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三重県教育委員会のHPで最終志願倍率発表されましたね。受験生のみなさんしっかり頑張ってください。
2015.02.28
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今年の中学生には、「国語力」のひどさにずいぶんあきれさせられました。本当に本を読むという経験が不足しています。そこで小さな頃からの「読書習慣」が大切になってくるんですが、下の写真のような「絵本ラック」を小さな頃から用意しておくと良いと思います。文字の読めない子どもが自ら本に興味をもつには、絵で釣るのが早い。背表紙には文字しかないので、普通の本棚のように縦に収納すると、文字の読めないお子さんにはどれがどれかもわかりません。また、絵本はどこのうちにもあるでしょうが、使ったものをきちんと元の場所に戻すという習慣をつけるには、絵本ラックがあったほうがいいかと思います。普通の本棚の場合、小さなお子さんは片付けるのが面倒になります。私たち大人でも、本屋で一度抜いて立ち読みした本を元に戻そうとした時、ギュウギュウにつめ込まれていると戻すのが面倒で下に置いちゃったりします。それと同じことです。できれば、長く使えるようにシンプルなものがいいと思います。小学生、中学生になったら「教科書入れ」」として使ってください。表紙が見えているので、忙しい朝に教科書を探す手間が大いに省けます。忘れ物が少なくなったり、「あ、英語の宿題あったんだった。」と予習、復習をする可能性がアップすると思われます。この記事も参考にどうぞ。
2015.02.28
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たまたまやってきたS先輩が見るに見かねてグラフの授業を中3にしてくれている。
2015.02.25
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年末年始に帰省してきた山上先輩が「人を動かすのは結局敬意やよな。」と話していた。今日、平成14年度三重県立高校・国語の「まりおくんの言動」を解説中に人の言動は一致しなければならない。言動が一致するつまり「言ったことが成る」ことが「誠」という漢字の成り立ちだという話から「人を動かすには誠意が必要である」というような話になっていったので少しまとめておく。ちなみに、受験近くなっても、授業時間の大半がその手の話で費やされるのは、当塾では平常運転である。 人を動かすのは「金」だという向きもあるだろうが、それは置いておくと、人を動かすのは「感謝」「敬意」「礼儀」の3つ、もしくはその複合だ。 人は誰でも、心から「ありがとう」と言われると嬉しくなる。それが次の行動への原動力となる。小さいころ、お母さんや、幼稚園、小学校の先生に「ありがとう」と言われると、本当に嬉しかったものだ。大人になると言う方も言われる方も慣れてしまうのか、心がこもっていないことが多い。 人は誰でも「すごい!」と誉められると、ちょっと嬉しくなる。人によっては、とんでもなく調子に乗る。「豚もおだてりゃ木に登る」である。相手の人格、技量、言動を「尊い=貴い」と認めることで、相手は動いてくれる。「ありがとう=有り難し=貴重だ=貴い=尊い」である点も考えてほしい。 「礼義」は本当は難しい。本来なら「礼を尽くす」(こちらを参考にしてください)ことなのだが、人を動かすということにおいては、形式的に礼儀を守るだけでも動いてくれる。どのような相手であれ、相手の置かれた立場、役割に対して礼儀を守れば、相手は動く。上司、先輩、先生などに対して失礼のないように対応すれば、それなりに相手も動いてくれるものだ。だから、ここでいう「最低限の礼儀」とは「相手の立場を認める、相手の立場を尊重する」と捉えてくれればよい。有名なスタンフォード監獄実験にも認められるように、人は役割を与えられ、役割を演じているうちに、元の個人の性格とは無関係に、よりその役割に期待される行動をとるようになる。つまり先生や上司に対して「最低限の礼儀を守る」ことで相手の立場、役割を認めれば、相手はその役割を演じざるを得ないのだ。ちょっと面倒くさいので、上司とか先輩とか抜いてしまう。先生に対して「最低限の礼儀」を守れば、先生も先生として心理学的に「最低限の指導」をするようになるということだ。 理想を言えば、相手の技量、人格に対して「敬意」を持てば、自然に「礼を尽くす」ようになり、相手の言動に「感謝」するというサイクルが正しい。 そういうお話を生徒にした。・・・したのはいいのだが・・・ 困ったことに、私は国語の解説をするのに本文をほとんど読まない。それは、限られた時間内で解かなければならない「国語」という教科における解答技術を教えているからで、今日も本文を読まずに解説をしていた。上記のような話は解答が終わった後の余談に過ぎない。長々と上のような話をした後、大問ニに移った。 この年度の大問ニは、斎藤次郎さんの「自立をめぐるおとなの事情と子どもの事情」だった。「子どもの自立を助けるとは、高水準のモデルを示すことによって、子どもの現段階の至らなさをあげつらうことではなく、現段階の精一杯を生きる子どもたちの自尊心に敬意をはらうことなのである。」という文章でカウンターをくらった。ノックアウト・・・。 私の指導力のなさは、子どもたちへの「敬意」が不足しているのかもしれない。まあ、この斎藤次郎さんの文章は幼児期の子どもへの指導というお話だから・・・ということにしておこう。
2015.02.16
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松阪高校および津高校の校訓は「自主自律」である。「自主自立」ではない。そこのところを踏まえて「自律」と「自立」について考えてみる。まず、辞書における両者の意味はこうなっている。「自律」1. 他からの支配や助力を受けず,自分の行動を自分の立てた規律に従って正しく規制すること。 2.〘哲〙 〔ドイツ Autonomie〕 カント倫理学の中心概念。自己の欲望や他者の命令に依存せず,自らの意志で客観的な道徳法則を立ててこれに従うこと。 <対義語>他律「自立」1. 他の助けや支配なしに自分一人の力だけで物事を行うこと。ひとりだち。独立。 「親もとを離れて-する」2. 自ら帝王の位に立つこと。 <対義語>依存学生にとって自立、特に金銭的自立は難しい。目指すのは自律である。 では、学習において「自律できていない」とはどういう状態か。 まず、自分の進路を含め、自らのするべきことや、目的がわかっていない。または決められない。こういう状態があるだろう。自分を律するためには、当然、自分の行動を規制する「信念」「目標」「計画」そういったものが必要となる。何が自分にとって一番大切なのか。自分が大切とするもの、それを成し遂げるために、守るために何をするべきなのか。それがわかっていないのならば、自分を律することはできない。一貫性のある行動がとれるわけもない。 次に、自ら決めたことを自分で守れない状態も自律できていない状態であろう。「3日坊主」「竜頭蛇尾」、いろんな言い方があるが、要は目的、計画はご立派だが、それを持続できていない状態である。 息抜きをするなとは言わない。365日24時間、なすべきことだけに集中しろとも言わない。中学生には中学生の時にしか、高校生には高校生の時にしか、大学生には大学生の時にしかできないこともあるだろう。それも貴重な経験だ。そこから得るものもまた大きい。 しかし、本当に自分が「やりたいこと」「すべきこと」「大事なこと」がはっきりとあるのならば、どんな経験であれ、経験したもの全てが、そこに収斂していくはずだ。「ちょっと気になってただけだよ。何が大事かってこと、お前の中でブレてねぇかって・・・。(ドラマ「ウロボロス」より)」大人にとって、しようと思えば自立はたやすい。しかし、しようと思わなければ自立できない。だからこそ目指すのは自律である。 大人になれば、目的に見合った財力があれば自立はたやすい。お金があれば、自分のやりたいことはたいていできてしまう。だが、そこに規範となるものが見えないならば、いわゆる成金のように世の中から白い目でみられるような下品で卑しい行為とも見られる。 また、マクロな視点から見れば、人が完全に自立して生きていくことは難しい。仕事は言うに及ばず、衣食住全てを他人の手を借りずに自ら賄うことは不可能だ。それぞれが社会の中で役割を持ち、それを果たすことで共存している。だから、ここでいう自立とは、対義語である依存から考えて「他人に依存している状態、自分のするべきことが他人の力に左右される」といった状態ではないと考えてほしい。「共存自立」とでも言うべきか。 どこまでが依存で、どこからが依存でないかは難しい。年齢によっても違う。例えばどこかに移動したい時、乳児であれば泣いて親にたよるしかない。高校生ともなれば、自分で行き方を調べ、移動手段を選択し、自分ひとりでそこに辿り着くことができて当たり前である。行き当たりばったりで、事前のアポもなく、夜中に突然迎えを頼むのは甘えでしかない。成熟度に見合った自立というものがあると私は考える。一般に、自立できていない大人を指して「いい年して~」と言われるのもそこである。 それならば、「自分はどういうレベルにいたいのか、どういう大人でありたいのか」という行動規範なしに、自立は成り立たない。つまり「行動規範をたて、それに基づいて行動する=自律」が自立には必要なのだ。さて、ずっと放っておいた「自主」である。「自主」の辞書的な意味は、他人からの干渉、保護を受けず独立して事を行うことである。残念ながら、「自律」も「自立」もできないのならば、その度合に応じて、親を始めとする保護者から保護されるのは当たり前で、干渉されるのも致し方ない。だからこそ世の中的には、子どものすることには保護者の同意が必要とされているのだ。以上、自主はともかく、自立も自律も禁煙もできていない私がお送りしました。*推敲をほとんどしていないので、後で訂正するかもしれません。
2015.02.14
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今年の中3、2年間ずっと私の教えていた方法ではない方法でグラフの面積を出していたことが今日になって判明。判明したのが今日だというのもすごいが、これもどれだけいっても「解答」を書いてこない彼らが悪い。今年の高校入試はグラフの問題は捨てることとする。
2015.02.13
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三重県の県立高校入試の社会科では、資料を見て答える記述問題が多い。 自学で志望校合格を目指す受験生にとって、模範解答と自分の書いた解答を比べても、減点されるのかどうかは悩ましいことと思います。 うちの塾で生徒が実際に作った誤答をいくつか挙げていくので、どこがダメなのか考えてみてください。問題)平成14年度 三重県立高校入試 社会より引用補足)Aは群馬県、Bは神奈川県できたら、自分でも解答してみてくださいね。Thinking Time! よくある誤答1)「綿花を輸入し、綿糸を輸出する加工貿易になった。」よくある誤答2)「1885年に比べて生糸の輸出が大きく増えた。」よくある誤答3)「綿織物や毛織物の輸入がなくなり、綿花を輸入するようになった。」どうでしょう。どこがダメかわかりますか。この問題を解くにはいくつかポイントがあります。ポイント1AとBがどこかわかること。Aの群馬県から「富岡製糸場」に関連しての問題であることがわかります。わからなくても問題は解けますが、わかると「繊維工業」について問われていることにすぐ気付けます。ポイント2必ず、問題文の主語と述語を確認すること。資料問題ではグラフや表の方に意識が行き過ぎるせいか、みなさん何を質問されているのかさえ忘れて答えていることが多いのです。 この問題の主語は「日本の工業は」です。述語は「どのように変化したか。」です。つまり「工業がどう変化したか」と聞かれているのですが、誤答例は全て「貿易」について答えています。ポイント3変化を聞かれた時は、beforeとafterで答えること。例えば、「Aさんの体重が60キログラムになりました。」という文ではやせたのか、太ったのかという変化がわかりません。「40キログラムから60キログラムになった」なら太ったことになりますし、「120キログラムから60キログラムになった」なら大減量です。ポイント41885年と1990年の比較であること。国語の記述問題でもそうなのですが、「比較しなさい」や「違いを答えなさい」という問題に対しては、必ず「Aは~で、Bは~」または「Aは~だが、Bは~」と答えます。この答え方でなくても大丈夫なケースはありますが、日本語がうまくない人は失敗します。以上を踏まえて正解例は「1885年には綿織物や毛織物などの製品を輸入していたが、1910年には綿花を綿糸にして製品として輸出できるようになるなど、繊維工業が発達してきた。」補足)輸入額、輸出額ともに増加していることは「発達してきた」(「盛んになってきた」でもよい)という言葉に収斂させています。記述問題を答えるときには、自分の回答を一言でまとめるとどうなるかを考えるとチェックになります。それが合っているなら、減点はあっても0点はまず付きません。この問題の場合、「日本の工業はどう変化したか」に対して、「繊維工業が発達した」と答えていることになります。どうでしょうか。文章で説明すると、思ったよりもきちんと説明できてませんね。ご質問などありましたら、コメント欄にでも書き込んでおいてください。
2015.02.12
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来年度からの塾の説明画像をトップに置いてみた。まだまだ変更があるかもしれないが、今のところこういう感じで運営していこうと思っている。OB諸君はこれを見て驚くだろうが、現状いかんともしがたい。
2015.02.12
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三重高校を受けた子も、鈴鹿高校を受けた子も順当に合格。と言いたいところだが、鈴鹿の数学でマークミスで0点になったという子がでた。なんていうか、この子の将来が危ぶまれる。それでも合格したのは悪運の強さか。
2015.02.05
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昨日迷い犬を保護した。今日、写真をとってブログにアップしてFBで拡散してもらって・・・と思っていたら、さっき連絡しておいた保健所から飼い主さんがみつかったとの連絡がきて無事「ミートくん」はおうちに帰って行きました。15歳だそうで、まだまだ長生きしてほしいなぁ。母の古い携帯でとった写真で画質悪いのが残念。昼から、ミミの犬小屋を一所懸命掃除していた母、お疲れ様でした。
2015.02.03
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