルーノ・タウトの決定版。<大使寸評>彼の設計した集合住宅の機能性、色彩と桂離宮とでは、一見異質ではある。だけど、建築のプロとも言えるタウトから見れば、桂離宮に普遍的な美しさがあったということなんでしょうね。桂離宮大好き♪の大使は、建築写真満載のこの本に惹かれるわけです。rakutenブルーノ・タウトと建築・芸術・社会
2014.06.15
コメント(0)

G7の場で、安部さんが中国の無法な行動について批判したが・・・・良い悪いは別にして、安部さんは日米同盟をバックにしているわけです。昨今のきな臭い情勢もあり・・・2009年に刊行された『日米同盟の正体』という本を再読しているのだが、4年を経て時代がこの本に追いついた感があるのです。著者の孫崎さんが、この本の最終章「日本の進むべき道」で、卓見を述べているので、その一部を紹介します。<日本独自の道を再評価する必要性>よりp248~250 戦後の日本は、自らの選択ではなかったが、軍事を捨て経済に特化するというモデルを採用した。結果として、グローバリズムが深化し、経済の相互依存性が高まる中で、この行き方が自国の安全を確保する手段となっている。これはキッシンジャーなどが予想しなかった安全保障政策である。 振り返ってみると、戦後日本は国家の行き方として新しいモデルを構築した。そして日本は自己の経済力を高めるにつれ、外交を活発化させた。その中で自己のモデルを他国に押し付けてはいない。しかし、日本と同じモデルを志向するなら、その自助努力を支援する態勢をとった。恵みではない。支援である。 今日、日本くらい、国内秩序が優れた国は世界中にほとんどない。昭和30年代(1950年代後半~60年代前半)の日本は、経済成長の過程で、鉄鋼や自動車など重要産業分野で国際水準に追いつく努力をする一方、弱者を国際的にも国内的にも見捨てなかった。 国内では、地方、農村、中小企業等弱者支援のシステムを作った。国際的には、円借款で発展途上国が自ら立ち上がるのを助けた。1960年前後、日本は自分自身が苦しい中、懸命に弱者の国を救うシステムを作った。(中略) 1981年、アラファトPLO議長を国賓待遇で最初に招待したのは日本である。国際的非難の中にあるカンボジアやミャンマーにも支援の手を差しのべた。 1989年の天安門事件後、G7で閣僚級の中国への親善訪問を禁止した時、親善ではなく交渉であるとして、G7の閣僚で最初に中国を訪問したのは橋本龍太郎蔵相(当時)である。93年にはイスラム原理主義の国家として警戒されていたイランに円借款を供与した。 かつての日本外交は、悪と判断された国も切り捨てるのでなく、西側の価値観を共有できる国へ誘導することを目指した。この努力は今日の日本に対する好意的視線を形成する上で貢献した。 支援の中核となる円借款の貴重な資金源は郵便貯金であった。しかし、日本は郵政を民営化した。地方、農村、中小企業の弱者支援のシステムは今後崩壊してゆく。われわれは本当に弱者救済のシステムを捨てなければならなかったのであろうか。将来、弱者切捨ては社会不安として必ず反動が出てくるだろう。 過去の日本的行き方は国際的にも評価されてきた。世界で最も望ましいと見られる行き方かもしれない。日本が持つ日本的なものの価値を見直してもよいのではないか。 日本への好感度は国の安全保障分野に影響を与えるのみではない。敗戦後、日本に対する政治的評価の厳しい時代、国際社会に出て行った人は、日本の否定的イメージを背負い苦労した。今日、日本人は海外での商談や安全面や個人的つきあいで、日本の好感度の恩恵をいかに受けているか。逆に、日本以外の国民で自国ブランドの評価が低いため、不当に扱われたと嘆く人は多い。個人や企業は、各々の資質や能力を超えて得る日本というプラス・イメージの価値を理解し、その育成に積極的になっていいのではないか。外務官僚だった孫崎さんだから、古巣の政策を肯定する気持ちが含まれているかも知れないけど・・・まあ、卓見だと思ったわけです。なお、次のくだりに日米同盟の本質が表れているかも知れないですね。<日本はなぜ核抑止力を考えてこなかったか>よりp219~222 日本の隣国、ロシアと中国は核保有国である。さらに北朝鮮は核保有国への道を進んでいる。この状況を考えれば、論理的には、日本で核問題を議論するのは当然である。 第二次大戦以降の基本軍事戦略は、相手国が武力攻撃を行わない最終的担保は、攻撃する国に攻撃以上の被害を与えることとしている。この点に議論の余地はない。では日本はなぜこの基本戦略に基き、核兵器保有問題を議論してこなかったのであろうか。 一つに日本の被爆国としての特異性がある。「ノー・モア・ヒロシマ」は国民一体の強い願いである。 しかし、われわれはもう一つの要因、米国の意向という要素に留意しておく必要がある。マイケル・グリーンは前掲論文「力のバランス」で次のように記している(要約)。「サンフランシスコ講和会議時、ダレスは各国代表に対して、戦略的取引に関するアメリカの見解を説明した。第一に日本は民主主義諸国の共同体に留まる。第二に日本は、国連憲章の下で国家自衛権を保持するものの、攻撃能力を発展させることはない。第三にアメリカは日本国内に基地を保持する。ダレスにとり、この3点は譲れないものだった。吉田首相は戦略的取引に伴う非対称性が永遠に続くとは予期していなかったに違いない。日本は、自国の防衛を他国に依存するレベルに留まり続けるべきではないと、首相自身が述べている。 実際、ハーマン・カーンからヘンリー・キッシンジャーに至るまで、日本の経済復興は自立した軍事能力に結びつくだろうと論じてきた」 このグリーンの説明で特異なのは、ダレスが日本に攻撃能力を発展させないことを絶対譲れない点として求め、日米で合意したことである。 西側陣営で、米国に基地を提供する国は多い。しかし、世界中で攻撃能力を持たないことを安全保障政策の基本とする国はまずない。だが、こうした指摘はグリーンだけではない。第4章でも登場したケント・カルダーは、『米軍再編の政治学』で、米軍基地は日本を無力化させる目的を持っていた、と記している。 では、今日、米国の方針はどうなっているのか。 (中略) 「大綱」では、米国が必用な核抑止力を有しているので、「日本に打撃力と核抑止力は持たせない」という状況で推移させる方針が貫かれている。日本に新たな役割分担は求める。日本が国際舞台で危険の負担を行うことは求める。しかし、日本防衛に関しては日本独自の抑止能力は持たせない。これが今日の米国の対日安全保障政策である。 カルダーが述べたように、米軍基地は日本を無力化させる目的を持っていた。また第3章で見たように、少なくとも1992年の時点では、米国防省は日独の核兵器保有を警戒していた。日本に核兵器を持たせないとの目的は、いまでも米国から完全に払拭されたわけではない。【日米同盟の正体】孫崎享著、講談社、2009年刊<「BOOK」データベース>よりアメリカ一辺倒では国益を損なう大きな理由。インテリジェンスのプロだからこそ書けた、日本の外交と安全保障の「危機」。【目次】第1章 戦略思考に弱い日本/第2章 二一世紀の真珠湾攻撃/第3章 米国の新戦略と変わる日米関係/第4章 日本外交の変質/第5章 イラク戦争はなぜ継続されたか/第6章 米国の新たな戦い/第7章 二一世紀の核戦略/第8章 日本の進むべき道<読む前の大使寸評>2009年に出た本であるが、2014年1月に第16刷発行となっている。いわゆるロングセラーというもんだろう。rakuten日米同盟の正体おりしも13日のWEDGEに米アジア回帰に対する「3つの反対論」という記事が出ているが、アメリカのリバランシング戦略を見てみましょう。
2014.06.14
コメント(0)

政治・社会学者のユイさんがインタビューで「知識層による闘争、天安門事件で変化、労働者と農民核に」と説いているので、紹介します。このインタビュー記事のインタビュアーは、個人的に注目している吉岡桂子記者であり、吉岡桂子記者の渾身インタビュー4連発につながるものでしょうね♪(ユイさんへのインタビューを6/12デジタル朝日から転記しました)中国で政府に対して暴力に転じる抗議がたえない。民主化を求める学生たちを力でねじ伏せた天安門事件から25年が過ぎてなお、当局は「弾圧」から抜け出せない。人々は何に怒っているのか。解決の道は。農民や炭鉱労働者、北京へ直訴にくる弱者ら「底層(どん底)」と呼ばれる人々に向き合う政治・社会学者、于建ロン(ユイチエンロン)さんに聞いた。Q:地元政府の強引な土地収用に抵抗したり、火葬場の建設に反対したり。民衆と警察の衝突が中国で相次いでいますA:自らの意見を政治に伝える場や代表を持たないからです。土地を奪われて追い詰められ、れんがの破片を持って武装警察に立ち向かう人たちを分別がない、と非難できるでしょうか。怒りの根本を断たないまま弾圧しても暴動はやみません。 経済成長が鈍るなか、今年は無秩序なストライキも多い。『工会』と呼ばれる中国の労働組合は、共産党が労働者を管理・統制するための組織です。待遇悪化や給料未払いの不満を代弁してはくれない。だから労働者は抗議の行動を起こす。 人民解放軍を辞めた退役軍人たちも4月、待遇改善を求めて各地でいっせいに抗議行動を起こしました。北京にも大勢やって来た。Q:当局は抗議行動の連帯を断ちきろうとしているはずなのに、よく同じ日に実行しましたねA:中国全体で100万人は集まったと彼らは言っています。軍の人員削減で民間に再就職させられた人たちには、地位や待遇への不満が少なくない。ここ数年、デモは激しくなっています。 ■ ■Q:2000年代半ばに8万7千件とされた集団抗議事件ですが、当局は近年、統計も発表しません。倍増しているという見方もありますA:事件の大半は、退役軍人も労働者も農民も、政治権力ではなく経済的な利益を求めたものです。現体制を覆そうとはしていません。 彼らは法律の条文や中央政府の通達のコピーを山のように抱えて、北京に直訴にくる。中央が決めたことを守らない地方の役人をなんとかしろ、自分の息子を公務員に採用してBMWまで公費で買い与えているぞ、と憤っている。法律を変えろ、ではなく、いまある法律を守れ、と言っているのです。怒ってれんがで政府庁舎を壊したとしても、政府を打倒しようとはしていない。人民元で解決できるものがほとんどです。Q:しかし、腐敗も不公平も、政治体制と無関係ではないはずですA:そんなこと、彼らもわかっていますよ。策略です。中央をまともに批判したところで、もっと面倒なことになるばかり。得るものはない。ならば、中央の言い分を用いて地方政府の役人を批判し、得られる利益を得ようとしているのです。Q:公害病で苦しむ村の知人たちは、北京に陳情しようとして地元の駅で何度も阻止されましたA:そもそも地元で司法が機能していれば、陳情する必要はない。地元の裁判所に訴えても受けつけてくれないことが多く、北京へ直訴に向かう。だが、地方政府の業績として『安定』が非常に重視されており、地方の役人はときにヤクザも雇って止めようとする。デモ、ストライキも抑圧する。行き場を失った人々は暴力など極端な行動に走るのです。 うっぷんばらしのような事件までも増えています。誰かが警察や役人から虐げられたと聞いただけで、自分の利害に直接関係なくても派出所や役所を襲う。非常に深刻な問題です。 中国社会の衝突は1989年の(天安門)事件を境に、知識層が主導する権力闘争から、労働者や農民を中心とする権利の擁護、経済的な利益を求める闘争に変わりました。知識層の多くは政治から離れ、経済成長の波にのって商売でもうけたり、体制内に入っていったりした。こうして現体制内で共通の利益を得られるエリート同盟ができあがった。そこから排除され、一番遠くにいるのが労働者と農民です。互いに移動することがない、二元化した社会になってしまった。 ■ ■Q:中国当局が「新疆ウイグル自治区の分裂主義勢力による暴力事件」と呼ぶ、少数民族地域での無差別殺傷事件も頻繁に起きていますA:少数民族問題は宗教もからんでもっと複雑です。現体制に挑戦するつもりはない退役軍人らのデモとは明らかに違うでしょう。権利の保護の要求と恨みをはらす行動の間に位置づけられるように見えます。ただ、事件の背景は、我々にもわからないことが多いのです。Q:言論や市民運動への弾圧が強まっています。まず、新体制を決める共産党大会が理由でした。その後、政府の重要な会議がある、少数民族がからむテロが起きた、そして天安門事件から25年だから、と引き締めはやみません。共産党の統治に触れず、緩やかに改革をめざす「新公民運動」も取り締まられましたA:共産党の伝統的な統治の手法として、組織化しうる運動の芽はつみとる。成長すると面倒だからです。 ■ ■Q:宗教への圧力も強まっています。4月には浙江省のキリスト教会が撤去されました。中国政府が認めていない「地下教会」ではなく、公認教会まで抑圧されたことに波紋が広がっていますA:家庭教会(非公認の教会)を調査したことがあります。そこでわかったのは、宗教は圧力をかければかけるほど発展する。開放したほうが問題は深刻にならない。ここ数カ月、取り締まりが一段と激しくなっています。しかし、市民運動も労働運動も含めて、圧力がすぎると秘密結社として地下に潜ってしまう。統治にはより危険な存在になります。Q:いずれも、当局は社会の「安定」のためだ、と言っていますA:もろさを抱えた硬直的な安定です。安定が国家の最高目標になり、デモやストライキ、陳情、小さな集会も不安定要因にされてしまう。立派なビルが並び、広い道路が延び、繁栄を満喫しているように見えても、頻発する事件が当局者の自信を動揺させているのでしょう。 (習近平体制の向こう10年の改革指針である)3中全会が決めた目標は正しいと思います。法治や民主を進歩させる、と書いてある。政治権力は本来、メディアや知識人からの批判とか、人々からの抵抗によって制約を受けるもの。それを排除してしまうと、将来問題が起きたときの動揺はもっと大きくなる。 日本のような民主的な社会は、議論してばかりで何も決まらない、といらだつことも多いでしょう。だけど大間違いはしない。開明的な『皇帝』はすばらしい福利を授けてくれるかもしれませんが、権力の集中は大きな誤りをあっさりと犯すかもしれない。だから我々知識人は(専制的な政治体制下でも)目標に向かう手段に問題があれば、批判しなければならない。目標を共有しているのであれば、手段を批判する者は、政権の敵対勢力ではない。Q:いま、必要なものはA:中国の憲法には、民主も法治も人権も書いてあります。憲法の枠組みのなかで権力を相互に牽制させ、独裁がもたらすような暴政を絶やす。法律で決められた財産権を守る。 代議制や司法の独立、開かれたメディアを実現していくことです。Q:すぐには難しそうですA:私が昨年、貴州省の農村の村長補佐に無給で名乗りをあげたら、多くの賛同者が集まりました。法律の枠内で、村の発展事業を村民の相互扶助で進めようと考えたのです。話題になりすぎたせいか不穏視され、続けられなくなりましたが。車のトランクに10万元(約160万円)もの現金を詰めてかけつけた企業家や、税関の管理職を辞めてまでやってきた女性もいました。 どんなふうに住民に向き合うべきか、私のところに話を聞きにくる役人も少なくありません。中国にも、理想を捨てない人々はいるのです。 *于建ロン:62年中国・湖南省生まれ。政府系の中国社会科学院農村発展研究所教授。邦訳著書に「安源炭鉱実録 中国労働者階級の栄光と夢想」など。<取材を終えて>北京郊外にある于さんの仕事場で会った。画家や画材店が多く集まる芸術村と呼ばれる地区で、自身も絵筆を持つ。「高値でも絶対に手放さない」という自作が2枚ある。 1枚は、息子の冤罪を晴らそうと地方の村から北京に直訴にやってきた老婆。しわだらけの顔に涙をたたえて正面を見つめている。面談中、陳情者を取り締まる当局が彼女を車で連れ去ったという。 もう1枚は、顔のない真っ白な毛沢東に頭を下げる灰色の男たち。2メートル四方の大作だ。無表情なモノトーンが醸し出す陰鬱さは、「思想を開放する自由がない」ことを表す。 別れ際、絵を描く理由を問うてみた。「本当の事を言ったり書いたりする空間が狭くなった。その分、絵を描く。私は絶対ウソをつきたくないから」 「どん底」の憤怒の現場を歩き、インターネットでも積極的に発信していた于さんに、そう言わせる息苦しさが迫る。人々の声をすくいあげるパイプを封じながら、「人民元」による利害の調整はどこまでできるのか。やまぬ暴動は警鐘に違いない。(編集委員・吉岡桂子)「どん底」から見た中国朝日デジタル朝日のインタビュー記事スクラップ4 戦争、軍事関連の本
2014.06.13
コメント(2)

<京町家の異邦人>京都では、「資源のない都」ゆえに分業システムが発達したようです。朝日新聞夕刊で「京町家の異邦人」というコラムが連載されているが、ちょうど今、「機屋建て」の話が続いています。アラードさんという異邦人が住んでいるのは「機屋建て」という職住一体の京町屋です。西陣織の分業システムのまっただ中の京町屋なのだが、そのあたりをコラムに見てみましょう。(大峯伸之のまちダネ)京町家の異邦人8より■職住一体から住まい専用に 「京都の西陣で町家を買った。改修したいので、相談にのってくれませんか」 2008年7月、当時はロンドン在住で投資顧問会社のアジア地区責任者だったチャールズ・アラード・ジュニアさんは、大工や左官たちの集団「京町家作事組」にメールを送った。 年金資産運用の仕事で京都に出張したとき、作事組のメンバーで建築設計事務所を営む内田康博さん(49)と会って現地に出かけた。 織物の町、西陣に多い「織屋建て」と呼ばれる町家で長屋の1軒だった。機織り機を家の中に置くので、広い土間と吹き抜けで高い天井、明かりをとる天窓があるのが特徴だ。西陣織職人の職住一体の家である。 表から奥に通じる土間「通り庭」の右手には3室あった。奥の1室は広い土間となり、機織り機を置いていたようだ。さらに奥には作業用の小屋が増築されていた。2階は天井の低い2室。風呂や庭はなかった。 大正時代から昭和初期にかけての建築。そう内田さんたち作事組のメンバーは推定した。 工場兼住まいだった家を「住まい専用にしたい」というのがアラードさんの希望だった。■リタイア後も見据えて アラードさんは、購入した京都・西陣の町家をこんな風に利用しようと考えていた。 現役ビジネスマンの間は、2人の子の学校の休みに合わせ、年に何回か妻とともに家族4人で滞在する。仕事をやめた後は妻と2人でゆっくり暮らし、独立した2人の子が遊びに来てもいいような部屋もほしい。 ロンドンに住んでいたアラードさんは月に1~2回、投資顧問会社の仕事でアジアに出張した。香港を拠点に中国や台湾、シンガポール、マレーシア、オーストラリア、日本……。 設計を担当した建築家の内田康博さんと、顔を合わせての相談は限られた。お互いの考え方や写真はメールで、図面は国際郵便でやりとりし、インターネットも活用した。 機織り機を置いていた吹き抜けの土間には床を張り、畳敷きの部屋にする。吹き抜けに張り出す形で2階の1室を広げ、子ども用にロフト風の部屋をつくる。奥に増築されていた小屋は解体し、そこに風呂と洗面所、トイレ、さらに庭をつくる。 ようやく設計がまとまり、着工にこぎ着けたのは、町家を購入してから9ヶ月が過ぎた2009年4月だった。■米リゾート地がお手本 京都・西陣の町家を改修する際、アラードさんは米マサチューセッツ州ナンタケット島の古い建物の活用例を参考にした。 東海岸ニューヨークの北東にある小さな島で、夏には数万人の観光客が訪れる。アラードさんの父は中国史の研究者から金融の仕事に転じ、リタイア後はここで暮らしている。 2月のシンポジウムでアラードさんは島を紹介し、「何が大切か―伝統と規制」について話した。いまは観光とリゾートの島だが、かつては捕鯨と鯨脂を使ったロウソク製造で栄えた。メルビルの長編小説「白鯨」(1851年刊)の舞台だ。 伝統を守るため、建物の規制は厳しい。住宅は木造建築とれんが造りの2種類だけ。住宅に使える色は白や黄、赤、青、灰など12色に限る……。 「ドリームランド劇場」という多目的ホールも紹介した。19世紀初めにホテルとして建てられ、その後は教会や帽子工場、スケート場、映画館と用途が次々に変遷していった。 元の形を残していれば、職住一体の町家を住まい専用へと変えても、それほど伝統を損なうことにはならない。アラードさんはそう考えた。■通り庭がキッチンに アラードさんの京都・西陣の町家に入ると、表から奥に通じる土間「通り庭」の変わりようが目をひく。最新のキッチンとなり、床暖房まで入っている。 通り庭は「京町家は冬寒い」の原因となる。さらに通り庭と座敷には段差があり、上り下りしなければならず、面倒だ。 2月のシンポジウムでは、コーディネーターでNPO法人・京町家再生研究会の小島冨佐江理事長が「この家には座敷と台所の段差は残っているが、いちいちげたを履かずに済む。なぜ、気づかなかったのだろう。発想の柔軟さに感心した」と話した。アラードさんはぼくに「家内の考え。現代人だから昔のように暮らせない。最新技術は採り入れたらいい」と語った。 先に紹介したデービッド・アトキンソンさんは「元の形を守る」と通り庭だけでなく、井戸やおくどさんまで復元した。対照的だ。小島さんは「家族構成や生活様式の違い」とみる。確かにどちらが良いというものではなさそうだ。 アラードさんは2階に上がる階段が急で狭かったので、階段の位置を別の場所に移し、広く緩やかにした。屋根には太陽光発電も取りつけた。■快適暮らしは工夫次第 京都・西陣の町家改修にあたって、アラードさんは最新の設備を導入するだけでなく、伝統を守ることにも気を配った。 改修前には、モルタル壁と金属製格子の窓に変わっていた建物の正面。それを、木を縦横に組んだ「出格子」に戻した。 町家の2階にはたいてい、格子が虫籠に似た「虫籠窓(むしこまど)」がある。この家では元の虫籠窓は塞がれ、壁になっていたが、これも元に戻した。 1階押し入れの障子は玄関の靴箱の扉に再利用。古い建具やアンティークの照明器具、庭に置く石灯籠や玄関の踏み石などはアラードさんが自分で探した。京都にはそうした品を扱う店も多い。「古いものを再生させる楽しさ」を知った。 石選びでは、川の流れで丸みを帯びた石と機械で磨いた石で迷ったが、結局、値段が安い機械磨きにした。あれこれ考えながら探すのは楽しかった。 梁には電線を固定する碍子と電線が残っていたが、それもそのまま残した。 「町家は暑くて寒くて暗い、汚いと言われる。でも、工夫すれば気持ちよく住める」 アラードさんの工夫は家だけでなく地域にも広がった。先日の日記で2DKと京町屋をとりあげたように、大使の関心は、日本的な伝統や技に向かうわけです。京町屋の「通り庭」は、かつては肥えタゴも通ったという機能性もあり、坪庭を設けて鑑賞することもできたわけで・・・・京都人の知恵なんでしょうね。ところで・・・安藤さんの初期の作品に「住吉の長屋」があるけど、狭い長屋に通り庭を設けています。雨の日には、通り庭に雨が降るという自然風がなんとも、いいですね♪住吉の長屋は、雑誌発表当時は、建築家や評論家に評判が悪かったらしい。「雨の日は傘を差さなければトイレにも行けないというのは考えられない。設計者の横暴だ」というわけだ。(安藤さんの都市ゲリラ住居より)図書館で『京の遺伝子・職人』という本を借りて読んでいるんですが、現在も生きている分業システムがレポートされています。【京の遺伝子・職人】山本良介著、山本良介、2004年刊<「BOOK」データベース>より京都の伝統に挑む!綿々と続く匠の技。この技が無くなれば京都の未来はない。引き継ぐのは次代の若者たち。【目次】指物師ー当時修業に出されてよかったと思っとります。井口彰夫(井口木工所)/表具師ーはい、精一杯やっています。精一杯が原点です。中島實(株式会社静好堂中島)/竹職人ー竹の職方は長寿です。うちのおやじもあの歳でピンピンしてます。井上定信(株式会社竹定商店)/数奇屋大工ー道具箱の道具を見たらその人の力は一目瞭然。田中重夫(株式会社数寄屋)/宮大工ー親父が築いてくれた『澤甚』を守ります。澤野洋平(澤甚株式会社澤野工務店)/洗い職人ー俺がそうさせているのかもしれんけど、俺もようわからん。野口米次郎(洗い屋野口)/柿・桧皮葺き師ー家業のトントン葺き、まったく知らないわけでもない。宮川義史(有限会社宮川屋根工業)/板金職ー同じやるならもっときれいな値打ちのあるものをつくりたい。田原広美(有限会社田原板金製作所)/塗装職ー現場の現況をしっかり把握しとかんとえらい目に合いますさかい。藤本進(株式会社藤本)/蝋型師ーじっくり粘りに粘ってつくり出します。根気ですねえ。山崎貞一(山崎蝋型工芸)〔ほか〕<大使寸評>「資源のない都」ゆえに分業システムが発達したようです。つまり、京都人は農業を含めてすべての人が「職人」だったという土地柄であり、これが京都人の知恵だったのでしょうね。rakuten京の遺伝子・職人(大峯伸之のまちダネ)京町家の異邦人1(大峯伸之のまちダネ)京町家の異邦人9(大峯伸之のまちダネ)京町家の異邦人10田舎の法事を済ませて、さきほど、神戸に帰ってきました。で、書きためていたエントリーをUPした次第でおます♪
2014.06.12
コメント(0)

このところ、シルビー・ヴァルタンの歌声がコマーシャルソングとして、よく流れているが・・・シルビー・ヴァルタンの歌はシャンソンというよりは、フレンチ・ポップスだろう、やっぱり。シャンソンという言葉はスノッブというか、臭みがあるわけで・・・フレンチ・ポップスと言えば軽快ではないか♪フレンチポップスネットを巡っていて、フレンチポップス100年史というサイトを偶然見つけたのだが・・・YOUTUBE画面と原語歌詞と解説がセットになっているという優れものなんですね♪で、手始めに、シャルル・アズナヴールのHier encoreをお気に入りリストに取り込んだ次第です。なお今後、随時リストアップする予定でおます。・シャルル・アズナヴールHier encore・エディット・ピアフ「パリの空の下」・ボリス・ヴィアン「脱走兵」・サルヴァトーレ・アダモ「雪が降る」・ミシェル・ポルナレフ 「シェリーに口づけ」・ムールージ「小さなひなげしのように」でも、「パリの空の下」とか「脱走兵」はどうしてもシャンソンであり、フレンチポップスとは言わんな~、ま いいか♪YOUTUBEでは違法コピーと削除のイタチゴッコが続いているので、各サイトともちょっと目を離すと無残な有様になるわけで・・・この「フレンチポップス100年史」もその例にもれません(残念ながら)。でも、このサイトはYOUTUBEよりも、原語歌詞に重きをおいているようですね♪嬉しいことに、このサイトはツイッター、Facebookの使い勝手がいいのです。FRENCH POPS フレンチポップス100年史 | Facebookだけど、ブラウザーをIEからクロームに変えたら、コマーシャルソングが飛び入りするのでうるさいわけです。以前、googleの社是は「イビルになるな」だったけど、最近はそうでもないようですね。*****************************************************************************父の法事の関係で、今日から5日ほど田舎に帰ってきます。その間は、音信不通になりますので、そこのところを宜しく。
2014.06.08
コメント(2)

安部さんや産業競争力会議の成長戦略はアメリカ仕込みなんで、ホワイトカラー・エグゼンプションなんていう残業代ゼロ制度が再燃するようです。そして、弱者や貧乏人にきつい厚労省は、この成長戦略に乗る可能性が大きいわけです。元祖アメリカ仕込みと言えば竹中平蔵氏となるわけで、報道で竹中氏の弁を聞くかぎり、もっともらしい発言であり・・・どこが悪かったのか?と、なかなか評価しづらい人である。でも、小泉さんとコンビを組んで新自由主義を推進した御用学者として、歴史的ともいえる業績を残しましたね。経済学者といえば、ああ言えばこう言う、とかく評価しづらいのだが・・・・私が勝手に私淑する関先生が『市場と権力』という本のレビューを通じて、竹中平蔵的なごまかしを告発しています。関先生の『市場と権力』推薦文の一部です。佐々木実著『市場と権力』(講談社)大宅壮一ノンフィクション賞受賞より 市場原理主義・新自由主義と呼ばれる経済思想はどこから来たのか? それにはどの程度、学問的な裏付けがあるのか? 御用学者とは何か? こうした問題に興味のある方はぜひ本書を読んで欲しい。 原発事故以来、御用学者問題は国民的関心事となった。専門家は特定の省庁や産業界と密接に結びついており、官僚や産業界に便宜をはかるために真実も捻じ曲げられる。 学者が必ずしも信用できないということは、国民的なコンセンサスになりつつある。 著者の佐々木氏は感情を交えず淡々と事実関係を叙述している。「御用学者」といった価値判断を含む用語も使われていない。しかし経済学分野における御用学者の生態を知る上で、これに勝る良書を探すのは難しいであろう。【市場と権力】佐々木実著、講談社、2013年刊<「BOOK」データベース>より経済学者、国会議員、企業経営者の顔を使い分け、“外圧”を利用して郵政民営化など「改革」路線を推し進めた竹中平蔵がつぎに狙うものは!?8年におよぶ丹念な取材があぶり出す渾身の社会派ノンフィクション。【目次】はじめに 「改革」のメンター/第1章 和歌山から東京へ/第2章 不意の転機/第3章 アメリカに学ぶ/第4章 仮面の野望/第5章 アメリカの友人/第6章 スケープゴート/第7章 郵政民営化/第8章 インサイド・ジョブ/おわりに ホモ・エコノミカスたちの革命<読む前の大使寸評>関先生お奨めの本であるから、きっといい本なんだろう。また、大宅壮一ノンフィクション賞受賞の本でもあるので、「外れ」はあり得ないわけです。rakuten市場と権力
2014.06.07
コメント(0)

ブラック企業は日本型雇用が生み出したのか?と、思い悩む大使は『これから20年、三極化する衰退日本人』と言う本を再読しているところです。名ばかり管理職として、サービス残業に勤しんだ大使であるが・・・それは「終身雇用が保証されているお返しだ」との黙契があったことを思いおこすのだ。(このあいまいな契約が、いかにも日本的である)だけど、今の若年社員にとって終身雇用など夢のような話ではないか・・・無くしたものは大きかったが、新自由主義は世の習いと何の見返りもなくそんな構造改革を甘受したのが、我らが団塊世代ではなかったのか?『これから20年、三極化する衰退日本人』から終身雇用制度のあたりを紹介します。<中途半端な改革を繰り返す中で中間層が消滅した日本>よりp88~90 日本を衰退させている三つ目の要因は、中途半端な構造改革を繰り返す中で、日本の長所や強みをどんどんと切り崩していったことだ。終身雇用制度にしても高い勤労意欲にしても、地域社会のつながりにしても、相応に機能していた公務員制度にしても、「改革だ、改革だ」と叫びながら自ら切り崩しているのが今の日本だ。 例えば、終身雇用制度などはその典型かもしれない。日本のサラリーマンは長時間残業を含めて、企業に対して忠実に働く。その忠実ぶりは過労死という現象でよくわかる。休暇をバカンスとして楽しむ欧米人にとって、死ぬまで働くというのはおよそ理解できるものではない。なぜ、ここまで日本のサラリーマンが会社のために働くのかと言えば、それは終身雇用でギリギリまで企業が面倒を見てくれるからだ。だからこそ、企業と運命共同体で働くのだ。 もちろん、中高年のサラリーマンが一生懸命に働いたとしても、会社で無駄な残業を繰り返すだけで役立たないとか、生産性が大して上がっているわけではないといったシビアな見方もあるだろうが、それでも会社のことを最優先に考える効果は計り知れないものがある。目に見えて定量的に測れないというだけの話にすぎない。 しかし、安易にリストラが行われるようになる中で、このような運命共同体的な働き方は今日見られなくなりつつある。リストラが怖くて長時間残業をしているサラリーマンは多いが、彼らはバブルの頃のように生き生きと残業しているようには見えない。多くは嫌々働いているのか、あまり生産性も上がっていない。 終身雇用制度だけではない。日本独特の制度・慣習・システムなどが切り崩された影響は計り知れないものがある。最もわかりやすいネガティブな影響はおそらく、中途半端に過去の制度・慣習などを切り崩した結果、不安定な中間層の出現に何らかの形で結びついたことだ。 例えば、終身雇用制度の崩壊で中高年サラリーマンの中には下層に転落する者が続出、若者は採用抑制で非制社員を余儀なくされ、自営業者も地方の切り捨てや規制緩和で追いつめられ、シャッター商店街が続出した。 世論はとにかく改革を叫び、自らの土台をどんどんと切り崩していった結果、真面目に働いて住宅ローンを払い、自立と自尊心に優れた日本の中間層はあっという間に没落して言ったのだ。 もちろん、終身雇用制度が時代に合わないものを破壊することが間違っているというわけではない。終身雇用制度が時代に合わないのであれば、それは破壊するしかない。ただし、その場合には終身雇用制度に替わる新しい制度を作り出すべきだ。そうしないと、既存の土台を切り崩すだけで人々の生活は不安定化することは避けられない。 そのような観点から日本の1990年代以降を眺めると、どう考えても、失敗であると結論せざるを得ないのだ。斯様に、日本の中間層はあっという間に没落して、過酷な2極社会が出現してしまったようです。次に、1990年代後半以降の迷走を見てみましょう。<パイを分配・シェアできない自分勝手な日本人>よりp94~99 日本人はバブル経済崩壊後、「失われた20年」にさらされ続ける中で、パイを拡大する自信をなくしていき、やがてはパイを拡大して日本人全員が豊かになるという発想を失ってしまったのだ。その一方で、縮小するパイを巡って「お前は不当に取りすぎる」と、誰か相手を見つけて怒鳴りちらしている。(中略) 二つ目は、縮小するパイを分配・シェアできないということだ。簡単に言えば、同質性が高く、互助の精神があると言われるにもかかわらず、日本人は互いに少なくなるパイを分け合うという発想がなく「あいつがもらいすぎている」「こいつが楽をしている」と文句ばかりを言っているということだ。 少し難しい言葉に直すと、所得再配分についてコンセンサスを築けていないのだ。 まず、1990年代後半以降の日本には、政府を中心にした所得再配分を支持するような気配はどこにもない。具体的に言うと、いわゆる「大きな政府」と「小さな政府」のどちらを選択するのかを国民は決めかねたままだ。大きな政府とは、政府が経済や社会に介入して、企業の活動を規制したり、手厚い社会保障を整えたりする。それに対して小さな政府とは、基本的にマーケットに多くの物事を任せる。 現代の日本社会に置き換えれば、政府の大小を巡る具体的な対立軸は何だろうか。それは二つだ。一つ目は「税・社会保障を中心とした受益と負担の関係」であり、もう一つは「経済面での自由競争か政府介入か」というものである。 1990年代後半以降の日本社会は、この二つの対立軸を巡って、大きな政府か小さな政府かを決められない状態が続いている。その象徴が1000兆円にも達しようかという累積財政赤字である。今の日本人が受けている行政サービスと負担している税金の差がこれほど大きいというのは、政府の規模についてコンセンサスが築けていない証拠である。 確かに、事業仕分けで明らかになったように政府にはまだまだ無駄遣いがある、あるいは、政府は信用できないから税金を払いたくないという政府不信感が強いということもあるだろうが、やはり、今の日本人の受益と負担に関する感覚は麻痺しているとしか言いようがない。 もちろん、政府の形を決めることだけが所得再配分のやり方ではない。自分達で話し合って自主的に決めることもできる。自助・公助・共助などがそうだが、社会自身も自らの力でコンセンサスを自主的に築けていないのが現状だ。著者は鋭く分析するので、日本社会のコンセンサス力の無さはよくわかった。では、どうすればいいか?ということなんですけど。【これから20年、三極化する衰退日本人】中野雅至著、扶桑社、2012年刊<「BOOK」データベースより>生活保護、増税、資産フライト。2030年、日本人の生活レベルを大胆予測!“負け組”ばかりを生み出す衰退社会から抜け出すために必要なスキルとは何か。 <大使寸評>2003年にキャリア官僚から転職し、現在は大学の準教授の著者とのこと。三極化とは、依存する人、搾取される人、脱出する人なんだそうです。・・・まったく夢も希望もない2030年を予想している本であるが、ほっとけばアメリカのような社会になるわけで・・・・とりあえず、目先のTPPに反対しようではないか。Amazonこれから20年、三極化する衰退日本人衰退社会2.0というキャッチコピーにbyドングリ
2014.06.06
コメント(2)

『芸術新潮1月号(特集:つげ義春)』を図書館で借りて読んでいるのだが・・・・つげのロングインタビューとか、高精密写真による「紅い花」原画とか、なかなか精力的な企画である。大使の場合、つげ義春と言えば漂泊とか鄙びた温泉になるのだが・・・この特集号はそのあたりについても触れています。大使の過去のエントリーから、「鄙びた温泉」を復刻します。つげ義春ワールド☆湯宿温泉・湯本館によれば、『ゲンセンカンしゅじん』こそ、舞台は群馬・湯宿温泉大滝屋さんからイメージして描いた漫画なのだぁ~~そうです。かやぶき家屋などいい感じではあるが、営業的には成功していても、もう鄙びた温泉とはいえないのではないか?少なくとも、つげの追い求める「みすぼらしい景観」とは言えないだろう。つげ義春の温泉など参考にして、行く先を探すことにするが・・・・・やはり、行くならそこそこ綺麗な温泉宿にしたい大使である。【芸術新潮1月号(特集:つげ義春)】雑誌、新潮社、2014年刊<内容紹介>より本日12月25日発売の芸術新潮2014年1月号(新潮社)では、「大特集 デビュー60周年 つげ義春 マンガ表現の開拓者」が組まれている。特集には4時間に及んだという、つげのロングインタビューを収録。リアリズムを追い求めた作風のこと、好きな映画や音楽について、近頃の生活ぶりなど、幅広い話題が展開されている。聞き手は美術史家で明治学院大学教授の山下裕二が務めた。<大使寸評>大使の場合、つげ義春と言えば漂泊とか鄙びた温泉になるのだが・・・この特集号はそのあたりについても触れています。つげさんは25年以上の休筆・隠棲状態にあるそうだが…過去の遺産で食っていけるほど、すごいマンガ家だったんでしょうね♪natalie芸術新潮1月号(特集:つげ義春)
2014.06.05
コメント(0)

東急ハンズの木材売り場に行くと、各種唐木の木片を手にして、けっこう時間をつぶすことになります。樹木大好きの大使には、つきつめると木肌フェチとでもいう性癖があるんでしょうね。『工芸の博物誌』という本を図書館で借りて読んでいるところだが・・・・「杢(モク)」の説明など載っていて、もろに大使のツボを突くわけです♪玉杢 (たまもく)如鱗杢 (じょりんもく)杢の種類より<和木、唐木>よりp82~85 日本では、『日本書記』などに大きな槻(ケヤキ)の木が登場する。蘇我馬子が創建した飛鳥寺の西には大きな槻の木があった。大化の改新後、孝徳天皇と中大兄皇子が、群臣を招集して一心同体の誓訳をさせた「大槻樹下の盟」は、この木の下で行われ、壬申の乱の際に近江方が軍営を設けたのも、蝦夷や隼人などの夷テキの服従儀礼を行わせたのもこの木の下の広場であった。 わが国は温暖湿潤気候の好条件に恵まれ、南北に細長い列島という土地柄のため、世界でもまれにみる多種多様な樹木が生育している。四季の移り変わりがはっきりしているため、春材と秋材の別が生まれて明確な年輪となり、木の表面にはさまざまな模様が現れる。この模様が木目や杢で、これが日本の木材の大きな特徴となっている。それはさまざまな木味を賞玩するという日本人の木に対する独特の感性をも育てることとなった。同時に豊富な樹種は、多種多様な木の利用法を生み出した。 縄文時代には丸木舟・櫂・弓などの用具、椀・高杯などの容器、櫛・腕輪などの装身具など既に多数の木製品が使われていた。弥生時代には鉄製工具が用いられ、さらに各種の生活用具や生産用具が作られた。<木の工芸的利用> 樹木には針葉樹と広葉樹、また落葉樹と常緑樹という区分がある。工芸的利用の観点からは、国内産の木である[和木]と東南アジア・インドなどの南方産の硬質な輸入材である[唐木]に分かれる。唐木は、もと中国を経て渡来したのでこの名があるが、種類としては、紫檀・黒檀・鉄刀木・花梨などがある。和木は、桑・欅・柿などの硬木と、比較的軟らかい針葉樹の杉・檜、広葉樹の桐などの軟木がある。<木を挽く人>よりp92~93 美しい杢を出すためには、どのように木割りをするかが問題となる。木理には、まっすぐな木理(直通木理)、波打つ木理(波状木理)、また特別な奇形の木理(杢)がある。杢には、円形(玉杢)、円が大きな波の中でうねるようになったもの(如鱗杢)、笹の葉のように揺れたもの(笹杢)、鳥の羽の模様のようなもの(鶉杢)などさまざまな杢があり、珍重される。この木割りによってどのような杢が出るかで、挽いた材の値が決まり、木挽きの技量も試される。「自分の木でもないのに、思い通りになれば、よかったなあと思う」と林さんは言う。木のソッポ(外力、全体の姿)を見、木口を観察する。木の癖を見抜いて、節や虫穴を予想し、最もよい木割りの方法を考えて木挽きをする。乞われて鹿児島まで屋久杉を挽きに行ったこともあるというが、将来は100%、チェーンソーで割る時代が来るだろうと予想する。林さんは「もったいないことだ」と言う。そこにある木を大事にして価値のあるものにしていくことがますますできなくなるからだ。 木工芸の材料として杢を狙う場合は、こうした連達の木挽きのような眼と腕が必用となる。わが国において営々として蓄積されてきた、木を育て、木を読み、木の美しさを引き出す技量の総体の伝承によって、木工芸は支えられている。最近、フリーマーケットで柿渋染めの布を見るが・・・なかなか渋い(まんまやんけ)のだ。柿渋染めは使い込むとこうなりますより<柿渋>よりp50~52 かつて畑の畔をはじめ作物のできないやせた土地などには、小粒の渋柿がたくさん植えられていた。これは食用にするというよりも、柿から渋を取って柿渋を作るのが目的であった。 柿渋の利用は弥生時代まで遡るといわれるが、防水・防腐剤として近年に至るまで日常生活に密着した利用範囲の広い生活必需品だった。 近世、京都・大坂といった大消費地には、型紙、漆器、傘、合羽、ぼて(ざるやかごに紙を貼ったもの)などの需要に応えるため柿渋屋が何軒もあった。もちろん、こうした都市のみならずそれぞれの地域ごとに柿渋屋があり、製造にあたってはその地方特産の柿を使った。渋の産地では、都市を中心とする多くの需要に応えるのに、遠隔地から柿を求めなくても地元で充分供給し得るだけの柿が多く植えられていた。 例えば京都近郊では、京都府南部の相楽郡一帯(木津町、加茂町、和束町など)が昔から柿渋作りが盛んで、こうした地域には最盛期の昭和初期に十数軒の柿渋屋があり、京都のみならず水運を利用して大阪の需要までもまかなっていたといわれている。 現代の柿渋の需要は、大半が清酒やみりんの清澄剤としてである。これらの醸造品は、透明度の高さが求められるため柿渋を利用している。(中略) 柿渋は小型の渋柿から作られるが、このような柿は山野に自生することが多く、採取に労力がかかる上、量にも限界があるため、原料の入手は年々難しくなっている。【工芸の博物誌】日本工芸会編、淡交社、2001年刊<「BOOK」データベース>より伝統工芸は一つの総合芸術である。それは、さまざまな技術の連鎖に支えられ、その頂点に花開くものである。【目次】手わざの文化と現代/陶土/陶石/青花/烏梅/柿渋/布海苔/天蚕(山繭)/和木・唐木/漆/朱/胡粉/研炭/「土作りはやきものの基本ですね」<大使寸評>工芸品の素材は、つまりアートで言えばマチエールである。市井のアートをつかさどる職人たちは、生活態度は慎ましいが・・・職人たちの素材や道具に対するこだわりは、厳しいようです。東急ハンズに行くと、樹木系の素材につい目がゆきます。(大使の場合)rakuten工芸の博物誌
2014.06.05
コメント(0)

昨今の報道には「ブラック企業」という言葉が頻発しているが・・・・この言葉を作ったとされる今野晴貴の新書「ブラック企業」を、遅ればせながら図書館で借りて読んでいるところです。昨今では外食産業の人手が足りず、時間単価を値上げしても集まりにくいそうで・・・ブラックをやっているどころではないようです。基本的には少子化の影響が出始めたせいかもしれないけど、果たしてブラックは好転するのだろうか?●躍進するユニクロは、ツイッター上ではブラック企業となっているが、果たしてそうなのか?●就活戦線では、企業のブラック度が重要な判断基準になっているとか。やや出遅れた感があるけど、「ブラック企業は日本型雇用が生み出した鬼子なのか?」という読み方で、考えてみたいのです。【ブラック企業】今野晴貴著、文藝春秋 、2012年刊<「BOOK」データベース>より違法な労働条件で若者を働かせ、人格が崩壊するまで使いつぶす「ブラック企業」。もはや正社員めざしてシューカツを勝ち抜いても油断はできない。若者の鬱病、医療費や生活保護の増大、少子化、消費者の安全崩壊、教育・介護サービスの低下ー。「日本劣化」の原因はここにある。【目次】第1部 個人的被害としてのブラック企業(ブラック企業の実態/若者を死に至らしめるブラック企業/ブラック企業のパターンと見分け方/ブラック企業の辞めさせる「技術」/ブラック企業から身を守る)/第2部 社会問題としてのブラック企業(ブラック企業が日本を食い潰す/日本型雇用が生み出したブラック企業の構造/ブラック企業への社会的対策)<読む前の大使寸評>やや出遅れた感があるけど、「ブラック企業は日本型雇用が生み出した鬼子なのか?」という読み方で、考えてみたいのです。rakutenブラック企業この本から、日本型雇用のあたりを紹介します。<日本型雇用の悪用>よりp181~182 ブラック企業では健康を破壊するほどのノルマ、サービス残業が戦略的に課せられる。だが、これらの多くは、実はブラック企業独自というよりも、日本型雇用から引き継がれ、「悪用」されているものだと見ることができる。 そもそも、従来から日本の企業の「命令の権利」は諸外国から見て際立って強いものであった。その理由は、日本型雇用においては、終身雇用と年功序列と引き換えに、柔軟に命令を引き受けるという体質が身についていたからである。 例えば単身赴任という言葉は日本では一般的なものである。遠隔地赴任は1週間前、1ヶ月前といった直前に配置が決定される場合も珍しくない。当然、単身で何年もの長期間暮らすことは心身ともに大きな負担である。だが、日本ではこうした一方的な命令を拒否することはできない。また、残業にしても同じである。日本の労働時間は、従来から諸外国に比して長いもので、「過労死」は世界語になってしまったほどであるが、残業命令に対して拒否することも極めて困難である。(中略) 日本の雇用契約の場合には、長期雇用と引き換えに仕事の内容や命令のあり方にほとんど制約がかけられず、たいていのことが「人事権」として認められているところに特徴がある。契約内容をあいまいにすればするほど業務命令の内容は柔軟に、雇用の継続は確実にされていく関係にあるとされる。 なるほど、企業側は日本型雇用の世界にアメリカ流の新自由主義を植えつけたわけだが・・・企業にとっては、まるまる「いいとこ取り」だったわけで、労働者は踏んだり蹴ったりであったわけか。(今ごろ気づく大使である)<間違いだらけの若者対策>よりp220~221 ここまでで、第2部を通じて、ブラック企業問題が日本全体にとっての「社会問題」であることをご理解いただけたとことと思う。では、ブラック企業による若者の「使い捨て」に対して、政府や社会は有効な対策を打っているのだろうか。残念ながら、まったく遅れをとっているといわざるを得ない。 政府や社会がブラック企業問題で遅れをとっている最大の要因は、現状に対する認識が誤っているからだ。本書の冒頭で示したように、政府や学者の基本的な思考枠組みは、「若者の意識の変化」で雇用問題を捉えるという傾向にある。若年非正規雇用や失業の問題を「フリーター」や「ニート」問題へと矮小化してきたことがその現れである。そして、ブラック企業問題に対しても、彼らは同じように「若者の意識」さえ改善させれば、解決する問題だと考えている。 だが、若者の「意識」を問題にする一方で、政府は非正規雇用を増加させるため規制を緩和するなど、積極的な変化を引き起こしてきた。財界にしても、たとえば、1995年に旧日経連が出した有名な報告書では、日本型労使関係を「高コスト体質」であると断罪し、これからは従来と異なるモデルを作るべきだと提案している。そこでは従来型正社員である「長期蓄積能力活用型」に加えて、「高度専門能力活用型」「雇用柔軟型」の3種類に雇用を分け、「長期蓄積能力活用型」は減少させるべきだとされている。 さらには、2005年に経団連が残業代不払いを合法化する制度、「ホワイトカラーエグゼンプション」の制定を提案するなど、ブラック企業を取り締まるというよりは、これを後押しすることに躍起になっているようにさえ、見えるのである。最近になって、また「ホワイトカラーエグゼンプション」論議が再燃しているが・・・政府や学者の基本的な思考枠組みは、あいかわらず今野さんがいうように誤っているんでしょうね。(思考枠組みが誤っている・・・バカと言っているわけですね)朝日デジタルが、『ブラック企業ビジネス』という本を取り上げたので紹介します。でも、まず『ブラック企業』から読んでみよう。ブラック企業ビジネスより<信頼を食い潰すビジネスの論理:水無田気流(詩人・社会学者)> 昨今頻繁に目にする「ブラック企業」という言葉。だがその実態や社会背景は、今なお正しく認識されているとは言い難い。『ブラック企業 日本を食いつぶす妖怪』で、単なる違法企業の問題ではなく、私たちの社会そのものに巣食う悪弊として問い直した筆者による続作。本書ではより具体的に、ブラック企業の業態を助けるさまざまな「ビジネス」を詳解している。 たとえば、ブラック企業を法制度面から支える弁護士や社会保険労務士のような「ブラック士業」という存在。彼らは過酷な雇用環境に対し声をあげた当事者を、脅しや法制度の意図的誤用などの手法を用い追い込んで行く。企業も士業も、利益を生むための行動はすべて「正義」というビジネスの論理。だが、社会全体からすれば部分の最適化に過ぎず、結果として弊害をもたらすと、筆者は警鐘を鳴らす。 学生の就職率を上げたい学校も、ブラック企業ビジネスの加担者となる。なるほど、大量の新卒者を採用して使い潰すブラック企業は、学卒時点での就職率かさ上げに大いに寄与する。大学教員として勤務する評者にとっても他人事ではない。またブラック企業の実態を知らず、正社員の座を死守せよと叱咤激励する家族も、結果としてブラック企業ビジネスの隆盛に寄与する。このような現状を、筆者は日本の社会システム全体のブラック化と呼ぶ。 ブラック企業は、従来の社会関係の「信頼」や「善意」を食い潰すことで自らの利益を得ている。好業績な企業の正社員であれば一生安泰との信頼感は、既存の安定した社会関係の中で育まれてきた社会的資産だ。これを悪用するブラック企業とは、究極のフリーライダー(ただ乗り)かもしれない。背景にあるのは、ビジネスの論理の社会への浸透。本書で語られた、ビジネスとは別種の社会正義の論理に基づく専門知識と対抗策は、極めて重要である。 ◇『ブラック企業ビジネス』 今野晴貴著、朝日新聞出版、2013年刊 <「BOOK」データベース>よりなぜ悪辣な企業がこの社会に根をはり、増殖しているのか。その裏には、ブラック企業を支える弁護士・社労士がいた。若者を使い潰すテクニックを指南する“彼ら”の怖るべき実態とは。ベストセラー『ブラック企業』の著者が、圧倒的な量の取材をもとに労働問題の暗部を暴く!<読む前の大使寸評>日本の社会システム全体のブラック化があるんですか…怖~い。『ブラック企業』で大仏次郎論壇賞を受賞した著者の最新作ということで注目しているのです。さて、どちらを、先に読むか。rakutenブラック企業ビジネスおりしも、過労死ラインの2倍となる月160時間を「適正」とし残業代ゼロ狙う榊原東レ会長が経団連会長に就任したようです。 (すくらむより)ホワイトカラー・イグザンプションの再燃か?
2014.06.04
コメント(4)

今回借りた5冊です。だいたい支離滅裂に借りているけど、今回の傾向は、強いていえば、「グラッフィック本」でしょうか。とにかく、写真の多いグラッフィックな本が読みやすくて、ええでぇ♪<市立図書館>・芸術新潮1月号(特集:つげ義春)・本の雑誌2月号(特集:古本屋で遊ぼう!)・司馬遼太郎が愛した「風景」<大学図書館>・京の遺伝子・職人・工芸の博物誌図書館で手当たり次第で本を探すのがわりと楽しいが・・・これが、図書館での正しい探し方ではないかと思ったりする(笑)*************************************************************【芸術新潮1月号(特集:つげ義春)】雑誌、新潮社、2014年刊<内容紹介>より本日12月25日発売の芸術新潮2014年1月号(新潮社)では、「大特集 デビュー60周年 つげ義春 マンガ表現の開拓者」が組まれている。特集には4時間に及んだという、つげのロングインタビューを収録。リアリズムを追い求めた作風のこと、好きな映画や音楽について、近頃の生活ぶりなど、幅広い話題が展開されている。聞き手は美術史家で明治学院大学教授の山下裕二が務めた。<大使寸評>大使の場合、つげ義春と言えば漂泊とか鄙びた温泉になるのだが・・・この特集号はそのあたりについても触れています。つげさんは25年以上の休筆・隠棲状態にあるそうだが…過去の遺産で食っていけるほど、すごいマンガ家だったんでしょうね♪natalie芸術新潮1月号(特集:つげ義春)芸術新潮1月号(特集:つげ義春)byドングリ【本の雑誌2月号(特集:古本屋で遊ぼう!)】雑誌、本の雑誌社 、2014年刊<内容紹介>より中古本につき説明なし<大使寸評>古書店巡りの醍醐味といえば、店主の設けた破格の(物知らずの)安値ではないでしょうか♪・・・ということで、古書店巡りが好きな大使である。この本では、「古本トリオ、神戸に行く」というツアールポが載っているが、神戸市民としても驚くほどのディープさである。rakuten本の雑誌2月号(特集:古本屋で遊ぼう!)【司馬遼太郎が愛した「風景」】芸術新潮編集部、新潮社、2001年刊<「BOOK」データベース>より日本のすみずみに、多くの旅をかさね、『街道をゆく』はじめ数々の名エッセイをのこした司馬遼太郎。その網膜に刻まれた地を訪ねゆけば、誰もがなつかしむ日本の「原風景」があり、愛した美術品に向かえば、それを生んだ真摯な魂が透けてみえる。作家をなぐさめた自宅庭や住居のたたずまい、司馬遼太郎記念館(安藤忠雄設計)の全貌も収録。【目次】1 この国を旅するー紀行エッセイ傑作選(涙腺が痛む私の“原風景”竹内街道(奈良県当麻町)/消えた琵琶湖、安土城趾(滋賀県安土町)/竜馬が駆け抜けた“脱藩の道”梼原街道(高知県梼原町) ほか)/2 美しきものとの出会いー美術エッセイ傑作選(絵を描く善財童子須田剋太/司馬流“日本甲冑小史”/きわどく生きた八大山人 ほか)/3 東大阪の家(「司馬さん」は黄色い花が好きでした/安藤忠雄設計司馬遼太郎記念館オープン/司馬遼太郎との対話の場に ほか)<大使寸評>東大阪の司馬遼太郎記念館に2回ほど行ったことがあるが・・・ここの雑木林風の庭がいいですね。これも司馬さんが愛した「風景」なんでしょう♪この本でも、記念館の中や庭の写真が多数見られます。rakuten司馬遼太郎が愛した「風景」【京の遺伝子・職人】山本良介著、山本良介、2004年刊<「BOOK」データベース>より京都の伝統に挑む!綿々と続く匠の技。この技が無くなれば京都の未来はない。引き継ぐのは次代の若者たち。【目次】指物師ー当時修業に出されてよかったと思っとります。井口彰夫(井口木工所)/表具師ーはい、精一杯やっています。精一杯が原点です。中島實(株式会社静好堂中島)/竹職人ー竹の職方は長寿です。うちのおやじもあの歳でピンピンしてます。井上定信(株式会社竹定商店)/数奇屋大工ー道具箱の道具を見たらその人の力は一目瞭然。田中重夫(株式会社数寄屋)/宮大工ー親父が築いてくれた『澤甚』を守ります。澤野洋平(澤甚株式会社澤野工務店)/洗い職人ー俺がそうさせているのかもしれんけど、俺もようわからん。野口米次郎(洗い屋野口)/柿・桧皮葺き師ー家業のトントン葺き、まったく知らないわけでもない。宮川義史(有限会社宮川屋根工業)/板金職ー同じやるならもっときれいな値打ちのあるものをつくりたい。田原広美(有限会社田原板金製作所)/塗装職ー現場の現況をしっかり把握しとかんとえらい目に合いますさかい。藤本進(株式会社藤本)/蝋型師ーじっくり粘りに粘ってつくり出します。根気ですねえ。山崎貞一(山崎蝋型工芸)〔ほか〕<大使寸評>「資源のない都」ゆえに分業システムが発達したようです。つまり、京都人は農業を含めてすべての人が「職人」だったという歴史的な土地柄が、京都人の知恵だったのでしょうね。rakuten京の遺伝子・職人この本の冒頭部が、京都の特質を表しています。<「奇跡の街 京都」だから職人が生まれた>よりp2~5 京都は資源の乏しい地である。この資源の少ない地に「都」が開かれた。当初の国づくりは帝にしろ民衆にしろ、どうして生きてゆくのだろうと思うような土地である。市中の面積も実に狭い。当面食べていけるだけの大規模な農産物をつくる場所はない。 「人が集まるところ」に「物」が集まる。この原理しか説明がつかない。不思議な土地柄である。 当時この地は十数本の川が流れ、いたる所が沼状であった。豪雨があろうものなら三方を山が囲む盆地には、すさまじい水が流れ込み、水浸しであったはず。そこへ「都」を移す。度胸と根性物語である。しかも盆地のど真ん中に内裏を築いた。言い換えればわずかに残る皮一枚ほどの端地が農耕地であった。 都とは、永続的なもののはず。天候穏やかで、資源が豊富、天災地変が少なく、いい水があるところが「都」の条件なのだが、なるほど、嫌と言うほどいい水はあるが、その他の条件は整っていない。 そんな「京」が1200年の歳月を持ちこたえてきたのである。 奇跡か魔界の仕業としか思えない。 湿度一杯でむせ返る。物は腐る。シロアリなどの害虫の繁殖の地で、しかも川の氾濫。何をとっても人が生きるには大変難しい地であった。 京の人、耐えるに耐えきれず、どこかに移動しそうなものなのだが、神社仏閣、町屋群を建て、しかも木造建築でいつ腐るかもしれない素材で人々は暮らし続けてきた。 何か別のところで不思議なことでもなければ不可能である。その不思議なことがあった。それは目に見えない「人の知恵」である。 かつて人びとには「手の職」という武器が養われていた。裏返せば「資源のない都」ゆえに何か手に「職」を持たないと生きてゆけない。 京都人は、農業を含めてすべての人が「職人」であった。かつてから京都にあるものは、竹と川魚のみである。何かをやらなければ生活の保障はない。 あらゆる資源は他の土地から送られてくる。その資源をどう使うかが勝負。食材にしかり、衣服にしてもそう。素材の付加価値をどこまで高められるかであった。衣食住すべてにわたってである。 僕のような建築の分野も同じこと。知恵と技術の世界でのものづくり。例えば檜は吉野、木曾、欅や楠は各地方の山で切り出され原木のまま京へ運ばれて加工され、匠の技で建築材に昇華。そして見事な寺建築になり、寺社社殿になり、大衆の家々となるように大変身させるのである。 知恵のすべてが職人の手。まるで「神の手」と言っても言い過ぎではない。【工芸の博物誌】日本工芸会編、淡交社、2001年刊<「BOOK」データベース>より伝統工芸は一つの総合芸術である。それは、さまざまな技術の連鎖に支えられ、その頂点に花開くものである。【目次】手わざの文化と現代/陶土/陶石/青花/烏梅/柿渋/布海苔/天蚕(山繭)/和木・唐木/漆/朱/胡粉/研炭/「土作りはやきものの基本ですね」<大使寸評>工芸品の素材は、つまりアートで言えばマチエールである。市井のアートをつかさどる職人たちは、生活態度は慎ましいが・・・職人たちの素材や道具に対するこだわりは、厳しいようです。東急ハンズに行くと、樹木系の素材につい目がゆきます。(大使の場合)rakuten工芸の博物誌木肌フェチとでもbyドングリ*************************************************************とまあ・・・・抜き打ちのように、関心の切り口を残しておくことも自分史的には有意義ではないかと思ったわけです。図書館大好き62図書館大好き(目録)
2014.06.03
コメント(2)

香港大学教授がインタビューで「一党支配の裏側で土地と中央を頼り、地方が重ねる借金」と説いているので、紹介します。 インタビュアーは私が個人的に注目している吉岡桂子記者です。このインタビューは期待できるかも。(香港大学教授へのインタビューを2/26デジタル朝日から転記しました) 中国の地方政府が抱える巨額の借金を世界が不安視している。背後には不透明な「影の銀行」の存在がちらつく。成長の原動力とされた地方間の競争が生み出す活力はもはや、成長を失速させるリスクに反転したのか。人口13億を束ねる一党支配に限界はないか。中国の統治と経済成長の関係を香港から問い続けている許成鋼(シュイチョンカン)さんに聞いた。Q:米国の金融緩和が縮小され、新興国の経済が動揺していますA:一時的でしょう。中国を含めて新興国は先進国に追いつこうとしている段階です。ものづくりや経営管理の手法をとりこんで、成長できる余地がある。むしろもっと大きな問題は、いまのうちに政治体制を変えられるかどうかです。新興国の多くがここで『罠(わな)』にはまります。Q:安い賃金で経済を成長の軌道に乗せたあと、社会の変革が進まず失速する「中所得国の罠」ですねA:中国はとりわけ複雑です。中国共産党が一党支配する中央集権体制にもかかわらず、インフラ整備から社会保障給付まで行政の実権はかなりの程度、地方政府にゆだねられています。私は『分権式権威体制』と呼んでいますが、いまに始まったことではありません。皇帝がいた時代から、軍事と地方官吏の任命は朝廷の仕事でしたが、地方経済を動かしてきたのは地元の役人たちでした。 改革・開放政策を進めたこの30年余りでいえば、国内総生産(GDP)成長率が地方の政治家の出世の判断基準でした。各地が競い合って外資を誘致し、不動産開発にいそしんだ。その財源を支えてきたのが、土地使用権の売却収入でした。中国の土地は基本的に国有ですが、実際に使用権を売るのは地方なのです。Q:GDP至上主義はやめる、人々の生活や権利、環境に配慮した成長方式に転換すると、前政権のときから中央政府は口を開けば言っています。習近平政権のもと、3月に開かれる全国人民代表大会(全人代)でも、また宣言されるでしょうA:国家主席から地方の村長まで、理屈では分かっています。でも、できない。地方は成長の目標を捨てられない。彼らは同時に、中央から住民サービスの拡充を求められています。財政収入は減らせない。土地の使用権を売り、投資し、開発し、成長し続けるしかないのです。 土地の乱暴な収用や公害など、成長の負の部分に憤る住民が増えると出世の基準がもう一つ加わりました。安定を揺るがす暴動やストの数です。だから、集団で抗議しようとしたら警察が時に暴力的な手段を使ってでも抑圧する。北京への陳情も妨げる。地方の政治家の人事を決めるのは、住民ではないからです。Q:首相を務めた朱鎔基氏が1990年半ばに実施した税制改革で地方の税金の取り分について、7割以上から半分以下に減らしましたA:それまで中国では中央と地方が取り分を交渉して決めていました。しかも地方は自分の懐に入る税の徴収には熱心だけど、中央のための取り立ては嫌う。これでは、中央は景気のコントロールもやりにくい。だから朱氏は中央と地方の取り分を逆転させたのです。しかし、道路や空港の建設、社会保障や住民サービスなどの多くは、地方が担い、財政支出の8割以上を負っています。 しかも、地方政府が債券を発行してお金を調達することは、厳しく管理されています。地方独自の財源となる土地ビジネスに向かいました。高金利のノンバンクのようなものをつくり、土地を担保にお金を借りて開発を進め、成長率を稼いだのです。中国一の投資家でもある地方政府が米ウォール街なみに発明した金融の道具です。 ■ ■Q:「影の銀行」と呼ばれる正式な銀行を通さないお金の流れですね。資金源には、「理財商品」と呼ばれる高利回りの金融商品を買っている投資家が含まれます。償還できなくなった商品を、地方政府が肩代わりしているともみられていますA:その地方が肩代わりできなくなれば中央がでてくるだろうと、借り手も貸手もモラルハザードをおこしています。Q:しかし土地の価格が上がり続けるとは思えません。公式発表されているだけでも地方の借金は約20兆元にのぼります。なんだか債務危機が起きた欧州に似ていませんかA:どこが?。Q:ユーロ圏は通貨は共通でも、財政は各国バラバラ。ギリシャはユーロの信用をよりどころに安いコストで国債を発行し、返せなくなりました。中国も通貨は一つですが、地方が中央の信用をもとにお金を集め、不動産バブルの様相です。中国全体の成長が減速すれば……A:おもしろい比較ですが、良くも悪くも中国と欧州連合(EU)で決定的に異なるのは政治体制です。どこかの地方が危機に直面すれば、中国は中央がすぐに動く。EUの救世主役のドイツと異なり、民意を気にしなくていいからです。財政黒字に加えて4兆ドル近い外貨準備があり、国有資産もあります。すぐに大きな経済危機は起きないと思います。 ただ、中国は悪循環に陥っています。財政刺激をやめるとすぐに成長率が下がる。北京、上海、広州、深センなど不動産の需要が続くとみられる大都市を除けば、土地と中央の信用に頼った財政が機能し続ける保証はありません。行き詰まったときのコストは、中国のほうがギリシャより大きい。欧州の有権者は危機をもたらした政治家を投票で代えられる。中国のリーダーたちは共産党が選んでおり、人々は投票という手段を持たない。深刻な衝突が起こりかねない。そんな事態を避けたい中央は必ず助けるとふんで、地方は放漫財政を続けてきたともいえます。 ■ ■Q:習氏は権力を中央、もっといえば自分に集めて改革を進めようとしていると伝えられますA:中国は政治体制の変革にできるだけ手をつけず、多くの人たちを豊かにする経済成長によって、一党支配を維持してきました。共産党がモデルと考えたのがシンガポールです。しかし、私は二つの意味でシンガポールは参考にならないと考えます。なによりも国の規模が違いすぎる。中国の一つの市にも満たないサイズだからこそ、一握りの優秀な人たちが国家の隅々にまで目配りできた。中国のようなサイズの場合、住民が自らのニーズを政策に反映し、権力を監視できる仕組みがより重要になります。 私はいまこそ真の地方自治が必要だと思います。中国がほかの社会主義国よりうまくいった理由の一つは、地方にいる何百万人もの役人が知恵を絞ったことにあります。中央で集約して計画を示す手法がうまくいかないのは歴史が示しています。Q:もう一つの違いはA:シンガポールには旧宗主国イギリスが残していった法治の伝統があります。中国では司法が独立しておらず、共産党傘下にあります。これでは権力の暴走を牽制できません。Q:しかし、そんな中国が経済規模で日本の2倍。2020年代にも米国に追いつきそうですA:歴史を思い出してみてください。清の経済規模は19世紀前半まで圧倒的に世界一だったのですよ。しかし、優れた製品も統治もなかった。アヘン戦争がおき、列強が押し寄せた。最大の問題は中国の内部にありました。腐敗だけではありません。憲政や民主など新しい制度を受け入れない体制でした。再び世界一になったとして、内部に同じ問題を抱えたままなら、どうなるでしょうか。規模がすべてではありません。 ■ ■Q:許さんの父親はアインシュタイン研究にとりくみ、民主派科学者として知られた許良英さん(昨年死去)ですね。天安門事件で捕らえられた若者を助けようと声明を出し、人権を守る活動にも熱心でしたA:父は1960年代から『右派分子』として農村に送られ、20年近く離ればなれでした。(天安門)事件の後は10年間、アパート7階にある自宅に軟禁され、その1階には公安が住んでいた。当時も民主や人権は経済成長を妨げるとして、権威主義的な国家を築くべきだとする主張があったが、父は反対していました。 最近の中国経済をみていると、父親の主張は正しいと確信を持つようになりました。中国経済の最大のリスクは政治と、それが生み出す社会問題です。世界経済のリスクとされている地方の借金を含めて、中国の経済問題の多くは、土地や金融など国が支配する領域が多すぎることに起因しています。民間の力をどれだけとりいれられるか。権力を牽制する司法の独立性を広げられるか。成長率の低下とともに問題の解決はますます難しくなります。3月の全人代で、こうした課題にどんな方向性が示されるか、注目しています。 * 許成鋼:50年生まれ。清華大学大学院(機械)を経て米国留学。ハーバード大学経済学博士。英ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス終身教授。<取材を終えて>天安門事件のとき、許さんはハーバード大にいた。恩師でハンガリーの著名な学者コルナイ・ヤーノシュさんは、血気はやる青年に言った。「政治活動か学問か。どちらかだ」。「問題のありか」を示す学者を選び、母校清華大でも教えている。鋭い批判は、生涯「民主と人権」を説いた父と同様、「愛国」の表現だと感じた。(編集委員・吉岡桂子)ちなみに、吉岡記者の中国論が、ええでぇ♪波聞風問一覧に吉岡記者の中国論が載っています。この記事も朝日のインタビュー記事スクラップに収めておきます。
2014.06.02
コメント(0)

「職人―伝えたい日本の魂」という本を図書館で借りて読んでいるところです。一般的に職人技といえば、伝統工芸として細々と生きているという感がありますね。でも、今でもその職人気質がじゅうぶん通用するものもあると思うわけです。「よこたたてぐ」の横田利宏さんが、伝統技術の伝承について語っています。コスト重視で大量生産するとなると、中国に敵うわけないわけで、ではどういうふうに差別化するかという読み方になるわけです。(大使の場合)<伝統技術は時代の要請があれば、いつでも復活できる>よりp107~109 武生市平和町の「よこたたてぐ」の2代目横田利宏さんのご自宅は築50年とのこと。しかし「古く古く直していく」手が施されているため、その外観は一見江戸期のものかと見まがうものだ。時代を経て、さまざまな使い手によって育ってきた物の価値を見い出し評価するという横田さんの「古い物は新しい物より新しい」という概念からは、物をたいせつにするという素朴な慈愛が感じられる。●:日本は古い時代からの伝統技術がいまなおいきいきと伝えられている珍しい国だと思いますが、これからも続いていくものとお考えですか。横田:いつも思うんですが、必要性があれば残るし復活もする。あんまり執拗に残そうということをしなくても、そのときそのときの時代が要請すれば、残り復活するもんだと思います。僕らの仕事でいえば、若いときからでなくて、30代、40代になてからでも、復活しようとしてやればそれなりに到達できることですから、あんまり残さないかんと強く考える必要はないかなと思います。 ただ、建具なら建具を作るということでは誰か一人ががんばればできるんですが、作るために必用な素材や道具となると、何人かがまとまらないとできないことが多いですね。たとえば自分一人で、道具としての刃物から作ろう、そのために材料の鉄を作ろう、玉鋼を作ろうとなると、それはたいへんなことになってしまいます。たとえそれができたとしても、とても手に負えない高価なものになってしまうでしょう。 ですから、自分がやっている仕事についてはそんなに危機感はないけれども、もっと前の段階、材料や道具のことでは不安がありますね。そこまでとなると一人や二人でできるもんじゃないですから。 木工にしても金工にしても漆にしても、物を復活させるのは、その気になれば充分できることです。しかしそれには道具がなければならない。我々の場合は、道具がなければ木一本削ることもできないわけです。手は道具を持っているだけにすぎないんです。木工では道具が形を決め、できあがりを決めるものなんです。●:この近くには何軒か建具屋さんがありますが、みんな伝統技術を伝えている古い建具屋さんですか。横田:もともと武生を含めた丹南地方には伝統産業が多いですね。やっぱり韓国文化の入口だったんでしょうか。武生に日野川という川が流れていますが、古くは新羅川と呼ばれていた時代があったようです。古代に渡来の工人の作った物を都へ送ったのかもしれませんが、武生の木工が産業として確立したのはきわめて新しいんです。福井の戦災とか震災があって、そういう需要があって伸びたんです。市場があれば伝統産業でもなんでもすぐに復活しますが、市場がなければどんなものも消え去ってしまうんですね。●:仕事は全工程を一人でやる場合と、工程を分担する場合と、その分担が業として成立して分業となる場合がありますね。本格的な分業は近代から始まったわけですが、伝統技術と分担、分業のあり方についてどう思われますか。横田:今は仕事がものすごく細分化されています。多くが分業となっています。物がたくさん売れた時代が長かったものですから、何の仕事でも細分化して分担作業で進めていったんです。木工はまだ分担が少ないほうです。漆ですともう十何職種かに分かれてしまっています。それで非常に物も均一化し値段も安くなったんです。そうして市場をとらえることができたんですね。 物が売れていた時代では、問屋が競って仕事を流してくるような状態だからよかったんですが、売れなくなるとたくさんの人たちの仕事がなくなっちゃうわけです。下職の人たちの仕事が切れると、1年や2年は待っているけれども、もうここ何年も切れているわけですから次々に辞めていくわけです。そうして途中途中の下職人がどんどん少なくなっていきますから全体の仕事が進まなくなってしまう。仕事を細分化してしまったために、今そういう問題が起きています。まだ木工はそこまではいっていませんけれども。 木工の仕事は、指物、挽物、くり物、木彫と大別され、そのなかにもいろいろな職種があります。 昔は我々の仕事は指物屋といってなんでもしたわけです。建具もやればお茶道具もやる。風呂桶もやる。便所の漏斗だって作る。みんな指物です。板と板と組み合わせたり、板と桟と、あるいは桟と桟とを組み合わせるのが指物屋的な仕事なんですが、そういう人たちがなんでもしたんです。しかしいまは、建具とか家具とかいろんな分野に分かれていますし、それに硬い木、柔らかい木で道具が違うものですから、そういうことでも仕事が細分化されています。漆のほうでは工程の分業化、木工では職種の細分化でしょうか。武生の町並み保存に関する資料です。地域・伝統・風習より武生の町並み横田:日本人は統一されすぎると気持ち悪く、少しはずれたものに美しさを感じるんだと思います。今の家づくりも全て同じで気持ち悪い。様々な時代の建築があってまち全体として美しくなるのだと思います。小川:街並み調査をやっているんですが武生の旧町内には伝統的町屋が47%残っているという結果が出ました。武生は町家が全域に広がり、平均的レベルが高いんです。それをいかさない手はないと思います。高嶋:新しいものをつくるのか伝統を延ばすのか。武生はこれからどう受け継ぐべきでしょうか。横田:町家とか古くていい物が残っていくには、みんなでこれはいいねえとほめることが必要なんではないでしょうか。住んでいる人には良さがわからないものです。みんなが「いいなあ」というと「それじゃあきれいにしようかな」と思うし、残っていくんだと思う。大学や設計事務所、都会の人や外国人が一軒一軒ほめてあげることそしてその方向性を示してあげることが大切なのではないでしょうか。【職人―伝えたい日本の魂】エス・ビー・ビー編、三交社、2001年刊<「BOOK」データベース>より経済事情、歴史的・風土的な事情を背景に、それぞれの職人たちはどのように伝統技術を保持展開しているのだろうかーそれが本書の職人たちへのインタビューの基本的なモチーフである。ほかにエッセーとして、日本を代表する建築家・黒川紀章、民俗情報工学研究家の井戸理恵子、作家の菅田正昭が寄稿している。【目次】火箸風鈴/たたら吹き・村下/大工/建具/油団/漆器/打刃物/和紙/京瓦/京型彫り/京扇子扇骨加工/菓子型彫刻/無双絵羽織/益子焼/漆<大使寸評>たたら吹き、漆器、打刃物、和紙あたりが、大使の関心のツボであるが・・・カネが全てのこのご時世に、それらに従事する職人さんのノウハウ、心意気が知りたいわけです。rakuten職人―伝えたい日本の魂職人―伝えたい日本の魂(その1)
2014.06.01
コメント(0)
全30件 (30件中 1-30件目)
1

