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1945年8月15日が終戦の日ですので、来年には80年になります。
甲子園球場でも、毎年正午に黙祷のサイレンが鳴ります。
いつか、戦争を経験した方が全く居なくなってしまう時代が来るでしょうが、後世に語り継がなければいけないことだと思います。
終戦の日を、上海で迎えたことが3回あります。
その中で、最も印象に残っているのは、まだ駐在前に出張で訪れていた2005年8月15日です。
この頃は、先発の駐在員数名が上海に住んでいて、日本から複数名の応援者が、出張ベースで支援していました。
皆それぞれの分野の専門家で、私は事業計画作成の支援と、会計や税務対応、そして管理系全般のサポートを行っていました。
出張ベースでの支援は大変で、通常業務の合間を縫って3泊4日程度が限界でした。
そのため、思ったように進まないジレンマがありました。
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そこで、その当時のプロジェクトリーダーだった方から提案があり、会社がお盆休みになる期間を利用して、上海で集中して仕事をしよう、ということになりました。
上海には日本のお盆休みのような休みはないので、現地にいれば色々と対応が出来ます。
その上、日本も休みであれば、メールや電話などの対応も、ほとんどありません。
集中して仕事が出来る環境ですので、夏休み返上で上海に向かいました。
当時の上海の夏は日本より暑く、厳しい環境の中で工場で仕事をするメンバーもいれば、私は現地の税務署や会計事務所、法律事務所などを訪問して打ち合わせを行い、事務所では事業計画の作成を行っていました。
土日はお休みで、皆それぞれ単独で、思い思いの上海での休日を過ごしていました。
この時の8月15日は、朝、会社のすぐ裏のコンビニで、日本人数人で缶コーヒーを買って飲んでいました。
そして、真夏の暑い上海の風景を見ながら、「日本はお盆休みですね。俺たちは上海ですね。仕事していますね。頑張っていますね」などと、他愛のない会話をしていたことを憶えています。
それでも、この時の1週間は強烈な思い出として残っています。
自分たちにとって未知の土地である上海で、一生懸命に仕事をした日々は、今でも時々思い出します。
あの時の苦しい経験があったからこそ、今の自分がある、と言えるほど、大変で、かつ素晴らしい経験でした。
今は振り返ることもほとんどありませんが、終戦の日に久しぶりに上海での熱い日々を思い出しました。
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