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昼の約束をしていた友人から、突然だが是非にご紹介と言われ、昨年Jリーグを引退、トルシェジャパンで1得点の栄冠もあるM君と食事。引退=>解説者監督という、当然に期待される将来を、自分はその先を目指すと、本日、チームオーナー宣言。それによれば、某県某市がサッカー専用スタジアムを建設中で、それならば、と地元有志がクラブチーム誘致の夢を語り、たまたま同席していたM君が、じゃあ僕もひと肌脱ごうとなった次第。そんな話しになるとは知らず、心配顔の友人。「今から心配してもしょうがない。困ったことはあとから、いくらでも出てくる。まずはやらなきゃ悩みもない」浦和レッズ。サッカーが盛んな町ではあったけれど、駒場スタジアム、埼玉スタジアムと駅から遠いところばかりで、誰がそこまで歩くものかと思っていたのが、いまや毎試合数万人の観客を集め、動員力は無論日本一。世界でも有数。それまで、「どちらにお住まいで?」と聞かれ、小声で「浦和」と言っていたのが、胸を張って「浦和です」と言うようになったとか。今はさいたま市で、レッズとアルジージャ2チームを持つ町だが、もともとの浦和市は埼玉県県庁所在地とはいえ、合併前の人口は50万人に満たない。その町で、毎試合数万人の観客を集めるチームが育ったのは、チームが特定企業のものではなく、浦和という町の市民と、浦和レッズのサポーターのものとなったことの証明だ。新潟、仙台でもクラブチームは地元のものとして定着してきた。ならば、政令指定都市でなくとも、ある程度の人口を持つ地方中核都市ならば、特定企業のものではない、クラブチームの可能性があり、そのオーナーに立候補するという。世田谷は静岡、浜松などの政令指定都市を越える人口80万超。サッカー専用スタジアムでは無いが駒沢陸上競技場がある。浦和のスタジアムよりは、交通も良い。サッカーとは言わぬが、やはり何か中核になるものが、そろそろあるべきではなかろうか?世田谷=高級住宅地などと、税金が高いだけ。何か面白いもの、祭りが欲しい。M君、その夢は30代で出来なくとも40になればできるかもしれない。それでダメでも50になれば。それが出来たら、次はまたその次の夢を。物事は、やってみなければ絶対に実現しない。
November 30, 2007
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「...どうしたの?」「怖い夢を見て目が覚めた」「どんな夢?」「高いところから降りられなくなった夢」「それでどうしたの?」「ああ、これは夢なんだと分かって自分で目を覚ました」「そういう精神状態なんじゃない?」「そんなこともないだろう。小さいときからずっと、高いところでどうしようって夢をときどき見る。寝てる間に死ぬってのは、たぶんこういう夢を見て、脳梗塞とか心筋梗塞起こすんじゃないか?まだドキドキ言ってる」「へーそうなのかなぁ」「君はそういう夢は見ないの?」「見たことないわ」実際に、高いところへ上がってどうにもならなかったことは、記憶の限りない。犬が怖いのは、小さい頃に咬まれたせいだと聞いたが、咬まれた記憶はないので、まだ「這い這い」していた時期に縁側から落ちるとか、あったかもしれない(実際娘は縁側から落ちた)。
November 30, 2007
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「おや、こんなところにみちしるべ」うかつにも、今まで全く気がつかなかったのが、経堂駅西の踏切(今は高架下で踏切はない)北側の道標。西ふちゅう南ふたごみちとあって、北もあるのだが、残念ながら読めない。経堂の町内、北の端を通るのが、経堂本通りからすずらん通りとつながる瀧坂道(或いは、青山道)真ん中を走るのが、瀧坂道の旧道。常徳院の西で経堂本通りと別れ、農大通、小田急線と交わり、経堂西通りから恵泉女学園付近で再度すずらん通りと合流。その南、城山通りは新しい道で、経堂の一番南は、上町の桜小学校から、桜丘小学校前を経て、千歳船橋駅へとつながる、六郷田無道。瀧坂道の旧道と、六郷田無道には、今でも道標がいくつか残っている。常徳院の西。瀧坂道の旧道が、経堂本通りと分かれるところのお地蔵さまと庚申さま。農大通角の道標南ふたごみち、西ふちゅう、東あおやまみちとある。そして先ほどの経堂駅西南角ここから北への道は、ジョイフルの西をかすめ、すずらん通りの途中に出てくる。その先は、すずらん通りと合流したか、或いは、それを越えたか?この北への道がすずらん通りを越えるとすれば、瀧坂道がつけかえとなる前からの道となる小田急をくぐって経堂西通り、経堂3-38南角旧瀧坂道とその南の道の分岐点旧瀧坂道は、恵泉女学園付近ですずらん通りと合流南の道は、烏山用水北岸沿いを走り、経堂5丁目から北上してきた未完成道路の先、細い登り坂を経て、カノッサ幼稚園と城南信金の間ですずらん通りに合流恵泉女学園前の道標は祠で、昔は、西側にあった恵泉女学園の寮(今はマンション)の一部に見えていた。お社には松原さん、鳥居には神保さんのお名前があるので、船橋ではなく、経堂の側の祠と分かる。
November 29, 2007
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住所は宮坂3丁目なんだけど、経堂赤堤通り団地入り口に半世紀近くあった惣菜屋さんの「おてもやん」が今月末閉店する。経堂赤堤通り団地が建て替えられる前の東経堂団地が出来てしばらくの頃、まだ赤堤通りが団地の南側で止まっていた時代に、「おてもやん」は、電気屋さん(今はクリーニング)、肉屋さんなどと一緒に開店した。ほぼ半世紀を生き抜いてきたご商売だが、向かい側の角(東京電力変電所の一部だったかな)にセブンイレブンが開店したのが、打撃だったかも。いろいろあった街場のご商売が、スーパーとコンビニに収斂。八百屋、魚屋、肉屋の生鮮三品はいまやほとんどがスーパーの中。乾物屋も同じ。規制業種だった酒屋はコンビニに代わり、米屋も米だけではやっていけなくなった。書店、CDは大型化、集約化。残るは人的集客要素の大きい、飲食(これもチェーン化の一途)、クリーニング(同じ)、美容院かな?あとがお店になればいいけどね。たぶん、そうはならない。
November 28, 2007
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最近、駒場の東大構内に本格的な?レストランが出来、知人から「テレビで放送されたことも手伝って、奥さま方になかなかの評判のようで、お客の9割は女性。銀杏の葉が色づく頃、ご一緒しませんか?」とお誘いをいただき、11月23日を一応仮の予定としておいた。平年より気温が高い日が続いた影響で、なかなか銀杏の葉が黄色くならず、果てどうかと思案していたところ、ようやく20日になって「電話をして聞いてみましたら、だいぶん黄色くなってきたようで」とご案内。知人のお連れと私ども夫婦の4人で、駒場界隈まで出かけることになった。時間によっては、席をとるまでにかなり待たされると伺い、少し早めにでかける。ふだんの休みに比べ、駒場東大前駅はにぎやかな感じがして乗り降りも多い印象。階段上の改札を出ると、机で120円切符を売る臨時切符売り場があり、駅員さんが二人で「帰りは混みますから」とよびかけている。迂闊にも、階段を降りたところで、ちょうど23日が駒場祭(学園祭)の当日であることに初めて気づき「これは」と混雑を予想した。正門を入り、「混むでしょうから、先に食事へ」と左に向かう。ほどなく、Faculty Houseの建物が木立の中に見え、その1階がフレンチレストラン「ルヴェソンヴェール」運営は、京都のレストラン運営会社「株式会社円居(まどい)」。京都大学構内でも「ラトゥール」なるレストランをやっていて、本郷も東大の構内ではないけれど「ルヴェソンヴェール」の支店があり、そういう営業政策の会社のようだ。1階ルヴェソンヴェールは年中無休。2階「橄欖(かんらん)」は同じ経営で、Upper Version。バーカウンターもあるが、日祭日は休み。11時半というのに、席は8割方埋まっていた。幸い南の窓際の席に案内され、さっそくにオーダー。ABC三種類のランチ定食は、肉(ラム)、魚(鰆)、ペンネ(パスタ)で、いづれも800円。パンとミニサラダ付は確かにお値打ち(食後にコーヒーか紅茶をつけてしめて一人前1000円。各種ワインも取り揃えてあり、ホストのお好みで白ワイン。ボルドーを勧められるが、一番高い(1本2600円)Tall Poppyなるオーストラリアワインをオーダー。4人の中で誰か分かるかとLever Son Verre(ルヴェ ソン ヴェール)の意味を尋ねるが、皆分からず。橄欖はオリーブ?そういえば、店の内装はルヴェ ソン ヴェールが明るいオリーブ橄欖は同じ色調だが、濃いオリーブのイメージVerreは日本語でいえば結晶のようなもので、橄欖はかんらん石のかんらんでもあるのでおそらくルヴェ ソン ヴェールはかんらん石のことだろうとあたりをつけるが、Peridotiteがかんらん石のことと分かり、あいかわらずLever Son Verreがどういう意味かは分からない。「まだ銀杏は、あまり黄ばんでいませんでしたね」「黄ばむと言われると何か汚らしい感じがするから嫌だわ」「黄色くなりつつある状態を黄ばむと表現したんだよ」「何か古くなって黄色く変色した印象がありますね」「色づくとか、ほかの表現があるでしょ?」「それなら、色気づくとか...」「どうせ男なんてこんなレベル」周りは気にせず、どんどんコーナーの席だけが盛り上がる。早くも、2本目のワインとパンを追加。「メニューにポテトは無いの?」「サラダにあるんじゃない?」「そうじゃなくて隣の席のあのポテトみたいなもの」「あれはペンネだよ」「ペンネって?」「ペン先の形に切ったパスタの一種」「あれが食べたいの」「じゃあ頼もうか?」「ペンネって詩人が居たよね。あのほのぼのしたイラストついてた」「ペンネじゃなくてペイネでしょ」「ペイネってイタリア人?」「フランス人じゃない?」「あの読み方はフランス人でしょう」「イラストは佃公彦だった」「???」レイモンペイネRaymond PEYNETは、1908年11月16日フランス生まれの画家(1999年逝去)。佃公彦氏は、1930年1月1日生(ご存命)。ペイネと佃氏は画風に共通するところがあるのかもしれないが、別のもの。 しばらくして、「隣のお二人居なくなったよ。ペンネがあんなに残っている」「残ってるなら貰っちゃえば?」「男はそんな姑息なことせず、ちゃんと注文するもんだ」「男らしいってのは、頼まれたことは何でも果たしてくれることってのもあるわ」「盗るなら、さっと盗ってらっしゃいよ」などと、人が読んだら生活と人格を疑われるような会話がしばらくなされたあと、それじゃぁっと、あたりを伺い、隣のテーブルからペンネの皿を失敬しようとしたとたんに、席をはずしていらっしゃったお隣の席の老夫婦が揃ってお戻りになり、一瞬の差で赤恥をかかずに済んだ。さらに盛り上がり、ニース風サラダ、パテ、ハムソーセージ盛り合わせ2人前と、さらにワイン、パンが追加となる。レストランの外の待合は、だいぶ列が長くなっている。「ニース風サラダってどういうサラダ?」「レタスとトマト、魚介類がついております」「4人で分けて食べられる?」「結構ですけど、4人で召し上がるには少々量が少ないかもしれません」「でもいいや。サラダ一つ追加」「なんでニース風ってついてるの?」「魚介類がついてるからじゃない?」「だったら、気仙沼でも、焼津でもいいじゃない」「あそこの席だけ異常に盛り上がってて、あそこに隔離しといてよかったって話しじゃない?」「真ん中置いといたら、目立ってしょうがなかった」「パンの追加注文はタダだと思ってるとか言ってんじゃない?」「だって、パンは、それぞれについてるって書いてあるよ」「女子トイレ、ずっと人が入ってて時間がかかるの」「僕の時は女子トイレからおじさんが出てきて、2階への階段登っていったよ」「中は、同じなんだ」「そう、ウォシュレット付のが一つだけ。男女で分けてあるのが間違いだと思う」「でもなんでおじさんは2階へ上がっていったんだ?」などと言っているうちに、ようやく皆さん満ち足りたらしい「コーヒーでも飲みますか?」「そうしましょう。テラス席にしましょうか?」「今度は本当にお隣お帰りになったみたいだよ」「もういいわ」テラスでコーヒーを飲み、しめてお勘定4人で15600円昼ごはんとしては大散財。お店の人に頼んで、祭日でお休みの2階「橄欖」内部を拝見させてもらう。落ち着いた室内に午後の日が差し込む。今はなき、フェヤーモントホテル1階のティールーム「ブラッセリー・ドュ・ラ・ヴェルデュール」を思わせる色調。Faculty Houseはそこまでで、駒場の中を一回り。寮の跡から北へ上がり、陸上競技場、ラグビー場、野球場と見て、テニスコート脇から、東大構内を出て、旧前田邸駒場公園へ南口から入る。庭を半周ぐるりと回って玄関から邸内に入り、一巡り。以前、文学館として公開されていたときには、入れなかったところまで今は公開されていて、とてもうれしい。(普通はだんだん入っていいところが狭くなっていくのに、ここだけは違う)「ここはトイレだったんじゃない?」「浴室だよ」「こんな狭いの?」「ここは女中部屋?」「そうかもしれない」「この階段の手すりはすごいですね。コーナーのカーブは一つの木から彫りだして作っている」「これは米軍は喜んで使ったでしょう」「ここもやはり接収されていたんですか?」「そうだと思いますよ」駒場公園を北に抜け、日本民芸館へ。いつも思うが、入場料1,000円は高い(前田邸は無料)。入選作の即売会と、インド展が何故1,000円するのか教えてもらいたい!先端技術研究所は中が通れないので、もう一度北へ抜けて、東北沢から帰宅。16:30。早くも日はほぼ没しかけ、家に着いたときには、とっぷりと暮れていた。駅前のスーパーでで買物して鍋。
November 24, 2007
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「ここ数年、紅葉狩りは全てはずしだ!」と嘆いていたところ、自分よりひと世代下の女性が、こんなことを言っていた。「最近、紅葉がきれいではないというお話しを、良く聞きます。地球温暖化の影響でしょうか?春と秋が短くなり、夏と冬の2つの季節だけになってしまいました。そのせいで、これまでと紅葉の時期が違ってきて、私たちがきれいだと思ってきた色の取り合わせが実現しなくなってきたのでしょう。カエデが赤く紅葉しても、ほかが緑のままでは、補色でコントラストはあっても、紅葉の風情にはなりませんから」だそうです。ここ数日寒く、東北日本海側は吹雪。紅葉したとたんに冬では、木枯らしにもみじを愛でる間もない。隣町赤堤といっても経堂からは少々遠いけど、赤堤二丁目のお寺、三界寺別院では、25日(日曜)14時から、「江戸落語赤堤亭」と銘打ち春風亭柳好師匠ほかの落語をお届けする。木戸銭500円。三界寺別院は、世田谷線松原駅徒歩3分。世田谷線を「やました」方面に歩き、六所神社裏。或いはスーパーオオゼキの側からも回れる(郵便局の裏)お時間と、ご興味のある方は。
November 23, 2007
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2005年冬、スペシャルオリンピックス冬季世界大会・長野。世界中のメディアが長野に集まる中、デビューした知的発達障がいがある9人で構成される撮影クルー「Believe(ビリーブ)」。そのビリーブクルーが、再び集まり、今年10月開催の「2007年スペシャルオリンピックス夏季世界大会・上海」で大会を取材する2週間のドキュメントと、上海大会での日本人アスリートの活躍ぶりを11月19、20の両日NHK教育テレビ20時からの福祉ネットワークは、2晩にわたり放映した。クルーデビューの長野冬季大会では、メンバーは全員ビデオカメラや音声機材を操作するのは生まれて初めて。半年にわたる撮影勉強会を経て、知的発達障がいのある人たちのスポーツの祭典を取材した。この様子を収めたのが、映画「ビリーブ」映画監督小栗謙一氏は、クルーメンバーを信頼し、彼ら自身が取材、撮影、録音した素材を盛り込みながら、彼らの活動と日常生活、そして、ゲームの様子を映像に収めた。地味な素材ではあるが、映画の中で小泉純一郎首相(当時)も彼らのインタビューに応じるなど、なかなか面白い企画がちりばめられた作品だ。小栗さんとは奥さまが昔、同じ会社で同僚だったことから、たまたま存じ上げているが、当時、ご関係の方から伺ったことは、確かにその通りではあるが、衝撃的だった。「知的障害者に関して、既に米国などでは、かなり深刻な問題となってきていますけれど、日本でも今後課題になっていくのは、彼ら自身が自立して、どう生きていくのかということです。これまでは、知的障害者ということで、親が彼らの生活を支援しているけれど、いつまでもそれは続かない。彼らが親の世代を超えて生きていくことが現実である以上、彼らがどういうふうに社会と接していくのか。支援ということは、単に身の回りの世話をするということと同義ではない。彼らの能力、努力に信頼して、自立して生きる可能性を追求する。それが信じるということの意味なのです」それゆえなのだろう。教育TVの映像の中で、小栗さんは、今回は敢えて、クルーに忙しいスケジュール、新しい課題、高度な課題を与え、「言われたことが出来ないということは悲しいことだよね」等、厳しい言葉をかけている。取材を、撮影を、録音をすることは、彼らにはできると信じ、それに彼らが応えたのが前回のスペシャルオリンピックならば、今回は、さらに高度な課題に挑戦し、失敗しつつも可能性をつかんでいく努力を、さらに信じる。何も課題を与えず、保護し、世話するだけでは、彼らの可能性を引き出すことは出来ない。彼らにも、人間として努力し、可能性を試す能力と権利があり、その機会を作っていくことが、社会の責任である。Believeとは、可能性への努力を信じる姿なのだ。
November 20, 2007
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用事があって、設計士のHさんに経堂までお越しいただいた。小一時間ばかり現場を見たあと、どこかで食事をと言って、ちょっと駅から離れるがすずらん通りの「大田尻屋」へ行った。イタ飯屋というわけでもないが、独特の料理とおつまみ。クリエイティブ系の大田さんと田尻さんご夫妻のお店と伺う。「だいぶ長くやってらっしゃるんでしょう?」「まあ、そうですね」「30年とか?」「3年半です!」そんな感じで、もうすっかり定着した感じ。その前は、ラーメン店、さらに遡れば、小学校同級生のお父さんがやっていた薬局。バックに流れるジャズは、なかなかの選曲。マスターのセレクトと伺い、なるほど。気がつけばワインが2本空いて、ビールと食事がついて、ということで、お値段も納得。また、そのうちに。
November 20, 2007
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今度こそ紅葉をと意気込んで、週末家族で箱根へ繰り出した。金曜夜から車で出かけ、土曜一日遊んで夜には帰ろうと主張したが容れられず、土曜の朝、新宿からロマンスカーで出かけることになる。この時期、土曜朝9時のロマンスカー。あたり前だが満席。だから言わんこっちゃない。また、箱根登山鉄道でひどい目にあうぞ!小田原で沼津出張から帰りの娘と合流。発車間際になっても現れない娘に、危うく電車から降りようとしたところへ、携帯電話がつながり、別の乗車口から乗ったことが判明事なきを得る。予想通り、箱根湯本の登山鉄道乗り換えはごった返していて、発車待ちの三両編成は通勤電車を超える満員。「どうせ一台待っても座れないから一緒」というのを「いやだ」と言われ、多勢に無勢。結局、15分後、二両編成でさらに混んだ電車で30分揺られる羽目に。不思議だと思うのは、普段の電車ではシルバーシート間違いなしと思われるご老人、老婦人方が、まったく違和感なく、超満員の30分を立ち通しであったこと。いや、他意はなく、この時期、この電車にお乗りになる以上は、覚悟の上なのだろう。それに、座れたからといって、それほどよいものでもない。足の位置を変えることはできないし、景色は人の胴体だけ。途中大平台で、インド人と思しきご一行が、ようやく乗り込み、さらに混雑が増す。一人の男性は赤ちゃんを抱いていて、これは大変。まさか、こんなところで、こんな目にあうとは、想像の外だったでしょう。ようやく宮の下で、かなりの人が降りて一段落。車窓から「さよなら温泉小学校」なる横断幕が見え、学校統廃合が箱根町にも及んできていることに気がつく。遡れば明治6年に開校、尋常温泉小学校と名前が替わった開校記念日が明治27年1月25日。開校135周年の来年3月31日をもって箱根の森小学校へ統合となる。箱根町では、温泉小、宮城野小、箱根小を統合して「箱根の森小学校」(宮城野小学校の位置)が新設され、通学に際しては、箱根小学校区及び温泉小学校区並びに強羅地区及び二ノ平地区の児童を対象にスクールバスを運行する。中学校については、湯本中、箱根明星中、仙石原中を統合して「箱根中学校」(箱根明星中学校の位置)が新設される。箱根町全体で、小学校は3校。中学校は1校だが、新設箱根中学の所在地は強羅。湯本から通うには、箱根登山鉄道かバスで通うのだろうけれど、定期代だけでも大変だ。私たちは、宮の下からひとつ先の小涌谷で降りて、上り坂20分、ようやく着いた宿で荷物を下ろす。チェックインして、一休みする間もなく、来た道を引き返し、二の平から彫刻の森へ歩く。ここの駅は、フジ産経グループが美術館を開館する前は「二の平」駅で、そのほうがよかったんじゃないかなぁ。駅前のそば処「奈可むら」で昼食。雉南蛮を注文したが、地鶏使用と書いてある(鴨南蛮は地鴨使用と書いてある)ので、使ってるのは鶏だね。期待通り素朴な味のそばで、多少待たされたが、満足。歩いてもいいのだが、強羅まで一駅は登山鉄道で、と、ちょうど間に合う時間に駅に行ったはずが、逆方向の電車が来たので、どうしたことかと思ったら、行楽シーズンの混雑で、登山鉄道が遅れているとのこと。遅れていた登山電車は満員で、着いた強羅も大混雑。急いで降りてケーブルカーの待ち行列向かって走るが、それでも、前の電車の積み残しが溢れていて、タクシー乗り場がようやく最後尾。それでもケーブルカーの臨時便が出て、ふたたび満員電車以上の混雑の中を早雲山まで上がり、さらにロープウェイで大涌谷へ。あいにくの曇天で、晴れていれば小塚山、明星ヶ岳、明神ヶ岳、金時山、箱根山、丸岳、長尾峠、そして富士、さらには、主峰駒ケ岳の肩越しに、湖尻峠から三国山までを展望し、全山の紅葉が楽しめるものを...ロープウェイのゴンドラにご同乗の奥さまがたは、それでも「まあきれい」「緑の葉ごしに紅葉が覗くのもきれいだわねぇ」などとお褒めになるが、こちらは、ここ2-3年、満足いく紅葉にあたらず、お許しいただけない?ロープウェイで姥子まで行ぉ。船見岩あたりの林間をしばらく散歩。姥子駅の気温は正午で5.7℃と表示されているが、風がないせいか寒くは感じない。まだ2時半というに、夕方の雰囲気に、大涌谷までとって返し、冠岳中腹の例の黒い延命卵をつくっている噴気孔まで登る。卵がロープウェイで運ばれているのを見て、何か変な感じがした。真っ黒い延命卵だが、時に白いところが残るものがある。さては、ちゃんと全部津かっていないのがあるな。今回の箱根で強く感じたのは、外国人の多いこと従来のいわゆる欧米人に加え、韓国人、中国人はもちろん、インド人、ロシア人も見かけた。21世紀の日本は、ある部分、観光立国となっていく部分がある。東アジアでの、スキーリゾート、海洋リゾートは、朝鮮半島及び中国本土には殆ど期待できないらしい。温泉も同様。天候がいまいちだし、夕方のラッシュにかかるといやなので、早めに宿に引き揚げ、温泉三昧とする。ロープウェイ、ケーブルカーと乗り継いで強羅までは難なく着いたが、そこで、登山鉄道は入場制限中。出発待ちの一台は既に満員で、ホームも人でいっぱい。改札の外も50mばかり列が伸びている。つまり30分待ち以上。タクシー待ちの行列も20人ばかり。歩くか、バスという選択で、バス。箱根湯本行きのバスが止まっていて、運転手さんに若い女性二人連れが尋ねている会話が聞くとはなしに耳に入る。「さあ。湯本まで行くなら登山電車のほうが確実だね。さっきは渋滞が大平台まで行ってたからねぇ」30分待ちの登山電車は強羅から40分で湯本まで下りる。つまり、この時間、車では湯本まで70分では下りないということだ。今年の箱根駅伝、下りの6区区間賞は日大の末吉君。元箱根-小田原中継所間23.4kmを59分29秒で走り抜けた。それより遅いぞ。10分も待たないで宿の近くまで行くバスが来た。強羅から出てすぐ、線路沿いの道幅が狭く、バス同士のすれ違いに時間を要した以外は特に問題なく4時過ぎには宿まで戻る。そのあとは、温泉三昧に夕食で、10時前に私と娘は寝てしまった。翌18日、日曜日は7時前から朝風呂。既に6時過ぎから入っているのだろう、風呂に向かう長い廊下で朝風呂を終えた人たちと次々とすれ違う。7割以上は女性客だ。温泉はすっかり女性のものになった。この冬一番の寒気が入ってくると聞いていたが、それほどでもない。天気もよさそうだ。しかし、露天風呂は昨夜より確実に温度が低く、肩までつからないと、外気が寒い。30分ほどで切り上げ、部屋に戻る途中、風呂に向かう娘とすれ違う。「上がったら直接食堂に行く」と言い交わし、自分は部屋へ。インターネットで日記を書き、朝食へ。バイキング形式での朝食。宿泊客が多いのだろう、予定のレストランではなく、向かいにある昨日夕食をとった和食のコーナーへ通される。遅れて娘も合流し、ゆっくりと朝食。食後は、ふたたび家族それぞれ温泉三昧。「天気が良いから、今日大涌谷まで行けばよかったね」「温泉なんか入ってる場合じゃない?」「でも天気は分からないから。行くならそのつもりで早く出ないと、混んでしまう。朝ごはんもゆっくり出来ないよ」「今日は温泉て決めていたんだし、ゆっくりしに来たんだから、これでいいの」そういうこった。11時前にチェックアウトして、駅まで20分ほど歩く。下りは登りと違って息は切れぬが膝が笑う。やわになったものだ。前日のなれぬ久しぶりの山道で、足が痛い。日曜も行楽客で朝から混雑しているらしく、登山電車は遅れ気味。駅でしばらく待つと、満員の登り電車がやってきて、下りはさらに数分遅れの状況。ようやくやってきた電車は、やはり、かなりの混雑。ひとつ先、宮ノ下で、何人か降りる人があって、娘を座らせた。(今回の旅行で湯本ー小涌谷間は、往復とも写真の2000系サンモリッツ号)箱根は、旧東海道に面し、ふるくから箱根七湯(湯本、塔ノ沢、堂ヶ島、宮ノ下、底倉、木賀、芦之湯)で知られる温泉場。登山鉄道の歴史も明治21年(1888年)設立の国府津-小田原-湯本間の小田原馬車鉄道にまで遡る。登山鉄道の建設が開始されたのが、1912年(大正元年)。箱根湯本-強羅間で登山鉄道線が営業開始したのが、1919年(大正8年)というから小田急線より歴史は古い。関東大震災では、かなりの被害があったらしく、一年あまりが復旧にかかっている。箱根湯本-強羅間8.9kmの高低差は445m。平均斜度50/1000!(通常の鉄道路線の最大勾配は40/1000)。途中3ヶ所(出山信号場・大平台駅・上大平台信号場)にスイッチバックが設けられ、最大勾配は箱根湯本塔ノ沢間の80/1000。3両編成(45m)では前後の高低差が3.6mにも及ぶ。もっともきついカーブはR=30!レールと車輪の磨耗を防ぐため、水を撒きながら走る。1925年(昭和25年)に小田急が箱根湯本まで乗り入れたが、先年までは小田原まで登山電車が下りていて、小田急のホームが凹の字状になったへっこみのところに登山電車のホームがあり、軌間が違う両線相互乗り入れのため、小田原ー箱根湯本間は3本の線路が走っていた。今は、小田原ー箱根湯本間は、全て小田急の車両となっている。箱根湯本で、昼ごはん(「わっぱめし」、冨士屋ホテル売店で「ちまき」、屋台の「たこ焼き」をそれぞれ一つずつ)を買い、そのまま車内で分け合って食べる。2時過ぎには帰宅。早く帰ってくることはいいことだ。しかし、次回は、車で金曜夜から出かけ、夜遅くでいいから土曜日に帰ってくることにしよう。
November 19, 2007
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前回のてっちゃん話を読んだK川君(1年僕のほうが年長)がやってきて「僕は新幹線が標準軌と覚えましたけど」とてっちゃん話の続き。世界標準の「標準軌」(ひょうじゅんき、Standard gauge 鉄道線路の軌間、すなわちレール間隔が)は、1435mm(4フィート8.5インチ)。世界の鉄道線路のうち60%がこの軌間を採用している。K川君の手帳メモによれば(わざわざメモしてくるところがすごい)、日本では、新幹線がこの1435mmで、私鉄でも一部が採用。昔は、小田急はじめ、JR在来線及び私鉄一般にに多く使用されている1,067mm軌間(狭軌)を「標準軌」、これより広い軌間を「広軌」としていた時代もある。1435mm軌道を使用しているのは新幹線のほか、東京地下鉄(銀座線、丸ノ内線)、京成、新京成、京浜急行、都営地下鉄大江戸線、浅草線など大江戸線は、K川君によれば、リニアの機械を搭載する都合で、広い軌道を使用したのではないかとのこと京王線と東急世田谷線は、都営地下鉄新宿線、都電、函館市電とともに1372mm軌間。この軌間は、もともと馬車軌道の軌間に由来し、K川君は都電軌と呼んでいた。京王線は、都電と新宿で相互乗り入れの計画があり(一時は実際に伊勢丹の南側の明治通りで相互乗り入れした)、そのために都電と同じ軌間を使用・その後、京王と相互乗り入れするために、都営新宿線がこの軌間を採用した。さらに電圧だが、都電と東京地下鉄銀座線、浅草線は600V。それ以外は皆、戦後順次昇圧して1500Vが一般らしい。***鉄道の電化は、都市部から始まった。商用電力は交流だが、交流方式のまま鉄道を走らせると、車両ごとに受電装置のコストがかかり、変電所のコストはかかるが、直流で配電したほうが、全体でみればコストが節約できることから、運行列車数の多い都市部では直流方式が採用されている。また、交流の場合特高66・77kVで直接電車に配電するため、絶縁距離(線路から周辺建物の距離)を長く取る必要があり、これも都市部で直流電化が採用された背景にある。交流電化の歴史は以外と新しく1957年から。
November 15, 2007
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今日11月14日、経堂は、すずらん通り塩原湯は定休日。お休みの浴場を使って、「元お相撲さんが歌う相撲甚句~ちゃんこ鍋付き~」を開催登場するのは、現在プロの歌手として活躍中の大至伸行さん17:00開場で、17:30開演(ちょっと早いなぁ)1500円でちゃんこ鍋までついてくる本当は、材料を用意する関係で、3日前までの受付だったようだが、当日でも対応は可能らしい面白いじゃん?
November 14, 2007
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以前に住んでいた名残で名義が残っている私道の境界確定があり、立ち会う。私道を挟んで10軒ほどの家が建つが、そのうちの1軒が売りに出ることになったらしい。敷地7-80坪はあろう。昭和50年代の建物で、無論、台所、風呂場、水周りその他は、現代の生活様式に合わせたものではあるけれど、純和風、粋な数奇屋の造りで、お庭もその風情にあったなかなかのもの。建物をお建てになった先代がなくなったあと、華道、茶道の先生にでも、と娘さんがお貸しになってきたが、駅から10数分という距離のこともあったか?ここしばらくは、お住まいになる方がなかったと聞く。生活様式が変わり、純和風の家を借りて住むという人が居ない。住むほうからみると、窓の開けたて、床の雑巾がけ、障子の張替え、「さん」の掃除、玄関の掃除、庭の手入れ...かつては、当たり前のことでも、おそらく今の40以下の人には面倒で、住めたものであるまい。自分でやれる人はともかく、お手伝いさん、家政婦さんなどを探すだけでひと仕事。いや、住みたい人は居るのだけれど、不動産仲介の現状は、そのように細かいところまで対応していない。そこまで不動産屋が細かく指導、説明できるわけもなく、「そういうお宅は難しい」と敬遠される。玄関、床の間には、掛け軸、和額、お花を配し、屏風なども必要か。そうなれば、それなりの和服も用意して...結果、茶道、華道、日本舞踊、お琴、尺八、三味線、小唄、端唄、その他日本文化一般は、住宅街から姿を消し、カルチャーセンターでしかお目にかかれなくなる。新建材は人々の視線をはね返すというような表現で、風景に馴染まぬ建物を嫌ったのは、1970年代の司馬遼太郎さん。前総理大臣が美しい国と言ったが、美しさの原点は、日常の中にあるもの。旅先の景色、よそ行きの建前ではなく、日々を暮らす、わが町のたたずまい、家庭、近所で交わされる会話の中にある。経堂は、まだ、多少、そういう空間が多く残る場所だが、日常風景の中に日本文化が見えにくい現代。せっかくの建物が、また一つなくなってしまう。
November 13, 2007
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Beaujolais Nouveau 2007年11月12日 今年のヌーヴォの出来は気候に恵まれ例年以上との評判解禁は、11月15日(木)0:00am若いワイン特有の、紫を帯びた透明感のあるルビー色イチゴ、クランベリーを想わせる香りと柔らかな口当たりは、例年にも増してのお楽しみとか。気がつけば、もう今週の木曜のことなのだ!***さて、このBeaujolais Nouveau昔はボジョレーと言ったが、最近はボージョレと表記する場合が多い。どちらが正しいかという議論をする人が居て、どっちでも良いじゃないかと答えたところ、えらくご機嫌を損ねられたことがあるしょせん外国語の発音をカタカナで模倣するに過ぎず、正確というのはありえないフランス語を多少ご存知の人に聞いてみたところBeaujolaisは地名で(あたり前だ)ボージョレイ或いはボージョレーと表記するのが一番原語に近いとかなーんだ、両方とも違うのか
November 12, 2007
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もう20年も前か?お父さんに、Norman Rockwellのポスターをバレンタインのギフトに贈り、「娘から貰ってもうれしくないよね」ってコメントをつけた。そうしたら、珍しく返事があり「これほどうれしいことはない」プレゼントを贈ったご当人(娘)から伺った今ご存命ならば78歳のお父上の想い出
November 12, 2007
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日曜の午後にはあがると聞いていたのに....10日土曜未明から降り始めた雨は、いったん日曜11日の午前中に上がったように見えたが、また夕方雷雨となり、洗濯物が乾かない。日曜午後、外出しようと戸締りをしていると、小学校同級の留さんから携帯電話にE-mailが入り、担任の先生(往時の)からゆずが届くので、ご持参いただけるとのお申し出。配達時間が事前に分かるということは、在宅の確認電話かなにかがあったのか?残念ながら、たまたま家族全員外出となり、数時間家が空いてしまうところで、せっかくのゆず、ご相伴に預かることが出来なかった。留さん、せっかく言ってくれたのにね。ごめん!
November 12, 2007
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小学校同級の眞里ちゃんから聞いた話。何年か前のクラス会で、眞里ちゃんが、同じ同級生の甲斐さんと話しをしていて、甲斐さんが、「眞里ちゃんと、○さん(誰だったか眞里ちゃんが覚えていない)と私の3人で、宇宙人ごっこというのをやってとても面白かった」と言うのだが、眞里ちゃんは全然記憶に無いそうな。「どんな遊び?」と聞けば、「私たちは宇宙人で、地球にやってきたんだけど、地球のこと何も知らないの。だから、学校中にあるものを見て、ひとつひとつこれは何だろう?ってやるわけ。たとえば、バケツだったら、これは何だろう?被るものかなぁ。とかね。理科室とか、面白いものがいっぱいあって、楽しかった」?全然覚えてないと言っても、どこまでが自分の記憶で、どこからが甲斐さんから聞いた思い出の記憶なのか?そのほか、眞里ちゃんによれば、眞里ちゃんが初めて自転車に乗るのを覚えたとき、自転車を教えてくれたまっちゃんは、そのことを全然覚えていないそうだ。同じく眞里ちゃんから聞いた、彼女が自転車を覚えた頃の女の子たちの遊びには、眞里ちゃんと山本さんとともう1人で、街の中の通りに、ここはペキンで、ここはロスアンゼルス、あちらはアムステルダム...と名前をつけて遊んだ、というのもある。今、どの通りがどの名前だったかは覚えていないらしいけれど、活発に自転車を乗り回す少女たちの姿が目に浮かぶ。「アムステルダムが気にいっていた。ちょうどその頃学校で習ったところだったんじゃないかな?今はその通りがどうなっているのかも分からないんだけどね」だそうだ。宇宙人ごっこ、すなわち、「既成観念を取り払ったとき、物は本来の用途以外何に使えるのか?」という発想の遊び。通りに名前をつけたりするのは、日本ではあまりないけれど、中国の街の中など、北京路、上海路、南京東路、長安路など、他都市の名前を冠した通りが一般的。1600 Pennsylvania Avenueといえば、Washington DCのホワイトハウス。ご存知Pennsylvaniaは州の名前だ。Washingtonには、そのほか、New York Avenue、Massachusettes Avenue、New Hampshire Avenue、Florida Avenue等もあるから、州とか国の名前を通りにつけるのは、米国でもよくあることが分かる。もともと、そのあたり出身の人がまとまって住んだから、というのが名前の発祥の一つではあるだろう。東京でも、浜松町とか、三河島は、徳川さんが江戸に来たときに、浜松、三河から移転してきた人たちが住んだ街と聞いたことがある。さて、当時の自分に、他国、都市の名前を通りに名づけるという発想があるわけもない。皆さん、それぞれに優秀な女の子たち。やってた遊びのレベルからして違う。こちとら、学校の授業でアムステルダムのことを習った記憶すらなく、授業中も、ただ騒ぎまくり、先生に「廊下でたっとれ」と言われたことも再三たぶんアムステルダムは、廊下で立たされていたときの授業だ!?
November 11, 2007
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昔から、少し形が違っても野菜の味と栄養は一緒と良く言うけれど、本当はそうじゃない。それが、おいしいとか、まずいとかということではないけれど、厳密には違う。何故か?水分のバランスが違う栄養のバランスが違ういい形の野菜は、均等に日当たり、養分がいきわたっていて味も均質(上と下では微妙に違うけど)形の悪い野菜は、曲がった内側と外側で成分の濃さ(たぶん糖分がほとんどだと思うが)が違い、その微妙な違いが味に出る。それが、もともとの野菜の形だから、それでいいのだが、少し形が違っても野菜の味と栄養は一緒というのは建前に過ぎる。多少不均質でも、そのアンバランスが自然と教えるのがいいんじゃないかなぁ?だって、よく味わって食べれば、誰でも味の違いは、歯ごたえからしてわかるもの。
November 9, 2007
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昨年優勝は、亜細亜大学、一昨年は九州産業大学早稲田、昨年の雪辱と学生2冠(大学選手権、明治神宮野球大会)なるか?【主 催】明治神宮・日本学生野球協会【日 程】11月10日(土)~13日(火) 雨天順延【球 場】神宮球場・神宮第二球場【チーム】(大学) 1.東京六大学野球連盟代表…早稲田大学 2.東都大学野球連盟代表…東洋大学 3.北海道・東北五連盟代表…八戸大学(北海道学生・札幌学生・北東北大学・南東北大学・仙台六大学) 4.関東五連盟第一代表…上武大学(首都大学・千葉県大学・関甲新学生・東京新大学・神奈川大学) 5.関東五連盟第二代表…東海大学(首都大学・千葉県大学・関甲新学生・東京新大学・神奈川大学) 6.北陸・東海三連盟代表…中京大学(愛知大学・東海地区・北陸大学) 7.関西五連盟第一代表…関西国際大学(関西学生・関西六大学・阪神大学・近畿学生・京滋大学) 8.関西五連盟第二代表…大阪経済大学(関西学生・関西六大学・阪神大学・近畿学生・京滋大学) 9.四国・中国三連盟代表…東亜大学(四国地区・中国地区・広島六大学) 10.九州三連盟代表…九州産業大学(九州地区・九州六大学・福岡六大学)(高 校) 1.北海道地区代表…駒大岩見沢高校 2.東北地区代表…東北高校 3.関東地区代表…横浜高校 4.東京地区代表…関東第一高校 5.北信越地区代表…長野日本大学高校 6.東海地区代表…常葉学園菊川高校 7.近畿地区代表…東洋大姫路高校 8.中国地区代表…下関商業高校 9.四国地区代表…明徳義塾高校10.九州地区代表…明豊高校大学組合せ1、2などの数字は球場1-1などは第一日第一試合等の略明治神宮野球場は、経堂から新宿まで行って総武線緩行電車千駄ヶ谷下車
November 9, 2007
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世界経済フォーラムは8日、各国の男女平等の度合いを指標化した2007年の「ジェンダー・ギャップ指数」を発表した。日本は総合順位で91位と、昨年の80位からさらに後退。雇用機会や所得水準、国政への参加率といった項目で男女の格差が大きいという評価に加え、調査対象を昨年の115カ国から128カ国に広げたことが響いた。 調査項目のなかで日本で特に低かったのは国会議員に占める女性の割合(95位)、議員や企業幹部や経営者の割合(94位)など社会や政治への参加を示す項目。労働参加率(73位)、同じ仕事で得られる賃金水準(90位)などの労働指標でも性別による格差が大きかった。 ***でもねぇ男女差別と、男女区別を一緒にするのはおかしい旧態依然たるところ、旧態依然たる人は別として、男女の待遇差がない企業は確実に増えている。女の人の賃金が安い業界は、古い体質のところか、或いは、そういう仕事は女の人にはさせたくないところってのもある女の人と同じ土俵で勝負させられたら男はかなわないよ国会議員とか経営者って、給料は欲しいけど、そんな面倒なことやらないで済むなら、そのほうがいいって人も多いんだから、それをもって男女平等じゃないって、おかしい。俺なんか朝起きて、洗濯して、干して、料理作って、洗い物して、BLOG書いて出かけるんだぜ。娘とカミサンは、起きて、化粧して、食べて会社に出かけるだけ。確かに少なくともわが家は平等じゃない。
November 9, 2007
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少年の頃てっちゃんだった某先輩とのお話し酔っ払ってたりで記憶違いもある。「東京だと、小田急、井の頭線は狭軌(1067mm)、京王が広軌(馬車軌間1372mm)だけど、関西の近鉄が広軌(1435mm)です」「確か、近鉄は広軌の線と、狭軌(1067mm)の線があるんじゃなかってでしたっけ?上本町入る線と、難波に入る線は、軌間が違うんですよ」「内部・八王子(うべはちおうじ)線はナローゲージ(762mm)ですから、近鉄の軌間は3種類あるんですね」「大阪電気軌道を中心に、参宮急行電鉄、伊勢電気鉄道などを合併していったんで、いろんな軌間が出来ちゃったんでしょう」「もともと名古屋と伊勢の間走ってた伊勢電気鉄道は狭軌だったんですね。だから、大阪から名古屋へ行くとき途中乗換えなければいけなかった」「そんなことがあったんですか?」「それを伊勢湾台風のときに復旧のついでに軌間を広軌にあわせ、名古屋まで直通運転できるようになったんです。そのときの社長が佐伯勇っていって、近鉄バッファローズのオーナーだった」「ああ、いましたね」「近鉄ってのは半端じゃない。日本一の私鉄です。」「駅の数どれぐらいあるかご存知ですか?」「さぁ?」「333もあるんですよ」「へぇ!」「軌間が違うっていえば阪急がそうじゃないですか?」「えっそうなんですか?」「京都線はもともと京阪のものだったのが、戦時中京阪と阪急が合併して、戦後、京阪が分離するときに京都線は阪急のものになってしまった。だから、今でも十三から梅田まで一緒じゃなくて別々に運行してます」「さすがたてっちゃんですねぇ」「新幹線できるまではね。新幹線できてからはつまんなくなっちゃった」「年季入ってます」「今度できた鉄道博物館は、会社からは休みをもらって子供の来ないときに朝早く行ってと思うけど、その前に多摩動物園にある京王レールランドへ行って、私鉄各社の電圧がどういう順番になっているか調べたいんです」「電圧ってあの1500Vとかのですか?」「そうです」「最近の鉄道会社は、車両軽量化その他省エネにもかなりのお金を投じてるんですね。車体に使う素材も昔のアルミ系の航空機材料に替わるものが出てきて東レだかクラレだかが資材を納入しているそうです」「でも、関西の私鉄って、なんであんなヘンな色の電車ばっか走ってるんだろう?」「阪急は、戦前からの電車じゃないかっていうあずき色だし、阪神はやすっぽい明るい色でしょ」「あの急行用の8000系ってヤツですね。ほかのはそんなにひどくない」「小田急は古い車両をほかの会社に売ることはしないんでしょうか。京王線の5000系。あれは京王線を引退したあと、富士急行で走っています。大月に行くと見れますよ(富士急のほか、伊予鉄道、高松琴平電鉄、一畑電鉄などへ譲渡)。井の頭線の3000系。あの前面が色変わりのパネルになっているやつですけど、北陸鉄道、上毛電鉄、松本電鉄などに行くとまだ見ることができます。西武のレッドアローあれは富山地方鉄道へ行ってます」「富山地方鉄道ですか...17m車なのかな?」「小田急、京王は自前の車両工場を持たないから、電車の製造は東急とか日立とかになっているけれど、東急は自分で持ってますよね。この間JRの電車乗ったら、製造は新津製作所とか書いてある。自前でちゃんと作ってるんですね」「新津にはいい車両工場があるそうです」「JRでも、もう大宮は作ってないかもしれない」「そうですね」
November 6, 2007
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11月3日は文化の日。土曜日だけれど祭日お休みのお店はやっていない。10時過ぎ、土曜日恒例の買出しツァーのついでに、クリーニング店に行く。看板が出ていないので、?と思ったら祭日だった。「しょうがないなぁ」とすごすご引き返す。いったん家に戻り、下高井戸までチャリ。長谷川商店、田楽と寄って、ときどき使う駅前通り沿いの粕漬けなどを扱っている惣菜屋を見やると、こちらも祭日休み。「そうだったな」とそこまででふたたび帰宅。午後は、午前中の出先から戻ってきた家人に同行し、江戸東京博物館「夏目漱石展」しかし、菊竹清訓もなんという建物を建てたものか?巨大なカエル?鈴木時代の東京都の建物なのだが、江戸というテーマ、東京大空襲関係の展示、博物館等公共施設がそれほど建てられていない城東地区。そういった背景は分からないでもない。それでも、バブル期の建物というのは、存在価値に普遍性を欠く。家人に言わせると漱石展は展示物を見ても面白いものはなく、夏目漱石というのは作品よりも生き方が面白いと言う。確かにその通りかもしれぬ。東京生まれにもかかわらず北海道岩内に本籍があり、帝大教授の職を投げうって今で言えばIT企業以下の評価でしかなかったろう朝日新聞に小説などというものを連載して生業にし、書いた小説の主人公は人間ならぬ動物であり、そこには自分自身と奥方をモデルにした口げんかの様子が生き生きと模写されていたりする。「Tシャツ買う?」と聞かれ、「漱石だったらTシャツじゃなくて、赤シャツはねえのか?買ったら何か一着捨てなさい」などと憎まれ口をきく。結局、ブックカバーを三種購入なかなか得がたい逸品だが一つ1600円!「あの鈴木三重吉から夏目漱石が貰ったオルガンってのがあったじゃない」「ぅうん?」「うちの二階にあるオルガンも骨董価値出ないかな?」「骨董価値で展示してるんじゃないだろ。それに鈴木三重吉に漱石が貰ったから意味があるわけで、うちのなんか、叔母の家からウチが貰っただけで、言われも何もない」東北大学100周年で知りあいの東北大学ご出身の方がこの展覧会のチケットをお持ちだったことを思い出す。漱石は、松山中、五高、東大などで教鞭をとっているが、東北大学とのご縁は?と思いきや、東北大学附属図書館 夏目漱石ライブラリのホームページに経緯が記載されていた。出口近くのイベントスペースで、江戸工芸展をやっていたのでちょっと覗いてみた。もてる技術をつぎ込んでの渾身の作品なのだろう。お値段も驚くほど高い。だが、作者のもてる技術全てを注ぎ込むことが、すなわちいい作品を生み出すと勘違いがあるかもしれない。私たちが、作品を購入する目的は、技術の成果を発見、観察することにはなく、あくまでもデザインと実用性にあることを、ちゃんとプロデュースしていかないと、江戸東京博物館のハードウェア同様、出来上がったものの評価は必ずしも高くない。だれかそういうコントロールをしていかないと、日本の伝統、伝統に関わる諸産業というものが、どんどん衰退してしまうことになるだろう。たとえ人間国宝のタイトルがある作者だろうが、手にとって、これを買いたいと思う人が居なければ、どれほどの意味があるのか?「この技術はすごいんだ」ということだけで、100年、200年という普遍性を勝ちうるわけではない。両国から上野へ向かう途中、思い立って、特別予定もないので、吉原でも行ってみようと、入谷から金美館通りを千束のほうへ。「吉原大門ってまだあるの?」「さぁ地名としてはあるような気がするけど、実物は知らないなぁ?」「金美館ってなに?」「この通りは昔は、吉原へ向かう繁華街で、金美館て映画館があったところから名づけられたんだな」その程度の知識で、地図も案内もなければ地理が分からぬので、変なことが起こる。「あ、そろそろじゃないかな。あのルナなんて看板怪しいぞ?」「馬鹿ねぇ。美容室よ」「おかしいなぁ。あれはすごいぞ!入浴市場」「ソープランドって、そんな馬鹿馬鹿しい名前つけるの?」「それらしいイマジネーションを要求するからな。でもな入浴市場って、何軒も集まったとこなのかな?福岡の集合ソープランドビルにはMANZOKU CITYっていうのがあるぞ」「ほらーっ!入浴市場じゃないでしょ。入谷市場よ。イリヤイチバ!頭がそっちのほうばっか行ってるからぁっ」一喝されてしまった。しばらく歩くうちに、町名が入谷から千束に変わる。「おっ!これは間違いない。昔、酔っ払ってタクシーに洗足って言ったおっさんが、せんぞく違いで連れてこられてトルコ街のど真ん中で激怒したって話しを覚えてる。(洗足池の所在地は、大田区南千束なので、これまた難しい)」そんなことを話しながらしばらく行ったところで、ようやく喫茶室という不思議な看板を見つけた。「あれがソープなの?」「たぶんね。台湾では床屋ってのが売春宿だった」「だって、それは床を売る店だから正しいじゃない」「あ、そうか」「なによ、そんなことも分からないの?」「うん....」今、これを書くにあたって調べてみると、喫茶室というのは、直接にソープランドではなく、お客さんは、まず喫茶室へ行って、そこでお店なり、女性なりを紹介してもらうシステムのようだ。とりあえず、吉原(とおぼしき)通りを行くと、客引きと思しき黒服のお兄さんが立っている。「あ、あれそうだよ。角海老っての」「角海老ってソープのことなの?」「違うよ屋号だよ。あ、そっちの金瓶梅ってのもそうだ。そこには喫茶室があるぞ。でもなぁ。トルコ風呂ってのがソープランドと名前が変わって、それが今度は喫茶室ってのが出てきたのかぁ。それはしらなかったなぁ」「貴方の知識は何年前ぐらいのこと言ってるの」「そうなぁ。四半世紀ぐらい前」事情通の方には噴飯物の会話のような気もするが、どうも夫婦連れの居心地は悪い。そろそろ時間も遅く上野へ急ぐことにした。言問通りを上野桜木町へ坂を上がると、もう日もとっぷりと暮れてきた。「岡埜栄泉まだやってるね」「あなた良く買ってわよね」「ああ、トイレ行きたいな」「さっき行ったじゃない。私よりおしっこ近いって、どこか悪いんじゃない?」「なことないよ。さっきって江戸東京博物館じゃない」「そのうちあるわよ」大雄寺、感應寺と行くうち、自性院でちょうど門が閉じられた。「いいねぇ。この山門が閉じるって感じが」「?」「僧は推す月下の門」「なんでそれが良いの?」「風情がいいじゃない」「『敲く』になっちゃったら、せっかく閉じた風情がないわね」軒先に大きなサボテンがあるお宅を発見。「ちいさいときから育ててああなったんだったらすごいわね」「そうだね」「サボテンて肥料とかいらないんでしょ?」「栄養のないところで育つ植物だからね」30mほど向こうの家から、ちょうどお出かけになるご夫婦を発見。「おい。跡をつけてみようぜ」「どうだっていいじゃない、そんなの」「だって荷物もほとんど何ももってなくて、ご夫婦でどこへ行くのかな。」「お友だちのところか、お近くでしょ」「ついてってみようぜ」「貴方と私じゃ尾行にならないし、不審に思われたらどうするの?」「そんときは謝ればいいじゃん」全くなにをやってるんだか?結局、近くのそば屋へお入りになるのを確認して、尾行遊びを終える。トイレを見つけて用を済ませたあと、そばのレストラン「筆や」を冷やかして藍染のギャラリーへ。徳元さん。絹の藍染を中心としたギャラリーで工房は鹿児島にある。「絹の等級で一番いいのは幻のAAAAAA(6A)と言われるものです。着物など、糸の等級に厳しく、AAA以上の糸しか使えません。この黒の糸は、5Aの細い絹の原糸21本を縁って作ったもので、それを藍に何回も漬けては乾かす作業を繰り返してこの色に染めたものです」と言って差し出された糸は、漆黒の髪を思わせる。「絹というのは動物性。人間の肌の組成に一番近く、肌合いが一番気持ちが良い。藍はもともと蓼藍と言って、タデ科の植物で殺菌性がある。ですから汗をかいても臭くならない。戦国の武将などはたしなみとして、長い戦へ出陣する場合には、藍染の下着を着用していたとも言います。私どもではもともと、ご夫人用のスーツなどもおつくりしていたのですが、最近は殿方からもご注文が参ります。」マフラーからスーツ、小物類まで。藍と絹をテーマに、各種素材を選び、染め抜いて、デザインと実用性を強化し、伝統のもつ強さと可能性を未来につないでいく。もう一度、岡埜栄泉から桜木の交差点へ戻り、マンション「ルネ上野桜木」へ。地元からは環境破壊その他、相当の反対運動があったと聞く。いろいろあるのだろうけれど、出来上がった結果は、なかなかのもの。壁面の仕上げ、周辺への配慮、パティオ、エントランスのつくりなど、このあたりの品格に十分対応している。バブルっぽさが、エントランスなど多少におうが、壁面の仕上げに使われている石材の仕上げなどをみていると、こういう上がりならば、経年変化の厳しさに耐え、風格ある建物として存在し続ける可能性もあるなと感じる。ルネ上野桜木を裏への抜け道に使い、石見銀山群言堂上野桜木店へ。上野桜木町から入谷にかけて街と住む人の雰囲気、おそらくは東京芸大というところを媒介にした100数十年にわたりこのあたりでの交流は、東京のほかの街にはない風格をこの街にもたせ、次の時代への期待をもたせるものも多い。日もとっぷりと暮れたところで家路につく。帰宅後、さんまを焼いて夕食を済ませさて、行き着けの飲み屋へ...時間は8時前後だが、道を曲がってふと看板を見上げると、点灯していない。ははん、忘れてるなと思った次の瞬間「今日は祭日だ!」祭日はお休み。朝のクリーニング屋から、そのことは分かっていたはずなのだが...学習効果がない。
November 4, 2007
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自民ー民主党首会談大連立の可能性から一転民主党小沢代表、進退を民主党執行部に一任常にチャンスをピンチに変えてきた民主党と壊し屋小沢政権交替の可能性が見えつつあるこの時期に何故?かたや自民党に不可解極まる敗戦総理の続投所信表明演説直後の辞任ありと見れば民主党には今回の体たらくイレギュラーバウンドばかりで、このままでは、国のあり方まで屋台骨がおかしくなる
November 4, 2007
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「このあいだ、福島へ行ったんだ」「そうなんだ」「リステルってとこに泊まったんだけど、とっても良かった。あれはどういうとこなの?」「会員制リゾートマンションってヤツだな。確かリステルは経営が替わって再生したんだよな」「リステルって裏磐梯?」「ん?」「リステルと猪苗代湖と磐梯山と飯盛山ってどういう関係?」「どういう関係って?」「どういう配置になっているの?」「リステルってのは、トンネル抜けたとこだよね?」「さぁわからない」「関戸とか、上戸とか、川桁ってあたりだと思うんだ。あのすごく大きなヤツでしょ?」「そう」「リステルのある上戸とか関戸ってのが猪苗代湖の東北の端っこだな。北に磐梯山があって、その南側が猪苗代湖。猪苗代湖の西北端から峠ひとつ越えたところが飯盛山」「鶴ヶ城は」「鶴ヶ城は、飯盛山の目の下5kmぐらいだろう」「白虎隊のお墓を見に行きたかったんだけど。猪苗代湖と磐梯山て離れているの?」「どうかな?せいぜい5kmってとこじゃない」「猫なんとかっていう山は?」「それは磐梯山の西側の猫魔岳。」「中津川渓谷ってとこも行った」「へーどうしてそんなとこ行ったの?俺も去年行ったよ」「紅葉を見に行ったんだけど...」「でも早かった?」「いいえー。とっても良かったの。」「いいじゃん。俺なんかここ何年か、紅葉見に行くと毎年早すぎる」「五色沼も行ったの。すごくきれいなところなのね。それは裏磐梯?」「そう。五色沼、中津川渓谷は裏磐梯」「中津川じゃないんだけど、とうのへつりって知ってるでしょ?」「それは知らない」「塔のへつり。山冠に沸騰の沸のさんずいの無い弗という字を書いてへつりって読むらしいの。辞書調べても出てなかった」「へー」「そこも行ったの。長い時間をかけて岩が侵食されて、塔のような形ができたところなの」「へきかいみたいなもんかね?」「誰と一緒に行ったの」「パックツァーでいつもご一緒するお友達と。お年寄りばかりだからね。ずっと川のほうまで降りていくと遊歩道もあるけれど、あまり遠くまでは行けないの」「途中で行き止まりになってる?」「さあ?」「15人の団体さんが居て、遅刻はするは、なにはするわで、やり放題。添乗員さんも困ってたけど、それ以外の人たちは、ご夫婦とかお友だち同士とかね。ご夫婦の人たちってほんとに何もお話しなさらないの。いつも不機嫌そうな様子なの」「長い間会話のない生活を続けてしまうと、それがおふたりにとっては自然な状態ということなのかな?」「せっかく旅行に行っても、何も言わずに黙っているんじゃしょうがないじゃない」「人前で話しちゃいかんってこともあるかもね」「どうして?」「だって僕らより少し上の年代ってそういう教育受けたって感じするじゃない。それと夫婦の間の話しって独特で人に聞かせたくないってあるでしょ。だからって、奥さんが旦那さんほうっておいてほかのおばさんと話せば旦那はむくれるし、旦那のほうは旦那で、じいさんてだいたい偏屈だから話しても面白くない。だから、女同士、男同士で話すこともできないし、まして、相手をほっといてほかの旦那とか奥さんと話したら、怒られちゃう」「そんなものかしらね」「 じゃない?」
November 3, 2007
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日本シリーズ第5戦は、中日が山野-岩瀬2人でパーフェクトゲームの絶妙のリレーで1-0と日本ハムを下し、4勝1敗で53年ぶりの日本一を達成した。育成選手からのスタート。文字通り絶壁をよじ登る思いでシーズンに臨んだ中村紀洋がシリーズMVP。そして、監督として初めての日本一を達成したのが、隣町赤堤の住人「落合博満」。1953年秋田の生まれの東北人。1996年巨人での最後の年、夏休みもそろそろ終わる頃、松原駅前のオオゼキで「アイスクリーム5個ねぇ。5個350円のだかんねぇ!」というウチのカミサンみたいな声に、目の前の大男が「あいよー」っと反応。見れば、それが落合(ということは、あの声の主は奥さま)。そんなことをやりながら、翌日は勝利に貢献するホームランを打っていた。「感無量です」11年後、日本一の感想を聞かれ静かにそう答えた。3度の首位打者。日本人初の1億円プレーヤーセパ両リーグにわたっての活躍しかし、2000本安打を放っても名球会入りせず2004年コーチ経験ナシで中日監督に就任し、その年リーグ優勝2006年同じくリーグ優勝だが、再び日本一に届かず。リーグ優勝を果たしても、選手に人望が無い、観客動員力に欠けるその他マスコミ等からの酷評、ようやく、頭を丸刈りにして望んだ2007年シリーズで、前年の覇者日本ハムを下しての日本一。中村紀だけでなく、落合も密かに捲土重来を狙っていたに違いない。
November 1, 2007
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今日から11月、旧暦霜月サクサクと音を立てながら農道を通って小学校に行った人が良く通るところにはむしろを敷いて、霜を避けたが、農道は踏み固められていても、霜はその表面を持ち上げる。僕たちは、靴底に泥を一杯にしてそれを蹴り飛ばした。今は、11月には霜の降りることはまずなく、真冬でも霜を見ることは珍しい。何より、殆どの道路が舗装され、歩くのに霜で不便することもない。今日は留さんの再スタート自分は明日健康診断。
November 1, 2007
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