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図書館に予約していた『チャイニーズ・タイプライター』という本を待つこと6日という速攻でゲットしたのです。圧巻の言語技術文化史ってか・・・これは読むしかないでぇ♪【チャイニーズ・タイプライター】トーマス・S・マラニー著、中央公論新社、2021年刊<「BOOK」データベース>より中国語タイプライターの“不可能性”から繙かれる圧巻の言語技術文化史。漢字についての発想の転換や戦時中の日中関係、入力や予測変換といった現在につながる技術の起源まで、波瀾と苦渋に満ちた展開を鮮やかに辿る。<読む前の大使寸評>圧巻の言語技術文化史ってか・・・これは読むしかないでぇ♪<図書館予約:(7/17予約、副本1、予約3)>rakutenチャイニーズ・タイプライター「第7章 タイピングの反乱」でタイプライターで作られた文書を、見てみましょう。p281~283 <「第7章 タイピングの反乱」> 執筆に取り掛かるずっと前から、私は意識することもないままに、中国語タイプライターの歴史のことを何年も見つめていたようだ。私の最初の著作となった中国の民族識別工作の歴史を研究する中で、中国南西部にある雲南省で活躍していた社会科学者たちによる民族と言語についての報告書を読みふけっていた。彼らが当地での民族アイデンティティの分類に関する研究(私が数えきれないほど読み返した報告書)を作成するとき、のちに私の研究の焦点となる中国語タイプライターをしばしば使っていた。中国語タイプライターは、当時の私の中に隠れていたのだ。 同じ研究領域の同僚や友人に呼び掛けて、他の盗まれた手紙を探すために、非公式の「捜索隊」を組織した。どのようにタイプライターで作られた文書を見分けるかの短期集中講義をして、自らの個人コレクションやアーカイブ資料を調査してもらうよう頼んだのだ。動かぬ証拠とは、次のようなものだ。 活字の中に時折り挟み込まれる手書きの文字(すなわち機械に活字がない使用頻度が低い文字)、段落ごとの強弱や明暗の違い、ごくわずかにジグザグとしている文の基準線、通常よりいくらか広い文字間隔。狙いは定まった。 瞬く間に中国語タイプライターの歴史における新しい黄金時代が目に入ってきた。北京や上海、ハルビン、昆明といった都市圏から、中国西部の辺境に至るまで、あちこちでタイプライターが目撃されたのだ。 地元のカトリックのコミュニティに対する取り調べからわかるように、ハルビン市人民政府公安局政治保衛処は遅くとも1950年5月には調査報告をタイプするようになった。北京では、遅くとも1952年には北京市副食品商業局党組の報告書がタイプライターで作られている。河北省の党書記が文書をタイプライターで作るようになったのは、1955年以前のことだ。(中略)中国語タイピストの宣伝ポスター 私の想像を超えて、1950年代は民国末期以上の活発な中国語タイプライターの時代であったようだ。毛沢東時代、社会政治と経済の連動がこれでもかと続き、中国語タイピストにこれまでにない負担がのしかかることになった。国中の職場で行われた「学習班」で使うために、経済の報告書や少部数の謄写資料を作る役割を担ったのだ。タイピストの負担はあまりに重かったため、非公式の「打字謄写社」に外注する職場もあり、この現象が新生の共産党政権内部で懸案事項となったほどである。(中略) 中国語タイプライターは1冊丸ごとの本を作ることにも使われ、これは「打印本」と呼ばれた。この出版の様式は非常によく普及していたので、この単語はコンピューター時代の「プリントアウト」(打印)や「レーザープリンター」(激光打印機)の中国語翻訳にも転用された。自称紅衛兵が毛主席の詩をタイプ印刷した1968年の打印本は、メーデーに合わせて発行されたものだ。 『チャイニーズ・タイプライター』2:訳者による解説『チャイニーズ・タイプライター』1:同文同種同タイプライター
2021.09.30
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図書館に予約していた『チャイニーズ・タイプライター』という本を待つこと6日という速攻でゲットしたのです。圧巻の言語技術文化史ってか・・・これは読むしかないでぇ♪【チャイニーズ・タイプライター】トーマス・S・マラニー著、中央公論新社、2021年刊<「BOOK」データベース>より中国語タイプライターの“不可能性”から繙かれる圧巻の言語技術文化史。漢字についての発想の転換や戦時中の日中関係、入力や予測変換といった現在につながる技術の起源まで、波瀾と苦渋に満ちた展開を鮮やかに辿る。<読む前の大使寸評>圧巻の言語技術文化史ってか・・・これは読むしかないでぇ♪<図書館予約:(7/17予約、副本1、予約3)>rakutenチャイニーズ・タイプライター訳者による解説を、見てみましょう。p319~321 <訳者解説> 数年前にドイツの安宿に泊まっていたとき、同宿のバックパッカーに話しかけられたことがある。私のパソコンに興味を示し、日本語のキーボードを見てみたいという。ところがいざ見せてみると、何やら怪訝な表情を浮かべ、そこで会話が終わってしまった。思い返せば、もしかしたら日本のパソコンのキーボードには漢字がズラリと並んでいると期待していたのかもしれない。 実際にそこにあるのは、欧米のものとほぼ同じ、QWERTYのキーボードだ。現在の私たちはこのQWERTYのキーボードを使い、変換機能を駆使して日本語を入力することに慣れ親しんでいる。しかし、限られたキーしかないキーボードと、無数にある漢字がこうして結び付けられているのは、実は想像力の飛躍の賜物に他ならない。その想像力の出自を、コンピューター以前の技術であるタイプライターに遡って明らかにしたのが本書である。 著者のトーマス・S・マラニーはスタンフォード大学歴史学部の教授で、中国史を専攻としている。本文中でも少し言及されている前著では、各集団がどの民族に帰属するかを確定させるために共産党政権が行った「民族識別工作」を主題とした。科学技術史に目を転じた本書により、優れた東アジア史研究の成果に与えられるアメリカ歴史学会のフェアバンク賞を2018年に授与されている。 本書の主軸をなすのは、西洋のラテン・アルファベットを基にして作られた「近代」の象徴としてのタイプライターと、中国語との間にある距離感である。その隔たりゆえに中国語そのものに「問題」があるとみなされ、それを克服するための「パズル」が形作られることになる。 常に西洋の「本物」のタイプライターを意識しつつ、この「パズル」を解こうとしていく人々の群像を描いていくなかで、漢字についての発想の転換や戦時中の日中関係、入力や予測変換といった現在につながる技術の起源に至るまで、さまざまな話題が展開されている。タイプライターというモノを起点としつつ、それの単なる発明史をはるかに超える射程を持った本であり、関心や専門を問わず広く読まれるべき1冊である。 堅実な実証に基づくアカデミックな研究であるとはいえ、ウィットに富んだ文体と多彩なエピソード(そして興味深い図版の数々)は読んで飽きることがなく、特段の前提知識がなくても難なく読み進められると思う。とはいえ、大部の著作ではあるので、読書の手引きとするために、全体的な枠組みに関わる序章から第2章までに特に重点を置きながら、蛇足を承知で概要を示しておきたい。 「序論 そこにアルファベットはない」の話の「つかみ」となっているのは、オリンピックの入場行進に関する話題である。奇しくも、2020年夏に開催されるはずであった・・・そしてこの解説の執筆時点では2021年夏に開催されることになっている東京オリンピックでは、入場行進を50音順で行う予定であると報じられている。 1964年の東京オリンピックでは、英語表記のアルファベット順であった。この変化は、海外の観衆を戸惑わせるかもしれない。とはいえ、理解不能というほどではないだろう。日本語がわからないとしても、50音という音による配列である以上、近い発音から始まる国々は行進順も近いので、一定の規則性があることがわかるはずだ。 これとは事情が異なったのが、2008年の北京オリンピックである。このときは、漢字の画数順による行進であったため、音を聞くだけではほとんど不規則に感じられるのだ。ここで浮き彫りになるのは、アルファベット(一つの文字が一つの音素と対応する文字体系)を持たない中国語の特異性である。 ここで正確を期して記すならば、日本語の仮名は音節文字と呼ばれるものの一種であり、やはり厳密にはアルファベットではない。とはいえ、文字が発音を表す表音文字であり、たかだか数十種類の限られた文字の組み合わせであるという点では、アルファベットと同類である。世界の主要言語のなかではただ一つ中国語だけが、表音文字を全く使わず、標語文字である漢字のみを使用している。したがってここでは、東洋と西洋というよりもさらに先鋭的な対立軸が表れている。 とはいえ、漢字の文字数が多いということそれ自体に、問題があるわけではない。それが「問題」であるとみなされるようになるのは、タイプライターをはじめとするアルファベットを基礎とする技術が西洋で生まれ、それを中国に導入しようとするなかで様々な困難に突き当たってからのことだ。「第1章 近代との不適合」では、タイプライターという文脈に即しつつ、序論での議論がさらに展開されている。まず初めに示されるのは、西洋人が想像で描いた中国語タイプライターの数々である。何千何万ものキーがある巨大なキーボードを必死に操作する姿が描写されている。当然、実際にそのようなものを作ったり操作したりすることはできないわけで、「中国語タイプライター」の不可能性を示唆する風刺に他ならない。風刺画 実はタイプライターが発明された当初は、ほかにもさまざまな形態があったが、徐々に単一の形に収斂されていき、技術改良によりシャム語やアラビア語のような非西洋の言語もそれで扱えるようになった。その結果としての均一化された想像力から見れば、キーボードのあるタイプライターこそが普遍的なタイプライターであり、中国語はそれに適合しない唯一の言語であるということになる。 そしてこのことが、中国語の後進性を示す「客観的な」な証拠として援用されたのである。逆に言えば、中国の人々にとって、中国が近代に生き残ることを示すためには、何としても中国語タイプライターを作る必要があった。『チャイニーズ・タイプライター』1:同文同種同タイプライター
2021.09.30
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図書館で『橋本治と内田樹』という本を、手にしたのです。めくってみると、お二人が対談を楽しんでいる様子が見えてくるのです。【橋本治と内田樹】橋本治×内田樹著、筑摩書房、2008年刊<「BOOK」データベース>より日本に「よきもの」をもたらす、この柔軟な知性。注目の対談集。<読む前の大使寸評>めくってみると、お二人が対談を楽しんでいる様子が見えてくるのです。rakuten橋本治と内田樹#6ですばらしいバカが語られているあたりを、見てみましょう。p177~178<橋本流「タイトル論」>内田:橋本先生はタイトルをつけるの上手いですよね。橋本:うん。タイトルだけはね。章題からはじまってね。内田:中も全部揃えるんだ!橋本:そう。新書の見出しとかなんとかは、ふつう、編集者が書くじゃないですか。私は全部やります。内田:そうなんですか。橋本:だからなんか見出しとちぐはぐな中身が平気であります。ちょっとこれはずれてるほうがおもしろいんだよみたいな勝手なことをやっている。内田:タイトルは結構僕も工夫するんですけれど、前に先生のやつを1個いただきました。『私の身体は頭がいい』というのがそれですけど、ちゃんと橋本治さんから複製許可をいただきました(笑)。橋本:ああ、宣伝になるからいいですよって(笑)。タイトルはね、あんまり考えないほうがいいんです。自分でつけなかったタイトルの本は2冊ぐらいあるんです。あと「こうしようよ」と言って、没になったのも1個ある。内田:没になったのって?橋本:どうでもいいモンだったから、担当編集者の名前にしようと言って。内田:なんですか(笑)。橋本:なんか変な雑文集みたいな、作りこんだ写真が入っててみたいなのがあって、どうせ内容がない本なんだから、それをはっきりさせるために、担当編集者がモリモトという名前だったんで、「『モリモト』というのがいいんじゃない?」と。内田:あはははは!橋本:却下だったけど。タイトルなんてグズグズ考えてもいいことない。それから、タイトルが浮かばないと、本が書けないんです。ひどいときはサブタイトルと、ついでに目次まで作っちゃうんです。最近、さすがにそれはしなくなりましたけど。そうやってあらすじが見えちゃうと、話が楽なんです。内田:そうですか。橋本:だから『桃尻娘』の続編を書きはじめたときには、六部まで全部タイトルが決まってたんです。内田:あれ、だって十年くらいかかって書いたんでしょう?橋本:そう。でも十年前から完全にタイトルだけはあった。内田:へえーっ! それ、学者の世界ではふつうタブーなんですよね。やっちゃうと書けなくなっちゃうんですよ。『橋本治と内田樹』2:フリーターの実態『橋本治と内田樹』1:翻訳の誤訳
2021.09.30
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図書館で『橋本治と内田樹』という本を、手にしたのです。めくってみると、お二人が対談を楽しんでいる様子が見えてくるのです。【橋本治と内田樹】橋本治×内田樹著、筑摩書房、2008年刊<「BOOK」データベース>より日本に「よきもの」をもたらす、この柔軟な知性。注目の対談集。<読む前の大使寸評>めくってみると、お二人が対談を楽しんでいる様子が見えてくるのです。rakuten橋本治と内田樹#3でフリーターが語られているあたりを、見てみましょう。p100~102<日本では貧しい職業が隠蔽されているからフリーターにリアルが見えない>橋本:だからどーんなに貧しい、毎日水汲みとかしなきゃいけない国の子どもたちだって、だからこそ考えるっていう、基礎的なその「思考体力」みたいなものは、生きることによってついてるわけじゃないですか。でも日本だとその生きるための思考体力っていうのは、「もう生きている以上いらないんだ」っていうふうに勝手に思われているっていうフシがあってね。内田:そうですね。橋本:生きるということは動く歩道の上に乗っかるようなことであってね、乗っかってしまえば思考体力はないっていうことにしかならないのかなって。だからその、カンニングで大量に捕まった韓国の受験生なんかば、どうすんだろうなーっつって思っちゃってね。内田:それはどういうことですか。橋本:あそこはもう、大学進学が絶対でしょ。大学行かないと人じゃないぐらいになっちゃってるから。それこそ俺が高校生だった頃の話みたいですよ。それがもっと極端になってるみたいな。ソウルオリンピックのちょっと前に行ったことがあるんですよね。そしたら、同じような看板がやたら目に付くんですよね。あれ何?って聞いたら「学習塾です」って。やたら多いんですよ。 「みんな行ってますよ」って。「あー、日本のまねかー」みたいなふうに思ったんですけどね。「ここでは、大学出てサラリーマンにならないっていうことは、貧しい商売につくというようなことでしかないのかなー」という気はしてね。 だって日本の今の子が「大学行かなくていい、勉強しなくていい」みたいになってしまって、どうやって食っていくの?ってことになると、「フリーターで大丈夫」と。 フリーターって言葉使っちゃうけど、それって、実入りのあんまりよくない貧しい不安定な職業で、昔でいえば棒手振り(ぼてふり)みたいなもんじゃないですか。だから大学に行くことが当たり前になってしまったがゆえに、そういう貧しい職業ってものが隠蔽されてしまっているっていうことがまあひとつあるんだろうなあ。でも韓国っていうのは、まだ「貧しい職業」っていうのがむき出しであるから、 「ああなってはならない」っていうのがあるんだろうけどね。内田:なるほどね。今のフリーターとかニートって呼ばれる子どもたちって、じっさいに自分たちが四十代とか五十代になったときに、何の技術もないし教養も知識もない中年の人間が社会的にどう処遇されるのかっていうのを実物では見たことがないんですよね。その時が来るまで自分がどうなるか、わからない。橋本:でも、定年退職のお父さんてそういうようなものじゃないですか。内田:いや、まだずいぶんちゃんとしてますよ。今の若い人たちって、ほんとの下層の労働者の生活って、実感ないと思いますよ。橋本:ああ、まあそういう意味ではね。内田:自分自身がそうなるってことは、たぶん考えたことがないんじゃないかな。実際にそうなったらいやだな、とは思っているでしょうけど。いざそうなっても、「え、嘘だろ」とか「こんなの、やってらんねー」と言えば、全部「チャラ」になる、って心のどこかで思っているのかな。橋本:でも不思議ですよね。はじめに父親に幻滅しちゃってニートになっちゃう人って、幻滅に値する状態になった父親って見ないんですよ(笑)。だからなんだかすごーく高いレベルで幻滅してんのか低いレベルで幻滅してんのか、よくわかんない。やっぱし高いレベルで幻滅しちゃってんのかな。現実しらないから、勝手に。内田:そうですね。50年代を参照すると、あの頃って、屋根があって、お布団があるところで、ストーブもある家なんていうのは、それだけでかなり裕福といえたわけですよね。だって、雨漏りする家に住んでる子だっていくらもいたわけですから、同級生の中には。橋本:だってうちストーブなかったですから。内田:ああそうですか(笑)。橋本:火鉢だけですもん(笑)。しかも各部屋になんてなくて、座敷に1個あっただけですもん。内田:1個でしたね。うちもそうだなあ、うちも60年代までは火鉢1個だったな。そのあと石油ストーブが入ってきたけど。『橋本治と内田樹』1
2021.09.29
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図書館で『橋本治と内田樹』という本を、手にしたのです。めくってみると、お二人が対談を楽しんでいる様子が見えてくるのです。【橋本治と内田樹】橋本治×内田樹著、筑摩書房、2008年刊<「BOOK」データベース>より日本に「よきもの」をもたらす、この柔軟な知性。注目の対談集。<読む前の大使寸評>めくってみると、お二人が対談を楽しんでいる様子が見えてくるのです。rakuten橋本治と内田樹翻訳の誤訳が語られているあたりを、見てみましょう。p73~75<自然すぎて訳せない>内田:大学の授業で日本文学でフランス語に訳されたものを読んだんです。僕フランス語の教師もやってるもんですから(笑)。フランス語訳を日本語に直訳して、それとオリジナルと見比べて、どのような誤訳があるかというですね(笑)。フランス人はいかに日本語を誤まって理解しているかをチェックしてみようということをやりました。 そのときに、僕らはふだんさらさら読んでるけれども、じつは日本文学でも、すぐれた作品にはあちこちいっぱい仕掛けがあって、フランス語に訳すとき、まっさきにその仕掛けに引っかかちゃうんですね。誤訳というか躓いてしまう。 そのときに太宰治の『桜桃』を読んだんですけれど、冒頭の一行からしてもう訳せてないわけですよ。だって「子どもより親が大事と思いたい」って五七五で始まるでしょう。これすでに底意があるわけですよね。だって、人間、まじめなことを主張するときには絶対五七五では言いませんもの。「これからは あなたのことだけ 愛します」なんて韻文で言ったら取り合ってもらえないでしょう(笑)。だから、「子どもより親が大事と思いたい」っていう書き出しは、「私の言うことをまじめに取るなよ」というダブル・ミーニングがすでに込められている。でも、この諧謔のニュアンスはフランス語には訳せない。 それから話者がどんどん変わるんですよ。作家が書いているうちに、妻が語りはじめ、主人公らしき父の独白になり・・・みたいな感じで。それが英語の場合みたいに「と彼女は言った」というような限定がつかないで、どんどん入れ替わる。その中で「父さんも汗ぐらいかくよ」とかいう台詞があるんですけれど、フランス語に訳されたものは、「父は汗をかいた」というような三人称になってる(笑)。自分のことを「父さんは」と呼ぶのなんて日本語話者にとってはごく自然なことであり、それが一人称か三人称かなんてほとんど自動的に区別しているわけですけれど、フランス人にはこの区別ができないらしい。おお、これは大発見と思いました。橋本:自然に入りすぎてるからほかの言葉に訳せないわけでしょ、咄嗟に。 内田:そうとうに日本語の読める人でも、それが普通名詞なのか人称代名詞に使われているのか区別するのはむずかしいでしょうね。橋本:入りすぎちゃうってことはもう、論理じゃないんですもんね。 内田:太宰治って、だからそういう作家だと思ったんですよ。入り込まないとわからない。どんなものでも、始まって何行目かでいきなり首根っこつかまれて太宰治の世界の中に引きずり込むじゃないですか。ああ、この人ってこういうことができる人なんだなって。 あんな短編でも、冒頭の一行目でいきなりやってるんだって。でも、橋本さんもそうですよね、やっぱり。最初の何行目かのところで、いきなり間合いを切られて、詰め寄られるというか。ふつう、読者と作品の間には、ある程度の距離があると思うんです。それがだんだんペースに巻き込まれるという感じで物語の中に引きずり込まれる。でも橋本さんのものって、こちらが心の準備をうる前に、出会い頭に、もう橋本さんがこの辺まで入ってきている。橋本:だってそれやらないと飽きられちゃうんじゃないかと思うんですよ、いちおう職業作家だから(笑)。 <テクニックは芸人の本能みたいなもの>内田:どういうテクニックを使ってるんですか。これはまあ、職業上の秘密かもしれないですけど。橋本:それはね、たぶん芸人の本能に近いもんだと思います。芸人が高座に上がって、あるところでお客さんのハートをつかまないと、そのあとの高座続けられないんですよ。で、それを、つかめるようになったら、もうアマチュアじゃないっていうような、そういうもんだと思いますけど。『桃尻娘』のときには、その話者の息遣いをぜーんぶ字にしようと思ってました。だから、ふつうの人はぜんぜん気がつかないんだけどとんでもなく前衛的なこと1ヶ所やったことがあって。男の子が、瞬間息呑むんですよ。そこを、「、」ではじめたの。 内田:はあーっ・・・。これは前代未聞ですよね。橋本:リアルに考えると、そういう息の呑み方をしてる。「あっ」でも「ん」でもないんですよ。読点一つ分に、息が詰まってるんですよ。 内田:うーん。橋本:そうじゃないと、この子の立ち上がり方っていうのが、ぜんぶ嘘になるっていうのがあるから。平気でやりましたね。「ちゃんと書く」をやってくと、どこまで拾えるかっていう、誠意の問題になってくるんですよね、こっちの。
2021.09.29
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図書館に予約していた『チャイニーズ・タイプライター』という本を待つこと6日という速攻でゲットしたのです。圧巻の言語技術文化史ってか・・・これは読むしかないでぇ♪【チャイニーズ・タイプライター】トーマス・S・マラニー著、中央公論新社、2021年刊<「BOOK」データベース>より中国語タイプライターの“不可能性”から繙かれる圧巻の言語技術文化史。漢字についての発想の転換や戦時中の日中関係、入力や予測変換といった現在につながる技術の起源まで、波瀾と苦渋に満ちた展開を鮮やかに辿る。<読む前の大使寸評>圧巻の言語技術文化史ってか・・・これは読むしかないでぇ♪<図書館予約:(7/17予約、副本1、予約3)>rakutenチャイニーズ・タイプライター中国語タイプライターの日中間の相克を、見てみましょう。p227~229 <帝国のペーパーワーク> 日本のタイピスト養成学校も、大陸の占領地域や満州国、台湾の各都市に作られた。『タイピスト』誌のある報告が伝えるところによれば、1940年には台湾の会社で日本人タイピストのいないところはほとんどなかったという。中学校や女学校、日本のタイプライター会社と結びついた養成学校で訓練を受けた新しいタイピング人材が、毎年500人ほど流入して、「タイピスト熱」が湧き起こっていた。日本タイプライター株式会社の台北出張所支部長は、タイプライターが「欧米各国の様に各家庭で使われる日が必ず来る」という野望を明かしている。 <同文同種同タイプライター> 帝国日本の拡張は、日本語タイプライターの販売に確かに恩恵をもたらした。しかし、戦時中に積極的に進められた日本タイプライター株式会社などによる中国語情報技術の市場への投資で得た利益に比べれば、日本語市場の影は薄くなる。1945年までには同社は中国での幅広い普及を誇るようになった。 同社の支店は大連や新京、奉天、鞍山、ハルビン、吉林、錦州、チチハル、上海、北京、天津、済南、南京、張家口、厚和、太原、漢口、京城、台北に置かれた。大阪や名古屋、札幌、仙台、新潟、金沢、静岡、函館、小倉、福井などの日本国内の支店と合わせて、日本タイプライター株式会社は世界最大級のタイプライター製造業者となった。 しかも、レミントンやアンダーウッド、オリンピア、オリベッティ、マーゲンタイラー、ライノタイプができなかったことを成し遂げた。すなわち、中国語市場に入り込み、さらに独占することだ。商務印書館やユヒンキにとって、市場シェアの低下は凄まじいものであっただろう。 中国市場を日本が独占する上での主力機種となったのは、日本タイプライター株式会社が作った「万能」タイプライターだった。1940年の『遠東貿易月報』の広告にある冗長ながらわかりやすい別名は、「日満華蒙文各種タイプライター」だ。この機械は日本の「大東亜共栄圏」、そして植民地的なスローガンである五族協和と「同文同種」が形になったものなのである。 日本の製造業者が、漢字をベースとした東アジアの文字体系だけでなく、アルファベット文字体系である満州語とモンゴル語も使えるようにしたという点でも初めてのものだ。 新京や大連、奉天、鞍山、本渓湖、牡丹江、ハルビンの各都市からタイピストを集めて開かれた1940年の「全満タイピスト競技大会」など、満州国の民族の協和を強調するイベントにもすぐに動員されるようになった。 これら全てが、中国の製造業者に打撃を与えるものだった。「万能」は中国で選択しうる唯一のタイプライターとなった。 商務印書館が製造する〇式中国語タイプライターも、ユヒンキのものも、追い払われた。プラテンを大型化して、インクリボンの代わりにインクボールを使い、中国語か欧文かに応じて字間隔を調整できるようにした改良型の〇式タイプライターを発表することで、商務印書館はこれに対抗いようとした。しかし、こうした努力にもかかわらず、商務印書館は太刀打ちできなかった。ウン 戦時中の日中関係の雰囲気やタイプライターの技術格差が伝わってくるが・・・著者の綿密な探究には驚いたのです。ネットで中国語タイプライターを見てみたのです。文字を刻んだ「版」を約7000個も用意していた中国語タイプライターより 欧米でタイプライターが誕生したのには、「使用される文字が少ない」という言語的な背景があるとも考えられています。英語であれば「A」から「Z」までの26文字であり、大文字と小文字を合わせても52文字、そこに数字や感嘆符などを含めても100文字以下でほぼ全ての文字を網羅できるのは、「表音文字」であるアルファベットの利点といえます。 一方、一つの文字がそれぞれ意味を持つ「表意文字」を用いる日本語や中国語のような言語は、使われる文字の数が飛躍的に増加するという特徴を持っています。日本語の場合は、一般社会で使われるとされる常用漢字だけでも2136種類が存在します。さらに、漢字文化が生まれた中国では、漢字情報処理に必要とされる当用漢字だけでも5000~6000文字が選定されています。Double Pigeon そのさらに上を行くのが、中国語タイプライターといえます。タイプライターメーカーの「Shanghai Chinese Typewriter Manufacturers(上海中文打字機製造廠)」が製造していた中国語タイプライター定番機「Double Pigeon(双〇)」は2450個の活字を持つという、中国語タイプライターの中では「小型」とされるモデル。その操作はお世辞にも簡単とはいえず、入力速度を計測すると「2時間で100文字」という結果が出たこともあるそうです。ウーム 1945年当時、日本タイプライター株式会社の「万能」は中国製の中国語タイプライターを駆逐していたようですね。Double Pigeonも「万能」には敵わなかったわけだ。
2021.09.29
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今回借りた4冊です。だいたい支離滅裂に借りているけど、今回の傾向は、強いていえば、「予約本」でしょうか♪<市立図書館>・理不尽ゲーム・チャイニーズ・タイプライター・山を買う・橋本治と内田樹<大学図書館>(ただいま市民への開放サービスを休止中)図書館で手当たり次第で本を探すのがわりと楽しいが・・・これが、図書館での正しい探し方ではないかと思ったりする(笑)***********************************************************【理不尽ゲーム】サーシャ・フィリペンコ著、集英社、2021年刊<「BOOK」データベース>より10年の昏睡から生還した青年が見たものは、ひとりの大統領にすべてを掌握された祖国と、理不尽な状況に疑問をもつことも許されぬ人々の姿ー。目を覚ますと、そこは独裁国家だった。ベラルーシのディストピア的現状を文学の力で暴く。<読む前の大使寸評>ウクライナの北に位置するベラルーシに土地勘はないのだが、危険な地域だろうとは思うわけです。テレビ局に勤務していたこともある著者の描くディストピアとは、どんなかな。<図書館予約:(9/19予約、副本4、予約0)>rakuten理不尽ゲーム【チャイニーズ・タイプライター】トーマス・S・マラニー著、中央公論新社、2021年刊<「BOOK」データベース>より中国語タイプライターの“不可能性”から繙かれる圧巻の言語技術文化史。漢字についての発想の転換や戦時中の日中関係、入力や予測変換といった現在につながる技術の起源まで、波瀾と苦渋に満ちた展開を鮮やかに辿る。<読む前の大使寸評>圧巻の言語技術文化史ってか・・・これは読むしかないでぇ♪<図書館予約:(7/17予約、副本1、予約3)>rakutenチャイニーズ・タイプライター【山を買う】福崎剛著、山と溪谷社、2021年刊<「BOOK」データベース>より第1章 山の様相が変わる時代(新型コロナウイルスのパンデミックが世界を変えた/「トカイナカ」への移住がすすまない理由 ほか)/第2章 山を所有する豊かな楽しみ(山林を所有する魅力とは/山林を持つデメリットはあるか ほか)/第3章 山林売買から管理まで(山林はどこで探すか/山林の価格の相場を知るには ほか)/第4章 山林を取り巻く世界の現状(日本の山林が抱える課題は/森林と「SDGs」の関わり ほか)<読む前の大使寸評>日本の山林が抱える課題は大使のツボでもあるので、チョイスしたのです。なお、山を買うつもりではありません。rakuten山を買う【橋本治と内田樹】橋本治×内田樹著、筑摩書房、2008年刊<「BOOK」データベース>より日本に「よきもの」をもたらす、この柔軟な知性。注目の対談集。<読む前の大使寸評>めくってみると、お二人が対談を楽しんでいる様子が見えてくるのです。rakuten橋本治と内田樹************************************************************図書館大好き510
2021.09.28
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『朝日デジタルの書評から』フォームや『読みたい本』フォームを作っているのだが、これを市図書館の予約に利用しようと、思い立ったのです。これまでの予約内容と予約候補は以下のとおりです。<予約中>・池井戸潤『半沢直樹 アルルカンと道化師』(11/29予約、副本33、予約644)現在71位・白井聰『武器としての「資本論」』(4/06予約、副本9、予約89)現在24位・52ヘルツのクジラたち(4/15予約、副本20、予約592)現在291位・桐野夏生『日没』(4/24予約、副本24、予約300)現在100位・『分水嶺 ドキュメント コロナ対策専門家会議』(5/30予約、副本2、予約16)現在2位・『ザリガニの鳴くところ』(6/04予約、副本17、予約315)現在188位・『生態学者の目のツケドコロ』(6/28予約、副本3、予約21)現在8位・福岡伸一『生命海流』(7/24予約、副本1、予約16)現在19位・ブレイディみかこ『他者の靴を履く』(8/14予約、副本8、予約81)現在70位・ブリーディング・エッジ(8/22予約、副本2、予約9)現在7位・多和田葉子の〈演劇〉を読む(8/31予約、副本1、予約2)現在1位<カートで待機中>・N・ネフスキー著『月と不死』・8月の果て・ある日うっかりPTA(副本4、予約39)・グレタたったひとりのストライキ<予約候補>・『コロナ危機の政治』・『大人の恐竜図鑑』・『レアメタルの地政学』・猫が30歳まで生きる日:図書館未収蔵・『中国戦線、ある日本人兵士の日記』・野外鳥類学を楽しむ・向田邦子 暮らしの愉しみ・山口晃『すヾしろ日記 参』 ・オードリー・タン デジタルとAIの未来を語る・岡ノ谷一夫『さえずり言語起源論』・小野正嗣『多和田語の世界』:図書館未収蔵・本村凌二『馬の世界史』・藻谷浩介『進化する里山資本主義』・多和田葉子『文字移植』:図書館未収蔵・高野秀行「怪獣記」・橋本治『黄金夜界』・中園成生『日本捕鯨史』・高野秀行「ワセダ三畳青春記」・ヘミングウェイで学ぶ英文法:図書館未収蔵・ジョージ・ミーガン『世界最長の徒歩旅行』:図書館未収蔵・ネルケ無方著『迷える者の禅修業』<予約分受取:8/06以降> ・内田樹『コモンの再生』(1/05予約、8/06受取)・『中国の大盗賊』(8/01予約、8/06受取)・岸本佐知子『ねにもつタイプ』(8/07予約、8/14受取)・ヤマザキマリ『生贄探し』(5/14予約、8/14受取)・鎌田由美子『「よそもの」が日本を変える』(4/26予約、8/29受取)・村上春樹『一人称単数』(1/27予約、9/05受取)・マイケル・サンデル『実力も運のうち』(5/05予約、9/09受取)・『理不尽ゲーム』(9/19予約、9/25受取)・『チャイニーズ・タイプライター』(7/17予約、9/25受取)・『Tokyo Ueno Station』(9/02予約、9/30受取予定)***********************************************************************【半沢直樹 アルルカンと道化師】池井戸潤著、講談社、2020年刊<「BOOK」データベース>より東京中央銀行大阪西支店の融資課長・半沢直樹のもとに、とある案件が持ち込まれる。大手IT企業ジャッカルが、業績低迷中の美術系出版舎・仙波工藝社を買収したいというのだ。大阪営業本部による強引な買収工作に抵抗する半沢だったが、やがて背後にひそむ秘密の存在に気づく。有名な絵に隠された「謎」を解いたとき、半沢がたどりついた驚愕の真実とはー。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(11/29予約、副本33、予約644)>rakuten半沢直樹 アルルカンと道化師【武器としての「資本論」】白井聰著、東洋経済新報社、2020年刊<「BOOK」データベース>より資本主義を内面化した人生から脱却するための思考法。【目次】本書はどんな『資本論』入門なのか/資本主義社会とは?-万物の「商品化」/後腐れのない共同体外の原理「無縁」-商品の起源/新自由主義が変えた人間の「魂・感性・センス」-「包摂」とは何か/失われた「後ろめたさ」「誇り」「階級意識」-魂の「包摂」/「人生がつまらない」のはなぜかー商品化の果ての「消費者」化/すべては資本の増殖のためにー「剰余価値」/イノベーションはなぜ人を幸せにしないのかー二種類の「剰余価値」/現代資本主義はどう変化してきたのかーポスト・フォーディズムという悪夢/資本主義はどのようにして始まったのかー「本源的蓄積」/引きはがされる私たちー歴史上の「本源的蓄積」/「みんなで豊かに」はなれない時代ー階級闘争の理論と現実/はじまったものは必ず終わるーマルクスの階級闘争の理論/「こんなものが食えるか!」と言えますか?-階級闘争のアリーナ<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(4/06予約、副本9、予約89)>rakuten武器としての「資本論」【52ヘルツのクジラたち】町田そのこ著、中央公論新社、2020年刊<「BOOK」データベース>より52ヘルツのクジラとはー他の鯨が聞き取れない高い周波数で鳴く、世界で一頭だけのクジラ。たくさんの仲間がいるはずなのに何も届かない、何も届けられない。そのため、世界で一番孤独だと言われている。自分の人生を家族に搾取されてきた女性・貴瑚と、母に虐待され「ムシ」と呼ばれていた少年。孤独ゆえ愛を欲し、裏切られてきた彼らが出会い、新たな魂の物語が生まれるー。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(4/15予約、副本20、予約592)>rakuten52ヘルツのクジラたち【日没】桐野夏生著、岩波書店、2020年刊<「BOOK」データベース>よりあなたの書いたものは、良い小説ですか、悪い小説ですか。小説家・マッツ夢井のもとに届いた一通の手紙。それは「文化文芸倫理向上委員会」と名乗る政府組織からの召喚状だった。出頭先に向かった彼女は、断崖に建つ海辺の療養所へと収容される。「社会に適応した小説」を書けと命ずる所長。終わりの見えない軟禁の悪夢。「更生」との孤独な闘いの行く末はー。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(4/24予約、副本24、予約300)>rakuten日没【分水嶺 ドキュメント コロナ対策専門家会議】河合香織著、岩波書店、2021年刊<「BOOK」データベース>よりクラスター対策に「3密」回避。未知の新型コロナウイルスに日本では独自の対策がとられたが、その指針を示した「専門家会議」ではどんな議論がなされていたのか?注目を集めた度々の記者会見、自粛要請に高まる批判、そして初めての緊急事態宣言…。組織廃止までの約五カ月、専門家たちの議論と葛藤を、政権や行政も含め関係者の証言で描く迫真のノンフィクション。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(5/30予約、副本2、予約16)>rakuten分水嶺 ドキュメント コロナ対策専門家会議【ザリガニの鳴くところ】ディーリア・オーエンズ著、早川書房、2020年刊<商品の説明>よりノースカロライナ州の湿地で村の青年チェイスの死体が発見された。人々は真っ先に、「湿地の少女」と呼ばれているカイアを疑う。6歳のときからたったひとりで生き延びてきたカイアは、果たして犯人なのか? 不気味な殺人事件の?末と少女の成長が絡み合う長篇<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(6/04予約、副本17、予約315)>rakutenザリガニの鳴くところ【生態学者の目のツケドコロ】伊勢武史著、ベレ出版、2021年刊<「BOOK」データベース>より生物と生物、生物と環境との関係を調べる、生物学の一分野である生態学。生きものについて知りたい、自然を守りたいと願う人にとって、生態学的な見方は必ず役に立つ。自然と生きもの、人間との関係を見つめ直す7つの章。【目次】第1章 人に囲まれて/第2章 暮らしのなかで/第3章 文化に触れて/第4章 外国を旅して/第5章 里山に生きて/第6章 森を歩いて/第7章 研究をとおして<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(6/28予約、副本3、予約21)>rakuten生態学者の目のツケドコロ【生命海流】福岡伸一著、朝日出版社、2021年刊<「BOOK」データベース>より福岡伸一、ガラパゴス諸島へ。ダーウィン進化論を問い、“本来の生命のあり方”を精密に描き出す。旅のリアルと思索が行き来する、まさしく「動的平衡」なガラパゴス航海記。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(7/24予約、副本1、予約16)>rakuten生命海流【他者の靴を履く】ブレイディみかこ著、文藝春秋、2021年刊<「BOOK」データベース>より“負債道徳”、ジェンダーロール、自助の精神…エンパシー(意見の異なる相手を理解する知的能力)×アナキズムが融合した新しい思想的地平がここに。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(8/14予約、副本8、予約81)>rakuten他者の靴を履く【ブリーディング・エッジ】トマス・ピンチョン著、新潮社、2021年刊<出版社>よりITバブルは弾けたが新世紀の余韻さめやらぬニューヨークで、子育てに奮闘する元不正検査士の女性。知人の仕事を手伝い覗いたネットの深部で見つけたのは、不穏なテロの予兆だった。NYの、そして世界の運命は肝っ玉母さんの手に――オタク的こだわりと陰謀論にあふれる、謎に満ちたアメリカ文学の巨人が放つビッグバン。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(8/22予約、副本2、予約9)>shinchoshaブリーディング・エッジ【多和田葉子の〈演劇〉を読む】多和田葉子著、谷川道子(編集)、論創社、2021年刊<amazon>より〈演劇人間(ホモテアトラーリス)〉としての多和田葉子に本格的に光をあてる初の試み。劇評、演出ノート、作品論、ドキュメント、初邦訳戯曲2本他で多和田の演劇ワールドを探り、パノラマ・可視化する。多和田書き下ろしエッセイ「多声社会としての舞台」も収録。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(8/31予約、副本1、予約2)>amazon多和田葉子の〈演劇〉を読む【月と不死】N・ネフスキー著、平凡社、1971年刊<出版社>より著者は日本民俗学界の異色の存在として知られるロシア人学者で,柳田国男,折口信夫らと親交を結び,沖縄,東北などの民俗を採録した。本書は日本語で発表された論文・書簡を網羅した唯一の著作集。<読む前の大使寸評>ロシア人にして、日本民俗学界の異色の存在が気になるのです。<図書館予約:(とりあえずカートに入れておこう)>heibonsha月と不死【8月の果て】柳美里著、新潮社、2007年刊<「BOOK」データベース>より日本統治下の朝鮮・密陽に生を受け、マラソンでの五輪出場を目指した亡き祖父・李雨哲。そのうしろ姿を追い、路上を駆けることを決意した柳美里。ふたりの息づかいが時空を越えて重なる瞬間、日本と朝鮮半島のあわいに消えた無数の魂が封印を解かれ、歴史の破れ目から白い頁に甦る。偉丈夫の雨哲と美丈夫の弟・雨根。血族をめぐる、ふたつの真実の物語が、いま日本文学を未踏の高みへと押し上げる。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(とりあえずカートに入れておこう)>rakuten8月の果て予約分受取目録R26好書好日トップ図書館情報ネットワーク 蔵書検索システム図書館予約の運用にも慣れて、速攻で入手するコツも何となくつかんだと思うのだ♪・朝日書評欄で探すとしたら、3ヶ月前掲載くらいのモノが狙い目かも。・専門的すぎるほどのモノは、予約0となっていることが多い。・受取館に収蔵しているモノは、移送する手間が省けるので早くなるだろう。・本屋の店頭に出た直後の新刊本・ウィキペディアでめぼしい著作を探す・神戸市図書館の予約順位は毎週火曜日(午前1時~3時) に更新されます。・Kindle版を購入すれば、その本の全て読めるのだが、紙の本から書き写す手間が好きなわけでおます。
2021.09.28
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図書館で『そのうちなんとかなるだろう』という本を、手にしたのです。内田先生にしてはふざけたタイトルの本であるが、中をめくってみると、なんと自叙伝になっているがな・・・この明晰な先生(思想家)がいかにして形成されたか、興味深いのでおます。【そのうちなんとかなるだろう】内田樹著、マガジンハウス、2019年刊<「BOOK」データベース>よりやりたいことは諦めない。やりたくないことは我慢しない。たどり着く場所は、結局同じだから。直感に従って生きてきた思想家の悔いなき半生記。<読む前の大使寸評>内田先生にしてはふざけたタイトルの本であるが、中をめくってみると、なんと自叙伝になっているがな・・・この明晰な先生(思想家)がいかにして形成されたか、興味深いのでおます。rakutenそのうちなんとかなるだろう『第2章 場当たり人生、いよいよ始まる』で研究者生活のエピソードを、見てみましょう。p112~117<研究者生活の実情>■助手になったが仕事がない しばらく翻訳会社と大学院生の二足のわらじを履いていましたが、1982年の4月に東京都立大学の助手に採用されることになって、アーバンを辞めることになりました。 そのとき僕は博士課程の2年目が終わるところでしたが、助手のポストに欠員ができたので、まだ在学中でしたが「助手にならないか」と声をかけてもらったのです。 しかし、助手になれたかといって、ずっとその大学にいられるわけではありません。専任教員ポストがみつかるまでの腰掛けです。 「いつとは期限は切らないけれど、できるだけ早くどこかの大学に専任のポストを見つけて出てゆくこと。それまでは研究に専念して、その間に業績を積みなさい」という条件でした。 都立大の場合、助手は授業を担当しないので、仕事らしい仕事はなく、在職中に業績を上げることが本務でした。 とにかく研究してさえいればいいというありがたい身分です。東京都の公務員に採用されたわけです。年齢も30を越していたし、既に結婚して扶養家族もいたので、結構なお給料を頂きました。でも、出勤するのは週2日だけ。週休5日です。出勤しても、仕事内容は電話番とコピー取りとお茶くみぐらい。(中略) 僕は働き者ですから、仕事がしたい。だから、研究室の大掃除をしたり、書架の整理をしたり、あれこれと学部生の相談に乗ったりして、なんとか給料分の働きをしようとしたのですが、悲しいかな、給料分の仕事がない。 だから、たしかに「腰掛け」ポストであって、長居をしてはいけないところだったのです。でも、なかなか外に出られない。 採用されるときには「2、3年で出て行ってくれ」と言われて、僕もそのつもりでいたのですが、結局8年も助手をすることになりました。 ■32校の教員公募に落ちる 助手になった初年度から大学に来る教員公募には全部応募しました。北は帯広畜産大から南は琉球大学まで。あらゆるフランス語教員公募に応募したのですが、すべてに落ちました。8年間で32校の公募に落ちました。 なぜそんなに落ちたかというと、こればかりは運が悪かったとしか言いようがありません。向こうの「採用したい人」のイメージと僕の履歴や研究内容がミスマッチだったのです。 採用する側はそれなりの採用したい人の条件があって、それは必ずしも「学歴業績ともに優れていること」ではないからです。 その大学にすでにいるフランス語の専任教員(その人が選考に強い影響力を及ぼします)とのマッチングがかなり重要になります。 「その人と専門領域がかぶらないこと」 「その人より年齢が下であること」、場合によると 「その人より業績が劣ること」などが選考において重要な条件になることがある。 僕の場合は専門領域がかぶる心配はなかったのですが、僕が扱っていたのが政治史、思想史、哲学、宗教などふつうのフランス文学者がやらないテーマだったので、その研究業績がどれほどのレベルのものか査定ができない。 同じような研究を日本国内でやている研究者がいないので、「格付け」ができない。そのころ、僕は19世紀の終りから20世紀にかけてのフランスの反ユダヤ主義と極右の政治思想を研究していました。 学術的な分類から言えば「政治思想史」に入ります。 けれども、僕が扱っていた反ユダヤ主義とか狂信的ナショナリズムというのは、「時代に取りついた精神的な病」のようなものであって、史料として読むのが「プロパガンダ」とか「偽文書」とか、端的に「嘘」あるいは「妄想」の所産なので、学術的厳密性を重んじる研究者たちはあまり論じたがらない。もちろんフランス政治思想の専門家は内外にいます。でも、歴史家たちは客観的な歴史的「事実」について研究しようとします。三流のイデオローグの妄想や虚言の類なんか相手にしたがらない。 でも、この妄想・虚言・デマ・プロパガンダの類いが実際には世界各地で巨大な政治勢力の形成に深く関与し、しばしば現実を破滅的なしかたで改変してしまうわけですから、「こいつらは気が変なのだ」で済ませるわけにはゆきません。 妄想を語る人たちにだって主観的には合理性や正当性があるはずで、彼らなりに整合的な世界像を持ち、歴史についてのヴィジョンを持っていたはずです。 それはどういうもんか、どのような経緯でそのようなものが形成されてしまったのか、それはどうすれば制御できるのか、といった問いは理論的にも実践的にもたいへん重要な問いだと僕は思っていました。 特に反ユダヤ主義思想のホロコーストの後の研究は「殺されたユダヤ人被害者の立場」からの真相究明と告発に主導されたもので、「反ユダヤ主義者たちにも、主観的には何らかの合理性があるはずだ」という仮説はまず絶対に取り上げられることがない。 でも、どうしてユダヤ人が世界の支配者、諸悪の根源であるというような説が出現し、それをかなり知性の高いはずの人たちまでが信じ込むに至るのかというのは僕にとっては実に興味深い研究テーマでした。『そのうちなんとかなるだろう』2:翻訳アルバイトのエピソード『そのうちなんとかなるだろう』1:大検のために猛勉強
2021.09.28
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今日は我が町のツバメたちが見えないぞ・・・どうやら昨日、旅に出たようです。とにかく温暖化のせいで、七十二候の「玄鳥去」から、実態が1ヵ月ほどズレているようです。ということで、以前の日記から復刻します。***********************************************************************日に日に、群れで飛ぶツバメが少なくなっているような、このごろですね。七十二候に「玄鳥去」というのがあるけど・・・どうも我が町生れのツバメたちは、もう飛び去っていて南の地域を移動中ということのようです。ネットでこんなサイトがありました。七十二候「玄鳥去(つばめさる)」。巣立ったヒナは、どんな旅に出るのでしょうかより■もう帰る巣のない幼鳥たち。「渡り」を前に、集団で暮らします 食糧や繁殖のため定期的に長距離を移動する『渡り鳥』。日本でもいろいろ見られます。ツバメなどの「夏鳥」は、春に来て子育てし、秋になると南の国に去っていきます。オオハクチョウなどの「冬鳥」は、越冬するために北の国から日本にやってきます。チドリなどの「旅鳥」は、北国で繁殖し南国で越冬するため、中継地点として日本を通りかかります。 人間の世界では、転々とする苦労人を「渡り鳥」と表現したりしますが、『渡り』の旅はまさに苦労の連続。嵐や天敵など危険もいっぱいです。ツバメたちも、毎回命がけで種の楽園をめざします。 5月下旬。生まれてからおよそ20日で巣立った一番子のヒナたち。ツバメは2回子育てをする親が多く、生まれた巣は、これから育つ弟妹(二番子)たちのもの。巣立った子の居場所はありません。 そこで、幼鳥たちは集まって、出発の日まで水辺のアシ原や大きな樹木などで集団生活をします。早く一人前にならないと、南の国に渡っていけません。渡り鳥としての自覚を高める寮生活といったところでしょうか。幼鳥は、尾が短いので遠くからでもよくわかります。 夏になると、2回目の子育てが終わった親鳥たちも集団に加わります。夕方、空にたくさんのツバメたちが集結して、日が沈むと一斉にねぐらに入っていきます。「集団ねぐら」は毎日少しずつ移動するうえ、夜明けにはツバメたちはもう飛び立っているので、なかなか見つけにくいようです。集団はだんだん大きくなり、秋には数千~数万羽もの大群になるといいます。■歩かないツバメ。渡り鳥を見送れる場所をご存じですか? ある日の明け方前に小グループで出発。親鳥から先に南へと旅立ち、幼鳥は渡る体力がつくのを待ちます。連れて行ってはもらえません。7月後半になると、ねぐらは親の割合が少なくなってきます。それでも10月頃までには、皆出発するようです。 渡りにはいくつかのコースがあるようです。まだ一度も通ったことのない何千キロもの空の道を、親もいないのに、幼鳥はどうやって迷わずに行けるのでしょう? ツバメには、目印のない海の上でも目的地に向かって飛び続けられるよう、太陽や地磁気によって方角を知る能力があるといいます。さらには、目的地に近づくと地形や目立つ建造物をたよりに正しい場所を見つけるのだそうです。生まれながらに「渡る力」が備えられていたのですね。 ツバメの体は、空中生活用にできています。食事はもちろん、水浴びすら下に降り立つことなく水面すれすれを飛びながら一瞬で(カラスもびっくりの瞬間行水で、水飲みとの区別がつかないくらいです)。大きな翼は長距離飛行に耐える丈夫さなのに、退化した足は弱くて歩くのが苦手。他の小鳥と比べて巣立ちまでの日数が長いのは、巣立ったらすぐ飛ぶ必要があるためです。 高速で飛びまわりながら小さな虫を見分ける目。飛んでいる昆虫をくわえとりやすいように大きく深く開く、嘴。上嘴には左右5本ずつくらいヒゲがあり、虫取りアミの役割をします。 飛行速度は時速45km、最高時速は200kmともいわれます。また、長い尾や翼のひと振りで、急旋回・急降下・停止飛行も思いのまま! 多くの渡り鳥が、気流が安定していて天敵に襲われにくい夜間に渡るなか、飛翔力に優れたツバメは、昼間に堂々と渡っていくのです。体力のついたツバメたちは南の地域を移動中のようだが・・・来年の春にまた帰っておいで。
2021.09.27
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図書館で『覇権の世界史』という本を、手にしたのです。めくってみると、たくさんの地図を引用しながら世界史を語っています。目のつけどころとしたら、黄河文明に対するモンゴル帝国の侵略あたりになるのです。大使の場合。【覇権の世界史】宮崎正勝著、河出書房新社、2019年刊<「BOOK」データベース>より悠久の歴史を編んできたドライ・ランドは大航海時代以降、海からイギリスに統合され20世紀後半になると強大なエア・パワーを持つアメリカが地球規模で一強体制を掌中にした。つまり、人類は「二度の空間レベルの覇権交代」をへて今の世界をかたちづくってきたのだ。それらの興亡はなぜ起きたのか?どうしてその国だったのか?読み進むほどに、歴史の必然が見えてくる!<読む前の大使寸評>めくってみると、たくさんの地図を引用しながら世界史を語っています。目のつけどころとしたら、黄河文明に対するモンゴル帝国の侵略あたりになるのです。大使の場合。rakuten覇権の世界史『第11章』から米中の覇権争いを、見てみましょう。p226~229<『第11章 アメリカの「空」の覇権に挑む中国の思惑とは』>3. GAFAという「覇権企業」と中国の挑戦■アメリカの覇権に挑戦する中国の“3段飛び” 中国は、南シナ海の囲い込み、海軍の拡充、空母の建造、航空機の量産による「海」の覇権国への脱皮を図っているが、従来の中国が典型的な内陸帝国だった関係もあり、実は「海」へ進出した経験が極端に少ない。 そもそも、中国の1920~40年代の国家形成の内戦も紅軍(人民解放軍)により担われた。軍の中心を海軍に移すことは容易ではなく、中国が「海」の覇権を握ることはさらに難しいだろう。それが中国の抱える基本的な矛盾である。まさに前途多難なのだ。 そこで中国は、最先端の科学により担われる「空」の世界でチャレンジすることになる。すでにジェット旅客機網を拡大し、北京の世界最大の第二空港も完成間近である。ドローン技術も、世界の最先端である。地球を取り巻く電子空間の分野では、アリババ、テンセント、バイドゥなどが、世界人口の5分の1を占める優位性を生かしてプラットフォームを築き、短期間でアメリカと並ぶIT大国にのし上がる勢いだ。 今、世界は「第4次産業革命」といわれるIT産業の大変革期に差しかかっており、その中心になるのが、4Gから5Gへの転換とされる。 中国は次に述べるように、国策として膨大な資金をIT産業に集中し、5Gへの転換を期に「空」の世界で覇権を一挙に確立することを狙っている。中国の性急なチャレンジ、つまり短期間での「陸」から「海」「空」への3段飛びは、第一次大戦の前の、ドイツのイギリスへの挑戦を彷彿とさせるものがある。■5Gを巡る米中の覇権争いの行方は? 習近平政権は、中華人民共和国建国100周年の2049年までに世界の製造大国になることを国家目標として掲げ、向こう10年間に製造業のデジタル化、ネットワーク化、インテリジェンス化を進め、製造強国の仲間入りを果たすという「中国製造2025」を発表している。 成長のための重点分野としては、次世代情報通信、ロボット、航空宇宙産業、海洋エンジニアリング、先端的鉄道交通、省エネ自動車、新素材、バイオ医薬などが挙げられ、現代経済の先進部分が全て網羅されている。 先に述べたように、世界の喫緊の課題は、2020年頃に始まるとされるIoTやAIの社会を支える「5G」への転換だ。通信の高速化と大容量化で、通信速度が今の100倍となり、1平方キロあたり100万の端末、装置と接続できるようになる。5Gは、建物、電化製品、機会、自動車、医療機器などのあらゆるモノがインターネットを通じてつながるIoT、つまり「モノのインターネット」にとって不可欠な通信技術の変革なのである。 アメリカとしては、その技術で中国に主導権を握られると、アメリカのインターネットを利用する覇権が崩れ、中国に取って代わられる恐れも出てくる。そこで、5Gを巡る米中の争いが地球規模で先鋭化しているのだ。 2017年のハイテク分野の品目別の世界1位の国を調べてみると、アメリカが24品目、日本が10品目、中国が9品目で、中国は携帯通信インフラ(基地局)の建設技術、監視カメラでは、世界で突出している。つまり5Gの移行に欠かせない基地局の建設では、中国のファーウェイが首位(約3割)、ZTE(中国の大手)が4位(約1割3分)を占めているのだ。 しかもファーウェイは、人民解放軍が母体になってつくられて急成長した企業である。そこでアメリカは、議会も大統領府も、5Gへの移行を機に中国にIT産業の覇権が移ることを恐れ、ファーウェイ潰しに乗り出した。このことは2018年12月にファーウェイのCFOがカナダで逮捕された事件もあって記憶に新しいだろうが、現在進行形なのである。 中国としてもビッグ・チャンスなので、何とかファーウェイの地位を保とうとして対抗し、5Gが米中の覇権争いの最前線になっているのだ。ウン ファーウェイ副会長が24日に、司法取引で釈放され、中国の空港へ到着するシーンがニュースで流れたが・・・赤い絨毯が敷かれたなかを花束を抱えて凱旋するという中国的な演出が見られましたね。『覇権の世界史』3:ウェット・ランドへと拡大する「陸」の世界『覇権の世界史』2:騎馬遊牧民の出現『覇権の世界史』1:四大文明 「〇」 (〇) (笑)。
2021.09.27
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図書館で『腐敗と格差の中国史』という新書を、手にしたのです。危険な隣国・中国の歴史的メカニズムを探究することは、個人的には喫緊のテーマになっているのです。【腐敗と格差の中国史】 岡本隆司著、NHK出版、2019年刊<「BOOK」データベース>よりなぜ中国では党幹部や政府役人の汚職がやまないのか?なぜ共産主義国にもかかわらず、貧富の差が拡大するのか?超大国を蝕み続ける「病理」の淵源に、実力派歴史家が迫る。エリート/非エリートの金・コネ・権力をめぐる相剋の二千年を一望し、独裁の度合いを強める中国共産党、および現代中国の実相を大胆かつ明快に読み解いた一冊。<読む前の大使寸評>危険な隣国・中国の歴史的メカニズムを探究することは、個人的には喫緊のテーマになっているのです。amazon腐敗と格差の中国史「むすびに」で毛沢東と習近平を、見てみましょう。p219~221■改革開放 毛沢東たちの主観的な意図はどうあれ、文革の惨憺たる結末はかくれもない。なかんづく最貧国レベルに落ち込んだ経済である。何にもまして、その復興を優先しなくてはならなかった。 復権を果たしたトウ小平らは、毛沢東的な上下一体化はあきらめ、共産党の支配を維持しながら、同時に経済を再建する方針をたてる。それが1978年にはじまる「改革開放」であって、のち「社会主義市場経済」という現在の体制に結実した。 「社会主義」と「市場経済」という一見あい矛盾する概念・制度の組み合わせは、中国の実情に適合していた。政治は「社会主義」の共産党政権が独裁的にひきうけ、経済は民間が自由な「市場経済」をとりいれる。毛沢東も最後まで克服できなかった上下乖離の二元構造に応じていた。「改革開放」がめざましい成果を収めたのも、そのためである。 1980年代前半までに農村改革が成功して、生産力が回復、伸長すると、都市にも商品経済を容認して、企業活動が活発化した。90年代に入って、「市場経済」の全面化にふみきると、中国は長期にわたる高度成長を実現してゆく。その結果が現在の経済大国なのである。 「社会主義市場経済」が中国旧来の社会構成に応じた体制だとするなら、それに根ざす弊害も、また免れない。かつて実現したかに見えた官吏の清廉潔白や犯罪の根絶は、毛沢東がめざした中国の一体化によって、みなが貧しくなった結果であった。本書132頁にみた陸龍其の「清貧」を彷彿させる。「改革開放」以後、継続する経済発展は、あくなき富の追及と、それにともなう格差の拡大を生み出した。こちらはいわば、乾隆の「盛世」から20世紀にいたる歴史にあたり、「腐敗」の蔓延・犯罪の多発という社会不安を深刻化させている。 時を同じくして、「国進民退」というフレーズも、人口に膾炙した。具体的には、国有企業の肥大と民間企業の縮小を指していうが、国家と民間の乖離と対立関係を示すに、これほどふさわしい表現もあるまい。 二元構造の上下乖離が、あらためて拡大した所産である。もちろんその上層を占め、富裕化したのは、共産党員とその縁類、もしくは関連企業にほかならない。その豪奢に比べれば、70年前・国民政府時代の「四大家族」など、おそらく足許にもおよばないだろう。■亡党亡国 これでは共産党の要人も、さすがに危機感をいだかざるをえない。胡錦濤前国家主席は2012年、第18回中国共産党大会の政治報告要旨で、「腐敗」問題が解決できなければ、党は致命的なダメージを受け、「亡党亡国」になると述べた。 同年11月、党総書記に就任したばかりの習近平も、「腐敗」問題が深刻化すれば、「きっと亡党亡国の結果になる」と口をそろえている。なればこそ習近平新政権は、敢えて強権的な手法をも辞さずに、反「腐敗」キャンペーンを張ったのである。「亡党亡国」は文字どおり、共産党が亡んで中国が亡ぶ、という意味なのだろう。一党独裁・「党国家」・民主集中制らしい認識ながら、句作りとしては、顧炎武の「亡国亡天下」を下敷きにしたものらしい。そこにどうやら現代中国の矛盾と苦悩もかいまみえる。ウーム 富裕化したのは共産党員とその縁類とのこと・・・これが「亡党亡国」につながる利権というものなんでしょうね。『腐敗と格差の中国史』3:中国革命『腐敗と格差の中国史』2:19世紀の内憂外患『腐敗と格差の中国史』1:はじめに
2021.09.27
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図書館で『そのうちなんとかなるだろう』という本を、手にしたのです。内田先生にしてはふざけたタイトルの本であるが、中をめくってみると、なんと自叙伝になっているがな・・・この明晰な先生(思想家)がいかにして形成されたか、興味深いのでおます。【そのうちなんとかなるだろう】内田樹著、マガジンハウス、2019年刊<「BOOK」データベース>よりやりたいことは諦めない。やりたくないことは我慢しない。たどり着く場所は、結局同じだから。直感に従って生きてきた思想家の悔いなき半生記。<読む前の大使寸評>内田先生にしてはふざけたタイトルの本であるが、中をめくってみると、なんと自叙伝になっているがな・・・この明晰な先生(思想家)がいかにして形成されたか、興味深いのでおます。rakutenそのうちなんとかなるだろう『第2章 場当たり人生、いよいよ始まる』で翻訳アルバイトのエピソードを、見てみましょう。p99~103<翻訳会社でアルバイト> アルバイトは学生時代から実によくやりました。 大学1年生のときには日本進学教室という小学生相手の中学受験予備校のスタッフに採用されました。 日本進学教室は当時中学受験の最大手で、児童数3000人、学生スタッフ70人が作問、採点、進路指導などをして働いていました。 働いている学生の半分くらいは活動家崩れでした。中核派、叛旗派、情況派、ML同盟、革マル派、第4インターと各セクトの諸君がいました。 最初のうちこそ角突き合わせてつかみ合いの激論ということもありましたが、一緒に仕事をして、マージャンやったり、居酒屋で飲んだりしているうちに、たちまちみんなすっかり仲よくなってしまいました。 学内ではなんであんなにいがみあっていたんでしょうね。 大学3年までそこでバイトをして、3年生のときに翻訳会社の翻訳者兼デリバリーボーイというものになりました。 呼んでくれたのは、パリで一緒だった竹信悦夫くんです。彼がその翻訳会社で働いていたのですが、3年生の秋に「内田、オレはしばらくパレスチナに長いわらじを履くから、オレがやっていた仕事を引き継いでくれよ」と、その穴埋めにお声がけいただき、深い考えもなく引き受けたのです。 デリバリーボーイというのは、クライアントである商社やメーカーから出る翻訳原稿を取りに行き、それを訳者のところに届け、それを回収して、タイピストのところに届け、タイプアップしたものをクライアントのところに届けるという仕事です。 仕事が立て込むときはけっこう移動しますけれど、何もないときは1日何もない。クライアントがかたまっている丸の内や東京駅近くの喫茶店で終日読書して、それでおしまいということもありました。 翻訳もずいぶんやらせてもらいました。これはちゃんと別料金でバイト代がいただけます。学生ですから、あまり難しいものや重要なものは回ってきませんけれど、なにしろ当時は総合商社が音頭取りをして、日本のメーカーがダムやら火力発電所やら鉄道やらをプラント輸出していた時代ですから、関連書類の翻訳が出るときはほとんど「キロ単位」で出ます。 国際入札の前などは、短期間にダンボール何箱分のドキュメントを翻訳しなければならないというようなことが起きる。そうなるともう「猫の手も借りたい」ということになります。 ですから、70年代の中ごろから、雨後のタケノコのごとく翻訳会社が生まれ、75年ごろ、東京だけで翻訳会社が600社ありました。 僕が働いていた翻訳会社も、「これから翻訳の需要が増えるぞ」とビジネスマンから教えられた女性(宝塚歌劇団にいた人で、コネクションだけは各界に広かった)が立ち上げたものです。 翻訳会社といっても訳者を雇い入れるわけではありません。 訳者たちは全員がフリーランス。タイピストもフリーランス。翻訳会社といっても、実質は「受注して、ピックアップして、訳者・タイピストに仕事を放り込んで、回収して、納品」というデリバリー業でした。<無職から二足のわらじ生活へ> 翻訳会社の仕事は大学を卒業してからも、しばらく続けました。 仕事が増え続ける業界だったので、「猫の手」でいいからと社長に頼まれて、友だちを次々とリクルートして、会社にアルバイト要員として入社させました。 その中の一人が小学校時代からの友人の平川克美くんです。 彼は早稲田大学の理工学部にいたのですが、学生運動の退潮期から大学に寄り付かなくなり、渋谷の「ライオン」に通って、ひがな1日詩集を読むという非生産的な生き方をしていたので、「来ない?」と誘ったら、すぐに来て、働くようになりました。 僕は3人バイト学生を紹介した後にバイトを辞めましたが、僕が辞めて1年ほど経ったころに、その平川くんから声がかかりました。 「あそこ辞めて独立するから、一緒にやんない?」 僕は院試の受験勉強をしているころで、この次も落ちたらそろそろ身の振り方を考えなければいけないと思っていました。 でも、僕たちのような特技もないし、新卒でもない、「過激派学生」崩れを採用してくれるまともな会社なんかないだろうから、「自分たちで会社を創立する」というのはコロンブスの卵的な発想に思えました。 そこで平川くんと、前の翻訳会社にいた二人と4人で、渋谷の道玄坂に「アーバン・トランスレーション」という会社を立ち上げました。 会社ができたのは1976年の暮れでした。 会社を始めてしばらくして都立大の院試に合格したので、4月から会社と大学院の二足のわらじを履くことになりました。それまでぼんやり「無職」だったのが、いきなり忙しくなりました。 村上春樹の『1973年のピンボール』という小説には、大学を出た後、友人と二人で渋谷で翻訳会社を経営することになった若者が出てきます。 平川くんはよく知り合いから、「この小説のモデルは平川さんたちでしょ?」と聞かれたそうです。『そのうちなんとかなるだろう』1:大検のために猛勉強
2021.09.26
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図書館で『そのうちなんとかなるだろう』という本を、手にしたのです。内田先生にしてはふざけたタイトルの本であるが、中をめくってみると、なんと自叙伝になっているがな・・・この明晰な先生(思想家)がいかにして形成されたか、興味深いのでおます。【そのうちなんとかなるだろう】内田樹著、マガジンハウス、2019年刊<「BOOK」データベース>よりやりたいことは諦めない。やりたくないことは我慢しない。たどり着く場所は、結局同じだから。直感に従って生きてきた思想家の悔いなき半生記。<読む前の大使寸評>内田先生にしてはふざけたタイトルの本であるが、中をめくってみると、なんと自叙伝になっているがな・・・この明晰な先生(思想家)がいかにして形成されたか、興味深いのでおます。rakutenそのうちなんとかなるだろう『第1章』で先生の受験エピソードを、見てみましょう。p41~45<大検のために猛勉強> 親に頭を下げて家に戻ったのは1967年12月です。 翌年の元日から受験勉強を再スタートしました。半年以上「勉強」ということをまったくしていませんでしたが、大検の試験日は8月初旬。7ヶ月しか準備期間がありません。 その当時、大学入学資格検定に合格するためには16科目で60点以上をとることが必要でした。僕が高校2年までに履修して受験免除になった科目はわずか3つ。ですから、13科目の試験勉強をしなければならない。 試験そのものは高校受験に毛が生えた程度で簡単なものでしたし、60点とれば合格です。2年前の9科目受験の都立高校の入試の受験勉強のストックがまだ残っていますから、勉強の負荷そのものはそれほど厳しいものではないのですが、それでもうっかり1科目でも取りこぼしたら、大学受験が1年遅れます。試験当日に風邪をひいても、電車がストで止まっても、「はい、おつかれさん」です。 それでいきなりねじり鉢巻きで受験勉強に取りかかりました。午前中3時間、午後5時間、1日8時間ペースで朝から晩まで日曜も休日もなく勉強していました。 ある日、テレビをつけると忘れがたい画面に遭遇しました。 1月に佐世保で起きた「エンタープライズ寄港阻止闘争」(佐世保闘争)です。このニュースの画面を見て「あ、これだったのか」とため息をつきました。 夏に僕が家を出たときは、学生運動にコミットするという選択肢は念頭にありませんでした。 三派系全学連の皆さんが集会をしたり、綱領的なすり合わせをしていたのはたぶんお茶の水の中央大や明治大のキャンパス内でだったと思います。僕はそれと知らずにその時期、やがて華々しく政治の舞台に登場する大学生たちのすぐ横で、「何か起こらないかなあ」とじたばたしながら、毎日ジャズを聴き、コーヒーを淹れていたのでした。 もし僕が「ニューポート」で仕事を始めたのがあと半年遅ければ、大学生たちも「猫の手も借りたい」という運動の拡大期でしたから、「そこの高校生の君、ちょっとこっち来て」と頭にヘルメットをかぶせられて、デモやキャンパスのバリケード封鎖に動員されていたかもしれません。 幸か不幸か、少し時期が早すぎた。 ですから、テレビの画面でヘルメットをかぶり、自治会旗を翻し、ゲバ棒を手にデモをしている佐世保の学生たちを見たときに、「あ、僕はこれに加わりたくて高校をやめたのか・・・」と気がついたのです。 でも、時すでに遅し。親たちに「これからはまじめに勉強します」と手を憑いて家に入れてもらってまだ半月ほどしか経っていない。 実際には、その前年の10月に羽田闘争があり、それが三派系全学連登場という政治史的転換点なのですけれど。僕は10月は極貧生活のさなかでテレビも見ず、新聞も読まずに過ごしていたので、その闘争の「画像」を見ていませんでした。 68年1月の佐世保闘争のときはテレビのある環境に戻っていたので、ヘルメットと自治会旗とゲバ棒というものをはじめて目視して、「おお、これは」となったのです。 そのままおとなしく受験勉強をすること7ヶ月。8月に無事に3日間にわたる大検を受験でき、10月には合格の知らせがありました。68年の10月に同級生たちはまだ高校3年生だったわけですから、僕は高校2年生で中退したにもかかわらず、同期より半年早く高校を卒業したことになります。 うれしくて、日比谷高校に「高校生諸君、あとまだ半年通学しないと卒業できないんだね。はい、ご苦労さん」といやがらせを言いに行って、クラスメートたちに嫌な顔をされました。 そうはいっても、こちらは大検のために大学入試と関係ない科目にまで手を広げて勉強していたので、その分だいぶ大学受験には出遅れていました。だから、ほんとうは同級生に「いやがらせ」をしに行ってる暇なんかなかったのです。それから半年必死で受験科目に取り組みました。 翌年69年には東大を受けるつもりでしたが、69年1月に「安田講堂事件」があり、東大入試が中止になりました。 志望を変えて、京都大学法学部を例年にない倍率になってしまって、あっさり不合格。そこで駿台予備校に通うことになりました。 駿台の学生証を手にして、久しぶりに「どこかの学校に帰属している」ことを書類で保証されて、ずいぶんほっとしたことを覚えています。考えてみたら、16歳の春から18歳の春まで2年間「中卒、無職」だったんですから。
2021.09.26
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コロナウィルス対応で各種催しが自粛中であるが、久々に横尾忠則を観に行こう♪…ということで、横尾忠則現代美術館の企画展「横尾忠則の恐怖の館」に繰り出したのです。お天気もいいし、連休明けということで人出も少ないだろうという読みもバッチリで、久々の企画展を堪能したのでおます。今回のポスターです。横尾忠則の恐怖の館より 我々は未知のものに対してしばしば恐怖を抱きます。それは好奇心と表裏一体であり、怖いけど見たい、といったアンビバレントな感情を誘発します 横尾忠則は、見えるものや科学で説明できる領域外のものにも、一貫して関心を寄せてきました。それには、郷里の西脇での幼少期の体験が深く関わっています。都会ではありえない深い闇や、神秘的な体験の数々は、『江戸川乱歩全集』の挿絵を始めとするイラストレーションや、画家宣言以降の絵画作品にも色濃く反映されています 本展は、そうした横尾の多彩な作品を通じて、「芸術」と「恐怖」との関係性について考察するものです[会期]2021年9月18日(土)-2022年2月27日(日)(月:振休)とにかく、肝を冷やす企画になっていて・・・入口が狭くて暗いので、目が慣れるまでは真っ暗闇なので、恐る恐る入場しました。学園祭のお化け屋敷といえば、当たらずとも遠からずでんがな。やがて薄暗い提灯に照らされて怖い作品が見えてきますが、それは見てのお楽しみ。横尾忠則を観に行こう♪13:横尾忠則の髑髏まつり横尾忠則を観に行こう♪14:横尾忠則の緊急事態宣言横尾忠則を観に行こう♪15:横尾忠則展 学芸員危機一髪
2021.09.26
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図書館で『中国4.0』という新書を、手にしたのです。危険な隣国・中国に対しては常なる監視と有効な戦備・訓練が必要なんだろうね。【中国4.0】エドワード・ルトワック著、文芸春秋、2016年刊<「BOOK」データベース>より2000年以降、「平和的台頭」(中国1・0)路線を採ってきた中国は、2009年頃、「対外強硬」(中国2・0)にシフトし、2014年秋以降、「選択的攻撃」(中国3・0)に転換した。来たる「中国4・0」は? 危険な隣国の真実を世界最強の戦略家が明らかにする。<読む前の大使寸評>危険な隣国・中国に対しては常なる監視と有効な戦備・訓練が必要なんだろうね。rakuten中国4.0『第5章 中国軍が尖閣に上陸したら?』で「チャイナ4・0」を、見てみましょう。p152~155<チャイナ4・0> これまで「チャイナ1・0」から「チャイナ3・0」に至る中国の対外政策の変遷を見てきたが、ここでは、いよいよその後に想定される「チャイナ4・0」が一体どのようなものになるかを考えてみたい。 私は習近平の政策アドバイザーではないが、一つだけ断言できるのは、私がここで提案する「チャイナ4・0」が、中国にとって究極の最適な戦略であるということだ。と同時に、現在の中国にはおそらく実行不可能ということだ。そもそもこれを中国に提案すれば、反発を受けるのは間違いない。彼らには想像もつかないアイディアだからだ。 「チャイナ4・0」が中国にとって最適な政策となるには、習近平が対外政策において次の二つを実行する必要がある。 一つは、例の「九段線」、もしくは「牛の舌」の形で知られる地図を引っ込めること。つまり南シナ海の領有権の主張を放棄することだ。これによって、インドネシア、マレーシア、ブルネイ王国との領有権問題を解消できる。もう一つは、空母の建造を中止すること。もう一つは、これによって、アメリカの警戒感を解消できる。 もちろんこのような政策の劇的な転換は、中国国内では政治的に受け入れがたいだろう。まず人民解放軍も、民族主義者も、大きな不満を感じるだろう。中国の「面子」に大きなキズをつけることになるからだ。 ところがすでに述べたように、そもそも九段線の元となった地図は、中国が実効的な支配力をほとんど持たなかった時期に国民党の軍の高官が酔っ払いながら描いたものだ。こんな馬鹿げたでっち上げの地図に拘わる必用など始めからない。空母の建造も、中国にとってカネの無駄遣いでしかない。 もちろん、習近平にとって、このアイディアを思いつくことさえ不可能だろう。万一思いついても、彼は人民解放軍に殺されるかもしれないし、人民解放軍がわざと対外危機を起こすかもしれないが、それは誰にもわからない。 いずれにせよ、ここで言えるのは、中国にとって最適な「チャイナ4・0」を思いつくには、かなりの想像力が必要だということだ。もちろん全く不可能というわけではないが、中国人にとってはかなり難しいと言える。それは、彼らが「戦略」を理解するのが不得手だからで、そもそも彼らが「外国」というものをうまく理解できないからだ。 一般に外国についての理解度は、国の大きさに反比例する。基本的に国の規模が大きくなれば、外国についての理解度も落ちるのだ。さらに中国の場合にはそこに「天下」という世界観、「冊封体制」というメンタリティーが付け加わる。そのため彼らはますます外国を理解できなくなるのだ。 今日の中国のリーダーたちは、外国からの訪問者を毎日のように迎えている。バニアツ、キリバス、ポーランド、ルクセンブルグなどの国の施設たちだ。そして腰を据えて現実の世界で起こっていることについて書かれた本を読む代わりに、彼らは意味のないセレモニーに参加するのである。 習近平に面と向かって、「あなたが戦略を誤まるのは、外の世界に関心を持たないからだ」と言えば、「何だって? 私が外国のことを知らないなんて言わせない。今日だって何時間も外国の使節を出迎えていたぞ!」と返してくるだろう。ところがそこには中身はない。ただ「中国が天下である」ことを示す式典が、無意味につづけられるだけだ。そして彼らはその映像をテレビで中国国内に流すのである。これはむしろ国内向けのパフォーマンスで、国民は「われわれのリーダーは世界中から尊重されている」と思い込むことになる。 中国は、外国を理解できず、それゆえに外国とまともな交渉もできない。中国が「戦略」を理解できていないというのは、こういう意味である。外国の使節を招く無意味な祝賀行事は、その象徴と言える。ウーム ルトワックさんに言わせれば、習近平の戦略はケチョンケチョンに評価されているが・・・逆に、何をするか分からないのが怖いところだろう。『中国4.0』2:中国の脅威への対処『中国4.0』1:ルトワック戦略論のキーワード
2021.09.25
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<『覇権の世界史』3>図書館で『覇権の世界史』という本を、手にしたのです。めくってみると、たくさんの地図を引用しながら世界史を語っています。目のつけどころとしたら、黄河文明に対するモンゴル帝国の侵略あたりになるのです。大使の場合。【覇権の世界史】宮崎正勝著、河出書房新社、2019年刊<「BOOK」データベース>より悠久の歴史を編んできたドライ・ランドは大航海時代以降、海からイギリスに統合され20世紀後半になると強大なエア・パワーを持つアメリカが地球規模で一強体制を掌中にした。つまり、人類は「二度の空間レベルの覇権交代」をへて今の世界をかたちづくってきたのだ。それらの興亡はなぜ起きたのか?どうしてその国だったのか?読み進むほどに、歴史の必然が見えてくる!<読む前の大使寸評>めくってみると、たくさんの地図を引用しながら世界史を語っています。目のつけどころとしたら、黄河文明に対するモンゴル帝国の侵略あたりになるのです。大使の場合。rakuten覇権の世界史『第1章』からウェット・ランドを、見てみましょう。p64~67<『第1章 長い時間をかけて「陸」の世界は形成された』>7. ウェット・ランドへと拡大する「陸」の世界■水が豊富なウェット・ランド。なぜ開発が遅れた? 約3000年前以降に、「陸」の世界は、ドライ・ランドからウェット・ランドへと広がった。ウェット・ランドの中心は、ユーラシア南部のモンスーン地帯、北の北欧、ロシアなどである。 ①東アフリカの大地溝帯から始まる人類社会がドライ・ランドで展開され、軍事的優位に立つドライ・ランドから自立することが難しかったこと、②多様な植物が繁茂したため開発に手間がかかったこと、③モンスーン地帯には雨季と乾季があったこと、④ヨーロッパは冷涼で農業が不振だったことなどの理由で、ウェット・ランドの開発は意外に遅れた。 主なウェット・ランドは次のようになる。■ガンジス川流域 多産かつ遊牧民に襲われにくかった アフガニスタンから侵入した遊牧系のアーリア人はウェット・ランドのガンジス川流域に至り、そこで多産なコメ栽培により都市国家を成長させた。今から約3000年前のことである。(中略)■長江流域 ドライ・ランドからの自立が難しかったわけ 漢帝国が崩壊した後の混乱期に、遊牧民が傭兵として活躍した。4世紀になると、傭兵として利用された五つの遊牧民(五胡)が黄河中流域を占領して多数の国を建てる。これを五胡十六国時代(304-439)という。 そのために、そこから押し出された漢人が長江、朝鮮半島、日本列島へと移動し、大混乱の中でウェット・ランドの開発が進んだ。魏晋南北朝時代(220-589)は、民族移動により東アジアのウェット・ランドが一つの世界に変わる転換期で、日本の歴史の黎明期になる。 中国では、ツングース系の鮮卑人がドライ・ランドを北魏として統合して(北朝)、ウェット・ランドの南朝としたが、結局、遊牧系の鮮卑人が南朝を征服して隋、唐を建て、中国全体がドライ・ランドに組み込まれた。 鮮卑人は漢人の支配層との結婚で中国社会に同化する一方で、豪族から土地を奪い、均田性、租庸調性、府兵性により支配を強化した。隋・唐は、ドライ・ランドの遊牧部族が、南部のウェット・ランドを強力に支配した王朝だったのだ。 10世紀末になると、長江流域で作られるコメが中国の中心的な食糧になり、「蘇・杭、熟すれば天下足る(江南の蘇州、杭州が豊作ならば中国の食糧は賄える)」といわれるような状態になった。宋、南宋、明などのウェット・ランド(長江流域)を基盤とする王朝も成立する。 ただ、ドライ・ランドのウマを利用した軍事力が強く、金(満州人)、元(モンゴル人)、清(満州人)などの遊牧帝国が黄河と長江流域を支配する時代が長く続いた。最後の帝国・清は、満州人、モンゴル人が軍事力により打ち立てた典型的なドライ・ランドの王朝である。 その領域を全面的に引き継いだ現在の中国は、「陸」「海」「空」の諸段階を複合させる超帝国を目指すが、基本的には軍事力に依存するドライ・ランドの国である。党の軍隊を持つ共産党の支配が、かつての部族支配とどう違うのかが、丁寧に説明される必要があるだろう。『覇権の世界史』2:騎馬遊牧民の出現『覇権の世界史』1:四大文明
2021.09.25
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図書館で『覇権の世界史』という本を、手にしたのです。めくってみると、たくさんの地図を引用しながら世界史を語っています。目のつけどころとしたら、黄河文明に対するモンゴル帝国の侵略あたりになるのです。大使の場合。【覇権の世界史】宮崎正勝著、河出書房新社、2019年刊<「BOOK」データベース>より悠久の歴史を編んできたドライ・ランドは大航海時代以降、海からイギリスに統合され20世紀後半になると強大なエア・パワーを持つアメリカが地球規模で一強体制を掌中にした。つまり、人類は「二度の空間レベルの覇権交代」をへて今の世界をかたちづくってきたのだ。それらの興亡はなぜ起きたのか?どうしてその国だったのか?読み進むほどに、歴史の必然が見えてくる!<読む前の大使寸評>めくってみると、たくさんの地図を引用しながら世界史を語っています。目のつけどころとしたら、黄河文明に対するモンゴル帝国の侵略あたりになるのです。大使の場合。rakuten覇権の世界史『第1章』から騎馬遊牧民を、見てみましょう。p61~64<『第1章 長い時間をかけて「陸」の世界は形成された』>6. 騎馬遊牧民の出現が「陸」の世界をリードした■騎馬技術の発明が、軍事的略奪の始まり ドライ・ランドのもう一つの大世界は、草原に散居する遊牧民だった。遊牧民の世界では、部族という血縁集団が社会の基礎となった。部族性は現在も、サウジアラビア、イラン、韓国などに強固に残っている。 草原のウマは、牧畜の規模を10倍にした。一家族の生活には200頭のヒツジが必要であり、えさとなる草の関係から1ヶ所には5家族程度しか生活できなかった。そのため、10キロ程度離れた広い空間で牧畜民は結び付かざるを得ず、ウマは草原の交通でも欠かせなかった。 ウマを使う牧畜民が「遊牧民」だが、遊牧民の力をパワー・アップしたのが、黒海北岸のウクライナのスキタイ人である。 彼らは前6世紀頃に、ハミとタズナ、馬上で射る短弓を開発し、騎馬軍団による機動的な集団戦法を開発した。これによって騎馬遊牧民という大軍事勢力が出現する。騎馬技術は草原の諸部族に広がり、農業社会をターゲットにして略奪が繰り返されることになる。 騎馬により高速で自由自在に兵力を集中・分散させる遊牧民の軍隊は、馬上から射ることのできる射程距離200メートル以上の短弓の開発と騎馬技術を組み合せることで、軍事面で圧倒的優位にたった。 スキタイ人の馬具は草原の道に沿って伝えられ、ウマと一体化した遊牧民がドライ・ランドの覇者となった。■遊牧民、ビジネスとしての「征服」に目覚める 部族ごとに分かれて生活する遊牧民は、部族長の会議で王(ハーン)を選び結束を守った。遊牧民は、時に有能な指導者が現れると瞬く間に大空間を支配する遊牧帝国へと成長を遂げたが、有能な指導者が去ると、部族ごとに分散して帝国は跡形もなく消え去った。帝国は、穀物などの物資を安定して確保するために形成されたのである。 遊牧民が世界史の展開に大きな役割を果たしたのは、彼らの貧しさに一因があった。家畜の飼育、狩猟に依存する遊牧民の生活は極めて不安定であり、機会に恵まれれば農耕社会を征服して貢納させたり、オアシス地帯の商業圏を支配して商人から税を取り立てたりして、貧しい生活を補ったのである。やはり「欠乏」が原動力になっているのだ。 伝統を固守する農耕社会とは異なり、常に変化する自然に柔軟に対応していかなければならない遊牧民は思考が柔軟で、必要に迫られれば商人から得た情報と軍事力を結合して、ユーラシアに勢力圏を広げた。 戦争や侵略だけではなく、遊牧民と農耕民の間には共存の関係もあった。スキタイ人とギリシャ人の間の貿易、匈奴と漢帝国の間の絹馬貿易などはその例である。モンゴル高原の匈奴は漢帝国や西方のパルティア(現イランあたり)と絹馬貿易を行った。『覇権の世界史』1
2021.09.25
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図書館で『日本列島の自然と日本人』という本を、手にしたのです。著者は東北大学応用化学科に学び、IHIに勤務した理系のひとであるが・・・日本の自然と歴史と信仰を余すことなく綴っています。その真摯なスタンスがええでぇ♪【日本列島の自然と日本人】西野順也著、築地書館、2019年刊<「BOOK」データベース>より緑豊かな国で、縄文の時代から現代まで、人々はさまざまな自然の恵みを活用し、時には痛めつけ、一方でその大いなる存在を敬い、畏れ、愛でてきた。万葉集に登場する数々の草花、戦や築城による森林破壊、江戸時代の園芸ブーム、信仰と自然の深いつながりが息づく年中行事など。日本人の自然観はどのように育まれていったのか。そしてそれは、どのような文化を生み出していったのか。日本人と自然の深い関わりを見つめ、これからの私たちが自然とどう向き合っていくべきかを問いかける。<読む前の大使寸評>著者は東北大学応用化学科に学び、IHIに勤務した理系のひとであるが・・・日本の自然と歴史と信仰を余すことなく綴っています。その真摯なスタンスがええでぇ♪amazon日本列島の自然と日本人『第6章』で森林と林業の関係を、見てみましょう。p149~151<『第6章 森林の破壊と再生』>■7 森林と日本人 このような豊かな自然が残っているのは、日本人が自然を愛し自然を愛し自然を大切にする国民だからという人がいる。しかし、過去における日本人と森林との関わりをみてみると、日本人は決して森林を大切にしてきたわけではない。自然の美を観賞して歌を詠み、自然を模した庭をつくって楽しんだのは貴族などごく一部の支配層だけで、大部分の庶民は自然の美を観賞するような余裕はなく、自然に対して非常に実務的だった。 生活のために木を伐り、森林を開墾し、利用したのだ。また、自然を愛した支配層も、自らの顕示欲のためには惜しげもなく木を伐り倒した。日本の森林が崩壊せずに残ったのはいくつかの偶然が重なっただけである。 まず大きかったのが、日本は温暖で湿潤な気候に恵まれ、森林の復元力が強かった点である。伐り倒しても、数十年すると木が生い茂り森林は復元した。そのうえ、スギ、ヒノキなどの高齢原生林が伐採されるとこれらの林地は広葉樹の多い混交林に変わる。広葉樹は建築材にはむかないが質の高い燃料や肥料を供給してくれる。広葉樹が多くなったことで社会の差し迫った需要を満たすことができるようになった。 次に社会的な要因がある。飛鳥時代から平安時代中期にかけての略奪期は大型建造物と宮都の建設で畿内の高木林は藪に変わり、耕地に転用された。奈良や京都に近いほとんどの土地では激しい収奪にさらされて環境の変化と劣化が起こっていた。 しかし、この時代の支配者は伐採活動を日本全体に広げるだけの力を持っていなかった。畿内とその周辺に蓄積されていた森林がひとたび消費されてしまうと、木材の消費を基盤とした活動はもっぱら地域内の森林の生産能力に規定されてしまうことになった。 安土・、桃山時代から江戸時代初期の近世の略奪期には北海道以南のあらゆる森林が伐採の対象になった。その結果、広い範囲にわたって浸食と洪水が発生し、林地の利用権をめぐる争いがあちこちで頻発するようになった。日本全土の森林に限界を超えた圧力がかかり始め、破局が迫っていた。しかし、この時も森林の崩壊は起こらなかった。 自給自足の社会が許容し得る最大限の生産能力と人口に達したのだ。日本は島国で外からの資源の供給は限られている。14・15世紀に始まった農業生産と手工業の発達は貨幣経済を進展させ人口成長を引き起こした。増えた人口を養うため積極的な新田開発と土地生産性の向上が図られた。 当時の技術で農地に転用できるところhすべて農地となり、生産性は極限に達し、人口は18世紀中頃に飽和に達した。農村でも人が増え、農家は家畜を使うよりも家族の労働力に期待するようになり、労働集約的な農業へと変化していった。出産調整が行われるようになり、18世紀後半からたびたび飢饉が発生したこともあり、人口は明治維新までほぼ横ばいとなる。 その結果、森林への需要も伸びずに低迷し、18世紀後半に広まった人口造林による供給能力の向上を待つだけの余裕ができたのだ。(中略) 明治時代以降、さまざまな産業が勃興し、同時に戦争による軍需と戦後の復興が重なり、日本中の木が伐られ、森林は破局寸前まで荒廃した。この時にもさまざまな造林製作がとられたが、最終的には海外からの木材の輸入が自由化されたことで救われた。 さらには、限られた資源の中で最大限の活動を志向する日本人の習性がある。日本人はものがなくなると外部を侵略してでもそれを手に入れようとはしない。あるものをうまく活用して、自らをその環境に順応させようとする。島国でものが限られている中で生きてきた日本人の生活の知恵である。 古代の略奪期でも、畿内の森林資源が枯渇すると、解体した建物の廃材を利用したり、建物の規模を縮小したりして対応した。近世でも、人が増え自給自足の社会が飽和すると、瀑布や藩、農民も無理に森林を伐り開こうとはせず、農民は家畜を手放し家族の労働力でまかなうようになり、出産調整をして環境に適応していったのだ。『日本列島の自然と日本人』2:日本的な価値観『日本列島の自然と日本人』1:日本の風土
2021.09.24
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図書館で『腐敗と格差の中国史』という新書を、手にしたのです。危険な隣国・中国の歴史的メカニズムを探究することは、個人的には喫緊のテーマになっているのです。【腐敗と格差の中国史】 岡本隆司著、NHK出版、2019年刊<「BOOK」データベース>よりなぜ中国では党幹部や政府役人の汚職がやまないのか?なぜ共産主義国にもかかわらず、貧富の差が拡大するのか?超大国を蝕み続ける「病理」の淵源に、実力派歴史家が迫る。エリート/非エリートの金・コネ・権力をめぐる相剋の二千年を一望し、独裁の度合いを強める中国共産党、および現代中国の実相を大胆かつ明快に読み解いた一冊。<読む前の大使寸評>危険な隣国・中国の歴史的メカニズムを探究することは、個人的には喫緊のテーマになっているのです。amazon腐敗と格差の中国史「Ⅴ 根源」で中国革命を、見てみましょう。p182~184<3 革命のターゲット>■革命とは何か 孫文は若くして西洋的な教育を受けた革命家であり、西洋的なセンスと旧体制の王朝政治への敵視にあふれた人物だった。なればこそ、こうした旧体制のありようを察知し、自らの課題とすることができたのだろう。 しかも孫文は上に引いたような、「人民」と「政府」の稀薄な「関係」や誕生日のプレゼントを、過ぎ去った昔話として述べているのではない。なお克服しなくてはならない現状喫緊の課題とみなしているのである。 その孫文は1925年3月、「革命いまだ成功せず」といい残して、その生涯を終えた。現代中国の政権は、その遺志を受け継いだことを正統のあかしとしている。まったく政体の異なる大陸も台湾も、そこだけはかわらない。 それならその「革命」は、遺志どおり成就したのだろうか。そもそも彼がめざした中国革命とは、いったい何だったのか。それを問い直すのは、いまも革命を是認する中国の認識そのものに迫ることにもつながるだろう。 われわれが口にする中国革命とは、中国を西洋流の国民国家にしたてあげて、「亡国」を救おうとする事業である。それが出てきたプロセスは、しかしそんなに古いことではない。20世紀になって、ようやく普通・主流になった言動である。それまでは、そもそも革命という概念もなかった。 もちろん「革命」という漢語、ことばは古くからある。しかしそれは、もともと王朝交代を指していた。「革命(命を革める)」とは、王朝に政権を付与する天命が変わる、という意味であって、違う王朝政権が成立することが「革命」にほかならない。 王朝・政権は交代しても、政体・制度・体制は大きく変わらない。それが歴史的な中国のありようだった。あらためて17世紀の顧炎武に発言してもらうと、 天下が亡ぶのは、王朝が亡ぶのとわけがちがう。王朝の興亡には、その君臣しか関わりがない。けれども天下の興亡には、賤しい匹夫にも責任がある。という名言になる。逆にいえば、政治・政局にすぎない王朝・政権の交代は、社会・庶民のあずかり知らないことであって、つまり旧時の「革命」とは、一般の人々にほとんど無縁の出来事なのであった。(中略) 当時に革命をめざした人々は、思想・手段こそ同じでなくとも、中国の国民国家化という最終的な目標では、大きくかわることはなかった。だとすれば、本書がみてきたような、また孫文が述べたような旧体制の諸制度をつくりかえることこそ、その使命でなくてはならない。『腐敗と格差の中国史』2:19世紀の内憂外患『腐敗と格差の中国史』1:はじめに
2021.09.24
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図書館で『腐敗と格差の中国史』という新書を、手にしたのです。危険な隣国・中国の歴史的メカニズムを探究することは、個人的には喫緊のテーマになっているのです。ブログアップが1、2で逆になったが・・・まあいいか。【腐敗と格差の中国史】 岡本隆司著、NHK出版、2019年刊<「BOOK」データベース>よりなぜ中国では党幹部や政府役人の汚職がやまないのか?なぜ共産主義国にもかかわらず、貧富の差が拡大するのか?超大国を蝕み続ける「病理」の淵源に、実力派歴史家が迫る。エリート/非エリートの金・コネ・権力をめぐる相剋の二千年を一望し、独裁の度合いを強める中国共産党、および現代中国の実相を大胆かつ明快に読み解いた一冊。<読む前の大使寸評>危険な隣国・中国の歴史的メカニズムを探究することは、個人的には喫緊のテーマになっているのです。amazon腐敗と格差の中国史「はじめに」から、見てみましょう。p3~10<はじめに・・・中国共産党から考える>■共産党とは何か いま「社会主義」といっても、死語に近い。物心ついたとき、そうした思想・言論がまだまだ優勢で、権威をもっていた。そんな記憶がある筆者からすると、「社会主義」の現状は、うたた今昔の感がある。多くの若い人は、おそらく実感はもてまい。「社会主義」といわれて、それがかつて有した権威のほどを感知するのは、もはや不可能だろう。ともかく知識として、理解するに努めるほかあるまい。 それでも、社会主義がまったく消滅したわけではない。それを信奉する個人・集団・国家は、なお厳存する。そうした存在じたい、確かに人類のこれまで歩んできた歴史に大きな痕跡を残してきたことを物語っていよう。 社会主義という概念は、二つの段階に分けて考えると、わかりやすいだろうか。まず、社会の構成に対する認識。対立する上下の階級に分かれ、生産する下層階級を生産に従事しない上層階級が搾取するのを社会のしくみだと措定する。ここまでは、学問思想の範疇だといってよい。(中略) そのよすがになるのが、共産党という組織である。下層の労働者階級を社会的基盤とし、その利益を代表する「前衛」として活動する政党であり、社会主義革命を通じた共産主義社会の実現を究極の目標として掲げた。 ひとまずのことばの定義は、そうである。そして共産党と名乗る以上、本来そうした社会主義革命と共産主義社会を実現するための政党でなくてはならない。■共産党と中国 その共産党は世界に決して少なくないし、日本にだってある。けれども政権に就いているものは、数えるほどしかない。そのうち最も巨大で、日本人の運命とも関わりの深いのが、やはり中国共産党であろう。 中国共産党は1921年、上海で誕生した。日本共産党と同様に、コミンテルンの支部としてである。しかしいきさつまで、日本と同じであったはずはない。 そもそも当時のエリートが考えていた課題は、何よりも「救亡」にある。中国は20世紀のはじめから危機の時代であった。帝国主義列強の中国分割が現実味を帯びた時期もある。それが実際にずっと続いたわけではなくとも、知識人エリートの恐怖心・危機感は、一貫して強かった。あるいはいまも、それは継続している。亡国を救い、強国となる。その方途を求めるのが、当時の思潮の主流をなした。(中略) 日本が明治維新を断行し、西洋風の立憲君主制を採用したのも、富国強兵のためであって、そうしなければ、列強に植民地化される、との恐怖心からである。あらかじめ議会制を十二分に理解して、そのものに価値を見出したから、ではない。 そうはいっても、社会主義はといえば、20世紀に入って、なかんずく資本主義が行き詰まり露呈した戦間期から、世界のインテリの間で、比類なき権威を保った。これまた、日本も例外ではない。(中略)■歴史からさぐってみる そんな目前の現代中国をどう見ればよいのか。「救亡」と「腐敗」との関係は、どのように理解すればよいのか。問題をもう少ししぼって、それほどに共産党政権が目の敵にする「腐敗」は、どのようにして生まれるのか、と問うことも可能だろうか。隣接するわれわれにとっても、大きな謎である。 腐敗といっても、もとの腐るモノがなくてはありえない。それならそのモノは、いつできたのか、またどのように腐っていったのか。それをさぐることが、社会主義が退潮した後も実験を握りつづける中国共産党政権、ひいては現代中国の実相の解明に役立つのではないか。 中国はおそらく、世界で最古の官僚制を有する国家の一つである。同じ時代ならローマ帝国が、同じ型の国家を作り上げた。ところがローマ帝国の解体滅亡とともに、その官僚制も最終的に崩潰する。少なくとも西欧では、一から作り直しになった。中国ではそれに対し、紆余曲折はありながらも、ひとまず一貫した連続性を有する。少なくとも当事者たちの主観は、そうにちがいない。 つまり歴史がすこぶる古いわけで、弊害もしたがって、いよいよ根深く筋金入りである。重視すべき目前の「腐敗」も、おそらくそこからもたらされたもので、その由来と推移を明らかにするには、過去の事例およびその経過をつぶさに跡づけてゆくしかない。そっこが本書の主たるねらいとなる。 たいへん長い「はじめに」なので、以降省略します。 それにしても、 中国共産党政権に対する著者の覚めた(冷めた)眼差しがええでぇ♪『腐敗と格差の中国史』2
2021.09.23
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図書館で『腐敗と格差の中国史』という新書を、手にしたのです。危険な隣国・中国の歴史的メカニズムを探究することは、個人的には喫緊のテーマになっているのです。【腐敗と格差の中国史】 岡本隆司著、NHK出版、2019年刊<「BOOK」データベース>よりなぜ中国では党幹部や政府役人の汚職がやまないのか?なぜ共産主義国にもかかわらず、貧富の差が拡大するのか?超大国を蝕み続ける「病理」の淵源に、実力派歴史家が迫る。エリート/非エリートの金・コネ・権力をめぐる相剋の二千年を一望し、独裁の度合いを強める中国共産党、および現代中国の実相を大胆かつ明快に読み解いた一冊。<読む前の大使寸評>危険な隣国・中国の歴史的メカニズムを探究することは、個人的には喫緊のテーマになっているのです。amazon腐敗と格差の中国史「Ⅴ 根源」で中国革命を、見てみましょう。p162~170<19世紀の内憂外患>■内憂外患と明末清初 こうした事態は、内乱・戦争をあいついでもたらした。乾隆の「盛衰」に続く19世紀・20世紀の中国は、内憂外患の世紀だったのである。 18世紀末に起こった白蓮教の乱にはじまり、アヘン戦争・太平天国の乱でピークをむかえ、以後も治安の完全回復には至らなかった。20世紀に入っても義和団事変、革命のくりかえしと軍閥混戦、果ては日中戦争にまでいきあたる。戦後も決して平坦な道ではなかった。 そうした情勢の起源は、直接にはこの18世紀後半の変動にさかのぼる、と言っても過言ではない。民間社会で悪化の一途をたどった治安を、政府権力が維持できなくなったからである。 もっとも、もう少し長くタイムスパンをとれば、ちがう見方も不可能ではない。そうした変動といえば、実は17世紀の明朝滅亡で、つとに露顕していいたことだった。 16世紀の大航海時代は、世界的な商業ブームの時代である。その過熱で多かれ少なかれ混乱が生じ、在来秩序の再編・再建に迫られたのは、世界各地、通有の現象だった。 日本では戦国時代から江戸幕府の成立がそれにあたるし、ヨーロッパもスペイン・ポルトガルの世界帝国が衰退して、混乱争覇の時代になる。中国の明清交代も、同じ時期に当たっていた。 中国でも心ある知識人は、当時リアルタイムでそうした局面を敏感に察知している。そればかりか、明朝の滅亡は単なる王朝・政権の交代という生やさしい事態ではなく、体制ないし文明そのものの危機だと訴えていた。もちろん統治体制も、その例にもれない。従前のままでは、もはやたちゆかないことを痛感していた。 たとえば黄宋義という大学者は、中国伝統の君主制・皇帝性そのものの見直しまで訴えている。かれはそのため、後に「中国のルソー」とさえ呼ばれた。 いっそう具体的に、民間社会を治めきれない官僚制の硬直化・矮小化を指摘したのは、同じく大学者の顧炎武である。かれは実地に庶民・社会と接して政務にあたる「小官」が少なく、民事を果たせていない事態に対し、官吏の不正・非違を糺す「大官」の監視・監察ばかりが増えている現状を批判、「害を未然に防ぐのではなく、起こってから対処するだけ」「盛世には小官が多く、衰世は大官が多い」と喝破した。(中略) 明朝に代わった清朝の統治は、対症療法という意味では、みごとな腕前をみせた。すでに疲労の極に達していた制度・システムを、献身的な努力でどうにか再び機能できるように立て直したのである。雍正帝の改革は、そのピークだった。父の康熙帝・子の乾隆帝も、軍事面・文化面で、それなりの役割は果している。けれどもその効用は、半世紀くらいしか続かなかった。 元の木阿弥という観が拭えない。いな、事態はいよいよ悪化した。前代からの制度疲労が、18世紀後半の人口の増大・社会の肥大化・官僚制の矮小化・統治の無力化と重なり、あらためて破綻に瀕していたためである。内憂外患に明け暮れる中国近代史の根源は、こうしたところにあったのである。ウーム 明末清初の内憂外患について、なんとなく分かってきますね。康熙帝・乾隆帝の統治には対症療法であったにしろ、見るべきものがあったようです。『腐敗と格差の中国史』1
2021.09.23
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図書館で『日本列島の自然と日本人』という本を、手にしたのです。著者は東北大学応用化学科に学び、IHIに勤務した理系のひとであるが・・・日本の自然と歴史と信仰を余すことなく綴っています。その真摯なスタンスがええでぇ♪【日本列島の自然と日本人】西野順也著、築地書館、2019年刊<「BOOK」データベース>より緑豊かな国で、縄文の時代から現代まで、人々はさまざまな自然の恵みを活用し、時には痛めつけ、一方でその大いなる存在を敬い、畏れ、愛でてきた。万葉集に登場する数々の草花、戦や築城による森林破壊、江戸時代の園芸ブーム、信仰と自然の深いつながりが息づく年中行事など。日本人の自然観はどのように育まれていったのか。そしてそれは、どのような文化を生み出していったのか。日本人と自然の深い関わりを見つめ、これからの私たちが自然とどう向き合っていくべきかを問いかける。<読む前の大使寸評>著者は東北大学応用化学科に学び、IHIに勤務した理系のひとであるが・・・日本の自然と歴史と信仰を余すことなく綴っています。その真摯なスタンスがええでぇ♪amazon日本列島の自然と日本人『第5章』で日本的な価値観を、見てみましょう。p122~<『第5章 近世の都市と自然』>■2 人気の高い下肥 着物だけでなく、物資が限られており大量生産の技術が今ほど進んでいなかった江戸時代には、壊れたら修理して何度でも使い、古くなったら他の用途に利用するのは当然だった。修理のできる職人や、古紙や壊れた鍋、釜、針などの鉄くずを買い集め、紙漉き職人や鍛治屋に売る廃棄物回収業者が社会的に必要とされていた。(中略) 屎尿が下肥として利用されたことは、都市として大きな利点があった。河川が汚染されなかったのだ。19世紀に人口集中が起こった100万都市ロンドンでは早くに水洗トイレが艦尾され屎尿を河川に放流したため、河川の水質汚濁が深刻化し、コレラなどの水を媒介とする伝染病が発生した。同じく100万都市のパリは下水道がつくられたのはロンドンより早かったが、屎尿は道路に捨てられた。 100万人の人口を抱えながら江戸の町が長期にわたって衛生的だったのは、屎尿を運び出し、河川に放流しなかったため、河川の水質汚濁がロンドンほど深刻化しなかったことが大きかった。明暦元年(1655)、ごみも河川に捨てるのが禁止され、永代島に運ばれ干潟の埋め立てに使用されている。日本で初めてコレラが流行したのは江戸時代後期の文政5年(1822)である。 九州から感染が広がり大坂、京都にまで広がった。江戸の町でコレラが流行したのは安政5年(1858)、やはり長崎から海外との交易を通じて持ち込まれた。■3 「もったいない」の文化「もったいない」という言葉は、もともとは「物体ない」と書き、「その物が本来あるべき意味や機能を実現できない状態にあることをいった。そして、それを惜しみ申し訳ないと思う心情」であり、そこには日本古来の自然観が仏教として融合して生れた「草木国土悉皆成仏」の思想が反映されている。あらゆるものにはいのちがありそれを粗末に扱うのは神仏に対してふとどきだというのだ。つまり、ものを何もしないで捨て置いたり、そのまま捨ててしまうのはいのちを粗末にすることであり、不徳だから何かに利用する、という論理である。「ものを粗末にすると罰が当たる」と子どもの頃よく言われたものである。 現代人も「もったいない」という言葉を使う。「損をしたくない。無駄なお金を使いたくない」、つまり、「お金の持つ本来の価値を損なう」、という意味で使われることが多い。ものの対象がお金に転化されてしまっているのだ。 物資が限られていた江戸時代と異なり、現代のように、大量生産で安価なものが増え、修理するものや再利用するものが出てこなくなれば、修理する職人も廃棄物回収業者も生計が成り立たなくなり、再利用の仕組みは崩壊してしまう。 しかし、ものを生産するにはエネルギーを消費する。ものを捨てれば、それを処分するにもエネルギーを消費し、また投棄されれば地球を汚染する。エネルギーを得るために石油や石炭などの化石燃料を燃やすと、発生した二酸化炭素によって地球が温暖化し、海洋に投棄された廃棄物によって海洋生物に汚染が広がっているとなると、現代のものの使い方は考え直す必要があるだろう。『日本列島の自然と日本人』1
2021.09.23
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図書館で『日本列島の自然と日本人』という本を、手にしたのです。著者は東北大学応用化学科に学び、IHIに勤務した理系のひとであるが・・・日本の自然と歴史と信仰を余すことなく綴っています。その真摯なスタンスがええでぇ♪【日本列島の自然と日本人】西野順也著、築地書館、2019年刊<「BOOK」データベース>より緑豊かな国で、縄文の時代から現代まで、人々はさまざまな自然の恵みを活用し、時には痛めつけ、一方でその大いなる存在を敬い、畏れ、愛でてきた。万葉集に登場する数々の草花、戦や築城による森林破壊、江戸時代の園芸ブーム、信仰と自然の深いつながりが息づく年中行事など。日本人の自然観はどのように育まれていったのか。そしてそれは、どのような文化を生み出していったのか。日本人と自然の深い関わりを見つめ、これからの私たちが自然とどう向き合っていくべきかを問いかける。<読む前の大使寸評>著者は東北大学応用化学科に学び、IHIに勤務した理系のひとであるが・・・日本の自然と歴史と信仰を余すことなく綴っています。その真摯なスタンスがええでぇ♪amazon日本列島の自然と日本人『第1章』で日本の風土を、見てみましょう。p24~26<『第1章 日本の自然と風土』>■2 日本の風土 人をとりまく自然環境は、そこに暮らす人々の生活に直接影響を与え、その習慣や考え、さらに長い時間を経て土地のしきたりや民俗、文化を形づくってきた。日本は植物が生長する夏に雨が多く湿潤なため、樹木や植物が繁茂し、豊かな自然に恵まれた土地である。 大地の至るところから植物が芽生え、そして動物も繁栄する。日本人は昔から自然が提供してくれる恵みを享受してきた。その一方で自然は時として牙をむく。人はただその猛威が去るのをひたすら待つだけである。その姿勢は昔も今も変わっていない。 哲学者の和辻哲郎は日本の風土を、南アジアから東アジア一帯に広がる「モンスーン気候」の風土とし、「受容的、忍従的構造」と評した。その中でも日本人の特殊な形態として、和辻は『風土人間学的考察』の中で、「四季おりおりの季節変化が著しいように、日本の人間の受容性は調子の早い移り変わりを要求する。だからそれは大陸的な落ちつきを持たないとともに、はなはだしく活発であり敏感である」と述べ、「あたかも季節的に吹く台風が突発的な猛烈さを持っているように、感情もまた一から他へ移るとき、予期せざる突発的な強度を示すことがある」と指摘している。それは、「感情の昂揚を非常に尚びながらも執拗を忌むという日本的な気質を作り出した。桜の花をもってこの気質を象徴するのは深い意味においてもきわめて適切である」と述べている。 東洋、とくに東アジアは日本も含めて、この世はありとあらゆるものに神や精霊が宿っているという精霊信仰的な宗教観や自然観で彩られている。西洋のよおうなすべての創造主としての絶対神の存在というキリスト教的自然観や、自然と自然現象を霊的なものから切り離し定量的に取り扱う機械論的自然観とは異なるのだ。 東洋では、この世の創造主としての神への服従を誓い、神の命令に従うことで救いを求めるのではなく、人間に恵みや暴威をもたらす力を感じさせるあらゆる自然や自然現象がその神秘性のために神化され、ただ神を詠嘆することによって地上の富に恵まれることを期待するのだ。 人と神は仲むつまじい関係にある。人も等しく自然の一部であるという自然観が根底にあるからだ。また、草木を刈り取っても再び芽吹き成長するように、人も再生すると信じられていた。ただし、インドでは来世に何に生まれ変わるかは現世の行ないによると考えられていた。 私たちの祖先である縄文人も同じような考えを持っていた。縄文人は、神は人間以上の力を持つが人々を威圧して支配することはないと考えてきた。神も人間も平等な価値を持つ霊魂とされたのだ。また、縄文人も死後の再生を信じ、死を単なる生の終りではなく、再生への通過点と考えていた。 このような宗教観、自然観は、後に自然崇拝による自然神、日本神話の神々、天皇や政治家、学者などを祀った人格神、道教の神々や民俗信仰の神々、大乗仏教の仏、仏教由来の神や習合神など、さまざまな神的なものを神ととらえるようになり、ついに日本には八百万の神が住んでいることになった。インド由来の仏教も日本では神仏習合が普通のこととなる。 一方、日本は災害の多い国である。豪雨や台風、突風だけではない。それに伴って起こる洪水や土砂崩れがあり、さらには地震によって地面が割れ、木や建物が倒壊する。それらの天変地異は人が営々として積み上げてきたものを一瞬にして無にしてしまう。そして、それらは突如として人を死に追いやることもある。日本人は理不尽にも降りかかるこのような災害を、天運としてあるいは天罰として無理やり納得してきた。ウン 八百万の神を体感する、あるいは散るサクラを愛でる日本的な気質は、日本の自然や気候から不可分なんだろうね。
2021.09.22
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このところ、熱帯夜は影を潜めて薄着では寒い日もあったりで、「暑さ寒さも彼岸まで」ということなのか。異常な長雨が続き高校野球が連続して7日順延などもあったが、彼岸花が咲き始めたので・・・彼岸の中日(秋分の日)の到来に気づくのです。***********************************************************************<二十四節季の秋分に注目>早朝に散歩する太子であるが、南東の空に月と金星が見えるのです。ちょうど三日月の内側に金星が位置しているが、これって中東諸国が好むマークではないか。また、このマークは春分と関係があるのではないか?『日本のならわしとしきたり』という蔵書に二十四節季の記事があることを思い出したのです。【日本のならわしとしきたり】ムック、 徳間書店、2012年刊<内容紹介>ありふれたムック本ということなのか、ネットにはデータがありません。<大使寸評>とにかく「今日は二十四節季でいえば、何になるか♪」を知りたいロボジーにとって、座右の書となるでしょう♪Amazon日本のならわしとしきたりこの本で、秋分のあたりを見てみましょう。和暦p24<秋分>太陽が真東から昇り、真西(西方浄土)に沈む日 秋分は、現行暦では9月23日ころから始まる15日間の節である。秋分に入る当日が「秋分の日」となり、国民の祝日になっている。秋分節季の期間は秋分の日から次節「寒露」の前日までである。 ちなみに、春分の日と秋分の日は共に「彼岸の中日」にあたる。 彼岸は雑節のひとつで、春分の日と秋分の日を中日として前後に各3日ある。つまり、春秋の彼岸は各7日間あり、「彼岸」は年間合計で14日間であることになる。この期間に行う仏事が彼岸会であり、最初の日は「彼岸の入り」、最後の日は「彼岸明け」と呼ばれている。 「暑さ寒さも彼岸まで」という言葉があるが、春秋両彼岸に適応した言葉となっている。 また、『暦便覧』に「陰陽の中分なれば也」と説明があるためか、秋分の日は昼夜の時間がほぼ同じと思われてきたが、実際には昼のほうが約14分長いという科学的な裏付けがあるという。 秋分の期間の七十二候には、次のものがある。 初候「雷乃収声」雷が鳴り響かなくなる。 次候「蟄虫ふさぐ戸」虫が土中に掘った穴をふさぐ。 末候「水始涸」田畑の水を干し始める、がある。 西洋占星術では、秋分の日が天秤宮(てんびん座)の始まりとなっている。二十四節季の白露に注目(復刻)『鳥と世界の意外な関係』
2021.09.22
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図書館で『覇権の世界史』という本を、手にしたのです。めくってみると、たくさんの地図を引用しながら世界史を語っています。目のつけどころとしたら、黄河文明に対するモンゴル帝国の侵略あたりになるのです。大使の場合。【覇権の世界史】宮崎正勝著、河出書房新社、2019年刊<「BOOK」データベース>より悠久の歴史を編んできたドライ・ランドは大航海時代以降、海からイギリスに統合され20世紀後半になると強大なエア・パワーを持つアメリカが地球規模で一強体制を掌中にした。つまり、人類は「二度の空間レベルの覇権交代」をへて今の世界をかたちづくってきたのだ。それらの興亡はなぜ起きたのか?どうしてその国だったのか?読み進むほどに、歴史の必然が見えてくる!<読む前の大使寸評>めくってみると、たくさんの地図を引用しながら世界史を語っています。目のつけどころとしたら、黄河文明に対するモンゴル帝国の侵略あたりになるのです。大使の場合。amazon覇権の世界史『第1章』から四大文明を、見てみましょう。p42~49<『第1章 長い時間をかけて「陸」の世界は形成された』>1. 農業を誕生させたのは「乾燥」だった!■ラッキーだった「欠陥ムギの発見」 「陸」の世界史の起点は農業の出現である。のうぎょうは約1万年前に、東アジアの大地溝帯とユーラシアの大乾燥地帯の接点に位置する、ヨルダンの渓谷で始まった。それを可能にしたのが「欠陥ムギの発見」である。 突然変異で種を地面に落とせなくなったヒトツブコムギの種子の発見と栽培が、飢えの克服につながったのだ。通常、ムギは熟すると種子を大地にバラ撒く。これは「種」の保存のために当然のことだが、そうすると人は、細かい種子を拾い集めなければならない。 突然変異で成熟しても種子をバラ撒けなくなったムギを偶然に発見できたことが、人類にとって大変なラッキーになったのである。農業は、種子を落とせないムギに特化しての栽培から始まったのだ。人類は欠陥ムギ(人間にとっては都合の良いムギ)を選んで栽培し、不安定な狩猟・採集を併用しながら定住生活へと移行することになる(農業革命)。 なお、普通、植物は毒、すなわち「苦味」「渋味」などで動物から「種」を守ろうとするのだが、乾燥して痩せた大地のムギには毒を作る栄養分が得られず、土中のケイ素を取り入れて種子を覆う堅い殻を作るしか方法がなかった。そのため、ムギを食べるには、堅い殻ともども種子をすり潰して粉にする必要があった。この粉からパンが作られたのである。 畑に集まったオスを中心にメスが群れる習性を持つ家畜(偶蹄類)を飼育して、乳、肉、皮などを得る牧畜も始まる。ドライ・ランドの繊維質の固まりのような草の葉・茎を食べる動物は膨大な量を食べなければならず、反芻の能力が必要だった。家畜となったヒツジ、ヤギ、ウシなどがいずれも反芻する動物なのは、牧畜とドライ・ランドの関係を示している。■なぜ砂漠で、ムギの栽培が広まった? ユーラシアのドライ・ランド(大乾燥地帯)を構成するのは、広大な砂漠・草原と内海の地中海である。しかしムギは、特定の砂漠でのみ生産できた。だが、なぜ雨が乏しい砂漠で、ドライ・ランドのムギの大部分が作られたのだろうか。これには当然、理由がある。 今から5000年前頃に温暖化が進むと、北緯30度付近の中緯度帯の乾燥がさらに激しくなった。例えば、アフリカ3分の1を占めるサハラ草原がサハラ砂漠に変わっていく。多くの牧畜民が乾燥により難民となって砂漠を流れる大河(その水源は外部の湿潤地帯に降った大量の雨や、周辺の高山の雪解け水)の流域に移住し、ムギ不足が一挙に深刻化した。 そうなれば、砂漠を流れる大河の水を利用して畑を造るしかない。外部からの乾燥難民の移住で人手は十分だったため、堤防、水路などが整備されて灌漑農業が始められることになる。灌漑とは「植物の生育を維持する目的で、人口的に土地に水を引く」ことだ。 大河の「水」を、簡単な道具だけで農業用水に変えるのは並大抵のことではない。しかし、王や神官のカリスマ性、官僚による民衆の組織、職人の技術などを組み合わせた人海戦術により、「水の循環システム」に支えられた広大な畑が出現した。「外部から流れ込む川の水」を利用する灌漑農業が始まったのだ。■都市は水のコントロール・センター 広大な畑を生み出すのは、簡単なことではなかった。 「河川文明は、水流の高低をコントロールしたり、洪水が消し去った境界を区分したり、共同の使役を義務化したり、諸税を徴収したり、交易を監督したり、法典を編集したり、国境を見張ったりする必要をともなった」 (『人間 過去・現在・未来』岩波新書) 考古学者マンフォードは、灌漑のメンテナンスには複雑な作業が必要だったことを、このように指摘している。それに当たった王や特定の部族、神官、官僚などは、メンテナンスの代償に税を取った。まさにギブ・アンド・テイクで、これはムギの大量生産に必要不可欠だった。 「水の循環」にかかわる特殊な人々が住み着く大集落は、やがて「都市」へと姿を変える。都市は、人工的な「水の循環」を維持するコントロール・センターとなり、人々の結合の核となって社会の広域化を促進した。都市の形成にともなった人類社会の変動を「都市革命」と呼ぶ。 エジプト、メソポタミア、インダス、黄河の四大文明は、「陸」の世界の四つの「核(コア)」地帯になっていく。月並みだが、次に四大文明とそれぞれの特徴を見ておこう。2. 四大文明も乾燥地帯で起こった■エジプト文明 ナイル川流域の循環型農業社会 夏のモンスーンが、定期的にナイル川上流のアビシニア高原に衝突することで降り続く長雨が青ナイルに流れ込み、1ヵ月の時間をかけて地中海に流れ込んだ。6~10月まで続くナイル川の穏やかな増水(洪水)は、梅雨と同様に夏のモンスーンがもたらす降雨だった。 エジプト王国の都メンフィスの年間降雨量は26ミリ、中流のテーベはわずかに1ミリにすぎない。外部からナイル川が流れ込み、多くの労働力により灌漑インフラが整えられたからこそ、砂漠が穀倉地帯に奇跡的な変貌を遂げたのだ。(中略) エジプトは、東と西を砂漠、北を海、南を瀑布により囲まれているために牧畜民との交流が乏しく、洪水期と渇水期からなる循環型の農業社会が持続したことに特色がある。 つまりは孤立した文明であり、そのために世界史の中心にはなれなかった。(中略)■黄河文明 唯一、海から切り離された内陸の文明 黄河流域は、エジプト、メソポタミアと比較すると雨量が多く。ほぼ草原(年間降水量500ミリ以下)といってよかった。おのために、灌漑インフラの必要がなく、アワが栽培された。西のムギ社会とは、全く異なる農業社会だったのである。 黄河中流域には、黄土を固めた壁により囲まれた邑(ユウ)が造られ、支流のイ水流域から開発が進んだ。邑の集合体が殷、周である。 殷では骨占いによる神権政治が行われ、占いの結果は甲骨文字で書きとめられた。周は典型的な血縁支配で、その体制が封建制度である。 黄河文明は、他の三つの文明とは異なり、陸に閉じ込められた文明だった。その理由は、以下のごとく黄河にある。 中国の西北部を水源とする5400余キロの黄河は、上流の蘭州付近から西安までの間、黄土高原を湾曲して流れるために多量の「黄土」を溶かし込み、その量は1平方メートル当たり37キロにも及んだ。そのため、流れが緩やかになる下流では年10センチもの割合で土砂が堆積し、3年に2度の割合で流路が変わるほどの大洪水を起こしたのである。 ゴビ砂漠から偏西風に乗り運ばれてきた黄土は養分と通気性・透水性に富み、水に恵まれさえすれば肥沃な「畑」に変わった。
2021.09.22
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「内田樹の研究室」の内田先生が日々つづる言葉のなかで、自分にヒットするお言葉をホームページに残しておきます。最近は池田香代子さんや、関さんや、雨宮さんなどの言葉も取り入れています。(池田香代子さんは☆で、関さんは△で、雨宮さんは○で、池田信夫さんは▲、高野さんは■で、金子先生は★、田原さんは#、湯浅さんは〇、印鑰さんは@、櫻井さんは*、西加奈子さんは♪で区別します)・『コロナ後の世界』まえがき・紀伊田辺聖地巡礼の旅・成長と統治コスト・『日本習合論』中国語版序文・日本のイデオクラシー・後手に回る政治・倉吉の汽水空港でこんな話をした。・中国はこれからどうなるのか?・アメリカ大統領選を総括する・アメリカの新しい論調から「ベーシックインカムについて」・韓流ドラマとコミュニケーション・プラットフォーム・文化日報への寄稿「パンデミックとその後の世界」・反知性主義者たちの肖像・『沈黙する知性』韓国語版序文・書評・食いつめものブルース 山田泰司・書評・白井聡「武器としての「資本論」・『街場の親子論』のためのまえがき・パンデミックをめぐるインタビュー・ホ・ヨンソン『海女たち』書評・2020年度寺子屋ゼミ受講要項・『山本太郎から見える日本』から・『人口減社会の未来学』から・「サル化する世界」についてのインタビュー・映画『Workers被災地に起つ』神戸・元町映画館でのアフタートーク・週刊金曜日インタビュー・桜を見る会再論・『Give democracy a chance』2・『Give democracy a chance』1・沈黙する知性・China Scare・[週刊ポスト」問題について・『低移民率を誇る「トランピアンの極楽」日本の瀕死』・『ネット右翼とは何か』書評・『最終講義』韓国語版あとがき・『「そのうちなんとかなるだろう」あとがき』・『参院選にあたって』・『廃仏毀釈について』・『論理は跳躍する』・『「おじさん」的思考』韓国語版序文・『市民講座』韓国語版のための序文・空虚感を抱えたイエスマン・大阪万博という幻想・外国語学習について・大学院の変容・貧乏シフト・『知日』明治維新特集のアンケートへの回答・カジノについて・中国の若者たちよ、マルクスを読もう・『街場の憂国論』文庫版のためのあとがき・直言3月号「韓国の教育と日本のメディア」・人口減社会に向けて・時間意識と知性・Madness of the King・吉本隆明1967・大学教育は生き延びられるのか?・こちらは「サンデー毎日」没原稿・奉祝「エイリアン・コヴェナント」封切り・米朝戦争のあと(2件)・気まずい共存について********************************************************************内田先生かく語りき8目次(目次全文はここ)(その37):『コロナ後の世界』まえがきを追記2021/08/29『コロナ後の世界』まえがきより この『コロナ後の世界』は「ありもの」のコンピレーションです。素材になったのはブログ記事やいろいろな媒体に発表した原稿です。でも、原形をとどめぬほどに加筆しておりますので、半分くらいは書き下ろしの「セミ・オリジナル」と思ってください。 かなり時局的なタイトルになっていますが、それはいくつかの論考が今回のパンデミックで可視化された日本社会に深く蝕んでいる「病毒」を扱っているからです。それについて思うところを書いて「まえがき」に代えたいと思います。 僕は今の日本社会を見ていて、正直「怖い」と思うのは、人々がしだいに「不寛容」になっているような気がすることです。 言葉が尖っているのです。うかつに触れるとすぐに皮膚が切り裂かれて、傷が残るような「尖った言葉」が行き交っている。だから、傷つけられることを警戒して、みんな身を固くしている。あるいは、自分の言葉の切れ味がどれくらいよいか知ろうとして、「刃」に指を当てて、嗜虐的な気分になっている。 そういう「尖った言葉」が行き交っている。外から見ると、あるいはスマートで知的なやりとりが行われているように見えるのかも知れません。でも、僕はそういう言葉がいくら大量に行き交い、蓄積しても、それが日本人全体の集団としてのパフォーマンスが向上することには結びつかないと思います。 僕はものごとの適否を「それをすることによって、集団として生きる知恵を力が高まるか?」ということを基準にして判断しています。もちろん、その言明が「正しいか正しくないか」ということを知るのもたいせつですけれど、僕はそれ以上に「それを言うことによって、あなたはどのような『よきもの』をもたらしたいのか?」ということが気になるのです。 言っている言葉の内容は非の打ち所がないけれど、その言葉が口にされ、耳にされ、皮膚の中に浸み込むことによって、周りの人たちの生きる意欲が失せ、知恵が回らなくなるのだとしたら、その言葉を発する人にはそれについての「加害責任」を感じて欲しい。 よく考えてみたら、それは僕がずいぶん昔からずっと言ってきたことでした。 若い頃は左翼の言葉づかいに対して、そのような不満を感じていました。「革命をめざす」といっている人たちがお互いに相手について「はしなくも階級意識の欠如を露呈し」とか「嗤うべきプチブル性」とかいう非難を投げ合っていたからです。正直言って、そんなことをいくらやっても得るところはほとんどないんじゃないかと思っていました。というのは、そうやって、「革命闘争を担う資格を持つ人」の条件を厳しくすればするほど、「革命の主体」の頭数は減るだけだからです。「世の中をよりよいものにしよう」と願う資格のある人間の条件を厳密化することによって、この人たちはどうやって世の中をよくする気なんだろうと思っていました。 同じことは、そのあとフェミニズムやポストモダニズムにも感じたことです。今度は「はしなくも性差別意識を露呈し」とか「うちなる植民地主義に気づくこともなく」というふうに表現は変わりましたけれども、それでも「真に差別され、徹底的に疎外された人間だけがシステムを批判する権利を持つ(それ以外の人間はすべて無意識のうちに差別し、疎外する側に加担している)」ということになると、すてきに切れ味はいいテーゼではあるのですけれども、これもやっぱり、徹底すればするほど「世の中を少しでも住みやすくする」事業の仲間の頭数を減らす結果になる。 僕が年来主張しているのは、おおむねそういうことです。みんながちょっとずつ「貧者の一灯」を持ち寄って、それをパブリックドメインに供託して、「塵も積もれば山」をめざすという方が「すべてのリソースを正しい目的のためだけに用いる」ことをめざすより話が早いんじゃないか。そう思っているのです。「世の中を少しでも住みやすくする」事業においては、「仲間を増やす」ということが一番大切だと僕は思っています。自分と多少意見が違っている人についても、「まあ、そういう考え方もあるかも知れないなあ」と思って、正否の判断を急がない。中腰で少し耐える(あまり長くは無理ですけれど)。そして、どこかに「取り付く島」があったら、それを頼りに対話を試みる。2021/07/23紀伊田辺聖地巡礼の旅より 宗教学者で僧侶の釈徹宗先生と「聖地巡礼」の旅を続けている。 もう十年以上前に、神戸女学院大学で「現代霊性論」という授業をしたのがきっかけである。宗教についてのさまざまなトピックを二人で掛け合いで論じた。学期の終わりに、授業で言及された仏閣仏像の現物を学生に見せようということになって、釈先生の解説を伺いながら、東寺の立体曼荼羅や三十三間堂の千手観音などを拝観してから南禅寺前で湯豆腐を頂いた。先達に導かれて聖地を巡歴することの楽しさをこの時に知って、そこから「聖地巡礼」のシリーズ企画が始まった。 大阪上町大地、奈良の三輪、京都紫野、熊野古道、長崎隠れキリシタンの旅、対馬と続き、今回はご縁があって紀伊田辺を訪れた。 この地の真言宗高山寺は合気道開祖植芝盛平翁のお墓がある「合気道家の聖地」である。すぐ近くには南方熊楠のお墓がある。田辺の生んだ三大偉人(もう一人は弁慶)のうち二人が一つのお寺の中に並んでいるのである。よほど引きの強い聖地に違いない。 お墓参りをしてから、ご住職から開山由来を伺うと、ここは高野山から龍神山を経由して、神島(かしま)に至る「龍脈」のキーポイントだそうである。伝承では、龍神山から天狗が神島へ飛来する途中で、高山寺の松の木で休憩するという。 墓参の翌日は船から上陸禁止の神島を眺めた。島には熊楠が守った貴重な植物相が保存されている。昭和天皇が熊楠の案内で粘菌を見るために訪れたことで知られている。かつてこの島に営巣していた鵜の群れは、島を追われた時、まっすぐ高山寺の松の木に向かったそうである。空中にも「龍脈」が通っているのかも知れない。 ひさしぶりに俗塵を離れて、聖地の霊威に打たれてきた。今の日本では、ときどき浮世離れしないと身体が持たない。(以降、全文は内田先生かく語りき(その32)による)
2021.09.21
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今回借りた4冊です。だいたい支離滅裂に借りているけど、今回の傾向は、強いていえば、「歴史」でしょうか♪<市立図書館>・そのうちなんとかなるだろう・腐敗と格差の中国史・覇権の世界史・日本列島の自然と日本人<大学図書館>(ただいま市民への開放サービスを休止中)図書館で手当たり次第で本を探すのがわりと楽しいが・・・これが、図書館での正しい探し方ではないかと思ったりする(笑)***********************************************************【そのうちなんとかなるだろう】内田樹著、岩波書店、2019年刊<「BOOK」データベース>よりやりたいことは諦めない。やりたくないことは我慢しない。たどり着く場所は、結局同じだから。直感に従って生きてきた思想家の悔いなき半生記。<読む前の大使寸評>内田先生にしてはふざけたタイトルの本であるが、中をめくってみると、なんと自叙伝になっているがな・・・この明晰な先生(思想家)がいかにして形成されたか、興味深いのでおます。rakutenそのうちなんとかなるだろう【腐敗と格差の中国史】 岡本隆司著、NHK出版、2019年刊<「BOOK」データベース>よりなぜ中国では党幹部や政府役人の汚職がやまないのか?なぜ共産主義国にもかかわらず、貧富の差が拡大するのか?超大国を蝕み続ける「病理」の淵源に、実力派歴史家が迫る。エリート/非エリートの金・コネ・権力をめぐる相剋の二千年を一望し、独裁の度合いを強める中国共産党、および現代中国の実相を大胆かつ明快に読み解いた一冊。<読む前の大使寸評>危険な隣国・中国の歴史的メカニズムを探究することは、個人的には喫緊のテーマになっているのです。amazon腐敗と格差の中国史【覇権の世界史】宮崎正勝著、河出書房新社、2019年刊<「BOOK」データベース>より悠久の歴史を編んできたドライ・ランドは大航海時代以降、海からイギリスに統合され20世紀後半になると強大なエア・パワーを持つアメリカが地球規模で一強体制を掌中にした。つまり、人類は「二度の空間レベルの覇権交代」をへて今の世界をかたちづくってきたのだ。それらの興亡はなぜ起きたのか?どうしてその国だったのか?読み進むほどに、歴史の必然が見えてくる!<読む前の大使寸評>追って記入amazon覇権の世界史【日本列島の自然と日本人】西野順也著、築地書館、2019年刊<「BOOK」データベース>より緑豊かな国で、縄文の時代から現代まで、人々はさまざまな自然の恵みを活用し、時には痛めつけ、一方でその大いなる存在を敬い、畏れ、愛でてきた。万葉集に登場する数々の草花、戦や築城による森林破壊、江戸時代の園芸ブーム、信仰と自然の深いつながりが息づく年中行事など。日本人の自然観はどのように育まれていったのか。そしてそれは、どのような文化を生み出していったのか。日本人と自然の深い関わりを見つめ、これからの私たちが自然とどう向き合っていくべきかを問いかける。<読む前の大使寸評>著者は東北大学応用化学科に学び、IHIに勤務した理系のひとであるが・・・日本の自然と歴史と信仰を余すことなく綴っています。その真摯なスタンスがええでぇ♪amazon日本列島の自然と日本人************************************************************図書館大好き509
2021.09.21
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図書館で『中国4.0』という新書を、手にしたのです。危険な隣国・中国に対しては常なる監視と有効な戦備・訓練が必要なんだろうね。【中国4.0】エドワード・ルトワック著、文芸春秋、2016年刊<「BOOK」データベース>より2000年以降、「平和的台頭」(中国1・0)路線を採ってきた中国は、2009年頃、「対外強硬」(中国2・0)にシフトし、2014年秋以降、「選択的攻撃」(中国3・0)に転換した。来たる「中国4・0」は? 危険な隣国の真実を世界最強の戦略家が明らかにする。<読む前の大使寸評>危険な隣国・中国に対しては常なる監視と有効な戦備・訓練が必要なんだろうね。rakuten中国4.0ちょっと生々しいが、『第5章 中国軍が尖閣に上陸したら?』を、見てみましょう。p148~151<日本の課題 中国の脅威への対処> ここで、日米関係に厄介な問題が生じることになった。「中国の脅威から積極的に守ってくれ」という日本からのアメリカに対する要請が、微妙な問題を生じさせるからだ。 もちろんアメリカが戦略面で日本を守ること自体には、何ら問題はない。第一に、ミサイル防衛システムはすでに日本に存在するし、第二に、日本に対する戦略的脅威、つまり誰かが進攻してくるような脅威に対しては、米軍基地があり、空母も派遣されているからだ。ところが中国の脅威というのは、その性質が異なる。日本本土への進攻というより、離島の占拠だからだ。率直に言って、アメリカは、現状では日本の島の防衛までは面倒を見切れないのである。 たしかにアメリカという同盟国は、日本を「守る」能力と意思を持っている。しかし、この「守る」とは、「日本の根幹としての統治機構システムを守る」という意味である。中国軍が日本の本州に上陸しようとしても、アメリカはそれを阻止できるが、そのアメリカも、ほとんど人が住んでいないような、日本の一つ一つの島まで積極的に守ることはできない。端的に言って、これらを守るのは、完全に日本側の責任だ。 つまりアメリカは、核戦争や大規模戦争の抑止はできているし、大規模な戦争を戦う準備もできているが、日常的な小さな脅威は、日本が自らの力で対処すべき問題なのである。<日本に必用な二つの要素 ハードとソフト> 中国のこのような脅威に対処するには、日本には二つのことが必要だ。 一つは、艦船や戦車といった物理的装備、つまり「ハード」だ。もう一つは、日本が自分の領土を自分で守るための安全保障関連の法整備、いわゆる「ソフト」である。「ソフト」が必用なのは、軍事行動において正統性を担保しなければならないからだ。さらに、その軍事作戦がアメリカと協力できるものでなければならない。これにも集団安全保障体制という「ソフト」が必用になる。 このような要件の実現には、憲法改正までは必要ないだろう。しかし少なくとも日本国内で「これらはクリアすべき要件である」というコンセンサスはなければならない。 もし島を失いたくなければ、それを守らなければならない。そしてそれを守るためには、そのための物理的な手段(船、飛行機など)と、法制上の整備と、政治的コンセンサスが必要となるのは当然だ。一つの例を使って説明しよう。 先にマリへの進駐をフランス軍に命じたオランド大統領に言及したが、彼はその命令を電話一本で伝えたのだ。日本がもし尖閣を守りたいのなら、日本のリーダーにもこのくらいの意識が必要になってくる。より具体的に言えば、(A)「領土を守る」という国民的コンエンサスと、(B)それを実現するためのメカニズム、つまり電話をとって自衛隊に尖閣奪還を指示できる仕組みの両方が必要になる。 これは国会の承認を必用としないものでよい。なぜなら自国の領土を守るには、スピードと自律的な動き、それに信頼性が不可欠だからだ。要するに、現在、日本がある島を実効支配できているとしても、他国に占拠された時にすぐに奪還できる仕組みがなければ、その島を「守っている」とは言えないのだ。 最も致命的なのは、日本が実際の行動を始める前に、アメリカに頼って相談するというパターンだ。もちろん日本政府がアメリカに事実を伝えるのは重要だが、相談してはならない。それでは「日本がアメリカに助けを求めている」という形になってしまうからだ。アメリカも一つ一つの小さな島を守るための適切な部隊はもっていない。本州上陸を阻止できても、小さな島を奪還するような機能は別物だからだ。 ここから日本が自国の安全保障をすべてアメリカに依存することから生じる、マイナス面が明らかになる。自国の小さな島すら自分で守れないこと、日本がこのような「独立的」な機能を持たないことが、むしろ日米関係を悪化させる方向に向かわせるからだ。 これではアメリカ側は「日本はわれわれに要求しすぎだ」と感じ始めるだろう。「日本はわれわれに核抑止を求めている。これは提供できる。大規模な進攻の抑止? これも提供できる。中国・ロシアの空爆? これにも対応できる。ところが島嶼奪還のような能力までは期待されても困る」と。これは日本が自分が担うべき責任の範囲なのである。(中略) 他国の島をとって基地を建設してしまうような中国に対抗するには、島を占拠されても、誰にも相談せずに迅速に奪還できるメカニズムが不可欠である。国家が領土を守るには、そういう覚悟が必要なのだ。それ以外の選択肢は存在しない。 ここで肝に銘じておくべきなのは、 「ああ、危機が発生してしまった。まずアメリカや国連に相談しよう」などと言っていたら、島はもう戻ってこないということだ。ウクライナがそのようにしてクリミア半島を失ったことは記憶に新しい。『中国4.0』1
2021.09.21
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図書館で『中国4.0』という新書を、手にしたのです。危険な隣国・中国に対しては常なる監視と有効な戦備・訓練が必要なんだろうね。【中国4.0】エドワード・ルトワック著、文芸春秋、2016年刊<「BOOK」データベース>より2000年以降、「平和的台頭」(中国1・0)路線を採ってきた中国は、2009年頃、「対外強硬」(中国2・0)にシフトし、2014年秋以降、「選択的攻撃」(中国3・0)に転換した。来たる「中国4・0」は? 危険な隣国の真実を世界最強の戦略家が明らかにする。<読む前の大使寸評>危険な隣国・中国に対しては常なる監視と有効な戦備・訓練が必要なんだろうね。rakuten中国4.0『第6章 ルトワック戦略論のキーワード』で訳者の奥山さんがルトワックの戦略論を語っているので、見てみましょう。p176~184 本章では、戦略家であるルトワックが、なぜ中国に対してこのような分析を行ない、最後に日本に対して「受動的な封じ込め」を提案しているのか、疑問に思ったかたもいると思うので、それに対してインタビューアーを務めた立場から、いくつかの補足的な説明をおこないたい。 後ほど「あとがき」のほうでも詳しく説明するが、本書の著者であるエドワード・ルトワックという人物は、ジョンズ・ホプキンス大学で博士号を取得し、1970年代から常に戦略分野の最前線でアメリカをはじめとする世界各国の政府に対し、主に安全保障面でアドバイスやコンサルティングを行ってきた人物である。 とくにアカデミズムの世界では、本書にも何度か出てくる「戦略の論理」、つまり「逆説的論理」を提唱したことで、戦略理論の議論に革命を起こした人物として知られている。さらには実践面でも軍人や特殊作戦群ノアドバイザーとして活躍している。 本書においても、自身の実体験から編み出されたと言われる「逆説的論理」、それに実際の中国での体験にもとづく豊富な知見が縦横無尽に展開されており、とりわけ本書の中身は、私が監訳を担当した『自滅する中国』の続編として位置づけられるものだ。さらには日本ですでに刊行されている主著『エドワード・ルトワックの戦略論』のいくつかのアイディアをアップデートしたものにもなっている。 本書の全体的な流れは、まず中国が潜在的には1970年代後半に開始し、2000年以降、本格的に採用した「チャイナ1・0」という非常に成功した戦略を経て、2009年末頃の胡錦濤政権後半に「チャイナ2・0」といういわば「自滅的」な戦略を採用し、それが日本を含むすべての周辺国の反発を引き起こすに至った経緯を追い、なぜそのようなことが起こったのかを分析している。 そしてその対応策である「チャイナ3・0」の現況を、主にロシアの戦略文化との比較から検討し、最後に日本はそれにどのように対処していくべきなのかを、独自の視点から提案している。 もちろんルトワック自身は中国だけを見て研究してきた、いわゆる「中国専門家」ではない。その視点は、どちらかといえば社会科学でいうところの「国際関係論」の理論や、さらには彼独自の「戦略理論」をベースとしたものである。この点を理解できないと、彼がなぜ中国について、他の学者たちとは違った、極めてユニークな分析を行っているのかがわかりづらくなってしまう。 本章では、本書におけるルトワックの視点を理解するための五つのキーワードを挙げて、一つずつ解説していきたい。 <1 パラドックス> 本書におけるルトワックの中国分析の中心的な概念ツールであり、しかも彼自身の戦略論の核心にあるものが、この戦略の「逆説的論理」というものだ。 ルトワックはまさにこの概念で名声を確立したのであり、戦略学における彼の最大の功績は、この概念を提唱し、さらにこれを議論したことにあると言って良い。このロジックを、ルトワック自身は「戦略の論理」とも言い表している。 ルトワックによれば、あらゆる戦略的行動には「逆説的論理」が働いており、たとえば戦争のような状況になると、こちらがAという行動を行えばBという、いわば誰でも想定できるような「線的(リニア)」な結果は、むしろほとんど発生しない。戦争や戦場のような、相手も何かを仕掛けてきたり裏をかいてくる状況では、一見すると回り道や逆効果になると予測されるような手段が勝利を導くことも多い。 言い換えれば、通常は自国の相手国に対する「作用」ばかりに目がいってしまうが、それに対する「反作用」が、「作用」と同じくらい、時にそれ以上に大きなインパクトを持つ、ということである。これをルトワックは「逆説的論理」と表現しているのである。(中略) もちろんルトワックが逆説的論理の参考にしたのは、『孫子』ばかりではなく、たとえばクラウゼヴィッツの「攻撃(勝利)の限界点」が挙げられる。これはルトワック自身も「成功の極限点」という概念で言い表している。たとえば、敵陣深く攻め入って、勝利の限界点を超えると、味方の兵站線が伸び過ぎてしまい、味方の方が敗北に近づくという逆転現象が起こり得る。また、あまりにも成功しすぎた戦術や兵器は、敵が対抗措置をとりはじめることによって効果を失うという逆説もある。 これについてルトワックは、第二次世界大戦におけるドイツ軍のソ連侵攻の戦略的誤りや、朝鮮戦争における奇襲の成功からダグラス・マッカーサーの仁川上陸作戦までのエピソードを使って説明しており、結果として「戦略的な成功の果実の中には失敗の種が常に含まれている」と論じるのだ。
2021.09.20
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『朝日デジタルの書評から』フォームや『読みたい本』フォームを作っているのだが、これを市図書館の予約に利用しようと、思い立ったのです。これまでの予約内容と予約候補は以下のとおりです。<予約中>・池井戸潤『半沢直樹 アルルカンと道化師』(11/29予約、副本33、予約644)現在86位・白井聰『武器としての「資本論」』(4/06予約、副本9、予約89)現在27位・52ヘルツのクジラたち(4/15予約、副本20、予約592)現在305位・桐野夏生『日没』(4/24予約、副本24、予約300)現在113位・『分水嶺 ドキュメント コロナ対策専門家会議』(5/30予約、副本2、予約16)現在3位・『ザリガニの鳴くところ』(6/04予約、副本17、予約315)現在194位・『生態学者の目のツケドコロ』(6/28予約、副本3、予約21)現在8位・『チャイニーズ・タイプライター』(7/17予約、副本1、予約3)現在1位・福岡伸一『生命海流』(7/24予約、副本1、予約16)現在19位・ブレイディみかこ『他者の靴を履く』(8/14予約、副本8、予約81)現在73位・ブリーディング・エッジ(8/22予約、副本2、予約9)現在8位・多和田葉子の〈演劇〉を読む(8/31予約、副本1、予約2)現在2位・『Tokyo Ueno Station』(9/02予約、副本1、予約1)現在1位・『理不尽ゲーム』(9/19予約、副本4、予約0) <カートで待機中>・N・ネフスキー著『月と不死』・8月の果て・ある日うっかりPTA(副本4、予約39)・グレタたったひとりのストライキ<予約候補>・『コロナ危機の政治』・『大人の恐竜図鑑』・『レアメタルの地政学』・猫が30歳まで生きる日:図書館未収蔵・『中国戦線、ある日本人兵士の日記』・野外鳥類学を楽しむ・向田邦子 暮らしの愉しみ・山口晃『すヾしろ日記 参』 ・オードリー・タン デジタルとAIの未来を語る・岡ノ谷一夫『さえずり言語起源論』・小野正嗣『多和田語の世界』:図書館未収蔵・本村凌二『馬の世界史』・藻谷浩介『進化する里山資本主義』・多和田葉子『文字移植』:図書館未収蔵・高野秀行「怪獣記」・橋本治『黄金夜界』・中園成生『日本捕鯨史』・高野秀行「ワセダ三畳青春記」・ヘミングウェイで学ぶ英文法:図書館未収蔵・ジョージ・ミーガン『世界最長の徒歩旅行』:図書館未収蔵・ネルケ無方著『迷える者の禅修業』<予約分受取:7/03以降> ・『超ひも理論と宇宙のすべてを支配する数式』(6/14予約、7/03受取)・平松洋子『韓国むかしの味』(7/05予約、7/09受取)・カズオ・イシグロ『クララとお日さま』(3/20予約、7/18受取)・内田樹『コモンの再生』(1/05予約、8/06受取)・『中国の大盗賊』(8/01予約、8/06受取)・岸本佐知子『ねにもつタイプ』(8/07予約、8/14受取)・ヤマザキマリ『生贄探し』(5/14予約、8/14受取)・鎌田由美子『「よそもの」が日本を変える』(4/26予約、8/29受取)・村上春樹『一人称単数』(1/27予約、9/05受取)・マイケル・サンデル『実力も運のうち』(5/05予約、9/09受取)***********************************************************************【半沢直樹 アルルカンと道化師】池井戸潤著、講談社、2020年刊<「BOOK」データベース>より東京中央銀行大阪西支店の融資課長・半沢直樹のもとに、とある案件が持ち込まれる。大手IT企業ジャッカルが、業績低迷中の美術系出版舎・仙波工藝社を買収したいというのだ。大阪営業本部による強引な買収工作に抵抗する半沢だったが、やがて背後にひそむ秘密の存在に気づく。有名な絵に隠された「謎」を解いたとき、半沢がたどりついた驚愕の真実とはー。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(11/29予約、副本33、予約644)>rakuten半沢直樹 アルルカンと道化師【武器としての「資本論」】白井聰著、東洋経済新報社、2020年刊<「BOOK」データベース>より資本主義を内面化した人生から脱却するための思考法。【目次】本書はどんな『資本論』入門なのか/資本主義社会とは?-万物の「商品化」/後腐れのない共同体外の原理「無縁」-商品の起源/新自由主義が変えた人間の「魂・感性・センス」-「包摂」とは何か/失われた「後ろめたさ」「誇り」「階級意識」-魂の「包摂」/「人生がつまらない」のはなぜかー商品化の果ての「消費者」化/すべては資本の増殖のためにー「剰余価値」/イノベーションはなぜ人を幸せにしないのかー二種類の「剰余価値」/現代資本主義はどう変化してきたのかーポスト・フォーディズムという悪夢/資本主義はどのようにして始まったのかー「本源的蓄積」/引きはがされる私たちー歴史上の「本源的蓄積」/「みんなで豊かに」はなれない時代ー階級闘争の理論と現実/はじまったものは必ず終わるーマルクスの階級闘争の理論/「こんなものが食えるか!」と言えますか?-階級闘争のアリーナ<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(4/06予約、副本9、予約89)>rakuten武器としての「資本論」【52ヘルツのクジラたち】町田そのこ著、中央公論新社、2020年刊<「BOOK」データベース>より52ヘルツのクジラとはー他の鯨が聞き取れない高い周波数で鳴く、世界で一頭だけのクジラ。たくさんの仲間がいるはずなのに何も届かない、何も届けられない。そのため、世界で一番孤独だと言われている。自分の人生を家族に搾取されてきた女性・貴瑚と、母に虐待され「ムシ」と呼ばれていた少年。孤独ゆえ愛を欲し、裏切られてきた彼らが出会い、新たな魂の物語が生まれるー。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(4/15予約、副本20、予約592)>rakuten52ヘルツのクジラたち【日没】桐野夏生著、岩波書店、2020年刊<「BOOK」データベース>よりあなたの書いたものは、良い小説ですか、悪い小説ですか。小説家・マッツ夢井のもとに届いた一通の手紙。それは「文化文芸倫理向上委員会」と名乗る政府組織からの召喚状だった。出頭先に向かった彼女は、断崖に建つ海辺の療養所へと収容される。「社会に適応した小説」を書けと命ずる所長。終わりの見えない軟禁の悪夢。「更生」との孤独な闘いの行く末はー。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(4/24予約、副本24、予約300)>rakuten日没【分水嶺 ドキュメント コロナ対策専門家会議】河合香織著、岩波書店、2021年刊<「BOOK」データベース>よりクラスター対策に「3密」回避。未知の新型コロナウイルスに日本では独自の対策がとられたが、その指針を示した「専門家会議」ではどんな議論がなされていたのか?注目を集めた度々の記者会見、自粛要請に高まる批判、そして初めての緊急事態宣言…。組織廃止までの約五カ月、専門家たちの議論と葛藤を、政権や行政も含め関係者の証言で描く迫真のノンフィクション。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(5/30予約、副本2、予約16)>rakuten分水嶺 ドキュメント コロナ対策専門家会議【ザリガニの鳴くところ】ディーリア・オーエンズ著、早川書房、2020年刊<商品の説明>よりノースカロライナ州の湿地で村の青年チェイスの死体が発見された。人々は真っ先に、「湿地の少女」と呼ばれているカイアを疑う。6歳のときからたったひとりで生き延びてきたカイアは、果たして犯人なのか? 不気味な殺人事件の?末と少女の成長が絡み合う長篇<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(6/04予約、副本17、予約315)>rakutenザリガニの鳴くところ【生態学者の目のツケドコロ】伊勢武史著、ベレ出版、2021年刊<「BOOK」データベース>より生物と生物、生物と環境との関係を調べる、生物学の一分野である生態学。生きものについて知りたい、自然を守りたいと願う人にとって、生態学的な見方は必ず役に立つ。自然と生きもの、人間との関係を見つめ直す7つの章。【目次】第1章 人に囲まれて/第2章 暮らしのなかで/第3章 文化に触れて/第4章 外国を旅して/第5章 里山に生きて/第6章 森を歩いて/第7章 研究をとおして<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(6/28予約、副本3、予約21)>rakuten生態学者の目のツケドコロ【チャイニーズ・タイプライター】トーマス・S・マラニー著、中央公論新社、2021年刊<「BOOK」データベース>より中国語タイプライターの“不可能性”から繙かれる圧巻の言語技術文化史。漢字についての発想の転換や戦時中の日中関係、入力や予測変換といった現在につながる技術の起源まで、波瀾と苦渋に満ちた展開を鮮やかに辿る。<読む前の大使寸評>圧巻の言語技術文化史ってか・・・これは読むしかないでぇ♪<図書館予約:(7/17予約、副本1、予約3)>rakutenチャイニーズ・タイプライター【生命海流】福岡伸一著、朝日出版社、2021年刊<「BOOK」データベース>より福岡伸一、ガラパゴス諸島へ。ダーウィン進化論を問い、“本来の生命のあり方”を精密に描き出す。旅のリアルと思索が行き来する、まさしく「動的平衡」なガラパゴス航海記。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(7/24予約、副本1、予約16)>rakuten生命海流【他者の靴を履く】ブレイディみかこ著、文藝春秋、2021年刊<「BOOK」データベース>より“負債道徳”、ジェンダーロール、自助の精神…エンパシー(意見の異なる相手を理解する知的能力)×アナキズムが融合した新しい思想的地平がここに。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(8/14予約、副本8、予約81)>rakuten他者の靴を履く【ブリーディング・エッジ】トマス・ピンチョン著、新潮社、2021年刊<出版社>よりITバブルは弾けたが新世紀の余韻さめやらぬニューヨークで、子育てに奮闘する元不正検査士の女性。知人の仕事を手伝い覗いたネットの深部で見つけたのは、不穏なテロの予兆だった。NYの、そして世界の運命は肝っ玉母さんの手に――オタク的こだわりと陰謀論にあふれる、謎に満ちたアメリカ文学の巨人が放つビッグバン。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(8/22予約、副本2、予約9)>shinchoshaブリーディング・エッジ【多和田葉子の〈演劇〉を読む】多和田葉子著、谷川道子(編集)、論創社、2021年刊<amazon>より〈演劇人間(ホモテアトラーリス)〉としての多和田葉子に本格的に光をあてる初の試み。劇評、演出ノート、作品論、ドキュメント、初邦訳戯曲2本他で多和田の演劇ワールドを探り、パノラマ・可視化する。多和田書き下ろしエッセイ「多声社会としての舞台」も収録。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(8/31予約、副本1、予約2)>amazon多和田葉子の〈演劇〉を読む【Tokyo Ueno Station】柳美里著、Tilted Axis Press、2019年刊<Customer reviews>より日本語を英訳した作品だが、あまり違和感のない英語です。原作が読みやすい日本語であるように、この翻訳版も読みやすく親しみやすいです。一読おすすめ。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(9/02予約、副本1、予約1)>amazonTokyo Ueno Station【理不尽ゲーム】サーシャ・フィリペンコ著、集英社、2021年刊<「BOOK」データベース>より10年の昏睡から生還した青年が見たものは、ひとりの大統領にすべてを掌握された祖国と、理不尽な状況に疑問をもつことも許されぬ人々の姿ー。目を覚ますと、そこは独裁国家だった。ベラルーシのディストピア的現状を文学の力で暴く。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(9/19予約、副本4、予約0)>rakuten理不尽ゲーム【月と不死】N・ネフスキー著、平凡社、1971年刊<出版社>より著者は日本民俗学界の異色の存在として知られるロシア人学者で,柳田国男,折口信夫らと親交を結び,沖縄,東北などの民俗を採録した。本書は日本語で発表された論文・書簡を網羅した唯一の著作集。<読む前の大使寸評>ロシア人にして、日本民俗学界の異色の存在が気になるのです。<図書館予約:(とりあえずカートに入れておこう)>heibonsha月と不死【8月の果て】柳美里著、新潮社、2007年刊<「BOOK」データベース>より日本統治下の朝鮮・密陽に生を受け、マラソンでの五輪出場を目指した亡き祖父・李雨哲。そのうしろ姿を追い、路上を駆けることを決意した柳美里。ふたりの息づかいが時空を越えて重なる瞬間、日本と朝鮮半島のあわいに消えた無数の魂が封印を解かれ、歴史の破れ目から白い頁に甦る。偉丈夫の雨哲と美丈夫の弟・雨根。血族をめぐる、ふたつの真実の物語が、いま日本文学を未踏の高みへと押し上げる。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(とりあえずカートに入れておこう)>rakuten8月の果て予約分受取目録R26好書好日トップ図書館情報ネットワーク 蔵書検索システム図書館予約の運用にも慣れて、速攻で入手するコツも何となくつかんだと思うのだ♪・朝日書評欄で探すとしたら、3ヶ月前掲載くらいのモノが狙い目かも。・専門的すぎるほどのモノは、予約0となっていることが多い。・受取館に収蔵しているモノは、移送する手間が省けるので早くなるだろう。・本屋の店頭に出た直後の新刊本・ウィキペディアでめぼしい著作を探す・神戸市図書館の予約順位は毎週火曜日(午前1時~3時) に更新されます。・Kindle版を購入すれば、その本の全て読めるのだが、紙の本から書き写す手間が好きなわけでおます。
2021.09.20
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森林についてシリアスな思いや お楽しみアイテムなど あれこれ集めてみます。・「宝の山をどういかす?」・「宝の山」伐採ラッシュ・最新 グラウンドカバープランツ・木肌フェチとでも・柿渋染め藤里のブナ**************************************************************<森林あれこれ5>・林業経営はシンドイ・矢口史靖監督のWOOD JOB!(ウッジョブ)・漆・柿渋と木工・文字の文化史・森林保全の経済学・斜面緑化について・白山麓の出作り**************************************************************<森林あれこれ4>・ドングリ国の法面緑化・和紙と暮らす・都市の木造化を促がすならば・日本には木が多すぎる・ミツバチ大量死がもたらすこと・「外資の森林買収」はお役所の怠慢による!?**************************************************************<森林あれこれ3>・中国木材市場ってどうよ?(工事中)・森林・林業白書(抜粋)(工事中)・林業振興で真っ向勝負・土地制度の盲点(工事中)・土佐の森・救援隊の活動報告(工事中)・四万十川の環境保全・環境保全型林業・街路樹ベストテン**************************************************************<森林あれこれ2>・「安全も水も、そして森林もタダで得られない」・山林疲弊の理由・クマのためにドングリ集め・森林は誰のものだろう?・「トロッコ」に触発されて、司馬さんの「台湾紀行」を・京都府立植物園にて・大雑把に見える庭園には・親子二代の「福田ダム」・温暖化対策としての「森林の間伐」・養蜂業者になりたかった・営林はお荷物か?パート2・営林はお荷物か?パート1・森林の治水機能・木の暦(案)・ケルトの木の暦・霞ヶ浦のアサザ・晩夏の奥入瀬(h18.9.15)自然に学ぶ「森里海連環学」のすすめ 四万十通信・森の話題森林・林業再生プランについて/林野庁「森づくりコミッションポータル:森ナビ」外資による日本の森林・土地取得、水問題 2011年の動きよみがえったアファンの森<宝の山をどういかす?>NHKクローズアップ現代+で「宝の山をどういかす?」が放映されたが、4年前に『「宝の山」伐採ラッシュ』を観ていたので比較してみようと思うのです。 2021/09/15クローズアップ現代+ 宝の山をどういかす?より オリンピック・パラリンピックで使用された国立競技場や木造高層ビルなど木をふんだんに使った建造物が増えている。背景にあるのは林業再生を目指す国の政策。 法を改正し補助金の仕組みを整えて林業を強力に後押しし、日本の木材自給率を20年間で、かつての約2倍、40%近くまで上昇させた。しかしその裏で問題が起きている。 大規模伐採ではげ山が広がったり、山の所有者に無断で伐採する「盗伐」が発生したり。大規模伐採の一部が、土砂災害などの要因の一つになっているという指摘もされている。国土の7割を森林に覆われた日本で持続可能な林業とは? 「自伐型林業」という“小さな林業”の取り組みなども例に、林業の未来を考える。 <「宝の山」伐採ラッシュ>デジタル朝日・コラム記事によれば、スギなどの人工林が「切り時」で伐採ラッシュなんだそうです。不振を極めていた日本の林業であるが・・・やっと好機到来のようです♪((けいざい+)「宝の山」伐採ラッシュ2017.4.07より転記) 宮崎県北東部、日向市にある細島港の隣に、東京ドーム7個分の広大な敷地が広がる。国内製材最大手、中国木材(広島県呉市)の日向工場だ。積み上がった大小の丸太がひっきりなしにベルトコンベヤーで運ばれ、皮をそぎ落とし、建材などに加工されていく。 2014年に稼働し、投資総額は300億円を超える。国内最大の製材工場で、主に宮崎や鹿児島など九州南部から仕入れた原木を加工する。九州は全国のスギ生産量の3割超を占め、中でも宮崎県は25年連続で全国トップ。工場の岡田光弘副部長は話す。「土日も関係なくフル稼働です」 同社は主に国内の住宅向けに木材を製材して出荷するが、原木はもっぱら外国産を輸入してきた。安く大量調達できる一方、為替の影響が頭痛の種で、「血のにじむような効率化も円安で吹っ飛ぶ」と堀川保幸会長。 一方、国内に実は「宝の山」が広がっている。国土の2割以上を占めるスギなどの人工林の半分以上が、樹齢45年超で「切り時」なのだ。この好機に、同社は国産材シフトに踏み出した。 日向工場で大型化、効率化を追求。欧米産と価格で対抗できるようになった。大小あらゆる木の製材や乾燥を担える設備を備え、切った木を他の業者などを介さず運び込めるようにして費用を抑えた。20年までに製材能力を1.6倍に増やす方針で、「世界と競争できる『日向モデル』だ」(堀川会長)。東アジアへの輸出も見据える。 「国産シフト」は各地で広がりつつある。農林水産省によると、10年以降にできた大型の製材工場は20ヶ所以上ある。同省の担当者は「国産の原木を大量に製材できる体制が整いつつある」。 中国木材の日向工場への原木供給地の一つが鹿児島県曽於(そお)市。面積のほぼ6割が森林で、丸太を山積みしたトラックが市内をひんぱんに行き交う。 「今や市内や周辺の森林は伐採ラッシュ。依頼が多くて正直、追いつかないくらいだ」。市森林組合の富永昭文林産課長は言う。組合によるスギ原木の伐採量は15年までの10年間で33倍に。所有者に入る代金も1ヘクタール平均で50万円ほど上がった。 国内全体でも原木の生産量は増加に転じており、木材の自給率も、02年の約19%から15年に約33%まで高まっている。12年からの再生可能エネルギー固定価格買い取り制度も追い風だ。木質バイオマス発電も電力会社の買い取り対象で、「捨てていた曲がった木、小さい木にも価値が生まれた」と林業関係者は喜ぶ。 伐採でもカギは効率化。曽於市森林組合も、市などの補助を受け、冷暖房付きの運転席から操る「高性能林業機械」を増やしてきた。先についたノコギリで丸太の長さをそろえ、枝をそぎ落とし、向きをそろえて積む。複数の機械が、流れ作業のようにこなしていく。 ただ一方、林業の担い手は減り続けており、新規採用も思うにまかせない。曽於市森林組合でも今年度に新卒5人を募集したが、採用できたのは1人。また、木を切った後は資源を守るためにまた木を植え直す「再造林」が重要になるが、手入れの費用がかかることや人手不足などから、全国でみれば植え直す比率が2割に満たない地域もある。(柴田秀並)ウン 朗報には違いないが、樹齢45年超の「切り時」で若干潤っているだけのようです。こういう時こそ、「再造林」による持続可能な林業を目指して改革を進めるべきなんでしょうね。 <最新 グラウンドカバープランツ>ドングリ国の法面緑化の遷移について、この15年くらい注目しているので、この本にそのあたりが載ってないかと読んでみたが、残念ながら載っていなかった。でも、グラウンドカバープランツの種類と緑化手法について、ややプロ向けに書かれているが、見て楽しめる内容となっています。15年ほど前、ドングリ国へ赴任した直後には、裏山の法面を主のような顔で風靡していたクロバナエンジュは今では他の潅木の陰で枯死寸前のありさまです。クロバナエンジュよりでも、今ではこの人口の法面はパッと見には、自然の斜面そのものです。森林の遷移メカニズムを熟知した造園エンジニアの目論見は達成されたといえるのでしょう♪この本でコケの魅力が述べられたあたりを紹介します。何といっても、日本古来のグラウンドカバープランツですもんね。<グラウンドカバープランツとしてのコケの魅力>p182より まさに緑のじゅうたんと呼ぶにふさわしい光り輝く光景をつくり出すコケ。京都に数多くある寺社の日本庭園、コケはつきものである。コケのない日本庭園など想像ができないくらい存在感が大きい。他の植栽や施設の造形がそれほどでなくとも地表一面を見事なコケが覆っているだけで立派な日本庭園と感じてしまう。 デザイン素材としてのコケの魅力は何なのか。他のいかなる植物素材よりもテクスチェアが細かく、地表面を低く蜜に覆う、その生育状態が、その魅力を醸しだすのであろう。 2013年夏の記録的猛暑と渇水状態の影響で完全枯死に至らないまでも各所の日本庭園のコケから瑞々しい緑色が失せ、黒褐色となった。大仰に言えばその途端、日本庭園の魅力は半減した。 普段の京都であれば、空中湿度も高く、霧も発生する機会も多いためコケの生育にとっては最適で、放っておいても自然にコケも生え、コケむす。一方、東京辺りでは、年々乾燥化も進み、空中湿度も低くなり、庭等にコケを植栽しても、なかなか京都の庭園のようにコケの素晴らしい庭とはならない。 このような現状であるにもかかわらず、平成の時代に入り、都市のヒートアイランド対策として屋上や屋根あるいは壁面の緑化が注目されてくると、その好適植物としてコケの導入が期待されるようになった。中でも比較的乾燥に強いとされるエゾスナゴケを緑化基盤材と一体化した製品が開発され、それらを活用した壁面緑化が行われるようになった。【最新 グラウンドカバープランツ】近藤三雄著、誠文堂新光社、2014年刊<「BOOK」データベース>より ヒートアイランド現象が問題となってから数十年、都市において壁面や屋上緑化による気化熱を利用し急激な温度の上昇を抑える点で、グラウンドカバープランツの有用性がますます高まっています。 また最近は、葉の色や形状、花が付くものなど新しい園芸品種もより豊富になったため景観デザインの面でも幅が広がり、新たな緑化手法が開発されています。 本書は、グラウンドカバープランツの種類と用途、緑化手法について詳しく解説、設計や施工、管理の現場ですぐに役立つ、造園や建築、園芸など都市緑化に関わる専門家必携の一冊です。<大使寸評>ドングリ国の法面緑化の遷移について、この15年くらい注目しているので、この本にそのあたりが載ってないかと読んでみたが、残念ながら載っていなかった。でも、グラウンドカバープランツの種類と緑化手法について、ややプロ向けに書かれているが、見て楽しめる内容となっています。Amazon最新 グラウンドカバープランツ<木肌フェチとでも>東急ハンズの木材売り場に行くと、各種唐木の木片を手にして、けっこう時間をつぶすことになります。樹木大好きの大使には、つきつめると木肌フェチとでもいう性癖があるんでしょうね。『工芸の博物誌』という本を図書館で借りて読んでいるところだが・・・・「杢(モク)」の説明など載っていて、もろに大使のツボを突くわけです♪玉杢 (たまもく)如鱗杢 (じょりんもく)杢の種類より<和木、唐木>よりp82~85 日本では、『日本書記』などに大きな槻(ケヤキ)の木が登場する。蘇我馬子が創建した飛鳥寺の西には大きな槻の木があった。大化の改新後、孝徳天皇と中大兄皇子が、群臣を招集して一心同体の誓訳をさせた「大槻樹下の盟」は、この木の下で行われ、壬申の乱の際に近江方が軍営を設けたのも、蝦夷や隼人などの夷テキの服従儀礼を行わせたのもこの木の下の広場であった。 わが国は温暖湿潤気候の好条件に恵まれ、南北に細長い列島という土地柄のため、世界でもまれにみる多種多様な樹木が生育している。四季の移り変わりがはっきりしているため、春材と秋材の別が生まれて明確な年輪となり、木の表面にはさまざまな模様が現れる。この模様が木目や杢で、これが日本の木材の大きな特徴となっている。それはさまざまな木味を賞玩するという日本人の木に対する独特の感性をも育てることとなった。同時に豊富な樹種は、多種多様な木の利用法を生み出した。 縄文時代には丸木舟・櫂・弓などの用具、椀・高杯などの容器、櫛・腕輪などの装身具など既に多数の木製品が使われていた。弥生時代には鉄製工具が用いられ、さらに各種の生活用具や生産用具が作られた。<木の工芸的利用> 樹木には針葉樹と広葉樹、また落葉樹と常緑樹という区分がある。工芸的利用の観点からは、国内産の木である[和木]と東南アジア・インドなどの南方産の硬質な輸入材である[唐木]に分かれる。唐木は、もと中国を経て渡来したのでこの名があるが、種類としては、紫檀・黒檀・鉄刀木・花梨などがある。和木は、桑・欅・柿などの硬木と、比較的軟らかい針葉樹の杉・檜、広葉樹の桐などの軟木がある。<木を挽く人>よりp92~93 美しい杢を出すためには、どのように木割りをするかが問題となる。木理には、まっすぐな木理(直通木理)、波打つ木理(波状木理)、また特別な奇形の木理(杢)がある。杢には、円形(玉杢)、円が大きな波の中でうねるようになったもの(如鱗杢)、笹の葉のように揺れたもの(笹杢)、鳥の羽の模様のようなもの(鶉杢)などさまざまな杢があり、珍重される。この木割りによってどのような杢が出るかで、挽いた材の値が決まり、木挽きの技量も試される。「自分の木でもないのに、思い通りになれば、よかったなあと思う」と林さんは言う。木のソッポ(外力、全体の姿)を見、木口を観察する。木の癖を見抜いて、節や虫穴を予想し、最もよい木割りの方法を考えて木挽きをする。乞われて鹿児島まで屋久杉を挽きに行ったこともあるというが、将来は100%、チェーンソーで割る時代が来るだろうと予想する。林さんは「もったいないことだ」と言う。そこにある木を大事にして価値のあるものにしていくことがますますできなくなるからだ。 木工芸の材料として杢を狙う場合は、こうした連達の木挽きのような眼と腕が必用となる。わが国において営々として蓄積されてきた、木を育て、木を読み、木の美しさを引き出す技量の総体の伝承によって、木工芸は支えられている。<柿渋染め>最近、フリーマーケットで柿渋染めの布を見るが・・・なかなか渋い(まんまやんけ)のだ。柿渋染めは使い込むとこうなりますより<柿渋>よりp50~52 かつて畑の畔をはじめ作物のできないやせた土地などには、小粒の渋柿がたくさん植えられていた。これは食用にするというよりも、柿から渋を取って柿渋を作るのが目的であった。 柿渋の利用は弥生時代まで遡るといわれるが、防水・防腐剤として近年に至るまで日常生活に密着した利用範囲の広い生活必需品だった。 近世、京都・大坂といった大消費地には、型紙、漆器、傘、合羽、ぼて(ざるやかごに紙を貼ったもの)などの需要に応えるため柿渋屋が何軒もあった。もちろん、こうした都市のみならずそれぞれの地域ごとに柿渋屋があり、製造にあたってはその地方特産の柿を使った。渋の産地では、都市を中心とする多くの需要に応えるのに、遠隔地から柿を求めなくても地元で充分供給し得るだけの柿が多く植えられていた。 例えば京都近郊では、京都府南部の相楽郡一帯(木津町、加茂町、和束町など)が昔から柿渋作りが盛んで、こうした地域には最盛期の昭和初期に十数軒の柿渋屋があり、京都のみならず水運を利用して大阪の需要までもまかなっていたといわれている。 現代の柿渋の需要は、大半が清酒やみりんの清澄剤としてである。これらの醸造品は、透明度の高さが求められるため柿渋を利用している。(中略) 柿渋は小型の渋柿から作られるが、このような柿は山野に自生することが多く、採取に労力がかかる上、量にも限界があるため、原料の入手は年々難しくなっている。
2021.09.20
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図書館で『語学者の散歩道』という文庫本を、手にしたのです。めくってみると、歴史小説や西洋古典が、英語はもちろんギリシャ語、ラテン語まで引用して語られています。扱う題材は難しいがウィット溢れる語り口がええでぇ♪【語学者の散歩道】沼重剛著、岩波書店、2008年刊<「BOOK」データベース>より「賽は投げられた」は、本当は「賽を投げろ」だった?「健全な肉体に健全な精神」のもともとの意味とは?西洋古典学者として高名な著者が放つ、西洋古典が起源の英語のことわざや、意外な英語の語源、語学学習の思わぬ落とし穴など、語学学習にはもちろん日本語を書くうえでも役に立つ、蘊蓄とウィットが満載の楽しいエッセイ集。<読む前の大使寸評>めくってみると、歴史小説や西洋古典が、英語はもちろんギリシャ語、ラテン語まで引用して語られています。扱う題材は難しいがウィット溢れる語り口がええでぇ♪rakuten語学者の散歩道ギリシャ語、ラテン語について、見てみましょう。p204~209<ギリシャ語・ラテン語を学んで日本語を考える。> ギリシャ語やラテン語を学ぶのは、もちろんギリシャ語やラテン語で書かれた文章を読むために決まっている。しかしどんなものでも、何かを学ぶと、たいてはその結果、本来の目的以外の役に立つことがあるもので、私にとっては、ギリシャ語やラテン語を学んだことが、自分の日本語を書くのに役に立ったと、少なくとも自分では信じている。あるいは英語を読むのにもやはり役立っていると思っている。 話がすっかり飛ぶようだが、かつて、私の英国での恩師であるドウヴァ先生が来日された折、あちこちの大学でなさった講演を日本語に訳しながらはっとしたことがある。 先生の英語そのものにはそんな言葉はないのに、日本語にすると、文と文の間にどうしても「ですから」とか「ですが」とか「つまり」とか「で」とか、そういうつなぎことばをいれたくなる、あるいは入れないと前の文とのつながりがなめらかにいかない、唐突になる、という箇所がいくつも出てきたのである。 しかも、原文にない語を日本語で使ったら、原文の意をそこなうかどうかを考えてみると、たとえ原文にはなくても、日本語としては入れた方が、かえって原文に忠実になると思える箇所がかなりあった。これは明らかに、英語と日本語、とくに講義や講演における両者の、文と文の並べかたというか、つなぎかたというか、そういう点に違いがあるということだろう。 そこに思い至るとすぐ気がつくのは、ギリシャ語の文法でparticle(不変化詞とか小辞とか訳されている)と呼ばれる一群の語のことだ。gar,men,de その他たくさんあるが、ほとんんど単音節の小さな語で、ふつう文の頭から二番目に置かれる。語ではある以上はもちろん意味をもってはいる。 garならば「というのは」、deならば「そして」あるいは「しかし」というようにだ。しかしそれでいて、例えばdeを「そして」とか「だが」とか訳してしまうと、ギリシャ語原文の中のdeより強くなりすぎる。場合によっては訳さない方がかえって原文全体の意に沿うことになることもある。 menに至っては訳しようがないが、後続の文の中にdeがあれば、それと呼応して、menを含む節とdeを含む節が、対立とまでは言わないまでも、何らかの対照を意識して書かれていることのしるしととってよい。こういう案配なのだ。 だからparticleは意味ももっているが、その一語だけを取り出して訳せと言われると困惑する程度の微弱なもので、それよりは、文全体の中に位置を占めて、おの文と前後の文のつながり方が平らかだとか対立しているとか、そういう関係を表す。言い換えれば、語としてのそれ自身の意味よりは、文の姿勢とか気分とかいうものを表すものなのだ。(中略) こういうparticleがギリシャ語には数も多いが、使う頻度もずいぶん高い。これを含まない文というのはむしろ異例と言ってもいい。そういう文、そして接続詞によってつながれているのでもない文のことを、文法家はわざわざasyndeton(結ばれていないもの)と名づけるほどなのだ。考えてみると日本語も、こういう小さなつなぎことば、それ自身としての意味はたいしたものではないが、それがないと文がなめらかにつながらない、という語が多い言語だ。さっき挙げた「つまり」とか「で」とかいう、文の頭に置かれることばがそれだ。 これに対して、古典語ならラテン語はこれが乏しい言語だと思う。近代語なら英語もそうで、この種の語がほとんどない。particleがほとんど使われていない英語のドウヴァ先生の講演を、particleにみちみちた日本語に置き換えようとしたから困惑したのだ。逆も真なりで、こういうつなぎことばの豊富な日本語を英語に訳す時、文頭の「そして」や「で」や「しかし」や「つまり」がそういうつなぎことばにすぎないことに気がつかずにい、いちいちandだのbutだのという接続詞に「訳」してそれを“native speaker”に見せたりしたら、「接続詞で始まる文を書くな」と言われてしまう。(中略) つなぎことばが豊富な日本語で育ったしまった私には、文と文との関係は、つなぎことばがないとつねに明晰とは言えないように思えてならない。 このことと関連して是非言っておきたいことがもう一つある。近ごろいわゆるハウ・ツウものの「よい文章の書きかた」というような本を見ると、明晰な文章を書きたかったら文を短くするに限ると書いてある。しかし長い文で言うのと同じ内容を短い文で言うことにすると、文がたくさんできて、それぞれの文と文との継ぎ目がそれだけ余計になって、その都度つながりかたが不分明になり得るということがある。 それを、例えば従属節に従属節を重ねるようにして書けば、書くのにも読むのにも骨は折れるが、はるかに明晰な文が仕上がる。私に言わせれば、文章の明晰さを保証するのは文の長さではなく、思想の明晰さである。短いよりは長い方が文が明晰になることもあるということを知りたかったら、ギリシャの歴史家トゥキュディデスの文を読むに限る。『語学者の散歩道』1
2021.09.19
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図書館で『語学者の散歩道』という文庫本を、手にしたのです。めくってみると、歴史小説や西洋古典が、英語はもちろんギリシャ語、ラテン語まで引用して語られています。扱う題材は難しいがウィット溢れる語り口がええでぇ♪【語学者の散歩道】沼重剛著、岩波書店、2008年刊<「BOOK」データベース>より「賽は投げられた」は、本当は「賽を投げろ」だった?「健全な肉体に健全な精神」のもともとの意味とは?西洋古典学者として高名な著者が放つ、西洋古典が起源の英語のことわざや、意外な英語の語源、語学学習の思わぬ落とし穴など、語学学習にはもちろん日本語を書くうえでも役に立つ、蘊蓄とウィットが満載の楽しいエッセイ集。<読む前の大使寸評>めくってみると、歴史小説や西洋古典が、英語はもちろんギリシャ語、ラテン語まで引用して語られています。扱う題材は難しいがウィット溢れる語り口がええでぇ♪rakuten語学者の散歩道nods(うなづく)に関する薀蓄を、見てみましょう。p60~65<Homer sometimes nods> ホラティウス(前1世紀)の『詩論』からもう一つ諺を拾ってみよう。先ほどの『オックスフォード英語諺辞典』が“Homer sometimes nods”という形で挙げているものだ。私がこの諺にはこめて出会ったのは中学生の時である。教科書に出てきたのだ。Homerの前に“Even”がついていたと記憶している。 その時先生がおっしゃったことも覚えている。 「詩聖といわれたホーマー(ホメロス)でさえ時にうなづくことがある。つまり弘法も筆のあやまりということだな」ホーマーがうなづくとどうして弘法が筆をあやまることになるのかよく分からなかったが、私ははにかみ屋だったので、うっかり質問して、「なに、ホーマーがうなづくっていうことは弘法さんが字を書きまちがえるようなもんじゃないか。そんなことも知らんのか」と一喝されそうな気がしてそのままにしておいたが、そのためにその後長年にわたって、私にとっては、ホーマーのうなづきと弘法の筆のあやまりの相関関係は謎でありつづけた。 謎は解けたのは、白状すると、私が英語の教師になってからである。つまり、原因はどうあれ、要するに首を縦に振るのを英語では“nods”という、 「うん、そうだ、そうだ」とうなづくのも、こっくりこっくり居眠りをして首を上下するのも、とにかく首を縦に振れば“nods”というのだと知って、長年の謎が解けて嬉しかった。 あんまり嬉しかったから、今度は自分が、教室でそのことを得意になって話した(むろん教科書に“shook his head”という英語が出てきたからだが、事のついでに、日本語ではこういう“head”のことはふつう「頭」とはいわない、「首」というのだと、これも得意になってしゃべった)。あんまりこっちが得意になったせいだろう、生徒の中から、「じゃあ斜めに振るのは何ていうんですか」と質問するのが出てきた。仕方がないから、「君、その首を斜めに振ってみたまえ」とやり返した。 閑話休題。ホラティウスの詩句はこういうものである(『詩論』359)、 「しかしまた、あのすぐれたホメロスが居眠りをすると、私は遺憾に思う。ただ、長い作品の中では、眠気が襲うのは無理からぬこと。」 358行の終りの 「しかしまた」というのは前の行を受けていて、そこではアレクサンドロス大王の宮廷詩人という栄誉ある地位にいたが作品は凡庸という、コイリロスという叙事詩人のことを、 「二度三度、時にはすぐれた行を書いているのを見ると、(おや、結構やるねえと)びっくりして笑えてくる」と言っている。(オックスフォード・ラテン語辞典を引用して例文を紹介する下りは、長くなるので勝手ながら大使判断で略します。) これも高校で教えていた頃、私はこの諺を、それこそうっかり「弘法も木から落ちる」と言ってしまったことがある。すぐに気がつきはしたけれど、弘法ならぬ身には、居眠りをすると筆をあやまるところにも到達できず、せいぜい猿なみに木から落ちて目を覚ますのが精一杯ということだろうか。
2021.09.19
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図書館で『海を渡ったスキヤキ』という本を、手にしたのです。おや アメリカ人はスキヤキみたいな汁ものも好きになるのか・・・なんのなんの「だんご汁」まで載っているがな。【海を渡ったスキヤキ】グレン・サリバン 著、中央公論新社、2019年刊<「BOOK」データベース>より一皿、一匙に歴史あり!なぜアメリカで愛されたのか? 驚愕され、注目され、嫌われて、大人気になった、アメリカの「和食」、波瀾万丈のものがたり。<読む前の大使寸評>おや アメリカ人はスキヤキみたいな汁ものも好きになるのか・・・なんのなんの「だんご汁」まで載っているがな。amazon海を渡ったスキヤキ第4章で中国人の寿司やハワイのハワイ・フードを、見てみましょう。p218~223<中国人、和食業界へ乗り出す> 店を経営しながら、福建人たちは日本の寿司の伝統にメスを入れ、斬新な商品を生み出していった。たとえば、龍の尻尾を真似た裏巻き「ドラゴン・ロール」。中身は、エビ天などで、ご飯の上に輪切りにしたアボカドを龍の鱗を真似るようにして並べる。タレはタイの唐辛子ソース、「シラチャー」をマヨネーズに混ぜた「スパイシー・マヨ」。味はピリ辛なので、さくさとしたエビ天と見事に調和している。龍を真似た見た目も華やかで、味、食感ともに見事な一品である。 ときは流れて、21世紀・・・。 近ごろでは、中国人のみならず、日系人や他国の出身者も寿司のバリエーションに挑戦し、メニューに加えている。ネタにサーモンを使った「アラスカ・ロール」。南部料理の名物、ザリガニが入っている「ニューオーリンズ・ロール」。クリーム・チーズとスモークサーモンの「フィラデルフィア・ロール」。地元の味を加えた新しい品は、江戸前寿司の常識を突き破り、和洋折衷の可能性を果てしなく探究しているのである。(中略)<さとうきび畑の日本人たち> そよ風とココナツの群島、ハワイ。 今の日本人にとっては、リゾート地というイメージが強いかもしれない。しかし、ハワイの地を初めて踏んだ日本人は、観光客ではなく、新婚旅行者でもなかった。それは、19世紀の半ばごろに渡ってきた、出稼ぎ労働者だったのである。(中略) アメリカ本土と違って、男女の共働きがここでは常識だった。男性の担当はサトウキビの「カチケン」(切り倒し)や「ハッパイコー(持ち運び)で、女性は茎の枯れ葉の切り取り作業「ホレホレ」に専念した。 働きながら、女性たちは「ホレホレ節」を歌って心を癒やした。歌詞は勤務中に思いついた言葉で、移民生活の切なさを語っている。 ♪ハワイ、ハワイと夢見てきたが 流す涙は甘庶(キビ)の中 行こか メリケン 帰ろか 日本 ここが思案の ハワイ国 この歌詞の通り、不満は募る一方で、ストライキも起こりかねなかった。そのリスクを防ぐために、雇い主は多国籍の労働者が交じるように同じ畑で働かせた。朝、職場に着くとぼんやりと畑に立っているのは、フィリピン人や韓国人やハワイ人。母国語が違うので、みな、黙って目を伏せている。 昼休みに、心のこもった会話がしたい。が、ハワイ語混じりの業務用言語「ピジン」を除けば、共通語がない。いったいどうすればいい?<言語の壁を料理で破る> 解決策は、労働者たちが自ら発見した。 12時ごろの日盛り。この時間帯に入ると、労働者たちはサトウキビ畑の横で腰を下ろして、弁当箱の蓋を開ける。そこで、共通語を持たない人々のあいだで「言葉」の役割を担ったのは、箱のなかの食べ物である。 弁当を指さしながら、言いたいことを身振り手振りで伝えた。 ―君、これ、どうだい。佃煮という。発音は、つ・く・だ・に。ご飯に振りかけると、なかなか旨いぞ。 ―日本人にはやや辛いかもしれんが、自家製のキムチ、一口喰ってみろ。 ―フィリピンの煮込み名物、アドボだ。地鶏の身はすこぶる柔らかいぞ、どうだ、試してみないか? いつのころからか、自分の弁当箱は他人のおかずでぎゅうぎゅう詰めとなった。塩、唐辛子、醤油、ガーリック・・・。調味料の組み合わせはちぐはぐで、惣菜の色合わせもけっして、美しいとは言えない。が、出身の異なる人々が言葉の壁を越えたように、おかずの組み合わせも「食」の固定観念を突き破り、新たな料理をもたらした。 ハワイの地元料理、通称「ハワイ・ローカル・フード」はこのようにして誕生したのである。『海を渡ったスキヤキ』2:すき焼きハウス『海を渡ったスキヤキ』1:はじめに
2021.09.19
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図書館で『海を渡ったスキヤキ』という本を、手にしたのです。おや アメリカ人はスキヤキみたいな汁ものも好きになるのか・・・なんのなんの「だんご汁」まで載っているがな。【海を渡ったスキヤキ】グレン・サリバン 著、中央公論新社、2019年刊<「BOOK」データベース>より一皿、一匙に歴史あり!なぜアメリカで愛されたのか? 驚愕され、注目され、嫌われて、大人気になった、アメリカの「和食」、波瀾万丈のものがたり。<読む前の大使寸評>おや アメリカ人はスキヤキみたいな汁ものも好きになるのか・・・なんのなんの「だんご汁」まで載っているがな。amazon海を渡ったスキヤキ第4章で「すき焼きハウス」を、見てみましょう。p201~204<「すき焼きハウス」の出現> さて、ここで話は本章のはじめに戻る。 全米に普及したすき焼き、そのブームを、我々の商売にどうやったら反映できるか。 客層を広げたい和食屋オーナーは、この課題に全力を注ぎ込んだ。 幸いなことに、たとえば中華料理に比べると、自分たちの状況の方がはるかに恵まれていた。チャプスイをゼロから流行らせた中国人と違って、すき焼きの流行はすでに進行中・・・いや、「過熱中」といっても過言ではなかったのだから。 すき焼きとは何か、材料や割下はどうなっているのか、大半のアメリカ人は漠然とだったが、理解していた。だから、宣伝キャンペーンをいなくてもよかった、ただ流行に乗りさえすれば、それでよかった。成功は約束されていた。 ただ、ニューヨークですき焼きパーラーが流行っていた戦前と違って、いくつかの課題があった。そのひとつは、日系一世の多くが日本に帰国しているので、客層はもっぱら、アメリカ人になってしまうということ。さらに、店の開店先は、郊外の住宅街になってしまうということ。なぜなら、日本人街の多くは、廃墟化していたから。 そして何よりも、営業方針として、「日本」のイメージを強く押し出さなくてはならない、ということ。ぐらついた階段の上にあるすき焼きパーラーは、在ニューヨークの日系人サラリーマンにとっては満足できたのかもしれないが、アメリカ人の客は、そうはいかない。 入店した瞬間から、彼らは別世界を求めている。ウェイターから「靴を脱ぎなさい」と言われたい。畳敷きの小部屋に案内されたい。食事中、日本の絵を見たり、日本のBGMを聴いたりしたい。 このような背景から誕生したのが、住宅街のすき焼き屋、通称「すき焼きハウス」であった。 開店先の多くは住宅街だったものの、たとえばサンフランシスコのフィッシャーマンズワーフなど、観光名所の飲食街で暖簾を掲げた店もあった。すき焼きのほかに、甘い醤油ダレで煮込んだ牛肉の照り焼きもメニューに載せ、日本酒を使ったユニークなカクテルも出した。が、厨房の名品や名酒よりもむしろ、「日本」を想起させるような内装が悪漢だったようだ。 サンフランシスコの「大和すき焼きハウス」のメニューでは、次のような説明が扉ページを飾っている。 「ご来店の方々を、いにしえの日本のロマンを蘇らせた世界へと案内させていただきます。(中略)テーブルは、和風の座卓であり、座布団も用意させていただいております。店内は、昔の浮世絵にも匹敵するほど、日本のロマンや神秘性に満ちているものです」 (大和すき焼きハウスのメニューより) 日本情緒とともに、日本的な宴会気分も演出された。ひとり客はめったにおらず、来店者の多くは会社員などのグループ客で、和気合いあいと喋りながら料理を食べたり、お酒を飲んだりした。こうしてみると、店内の雰囲気は、明治時代の牛鍋屋とさほど異なっていなかったのかもしれない。<「スキヤキ」という名の歌> ここまで来るとすき焼きは、もはや「ブーム」の域を超えて、偉大なる文化現象と化していた、と言っても過言ではないだろう。 その証拠のひとつは、「スキヤーキ」という言葉の新たな使われ方だ。60年代より、この一語は料理用語の枠を超え、「日本的」「日本風」などの意味を表す形容詞になっていたのである。 リビングルームの低いテーブルは和風の座卓に似ているため、「すき焼きテーブル」と呼ばれ、たとえば『七人の侍』(1954年)など、日本で製作された時代劇映画は「マカロニ・ウェスタン」にならって「すき焼きウェスタン」と称された。人気上昇中の日本製オートバイは、アメリカのバイク野郎たちに「すき焼きバイク」と呼ばれたという。 この傾向が最高潮に達したのは、まさしく日本の大ヒット歌謡曲『上を向いて歩こう』がリリースされたときだった。 年は1963年。音楽ファンにはこれがいちばん親しみやすいと思われたのだろう。英米圏での正式曲名は『SUKIYAKI』と定められたのである。すき焼きが歌詞の内容とはまったく関係していない(!)にもかかわらず。『海を渡ったスキヤキ』1
2021.09.18
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図書館で『海を渡ったスキヤキ』という本を、手にしたのです。おや アメリカ人はスキヤキみたいな汁ものも好きになるのか・・・なんのなんの「だんご汁」まで載っているがな。【海を渡ったスキヤキ】グレン・サリバン 著、中央公論新社、2019年刊<「BOOK」データベース>より一皿、一匙に歴史あり!なぜアメリカで愛されたのか? 驚愕され、注目され、嫌われて、大人気になった、アメリカの「和食」、波瀾万丈のものがたり。<読む前の大使寸評>おや アメリカ人はスキヤキみたいな汁ものも好きになるのか・・・なんのなんの「だんご汁」まで載っているがな。amazon海を渡ったスキヤキ先ず「はじめに」を、見てみましょう。p1~4<はじめに> 時は1970年代。場所はハワイ州ホノルル。 土曜の昼、テレビの前に張りついていた小学生の僕に、母から声がかかった。「お昼、田上サイミンに行こうか?」 ソファから立ち上がり、僕は「イエス」と即答した。 田上サイミン。通称「タノウエーズ」。ハワイ流ラーメン「サイミン」の専門店だ。経営者は日系の一家で、ラーメン以外の品はみな日本料理である。 自宅から車を走らせること10分足らずで、僕らは店に着いた。テーブル席に座ると、母は息子に尋ねた。「前菜に寿司を頼もうね。何がいい?」「いなり寿司」「じゃ、あたしは太巻き」 数分後、二枚の小皿がテーブルに置かれた。いなり寿司1個と、太巻き1切れ。 いなり寿司の揚げの中には、柔らかめに炊かれた米がいっぱい詰まっている。一方の太巻きには、桜でんぶがたっぷり。合成着色料を使っているせいか、色は怪しげなピンクで、まるでお菓子のように甘い。前菜というより、デザートのような一品である。 寿司のあとのメイン料理として、ふたりとも「照り焼きビーフ」を頼んだ。牛肉の上にとろみのあるタレがかかっていて、ライスといっしょに混ぜて食べた。 日曜の夕方、出張から戻ってきた父は母に訊いた。「ところで昨日は、何を食べたんだ」 母はにっこり笑って応えた。「グルメよ。ジャパニーズ・フード」 それから20年後、日本で暮らしていた僕は、母の「グルメ」という言葉を思い出すたびに、笑いを禁じ得なかった。あんな素朴な料理をよくグルメと呼べたものだ。 1990年代、当時の僕は東京郊外のベッドタウンに住んでいた。勤務先は出版社、趣味は和食店巡り。粋がって、自分のことを「美食家」と称していた。 和食に目覚めたのは、仕事仲間に誘われて暖簾をくぐった寿司屋である。「ウニの握り寿司だよ。だまされたと思って一貫、食べてごらんよ」 先輩のひとりにすすめられ、「いや、僕はちょっと・・・」 と、小声で辞退した。「ウニ」という言葉が耳に入った瞬間、背筋が凍りついてしまったのだ。なぜかというと、この生き物はハワイ人にとって、なんとも恐ろしい天敵であるから。珊瑚礁に付いているウニをうっかり踏んでしまい、全治二週間の怪我を負ったサーファーは、ハワイでは珍しい存在ではない。 けれど、強くすすめられて断り切れず、おそるおそる口に入れて噛んでみた。ウニの舌触りはまるでバターのようだった。ほんのりとした寿司飯の甘さが口の中に広がっていく。 なんと味わい深い、優れた一品! 寿司といえば、「いなり寿司」か「太巻き」だと思い込んでいた、それまでの自分の視野がいかに狭かったかを思い知った。よし、昨日までの僕に終止符を打とう。今夜から、日本料理に対して「通」になったやろう。そう決心したのだ。 それ以来、日本全国各地で、珍味と言われるものを含めたいろいろな和食を次から次へと食べてみた。両親から「命取りになるぞ。ぜったいに食べるな」と警告されていたフグの刺身。酎ハイを飲みながら肴として食べたイナゴの佃煮。温泉旅館で初めて食べてやみつきになった、あん肝。アパートの近くの定食屋でいつも食べていたモツ煮。 たくさんの店を食べ歩いた。けれど、僕が期待していた、心がふるえるゆな感動はなかった。あったのは自己満足だけだった。 日本でさまざまな料理を食べれば食べるほど、子ども時代にハワイで食べた素朴な和食が思い出された。質素ながら、郷愁にも似た優しさを持ち、親近感を抱かせた、アメリカの和食・・・。日本に来て以来、長年蔑んできたその味を、僕は次第に再評価するようになった。(中略) 「和食」はアメリカでも広く根を張ってきた。僕はそのことを再認識した。 では、和食はいつごろアメリカに渡ってきたのか。アメリカで和食店をオープンし、成功に導いた料理人は、いったいどういう人物だったのか。僕は好奇心をくすぐられ、古い文献や資料(日本語には訳されていない)をあたって調べ始めた。その過程で、意外な事実がいくつも浮上してきた。 まず、アメリカにおける和食の歴史は、文字通り、日米関係の最初期から始まっているということ。日本食を初めて口にしたアメリカの要人は、黒船で来日したペリー提督であった。 それから三十数年後、アメリカ初の日本料理屋が、移住してきた日本人によって開かれた。そのあとには、寿司やすき焼き、鉄板焼きなど、さまざまな和食ブームが起きて、アメリカの食文化を大きく揺り動かすことになる。 やがて、アメリカ人の味覚にフィットした「アメリカ流和食」という料理ジャンルが生まれ、全米に広がっていく。「アメリカ流和食」とは? たとえばそれはクリーム・チーズ入りの巻き寿司であり、ピーナッツバター入りの餅であり、まるでちゃんばら映画さながらの板前の包丁さばきなのである。 本書では、そうした歴史を、さまざまなエピソードとともにたどっていく。 いかがでしょうか。どうぞご賞味ください。 ようこそ、アメリカの和食の世界へ。
2021.09.18
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出張で行った台湾とか、台湾映画とか集めてみました。とにかく、映画『海角七号』を観て以来、台湾にはまっている大使でおます。・フォルモサ 台湾と日本の地理歴史・我的日本・路(ルウ) みどころ・道半ば・海角7号(魏徳聖著)・お言葉ですが・・・別巻2・台湾初の女性総統にエール・台湾旅行計画(工事中)・『美麗島紀行』2・フラガールとアリエッティ、そしてセデックバレ・「トロッコ」に触発されて、司馬さんの「台湾紀行」を・海角7号・親中・反日?の新総統・台湾料理はオイチー♪R7:『フォルモサ 台湾と日本の地理歴史』を追記【フォルモサ 台湾と日本の地理歴史】ジョージ・サルマナザール著、平凡社、2021年刊<「BOOK」データベース>より科学的知識と想像力が綯い交ぜとなり、常識や既成概念を次々と突き崩していった一八世紀初頭。宗教・社会制度・日常生活すべてに及ぶその自由な言説空間に偉大なる想像(創造)力をもった謎の男によって放たれ、偽書ながら欧州を席倦、その後の東アジア認識にも大きく影響した世紀の奇書。<読む前の大使寸評>おおこの本は先日読んだ『奇書の世界史』でも紹介されていた本ではないか♪ただ、この本が徹頭徹尾、サルマナザールの“妄想”をもとに書かれた偽書であると紹介されています。rakutenフォルモサ 台湾と日本の地理歴史『フォルモサ 台湾と日本の地理歴史』3:訳者による解説『フォルモサ 台湾と日本の地理歴史』2:「第1巻の結び」『フォルモサ 台湾と日本の地理歴史』1:「序」<『我的日本』2>図書館で『我的日本』という本を手にしたのです。親日国といえば、まずトルコと台湾が思いつく大使である。その台湾の作家18名が見た日本が興味深いのです。【我的日本】呉佩珍, 白水紀子著、白水社、2018年刊<「BOOK」データベース>より甘耀明、呉明益、王聡威ら気鋭の台湾作家18名は日本に何を見たのか。ユニークな日本文化の考察から東日本大震災の体験まで。<読む前の大使寸評>親日国といえば、まずトルコと台湾が思いつく大使である。その台湾の作家18名が見た日本が興味深いのです。rakuten我的日本『我的日本』2:日本観光リピーターによる旅行準備『我的日本』1:東日本大震災後のレポート<路(ルウ) みどころ>NHKと台湾のPTSの共同制作ドラマが今夜から始まるということで・・・ネットでみどころを探してみたのです。路(ルウ) みどころより 台湾新幹線プロジェクトの軌跡を縦糸に、日本人と台湾人のあたたかな心の絆を描いた吉田修一の傑作小説「路(ルウ)」を、NHKと台湾の公共放送局・PTSの共同制作でドラマ化。 かつて“麗しの島”と呼ばれた美しい台湾の景色や活気ある街角を背景に、日本と台湾の人々の「国境」と「時間」を越えた心の交流を詩情豊かに描きます。 1999年の仕事納めの日、東京の商社・大井物産社内が大歓声に湧いた。台湾高速鉄道の車両システムの優先交渉権を日本の新幹線が大逆転で獲得したのだ。入社4年目の商社社員・多田春香(波瑠)はプロジェクトの一員として台湾に出向することが決まる。 春香には大学時代、初めて台湾を訪れた夏の切ない思い出があった。エリック(アーロン)という名の台湾人青年と偶然出会い、たった一日だけ台北を案内してもらったが、その後連絡が取れなくなってしまったのだ。何とかエリックを探し出そうとしたが叶わなかった春香は、彼への思いを封印する。 あれから6年―。 二度と台湾へ行かないと心に決めていた春香だったが、台湾新幹線建設チームの一員として、再びその地を踏むことになる。<『道半ば』6>図書館で『道半ば』という本を、手にしたのです。なんか既視感のある本であったが、まあいいかと借りたののです。帰って調べてみると9ヶ月前に借りていました。で、(その6)としています。【道半ば】陳舜臣著、集英社、2003年刊<「BOOK」データベース>より歴史を語りつづける作家が自らの20世紀を綴る注目の自伝エッセイ。ペルシャ、オリエントへの憧憬。歴史のうねりの中で培った豊かな精神。作家としてデビューするまでの若き日々。【目次】幼い日々/海岸通の家/中山手と北長狭/進学/水害の前/舞い落ちる旗/太平洋戦争まで/戦いはじまる/海を渡る人たち/上八時代〔ほか〕<読む前の大使寸評>神戸や台湾を描いた陳舜臣のエッセイ集であるが・・・これもミニブームといっていいんでしょうね。rakuten道半ば『道半ば』1:過ぎ行く牧歌時代p218~220『道半ば』2:神戸空襲前後p127~132『道半ば』3:終戦直後の在日の台湾人p142~146『道半ば』4:2月28日事件p243~247『道半ば』5:学究時代p109~114<海角7号(魏徳聖著)>映画『海角七号』が2008年に台湾で公開されたので、この本は1年後に発刊されていたようです。とにかく、文章で後追いしたくなる本では、あるでぇ♪【海角七号】魏徳聖著、徳間書店、2009年刊<「BOOK」データベース>より1940年代、日本統治下の台湾。若い日本人教師が、日本名を友子という台湾人の教え子と恋に落ちた。しかし、敗戦を迎え帰国を余儀なくされる。彼は日本に着くまでの七日間、海上で手紙を綴る―。60年後の現代。プロ・ミュージシャンになる夢に敗れたアガは、嫌々郵便配達のバイトをしている。ある日、アガは郵便物の中に、いまは存在しない住所・海角七号宛ての小包を見つける。それは60年前、日本人教師が恋人・友子に綴ったあの手紙だった―。<読む前の大使寸評>映画『海角七号』が2008年に台湾で公開されたので、この本は1年後に発刊されていたようです。とにかく、文章で後追いしたくなる本では、あるでぇ♪amazon海角七号「海角7号」公式HP(以降、全文はここ)
2021.09.18
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図書館で『フォルモサ 台湾と日本の地理歴史』という文庫本を、手にしたのです。おおこの本は先日読んだ『奇書の世界史』でも紹介されていた本ではないか♪ただ、この本が徹頭徹尾、サルマナザールの“妄想”をもとに書かれた偽書であると紹介されています。【フォルモサ 台湾と日本の地理歴史】ジョージ・サルマナザール著、平凡社、2021年刊<「BOOK」データベース>より科学的知識と想像力が綯い交ぜとなり、常識や既成概念を次々と突き崩していった一八世紀初頭。宗教・社会制度・日常生活すべてに及ぶその自由な言説空間に偉大なる想像(創造)力をもった謎の男によって放たれ、偽書ながら欧州を席倦、その後の東アジア認識にも大きく影響した世紀の奇書。<読む前の大使寸評>おおこの本は先日読んだ『奇書の世界史』でも紹介されていた本ではないか♪ただ、この本が徹頭徹尾、サルマナザールの“妄想”をもとに書かれた偽書であると紹介されています。rakutenフォルモサ 台湾と日本の地理歴史訳者による解説を、見てみましょう。p398~400「訳者解説」 『フォルモサ』は、知る人ぞ知る一大奇書である。著者サルマナザールの名前が、旧約聖書の「列王記 下」の第17章および18章に登場するアッシリア王シャルマナサルに由来するものであることは、死の翌年1764年に出版された彼の『回想録』に記されているのだが、他方本書中には、フォルモサに神が遣わしたとされる預言者の名前としても登場している。また原書では、初版も第二版も、著者名は“Psalmanazaar”と綴られているが、『回想録』では“Psalmanazar”とaが一つ少なくなり、これが今日の一般的な英語表記となっている。 いずれにしても彼の本名は未だに分かっていない。生地にも誕生年にも諸説ある。ともあれ彼は、18世紀のロンドンで、あくまでも「ジョージ・サルマナザール」として通用し、例えば当時のイギリスの文豪として知られるサミュエル・ジョンソンなどとも親交を結んでいた。『ガリヴァー旅行記』(1726年)で知られるジョナサン・スウィストの著作にも、同時代人としてのサルマナザールへの言及が見られる。『フォルモサ』はまた、いわゆる偽書として知られている。入手可能な当時の各種の文献および伝聞情報を基に、サルマナザールがでっち上げたものなのである。今日一般には台湾のことを指すとされる「フォルモサ」も、本書の記述にある通り、台湾とおぼしき「タイオワン」とは、離れていることになっている。とはいえ、もちろんまったくの空想の産物というわけでもないから、地名はもちろん、実在の人物や事件も数多く登場する。 原書のタイトルにある通り、本書では、フォルモサが日本帝国の属国であったことが示されているが、18世紀以前に、両国がそのような関係にあったことはない。それはそうなのだが、フォルモサも日本も実在の国で、本書63-65頁に見られる地理的説明も、それほど事実と異なっているわけではない。 本書に登場するイエズス会ザビエルの存在も、日本におけるキリスト教徒迫害事件も、細部の描写はともかく、否定することはできない。ましてや、サルマナザール個人の改宗に至る精神的遍歴となると、これはもうほとんど個人の経験に属する内容であり、でっち上げと断定することはできない、ということになる。 『ロビンソン・クルーソー』や『ガリヴァー旅行記』といった冒険物語が、近代小説という新しい表現様式の誕生とともに一世を風靡していた18世紀初頭のイギリスにあって、否、フランス語訳やドイツ語訳、オランダ語訳などを通じて広くヨーロッパ大陸においても、本書は、偽書とされながらも多くの読者を魅了したのである。『フォルモサ 台湾と日本の地理歴史』2:「第1巻の結び」『奇書の世界史』1:妄想の台湾誌
2021.09.17
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図書館で『フォルモサ 台湾と日本の地理歴史』という文庫本を、手にしたのです。おおこの本は先日読んだ『奇書の世界史』でも紹介されていた本ではないか♪ただ、この本が徹頭徹尾、サルマナザールの“妄想”をもとに書かれた偽書であると紹介されています。【フォルモサ 台湾と日本の地理歴史】ジョージ・サルマナザール著、平凡社、2021年刊<「BOOK」データベース>より科学的知識と想像力が綯い交ぜとなり、常識や既成概念を次々と突き崩していった一八世紀初頭。宗教・社会制度・日常生活すべてに及ぶその自由な言説空間に偉大なる想像(創造)力をもった謎の男によって放たれ、偽書ながら欧州を席倦、その後の東アジア認識にも大きく影響した世紀の奇書。<読む前の大使寸評>おおこの本は先日読んだ『奇書の世界史』でも紹介されていた本ではないか♪ただ、この本が徹頭徹尾、サルマナザールの“妄想”をもとに書かれた偽書であると紹介されています。rakutenフォルモサ 台湾と日本の地理歴史「第40章」と「第1巻の結び」を、見てみましょう。p244~251「第40章 イエズス会士たちが日本入国のために取った新たな方策について」 このようにしてオランダ人は、キリスト教信仰を否定することで、日本と自由に交易することを維持したのであるが、カトリック教徒たちは、踏み絵により、日本への入国を許されずにいた。しかしイエズス会士たちは、日本への入国が再び認められるよう、巧みな方策を新たに考え出した。それは次のようなものである。 彼らは、日本語が教授されているゴアで、まず日本語を学び、上手に話せるようになったら、日本の服を身にまとい、そのような格好をして日本の港町にやって来る。と検査官に訊かれれば、自分たちは日本人であり、日本にあるこれこれしかじかの島とか町の名前をすぐに応えるというものだ。こうすれば検査官は、その言葉と習慣ゆえに、彼らが日本人であると簡単に信じてしまうというわけである。(中略) 日本におけるキリスト教徒迫害があって数年後、すでに述べたように、日本の皇帝はフォルモサを獲得し、ここでもキリスト教徒を弾圧した。イエズス会士たちやローマ・カトリックの聖職者たちへの厳しい扱いも日本での場合と同じで、火あぶりにされたり磔の刑に処せられたり、死ぬまで逆さ吊りにされたり、といった具合であった。 ただ皇帝は、キリスト教に改宗したフォルモサ人に対しては寛容さを示し、キリスト教を棄てるか、もしくは永久にフォルモサを離れるかを自由に選ばせたのである。棄教すうのではなく他国へ逃れることを選ぶ者が多かったが、自分の家、そして故国を離れることをよしとせず、以前の迷信を信じるように妥協した者もあった。このとき以来、フォルモサでも日本と同様に、反キリスト教の法律が施行されたのである。「第1巻の結び」 日本におけるキリスト教徒大虐殺の理由について述べた。イエズス会士たちがキリスト教信仰に対して実にひどい偏見を植えつけ、キリスト教徒の名に批判や不名誉をもたらしたことがはっきりとお分かりになるであろう。 彼らは、ローマ・カトリックの誤謬を、信仰に必用な項目であるとして押しつけ、野蛮で血なまぐさい殺戮を弱き異教徒に対して企てたのである。もし彼らが、キリスト教を純粋かつ単純明快な形で伝え、改宗者たちに対して、優しさや慈しみ、誠実さをもって接していれば、それこそ伝道者の務めであり、日本帝国は全土にわたってキリスト教国になっていたであろうことは確実であったと私は強く思う。 ところが連中の虚偽や邪悪な行動により、日本人は結局、キリスト教信仰について誤まった考え方、そしてたいへん強い偏見を持つに至り、いまやキリスト教に改宗させることはたいへん困難になってしまった。ウーム いくら偽書であっても、著者の主張や当時の時代背景が滲みでてきていますね。『フォルモサ 台湾と日本の地理歴史』1:「序」(〇) 「〇」
2021.09.17
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<我が町のツバメはいずこ(再復刻)> このところ、ツバメたちが連なって電線にとまっているシーンが見られるようになったが・・・「渡り」のシーズンとなったようですね。 親集団の出発に間に合わない子ツバメたちは、体力がつくまでトレーニングに励むのだが・・・なんとも健気な習性ではないか♪ ということで、以前の日記から復刻します。***********************************************************************日に日に、群れで飛ぶツバメが少なくなっているような、このごろですね。七十二候に「玄鳥去」というのがあるけど・・・どうも我が町生れのツバメたちは、もう飛び去っていて南の地域を移動中ということのようです。ネットでこんなサイトがありました。七十二候「玄鳥去(つばめさる)」。巣立ったヒナは、どんな旅に出るのでしょうかより■もう帰る巣のない幼鳥たち。「渡り」を前に、集団で暮らします 食糧や繁殖のため定期的に長距離を移動する『渡り鳥』。日本でもいろいろ見られます。ツバメなどの「夏鳥」は、春に来て子育てし、秋になると南の国に去っていきます。オオハクチョウなどの「冬鳥」は、越冬するために北の国から日本にやってきます。チドリなどの「旅鳥」は、北国で繁殖し南国で越冬するため、中継地点として日本を通りかかります。 人間の世界では、転々とする苦労人を「渡り鳥」と表現したりしますが、『渡り』の旅はまさに苦労の連続。嵐や天敵など危険もいっぱいです。ツバメたちも、毎回命がけで種の楽園をめざします。 5月下旬。生まれてからおよそ20日で巣立った一番子のヒナたち。ツバメは2回子育てをする親が多く、生まれた巣は、これから育つ弟妹(二番子)たちのもの。巣立った子の居場所はありません。 そこで、幼鳥たちは集まって、出発の日まで水辺のアシ原や大きな樹木などで集団生活をします。早く一人前にならないと、南の国に渡っていけません。渡り鳥としての自覚を高める寮生活といったところでしょうか。幼鳥は、尾が短いので遠くからでもよくわかります。 夏になると、2回目の子育てが終わった親鳥たちも集団に加わります。夕方、空にたくさんのツバメたちが集結して、日が沈むと一斉にねぐらに入っていきます。「集団ねぐら」は毎日少しずつ移動するうえ、夜明けにはツバメたちはもう飛び立っているので、なかなか見つけにくいようです。集団はだんだん大きくなり、秋には数千~数万羽もの大群になるといいます。■歩かないツバメ。渡り鳥を見送れる場所をご存じですか? ある日の明け方前に小グループで出発。親鳥から先に南へと旅立ち、幼鳥は渡る体力がつくのを待ちます。連れて行ってはもらえません。7月後半になると、ねぐらは親の割合が少なくなってきます。それでも10月頃までには、皆出発するようです。 渡りにはいくつかのコースがあるようです。まだ一度も通ったことのない何千キロもの空の道を、親もいないのに、幼鳥はどうやって迷わずに行けるのでしょう? ツバメには、目印のない海の上でも目的地に向かって飛び続けられるよう、太陽や地磁気によって方角を知る能力があるといいます。さらには、目的地に近づくと地形や目立つ建造物をたよりに正しい場所を見つけるのだそうです。生まれながらに「渡る力」が備えられていたのですね。 ツバメの体は、空中生活用にできています。食事はもちろん、水浴びすら下に降り立つことなく水面すれすれを飛びながら一瞬で(カラスもびっくりの瞬間行水で、水飲みとの区別がつかないくらいです)。大きな翼は長距離飛行に耐える丈夫さなのに、退化した足は弱くて歩くのが苦手。他の小鳥と比べて巣立ちまでの日数が長いのは、巣立ったらすぐ飛ぶ必要があるためです。 高速で飛びまわりながら小さな虫を見分ける目。飛んでいる昆虫をくわえとりやすいように大きく深く開く、嘴。上嘴には左右5本ずつくらいヒゲがあり、虫取りアミの役割をします。 飛行速度は時速45km、最高時速は200kmともいわれます。また、長い尾や翼のひと振りで、急旋回・急降下・停止飛行も思いのまま! 多くの渡り鳥が、気流が安定していて天敵に襲われにくい夜間に渡るなか、飛翔力に優れたツバメは、昼間に堂々と渡っていくのです。
2021.09.17
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2021年9月6日、88歳で死去した仏俳優ジャンポール・ベルモンドさんを偲んで・・・代表作でもある『気狂いピエロ』を探してみました。しかしまあ、ヌーヴェル・ヴァーグは今や昔になったものだ。【気狂いピエロ】ジャン=リュック・ゴダール監督、1965年仏制作<amazon紹介>より「見つかった 永遠が 太陽と一つになった海」ヌーヴェル・ヴァーグとゴダールが到達した最高作! 字幕は寺尾次郎訳。★映画史を変えたデビュー作『勝手にしやがれ』(59)と同じベルモンドの主演で、青春を過ぎた男の破滅に向かう無軌道を描くヌーヴェール・ヴァーグの最高作! ★溝口健二監督『山椒大夫』へのオマージュとされるラストシーンに画面外から聞こえる台詞「見つかった/何が?」はランボーの詩「永遠」の一節。★『小さな兵隊』(60)の後、結婚したアンナ・カリーナとはこの後、同年の『アルファヴィル』(65)の公開後、離婚することになる。<Customer reviews>より映画史上、古今東西でナンバーワンの名作です。確かに観る人を選ぶ作品ではあります。けなす人は徹底的にけなすでしょう。ですが、これほど映画の自由と可能性を切り拓いた作品は他にありません。「勝手にしやがれ」と並び、まさにゴダールによる奇跡です。<大使寸評>このCustomerは「古今東西でナンバーワンの名作」と持ち上げているが・・・不肖大使も、そう思わないでもないでぇ♪wikipediaによれば、当初ゴダールはマリアンヌ役にシルヴィ・ヴァルタンを考えていたが、ヴァルタンのエージェントに断られているとのこと。amazon気狂いピエロ
2021.09.16
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NHK『クローズアップ現代+ 宝の山をどういかす?』という番組が放映されたが、林業再生には関心があるわけで・・・・早速、ネットを覗いたイラチな大使でおます。 2021/09/15クローズアップ現代+ 宝の山をどういかす?より オリンピック・パラリンピックで使用された国立競技場や木造高層ビルなど木をふんだんに使った建造物が増えている。背景にあるのは林業再生を目指す国の政策。 法を改正し補助金の仕組みを整えて林業を強力に後押しし、日本の木材自給率を20年間で、かつての約2倍、40%近くまで上昇させた。しかしその裏で問題が起きている。 大規模伐採ではげ山が広がったり、山の所有者に無断で伐採する「盗伐」が発生したり。大規模伐採の一部が、土砂災害などの要因の一つになっているという指摘もされている。国土の7割を森林に覆われた日本で持続可能な林業とは? 「自伐型林業」という“小さな林業”の取り組みなども例に、林業の未来を考える。 この番組を見ながら、メモしたのです。・球磨川水害の主原因は大雨であるが、それに加えて森林の皆伐(それも盗伐が多い)にもよるとのこと。伐採後の木の根が腐ると、大雨でそこに水が溜まり斜面が崩壊するとも。・皆伐した後に植林すればいいのだが、利益優先の業者(あるいは盗伐者)は皆伐後の山を放置したことも災いしているようです。・更に遠因として、木材チップが値上がりして売物になったこと、アメリカが住宅ブームで木材輸入国に転じたことなども影響して皆伐が増えたようです。(今や日本の材木が輸出されていることには、驚いたのです)・水害が増加しているなか、日本の木材自給率が増えたとして喜んでいていいのか?・森林行政のミスリードが目を覆うばかりであるが・・・営林署の無策があったのでは?(前例踏襲がイノチの行政は山林主の利益保護を謳うが、山林主がやる気をなくしたり、山林主が分からなくなった山林があったりで、昏迷を深める森林行政である)・全国54箇所で自伐型林業が始まっているが・・・環境保全型林業でもあり、持続可能な林業でもある。・山が急峻なオーストリアで環境保全型林業が実現できているのに、日本でそれが進まないのはなぜか?(ひとえに森林行政のミスリードである)・森林は共有財産であり、それを守るのは森林国ニッポンのコモンセンスではないか。
2021.09.16
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今回借りた3冊です。だいたい支離滅裂に借りているけど、今回の傾向は、強いていえば、「日・米・中」でしょうか♪<市立図書館>・語学者の散歩道・海を渡ったスキヤキ・中国4.0<大学図書館>(ただいま市民への開放サービスを休止中)図書館で手当たり次第で本を探すのがわりと楽しいが・・・これが、図書館での正しい探し方ではないかと思ったりする(笑)***********************************************************【語学者の散歩道】沼重剛著、岩波書店、2008年刊<「BOOK」データベース>より「賽は投げられた」は、本当は「賽を投げろ」だった?「健全な肉体に健全な精神」のもともとの意味とは?西洋古典学者として高名な著者が放つ、西洋古典が起源の英語のことわざや、意外な英語の語源、語学学習の思わぬ落とし穴など、語学学習にはもちろん日本語を書くうえでも役に立つ、蘊蓄とウィットが満載の楽しいエッセイ集。<読む前の大使寸評>めくってみると、歴史小説や西洋古典が、英語はもちろんギリシャ語、ラテン語まで引用して語られています。扱う題材は難しいがウィット溢れる語り口がええでぇ♪rakuten語学者の散歩道【海を渡ったスキヤキ】グレン・サリバン 著、中央公論新社、2019年刊<「BOOK」データベース>より一皿、一匙に歴史あり!なぜアメリカで愛されたのか?驚愕され、注目され、嫌われて、大人気になった、アメリカの「和食」、波瀾万丈のものがたり。<読む前の大使寸評>おや アメリカ人はスキヤキみたいな汁ものも好きになるのか・・・なんのなんの「だんご汁」まで載っているがな。amazon海を渡ったスキヤキ【中国4.0】エドワード・ルトワック著、文芸春秋、2016年刊<「BOOK」データベース>より2000年以降、「平和的台頭」(中国1・0)路線を採ってきた中国は、2009年頃、「対外強硬」(中国2・0)にシフトし、2014年秋以降、「選択的攻撃」(中国3・0)に転換した。来たる「中国4・0」は? 危険な隣国の真実を世界最強の戦略家が明らかにする。<読む前の大使寸評>危険な隣国・中国に対しては常なる監視と有効な戦備・訓練が必要なんだろうね。rakuten中国4.0************************************************************図書館大好き508
2021.09.16
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<半藤一利あれこれR3>デジタル朝日の連載コラム(歴史探偵おぼえ書き)をアトランダムにスクラップしているのだが・・・この際、これまで読んできた半藤さんの著作を並べてみようと思ったのです。・『「勝札」が輝いていた時代』(2019年記事)・『明治維新とは何だったのか』(2018年刊)・『歴史と戦争』(2018年刊)・『文士の遺言』(2017年刊)・『昭和史をどう生きたか』(2014年刊)・『そして、メディアは日本を戦争に導いた』(2013年刊)・『愛国者の条件』(2006年刊)R3:『明治維新とは何だったのか』を追加***********************************************************************<『「勝札」が輝いていた時代 半藤一利』>デジタル朝日の連載コラム(歴史探偵おぼえ書き)で面白い記事があったので、見てみましょう。またスクラップと電子データの重複保存となったが・・・まあ いいか。2019年7月20日「勝札」が輝いていた時代 半藤一利より<「勝札」が輝いていた時代> 太平洋戦争も末期のこの国の惨憺たる様子は、これまでもうあきれるほど読者諸兄姉は読まされたことであろう。本土決戦に狂奔する軍部と、無理やりそれに従わせられる国民。軍部は勝つ意思も自信もなく、ただ戦うために戦う、戦いつづけることが目的になっていた。そのために国民を道連れにすることに何のためらいも、やましいところもなかった。 ――なんて話が、今回の主題ではなく、少しのんびりした事実を。すなわち宝くじの話である。いまになるとほとんど知る人はなくなったが、宝くじの前身とされる「勝札(かちふだ)」が政府のキモ煎りで、日本勧業銀行本・支店などで売りだされたのが、昭和二十年(1945)七月十六日。一枚十円で、この日から発売されて締め切りは、なんと、一カ月後の八月十五日ときたもんだ。 各新聞がにぎやかに発売を報じたが、ここには読売報知(現読売新聞)を長く引用する。「一等に当れば十万円、籤(くじ)運が悪く全然当らなくても勝ち抜くための献金となるこの勝札の抽籤(ちゅうせん)は売出締切十日後の八月廿五日、麹町区内幸町勧銀本店で一般公開して行はれる。第一回売出二億円(二千万枚)で十万枚一組に一等十万円一本、二等一万円九本、三等千円九十本、四等五十円九百本、五等十円一万九千本計二万本の当り籤があるから五本に一本は必ず当るわけ」 さてさて、売り出し締め切りの八月十五日に、天皇放送があって戦争は終わってしまう。勝札の抽籤ははたして行われたのであろうか。貧乏性ながら気になってならなかった。調べてみたら確かに、きちんとやられていた。敗戦後の八月二十五日に本店ではなく勧銀長野支店で。さりながら、十万円に当たった一等当選者のなかには不明のままの人もいたらしい。空襲で焼き殺されてしまったのか、と悪い想像をしている。 宝くじを何べんも欲をだして買ってみたが、いっぺんもいい目をしたことがない私は、一等十万円はいまの額にするといくらぐらいになるか、余計なことが気になってならない。日銀の企業物価指数で計算すると、二千百万円ほどになるそうな。もっとも十年ほど前の計算であるが。 とにかく勝札の名が象徴しているように、地図の上からは抹消され、そのころ空襲もなくなった東京には、勝利を信じてののどかな日々が訪れていたらしい。三月十日の空襲で焼けだされて、東京から新潟県に疎開していた私には存じないことであった。 漫談家で随筆家の徳川夢声が七月二十二日の日記に浅草のことを書いている。「他に何もなきこの興行街に、若き産業人たちが、地下鉄や都電を満員にしてやってくる。そしてガツガツと(映画や芝居を)二ツも三ツも見て行くのである。あわれふかき風景である」と。***********************************************************************【明治維新とは何だったのか】半藤一利×出口治郎著、祥伝社、2018年刊<「BOOK」データベース>よりあのとき、日本を動かしたのは龍馬でも松陰でもなかった!知の巨人2人が、薩長史観に隠された「幕末・維新」を語る。<読む前の大使寸評>おお 半藤一利さんが明治維新について出口治郎さんと対談しているのか・・・これは面白そうである。rakuten明治維新とは何だったのか『明治維新とは何だったのか』5:官軍と賊軍『明治維新とは何だったのか』4:西南戦争『明治維新とは何だったのか』3:五万石を薩長に「盗まれた」長岡藩『明治維新とは何だったのか』2:薩長のスタンス『明治維新とは何だったのか』1:起きて困ることは「起こらない」と思い込む日本人***********************************************************************【歴史と戦争】半藤一利著、幻冬舎、2018年刊<「BOOK」データベース>より幕末・明治維新からの日本近代化の歩みは、戦争の歴史でもあった。日本民族は世界一優秀だという驕りのもと、無能・無責任なエリートが戦争につきすすみ、メディアはそれを煽り、国民は熱狂した。過ちを繰り返さないために、私たちは歴史に何を学ぶべきなのか。「コチコチの愛国者ほど国を害する者はいない」「戦争の恐ろしさの本質は、非人間的になっていることに気付かないことにある」「日本人は歴史に対する責任というものを持たない民族」-80冊以上の著作から厳選した半藤日本史のエッセンス。<読む前の大使寸評>おお 半藤日本史のエッセンスってか・・・なるほど、既刊本からの短文を集めた構成になっています。<図書館予約:(7/11予約、12/09受取)>rakuten歴史と戦争『歴史と戦争』2:西郷隆盛をどう見るか『歴史と戦争』1:昭和十五年あたり***********************************************************************<『文士の遺言』>図書館で『文士の遺言』という本を手にしたのです。ウン 歴史探偵と呼ばれた半藤さんの薀蓄が・・・ええでぇ♪【文士の遺言】半藤一利著、講談社、2017年刊<「BOOK」データベース>より「歴史探偵」が薫陶を受けた作家たちの知られざる思想、苦悩、その素顔!あの戦争・戦後とは何だったのか?知られざる作家の肉声、創作秘話が炙り出すもう一つの「昭和秘史」!!<読む前の大使寸評>ウン 歴史探偵と呼ばれた半藤さんの薀蓄が・・・ええでぇ♪rakuten文士の遺言『文士の遺言』5:阿川文学p188~191『文士の遺言』4:合理的な戦略戦術p72~74『文士の遺言』3:丸谷才一論p175~179『文士の遺言』2:満蒙関連のお話しp78~81『文士の遺言』1:司馬さんの謎p82~85***********************************************************************【昭和史をどう生きたか】半藤一利著、東京書籍、2014年刊<「BOOK」データベース>より特攻に最後まで反対した指揮官の戦後。従容として孤島に身を殉じた将官からの手紙。空襲の空に凧を揚げていた少年。「阿部定事件」で中断した国会。反安保デモの終った夜…。史上例を見ない激動の時代に生きた人間たち、そして自分自身。「半藤昭和史」の対話篇、刊行なる。【目次】ふたつの戦場ミッドウェーと満洲ー澤地久枝/指揮官たちは戦後をどう生きたかー保阪正康/なぜ日本人は山本五十六を忘れないのかー戸高一成/天皇と決断ー加藤陽子/栗林忠道と硫黄島ー梯久美子/撤退と組織ー野中郁次郎/東京の戦争ー吉村昭/戦争と艶笑の昭和史ー丸谷才一/無責任論ー野坂昭如/幕末から昭和へ熱狂の時代にー宮部みゆき/清張さんと昭和史ー佐野洋/戦後六十年が問いかけるもの(辻井喬)<読む前の大使寸評>半藤さんの対談相手の12人が、なかなかのメンバーである。かの今次大戦に対して、行け行けどんどんの人が含まれていない人選がいいではないか♪rakuten昭和史をどう生きたか昭和史をどう生きたか(その1):満州国の成立過程昭和史をどう生きたか(その2):撤退と組織***********************************************************************【そして、メディアは日本を戦争に導いた】半藤一利, 保阪正康著、東洋経済新報社、2013年刊<「BOOK」データベース>より軍部の圧力に屈したのではなく、部数拡大のため自ら戦争を煽った新聞。ひとりよがりな正義にとりつかれ、なだれをうって破局へ突き進んだ国民…。昭和の大転換期の真相を明らかにし、時代状況が驚くほど似てきた“現在”に警鐘を鳴らす。【目次】序章 いまなぜジャーナリズム論か/第1章 戦争報道と商業主義/第2章 テロと暴力賛美の歪み、その内側/第3章 国際社会との亀裂の広がり/第4章 国家の宣伝要員という役割/第5章 暴力とジャーナリズム/終章 現在への問いかけ<読む前の大使寸評>戦中派が語るジャーナリズム論だけに・・・苦渋の歴史が見えるようです。rakutenそして、メディアは日本を戦争に導いた『そして、メディアは日本を戦争に導いた』2:昭和初期の総合雑誌は啓蒙主義『そして、メディアは日本を戦争に導いた』1:半藤さんの「40年周期説」***********************************************************************【愛国者の条件】半藤一利×戸高一成著、ダイヤモンド社、2006年刊<「BOOK」データベース>より教育が変われば、国も変わる。その覚悟はできているのか。日本人よ、気分に流されるな。「国のため」より立身出世、能力主義より官僚主義、国際感覚より「栄光ある孤立」、国民との約束よりも外圧…純粋な愛国心を歪め、国家を危うくするものの正体。【目次】巻頭対談 愛国心を教えることは可能なのか/第1章 愛国を論じる前に/第2章 「美しい国」づくりに必要なこと/第3章 日本海軍の人づくりに学ぶ/第4章 国家の命運を握る先見性/第5章 国家と軍が誤る時/第6章 なぜ昭和の海軍は破綻したのか/第7章 再軍備を語る前に知っておくべきこと/第8章 日本は歴史から何を学ぶか<読む前の大使寸評>この本の副題が「昭和の失策とナショナリズムの本質を問う」となっているように・・・安倍さんの危うさを問う意味でも、時宜を得た本ではないかと思うわけです。rakuten愛国者の条件『愛国者の条件』2:海軍あって国家なし『愛国者の条件』1:硬直した思考で計画された戦艦大和
2021.09.15
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図書館で『明治維新とは何だったのか』という対談本を、手にしたのです。おお 半藤一利さんが明治維新について出口治郎さんと対談しているのか・・・これは面白そうである。【明治維新とは何だったのか】半藤一利×出口治郎著、祥伝社、2018年刊<「BOOK」データベース>よりあのとき、日本を動かしたのは龍馬でも松陰でもなかった!知の巨人2人が、薩長史観に隠された「幕末・維新」を語る。<読む前の大使寸評>おお 半藤一利さんが明治維新について出口治郎さんと対談しているのか・・・これは面白そうである。rakuten明治維新とは何だったのか『第4章 「近代日本」とは何か』で賊軍を、見てみましょう。p222~226<薩長が始めた太平洋戦争を「賊軍」出身者が終わらせた>半藤:あえていえば、太平洋戦争を始めたときの海軍中央(海軍省と軍令部)の首脳部は、ほとんどが薩長の出身者なんですよ。出口:そうじゃないのは、長岡出身の山本五十六ぐらいですね。半藤:その山本は開戦時にはいわば現場監督で中央にはいませんでした。制作を決定する中央にあったのは、永野修身という軍令部総長が土佐の人ですけど、それ以外はほとんど薩長ですね。しかしその連中が、みんな若い世代なので日露戦争の実態を知らないんです。ロシアに勝ったという栄光だけは知っていましたけど。出口:神話の部分だけを教わってきたんですね。半藤:そういう人たちが太平洋戦争に踏み切ったんですよ。それで真珠湾攻撃をやってみたら成功したものだから、その永野という軍令部総長が「ほら見ろ、戦争はやってみなきゃわからないんだ」なんていう調子で威張ってたんですね。出口:場当たり的ですねえ。半藤:しかも日露戦争のときと違って、この戦争をどうやって収めるかを誰も考えていないんです。だから私は、「大日本帝国は薩長がつくって薩長が滅ぼした」と言いたいんですよ。薩長の連中が軍国主義の下地をつくり、日清・日露の二つの大戦争にどうやら勝ち、さらに勝手な神話をつくり上げて、その後の日本をリードして、昭和の軍隊をあの無謀な戦争に追い込んだんです。 では、その戦争を収めたのは誰か。終戦時の総理大臣の鈴木貫太郎は薩長ではありません。彼が生れた関宿藩を治めていた久世家は、代々の殿様が幕府の老中を務めていました。徳川譜代の名門です。つまり「賊軍」に属するんですね。出口:関宿藩からは、徳川慶喜の警護のために結成された彰義隊に加わる者もいたそうですからね。半藤:久世の殿様が大坂代官だった関係で、鈴木貫太郎自身は大坂で生れたんですが、鳥羽伏見の戦いで慶喜が薩長軍の錦の御旗に恐れをなして江戸に逃げ帰ったとき、鈴木家の人たちも生後間もない貫太郎を連れて関宿に逃げ帰りました。つまり鈴木貫太郎は、幕末に「官軍」と「賊軍」ができたそのときに生れた人なんです。出口:いわば生れたときから賊軍なんですね。半藤:それから、その鈴木貫太郎内閣の海軍大臣だった米内光政。この人も親は盛岡藩士ですから、賊軍です。出口:陸軍大臣の阿南惟幾との敗戦をめぐる論争で、「一日も早く講和を結ぶべきだ」と主張したのが米内光政でした。半藤:さらに最後の海軍大将として戦争の終結に尽力した井上成美も仙台藩の出身ですから、賊軍です。薩長の連中が終わらせ方も考えず無謀にも始めた戦争を最後に終わらせたのは、賊軍出身者たちなんです。いささか強引な論法ではありますけど(笑)、私はそういうふうに考えていますね。 これに戦争の途中で戦死した長岡藩出身の山本五十六も加えてやりたいんです。彼が生きていて軍令部総長か何かになっていたら、戦争終結のために身を挺して頑張ったと思うんです。彼らはみんな戦争の悲惨を骨の髄まで知っている人たちですからね。ある意味で、戊辰戦争に始まる「官軍」対「賊軍」の構図は、太平洋戦争が終わったときにひとつの決着を見たんです。<世界の情報をシャットアウトすると現実離れした妄想が膨らむ>出口:こうしてペリー来航から第二次世界大戦における敗戦までをひとつながりの歴史として眺めてみると、教訓とすべきことが、いろいろと見えてくるような気がします。ここで半藤先生とお話しして僕がいちばん強く感じたのは、広く世界を見ることの大切さですね。 たとえば日露戦争を終わらせるとき、伊藤博文が日本とロシアの国力を冷静に比較して「ここで講和するしかない」と判断できたのは、やはり若いときに岩倉使節団の一員として世界を見てきたからだと思います。アメリカの国力の大きさがよくわかっていたからこそ、講和の斡旋をセオドア・ルーズベルトに頼むことになったのでしょう。 しかし第一次世界大戦が終わったあたりから、日本のリーダーたちはあまり世界を見なくなりました。ワシントン軍縮条約から脱退し、満州事変を起こすなどして国際連盟からも脱退、「世界の孤児」のような状態になると、留学先もナチスドイツしかなくなってしまいましたよね。そうなると、世界のことが把握できなくなるんです。世界の国々に対してオープンな姿勢でいなければ、情報が入ってこない。情報がなければ、リアリズムも失われるんですよ。実際に世界に出て行かず、部屋の中にこもって考えているだけだと、現実離れした妄想が膨らむじゃないですか。 その意味で、近代日本のキーワードは150年前から今日にいたるまでまずは「開国」だと思うんです。「鎖国」をしてしまうと、ロクなことになりません。『明治維新とは何だったのか』4:西南戦争『明治維新とは何だったのか』3:五万石を薩長に「盗まれた」長岡藩『明治維新とは何だったのか』2:薩長のスタンス『明治維新とは何だったのか』1:起きて困ることは「起こらない」と思い込む日本人
2021.09.15
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図書館で『明治維新とは何だったのか』という対談本を、手にしたのです。おお 半藤一利さんが明治維新について出口治郎さんと対談しているのか・・・これは面白そうである。【明治維新とは何だったのか】半藤一利×出口治郎著、祥伝社、2018年刊<「BOOK」データベース>よりあのとき、日本を動かしたのは龍馬でも松陰でもなかった!知の巨人2人が、薩長史観に隠された「幕末・維新」を語る。<読む前の大使寸評>おお 半藤一利さんが明治維新について出口治郎さんと対談しているのか・・・これは面白そうである。rakuten明治維新とは何だったのかアーネスト・サトウ『第3章 幕末の志士たちは何を見ていたのか』で西南戦争を、見てみましょう。p184~187<西南戦争で薩摩が勝つと思っていたアーネスト・サトウ>出口:ところで、ここまでは幕末から明治維新にかけて活躍した日本人を見てきましたが、当時日本にいた外国人に明治維新はどんなふうに見えていたんでしょう。半藤:たとえばアーネスト・サトウは、西南戦争が起きたとき薩摩にいたんですよね。本人が書いたものを読むと、彼は西南戦争で薩摩が勝つと思っていたようです。出口:なぜ薩摩が勝つと思ったのでしょう。半藤:薩摩にいたアーネスト・サトウから見ると、各地にいる西郷さんの信奉者たちが薩摩を助けるだろうと思えたんでしょう。西郷さんが「よし、お主たちに命を預けよう」と立ち上がった以上、まず熊本城を守っている参謀長の樺山資紀が西郷さんの信奉者ですから、城を開いて迎え入れるだろうと。そこから下関に進軍すれば、こちらも薩摩藩士として戊辰戦争では西郷さんに重用された川村純義が迎えの船を用意しているに違いない。 下関から船で大阪まで行けば、戦わずして西日本は薩摩軍の支配下となる。そこから東京に向かって物を申す・・・というのが、もっとも理想的な作戦計画だったのです。どこまでリアリティのある話かはともかく、アーネスト・サトウはそれを聞いて薩摩が勝つと思ったようなんですね。もっとも西郷さん自身も、われ起てば事かならず成らん、との自信をもっていたともいわれていますがね。出口:しかし結果は明治政府軍の圧勝でした。半藤:政府軍の勝因は、武器のレベルに大きな差があったことと、通信網が整っていたことです。政府軍は電信を引いて素早く情報をやり取りできるようにしていましたし、諜報活動も重視していました。土佐が西郷軍と一緒に立ち上がるのではないかという噂もあったりしたので、あちこちにスパイをむちゃくちゃに送り込んで情報収集していたんですね。すでに板垣退助のところでふれましたが、その諜報活動を仕切っていた仕切っていた大将が、西郷従道なんですよ。出口:西郷隆盛の弟ですね。お兄さんが征韓論で下野した後も、政府に留まって陸軍中将になっていました。半藤:その西郷従道が敷いた諜報網のおかげで、熊本城を無血開城させて下関から船で大阪に向かうという作戦計画も、みんな政府軍に筒抜けだったんです。ですから政府軍は熊本城の守りを固めるために谷干城を送り込むなど、先に手を打っていました。アーネスト・サトウは、そこまでは知らなかったんです。 実は勝海舟も、そのときは引退していて情報がなかったので、西郷が勝つのじゃないかと思っていました。西郷軍が革命をやり直して、またゴタゴタが始まって新政府も作り直しになると思っていたようです。「日本はいつになったらちゃんとした国家ができるのかね」なんて書いていますよ。出口:政府軍の体勢を知らないと、それぐらい西郷軍に勝機があると思えたんですね。しかし逆にいうと、通信や武器を近代化していれば、相手がどんない強くても勝負にならないということでもありますね。半藤:田原坂の戦いでは、「雨は降る降る人馬は濡れる」という良い歌もありますけど、あのときに政府軍が撃った弾の数なんて凄まじいですからね。あんなにムチャクチャに弾を撃たれたたら、薩摩軍がどんなに強くても話にならんですよ。『明治維新とは何だったのか』3:五万石を薩長に「盗まれた」長岡藩『明治維新とは何だったのか』2:薩長のスタンス『明治維新とは何だったのか』1:起きて困ることは「起こらない」と思い込む日本人
2021.09.15
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図書館で『歯車 他二篇』という文庫本を、手にしたのです。めくってみると、漢字の使い方が並じゃないというか・・・漢字で書ける箇所はすべて漢字で書かれているわけです。これぞ大正文学という感じでおます。なお、帰って調べてみると、この本を借りるのは2度目であると判明したので、(その3)とします。【歯車 他二篇】芥川龍之介著、岩波書店、1957年刊<出版社>よりここに収めた三篇は,いずれも作者最晩年の代表作.『玄鶴山房』の暗澹たる世界は,作者の見た人生というものの,最も偽りのない姿であり,『歯車』には自ら死を決意した人の,死を待つ日々の心情が端的に反映されている.『或阿呆の一生』は,芥川という一人の人間が,自らの一生に下した総決算といってよい. (解説 中村真一郎)書評情報<読む前の大使寸評>めくってみると、漢字の使い方が並じゃないというか・・・漢字で書ける箇所はすべて漢字で書かれているわけです。これぞ大正文学という感じでおます。iwanami歯車 他二篇中村真一郎による「解説」を、見てみましょう。p109~110<解説> ここに収めた三篇は、いずれも作者晩年の作品であり、またそれぞれに彼の代表作である。 読者はこれら作品のなかに、作者の短い生涯の文学的到達点を発見するだろう。 芥川龍之介は周知のように、作品の形式的多様さを魅力とする小説家だった。一作ごとに、新しい文体と構成とを誇った。。一作ごとに、日本の短篇小説というジャンルに、新しい可能性を拓いてみせてくれたといっても過言ではない。 だから、この三篇をそれ以前の作品と比べてみる時、(特に初期の機智的な小説と比べてみる時)いかに彼が見事な転身を続けながら、その最後の地点にまで辿りついたか、ということに、深い感慨を催さないではいられないだろう。 今日に至るまで、多くの批評家、鑑賞家が、芥川の各時期の作品についての優劣や好悪を論じてきた。晩年の暗い作風よりも若い頃の明快なショート・ストーリーの方を愛する、と公言した者もいる。・・・勿論、好悪は人の好きずきによって決まるものであり、ひとりの作家の数多い作品を、比べ合わせて色いろと論じるのは、文学好きな徒の、類い稀な愉しみである。解説者も他人の好き嫌いによる品評には、微笑をもって耳を傾けるつもりである。 ただ、断言できることは、これら晩年の作品が、その好悪の如何にかかわらず、作者の一生の思想的決算であり、同時に大正文学の一終点であるということである。『玄鶴山房』の暗澹たる世界は、作者の見た人生というものの,最も偽りのない姿なのだろう。『歯車』は自ら死を決意した人の,死を待つ日々の心情の、最も端的な反映である。そして、『或阿呆の一生』は,芥川龍之介というひとりの人間の,自らの一生に下した総決算である。 従って、この三篇を読む読者は、小説を読む愉しみよりは、遺書を開く時の厳粛な気持ちに捉えられずにはいないだろう。『歯車 他二篇』2:一 レエン・コオト『歯車 他二篇』1:二 復讐
2021.09.14
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図書館で『歯車 他二篇』という文庫本を、手にしたのです。めくってみると、漢字の使い方が並じゃないというか・・・漢字で書ける箇所はすべて漢字で書かれているわけです。これぞ大正文学という感じでおます。なお、帰って調べてみると、この本を借りるのは2度目であると判明したので、(その2)とします。【歯車 他二篇】芥川龍之介著、岩波書店、1957年刊<出版社>よりここに収めた三篇は,いずれも作者最晩年の代表作.『玄鶴山房』の暗澹たる世界は,作者の見た人生というものの,最も偽りのない姿であり,『歯車』には自ら死を決意した人の,死を待つ日々の心情が端的に反映されている.『或阿呆の一生』は,芥川という一人の人間が,自らの一生に下した総決算といってよい. (解説 中村真一郎)書評情報<読む前の大使寸評>めくってみると、漢字の使い方が並じゃないというか・・・漢字で書ける箇所はすべて漢字で書かれているわけです。これぞ大正文学という感じでおます。iwanami歯車 他二篇「歯車」の冒頭を、見てみましょう。p30~31一 レエン・コオト 僕は或知り人の結婚披露式につらなるために鞄一つ下げたまま、東海道の或停車場へその奥の避暑地から自動車を飛ばした。自動車の走る道の両がわは大抵松ばかり茂っていた。 上り列車に間に合うかどうかはかなり怪しいのに違いなかった。自動車には丁度僕の外に或理髪店の主人も乗り合わせていた。彼は棗(なつめ)のようにまるまると太った、短い顎鬚(あごひげ)の持ち主だった。僕は時間を気にしながら、時々彼と話をした。「妙なこともありますね。××さんの屋敷には昼間でも幽霊が出るっていうんですが」「昼間でもね」 僕は冬の西日の当った向こうの松山を眺めながら、善い加減に調子を合わせていた。「尤も(もっとも)天気の善い日には出ないそうです。いちばん多いのは雨のふる日だっていうんですが」「雨のふる日に濡れに来るんじゃないか」「御冗談で。・・・しかしレエン・コオトを着た幽霊だっていうんです。」 自動車はラッパを鳴らしながら、或停車場は横着けになった。僕は或理髪店の主人に別れ、停車場の中へはいって行った。すると果して上り列車はニ、三分前に出たばかりだった。待合室のベンチにはレエン・コオトを着た男が一人ぼんやり外を眺めていた。僕は今聞いたばかりの幽霊の話を思い出した。が、ちょっと苦笑したぎり、とにかく次の列車を待つために停車場前のカッフェへはいることにした。 それはカッフェという名を与えるのも考えものに近いカッフェだった。僕は隅のテエブルに座り、ココアを一杯注文した。テエブルにかけたオイル・クロウスは白地に細い青い線を荒い格子に引いたものだった。しかしもう隅々には薄汚いカンヴァスを露していた。僕は膠臭いココアを飲みながら、人げのないカッフェの中を見まわした。埃じみたカッフェの壁には「親子丼」だの「カツレツ」だのという紙札が何枚も貼ってあった。「地玉子、オムレツ」 僕はこういう紙札に東海道線に近い田舎を感じた。それは麦畠やキャベツ畠の間に電気機関車の通る田舎だった。・・・ 次の上り列車に乗ったのはもう日暮れに近い頃だった。僕はいつも二等に乗っていた。が、何かの都合上、その時は三等に乗ることにした。 汽車の中はかなりこみ合っていた。しかも僕の前後にいるのは大磯かどこかへ遠足に行ったらしい小学校の女生徒ばかりだった。僕は巻煙草に火をつけながら、こういう女生徒の群れを眺めていた。彼らはいずれも快活だった。のみならず殆んどしゃべり続けだった。『歯車』1(復刻)
2021.09.14
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図書館で『歯車』という文庫本を、手にしたのです。「歯車」については、浅田次郎さんのお奨めがあったので、借りる決め手になったのです♪【歯車】芥川龍之介著、岩波書店、1979年刊<カスタマーレビュー>より「玄鶴山房」「歯車」「或阿呆の一生」の三つの短編です。本書では、それぞれ「玄鶴山房」は(昭和二・一)[遺稿]、「歯車」は(昭和二・四・七)[遺稿]、「或阿呆の一生」は(昭和二・六)[遺稿]と記されている。作者芥川が服毒自殺したのは昭和二年七月四日にあたる。<読む前の大使寸評>「歯車」については、浅田次郎さんのお奨めがあったので、借りる決め手になったのです♪amazon歯車「歯車」の語り口を、見てみましょう。p45~47<二 復習> 僕は往来に佇んだなり、タクシイの通るのを待ち合わせていた。タクシイは容易に通らなかった。のみならずたまに通ったのは必ず黄いろい車だった。(この黄いろいタクシイはなぜか僕に交通事故の面倒をかけるのを常としていた。)そのうちに僕は縁起の好い緑いろの車を見つけ、とにかく青山の墓地に近い精神病院へ出かけることにした。 「イライラする、・・・Tantalizing・・・Tantalus・・・Inferno・・・」 タンタルスは実際硝子戸越しに果物を眺めた僕自身だった。僕は二度も僕の目に浮かんだダンテの地獄をのろいながら、じっと運転手の背中を眺めていた。そのうちにまたあらゆるものの嘘であることを感じ出した。政治、実業、芸術、科学、・・・いずれも皆こういう僕にはこの恐しい人生を隠した雑色のエナメルに外ならなかった。 僕はだんだん息苦しさを感じ、タクシイの窓をあけ放ったりした。が、何か心臓をしめられる感じは去らなかった。 緑いろのタクシイはやっと神宮前へ走りかかった。そこには或精神病院へ曲がる横丁が一つあるはずだった。しかしそれもきょうだけはなぜか僕にはわからなかった。僕は電車の線路に沿い、何度もタクシイを往復させた後、とうとうあきらめておりることにした。 僕はやっとその横町を見つけ、ぬかるみの多い道を曲がって行った。(中略) 僕は薄明るい外光に電灯の光のまじった中をどこまでも北へ歩いて行った。そのうちに僕の目を捉えたのは雑誌などを積み上げた本屋だった。僕はこの本屋の店へはいり、ぼんやりと何段かの書棚を見上げた。それから『希臘神話』という1冊の本へ目を通すことにした。黄いろい表紙をした『希臘神話』は子供のために書かれたものらしかった。けれども偶然僕の読んだ一行はたちまち僕を打ちのめした。 「一番偉いツォイスの神でも復讐の神にはかないません。・・・」 僕はこの本屋の店を後ろに人ごみの中を歩いて行った。いつか曲がり出した僕の背中に絶えず僕をつけ狙っている復讐の神を感じながら。・・・
2021.09.14
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