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西岩国駅から徒歩で錦帯橋へ。途中は岩国城下町を散策。電柱が目立つのが難点。昭和初期と思われる建築もある。これはこれで良い雰囲気だが・・・・・しかし、全体として、城下町を標榜するには、何か今一つインパクトに欠ける感じがする。電柱が多く、空き地が目立つのも興ざめ。街路はほぼ江戸時代のままだそうで、ちょっと残念。岩国寿司を食べたかったが、あいにく売り切れ!
2017.10.31
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木製の改札口こちらは団体専用改札口だそうだ。切符売り場は2面もあった。20数年前に復元工事が行われて開業当時の姿に復元された。ベンチは架け替えられた錦帯橋の古材を使用して作られている。駅事務所跡は市民ギャラリーとなっている。最盛期には駅員30名も居たそうで、かなり大きな事務所。エントランスや窓に見られるアーチは錦帯橋をモチーフとしたそうだ。駅前にはなぜか木炭車が展示されている。2両編成のディーゼルカー近くの踏切を通過する錦川清流線の列車。
2017.10.30
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つとめ先の、ある業務で、数人の客を連れて岩国市の錦帯橋を案内する事となった。しかし、錦帯橋は、近くをクルマで通り過ぎる事はあっても、人を案内した事は無い。又、実際に現地を歩いたのは、確か20年近く前の事。これでは満足な案内はできそうに無い。そこで、下見を兼ねて錦帯橋及びその近辺を歩き回る事にした。一応、案内はつとめ先の業務ではあるが、業務中に行くと面倒なので、この際、余っている有給休暇を1日使用して、ゆっくりと実施した。先ずはJRに乗って岩国駅へ、ここで岩徳線に乗り換え。西岩国駅に行くのだが、この錦川清流線でも行く事ができる。見たところ小奇麗な観光列車。今回は岩徳線徳山行に乗車。ちょっとくすんだオレンジ色のディーゼルカー。運転席は昭和の感じ。近くのホームには最新型の山陽本線の電車。たった1駅、5分程度で岩徳線西岩国駅に到着。岩徳線は昭和9年に徳山まで全通し、一時は山陽本線の短縮路線として脚光を浴びた時代もあったらしい。当時が西岩国駅の全盛期で、この長いホームに10両編成の列車が到着していたそうだ。今では1~2両のディーゼルカーは1~1.5時間に1便通る程度。又、西岩国駅も、以前は旧岩国城下町や錦帯橋観光の駅として駅員30名も居たが、現在では無人駅。線路も1本撤去されてホーム2面、2線のみの寂しい駅となってしまった。
2017.10.29
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益田川ダムに寄ってみた。下流側から見ると普通の重力式コンクリートダムに見えるが・・・・上流側から見ると、水が無い。川はあるものの、素通しでそのまま下流側に流れている。このダム、治水専用ダムだそうだ。通常は水が無いが洪水の際だけ水を溜める。水が無くてもひだまり湖。管理事務所に寄ってダムカードを入手した。一応、試験溜水は行ったようだ。
2017.10.28
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確か廊下と階段にはセンターラインが引かれていた。廊下は張り替えられた際に無くなったが、階段は当時のままなので残っていた。エレベーターがあったのには驚いた。確かこのコンクリート通路の先にボロボロの家庭科教室があったと記憶しているが、跡形も無くなっていた。遠方に見えるのは今の明倫小学校。水練池運動場が全て駐車場に変わってしまった。
2017.10.27
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ダストシュート真鍮製ですね。拙者の居た頃には既にスチール製の椅子と机だったような気がする。廊下の床も張替済み。窓等の建具も大半が木製ながら更新された模様。このアルミ食器には見覚えがある。一部に天井を外して小屋裏が見られるようにした部分がある。意外に洋小屋。 トラスが組まれている。 接合もボルトとナットを使用。そういえば、屋根瓦も和風ではなく洋瓦だった。会議室校長室
2017.10.26
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さて、1部(今の言い方では1号館)に戻って、建物内部を見学。当時、ここには、小学生立入禁止とされた場所だった。床は張り替えてあるが、教室の雰囲気は当時のまま。毎朝、唱和させられた吉田松陰先生のお言葉。そう、「吉田松陰先生」である。萩市民にとっては「吉田松陰」と呼び捨てにしてはならない。必ず「先生」を付けなければならない。木製の椅子と机この椅子と机はレプリカのようだ。
2017.10.25
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正面玄関は立派エントランスから入ると、案内員が「奥の2号館からどうぞ」と案内する。しかし、2号館は有料。自動的にゼニを払う事になってしまった。計られた・・・・・・。2号館の展示内容は個人コレクションが主体・・・・・有料なのに写真撮影不可(怒)展示品は、伊能忠敬、幕末の医療、そして幕末の武器!!武器と言っても、刀剣類だけでなく、15サンチ砲を始めとした大砲、ゲベール銃、スペンサー銃、ヘンリー銃等の洋式輸入銃。更に珍品の弾倉回転式5連発火縄銃?銃身が5~6本束ねられた火縄銃は聞いた事があるが、弾倉が回転式で銃身1本は聞いた事が無い。もし、興味がある人は明倫学舎へ!スペンサー銃やヘンリー銃の実物も初めて見た。スペンサー銃とは、国営放送(仮名)の「八重の桜」で会津藩の山本八重が撃ちまくっていた、あの連発銃だ。ヘンリー銃は、確かレバーアクション、チューブマガジン式16連発、慣れれば毎分30発以上連射可能で、当時の南軍の先込め式銃とは比較にならない連射が可能と聞いた事がある。因みに、元・小学校でこんなモノ展示して良いのだろうか・・・・・。
2017.10.24
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3号物件のウッドデッキ塗装も終了したので、9日は萩市へ。明倫学舎の視察を実施。 明倫学舎とは、元・萩市立明倫小学校だった校舎を修復し、博物館のような施設として一般公開している建物の名称である。昭和10年竣工の木造2階建て。因みに、現在の明倫小学校は、隣地にあった元・県立萩商業高校跡地に新校舎を建てて移転しているが、元々、幕末の藩校明倫館が起源。建物は4棟並んでいて、南側から1部、2部、3部、4部と呼ばれていた。1部には教員室や校長室、会議室などがあった。昨年から一般公開されているが、現時点では1部と2部のみが修復が完了して一般公開中。1部は無料だが、2部は有料。これは修復完了の2部だが・・・・3部は放置プレー中。3部はかなり悲惨、老朽化でガタガタの状態。因みに、一応、ここは拙者の母校という事になる。但し、拙者が居たのは、昭和44~45年の1年間のみ。当時、校舎は老朽化が進行していて、マトモなのは竣工直後の体育館だけだった。例えば、掃除の為に立てつけの悪い窓を開けようとしたところ、ガラスが外れて1階に落ちて、外の掃除をしていた人が怪我をした事もあった。これが当時、完成したばかりだった体育館。しかし、藩校明倫館の復元事業の為に近く取り壊し予定らしい。 ちょっと勿体ないような。
2017.10.23
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6~9日に鹿児島・宮崎ツーリングを予定していたが、6~7の2日間が雨天予報だったので、中止となった。そろそろ冬が近づいて来たので、拙者にとってのツーリングシーズンは終了か?さて、8日は天気が良かったので、3号物件へ。ウッドデッキが老朽化していたので、塗り直してみた。薄汚くなっている。そこで、水性防腐剤を塗布。ちょっと色が気に入らないが、何とか見られるレベルにした積り。施工から14年経過で、腐朽が進行しつつある。そろそろ限界が近づいているようだ。数年以内にウッドデッキだけ更新の必要がありそうだ。宿泊はいつもの道の駅蛍街道西ノ市2割引きシールが輝いている。ビデオを見ながら酒をチビチビ飲むのも良いですね。朝食は飯を炊いてみたが、ちょっと芯があった。
2017.10.22
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10月6~9日に、宮崎及び鹿児島のキャンプツーリングを計画中。当初、9月に行く予定だったが台風接近で延期した。既にパッキングは完了。というより、9月に準備済みだったので、そのまま置いていただけ。時間があるので、エンジンオイルの交換を行った。後でチェーンの注油も行っておこう。3泊4日だが、1日目は400km近く走らなければならないので、大変。
2017.10.01
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